ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
加齢、休みます
五月二十六日(水曜日)、継続だけが取り柄の『ひぐらしの記』も、継続に翳りが現れています。継続するにあっての根幹をなす、意欲の喪失に見舞われているからです。かかりつけの主治医先生に相談すれば、おそらく「加齢のせいですね!」と、悪びれることなくひと言で、一蹴されること請け合いです。確かに、病を診立てる主治医先生にすれば、手間ひまかからずもっとも的確な診断になりそうです。
この言葉には、「いや…」と、口を挟むことのできない無慈悲さがあります。だから抵抗できずに、「そうですね…」と、心無い相槌を打って、不承不承ながら、納得せざるをえません。こんな「犬も食わない」文章を書いて、きょうは休みます。
明るい朝の陽射しの下、起き立てすぐに、道路を隅から隅まで丁寧に掃いて来ました。ところが、この日課も加齢のせいで、今や「風前の灯」状態です。加齢を嘆くのは馬鹿げていますから、もちろん嘆いてはいません。素直に、諦めています。
新型コロナウイルスとの戦い、つれづれ
余儀ない新型コロナウイルスとの戦いのせいで、私は人類共通の光景に遭遇している。このことでは語弊があるけれど、ちょっぴり感慨深いものがある。惜しむらくはこの光景がもっと早く訪れていれば、多くの人の命が絶えずに救われていた。そのことでは残念無念この上ない。一方ではこんなにも早く無から有、すなわちワクチンを生み出した人類の知恵に驚嘆し、拍手喝采をせずにはおれない。人類は、確かな万物の霊長の証しである。
きのう(五月二十四日・月曜日)から、日本の国の東西を分かつ大都市、すなわち東京都と大阪府においては、ワクチンの大規模接種が始まった。おのずからきのうのテレビニュースと映像は、ほぼ接種会場模様で埋めつくされていた。それは日本国民がどれほど首を長くして、ワクチン接種を待ち望んでいたかの確かな証しでもあった。そしてそれはどちらかと言えば背に腹はかえられない、付け焼刃と思える接種会場模様だった。ところが小さなトラブルさえなく、スムースにスタートしたと、伝えられている。このことでは、日本国民の節度と良識に安堵するところである。
私の場合はすでに、一回目のワクチン接種は終えている。このおりの接種模様は、きのうテレビで観た接種光景とまったく同様である。私の場合もまた、普段のかかりつけの病医院ではなく、鎌倉市の行政が用意した三菱電機提供の体育館だった。初入りの体育館には、あちらこちらに急ごしらえの数々のブースが設けられていた。先ず私は、準備万端かつ用意周到な会場風景に度肝を抜かれた。同時に私は、接種にかかわる多くの係員の組織だった陣取りと尽力に驚嘆した。私は心底より感謝した。「瓢箪から駒」とも思える実体験であった。私は、まさしく人間の素晴らしさを実感した。
幸いなるかな! 軌を一(いつ)にして、このところの東京都と大阪府の感染者数は、明らかに減少傾向にある。一方では二番煎じの記憶になるけれど、日本列島の南北の果てに位置する沖縄県と北海道にあっては、いまだに感染力の衰えを見ないままである。そのため沖縄県は、おととい(五月二十三日・日曜日)から六月二十日(日曜日)まで、緊急事態宣言を余儀なくしている。これに加えて、すでに宣言下(五月三十一日・月曜日まで)にある北海道を含む九都道府県は現在、そこまでで解除か、さらなる延長とするか? の思案のしどころにある。延長となれば期限は、沖縄県に同調するのであろうか。それとも、別の期限が設けられるのであろうか。大規模接種開始にあっても、まだまだこの先気分が休めない、新型コロナウイルスと日本社会の戦いである。両者の知恵比べであれば、人間が負けるはずはないと、高をくくっているところである。ただ、勝利の目安いや勝利の日はいつになるのか? なおもどかしい戦いに明け暮れそうである。
