ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
新たな歯医者通い、つれづれ
六月二十九日(火曜日)、夜明けの梅雨空は、地上に小ぶりの雨を落としている。窓ガラスには雨粒が電燈に照らされて、一面にべったりと無地をなしている。窓は開けないままに眼下の道路へ目をやると、一基の外灯に照らされて道路が濡れている。雨足の跳ね返りは見えない。絹のような小降りの雨なのか、それとも止んだばかりなのか。私は小ぶりの雨と書いたけれど、いずれにしてもまがうことない梅雨空の夜明けである。
きのう(六月二十八日・月曜日)の私は、予約済という行動予定にしたがって、予約時間(午前九時半)前の九時過ぎに、待合室へたどり着いた。この間、わが家からの道程を支えたのは、大船(鎌倉市)行きの江ノ電(本社藤沢市)の循環バスである。バスが無ければ歯医者通いさえままならないのは、わが甲斐性なしの明らかな証しでもある。
予約時間までを待たずに診療室に呼ばれて、私は三台ある診療椅子の一番奥に案内された。もはや、ジタバタしてもしようのない「俎板の鯉」さながらの気分である。本当のところこの日の通院は、定期検診はがきを受けてのものだった。しかしながら私には、それより恐れていたことがあった。恐れは、ほぼ半年前に新たな入れ歯を作ったところの不具合だった。実際の恐れは入れ歯を支えている歯の一本がぐらぐらし、噛むたびに今にも欠け落ちそうになっていた。これが欠ければ入れ歯は役立たずになる。そのうえここのところは、横長い空洞状態になる。そうなると、ここを埋める作り直しの新規の入れ歯は可能であろうか。このことを案じて私は、ぐらぐらの歯に未練心を残して通院を先送りにしてきたのである。
この日の私は、主治医先生にこの未練心を強く訴えることを肝に銘じた。言葉をかえればこの日の私は、薄ノロ間抜けを超越し、大きな矛盾をかかえての通院だった。
診療椅子に横たわると真っ先に私は、勇気凛々かつ悪びれることもなく、歯の損傷過程と未練心を訴えた。もとより親切丁寧な主治医先生からは、わが矛盾する訴えにも腹立たしさなど微塵も見て取れず、なお懇切丁寧に縷々(るる)この日の処置を説明してくださった。もはや私には感謝こそすれ、逆らう勇気はまったくなかった。
私は両瞼を閉じて、ワニ口のように大きく口を開けた。すぐに、局部麻酔が打たれた。職業とは大したものである。先ほどまでの優しい風情(ふぜい)などかなぐり捨てられて、地中深く根を張った立木抜きさながら、大きな音を立てグルグル回しで、強引きわまりない力で懸案の歯を引っこ抜かれたのある。薄く目を開けて見ればおそらく、主治医先生の形相は鬼みたいになっていたであろう。瞼を閉じたままに、私は万事休す。ジタバタ鯉なら、息絶えた。
私は生きて、嘆息した。そして、心中でこう思った。(わが人生は、最期へまた一歩、近づいたな!)。窓口で支払いを済ますと、一週間のちの予約が打診された。なぜか、朝の内と昼過ぎと、一日に二度の予約の打診である。私は怪訝(けげん)な面持ちをひた隠し、渋々納得してそれでも素直に、「日にち、時間ともそれでいいです。よろしくお願いします」と、言った。私は抜かれた箇所の血止めの綿を噛んだままに、医院を後にした。
向かうは痛み止めの処方箋をたずさえて、最寄りの調剤薬局だった。昼間まだき大船の街には、真夏の太陽とまがうほどの暑い陽射しが、地上にそそいでいた。喜んでいいのか、それとも悲しむべきなのか。
きのうは長くてつらい、新たな歯医者通いの始まりだったのである。書き殴り特有の、まったく偽りのないわが起き立ての心境である。私は用無しとなった入れ歯は外している。痛みはない。小降りの雨は、雨、嵐、となっている。
居座り続ける「嗚呼、無情」
いずれ、『ひぐらしの記』のページに残るわが文章の特徴はこうである。すなわちそれは、書き置きや時間的へだたりのない、起き立てのわが気持ちや状態の吐露にある。確かに、私日記スタイルだけれど、一日の出来事を後で記す日記とは、かなり異なるところがある。言うなればそれは、気持ちや体裁をととのえないままの、起き立ての書き殴りである。もとより、準備万端ではなく起き立ての気持ちの吐露にすぎないから文章とは言えない。いやもとより、わが能力では納得のいく文章は書けない。半面、リアルタイムというか、その時々の偽(いつわ)りのないわが心情や心境を映している。
