ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

冬至

 令和4年の「冬至」(12月22日・木曜日)の夜明け前にある。起き立ての私は、わが身を震わす寒気に耐えている。カレンダー上には日々折々に、一年めぐりを刻む季節用語が様々に記されている。加えて、中国伝来の語と言われる二十四節気をはじめ多くの節気が記されている。さらには一年中の折々の歳時、すなわち自然・人事百般のことを編んだ歳時記から抜粋の事柄など、ほかにも多々記されている。わが凡庸な脳髄は、到底これらを学び尽くし、それらの意味を覚えきれるものではない。もし仮に、私が気象予報士にでもなろうと思えば、これらの季節用語や歳時記に記載されている事柄は、必定の出題範囲として勉強せざるを得ないであろう。このことではカレンダーは、まさしく人間の一年中の日暮らしのあり方を示す、最良の道しるべである。もちろん、カレンダーに記載の言葉を学び尽くし、それに応じた日暮らしを続ければ、豊かな人生の一助になること請け合いである。しかしながら私にかぎらずだれしも、もとよりそれを叶えることは不可能である。
 さて、冬至。もちろん私は、冬至すなわち、太陽をめぐる気象や科学など、学問的意味にはまったく珍紛漢紛(チンプンカンプン)である。冬至にまつわるわが知識の一つは、一年中で最も夜間が長く、そのぶん最も昼間が短いことである。そして一つは、冬至にちなむ歳時で、無病息災を願って「ユズ風呂」に入ることである。文章に書けばたったこれだけのことだけれど、心象的には書ききれない様々な思いがある。その一つは、「夏至」と対比してめぐりくる半年の速さ(感)である。
 人生の晩節を生きる私の場合、格別、その速さ(感)は痛切である。加えて私は、冬至に出合えるのはこの先、片手指の数にさえ及ばないのかもしれない。きょうのユズ風呂のおまじないも、効きそうにない。私は、予定(12月29日)されている胃カメラ検査に向かって、今なお胃部不快感を引きずっている。令和4年(2022年)の「冬至」におけるわが日暮らしと、バタバタとつのる感慨である。

長い夜にあっての不眠症

 12月21日(木曜日)、おとといやきのうに比べれば体感気温は高く感じられて、寒気は緩んでいる。寒気を極端に嫌う私には、年の瀬のありがたいプレゼントでる。ところがどっこい、現在の私は不眠症に罹っている。二度寝どころか、一度目の寝つきさえ妨げられて、仕方なく起き出している。デジタル時刻を書けば不眠症に留まらず、確かな精神病と勘繰られそうで、書けない。明日の「冬至」(12月22日)に次いで、思わぬつらさをともなう長い夜である。字数に制限をかけることなく書き殴る時間は、たっぷりとある。しかし、不眠症も確かな病気であれば、心病んで文章が書けない。
 さて、出まかせのわがケチな考察を記すと文章は、脳髄に様々に浮かぶものを、語彙(言葉と文字)を用いて紡ぐものである。逆に、表現を替えれば語彙は、脳髄に浮かぶものを文章仕立てにする道具である。私は、わが生涯にあって一冊の随筆集(単行本)を書きたいという、無鉄砲な夢をいだいていた。勤務する会社における、定年後を見据えたライフプランセミナーにあって私は、それを叶えるための宣誓をした。具体的にはわが生涯学習の目標に、語彙の忘却防止と新たな習得を掲げたのである。大袈裟な目標だが内実は、六十(歳)の手習いにすぎないものである。
 ところがこの目標は、思いがけない幸運をもたらした。幸運! それはすなわち、大沢さまのご厚誼に授かり、「ひぐらしの記」へありついたのである。心許なく始めたわが生涯学習は、功を奏して大魚を釣り上げたのである。「ひぐらしの記」、わが人生における唯一無二のありがたい遺産になりそうである。
 眠気を呼ぶために、あえて実のない文章を書いたのに、いっこうに眠気を誘われない。私は、不眠症が不治の病になるのを恐れている。寒気によるからだの震えはないけれど、私は長い夜のつらさに打ちのめされている。寝床は、安眠を貪る場所なのに、眠ることさえできない。挙句、バカなことを書いたなあー……。

