ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
桜だよりは、花粉症の季節
3月8日(水曜日)、桜前線北上中にあって、寒気が緩んでいる。春が来て、自然界が恵む飛びっきりの日暮らしにある。しかしながら一方、ゆめゆめ気を許せない、名残雪、寒の戻り、憎たらしい春に嵐の季節でもある。それゆえに、のんびりと桜前線を待つ気にもなれないところはある。季節変わりは、おのずから体調変化にも見舞われる。春、油断大敵と心すべきある。幸いなるかな! 私自身は免れているけれど、目下、多くの人が花粉症に悩まされる季節である。
確かに、わが家周りの山からも日中、目に見えてスギ花粉が飛びちらついている。それでも花粉症にならないのは、私自身、杉山育ちゆえのせいかもしれない。案外、仲間にたいする施しみたいに、杉にたいする耐性ができているのかもしれない。生誕地は、里山および遠峯にわたり杉(杉山)だらけであった。すでにこの世にいないふるさとの長兄は、村中で唯一の製材所の加勢仕事で、杉苗植え付けに精を出していた。なぜか? 当時は、花粉症という言葉さえなかった。これらのことを鑑みて私は、今なお花粉症の真犯人がスギ花粉を散らかす杉(杉山)とは到底思えない。いやむしろ杉(杉山)は、冤罪を被っているのではという、疑念に取りつかれている。
子どもの頃の私は、家事手伝いの中心として、しょっちゅう杉山に入っていた。一つは、薪取りとして枯れ落ちた枝木を集めて縄で縛り、肩にしょって持ち帰っていた。一つは、枯れた杉の葉を拾い籠に入れて持ち帰り、日々の風呂沸かしや竈(かまど)の焚きつけ用にしていた。生活資材にかかわらず、見晴るかす杉(杉山)、日常生活における無償の絶景を恵んでいた。これらのほか杉(杉山)は、メジロ落としや山鳥の罠掛などでも、子どもの私を愉しませてくれていた。言うなれば当時の杉(杉山)は、わが家の生計を助け、わが子どもの頃の家事手伝いと遊楽の一角を成していたのである。
これらの切ない思い出があってか私は、花粉症におけるスギ花粉真犯人説には、今なお異議を抱いている。いや異議は、恩恵を享けた杉(杉山)にたいする、憐憫の情沸くわがありったけのエール(応援歌)である。花粉症に悩まされる人からは、鼻持ちならぬこととして、大きな罰を受けそうである。しかしながら書かずにはおれなかった、杉(杉山)にかかわる切ない思い出である。桜便りは、花粉症の季節でもある。マスクの着用は、コロナ感染防止だけとはかぎらない。身勝手すぎる、かたじけない文章を書いてしまった。起きて、ネタ不足のせいである。
凱旋将軍・大谷選手、ホームラン2本
3月7日(火曜日)。寒気の緩んだ夜明け前にある。きのうの「啓蟄」(3月6日・月曜日)は、益虫および害虫共に先を争って、地中から地上へ這い出してきそうな、暖かい春の陽ざしに恵まれた。昼間、陽気に誘われて私は、虫けらのごとく慌てふためいて、わが買い物の街・大船(鎌倉市)へ向かって、買い物行動を急いだ。暖かい陽射しは、わが身体にもたっぷりと降りそそいだ。それゆえに私は、地中の虫けらにも負けず、小躍りしたのである。
夜間、本格的な春の訪れは、球春をもたらした。私は、目を凝らしてテレビ観戦に興じた。以下の引用文は、試合にまつわるメディア記事である。自分なら、こんな見出しをつけよう。「侍凱旋、傑物・怪物は、壊物(壊れ者)ではなかった」。【大谷衝撃の2発 侍戦士もあんぐり】「(3/6、月曜日 23:50 スポニチアネックス)。大谷翔平の「片ひざ弾」「バット折れ弾」に侍戦士もあんぐり 「野球辞めたい」「フライかなと思った」。◇WBC強化試合 日本代表8-1阪神(2023年3月6日 京セラD)。3月9日開幕の第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で世界一奪回を目指す野球日本代表「侍ジャパン」は6日、京セラDで行われた強化試合で阪神に快勝した。この日からメジャー組の実戦出場が可能となり、日本での試合が1974日ぶりとなった大谷翔平投手(28)は「3番・DH」で先発出場し、2打席連続3点本塁打を放つなど3打数2安打6打点だった。
