ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

切ない「特上寿司」

 九月十一日(日曜日)、いまだ夜明け前の暗闇にある。夜が明ければ快い秋風をともない、朝日が輝くであろう。きのうの昼間の胸の透く秋空を見上げて、私はこんな思いを膨らましていた。すなわち、天変地異のない自然界の恵みは、人為のどんな恩恵をも凌ぐものがある。こんな思いをたずさえて私は、秋天高い日本晴れの下、買い物用の大型のリュックを背負って、ヨタヨタ足で歩いていた。両手には有料のレジ袋に変わって、持参の布製の買い物袋を両提げにしていた。この光景は、買い物における定番のわがスタイルである。しかしきのうの場合は、いつもとは違って荷崩れを案じ、かなり神経を尖らしていた。
 さて、「ひぐらしの記」は、私日記ゆえにきわめて私的なことを書き続けている。妻は、「ひぐらしの記」は一切読まない。十五年の継続にあっても、まったく無関心のままである。私は拍子抜けというより、つまらなさをおぼえている。ところが、妻が読まない幸運もある。もちろん私は、妻が目を剥く文章は書いていない。しかし読めば妻は、わが文意を曲解し、難癖をつけられたり、怒りをこうむる恐れはある。
 妻は神奈川県逗子市出身、年齢差は私より三つ年下である。出会いの経緯は、過去の「ひぐらしの記」に書いている。なれそめなく、ぎこちない見合いである(大学友人の従妹)。書くまでもないことを、仰々しく書いた。もし仮に、妻が盗み読みでもすれば、私に向かって目を剥くであろう。単行本にすれば、いくらか恐れるところある。しかし、パソコン上の文章だから、その恐れはない。
 さてさて、きのうは、妻の誕生日だった。それによる買い物の目玉は、妻が好む「特上寿司」だった。荷崩れに気を揉んでいたのは、パック入りの寿司をおもんぱかっていたからである。かつての誕生日のお祝いは、居酒屋「きじま」の昼懐石か、あるいは大船駅中にあった立ち食い寿司店「千寿司」だった。今や、遠い佳き思い出である。ところが現在の妻は、腰を傷めて外出行動を渋り、無理して出かけば、私は介助同行役である。それでも私は、「きじまへ、行こうかね……」と、呼びかけてみた。妻の応答言葉は、「パパ。行かなくていいわよ。わたし、行きたくないわよ」。
 かつての千寿司は、経営者を替えて今は馴染みなく、すっかり足が遠のいている。大船の街には、かつてあった回転寿司さえ今はない。昔ながらの専業の小奇麗な寿司屋もない。頼るところは、スーパーの出来合いの寿司である。ただひとつだけ趣を異にする店には、海産物だけを商う「鈴木水産」がある。そこには店の一角に、スーパーよりいくらか生々しく見える寿司が並べられている。ワンパックで最高値段は、1200円のものである。特上寿司という表示はないけれど、私はがわが財布と相談して勝手に、「特上寿司」と名付けている。特上寿司の目玉は、ウニと大きなエビである。私はそうでもないけれど、妻はどちらも飛びっきりの大好物である。
「きじまへ行かないなら、鈴木水産から特上寿司を買って来るよ」
「パパ。高くてもいいの?……」
「高くないよ。おまえ、寿司が大好きだから、大船へ買いに行ってくるよ」
「パパ。ごめんね!」
 書き終わってみればなんだか侘しく、わが甲斐性無しのお里の知れる文章である。
 夜が明けてみれば期待は外れて、大空は風まじりのお雨模様である。こんな身も蓋もない文章には、表題のつけようがない。

