ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
沸き立つ雑念
12月30日(金曜日)。今年1年間、溜まりにたまった澱(おり)のごとく、次々に浮かぶ雑念に耐えきれず起き出して来た。横目で見遣る壁時計の針は、夜中の2時半近くを回っている。起き立ての気分は、良いはずはない。きのうの胃カメラ検査の結果は、無傷すなわち無事放免だった。そのおり、主治医先生からカメラが写した四コマの写真を戴いた。写真にはごま塩みたいな傷一つどこにもなく、到底わが家では買えない特上の牛肉みたいな胃肉がピカピカ光っていた。主治医先生は写真を見ながら、「何でもありません」という、言葉の太鼓判を押された。しかしながら、検査前の胃部不快感は、今なお消えていない。カメラの捉えきれない、駄菓子の食べ過ぎのせいであろうか。それでも、胃潰瘍や胃癌は免れた検査結果だった。
確かに、駄菓子や富有柿あるいは次郎柿などの生柿の食べ過ぎは自認するところである。これらに加えてこのところの私は、大袈裟に言えば生きることに疲れている。やや小さいことでは、日々の起き立ての文章書きに疲れている。本音のところは「もう書けない、もう書きたくない」という、強迫観念に脅かされている。それなのに凡愚をわきまえず私は、「ひぐらしの記」単行本、「夢の100号」への到達という、大それた夢見を決意した。書く気力を喪失しては、もちろん「空夢」さえ叶わない。まさしく現在の私は、「後悔、先に立たず」の心境に悩まされて、これこそ胃部不快感の元凶なのかもしれない。「芋蔓式」という言葉がある。この言葉を用いれば雑念は、まさに芋蔓式の状態にある。
令和4年(2022年)の「掉尾(ちょうび)を飾る」文章は書けずじまいに、いよいよ明日は大晦日である。確かに、こんな文章は書かないほうが、わが身のためではある。それゆえ、文を結んで寝床に返るけれど、雑念は再び藪蚊のごとく沸くであろう。壁時計の針は、いまだ三時前を回っている。「冬至」は過ぎてもなお、私には寝付けない長い夜である。
掉尾の一振(苦難)、胃カメラ
12月29日(木曜日)、いつもと比べて、いくらか気になる通院予定がある。病院は「大船中央病院」(鎌倉市)で、外来は消化器内科である。予約の施療は胃カメラ検査で、午前11時開始とある。これに備えて、きのうの6時頃の晩御飯以降の飲食は一切控えている。せっかく、毛嫌いする胃カメラを内蔵器官に通すのであれば、準備万端ととのえて検査に臨むためである。気になる通院と言うのは、ほぼひと月前から感じている胃部不快をなお引きずっているせいである。
胃カメラ検査は、これまでに二回ほど経験済みである。ところが、そのときは事前に自覚する症状はなかった。だから、主治医の「念のため」という、甘い言葉に誘われて、いくらかお祭り気分でカメラを咥えた。しかしながらこんどは、そんな気楽な気分にはなれていない。なぜなら、検査後の主治医の画像診断による宣告を恐れるところがあるからである。大腸カメラは三度ほど経験しているけれど、私の場合、検査自体も胃カメラのほうに苦しんでいる。
あれやこれやできょうの胃カメラ検査は、気分の重たい通院である。まさしくきょうの通院は、令和4年(2022年)の掉尾(ちょうび)の一振(苦難)である。よりよって大船中央病院とて、きょうは年内における診察および診療の最終日という。この日に予約を入れてくださったのは、お顔馴染みの主治医の粋な計らいであろうか。それとも、慌てふためいてであろうか。どっちみち、私は心鎮めて通院する心づもりにある。そうは言ってもやはり、文明の利器・胃カメラの働きに危惧するところがある。先日すでに書いたので二番煎じになるけれど、結局、きょうの私は「俎板(まないた)の鯉」の心境にならざるを得ない。だけど、元旦の雑煮餅だけは食べたい! 胃部というよりお腹(なか)全体が「グウグウ……」、と唸っている夜明け前にある。
仕事納めの日、今年のコロナ総括
