ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
迷妄
八月十日(水曜日)。世の中にはコロナが蔓延し、私には自虐精神が蔓延し、共に勝てず、生活に疲れています。生活とは、文字どおり生きるための活動、すなわち日暮らしです。それゆえ、生活と日暮らしは同義語と言えます。生活ができなければ人間は、それっきりでおしまいです。私の場合、日暮らしの一端を成す文章書きは、たちまち頓挫の憂き目をみます。「ひぐらしの記」、すなわち、わが「生活日記」は、おのずから幕が下りそうです。
相身互い身、慰め合って連日の通院
八月九日(火曜日)。きのうに続いて連日、妻を引率の通院が予定されている。きょうの通院は、半年前の予約表にしたがって、「大船中央病院」(鎌倉市)への早出となる。きのうの通院は、住宅地内の最寄りのS医院であり、気分的には落ち着いていた。ところがきょうは、気分落ち着かず、逸っている。もちろんそれは、きのうに比べて大ごとだからである。
きょうの通院目的は、妻の骨折・救急車・手術・入院・そして退院後の経過観察日のためである。なお具体的には骨量検査と、それを基にして主治医による診察と診断が予定されている。経過良好の診立てにありつきたいものである。妻はもとより、引率者のたっての願いである。この日が済めば今月末には、私はすでに済んでいるけれど、妻の四度目のコロナワクチン接種への引率がある。わが身だけの生活では済まされない、妻共々の老夫婦の日常生活のありようである。
夫婦生活とは、共に安寧でなければ成り立たない。これは「言うは易く行うは難し」であり、文字どおりきわめて難事である。学び舎の運動会の競技の一つには、「二人三脚」があった。この競技には、必ず転ぶ組がある。それゆえ二人三脚は、面白い競技として、どこかしこの運動会の定番競技として定着している。しかしながら、晩年の老夫婦の二人三脚は、絶えず転んでばかりで、ちっとも面白くない。こんな身も蓋もないことを書いて、尻切れトンボのまま間に結文とする。弁解の理由は、妻を手伝って通院準備に取り掛かる、時間の訪れにある。
夜明けの空は夏空であり、おそらく時間を追って猛暑日(気温三十五度以上)へ向かうだろう。ところが、きょうにかぎれば暑さは、まったく気にならない。とことん気になるのは、妻の検査結果とそれによる主治医の診立てである。私がこけたら、妻の引率はあてにできない。今や老夫婦の日常生活は片肺飛行、すなわち相身互い身寄り添って、慰め合うしか生存の手立てはない。こんな文章では、表題のつけようはない。心、せかせかと逸っている。
すべてにままならない、人生の終末期
語尾に「難民」を付ければ、実際に難民として苦しむ人たちにたいして無礼千万である。だからこの場合は、その言葉を控えたい。すると、これに代わる適当な言葉探しを始めている。ふと浮かんでいるもので、最も厳しいものには不可能がある。やや緩いものでは、不便あるいはままならないという、言葉が浮かんでいる。このため、語尾に不便を当ててみる。加齢にあって総じて困るのは、日常生活における家事不便である。一つ一つの事柄では、買い物不便、通院不便、草取り不便、そして日課とする分別ごみ出し不便、さらには道路の掃除不便などがある。これらに加えて現在は、新型コロナウイルスへの感染を恐れて、外出行動を控えている。すなわち、外出不便である。やはり、難民に比べて、不便ではしっくりこないところがある。だとしたら、もっと適当な言葉探しをしなければならない。すると、これに尽きる。すなわち、年をとって、すべてのことがままならくなっている。
