ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

「綴り方教室」小さな幸せ

 7月1日(土曜日)、真夜中に起きてきのうの夜とは異なり、寝たり起きたりを繰り返し、確かな息遣いで生きています。抜歯の後の出血はきのうの夕方頃には止まり、三日分の痛み止めを服みはじめていたせいか、痛みも和らいでいました。そのせいでわが生きる活動(生活)は、少しずつ変わり(好転)はじめていました。もちろんいまだに、心地良いとか快適とかとは程遠いものの、それでも生きる喜びすなわち幸福感が戻りはじめていました。いやこのことは世の中の人と比べて、無理矢理にでもそう思ったのです。
 この頃の世間では有名人そして無名人、共に分け隔てなく、生きることの苦しみに喘ぐ、ニュースが頻繁に起きています。みんな、悲しみに纏わりつかれて生きています。私は、このことを浮かべていたのです。夕べの就寝時には豪雨ニュースに耐えきれず、私はふるさとの亡き長姉と長兄の長男(後継者・甥)へ、雨と内田川の増水状況を尋ねました。二人の甥は異口同音に、ふるさと模様をこう伝えました。
「これまでのところ雨は、降ったり止んだりで、今のところは大丈夫です。川の水はいみっているばってん、まだ大したことはないです。ただ、避難指示は出ています。雨は今夜、この先が大雨になるそうです。だから、それを心配しています」
 夕御飯のおりには出血の止まりに喜び私は、我慢していた御飯を茶碗に小盛りで食べました。御数は、大好きな旬の夏野菜三品の揃い踏みでした。トマトは、輪切りに食卓塩をばら撒きました。ナスは、妻にせがんでナスのしぎ焼きを食べました。キュウリは、子どもの頃から食べつけているおふくろの味、「キュウリ揉み」(味噌和え)をこれまた妻にねだり、食べました。大好きな料理? で、私には幸福感がいや増しました。
 テーブルを挟んで相向かいのソファに座る妻は、こう言いました。
「パパ、まだ夕御飯には早いわよ。パパ、まだ食べちゃだめよ。わたし、まだ食べたくないわ」
 妻は全部の20個が済むまで、ひたすら「ゴキブリホイホイ」を組み立てていました。
 児童の頃の「綴り方教室」を真似て、書きました。書き終えて、「小さな幸せ」と、題を付けました。

6月最終日の朝の訪れ

 6月30日(金曜日)、6月最終日は一晩中、うろうろしています。きのうの関東地方は、梅雨明けに留まらず、すでに夏本番を思わせる暑い日になりました。ヨタヨタヨロヨロと、のろく歩くだけで汗だくになりました。予約と予告に従い、私は気分をふさいだままに掛かりつけの歯医者へ行きました。午後2時半予約の診察室は、他の患者なく今にも自分に絞首刑が断行されるかのように、ひっそり閑としていました。私は、死に行く面持ちで覚悟を決めました。集音機を外したわが難聴の耳に主治医は、優しさのあらわれなのか? 意図して大声で、施療の事前説明を丁寧にされました。ここでじたばたしたら、82年の年の功・年季が廃ります。私は賢明かつ良質の患者をよそおい、まったく無抵抗に「わかりました。お願いいたします」と言って、もはや「俎板の鯉」の心境だったのか、空返事というか強がりの言葉を返しました。
 局所麻酔が打たれて私は、痛みのない桃源郷へ心身を委ねました。歯医者という職業は、強引だが勇気ある人のする仕事、同時に尊敬し、崇めずにはおれないものだと、悟りました。一方、俗世間では「歯医者が一番儲かる職業」と言われて、確かに金儲けにすがる歯医者もいるようです。私は、この世評(悪評)をぐっと胸に収めました。主治医は、詰め歯が崩落したところの二か所の歯根を「ペンチ?」で、「エイ!」とばかりに抜き去りました。
「ここには、新たな入れ歯が入ります。入れ歯ができるまでには、ほかのところを治療します」
 終わったことには、悶え、あらがうことはできません。(はい、はい、そうですか……)。診察料支払いの窓口で、次回の予約日の応答を終えると、私は恨めしい眼差しで一度ふり返り、仕方なくトボトボと歯科医院を後にしました。今なお、血止めの個所が一向に収まらず、寝床と洗面所を行き来しているうちに夜明け前が訪れています。
 ほとんど寝つけていないため、寝不足に見舞われてこんな迷い文を書きました。書き終えたら洗面所へ向かい、血止めに詰めているテイッシュを取り替えます。薬剤は三日分、抗生剤と痛み止めが処方されています。しかしなんだかな……、食後服用とは、つらい仕打ちです。幸か不幸か、目の眠さを歯の痛さが打ち消しています。休むつもりのわが心を、高橋弘樹様のエールが奮い立たせました。末尾ながら、高橋様に感謝と御礼を申し上げます。

