ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
この梅雨、一度目のムカデ騒動
六月十八日(金曜日)。痛くて、悔しくて、甲斐性無しで、なさけなく、もちろん恥ずかしくて、文章を書く気分を妨(さまた)げられている。ムカデ騒動は夜間、十二時近くに寝床の中で起きた。就寝中にあってむき出しの、右の手の平あたりに違和感をおぼえた。大慌てで手の平を振って、身を越して頭上に下がる電燈の紐を引いた。中型のムカデが、布団の上、布団の下、布団の中、畳の上へと逃げまわった。ぞっとした。「この野郎!」と、叫んだ。
常に枕元近くに置く、スプレーに手を伸ばした。そうする間に、どこかへ逃げたのか? 見当たらない。私は形相を替えて、必死に探した。なんと、逃げ足が速いのだろう。窓に掛かる布カーテンの裾の下に、潜り込みそうであった。ここに潜られたら、捜索は万事休すとなる。幸いにも、間一髪で間に合った。スプレーを連射、激写した。ムカデの動きが緩んだ。それでもなお、くねくねしている。命を絶たれる虫けらの抵抗は、凄(すさ)まじいものがある。
わが恐怖は去らず、いっそう間近からスプレーを噴射した。ようやく、ムカデの虫の息が途絶えたようである。いつものやり方で、枕元に置くトイレットペーパーを手にして、動きを止めたムカデを包(くる)んだ。ようやく、安堵した。立ち上がりトイレに向かい、再び「この野郎」と叫んで、力いっぱい放り込んだ。そして、「大」印を素早く押した。水が勢いよく渦巻いて、トイレットペーパーごとムカデを流した。消失を見届けると、寝床へ引き返した。
手の平の痛みは、時間を追って強くなっていった。再び、ぞっとした。首筋、額、禿げ頭、なお運悪く喉元あたりに這いずりまわれたら、わが息の根は止まったかもしれない。このとき以来私は、二度、三度いやたったの一度の睡眠さえにも、ありついていない。身体的には明らかに寝不足である。ところが、今なお恐怖に慄(おのの)いて、眠気はまったく消えたままである。その証しに、現在のわが両眼(りょうまなこ)は爛々と輝いている。この輝きは、あばら家に甘んじるわが甲斐性無しの報(むく)いであり、祟(たた)りでもある。
書くまでもないことを書いて、きょうの文章は一巻の終わりである。
「しくじりの人生行路」
人生行路を歩むにあっては、さまざまなしくじりや後悔ごとがあまたある。現在の私はそれらを顧みて、憂鬱気分まみれにある。ばかじゃなかろか、今さら嘆いてどうなることもない、すべては「後悔先に立たず」の「後の祭り」である。確かに、こんなことで嘆くのは、つくづくわが小器の証しである。
こんなバカげたことを心中に浮かべながら私は、パソコンを起ち上げた。現在、パソコン上のデジタル時刻は4:14である。梅雨の夜明けはいまだしである。梅雨にあってわが家には、特に怯えることがある。一つは床や畳の上で、文字どおり百足(むかで)で現れるムカデである。一つは、開閉する雨戸や窓ガラスに張り付くヤモリ(家守)である。あばら家特有のわが家における梅雨の肝潰し、すなわち「お邪魔虫たち」である。決して大袈裟な表現ではなく、梅雨にあっては妻共々に私は、これらには戦々恐々を強いられている。挙句、気分の安らぎを奪われている。
家守(やもり)と書くヤモリはともかく、ムカデ殺しの強力スプレーをあちらこちらに散らばさせて、わが家は臨戦態勢をしいている。だからと言って、気分の休まることはない。なぜなら、百足(ひゃくあし)と書く、ムカデの逃げ足の速さには、そのたびに驚愕するばかりである。また、超強力スプレーを連射、激写しても、「一ころ」とはいかない抵抗力の強さには、これまた驚くばかりである。
ムカデやヤモリの出入りさえなければ梅雨の合間の晴好雨奇(せいこううき)、どちらにも楽しめるところはある。ところが、ムカデとヤモリのせいでわが老夫婦は、梅雨の季節がとことん大嫌いである。このことでは悔いとは言えないけれど、ただただ「みすぼらしいわが人生」である。なぜなら、あばら家に甘んじているのは、わが甲斐性無しの証しである。私は恥を忍んでいるけれど、妻はあばら家をあからさまに嘆いている。
