ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

再び、パソコンを立ち上げました

 勝ちました。

早暁、いや未明(午前四時)

 十二月二日(金曜日)、観るつもりで、構えて起き出してきたのではない。ところが、目覚めて起き出して来た時間は、偶然にもサッカー、対スペイン戦の試合時間と重なっている。日本国民の多くの人たちは、寝ずにこの時間を待っていた。そう思えば、せっかくの好都合の目覚めと起き出しであり、もったいなく思うのは、へそ曲がりの私とて、並の人情の発露であろう。こんな理由で、この先の文章は止めて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ向かうこととする。予定にはなかったけれど、サッカー・ワールドカップ・対スペイン戦のテレビ観戦のためである。再び、パソコンに向かうかどうかは、試合経過の中で沸き立つ気分しだいである。

年の瀬初日は、迷い文

 十二月一日(木曜日)。いよいよ、令和4年(2022年)の最終月が訪れている。人生の晩節を生きる私には、あまりにも速い時のめぐりを感じて、心寂しさつのるものがある。大袈裟好きのわが表現を用いれば、寂しさと侘しさに絡まれて、心身が圧し潰されそうである。
 現在の時刻は、夜明けまではまだ遠い3時過ぎである。寝床は、文字どおり睡眠の場所である。寝床は、目覚めて様々な瞑想に耽る場所である。ところが私の場合は、「冥想」に変えて同音異義の「迷想」に耽ること頻りである。つらいと言えば確かにつらいけれど、わが小器の証しゆえに耐えなければならない。
 私は目覚めて、様々な迷想に絡まれていた。その一つは、こうである。わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「捌け口」である。もちろんこの表現は、真実に近いものである。一方、わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「糧(かて)」である。ところがこちらは大袈裟すぎて、誤魔化しのままごとみたいなものである。いずれにしても私は、「ひぐらしの記」における愚痴こぼしで、生存の苦しさをかなり薄めている。確かにこのことは、文章を綴るわが身勝手である。ゆえに一方、好意を授かるご常連の人たちにたいしては、平に謝るしか便法はない。
 迷想の続きであって自分自身、現在、何を書いているのかさえわからない。ただはっきりと自覚できるのは、気違いじみた迷想だ! ということである。「ひぐらしの記」は、継続だけが取り柄にすぎない。もちろん、通説の「継続は力」には、まったくなり得ていない。
 さて、「ひぐらしの記」はブログ特有に、バッシングや炎上を恐れて、私はネタに様々な自己制御(自制)を掛けている。挙句、ネタの広がりはなく、おのずからいつも同じような文章に成り下がっている。もとより、私自身面白味なく、そのうえ恥を晒して、恥じ入るところである。しかしながらこのことは案外、「ひぐらしの記」継続の本源を成している。確かに、自虐と愚痴こぼしまみれの文章には、他人様(人様)からのバッシングや炎上の恐れはない。挙句、「ひぐらしの記」は、継続にありついてきたのである。もちろん自省するところはあるけれど、半面、幸いなるハプニングである。
 年の瀬初日の文章には、夜明けまでの空き時間を埋めるだけの迷い文を書いてしまった。不断のわが心境は、時々刻々、様々に揺れ動いている。年の瀬にあってはこの心境に、いっそう際限なく拍車がかかること請け合いである。こんな書き殴り文では、わが気分の解れるところはない。壁時計の針は未だ4時過ぎで、夜の静寂(しじま)にあっては、月光および日光共に、姿を暗ましている。