12月28日(水曜日)、実際にはどうだか知らないけれど、カレンダー上には「仕事納め」と、記されている。バカな私はこれにちなんで、「俺は生存納め」となるのかな? と、思いながら起き出して来た。人生の晩年を生きる私には、それほどに「生存」という言葉が脳裏にこびり付いている。私の場合、冒頭の文章はいつもしっちゃかめっちゃかである。もとより、これでは気の利いた文章は書けない。
さて、きょうは何をネタに書こうと、気迷いながらパソコンを起ち上げた。そして、真っ先に開くのは「ヤフー」の画面である。画面には、メデイアが伝えるニュース項目が並んでいる。私は項目を読んで、関心を引く記事だけを読み通す。この後には、「ひぐらしの記」の執筆が控えている。そのため多くは、項目だけを読んで、記事は読まずに素通りとなる。
ところがきょうは、以下の項目が関心を呼び、記事まで読んだ。さらには全文を引用し、ここに記している。その理由は新型コロナウイルスにかかわる、今年(令和4年・2022年)の総括に思えたからである。実際のところは、びっくり仰天した悲しい総括である。
【コロナ死者、最多438人 第8波で増加、感染20万人】(12/27日・火曜日、20:41配信 共同通信)。「国内で27日、438人の新型コロナウイルス感染による死者が報告された。過去最多で、1日の死者が400人を超えるのは初めて。全国の新規感染者は20万8235人が確認され、1週間前と比べ1万8千人余り増えた。死者数は、11月は2桁や100人台が多かったが、流行「第8波」の拡大に伴い増加し、12月は200人台や300人台の日が目立つようになっていた。これまでの最多は23日の371人だった。27日の都道府県別の死者は北海道38人、神奈川33人、埼玉26人など。感染者は東京2万2063人、愛知1万55443人、大阪1万3962人など」
仕事納めにあって、ゆっくり休めない年の瀬。新年の正月に向かって、なおその先が思いやられるところである。もちろん私だけでなく人間は、常に生存を脅かされている。ゆえに、一日一日の生存のありがたさがわが身に沁みる。夜明けの明かりはまだ見えず、やけに朝日にすがりたくなる。
大寒波、コロナ、インフル、三つ巴
12月27日(火曜日)、起き立てにあって寒気は、いくらか緩んでいる。しかし、冬本番の寒気はこの先に訪れる。このことをかんがみれば寒気の緩みは案外、新たな寒気のエネルギーのたくわえの時期なのかもしれない。日本の積雪地方にあっては、すでに大雪に見舞われて、いろんな雪害を被っている。連日にわたる新潟県の柏崎市や長岡市における、車の立ち往生報道は、今なお生々しく甦る。
起きて、パソコンを起ち上げると、この見出しが真っ先にわが目をとらえた。「アメリカ大寒波 街は冷凍庫に あらゆるものが凍り外出危険」(12/26(月)19:13配信 テレビ朝日系・ANN)。記事全文を読んだけれど、引用するまでもなく、大寒波の報道である。ただ、新型コロナウイルス報道とは異なり、「第何波」という、表現はない。しかし、期間限定の大寒波に見舞われている証しではある。
さて、新型コロナウイルスは、日本にあっては現在、「第8波」が日々増勢の途中にある。それゆえに、天辺では一日の感染者数がどれほどの数になるのかと、恐怖つのるばかりである。この報道に輪をかけてこのところ、中国の感染者数にかかわる報道はただならぬ状況にある。まるで、川中の堰が一挙に大崩れしたかのように、一日の感染者数が百万人とも二百万人ともいう報道の仕方である。もちろんメデイアに罪はなく、実態が分からぬゆえであろう。なぜなら、中国の新型コロナウイルスにかかわる報道ではこれまでも、感染者数などに実態隠しが疑われていた。なお、実態は藪の中である。しかしながら現在、中国における蔓延の勢いは確かなようである。だとすればいずれは、日本への新たな波及が危ぶまれるところにある。
翻って日本は、インフルエンザ流行の季節でもある。結局、年の瀬にあって世界の国々は、大寒波、コロナ、インフルの三つ巴現象に見舞われている。人間、もとより抗(あらが)えない現象に、少しでも抗って生きなければならない。ほとほと、一大難事業である。緩んでいた寒気がからだに沁みて、冷えてきた。弱虫の私は、寒気に抗えず、結文を決断した。熱源をたずさえる夜明けの朝日は、いまだ暗い所に隠れている。