この記事に、わが追記は要らない。桜便りに先駆けて、錦を飾る「大谷桜」満開である。
啓蟄
「啓蟄」(3月6日・月曜日)。きょうを境にして、地中で冬ごもりの虫たちは地上に這い出し始めるという。二十四節気の一つを為して、いよいよ本格的な春の到来である。虫けらも生き物であるかぎり、寒い冬を嫌って暖かい春を待ち望んでいたのであろう。このことでは人間と虫たち、分け隔てせずに共に、春の訪れを喜ぶべきである。
ところが身勝手な私は、必ずしも啓蟄(けいちつ)をすんなりと喜んでいない。その理由は、わが「ぼろ家」に起因している。すなわちそれは、ゴキブリ、ムカデ、ヤモリ、アリ、そしてときには、ハチの舞い込みに脅かされるからである。庭中にはしょっちゅう、トカゲがうろついている。蛇のお出ましには、恐怖に怯えて目を凝らしている。
春が来て恐れのない恵みは、山野の桜と野花、そして飛びっきりの春野菜の美味である。啓蟄にあってもしおらしいのは唯一、地中のミミズくらいである。一方、ちっともしおらしくないのは、草取りに手古摺る雑草の萌え出しである。しかしながらやはり、頃は良し「春はあけぼの」であり、文字どおり「春眠暁を覚えず」の季節の到来にある。
ところが私の場合、この恩恵に見捨てられている。もとより、残念至極である。暁どころか真夜中に目覚めて、そののち二度寝にありつけず、悶々とするままに枕元の電子辞書を開いていた。そして、二度寝を拒んだのは、「鬼だ!」と決めつけて、腹立たしさ紛れに「鬼にかかわる」言葉を読み漁った。ますます、二度寝は遠のいた。
【鬼】「穏(おに)で、姿が見えない意という」
多くの説明書きのなかで、ここで記すのは、「想像上の怪物」だけでいいだろう。怪物は、化け物と同義語でいいのかもしれない。なぜなら、怪物にしろ化け物にしろ、人間の心に悪さをすることでは同一である。確かに、姿は見えないけれど人間の心中を脅かす想像上の「鬼」は、まさしく悪の権化(ごんげ)である。それゆえか「鬼」は、漢字の部首の一つ、「鬼、きにょう」を為している。部首の説明書きは、こうである。「鬼を意符として、霊魂や超自然的なもの、その働きなどに関する文字ができている」。いや、私にはずばり魔物、すなわち悪魔、悪鬼、魔力などが連綿と浮かんで来る。
睡魔とは、眠気を催すのを魔物の力にたとえて言う語である。私の場合、眠気を催すことには、ありがたいところもある。しかし、すぐに悪夢に魘(うな)されて目覚め、こののちは二度寝にありつけない。魘されて二度寝を拒むのも、字の成り立ちのごとく鬼の仕業であれば、懲らしめる姿が見えないだけに、もはやお手上げである。
ネタ不足は行き着くところまで行き着いて、こんな実のない文章で、お茶を濁している。心中常に、赤鬼、青鬼、いるかぎり春の訪れを愉しことはできない。地中の虫たちは喜んでいても、もどかしい啓蟄の朝である。
春三月のわが誓い
3月5日(日曜日)、ホームストレッチを走り、いっそう日長が加速する頃にあっても、未だ真っ暗闇の夜明け前にある。かつて文章を学んでいた「日本随筆家協会」の故神尾久義編集長は、春三月になれば決まって、こんな言葉でわが怠惰心を励まされた。「前田さん。文章が書き易い、春になりました。頑張ってください」。私はこの言葉に励まされて、冬の心、すなわち寒気で委縮していた怠け心を遠ざけた。なさけない過去物語、いや、つらい思い出である。
確かに私は、人様の励ましにすがる生来の怠け者である。その証しに私は、ようやく寒気が離れる2月の末あたり(27日)から、正真正銘の暖かい春三月の訪れのきのう(3月4日)まで、文章を休んだ。言い訳を添えれば単なるずる休みではなく、体調不良に見舞われて書く気分を殺がれていたのである。それでも心強い人は、書き続けたはずである。ところが私は、負けた弱虫である。しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」。すなわち私は、挫けたわが心を励ましてくださる、現人神(あらひとがみ)の恵みに救われたのである。
