ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

続、ゆく夏を惜しむ

 八月二十二日(月曜日)の夜明けにあって、すっかり夏風から秋風に変わっている。肌身の心地はそれなりに良いけれど、ちょっぴり心寂しさをおぼえている。確かに心寂しさは、秋の季節特有のものである。すると、この先の秋本番に向かって私は、どれほどわが身に堪える心寂しさに遭遇するであろうか。戦々恐々とするばかりである。季節は、夏の終わりから秋へまたぐ残暑の候にある。ところが、きのうは暑さが遠のいて、一日じゅう寒気をおぼえていた。その証しには、家中の網戸はすべて用無しに、窓ガラスに切り替えた。それでも妻は、「パパ。寒いわねー……」と言っては、厚手の毛布にくるまって、ソファに寝そべっていた。
 きのうの文章の表題は、『ゆく夏を惜しむ』とした。ぴったしカンカン私は、心からゆく夏を惜しんでいた。私の場合、夏が早々と姿を消すのはこりごりである。もうしばらく、夏の暑さを望むのは、へそ曲がりであろうか。確かに私は、生来のへそ曲がりではある。結局、願望した夏痩せはまったく叶わず、季節は「馬肥ゆる秋」へ先走っている。確かに、冠の秋には高尚な「芸術の秋」もある。しかしこれは、もとより私には用無しで、もっぱら「新米、果物、食べ放題」の餓鬼食いの秋である。
 暑い夏去って、涼しい秋の訪れは、それなりに楽しめるもの満載である。ただ、ちょっとだけ早すぎる季節変わりである。起き立ての殴りかきであっても文章は、私には手に負えない難物である。いまだ夏スタイルのわが身体を、秋風がブルブルと震わせている。

ゆく夏を惜しむ

 八月二十一日(日曜日)、過ぎ行く夏、初秋のどかな夜明けが訪れている。夏風邪は市販の風邪薬の2、3服の服用で治った。暑中お見舞いを申し上げた矢先の、飛んだしくじりだった。高橋様には早速、お見舞いの言葉と、「大、大、大のエール」を賜った。謹んでお礼を申し上げるところである。なぜならエールは、再びパソコンに向かう勇気づけになっている。
 夏風邪をひいたのは自業自得、お腹丸出しに寝そべっていたからである。すなわち、夏の醍醐味を貪っていた祟りである。幼児の頃のように、「金時印の腹かけ」みたいなものを巻いて寝ていれば、夏風邪はひかない。棺桶間近の大のおとなが、そんな知恵も忘れるようでは、もはや生きる屍(しかばね)同然である。なさけない。もとより、夏風邪は軽症である。しかしながらその間、気分が鬱になることには変わりない。反省を込めれば、夏風邪をひいたのは飛んだしくじりだった。
 私の場合、夏の醍醐味の筆頭には、甲乙つけずにこんなものがある。まずは着衣の軽装と夜具(夏布団)の用無しである。実際の軽装は、上半身は肌着一枚であり、下半身はステテコないし短パンで済むことである。確かに夜具は、薄っぺらの夏布団さえほとんど掛けずに、ごろ寝で済むことである。さらなる醍醐味は、入浴のおりの脱衣の簡便さである。いや、入浴さえ用無しにシャワーだけで済むことである。これらは、もちろん夏にしかありつけない夏の魅惑、すなわち飛びっきりの夏の醍醐味である。
 確かに、夏風邪をひいたのは、お腹丸出しのごろ寝の飛んだしっぺ返しだった。ところが現在の私は、夏風邪に懲りず、過ぎ行く夏を惜しんでいる。「暑い、暑い夏」は、あたりまえと思って我慢すれば済むことである。だから私は、夏の季節がもっと長ければいいのに……と、欲張っている。たぶん、私以上にセミたちは、夏の長さ、いやいのちの長さを欲しがっているであろう。ヒグラシが「かな、かな、かな、……」と鳴き、初秋を告げる草むらの集(すだ)く虫たちの鳴き声は、いやがうえにも寂寥感をいや増して来る。あらがえない季節のめぐりとはいえだから私は、もうしばらくは暑い夏の継続を願っている。
 夏風邪に再度、ドジを踏むつもりはない。確かに、初秋の朝風は夏風を凌いで心地良いところがある。「ゆく夏を惜しみ、訪れる秋を楽しむ」。だとしたら四の五の言わず素直に、自然界讃歌でいいのかもしれない。

夏風邪

 とんだ気のゆるみ、すなわち寝冷えで夏風邪をひき、気分が鬱状態です。寝床を抜け出してきて、この文章を書き終えれば、寝床へとんぼ返りをいたします。体温は測っていません。平熱程度だと、感じているからです。それゆえ、コロナではありません。もちろん、怠け者の節句働きのせいでもありません。なぜなら、普段にも身に堪える働きは、何一つしていません。だから実際のところは、人様のお盆休みを妬んでの、怠け者の遅れてきた盆休みです。言うなれば、ケチ臭い休みです。