十一月末日、「感謝と御礼の大志」

 十一月三十日(水曜日)。現在の壁時計の針は、きのうの夜更けを引き継いで、いまだ「丑三つ時」(午前2時から2時半頃)あたりをめぐっている。目が冴えて二度寝にありつけず、起き出して来た。起きたからにはパソコンを起ち上げるのは、わが身にこびりついたしがない倣(なら)いである。
 顧みれば「ひぐらしの記」は、元よりご好意をさずかる大沢さまとの二人三脚の下、友人・知人の声ある声、さらには掲示板上の声なき声にあずかり、思いがけなく多くの出会いを生んで続いてきた。加えて、竹馬の友・ふうちゃんが写した、わがふるさとに流れる「内田川」の実景は、わが逸(はや)る心象をさらに奮い立たせた。文章自体はなんら面白味のない、わが愚痴こぼしまみれにすぎない。それだけに余計、私に「ひぐらしの記」が恵んだ僥倖(ぎょうこう)は無限大であり、とうてい測り知ることはできない。それゆえに私は、ひたすら出会い得たすべての人たちにたいし、感謝と御礼の志を記すところである。こんな殊勝な気持ちになっているのは、もちろん突然でもなく、まして偶然ではなく、常日頃にあって絶えず私は、心中に浮かべている。
 起き立てなのに現在の私は、ピカピカと目が冴えている。もちろん、二度寝にはありつけない。しかしきょうの場合は、目が冴えて二度寝にありつけないことも、堪能すべき善い・良い・好い・佳いことである。「ひぐらしの記」は現在、わがこれまでの82年の人生行路にあっては、生まれて生誕地で過ごした(18年間)に迫るほどの年数(15年)の途中にある。六十(歳)の手習いからかんがみれば、わが人生行路の四分の一強を超える長丁場でもある。だから、ちょっぴり自惚(うぬぼ)れてみれば、もちろん文章などまったく素人(しろうと)の私が為せる年数ではない。
 きょうは十一月の最終日である。いよいよ明日からは、令和4年(2022年)の歳末すなわち最終月を迎えることとなる。「人間、万事塞翁が馬」、また「一寸先は闇の中」である。それゆえに、早やてまわしにわが心中に根づく「感謝と御礼の念」を吐露することは、悪いことではないであろう。ますます、目が冴えてきた。だからこのまま、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にありつけることはない。しかしながらいつもとは違って、心地良い気分である。もちろんこの気分の良さは、自分だけでは成し得ない。現在の場合は、平洋子様のご投稿文が、わが気分の好さに加速度と拍車をかけている。拙(つた)い文章ながら私にとっての「ひぐらしの記」は、人様との出会いを為し、なかんずくご厚誼(こうぎ)に恵まれて、わが人生行路における何物にも勝る宝物である。それゆえに人様に対し、幾重にも謹んで「感謝と御礼の大志(たいし)」で満杯である。
 壁時計の針は、未だ三時過ぎである。夜明けまでの空き時間は、洋子様のご投稿文に縋り、救われそうである。

防空頭巾、ヘルメット、マスク

 十一月二十九日(火曜日)。雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して太陽の光は見えず、頭上の二輪の蛍光灯の明かりが灯るだけの未だ夜明け前にある。起き立ての私は、こんなことを浮かべていた。ネタ無く、浮かんだ事柄に縋り、つらつら書き続けるつもりである。一つは、昭和十五年(1940年)誕生のわが五歳前後に体験した忌まわしい記憶である。太平洋戦時下にあって警戒警報や空襲警報が伝えられると母は、わが坊主頭にすばやく防空頭巾をかぶせて、固く顎紐を結んだ。やがて慣れると、自分自身で防空頭巾をかぶり、近くの防空壕へ一目散に走った。戦時下における布製の厚手の防空頭巾は、銃後の守につく日本国民・老若男女すべての必需品だった。しかしながら幸いにも防空頭巾は、砲弾避けに役立つことはなく済んだ。ところが、防空頭巾は普段でも効用があった。もちろんそれは冬季だけだがかぶると、頭部の寒気を撥ね退けてくれた。確かに、砲弾避けにかぶらず済んだことは良かったけれど、それでも防空頭巾には悲喜交々の記憶がよみがえる。
 日本列島には「災害列島」という、苦々しい異称がある。もちろんこれは、災害の筆頭に位置する地震の多さが異称の元を為している。すると日本国民には地震防禦策の一つとして政治と行政が音頭を取り、地震が起きたおりの着用と、不断の備えにヘルメットが勧められている。ところが、ヘルメットの効果は、防空頭巾同様に心構え程度であろう。しかし、人間心理は、怖さを恐れることに限界はない。へそ曲がりの性癖著しい私とて、地震の恐怖は蔑(ないがし)ろにできず、常に枕元にはヘルメットを置いている。ところがこれまた、今のところ実用は免れて、非国民と呼ばれないための防具のあり様でとどまっている。もちろん頭部に、普段の着用は免れている。
 なぜ二つのことを浮かべて、かつ長々と書いたかと言えば、このことにたどり着くためである。すなわち、戦時下の防空頭巾、そして地震に備えるヘルメットに類して、新型コロナウイルス防御のための、長引くマスク着用生活を憂いているせいである。ところがこのマスク生活は、「命終焉」までのエンドレスにさえなるのか? と、危惧するところにある。そうなれば難聴の私にとっては、このことは小さいことではなく、いや大いに困ったこととなる。だから、このことについてはこれまでも、繰り返し愚痴こぼしをする羽目になっていた。
 ところが、この先も何度も繰り返すことになりそうだけれど、すなわち、私にとってのマスク着用の日常生活は、きわめて不愉快である。それは両耳あたりに、集音機、眼鏡の柄、マスクの紐が混在し、甚だ鬱陶しく、さらにはそれぞれの着脱に神経を尖らせなければならいからである。このことでは鬱陶しさに加えて、神経の尖り、さらには面倒くささの三竦(さんすく)み状態が免れない。
 このところのコロナは、またまた感染者数の増勢を極めている。おのずから、それに対するわが恐れと不愉快度は、日々いっそうつのるばかりである。人生晩年にあってコロナへの遭遇は「お邪魔虫」どころか、戦時下の防空頭巾のかぶり、地震発生にたいするヘルメットの備えなどをはるかに凌いで、エンドレス(無期限)の鬱陶しさになりつつある。ひとことで言えば、「甚だ、困ったもの」である。
 書き殴りに加えて、走り書きをしたため、夜明けの明かりは未だ見えない。いや、少し闇は薄らいできた。大空は、雨模様の曇り空である。