文章にならない、書けない

 九月十日(土曜日)、起きて窓ガラスを開けたら、冷ややかな秋風が吹き込んだ。望む大空は少し明るんで、淡い日本晴れである。ようやく待ちくたびれていた、さわやかな空の夜明けである。それでも風が強いのは、南の海に発生したと言う、台風の前触れであろうか。確かに季節は、台風シーズン真っただ中である。だから、台風11号は去っても、ゆめゆめ安穏はできない。季節は初秋、例年であれば額に汗かく、厳しい残暑の候である。ところが今年は、一向に残暑のない異常季節にある。夏の名残は、とうに早じまいである。異常季節であればまずは、天変地異に恐れるところである。私は自然界および人間界ともに、焦眉の憂いない季節変わりを願っている。
 書くネタなく、出まかせ、書き殴りの十分間程度のお茶濁しの文章である。それゆえ、無理してこの先を書くこともない。このところの私は、寝床の中で様々な妄想をめぐらしている。いや、いろんな妄想に取りつかれている。もちろん、こんなことでは二度寝や安眠にありつけるはずはない。今や、私にとっての寝床は、睡眠をむさぼる場ではなく、果てし無く妄想のめぐる場と化している。至極、残念無念である。しかし、幸運にも昨夜にかぎれば二度寝にありついた。ところがその挙句、執筆時間に追われて、ネタをめぐらすことなく、こんな文章を書いている。気分が良い割には、しっちゃかめっちゃかの文章である。恥じて、この先を書くのは控えたい。
 先ほどの淡い日本晴れは濃くなり、満天下、朝日が煌煌と光っている。望んでいた胸の透く秋の訪れである。だから私は、ようやく訪れたさわやかな秋にしがみついて、気分直しをしたくなっている。しかし一方では、かたじけなく思う、秋の夜明けである。殴り書きを止めた。

人生訓と人生観

 九月九日(金曜日)、雨は降っていないものの、まったく朝日の見えない、どんよりとした曇り空の夜明けである。このぶんでは昼間にも、胸の透く秋空は望めそうにない。季節、端境期特有の残暑もなく、きのうの私は、寒気に震えていた。恐れていた台風11号は、大過なくどこかに消え去った。しかしながら、このところの天候不順は、台風11号のしわざであろう。ところが、12号と13号が発生しているという。だとしたらこの先も、これらの台風の前触れをこうむり、これまでのような悪天候が続くのであろうか。つくづくもったいないと感ずる、好季節の初動である。
 さて、わが人生終末期にあって、私は寝床の中でいまさらながらに、こんな二つの言葉を浮かべていた。挙句、枕元に置く電子辞書に手を伸ばし、仰向けで開いた。
 人生訓:世間で生きていくために役立つおしえ。
 人生観:人生に対する観念または思想上の態度。
 あらら! 私は、同義語を重ねれば生まれつき・根っからの愚か者である。なぜなら私は、両言葉の区別や意味さえ確かには知らず、日和見主義に徹して平々凡々と生きてきたにすぎない。その証しには、人様から「前田さん。あなたの人生訓と人生観をお聞かせください」と問われたら、私は答えようなく赤面を晒すこととなる。すでに八十二年も生きてきて、こんなことを書くようでは、確かなわが身の恥である。結局のところ私は、人生訓を垂れたり、人生観を告げたりする資格を持たないままに、ただ生きてきただけである。
 生前の母は、「しずよし、何事もするが辛抱!」と言っては、私に辛抱することの大切さを言い続けていた。母は、飽きっぽいわが性癖を見越して、わが人生訓に代えて遺したのであろう。ところが、私は母の思いに背いて、さずかった人生訓を空念仏にしてすぎてきた。みずから持ちえた人生訓はない。
 一方、わが人生観は、もちろん母に頼ることはできず、自分自身が生み出さねばならないものである。ところがこれとて、確かなものは持てずじまいである。無理やり浮かべれば、八十二年の人生体験における悟りの人生観は、なんともなさけない「諦観と我慢」である。
 ネタなく、こんな身も蓋もない文章を書いて、一巻の終わりとするものである。まだ、朝日は見えないけれど、大空はいくらか明るみ始めている。文章を締めよう。「諦めと我慢」、すなわちわが悟りの人生観である。

