ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
恐ろしさ、「地震、地震、地震、地震」
「巨人、大鵬、卵焼き」。こちらは、必ずしも不変ではない。「地震、雷、火事、親父」。どちらかと言えばこちらは、不変である。どちらかという条件を付したのは、親父のところが人さまざまに、置き換わるからである。
確かにこのところは、個人感情とは別にも、時々の世相をも反映する。私の場合、親父は恐ろしさの埒外に居た。いや、優しさの筆頭に位置していた。母も、多くの兄や姉たちも、父の位置に並んでいた。これらのことからすれば、「地震、雷、火事、親父」という文句は、幸いなるかな! 実感のない、子どもの頃の語呂合わせの遊び言葉みたいなものだった。
現代の世相に鑑みて、親父のところを置き換えれば、私の場合はさしずめこれに尽きる。それは日々悩み脅かされ続けている、体のいいIT(情報技術)やAI(人工頭脳)などがからむ、「電子社会」の生きにくさと言えそうである。
ところが、永遠に続く時代変遷の中にあって、常に変わらず恐ろしさの筆頭に位置するのは、やはり「地震」である。地震さえなければこの世は、お釈迦様に導かれてあの世に行くまでもない桃源郷、すなわち安楽を貪ることができる「極楽浄土」である。
結局、人の世の住みにくさの根源(本源)を成すのは、わが体験上から推して、ズバリ地震と言えそうである。土地がグラグラ揺れると、わが身体はブルブル震えている。震動と振動、恐ろしさのうえでは同音異義の最たるものである。
余震がありそうな、雨模様の夜明けが訪れている。恐ろしさは、語呂合わせでなく、「地震」一辺倒で、十分である。
絶えず、脅かされる「命」
睡眠中に地震に襲われた。「助けてくれー」、と叫んでも、神仏は助けるはずもない。身を縮めて、揺れの収まりを待った。命の鼓動を確かめてみる。平常に動いている。八十一歳まで生き延びてきたことは、途轍もなく幸運・果報者なのかもしれない。ただ、その実感が乏しいことは残念無念である。やおら身を正して、生存のありがたさをかみしめてみる。「バカは死ななきゃ治らない」。「バカでも、まだ生きていたい!」。地震に見舞われるたびに、「ピンピンコロリ」を願う、不断の心模様は、あっさり遠のいている。たぶん、私のみならず人間は、一様に浅ましさの権化である。
わが身体事情
三月十六日(水曜日)、起き出してきて、パソコンを起ち上げ、しばし机上に頬杖をついている。前面の雨戸開けっ放しの窓ガラスを通して、ほのかに夜明けが訪れている。このところの私は、冬防寒重装備を完全に脱ぎ捨てている。夜具のなかの一つである寝布団は、早や手まわしにすでに、薄手の夏蒲団へ切り替えている。それでも、もはや寒気はまったく感じない。寒気を極端に嫌う私は、まさしく春の訪れに感謝感激である。
書き殴りにかまけて、浮かんでいる世情の変化の一つを記せば、これがある。新型コロナウイルスにかかわるテレビニュースは、すっかり「ロシアのウクライナへの侵攻」ニュースの後塵へと、成り下がっている。確かに、このところのコロナの感染状況は、低下傾向にあると、伝えられている。しかし、ニュースを減らすほどでもない、まだ高止まり状態にある。「NNNのまとめでは15日、全国で4万9171人の感染が確認されました。亡くなった方は全国で188人報告されています。」なんだか国民の気が緩み、第七波へのぶり返しに、私は懸念と老婆心をいだかざるを得ないところがある。
さて、もっと身近なこと、いや最も身近なわが身体の直近事情を書けばこうである。もとより内臓器官の病の有無は、自覚症状がないかぎり、自分自身では知るよしない。このため五官、すなわち眼(視覚)、鼻(嗅覚)、耳(聴覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)に限る、病(支障状況)の自己診断を試みている。これらの中で、舌(味覚)はわが都合で勝手に、歯(味覚)に置き換えた。診療科では歯科(歯医者)である。現在、予約を繰り返し外来患者になり果てているのには、眼科医院と歯科医院がある。鼻は生来の団子鼻くらいで病とは言えず、確かに嗅覚は万全である。皮膚(触覚)は病すれすれ(予備軍)に、いたるところの痒みに悩まされている。しかしながら、市販の痒み止めを塗りつけるくらいで、幸運にも金のかかる通院は免れている。いよいよ、憎たらしい耳(聴覚)の出番である。すなわち現在、私を精神的にも、散財的にも虐め尽くしているのは、難聴を根源とする耳(聴覚)の不具合である。ところが、これまた幸運にも通院は免れている。そのぶん、テレビ通販やアマゾン市場の集音機探しに、手間暇と金をかけてすがっている。高額の補聴器までは買いの手が伸びない、わが甲斐性無しは恨めしいかぎりである。「難聴は、人生を委縮させる」。わが体験上の切ない悟りである。
