ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
あわただしく過ぎ行く2月
2月24日(金曜日)。夜明け前に起きている(5:28)。しかし、夜明けの早い時季にある。それゆえ、心が急いている。2月の残す日は、片手指の数だけになった。わかりきっていることだけど、あらためて2月の短さを感じている。2月は、1月と3月、すなわち冬と春の狭間にあって、心が揺さぶられる月である。このことはすでに書いた。だから、二番煎じになるけれど、再び記してみる。
私は、机上のカレンダーを眺めている。すると、多くの歳時(記)と、二つの国民祝祭日がある。主だったそれらを書けば、節分、立春、聖バレンタインデーがある。加えて、「建国記念日」と「天皇誕生日」がある。これらはすんなりとは過ぎず、それぞれに特有の人の営みが付き纏い、メディアから報じられてくる。それゆえに、あわただしい日常(感)を醸し出してくる。これらに、世の中の動きが加わる。世界事情ではウクライナとロシアの戦争がある。さらには「トルコ地震」による、トルコとシリアにおける4万人超の死者が伝えられている。
日本の国内事情では、新型コロナウイルスの収束状況のさ中にある。広域強盗事件と詐欺事件には、恐々として眉を顰めていた。これらを除いても事件や事故は、日常多発を極めている。幸いなるかな! 私は、これらの難事から免れてきた。ところが、明けても暮れても2月のわが心身は、寒気に震え続けてきた。結局、私にとっての2月は気分が萎えて、さらには日めくりの慌ただしさに追いまくられてきた。挙句、2月は「是(これ)、好日」とは言えないままに過ぎようとしている。しかし、カレンダー上に2月がなければ、もとより春3月はめぐってこない。
夜が明けても、寒々しい空模様である。やはり2月は、春3月に望みをかけて、ひたすら耐える月である。その日々は、残り僅か五日である。めぐり来る春三月は、わが望みをかなえてくれるだろうか。「さらば2月」である。
天皇誕生日
「天皇誕生日(2月23日・木曜日、祝祭日)。天皇陛下、63歳。私、82歳。目覚めたから、起き出して来た(デジタル時刻5:50)。久しぶりに、ぐっすり眠れた。寒気は、遠のいている。春が来たのだ。寝起きの気分は悪くない。しかし、文章を書く気が起きない。書くこともない。いや、もう書けないのだ。わが文章は、惰性すがりの継続にすぎない。ところが、惰性が頓挫しそうである。文章の継続は、人様頼みにはできない。継続を叶える便法は、たった一つしかない。すなわちそれは、弱い心をみずから鼓舞し、克服することだけである。まったくなさけない、現在のわが心境である。天皇陛下は、どんなご心境でお誕生日をお迎えであろうか。皇后陛下(雅子さま)にそそがれる、優しい眼差しに救われる。私は心からご長命を願い、お誕生日を寿いでいる。
心弾んだ「ふるさと便」
2月21日(火曜日)。寒さは緩んでいる。夜明けは早くなっている。これらのことでは、私には二律背反するところがある。確かに、寒さが緩むことでは、文章を書くには好季節である。ところが一方、夜明けが早くなれば、文章を書く時間に切迫感を被る。挙句、心が急いて、走り書きを強いられる。物事を為すには一挙両得など、そうあり得ない。その証しには、「二兎を追えば一兎も得ず」という、成句もある。
ところがきのうの私は、棚ぼたのごとく二つの幸運にありついたのである。幸運をもたらしたのは、思いがけない「ふるさと便」の宅配であった。ふるさと便は、コラボレーション(協和)を為していた。すなわち、寒い身体を温め、同時に鬱な精神を癒した。まさしく協和して、ふるさと便特有の和みを恵んでくれたのである。このたびのふるさと便の荷造り人は、身内や親類縁者ではない。不意打ちを突かれて、驚きを誘うものだった。そのぶん余計、私はありがたみとうれしさに小躍りした。送ってくれたのは熊本県の片田舎を離れて、今や熊本市の中心市街地に住む、小・中・高生時代の親しい学友である。当時の熊本県鹿本郡内田村(現在、山鹿市菊鹿町)は、学友と私にはふるさとに名を変えて、共に懐かしく心の拠りどころを為している。
私は、宅配された段ボール箱をを心弾ませて開いた。掛け値なしの、ふるさと便であった。食べつけの味覚はもとより、子どもの頃より慣れ親しんでいた品々が詰まっていた。早速、私はスマホを難聴の耳に当てた。