掟(おきて)破り

 九月八日(木曜日)、小雨模様の夜明けを迎えている。九月になって早や一週間が経つけれど、ちっとも秋らしくない天候が続いている。せっかくの好季節にあっては、至極残念無念である。しかし、自然界の営みゆえに、恨みつらみはない。恨みつらみは、人間界の営みからもたらされる。これまでの私は、この手のメディアニュースの追認(引用)だけはすまいと、心して避けてきた。ところが今、その掟を破っている。事件、事故という、言葉は使いたくない。あえて言えば出来事、いやこれとて適当ではない。結局、事の表現に詰まって私は、「人間、愚か者のしくじり」と書く。確かに、わが固い掟を破っている。大きな罪作りである。
 罪滅ぼしに、メディア記事の全容の引用だけは止めれば、こうである。すなわちしくじりは、静岡県牧之原市の川崎幼稚園における園児(三歳)の、送迎バス中における置き去り死である。私はこれには平静になれず、書かずにおれなかった。もちろん、この先を書く気分にはなれず、この文章はこれでおしまいである。
 天災とは異なり、人災には無性に腹が立つ。このたびの愚か者のしくじりは、何よりの確かな証しである。人の命には、本人個人と両親の命、三つが宿っている。

わが人生における最大難渋、それはデジタル社会

 九月七日(水曜日)、いまだ夜明け前の暗闇である。目覚めたゆえに起き出している。文章を書く時間はたっぷりとある。ところが書けない。文章は心象風景が醸す描写である。気力充実、気分上昇のおりにはやたらと書ける。しかし、その逆のおりはまったく書けない。文章ほどあからさまにみずからの精神状態を露わにするものはほかにない。「南無阿弥陀仏」、ネタなくこれで結文としたいところである。
 きのう書いた文章の表題には、『わが人生の最大幸福』と、書いた。すると現在、わが心中に浮かんでいるのはその逆である。あえて文字にすれば「わが人生の最大不幸」である。しかしながらこれは大袈裟すぎて、見え透いた言葉遊びにすぎない。実際のところはわが人生において、期限を切って現在、難渋しているものではと、言い換えるべきものである。遠回しの表現は止めてズバリ言えばそれは、わが手先の不器用と脳髄の劣弱とが相まって、私自身のデジタル社会への不適合(不適応)である。それなのに社会は、日々デジタル社会への加速度を強めている。おのずから私は、その潮流に乗れずに「置いてきぼり感」を強めて、それにさいなまれている。逆に言えばデジタル社会に適合し、あらゆるデジタル機器を駆使できれば苦悩せず、どんなに快楽であろうかわが身の回りのデジタル(電子)機器は、おおむねパソコン、スマホ、デジカメ、これらに加わるものでは、印刷機、固定電話のファックス機能がある。電気機器ではテレビ、エアコン、固定電話、給湯器、レンジ、冷蔵庫、掃除機などである。要はこれらがちょっとでも壊れると、にっちもさっちもいかずに狼狽(うろた)えて、私は慌てふためいている。銀行の出入機、スーパーの支払い機にさえ戸惑うばかりである。どうにかすんなりとタッチしているのは、電車やバスの乗降口における、乗車券代わりの「スイカ」くらいである。もとよりデジタル社会は、人間社会の利便性を眼目にして、日進月歩を続ける人間社会協同の施策である。それに乗り遅れて、余儀なく苦悩をこうむっているのは、だれに転嫁のしようもないみずから種を蒔いた、「わが人生の最大不幸」と言えそうである。確かにこれは、最大不幸とは大袈裟すぎてその予備軍、すなわち「わが人生における最大難渋」くらいに、留め置くものであろう。
 現在のわが心象風景は渋っていている。それゆえ、こんなことしか書けない。朝日薄っぺらく、のどかな夜明けが訪れている。人為のない、もちろんデジタルのない自然界は、人間社会に付き纏う憂さを晴らしてくれる。だから私は、こよなく自然賛歌を唱えている。きのう続いて、きょうもまた、表題のつけようのない文章である。

