ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
日米の殿堂で輝く「イチロー」
1月24日(金曜日)。寒気が緩んでいる。きょうは自分自身の記憶のため、メディア記事を全文引用するものです。初の米野球殿堂入り!資格初年度で日米“同時殿堂入り”の快挙、満票まで“1票”届かず得票率99.7%1/22(水) 8:17配信TBS NEWS DIG Powered by JNN。2025年の米野球殿堂入りが日本時間22日に発表され、資格1年目のイチロー氏(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、栄えある日本人初の殿堂入りを果たした。
【会見ノーカット】イチロー満票での殿堂入りはならずも「1票足りないっていうのは、すごく良かった」大リーグ・専門局『MLBネットワーク』の番組内で発表され、米国野球殿堂博物館のジョシュ・ラウィッチ館長が殿堂入り選出者をアナウンス。MLB史上2人目、さらには野手史上初の“満票”での殿堂入りが期待されたが、2020年のデレク・ジーター氏(ヤンキース)と同じく満票に“わずか1票”及ばず、得票率は99.7%だった。この日(現地21日)、シアトルで殿堂入り決定の電話を受けたイチロー氏。16日には日本での殿堂入りを果たし、その6日後に、日本人初、さらにはアジア人初となるMLBの殿堂入り。日米ともに資格初年度で“同時殿堂入り”の快挙を達成した。また、今年はイチロー氏をはじめヤンキースなどで活躍した通算251勝のCC・サバシア氏、通算422セーブを挙げたビリー・ワグナー氏(アストロズなど)が選出された。『MLBネットワーク』にリモートで生出演したイチロー氏は「僕がこの発表の場にいることも全く想像できなかったです。MLBでプレーすることすらできるのかどうかという議論がたくさんあったので。個人としてもそうですし、日本のプレーヤーとして初めてということで、大変光栄なことだと思ってます」と喜びをかみしめながら語った。「野球の魅力はもちろんゲームそのものにもあるんですけど、多くの人に出会えるということだと思います。出会いが自分を作ってくれる。自分を作ってくれたそれが何よりの財産であり、楽しいことと言えると思います」とイチロー氏らしく野球の魅力を伝えた。米野球殿堂入りは、メジャーで10年以上プレーした選手が引退から5年で資格を得る。2019年3月に現役引退のイチロー氏は、2024年に資格を獲得。全米野球記者協会に10年以上連続で所属する約400人の記者が投票し、有資格者(今年は28人)から最大10人まで投票可能で、75%以上の得票で殿堂入りとなる。イチロー氏は2000年オフにポスティングシステムでマリナーズに入団。以降、ヤンキース(12年夏~14年)、マーリンズ(15年~17年)でプレー。18年にはマリナーズに復帰して2019年に現役引退を迎えた。2001年のルーキーイヤーではいきなりシーズン242安打をマーク。日本人初の首位打者と盗塁王を達成し、MLB史上2人目となるリーグMVPと新人王のダブル受賞に輝いた。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新する262安打をマーク。20年を過ぎた現在もいまだ破られていない大記録となっている。殿堂表彰は1936年に始められ、24年まで選手としては275人が殿堂入り。過去に日本人選手は野茂英雄氏、松井秀喜氏が有資格者となったが、イチロー氏が日本人初の栄誉に輝いた。
【イチロー氏 メジャーでの主な功績】■ルーキーイヤーで最多安打、新人王&リーグMVPを獲得(2001年)■メジャー新記録の年間262安打(2004年)■デビューから10年連続200本安打■史上30人目の3000安打(1900年以降では最年長)■日米通算4367安打の大記録■オールスターゲームで史上初のランニングHRでMVP(2007年)■初年度から10年連続ゴールドグラブ賞。
加速度を増して、衰えてゆくわが精神