不特定多数すなわち大衆に公開するブログに記し、のちにはひぐらしの記のページに残るかぎり、私には準備や体裁をととのえて納得のいく文章を書きたい気持ちが山々にある。一方ではそうしたところで、納得のいく文章が書けるはずもない。また、構えて文章を書けば、日々の継続にありつけることはできない。すなわちわが文章は、起き立ての書き殴りに支えられて、ほぼ日々の継続にありついているにすぎない。再度書けば、書き殴りを恥じたり、悔いたりしては、わが文章の継続はあり得ない。このことでは、書き殴りに「おんぶにだっこ」されている状態にある。言葉を替えて、みずから「書き殴りの妙」と言うには、自分自身に烏滸(おこ)がましさつのるばかりである。
きょう(六月二十八日・月曜日)から私には、長くてつらい歯医者通いの始まりがある。予約時間は九時半であり、だから私は、九時頃までには待合室への到着を目論んでいる。このため、朝の主婦作業に慌てるため、きょうの文章は端(はな)から休みを決め込んでいた。ところが、起きたての書き殴りに加えて、走り書きをしてしまった。ひいて言えば、起き立ての偽りのない、わが心境の吐露である。善くも悪くとは言えない、いや悪いだけのわが文章の特徴、すなわち恥晒しである。
明るくふりそそぐ朝日が、梅雨空をはねのけて、煌(きら)めいている。それでも、起き立てのわが気分は、頗(すこぶ)る付きに重たい! 居座り続ける「嗚呼、無情」に打ちのめされている。
なさけなくも、無題
六月二十七日(日曜日)、目覚めて長い時間寝床に寝そべり、飽きて仕方なく起き出したて来た。さまざまな雑念や妄想、そして総ぐるみのプレッシャーに負けて、文章が書けない。もとより、書く気になれない。つらい。いや、ほとほと不甲斐ない。私はなんで、こんなにも弱い人間なのか! 生まれてくる価値など、微塵もなかったのであろうか。起き立てに、こんな気狂いの文章を書いてしまい、気分鎮めに躍起である。人様には恥さらしこの上ない、バカげた吐露である。けれど、気分鎮めの一助になれば、恥を忍んで自分には勿怪(もっけ)の幸いである。いやこんなことで、気分が鎮まるはずはない。だとすれば気分鎮めには、散歩めぐりのご常連の人との刹那の会話にすがるより便法はない。言い換えれば自力では叶わず、人様(他力)頼りの気分鎮めである。
梅雨の合間の夜明けが訪れている。私は尻切れトンボのままに文章を閉じて、道路の掃除へ向かう決意を固めている。咲き誇るアジサイへの、ささやかなほどこしでもある。立ち止まり、携帯やスマホを翳(かざ)して、アジサイを撮ってくれる人がいれば、わが気分はたちまち解れるであろう。人様の行為と好意にすがるわが気分鎮めは、ほとほとなさけない。
きょうの私は、「あしからずとかたじけない」、の二つの詫び言葉を重ねる体(てい)たらくに陥っている。なさけなくて、表題のつけようはない。
追記:掃除を終えて戻ってまいりました。ご常連にお会いできたのは、一組のご夫婦だけでした。しかし、ご夫婦は壮年たけなわの中年のころであり、互いに会釈を交わしただけで、ご夫婦は足早に遠くへ去りました。当てにしていたわが一方的癒しの人には会えず、人様からさずかる気分鎮めは空振りでした。やはり気分鎮めは、移ろいやすい人様の行動など当てにせず、自然界の恵みにすがるに越したことはありません。
このまえまでは蔕(へた)にくるまれていた実生の柿の実は、今やいっぱしの大きさになり替わり、道路上に転げていました。ほかにはアケビの青い実も、三つ転げていました。私はそれぞれを指先で拾い上げて、しばし懐郷の念をつのらせていました。気分鎮めはこれらにて、なんなく果たせました。
さずかったご教示(再録)
六月二十六日(土曜日)、現在の私は、わが恥などかなぐり捨てて、真摯な気持ちをたずさえて書いている。実際のところはきのう(六月二十五日・金曜日)の、高橋弘樹様の掲示板上のご投稿文にたいし、あらため御礼と感謝の意をたずさえている。同時に、一読のままでしだいに記憶を薄れさせては、相済まない思いにも駆られている。このため私は、さずかったご教示を原文のままに記して、『ひぐらしの記』への転載を試み、こののちのわが教科書として留め置くものである。実際のところ私は、高橋様の心優しさと確かな能力にひれ伏して、こうせずにはおれなかったのである。なかんずく、人様からさずかった教えを、きわめて的確に人(私)へ教えてくださる能力の素晴らしさには、私は驚異と同時に感極まるものがあった。もとより私は、高橋様とはまったく面識(対面)はない。それにもかかわらず私は、高橋様のずば抜けた心優しさに出合えたのである。
