ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

無題

 4月15日(月曜日)。薄く晴れ模様の夜明けが訪れている。季節は晩春へ向かい、やがては風薫る初夏へ到達する。春の季節にあっては、寒の戻りや花に嵐を遠のけて、最も心地良い頃であろう。鶏に代わる早起き鳥のウグイスは、もう鳴いている。ウグイスは、人間界の煩わしい生き様や、わが煩悩など知らぬが仏で、限られたわが世の春の謳歌に必死なのであろう。そうであればいつもとは違って逆に、私からウグイスへ「鳴け、鳴け、大鳴け!」と、エール(応援歌)を送りたい心境にある。
 ウグイスの必死の鳴き声に同調するのは、わが終末人生がウグイスに似ているせいでもあろう。なぜなら私も、今や短く限られた命の残存を必死に生きている。ウグイスよりわが命は、長そうには思えてはいる。しかしながら、いつ絶える(絶命)か、その恐怖(感)はほぼ同様である。わが終末人生の日常は、もっぱら生存だけが目的になり、半面、その瓦解が恐れをなしている。そして、これにちなむ心境は、時々刻々に様変わる。
 起き立てにあってきょうもまた、書くまでもないことを書いた。書いて、恥を晒すことは厭わない。けれど、どんな出まかせの雑文であっても、書くことには常に苦痛がともなっている。苦し紛れの文章は、確かなわが能力(脳力)欠乏の証しである。もちろん、こんな文章では生涯学習の範疇には入らず、実のないいたずら書きの汚名を被るだけである。きのうの文章とは違って表題は、まさしく無題でいいだろう。ウグイスは心地良く鳴いている。私は気分沈んで嘆いている。

ただ書いただけの、無題

 4月14日(土曜日)。ぐっすり眠れて、早く起き出している。だから、「早起き鳥」の真似をして、「コケコッコウ」と、鳴きたくなっている。しかし、早起き鳥にはなれない。ゆえに私は、早起き鳥のような社会貢献はできずじまいである。
 ふるさと時代にあって早起き鳥は、朝の起き出し時刻を告げる大切な役割をしていた。わが家の早起き鳥は、縁の下に飼っていた数羽の鶏だった。鶏の天敵は、産みたての卵を呑む青大将だった。今なお絶えず、恐怖がよみがえる過去の忌まわしい光景である。私いや人間は、常に天変地異と人間以外の生き物の恐怖に晒されて生きている。恐怖の枠から人間を外すことは、人間の驕りなのかもしれない。確かに人間とて、日々伝えられてくる社会現象を鑑みれば、恐ろしい生き物の範疇に在る。
 社会は、万物の霊長と崇められる人間の集団である。それなのに社会の実態は、必ずしもこの崇敬に見合っていない。なぜなら社会は、人間のしでかす大小の事件のオンパレードである。伝えられてくるもので、小とは言えず腹立たしいのには痴漢行為がある。メデイアは、痴漢防禦策をあれこれと囃し立ててくれている。もちろんそれは、出会いの月4月にからんで人の往来が激しくなるにつれて、痴漢被害が増えること案じるゆえであろう。
 痴漢行為には、(痴漢ぐらいは……)という、男の驕りがある。この驕りを断つには、痴漢をしでかした者を晒しものにして、社会から抹殺するほどの厳罰主義にするほかはない。なぜか社会は、痴漢行為にきわめて甘いと、思うところがる。
 手練手管の詐欺行為も、一向に減らない。新コロナ対策の補助金には、偽申告や応急の金を借りても、返済意志のない人が大勢という。すなわち、はじめから「横取り、もらい得」を決め込んでいる悪人多しである。
 気分直しをしてくれるのは、いつも「ふるさと便」である。ふるさとの甥っ子、姪っ子から、相次いでふるさと便がとどいた。一つは「タケノコふるさと便」、そして一つは「ふるさと産米ふるさと便」である。早速、どちらにもお礼の電話をかけた。すると、二人ともこう言った。
「このところは、イノシシがやたらと増えています。被害も増えて、合うのが怖いです。退治する人はだれもいなくて、イノシシは増えるばかりです」
 私は一日一日をひたすら生きている。高齢の身を生きるわが生活実感である。わが身にかぎらず総じて社会は、生きる苦しみにある。早起き鳴かずとも、朝がくれば起きなければならない。生きる者の宿命である。今朝は、麗らかな朝日がわが気分を解している。大地揺るがず、生き憎い人間社会のいっときのオアシスである。

