ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
恥ずかしや、無題
きのう(二月十二日・土曜日)は、住宅地内に新たに開業されている歯科医院に初めて出向いた。しかし、これまでのかかりつけの医院から、鞍替えとなるかの決断は先延ばしにある。とりあえず、近いゆえの利便を優先したのである。歯の痛みは市販の鎮痛剤でかなり和らいだ後の初診だった。そのため、肝心要の痛みの根源の決め手がわからず、ちぐはぐな会話となり、私は診察をてこずらせてしまった。とても申し訳ない気分のつのる思いに打ちひしがれて、帰宅した。こんなことでは次の予約の申し込みは、先生自身から拒否されるかもしれない。わが不徳ゆえにそののち現在まで、私は憂鬱気分に苛まれている。
昨晩は、痛み止めの服用は止めて就寝した。それでも、痛みはぶり返すことなく、いやかなり和らいでいる。その証しには二度寝にありついて、オマケには夜明けさえをも知らずに寝過ごしてしまった。おのずから、休むつもりでいたけれど、朝御飯の支度を中途にして、階段二段飛びで二階に上がった。そして、パソコンを起ち上げて、こんな文章を書いている。
結局、恥をさらしただけである。そのため、文章を結んで、妻の待つ朝御飯の支度に駆け降りることとする。表題のつけようはない。
色褪せた「結婚記念日」
歯の激痛に見舞われて耐えきれず、きのうの文章は頓挫した。まさしく、七転八倒の痛さに取りつかれて、男涙が瞼を濡らし続けていた。きのうは「建国記念日」(二月十一日・金曜日)であり、掛かりつけの「大船の街」の歯医者をはじめ、最寄りの行きつけの開業医院も休診だった。このため仕方なく、妻が貰っていた痛み止めの在庫を手あたりしだい漁り、ようやくいくつか服用した。しかし、大した効果は顕れず、なお悪戦苦闘を強いられていた。最寄りの薬局へ出向いて、新たに市販の鎮痛剤を購入した。箱には「頭痛、生理痛」の表示が記されていた。ズバリ、「歯痛」ではないけれど、効き目さえあればなんでもいい。溺れて藁をも掴む思いで、その薬剤にすがった。ところが、敵面に効果が顕れて、萎えて気分がいくらか収まった。感謝ひとしお、所定の行動にありつけた。
巡り来た路線バスに乗って、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。パック入りの特上の握り寿司を二折りだけ買って、早々に帰りのバスに乗り、わが家へ着いた。痛み止めは、もちろん対処療法にすぎない。効き目が失せないうちに私は、寿司を平らげた。妻は「パパ、もっとゆっくり食べなさいよ!」。憤懣やるかたない様子、いや憮然とした命令口調である。
建国記念日は、わが夫婦の結婚記念日である。私はそうでもないけれど、並寿司であろうと寿司は、妻の好物の最上位に位置している。わがささやかな妻への配慮は、色褪せた。だからと言って、妻を詰りはできない。買い物に同行できない妻の虚しさは、十分わが身にも沁みている。痛み止めの効き目のあるうちに、走りに走って、一文を書いた。雪化粧を落とした夜明けがのどかに訪れている。現在の歯の痛みは、ズキズキくらいである。
二月十日、降雪予報
夜明け前の暗闇にあって、起き出して来るや否や、窓ガラスに掛かる布とレースの二重ねのカーテンを開いた。おおっ、手の甲に雨粒が当たった。すばやく、手を引っ込めた。一基の外灯が照らす、道路に目を凝らした。まだ、雪は降っていない。寒気を表す体感温度も、格別下がってはいない。
きょう(二月十日・木曜日)は、今週初めあたりから出ている降雪予報にある。降雪予報は、ライフラインをはじめ数々の警戒警報を伴っている。わが身に限ればさしずめ、玄関、門扉、その周辺の道路の雪かきや外出時における、転倒への警戒警報と心している。
第六波の新型コロナウイルスの感染恐怖のさ中にあって、このところの私は、意識して外出行動を控えている。ところが、降雪予報と日を一にしてきょうには、余儀ない外出予定がある。それは、三回目のワクチン接種日である。もちろんこちらは、降雪予報より一月ほども早く、行政(鎌倉市)から手際よく伝えられている。すなわち、日時、場所(会場)、さまざまな手引書および注意事項、加えて往復の無料タクシー券の同封など一切である。これらのことできょうに限り、一番ありがたく思えるのは、肝心要の接種を差し置いて、タクシー券と言えそうである。本末転倒に思えて、恐縮しきりだけれど、あいにく降雪予報が重なっては、身に沁みて行政の粋な計らいに感謝しきりである。
