ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
嵐にいじめられた「桜道」
3月25日(土曜日)。いよいよ春はきのうの彼岸明け(24日)を境にして、仲春から晩春へと向かい深まりゆく。一年めぐりの桜の花は、それに応じて花時を替えて、しだいに葉桜へと移ってゆく。そしてその先は、緑や黄・紅などに色を変えながら、やがて葉を落とした裸木になる。桜木の営みはわずか一年めぐりにして、まるで人の営みの幼年、青年、壮年、そして晩年のごとしである。「出る杭は打たれる」。人の口の端にのぼり持て囃されたり、誉めそやされたりすれば妬まれて叩かれる。春の季節の人気者の桜の花と、いじわる根性丸出しの雨、風、そして嵐の関係を見るようである。桜の花の季節には、春先の「春雨や、濡れて行こう……」などという、とうてい暢気(のんき)な気分にはなれない。
桜の花は、芽吹きどき、咲き始め、満開、そして散り際にあって、人それぞれに興趣、愛惜、寂寥(せきりょう)という感情をもたらすものがある。わが住宅地には宅地開発業者の売らんかな! の意思旺盛な手植えの里桜と、それに加えて周囲の山には自然生えの山桜が点在する。玄関口を出て門口に立てば、おのずから眼(まなこ)は桜見物に恵まれる。しかしながら惜しむらくは、わが住宅地には桜の花に似合いの、すなわち絶佳の風景を為すせせらぎ(小川)はない。小川を見ながら脇道を通ること、すなわち飛びっきりの桜見物をするには、わざわざ「砂押川」沿いへ出かけなければならない。砂押川沿いの脇道を挟んでは、鎌倉女子大の広大で高い校舎が聳えている。
きのうの私は、「大船(鎌倉市)行き」定期路線バスに乗車し、途中「砂押橋バス停」で降りた。そして、買い物には早出の午前十一時近くに、「イトーヨーカドー大船店」へ向かって歩いた。このときの私には、買い物と桜見物の一挙両得を叶える意思があった。前日の夜は、雨風強い激しい嵐に見舞われていた。そのせいか、砂押川はかなり増水し、流れを速めていた。花筏(はないかだ)は渦を巻くことなく、小舟のごとくスイスイと流れていた。その光景を眺めて通る脇道には、足の踏み場を選びようなく、いまだ乾ききれない桜絨毯が敷き詰めていた。花筏と桜絨毯は、散り際の桜の花がコラボ(協働)で恵む美的風景である。私は立ち止まることなく、買い物足を緩めた。そして、花筏を眺めながら、一方では照り映える桜絨毯の色に染まりながら、脇道を歩いた。
イトーヨーカドー店内に入ると、足を労わり一息ついた。こののちには、いつもの習わしにしたがいバニラソフトクリームを買って、しばし舐めた。わが普段の買い物の店は、この先の街中にある「西友ストア大船店」である。店内の品物は同一であっても明確に、イトーヨーカドーのほうが高めである。それにもかかわらず私は、桜の花の季節にかぎり、値段の高めと途中下車を厭わず、砂押川沿いの脇道を歩いている。嵐にいじめられた「桜道」を歩くのは切ない。夜明けの空は、きようも雨降り。
WBC,うれしい余聞
3月24日(金曜日)。「春眠暁を覚えず」の頃にあって、台無しの馬鹿げた時刻の起き出しである(3:56)。就寝時は、難聴の耳にさえばっちり轟く雨降りだった。花に雨、いや花に嵐はつきものとはいえ、天変地異の前触れかと思うほど、びっくり仰天した。ところが現在は、窓ガラスに掛かる薄地、そして厚地の二枚重ねのカーテンを開くと、雨は止んでいる。驚かすなよ! 花便り真っ最中の気象は、ほとほと気まぐれである。