本文にいたらず、単なる継続文

 12月20日(火曜日)、年の瀬は残り、一旬(十日余り)となった。まったく火の気のない「パソコン部屋」で、寒気がわが身をブルブルと脅かす。寒気を防ぐ文明の利器など、あまたある世にあって、火の気の備えができないわが甲斐性無しが身に沁みる。なんで私は、こうもみすぼらしい家宅に住んでいるのであろうか。あえて自問するまでもなく、答えは明らかである。あらためて私は、わが甲斐性無しをなさけなく思う。もちろん、ことしにかぎることなく死ぬまで、こんな家宅に住むわが身は、連れ添う妻を巻き添えにして、共に哀れである。
 口内炎の痛みは消えたけれど、胃部不快感は引きずったままである。そのことも加担してなのか。よりもよって「大船中央病院」(鎌倉市)のことしの診療最終日(12月29日)にあって私は、飛んだ目に遭う。すなわち、精密機器(胃カメラ)を咽喉から胃部へ通して、わが頼みもしない病根探しが予定されている。もちろんわが本音は、ゲップを吐きそうな不快な気分になる胃カメラなど、咥えたくはない。病根があろうがなかろうがもはや、残りのわが命は短くかぎられている。だったらもう、胃カメラにともなう不快な思いはしたくない。しかし、立場の違う患者と医師の関係にあっては、こんな不服の申し立てはおのずから禁じられている。だとしたら、「どうにでもしてくれ!」。生き続けることをあきらめて、ドタバタすることなく、ドンと横たわっている俎板の上の鯉の心境は、こうであろうか。もちろん私は、鯉の心境にはなれず、のたうち回ることとなる。
 きょうは寒さに負けて本文にたどり着くことなく、こんないたずら書きで閉めることになる。どうにか、継続文の足しになる程度の文章である。私は生きることにとことん「弱虫」、いや、虫けら同然である。寒いなあ…。だけど、虫けらのようにこの時期、地中にあって寒さ凌ぎはできない。私は、冬防寒重装備にくるんだ図体を寒中に晒している。

歳月は、わが人生を変える

 12月19日(月曜日)。狭苦しい雑居部屋を嘘っパチに私は、憧れのある「書斎」と書いてみよう。確かに、わが名が記された単行本が整然と、かつ押し合いへし合い並ぶ一基の本棚(箪笥)はある。しかし、雑居・雑然の様相を示しているのは、本棚に入れてもらえない多くのものがあるからである。これまた「書物」と格好をつければ、それらは埃にまみれてあちこちに、小山のごとく積まれている。今や、手の施しようがないゆえに、雑居・雑然様相の主を為している。もちろん、「枯れ木も山の賑わい」にすぎないけれど、しかしいくらかは、わが人生行路を彩っている。
 憧れを交えて書いたけれど実際には、机上にノートパソコン一台を置くだけのしがない「パソコン部屋」である。パソコン部屋の熱源は、これまで繰り返し書いてきたけれど、エアコンやストーブはたまた足下に電気行火などもなく、頭上の二輪の蛍光灯の明かりだけである。もちろんこんな明かりは、熱源の用など為さず、頼りなく本来の明かりをともすだけである。
 わが起き立ての体感では、現在(4:51)の寒気は、この冬一番と思えている。身の回りに寒暖計はない。それゆえにわが体が感ずる寒気の温度である。もちろん、摂氏何度と「メモリ」の表現はできない。こんな寒気に晒されては文章を書く気になれず、休もうと思いながらいつもの習性でパソコンを起ち上げた。それゆえに文章は、出鱈目とは言いたくはないけれど、確かに本筋のないごちゃまぜ文となるである。
 一年の終い月を川の流れにたとえて、「年の瀬」と言うことには、私は絶妙な表現だと思う。その理由はこうである。一つは、日々の流れを早く感ずること、一つはその流れに冷たさを感ずることである。きのうの私は、行動予定を実現した。すなわち、次兄(92歳)の住む、東京都国分寺市へ出かけた。用件は、義姉の一周忌への参列であった。あたりまえだが人間の姿の姉は居なくて、対面できたのは義姉がかすかにほほ笑む遺影だった。私は一年という短い歳月の、重みの中に打ちひしがれていた。生存中の義姉は、異郷におけるわが母親代わりを任じてくれていた。義姉の眼差しは、言葉の小言さえ一切ともなうこともなく、わが母親を超えて常に優しかった。次兄は出会うたびに、「もう行くまい……」と、決意するほどに弱弱しくなってゆく。出会いは、そのつど寂寥感がつのるばかりである。
 私は揺れる往復の電車の中で、こんなことを浮かべていた。「人生哀楽」とは言葉飾りにすぎなくて、もとより人生には楽しみはなく、「人生は、哀寂なのだ!」。哀寂(あいじゃく)という言葉は電子辞書にはなく、わが咄嗟の造語である。ようやくごちゃまぜ文の結びにたどり着いて、表題を浮かべなければならない。浮かぶものではこれでいいだろう。「歳月は、わが人生を変える」。寒暖計を見たい思いのする寒さである。デジタル時刻は現在、5:38と刻まれている。年の瀬は急流で、水は冷たい。