 6月29日(木曜日)、目覚めて、起きて、書いています。のどかに薄く彩雲をちりばめた朝ぼらけが訪れています。きょうから、終わりの見通せない歯医者通いが始まります。なお生きるためとはいえ、いっそう御飯を美味しく食べるためとはいえ、薄弱なわが精神は、不甲斐なく、切なく、悶えています。どうしたのだろう。エールをねだるウグイスはいつもと違って、あえて知らんぷりをよそおい、まだ塒で寝ています。友情か? わが精神力の独り立ちを促しているのかもしれません。ところが私には、友情を感じる余裕はありません。私は、「バカ」に「大バカ」にされたものだと、恨みを募らせています。

昼間書きの迷い言

 私は長年にわたり、たくさんの文章を書いてきた。だから、日常生活の身辺を綴るだけでいい「ひぐらしの記」など、スラスラ書けていいはずである。ところが、それが書けない。わが能力の乏しさには、ほとほと恨めしいかぎりである。矛盾するけれどこの要因は、長年書き続けてきた祟りでもある。単刀直入に言えばその一つは、ネタの書き尽くしによるものである。加えて一つは、長年の書き疲れによるものである。二つと言っても根本的なものであり、それゆえ克服して書き続けることは容易なことではない。いやさらに一つ加えて、三つ目の理由が最も厄介である。それはすなわち、人生晩年における気力の喪失によるものである。気力の喪失を招くことでは、これまた様々な要因がある。最大かつ最も始末に負えないものでは、文字どおり生きるための「生活の疲れ」がある。ところが、この要因には数えること不可能にキリなくあり、これまたわが能力の乏しさでは手に負えない。
 私は、きょう(6月27日・火曜日)もまた昼間に書いている。ウグイスは、わが背中にエールを送り続けている。網戸から冷たい風が入ってくる。他力本願だが、心が和んでいいはずである。ところが、なんだか心侘しい昼下がりである。終末人生とは、どんなにしゃちほこだって気張っても、もはや光明にはありつけないのであろうか。自己に鞭打つ生涯学習などには見切りをつけて、生きるための「自己奮励」にのみ切り替えなければこの先、身が持たないだろう。昼間書きは時間があるぶん、功ばかりではなく、罪作り(雑念)に憑(と)りつかれること多々ある。

ウグイスのエールにすがるわが人生

 6月26日(月曜日)、味を占めてきょうもまた、昼間に書いている。昼間書きは、ウグイスと時間を共有できるのが一番いいことである。今やウグイスと私は、風貌の醜さにとどまらず、孤独に堕ちた者同士でもある。そのためか私は、ウグイスには親近感深い情愛を持ち続けている。
 子どもの頃、山中の「メジロ落とし」の囮(おとり)の籠に差すトリモチに、ウグイスが近づいて来た。ところが逃げられて私は、腹いせに「バカ!」と、大声で叫んだ。遊び仲間でウグイスはいつも、「バカ」と呼ばれていた。情愛の深さは、そのとき蔑(さげす)んだ罪滅ぼしでもある。できれば姿を見せてほしいけれど、ウグイスにも隠れていなければならない切ない事情があるのであろう。確かにウグイスの場合は、隠れていてこそ美徳、すなわち美声が際立ち、人間からやんやの称賛を浴びることができる。だから私は、ウグイスのこの切ない事情をおもんぱかり、無理におびき寄せはしない。孤独に耐えて、鳴きたいだけ、山で鳴けばいいのだ。私は、ウグイスからたまわる友情をも感じている。外へ出るとウグイスは、わが背に待っていましたとばかりにエール(応援歌)の鳴き声を、雨あられのごとく奏でてくれる。相身互い身の友情だけに、双方の絆は揺るぎようがない。
 今朝は目覚めて、5時近くから1時間ほどをかけて、道路の掃除を綺麗に仕上げた。昼間書きの功ありて、途絶えがちだった日常生活のルーチンが見事に復元できたのである。確かに、きのうの昼間書きは、今朝のわが気分を愉快に潤してくれていた。
 こんな矢先にあって今週からの私には、つらい日常生活が強いられることになる。それは6月29日(木)を一回目として、期限なし(エンドレス)の歯の治療が開始されることである。たぶんこの先、一週置きに予約時間が決められて、私は厳命を受けたごとく神妙にきっちりと、通院を繰り返す羽目になる。先日突然、詰め歯の一つが崩落した。私は慌てふためいて予約を取り、掛かりつけの歯科医院へ通院した。通院期間が空いていたせいかこのときは、主に歯科衛生士(うら若い女性)によるクリーニングが施行された。マスクを免れた目元は、覗き目、とてもうるわしかった。けれど、言葉は残酷だった。
「虫歯のところが4か所、増えていますね。治療の判断は、先生がされるでしょう。写真を2枚撮りますから、こちらへどうぞ……」
 このあとは主治医・男性先生が、歯と歯茎を診断された。すると輪をかけて、途轍もなく恐怖の言葉を言われたのである。もちろん私には、こののちの治療方針や治療後の出来具合などまったく見当がつかない。それゆえ私は、戦々恐々の面持ちで、梅雨の曇り空の下、渋々トボトボと帰宅した。曇り空は雨を留めたけれど、わが目は容赦なく涙を溜めた。歯の治療はエンドレスとは言えそれでも、いつかは打ち止めが訪れる。打ち止めは夏過ぎて、秋口あたりだろうか。この間の私は、文章を書く気分を殺がれて、治療の経過しだいでは頓挫の憂き目を見そうである。われながら、悲しい予告である。
 こんな泣き言、ウグイスには言えない。いや言っても、子どもの頃の仕返しに遭って、「おまえは、うすらバカ!」、呼ばわりされるだけだろう。窓の外には梅雨明けみたいな、強い陽射しがそそいでいる。歯医者通いをおもんぱかり、ウグイスのエールにすがる、わが気分は沈んでいる。