わが二回目の接種予定は、六月十日と決められている。ところが、妻は予約にあぶれて先延ばしの未定である。だからと言って慌てることはない。なぜなら私は、国家事業とそれを支えるスタッフ(関係者)の並々ならぬ献身に接して、万感の思いを込めて信頼しきっているからである。人間はやはり、崇(あが)められる確かな万物の霊長である。このことは一回目に感じた、わがゆるぎない実感である。語弊はあるけれど、確かな感慨である。
私信
先ずは掲示板上において、私信をしたためることをお許しください。本来であればいただいたお便りにたいする返書は、謹んで手紙などですべきこととは重々(じゅうじゅう)理解しています。このことでは現在したためている文章は、手抜き文として大きなお咎(とが)めをこうむらなければなりません。だから恥じ入りて、冒頭にて謝りとお詫びをさせてください。
まったくの私信でありながら掲示板を利用していることでは、お相手の方が毎日、掲示板を覗いてくださっていることを、お便りに書かれていたからです。そのことに甘えて私は、確かに手抜きと自覚しながらも、はがきや手紙にかえて、返礼文をしたためているところです。このことを私は、お相手の方そしてご常連の読者各位様にたいし、あらためてご寛容とお許しを切に願うものです。
おはがきをいただいたお方、すなわちお相手のお方を事前のお許しを得ないままにご紹介させていただきます。そのお方は現在、三重県にご在住のお方です。これに加わるご紹介は、現代文藝社と「ひぐらしの記」の取り持つ御縁としか、私は知ることができません。そのことより見ず知らずにもかかわらず、それでも手間暇をかけて、おはがきをくださったことには、そのお方のお人柄が偲ばれるものです。この文章を借りて、重ねて感謝と御礼を申し上げます。心中より謹んで、ありがとうございます。
さて、まことに身勝手ながらおはがきのなかの二か所の文章を原文のままに、この文章に転載させていただきます。一つは、毎日欠かすことなく現代文藝社の掲示板を拝見し、前田様の文章に接することで元気と勇気を頂戴している次第です。前田様の文章から、「継続は力なり」という格言を思い出します。一つは、前田様は一体どのような高校生でしたか? そのあたりのことを掲示板で読んでみたいです。さてさて一つ目は、この上ない喜びにさずかり、重ね重ねて御礼を申し上げます。
そして、二つ目こそ、この私信をしたためている唯一無二の理由です。なんら、特長とすべきところのない高校生時代だったゆえに、返事には梨の礫(つぶて)こそ、最良の返事と心得ていました。一方ではわが身に余るおはがきにたいし、無礼のままであってはと、甚(いた)く心を痛めていました。それゆえにわが心痛を鎮めるために、初対面の履歴書代わりに、わが自己紹介のさわりを以下に書きとどめます。
私は昭和十五年(1940年)の誕生で、現在八十歳です。出身地は旧自治体名では、熊本県鹿本郡内田村(現在山鹿市菊鹿町)です。生誕地内田村は、熊本県北部に位置する山あいの盆地で、すなわち農山村産品の上がり、いや自給自足に生業(なりわい)を託する鄙びた片田舎が原風景です。当時の小学校および中学校は、校地をほぼ同じくする六年、三年つごう九年間、持ち上がりの村立内田小学校、そして村立内田中学校でした。現在は、ご多分にもれず過疎化のあおりを食って閉校を余儀なくし、両校名共に思い出の彼方に飛んでいます。中学校を出て高校進学を希望する者は、ひと筋の県道を約二十キロ(五里ほど)自転車で下り、普通高校として町中に一校存在する、熊本県立鹿本高校へ通うしかほかはありませんでした。鹿本高校は今では校地をさらに遠くへ移して、同じ校名で今も存在しています。
さて、小学校および中学校時代の学業は、片田舎の学校に加えて、戦後からまもないころゆえにその貧弱さは、言わずと知れるところです。私は6・3・3・4の学制発足年の昭和二十二年四月に、小学校一年生として修学の身を始めています。小学生時代はさておいて、中学生および高校生時代のわが学校生活は、高校および大学への受験準備と部活にほぼ凝縮されています。小学生時代は、すべてが洟たれ小僧の時代でした。中学生になると、部活のバレーボールと、ときたま陸上の対外試合に駆り出されて、それらの練習に明け暮れる毎日でした。塾など、あるはずもない。これを補うのは、放課後に希望者を募り設けられていた課外授業にすがるだけでした。