歳末風景、歳末商戦
12月26日(月曜日)、いよいよ令和4年(2022年)の最終週の夜明け前を迎えている。土竜(モグラ)のごとくにすばやく寝床に潜っていたら、「暖を貪り」起き出しが遅れてしまった。そのため慌てふためいて、パソコンを起ち上げている。もちろん脳髄には、塵(ゴミ)さえなく空っぽである。こんな実のない文章を書くために、立ち上げたのではない。浅ましくも、続を断たないためにすぎない。しかしながら、こんな文章では継続文にはなり得なく、いたずら書きの誹(そしり)は免れない。
イブそしてクリスマス共に過ぎて、街中の商戦は入れ替わり、本番の歳末商戦たけなわとなる。いや、きのういつもの大船(鎌倉市)の街へ出向くと、入れ替わらず抱き合わせの商戦で、それぞれの店舗は買い物客でごった返していた。多くの学び舎は、すでに冬休みに入っている。そのせいかいつもと違って、多くの若者たちも繰り出していた。まさしく絵のような、歳末商戦風景であった。今時、テレビショッピング花盛りの世とはいえ、生きるために人間が繰り出す、子どもの頃から馴染みのある歳末風景である。
おとなの財布の中の金銭は、未練を残しながら減り続けるけれど、一見、おとなにも楽しい風景である。歳末商戦はやはり、買う方にもいつもの買い物とは違って、お金が減る割にはワクワク(感)するところがある。おのずからそれには、「新年・正月」における祝膳や一家団欒が控えているせいであろう。逆に売る方は、このワクワク感がつけ目である。華やぐ売り場は、日本の国にはこんなにもいろんな品物があるのか? と、わが目はキョロキョロするばかりである。
歳末商戦は、人間の知恵が産み出した商品の花盛りである。余程、「買うまい」という、意思を強く持たなければ、私はイチコロに売り手、すなわち商戦に負けそうである。それでも、歳末商戦を日本古来の「お祭り」と思えば、存分に楽しめるところはある。なぜならそれは、わが心中に織り成す「買うか、買うまいか」という、駆け引きの楽しさでもある。加えて、買い物客の渦に塗れる楽しさでもある。
きょうは文章の体を為さない駄文に、浮かぶままのネタを付け足しして、結び文とするものである。冬至が過ぎて、夜明けが早くなっている。私は、朝御飯の支度に焦っている。
押し迫った年の瀬、一年を顧みてのわが心境
12月25日(日曜日)、起き立てのわが脳髄には、こんなことが浮かんでいる。物事には、押し迫るという表現がある。この表現を用いれば、令和4年(2022年)は、いよいよ残り一週に押し迫る。年の瀬という川の流れは河口へ辿り着いて、大海に呑み込まれて淡水は鹹水(かんすい)、すなわち海水に変わる。単なる書き出しだから、こんなことはどうでもいい。
六十(歳)の手習いにすぎない私は、それゆえにほぼ毎日、下手な文章を書き続けている。だから苦心惨憺、雲を掴むほどの困難事である。野球の場合はファン、サッカーの場合はサポーター、大相撲の場合は狭義にはタニマチ、すなわち競技(者)には総じて観客という、支持者が存在する。これらになぞらえれば作家(文章)には、読者という支持者が存在する。確かに、それぞれに言葉は異なっても、支持者がいてこそ競技(者)は、永続的に存在する。
なぜ、こんなことを書いているの? と、自問する。すると、桁違いではあるけれど、文章を綴るわが心境が、ちょっぴり競技(者)の心境に似ているからである。すなわちわが文章は、書けば何人かは読んでくださるという、ご常連様の優しさに支えられている。もとより義理を恃(たの)んで、友人、知人へ「読んでください」と、頼み込んだゆえのご常連様だから、ファンやサポーターとはまったく異なるものではある。しかしながら私は、それらの人の優しさに支えられて、長く文章を書き続けている。確かに、ご常連様の恩恵がなければ、私は文章を書く気にはまったくなれない。このことではたとえ数名になろうと、掲示板を開いてくださるご常連様は、わが文章継続のためには大事きわまる人たちである。押し迫った年の瀬にあって、書かずにはおれないわが心境である。