書くまでもないことを書いてしまった。継続とは、ほとほと切ない作業である。4:54、ようやく小ぶりの雨の夜明けが訪れている。今さら歯ぎしりしても仕方のない、わが「しくじりの人生行路」の一コマである。
「梅雨、雑感」
六月十六日(水曜日)、関東地方は気象庁の梅雨入り宣言(六月十四日・月曜日)後の、二日目の朝を迎えている。夜明けの空は、典型的な梅雨空にある。朝日のまったく見えない大空は、どんよりとしている。すでに小雨が降ったのか、それともこれから降るのか。大空は、気まぐれの雨模様をさらけ出している。
私は、きょうの天気予報を聞き逃している。だから、昼間に向かって「晴れ、雨、または曇り」の予知はできない。確かに、どっちつかずが梅雨空の証しである。梅雨空を眺めながらわが心中には、生誕地・熊本(今やふるさと)における、梅雨の記憶がありありとよみがえっている。そして、その記憶を現在の梅雨と比べている。早い話が子どものころの梅雨には、日を継いで雨の日が続いていた。おのずから日常生活は、うんざり気分にまみれていた。冷蔵庫の無い釜屋(土間の炊事場)の食べ物の残り物は、すぐにねまり(腐り)かけて、家政をつかさどる母をとことん悩ましていた。これらの記憶に比べれば現在の梅雨には雨の日が少なく思えて、おのずから梅雨へのわが思いは雲泥の差にある。もちろんこの先一か月余の梅雨の天気しだいだけれど、この思いが覆(くつがえ)ることはないだろう。すなわち、関東地方に住むようになって以来、私には梅雨の鬱陶しさに身構えることがかなり軽減されている。
再び、単刀直入に言えば子どものころの梅雨に比べて現在は、私には雨の日がはるかに少ないように思えている。日本列島固有の地理的違いによるものか、それともわが記憶違いによるものなのか。
きょうの文章は、わが「梅雨、雑感」で閉めることとなる。夜明けが進んでもきょうの天気の落ち着きどころは、いまだに私にはわからない。ほとほと心許(こころもと)ない、十五年目への出だしである。
『ひぐらしの記』・十四歳
気象庁はきのう(六月十四日・月曜日)、わが住む関東地方の梅雨入りを宣言した。季節のめぐりには逆らえずこの先、一か月余にわたり雨の日が多く、我慢を強いられる鬱陶しい日々が続くこととなる。しかしながら嘆くことはなかれ! 日本列島はピンチをチャンスととらえて、ほぼくまなく美しい水田風景に彩られこととなる。もちろん、多忙をきわめて疲労困憊には見舞われるけれど、農家の人たちが躍動する季節の訪れにある。
ところが現在の私は、過去と異なりこの表現には、語弊いや明らかな間違いをおぼえている。なぜなら現在は、田植えの季節にあってもかつてのように、人影を見る光景は薄らいでいる。確かに、日本列島にあってはどこかしこ、田植え機を操るひとりの人を見る光景に様変わっている。わが子どものころの光景は、一家総出に加えて近隣の親戚と催合(もやい)、多くの人手を頼りに横一線に並んで、水田にはいつくばって後ずさりしながら植えていた。幸か不幸か今は、心中に懐かしくよみがえるだけの、夢まぼろしへと成り下がった原風景である。
さて、私には二つの誕生日がある。わが身には来月(七月)半ばに、八十一歳の誕生日がひかえている。人生行路の荒波にあって、確かな長生きのしるしとはいえ、寿(ことほ)ぐ気分にはなれない。きょう(六月十五日・火曜日)は、『ひぐらしの記』・十四歳の誕生日である。息絶え絶えに、ようやくたどりついた誕生日である。実際にもこのところは、走るどころか転んだり、停まったりして、よろよろとこの日にたどり着いている。それゆえにこれまた、誕生日を寿ぐ気分の喪失に見舞われている。
その一方でわが生来の性癖(悪癖)、すなわち三日坊主をかんがみて自尊を試みれば、文字どおりちょっとだけは自惚れてみたくもなっている。しかしながら十四歳までの歳月は、もちろん自分だけで成し得たものではなく、大沢さまはじめご常連の人たちのご好意と支えによるものだった。きょうの私は、このことを書きとどめるために、パソコンを起ち上げたのである。どちらの誕生日にあっても今や独り悦に入り、祝膳を囲む気分は遠のいている。この先、八十二歳と十五歳へたどりつけるかどうかはまったくわからない。どちらも、艱難辛苦の茨道である。
