ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

わが気分を癒す、大空

 十二月一日(水曜日)、とうとう今年(令和三年)の最終月が訪れた。今年もまた、つらい一年だった。いや、とりわけ、つらい一年だった。しかしながらつらさは、今年かぎりで打ち止めとはならない。それどころかこの先、生きているかぎり毎年、いや増してゆくのは必然である。今年のつらさには早くも、「とりわけ」と、表現した。すると、年々、度を増してゆくつらさの表現には、どんなものがあるだろうか。語彙の学びを生涯学習に掲げる私にとっても、もはや表現のしようはない! と、うろたえている。
 今年に輪をかけて、いまだつらい余生が残っている。余生とは、オマケの人生である。子どもではないから、当時の愛読誌『少年倶楽部(クラブ)』の付録(オマケ)を待ち望んでいたときのような、ときめきの気分にはなれない。いやいや、人生のオマケは、ちっともありがたくなく、至極(しごく)こりごりである。
 冒頭にあっては、こんな切ない文章を書くつもりはなかった。双六(スゴロク)に倣(なら)って、ふりだしにもどろう。私は山河・自然の風景のおりなす眺望がことのほか好きである。言うなれば、金のかからない無償の眺めである。もちろん、そのたびに金が入り用であればケチな私は、もとより好きにはなれないであろう。万事が金の世の中にあって無償の恩恵は、自然界のおりなす風景と眺望であろう。
 わが家の立地は、鎌倉・藤沢・横浜の尾根をなす「円海山」山系の中にある。このため現在は、日々道路上の落ち葉の清掃に難事をきわめている。一年じゅうにあっては、集中豪雨や台風のたびに山崩れや、土砂崩れに怯えている。それでも山が好きだから、なけなしの金をはたいて、とびっきり山際の区画を選んだ。建前では後悔はしたくないけれど、本音では後悔に陥り、歯ぎしりするところがある。
 川は近くにはなく、せせらぎに出遭うにも、二十分ほど歩かなければならない。海は速足で四十分近く歩けば、「鎌倉の海」の眺望にありつける。それでも、歩くのが面倒でほとんど出向かない。確かに、路傍の草むらの眺めも好きではある。しかし、私が最も好む自然界風景は、天上の大空の眺めである。無償はもとより、これほど手近な眺めはほかにない。歩きながらも、ときには立ち止まり、やや首を上向ければ、視界一面は大空である。確かに、大空は静態である。ところが、雲を抱いたり、日光の加減で、さまざまに彩りや綾をなしている。そして、その態様は無限である。大空の眺めこそ、害を及ぼさない無償の自然界の恩恵と、言えそうである。もちろん、ただならぬ入道雲や稲光は、大空のしわざではなく、大空は常に泰然としている。山紫水明、自然界の風景にあっては、私は大空の眺望にとびっきり気分を癒されている。
 夜明けの空は、まだ見えない。夜が明けても、たぶん雨を降らす大空である。なぜなら、窓ガラスには雨粒が垂れている。それでも、大空に恨みつらみはない。いや、年の瀬のせく気分休めには、私は大空の眺望に託している。幸いなるかな! 大空は、尽き消えることはない。

