ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
第101回(令和7年)「箱根駅伝」記録
1月4日(土曜日)。目覚めて起き出して来て、寒さでブルブル震えている。きょうは書く気分を殺がれていたけれど、身勝手にもこのことだけを記録として、留めて置くためにパソコンを起ち上げている。現在のデジタル時刻は、4:43と刻まれている。わが毎年の正月三が日の行事は、「箱根駅伝」の往路(2日)・復路(3日)のテレビ観戦である。ことしは、第101回大会だった。もちろん両日、私はテレビの前に放映開始から終了まで陣取った。母校・中央大学の成績は、往路には留飲を下げ、復路には喉や胸につかえた。すなわち、往路2位、復路13位、総合(往復)5位だった。ちなみに、昨年は総合12位である。ことしの優勝は青山学院大学であり、2位は駒澤大学、3位は國學院大學、4位は早稲田大学だった。青山学院大学は、昨年に続いて見事連覇達成である。
年初早々、来年のことを書けば鬼に笑われる。けれど、バカな私は、書かずにおれない。なぜなら、来年は予想される陣容からすれば、母校が優勝しそうである。ところが、これまた予想されることでは、来年の第102大会まではわが存命が危ぶまれることである。だったら、記録に留めることなど、不要なのかもしれない。
いまだ夜の静寂(しじま)にあり、ここで文章を閉じて、寝床へとんぼ返りを決め込んでいる。しかし、二度寝にありつける保証はなく、いやたぶん、復路の成績が悔しくて、悶々を続けるであろう。もう正月は四日目である。現在のデジタル時刻は、起き出しの定時(5時)と決めているところから、7分ほど過ぎている。
ことしの机上カレンダーの使い始め
令和7年(2025年)、1月3日(金曜日)。ボケ老人にあっては、年変わりを間違えないようにしなければならない。だから、机上カレンダーを確かめて、日取りを書いた。覆われていたラップをバリバリ引き裂いて、ことしの机上カレンダーは、いま初めての使用である。
机上カレンダーは、文字どおりわが日暮らしの手近な盟友である。こんなにも有用で大切なものなのに私は、毎年100円ショップで買っている。しかしながらそれはケチのせいではなく、机上のノートパソコンの傍らに置いて、一目瞭然の役割を果たしてくれるからである。実際のところでは、年々忘れゆく日本社会における「歳時(記)や行事」の併記にあずかっている。
きのうは、併記されていた「書き初め」にちなんで一文を書いた。きょう3日には無印だけれど、1月には年初特有に様々な行事が羅列している。きょうは正月三が日の最終日である。元日そしてきのうには、日本社会に大きな災害は無い。私は、三が日が無事に過ぎることを願っている。しかし、気が咎めるのはやはり、「能登半島地震」(昨年の元日に発生)における被災者の遣る瀬無さである。きのうの私は、ひねもす茶の間のソファに背もたれて、「箱根駅伝・往路」のテレビ観戦に興じていた。そしてきょうは、その復路のテレビ観戦に茶の間で陣取る。
かつての私は、母校・中央大学の幟旗を翳して、沿道応援に駆けつけていた。ところが、仲間(年上の相方)が亡くなられた以降は、沿道応援は沙汰止みになっている。ソファに背もたれていた私は、箱根駅伝のテレビ観戦の合間には、窓ガラスを通してこれまた正月風景を愉しんでいた。それは、鎌倉市街に位置する「鶴岡八幡宮」への初詣の人たちの往来風景だった。わが家近くの登り口を上れば、「円海山・山系」に一筋の「天園ハイキングコース」ある。それを市街に向けて下れば、山中道を踏んで「鶴岡八幡宮」への近道を成している。だから、当住宅地の人たちの初詣は、正規の「鎌倉街道」へは向かわず、ハイキングコースの山中道を踏んでいる。私の場合、当てにならない初詣は、まったくの用無しである。だけど、人様の初詣風景には、こころ和むところがる。