きのうの文章において私は、三日間書き続けたWBCにかかわる文章は、これでおしまいと書いた。だからきょうの文章は、わが自作ではなくメディア記事の引用である。WBCにちなんで世界中から、日本チームに留まらず日本の国および国民の礼節を称える声や記事が、まるで雨後の筍(タケノコ)のごとくに湧き出ている。まさしく、日本チームの胸の透く優勝、頂上をきわめた栄光のおかげである。私は、うれしくてたまらない。それゆえ私は、数多い称賛の中から一つだけこの記事の引用を試みて、ダボハゼのごとく矢鱈(やたら)と食いついて、称賛を共有したくなっている。
「ダグアウトの清潔さに驚嘆」侍ジャパンの”綺麗なベンチ”に米感動! 日本の礼節に「多くを学べた」(3/23日、木曜日、16:01配信、CoCoKARAnext)。侍ジャパンの礼節に米識者やファンが感銘を受けている。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で前回大会優勝国のアメリカを3-2と下し、14年ぶり3度目のWBC制覇を果たした侍ジャパンのダグアウトが、世界で話題になっている。米独立リーグのミズーラ・パドルヘッドのフィールドマネージャーを務めるマイケル・シュラクト氏は自身のTwitterに日本ベンチの画像を投稿し、「日本のダグアウトの清潔さに驚嘆する時間をとってもいいでしょうか!」とツイート。ゴミのない清潔な侍ジャパンのベンチに驚き、感動した様子を発信した。この投稿には現地メディアやファンも続々と反応。シュラクト氏のツイートにリプライする形で、米スポーツ専門局『ESPN』のジャーナリスト、マイケル・イーブス氏は「ワールドカップの時にロッカールームを去ったときと似ている」と投稿。昨年12月に行われたサッカーワールドカップで、試合後にロッカールームを綺麗に整理整頓した日本代表と重ね合わせて反応した。また、現地のファンからは「日本人は信じられないほど敬意を払う。日本にとても感銘を受けた」「彼らから多くのことを学ぶことができた」「非常に規律正しいチームだ」と侍ジャパンに対して、脱帽した様子の声が多数上がっていた。侍ジャパンはアメリカ戦に勝利後、歓喜の瞬間に場内が盛り上がるなか、侍ジャパンの面々が三塁線に整列すると、応援に駆け付けたファン、対戦相手のアメリカ代表に向かって帽子をとって一礼。大きな声援に応えるとともに、あらためて周囲への感謝を示した振る舞いにも注目が集まっていた。
WBCでは全勝で圧倒的な強さを見せたが、プレー以外でも世界のファンから称賛されている。いまだ、時刻は4:35である。うれしさでいっそう興奮して、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にはありつけない。WBC,日本の優勝に湧いた、うれしい余聞である。
WBC、日本宿願を叶えての三度目の優勝
3月23日(木曜日)、夜明け前にある(5:03)。この二日、WBC(ワールド ベースボール クラシック)のことを書いたので、きょうは仕上げの決勝戦の結果を書いて、記録に留めるものである。WBCは、今回の大会で五度目である。日本は一回目と二回目で優勝し、三回目と四回目は決勝戦へは至らず、準決勝止まりだった。そのため今回の大会には、14年ぶりの優勝を狙っていた。そして今回は、順調に準決勝までを勝ち進んで、きのうの決勝戦へ臨んだ。決勝戦の相手は、アメリカだった。アメリカは名にし負う野球大国であり、それに違わず前年の覇者でもある。日本は1,2回の優勝にあっても、アメリカが早々に敗れたために、アメリカとは戦わずの優勝だった。このこともあって今回の日本は、決勝戦をアメリカと戦い、アメリカを打ち負かしての優勝を宿願にしていたのである。そして、きのうの決勝戦において日本はアメリカに勝利してダブル、すなわち14年ぶりの優勝と、アメリカ打倒の宿願を果たしたのである。決勝戦の球場はアメリカ有利の、日本は不利なアウエー(敵地遠征)のアメリカ・フロリダ州・マイアミだった。ところが日本は、3対2のスコアで、アメリカに勝利したのである。打者では村上選手と岡本選手が、異国の空へホームランをかっ飛ばした。投手では、ダルビッシュ有につないで、そののち大谷選手が最後のマウンドに立ち、反撃を断って日本の勝利を決めた。