昼間書きの文章

 6月25日(日)、四囲の窓ガラスのすべてを網戸に変えた。すかさず、ウグイスの鳴き声が「ホウー、ホケキョ」と、頻りに耳穴に入ってくる。騒がしいと言うと罰が当たる。いや、千金はたいても買えない、無償の贈り物である。夏至が過ぎればやがてウグイスは、人の声に「老鶯(ろうおう)」呼ばわりされる。そして、セミが鳴き出せばこんどは、「あれ、ウグイス、まだ鳴いているの?」と、気狂い呼ばわりされる。ウグイスは、まだ鳴きたい声をしかたなく抑えて、鳴き止める。だから、この時期のウグイスは期限付きに余計、人懐っこく鳴き続けるのであろうか。それとも欲深くウグイスは、私に同情と憐憫の情をせがんでいるのであろうか。
 醜い姿を隠さずにいられないことでは、ウグイスと私は似た者同士である。しかしながらウグイスは、生来、人が羨む美声に恵まれている。この点ではウグイスは、何らの特徴も有しない私より、はるかに長く生きる価値がある。それなのに、セミが鳴き出すとそれまでの恩恵など顧みられずに、翌年の春先まで忘れ去られてゆく。そののちのウグイスの命の成れの果てなど、もちろん私は知る由ない。
 まるで、盛りの梅雨空を忘れたかのように大空から、のどかな陽射しが空中と地上にあまねくふりそそいでいる。雨に打たれ続けて、小枝を曲げてうつむいていたアジサイは、いくらか背筋を伸ばし、花をもたげて一息ついている。これまで、ほぼ閉め切っていた部屋の中には、網戸からいくらか湿り気を落とした風が通り、沈んでいたわが気分に心地良さを恵んでいる。頭上の風鈴がチリンチリンと鳴り、梅雨明けを待たずとも、いっとき夏気分にひたれている。
 昼間に文章を書けば、眠気眼と執筆時間に急かされての書き殴りは免れる。それよりなにより、ゆったりとした心の安寧に恵まれる。それゆえに、昼間書きが定着してほしいと思う半面、明け行く空の描写と、厳かな朝の気分を味わうことはできない。どっちもどっち、私は自然界の恵みに生かされている。
 ウグイスは、暮れ行く頃まで鳴き続けるであろう。お礼返しに庭中に最高等級の米をばら撒いても、コジュケイのようには山から飛んでこない。醜い風貌を持つ、ウグイス固有の孤独な宿命の証しであろうか。鏡面に写るわが醜面を眺めて、私も(隠れたい!)思いを重ねている。ひねくれて、美声を持つウグイスへの憧れは尽きない。梅雨の合間の、のどかな昼間にあって、一コマの戯れの文章を書いてしまったけど、昼間書きの文章の気分は悪くない。