冠の秋の訪れ

 八月十九日(金曜日)、夜明けの空は夏空から、秋空の色合いを深めている。天高く、胸の透く青空である。起き立てのわが気分は、いっぺんに陰から陽へ変わった。薬剤などまったく用無しの自然界の恵みである。無色の朝日は大空を青く染めて、家並みの白壁をいっそう白く際立たせている。雨風まったくなく、山の木の葉は眠ったままである。しばし視界を眺めながら、私は難聴の両耳に集音機を嵌めてみた。山に、早起き鳥が鳴いている。寝起きの私は、自然界の恵みにおんぶにだっこである。
 人の世には世であっても、暗雲が垂れ込めている。真綿に首を締められるという表現がある。さらには、八方塞がりという表現もある。現下の日本社会は、なんだかこれらの表現を用いたくなる。その証しは、果てしなく続くマスク姿である。私自身嵌めても、あるいは人様のマスク姿を見ても、もはや飽き飽き気分旺盛で、うんざりである。確かに、戦雲下よりましではある。しかしながら、気分が晴れないことにおいては、小さな同類項と言えそうである。
 本マスク姿は、本当に果てしなく続くのであろうか。だとしたら挙句、わが亡骸はマスク姿で、棺桶に横たわるのであろうか。知らぬが仏とはいえ、ぞっとせずにはおれない。ネタなく、休むよりましかな? こんな気分で書いた、なさけない文章である。この気分を慰めているのは、様々な「冠(かんむり)の秋の訪れ」である。絵には書けない、夜明けの秋空のさわやかさである。加えて、先ほどより勢いを増している鳥の鳴き声は、わが身をとことん癒してくれる無償のBGMである。せっかくの「冠の秋」、ふわふわの真綿に首を締められて、死にたくはない。

きょうも、休むべきだった

 八月十八日(木曜日)、夜明けが訪れている。朝日の見えないどんよりとした曇り空である。人間の営みにはお構いなしに、尽きることなく夜明けは訪れる。人間界とは異なり、泰然とした自然界の営みである。きのうの私は、書くこともなく、書きたい気分もなく、いや書けずに文章はずる休みした。きょうの夜明けにあってもその気分を引きずり、書きたい文章にはなり得ない。生活すなわち生きる活動とは、文字どおり生きる闘いである。私は闘いに負けそうである。いや、すでに負けている。
 ごみの分別置き場は、付近住民(10世帯)の人間模様の縮図である。とりわけ貧富の差が現れてわが家は、貧しさの最下位に位置している。まずは置き場の位置において、人間模様の浅ましさが現れる。本来、置き場所は持ち回りのはずだった。ところがみんな、汚さを毛嫌いしてわが家に頼み込んで、そののちは知らんぷりのままである。私は、隣近所との諍(いさか)いを好まない。そのことを見透かされたようである。それゆえにごみ置き場は、わが宅地の側壁に張り付いたままである。我慢は、仲良く生きるための小さな知恵ではある。しかしながら、人様の浅ましさを見ることには、呆れてつらいところがある。
 確かに、ごみは人間模様の縮図、すなわち個々の生活ぶりの写し絵である。貧富の差はごみ自体に、なかでも缶や瓶の分別箱に如実に現れる。わが家では望むべくもない高級なものが、ゴロゴロと入っている。確かに、分別ごみ置き場には、まずは人間の浅ましさが見て取れる。そして、良くも悪くも人様の生活ぶりが丸見えである。
 きょうもネタなく、休むつもりだった。やはり、休むべきだった。きょうは一週に二度訪れる、生ごみ出しの日である。わが家の分別ごみ出しは、わが日課である。人様の生活ぶりを垣間見て、わが家の生活ぶりを垣間見られる、切ない日である。

頓挫

 八月十七日(水曜日)。書けません。
暑中お見舞い申し上げます。

鳥とセミの鳴き声

 八月十六日(火曜日)、確かに夜明けの風は、夏風から初秋の風に変わりました。誰に教えを乞うまでもなく、わが肌身が確りと教えてくれています。「八月盆」の送り日にあって、世の中の人様の動きは、いやいやしながら帰り日になるでしょう。私の場合は、まるでカタツムリさながらに動きのない日常です。それでも生きているかぎりは、三度の御飯と三時のおやつ、さらには間髪を容れない駄菓子と水道水のがぶ飲みは、欠かせません。この祟りにあってわが身体は、こけしのようなスマートさは望むべくもなく、だるまのように上半身だけが丸膨れ状態に見舞われています。最近はこの上部体を両脚が支えきれずに、私はノロノロ、ヨロヨロと、歩いています。挙句、加齢のせいにしては両脚の衰えが早いなあーと、自覚せずにはおれません。「ダイエットをしなさい! わかっちゃいるけど、餓鬼食いをやめられないのです!」。わが生来の意志薄弱のせい、いや大きな祟りです。書くことも、書きたいこともなく、なさけない文章を書きました。
 落ち葉掃きに手古摺り、狭いい庭中なのに夏草取りに往生しています。外にいようと、茶の間のソファにもたれていようと、山の鳥の声が夜明けから夕暮れまで、難聴の両耳に聞こえてきます。これにこのところは、セミの鳴き声が加わっています。もちろん両耳に、集音機は嵌めています。妻は「パパ。鳥やセミの鳴き声、うるさいわね………」と、言っています。しかし、私は呼応せず、
「うるさくないよ。そう言うなよ。それらは、人間のために必死に鳴いてくれているのよ。いや、それら自身、鳴かずにはおれないのだ。切ないじゃないか!」
「夕方には、カナ、カナ、カナ………と、ヒグラシが鳴いているわよ」
「セミのいのちは短いのだ。鳴きたいだろう?……」
 玄関ドアーのところには、アブラゼミが転げていました。私は指先で拾い、しばし眺めて静かに植栽の陰に置きました。亡きがらは棺(ひつぎ)に入れられることもなく、真夏の日照りや、秋の台風にさらされて、いずれは庭土になるのでしょう。
 いよいよ季節は夏と別れて、心寂しいが近づいています。鳥やセミには、切なくとも思う存分鳴いてほしいと、願っています。人間は泣きたくとも、思いっきり泣けないだけ、大損です。案外、鳥やセミは、人間の代替役を務めているのかもしれません。切ないです。

