ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

頓挫を恐れて……

 「ひぐらしの記」の頓挫期間を顧みた。すると、昨年(令和三年)の十二月十二日に書いて以来頓挫し、今年(令和四年)の二月一日から、ヨロヨロ立ちで書きか始めている。まったくおぼつかない足取りである。この先が思いやられるところである。確かに、文章とは言えない代物ながら、それでもどうにかきのう(二月七日)まで、一週間は続いた。
 ところが今朝は、夜明けて七時近くまで寝過ごした。再び、頓挫の恐怖に見舞われた。そのため、朝の主婦業と朝御飯を駆け足で済まして、パソコンを起ち上げた。もちろん、文章の体はまったくなさない、再度の頓挫を恐れてだけの殴り書きである。もちろん、ひぐらしの記の継続と、言えるものではない。しかし、身勝手ながら、書かないよりはましである。なぜなら、こんな文章であっても書いておけば、明日へ繋がりそうな気にはなる。すなわち、それだけが取り柄の文章である。
 確かに、私は恥をさらけ出している。だけど、恥じ入ることはない。老境のわが身は、生存だけにしがみついている。寒さが身にツンツン沁みる。

一陽来復

 立春が過ぎて、確かに春は来ている。半面、立春が過ぎたばかりなのだから、まだ冬とも言っていいだろう。むしろこのほうが、感覚的にはぴったりする。
 この冬、すなわち令和四年のこの冬は、飛びっきりの寒さに見舞われている。日々、伝えられてくる北の地方や雪国の降雪や積雪模様には、私はそのたびに度肝を抜かされている。心情的には、届かぬ「雪見舞い」に大わらわである。いや、確かに他人事ではなく、私自身日々ブルブルと震えている。しかし、季節は春に向かっている。夜明けは早くなり、目に見えてかつ体感的にも夕暮れは遅くなっている。季節のめぐりはすっかり、日長傾向を極めている。つれて、寒の底は脱しつつあり、「一陽来復」の気分横溢である。それでも私は、茶の間に張り付いている。ところが、窓ガラスを通して見る散歩めぐりの人の数は日に日に増えて、しかものどかな足取りである。すなわち他人は、寒さを蹴散らして春の訪れを楽しんでいる。寒がり屋の私だけは、なおカタツムリ同然のままである。椿の花に飛んでくるメジロも、春を楽しんでいる。
 寝起きの十分間の文章は、形を成さない。それでも書いたかぎり、無題では済まされない。いくぶん、心がウキウキしているから、「一陽来復」でいいだろう。 

太陽光線、礼賛

 昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは強弱である。
 きのう書いた表題「日向ぼっこ」には、太陽光線の恩恵をつらつらと、書いた。春立つ日にあって私は、まさしく暖かい太陽光線の恩恵に浸りきっていたからである。ところが昨夜、すなわち夜間にあって太陽光線は遠のいて、私は暗闇の中に寝床を敷いて、眠りに就いていた。人工の熱源をなすエアコンは、壊れたままにほったらかしにしている。だから、今や大型ごみ同然の無用の長物となり、悔恨きわまる銭失いの姿をさらけ出している。あえて点けっぱなしにして、頭上の蛍光灯に頼っても、もちろん熱源の足しにはまったくならない。こんなみじめなわが生活事情にあって昨夜は、この冬一番の寒さに見舞われたのである。すると、ひなたぼっこのときとは真逆に、太陽光線のありがたさと恩恵を再び知る夜となった。
 夜明け前にあって、寝起きのわが身体は、今なお、ブルブル、ガタガタと、震えている。表題はきのうの続編をなして、「太陽光線、礼賛」で、いいだろう。日長になり、ほのかに、朝日が射しはじめている。太陽光線のありがたさが身に沁みる。

日向ぼっこ

 茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢心地にあって、こんなことを浮かべていた。人間界にあって自然界の恵みは、有象無象それこそ無限大にある。確かに、食材や生薬などどれがなくても、たちまち人の息の根が止まりそうなものばかりである。山岳および海洋、山崩れや津波の恐怖はあってもこれまた、山河自然の恩恵ははかり知れない。しかしながらやはり、自然界の恵みにあってはこれらをはるかに超えて、陽ざしすなわち太陽光線こそ特等の優れものとだと、確信した。
 きのうの「立春」(二月四日・金曜日)にあって、日向ぼっこをむさぼっているおりに浮かんでいた、わが愚かなるしかし愉快な感慨である。