加齢とは人間に付き纏う、「悪の権化(ごんげ)」と、言えそうである。もちろん、私にはそれを跳ね返す気力や便法もなく、甘んじて泣き寝入りの状態である。人生の終末期になって私は、都会の僻地にしか、終(つい)の棲家(すみか)を買い求めざるを得なかった、わが甲斐性無しの祟(たた)りに遭遇している。確かに、いまさら嘆いてもどうなることでもない。それでも嘆かざるを得ないのは、日に日に現れるわが甲斐性無しのせいである。
きょうの私には、妻の通院行動にたいする引率および介助の役割がある。行き先は、最寄りすなわち住宅地内にあるS医院である。年老いたわが足でも歩いて、片道十五分程度である。ところが、リハビリ中の妻の足取りでは、これがままならないのである。通院不便、加齢のせいにはできない、わが甲斐性無しの証しである。
心地良い夏の夜明けにあって私は、気分の滅入りをこうむっている。命、終末期の人生行路は、悉(ことごと)く不便、すなわちままならい暗夜行路である。
八月は気分の重たい月
八月七日(日曜日)、夜明けの空は、朝日の見えない曇り空である。このところは、こんな夏の夜明けが続いている。この二日は昼間でも、真夏とは思えない寒気を感じていた。この先は、真夏や盛夏という言葉に逆らい、「生煮えの夏」になるのであろうか。もちろん、季節狂いは歓迎できない。しかし、いくらか望むところはある。
道路を掃いていると、日増しに落ち葉が増えている。真夏にあっては炎天下、たぶん木の葉も生きづらいのであろう。木の葉は日照りに耐えきれずに枯れて、落ち葉と名を変えて、掃いている路上に野垂れ死にしている。憐憫の情が擡(もた)げてくる。いくつかを指先で拾ってみる。すると、枯葉とは言えないほどに瑞々しい生葉(なまは)もある。また、色のすがれた病葉(わくらば)もある。若死に病死、「まだ、生きたい!」と叫ぶも、叶わぬ人間模様の写し絵さながらである。だとしたら「鬼の目にも涙あり」、一瞬、私は掃く手を緩めたくなる。
毎年八月、わが気分は重たい月である。それは今年で言えば七十七年前(昭和二十年・一九四五年)の日本の国における出来事、すなわち「広島、原爆の日」(六日)、「長崎、原爆の日」(九日)、そして「日本国、終戦(敗戦)の日」(十五日)が想起されてくるゆえんである。わが異母兄の一人は、フィリピン・レイテ島沖の戦場で命を絶った。わが次姉は、主治医に「戦争さえなければ、死ぬことはなかった」と、病床周りの家族に告げられて、薬剤が手に入らずに、若い命(十八歳)を盲腸炎で断った。これらに加えて、昨年の八月二十二日には、ふるさとの長兄がこの世から姿を消した。その妻(義姉)は、それより前の八月一日に亡くなった。私は甦る日本の国の出来事と、このところのわが身にまつわるつらい出来事を重ねて、きょうの文章を閉じることとする。
私は為政者の定型の挨拶言葉、すなわち「哀悼の誠を捧げる」は白々しく、聞き飽きている。実際には言葉にできないほど、つらく悲しい出来事である。再び言う。私にとっての八月は、気分の重たい月である。そうであればわが命も兄姉に重ねて、できれば八月に尽きたい。なおできれば、枯れた木の葉にように、チラチラと静かに舞って…、野垂れ死にしたい。
「広島、原爆の日」
令和4年(2022年)8月6日(土曜日)。77年前のこの日、この時間、(昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島市において、原爆が投下された。風化してはならず、忘れてはいけない、悲しい記憶である。この時の私は、生誕地・熊本県の片田舎において、5歳と1っか月だった。それゆえに私は、原爆投下の悲惨な状況は、まったく知るよしない。だから、悲惨な状況はそののちの学びで知るだけである。