「今、贈り物が届いた。びっくりしたよ。なんで、送ったの?」
「もう着いたの? 速かなあ……、きのう送ったばかりだったのに。相良(あいら)へ行ってきたから、そのとき送ったよ」
相良地区には、子授かりの霊験あらたかを謳う「相良観音」がある。「観音様」は近郊近在の人たちのみならず遠方へも名を馳せる、ふるさと唯一の名刹である。それゆえ観音様はわが子どもの頃より、大勢のお参り客を呼ぶ、村一番の観光の名所を為している。学友の生家は相良地区にある。実際には「内田川」を挟んで川向こうにあり、わが生家からは目と鼻の先に真正面で見えている。
「父の命日だったから、相良へ行ってきた。そのとき、いつもの階段下の土産屋で送った。懐かしかろと、思って……」
「そうな。命日で行ったの? ありがとう。俺の好きなものばかりが、いっぱい入っていた」
お父様の何回忌かの命日は侘しいけれど、ところが身勝手にも私には、生きる喜びを実感する「ふるさと便」だった。走り書きにも利がある。心急いて書いたのに、薄っすらと夜が明けたばかりである。ふるさと便は常に、わが心身を和ませる筆頭にある。
春、迷い
2月20日(月曜日)。すでに夜が明けて起き出して来て、かなり焦りながら、きょうは休もうと思っていた文章を書き始めている。しかし、休心状態に変わりない。なぜなら書いても、文章の体をなさない。無理やり書く文章の多くは、人生晩年におけるわがありのままの心模様である。すると、創作文やフィクション(虚構文)でないかぎり、もとより心晴れ晴れしない文章に成り下がる。挙句、おのずからわが気分を塞ぎ、増してご好意で読んでくださる人様の気分を損なう羽目となる。
人間だれしも、人生の晩年における生き様や心模様は、おおむねこんなもの、すなわち後ろ向きである。なぜなら、人生晩年はもはや袋小路、前を向いても行き止まりである。余程、自分自身に言い聞かせて、嘘っぱちでも書かないかぎりは、吾(われ)のみならずだれしも、胸(心)の透く明るい文章は書けないはずである。このことを浮かべれば私は、「馬鹿、バカ、大馬鹿」という、冠の付く「バカ正直者」なのかもせれない。もちろん、正直を誇れるところは一切ない。しかしながらわが文章はわずかでも、人間だれしもに訪れる人生晩年における心模様の写し絵ではある。
起き立てにあって私は、こんなことを浮かべていた。言うなれば、負け惜しみの文章である。書かずもがなのことを書いたのは、焦燥感をともなっての、朝飯前のちょっぴりの暇つぶしである。いや、寒気を遠のけた「春、迷い」のせいかもしれない。人間だれしも、人生晩年の心模様は嘘を吐かないかぎり、暗がりである。すがるは、寒気を遠のけた穏やかな春の訪れである。
ようやく、一年回りに萌え出ている庭中のフキノトウを摘むのは罪作りではある。だけど、人生晩年における身勝手な心癒しと思えば、詫びて摘むより仕方ない。人間はもとより、悪徳まみれに生きている、得体のしれない動物である。
汚れゆく、大空のロマン
2月19日(日曜日)。ようやく、寒気が緩んで、心の和む春が来ました。ところが、大空は物騒です。大空には人の手つくりの気球、ミサイル、さらには衛星やロケットさえもまったく要りません。大空は、太陽の光と月の明かりだけで十分です。大空こそ国境や領空権なく、国・人間平等にロマンを掻き立てるところでありたいものです。人間欲で果て無く汚れゆく、大空の行く末を案じています。
きのうの私は、春の陽ざしを存分に浴びながら、こんな老婆心に取りつかれていました。やがては、「杞憂だった」とは言えない、大空模様が訪れそうです。大空には科学も人の知恵も要りません。大空は、日光と月光の恵み、そして眺望の楽しみだけで十分です。大空こそ、欲望と悪徳まみれにいじくりまわすことなく、そっとしてほしいもの筆頭です。春が来て、「汚れゆく、大空のロマン」を嘆いています。
怠け心のぶり返し
2月18日(土曜日)、ようやく寒気が緩んでいる。待ち望んでいた春が来たようである。ところが、このところの寒気と口内炎を口実にして、生来の怠け心がぶり返し、まったく文章が書けない。自分自身のせいとは言え、飛んだとばっちりである。新たなエネルギーを吹かすより、便法はない。しかしながらそれは、「言うは易し行うは難し」、まさしく雲を掴むほどに骨の折れることである。いや、もとより叶わぬことである。