立春

 寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて、ほんのりと出口の明るさが見え始めている。
 人生は「万事、塞翁が馬」。このところの私は、いつものマイナス思考をかなぐり捨てたかのように、やけに達観を決め込んでいる。この心境、もちろん悪いことではない。遅まきながら、世渡りの術を悟り、学んでいる。寝起きの気分は悪くない。
 立春、心地よい言葉である。一年の「春夏秋冬」のスタートにあって、やはり私は、欲深くわが家の春を願っている。「来い、来い」。

「一日多善」

 学童の頃にあっては何かにおいて、「一日一善」を目標に掲げていた。すると、この目標は主に、家事手伝いで叶えていた。これには、子どもなりの魂胆があった。それを果たすと母ちゃんは、坊主頭をなでなでして、「とても、ありがたいばい!」と、言ってくれた。頭なでなでとこの言葉は、笑顔の母のご褒美だった。お腹や口に実益のあめ玉などではなくても、私にはうれしいご褒美だった。
 妻の異変のことから発した余儀ないことではあるけれど、現在の私は、「一日多善」の実践中である。まるで、「肥後もっこす」の最後の砦みたいに守り続けてきた電気洗濯機の扱いも、今や妻の特訓を受けてお茶の子さいさいである。ベランダ干しも、真下の道路歩きの人たちの目には異様に映っていようが、もはや私には戸惑いや恥じらいなどみじんもない。ただただ、主婦業の大変さをいまさらながらに悟っている。もちろん、ご褒美はねだってはいないけれど、それでもやはり、痛々しい妻の口から洩れる「パパ、ありがと!」の言葉は、老いた体と心の励みになっている。
 きょうは「節分」、夫婦相和し福豆をばらまいて、鬼退治を試みる。もちろん、いつもよりひどく、できれば木っ端みじんの鬼退治である。

華の兄弟・惜別

 限りなく惜しむにあって、多言は要しない。けれど、胸中には尽きることなく、称える言葉が浮かんでくる。出色、花形、人気。そして英傑、などなど。二人して一世を風靡、すなわち昭和時代を華やかに彩られた文字どおりの「華の兄弟」にあって、兄・慎太郎氏が亡くなられた(令和4年・2022年2月1日、89歳)。弟・裕次郎さんは先に逝く(昭和62年・1987年7月17日、52歳)。

二月一日

 今や寝床は歩んで来たわが人生行路を振り返る、悲喜交々の回り舞台と化しています。おのずから寝床は、安眠を貪る安らぎの場所ではとうにないです。寝床の中では、神社仏閣の境内で走馬灯が回るかのように、いろんなそしてさまざまな過去劇が洪水の如く、わが胸中に現れます。もちろんそれらの多くは、喜劇すなわち楽天劇ではなく、あらためて憂鬱感や悲しさに沈む、文字どおりの悲劇ばかりです。
 高橋弘樹様はじめ親愛なる人たちからたまわった、わが身に余る大お世辞を真に受けて、パソコンを買い替えました。わが身辺の困難時、とりわけ出費多端なおりをも顧みず、なけなしの金をはたきました。すなわち、この先、寝床の中でめぐる過去劇を綴る、手立てにありついています。学童の頃の「綴り方教室」になぞらえれば、文房具すなわち鉛筆と消しゴム、加えて鉛筆削りの代用にしていた小刀『肥後守(ひごのかみ)』が出そろったことになります。鉛筆は折れれば取り換えるか、その先を削れば再び書けます。ところが一方、パソコンは一旦トラブれば万事休すとなり、悔しさと銭失いの気分横溢に見舞われます。
 月替わり、二月一日にあって、寝起きにこんな幼稚な文章を書いてみました。たぶん、脳髄が緩む、春が近いせいでしょう。