寒気に震えて「遊び文」

 12月18日(日曜日)。真冬へ向かう年の瀬の水は、冷たい。起き立てのこの時刻(4:57)の寒さが身に沁みる。きょうの私には、東京(国分寺市内・次兄宅)へ向かう予定がある。用件は、義姉さんの一周忌への参列である。
 このところの私は、書き殴り文特有の長い文章を書き続けてきた。加えて、文章にまったく明るさがないせいか。掲示板を開いてくださる人の数を表す数値(カウント数)は、減少傾向にある。自業自得とはいえ、私は寒気の中でつらい心境にある。それゆえにきょうは、心して短い文章で終えるつもりである。文章は意図して短くできても、生来の悪癖(マイナス思考)が表れる文章は、是正できない。
 さて、わがケチ(未熟)な考察だけれど、人間の生存コスト、すなわち生きるために費やさざるを得ないものには、おおむね二つである。一つは、ズバリお金(財貨)の入用である。一つは、心身すなわち身体と精神の負担である。当たるも八卦、当たらぬも八卦のことを書いて、指の動きを止め、パソコンを閉じる。寒気にブルブル震えて、遊び文をしたためただけである。とことん、バカな私である。
 確かに、短い文章は叶えたけれど、もとより暗い文章(マイナス思考)は直しようない。おのずから、カウント数の回復は望めない。一年前には、義姉さんの優しい姿がこの世にあった。年の瀬の寒さは、ことのほかわが身に沁みる。人間の業(ごう)、すなわち「生と死」を浮かべている。年の瀬の夜明けは、彼方(かなた)である。

わが日暮らし、通院模様

 12月17日(土曜日)、起き立てにあって、寒さが身沁みている。このところの書き出しにあっては、こんな常套文になり下がっている。すでに何度も書いているけれど、「ひぐらしの記」という命題は、六十(歳)の手習いにすぎない私にとっては、とても書き易く、ありがたいものである。すなわち、大沢さまから授かった命題は、名づけの親の優しさの表れである。
 きのうの私は、行動予定にしたがって、「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科における外来患者となった。予約時間は午前九時半である。私は、九時前から待合室の長椅子に腰を下ろしていた。診察はすでに始まっており、早出組の患者は、世の中の三分間診察のご多分に漏れず、まさしく三分間くらいを挟んで入れ替わる。このぶんではほぼ予約時間どおりに私の名前が、スピーカー(拡声器)から流れてきそうである。私は両耳に嵌めている集音機の音量はあらかじめ最大音量にして、なおかつ聞き耳を立てて身構えていた。
 予約時間がちょっぴり過ぎて、スピーカーからわが名が呼ばれた。私はいくらかおずおずと、勝手知っている3号診察室のドアをコツコツ叩いて開けた。正面に腰を下ろされている、今やお顔馴染みの主治医先生にたいし、私は立ったままに「おはようございます。お世話様になります」と、言った。こののちは先生に導かれて、丸形の診察椅子に腰を下ろした。
 さあ、私と言うより、患者と医師の会話による遣り取りの始まりである。会話の口火は私が切った。
「おはようございます。先生、まずは謝らせてください。私は先月の予約日を見過ごしてしまい、あらためて予約をきょうに取り直したのです。ご迷惑をおかけいたしました」
「いいですよ、ところでいかがですか?」
「はい。この一年間は、胃と腸、共に気になる自覚症状はまったく、ありません。ただ、ここ一か月ほどは、口内炎と胃部不快の抱き合わせに悩まされています。そして、いまだに治り切れません。口内炎のほうはほぼ収まりましたが、胃部の方ほうは痛みはないけれど、不快な気分が続いています」
「わかりました。胃薬は出しておきましょう。ところで、胃カメラをのまなければなりませんね」
「そうですか。いやそうですね」
「暮れと、明けてからでは、どちらがいいですか?」
「日取りは、先生にお任せいたします」
「それなら、暮れの二十九日にしましょう。この日は、病院の今年の診察最終日です」
「わかりました。お世話様になります」
「胃カメラに関する説明がありますから、外で待っていてください」
「ありがとうございました」
 外でしばらく待っていると、初見の女性スタッフが、椅子に座っているわが面前に身を屈められて、縷々説明された。
 私はすでに胃カメラのやり方は知っていても、優しい説明に応えて、神妙に聞き入った。ところが最後にして、わがへそ曲がりの性癖がにょきにょき出て、余分な言葉を添えてしまった。
「良い先生と優しいあなたに会えて、幸せです。たぶん、私はこの病院で死にます。よろしくお願いします」
 女性スタッフは遣る瀬無い笑顔を残して、立ち去られた。
 こののちは、胃薬の処方箋、新たな予約表、そして診察料金表をたずさえて、院内における所定の手続きを済まして、院外へ出た。胃薬をもらうのは、院外の調剤薬局である。血液検査があればと、私は朝御飯を抜いていた。それゆえに、大船駅前まで10分ほど歩いて、買い物時の昼飯定番の「すき家」へ入り、安価な割には味を占めている「ミニ牛丼」(330円)を食べた。食べ終わると、スマホを手にしてデジタル時刻を見た。10:55。麗らかな陽射しのおかげで、起き立ての頃の寒気は緩み始めていた。
 こんな書き殴りが許されるのは、「ひぐらしの記」という命題のおかげである。しかし、大沢さまは、「前田さん、こんな書き殴りの文章は当て外れですよ!」と言って、ご立腹なのかもしれない。無能の私は、勝手に大沢さまの優しさに縋っている。

