ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
成人の日
きょうは「成人の日」(1月9日・月曜日、休祭日)。遠い日の思い出というより、空(から)ごとの夢まぼろしになりかけている。確かに、私のみならず人は、華ある成人(式)を迎えても、年月を過ぎれば必定、老い耄れの姿をさらけ出す。このことは人間のみならず、生きとし生きるものの宿命(定め)である。だから、新たな成人(式)を寿(ことほ)ぐことすれ、むやみにやっかむことなく、いくらかのやせ我慢でことたりる。そうは言ったものの正直なところ私は、かなりやっかんでいる。これは82年生きても、年の功を重ねることなく過ぎた、わが虚しさの証しなのかもしれない。
顧みてやはり若さは、それだけで人生行路における、無償で得られる宝物である。しかしながら、その宝物を無駄にすると、年月過ぎてしっぺ返しをこうむり、人生の晩年においては後悔まみれとなる。このことはわが身を省みて諭(さと)す、切ない老婆心である。老婆心はあえて、老爺心に置き換えることのない、「婆・爺」の共通語である。
さて、何度も繰り返し書いているけれど、随筆集と銘打っている「ひぐらしの記」は、すっかり私日記スタイルに成り下がっている。その証しにはしっかりと態勢をととのえて書くことなく、私は起き立ての心象(風景)のままに書いている。いや実際には、起き立てにふと心中に浮かんでいることをネタに書いている。挙句、書き殴りや、ときには走り書きを強いられている。このことは、後悔というより反省である。ところがいくら反省を重ねても、いまだいっこうに正すことができずじまいである。六十(歳)の手習いにすぎない私は、もとより文章というよりいたずら書きの作文にさえ手を焼いている。こんな嘆きを起き立てにこうむるのだからわが一日の始動は、おのずから泣きべそまじりとなる。そのうえ、文脈の乱れや誤字脱字など、すなわち失策をしでかせば一日じゅう暗い気持ちになる。そのたびに、「ひぐらしの記」の継続の可否や是非に決断を迫られて、わが心は大揺れとなる。
私にはもう「成人(式)の日」は来ない。そうであるなら、「老人や老齢の日」をどう費やすか? と、私は日々苦心や迷い言を重ねている。文章に手古摺るのは、もちろん序の口であり、生きるための難題はほかに箆棒(べらぼう)にある。時節柄、起き立ての寒さが身に沁みる。老齢の身を生きる苦しさは、ずいとわが身に沁み込んでいる。
たまゆらの幸福
私は茶の間のソファに背凭れていた。恐れていた降雪予報は外れた。まるで、予報の外れを償い詫びるかのように、早春の陽光が窓ガラスを通し見ている視界へ、限りなくキラキラふりそそぐ。もちろん、自然界が詫びることはない。予報を外したことで詫びるとしたら、気象庁とか気象予報士の名を着る人間である。しかしながらこれらの人とて、番外編の好天、煌めく陽光にありつけて、詫びることはない。
山から緑(あお)く艶々に光る初々しい姿のメジロが番(つがい)で、庭中のツバキの花びらへ飛んで来た。心許なく小枝や葉っぱを揺らし、飛び飛びに仲良く分け合って、仰向けに蜜を吸い始めた。いつも先導するシジュウカラは見えない。私は、たまゆらの幸福に酔い痺れていた。人生の晩年を生きるわが身は、やがて斃(たお)れる。
きのう(1月7日・土曜日)の昼間の寸描と、そのおりのわが心象風景である。きょう(1月8日・日曜日)の私は、わざといつもとは違う書き出しをした。それは起き立てのわが心中に、「玉響(たまゆら)」という、言葉が浮かんでいたせいである。普段はあまり用いないけれど、文字どおり心に響きの良い言葉である。すると、語彙の生涯学習を掲げる私は、学童の頃の「綴り方教室」に倣って、「たまゆら」を用いて、一文を綴ってみたくなったのである。言うなれば生涯学習にちなむ、言葉の復習(おさらい)である。
私は「たまゆら」を見出し語にして、手元の電子辞書を開いた。