人間は、時々刻々に動く「心模様」の動物である。格別私は、心模様の織り成す「惰性」すがりである。それゆえ、一旦惰性が途絶えると、たちまち「継続」が叶わなくなる。こののち、途絶えを修復し継続を可能にすることは、困難を極めて途轍もない苦難を強いられる。その証しは、現在の私である。それゆえに起き立てにこんな文章をしたためて、泣きべそをかいている。
寒気は緩み、口内炎の痛さは、おおかた遠のいたというのに、始末に負えない、わが心模様である。書くまでもないことを書いて、この先は書けない。この文章の取り得は唯一、生きている証しである。本格的な春の訪れを告げそうな、雨、嵐のないのどかな夜明けである。怠け心の克服は自力では叶わず、他力すなわち春の恵みに託している。なさけないけれど、箆棒にありがたい、心模様である。
春は、「思い出」
2月17日(金曜日)。起きて、寒さで心身が縮こまっている。春風駘蕩とは言えない、おどろおどろしい夜明け前にある。このところはほぼ毎日、強風と雨に脅かされて、今なお身に堪える寒気が居座っている。現在の寒さも、この延長線上にある。だからであろうかやけに、子どもの頃ののどかな春の情景が浮かんでいる。畦道のスカンポやギシギシを採り、石垣に座り塩まぶしで食べた。土手のノビルやツクシンボを摘んで、花籠に入れてわが家へ持ち帰った。「内田川」の川岸へ小走り、萌え出ていたヨモギやセリを摘んだ。畑には青々しい高菜、土手には菜の花が黄色く映えて、白い蝶々が飛びかっていた。田んぼにはレンゲソウが緑の絨毯をなしはじめていた。本格的な春の訪れが待ち遠しいところである。しかしながら春は来ても、もはやこんな光景には出遭えない。思い出づくりで、冷えている心身を温めている。
情熱の欠落
2月16日(木曜日)、口内炎と胃腑不快感に見舞われている。寝床の中でこんなことを浮かべて、スマホで書いている。情熱とは、物事にたいする気概である。私は、すべてに情熱が欠けている。自分自身にたいする戒めである。このところ寒い日が続いている。口内炎もそうだが、それに打ち勝つ、情熱という「熱」が湧かない。寝床は邪気のない恋人である。
悪魔(口内炎)
ベロ(舌)奥に口内炎ができて、見えず著効の軟膏が塗れない。痛くて気鬱症状に陥り、ほかにも体調不良に見舞われ、文章を書く気になれない。おまけに、天候不順もあり、飛んだとばっちりです。口内炎は季節変わりのせいではないはずだけれど、待ち望んだ春の訪れにあって、恨めしく「春は嫌い」です。
バレンタインデー
2月14日(火曜日)、起き立てにあって、こんなことを浮かべていた。生きているかぎり個人事情は、時々刻々に変化する。その多くは、艱難辛苦の茨道である。個人の集合体の社会もまた、時々刻々に変化する。こちらの多くは、事件や事故、はたまた殺戮等の人災、加えて抗(あらが)えない天災による災難からみである。それゆえ社会もまた、生きにくく、住みにくい、茨道である。死んでしまえば人は、すべての苦難から解放される。だとしたら願っていた人の幸福は、ようやく死後に叶えられるのかもしれない。もちろん、実感無き骸(むくろ)の幸福である。
現役の頃のバレンタインデーにあってのわが気分は、職場の美しい仲間たちの義理チョコに癒されていた。今や、はるかに遠い昔の佳き思い出である。ひるがえってきょうは、自分のための板チョコを自費で買うために、はるばる大船(鎌倉市)の街へ出かけるつもりでいる。
きのうの雨降りを断って、晴れの天気予報が恵んでくれた、いっときのわが人生の茨道解(ほぐ)しとなりそうである。バレンタインデーとは、もはや人様の義理チョコにはすがれない、自分自身へのせつない恋心である。ときあたかも政治や社会は、頓(とみ)に同性同士の結婚等への関心度が高まりつつある。しかしやはり、ホワイトデーにあっての選び抜いた豪勢なお返しのチョコレートは、淡い似非(えせ)の恋文を添えて、秘かに異性へ手渡したいものである。バレンタインデーは、もはや思い出すがりである。「こちらでこそ、幸福になれますよ!」と言われて、お釈迦様に誘われても、まだこの世に未練がある。なぜなら、思い出すがりとはいえ、バレンタインデーのきょうは、気分が和んでいる。