起き立にあって、なんだか詰まらない文章を書いてしまった。書き殴りの祟りである。恥じ入るとともに、詫びるところである。集音機は、寝るときは外している。このため、文を閉じて、集音機を両耳にかけて、階下へ急ぐこととする。リハビリ中の妻との会話は、互いの愛情に背いて、大声の喧嘩腰となる。わがまま勝手な耳(聴覚)である。いや、かぎりなく愛しい耳である。そのぶん、ままならないところが憎たらしさを増幅している。春はあけぼの、のどかな夜明けが訪れている。
あてずっぽうの「人生考」
いまさら言わずもがなのことだけれど、人生と人命は絶えず、「生・老・病・死」という、四苦に脅かされている。さらにこれらに、「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五陰盛苦」という四つを加えて、「四苦八苦」の苦しみがあるという。これは、お釈迦様のこの世に存在する「衆生」にたいする、儚い教えと言えそうである。言うなればあの世、西方浄土・極楽浄土へ導くための、お釈迦様の自己都合の脅かし(説教)とも言えそうである。いやいや、私はへそ曲がりになってはいけない、確かに真髄をついている教えであろう。
顧みて現在の人間界は、新型コロナウイルスの蔓延、その世情に突然加わった「ロシアのウクライナへの侵攻」、地震をはじめとする天変地異、さらには日々途絶えることのない事件や事故など、あらゆる災難の渦中にある。すなわち、現実の人間界は、「四苦八苦」くらいでは済まされなく、もはやお釈迦様の出る幕などないほどに、「多苦多難」の日常生活にさらされている。人生、すなわち人間の生存期間(生涯)の苦悩は、つまるところ文字や言葉による表現の埒外にあると、言えそうである。
きょう(三月十五日・火曜日)もまた、わが柄でもないことを書いてしまった。混沌状態は、最も身近なところでわが心中にある。人生には、生きる楽しみがあるはずである。だとしたら一生かかってでも、それを探し出すことこそ、案外、人生なのかもしれない。お釈迦様は、「この世、とても楽しいですね!」とは、言ってくれない。なぜなら、言えば、わが身が滅ぶからである。私は中身に蓋をして、継続だけが取り柄の文章を書き続けている。いっこうに楽しみになり切れないのは、わが凡愚のせいであろう。
この世すなわち人生って、のほほんと生きていれば、楽しいのかもしれない。お釈迦様が四苦八苦などと言って、脅すから楽しくないのだ。お釈迦様に比べれば神様は、賽銭だけを欲しがるだけで、人の幸不幸は「御神籤(おみくじ)」まかせである。案外、それでいいのかもしれない。お釈迦様の説教(教えという脅し)は、わが身の堪えて懲り懲りだ! 春の夜明けは、雨模様である。
「文は人なり」、わが文章の評点は「0点」
「文は人を表す」。この成句はわが文章にたいする、証しと戒めである。実際のところは生真面目が勝ちすぎる、いやわが頑固な性格を映して、ユーモアの欠片もない硬い文章である。おのずから自分自身にも、ちっとも面白味がない。このことは飽きるほどわが身に沁みて、絶えず自認を強いられている。そのうえ、他人評価というより、最も身近にいる妻の評価もまた、このことに尽きる。いやそれは、最も手厳しく、なおそれがすぎるところにある。
「パパ。わたし、読まないわよ。パパの文章は硬くて、読みたくないのよ。なんで、もっと易しく書けないの、易しく書きなさいよ!」
「そうだね。おれも、それはわかっているよ。だけど、書かないよ! おまえは、読まなくていいよ」
実際にも妻は、わが文章は一切読まない。いや、読んでほしくない。読めば、わが文章は喧嘩の誘因となる。
確かに、「文は人なり」である。この成句があるかぎりわが文章は、ユーモアや面白味の埒外にある。なぜなら、意識して硬い文章に成り下がるところがある。もちろん、弁解じみていることだけれど、あえて吐露するところである。なぜなら、文章の中にあって私は、漢字の多用と無用とも思える成句を連ねている。するとこれは、もとよりわが生涯教育の祟りと言えそうである。すなわちそれは、語彙(文字と言葉)の忘却防止のせいでもあり、ひいては文章の不出来の因に成り下がっている。
「文章は、平易な言葉でわかり易く書きなさい」。わが耳に、胼胝ができている、文章のイロハである。一方、これこそ、文章にたずさわる者への、愛の戒めを成す金言である。ところがずばり、私はこれに反している。もとより、意識して逆らっているわけではない。いや、わかっていてもそんな文章が書けない、わが無能力の証しである。切なくも私は、人様の目から見れば、「0点」の文章を覚悟して書いている。ようやく耐え得る覚悟は、みずからに課している、生涯学習という砦である。もちろん、自慢や心の慰安にはならない。しかし、いくらかの自己満足にはありつける。
こんなみっともない、かつみすぼらしい文章を書いてしまい、投稿ボタンを押すべきかどうか、迷っている。いやわが文章は、常にさ迷っている。わが味方は、夜明けの「春あけぼの」だけではないはずである。たぶん、継続の力が、いくらか味方になってくれている。無理やり、苦笑せざるを得ない。確かに、書かなければ気分は安逸である。
わが生涯学習の祟りなのか?