きのうの私は、箱根駅伝のテレビ観戦と、人様の初詣風景をソファに背もたれて愉しんでいたのである。前者から生じた楽しみは、母校の思いがけない快走(往路2位)によるものだった。きょうは「箱根駅伝・復路」である。私は欲深く、「柳の下のドジョウ探し」を狙っている。しかし、「柳の下にいつもドジョウはいない」。こんな憂き目に遭いそうである。
ようやく薄く夜が明けた。人様の声が聞こえている。懐中電灯を翳して、「天園はキングコース」踏んで、鶴岡八幡宮へ向かった帰りのひとたちの声なのか。あるいはこれから向かう人たちの声なのか。神様がこの一年、投げ入れる賽銭に見合う、幸運を授けてくださることを願うばかりである。
「書初め」は、躓きと大恥
新しい年(令和7年・2025年)の正月・元日・元旦には、「御来光」を拝めるほどに、すこぶるつきの好天気が訪れた。ところが私は、御来光を拝むためにあえて、わが家近くの山(天園ハイキングコース)へは向かわず、茶の間のソファに背もたれて、ひねもすポカポカ陽気を満喫していた。しかしながら内心は、必ずしも穏やかではなかった。なぜなら、昨年のこの日このときの地震、そして9月の豪雨と相次いだ能登半島地域の災害を浮かべて、心を痛めていたからである。半面、正月気分に酔うことなく、私にもまだ慈愛の心が残っていたことにはうれしかった。
きょうは正月三が日の二日目、古来の日本社会のしきたり(行事)によれば、「書初めの日」である。もとより書初めは、真新しい和紙に向かい、身なりをととのえて精神一到、墨したたる毛筆で厳かに書くものである。ところが、私には書初め気分だけが先走り、本来の書初めを真似てスマホ片手に、寝床の中で文章を書き始めたのである。すると、怠け心と指先不器用が相まって、何度もへまを繰り返し、挙句、文章は途中で消え去った。これに懲りて私は、寝床から抜け出しキーを叩き始めている。なぜ、こんな状態になったかと、一つだけ口実(弁明)を言えば、執筆時間にせっつかれて、目覚めるままに寝床で書き始めたからである。ゆえに現在、内心では(きょうは書かなければよかった)と、悔い心まみれにある。すなわち、きょうの私には「箱根駅伝・往路」のテレビ観戦の予定がある。すると私は、スタート時間の午前8時から、1時間ほどま前の7時あたりから、階下のテレビの前に居座ることとなる。おのずから、執筆時間と重なることとなる。だから私は、それを避けたかったのである。もとより「書初め」は、こんな浮ついた気分で書くものではない。私は真似事をしくじったのである。年初より私は大恥をかいて、そしてそれを晒して悔い心まみれにある。わが今年の門出は、「躓きと大恥」である。母校・中央大学の快走で、鬱のな気分が晴れれば万々歳である。
祝❗ 迎春
新年明けましておめでとうございます。私事では、昨年は高橋弘樹様のエールを賜り締ました。一年を通しては、大沢さまはじめご常連の皆様の好意と支援、かつまた激励により、文章を繋ぐことができました。すべての皆様に対し、御礼と感謝申し上げます。新年の元旦にさいし、皆様のご多幸をお祈りいたします。まことに勝手ながら、新年のご挨拶(状)にかえます。
とうとう、「大晦日(おおみそか)
今さら(84歳)になっても、バカな私である。目覚めて寝床の中で、こんな幼稚・簡易な日常語の意味調べを試みていた。大袈裟好きのわが本性(ほんしょう)の証しと言えそうである。いや、わが掲げる生涯学習とは、寝床を教室や机代わりにして、ざっとこの程度でのものある。スマホ片手に、朔日(さくじつ)と晦日(かいじつ)、一字読みでは「朔」(ついたち)、「晦」(みそか、つごもり)、そして大晦日と元日、なお元日と元旦の違いなど、丹念に復習した。とうとう、ことし(令和6年・2024年)の大晦日(12月31日・火曜日)が訪れている。