戦い(試合)につきものの言葉で、きのうの試合と勝敗を表現すればこうである。試合は膠着状態を破る、稀に見る熱戦だった。試合結果は日本の辛勝であり、アメリカの惜敗だった。しかし、日本の勝ち方があまりにも感動を呼ぶ劇的なものだったゆえに辛勝では飽き足らず、わが心中には好き勝手に、快勝、激勝、爆勝などの言葉が浮かんでいた。確かに、アメリカも強かった。そして、双方の選手、球場で歓声を上げる双方のファン共々に、フェアプレイだった。それゆえに私は、酔いしれたテレビ観戦だった。
きのうのメディアはこのニュースを超えて、岸田総理の極秘でのウクライナ訪問を伝えていた。ロシアとウクライナの決勝戦(戦争)は、試合ではないからなお決着はつかない。至極、残念無念である。審判(仲介者)のいない戦いは哀れである。WBCにまつわる文章は、これで書き止めである。夜明けの空は、今にも雨が降り出しそうな曇り空である。心地良い春雨であれば歓迎である。
試合と戦争
3月22日(水曜日)、きのうの「春分の日」(21日・火曜日)を過ぎて、彼岸明け(24日・金曜日)へ向かっている。春風駘蕩、夜明けの空はのどかな花曇りである。しかし、日中に向けては花日和になりそうである。まかり間違っても、花に嵐にはならないであろう。しかしながら自然界の営みは、一寸先は闇の中にある。地震さえ起きなければたとえ花曇り、あるいは花に嵐であっても、わが生活に障りはない。
きょうのわが主たる営みには、きのう同様にWBC(ワールド ベースボール クラシック)のテレビ観戦が、朝早く(8時)から予定されている。戦争だけは抜きにして、野球にかぎらず勝敗を決める戦いぶりには、言葉でいろんな表現が用いられる。戦い(試合)ぶりには総じて、熱戦と凡戦がある。勝ち方には、おおむね完勝と辛勝がある。負け方には逆に、完敗と惜敗がある。これらの言葉を用いて、きのうの日本対メキシコ戦を表現すれば、試合自体はスコア(6対5)どおりに熱戦であり、勝敗は日本の辛勝だった。もちろん、メキシコは惜敗だった。オマケに日本は、九回裏でのサヨナラ勝ちだった。それを演じたのはこれまで、当たりが止まっていた日本チームの主砲・三冠王の村上選手(村神様)だったのである。ゆえに特等の言葉を付して言えば、きのうのメキシコ戦は、日本の胸の透く快勝だった。
きのうの準決勝戦の勝利を得て、きょう臨む決勝戦の相手は、メジャー(大リーグ)を営むアメリカチームである。参加することに意義のあるオリンピックとは違ってWBCは、快感と悲惨の境をなすところがある。局外者すなわち他人行儀に言えば、勝敗を分けるからテレビ観戦は面白味がある。試合は、結果の予想も楽しみである。しかしながらきょうの私は、予想無しにテレビ観戦に臨んで、試合自体を満喫するつもりでいる。ロシアとウクライナの戦いは「試合」とは言えず、戦慄窮まる「戦争」である。至極、残念無念である。時が進んで大空は、真っ青の花日和である。
「春分の日」
冬が去り、めぐってきた「春分の日」(3月21日・火曜日)。まさしく頃は良し、「暑さ寒さも彼岸まで」。きょうを境に私は、冬防寒重装備を脱ぎ捨てる。起きて、季節の良さを表す、一つの成句を浮かべている。「春眠暁を覚えず」。ところが、私の場合はこれに逆らって、「早起き鳥」の状態にある。てっきり、心の病の証しなのかもしれない。