三月十三日(日曜日)、このところの体感温度と気温は、すっかり寒気を遠のけている。独りよがりにほくそ笑んでいたらそれもそのはず、間近に「春分の日」(三月二十一日・月曜日、休祭日)が訪れる。つれて、あんなに待ち遠しく思えていた春は、早や仲春へと差しかかる。わが余生をかんがみれば、本格的な春の訪れへの喜悦を超えて、歳月のめぐりの速さ(感)に唖然とするばかりである。
春分の日を含む七日間は、「春彼岸」と言われる。一方、同一線上にある「秋分の日」(九月二十三日、休祭日)を挟む七日間は、「秋彼岸」と呼称される。子ども騙しにもならない、当たり前のことを書いた。輪をかけて、もっと当たり前のことを書けば、双方の彼岸にあっては古来、「暑さ寒さも彼岸まで」という、成句が存在する。生涯学習の復習を兼ねれば、「人口に膾炙している」と、言い換えてみよう。そしてそれは、一年を半年ごとに区切る、季節の屈折点を成している。
確かに、季節のめぐりあるいは季節感は、双方の彼岸を境にして、暑気と寒気を遠のけてゆく。気候のうえでしのぎ易く、ほっと胸を撫で下す、季節の到達点でもある。時あたかも、春彼岸にあっては、北上を続ける桜だよりがチラホラと世の中を潤しはじめる。一方、秋彼岸にあってはズバリ、彼岸花が田園を赤く染めて、しばし人心を潤してくれる。どちらも、とくと人情を高める季節の花々である。
きょうは、いつもより早い時間に起き出してきた。そのため、たっぷりの執筆時間を得て、心の余裕にありつけている。ところがどっこい、文章のネタは、早や手まわしに春分の日にかこつける、体たらくぶりである。いつも同様の書き殴りだから仕方ないけれど、それでも浅ましさすぎると、自憤するなさけなさである。錆びついたわが脳髄の仕打ちが、恨めしくわが身に沁みる。金輪際、もう文章は書かないほうがいいのかもしれない。書けば、わが無能力をさらけ出すこととなる。いまさら、恥を忍ぶこともないけれど、自分自身、ちっとも面白くない。案外、掲げている生涯学習の祟りなのかもしれない。きょうまたわが心は、春の夜明けののどかさに癒されている。これこそ、無償でたまわる極上の天恵である。
わが心身に漂う、閉塞感
「東京大空襲」と「東日本大震災」の映像がテレビニュースに相次いだ。歳月を経てもまったく風化や忘却のしようのない、人間界の愚かさと自然界の脅威がもたらした、リアルタイムに観ているような、限りない惨禍の映像だった。
時日を限った二つの映像とは違って現下のテレビニュースは、三年近くにわたる新型コロナウイルスの感染状況と、突如のロシアの「ウクライナ侵攻」にまつわる映像に明け暮れている。昨年の夏、七月二十四日からは「夏季・東京オリンピック」、そして八月には「夏季・東京パラリンピック」が後追いした。こののち今年に入り、「冬季・北京オリンピック」(二月四日)が幕を開け、それを終えて現在は、「冬季・北京パラリンピック」の閉幕間近にある。
昨年の夏からこの春先まで、日本の国のみならず世界は、大きな悲喜交々の事情の中で推移してきた。いや、実際のところ最も楽しかるべき四つのオリンピックは、二つの変事により余儀なく埋没の憂き目に遭遇した感さえある。いくらか他人事にさえ思えるこんなことは、どうでもいいのかもしれない。
わが身に照らせばこの間の私は、ふるさとの長兄、そして次兄の妻(東京都国分寺市内に住む・義姉)を亡くした。加えて、昨年末から今年の一月下旬にかけては、妻の入院にも見舞われた。これらのせいで気分がまったく乗らず、閉塞感まみれにあった私は、おのずから文章を書く気力を長く失くしていた。もちろん、今なおわが心身は閉塞感まみれである。閉塞感まみれで書く文章は、おのずからまったく味気ない。だから、このところの私は、のどかな朝ぼらけにすがっている。それは文章の出来を望むためものではなく、漂う閉塞感を蹴散らし、陰鬱気分の癒しにありつきたいためである。
「東日本大震災」十一周年明けのきょう(三月十二日・土曜日)は、振出しに戻り自然賛歌を謳っている。確かに、春はあけぼの! 確かに私は、この恩に着っている。
「東日本大震災」11周年、わが感慨