「夏至」における嘆き

 「夏至」(6月21日)が過ぎれば夏が訪れる。夏が過ぎれば秋が訪れる。「立冬」(11月8日)を挟んで冬の季節になると、「冬至」(12月22日)が訪れる。この間の7月には、年齢を重ねるわが誕生日がある。半年ごとの季節のめぐりは短く、毎年、心が急かされている。ところがこの先は、焦る心になおいっそう拍車がかかることとなる。おのずから今より、季節感に浸る気分もまた、いっそう殺がれること、請け合いである。
 夏至と冬至、この相対する季節用語は、このところとみに私の気分を苛立たせるようになっている。もちろん、かつての私はこんな気分にはならなかった。いやむしろ、この二つには途轍もなく気分が和んでいた。夏至の場合はわが好む夏が近くなり、足早に過ぎてもこんどは、秋の夜長を十分に楽しめる。冬至の場合は、我慢の一冬さえ越えれば、確かな春の季節が訪れる。しかし、年齢を重ねた現在の私は、悠長な気分にはなれずに、こんななさけない心境をあからさまに吐露している。人間心理とはこうも変わるものかと、ひたすら呆れかえっている。
 梅雨明け間近の昼下がりにあって、穏やかな気分になれず、「夏至」が過ぎて苛立つわが嘆きである。確かに、季節の速めぐり感に脅かされて、齷齪(あくせく)するのは愚の骨頂、トコトン馬鹿げている。しかし、人生晩年においては避けられない、人ゆえの切ないさだめである。寝起きとは違って昼日中に、再び「夏至」にちなんで書き留めた文章である。

「夏至」過ぎていて、慌てて書く

 6月23日(金)昼間、NHKテレビは、78回目の「沖縄・慰霊の日」にかかわるニュースを盛んに報じている。毎年、同じようなニュースの繰り返しだけれど、実際には現地の風景を変えている。なぜなら、沖縄戦の記憶を伝える人たちは、年年歳歳減少するばかりである。すると、残された者がそれを知るには、記録にすがることとなる。しかしながら記録だけでは、沖縄戦の実相を知ることはできない。戦争の厳しさはやはり、体験ある者が伝えなければならない。このことを肝に銘じて私は、後がない思いで神妙に、つらいニュースを見聞きしていた。
 午前中はまだ、このところの悪天候を引き継いでいた。ところが、しだいに日光がさしはじめた。私は濡れていた道路の渇きぐあいを待った。(よし、掃けるぞ!)。私は掃除の三種の神機(箒、塵取り、半透明のビニール袋)を携えて、すばやく道路へ向かった。1時間ほどかけて、綺麗に掃き終えた。この間、山のウグイスは、わが姿を見て安心してくれたのか、うれしくなったのか、歓迎の鳴き声を高らかに奏(かな)で続けていた。山の法面に沿って長く横列に並んでいるアジサイは、帯びていた露玉に光をあて返してひときわ輝いた。
 このところの私は、「ひぐらしの記」に連載物を書き続けていた。そのため、季節の日めくりを遠のけて、可惜(あたら)季節感から遠ざかっていた。だから、きょうの私は、久しぶりに心地良い季節感を味わっている。季節感忘却の筆頭はこれである。すなわち、「夏至」(6月21日・水曜日)という、文字を書かずに梅雨明け、そして夏日へ向かうところだった。
 人間にとっていや私にとっては、季節感を失くすことは、「生きる屍(しかばね)」同然である。確かに、ぼろ家のわが家では、ゴキブリ、ムカデの這い回る季節ではある。だからこの季節、必ずしも手放しに喜べるものでもない。だと言って季節感を失くして、いたずらに時が過ぎゆくのはもったいなくて、元も子もない。