冬至過ぎてもきのうまでは感じなかったけれど、きょうは夜明けの早さをちょっぴり感じている。地上の夜明けは風雨まったくなく、見渡す大空はのどかな日本晴れである。それでもやはり気になるのは、空の果ていや見えようのないはるか彼方の地方の雪の降りようである。わが現住する鎌倉地方は、何度か気象予報士の予報で脅(おど)かされたけれど、そのたびに予報は外れて、大晦日まで雪降りなしで、この一年を閉じそうである。わがこの一年を5段階の年間通知表で評価すれば、いくらかオマケして上から2番目の「よい」でいいだろう。
一方、わが家に置き換えれば、これまたオマケしても「ややおとる」と、評価せざるを得ないところである。わがことで言えば身体状況に関して、無病息災とまではいかなかったけれど、いちおう健康体で大晦日を迎えている。「もっともよい」から外れたマイナス点は、文字どおり精神状態のマイナス思考に由る。わが家の場合の減点要素は、妻の身体の衰えぶりに起因する。これを見遣れば、わが精神状態もつれて滅入るところにある。ところが妻は、幸運にも自分のことには気づかず、「パパは、痴呆症よ!」と、言ってのける。すると私は、「はいはい、そうだね」と言って、「おまえは元気だから、いいな。おれは助かるよ」と、いくらか嘘っぱちの元気づけを言い放っている。人生終末を生きる極意は、夫婦共に「我慢と労わり」である。この先を書けば、いつものように無駄にだらだらと長くなる。だからきょうは、意図してここで書き止めである。
9日間にもおよぶ年末年始の休暇にありついてなのか、ご常連の人たちもその有卦(うけ)に入られているのか? 掲示板のカウント数は減り気味でもある。私はどこかへ旅立ちはできないけれど、指止めはできる。ゆえに指を止めて、この先は大晦日に当たりのんびりと、この一年を顧みるつもりにある。道路の掃除はきのう、綺麗に済ましている。
年の瀬、表題のつけようなく「無題」
12月30日(月曜日)。起きて洗面を済まし、パソコンを起ち上げて、キーボードへ向かっている。壁時計の針はわが決めている定時を過ぎて、6時近くを回っている。身体を脅かす寒気は、冬季であれば平常であろう。しかし、寒気に極端に弱いわが身体は、ブルブル震えている。夜明け前にあっても、「冬至」過ぎたのちの夜明けの早さはいまだ見えず、窓ガラスを通して見るが外気は真っ暗闇である。このところの私は、わが家の年の瀬、とりわけ買い出し模様を書き殴り特有に、長い文章で四日ほど綴った。ところが、拙い文章は大沢さまのコメントを賜り、綾を成して色づいた。書き疲れていたわが身には、感謝感激にひたるうれしいプレゼントだった。
さて、年の瀬は窮まりあすは、ことし(令和6年・2024年)を締める、「大晦日」(12月31日)である。ことし一年、ときにはずる休みに勝てず途絶えたけれど、おおむね文章は継続が叶ってきた。文章の不出来など省みず、このことには自分自身を寿(ことほ)いでいる。自惚(うぬぼ)れと、言い換えていいかもしれない。こんな心境を恥や外聞をも厭(いと)わず晒しているのは、文章はこの先(来年)へ繋がりそうにないように思えているからである。この一年のわが心の襞(ひだ)には、「84年(歳)」が絶えずこびりついて、わが生き様を脅かし続けていた。すると来年は、これにさらに輪をかけて必定(ひつじょう)、「85(歳)」に脅かされることとなる。まさしく、文章書きにとどまらず、わが生き様における「恐怖」の訪れにある。
もとより「人の命」は、一寸先は闇の中にある。だからわが命とて、85歳(令和7年・2025年、7月15日)へ、辿り着く保証はまったくない。運よくわが命あっても、文章書きを妨(さまた)げるわが家の事情は数多ある。ところが、これらに打ち勝ち文章書き続ける気力は、私にはまったくない。書くまでもないことを書いているけれど、わがマイナス思考のこの一年の納め文として、書かずにはおれないものである。ゆえに、平に詫びるところである。