きょうは、いつもの文章は休みを決め込んでいる。しかし、表題を記して、学んだ記憶を新たにしている。これくらいは、生きている者の哀しい務めだからである。
わが身に漂う閉塞感
八月五日(金曜日)。いまだ真っ暗い夜明け前、二度寝にありつけず起き出してきて、書くまでもないことを書き出している。わが文章は、「書いて、読んで」、気分の滅入るものばかりである。書けば、わが現在の生き様を映して、おのずからなさけない文章になる。だとしたら、書かないほうがベターである。もとより、私自身が知りすぎていることではある。だから心中では、(もう、書かない。これで、おしまい!)と、呪文(じゅもん)を唱えている。「雉(きじ」も鳴かずば撃たれまい」。こんな成句を浮かべている。すなわち書かなければ、人様にたいし恥をかくことも、私自身の煩悩(ぼんのう)をさらけ出すこともない。私とて、楽しく愉快な文章に飢えている。ところが、実際には真逆(まぎゃく)な文章を書いている。もとより、わが小器とお里の知れるところである。
この誘因を成すのは何だろうか? と、あえて心中の答案用紙に解答のない自問を試みている。すると、即そして総じて浮かぶのは、わが人生の終末期に漂う閉塞感である。こうなるとすべてが始末に悪く、もはや展望への望みはない。閉塞感は、現下の社会事情と目下の個人事情からもたらされてくる。言うなればわが周囲事情のすべてであり、もちろん個人事情さえ自力ではとうてい解決の糸口さえありえない。社会事情だけに言及すれば、主たる閉塞感の誘因はこれらである。ひとつは、新型コロナウイルスの終息に目途が立たないことである。そしてひとつは、世界の国々が常にハラハラ状態にあることである。さらにひとつは、デジタル社会に身を置くことである。これらは、私自身ではまったく手に負えない難題である。閉塞感つのる個人事情の多くは、私自身のみならず身内・縁者の加齢からもたらせている。これまた、私自身ではにっちもさっちもいかない難題である。結局私は、まったく抗(あらが)えないことにじたばたして、残り短い命をみずから縮めている。自虐精神は、わが「身から出た錆」とはいえ、まったくなさけない。
私はこんな馬鹿げたことを十五年ものの長い間、書いている。だから、とうに書き納めどきにきていると自覚し、そして飽き飽きしながら書いている。だから自分自身、楽しく愉快な文章にはありつけない。まして人様の場合は、況(いわん)や! である。「身も蓋もない」、もっぱら空き時間潰しの文章を書いてしまった。だから、現在の心中の呪文は、(くわばら、くわばら!)である。今にも雨が降りそうな夜明けである。心中の雨は、土砂降りである。いたずら書きのごとく長々と書いて、様々な恥と煩悩をさらしてしまった。悔いても、「後の祭り」である。
屍(しかばね)の戯言(ざれごと)
ブログの文章は炎上やバッシングを避けるため、ネタに自己制限をかけてきました。それゆえ、毎日似たよう文章の繰り返しとなり、自分自身、飽き飽き気分で書いてきました。おのずから、義理や好意で読んでくださっていた人たちは、しだいに遠のいてゆきました。いくら謝っても謝りきれない、私自身がしでかした悔恨です。こんななかにあって、今なお読み続けてくださる人たちがいます。これらの人たちには逆に、いくら謝意をいだいても、いだきききれるものではない、わが身に余る果報です。
突如、こんなことを書いているのは、「ひぐらしの記」の終焉の灯火(ともしび)が、明滅しているせいかもしれません。「ひぐらしの記」の執筆を含めて人生行路は、気の持ちようすなわちモチベーション(心意気)の高低に影響を受けます。私の場合、モチベーションが高いときには、生きる喜びにあふれています。ところが逆に、モチベーションが低いときには、たちまち「生きる屍(しかばね)」状態へと沈んでいます。言うなれば人生行路は、モチベーションを基準にして、二者択一すなわちどっちかへ転ぶ状態になりがちです。こんな遠回しの表現は止めて、現在のわがモチベーションは低く、ずばり生きる屍状態です。瞬時のエンストであれば、再駆動にありつけます。ところが、装置全体が壊れていたら再駆動は望めず、ここで万事休すです。