無題

 パソコンを起ち上げた。ところが、書くことがなく、休もうと、閉じかけた。すると、私を助け、「ひぐらしの記」の継続を叶える、出来事が浮かんだ。とうとう、多くのきょうだいの中で、生存者は私一人だけになった。寂しさ、無限につのるものがある。「捨てる神あれば拾う神あり」。突如、LINEの中に、こんなチーム名が誕生していた。それは、「前田チーム、静良叔父ちゃんを励ます会」である。メンバーはとりあえず、首都圏に住む、甥と姪たちが主である。出来立てであるのに、10名のメンバーが記されている。二兄(東京都国分寺市)にかかわる甥2名、姪1名、都合全員で3名。三兄(東京都昭島市)かかわる甥全員で2名。四兄(東京都国分寺市)にかかわる甥1名、姪1名、義姉1名、都合全員で3名。私にかかわる娘1名。私。都合全員で2名。ここまでのメンバーで10名である。妻はまもなく入会するはずだ。とりあえずと書いたのは、ふるさとの長姉と長兄にかかわる、甥と姪へも入会が呼びかけられている。加えて、私より年上になる異母長兄の姪3人と甥1人。さらには異母長姉の甥2人も、呼びかければすぐに入会しそうである。これらには子・孫あるいはひ孫のいる家庭を持つ者もある。みんな、わが父、異母、そして母との繋がりの一員を形成している。とりあえずの10名は、メールのやり取り盛んに、私の励ましにおおわらわである。
 きょうはこんなことを書いて、継続の足しにしておしまいである。恥晒しではないけれど、かたじけなくおもう。私は、死ねなくなっている。文章とは言えそうにないから、題はない。

おっちょこちょこの人生

 パソコンを起ち上げて、のっけから電子辞書を開いている。「徳俵:相撲で、土俵の東西南北に、俵の幅だけ外側にずらしておいてある俵」。力士にすればオマケの俵である。だから、徳俵と名がついている。これくらいの説明書きがなければ、電子辞書の価値はない。徳俵のことはどうでもいいけれど、文章の都合上、冒頭で徳俵の由来を記したのである。わが人生はオマケの「徳俵」さえ踏んでしまい、いよいよ後がない。
 きのうは下歯に詰めていた岩石みたいな詰め歯が、まるで西の空の日没を見ているかのように静かに外れた。このため下歯は、前歯周辺の何本かを残して、左右には噴火口みたいな旧い穴ぽこに加えて、新たな穴ぽこが並んだ。上歯はすでに詰め歯がとれていて、いたるところが穴ぽこだらけになってしまった。歯医者嫌いで、これまでは痛みが出ないかぎりほったらかしにしていた。しかし、きのうの下歯の詰め歯の外れは、「万事休す」、と宣告を受けたのである。上下すなわち、歯並び全体が「穴ぽこ」だらけになり挙句、大好きな御飯さえ(もう、食べなくてもいいや)と駄々をこねて、敬遠する状態になりつつある。
 すわ! これでは歯どころか、「命」が一大事だ! と、慌てふためいて私は、間遠になっている掛かりつけの歯医者に予約を入れた。そのとき決められた診察時間は、きょうの午後2時である。運よく修復できるのか。それとも運悪くもはやお手上げで、また穴ぽこのままにほったらかしにし、やがて訪れる痛ささえ我慢して、自然死まで耐えるのか。きょうは、わが生来の優柔不断の決断をどちらかに迫られる日になりそうである。もちろん診察を終えるまでは、わかりようはない。ただ、残存のわが命に突然、大きな出来(しゅったい)が生じたことだけは明白である。
 もう一つ、知りすぎている言葉だけど、電子辞書調べをした。「パンク:①自動車や自転車のタイヤのチューブが破れること②物が膨らんで破裂すること③適量を大幅に越えて機能が損なわれること」。調べるまでもない言葉なのにあえて、電子辞書を開いたのは、これまた文章都合上のためである。そしてそれは、電子辞書の説明書き③の記述に該当する。私の歯、いや体全体は、徳俵でこらえてももはや、後がないパンク状態にある。あすと言わずきょうにも、息の根が止まりそうである。いよいよ私は、人生の総括をしなければならない焦燥感に見舞われている。確かに私の体は、歯のみならず日に日にどこかの不良をいや増し続けている。ところが、わが体の不良や衰弱ぶりばかりではなく、身内、友人、知人の訃報は途切れることなく続くようになり、おのずからわが気分をむしばんでゆく昨今(さっこん)である。
 三度目の電子辞書すがりは、これまた知りすぎているこの言葉である。「昨今:きのうきょう。この頃」。わが体いや命は、焦眉の急に脅かされている。大袈裟に書いたけれど、創作文(虚構)の真似事をしたまでのことである。こんな文章など身のため、書かなければよかったのかもしれない。しかしながら、書かないと文章は、きのうで頓挫の憂き目を見たことになる。継続とは恨めしいかぎりである。継続は世に言う、わが人生に力を与えてくれているのだろうか。
 梅雨とアジサイの季節は、私にとっては物憂い季節である。ただ、きょうの診察しだいでは、すぐに明るくなることはある。表題は「おっちょこちょこの人生」でいいだろう。