高校生時代もまた私は、中学生時代の延長線上で部活にはバレーボール部に入り、なおいっそう練習に明け暮れていました。おのずからこれまた、大学入試に向けての課外授業は、まったく縁無しになりました。顧みて、今なお悔い残るところです。これらのこと以外記すところはなく、私はただ平々凡々を貪(むさぼ)るだけの典型的な田舎の凡児だったのです。
最後に、「ひぐらしの記」にかかわることゆえに、文章にちなむことを付記すれば、これまた付け焼刃の六十(歳)の慌てふためく手習いにすぎないものです。なんらとりえの自己紹介は、はなはだ骨の折れる作業です。御好意に甘えてこれでお許しを願うところです。こののちもよろしく、お付き合いを願ってやみません。ご健勝とご清祥を、衷心よりお祈りいたします。謝辞。
梅雨と感染、二つの地上戦
五月二十二日(土曜日)、関東地方は気象庁の怠慢ぶりのあらわれでもあるかのように、いまだに「梅雨入り宣言」をみないままである。ところがわが体感では、とっくに梅雨入りを感じている。実際にもきょうの夜明けの空は、またもや小雨まじりのどんよりとした梅雨空である。こんな日が続けばデータにすがることなく、梅雨入り宣言でも構わないであろう。もちろん、科学無知きわまりない、わが凡愚の下種の勘繰りである。
きのう(五月二十一日・金曜日)の文章にあっては、私は書き殴り文をさらけ出し、だらだらと長い文章を書いてしまった。かたじけなく、心底より詫びるところである。読んでくださる人は疲れるけれど、書いた私も疲れ果てていた。そのためきょうは、休養を決意していた。しかし、こんなことで挫けてはならないと意を替えて、私はメディアの伝える配信ニュースの引用を試みる。もちろん自力では叶わず、他力にすがる継続にすぎない。
さて、幸いなるかな! 東西の大都市、すなわち東京都と大阪府における新型コロナウイルスの感染者数は減少傾向にある。ところが一方、日本列島の南北に位置する沖縄県と北海道においては、感染者数が過去最多を更新続けて、なお増勢傾向にある。日本国民であれば当該自治体の出来事として、他人事(ひとごと)にはならず憂慮すべきことである。
沖縄県はきのう、感染者数が過去最多を記録し、あす(五月二十三日・日曜日)から、六月二十日(日曜日)まで余儀なく、緊急事態宣言の仲間入りをした。北海道は先駆けて現在、緊急事態宣言下にある。それでも、感染状況はこんな状態にある。日本国民にとっては、つらくかなしい由々しき現実である。
【北海道は全国最悪レベルの状況 過去最多の727人感染】(朝日新聞デジタル2864)。「北海道では21日、新型コロナウイルスの感染者が新たに727人確認された。13日の712人を上回り過去最多を更新し、3日連続で600人を超えた。死者は12人。感染力が強いとされる変異ウイルスが猛威を振るっており、全国でも最悪レベルの感染状況だ。鈴木直道知事は定例会見で『最大限の危機感を持って感染拡大を食い止めたい』と述べ、16日からの緊急事態宣言後初となる今週末の外出自粛を呼びかけた」。
梅雨入り宣言最速の沖縄県は、梅雨真っただ中の戦いのさ中にあり、梅雨のないと言われる北海道は、新型コロナウイルスの感染恐怖のさ中にある。声なき声で、双方の苦闘にエールを送らずにはおれない。さいはて、南と北の自治体、とことんがんばれ!。「旅行者から持ち込まれた感染!」と、言われると日本国民のひとりとして、ただただ立つ瀬がない。きのうよりちょっぴり短い文だが、だらだら感は否(いな)めない。
ワクチン接種、体験報告
五月二十一日(金曜日)、「ひぐらしの記」の読者にあっては、おそらく先駆者であろうのとかんがみて、わが体験報告を試みています。きのう(五月二十日・木曜日)、私は新型コロナウイルにかかわる一度目のワクチン接種の行動と行為を体験しました。試みている報告は、接種に至る行動と接種行為、そして現在のわが状態です。