このところの私は自然界讃歌を謳い、その様子を文章で綴り続けている。しかしながらこの思いは、必ずしも手放しで称賛しているものではない。いやこの思いには、常に大きな恐怖と陰鬱が付き纏っている。正直なところわが自然界讃歌は、人間界の冷酷と浅ましさとの比較において二者択一のうえで、自然界に軍配を上げているにすぎない。なぜなら、自然界讃歌とてそれには、一切抗えない固有の恐怖が付き纏っている。そしてその恐怖は、こんにちまでのわが人生行路においては、まるで間欠泉の如くいや間髪を容れずに体験させられ、そのたびに震えあがり、度肝を抜かれてきたのである。
さて、令和4年・2022年3月11日(金曜日)、すなわちきょうだけは、私は自然界讃歌を心して慎まなければ、人類から恨みを買って、つま弾きを食らうであろう。もちろん、数々の罰にも当たりそうである。人の命が絶たれると、年月の回りを経て、御霊を偲ぶ「回忌」が訪れる。きのう(三月十日・木曜日)のテレビニュースには、「東京大空襲」(昭和20年・1945年3月10日)の周年行事の模様や、当時の数々の映像が惨事を蘇らせていた。続いてきょうは、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日)の周年行事模様のテレビ映像に明け暮れる。もちろんこちらは、風化どころか今なお現在進行形の悲しみの渦中にある。戦禍とは違って震災は、時計の針が止まった時刻を「午後2時46分」と、正確に刻んでいる。凡庸なわが脳髄に刻まれている発生時刻と忘れようない数々の記憶は、まさしく震災の惨たらしさの証しである。人間の命の絶え時の回りに合わせて、きょうを「東日本大震災」の祥月命日と呼ぶことには、いまなお現在進行形であるかぎり、不遜なところがある。それゆえにきょうだけは、自然界讃歌を慎むことを肝に銘じている。
春はあけぼの、朝日がのどかにふりそそぐ夜明けが訪れている。それでも、自然界讃歌を慎まざるを得ないのは、ほとほと悲しく、とことんわが身に堪えている。きょうの私はいつもとは違って、太身がいっとき細るような、つらい書き殴りに出遭っている。
寝起きの述懐
もとより文章は、私には手に負えない難物であり、もちろんその作業は、とことん難儀である。それなのに私は、寝起きにあっての脳髄の駆動未だしの中で、なおさらには朝御飯支度前の限られた短い時間にあって、せっつかれた気分で書いている。おのずから殴り書きと走り書きという、悪文の見本を成す体たらくの状態で書いている。
「ひぐらしの記」を書き始める前の私は、昼日中にあっていくらかのネタをめぐらし、たっぷりとある時間の中で書いていた。だからと言って、文章の出来不出来にはそう変わらないところはある。そうではあっても現在の私は、当時の遣り方に戻りたい心境にある。ところが今やそれは、夢まぼろしである。いや、どうしゃちほこだっても、一向に叶わぬが空念仏へなり下がっている。こんな短い文章さえにも、苦心惨憺を強いられている。結局、弁解の余地ない、わが無能力の証しである。
寝起きにあってきょう(三月十日・木曜日)もまた、とっくに夜が明けている。またもや、階下へ向かって、二段跳びいや三段跳びの訓練が強いられる。足を滑らしては、元も子もない。挙句には痛々しい妻に代わられて、私自身が介助をされる憂き目を見そうである。
春はあけぼの、春はおぼろ、春は朝ぼらけ、窓ガラスを通して、春霞がのどかにたゆたっている。
平和
夜明けの後に起き出してきた。すると、朝御飯の支度のために、文章を書く平常心と時間を失くしている。おのずからあわてんぼうとなり、二段飛びで階下へ下りる。わが体たらくぶりが身に沁みる。
自然界は、のどかな朝ぼらけを燦燦とそそいでいる。自分の失態などなど何のその! 「平和」のありがたさをかみしめている。地球には平和を渇望しても叶えられない多くの人間が住んでいる。たった数人の無法者のせいで! たぶん、平和のありがたさを知らない無礼者であろう。そうであれば、声なき声で、平和の尊さとありがたさを伝えなければならない。寝坊助を悔やんで、メソメソなどしてはおれない。わが身を潤す確かな「平和」が、わが身に沁みる。