ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
出会いがしらの「望郷」
4月21日(金曜日)、5:18,朝日の輝きを隠し、薄っすらと夜が明けている。きょうの天気予報は聞きそびれている。きのうに続いて昼間は、夏日の訪れるになるのであろうか。確かにことしの気象は、前倒しの早めぐり観を示している。いつもであればゴールデンウイークあたりに、満開に咲き誇る庭中のツツジは、すでに満開を終えて散り急いでいる。異常気象が飛んだ天変地異をもたらすのではないかと、かなり戦々恐々するところにある。自然界の営みは、文字どおり自然界まかせである。私にかぎらず、人間界のなすすべはない。
きのう、茶の間のソファに背凭れていると、NHKアナウンサーの声に、ドキッとした。「山鹿市」がこの日の日本列島における、最も暑い(高温)地域として伝えられたのである。すばやくテレビ画面に目を移すと、数行並んだ筆頭の位置に山鹿市があり、数値は30度を超えていた。わがふるさとは、熊本県山鹿市菊鹿町である。わが子どもの頃の行政名は、熊本県鹿本郡内田村であった。当時の内田村はのちに、近隣の六郷村、そして菊池郡城北村との3村合併により菊鹿村となり、十年後に行政名を菊鹿町と変えた。こののち、平成の大合併の嵐に巻き込まれて、山鹿市と鹿本郡内の4町、すなわち1市4町の合併により、山鹿市菊鹿町として現存する。行政名は変えても旧内田村は、当時より村人の数を大きく減らし、過疎化を強めて鄙(ひな)びたままである。確かに、村の風景は変わりようなく、狭隘な田畑や段々畑を中に置いて、山間(やまあい)の盆地を成している。点々とする集落にあって、一筋の県道と一流れの「内田川」を取り囲み里山がはべり、遠峯には熊本県、福岡県、大分県と、県境を分ける国有林が連なっている。遠峯はおおむね杉林である。里山を成すのは雑木林である。椚山(くぬぎやま)はシイタケ作りを成し、栽培物の栗山、タケノコを生み出す孟宗林がある。遠峯の杉林は、世の中のご多分に漏れず杉の需要がなく、手入れや伐採なく聳えるままである。
きのう、甥っ子(長姉の長男)から、「タケノコ、ふるさと便」が届いた。甥っ子は、汗タラタラに、タケノコ掘りをしたのであろうかと思い、ありがたくお礼の電話を入れた。ふるさとは山菜の季節である。甥っ子は、こんなことを言った。「ことしは、タケノコがいつもより早く出てしまい、もう終(しま)いのほうになってしまった。だから、硬いかもしればってん……」。
早出の「柔らかいタケノコふるさと便」は、とうに平洋子様から届いて、鱈腹ご馳走になっている。書き殴りを御免蒙りたいと思う、今朝の文章である。おやおや、夏日を思わせる、朝日が輝き始めている。きょうもまた、ふるさと・山鹿市が高温のトップニュースになるのであろうか。難聴の耳を澄まし、近眼の目を凝らしていよう。6:21。
焦り
4月20日(木曜日)、曇天だがとうに夜が明けている。焦る心は弥増している。きのうはぐっすり寝た。きょうは寝すぎた。どちらにしても、文章はお陀仏である。二度寝にありつけないよりはるかに増しだが、わが心身には避けようのない焼きが回っている。おのずからこの先の文章は、沙汰止みになる。
きのうの私は、途絶えていたルーチン(日常生活)を取り戻すため、二つの行動を試みた。一つは、朝の道路の掃除である。一つは、昼間にあっては庭中の草取りである。いずれも、このところ萎えていた心を宥(なだ)めすかした自己発奮だった。しかしながら、その目的は未達のままである。それゆえ、この先のわが生き様が思いやられるところである。一方、自然界の恵みは、今を盛りに謳歌を極めている。庭中に這いつくばっていると、わが萎えた心身を真っ先にウグイスが鼓舞してくれた。わが世の時を謳うツツジや草花なども、ウグイスに引けを取らずに癒してくれた。やはり私は、自然界の恵みに篤と励まされ、箆棒(べらぼう)に癒されている。
きょうは書くまでもないことを書いて筆を折る、いや指先を止める。曇天は、のどかに明るくなっている。風薫る「五月(さつき)の空」が近づいている。私は、心身の修復を急がねばならない。