私は日々、掲示板に表記のカウント数を数えている。なぜなら、カウント数が止まれば、即私は、文章は止めるつもりだからである。確かに、下手な文章ではあっても、書くことはつくづくわが心身に堪えている。私にはご常連様の支えが満員の観客、すなわちファンやサポーター同然となっているという、思いがある。この文章は年の瀬押し迫るなか一年を顧みて、ご常連様にたいしあらためて、感謝と御礼の心を添えるものである。起き立てにあって、寒気も気分も緩んでいる。こんなことは、めったにない。
年の瀬の追憶
12月24日(土曜日)。令和4年(2022年)の年の瀬は、大晦日(12月31日)へ向かって、流れ着くところにある。大晦日に年越しそばを食べて、響いてくる除夜の鐘を聞き、目覚めれば夜明けは、新しい年(令和5年・2023年)の元旦となる。
年の瀬迫るきょうあたり、わが心中には子どもの頃の新年・正月準備の家事光景がよみがえる。一つは、わが家族に加えて、近くに住む異母長兄の家族うちそろっての餅つきである。当時のわが家の餅つきは、土間に石臼を据えて、周りに男性連が並び、「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声唱和の長い杵棒つきだった。つきあげほやほやを上がり框(かまち)に待って、すばやく丸餅や鏡餅に手丸めしたのは、居並ぶ女性連だった。餅つきが済むと、一気に正月が近づいた。家人はそれぞれに一年の終いごとと、正月準備に忙しく駆け回った。私は里山へ入り、飾り餅に挟む楪(ゆずりは)を採りに行った。飾り餅には、母が新米を半紙に包んだおひねり、小さな河内みかん、さらには自家製の吊るし柿が、母の手で飾られた。
冬休みは夏休みと違って短いせいなのか、宿題はなかった。だから私は、存分に家事手伝いをした。釜屋(土間の炊事場)は、身に堪える寒さだった。しかし、家族の温もりがそれを打ち負かし、正月準備は万端ととのった。年越しそばは、自作の蕎麦(そば)を母の手打ちそばだった。現在のわが年越しそばは、日清の「カップラーメン」である。それでも、食べていると眼前に、こよなく父と母の面影がちらついてくる。
夜明け前、私は寒さに震えて、年の瀬の追憶文は、あえなく結文となる。こののちは、面影を懐かしく偲んで、心の中に「暖」を取るつもりである。
たった一つだけのユズの実に懸けた「ゲン担ぎ」
12月23日(金曜日)、起き立てにあって寒気が緩んでいる。この時季にあっては、自然界からもたらされる特等の恩恵である。きのうの「冬至」(12月22日・木曜日)にあって私は、湯船にたった一つだけ、武骨なユズの実を浮かべた。労わり、慈しむかのように私は、ユズの実を鼻先に引き寄せた。馥郁とする柚香は、しばしわが心を和ませた。たった一つだけとは、われながらケチ臭いと思う。農家出身の私には切ない言葉だけれど、それはユズの実が「不作」だったせいである。台風で倒れた柚子の木は、私がいくらか起こした。しかし、それ以来今なお、傾いたままである。倒れたおりには枯れることを懸念し、本幹を残して枝葉の多くを切り落した。ようよう生きながらえてくれている柚子の木は、ことしは僅かに五つの実を着けた。私は五つとももいで、湯船に浮かべるつもりだった。
「冬至だから、ユズは全部、取るよ!」
「パパ。全部は取らないでよ。料理の香りにするのだから……」
これだけの私と妻のとの会話が、わが取るつもりの思惑に邪魔をしたのである。一つであろうと五つであろうと、構わない。なぜなら「ユズ風呂」は、無病息災を願うだけの、もとより効き目のない「ゲン担ぎ」にすぎない。すなわち、「ユズ風呂」は、古来の歳時を引き継いだ子どものままごと遊びにも似た、おとなの「おまじない」である。しかし、湯船の中のユズの香りは、なんだかなあー……、病を撥ね退けてくれそうな心地良い香りである。私は、たった一つだけのユズの実の香りに満足した。一方、たった一つだけのユズの実は、冬至におけるユズ風呂の役割を十分に果たした。
冬至が過ぎてきょうから、季節めぐりは冬本番へ向かい、すぐに春を近づける。たった一つだけだったけれど、ユズ風呂の中のユズの実の香りは、確かな「一陽来復」の先駆けである。寒気の緩みとユズ風呂の和みの余韻、すなわち自然界と人間界の知恵がおりなすコラボレーション(協和)のおかげで、めずらしく起き立てのわが気分は和んでいる。ユズ風呂の効果は、これだけで十分である。実現不可能なおまじないに、あらたかな効果を求めるのは、人間の切ない強欲である。