【玉響(たまゆら)】①(万葉集の「玉響(たまかぎる)」を玉が触れ合ってかすかに音を立てる意としてタマユラニと訓じた)ほんのしばらくの間。一瞬。一説に、かすか。方丈記「いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべき」。「たまゆらの命」。②草などに露の置くさま。
きのうの私は、妻が予約済の髪カットへ、大船(鎌倉市)の街中にある美容院、いや小汚いビル内の一室へ引率同行をした。降雪予報の外れに変わる、思いがけない早春の陽光は、ふたりには万々歳だった。
忝(かたじけな)い一文をしたためて、夜明けを待つことになる。きのうの陽光が温めたパソコン部屋は、暖を引きずりこころもち寒気が緩んでいる。自然界も、気象プロの人間も、予報の外れを詫びることはない。私にはありがたさの極みにある。
春の七草、「七草がゆ」
きょう「七草」(土曜日)、あす「初薬師」(日曜日)、あさって「成人の日」(月曜日)、カレンダーに記載ある歳時および式典を並べれば、ごちゃまぜ三連休の初日(1月7日)を迎えている。起き立ての私は、寒気に震えている。ところが、きょうの関東地方には降雪予報が出ている。しかし、時季をかんがみれば寒気および降雪共に、仕方がないところである。もちろん、自然界とて目くじら立てて人間界に悪さをしているわけでなく、季節に沿った文字どおり自然の営みである。そうであれば人間は春の訪れまで、寒気や降雪をじっと我慢するよりすべはない。そして、我慢を強いられるのも、そんなに長くはない。いや、もう早春の訪れにある。
きのう、茶の間のソファに凭れて日向ぼっこを貪っていると、山から春早駆けのメジロが、庭中のツバキの花に飛んで来た。例年、この時期に見てきた早春の証しである。私は、見慣れているのどかな光景に酔いしれた。挙句、ふりそそぐ太陽光線と椿の花の蜜を吸うメジロに感謝した。それは、疲れているわが心身を癒してくれた御礼だった。
随筆集と銘打っている「ひぐらしの記」は、今やまぎれもなく「私日記」へ成り下がっている。それどころか本来であれば秘かな私日記を、「ブログ」にしたためて世に晒している。それゆえに私は、おのずから余計な神経を使う羽目になっている。恥を晒さないためには、選んだネタを練り上げて、さらに文章をととのえて書くべきである。もちろん私は、十分この意を持って、ノート代わりのパソコンを起ち上げている。しかしながら実際には、この意は果たせず制限時間に追われて、書き殴りや走り書きに甘んじている。自分自身に課している制限時間は、夜明けまであるいは朝御飯の準備までである。もとよりわが文章書きの習性は、目覚めて起き出しては制限時間を浮かべて、焦り逸る気持ちで書いている。ところがこの習性は、もとより大損である。なぜなら、常に眠気眼と朦朧頭に脅かされているからである。挙句、文章を書く態勢には程遠いものがある。このことを嫌って私は、文章書きを昼間への移行を試みた。しかしながらこの試みは定着せず、元の木阿弥となり、起き立てに書いている。やはりわが願望は、たっぷりと睡眠をとり、制限時間に追われず、寒気を撥ね退けて、パソコン部屋に燦燦と射し込む陽光を背に受けて、書きたいものである。ところがこの願望は果たせず、挙句、このところの私は、書き疲れと胃部不快感に悩まされている。
私は子どもの頃から、「お粥御飯を食うぐらいなら、死んだほうがましだ!」と、思うほどにお粥御飯が大嫌いである。ところが、疲れとりや胃部不快感に良ければ、きょうは「お粥御飯」でもいいかな、と思うほどに心地が様変わっている。
現在、デジタル時刻は5:43である。それゆえ執筆時間は、制限時間まではまだたっぷりとある。しかし、ここで書き止めしないと、書き殴り文はとめどなく続いて終着しない。それどころか疲れと胃部不快感になお、「草臥れ儲け」の上増しとなる。執筆時間がありすぎるのも、書き殴りが止まらず、困ったものである。春の七草、秋の七草をおさらいしている。体だけが、やけに冷えている。
書くまでもないことをだらだらと書いた、継続文