老いは、わが歩く姿と心境の変化をもたらしている。生来、恥ずかしやの私は、仕方なく、杖代わりに妻の手を引いてノロノロと歩いている。自分自身これまで、心中に浮かべたこともない光景であり、「清水の舞台」から飛び降りるほどの心境の変化である。確かな、わが老いの惨めさでもある。しかし、妻との年齢差(三つ)からすれば、本当は逆にもなり得たのである。ところがそれが、図らずもこうなったのは、妻の転倒による骨折、入院、手術、そして退院後のリハビリによるものである。だから私は、妻の悔しさを慮り、柄になく、妻への労わり心をたずさえて歩いている。確かに、共に「年には逆らえない」けれど、飛んだ早すぎる「妻の災難」だったのである。以来、共に「泣けてくる」。
頃良い「春分の日」にあって、こんな文章しか書けないようでは、「ひぐらしの記」は、そろそろおしまいである。夜明けの空は、のどかな朝ぼらけである。
春ボケではない、意識は確かである
3月20日(月曜日)。バカじゃなかろか! 冬が去り、春が来て、それなのに気分が萎えている。春ボケではない、意識は確かである。先日は妻を連れ立って、阪神タイガース対横浜ベイスターズのオープン戦観戦に横浜球場へ出向いた。最後の晩餐になぞらえた、おそらくわが夫婦の人生最後の球場における野球観戦だった。
きょうの春の高校野球の第一試合では、長崎県・海星高校をテレビ応援する。明日(3月21日、火曜日)の午前八時からは、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の準決勝戦、日本対メキシコ戦が放映される。準決勝と決勝戦はこれまでとは異なり球場は、東京ドームから離れて海外へ移される。すなわち、わが未知の国「マイアミ」(アメリカ南東部フロリダ州)である。
私は、これまでの中国、韓国、チエコ、オーストラリア戦も、テレビ観戦をし続けてきた。私は物心ついて以来、根っからの野球好きである。それゆえに明日のメキシコ戦もまた、一応テレビ観戦するつもりでいる。あえて「一応」と付したのは、生来のわが性質がへそ曲がりのせいである。私は「侍ジャパン」という呼称における、「侍」に違和感をおぼえて、不要にさえ思えている。できれば日本代表チーム、もっと単には「日本(にっぽん)」でよさそうに思う。アナウンサーが「侍ジャパン、侍ジャパン!」と熱狂する声は、私には怒号に響いて試合(熱戦)そのものが興ざめとなる。ブーイングを覚悟して、書きたくなった。野球は、死ぬまで好きである。「ひぐらしの記」は、そろそろ、止めようかなと、思っている。
私の「幸福」
3月19日(日曜日)。未だ夜明け前(4:34)にあって、きょうの天気はわからない。きのうの彼岸の入り日は、雨風強い大嵐だった。私も驚いたけれど、開き始めの桜の花も、さぞかし驚いたことであろう。しかしながら自然界は、大嵐とて一日くらいで済み、きょうあたりは穏やかな春日を恵むであろう。なぜなら、仲間のせっかくの花便りを無為にすることはないであろう。
自然界は、百花斉放・百花繚乱の季節にある。自然界に比べれば、人間界は愚かである。異国では、期間限定の無い戦争が続いている。戦地や戦場ではなく、テレビ画像で見るだけでも、人間の愚かさと虚しさに打ちひしがれる。人間の幸不幸は、生まれた国、生まれた年代、折々の社会情勢の違いで、こうも異なるのかと、日々実感するところである。本当であれば無限の動物の中で、唯一人間として生まれたことは、最大の幸福のはずである。ところがそうとは言い切れない、現下の人間事情である。
翻って、私自身は幸福である。日々、くだらない文章を書いても、咎められることはない。近眼、難聴、虫歯、そしてたまの口内炎の発症はあるものの、我慢さえすれば健康体である。血液検査に出る異常値は、クレアチニン(腎)とLDL(悪玉コレステロール)に見られるものの、気にしても仕方がない。何よりも、血圧と心電図は正常である。生きるための肝心要の食欲は、三度の御飯では飽き足らず、なおひっきりなしに間食を加えてもまだ足りず、手あたりしだいの駄菓子の餓鬼食いで凌いでいる。知恵や知能に恵まれない者、すなわち私の幸福は、これらの証しで十分であろう。まったくみすぼらしいけれど、十分満足すべき「わが幸福論」である。