きのうの夕方にはJR長野駅前で、男性二人と女性一人が遭遇する通り魔事件があった。明けてきょう(1月23日・木曜日)の午前2時49分には、福島県会津地方を震源地とする最大震度5弱の地震が起きた。アメリカ・トランプ大統領は、「アメリカ第一主義」を声高(狂暴)に唱えて、世界の国々と人民を震撼させている。これらの恐怖とは別に人には、病をはじめとする様々な厄介な事情がある。ゆえにこの世で生き続けることは、雲を掴むほどに困難事である。挙句、生涯において(生まれてこなければよかった)と、思う人は星の数ほどにいる。私自身、これまでの人生行路においては、一度ならず何度かこんな思いに見舞われていた。しかしながら現在は、その思いから脱している。なぜなら、あえてそう思わなくても、間近に死期が迫っているからである。
このところの私は、頓(とみ)に死期の近づき(意識)の渦中にある。その確かな証しには、もともと微々たる脳力(能力)の衰えをやけに自覚しているからである。もっと端的には簡易な日常漢字さえ、手書きできずに忘却が進むありさまである。これまでの私は、記憶力にはかなりの自信を持っていた。ところがもはやその自信はことごとく瓦解し、死期の訪れの自覚の因を為している。
身体と精神の調和があってこそ、「人間の体(からだ)」である。私の場合、精神のほうが先に崩れかかっている。崩れてしまえばどっちもどっちだけれど、精神の早や崩れは残念無念である。「ひぐらしの記」の製本(単行本)は大沢さまのご好意で、直近で第94集を数えている。しかしながらこんな調子では、目標に掲げる100集はおのずから夢まぼろしとなる。私は命の刻み、いや日々縮まりの中で生きている。嘆くまい! 人間だれしも生きることは、外圧および内圧の渦の中である。そう思ってもやはり、私は嘆いている。
夜明けはまだなく、なお長く迷想に更けそうである。デジタル時刻は、6:07と刻んでいる。継続文の足しに、何らかの表題は付けるつもりである。
出遭いのお世辞は、わが無償の処世術
1月22日(水曜日)。現在、デジタル時刻は5:01。驚くなかれ、ほぼ決めている定時の起き出しにある。夜明けは早くなり始めているとはいえ、いまだ真っ暗闇である。いつも用意周到のネタなく、寝起きの心中に浮かんでいることを出まかせで書いている。だから文章の脈絡は、常にこんがらがっている。つくづく恥ずかしいやら、また哀れである。
きょうの寝起きにあっては、こんなことが浮かんでいた。おとといになるけれど昼間、妻を伴い当住宅地内の道路をトボトボ歩いていた。すると、出会う人たちは自分らを含めてみな、ヨレヨレのお年寄りばかりだった。私は、その光景の寂しさに唖然とした。幸いにも朝夕に歩くと、いくらか異なる光景に出遭うことがある。すなわち、幼児の手をひいたり、猫を胸に抱いたり、犬をひいたりする、中年の人たち(主に女性)に遭遇する。それらは、散歩めぐりの人たちである。私は見知らぬ人であっても出遭えば一瞬立ち止り、あるいは行きずりに、ひと声「可愛いですね」と、呼びかける。すると、互いに笑顔がはじけて、短い会話になる場合がある。会話にはならなくても、「ありがとうございます」という、言葉が返ってくる。たちまち、道路上の二人の気分は和んでいる。
もとより、「お世辞」と「からかい」は、まったく五感や意味を異にする。お世辞は人様との出会いを明るくするけれど、からかいは逆に暗くする。だから、こんなときの出会いに際しては、私は意図してお世辞を多用している。もちろん、幼児の姿には真摯に可愛さをつのらせている。ところが、猫や犬の姿には、多くはお世辞である。なぜならこのときの私は、お世辞の効用を決め込んでいるからである。もっと端的に言えば、こんなおりお世辞は、わが無償の処世術の一つである。
私の場合、人間以外の生き物で好きと言えるものは、春先に庭中へ飛んで来る「メジロ」くらいである。猫や犬、いや愛玩動物(ペット類)のすべてを好きになれない。だから私には、猫と犬共に飼養(ペット)の埒外(らちがい)にある。しかし、これらを胸に抱いたり、引き連れて歩く人へ出遭えば、それらの姿に進んで、「可愛いですね」のひと声をかけている。散歩、行きずりの人との出会いは、多言を要せずこのひと言で十分である。なぜなら、犬や猫を仲介(出し)にして、人間同士のその場の気分が和むのである。きょうはこんなことを書いて、継続文の足しにするものである。