私の場合、不断から神様への信仰心はまったくない。だから神様に替えて、信仰心にも似て尊愛するのは、人様から賜る温情と恩情である。ひとことで言えばそれは、人様から賜る「情け」である。きのうの夕方、わが家の固定電話のベルが鳴った。受話器を手にしたのは、リハビリ中の妻だった。私は、日長ゆえに暮れ泥(なず)窓から射し込む薄い日の光の下、湯船の中にいた。きのうの私は、久しぶりに卓球クラブへ出向いていたのである。集音機を外したわが耳にくっつくようにして、妻は数々の言葉を大声で告げた。とぎれとぎれに聞こえる言葉の中で、こう言葉を整理した。
「パパ。文章のことで、渡部さんから、電話があったよ。続いている文章がないからと言って、心配してくださってされていたのよ。とても、ありがいじゃないの、すぐに電話しなさいよ!」
「そうだろうなー。このところ、文章書いていないもんな。わっかったよ。ありがたい人だねー。風呂から出たら、すぐに電話するよ」
私は湯船から出て、急いで着衣を済ますと、渡部さんへ折り返しの電話を掛けた。現在、私は82歳の幸運児である。わが生涯において幸運を齎(もたら)しているのは、親や兄姉の愛情である。ところがこれは、あたりまえの愛情であり、幸運の埒外にある。つまるところわが生涯における最良かつ最大の幸運は、友人・知人すなわち他人様との知己に恵まれたことである。
「ひぐらしの記」にかかわることでは、大沢さまはじめ掲示板を通してさずかる声と、声なき恩愛である。わが生活を支えることでは、飛びっきりの優良会社に入社し、そのことで精神を支えてくれる飛びっきりの同期仲間に恵まれたことである。それらの中にあって渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)は、飛びっきりの友人、いや恩人である。「ひぐらしの記」の単行本いたっては、創刊号以来直近の第85集まで、有償購入にあずかっている。それゆえこの文章は、渡部さんの激励に背いてはならないという、再始動文である。
「前田さんの文章を読むのは、ぼくの朝の楽しみです」
神尾編集長は、金をはたいて一時期遭遇した恩人である。ところが渡部さんは、多額のお金を持ち出されて(自弁)までして、一週間とて間を置かず生涯にわたる恩人である。「渡部さん、がんばります」。春三月のわが誓いである。
引用文、「気象予報」
2月26日(日曜日)、モチベーションの低下に見舞われて、自分の文章は書けない。それゆえ、全文を引用文にすがっている。【今シーズン寒さの底は2月いっぱい 3月は順調に気温上昇し朝晩の寒さ和らぐ見込み 昼間はもうダウンコートいらず】(2/25・土曜日、14:35配信)。「2月いっぱい朝晩の寒さは続くが、2月最終日となる28日(火)にかけて昼間の寒さは次第に解消される見込み。また、3月に入ると朝晩を含めて寒さの底からは脱しそう。最高気温は西~東日本を中心に15℃以上の日が増え、昼間はダウンコートやマフラーなどの出番はなくなりそうだ。26日(日)は1日を通して真冬の寒さ。25日(土)から26日(日)の気温は、強い寒気の影響で平年並みか低い所が多い予想。26日(日)朝は、西日本から東日本の平野部で2℃前後の所が多く、まだまだ霜が降りるような寒さとなりそうだ。26日(日)昼間の最高気温は大阪・名古屋は9℃と10℃に届かない予想。冷たい北風は強めに吹くため、各地ともダウンコートにマフラーや手袋など真冬の寒さ対策をした方がいいだろう。2月最終日は記録的な暖かさ予想。その先、2月いっぱいは朝晩の寒さは続く見通し。ただ、昼間の寒さは次第に解消される見込みだ。2月最終日となる28日(火)にかけて、最高気温は各地とも右肩上がりの予想。28日(火)は東京18℃と桜が満開のころのような暖かさになる見込み。また、札幌は11℃と4月中旬並みの予想。もし札幌で2月に11℃以上を観測すると、統計が開始された1877年以来初めてとなり、2月としては記録的な暖かさとなりそうだ。3月になると、朝晩も含めて寒さの底からは脱する見込み。西日本から北日本の広い範囲が暖かい空気に覆われやすく、気温は平年より高い予想。16日間予報では、3月に入ると仙台の最低気温は氷点下の日はなく、東京・名古屋・大阪では5℃以上の日がほとんどとなりそう。最高気温は15℃以上の日が増え、10℃を下回る日はなくなる見込みだ。3月に入ると、昼間はダウンコートやマフラーなどの出番はなさそうだ。特に3月前半の気温はこの時季としてはかなり高くなる所が多い予想。気象庁からは高温に関する早期天候情報が発表され、農作物の管理や多雪地ではなだれなどへの注意を呼び掛けている。(気象予報士・鈴木悠)」。