まったく手慣れないスマホ操作に手を焼いて、どうにか予約に漕ぎついていた時間は、午前十一時から半の間でした。出かける準備は、前日までに万端ととのえていました。十時四十分あたりにスマホで、「大船交通」へ呼び出しの電話をかけました。約十分で迎えの車が、わが家の門付けに止まりました。車内に乗り込み、私は「コロナ会場の『三菱体育館』までお願いします」と言って、運転士の応答を待って、互いに短い会話を交わし合いました。そして私は、鎌倉市から届いている無償のタクシー券を手渡しました。運転士は心得ておられて、もめごとなく丁寧に対応されました。タクシーは十一時近くに体育館の玄関口に着き、エンジン音を止めました。玄関口あたりには、多くの人が出たり入ったりしていました。玄関口の外に並べられていたパイプ椅子には、数人が腰を下ろされていました。これらの人たちは、帰宅に向けてタクシーの到着を待っている人たちでした。付近には、ハンドマイクを手にした男性が整理係を務めていました。私が降車すると、並んでいたひとりの人が空いた車のタクシーに、急いで誘導されました。表現は悪いけれど玄関口周辺は、見渡すかぎり高齢者ばかりがウロウロしていました。私も、この光景に加わりました。いや、この光景に加えて、それらの人をベルトコンベヤーさながらに、手際よくさばく中年男女が、あちらこちらに陣取っていました。国家事業ゆえに、一目見るからに壮大かつ手際良い流れ作業です。
私は、前日百円ショップで買い求めていたスリッパに履き替えて、おずおずと鏡面のように透き通った体育館の床に足を踏み入れました。こんなことが無ければ、もちろん足を踏み入れることのない体育館です。私は、天上高く、煌めく明かりの体育館の素晴らしさに度肝を抜かれました。広い館内は、すっかり接種会場へ模様替えがととのっていました。至る所に、ソウシャルデイスタンスを配慮されたパイプ椅子が置かれていました。それらの椅子には、係りの人たちが手際よく順送りに座っている人たちを誘導していました。
注射針を打つブースまでたどり着くには、二度ほどパイプ椅子を渡り替えしなければなりません。肝心要の注射針を打つブースには、1~4の番号はふられていました。私の番が来て、「三番に入ってください」と言われて、私は女性係員にブースへ誘(いざな)われました。いよいよ私は、面談者(接種実践者)と出会い、接種の実行に辿り着きました。あらかじめ記載していた問診票を読んで、注射針をたずさえている人は、中年の女性でした。私は明るく「こんにちは」と言って、さらには「ご苦労様です。よろしくお願いします」と、ねぎらいの言葉を発した。そしてなお、野暮な言葉を加えた。
「お医者様ですか?」
係りの女性は悪びれることなく、「わたしは看護師です」と、言葉を返された。
すぐさま、私は言葉を重ねた。
「そうですか。時代の花形ですね。大変でしょうけれど、私たちにとってあなた様は、神様です。ありがとうございます」と、私は言った。
この言葉が功を奏したのか。ブース内は、たちまち和んで、家庭的な雰囲気に様変わりした。私は半袖の肌着をまくりあげ、左肩を出しました。注射針が音無く刺さりました。思っていたほどの痛みはなく、安堵しました。ワクチン接種は、とどこおおりなく無事に終わりました。私は丁寧にお礼の言葉を述べて、このブースを後にしました。
次のところへ向かい、次回の手続きが行われました。二度目は、六月十日と決められたものを手渡されました。最終コーナーではパイプ椅子に座り、約十五分間の経過観察を強いられました。私の場合は十一時四十五分までであり、その時刻になると退出(帰り)が許さることとなります。私は館内の大時計を凝視続けて、時計の針が定刻へめぐりくると、帰り支度をととのえて館外へ出ました。
帰宅にはタクシーを呼んで、再び無償のタクシー券を利用しました。現在のわが状態は、注射針を刺した右肩全体に酷い痛みをおぼえています。しかし、気分の異変はまったくなく、気分はすこぶる安着状態です。書き殴り文を長々と書いて、謝りたい気分満杯です。二度目も進んで、打ちに参ります。
歴史的「記念日」