梅雨入り宣言をあざ笑うかのように、朝日がピカピカと照り輝く、夜明けが訪れている。今や息絶え絶えに、こんな実の無い文章を書くのがやっとである。独り善がりに、「あっぱれ!」と、叫べない『ひぐらしの記』・十四歳の誕生日である。
記憶、それは悔恨
物心がついて以来、心中に刻んだ記憶にはさまざまなものがある。それらの多くは、今やはるかかなたの記憶になりかけている。もちろん、思い出と言うには切ない記憶である。確かに、思い出と言いたくない。しかし良かれ悪かれ記憶が無ければ、人間としての面白味はない。言葉を変えれば悲喜交々ではあるけれど、記憶が喪失すれば人間の価値はない。
こう豪語するかたわらにあって、矛盾するけれどこのところの私は、ときには記憶喪失もいいかな! と、思うことがある。もちろん、記憶喪失の限定が叶えば忘却を願うのは、文字どおり悲哀に満ちた記憶である。実際に喪失を願うものの唯一無比となるものは、このやるせない記憶である。すなわちそれは、わが子守どき(四歳半ころ)の不手際で、幼児(生後十一か月)のころにあって、生業の水車を回す水路に、弟を落とした悔悟に尽きる。
私は戸籍簿の上ではたくさんのきょうだいに恵まれている。父は先妻に六人の子どもをなし、先妻病没後の後継の妻、すなわちわが母には八人をなし、つごう十四人の子沢山を得た。これらの中ではわが記憶にまったく無い者がひとり、薄っすらと記憶を留める者がひとりいる。それらは、異母きょうだいの中のふたりである。ひとりは幼児のおり、命を失くしたという。ひとりは戦争に出向いて、戦死をこうむっている。
私はきょうだいの中では十三番目の誕生であり、命を絶った弟は短い期間だが、十四番目のしんがりを務めた。その大切な弟の命を、わが眼前で水路へ落としたのである。弟は水路を十メートルほど流れて、大きな鉄製の水車が回る輪っかに嵌まった。流れ込む水を掬って、等間隔で勢いよく回っていた水車は、ドスンと音を響かせて止まった。母屋の中から血相を変えて、母が飛び出して来た。母は弟を輪っかから引き戻し、胸に抱えて母屋に消えた。万事休す。犯人はわれひとり、目撃者もわれひとり。母は私を詰ることなく、「子守をさせて、済まなかったたいね!」と言って、詫びた。
記憶喪失になりたいなどと、絶対にうそぶいてはいけない、わが悔恨の悲しい記憶である。このことさえなければ、わが子どものころの記憶は、総じてみなさわやかである。弟への懺悔は尽きない。もちろん、記憶では済まされない、わが生涯における尽きない悔恨である。弟はのろまの兄(私)とは似ても似つかぬ、きわめて這い這い回りの敏捷な子だった。わが多くのきょうだいにあって確かに、掉尾を飾る優れものの質をそなえていた。
嗚呼、無念!。唯一、まったく褪せることのないわが記憶である。
『期限、あれこれ』
六月十三日(日曜日)、私には焼が回っている。目覚めて寝床の中で私は、こんなことをめぐらしていた。食品には賞味期限や消費期限などの記載がある。機械類には耐用年数という期限がある。枯れる植物には、一年生植物(一年草)、二年生植物(二年草)、そして多年生植物(多年草)という期限がある。そして人の命には、寿命という期限がある。この世の物事にあって耐えられる期限は、ことごとく有限である。もちろん期限までに届かず、途中で腐ったり、壊れたり、枯れたり、かつ人の命であれば失くしたり、亡くなったりすることなど多々ある。とりわけ、人の命にかぎればあまりにも無常ゆえに、このことには意図してあっさりと、「運命」という虚しい言葉が添えられている。すなわち、生きとし生きるもの、ほか森羅万象にわたり、あらかじめ想定された期限に背く現実を有している。目覚めたのちとはいえ、こんなことが浮かぶようではもとより、望む熟睡にありつけるはずはない。おのずからこれらのことが、私に焼きが回っている確かな証しである。
私は常に心中に何らかの語彙(言葉と文字)を浮かべている。それは、語彙の生涯学習を掲げているゆえである。目覚めてきょうは、期限という言葉が心中に、ぐるぐると回っていた。確かに、期限とはきわめて安易な言葉である。ところが一方、その現実を突き詰めれば、途轍もない言葉である。まして、人の命の「寿命」をあからさまに「期限」に置き換えれば、言葉の重みにあらためて慄然とするものがある。目覚めて切ない、きょうのわが生涯学習の一端の披露である。