ルーチン
4月19日(水曜日)。5:41。ぐっすり眠れた。気分は良し。さあ、これから書こう。いや、書かない。青空に朝日が輝いている。久しぶりに、かつてのルーチン(朝の道路の掃除)へ向かおう。途切れていた、生活のリズムを取り戻すためである。まったく、自己都合の身勝手である。お顔見知りの散歩ご常連に人たちとの、朝の出会いがうれしく、すこぶる楽しみである。前田さんは「どうされたかな? 死んだかな? 」と、思われていたはずである。
欲得まみれの「この先のわが生活信条」
4月18日(火曜日)、4:24。実際にははるか前に目覚めて、起きている。やはり願う、熟睡と安眠は叶えられず、挙句この先、寝不足状態が続きそうである。人生の晩年と精神の動揺にあっては、仕方ないと思うところである。次兄の終焉の病床で看取りを続けて、通夜・葬儀に明け暮れていたため、この間は長く文章を休んだ。これに加えて機を同一にして、パソコンのメール機能の不全を被っていた。パソコンのメール機能は、パソコン上のやり取りで、昨日回復した。これには後払いで、臨時の8800円の金がかかった。それでも、金に換えられないほどに、心は安堵した。
パソコン機能が復活すると、たちまち思いがけないわが無礼と失態が現れた。文章が沙汰止みになっていることを案じて、「ひぐらしの記」ではお馴染みの渡部さんは、わが体調伺いのメールをくださっていたのである。ところが、余儀ないこととはいえ私は、心温まる渡部さんのメールに対し返信無し、すなわち梨の礫(つぶて)を続けていたのである。メール機能の回復はきのうだけれど、渡部さんの送信メールに気づいたのは「今」である。それゆえに私は、大慌てで返信メールを書いて、次にこの文章を書いている。私は、恥をかくために生きているのかもしれない。
さて、私にはもはや百年(一世紀)および五十年(半世紀)の大計は望めない。だからせめて、三か年計画くらいを心中に模索している。短いけれど、欲張りいっぱいの期間である。すなわち、この間に希望することは、認知症は免れて、かつ闘病の苦しみのない安らかな永眠である。そして、日々の生活信条の一つには、果て無く、望郷や懐郷に浸ることである。さらに一つは、親きょうだいのレイクエム(鎮魂歌)と思慕すがり、すなわち面影にかぎりなく耽ることである。結局、この二つを軸にして私は、人生の様々な思い出に助けられて、生存の余りを生きる覚悟である。残念ながら「ひぐらしの記」の単行本100冊の目標は、余命では叶わずおのずから未達である。頃は晩春、わが命は晩節である。
きょうの文章は、欲張りまみれの「晩節の誓い、いや希望」である。夜明けの空は、風の揺らぐ薄曇りである。5:35、夜明けは未熟である。
「われ一人に思う」
4月17日(月曜日)、夜明け前にある。諸々の心痛でこのところは、普段にも増して睡眠不足に陥っていた。けれど、昨夜はいくぶん眠れた。一晩だけでは、まだわからない。この先、睡眠不足は改善傾向をたどるかもしれない。いやそれともぶり返し、もっと深みにはまるかもしれない。どちらにしてもわが心理状態ゆえに、人様にすがることはできない。挙句、自分自身で心理状態をコントロールしなければならない。いずれにしても、悩ましいことである。
恥を晒してという表現と、恥じ入ることなくという表現は、相対する表現である。きのうの私は後者の表現で、心中に浮かんだままのことを不特定多数のブログ「ひぐらしの記」に記した。それでも、恥を晒したかな! という思いはある。だけど、記した後の祭りである。いや、恥じ入ることはないと、ひたすら自己慰安に努めている。
私は、親の優しさと多くのきょうだいの情愛に育まれて、こんにちまで生きてきた。それゆえきのうの私は、心中に今は亡き親・きょうだいを浮かべて記した。それは無粋な、親・きょうだいの数の一覧表を成した。しかしながらそれには、わが思いが凝縮していたのである。かつての私は、親・きょうだいの情愛や絆を断たないために、ひたすら文章を書き続けていた。そして、『ひと想う』という手作りの単行本を五巻ほど編んだ。それらを生存中の姉や兄に贈った。この試みは功を奏して、多額の金とわが苦労は、十分に報われたのである。