「ひぐらしの記」を書く装置とは、心模様すなわちモチベーションとして現れる精神状態です。モチベーションの有無や高低を測る、たとえば体温計のような測定器はありません。もちろん、解熱剤のような薬剤もなく、それだけモチベーションの低下は、始末に負えないほどの難物です。これにたいする処方箋は、まわりまわってみずから精神力にすがる、克己心や自己発奮あるいは鼓舞などしかありません。「言うは易く行うは難し」。
現在の私は、モチベーションの低下に見舞われています。夏の暑さのせいではなく、生来のひ弱な精神力のせいです。単なるエンストなのか、それとも装置全体(精神)の壊れのせいなのか。ハード(身体)は、年齢(八十二歳)並みを超えて、正常に動いています。ところがソフト(精神)は、年齢並みから外れて老い耄(ぼ)れ、いや病に罹っているのかもしれません。幸いなるかな! 自己診断では、病はまったく認知していません。しかし、人様診断ではどうかな? と、思っています。
この文章に似た文章は、近いところで書きました。だから、二番煎じの文章です。こんなことではゆくゆくは? いやたちまち、読者ゼロ人が懸念されます。すでに精神が病に罹っているような、冴えない文章を書きました。薬剤要らずの効果覿面の処方箋は、心地良い夏の朝にすがっています。
子どもの頃の夏の思い出
八月二日(火曜日)、日中は猛烈に暑く、朝夕は涼しい、本格的な夏の訪れにある。起き出してきて、涼しい夜明けに身を置いている。そして、童心に返り、「子どもの頃の夏の思い出」をランダムに浮かべている。総じて、楽しい思い出を育んだのは「夏休み」だった。午前中は『夏休みの友』と、漢字の書き取りなどの宿題をした。宿題を終えると、わが家の裏を流れている「内田川」へ、猿股パンツを穿いていや多くはムチンで、跳んで行った。内田川にまつわる思い出は尽きない。水浴び、魚突き、箱メガネ、大きな岩に腹ばいになっての甲羅干し。ひりひり焼けると、すばやく水中に飛び込んだ。水浴びが長くなると、ブルブルグル震えて、唇は紫色になった。いたたまれず、岩を抱いて甲羅干しをした。こんなことを繰り返して、内田川と郷愁の双璧を成す「相良山」に太陽が沈む頃まで、私はほぼ毎日、川遊びに耽っていた。
ゴロゴロさん(雷)が鳴り、入道雲がムクムクと沸いて、夕立が来そうになると怖くなり、わが家へトンボ帰った。母が「茶上がり(三時のおやつ)だよ!」と言って呼びに来ると、一時中断してわが家へ帰り、毎度毎度、ソーメンと西瓜を食べた。西瓜腹になると、再び内田川へ走った。さてそれらのほか、思い出のランダムの羅列はこれらである。まずは、アイスキャンデー売りとそれを追っかける、「待って、くださあーい……」の掛け声である。手には汗ばんだ一個の銭が握りしめられていた。
蚊帳吊り、線香花火、蝉取り(多くはアブラゼミ)、しょんべんをひっかけられて、取り逃がすこともあった。ときには里山へ入り、ハサンムシ(クワガタ)を捕った。わざとハサミに指先を入れると、痛くて血が滲み出た。西瓜を食べるときには、丸出しのお腹に涎れと汁がコラボを演じて、ポタポタと垂れた。ソーメンの汁は、明けても暮れても生醤油の中に砂糖が入っていた。私は食べ飽きた。ところが父はソーメンが大好きで、馬がバケツ一杯を啜るように、スルスルと何杯も食べていた。私は食べ飽きたせいで、好きになれなかった。このことは現在まで尾を引き、麺類はこの世になくても構わない。
