ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

自然界の恵み

 十一月十三日(日曜日)、未だ薄闇の夜明け前にある。闇は時を追って消え朝日が昇り、明るく夜が明ける。すると、わが気分もまた晴れる。もちろん、曇りや風雨のない晴れの夜明けの場合である。晩秋の「文化の日」(十一月三日)前あたりから、「立冬」(十一月七日)を挟んで、このところまでの自然界は、人間界に胸の透く好天気を恵んでいる。気象予報士は、東京都にははつか(二十日)近く、雨が降っていないと言う。すると、すべてが晴れの日ではなくても、それより前から好天気が続いていることになる。それ以前は異常気象にも思えていた、気分の乗らない天候不順が続いていた。だから、このところの二十日近くの好天気は、自然界の罪償いとも思える粋な計らいである。
 それなのに寝起きの私は、こんな無粋なことを心中に浮かべている。とことん、大損な性分である。人生とは、文字どおり生存の期間である。期間は、様々な言葉に置き換えられる。すぐに浮かぶものには、生涯や寿命、そして尽きるところは終焉である。生存期間の区切りには年代を見据え、様々な区分の言葉がある。それらの一つを浮かべれば、生年、幼年、青少年、壮年、そして晩年(晩歳・晩節)という、命の繋がりがある。晩年の後をあえて書けば、それは最期である。大まかな二区分では、若年・弱年(じゃくねん)もある。現在の私は、老年・晩年に相寄るところにある。
 初冬がしだいに仲冬へ深まるにつれ、山の小枝は枯葉となり、微風(そよかぜ)なくともヒラヒラと道路に舞い落ちて、日に日に落ち葉の嵩(かさ)が弥増(いやま)している。現下の自然界は、風情(ふぜい)たらたらと山、黄色や紅(くれない)に染まる好季節にある。ところが私は、それらの煽(あお)りや好天気のもたらすダブルピンチを食らっている。実際には嘆息まじりに額に汗を滲ませ、せっせと落ち葉を掃き寄せては、七十リットルの透明大袋に押し詰めている。それでも、命尽きて枯れて落ちた小枝の姿に私は、ちょっぴり愛(いと)おしさをつのらせている。それは人生晩年から終焉にいたるわが生き様が、落ち葉の姿に重なるゆえであろう。もちろんこんなことでは、心の安らぎすなわち、安寧な日常生活は遠のくばかりである。
 枯れ葉と落ち葉の多いこの季節は、儚くもわが晩年の写し絵でもある。それでも私は、寒気をともなわなければ私の好む季節である。わが身の斃(たお)れ方、できれば枯れ葉の落ち方に肖(あやか)りたいと願うのは、叶わぬわが欲望であろう。日本晴れに雲の欠片がわずかに浮いて、きょうもまた清々しい仲秋の夜明けが訪れている。わが限りある人生は、自然界のお恩恵に気分を癒され、やっとこさ生存の喜悦にありついている。きょうは、自然界讃歌つのる、仲秋の晴れの夜明けである。道路の掃除はは、落ち葉多い道路の掃除は厭(いと)わない。

「糧」と「絆」

 十一月十二日(土曜日)、夜明け前というより、夜明けの遅い初冬の真夜中あたりに起き出している。二度寝を阻まれてきのうとは異なり、現在の私は、眠気眼と朦朧頭に加えて、憂鬱気分の三竦み状態にある。寝起きにあって冒頭より、いつもながらの愚痴こぼしの暗い文章を書いている。
 私の場合、人様に愚痴こぼしの文章を諫(いさ)められればまったく書けない。なぜなら愚痴こぼしは、わが生来の「ネクラ性分(錆)」の祟りにある。もちろん、嘘っぱちの愚かな表現だけれど、わが愚痴こぼしは文章継続に留まらず、生き続けるための「糧」(かて)と、言ってもよさそうである。世間一般にも人様は、何かというと糧と「絆」(きずな)という、言葉を多用される。耳障りなく響きよく、よっぽどこの言葉が気に入っているせいでもあろう。ところがこのとき、へそ曲がりの私は、これらの言葉にかなり辟易し、挙句、こんな野暮なことを脳裏に浮かべている。それは、これらの言葉を遣う人たちは、言葉の本当の意味を知っているのであろうか? という下種の勘繰りである。電子辞書を開いてみよう。
 「糧・粮」(かて):「①古代、旅行などに携えた食糧②食糧。特に蓄え置く食べ物。③活動の本源。力づけるもの」。
 「絆・紲」(きずな):「①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱②断つにしのびない恩愛。離れがたい情実。ほだし」。
 絶えず復習するは、わが掲げる生涯学習の一端である。実際のところは人様への懸念ではなく、私自身への諫めである。すなわち、自分自身、不断よく遣うゆえに、うろ覚えで疎(おろそ)かに用いてはならないという、みずからへの戒めである。現在の私は、六十(歳)の手習いのツケに見舞われている。ツケ払いはできず、もうやめ時であろう。三竦みが痺(しび)れている。二度寝にありつけない夜は、「生きる糧」にはならない、憎たらしい魔物である。