五月二十日(木曜日)、私は寝惚けてはいない。案外、気象庁の職員が、寝惚けているのかもしれない。なぜなら、梅雨入り宣言を忘れたかのような、梅雨空の夜明けが訪れている。夜間には、小雨が降ったのであろうか。窓ガラスに掛かるカーテンを開いて道路に目をやると、道路一帯が黒ずんでいる。ところどころはなお乾ききれずに、薄っすらと濡れたままである。側壁上のアジサイは、いまだ彩りは見せていないけれど、玉を大きくしている。自然界は、すでに梅雨入りした光景を醸している。おのずからわが気分も、梅雨入り状態にある。関東地方の梅雨入り宣言は、きょうあたりであろうか。この言い方は、先日の二番煎じである。そのときは、空振りに終わったからである。寝起きのわが脳髄には、大袈裟な表現が浮かんでいる。
きょうの私は、まぎれもなく世界人民共通の行為に駆られている。不幸にも、こんなことは滅多にない。一方、余儀ないことながら、歴史的とも思える貴重な体験に遭遇している。すなわち、国を替えて世界の人々が体験しているテレビ映像を、まったく同様にみずからも写すこととなる。結論を急げばきょうのわが行動のハイライトには、新型コロナウイルスに抗する一回目のワクチン接種がある。
ワクチン接種は、つごう二回で完結と言われている。鎌倉市の行政から届いている接種案内によれば、二回目の日取りは三週間後に必然的に決められるという。明かな日取りは、きょうの接種後にスタッフから伝えられるのであろう。そうであれば二回目の予約には、一回目のようにあたふたすることは免れることとなる。友人・知人に聞けば、一回目の予約にありついたことには、「君は、幸運だ!」と、言う。なんだか、キツネにつままれた思いである。すなわち、一回目の予約にありつくことは、困難きわまりない証しである。一回目の予約にあってはまさしく、人みな命を惜しむ競争場裏の修羅場に放り込まれたのである。
このところの私は、幸運にありつけることどなく、このことでは思いがけない棚ぼたの幸運である。しかしながら幸運とはまったく思えない、人騙しのなんと微々たる幸運であろうか。ワクチン接種における早い者勝ちの幸運など、もちろん憂さ晴らしにさえならない悪運である。二度のワクチン接種が、はたして「効果、有る無しや!」と、疑うところもある。しかし一方で、人類の知恵の結実であれば、人体実験を厭(いと)わず、試してみる価値はありそうである。
私は梅雨空とまがう空の下、鎌倉市ほどこしの無償のタクシー券を利用し、十時半頃に決められている接種会場へのお出ましである。こんなことを書くようでは、私は慢性の寝惚け、いや「寝とぼけ病」に罹っているのかもしれない。ともあれきょうは、わが人生における歴史的「記念日」と、言えそうである。無事に済まなければ、あながち、大袈裟とは言えない。
人生の楽しさは、心優しい人との出会い
五月十九日(水曜日)、現在のデジタル時刻は、1:13です。きょうは、平洋子様から届いたふるさと情報と、恩師・渕上先生(わが小学校1年生と2年生当時のご担任、美しくうら若き頃の旧姓)の近況報告で十分です。わが駄文は書きません。大沢さま、洋子様から事前のお許しは得ていませんけれど、「ひぐらしの記」への転載をお願いいたします。
人の世は、心優しい人に出会えば、たちまち楽しくなる。洋子様、ガラス越しに、「ひぐらしの記」の単行本を翳して、まだ続いていることを伝えてください。先生には当時の「綴り方教室」の様子がよみがえり、きっと微笑み返しをされると思います。そして、声なき声で、わが頑張りぶりを褒めてくださるはずです。
先生は教師時代はもとより、わが人生において常に優しい人です。恩師の優しさは、そのまま洋子様へ継がれています。感謝感激です。洋子様、ありがとうございました。
梅雨になりました
投稿者:平 洋子 投稿日:2021年 5月18日(火)20時32分28秒
今か今かと待っていた梅雨ではなく、突然に来てしまった感の梅雨入りでした。
コロナ禍の外出自粛と早々と来てしまった梅雨で家に引きこもっています。草取りや花の植え替えなど、することはたくさんありますが、この雨では外に出ることができず雑草を眺める毎日です。