せっかくの粋な計らいにあって、乗り降りのときに転げてはみもふたもない。わが指定時間は、午前十一時である。雪の降り出しの時は、自然界のことゆえに知るよしない。だから、ちょっとだけ気になるのは、降雪が指定時間より早ければ、タクシーを呼んで時間どおりに来るかどうかである。ただ、幸いなるかな! 降雪や積雪予報は人為とは異なり、ときには大外れになる場合がある。夜明けの空は雨模様で、いまだ雪模様には見えない。雪はいつ(何時頃)、降り出すのか、昼過ぎなのか、夕方なのか、降ってもみぞれ程度なのか、それとも降らないのか。あす(建国記念日)へ、先延ばしか。氷雨とは言えない雨模様のせいで、ちょっぴり寒気が緩んでいるのは、余儀ない外出には勿怪の幸いである。
ままならない、睡眠生活
きのうは二度寝にありつけて、逆に寝すぎて慌てふためいて、きょう(二月九日・水曜日)へ繋げるだけの文章を書いた。ところがきょうは二度寝にありつけず、長いあいだ悶々として、寝床で夜明けの訪れを待っていた。それでも待ちきれずに、ヨタヨタと起き出してきた。前者は慌てることにはなったけれど眠れて、まだ幸運だった。ところが後者は、不快すなわち不運ばかりである。それなのに後者は、常態化しながらいっそう深みに嵌りつつある。こんなままならないわが睡眠生活は、もちろん精神にも身体にも良いはずはない。一言で言えば、とことん恨めしいかぎりである。あえて強がりの一つを言えば、二度寝に落ちずに起き出してくれば、執筆の時間だけにはたっぷりと恵まれる。ところが、それに反して精神状態は尋常ならず、文章いや代物さえも書けない。なぜなら文章は、心象風景の表現にすぎない。心象風景は、その時々の精神状態の良し悪しに左右される。おのずから、文章の出来不出来の源となる。つまり、現在のわが精神状態では、文章自体が書けない。
人間は万物の霊長と崇められている。しかしながら私は、もとよりこの範疇には入れない。ねだって人間にとどまりたければ、人間の屑に仕分けされるであろう。涙をのんで、自認するところである。きのうに続いてきょうもまた、文章とは言えないものを書いた。私は、愚か者である。
夜明けの朝日は見えず、まだ真っ暗闇である。明日は大雪予報である。そんななかにあって私には、三回目のコロナワクチンの接種予定がある。そのため明日は、文章は沙汰止みになりそうである。いや実際のところは、わが睡眠生活の出来不出来しだいである。脳髄と体の震えが止まらない。脳髄は凡愚、体は寒さのせいである。
頓挫を恐れて……
「ひぐらしの記」の頓挫期間を顧みた。すると、昨年(令和三年)の十二月十二日に書いて以来頓挫し、今年(令和四年)の二月一日から、ヨロヨロ立ちで書きか始めている。まったくおぼつかない足取りである。この先が思いやられるところである。確かに、文章とは言えない代物ながら、それでもどうにかきのう(二月七日)まで、一週間は続いた。
ところが今朝は、夜明けて七時近くまで寝過ごした。再び、頓挫の恐怖に見舞われた。そのため、朝の主婦業と朝御飯を駆け足で済まして、パソコンを起ち上げた。もちろん、文章の体はまったくなさない、再度の頓挫を恐れてだけの殴り書きである。もちろん、ひぐらしの記の継続と、言えるものではない。しかし、身勝手ながら、書かないよりはましである。なぜなら、こんな文章であっても書いておけば、明日へ繋がりそうな気にはなる。すなわち、それだけが取り柄の文章である。
確かに、私は恥をさらけ出している。だけど、恥じ入ることはない。老境のわが身は、生存だけにしがみついている。寒さが身にツンツン沁みる。
一陽来復
立春が過ぎて、確かに春は来ている。半面、立春が過ぎたばかりなのだから、まだ冬とも言っていいだろう。むしろこのほうが、感覚的にはぴったりする。
この冬、すなわち令和四年のこの冬は、飛びっきりの寒さに見舞われている。日々、伝えられてくる北の地方や雪国の降雪や積雪模様には、私はそのたびに度肝を抜かされている。心情的には、届かぬ「雪見舞い」に大わらわである。いや、確かに他人事ではなく、私自身日々ブルブルと震えている。しかし、季節は春に向かっている。夜明けは早くなり、目に見えてかつ体感的にも夕暮れは遅くなっている。季節のめぐりはすっかり、日長傾向を極めている。つれて、寒の底は脱しつつあり、「一陽来復」の気分横溢である。それでも私は、茶の間に張り付いている。ところが、窓ガラスを通して見る散歩めぐりの人の数は日に日に増えて、しかものどかな足取りである。すなわち他人は、寒さを蹴散らして春の訪れを楽しんでいる。寒がり屋の私だけは、なおカタツムリ同然のままである。椿の花に飛んでくるメジロも、春を楽しんでいる。