朝書きの自戒

 4月13日(土曜日)。目覚めると部屋の中は昼間のように明るい。陽射しこそそそいではいないものの、私は寝坊助を被っていた。慌てふためいて起き出すと、見渡す眺望には朝日がピカピカと輝いている。ウグイスは、朗らかに鳴いている。私は心が急いている。半面、待ち望んでいた自然界の恵み旺盛で、わが気分は晴れ晴れの夜明けである。心地良い気分は、春季節特有の恩恵、すなわち熟睡がもたらしている。まさしく、春の恵みである。
 一方、私は寝坊助の祟りにあっている。いや、このことは、夜明け前に書くわが習性の祟りである。もちろんこの祟りは自認し、ゆえに常に自戒している。もとより、この習性を改めないかぎり、私自身が求める文章は書けない。挙句、継続を断たないだけ目的になり替わり、いたずらに殴り書きと走り書きの協奏に甘んじる。確かに、文章の不出来はこのせいではない。ところが、独り善がりに私は、そのせいと思い込んでいる。気分は煮え切らず、常に生煮えの状態にある。みずからのせいとはいえ、恨めしいかぎりである。好気分に遭遇し、こんな文章を書くようでは、もとよりわがお里の知れるところである。
 実社会の年度替わり、そして出会いの月4月にあって、それぞれに人の営みは、本格稼働に入っている。季節は初春、桜の花の頃の中春を過ぎて、晩春へ差しかかる。日々、山は緑を成し、里は葉桜を深めてゆく。ここにきてようやく、春の夜明けは落ち着いて、この先は季節の恵みをふりまいてくれるのであろうか。
 再び記すと、胸の透く心地良い夜明けである。これまた再び書くと、私は寝坊助を被り心が急いている。目覚めて寝起きの私は、きょうは時間なく書けない、いや書くまいと、決めかかっていた。登山家は「山があるから登るのだ!」と言う。これに倣えば私は、「パソコンがあるから、駄文を恥じず書くのだ!」。私は蚤の気概ほどの決意を固めて、パソコンに向かったにすぎない。登山家の壮大な意志と気運に比べて、なんとわが意志のみすぼらしさであろうか。とことん恥じてこの先は書けず、仕方なく指先を擱くこととする。そして、朝御飯の支度前の残された短い時間は、のどかに朝日輝く大空を両頬杖ついて眺めることとする。
 文章とは言えないけれど、慌てふためいてせっかく書いた文章だから反故にはせず、名づけて残し置くものである。浮かんでいる表題は、「朝書きの自戒」である。熟睡の心地良さは、切なさに変わりそうである。

目覚めの、無情!

 4月12日(金曜日)。晴れのない、雨の無い、曇り空の夜明けが訪れている。きょうの天気予報は聞きそびれている。そのため、この先の天気模様はわからずじまいである。「ひぐらしの記」は、すっかり「私日記」に成り下がっている。わが悔やむところである。目覚めるとしばし寝床に寝転んで、私はいつもこんな気持ちに苛まれている。一つは、「起きて、文章を書こうか、書くまいか」という思いである。一つは「この先、文章はもう止めようか、止めたいなあ……」という思いである。「ひぐらしの記」の存廃は、目覚め時の気分に起因する。直截的(ちょくせつてき)にはこのときの気分の良し悪しにある。より具体的には、モチベーション(意欲、気力)の高低にある。それが高ければ文章は書けて、なお存続志向へありつける。一方、それが低ければ文章は書けずじまいとなり、たちまち私は、潮時思考へ陥っている。目覚めると日々、こんな思いの繰り返しである。もちろんこの思いには、老いさらばえるわが身体と、それにつきまとう萎える精神(力)が加担している。さらには歳月の速めぐりにともなう、遣る瀬無さが付き纏っている。
 きょうは楽屋話を書いて、継続文の足しにするものである。曇り空は切れて、朝日が射し始めている。ウグイスは鳴いている。しかし、桜の花は散り急いでいる。私はなさけない心境にある。