ところがとうとう、生存者は自分一人となってしまった。もはや書いても、読んでくれるきょうだいはいない。わが役割は、終わったのである。つらく、心寂しいわが役割の終焉である。挙句に私は、この先を生きる気力を殺がれている。朝日が射して、のどかな夜明けが訪れている。わが余生が思いやられる夜明けでもある。
身勝手記述、許してください
異母長兄:1男3女:孫、曽孫多数。異母長姉:3男0女:孫、曽孫有り。異母二兄:1男0女:孫、曽孫あり。異母二姉:1男0女:孫、曽孫有り。異母三兄(戦死・独身)。異母三姉(幼児事故死)。実母長姉:2男1女:孫、曽孫多数。実母長兄:1男2女:孫、曽孫多数。実母二姉(病死・独身)。実母二兄:2男1女:孫、曽孫多数。実母三兄:2男0女:孫、曽孫多数。実母四兄:1男1女:孫、曽孫多数。実母五男・私:1女:孫1女。実母六男・弟(幼児事故死)。父1人、母2人。子ども14人。生存中は、私だけである。
しょんぼり
4月16日(日曜日)、3:59。次兄他界に合わせて、パソコンのメール機能が不全になりました。メール機能は、難聴とそれゆえの電話交換の厄介さを補完するものでした。それが壊れて、ダブルの不運に見舞われて現在、わが気分は憂鬱状態です。真っ先には、文章を書き続ける気分が殺がれています。実際のところは何もかもが嫌になり、最も肝心なところでは、メール機能の修復作業のやり取りさえする気になりません。だから、正直なところ現在のわが心境は、この先をどう生きるか? この一点だけに集中し、余命の生き方を模索中です。次兄他界に際し早速、お見舞いと激励を賜った、大沢さまと高橋様には篤く御礼を申し上げます。
私事、次兄他界
4月15日(土曜日)。夜間は寝付けず、朝方から眠りこけて、昼間に目覚めて起き出しています。小降りの雨です。人生のつらさをたっぷりと詰め込んでいたため、疲れ果てています。男性の私は、この世に産み出す苦しみは免れます。しかしながら、この世から押し出す苦しみは、免れることはできません。
次兄の闘病に、4日ほどは病院のベッドの傍らで寝ずに付き添い、つらい涙を流し、人間の死に様の一部始終を看ていました。尋常あれば短い期間も、身に堪えた膨大な時間でした。臨終(4月8日、午前11時)、通夜(4月13日、午後6時、葬儀(4月14日、午前9時)。
儀式に、つらさはありません。次兄の苦しみを思い、さっぱりしています。それまでの過程がつらいのです。次兄は、この世を去りました。
深まりゆく春にあって、怯える人間界と自然界
4月4日(火曜日、4:38)、起き立て早く夜明けはまだ先にあり、きょうの天気模様はわからない。もちろんきのうに続いて、好天気を望んでいる。きのうは、昼近くから照り始めた日光に重い腰を誘(おび)き出されて、私は大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。それゆえ、二日続きのきょうの買い物は、免れそうである。しかしながら買い忘れたとか、なんやかんやの自己都合の理由をつけて、きょうもまた出かけるかもしれない。なぜなら、普段、散歩をしない私の場合、買い物行は唯一、仕方のない散歩代わりを為している。
買い物へ出かけないと私は、茶の間のソファに凭れて、まるでカタツムリ同然の動きのない姿で明け暮れる。言うなれば往復、バスに乗っての遠出、大船の街への買い物行は、わが飛びっきりの散歩を為している。
3月から4月へと変わり、春は日を追って深まりゆく。4月の人間界は、別れの月3月が過ぎて、出会いの月である。きのうのテレビニュースはその確かな証しとして、人間界にあっては入学式や入社式光景を映していた。一方自然界は、わが眼前にこれまた季節特有のこんな風景をもたらした。