きのうの私は、高橋様のご投稿文にさずかり、まさしく「是れ好日」の至りだった。すなわち、高橋様のご教示は、「創作文が書けない」という、わが嘆きにたいする、天与の恵みとも言えるありがたいものだった。きのうの御礼と感謝は、寝坊助の祟りすなわち、ご投稿文をチラッと垣間見ての、走りながらの御礼と感謝にすぎなかった。そのためそののちの私は、その非礼に耐えきれず悶々していた。この気分を払拭するためには、私はあらためて御礼と感謝の意を書かずにはおれなかった。なぜなら私は、そののちの数回の読み直しと読み耽りから、感極まっていたのである。
「下記に前田さんへ現代文藝研究所所長田端信先生の小説の指導方法を伝授致します」。①小説の素材についてお困りとの事ですが、前田さんの周りを見渡せば、奥様・あおばちゃん・御近所の方々・TELでの会話・スーパーやコンビニでのお買い物(そこでの店員さんとの何気ない会話)・前田さんの御自宅周辺の自然(植物や木々を擬人化して小説を書く事もできます)etc.とたくさんの素材があります。それらを捉えて具体的に目に浮かぶように文章で表現して行く事になります。エンターテインメント小説の場合は、書き始める前に登場人物やストーリー展開・構成をしっかり考えておかないと、行き詰まってしまいますが、純文学小説の場合は、部分から拡げて行く方法を取る事ができますので、前田さんにとっては、このジャンルの小説をお書きになる事が1番だと思います☆要するに小説は、具体的に表現した場面の積み重ねでもありますので、まずは前田さんの周りのエピソード等から具体化するとよろしいかと思います。ただ、事実をそのまま具体化しても拡がりがありませんので、デフォルメという手法を使います。これは、前田さんが人様とお話をする時に、事実を変えたり、冗談を交えたりする事もあるかと思いますが、それを文章に置き換える事です。話を膨らませる事で、これが想像力に繋がっていきます。②小説の表現方法を大学のようにレクチャーする事は、非常に難しいので、前田さんがお好きな作品(短編小説や掌編小説が良いです)を原稿用紙に書き写す事は、かなり有効です!! これは、文章が書けなくなった時もテキメンに効果があります!! ですが、今ドキ、手書きは疲れますので(笑)、パソコンのワード機能をお使いになったほうがよろしいかと思います。この書き写しの方法で、前田さんがお気づきにならなかった文章の表現方法・場面の構成・創作方法が自然とわかってきます。今の前田さんには、以上2点の田端先生の指導方法が最有効かと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます(_ _)。
高橋弘樹様、ご教示にたいしてなんども、御礼と感謝を申し上げます。現代文藝社から賜っている、同志と同士の喜びが身に沁みています。文尾ながら、高橋様のますますのご活躍と、ご健勝そしてご清祥を祈念いたします。梅雨の合間の梅雨空の朝日は、今朝はピカピカと輝いています。
身勝手に「悪しからず」
六月二十五日(金曜日)、夢遊病者に変りはてて、寝返りを繰り返しているうちに、寝坊していました。起き出してきてこれから、慌てふためいて朝の主婦業に入ります。それゆえに、休みます。またしても、かたじけない気持ちにとらわれています。
きょうは悪びれず身勝手に、「悪しからず」、という逃げ口上を添えます。梅雨の合間の夜明けは、やはり梅雨空です。心はいくらか病んでいますが、身体はすこぶる健康です。飛びっきりの「嗚呼、無情」です。
身のほどの人生
私には絶えず文章のネタとなる、得意とする分野はなに一つない。加えて無から有を生ずる、文字どおり創作文を創(つく)ったり、紡(つむ)いだりする能力など、願っても夢まぼろしであり、現実にはありつけない。だから余計に日々の私は、この二つに憧憬と羨望をいだいている。言うなれば、無い物ねだり旺盛である。もとより、叶わぬこととわかっちゃいる。確かに身のほどを超えた、やめられないおねだりである。だからと言って、かえすがえす残念とは言えない。なぜなら、わが無能力の明らかな証しである。