韓国では旅客機墜落の事故が起きている。日本にあっては大雪情報や予報が溢れている。人様の多くは9連休にことよせて、いや、いくぶん浮かれて、国内外への旅立ち模様が喧(かまび)しく伝えられている。物見遊山への旅立ちのない私は、ちょっぴり羨むところである。けれど、なにかにつけて「好事魔多し」の世の中である。すると、わが家に居ながらにこんな文章を書いて、新年迎えそうな私は、案外幸福者なのかもしれない。
ようやく明けた夜明けの空に、雪降りや兆しはない。年の瀬、表題のつけようなく「無題」である。
きょうで年の瀬、四重奏の文章
12月29日(日曜日)。ほぼ定時の起き出しにあり、気温は低く寒気をおぼえて、わが体内温度を脅かしている。ことし(令和6年・2024年)の大晦日は明後日(あさって)に迫り、この1年のいや、人生84年の総括を試みたい心境にある。すると、近・現代の世相にあっては稀に見る、わが甲斐性無しのことが浮かんでくる。挙句には内心、みずからを蔑(さげす)み、なさけなく悔い心まみれになる。とうとう私は、わが家には駐車場を作らず、自家用車を持たず、わが生涯を閉じることとなる。バイクは購入し、いくらかは乘ったけれど、それでも事故を恐れて、免許証は早々に返納した。わが精神には生来、集中心が欠けるところがある。加えて、機械や機器の操作には、手先不器用のところがある。卑近なところでは、パソコンやスマホの操作には日々往生(おうじょう)するばかりである。
私は買い物行動のバスを降りて、わが家へ向かう道路では、いつもこんなことを浮かべている。それはわが買い物風景にあっては、隣近所の物笑いになっているだろうという思いである。確かに自分自身、スマホを翳(かざ)し自撮りして、見たくなるような滑稽きわまりない姿である。かつては国防色、今は買い替えて背負う空色の買い物用の大きなリュクは、常にダルマのように膨らんでいる。これだけでは収まらず左手および右手には、道路を擦(こす)りそうになるのを慌てて引き上げる、重たい買い物袋をぶら提げている。内心ではこうも、思っている。共に、歯を損傷し食べどきに不自由をかこつ老夫婦なのに、なぜいつもこんなに、たくさんの買い物あるのだろうと。
現下、買い物現場(それぞれの店)には、物価高が渦巻いている。それでも人は、生きるためには食べなければならない。そして人みな、どうせなら選んで、美味しいものを食べたくなる。これこそ、食べ物探しにまつわる金科玉条とも言える、古来不変の人間固有の心情と言えそうである。もちろんこれを果たすには、のほほんは許されず、金銭の有無という箍(たが)が嵌められる。それゆえに人は、好きな食べ物探しには不断、目の色を変えなお神経を尖らすのである。
きのうの私は予告どおりに単独で、いつもの大船(鎌倉市)の街へ、買い物に出かけた。この日の買い物には普段と比べて、品物選びに迷うことはなかった。妻との約束を叶えるために私は、真っ先に「鈴木水産」へ出向いた。着くやいなや私は、前日妻と共に目をつけていたカニ(束)をすぐに所定の籠に入れた。ところが、きのう買い渋った罪滅ぼしなのか、咄嗟に妻への手土産が浮かんだ。箱に10匹ほど並んでいた刺身用の大きな生エビをも籠に入れて、レジに並んだ。鈴木水産はここで用無しである。
次にはきのう「もう、持てないよ」と言って、きょうへ延ばしていた「西友ストア大船店」へ急いだ。ここで、二日にわたる年の瀬の買い物行動は完結した。買い物帰りの姿は普段の姿になって、私はヨロヨロトボトボと歩いて、ようやくわが家に着いた。ウグイスやカラスの「おまえ、バカだなあ……みっともないよ」の鳴き声は免れた。しかし、隣近所の人の盗み目の物笑いは、あったかもしれない。大船の街は年の瀬特有の買い物風景を晒して、人出の多さでごった返していた。私はその渦中で、生きるためには美味しいものを選んで食べなければならない人間、いや命あるものの業(ごう)の浅ましさを浮かべていた。命を持たない自然界は、外連味(けれんみ)なく、朝日を輝かしている。
年の瀬の約束事
