ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

「秋分の日」が去って、想う

 「秋分の日」(9月23日・土曜日)が去ってこの先は、「冬至」(12月22日)へ向かって、日に日に夜長を深めてゆく。もちろん寒気もまた、日ごとに強まりゆくこととなる。つれてわが日暮らしは、おのずからこれらに備える、臨戦態勢を強いられてくる。長い夜にあっては心理的に、寂寥感が弥増すこととなる。もとより秋の季節には、寂しさつのるところがある。ところが、長い夜にあっては、この寂しさが上増してくる。端的に言えば、物想う季節の深まりである。これに耐えるには、私は強靭な精神力を持たねばならない。
 秋分の日が去って現在、わが確かな心境である。「春夏秋冬」、季節は時々刻々とめぐる。もとよりそれには、抗(あらが)っても、叶わぬ抵抗である。そうであれば私は、日々「是れ、好日」を願うところである。深まりゆく秋には物思いと併せて、「読書の秋」という好機がある。ところが私の場合は、子どもの頃から灯火親しむ読書の習慣がない。今となっては、「後悔、先に立たず」である。確かに長い夜は、「ひぐらしの記」の執筆には有利である。しかしながら半面、ネタがなければ悶々とする長い夜となる。現在の私は、早やてまわしにこのことを恐れて怯えている。
 生来、私はつくづく損な性分である。「生と死」、もとより人間は、自分の意思で生まれ、自分の意思で死ぬ、ことはできない。言うなれば人生とは、ケ・セラ・セラである。だからこの先の長い夜には、できるだけこんな心境をたずさえて、臨みたいものである。秋分の日が去って、私は長い夜の過ごし方に、一考をめぐらしている。9月24日(日曜日)、夜明けてきのうの雨模様は止んで、のどかに中秋の朝日が昇り始めている。「中秋の名月」(9月29日)が近づいている。

秋分の日

 秋彼岸の中日「秋分の日」(9月23日・土曜日)、デジタル時刻は、5:14。とっくに夜明けていいはずなのに、未だに夜の佇まいである。夜明けが遅いのは、夜明けても朝日が雲隠れしているせいであろうか。実際にはいくらかまだ昼間の方が長いらしいけれど、彼岸の中日は、昼間と夜間の長さが同じと言われている。そして、この日を過ぎれば「冬至」(12月22日)へ向かって、しだいに夜間が長くなってくる。
 秋彼岸の中日・秋分の日に対応するのは、春彼岸の中日「春分の日」である。また、冬至に対応するのは「夏至」である。バカじゃなかろか私は、カレンダー上のわかりきったことを書いている。それでも、書きたくなる確かな季節の屈折点である。
 人間の日常生活は、「春夏秋冬」という季節のめぐりに一日さえ逸脱することなくめぐり、営まれている。そのため、明らかな季節の屈折点は、普段の生活に埋没させ、素通りできるものではない。言うなれば季節の屈折点は、人間の日常生活にメリハリをつけ、心模様の変化をもたらすのである。秋分の日であればこの先の夜長の先駆けであり、同時に人間に冬支度の心構えをもたらしてくる。寒気を極端に嫌うわが心身にすれば秋分の日は、早やてまわしに寒気に慄く入り口となる。しかしながら秋分の日前後は、一年の中で最も肌身に優しい好季節の真っただ中と言えそうである。秋分の日に比べて春分の日は、必ずしもそうとはならず、体験上よく、寒の戻りや小嵐に見舞われるところがある。春分の日に比べると秋分の日の気象の悪態は、悪天候の中でも小雨程度である。
 さて、きょうの秋分の日の夜明け模様はどうか? いくらか夜が明けてきた(5:32)。夜来の雨なく、今も雨は降っていないけれど、やがて雨が降りそうな曇天である。しかしながら、寝起きの心地良さは満点である。週末の土曜日に祝日が重なり、振替休日を一日損したと嘆く必要もないわが身は、心地良い秋分の日である。しかし、明日からの寒気の始まりには要注意である。一方、夜長の訪れには、気にすることはない。