疲れがもたらした「オマケ」

 十一月二十八日(月曜日)。夜明けまでは遠いもののぐっすり眠れて、起き出している。きのうは、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。身体不自由の妻の世話係や、自分自身のままならない日常生活などのゆえに、気分の滅入りに遭って出向きは、長く沙汰止みになっていた。男女高齢の仲間たちは、みな元気よく集っていた。世の中のご多分に漏れず、男性陣の数や元気の良さを凌いで、女性陣の多さと元気溌剌ぶりが目立った。私は、男性陣の負け姿を真面(まとも)にさらけ出すかのように、疲れ果てた。ところが疲れは、ありがたい副次効果をもたらした。すなわち疲れは、これまた久しぶりに、ぐっすり眠れた心地良さを恵んだ。やはり適当な運動は、憂鬱気分の癒しには効果覿面のカンフル剤になる。
 私の場合、実際には後ろ髪を掴まれて引かれる残り毛はない。それでも、「後ろ髪を引かれる思い」に苛(さいな)まれた。それは、共に卓球好きの妻を茶の間に置いてきぼりにして、ひとり出向く切なさであった。私は疲れたとはいえ、久しぶりの卓球の快さに浸っていた。しかしながらこの言葉や表情は、茶の間の妻にたいしては、憚(はばか)れるところがある。もちろん、大袈裟なまがいものの「武士の情け」というより、配偶者としての僅かばかりの真摯な心くばりである。「偕老同穴(かいろうどうけつ)」を謳(うた)う労(いた)わりにあっては、案外、この程度でいいのかもしれない。いや、私には、この程度しかできない。ところが妻は、「パパ。少ないよ!」と言って、目を剝くであろう。だけどそれは、妻の欲張りでもある。
 夜明けはまだ遠く、夜の静寂(しじま)にある。しかし、寝床にとんぼ返りをするまでもなく、両目玉はぱっちりと開いて、脳髄は水晶玉のように透明に冴えている。永眠ではなく、生きる日常生活にあって、ぐっすり眠れることは、人生幸福の確かな一つである。

迷い文

 十一月二十七日(日曜日)、壁時計の針は五時半過ぎを回っている。しかし、夜明けの明かりはまだ先である。このところ、厭きることなく繰り返している書き出し文である。おのずから自分自身工夫なく、それゆえになさけなく思う書き出しである。
 日々、様々なメデイアから伝えられてくる社会問題はつまり、人間個々人の生存の苦しみの証しである。なぜなら、社会は人間の集合体である。苦しみの因(もと)を為すのは、個々人のそれぞれの生き様である。生存には個々人にたいして、様々な苦難に耐える強靭な精神力と、さらには周到な手当てが求められる。しかし、「言うは易し、行うは難し」。もとより、苦難に打ち勝つ精神力と、にあわせて用意周到(主に金銭・財貨)を叶えられる人はだれひとりいない。確かに人生は、艱難辛苦の茨道である。だから、当てにはならないとは知りながらも人は、ある意味真剣に神様や仏様の導き(説法)に縋りたくなる。人間だれしもが持つ、人間の心の弱さである。ところが、世の中には神仏を含めて、似非(えせ)の宗教、すなわち邪教が数多存在する。救いを求めたはずなのに邪教に靡けば逆に、心身(命)を滅ぶす元にもなる。ゆえに、わが人生行路において常に、自制を促してきた一つの教訓である。出まかせ特有に、わが柄でもないことを書いてしまった。言い訳としては、寝起きの朦朧頭のせいにするずるさである。
 きのうのテレビニュースの一つには、日本の国の出生率の低下が伝えていた。棒グラウで見るとまさしく、低下傾向に拍車がかかっていた。いつもの習わしにより、いくつかの街頭インタービューが画面に現れた。「こどもひとりはいるけれど、もうひとり生みたいと思っています。だけど、お金がかかりすぎて諦めかけています」。ある学者のコメントは、「人口の減少は、国力の低下につながります」。共に、あえて聞くまでもない個々人の生き様、それらをくるめた社会現象である。すなわち、社会問題は時(時代)に応じて、人間の生きることの困難さの写しである。
 こんな他人行儀(人様)のことは抜きにして、わが生存をかんがみれば、心身(命)は日々脅かされている。これまで書いてきた口内炎と胃部不快症状は、ようやく緩解へ漕ぎつけた。しかしこれで、命の永らえが叶うわけではなく、心身不良の懸念は常に付き纏っている。結局、人生行路は、心身(命)の安らぎのない茨道である。何のことを書いたのであろうか? 命、絶え時かもしれない。自然界の恵みは、満天日本晴れののどかな夜明けである。