きょうのわが予定には、予約(10時半)の歯医者通いがある。薄っすらと光の見えない夜明けが訪れている。寒気は緩んでいる。なぜ! 私は、こんな小難しい文章を書くのであろう。ネタの無い祟りである。
「大寒」過ぎて、確かな「春の足音」
「冬至」と「夏至」は気象学的に、半年ごとの確かな季節の屈折点と言えそうである。一方、きのうの「大寒」(1月20日・月曜日)はこれらとは異なり、過去の気象データ上の季節変わりと言えそうである。浅学非才のわが下種の勘繰りゆえに、当たるも八卦当たらぬも八卦である。なぜなら、その証拠にきのうの大寒は、まるで寒気の底をあざ笑うかのように、このところで一番の暖かい陽射しが降りそそいだ。
私は夜明け時のちょっぴりの小雨に遭い、予定していた通院行動を訝(いぶか)っていた。ところが、夜明け時が過ぎて朝になると、寒気はおろか雨も止んで、冬空特有の澄明な空から、暖かい朝日が射し始めた。思わぬ、天界の恵みだった。私は茶の間で相対していた妻に向かって、こう言い放った。
「雨は止んで、寒さもない、きょうは予定した『S医院』へ行くよ。診察は午前中だけだから、急いで支度してね」
「パパ。雨も寒さもないのよ。よかったね。すぐに、支度するわよ。遅いと、怒らないでよ!」
結局、きのうは午前中に「S医院」への通院だけではなく、妻を連れ立ってほか、二つの懸案の用件を済ました。一つは妻の用足しのため郵便局へ向かい、そして一つは、夫婦共の用足しのために町内会館を訪れた。「大寒」にあって、わが夫婦の想定外の快挙行動だった。
起きて現在の時刻、寒気は和らいでいる。恐れるなかれ大寒は、確かな足取り「三寒四温」で春へ向かっている。だからきょうだけは、歳月や季節の速めぐり(感)を嘆くまい。人の世にあって、いやわが身にあって嘆く、事情は山ほどにある。きょうの世界事情は、良くも悪くもアメリカ・トランプ大統領の吠え声に、一喜一憂しそうである。山の早起き鳥に急かされなく起きて、現在のデジタル時刻は5:06である。いまだ夜明け前にあってはおのずから、きょうの天気模様を知ることはできない。ただ、のんびりとキーを叩いてきたけれどこの間、寒気はまったく感じない。確かな、春の足音が近づいている。
大寒
きのうはおとといへ流れ、きょうはきのうへ流れ、あすはきょうへ流れてくる。人生の晩年を生きる者にとっては、止めようのない(あっ)という間である。この流れの中にあって、感情の動物が住む人間社会には、日々、人間のしでかす様々な出来事が起きる。確かに、世の中を明るく潤す出来事も少しはある。しかしながらそれらの多くは、世の中を暗くする事故や事件がらみばかりである。お釈迦様が説く人間社会は穢土(えど)、四苦八苦まみれだという。これに反しあの世は、極楽浄土だという。(だから、あの世を恐れることはない、いらっしゃい!)と、身勝手な説法を垂れて金銭をせしめている。説法が真実であればこの世(現世)は、あの世(来世)に大負けである。しかし、幸いにも嘘っぱちである。
寒気の底のきょう、「大寒」(1月20日(月曜日)の起き出しにあって私は、いろんな想い(迷想)を浮かべていた。大寒にあって、雨の予報がともなっていた。ゆえに私は、パソコンへ就く前に、傍らの窓ガラスを開いて外気、雨模様を確かめた。ところが、一基の外灯が淡く灯す道路上には、まだ雨の印しはなかった。しかし、予報が確かであれば、時を刻んだこの先のでどこかで、雨が降り出すであろう。大寒なのに雨の予報のせいなのか、寒気は緩んでいる。
きょうのわが夫婦にはそろって、当住宅地内に一院ある、掛かりつけの「S医院」への通院予定がある。ところがこの実行は、寒気は凌げても雨の中では危ぶまれている。なぜなら、歩行不自由の妻の足は、寒気には耐えても雨を嫌うからである。
きょうだったかな? 世界は、アメリカ・トランプ大統領の就任式にあって、祝意と共に恐々としている。一方、快事として伝えられているのは、イスラエルとハマスの一時(6週間)、停戦合意である。しかし、韓国は大荒れ、ウクライナとロシアにあっては、いまだ戦争の止む兆しはない。日本社会も政局、フジテレビ問題、そしていまだに兵庫県知事がらみなどで、喧騒を極めている。近づいた「大阪万博」が、スムースにスタートすることを祈るばかりである。きょうは起き立てに心中に浮かべていたことをあえて記した。実の無い文章は、ここで閉じることとする。