1月6日(金曜日)、起き立ての私は寒気にたいし、やせ我慢を強いられている。まったく火の気のないパソコン部屋は、たちまち私に底冷えをくらわしている。それゆえ現在の私は、いつものわが甲斐性無しの嘆き節にある。寒さ避けにあっては高橋弘樹様から、貴重なアドバイスをいただいている。ところが恩知らずの私は、いまだに実践躬行を為していない。高橋様にたいし、衷心よりお詫びするところである。安価なカイロを肌着に張り付ければ、かなりの寒さ対策になる。このことは、過去のなんどかの体験で十分知りすぎている。しかしながら、こんな些細なことさえこの冬は、未実行のままである。こんなずぼらなことでは、メソメソしながら寒さに耐えるしかない。結局、何かにつけて私は、怠け者である。
もちろん私は、期間が限られ、かつ安価なカイロに金銭を出し惜しみするつもりはない。確かに、冬に用無しの「ゴキブリホイホイ」を買うくらいなら、用有るカイロをかったほうがはるかに増しである。「わかっているなら、なぜ買わないの?」と、自問すれば答えは、「うっかり、買い忘れていた」くらいである。確かな、過去体験である。なお体験を重ねれば、慌てて買うと「六日の菖蒲、十日の菊」の成句ごとくに、時季外れに遭遇した。やはりカイロは冬の始まりや寒気の訪れを前にして、早やてまわしの備えが肝心である。もちろんこんなことは、82年も生きていればわかりすぎている。ところがそれさえ実行せず、毎年寒さを嘆くのは、よほど私はバカ者であり、怠け者なのであろう。
私の場合、愚痴と後悔は、ほぼ同義語である。だからわが文章は、どう気張っても愚痴と後悔を逃れることはできない。いや、この二つを断てば私は、一字一句さえ文章が書けない。すなわちこの二つは悪魔にも思えて、心の襞(ひだ)に張り付いているわが生来の錆(さび)である。冬の寒さや、あれやかれやに脅かされて書き続けることは、生来三日坊主に私には、つらさが身に沁みて堪えている。もちろんこんな文章では、不断交誼にあずかる友人や知人にたいしてさえ、「読んでみてください」と言えないつらさも、わが身に同居している。
起き立ての書き殴り文は、これで書き止めである。恥を掻き捨てたので、いくらか気分は和みつつある。つれて、体感気温が緩めば儲けものだけれど、そうはいかず寝床へとんぼ返りを試みる。デジタル時刻は、いまだ夜明け遠い5:34である。
新年の出だし、気分良好、だけど体重増
1月5日(木曜日)、未だ夜明け前にある。しかし、心理の変化に負うところではあるけれど、旧年の「冬至」(12月22日)が過ぎて、こころもち夜明けの早さと、夕暮れの遅さを感じている。時はまったくぶれなく刻んで、めぐっている。「寒い、寒い」と呟き、身震いを強いられたとしても、あと一か月我慢すれば、月が替わり節分や立春がめぐって来る。歌の文句を浮かべれば、台湾の亡き歌姫・テレサテンの『時の流れに身をまかせて』をハミングしたくなる。
新年・令和5年(2023年)は、四日を過ぎ五日目を迎えている。過ぎた四日間を振り返れば、愉快な気分が凝縮していた。元日には娘、つれあい、孫のあおばが訪れた。二日と三日は、妻と私共に阪神タイガースの応援グッズ・メガホンを口角に当て、「箱年駅伝」のテレビ観戦に興じた。単なる観戦ではなく「熱狂」、文字どおり気違い沙汰の応援観戦だった。気狂いの応援の甲斐があり、母校中央大学は二位に躍進した。私は仕事始めのきのうまで、なお興奮を引きずっていた。その証しには、録画撮りを繰り返し観ていた。このためわが仕事始めは、玄関口から門口を出て、トボトボ歩いて20メートルほどのゴミ出しだけだった。これに加えれば私は、片道200メートルほど先にある郵便ポストとわが家間を往復した。つごう四日間の屋外歩数は、700歩ほどにすぎないであろう。茶の間ではソファに座り込んで四日間、ふるさとの姪っ子(亡き長姉の長女)から送られて来た丸餅、買い置きの駄菓子、さらには三段重ねのおせちを食べ通しだった。それゆえ現在のわが図体は、名物の「高崎だるま」など買うまでもなく、自作の「ダルマさん」になっている。体重増加が恐ろしくて、明けては体重計に乗っていない。いや、体重計に乗らずとも、鏡餅のように膨れている腹を撫でれば、平常の80キロに5キロ増しぐらいかな? と、目鼻は着く。しかしながら母校の健闘で、気分良好の新年の出だしである。