田舎のいいところで、ご近所のちょっとした寄り合いや立ち話などできていたのがさっぱりなくなり、人影が見えません。たまの散歩も帽子にマスクでまるで不審者です。
今年も今年も車庫の天井でツバメが賑やかに子育てに頑張っています。いま、二組が子育て中で、早いペアはえさを運んでおり、もう一組は抱卵中です。三組目が今新居の作成中です。ほほえましいやらうるさいやら、コロナに関係なくやってきて飛び回る姿を見ているとうらやましい限りです。
栗の花が咲き始め、庭の花々も季節の移り変わりとともに入れ替わってアジサイが咲き始めました。チューリップの球根を掘り上げた後に何を植えようか思案中です。昨年はマリーゴールドを植えましたが、ほったらかしでいいので楽でした。義母はサルビアと決めていましたが、マリーゴールドもいいかなと思っています。
義母は元気で「つどいの杜」で過ごしています。施設の方のお話では、自力歩行はできませんがリハビリにも積極的で、昼間は起きている時間が長くなっているそうです。相変わらず窓越し面会しかできないので部屋での様子はわかりませんが、写真に撮ってくださっているので様子を想像するとができています。入所時より元気になっているのが実感です!ワクチン接種が進んで、直接会える日が来ることを待ってるところです。
施設でとっていただいた写真をご紹介します。レクリェーションの一コマのようです。
人の世は一喜一憂、いや哀憂
五月十八日(火曜日)、きょうあたり気象庁の梅雨入り宣言かな? と、思えていたきのう(五月十七日・月曜日)の雨はすっかり上がり、見渡す青空から朝日が煌々と輝いている。わが予知は空振りに終わったけれど、嘆くどころかこれ幸いである。だからと言って、すっきりした気分の寝起きではない。この気分はわが生来の悪癖によるものであり、ジタバタしても直しようはない。わが文章はおおむねこんな書き出しであり、なさけなくも自認しているところである。もちろん、身体にも精神にもいいはずはない。「身から出た錆」とは、わがかなしい性(さが)である。みずからでは直したり、抗(あらが)えないことに一喜一憂することなど、これまた心身によくないことは知り過ぎている。いや、こちらは、ほとほと馬鹿げたことである。ところが私は、すでに一年半近くにわたり、新型コロナウイルスにともなういくつかの数値に一喜一憂を強いられている。それには、いやおうなく喜怒哀楽気分がともなっていた。
実際のところ、この四字熟語の用い方は嘘っぱちである。なぜなら、喜びや楽しみなど、一切あるはずもない。このことでは私は、ほとほと馬鹿な思いに陥っていた。そしてなおこの先、新型コロナウイルスの終息を見ないかぎり私は、この思いから逃れることはできない。
きのうの全国レベルの感染者数は、週間では数値が最も低く出る傾向にあると言われる月曜日にしても、喜ぶべき低い数値を示した。とりわけ、東西の大都市すなわち東京都と大阪府の感染者数は、様変わりに減っていた。まさしく、一喜すべき数値だった。たちまち、ピークアウト(天井を打った)という、言葉が目立ち始めた。しかし、きょうの数値が伝えられれば、再び一憂に陥るかもしれない。
きょうの文章はどうでもいい、わが言葉遊びである。いや知り過ぎている四字熟語の実践にすぎない。わが人生行路は、一喜一憂そして喜怒哀楽という、似たもの言葉にさらされて歩んできた。多くは、「喜・楽印」の少ない一方通行の道を歩んできた。いや、私にかぎらず人みな人生とは、おおむねこんなものであろう。きのうの妻のワクチン予約は、感染を怯(おび)える人様の出足に負けて叶わず、ひと月延ばしとなった。憂いや哀しみは、人の世のならいである。
梅雨空模様の夜明け
五月十七日(月曜日)、小雨まじりのどんよりとした梅雨空模様の夜明けが訪れている。空模様から察すれば、関東地方の梅雨入り宣言もまもなくであろう。梅雨には十分に慣れているとはいえ、それでもやはり、梅雨の鬱陶しさには身構えるところがある。しかし、日本列島にあっては天水に恵まれて早苗や田植えの季節とあっては、歓迎こそすれ毛嫌いすることはできない。いやいや、天恵すなわち天水を喜ぶべきであろう。そうであれば集中豪雨や長雨など無く、すんなりと梅雨明けを願うところである。