夜は長い

 十二月十二日(日曜日)、4:34。目覚めた。生きている。起きた。パソコンを起ち上げた。頬杖をついている。書けない。止めよう。現在の心境である。
 世の中は、年の瀬にある。何も用事はない。だから、焦ることはない。しかし、忙しい気分である。やはり、年の瀬のせいであろう。年の瀬の大掃除は、今や断捨離をまじえた終活である。きのう、ちょっとだけ試みた。ちっとも、いやまったく捗らない。イライラした。止めた。
 自分が先に逝けば、妻に迷惑をかける。これは避けたい。妻へのささやかなほどこし、いや究極の愛情を胸に置く。ところが、わが意思に反し、片づける片っ端から、元のところへ戻る。止めた。断捨離は、妻の生存中は不可能である。結局、わが家の終活は、共に息の根が絶えたときこそ完結である。その間、イライラするのは大損である。まったく妙な、悟りの心境を得た。挙句、年の瀬の大掃除は、未達のままに打ち切った。
 ソファにもたれて、日向ぼっこで、切ない気分を鎮めた。しかし、まだ気分は鎮め切れていない。いや、なおイライラしている。だからこの先、文章が書けない。止めた。「冬至」(十二月二十二日)を十日後にひかえて、夜は長い。

睡眠薬を買えば、済むことだが…

 癖になりそう。いや、すでに悪い癖になっている。もう文章は、書きたくない。こんな文章は、書きたくない。十二月九日(木曜日)、きょうもまた真正の真夜中、すなわち一時近くに一度目覚めて、二度寝にありつけなかった。数えるにはばからしいほどに、何度となく右左、正面、そして、左右へと寝返りを打った。この世にあって、眠ることに苦闘することほど、馬鹿らしいことはない。
 きのうの夜は、身悶えに負けて起き出し、パソコンを起ち上げ、夢遊病者のごとくに指を動かして時間潰しを敢行した。同時に、気分休めを狙った。もとより、文章とは言えない作業に、賭けたのである。一応、功を奏して、再び寝床に就いた。幸いにも、眠りに落ちていた。逆コースのパソコンへのとんぼ返りは免れた。
 ところが、先ほどはきのうとは違って起き出すことなく、眠りにつく方法を探りめぐらしていた。もとより、睡眠薬の服用の体験はまったくない。その理由はこうである。眠ることになんで? 金をかけて薬にすがらなければならないのか。それはすなわち、わがケチ精神で、銭失いを嫌っているにすぎない。
 さて、眠り薬の代わりに探り当てたのは、人生の原点返りだった。それは、なかんずく楽しかったことに、思いをめぐらした。するとやはりそのころは、小学校へ上がる前あたりから、小学生時代にほぼ凝縮し想起された。中学生になると、人生行路の茨道が次々に現れ始めていた。さてさて、浮かぶままに飽きずに、列挙を試みよう。そして、小学一年生のころの「綴り方教室」を真似てみよう。水浴びは楽しかったなぁー。魚取りや魚釣りは、楽しかったなぁー。蝉取りは楽しかったなぁー。ハサンムシ(クワガタ)やカブトムシ捕りは楽しかったなぁー。椎の実拾いは楽しかったなぁー。メジロ落とし(捕り)は楽しかったなぁー。小川のメダカ掬いや、サワガニ捕りは楽しかったなぁー。トンボ掴みやホタル狩りは楽しかったなぁー。レンゲソウの上の寝そべりは楽しかったなぁー。カワセリ、ヨモギ、ノブキ、ノビル摘みは楽しかったなぁー。ギシギシ、スカンポの生齧りは楽しかったなぁー。独楽打ち、カッパ(メンコ)、凧揚げ、みんな、楽しかったなぁー。正月遊びのトランプ、スゴロクは楽しかったなぁー。意識して、怖かったことはやめにした。もっと、眠れなくなるからである。いつの間にか、スヤスヤと二度寝に落ちていた。
 現在、パソコン上のデジタル時刻は。5:06である。目覚めの気分は、きわめて良好である。あすの夜には、こんな馬鹿げた文章は書かずに済む。東京都国分寺市に住む次兄宅へ泊りがけで出かけるためである。ところが、楽しい訪問ではない。あす朝九時から行われる、義姉の葬儀への参列のためである。今夜は納棺式という。あすの早出ではこころもとないゆえ、泊りになりそうである。休筆、必ずしもうれしくはない。次兄宅で眠れず、夜通し悶々とすることを恐れている。