「桜、様様」の一文

 4月11日(木曜日)。目覚めて起き出し、慌てふためいてパソコンへ向かっている。夜が明けて、ほのぼのと朝日が射している。すでに、ウグイスは鳴いている。この時間、地震が起きなければ、わが心は急いているけれど、のどかな夜明けの訪れにある。しかしながらこの先、地震が起きない保証はない。少しでも揺れると、わが気分は騒擾(そうじょう)となる。
 春の季節のわが気分は、天候しだいである。晴れれば晴れ、曇れば曇り、雨降れば雨になる。春の天候は晴れ一辺倒ではなく、また雨ばかりでもない。まるで、一膳飯屋の日替わり飯さながらである。きょうは飛びっきり旨い、上等の晴れの夜明けが訪れている。心は急いているけれどつれて、寝起きの気分は心地良い。ところが意に反し、文章は書けない。寝起きの脳髄の空っぽに加えて、ネタ無しのせいである。それでも書こうと思えばやはり、桜の花に「おんぶにだっこ」である。
 きのうは、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。用件はもちろん、買い物である。わが家と最寄りの「半増坊下バス停」間の道を往復、私はとぼとぼ歩いた。満天、大海原とまがう青空だった。地上のあちこちには、桜木が立っている。眺める山には、山桜が映えている。進む道の傍らに立つ桜木の下、私は歩を止めた。おとといの大嵐に打たれて、(もうだめかな……)という思いで眺めた桜の花は、まだかなり残っていた。確かに、葉っぱが目立つ中の花びらであり、満開どきの花は大嵐に蹴散らされていた。しかし、いまだ葉桜とは言えず、花見気分横溢である。
 私は往復共に立ち止り、一本の桜木の下で、花見気分にひたっていた。まさしく、天上は青空、地上は桜の花、がおりなす無償の絶景である。しばし私は、仰ぎ見る絶景に酔いしれていた。後景に山桜映える山のグラデーション(色調)も見栄えする。これらに、ウグイスの鳴き声が加わっている。青空と桜の花とそしてウグイスの鳴き声、すなわち三つ巴のコラボーレーション(協演)であった。ゆえに、桜木の下のわが気分は爽快だった。
 すっかり夜が明けて青空の下、朝日はいっそう輝きを増している。ウグイスは軽やかに鳴いている。耐え残っている桜の花は、きょうは散り急ぐことなないだろう。ケチな私は、書くまでもないことを書いて、継続文の足しにしたのである。「桜、様様」の一文である。