老境の哀しみ

 十一月二十六日(土曜日)、目覚めて寝床の中で、しばし気分直しをして起き出して来た。壁時計の針は五時近くだけれど、前方の雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して、未だ暗闇である。夜長は冬至(十二月二十二日)へ向かって、まだまだ長くなるばかりである。このところの私は、さしたるわけもなく、心寂しい状態にある。たぶん、人生の晩年における、どうもがいても避けられない、心模様なのであろう。ところがこれまたこの先、このような心模様は、いっそう増勢すること請け合いである。おのずから、文章を書く気は、さらに殺がれるばかりである。
 確かに、「もう、書き止めにしなさい!」という、早鐘がけたたましく打ち鳴らされている。「文は孤独」、いや私は、なんだか心寂しい心境にある。すなわち、老境の証し、極みにある。もちろん、こんなことを書くために起き出して来たわけではない。ところが、脳髄指令を素直に受けて、指先がキーを叩いている。挙句、私は、バカなことを書いている。こんなことでは確かに、心中の早鐘に応じて、文章は書き止めにすべきところにある。
 子どもの頃、近隣の火事を知らせる半鐘の早鐘は、今なお最も怖かった記憶の一つとなっている。幸いなるかな! 地震、雷、泥棒などの記憶はない。まして、父親の怖さの記憶など、微塵もない。やはり、恐ろしさの記憶は、火事を告げる早鐘の連打に尽きる。さて、五度目の新型コロナウイルス対応のワクチン接種後の現在、二夜を過ごして注射針が射された左上腕の痛みは緩んでいる。右の手の平で抑えて、痛みが分かる程度である。「良薬、口に苦し」と言うけれど、この程度の痛みで済むようでは、ワクチン効果が怪しまれるところである。これまた、わがバカな下種の勘繰りである。
 わけのわからぬ心寂しさがつのり、この先書いても、文章の体(てい)を為さない。それゆえに、これで書き止めである。壁時計に針は、いくらか進んでいる。しかし、夜明けの明かりは、未だ見えない。寂しさつのる老境とは、人間の哀しい宿命なのであろう。「そうそう」と、したり顔で納得はしたくない。