12月28日(土曜日)。「冬至」(21日)が過ぎて、一週間ほど経った夜明け前にある。当たり前だけれどきのうまでは、まだ夜明けの早さは感じないままである。その証しに今は、夜の長さを引き継いで、外気は真っ暗闇である。人工のカレンダーだけは先を急いでめぐり、年の瀬はきょうを含めて4日残しにある。除夜に打つ最寄り、鎌倉・円覚寺の鐘の汚れはすでに清められて、時(大晦日の夜)を待つばかりである。私はこの一年(令和6年・2024年)これまで、心象には「喜怒哀楽」の風景をたずさえて生きてきた。そして、命が大晦日まで絶えずにまっとうできればこの一年を、いやわが人生84年、かつまた数多の日を残し、生きながらえることになる。「めでたし、めでたし」と、両手を叩くほどではないけれど、やはりちっとは喜ぶべきであろう。
さて、喜怒哀楽の心象風景は自分自身の行い、なお煎じ詰めれば文章書きに凝縮している。文章を書き終えれば喜び、ずる休みを続けていると、自分自身を怒った。ネタ無しやネタ切れに遭遇すれば、哀しさで気分は萎(しお)れた。一方楽しさは、掲示板上の出会い、すなわち継続から生じていた。まさしく、文章書きがもたらしたわが心象にこびりつく、この一年の「喜怒哀楽」だった。
翻って日本社会のこの一年は、物価高に苦しむ国民の嘆き模様だった。換言すれば「金欲しさ」の国民の嘆きだった。多くの詐欺や強盗事件、そしてこれらの窮まりには「闇バイト」が世間を騒がし続けた。すると、これらの証しにはまるで金欲しさを逆なででもするかのように、ことしの漢字一字には「金」が選ばれた。
閑話休題。ことしのわが日暮らしにあっては、自分自身にかかわることでは主に二つのこと、すなわち通院(月ごとの薬剤貰い)と、日常の買い出しがあった。一方、わが家の主(あるじ)としての役割には、家庭内における妻への支えがあった。これに加えて、妻の外出時(通院、薬剤もらい、その他はほとんどない)のおりの率先同行があった。ところがきのうだけは、妻の率先行動に私が従った。
きのうの妻の行動は、「パパだけには、任しておれないわ……」と言う、正月支度の買い物だった。妻の言動に素直に従い私は、わが不断の買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。わが決めている買い物コースには、順次4店舗がある。終点一つ手前の「行政センターバス停」で降りると、私はいつもとことこと歩いてこの順路を回る。きのうの二人の行動もその予定だった。
先ずは野菜と果物の安売り量販店「大船市場」。次には、食材としては一方を為す海産物の安売り量販店「鈴木水産」。三つめはこの店の向かいある、馴染みの「肉と惣菜店」へ入る。そして四ツ目、最後の総合仕上げには「西友ストア大船店」へ向かう。ところが、きのうの妻との買い回りにあっては三つ目で持ち切れなくなり、仕方なく西友ストアはきょうへ持ち越になった。妻の買い物目当ての品物は、おおかたきのうで叶えられて、おのずからきょうはわが単独行動になる。
しかしながらこれには、ただ一つ妻との約束事が付き纏っている。それは、鈴木水産におけるいくらか「お金の」出し惜しみから生じている、買い渋りのせいである。このときの二人の会話を再現すればこうである。
「パパ。カニも買いましょうよ。わたし、カニ食べたいわ。一年に一度だから、買って二人だけで、お正月前に食べましょうよ」
「食べたいなら、買えばいいよ。俺も好きだから、買えばいいよ。だけど俺は、俺の好きな高い数の子を買ったばかりだから、カニはどうでもいいよ。だけど、カニも買えばいいよ」
「パパも、カニ好き好きと言ってるじゃないの。買いましょうよ!」
「うん、買うよ。だけど、あんなに嵩張るの、もうきょうは持てないよ。あした、俺が買い行くよ」
「うれしいわ。もう持てないから、西友ストアへ行くのは止めて、帰りましょう」
正月二日には、娘たちが来る予定にある。カニに関する妻の覚悟は、誉めてやりたいほどにたいしたものである。とりわけ、「二人だけで食べましょう」の決意は、見事「あっぱれ」である。