上半身裸暮らしが多くて、浴衣の思いではない。夏祭りのときの思い出は、ラムネ、ニッキ水、かき氷、綿菓子である。父は短い昼寝を常習にしていたけれど、私は昼寝なく内田川で遊んでいた。生誕地・熊本(当時、鹿本郡内田村)は、炎天すなわち暑すぎる夏だった。わが家の涼(りょう)の取り入れは、内田川の川風と商店名の入ったウチワ(団扇)だけだった。それでも不満なく、弱音を吐いた記憶はなく、今朝は楽しい思い出ばかりが噴出している。わが人生出だしの頃の、尽きない思い出である。そしてそれらは、わが夏好きの根幹をなしている。惜しむらくは内田川が遠のいて、思い出は少しずつ色褪(あ)せて、つれてわが人生には「後がない!」。しかしながらありがたいことには、薬剤に頼らくとも「子どもの頃の夏の思い出」は、わが生存を長引かせている。
ひんやりとする夏の夜明けは常に心地良い。とりわけ今朝は、思い出がよみがえり、輪をかけて心地良く、わが気分はすこぶるつきに良好である。夏の暑さ凌ぎには、「子どもの頃の夏の思い出」こそは、飛びっきりの無償の良薬と言えそうである。
八月一日
八月一日(月曜日)。過ぎた七月は、気張って書いた。嗚呼、眠れない。仕方なく、起き出してきた。心身に、焼きが回っている。生きる、エネルギーが尽きている。八月は夏休みというより、九月になっても始業式(再始動)のない長期休暇になりそうだ。きょう、今現在は生きている。「一日生存」、このところのわが努力目標になっている。私は、嘘のつけない正直者である。
七月最終日
七月最終日(三十一日)、区切りよく週末日曜日の夜明けを迎えている。気象庁の予報は外れず、おとといあたりから日本列島には、本格的な夏が訪れている。その証しには、日中には暑熱をともなう厳しさがあり、そのぶん朝夕には、冷気をともなう心地良さがある。きょうの夜明けは、典型的な夏の朝である。冷気は肌身にひんやりとして、すこぶるつきの心地良さである。
顧みれば七月は、文章の出来はともかく、皆勤賞をもらってもいいほどに、無欠席で書いた。皆勤賞がなければ自己惚れ、すなわちちょっぴり自惚れてみたくなっている。「一寸の虫にも五分の魂」。私は掲示板のリニューアルに報いるため、かなり気張って書いた。それゆえ、いくらかその役割は果たせたかなと、これまた自負しているところである。しかしながら実際には、「草臥れ儲け」だけのところもある。
「一寸先は闇の中」、八月はその反動で休みがちになりそうである。わが年齢は七月の半ば(十五日)にあって、八十二歳に到達した。だから気張ったところで、人生燃え尽き症候群の後半を生きながらえている。疲れは即、命の絶え時でもある。もはやわが人生は、相撲の土俵になぞらえれば「徳俵(オマケ)」を踏んでいる。こんな遠回しに言わずズバリ言えば、「ハッケヨイヨイ、残った、残った!……」の状態である。生まれついて無い頭脳は、加齢を理由にして日々止めどなく衰えるばかりである。とりわけ、語彙(言葉と文字)の忘却が進めば文章は、たちまち書き止め状態に見舞われる。加えて、これまた生まれつき指先不器用がさらに進めば、キー叩きは文字どおりお手上げ状態になる。こんな心境で、七月最終日を迎えている。
加齢とは人間にかかわる切ない現象であり、だれにも明日の生存の保証はない。まして現在、この世は新型コロナウイルスの蔓延禍にある。それゆえ、私にかぎらずだれしも、心して八月を迎えるところであろう。本格的な夏の訪れにともなう暑熱の厳しさは、ひたすら耐えるより便法はない。八月すなわち真夏に向かうにあってわが願うのは、天変地異の鳴動のない夏空である。夏空に望むのは、「夕立と虹」くらいである。