薄っすらと夜が明けて、あれれ!……、小雨が降り出している。おのずからきょうの通院予定はあすへ延びて、茶の間暮らしになりそうである。
嗚呼無常、嗚呼無情
1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。
ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。
しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。
時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。
寝坊助の戯言(たわごと)
「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。
さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。
きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではなく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。
6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。
生きて「30年」
現在、デジタル時刻は、4:42と刻まれていた。当時の私は同時刻、兵庫県尼崎市東園田町にある単身赴任用の借り上げマンション401号室で寝ていた。当時の起き出しはいつも、5時過ぎだった。きょう(令和7年・2025年・金曜日)、スマホを片手にしてこのことを確かめた。「阪神・淡路大震災とは、1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46秒52秒に発生した兵庫県南部地震により引き起こされた災害のことである」。実際のところは確かめるまでもなく、寸分たがわずわが脳髄の記憶の中にある。なぜならこのときの私は、この地震の確かな罹災者である。その証しには、世の中の人たちから助成金(罹災見舞金)を賜っている。
当時の私は、勤務する会社の大阪支店(中央区淀屋橋)において、管理課長の任に当たっていた。住まいは単身赴任を認められて、「阪急神戸線」を頼りに、上記の一室に構えていた。現在、デジタル時刻は5:05である。当時の私は、もちろん一人寝である。不断から私は、寝覚まし時計など不要の早起きである。始業時間(8時30分)に合わせて、そろそろ起き出していた。一人、小さなテーブルを前にして朝食をとり、早やてまわしに出勤準備を整えていた。単身赴任の出勤準備は、もとよりすべてわが行動は、完全無欠でならなければならない。これに向かって、まだいつもの出勤前の行動である。出勤前の最後の行動は、トイレの用足しである。私はトイレの中で地震に見舞われた。棚にぎっしり詰めて並べていた本類のすべてが、頭、肩、背中、いや全身に落ちてきた。台所を除いて一間の部屋には、括りつけの洋服ダンスから、こちらもすべてが部屋の中に散らばっていた。これらのほか、小型のテレビ、小型の食卓(テーブル)などこれまたすべてが、足の踏み場なく、散らばっていた。
管理課長は支店長を除けば、内輪の責任者である。わが私生活および勤務の生活共に、この地震以降は長く、つらく一変した。30年前の地震のことを私は、生きて書いている。多くの犠牲者を鑑みれば、やはり幸運と言えるであろう。現在、5:46になった。文章を閉じます。
詫びと御礼