夜明けの空は日本晴れの下、明るく輝いている。きょうの私には、妻との約束事を果たす、単独の買い物行動がある。
年の瀬の憂鬱
12月27日(金曜日)。ほぼ定時に起きている。ぐっすり眠れている。寒気は寝汗を書くほどに緩んでいる。冬季にあって文章を書くには、またない好条件(好都合)である。ところがわが心は、自分自身ままならない状態にある。すなわち、モチベーション(意気)が極度に低落している。きのうは、『年の瀬のつぶやき』と題して長い文章を書いた。そしてきょうは、表題だけが先走り「年の瀬の憂鬱」と題している。しかし内実は、文章の体(てい)をなさない。気分が阻喪し、書けないのである。机上カレンダーのこの日(きょうの行事)には、「官庁御用納め」とある。私の場合は真似て、納めるつもりはないけれど、文章が書けないのである。
年の瀬のつぶやき
12月26日(木曜日)。日本社会は一つの年末行事「クリスマス」を過ぎて、次には年の瀬・究極の「大晦日」(12月31日)へ向かっている。そして明ければ迎春、新たな年「令和7年」(2025年)の始まりにある。なんだか希望の持てるような世のめぐりである。ところが、人生の後がないわが身にあっては然(さ)にあらず、時のめぐりに合わせてモチベーション(意気)は沈むばかりである。
起き立ての私は常々、ふと浮かぶ随想にすがりながら、かつまたなけなしの脳髄にみずから鞭打ち、文章を書いている。こんなことではもとより、気の利いた文章など、書けるはずもない。実際には生来のマイナス思考がたっぷりと顕れて、泣き言まじりの文章を書き続けている。ゆえにわが気分は、おのずから滅入るところにある。
わが人生はすでに84年が過ぎて、年が変われば半年余(7月)には85歳となる。一寸先は闇とはいえ、なんで85年も生き延びるのであろうか?……と、嘆息をおぼえる日は稀ではない。精神は病んで文章書きには手古摺り、日々気を揉むばかりである。しかしながら反面、身体は他人様(ひとさま)並みを超えて、いたって健康だと、自覚(自負)するところにある。こう思うのは日々、伝えられてくる友人・知人、はたまた親類縁者の体調不良を鑑みてのことである。
灯台下暗し、三つ年下の妻の身体の衰えを見るかぎり、とりわけこの思いはつのり、耐え忍ぶばかりである。いややはり、自分のこととて別枠「健康の範疇」には置けない。このところの私は、年寄りの冷や水そして後の祭りさながらに、途絶えていた「語彙」の生涯学習の再始動を試みている。ところが、散々な憂き目に遭遇している。すなわちそれは、脳髄の劣化と退化現象に遭って、そのつど嘆き慌てふためいている。挙句、わが自負する健康体は、なんだ「張子の虎」だなと自嘲し、溜息を吐くところにある。
人間の生存、いやわが生き様は、基は「衣食住」に支えられている。ところが、終末人生にあってはこれらに、医療費が箆棒(べらぼう)に加わっている。もとより、妻と私の身体(生存コスト)は一心同体にある。互いの身体に付随する診療費と薬剤は、家計を脅かすばかりである。妻の場合は細身の身体(約38キロ)に、6種の薬剤を流し込む有様である。おそらく体内では互いに通せんぼをしあいあい、おのずからどれかの効果は減殺(げんさい)をこうむっているであろう。
健康体と嘯(うそぶ)く私でも、二つの薬剤の服用を強いられ、目には緑内障の進化を防ぐ点眼液を落としている。これらのほか、続行こそ免れてはいるけれど、耳には高価(45万円ほど)な補聴器を嵌めている。歯は年明け早々(7日)より、これまでほったらかしにしておいた、前歯の欠損の所に差し歯処置が始まる。さらには、なんだかメガネも替えどきにある。
きょうの寝起きの文章には、生き続けることの「損得」を書いてしまった。わが迷える心象(心証)を癒してくれているのは、夜明けの大空に青く広がる日本晴れのさわやかさである。欲張って、あと一年ぐらいは生きてみたい気もする、年の瀬のつぶやきである。