バカ丸出し文

 9月22日(金曜日)。秋彼岸という好季節にあって、遅れてきた夏風邪をこじらせ、気分憂鬱の日が続いている。ほぼ毎年陥るとんだ失態である。自業自得、この上はない。加齢による身体の衰えは、まさしく「弱り目に祟り目」である。子どもの頃のカルタ遊びの読み札の一つを、こんなところで用いるのは、実践体験とはいえなさけない。知りすぎている「夏の寝冷え」現象に、大のおとなが毎年陥るようでは、はなはだバカ丸出しである。ファンとするタイガースが優勝し、いろんな冠の秋の訪れにあって、冒頭にこんな文章を書くようでは、確かにバカの上塗りであり、これまたとことんなさけない。
 今朝の自然界は、小雨模様の夜明けである。せっかくの好季節にあって自然界は、人間界に対しちょっぴりいたずらしている。しかしながら小雨模様は、自然界の草根木皮には潤いをもたらしている。窓ガラスを開けて見た、山の木々および木の葉、さらには空き家の空き地に残されている植栽の緑には、艶々と露がしたたり、生気がよみがえっている。そうであれば人間界は、秋晴れの朝日が昇るまで、いっときの我慢をし、同情心を持たなければならない。なぜなら、せっかくの好季節の秋は、人間界および自然界こぞって、共利共存でめぐりたいものである。
 憂鬱気分の文章はここで結んで、身勝手にも継続文の足しにするつもりである。頃は好し、明日は秋彼岸の中日、「秋分の日」(9月23日・土曜日」である。

切ない「卓球クラブ」

 きのう(9月20日・水曜日)は妻の骨折入院以来、長く休んでいた卓球クラブの練習に出向いた。出かけるときの私は、まるで浦島太郎みたいな気分だった。しかしながら、すぐに馴染んで気分は解れた。茶の間に居座って、妻とだけ向き合っているより、気分直しになることを実感した。このことでは半面、妻に対し、すまない心地になっていた。だから今度は、妻の場合卓球はできなくても仲間との語らいに、妻を引率同行しようと思った。もちろんこれは、私同様に妻の気分直しのためである。妻に対する、配偶者の無償の情けでもある。やはり人間は、他人様との出会いや会話の渦に巻き込まれてこそ、エネルギーが満ちて、気分は和んでくる。久しぶりのわが実体験による、尊い実感であった。
 妻もまた、卓球が好きである。しかし現在の妻は、卓球クラブはもとより外出行動がままならず、茶の間暮らしに明け暮れている。幸いにも妻は、茶の間でテレビ視聴が大好きである。ところが、これには会話がともなわない。会話がなければ、適当な言葉探しや、脳髄の緊張感ある働きは必要ない。これらのことから人間にとって緊張感は、生きるための必要悪だと、あらためて実感するところがある。すなわち人間は、のほほんと暮らせば、のほほんと老いるばかりである。その証しに通い詰めの常連の仲間たちはみな、明るく溌溂と生きていた。とりわけ女性連の元気良さは、男性連をはるかに凌いで、際立っていた。男性に比べて女性の平均寿命の長さを、如実に感じた一日だった。
 秋には、何かにつけて冠がつく。わがことで先陣を切ったのは、先日の「食欲の秋」だった。するときのうは、小さな「スポーツの秋」と、言えそうである。この先、いろんな冠の秋に出合えそうである。しかし、わが身には「芸術の秋」は無縁である。