夜明け前

 十一月十一日(金曜日)、現在の時刻はきっかり午前四時です。それゆえ、前面の雨戸開けっぱなしの窓ガラスの外には、未だ夜明けの明かりはまったく見えません。この光景を強いて表現すれば、頭上の二輪の蛍光灯が真っ暗な窓ガラスに浮いて、音なく照り返っています。寝起きは早いけれど、ぐっすり眠れたことで現在は、いつもの眠気眼でも朦朧頭でもありません。それよりなによりそれらのおかげで、寝起きの気分は安らいでいます。こんな寝起きの気分に恵まれることなど、めったにありません。気分和んで、のんびりとキーを叩いています。しかし、現在の心境を正直に吐露すれば、この文章を結んだのち、投稿ボタンを押すかどうかはわかりません。多分、押さないだろうと思いながら、ポタポタとキーを叩いています。そのことで、気楽なキー叩きにありついています。いつもの私はいやいや気分、あえて表現を強めれば惰性、さらにはみずからに鞭打って、文章を書き続けています。だから、惰性を止めるとたちまち文章は止まります。するとそのぶん、気分はたちまち安らぎます。おとといときのうは、ずる休みというより意識して休みました。このことでは気分(精神)のみならず、心身(身体共に)は安寧状態を得ました。これに味を占めてきょうの私は、文章の打ち止めすなわち潮時を決意していました。ところが、こんな文章を書いています。いや、これは文章とは言えないから、実際にはきょうも休んだ気楽さで、キーを叩いています。
 確かに、長く書き続けてきて、もう、書きたいネタも、書きたい気分も消失しています。それゆえ、「愚痴こぼしこそわが人生」という状態をあからさまにして書き続けて、そのせいでわが気分の滅入りは増幅し、挙句、人様の気分をも損なっています。つまり、現在の私は、「書かない気分の良さ」に溺れ始めています。三十分ほどのキー叩きゆえに、未だに夜明けの明かりは暗闇です。
 いよいよ、投稿ボタンを押すか、押さないか、決断の時が訪れています。指の動きを止めて、しばし思案をめぐらします。初冬の季節は、穏やかな日和でめぐっています。ここで、文章書きを止めるのか? 止まるのか? いや、止めるのだ。わが気分は、迷路に陥りハラハラドキドキの状態でめぐっています。せっかく書いたから、投稿ボタン、押しちゃえ! 愚痴こぼしと恥晒しには慣れています。