こんな私が文章を書いたり、それを書き続けることは、もとより「雲を掴む」ことより難しいことと言えそうである。それでも私は、お釈迦様が「この世(来世・極楽浄土)に、おいで、おいで!」と呼びかけ、「来れば、あの世(現世・穢土)の四苦八苦から免れますよ!」との説教に、素直に応じるつもりはない。おのずから私は、わが無能力は生来の「身から出た錆」と、我慢を続けている。しかしながらこの我慢はわが心身を痛めて、もはや我慢のしどころへさしかかっている。その挙句、現在のわが心境は、「嗚呼、無常!」の言葉に替えて、「嗚呼、無情!」である。すなわち、ほとほと「情け無い」心境である。
得意分野があったり、創作文が書ければ、もとよりこんな心境は免れる。つくづく、ほとほと、恨めしいわが無能力である。それゆえわが心境は、常々自虐精神まみれでもある。自(おの)ずから自分自身に、腹立たしさをおぼえる始末である。すなわち私は、「身のほどであるべき」という、戒(いまし)めをこうむっている。
確かに人生の幸福は、「身のほど」を知り、それに満足する勇気と、言えそうである。だとすると私には、勇気の欠片(かけら)さえもないことになる。まさしくわが人生は、「嗚呼、無情」である。もとより、書き殴りのわが文章には、一滴のしずくほどの自負(じふ)や矜持(きょうじ)もない。単に時間をつぶしにすぎない夜の、明け方が訪れている。梅雨空模様の夜明けにあって、わが世の季節を謳(うた)う窓外のアジサイは、妖艶な彩りをなしている。わが身の切なさを嘲(あざけ)るような、見事な咲きようである。羨ましいとは言えず、ただ見惚れているだけである。そして私は、自然界の恵む眼福にすがり、いっときわが「能無しと無情」を癒している。
もちろん文章とは言えないけれど、ようやく結文にたどり着いた、清々しさはちょっぴりある。私にとってはこの清々しさこそ、身のほどをわきまえることからもたらされる、わが人生の幸福と言えそうである。このちょっぴりの清々しさが無ければ、パソコンという文明の利器は、私にはまったくの無用の銭失いである。「身のほど」を知れば幸福な人生であり、いやつらい人生でもある。
沖縄県、戦没者「慰霊の日」
六月二十三日(水曜日)、きょうは毎年めぐって来る日本史上における哀しい日である。すなわち、日本国民であれば必ず、一年に一度は記憶を新たにしなければならない、沖縄県において営まれる戦没者追悼の『慰霊の日』である。追悼は文字どおり哀しみ表す、「哀悼」と置き換えなければならない。今年は哀しい出来事(昭和20年・1945年6月23日)から、76年目になる。わが五歳間近のころの史実である。この日が来れば私は、メディアが伝える史実にたいし、敬虔な祈りをたずさえている。
ところがこんな日にあって今朝の私は、極楽とんぼのことを心中に浮かべていた。恥晒しまさしく、忸怩(じくじ)たる思いである。浮かべていたのはこの時季に応じて、梅と桜の実にかかわる比較対象である。実際にはこんなことを浮かべていた。すなわち、ごく身近なところで「花でもよし、実でもよし」、まさしく二兎を追うに耐えられるものは梅と桜である。現在は共に、実の季節である。店頭には如実に、双方の実が並んでいる。梅の実の多くは、それぞれの嗜好(しこう)の梅干しや梅酒に用いられるのであろう。私の場合は甘党であり、梅酒は一滴さえ用無しである。一方、梅干しは好きでもないのに常々、子どものころの「日の丸弁当」のまんまん中にただ一つ、赤く王座を占めていた。確かに、好きではなかったけれど、今や父母を偲ぶ縁(よすが)と共に、懐郷の最上位に位置している。父の姿は梅の実千切りであり、母の姿はシソの葉干しや梅干し作りである。