気狂いにまかせて、身勝手な文章を書いてしまい、詫びるところである。まだ夜明けの明かりが見えない、デジタル時刻6:10の現在である。
「仕事始め」
令和4年(2022年)は過去になり、新たな令和5年(2023年)も三が日を過ぎた。そして、1月4日(水曜日)の夜明け前にある。壁時計の針は止まることなく、正確に時のめぐりを刻んでいる。夜が明ければ朝日と名を替えた太陽光線が、暗闇を照らし始める。命あるものはこぞって、新しい年の実質の始動となる。これまた表現を替えれば、生き続けるための否応ない人の営みである。端的には生業(なりわい)という、新たな年の日常生活の始まりである。
机上カレンダーに目を落とすと、「官庁御用始め」と記されている。ただ、生来へそ曲がりの私には、「官尊民卑」時代の古めかしい表現にも思えている。明治、昭和、平成、そして令和と変遷した現代にあっては、単に「仕事始め」でいいはずである。もちろん、「官」という、名だけの尊い職業にありつけなかったわが僻みではない。しかし、この表記にはいくらか腹が立つけれど、「歳時(記)」の名残と思えば、気分の収まりは着く。
カレンダーに沿えばきょうは、「官民平等」にうちそろっての、新しい年の仕事始めである。しかしながら、これにも語弊がある。確かに、大方の人は休む三が日ではある。だけど、「世のため、人のため、そして自分のため」、三が日をも働き尽くめた人は大勢いる。それでもきょうは確かに、一年を区切りとして、厳かな日と言えるであろう。そうであれば私は、世の中のだれしも、沸き立つ気分で仕事始めに臨んでほしいと、願うところである。とうにそんな気分は遠のいている、現役諸氏へのわが年頭の餞(はなむけ)の所感である。
私の場合、ワクワクする仕事始めはないけれど、それより厳かな「生きる活動」を老体に鞭打って、日々続けている。すなわち「生存」、私にかぎらずだれしもにも、これを超える尊いものはない。仕事始めは、その身近な手立て(便法)である。もちろん私には叶わず、羨望つのるところである。仕事始めにありつけない私の場合、きょうは新しい年の「迷い言」の言い始めなのかもしれない。
寒気を感じるわが身体には、朝日が恵む熱が欲しいところである。しかし、まだ朝日の蠢(うごめ)きはなく、体は冷えている。欲はかくまい、生きているだけで「大儲け」である。現役時代の私は、片道二時間余をかけて、仕事始めに就いていた。人生晩年を生きる現在、甘酸っぱい思い出である。
正月三が日
1月3日(火曜日)、流し目で見遣る壁時計の針は、三時近くをさしている。晩御飯のあと茶の間のソファで寝入り、起き出して来てまったく火の気のないパソコン部屋で、キーを叩いている。茶の間で温まっていた体は、たちまち雪崩のごとく崩れて、冷えている。しかしながら、心は熱く燃えている。ご常連様の優しさがうれしく、わが心身に沁みているからである。自分勝手に継続文にすがり、明けて正月おととい、きのうと文章を書いた。これには、「読んでくださる人の数は少ないであろう」という、自分なりの思惑があった。ところが、この思いはご常連様の優しさに出合い、うれしく崩れた。カウント数を見たら、いつもとほぼ変わらない数が刻まれていたからである。正月元日および二日の家族団欒にあっても、掲示板を開いてくださったことがわが身に沁みて、うれしさが込み上げてきたのである。きょうはこのことを書かずにおれなくて、パソコンを起ち上げている。
きょうだけは愚痴こぼしの文章など書いておれない、正月三が日最終日の清々しいわが心境である。この心境にこの先、駄文を加えては清々しさが崩れることとなる。それゆえ、尻切れトンボの恥などかなぐり捨てて、これで結文を決意するものである。「感謝感激、これあられ!」、身体は冷えても、心は熱く燃えている。壁時計の針は、わずかに進んで緩やかにめぐっている。
「書初め」