寝起きに浮かべていた、「待つ」心境

 十一月八日(火曜日)、寝起きにあって私は、心中にこんなことを浮かべていた。人生において楽しくうれしいことのひとつは、駅のプラットホームや改札口などにおいて、長く佇み待つ出会いどきの心境かもしれない。とりわけかつて、ブルートレイン(夜行列車)で初めて上り来る年老いた母を、当時の国鉄・JR東京駅の十番線ホームで待ったおりの心躍る心境は、今なお絶えず心中に甦るものの一つである。
 反面、人生において寂しく侘しいことのひとつは、ときたま出没する死を待つ心境なのかもしれない。すなわち待つ心境は、文字どおり悲喜交々である。もちろん私は、死の訪れをびくびくして待っているわけではない。なぜなら死との出会いは、無事に来るか来ないかという、人待つ心の乱れとは違って、必然である。だからと言ってもちろん、私は泰然自若の心境にはなれない。いや、正直なところは、どうにでもしろ「俎板の鯉」、言葉を飾り嘘っぱちに言えば、「天命を待つ」心境である。寝起きにあってきょうもまた、私は心中にこんなくだらないことを浮かべていた。
 現実に戻ればきょうのわが行動予定には、妻の病院通いにたいする引率同行がある。これには、待合室で待つ時間がともなうこととなる。そして、出会いは主治医である。もとより、楽しさ、うれしさなど望めない、へんてこりんな出会いである。もちろん、死を待つ出会いではなく、あがきもがいて少しでも、死を遠のける出会いである。
 「立冬」から一夜明けた大空は、日本晴れである。しかしそれには、寒気の装いが漂っている。晩秋に比べて初冬、確かに言葉の響きに寒々しさがともなっている。

立冬

 「立冬」(十一月七日・月曜日)。暦の上では冬の季節に入ります。ときおり、「小春日和」はあるとはいえ、この先、日々寒気が増してまいります。いや、寒気だけではなく、それゆえ気分的にもつらい季節が訪れます。おのずからわがモチベーションは萎えて、文章を書く日はとぎれとぎれとなり、やがては頓挫、途絶の憂き目を見るでしょう。
 この先には心寂しい年の瀬があり、そして大晦日を過ぎては、新たな年の正月が訪れます。ところが今や、正月とて子どもの頃のように燥(はしゃ)ぐ気分にはなれません。実際には時の移りの速さ(感)に打ちのめされて、これまた恨めしく心寂しいかぎりです。それゆえにこの先には、人生行路の晩年を生きる苦しみが弥増(いやま)してまいります。私自身の顔面や風体(ふうてい)の老い耄(ぼ)れは、鏡を見ないかぎり免れます。ところが、茶の間で間隔を空けて共にソファに座り、真向いの妻の風貌・姿の老い行くのを見ることには、とてもつらいものがあります。もちろん、愛情ある妻であれば同様に、老い耄れを深めるわが顔面や諸動作を見るのはつらいはずです。
 このところの二人の会話には、「パパは、認知症よ! 病院へ行きましょうよ」という、妻の独善言葉が増えています。私の場合、妻に向かってこの言葉は、心して禁句にしています。なぜなら、言うほうにも、言われるほうにも、とてもつらい言葉だからです。立冬の夜明けの大空には、のどかに彩雲が浮かんでいます。それなのに地上、いや、わが身および身辺は雲行き怪しく、風雲急を告げそうな季節が訪れています。ネタなく、じゃれごとを書きました。

寝起きの戯言(ざれごと)

 十一月六日(日曜日)、夜明けまでには未だ遠いところにある。部屋の明かりは、頭上に二輪の蛍光灯が灯るのみで、窓ガラスの外の様子は暗闇である。難聴の両耳に響くものは、五月雨式にぽつりぽつりと跳ね返る、寂し気なキイの音だけである。まったくの静寂ではないけれど、時は未だ夜の静寂(しじま)にある。
 形あるもの(身体)は、日々蝕(むしば)まれてゆく。形ないないもの(精神)は、日々衰えてゆく。共に、行き着くところは死である。こんなことを脳裏に浮かべて、起き出している。だからと言ってこの世は、悲観するばかりでもない。
 きょうの私には、テレビを媒体に早朝から二つの楽しみがある。一つはNHKBS3チャンネルに、日曜日の朝にかぎり7時15分から30分間、組まれている『おんな太閤記』の視聴である。もう一つは年に一度のきょうかぎりのもので、「全国大学対抗駅伝」(三重県・伊勢路)の視聴である。こちらは「おんな太閤記」を観終えて、15分を挟んでの午前8時から、延々と午後二時あたりまでのテレビ観戦である。生存中にあって、ときにはこんな楽しみがあるから、やはり死に急ぐことはない。生存と死、案外、辻褄が合っているのかもしれない。
 きょうもまた懲りずに、バカなことを書いている。バカとは言えないのは、いっとき鳴りを潜めかけていた新型コロナウイルスのぶり返しである。このことに関して私は、余生はマスク生活になるのだと、きっぱり決意した。ほとほと、鬱陶しい日常生活が強いられることになる。残り少ないわが人生をかんがみれば、飛んだとばっちりを受けて大損である。今度の勢いは第八波になるけれど、どんな大波になるのと、戦々恐々するばかりである。生存は、災害・災難の間隙を突いて成し得ている。まさしく、至難の業である。もちろん、生存が必ず明日へ続く保証はない。だからきょうの私は、年甲斐もなく二つのテレビ観戦に嬉々として身構えている。ところが、夜明けの空はまだ見えず、きょうにかぎれば、私は夜明けの遅さにやきもきしているところである。起き立てにバカなことを書くのは、このところのわが専売特許となっている。私の場合は、身体・精神共に蝕まれている。