今年(令和三年)にかぎれば長雨となり梅雨明けが遅れれば、予定されている「東京オリンピックおよびパラリンピック」の準備や開幕にたいし不都合となる。国と国民としては、これは避けなければならない。さらには梅雨の長雨が、新型コロナウイルスに新たな変異株を呼び込むかもしれない。このことでは今年の梅雨入りは、例年にも増して気が揉めるところである。
きょうは妻の年齢(七十七歳)が該当する、鎌倉市における六十五歳以上の人たちのワクチン予約の開始日である。そのため、起き立てにあって私は、すでに到着済みの予約案内文書をあらためて丁寧に読んだ。私と違って妻の場合は、さまざまな疾患を抱えている。これらの疾患が、禁止事項に書かれている基礎疾患との違いを確認するためであった。するとやはり、妻の場合は予約をためらうところがあった。ワクチンとはいえ、異物を体内(筋肉)に入れ込むには相当の覚悟がいる。私はこの文章は殴り書きに留めて結んで、今一度当該文書を読み直してみたいと思う。なぜなら、念には念を入れて、損なことはない。年老いたとはいえ、愛妻の身を守るためゆえにあしからず。ほぼ十分間の書き殴りなどやめて、休めばよかった。
小降りの雨は、強風をともなって勢いを増し、大降りになっている。きょうあたり関東地方は、気象庁の梅雨入り宣言をみるかもしれない。人間、生き続けることはほとほと困難である。
郷愁
きのう(五月十五日・土曜日)、気象庁はわがふるさと県・熊本を含む九州北部地方の梅雨入りを宣言した。あまりの早さに虚を衝かれた私は、ドギマギした。次の引用文は、それを伝えたメディア配信の一部引用文である。
【熊本県内梅雨入り 統計開始以来2番目の早さ】(熊本日日新聞 2021年05月15日20:00)。「福岡管区気象台は15日、熊本県内を含む九州北部地方が梅雨入りしたとみられると発表した。平年より20日早く、1951年の統計開始以降、54年(5月13日ごろ)に次いで2番目に早い。九州北部の梅雨明けは、平年が7月19日ごろ。昨年は7月30日ごろだった」。
閑話休題、文中記載の相良寺(あいらじ)は、直線距離にしてわが生家から500メートルほどの距離に位置する観音様である。近郊近在では昔から「安産のお寺」として、多くの参拝客を呼び込んでいる。なかでも、参段脇の「トビカズラ」は、寺の名声に大きな役割を担っている。こちらは送られてきた新聞からの全文転載である。ふるさと便と共に、熊本日日新聞(通称熊日)が意図して添えられていたのである。送ってくれたのはわが姪っ子の渡辺康子さんである。姪っ子は嫁いで冨田姓を変えて、現在は相良寺の近くに住んでいる。文中の冨田靖明君は、姪っ子の三男である。
「国の特別天然記念物『相良のアイラトビカズラ』が山鹿市菊鹿町相良の自生地で見頃を迎えている。推定樹齢千年にもなるマメ科の古木で、ツルから垂れ下がったブドウの房に似た紫色に花を咲かせる。市によると、冬場の霜などで花数は例年の半分ほどだが、5月の連休中まで楽しめるという。名前の由来は源平合戦の頃、近くの相良寺が焼き討ちされた際、千手観音がカズラに飛び移って難を逃れたという伝承にちなむ。現在は相良寺でも花を咲かせている。自生地では昨年、一部が誤って伐採された上、豪雨で斜面の一部が崩れるなどした。見回りを続ける菊鹿市民センターの冨田靖明さん(45)は、『困難に負けず、花が咲いてよかった。自生地の6割はまだ立ち入り禁止なので気を付けて』と話した。」
記事は写真添付だけれど、私には写真転載の技術はない。できれば写真愛好家のふうちゃんから、手持ちの写真の張り付けを願いたいものである。姪っ子は、今なおきわめて子煩悩である。記事にわが子の名が載った嬉しさを抑えきれなかったのであろう。もちろん、いたくわが共鳴するどころである。郷愁とは、「百薬の長」にもはるかに勝る、天からさずかる飛びっきりの恩恵である。早い梅雨入りの中の、ふるさとそして人々の安寧を願うところである。