人間の感情、わが感情

 12月16日(金曜日)、年の瀬は早瀬のごとく流れている。落ち葉の数は日に日に減り、山や木立は冬枯れの季節を深めている。路傍の草花や庭中の雑草は、枯れたり萎えたりしている。人間は感情の動物である。それゆえに、生きとし生けるものの中にあっては、すこぶる崇められている。しかしながら、人間に感情があるのは良し悪しでもある。なぜなら、草木のように無感情であれば心の動揺は免れる。なまじっか感情があるゆえに人間は、日々葛藤や諍いの渦に放り込まれて、心が安らぐことはない。すなわち人間の感情は、心の安寧や世の中の平和、崩しである。
 きょうの私にはいつもとはやや違って、確かな胃部不快感をたずさえての「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科へ通院予定がある。おのずから、年の瀬にあってほとばしる通院感情に見舞われている。感情があるかぎり、もちろんきょうにかぎらず私には、さりげなく通院する勇気はない。
 起き立ての私は、こんなわが柄でもないことを心中に浮かべていた。とことん、寒さが肌身に堪えている。だから、こんな文章の先は、身体をブルブルさせてまで書く価値はなく、これで書き止めである。胃部不快感は、わが気分を殺いでいる。口内炎は、いまだに舌先を脅かしている。つらい気分である。確かに、人間に感情があるのは良し悪しである。デジタル時刻は、現在4:38と刻まれている。

年の瀬は、半ばを流れている

 12月15日(木曜日)。寒さと年の瀬のつらさが身に沁みる。こんなことは書かなければいいのに、起きて、心中に浮かんでいる日暮らしのことゆえに、書かなければならない。
 私は、だんだんと日常の生活力に不安をおぼえている。妻と自身の体力および気力の衰え、金銭の不足、加えてわが身を取り巻く諸々の難事のせいである。しかしながら、いずれにも解決策はなく、日々心を痛めているだけの大損である。もちろん、憂さ晴らしや憂さの捌け口にもならず、まったく書く価値はない。それでも、人生晩年のわが生き様として、書いている。もとより、恥を晒すだけでなく、わが身に堪えている述懐である。こんなことでは、「単行本・夢の100号」の実現は、書く気力の喪失をともなって、「空夢」を招くであろう。
 限りある人生行路は、晩年があってようやく、打ち止めとなる。それゆえに晩年の生き様は、人生の良し悪しの決め手となる。ところが私は、晩年にあって、こんななさけないことを書いている。単なる愚痴こぼしではなく、わが身に堪える現実である。確かに、生涯をまっとうすることは、人生の一大事業である。継続文にさえならない文章は、この先は書き止めである。
 寒さとつらさが身に沁みる、年の瀬の半ばである。わが人生は河口、すなわち終焉に向かって、なお続いて行く。その証拠には年の瀬が過ぎれば、新たな年が流れてくる。早瀬であればたぶん、私はブクブク、溺れるであろう。