桜の実はずばり、サクランボ(サクランボウ)である。ところが梅と違って桜の実には、今なお人様の知恵や辞書に頼らなければならないところがある。以下は、ウィキペディアからの一部抜粋である。「木を桜桃、果実をサクランボと呼び分ける場合もある。生産者は桜桃と呼ぶことが多く、商品化され店頭に並んだものはサクランボと呼ばれる。サクランボは、桜の実という意味の『桜の坊』の『の』が撥音便(はつおんびん)となり、語末が短母音化したと考えられている。花を鑑賞する品種のサクラでは、実は大きくならない。果樹であるミザクラには東洋系とヨーロッパ系とがあり、日本で栽培される大半はヨーロッパ系である。品種数は非常に多く1,000種を超えるとされている。果実は丸みを帯びた赤い実が多く、中に種子が1つある核果類に分類される。品種によって黄白色や葡萄の巨峰のように赤黒い色で紫がかったものもある。生食用にされるのは甘果桜桃の果実であり、日本で食されるサクランボもこれに属する。その他調理用には酸味が強い酸果桜桃の果実が使われる」。
これに重ねることとなるけれど、電子辞書を開けばこう記されている。「さくらんぼう」【桜ん坊・桜桃】(さくらんぼ)とも。①サクラの果実の総称。②セイヨウミザウラの果実。桜桃。「バラ科サクラ属の落葉高木。花はサクラに似るが白い。果実は「さくらんぼ」として食用。西アジア原産で冷地を好む。ナポレオン・佐藤錦などの品種がある。シヨウミザクラ(西洋実桜)。桜桃の名は、本来、中国原産の別種シナミザクラの漢名。【桜桃忌】「小説家太宰治の忌日。太宰は1948年6月13日、東京都三鷹市の玉川上水に入水したが、墓所禅林寺では6月13日に修する。『桜桃』は太宰の作品名」。
酸っぱい梅の実は思い出や懐郷だけで十分だけれど、しわがれたほっぺたが落ちそうに甘い、サクランボは食べたいなあー!。不謹慎きょうは、沖縄戦戦没者「慰霊の日」である。書き終えて、「嗚呼、しんど」と嘆いては、御霊(みたま)に相済まない思いつのるばかりである。
無気力病の祟り
六月二十二日(火曜日)、現在デジタル時刻は、4:04と刻まれている。一時近くに目覚めて二度寝が出来ず、三時間余にわたり左右に寝返りを繰り返し、悶々としていた。これに耐えられず起き出して来たけれど、夜明けまではまだまだ長い時が残されている。文章を書く気力はまったくなく、おのずから休養を決め込んでいた。一方では夜明けまでの時間潰しが強いられている。
このところの私は、書くまでもないことを書いている。人様からみれば私は、まぎれもなく精神破綻者同然である。われ自身、そう思う。しかしながら実際のところは、精神のみならず身体を損ねているわけではなく、いや心身共に年齢(八十歳)を凌ぐほどの健常者である。それなのに、「身も蓋もない」ことを書き続けていることでは、私は無気力病に罹っているのかもしれない。
確かに、そう思うところはある。無気力病の根源は? と、自問を試みる。すると一発回答は、「生きることへの疲れ!」と、言えそうである。ところが矛盾するけれど、私はこの先なお欲深く生存を望んでいる。
きょうもまた、書くままでもないことを書いた。現在時刻は、4:34である。夏至を過ぎて、夜長になりかけの一日目の夜明けが訪れている。二度寝にありつけるかどうか、試しに寝床へとんぼ返りを試みる。またしても、かたじけない。
夏至
六月二十一日(月曜日)。デジタル時刻は3:00を記している。このまま黙然とパソコンを前にして椅子にもたれていれば、まもなく白々と夜の帳(とばり)が開き始めるであろう。歳月のめぐりの速さ(感)に打ちのめされている。短い夜の静寂(しじま)にあって、私ははなはだ無気力である。人生の晩年、常ならず、「嗚呼、無常」。夏至、冬至、季節めぐりの用語は、共にわが身に沁みる重い言葉である。「夏、至る」を喜べないわが身は、みずから哀しい! かたじけない。
虫けらに慄(おのの)く、わが日常
わが肉体は自分自身、驚くほどに毒素に弱い質(たち)である。ムカデに刺された薬指は、今なお聖護院大根みたいに付け根のところが太く膨れて、赤みを帯びて固いままである。それだけのみならず、痛みはずっとひかぬままである。あらためて私は、このことに恐怖感をおぼえて、もはや書くまでもない「ムカデ騒動」の顛末記を書いている。怯える根源は、大型のムカデに心臓あたりを刺されでもしたらという、戦々恐々の思いである。
わが家周辺には、ムカデ、スズメバチ、マムシ、などが棲みついていると、散歩めぐりの人たちが言う。「気をつけてください!」。見知らぬ人たちからさずかる、ありがたい警告ではある。しかしながら私には、気をつけるすべはない。いや、そのつど恐怖心を煽(あお)られ、いっそう募(つの)るばかりである。藪蚊もブンブン飛び回って、わが生血(なまち)を、隙あればと狙っている。虫けらに慄く、わが日常である。