新しい年の二日目、令和5年(2023年)1月2日(火曜日)の起き立てにある。現在、パソコン上のデジタル時刻は、2:42と刻まれている。言うなればこの時刻は、今年のわが文章のスタート、すなわち昔流に言えば「書初め」を為す。しかしながら子どもの頃にあって正座し、半紙に筆字を書いていたときのようなワクワク感はまったくない。
さて、慣れるまで当分気を付けなければならないことの一つは、文章において年数を書き違えないことである。現在、わが心中には「歳月は人を待たず」と、学童の頃に学んだ「光陰矢の如し」という、成句が浮かんでいる。加えて、わが咄嗟の造語すなわち、「歳月は人を脅かす」という、成句が浮かんでいる。確かに、人生の晩節を生きるわが心身は、出来立てほやほやの成句の真っただ中にある。そして、甚(いた)く脅かされている。新しい年においてこの先1年間、わが御供をするのは真新しい机上カレンダーである。これにそって、わが悲喜交々の日常生活が進んでゆく。いや、多くは、悲しい出来事だけを刻んでめぐってゆく。万感きわまりない、片手・手の平程度のカレンダーの仕打ちである。今、心してそれを見ている。すると、きのうには「初詣」、そしてきょうには「初荷」と「書初め」の二つが記されている。
確かにカレンダーは、古来、日本の国の原風景や様々な歳時(記)がコンパクトに記されたありがたい教本である。一方それにそって日々、新たな人生の侘しさや寂しさが記されてゆくものでもある。確かに、この文章は新しい年の書初めである。しかし、ワクワク感はない。こんな調子で、新しい年はめぐってゆく。「人間、万事塞翁が馬」。なんだか遣る瀬無く、切ない「書初め」である。
謹賀新年
新年元旦(令和5年・2023年1月1日・日曜日)。起きて、寒さが身に沁みる。除夜の鐘は聞かずに寝て、目覚めて起き出している(3:26)。自然界が恵む熱源の「御来光」を拝みたい気分横溢である。明けましておめでとうございます。新しい年にあっては欲張って、共に健勝かつ清祥を願っています。
大晦日
12月31日(土曜日)。未だ夜中のデジタル時刻(2:56)の起き立てにあって、電子辞書を開いて幼稚園児さえ知る言葉の説明書きを読む。
「大晦日」:(各月の「みそか」に対して)1年の最終日。おおつごもり。おおとし。
「みそか」(三十日・晦日):月の第30番目の日。転じて、月の末日をいう。尽日。つごもり。「除夜の鐘」:除夜の夜半、正(ね)の刻に諸方の寺で、百八煩悩を除去する意を寓して108回撞く鐘。
「除夜」:(「除日(じょじつ)の夜」の意)おおみそかの夜。除夕(じょせき)
令和4年(2022年)の漢字一字は「戦」という。この一年、わが文章は愚痴こぼしに塗れた。それゆえにわが身にまつわる今年の漢字一字は、「愚」ないし「痴」が適当である。正直な気持ち、なさけない思いがあふれている。だから、大晦日のきょうだけは、愚痴こぼしやまみれの文章は避けたいと、肝に銘じている。しかしながら人間はだれしも、愚痴をいだいて生きている。ところが多くの人は、愚痴をこぼすことを憚(はばか)り、心中に隠しながら生きている。ところが私の場合は、隠しきれずに生きている。そしてなおかつ私は、ブログという不特定多数の人の目に晒している。つくづく、バカな私である。しかし半面、嘘のつけない生真面目な正直人間の証しではある。いや、狭量な人間の証しである。すなわち、人間はだれしも、生存にあっては様々な愚痴の要素をかかえている。それを堪(こら)えることができるか、それともできずにこぼすか。究極は、人間の器の大小、人間性の良否に分かれる。私の場合は、もちろん「小、否」である。
「大晦日」にあって「除夜の鐘」ひびくきょうだけは、心して愚痴こぼしの文章は書かない。すると、この先が書けない、長い夜となる。一年間、駄文を綴ったことを謝し、そしてそれを読んでくださったことに感謝し、御礼の志を記して、今年の書き止め文とするものである。年賀状にかえて、声なき声のご常連の皆様のご多幸を切に願うところである。「人間、塞翁が馬」、悩むことはない。私自身に対する、諦めというか、戒めの成句である。まだデジタル時刻は、4:13の刻みにある。おお、寒い。