人様との会話こそ、人生の醍醐味

 12月14日(水曜日)。夜明け遠い時刻(4:16)にあって、生きて起きてきた。寒気が、肌身に沁みる。バスや電車に乗れば、座席を譲られることに、気を遣わなければならない。日々の外出行動は、余儀ない買い物回りと、かかりつけの病医院へのたらい回しの通院にほぼかぎられる。対面や電話による人様との会話はほとんどなく、もっぱら角突き合わせて、妻との荒々しい会話にほぼかぎられている。
 テレビ番組は、妻が好んで見入る料理番組にいや応なく流し目をするくらいで、もとより興味なく見飽きて面白味はない。だからと言ってわれひとり、パソコンやスマホなどのデジタル機器を楽しむ技量はまったくない。デジカメは流行りにそそのかされて買ったけれど用無しに、今やどこを探しても見当たらない。周回道路の数歩さえ、散歩となれば億劫で果たせない。卓球クラブへの足は、間遠くなるばかりである。忘年会や新年会、いや集会や会合という言葉さえ、死語になりつつある。挙句には対人や対面という言葉さえ、死語になりかけている。人様との対面による交わりがなければ楽しみはない。楽しみのない人生は、生きる屍(しかばね)である。私にはアルコール類の嗜好はなく、「酒」の文字のつく飲み物で飲むものは「甘酒」だけである。不断、アルコールの必要性は感じないけれど、コロナの発生以降は感染防止のために、出先からの帰宅のおりに指先にちょっぴりつけている。しかしそれも、効果など二の次に、「パパ。必ず、消毒しなさいよ!」と、妻の言う小言逃れにすぎない。
 人生晩年における日常生活にあっては、日々寂寞感がつのるばかりである。それゆえにこれにあらがう便法は、悲喜交々とは言え過去の思い出にすがることとなる。ところが、思い出ばかりを塗りたくる日常生活は、もとよりなさけなく、また味気ない。今や私には、生き甲斐という大それた望みや欲望はない。望むところは、人様との会話である。なぜなら私の場合、人様との会話こそ人生の楽しみ、あるいは楽しみ方のイの一番だと思うからである。山から飛んで来た小鳥に古米をばら撒きながら、「待っていたよ、いっぱい食べなよ……」と、独り言を呟くようでは、会話にも人生にもなり得ない。人生の楽しみは独り言ではなく、人様との会話である。
 結局、私の場合、人生晩年の日常生活における寂しさは、年年歳歳、人様との会話が薄らぐことからもたらされている。言葉を替えれば、人様との会話こそわが生きている証しであり、楽しみのあるわが人生である。ところが、人生晩年の日常生活にあっては、人様との会話は遠のくばかりである。小鳥に向かっての独り言はもちろん会話ではなく、人様に認知症状の兆しと揶揄されそうである。
 指先、とぼとぼと書いたのに、いまだデジタル時刻は5:01である。夜長の時期の夜明けは、まだまだ遠くにある。寒気は、肌身につのるばかりである。

冬の入り口にあって、「春よ、来い」

 12月13日(火曜日)、季節めぐりからすれば、あたりまえのことではある。しかしながらこのところの起き立て、すなわち夜間あるいは夜明け前の寒さは、酷くわが心身を虐めている。表現を重ねれば、長引いている体調不良に加えて、このところの寒さは、とことんわが心身に堪えている。
 山や木立は、日に日に冬枯れの様相を深めている。花々の少ない季節にあって目の保養を恵むのは、梅雨時の紫陽花のごとくわが世の春を謳って、凛凛と咲き誇る椿と山茶花である。渡り鳥は見知らぬ国へ里帰りし、古米をどっさりばら撒いても、姿を見せてくれない。虫けらどもは春先の出番(啓蟄)を窺い、地中深く冬ごもりの最中にある。草花をはじめ花卉、そして春野菜類は種や苗を育み、早春の芽吹きを待っている。木々の枝葉は、蕾を熟成中である。生きとし生けるもの、命あるもの、森羅万象すべて、近づく冬本番と勢いづく寒気に耐えて、それぞれの塒や地中あるいは樹幹に籠もり中である。水中や海中の魚介類も大方、水温む早春を待っているのかもしれないが、凡庸なわが脳髄の知るところではない。
 きわめて厚かましいけれど、未だに冬の季節の入り口にあって私は、早春の暖かさに寒気の緩みを託している。ほとほと、私は愚か者である。そのせいかわが心中には、「バカは死ななきゃ治らない」という、なさけない成句が浮かんでいる。
 このところの私は、体調不良に加えて寒気が心身に堪えている。さらにはこのところの私は、書き殴りのだらだら文を続けてきた。そのせいで、わが心身は疲れている。良かれと思い書き続けてきたのに、まるで悪の報いとも思う、しっぺ返しを被っている。それゆえにきょうは、尻切れトンボを恥じることなく、意図して結び文にすがるところである。冬本番を控えてわが心身は、早や寒気に負けそうである。人生の下り坂にあっては、エンジンブレーキさえ効かないありさまである。
 夜明けの明かりは見えず、暖気を恵む朝日は、いまだ雲隠れである。おのずからわが身体は、冷え切っている。体調の戻る気配はない。