秋彼岸の入り日

 9月20日(水曜日)、薄く夜明けが訪れている。七日間の先頭を切り、秋彼岸の入り日にある。人間の体に沁みる気候は、春夏秋冬の中でもこの頃が、最も肌触り良く、凌ぎ易いと思えている。この間に天変地異がなければ、この上ない天恵と言えそうである。しかしながら、天災をはじめ人の世に起きる災害や災難は、一寸先は闇の中にある。だから、ゆめゆめ油断は禁物、心して日々を暮らさなければならない。
 油断を諭す広範な戒め言葉には、「治に居て乱を忘れず」という、先人の教えがある。ネタのない文章の書き出しは、この先の文章とはなんらの脈絡もない。
 きのうの文章でちょこっと書いたことの結末、すなわち生栗のレシピは、手軽な茹で栗だった。茹で栗であればあえて、病の妻の手を煩わすこともない。私は小鍋に「ふるさと便」で届いた栗を入れて、水をたっぷりと浸した。そして、大相撲の制限時間を伝える時計係の真似をして傍らに居続けて、きっちり45分間で茹上げた。この間、二、三度、大型のスプーンで掬い、包丁で割っては口へ運び、茹で具合を確かめた。最後は、(よし、よし)とみずから納得し、レンジの火を止めた。ここまでは、万事OKである。
 ところが、肝心要の食べどきに往生した。なぜなら、現在の私は、入れ歯の型取りが済んでいるところであり、実際に新たな入れ歯ができるのは次の通院日(9月25日・月曜日)である。歯が丈夫、すなわちかつてのわが茹で栗の食べ方は包丁など使わず、山からわが庭に入り込むリスの食べ方同様に前歯でガリガリ齧り、こじ開けてはムシャムシャと食べた。ところがきのうは、茹で栗を包丁で割って、二つに分けた。その挙句に小型のスプーンで削り取り、少しずつ口へ運んだ。もちろん、それなりに美味だったけれど、味気ない食べ方だった。このときの私は、食べ物の美味しさは、歯の健常あるいは毀傷に左右されることを実体験したのである。
 この頃の若い人たちは、果物をあまり好まないという。この理由には、果物の皮を剝くのが苦手、面倒ということがあるようである。確かに果物、身近なもののすべてには皮がついている。例えば、林檎、柿、梨、桃、栗、など皮つきである。蜜柑も皮つきだが、これだけは皮むきに包丁は要らず、指先で容易である。皮むきが面倒で、果物嫌いになるのはもったいないというより、とことん贅沢である。たぶん現在は、身近なところに果物に代わる、市販の好物の食べ物(食品)がワンサとあるせいであろう。
 わが子どもの頃の食生活は、おおむね自給自足で賄っていた。これらの中にあってわが家の場合は、柿、梨、栗は、特等の果物であり、おのずから皮むきは手慣れていた。現在の私は、そのころの体験のご褒美にあずかり、果物好きは高じて「不治の病」さながらである。
 なんら脈絡のない書き殴り文は、ここで締めたほうが身のためである。彼岸の入り日の夜明けは、のどかな曇り空である。天変地異がなければ、これで十分良し! の夜明けである。

冠の秋、到来

 きのうの「敬老の日」(9月18日・月曜日)には、このところ途絶えがちになっていた文章を恐るおそる書いた。のちに読んでみると、曲がりなりにも、わが意は尽くされていた。いくぶん気をよくして、きょう(9月19日・火曜日)もまた、パソコンを起ち上げている。夜長になり始めているせいで、デジタル時刻は未だ夜明け前にある(5:02)。
 あす(9月20日・水曜日)は、秋彼岸の入り日である。日を重ねて中ごろには、文字どおり秋彼岸の中日、いわゆる「秋分の日」(9月23日・土曜日)が訪れる。「暑さ寒さも彼岸まで」。わが身にすれば、とうに夏風邪などお蔵入りしていいはずである。世間は、冬季特有のインフルエンザの早いお出ましに、戦々恐々のようである。もちろん、インフルエンザなど真っ平御免蒙りたいけれど、わが身体は今なお夏風邪が収まらず、まるで周回いや二、三周回遅れの様相にある。
 春夏秋冬、すなわち季節は、正規軌道に乗っかり、ほぼ順調にめぐっている。未だに9月の半ばにすぎないのに気候は、ときおり残暑をちらつかせては、すっかり秋モードに変わっている。それなのにきのうの私は、気候の恵みを放棄したかのようにほぼ一日中、茶の間に籠っていた。言うなれば私は、残暑の厳しさと、秋天高い真っ青の日本晴れを、茶の間の窓ガラスを通して眺めているだけの、カタツムリみたいな一日に終始した。確かに、もったいないと言えばもったいない、敬老の日にあっての、わが身の処し方だったのである。
 茶の間に在って流し目は、阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦、加えてリモコンを手にしながらの大相撲のテレビ観戦を繰り返していた。一方、意図した指先の主要な作業は、スマホのLINE機能を用いて、旧交をあたためることに意を尽くした。もちろん、敬老に日が促した善意の作業だった。これにちなむ返信メールや電話もたくさんいただいた。すると、それらのすべての人たちは、心身共に溌溂と年齢を重ねられていた。挙句、マイナス思考や愚痴こぼしの多いわが身が哀れだった。結論、わが身が確りしなければ、旧交はあたたまるどころか、冷めゆくばかりだと、悟った日だった。
 わが夏風邪と憂鬱気分の癒しは、秋の天高い夜明けの日本晴れに尽きる。きょうの私は、ふるさと便で賜った生栗のレシピ(茹で栗、栗御飯、栗団子)選びに、うれしい悲鳴を上げそうである。冠の秋、到来。私の場合、先陣を切るのは、「食欲の秋」がうってつけである。こんな文章、二日続けて書く価値はないように思えている。