残念無念、「きょうの出来事」

 加害者無き被害者の現われは、まさしく天災同様である。新型コロナウイルスはようやく収束に向かいつつあり、このところは気分の落ち着きに恵まれていた。ところが好事魔多し、再びこれにまつわる新たなニュースが伝えられた。「泣き面に蜂」の痛みなどはるかに超えて、またもや人類には大きな痛みとなりそうである。つれてわが命は、コロナウイルスの恐怖の中で尽きそうである。このことは、きわめて残念無念である。せめて、穏やかな世にあって、命を沈めたいものである。決して欲張りではないはずだけれど、叶えられそうにない。コロナウイルスの新たな惨(むご)たらしい仕打ちである。
 【速報】政府 全世界から外国人の“入国停止”を発表(11/29、月曜日、13:16配信 TBS系・JNN)。新型コロナの新たな変異ウイルス「オミクロン株」の世界的な拡大を受け、岸田総理は全ての国を対象に、当面の間、新規入国を原則停止すると表明しました。入国制限が緩和されたはずの留学生が来日できない状況に・・・一体なぜ? 岸田文雄首相:「緊急避難的な予防措置として、まずは外国人の入国については、11月30日午前0時より、全世界を対象に禁止をいたします」オミクロン株の拡大を受け、岸田総理は、水際対策を強化し、今88日から例外的に認めてきたビジネス目的の短期滞在者や留学生、技能実習生を含め全ての国を対象に入国を原則停止すると表明しました。これらの措置は30日から当面1ヶ月間実施。またオミクロン株が確認された国から帰国する日本人に対しても、指定された施設での隔離を義務づけるということです。さらに岸田総理は水際強化の対象国の1つであるナミビアから入国した1人について新型コロナ“陽性”の疑いがあることを明らかにしました。厚生労働省によりますと、感染が確認されたのは30代の男性で、重篤ではないとのことです。ただ、“オミクロン株に感染したかどうか”はわかっておらず、解析には「4,5日かかる」ということです。入国上限3500人に引き下げまた政府は、1日あたりの入国者数の上限について、今月26日から引き上げた1日5000人の措置を停止し、12月1日より1日3500人目途に引き下げることも発表しています。

殴り書きは、もはや宿病

 十一月二十九日(月曜日)、寝床から抜け出してきた。とっくに夜が明けている。こんな状態では時間に急かされて、文章は書けない。だから、文章とは言えない殴り書きと走り書きの共存で、でたらめに指先を動かしている。
 確かに、このところの私は、寒気に怯えて起き出しを渋っている。そのせいなのか、単なる時間潰しなのか。目覚めて、寝床の中でことば遊びをめぐらしている。わが当てずっぽうの考察ゆえに、もちろん世の中に通じる普遍的なものではない。枕元には常に、電子辞書とスマホを置いている。ときには、正解にすがるためである。かつては電子辞書のみだったけれど、このころはスマホがお供をしている。だからと言って私は、スマホに寝起きのブザーを託しているのではない。スマホは思いのほか、わが生涯学習すなわち、語彙の復習や新たな習得に役立つからである。スマホは、とりわけカタカナ語や現代語(はやりのことば)の学びには、電子辞書をはるかに超えて便益をもたらしている。これらのことでは今や電子辞書は、スマホの後塵に拝している。挙句、私は情報端末機からだけでも、時代の変遷を十分に知ることとなっている。同時に私は、情報端末機を使いこなしたら、どんなにか愉しみが増えるだろうとも思う。無能に加えてわが生来の手先不器用は、ほとほと恨めしいところである。
 さて、先ほどの寝床の中で私は、熟語「生活」をめぐらしていた。そして、この言葉の成り立ちに、「生きて、活動する」と、当てた。わが活動は、二十年ほど前で止まっている。それ以降は、おのずから「生きる屍(しかばね)」状態にある。それゆえに今さらながら、このことばが浮かんだのであろう。もちろん、こんな幼稚なことばを浮かべるようでは、語彙の復習や新たな習得にもなり得ない。結局、私は寝床の中でさえ精神錯乱状態に陥り、挙句、安眠を遮(さえぎ)られて無駄に時の流れの中に身を置く屍状態にある。
 約十分間の嘆かわしい殴り書きである。同時に、読むに耐えない文章を強要し、かたじけなく思う夜明けである。わがぐうたらを嘲(あざけ)り,嗤(わら)うかのように、朝日輝くのどかな夜明け訪れている。

寒い朝

 十一月二十八日(日曜日)、寒い夜明けが訪れています。起き立ての気分は萎えて、文章が書けません。この先は、継続の途絶えのこんな日ばかりになりそうです。いまだ寒気は序の口であるのになさけなく、わが身を恥じて、嘆いています。寝起きの私は、気分高揚のため、北風に舞うカラカラの落ち葉との戦いに、わがありったけの闘志を駆り立ててみます。高橋弘樹様には「元気の素」の応援メッセージ(大・大・大エール)をたまわり、感謝にたえません。謹んでお礼を申し上げます。