77回目の「終戦記念日」

 令和4年(2022年)8月15日(月曜日)。77回目の太平洋戦争「終戦記念日」(昭和20年・1945年、8月15日。終戦・敗戦)。このときのわが年齢は、5歳と一か月(1940年7月15日誕生)。私は近くの小川で、サワガニ、メダカ、小魚、ドジョウ取りの水遊びをしていた。呼び戻されて、家族共々に縁先に立って並んだ。海軍の軍務半ばで病に罹り、自宅で養生していた異母次兄より、敗戦を告げられた。現在私は、八十二歳と一か月。生き延びてきた。日本の国は、「八月盆」のさ中にある。のどかな夏の夜明けにあって、しばし黙祷!

台風、大過なく過ぎて……

 八月十四日(日曜日)、山の木々の吹き付けを恐れて、全部閉め切っていた雨戸を次々に開けた。眼下の道路は濡れて、山から落ちた木の葉が汚らしくべたついている。しかしそれは、普段の夜来の雨上がりの様子とまったく変わらない。無色の朝日が家並の壁にあたり、白さをきわだたせている。懸念していた台風は、小嵐程度で過ぎ去っている。玄関口を出て見回りしても、家周りに被害はなさそうである。恐れていたぶん、私はのどかで平和な夜明けの境地にある。台風被害に遭っていれば、もちろん逆に、この境地はさんざんである。
 私の場合、台風には忌まわしい過去の出来事がある。それは屋根が損壊し、カラーベストが方々に落下して、業者に修復を依頼した悔恨である。それ以来私は、台風予報を極端に恐れるようになっている。すなわちそれは、貧相な納屋みたいな建屋に住まざるを得ない、甲斐性無しの祟りである。その証しにはそのときの台風で被害を受けた家は、1200戸くらいある住宅地の中でも、わが家一軒だけにすぎなかった。恥を晒したけれど、修復が叶うと安堵し、意識して恥は忘れた。しかし、台風被害はもうこりごりである。こう思う半面なお、わが家の貧相さをかんがみて、それ以来台風予報には大小にかかわらず恐れて、わが身を強く痛めている。
 かつての私は、台風一過の日本晴れに気分をよくしていた。ところが現在は、その気分にはまったくありつけない。いや、台風予報が出ると、発生のときから戦々恐々を強いられている。夕べの台風一過は、さわやかな秋風をもたらしている。しかしながら、かつてのように心地良いと言えないのは残念無念である。忌まわしい過去の出来事にはそののち、トラウマ(心的外傷)が憑き物である。台風被害の残滓(ざんし)と言って、もちろんのほほんとしてはおれない。

お盆に朝焼け

 八月十三日(土曜日)、目覚めたら部屋の中は色づいていた。びっくり仰天、跳ね起きた。家じゅうのすべてが、朱色に染まっていた。雨戸を開けっ放しの窓際にたたずんだ。大空いっぱい、視界いっぱい、見事な朝焼けが広がっていた。自然界の妙味というより驚異、いや脅威にさえ思えた。たった数分間の大パノラマだった。なぜ? こんなことが起きるのか?。今はすっかり消えて、朝日の見えない小雨模様にある。朝焼けは鬼のしわざか? それとも、霊界のしわざなのか。生きている者への、命を亡くした御霊の怨恨なのか?。
 きょうは八月盆の入り日(十三日・土曜日)である。御霊に、恨みつらみを買うとしたら、大いに腹が立つ。なぜならお盆は、生きている者が御霊にたいし最も心を尽くし、かつしめやかに営む年に一度の催事である。この証しにどこかしこの家族は、御霊を懇切丁寧にわが家(里)へ迎え入れている。そして、しめやかにも先祖代々の家族団欒に和んでいる。だとしたらお盆の朝焼けは、御霊のお礼返しと思いたいものである。鬼のしわざと言って息巻くより、もちろん心落ち着くところでもある。きょうは、文章は休むつもりで不貞寝していた。しかし、朝焼けに起こされた。飛んだとばっちりとは言いたくない。