精神混沌ゆえに、休むべきだったのかもしれない。関東地方にはいまだに気象庁の梅雨入り宣言がない。しかし、夜明けの空は重たい梅雨空である。たぶん、わが重たい気分で眺めているせいにちがいない。こんな駄文には表題のつけようはない。しいてつければ駄文の証しそのままに、『期限、あれこれ』、しか浮かばない。
気分休めの「ワクチン」効果
六月十二日(土曜日)、パソコン上のデジタル時刻は、現在3:34と、刻まれている。パソコン自体はとっくに起ち上げて、すでにメディアの報じる主な配信ニュースを読み尽くしている。言うなれば目覚めて起き出して来たゆえの暇つぶしである。そうこうしているうちに、みずからの文章を書きたい気分が湧出すればと、願っていた。ところがそれは、叶わないままである。その誘因は、このところ常態化しているわが怠け心である。あけすけに言えばこのところの私は、まったく文章が書けなくなっている。いやなさけなくも、書く気分を殺がれている。
新型コロナウィルスに抗する二度目のワクチンは、おととい(六月十日・木曜日)に打ち終えた。それによる上腕の痛みは、一度目同様に顕れている。しかしながらこれまた、一度目同様に三日目となるきょうあたりから、痛みはかなり緩和、軽減されつつある。私の場合、不要不急の外出は控えて、一週間二・三度の買い物行を実践するだけである。これくらいの外向き行動ではワクチンを打つまでもなく、私はコロナに罹るはずはないと、高を括っていた。それでも打ったのは、国家事業に素直に応じるためだった。
ところが、打ち終えるとやはり、気分の安らぎをおぼえている。この気分こそ、まさしくワクチンによる予防注射の恩恵と、言えそうである。ひいては、人間の知恵にさずかる明らかな恩恵である。さらにワクチンは、日本の国のみならず、世界中の人々と共通の行為をした安らぎ感をもたらしている。すなわち、老いて、端くれとはいえ、まだまだ私は、人間の範疇にあるという、気分の安らぎ感である。
文章の体をなさないけれどこの気分を記して、約十分間の書き殴りに甘んじて、結文とするものである。やはり、文章が書けない。夜明けまで、悶絶しそうである。
ワクチン接種、完結日
新型コロナウイルスへの感染を免れるためには、私は政府や自治体のさまざまな呼びかけに素直に応じてきた。呼びかけの本源をなすものは、おおむね自らの行為や行動を粛(つつし)むことであり、文字どおり「自粛」の要請である。これらの行為や行動は、いまだ過去形で表すことはできず、今なお現在進行形の渦中にある。私にかぎらず日本国民、さらには日本在住の外国籍に人たち、すなわちだれもが一年半近くにわたり、我慢という自粛を強いられている。それでも今なお、感染を抑え込む決め手にはありつけず、すべての人々は日々感染に慄(おのの)いている。
新型コロナウイルスは、すでに多くの感染者とそれによる死亡者をもたらして、現在なおこの先、恐々とするありさまである。この恐ろしい状態は、戦時模様にさえ擬(なぞら)えている。それゆえに、新型コロナウイルスに抗するのは、日本の国の国家事情である。いや、限られた対象国同士の戦争とは異なり世界中の国共々に、新型コロナウイルスの感染抑え込みにはまさしく、確かにいくらか似つかわしい戦時状態を呈している。
抑え込みの施策は、これまた世界の国々共通に、個人に課されている行為や行動の自粛が大本(おおもと)となっている。このため効果は遅々たるものであり、そのため人類すなわち世界の人々は、新型コロナウイルスに抗するワクチン開発に望みをかけてきた。そして人類の知恵(者)は、驚くべき速さでこの望みを叶えたのである。いまだ途中経過とはいえ、人間の知恵(者)の輝く勝利である。なぜなら、ワクチン接種の先行の国々や人々は、ワクチン接種の効果で、段々と自粛の無い元の生活に戻り始めている。
ワクチン接種が遅れた日本の場合は、現在はいまだ効果にはありつけず、現在は政府および自治体こぞってのワクチン接種作業に大わらわの状態にある。ワクチン接種は、まさしく国家事業である。おのずからこれには逆らえず、私の場合はきょう(六月十日・木曜日)が、完結編の二回目のワクチン接種日である。ワクチン接種の効果があらわれるのは、この先になるけれど、自粛の行為や行動は晴れて少しずつ解禁されそうである。