あわただしく過ぎ行く2月
2月24日(金曜日)。夜明け前に起きている(5:28)。しかし、夜明けの早い時季にある。それゆえ、心が急いている。2月の残す日は、片手指の数だけになった。わかりきっていることだけど、あらためて2月の短さを感じている。2月は、1月と3月、すなわち冬と春の狭間にあって、心が揺さぶられる月である。このことはすでに書いた。だから、二番煎じになるけれど、再び記してみる。
私は、机上のカレンダーを眺めている。すると、多くの歳時(記)と、二つの国民祝祭日がある。主だったそれらを書けば、節分、立春、聖バレンタインデーがある。加えて、「建国記念日」と「天皇誕生日」がある。これらはすんなりとは過ぎず、それぞれに特有の人の営みが付き纏い、メディアから報じられてくる。それゆえに、あわただしい日常(感)を醸し出してくる。これらに、世の中の動きが加わる。世界事情ではウクライナとロシアの戦争がある。さらには「トルコ地震」による、トルコとシリアにおける4万人超の死者が伝えられている。
日本の国内事情では、新型コロナウイルスの収束状況のさ中にある。広域強盗事件と詐欺事件には、恐々として眉を顰めていた。これらを除いても事件や事故は、日常多発を極めている。幸いなるかな! 私は、これらの難事から免れてきた。ところが、明けても暮れても2月のわが心身は、寒気に震え続けてきた。結局、私にとっての2月は気分が萎えて、さらには日めくりの慌ただしさに追いまくられてきた。挙句、2月は「是(これ)、好日」とは言えないままに過ぎようとしている。しかし、カレンダー上に2月がなければ、もとより春3月はめぐってこない。
夜が明けても、寒々しい空模様である。やはり2月は、春3月に望みをかけて、ひたすら耐える月である。その日々は、残り僅か五日である。めぐり来る春三月は、わが望みをかなえてくれるだろうか。「さらば2月」である。
天皇誕生日
「天皇誕生日(2月23日・木曜日、祝祭日)。天皇陛下、63歳。私、82歳。目覚めたから、起き出して来た(デジタル時刻5:50)。久しぶりに、ぐっすり眠れた。寒気は、遠のいている。春が来たのだ。寝起きの気分は悪くない。しかし、文章を書く気が起きない。書くこともない。いや、もう書けないのだ。わが文章は、惰性すがりの継続にすぎない。ところが、惰性が頓挫しそうである。文章の継続は、人様頼みにはできない。継続を叶える便法は、たった一つしかない。すなわちそれは、弱い心をみずから鼓舞し、克服することだけである。まったくなさけない、現在のわが心境である。天皇陛下は、どんなご心境でお誕生日をお迎えであろうか。皇后陛下(雅子さま)にそそがれる、優しい眼差しに救われる。私は心からご長命を願い、お誕生日を寿いでいる。
心弾んだ「ふるさと便」
2月21日(火曜日)。寒さは緩んでいる。夜明けは早くなっている。これらのことでは、私には二律背反するところがある。確かに、寒さが緩むことでは、文章を書くには好季節である。ところが一方、夜明けが早くなれば、文章を書く時間に切迫感を被る。挙句、心が急いて、走り書きを強いられる。物事を為すには一挙両得など、そうあり得ない。その証しには、「二兎を追えば一兎も得ず」という、成句もある。
ところがきのうの私は、棚ぼたのごとく二つの幸運にありついたのである。幸運をもたらしたのは、思いがけない「ふるさと便」の宅配であった。ふるさと便は、コラボレーション(協和)を為していた。すなわち、寒い身体を温め、同時に鬱な精神を癒した。まさしく協和して、ふるさと便特有の和みを恵んでくれたのである。このたびのふるさと便の荷造り人は、身内や親類縁者ではない。不意打ちを突かれて、驚きを誘うものだった。そのぶん余計、私はありがたみとうれしさに小躍りした。送ってくれたのは熊本県の片田舎を離れて、今や熊本市の中心市街地に住む、小・中・高生時代の親しい学友である。当時の熊本県鹿本郡内田村(現在、山鹿市菊鹿町)は、学友と私にはふるさとに名を変えて、共に懐かしく心の拠りどころを為している。