「桜雨」、そしてわが造語「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」

 4月10日(水曜日)。この時間(4:31)はまだ暗闇で、夜明け模様を知ることはできない。体感で知り得るところは、閉めている雨戸を鳴らす風の音、身体冷え冷えの寒の戻りである。一か所、雨戸開けっぴろげの前面の窓ガラスに雨粒と雨筋はなく、雨は降っていない。きょうの昼間は晴れの予報である。
 おとといのわが夫婦の花見は、寸でのところで雨をとどめた、幸運な一日に恵まれた。わが夫婦の不断の行いが良いことはないのに、粋な天界の思し召しだったようだ。明けてきのうは一日じゅう風雨強く、悪たれの自然界現象に見舞われた。わが心中にはふと、「桜雨」ということばが浮かんだ。こんなことばがあるのかな? と、疑いながら電子辞書を開いた。すると、わが意にぴったりの説明書きで掲載されていた。
 「桜雨」:桜の花の咲く頃の雨。
 これだけである。なんだかそっけなく、風情もなく物足りない。だからこんどは、スマホでことばの検索を試みた。さすがに、時流のスマホの説明書きには「情」がある。
 【桜雨:桜の時期に降る雨は、「桜雨」「桜流し」と言います。素敵なことばの響きではありますが、花を楽しむ時間が短くなってしまうのは、少々残念な気もしますね。ただ、雨の日のお花見というのもまた乙なものです。桜の花に雫がしたたり、雨とともに少しずつ散る姿は、少し寂しさを誘うような…。いつもは味けなく感じるビニール傘も、「桜雨」「桜流し」を楽しむには、もってこいのアイテムになります】。
 ところがきのうの雨は、確かに桜雨には違いないけれど、憎たらしい自然界現象だった。ゆえにこれまたふと、私は心中にこんなことばを浮かべていた。「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」である。そしてこんどははじめから、電子辞書とスマホの両方で説明書きの有無を確かめた。ところが三つとも、いずれにもなかった。結局、この三つのことばは、きのうの大嵐同然の風雨の強さを見ながら、心中に咄嗟に浮かんだわが造語だった。
 三つのわが造語共通に言える意味は、「桜雨にあって、まるで桜の人気を妬み、僻み、なお潰すかのような、酷い雨の降り方」である。辞書にはなくともこの先、わが造語を心中の辞書に掲載して置くつもりである。身体の骨はポキポキ折れないけれど、寝起きの文章書きは、つくづく骨が折れるところがある。5:31、雨なく、風強い、薄っすらと朝日お出ましの夜明けが訪れている。満を持していたウグイスも鳴きはじめるであろう。ゆえに、おととい鎌倉市街・鶴岡八幡宮の参道「段葛」で仰いだ桜の花が、いっそう哀れに思えている。いや、きのうの雨の降り方には、ただただ憎さ百倍がつのったのである。なぜなら、きのうの雨の降り方には、桜雨の風情のかけらもなかったからである。きょうの晴れは、きのうの雨のつぐないにはならない。

物心つきはじめの文章体で、「段葛の花見」

 4月9日(火曜日)。軽やかなウグイスの鳴き声に変わり、雨の音がつれなく響く夜明けが訪れています。春の雨は、きのう見た桜の花が心配です。半面、春の雨は、心地良い寝坊を誘っていました。花見それにともなう疲れは、共に心地良さを恵んでいました。挙句、寝坊助に陥り、物心つきはじめの頃の文体で、走り書きを始めています。
 きのう、妻と連れ立って歩いたり、立ち止まって仰いだりした花見通りは、「鶴岡八幡宮」の参道を成す「段葛(かずら)」でした。段葛とは、「若宮大路」の真ん中道に一本道を成す、約500メートルの古来の参道です。両側には参道のどこかしこに見られる(売らんから剥き出しの)店舗が連なっています。私はきのうの文章の予告に違わず、ヨチヨチいやヨロヨロ歩きの妻をともなって、段葛の花を目当てに、桜見物を愉しみました。長い段葛の両側には、桜木がほぼ等間隔に、(きょうこそが満開だ!)と誇るかのように咲きそろっていました。ただ残念無念だったのは、このことです。すなわちそれは、桜の花と美的コラボレーション(協演)を成す青空は、今にも雨が落ちてきそうな曇り空に出番を挫かれていたことです。ところがそれにも構わず小道は、歩いてはすぐ立ち止まりカメラを向ける花見客、そして花とそれらの人を交互に眺めて歩く人の群れの往来で、雑踏を極めていました。しかしながら普段の雑踏と比べると、花見客が寄り合う雑踏には文句のつけようはありません。花見の雑踏には、桜の花と出会う人たちの笑顔を交互に見る心地良さがあります。
 ところが一方、私は往来する人の波の中にあって、「浦島太郎」の心境をたずさえていました。単刀直入に言えば久しぶりに訪れた鎌倉の街は、見知らぬ「異人の街」へ変容していました。私には雑音まがいの言葉を聞き分けたり、わが顔すれすれの異人の顔を見分けたりできる能力(脳力)はありません。ただただ私は、久しぶりに訪れた鎌倉の街の変容ぶりに驚いて、半ば花見そっちのけで妻を労わりながら歩きました。花見どきの段葛そして鎌倉の街は、わが未知の「異国の街」へ様変わっていたのです。驚きと同時に、わが心中にはうれしさが込み上げていました。それは世界共通、人類共通、そして桜の花見の楽しさもまた人共通と、実感できたことです。
 ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区には、桜の花はないのでしょうか。なければ、苗をやればいいです。時期は遅くなりましたが数年後には、荒れ果てた街に、桜の花が咲き誇るでしょう。夜明けの雨は、勢いを増して降り続けています。(濡れて行こう……)。春雨でないのは無念です。私には、「段葛の桜」が危うく偲ばれています。