連ちゃん! 書き殴りの妙

 十一月二十七日(土曜日)、このところはずっとだけれど、パソコンを起ち上げても長く頬杖をついている。明らかに、危険な兆候の一つである。きのうは買い物のついでに、大船(鎌倉市)の街に存在する「行政センター(市役所分室)」へ入館した。十数年ぶりとも思えるほどに、間隔が空いていた。入館の目的は、わが生活や市政にかかわるものではなかった。ここの二階には、図書館が併設されている。この日の目的は、図書館へ上がることだった。あまりの久しぶりであったためか図書館は、勝手知っているにもかかわらず異様な光景に思えた。逆に、スタッフから見ればわが姿は、かぎりなく神経を尖らすほどに、異様に思えたであろう。見知らぬ老人が大きなリュックを背負い、覆面みたいにマスクを着けている。わずかに覗くところは、皺だらけである。そのうえ、書棚近くをあちらこちらへうろついている。確かに私は、読むあてどなくうろついていた。スタッフが盗難などに、身構えるのは当然である。わが心中は、(驚かして済まないなあ……)、という思いにとりつかれていた。それゆえ、驚かしたことにたいし、(詫びたい気持ち)が充満していた。その証しには意識して足音に気をくばり、静かに書棚周りを一巡した。挙句、雑誌や新聞コーナーにさえにも足を止めず、早々に退館した。読書欲がまったくわかなかったせいである。もとより、冷やかしにもならない体たらくぶりだった。確かに、私には子どものころよりこんにちに至るまで、読書欲や読書歴はまったくない。きのうの私は、この悪癖を今さらながらにあらためて、確認しただけだったのである。
 館内を出ると、暖かい陽射しがふりそそいでいた。私は気分をととのえて、普段の買い物コースをめぐった。たちまち、後ろめたい気分は正常へ戻った。もはや私は、買い物で気分をほぐすだけの「生きもの」になり変わっているのだ! と、自覚した。
 このところの私は、三度の食事と間断なく間食をむさぼる以外、何もかもが面倒くさくなっている。本音を言えば、生きること自体がとてつもなく面倒くさくなっている。しかしこのことは、妻の前では禁句である。なぜなら、体を傷めている妻は、ありったけの思いでわが年金にすがっている。その証しには、「パパ。これは体にとてもいいのよ!」と言っては、わが長生きのためのレシピの推奨に大わらわである。「旨くもないないものが、体にいいはずはないと、私にはわかっちゃいる」。しかし、わが唯一の手っ取り早い妻へのいたわりとすれば、無下にはできない。
 面倒くささは、断捨離をともなう終活である。とりわけその筆頭は、もはや短くかぎりあるとはいえ、まだ残る命の営みである。用意周到に構えては、こんなケチくさい文章はまったく書けない。恥も外聞もいとわない、書き殴りの妙と言えそうである。確かに、書き殴りには想定外の本音がちらついている。殴り書きに加えて走り書きのため夜明けの朝日は、いまだにまったくの暗闇の中にうずくまっている。