買い物行にあって私は、バス通りにある最寄りの「半増坊下バス停」のベンチに座り、巡り来るバスを待っていた。すると、そよ風に煽られて散り急ぐ桜の花びらは、道路に花吹雪を舞った。道路をまるで花絨毯、また見ようによっては、小川の花筏風景を晒し出した。この風景は、わが眼前に突如現れた桜川みたいでもあった。ところが、やがて巡ってきたバスは、一瞬にしてそれらを蹴散らした。私は忍び難い切ない心情をたずさえて、ヨロヨロと乗車し、定期券を運転士にかざした。以下は、きのうのテレビニュースが報じていたことにかかわる引用文である。人間界および自然界こぞって、恐ろしいニュースである。
【イルカ集団座礁と地震「安易な結びつけ早計」】(SNS投稿に識者、4月3日、月曜日、19:58配信 毎日新聞)。「大地震の前兆か」。千葉県一宮町付近の海岸にイルカ約30頭が打ち上げられた3日、ネット交流サービス(SNS)にはこうした投稿が相次いだ。東日本大震災の7日前にも同様の事態が起きており、不安に感じているようだ。果たして、イルカの集団座礁と大地震の発生に相関関係はあるのか。地震の前兆現象に詳しい「災害予測情報研究所」の織原義明代表は「完全に否定はできないが、安易に地震と結びつけるのは合理的ではない」と話す。織原代表によると、一宮町の北約80キロに位置する茨城県鹿嶋市沖で約10年間(2001年1月~11年3月)の状況を調査したところ、イルカを含む鯨類の集団座礁は6回確認されたという。だが、「6回は2~5月に集中しており、この時期の海流が影響したと推察される。鹿島灘(沿岸の海域)は遠浅で一度迷い込むと脱出しにくいこともあり、いろいろな要因が考えられ、地震と結びつけるのは早計ではないか」と語る。鹿嶋市の海岸では11年3月4日、イルカの一種「カズハゴンドウ」54頭が集団座礁し、同11日に東日本大震災が起きた。一方、15年4月にも鹿島灘の沿岸約10キロにイルカ156頭が打ち上げられたが、その後に大きな地震はなく「(東日本大震災の時は)偶然と考えた方が自然」とみる。
今回の件については「詳しいことがまだ分からない」とした上で「集団座礁を防災情報として役立てるのは現段階では難しく、地震との相関関係は見いだせない」と話した。明けて夜明けの空には、淡く朝日が射し始めている。早起きのウグイスは、声高に鳴いている。しかしながら春深まりゆく季節にあって、人間界そして自然界共に、一寸先は闇の中にある。
心満たさない夜明け
4月3日(月曜日)、すでに夜が明けている。朝日はまったく見えない。けれど、雨・風・嵐はない。久しぶりに二度寝にありつけて、半面、心が急いている。みずからの縄張りで、ウグイスが鳴いている。起き立てに心急いて書く文章は、とことん手に負えない難物である。いやこのことは、口実まがいのとんでもなく間違った表現である。なぜなら、起き立てでなければ文章書きは、容易いと言うことではない。昼間にあってたっぷりと時間をかけて書く文章であってもやはり、私には変わりようなく手に負えない難物である。起き立ての文章は、心に余裕なく書き殴りに甘んじる。それゆえに起き立ての文章は、書く気分が殺がれている。
わが長い人生行路を省みては、限りなく悔恨がよみがえる。もちろん「後の祭り」であり、それゆえいまさらの悔恨である。文字どおり、悔しさと恨みつらみはいや増すばかりである。
文章書きにまつわる悔恨の一つは、子どもの頃よりこんにちにいたるまで、私には教科書と新聞以外に読書歴はない。ところが実際のところこれらは、読書歴の範疇とは言えない。すると私には、読書歴は皆無である。だからこのことは、わが人生行路における悔いごとの一つをなしている。挙句に私は、もし仮に読書歴があれば人様の文章を真似て、わが文章書きは容易くなったのでは? という、「捕らぬ狸の皮算用」を浮かべている。
このところの私は、長い文章をグダグダと書いて、疲れている。そのうえきょうは、遅い起き出しにあって心が急いている。疲れはいや増しそうである。身も蓋もない文章を書いてしまった。書かなきゃ、よかった。だからこの文章は、これでおしまい。
朝日が光り始めている。二度寝にありつけるのも、ありつけないのも、どちらもつらいわが晩年の生き様である。心焦っての、せっかくの文章だから、心満たされずとも、投稿ボタンに指先を触れてみる。