桜の花は平和の象徴

 4月8日(月曜日)。いよいよきょうあたりから日本社会は、出会いの月4月にあって、人々の本格的な実動が始まる。学ぶ者は勉強に、働く人は仕事に本腰が入ることとなる。人間の集団を成す実社会が動き出すのだ。まもなく夜が明ける。この時間(5:17)、雨は降っていないようだ。きのうは夜が明けるとやがて、夜来の雨は降りやんだ。私は時刻表8時15分のバスに乗り込んだ。向かう先は、次兄の一周忌が営まれる、東京都国分寺市である。一周忌法要は、次兄宅の近くの寺である。開始時間は、午前11時と案内されている。
 私は自宅に立ち寄り、長男で甥っ子の車に乗り、寺へ着いた。時間に間に合って安堵した。生きている次兄に会う愉しみはない。私は、お坊さんの読経に聞き耳を立てた。法要(儀式)は、しめやかに、かつ、おごそかに営まれた。私は心の中に、掲げられていた次兄の穏やかな顔の遺影をきっちり刻んだ。遺影は、どんなに美しく撮られていようと別れのしるしである。私の周りには甥っ子・姪っ子、それらの家族がうちそろっている。もとよりみんな顔見知りであり、ゆえに出会いの言葉をかけあう。
 一周忌の法要が済むと、そろって寺を出た。「昼膳は自宅で用意されています」と、次兄の長男がみんなに言う。私は三兄の長男・甥っ子(東京都昭島市)、四兄の長男・甥っ子(国分寺市内恋ヶ窪)と連れ立って、のんびりと歩いて、自宅へ向かった。この間には、名所「国分寺史跡」がある。原っぱまがいの史跡は広大である。史跡全体は、満開の桜の花に彩られていた。桜木の下には三々五々、花見客が集って花見を楽しんでいた。のどかで平和な光景である。
 一年前のこの時期の私には、桜を見る気持はなく、入院している次兄の病床の傍らで何日か寝泊まりして、苦悶を続けていたのである。そのせいか私は、国分寺史跡で見た桜光景ののどかさと、集い合う花見客の和みに、度肝を抜かれていた。ところが、ここに留まらずきのうのスマホには、あちこちの友人、知人から、桜だよりが満載にとどいた。桜の花は、まさしく平和の象徴と実感した。
 夕闇迫る6時過ぎに、わが家へ帰り着いた。玄関口のブザーを押すと、妻が出向いてドアーが開いた。私の口は開いた。
「ただいま。ありがとう。あした、若宮大路(鶴岡八幡宮の参道)の花見に行こうよ。桜、満開だよ」
 不意を突かれた妻は「おかえりなさい。パパ、どうしたの? そうね……」と、キョトンと言葉を返した。
 人の命は尽きる。桜の花も尽きる。私は、心急いていたのかもしれない。ただきょうは、あいにく雨の予報である。確かに、夜明けの空は雨を呼びそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれて、鳴き声を躊躇している。雨に打たれて散り急ぐ桜の花はしのびない。憐憫の情をたずさえた花見になるかもしれない。