1月16日(木曜日)。デジタル時刻は現在、まるで神業のごとくにわが起き出しの定時、5:00ちょうどを刻んでいる。しかし、睡眠にあっては二度寝にありつけず、浅い眠りのままの起き出しを食らっている。高橋弘樹様から賜った「笑いのご教示」は、そののちいまだ実践にいたらず、伏して詫びるところである。これに加えて、詫びなければならないものには、大沢さまへの無礼がある。大沢さまもまた、わが胸の痛みを心配されて、いちはやくそのことをパソコンメールで送信されていたのである。ところが私は、パソコンメールを開かず、そのことに気づかずに過ぎていた。ゆえに遅れて、大沢さまにたいし、詫びと御礼を記すものである。お二人のほかたぶん、掲示板に訪れておられるご常連の人たちもまた、声なき声でご心配くださったと思い、こちらにも御礼を申し上げるところである。わが高年齢のしでかしゆえに、一寸先は闇の中でありこの先、心配はご無用とは言えないけれど、そののち痛みは免れている。きょうは私事、このことを書けば十分である。だから以下は、付け足しである。
きのうの「小正月」(1月15日・水曜日)にあっては、テレビニュースの映像には日本列島各地の「どんど焼き」風景が散らばった。私は映像を観て、子ども返りとなり、懐かしく郷愁まみれになっていた。「ひとり笑い」は零れなかったけれど、心は全開に和んだ。前日の胸の痛みを和らげた、棚ぼたの小正月だった。
一方、小正月が過ぎて、それを境にしてきょうあたりから、正月気分は遠のいて行く。するとこの先は、春の訪れの楽しみにすがるわが日暮らしである。元気にいや生きて、暖かい春を迎えたいものである。
デジタル時刻は、ちょうど5:30。夜明けの光は、まだ先である。肌身は、寒気にブルブル震えている。「大寒」(1月20日)は、まもなくである。
知恵者、高橋弘樹様からさずかった教訓
起き出して来てパソコンを起ち上げると、デジタル時刻は、4:57と刻まれている。起き出し時刻は、みずから決めている定時(5時)近くにある。まずは生きて起き出していることに、みずからを褒めている。これに微笑(ほほえみ)がともなうと、起き出しは100点満点である。けれど、無念にも笑みは零(こぼ)れていない。いや、笑みの無いことには、ホッとしている。なぜなら、こんなことに笑みが零れたら、もはや私は気狂い(症状)である。
パソコン起ち上げの倣(なら)いにしたがって、机上カレンダーを見詰めた。すると、きょう(1月15日・水曜日)には「小正月」と記されている。ふるさと時代の子どもの頃の小正月には、元旦の行事(雑煮餅、神棚参りなど)がそっくり繰り返された。加えて小正月特有に、村中の地区ごとには「どんど焼き」が行われた。村人総出の楽しいひととき(行事)であり、老若男女(ろうにゃくなんにょ)だれもが満面に笑みを湛えていた。青竹の先っぽに差した餅を焼くときには、隣の人の焼け具合を見て呵々大笑(かかたいしょう)の渦が湧いた。
さて、きのうは文章を書いている最中に突然、胸の痛みをおぼえて、心筋梗塞を恐れてすぐに文章を閉じた。こののちは幸いにも事無きを得て、明けて現在は、文章書きにありついている。(なんだったんだろう?……)、今ではちょっぴり笑いたくなるような出来事だったけれど、もちろん笑えない。このときの異変に対し、心優しい高橋弘樹様は早速、いつものエールに加えて、貴重なアドバイスを授けてくださったのである。それは、わが日常生活における「笑いのすすめ、笑いの大事さ」だった。数々の笑いの種のアドバイスにあって、究極はこれだった。高橋様の訓えの根幹はこれである。「笑いたくなくても、『はははははーー!!』」と声に出して笑ってみる」。すなわち、笑いの大事さの諭(さと)しである。すると、このことにちなんで私は、スマホを片手にして「笑い」の検索を試みた。このあとは、スマホの記事のそのままの引用である。
【笑いとは、楽しさや嬉しさ、おかしさなどの感情を表現する行動です。声や顔の表情で表され、感情体験と深くかかわっています。笑いの効果には、次のようなものがあります。・心身の健康を改善する・免疫力を高める・脳の働きを活性化させる・血行を促進させる・自律神経のバランスを整える・痛みを和らげる・記憶力を高める・認知症の予防に効果的】。「笑いは、感情ではなく行動なので、意識的に増やすことができます。人付き合いを増やしたり、笑いヨガを行ったりすることで笑いを増やすことができます」。
きょうは歯医者通い、泣くことは容易(たやす)いけれど、わが日常生活にあって笑いは、とうに消えている。少しは高橋様のアドバイスに報いたいものである。もちろん、わが健康のためである。きのうの突然の胸の痛みは、笑いを忘れているわが日常生活の祟りであったろう。夜明けの空は、どんより曇っている。