わが人生の最大幸福

 九月六日(火曜日)、体調崩れて憂鬱気分に取りつかれている。身体が損なわれるのは加齢のせいであり、もはや抵抗のしようはない。しかし一方、精神の傷みは、加齢とは関係ない。それは、わが克己心の弱さである。大袈裟に書いたけれど、いまだに夏風邪が癒えない上に、突然歯痛が襲い重なっている。こちらは買い置きの薬剤で抵抗を試みている。けれど、さしたる効果は顕れない。内科医はそうでもないけれど、歯科医には足と気持ちの竦(すく)むところがある。なぜなら歯科医は、通い始めればエンドレスとなる傾向にある。しかしながら私は、歯痛だけは自然治癒にあり得ないことくらいは、とうに知りすぎている。結局、どちらもわが天邪鬼(あまのじゃく)の祟りである。精神安定剤に変わるのは、やはり通院というわが決断である。
 さて、「ひぐらしの記」は、随筆集とは名ばかりの私日記にすぎない。それゆえにそれに甘えて私は、実際のところは継続の寸断に怯えて、わが身辺の芥(あくた)ごときネタまで書いて繋いできた。換言すれば、わが身の恥晒しである。だけど、恥晒しを恥と思えば、私日記とて文章は書けない。それゆえに、文章を書き続けるためには、恥晒しは承知の助である。憂鬱気分に苛(さいな)まれるなかで、目覚めて私は寝床の中で、こんな思いに耽っていた。私日記ゆえに書ける恵みである。人類の最大幸福は、人為の戦争がないことである。これになぞらえて、わが人生の最大の幸福は何か? と、思いをめぐらしていた。するとそれは、同様にわが身辺に諍(いさか)いのないことである。とりわけ血縁、すなわち親子かつ兄弟・姉妹にあって、諍いや喧嘩のないことがわが最大幸福である。私の場合、戸籍の上では異母、その子どもたち(異母きょうだい)、そしてわが母、その子どもたち、並べて何ら隔てのない多くの兄弟・姉妹に恵まれている。(戸籍上のきょうだいは、十四人と記されている)。もちろん異母と、早死にした姉の一人は、対面叶わずである。きょうだいのなかで私は、十三番目の誕生である。しんがり十四番目の唯一の弟は、生後十一か月のおり、わが子守どきの不始末で、生業の水車の水路にドボンと落ちて、この世から去った。多くのきょうだいたちの中で現在、生存は次兄と私だけである。老少不定は世の常である。
 結局、わが人生の最大の幸福は、親子喧嘩一つすることなく、また見ることもなく、さらにはきょうだい喧嘩一つすることなく、また見ることもなく、わが人生を閉じそうだということである。もちろん、次兄と私の仲は、全天候型に晴れ渡っている。もとより、「ひぐらしの記」は私日記である。それゆえに、こんなことまで書けるのである。さらには、恥晒しを恐れていては、もちろん書けるはずもない。結局、憂鬱気分著しい寝床の中で私は、わが人生の幸福感に浸りきっていたのである。ご常連各位様には、平にお許しを乞うて、かたじけなく思うしだいである。わが憂鬱気分を癒してくれそうな、清々しい秋の夜明けが訪れている。

表題のつけようのない、戯言(ざれごと)