どういう風の吹き回しなのか、きょうの私は起きて、こんなことを書きたくなっていた。たぶん、異国における長引く戦争の惨禍を観るに忍びないせいであろう。夜明けの空は、どんよりした曇り空である。このまま昼間になれば、花曇りと呼ばれそうである。
彼岸の入り日
3月18日(土曜日)、起き出して来て、外は雨降りである(5:29)。何も書くことがない。いや、文章を書く気になれない。なさけないというより、つくづく困った心境である。もうとっくにわが心境は、文章を書くには賞味期限を超えて、消費期限さえ切れている。分別する手間などなくして、ごみ置き場へ運ぶより仕方がない。
机上カレンダーを眺めながら、一つだけ書けばきょうは、「春彼岸の入り日」とある。中日、すなわち「春分の日」(21日・火曜日)は、この先に訪れる。心中に浮かび、それについて思うことを一つだけ書けばそれは、日本の国の喫緊の社会問題である。しかしながらこれとて、今やどうにもならないことである。
きのうの夕刻(6時から)、NHKテレビは、岸田総理の会見を映していた。会見の趣旨は、日本の国の出生減少傾向を止めるための日本政府肝いりの、国民に対する様々な施策の説明であった。中でも岸田総理は、「育休」をはじめとする、子どもを産みやすくするための日本政府の様々な支援策(手立て)を縷々述べられていた。もちろん、施策のそれぞれは大事なことであり、「ないよりまし」という、効果はありそうである。しかしながら私には、諸々の施策というより、このときのテーマの「育休」に関しては、腑に落ちないところがあった。その一つはまた、格差社会を助勢するだけで終わらないだろうか? という危惧である。三人、四人と産める人たちは、もとよりそんなに支援を要しない富める人たちであろう。いや、目下の日本社会は、二人で一人さえ産むことのできない、すなわち結婚難儀(結婚敬遠)にさらされている状況であろう。だから、わが下種の勘繰りからすれば育休施策の前に、本当のところは結婚難儀問題の施策こそ肝心要であろう。ところが、結婚環境をととのえることは、育休よりはるかに難題である。それゆえに日本政府も、出生問題の本題すなわち結婚環境(施策)に入ることには、逃げ越しにならざるを得ないのであろう。
「暑さ寒さも彼岸まで」、春ボケかつネタ無しゆえの戯言(たわごと)である。夜明けの地上は、雨・風ひどい春の嵐である。世の中には、あがききれない難題がたくさんある。だれしも、人生行路はその最たるものである。
身勝手な「望郷」
呱呱の声を上げて、生誕地(故郷)に住んでいたのは、高校を卒業して上京するまでの18年間にすぎない。この間は、当時の熊本県鹿本郡内田村村立内田小学校と中学校に通った。そして高校は、町中・鹿本郡来民町中にあった県立鹿本高校へ、はるばる自転車通学をした。舗装のない、砂利や石ころ剥き出しの遠い田舎道だった。鹿本高校は、当時の鹿本郡内にあったる唯一の普通高校である。普通高校へ志願の内田中学生は、みんな鹿本高校を受験した。その先の街中には、山鹿高校があった。ところがのちに、両校は併合され、新たな校地は山鹿市内にできた。そして、鹿本高校のほうの名を残して、現在は熊本県立鹿本高校として山鹿市内に存立する。18年にすぎない生誕地生活だけれど、望郷の念はいっときさえ尽きることはない。いや私は、望郷の念に支えられて、82年の生存を成し得ている。