私は、宅配された段ボール箱をを心弾ませて開いた。掛け値なしの、ふるさと便であった。食べつけの味覚はもとより、子どもの頃より慣れ親しんでいた品々が詰まっていた。早速、私はスマホを難聴の耳に当てた。
「今、贈り物が届いた。びっくりしたよ。なんで、送ったの?」
「もう着いたの? 速かなあ……、きのう送ったばかりだったのに。相良(あいら)へ行ってきたから、そのとき送ったよ」
相良地区には、子授かりの霊験あらたかを謳う「相良観音」がある。「観音様」は近郊近在の人たちのみならず遠方へも名を馳せる、ふるさと唯一の名刹である。それゆえ観音様はわが子どもの頃より、大勢のお参り客を呼ぶ、村一番の観光の名所を為している。学友の生家は相良地区にある。実際には「内田川」を挟んで川向こうにあり、わが生家からは目と鼻の先に真正面で見えている。
「父の命日だったから、相良へ行ってきた。そのとき、いつもの階段下の土産屋で送った。懐かしかろと、思って……」
「そうな。命日で行ったの? ありがとう。俺の好きなものばかりが、いっぱい入っていた」
お父様の何回忌かの命日は侘しいけれど、ところが身勝手にも私には、生きる喜びを実感する「ふるさと便」だった。走り書きにも利がある。心急いて書いたのに、薄っすらと夜が明けたばかりである。ふるさと便は常に、わが心身を和ませる筆頭にある。
春、迷い
2月20日(月曜日)。すでに夜が明けて起き出して来て、かなり焦りながら、きょうは休もうと思っていた文章を書き始めている。しかし、休心状態に変わりない。なぜなら書いても、文章の体をなさない。無理やり書く文章の多くは、人生晩年におけるわがありのままの心模様である。すると、創作文やフィクション(虚構文)でないかぎり、もとより心晴れ晴れしない文章に成り下がる。挙句、おのずからわが気分を塞ぎ、増してご好意で読んでくださる人様の気分を損なう羽目となる。
人間だれしも、人生の晩年における生き様や心模様は、おおむねこんなもの、すなわち後ろ向きである。なぜなら、人生晩年はもはや袋小路、前を向いても行き止まりである。余程、自分自身に言い聞かせて、嘘っぱちでも書かないかぎりは、吾(われ)のみならずだれしも、胸(心)の透く明るい文章は書けないはずである。このことを浮かべれば私は、「馬鹿、バカ、大馬鹿」という、冠の付く「バカ正直者」なのかもせれない。もちろん、正直を誇れるところは一切ない。しかしながらわが文章はわずかでも、人間だれしもに訪れる人生晩年における心模様の写し絵ではある。
起き立てにあって私は、こんなことを浮かべていた。言うなれば、負け惜しみの文章である。書かずもがなのことを書いたのは、焦燥感をともなっての、朝飯前のちょっぴりの暇つぶしである。いや、寒気を遠のけた「春、迷い」のせいかもしれない。人間だれしも、人生晩年の心模様は嘘を吐かないかぎり、暗がりである。すがるは、寒気を遠のけた穏やかな春の訪れである。
ようやく、一年回りに萌え出ている庭中のフキノトウを摘むのは罪作りではある。だけど、人生晩年における身勝手な心癒しと思えば、詫びて摘むより仕方ない。人間はもとより、悪徳まみれに生きている、得体のしれない動物である。
汚れゆく、大空のロマン
2月19日(日曜日)。ようやく、寒気が緩んで、心の和む春が来ました。ところが、大空は物騒です。大空には人の手つくりの気球、ミサイル、さらには衛星やロケットさえもまったく要りません。大空は、太陽の光と月の明かりだけで十分です。大空こそ国境や領空権なく、国・人間平等にロマンを掻き立てるところでありたいものです。人間欲で果て無く汚れゆく、大空の行く末を案じています。
きのうの私は、春の陽ざしを存分に浴びながら、こんな老婆心に取りつかれていました。やがては、「杞憂だった」とは言えない、大空模様が訪れそうです。大空には科学も人の知恵も要りません。大空は、日光と月光の恵み、そして眺望の楽しみだけで十分です。大空こそ、欲望と悪徳まみれにいじくりまわすことなく、そっとしてほしいもの筆頭です。春が来て、「汚れゆく、大空のロマン」を嘆いています。