 九月五日(月曜日)、いつもの習性すなわち二度寝にありつけず、真夜中みたいな時に起き出している。このことだけですでに、十分疲れている。私の場合は、安眠こそあらゆる薬剤に勝る、効果覿面の薬剤である。安眠、すなわちこんなたやすいことさえ叶えられないことには、精神異常であろうかと、思うところがある。
 ここ二日は、文章を休止した。書けば、こんなことしか書けない。それゆえにきょうもまた、書くつもりなかった。早起きしたための空き時間は、仕方なく生涯学習に当てていた。ところが、もとよりいやいや気分の学習では空き時間は埋めきれない。つまるところパソコンにすがり、これまた仕方なくこの文章を書き出している。それでも夜明け前まで、まだたっぷりと時間がある。だとしたら腰を据えて、文章を書けばと思うところはある。ところが、その気にならない。おのずから、空き時間の埋めようをめぐらしている。その処方箋には、三つほどが浮かんでいる。最も手っ取り早いものでは、寝床へのとんぼ返りである。もう一つは、外灯を頼りに道路の掃除への早駆けである。最後の一つは、雑草きわまりない庭中の草取りである。ところが、どれもが決め手にならず、パソコンにすがっている。確かに、この先を書けば、最後には慌てふためくほどに空き時間は埋められる。しかし、それにも気力がともなわない。嗚呼、なさけない。「ひぐらしの記」は、ただ生きているだけの証しに成り下がっている。
 きのうは、東京へ向かった。都下・国分寺市内に住む、次兄の機嫌伺いである。出かけるたびにだんだん、わが気分は沈んでくる。次兄とわが年齢差は、十(とお)である。優しい次兄なくしては、この世に私の存在はあり得ない。だから、恩返しに果てはない。わが体調不良は、機嫌伺いの可否の言い訳にはならない。行けば次兄は、逆に真っ先にわが体調を案じてくれる。いや、妻、娘、孫へいたるまで、私同様に案じてくれる。いつものことだけれど、出かけるときは気懸かりだけれど、帰りには気分が晴れている。しかし、これも期限付きである。
 きょうは気分の晴れに恵まれて、休むつもりの文章が書けたのである。いや実際には、空き時間潰しである。ところが潰し切れずに、夜明けまではまだたっぷりと空き時間を残している。生きている証しだけの文章は、つくづく遣る瀬無い。三日連続の休止を恐れた文章でもある。表題のつけようはない。沈んだわが心を癒す、さわやかな秋の訪れを願っている。

梅雨明けは、やはりそうだった

 九月二日(金曜日)、私は体調不良に陥っている。それゆえに継続だけを願って、メディアニュースの引用だけで留めるものである。今年の気象庁の早い梅雨明け宣言にたいして、私は「間違っているのでは?」という、一文を書いた。「梅雨は、すんなり明けるはずはない。日本列島のどかに豪雨災害をもたらしたのち、ようやく明けるものだ!」。このことは、過去からのわが体感上あるいは体験上の確かな学習だったのである。ところが、気象庁の梅雨明け宣言後にあって、日本列島のあちこちは、豪雨災害に見舞われたのである。やはり、そうだった。私は確信犯でも愉快犯でもない。しかしながら、当てずっぽうのわが考察に、今、ちょっぴり自惚れている。【気象庁は1日、「観測史上最も早い」とされていた関東甲信地方などの梅雨明け時期について、速報段階の「6月下旬」より約1カ月遅い「7月下旬」に確定したと発表した。「速報値」と「確定値」が変更されるケースは少なくないが、ここまで広い範囲で大幅に変更されるのは初めてだという。】