ところが、私は熊本県人でありながら、幼年、学童そして生徒時代をほぼ一定地域で生活した。ゆえに私は、熊本県内のほかの村、町、市街の様子など今なおまったく知るよしない。そのため、くだらないとも思えるアンケートにも関心を留めたのである。挙句、うれしくなった。この引用文は、きょうも文章を書く気がないことを埋めた、身勝手な余興である。
旧内田村は、隣の菊池郡あった城北村との合併のおりに誕生した行政名・菊鹿村から菊鹿町へと経緯し、現在は熊本県山鹿市菊鹿町と変えている。「熊本県」で一番イケてると思う街ランキング! 2位は「菊池市」、1位は? (3/15日、水曜日、17:10配信、ねとらぼ調査隊)。九州本島の中央部に位置している「熊本県」。東部では世界有数の「阿蘇カルデラ」を持つ阿蘇山などの雄大な山々を望むことができ、また西部は有明海や八代海に面するなど、豊かな自然に恵まれています。さまざまな魅力を持っている熊本県には、一度は訪れたい、また何度行っても楽しめるような「イケてる街」も多くありますよね。●第1位:山鹿市。第1位は「山鹿市」でした。得票数は209票、得票率は25.8%です。熊本県の北東部にある山鹿市は、今回2位となった「菊池市」の隣にある自治体。福岡県や大分県にも境を接しています。豊かな自然環境を背景とした農業が盛んに行われており、特に栗やタケノコでは熊本随一の生産量を誇る街です。レトロな街並みが残る「山鹿温泉」をはじめ、「熊入温泉」「平山温泉」など、良質な温泉も魅力の一つ。やわらかく肌触りの良い温泉は「美人の湯」と呼ばれ、長年多くの人に親しまれてきました。他にも「チブサン古墳」や「方保田東原遺跡」、大和朝廷によって築かれた「鞠智城」といった国指定史跡も見逃せない観光スポット。夏には「山鹿灯籠まつり」、冬には「山鹿灯籠浪漫・百華百彩」といったイベントも行われ、四季折々の魅力がたくさん詰まった街です。そこでねとらぼ調査隊では、2023年2月25日から3月4日まで「『熊本県』で一番イケてると思う街は?」というアンケートを実施していました。今回のアンケートでは810票の投票をいただきました。
気分直しは「望郷」
3月15日(水曜日)。夜明けが近づいて、仕方なく起き出している。しかし、気力がともなわなくて、書く気分を殺がれている。きのうはずる休みというより、根っから生きることに疲れてしまい、文章が書けなかった。生きることも、死ぬことも、たやすいことではなく、もとより人生行路は茨道である。きのうのメディアは、喜ばしいことでは死刑囚・袴田巌さんの再審決定を伝えた。このまま控訴なく、再審において無罪になれば、喜びひとしおを超えて、惨たらしい仕打ちである。もちろん私は、ご当人の無罪を望んでいる。しかし、無罪を得られても、つらい人生である。それと同時に私は、弟の無罪勝ち取りに生涯を懸けられているお姉様の肉親愛と優しさに涙する。しかし、これまた勝利に酔えないつらい人生である。
一つには、ノーベル文学賞作家・大江健三郎さんの永眠が伝えられた。大江さんは作家活動一筋ではなく、諸々の社会問題を提起し、みずからそれと闘う、作家であられたという。きのうの私は柄でもなく、人様の人生模様をかんがみて、「生と死」にしみじみ感をおぼえていた。
夜が明けた。気分直しに、望郷に浸る。ふるさとに存在する「相良観音」は、きょう(15日)から18日まで、春季恒例祭が営まれる。子どもの頃の私は、片手に硬貨を握り締めて駆けて行った。賽銭箱は用無しに参道で、ニッキ水と綿菓子を買った。減るのを惜しむように、ちょびちょび啜り、ちょびちょび舐めた。望郷こそ、気分直しの本山である。しかしながら、一足飛びはあり得ず、少しずつにすぎない。
きのうは、まったく書けなかった。きょうは、少し書けた。一歩、前進である。望郷のおかげかもしれない。