きょうのワクチン接種にあって私は、関係者にたいしマスク越しに大きな声を出して、お礼の言葉を述べるつもりである。「声を出してはいけませんよ!」と、咎(とが)められることなく、マスクの上の額(ひたい)には、ほほ笑まれる表情があらわれるであろう。言うなればきょうは、見知らぬ者同士がマスク越しに、ほほ笑む日になりそうである。
生存、いや人間、「捨てたものではない」。加齢の身に訪れた、ひとときの「人間賛歌」の享受日になりそうである。
無能力の祟り
六月九日(水曜日)、やはり再始動はおぼつかない。三時間足らずの睡眠ののちに目覚めて、その後は二度寝にありつけず、三時間余りを悶々と体を寝床に横たえていた。この苦悶に耐えきれず、起き出して来た。そして、やおらパソコンを起ち上げている。何たる体たらくぶり! かと、自分自身にたいしひどく、悲憤慷慨をおぼえている。こんな文章を書くとは予期しないどころか、いや文章と言える代物ではない。もちろん、気分鎮めにはちっともならず、恥晒し、いや恥の上塗りを招いている。そうであれば書かないことに、越したことはない。まして、投稿ボタンを押すことなど、狂気の沙汰である。そう自認してもおそらく、私は投稿ボタンを羽目になるだろう。なぜなら、確かに文章の体をなさなくても、せっかく書いたものを反故にすることは、現在の私にとってはきわめてもったいないからである。私の場合、それほどに頓挫したあとの再始動には困難を極めている。
これまでの私は、どれほど多くの文章を書いてきたことだろう。大袈裟な表現を好む私にすれば、四百字詰め原稿用紙に換算すれば多分、軽トラの積載量制限をはるかに超えて、なおあふれ出すほどにもなるかもしれない。まさしく、屑やゴミさながらの駄文の重ねである。なぜなら、いっこうに学習にはなり得ず、挙句に私は、こんな身も蓋もないみっともない文章を書いている。直近の文章の二番煎じの表現を用いれば、私はまさしく「惰性の美学」を損ねた祟りに喘いでいる。だけど嘆くまい、いやトコトン嘆こう! わが無能力の証しであり、祟りである。
夜明けて、梅雨入り宣言間近の朝日がピカピカと照り輝いている。嘆きの気分は、いくらか解れている。やはり、もったいないから投稿ボタンに人差し指をかけて、駄文は店じまいである。駄文をつづり、人様にはかたじけない。いやいや、自分自身にもほとほと、忝(かたじけな)い。こんな文章を書くようでは、もちろん再始動のエンジンには、今なおありつけないままである。
「惰性の美学」を損ねた祟り
このところの私は、闘わずして自分自身に負けている。すなわち、克己心をすっからかんに失くしている。惰性という継続をみずからの怠け心で断ったのちの再始動には、ほとほと困難を極めている。もちろん、これまでも何度となく体験してきた厄介事である。
「ひぐらしの記」の継続は、もちろん人様から褒められるものではない。なぜなら、単なる惰性の積み重ねであることを私は、絶えず強く自認してきたところである。人間の営みにあって惰性は、必ずしも褒められる行為ではない。ところが、私にかぎれば惰性は、必要悪を超えて継続の本源を成してきた。言うなれば私は、惰性にすがって「ひぐらしの記」の継続にありついてきたのである。
電子辞書を開けば『惰性』には、「今までの習慣」という説明書きがある。すると私は、ようやく根づきかけていた習慣をわが怠惰心で、無下に反故にしたのである。その祟りにあって現在の私は、再始動に怯えて苦悶を強いられている。すなわち今の私は、「惰性の美学」をみずからほうむった罰当たりをこうむっている。こんなことはどうでもいいけれど、六月七日(月曜日)、私はまったく久しぶりに昼間にあって、こんな文章を書いている。
窓ガラスを通して眺める山の法面には道路に沿って、今こそ見頃! とばかりに、アジサイが妖艶に色づいている。その後衛をなすところは園芸業者の植栽であり、もとは商売用の枇杷の木が売れ残り、今や枇杷の実が鈴生りとなり、黄色ピカピカに輝いている。これらの光景に見惚れていると、萎えていた克己心にいくらか、カンフル剤が打たれた気分である。昼間の文章からさずかった、ちょっぴりのプレゼントである。しかしながら継続の糧(かて)になるには、もとよりまだまだ心もとない。