生きている

 十一月五日(土曜日)、明るい文章を書きたいのに書けないのは、わが罪であろう。読む人が少ないのは、文章の不出来のせいであり、確かなわが罪である。「文は、人なり」。こんなことを心中に浮かべながら、起き出している。今や、起きることだけが、生きている証しである。先日の文章にあっては、同義語たる、晩年、晩歳、晩節という言葉を復習し、そのうえ新たに学び直した。本音のところは言葉をひもとき、晩節を生きる苦しみを訴えていたのである。こんなことを書いていては、義理読みを続けてくださる人さえ遠のくばかりである。さしたるネタなく、夜明けまでの指先運動に精を出しているにすぎない。指先を動かせばおのずから、何らかの言葉や文字を浮かべなければならない。これは、私に負荷されている必定の掟である。
 起き立ての私は、本当にバカなことを書いている。気狂いの自覚症状はないけれど、傍目にはどうか? と思うところはある。さて、生まれて生誕地(古里)で過ごした年数は十八年である。ところが、定年ののちの年数はこれを超えて二十二年になる。十八年には良し悪しは別として、思い出がいっぱい詰まっている。しかし、二十二年にあっては、それはない。思い出には過去という感傷が付き纏うせいであろう。すると、現在進行形の二十二年の思い出は、死後となるのであろうか。これまた、バカなことを書いている。だからきょうの文章は、恥を晒したままにこれでおしまいである。いっときの時間稼ぎにもならず、夜明けは未だ薄明りである。このところの好天気、すなわち晩秋の恵みを得て、寝起きの気分は悪くはない。能無しのせいで、文章が書けないだけである。

胸の透く、日本晴れ

 十一月四日(金曜日)、きのうに引き続いて、胸の透く日本晴れの夜明けが訪れている。きのうは「文化の日」(十一月三日・木曜日)。文化の日前後は一年じゅうで最も雨なく晴れの日が多いという、過去の気象データに背かず、面目躍如たる晩秋の好天気だった。このことからすればきょうのみならず、週末の日曜日あたりまで、好天気が続きそうな予感がする。天気予報を見ていれば、こんな当てずっぽうのことは書かずに済むけれど、あいにく見ていない。いや、あいにくとは間違った表現であり、なぜならあいにくの障(さわ)りはない。生憎(あいにく)、漢字学習のおり、イの一番に出遭う難しい漢字でもある。
 この好季節にあってきのうは、文字どおり文化の日にふさわしく、文化勲章授与などのさまざまな儀式が行われていた。さらに学び舎の多くは、学園祭や文化祭の開催に染まっていた。こんなおり、早朝から驚かされたのは、北朝鮮から三発のミサイル発射である。何を妬んでいるのか? 無粋きわまりない発射行為である。人様が楽しそうなときに、羨望まじりに妬んでいたずらするのは、悪童の掟(おきて)みたいなものである。北朝鮮は国として、こんな馬鹿げた行為を為している。至極、残念無念である。
 夜には、震度三の地震に慄(おのの)いた。しかし、こちらは仕方がない。なぜなら、心を持たない、自然界のしわざ(鳴動)であり、人間の防ぎようはない。北朝鮮のミサイル発射もこれに似て、すでに人間の心を失くしているのであろうか。北朝鮮の文化は、他国を脅かして自国の地位を高めることであろうか。こんな、十分間の書き殴りで文章を結び、階下へ下りる。朝御飯の支度のためである。
 日本晴れは、大海原の青さに近づいている。おそらく、北朝鮮の空も晴れであろう。その下で、ミサイル発射の準備に大わらわであろうか。馬鹿げている。いや、気違いである。