冬至
令和4年の「冬至」(12月22日・木曜日)の夜明け前にある。起き立ての私は、わが身を震わす寒気に耐えている。カレンダー上には日々折々に、一年めぐりを刻む季節用語が様々に記されている。加えて、中国伝来の語と言われる二十四節気をはじめ多くの節気が記されている。さらには一年中の折々の歳時、すなわち自然・人事百般のことを編んだ歳時記から抜粋の事柄など、ほかにも多々記されている。わが凡庸な脳髄は、到底これらを学び尽くし、それらの意味を覚えきれるものではない。もし仮に、私が気象予報士にでもなろうと思えば、これらの季節用語や歳時記に記載されている事柄は、必定の出題範囲として勉強せざるを得ないであろう。このことではカレンダーは、まさしく人間の一年中の日暮らしのあり方を示す、最良の道しるべである。もちろん、カレンダーに記載の言葉を学び尽くし、それに応じた日暮らしを続ければ、豊かな人生の一助になること請け合いである。しかしながら私にかぎらずだれしも、もとよりそれを叶えることは不可能である。
さて、冬至。もちろん私は、冬至すなわち、太陽をめぐる気象や科学など、学問的意味にはまったく珍紛漢紛(チンプンカンプン)である。冬至にまつわるわが知識の一つは、一年中で最も夜間が長く、そのぶん最も昼間が短いことである。そして一つは、冬至にちなむ歳時で、無病息災を願って「ユズ風呂」に入ることである。文章に書けばたったこれだけのことだけれど、心象的には書ききれない様々な思いがある。その一つは、「夏至」と対比してめぐりくる半年の速さ(感)である。
人生の晩節を生きる私の場合、格別、その速さ(感)は痛切である。加えて私は、冬至に出合えるのはこの先、片手指の数にさえ及ばないのかもしれない。きょうのユズ風呂のおまじないも、効きそうにない。私は、予定(12月29日)されている胃カメラ検査に向かって、今なお胃部不快感を引きずっている。令和4年(2022年)の「冬至」におけるわが日暮らしと、バタバタとつのる感慨である。
長い夜にあっての不眠症
12月21日(木曜日)、おとといやきのうに比べれば体感気温は高く感じられて、寒気は緩んでいる。寒気を極端に嫌う私には、年の瀬のありがたいプレゼントでる。ところがどっこい、現在の私は不眠症に罹っている。二度寝どころか、一度目の寝つきさえ妨げられて、仕方なく起き出している。デジタル時刻を書けば不眠症に留まらず、確かな精神病と勘繰られそうで、書けない。明日の「冬至」(12月22日)に次いで、思わぬつらさをともなう長い夜である。字数に制限をかけることなく書き殴る時間は、たっぷりとある。しかし、不眠症も確かな病気であれば、心病んで文章が書けない。
さて、出まかせのわがケチな考察を記すと文章は、脳髄に様々に浮かぶものを、語彙(言葉と文字)を用いて紡ぐものである。逆に、表現を替えれば語彙は、脳髄に浮かぶものを文章仕立てにする道具である。私は、わが生涯にあって一冊の随筆集(単行本)を書きたいという、無鉄砲な夢をいだいていた。勤務する会社における、定年後を見据えたライフプランセミナーにあって私は、それを叶えるための宣誓をした。具体的にはわが生涯学習の目標に、語彙の忘却防止と新たな習得を掲げたのである。大袈裟な目標だが内実は、六十(歳)の手習いにすぎないものである。
ところがこの目標は、思いがけない幸運をもたらした。幸運! それはすなわち、大沢さまのご厚誼に授かり、「ひぐらしの記」へありついたのである。心許なく始めたわが生涯学習は、功を奏して大魚を釣り上げたのである。「ひぐらしの記」、わが人生における唯一無二のありがたい遺産になりそうである。
眠気を呼ぶために、あえて実のない文章を書いたのに、いっこうに眠気を誘われない。私は、不眠症が不治の病になるのを恐れている。寒気によるからだの震えはないけれど、私は長い夜のつらさに打ちのめされている。寝床は、安眠を貪る場所なのに、眠ることさえできない。挙句、バカなことを書いたなあー……。