混雑する会場に、人間が紡ぎ出す「美的光景」

 十一月二十五日(金曜日)、夜明けまでは、未(いま)だのところで起き出している。この文章を閉じる頃には、天気模様の判定がつきそうである。今、気懸かりなのは、きのうできずじまいになっている道路の掃除である。おとといの雨は夜が明けると、山からの落ち葉を幾重にもして、道路の隅々にべたついていた。昼までには、掃除などできる状態ではなかった。私には、きのうの午後には予約済みの行動予定があった。それゆえに道路の掃除は、きょうへ持ち越しとなっている。
 さて、きのうの行動予定とは、新型コロナウイルスにたいする五度目のワクチン接種である。私は入念な準備をして、決められた時間に、決められていた接種会場の「武道館」へ出向いた。不断、馴染みのない武道館は、ワクチン接種会場となり、私には二度目の出向きである。コロナの接種会場になっていなければ、館内に入ることなど、まったくないところである。五度目にあって接種会場は、今回で三か所に及んでいる。行政・鎌倉市とて大掛かりの接種会場探しに、苦心惨憺している証しと言えそうである。同時に私には、市の財政の逼迫度を見て取れるところもあった。四度目までは、無料の往復タクシー券が接種案内状に同封されていた。ところが今回は、そんな小粋な配慮は無しであった。もちろん私は、ダボハゼのごとくに大口開けて、無料タクシー券を欲しがっていたわけではない。身銭を切ってでも、わが命は自分自身、守らなければならない。鎌倉市そしてわが身共に、無料タクシー券のほどこしにすがることは野暮である。なぜなら、市の財政の破綻は、どこかでわが身にふりかかる。だから、無料タクシー券の廃止は、この先なお止むことの見えない接種回数をかんがみれば、私とて十分理解するところである。
 接種会場にはいつもどおりに、多くの高齢者がワンさと詰めかけていた。それらの人込みをテキパキと整頓し、的確に導くのは若年および中年男女の入り交じりである。私は接種会場へ出向くたびに、これらの光景にさわやかと胸の透く思いをいだいている。ひとことで言えば、これらの人たちの直(ひた)向きな行動である。決して大袈裟ではない。それらの光景を見るたびに私は、「生きていて、よかった!」という、幸せな心地になる。同時に、日本人の良さを垣間見る、うれしさがつのってくる。確かに、コロナ騒動がなければ、こんな素敵な光景には出遭えなかったことになる。だからと言ってもちろん、「コロナ、様様」ではない。けれど、一服の清涼剤にありついたような愉快な光景である。
 私は左上腕に、優しくワクチン注射を打ってもらった。一夜寝て、現在の上腕の痛みは、蚊の鳴く程度である。係の人たちの優しさと連携プレイの素晴らしさにありつきたくて、六度目あるいはそれ以上を望むのは、わが生来のへそ曲がりの発露であろう。晩年の私は、人の優しさに飢えているのかもしれない。ワクチン接種会場は、人間が紡(つむ)ぎ出す「美的光景」である。
 壁時計の針は六時近くにあるのに外界は、薄闇模様のほのかな明かりである。ここで文章を閉じても、道路の掃除へ出向くことはできない。心焦って、出向けば気違い沙汰になる。

日常

 十一月二十四日(木曜日)。「トラキチ」(阪神タイガースにかかわる気違いじみたファン)ほどではないけれど、それでも祝福冷めやらぬ夜明け前にある。2022年サッカー・ワールドカップ(カタール)の初戦において、日本代表チームは対強豪ドイツチームに2-1で勝利した。スコアを見れば辛勝と言えるけれど、これまで四度にわたりワールドカップ杯を制しているドイツであれば圧勝の歴史的勝利という。私はテレビ観戦することなく床に就いていた。そのためこの朗報は、パソコンを起ち上げてすぐさま、ありついたものである。日本代表チームの歴史的勝利であれば、やはり記録に留めておかなければならない朗報である。
 さて、いつものように自分自身のことを記すと、このところの習いにしたがって、真っ先に口内炎と胃部不快のことにふれなければならない。口内炎がベロ(舌先)に蓋のないマンホールの如く空けた穴は、ようやく八分どおり埋まった。しかしながら、痛さと胃部不快の治りはなお進まず、憂鬱気分の緩解は、未だに半分ほどで止まりである。こんななかにあってきょうの私には、新型コロナウイルスにたいする五度目のワクチン接種が予定されている。言うなれば、体調不良のなかの接種行動である。そのため従前の接種より、かなり気に懸かるところはある。けれど、やめるわけにもいかず、敢行するつもりでいる。命あるものすべて、生きるために食べている。命あるものすべて、生きるために行動している。
 きょうの場合は、後者である。命とはそんなに大事なものか? と、思うところはある。こんなバカな思いをするのは、私が命に見合う生存を果たしていないせいであろうか。口内炎の患部には軟膏を塗ったくり、胃部不快には整胃薬を能書どおりにきっちり服んで、私は生きながらえている。いや、そんなたいそうなことではなく、早く痛みや不快感から逃れて、ご飯を美味く、楽しく食べたいためである。
 つらつらと、このたびの口内炎の発症と胃部不快の因(もと)をめぐらした。すると、浮かんだことには、「生柿」の食べ過ぎかな? と、思えている。好物・柿のしっぺ返しにあっていれば、つらいところである。だからと言って、買い置きして山積みの柿にたいし、「こん畜生!……」と言って、はねのける勇気は、私にはない。もちろん、柿、食べ過ぎの祟りとか、報(むく)とは言いたくない。なぜなら、わが生きるために食べ物のなかにあって柿は、美味しさと郷愁をそなえるものの筆頭に位置している。ふたり、上がり框(かまち)に座り、母が剝いた柿の美味しさは、柿を剥き齧るたびに甦る。柿を放擲(ほうてき)しなければ、口内炎と胃部不快は治らないのか。そうであれば、生きることをあきらめたくなる。自分のことでは、気の晴れないバカなことを書いてしまった。階段を下りて、茶の間のテレビを点ければ、気が晴れるかもしれない。夜明けてみればきのうの雨はやんで、大空はのどかに彩雲をいだいている。