書き殴り、「わが日常生活」

 危ない兆候はいくらでもある。半面、年年歳歳、安寧な気分や楽しみは薄らいでゆく。老体をかんがみれば、仕方のないことである。しかし、現在のところは幸いにも、わが身体には大きな病はとりついていない。実際のところで薬剤にすがっているのは、緑内障の進行防止ための一日一滴の目薬くらいである。緑内障とて、みずから申告して治療開始になったものである。すなわち、主治医が「これは大変だ!」と言われて、点眼が開始されたものではない。言わずもがなの「藪蛇」とも言えるものでもあり、私には悔いるところがある。進行も遅くこの先の余生からすれば、もう通院打ち切りでもいいはずくらいのものである。ところが快癒の宣告はいまだなく、おそらく点眼は、今わのときまで続きそうである。点眼くらいはいいけれど、目薬をもらうには半年ごとの通院が強いられる。これが厄介であり、そろそろ通院拒否の決断を胸中に浮かべている。 
 一方、これまたエンドレスを覚悟していた歯医者通いは、現在は通院の中断にありついている。このことは、まさしく僥倖である。高血圧の薬剤には用無しにありついている。現在、予約表が財布の中に張り付いているものには、「大船中央病院」(鎌倉市)における、12月6日の胃部内視鏡検査である。これとて自覚症状はなく、定期的にめぐってくる、いわば「念のため」くらいのものである。
 このほか十二月になると、「大船田園眼科医院」における、三か月先の予約を入れなければならない。ここには九月に通院したけれど、半年ごとの予約はできないシステムのため、三か月ごとに予約を入れているからである。
 難聴は耳鼻咽喉科にかかるまでもなく、テレビ通販による安っぽい集音機で我慢している。高価な補聴器を購入し、銭失いを恐れるためである。風邪症状は、市販の風邪薬に頼り切っている。老体にあってこれくらいで済んでいるのは、自己診断ではきわめて「健康体」と、決め込んでいる。
 身体が健康体であれば、愚痴ることはないはずである。それでもしょっちゅう愚痴るのは、私の場合、精神が宿病にとりつかれているのであろう。確かにこちらは不治の病であり、もはや施療や治療の埒外にある。しかしながら、気に病むほどのものでもない。いや、気を揉んでもどうなるものでもない。それこそ生来の錆、人間性を問われる愚痴の塊にすぎない。つまるところ日常生活において、安寧気分や楽しさが薄れているのは、自分自身の精神状態に起因している。
 一つだけこれ以外のことを浮かべれば、老境に入り人様との交流が細りゆくゆえと言えそうである。ずばり、生存の充実感は、人様との会話の愉しみに尽きるのである。一方通行の診断結果を怯えて聞くだけでは、もとより会話にはなり得ない。このところの私は、茶の間のソファにもたれて、日向ぼっこに勤しんでいる。ばかじゃなかろか! 勤しんでいると表現するのは誤りであり、虚しく明け暮れていると言うのが適当である。このお伴は、好物の柿と蜜柑のやけ食いである。
 「わが日常」、もちろんこんなことを書くためにパソコンを起ち上げたわけではない。もとより、きのうのズル休みの罪滅ぼしにはならず、とんでもない悪あがきである。十一月二十六日(金曜日)、のどかな夜明けが訪れている。

暮らし

 人は、目覚めると起き出してくる。朝の訪れである。人は、眠くなると床に就く。夜の訪れである。この間の昼間にあっては、人はそれぞれにさまざまな生存の営みに着く。日常生活、すなわちこれ「日暮らし」と言う。日暮らしの連なりは、「暮らし」である。ことばを換えれば、「人生」である。ことばで凝縮すれば人生とは、ざっとこんなところである。ところが、まっとうするには難行苦行や艱難辛苦がつきまとう。私は、こんなことを寝床の中でめぐらしていた。もとより、安眠できるはずはない。仕方なく、夜明け前に起き出している。つれない、わが日常の始動である。心中のさ迷いとは裏腹に、(なんだかなあ……)、目が冴えている。人生晩年における、わが暮らし(ぶり)である。まったく、様にならない。表題のつけようはないけれど、「暮らし」にしよう。

「勤労感謝の日」

 才能ある者はその上に努力を重ねる。無能な者はその上に怠惰を重ねる。私は根っからの後者である。コンプレックスと自虐精神に苛まれて文章が書けない。実際のところは、書く意欲の喪失に見舞われている。わが精神状態を虐めるかのように、長い夜は加速している。時刻(5:52)では夜明けのころだが、未だ真夜中のたたずまいである。久しぶりにぐっすり眠れて、寝起きの気分は悪くない。「勤労感謝の日」(十一月二十三日)。それでも、パソコンを起ち上げて、すでに長い時間、頬杖をついている。現在の私は、夢遊病者状態にある。文章を書くのは、(もう打ち止めでいいかな……)と、思う。勤労感謝の日にあっては、やけに生前の父の働く姿が彷彿する。きょうは、懐かしく父の姿を偲んで、十分佳き日としよう。