防災の日

 九月一日(木曜日)、夏が去りまごうことない秋の訪れにある。その証しでもあるかのように、久しぶりに気候のさわやかな夜明けが訪れている。ただ惜しむらくは、八月の二度目の夏風邪は治りきらずに、九月へ持ち越している。それでも、憂鬱気分を蹴散らしてくれる天恵である。しかしながら一方、ゆめゆめ油断がならない地震や台風の多い月の訪れである。時あたかも、きょうは「防災の日」である。それゆえに、例年であれば際立って、「天災の恐ろしさとそれに備える防災」が叫ばれる。そして、この日にちなむ「防災訓練」や、いろんな行事も営まれる。
 ところが、新型コロナウイルスの発生以降は、そちらの対策や報道に明け暮れて、防災の日にかかわる行動や行事は、かなり後塵に拝している。しかしながらやはり、天災列島と揶揄される日本の国に住むかぎりは、天災の恐ろしさとそれにたいする備えは肝要である。九月にかぎらず台風は現在、十一号の号数を数えて、日本列島に向けて北上中である。しかも十一号台風は、史上稀なる大型台風と予報されている。そのうえ、新たな台風の発生が伝えられている。もし、二つの台風が抱き合わせで襲ってきたらと、気象庁はその恐ろしさを伝え始めている。
 台風は予報付きだから、いくらか身構えることはできる。しかしながら地震には、まったくの無抵抗である。その挙句、国や国民の混乱ぶりは、いかなる大型台風の比ではない。一瞬にして国が滅び、国民の命が絶えるほどの様相(災難)に見舞われる。防災の日とは、ズバリ地震の恐ろしさを忘れてはならないという、警(いまし)めの日である。確かに、いっときも忘れはしないけれど、事前の備えはまったくできずじまいである。それゆえ、最も憎たらしい天災は、ずば抜けて地震である。確かに、コロナも恐ろしいけれど、天災とりわけ地震、台風、豪雨、竜巻、雷、などに及ぶものではない。言うなればコロナ禍は、天災と異(こと)にする別次元の恐ろしさである。
 きのうは防災の日を前にして私は、もちろん事前の備えではなく、事後対策として名ばかりの「防災グッズ」を買ってきた。何ら役立たずの、お金の無駄遣いとは承知の助である。しかし防災グッズは、お金無駄で、役立たずで済めば、至上の幸運である。すなわち、事後であろうと防災グッズは、役に立っては困るのである。こう心に決めて、「おまじない」のつもりで、いくつかを買ってきた。私はいつなんどきも、天災の恐ろしさは忘れていない。それは、台風にわが家の屋根を飛ばされた痛い体験の教えである。あれ! こう書いているうちにのどかな夜明けは、雨嵐になっている。気が揉む、恐ろしい防災の日である。

八月末日

 八月三十一日(水曜日)、台風十一号が北上中のせいなのか、夜明けの空はシトシト降りの雨である。台風は自然界のしわざであり、人間界に罪はない。座して望むところは、できるだけ災難・被害なく、彼方へ遠ざかることである。知りすぎている四字熟語だけれど、電子辞書を開いた。
 【自業自得】:「(仏)自らつくった善悪の業の報いを自分自身で受けること。一般に悪い報いを受けること。自業自縛」。
 これと、ほぼ同意義の言葉が浮かんでいる。ズバリ、悪行(悪い行い)の報いである。すなわち、わが悪行の祟りやしっぺ返しである。かなり大袈裟だから換言すれば、実際にはこうである。ほぼ毎日、私は似たり寄ったり、かつ実のない文章を書いている。それゆえの悪の報いは、掲示板に訪れる人様が、だんだん減り気味である。すなわち、わが罪と罰である。もちろん私は、身の程をわきまえず、のぼせあがっているわけではない。なぜなら、掲示板へのわが貢献度はなく、それゆえ罪もない。だから、書くネタなく、言葉遊びにすぎない。
 きょうは八月末日(三十一日)、よくも似たり寄ったりの実のない文章を書き続けてきたものだと、思うところばかりである。もちろん、反省しきりだけれど、出口への展望はない。このことを恥と思えば、九月への継続は沙汰止みである。二度目の夏風邪はいまだに治りきらず、こちらはなんなく九月へ持ち越しである。シトシト雨は、土砂降りに変わっている。私は、心静かに降りようを眺めている。わが罪と罰を思う、月替わりの嘆息である。