敬老の日

 「敬老の日」(9月18日・月曜日)にあって、未だ夜明け前にある。唯一の弟・敏弘を幼児のおり(生後11か月)で亡くし、実質末っ子のわが長生きを寿ぐ、親・姉・兄はだれもいない。だから、83歳まで生き長らえているわが身は、自分自身で敬うより能がない。寂しいと言うより、一抹の侘しさつのる敬老の日である。
 代替わりして、わが寂しさと侘しさを癒してくれるのは、日本列島のあちこちにいる甥っ子や姪っ子たちである。きのうにはふるさとの近在に住む、姪夫婦が送ってくれた「ふるさと便」が宅配された。事前のメールには、「庭になっている柿を送りました」と、記されていた。ところが、段ボールを開けてびっくり、下段には庭柿が並び、その中断、そして上段の諸々には、数々の市販の食品が押し合いへし合いで、詰められていた。品物のラベルには、「道の駅・七城」と、印されていた。七城とは、送ってくれた姪夫婦が住む(熊本県菊池市)、最寄りの地名である。品物は、生栗、サツマイモ、高菜漬け、金山寺味噌、ほか「くまもん」表示の食品および駄菓子類の数々である。
 このところの私は、過ぎ行く夏に未練を残していたら、飛んだいたずらかいたずらオマケに、夏風邪をひいてしまった。タイガースの優勝で、いくらか憂鬱気分直しはできたけれど、それでもいまだにそれを引きずっている。挙句、私は、文章を書く気力を喪失していた。だから、きのうのふるさと便は、カンフル剤の役割を果たし、ようようこの文章に漕ぎつけたのである。しかしながら、敬老いや年齢相応に、体力および気力共に、衰えている。対症療法の薬剤には、市販の「コルゲンコーワ、鼻炎カプセル」を用いている。
 夜が明けて、敬老の日ののどかな朝が訪れている。夏風邪が治りきらず憂鬱気分はとれないけれど、内視鏡で見た内臓器官には損傷なく、なお長生きしそうである。しかしながら、親きょうだいのすべてが果てた後の長生きに、さして悦びはない。ところが、甥っ子と姪っ子が送る「ふるさと便」は、わが命あるかぎり、なおこの先続きそうである。だとしたらやはり、我欲丸出しに、もうちょっとだけ、生きたいと思うところもある。書くつもりのない文章を書いて、これで書き止めである。

阪神タイガース、優勝

 令和5年(2013年)9月15日(金曜日)。のどかに、わが気分良く、夜明けが訪れています。プロ野球・セントラルリーグ・今シーズンの公式戦にあっては、きのう(9月14日・木曜日)、わがファンとする阪神タイガースが優勝しました。対戦相手は宿敵・読売ジャイアンツ、スコアは4対3。岡田監督、勝利投手才木、勝利を決めるホームランは佐藤輝選手。おそらく、わが人生における最後を飾る優勝になると思い、身勝手ながら記録に留めます。
 このところの私は、タイガースの優勝をテレビ観戦で追いかけ、心の動揺にあって挙句、文章は書けずじまいが続いていました。しかしこの間、気分は高揚し、なさけないとは言えません。いやすこぶるつきに、愉快、痛快でした。

掃いてきました

 ためらうより実行、ひとり黙々、朝飯抜きに、二時間半かけて、掃いてきました。自然界に恨みつらみはありません。人間界にはいくらか悔しさがあります。

心地揺れる、休みます

 9月10日(日曜日)、ミニ台風13号が去り一日置いて、のどかな中秋の朝が訪れている。東電・福島第一原発処理水に絡む、韓国や中国の喧騒も日を追って静まりはじめている。「人の噂も七十五日」、こうして月日はめぐり、時代を変えていくのであろう。そう思えば確かに、何事においても月日のめぐりは、事ありを忘れ去る最良の人生の処方箋なのかもしれない。すなわち、事ありを我慢して生きればその先には、煩悩の消えた好日や幸運が訪れるかもしれない。夜明けにあって自然界は私に、こんな思いを授けている。
 きょうは、文章は止めてミニ台風がもたらした道路上の枝葉の散乱を清めるつもりだった。ところが、窓ガラスを開いて直下の眺めると、道路は未だに乾ききれず、濡れて黒ずんでいる。(止めた)。気分を変えてパソコンを起ち上げ、キーを叩き始めている。しかしながらもとより、こんな雑な気分ではこの先は書けない。挙句にはやはり、「休みます」と表題をつけて、指先止め(擱筆)をせざるを得ない。そして結びは、いつもの表現を用いて、私にはとうに焼が回っている。ところがなお、掃除・三種の神器(箒、塵取り、半透明袋)を持って、道路に出てみようかな! と思う、心地揺れる中秋ののどかな朝である。