文化の日

 頃は良し、晩秋の大団円の「文化の日」(十一月三日・木曜日、祝祭日)の夜明け前にある。私は二度寝にありつけず、眠気眼と朦朧頭、加えて憂鬱気分の三竦(さんすく)みの状態にある。それゆえに、せっかくの好季節は、ズタズタに台無しである。起き立ての私は、自分もそうだけれど、だれもが知り尽くしている簡易な二つの言葉を浮かべて、あえて電子辞書を開いた。
 【晩年】:「一生の終わりの時期。死に近い時期。年老いたとき。晩歳」
 【晩節】:「①晩年、老後②晩年の節操③末の時、末の世、末年④季節の終わりの時期」。
 これらのことから、晩年、晩歳、晩節は、ほぼ同義語と言える。初見の「晩歳」を加えて、文化の日にあってのわが新たな学びである。ところがどっこい、なぜ? こんな言葉にさえ電子辞書を開いたかと言えば、それはこんななさけない理由のせいである。すなわちそれは、わが晩年を生きながらえることに苦しんでいるためである。
 晩秋の自然界は、黄葉、紅葉はもとより、枯葉や落ち葉の季節である。晩秋の空、秋天高い日本晴れの下、枯葉は微風(そよかぜ)なくとも、ひらひらと舞い落ちる。その光景に見入り、しばしたたずむ私は、枯葉の落ち方に憧憬(しょうけい)を抱いている。わが命の絶え時にあっては、私はのたうち回るのであろうか。晩年、晩歳、そして晩節、いずれも言葉の響きはいいけれど、内実、これを生き抜くには、塗炭(とたん)の苦しみがある。書くまでもない、バカなことを書いてしまった。まだ、夜明けの明かりは見えない。わが心、果て無く寂しい、文化の日である。

惜しまれる「命」

 十一月二日(水曜日)、きのう一日、ぐずついていた天候を撥ね退けて、淡い日本晴れの穏やかな夜明けが訪れている。好季節の晩秋にあっては、欲張って日々こんな夜明けが欲しいところである。しかし、そうは問屋が卸さないのは自然界の常である。だとしたら、天変地異のない夜明けであるゆえ、これくらいで我慢、いや、十分すぎるのかもしれない。自然界に比べて人間界には、メデイアから日々ままならない出来事や事故・事件が伝えられてくる。起き立ての私は、それらの一つを浮かべていた。
 新型コロナウイルスにあっては老若男女(ろうにゃくなんにょ)のだれもが、何年かがかりでワクチン接種を繰り返し、命を大切にしてきている。それなのに、隣国・韓国(ソウル)で起きた一瞬の死亡事故は、あまりにも切なく痛ましいものである。私はあらためて、事故・事件に付き纏う、命の脆(もろ)さをいたく知らされている。病気であれば、命の絶えには仕方ないところがある。ところが、今回の事故の場合は、仕方がないと言って、済ますことはできない。死者に鞭打つつもりはないけれど、いくらかの気の緩みや落ち度があったのであろう。実際のところは、われ先にと思う、群集心理の罠に嵌ったのかもしれない。命絶えれば、すべてが後の祭りである。
 起き立ての私は、柄にもなくこんなことを浮かべていた。「命あっての物種」、命は粗末にすれば一瞬にして呆気なく絶える弱いものである。逆に、日々気を遣い大切にすれば、際限ないとは言えないけれど、べらぼうに強いものである。このことは、八十二年生きながらえてきた、わが正直な実感である。
 指先の動きを止めて窓ガラスを通して大空を眺めると、日本晴れは朝日を帯びて真っ青に照り輝いている。隣国の事故とは言え、人の命のことゆえに、つらさがつのる夜明けにある。日本人、お二人の若い命も絶たれている。