寝起きの十分間の文章は、形を成さない。それでも書いたかぎり、無題では済まされない。いくぶん、心がウキウキしているから、「一陽来復」でいいだろう。
太陽光線、礼賛
昼と夜、昼間と夜間、朝方と夕方、そして昼前と昼下がり。浮かぶままに書いたけれど、もちろん一日(二十四時間)の区分は、なおさまざまに言い表される。おのずからこれらのすべてに、太陽光線がかかわっている。大雑把に言えば太陽光線の有る無し、あるいは強弱である。
きのう書いた表題「日向ぼっこ」には、太陽光線の恩恵をつらつらと、書いた。春立つ日にあって私は、まさしく暖かい太陽光線の恩恵に浸りきっていたからである。ところが昨夜、すなわち夜間にあって太陽光線は遠のいて、私は暗闇の中に寝床を敷いて、眠りに就いていた。人工の熱源をなすエアコンは、壊れたままにほったらかしにしている。だから、今や大型ごみ同然の無用の長物となり、悔恨きわまる銭失いの姿をさらけ出している。あえて点けっぱなしにして、頭上の蛍光灯に頼っても、もちろん熱源の足しにはまったくならない。こんなみじめなわが生活事情にあって昨夜は、この冬一番の寒さに見舞われたのである。すると、ひなたぼっこのときとは真逆に、太陽光線のありがたさと恩恵を再び知る夜となった。
夜明け前にあって、寝起きのわが身体は、今なお、ブルブル、ガタガタと、震えている。表題はきのうの続編をなして、「太陽光線、礼賛」で、いいだろう。日長になり、ほのかに、朝日が射しはじめている。太陽光線のありがたさが身に沁みる。
日向ぼっこ
茶の間で、窓ガラスから射し込む暖かい陽ざしを背中いっぱいに受けて私は、まさしく季節の春と、この世の春のコラボレーション(共感)に浸りきっていた。心身には生きている悦びが満ちあふれ、同時に快い眠気をもよおし夢心地に陥っていた。ふあふあとした夢心地にあって、こんなことを浮かべていた。人間界にあって自然界の恵みは、有象無象それこそ無限大にある。確かに、食材や生薬などどれがなくても、たちまち人の息の根が止まりそうなものばかりである。山岳および海洋、山崩れや津波の恐怖はあってもこれまた、山河自然の恩恵ははかり知れない。しかしながらやはり、自然界の恵みにあってはこれらをはるかに超えて、陽ざしすなわち太陽光線こそ特等の優れものとだと、確信した。
きのうの「立春」(二月四日・金曜日)にあって、日向ぼっこをむさぼっているおりに浮かんでいた、わが愚かなるしかし愉快な感慨である。
立春
寒気を遠のけて、よちよち歩きの春が来た。それでも、確かな春の足音である。庭中の梅の木の蕾は、ほのかに綻びはじめている。同時に願っていたわが家の春は、いまだ蕾にはなりきれず、それ欲しさにせっせと途中を歩いている。しかし、いっときの暗闇は抜けて、ほんのりと出口の明るさが見え始めている。
人生は「万事、塞翁が馬」。このところの私は、いつものマイナス思考をかなぐり捨てたかのように、やけに達観を決め込んでいる。この心境、もちろん悪いことではない。遅まきながら、世渡りの術を悟り、学んでいる。寝起きの気分は悪くない。
立春、心地よい言葉である。一年の「春夏秋冬」のスタートにあって、やはり私は、欲深くわが家の春を願っている。「来い、来い」。
「一日多善」
学童の頃にあっては何かにおいて、「一日一善」を目標に掲げていた。すると、この目標は主に、家事手伝いで叶えていた。これには、子どもなりの魂胆があった。それを果たすと母ちゃんは、坊主頭をなでなでして、「とても、ありがたいばい!」と、言ってくれた。頭なでなでとこの言葉は、笑顔の母のご褒美だった。お腹や口に実益のあめ玉などではなくても、私にはうれしいご褒美だった。
妻の異変のことから発した余儀ないことではあるけれど、現在の私は、「一日多善」の実践中である。まるで、「肥後もっこす」の最後の砦みたいに守り続けてきた電気洗濯機の扱いも、今や妻の特訓を受けてお茶の子さいさいである。ベランダ干しも、真下の道路歩きの人たちの目には異様に映っていようが、もはや私には戸惑いや恥じらいなどみじんもない。ただただ、主婦業の大変さをいまさらながらに悟っている。もちろん、ご褒美はねだってはいないけれど、それでもやはり、痛々しい妻の口から洩れる「パパ、ありがと!」の言葉は、老いた体と心の励みになっている。
きょうは「節分」、夫婦相和し福豆をばらまいて、鬼退治を試みる。もちろん、いつもよりひどく、できれば木っ端みじんの鬼退治である。