無常の夜明け

 4月7日(日曜日)。「光陰矢の如し」、重ねて「歳月流れるごとし」。病床で固唾をのんだ苦衷がよみがえる。小雨降る、「無常の夜」が明ける。早出で、次兄のいない東京(国分寺市内)へ向かう。せつなく戸惑う、次兄一周忌。たぶん法要は、姿無き者にとっては何らの慰めにもならないはずである。生きている者の切ない営みにすぎないであろう。
 切なさを消さないためにきょうの私は、いつものだらだら文は書かない。お釈迦様が説く、あの世で次兄に会う愉しみなど、あろうはずはない。親と多くの姉・兄・弟たちと別れ(永別)て、とうとう「われひとり」だけ生きる、わが身のつらさ、せつなさ、哀しさが込み上げている。まもなく、黒ネクタイを締めるわが手は、ブルブルと震えるであろう。自分のときは締めることはできない。ゆえにこの瞬間は、喪服に身を包む、わが最後の厳かな儀式になりそうである。すなわちこれは、とことん、われひとり生きる悲しさである。小雨は大雨に変わっている。わが両目は、瞼が抑えきれずに涙を流し続けている。

寒気を凌いで、心温かいニュース

 4月6日(土曜日)。夜明け前にあって、おお! 大寒い。きのうの天気概説にあって気象予報士は、「花曇りと花冷え」の言葉を重ねた。これに私は、「寒の戻りと寒のぶり返し」を加えていた。きのうの低気温、それにともなう肌身の冷えと寒さは、私にはまさしく桜の花時に見舞う「悪戯(いたずら)四重奏」と、思えるものだった。二重ねのカーテンと窓ガラスを開いて、外気を確かめた。雨は降っていないようだけれど、舗面は雨の跡を残して黒光りしていた。外気の冷たさに遭って、すばやく窓を閉めてカーテンを重ねた。寒気に震えた私は、この先文章に呻吟する長居は無用と決めた。すると、いつもの習わしにしたがって、パソコンを起ち上げた後に眺めた、メデイアの伝えるニュース項目の一つが浮かんだ。寒気に震えている私には、またとない心温まるほっこりとするニュースだった。おりしも日本の政界は、バカ騒ぎのさ中にある。(こんなニュースはいいなあ……)。うれしさ余って私は、全文引用を決意した。
 【台湾総統、日本に謝意表明 地震受けた資金協力で】(4/5・金曜日、18:34配信 共同通信)。台湾の蔡英文総統(ロイター=共同)。【花蓮共同】台湾東部沖地震で日本の上川陽子外相が緊急無償資金協力による支援を実施すると発表したことを受け、台湾の蔡英文総統は5日、X(旧ツイッター)で「日本の皆さまに心より感謝申し上げます」と日本語で謝意を表明した。
 蔡氏は、日本と台湾は「互いに支え合う堅実なパートナーです」と言及。日本政府だけではなく、自治体や企業も自発的に募金活動を行い「(日台の)助け合いの精神を発揮してくださっています」と強調した。台湾語は知る由ないけれど、「ありがとうございます。震災、つらいですね。こんどはこちらから、お返しです」という、互いの助け合い精神は、国を違えても人民共通であってほしいものである。
 地球上に住んで、地震をはじめ頻発する自然災害を被ることに国境はないはずである。台湾外交部(外務省)も5日、謝意を表明する談話を発表した。心地良い文章に駄文を重ねては、蔡英文総統の謝意と温和な心意気を汚すこととなる。夜明けて雨雲、寒くて、ウグイスも塒(ねぐら)寝を続けている。