元横綱・白鵬、親方と解説者デビュー

 現在、開催中の大相撲九州場所(福岡国際センター)は、きのう(十一月二十一日・日曜日)、折り返し点の中日(なかび)を迎えた。中日を終えて無傷の八連勝で勝ち越しを決めたのは、番付どおりに横綱照ノ富士と、大関のひとりである貴景勝の二人だけとなった。千秋楽に向けての優勝争いは、たぶんこの二人だけになりそうである。私は横綱や大関陣がバタバタと倒れる、すなわち荒れる土俵はまったく好まない。それは、番付どおりに強い横綱や大関であってほしいと、願っているからである。
 こんな思いをたずさえて私は、毎場所テレビ観戦を続けている。もとより、私はプロ野球を凌ぐほどの大相撲ファンと、自認している。わが願う強い横綱としては白鵬が応えて、これまで四十五回の優勝を重ねて、偉業を遂げてきた。だから白鵬は、わが好む横綱だった。ところが白鵬は、先場所すなわち秋場所(九月場所)の全勝優勝を打ち止めにして、土俵に別れを告げた。すなわち、白鵬の土俵姿は先場所かぎりで、わが目から消えた。私には寂しさつのる、白鵬の引退宣言だった。
 引退後の白鵬は、間垣親方と名を変えて、親方修業の一歩を踏み出した。実際のところは今場所に初めて親方の姿をさらけ出し、大相撲協会の一員となり役割を務め始めた。テレビカメラに映る元横綱・白鵬の間垣親方の姿は、力士の入退場口に辺りに陣取る場内整備係りだった。もちろん、白鵬にかぎらず、横綱であっても、だれでも一様に通る協会のしきたりだという。そのため、文句は言えないけれど、(なんだかなあ……)と、一抹の寂しさを思えるところはある。しかしながら、白鵬から名を変えた間垣親方自身には、覚悟の引退だったようで、映像で観たかぎりは、悔しさは見えなかった。だから私は、安堵というよりほのぼの感につつまれた。もちろんそれは、テレビカメラに映るマスクを着けた顔面と、声から感じたわが印象だった。
 きのうの私は、とりわけテレビ観戦に釘付けとなっていた。それは間垣親方となった、元横綱・白鵬の大相撲のテレビ解説デビューの日だったためである。そのデビューは、無難というより名解説に終始した。そして、私にかぎらず放映後の世論(大相撲ファン)の評価にもまた、万雷の好評を博していた。白鵬には異国・モンゴル出身に加えて、取り口にやや荒々しさがあると言っては、偉業を押しのけてブーイング(悪評)がつきまとっていた。それゆえに私は、解説デビューの好評に安堵した。稀代の大(名)横綱が引退後にあってまで、バッシングやブーイングの荒らしまみれであっては、大相撲テレビ観戦はまったくの興ざめである。これを逃れてきのうの私は、胸のすく一日だった。
 日本列島のきょうの天候は、大荒れの予報であった。予報に違わず夜明けは大雨である。しかし、間垣親方の解説デビューが好感度で迎えられ、わが気分は悪くない。

嗚呼、無題

 十一月二十一日(日曜日)、現在のデジタル時刻は、日を替えたばかりの「0:32」と刻まれている。これから床に就くのではなく、いや目覚めて二度寝を妨げられて、しかたなく床から抜け出して来たのである。わが人生を一つだけの成句を用いて表現すれば、最もふさわしいのはこれに尽きる。すなわちそれは、「後悔は先に立たず」である。すでに過ぎたことにくよくよして、かぎられた余生の命を憂いで覆うのは、確かに愚の骨頂とは知り過ぎている。それでも、この憂いを払いのけることができないのは、つくづくわが小器ゆえである。
 小器をかんがみれば、身のほど知らずの欲得と言えるのかもしれない。なぜなら、九十九折(つづらおり)のごとく曲り曲がってでも、八十一年の人生行路を歩み続けてきたのである。確かに、身のほどをかんがみれば「これで良し」と思わなければ、この先、罰が当たりそうである。しかしながらそう思いきれないのが、わが憂いの根源である。起き立てにあって、こんな馬鹿げたことを書いている。主治医いや精神科医に相談すれば、危険な精神状態の兆候(シグナル)と、診断されそうである。
 文章は心象風景で書くものであるから、気分が良ければ意のままにスラスラと書けるところがある。しかし私の場合、そんな状態にはめったにめぐりあえない。挙句、悶々とする精神状態で、なお仕方なく書いている。だから、書き終えれば駄文である。書くまでもないことを書いて打ち切り、床に返り再び二度寝への挑戦を試みる。私自身には、気狂いの自覚症状はない。ところが、傍(はた)から見ればそれこそ、危ない兆候に見えるかもしれない。やはり、「くわばら、くわばら」である。現在、デジタル時刻は「0:52」である。再び、二度寝を妨げられれば、長い夜をどう過ぎようか。悩み尽きない、晩節を汚(けが)したわが人生である。