ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

うれしいこと、驚き、悲しいこと

 8月21日(月曜日)。確かな足取りで、秋が忍び寄っています。そう感じるのは、網戸から忍び込む風の冷ややかさです。このことではありがたいことですが、半面、去りゆく夏の惜しさをおぼえています。
 二度寝にありつけずに仕方なく、起き出してきました(4:01)。過ぎた17日にかいた「嘆息」ののちの三日間は、意識して文章を休みました。綺麗ごとに言えば暑い最中にあって、夏休みを取りました。いや実際には、これまで書き続けてきた「ひぐらしの記」の書き止めを、決め込んでいました。その理由は、書き続ける気力の喪失に見舞われて、みずから踏ん切りをつけていたのです。もちろん、この書き殴りの文章が、踏ん切りを蹴散らすとは思えません。二度寝にありつけない暇つぶしに、パソコンを起ち上げました。
 休んでいた三日間には、うれしいこと、驚いたこと、悲しいことがありました。それぞれについて書けば、こんなことです。うれしいことではこの夏、諦めかけていた丸玉西瓜を買ったことです。実際のところは重たくて、自分自身の買い物では買えません。そのため、妻の里(逗子市内)の義姉夫婦の買い出しのおりに、丸玉西瓜の購入を依頼したのです(2000円)。丸玉西瓜に張り付いていたラベルには、北海道「ふらの(富良野)」JA、生産者前中様との表示がありました。ラベルは生産者前中様「自信の西瓜」の表れであり、さらには北海道の西瓜をわが家で食べるうれしさ恵まれて現在、小刻みに舌鼓を実行中です。
 驚いたこととは、妻の里すなわち義姉夫婦の住む庭の中に、タヌキが現れたという受信メールに遭遇したことです。
 最後に悲しいことでは、きのう(20日)のふるさとでは、亡き長兄の三回忌の法事が催行されました。もちろん私の場合は、仏壇に供物だけのお参りになりました。8月盆の入り日の前日(12日)には、次兄の初盆のお参りに、東京都国分寺市内の宅へ、出向きました。
 きょうには、夏の高校野球の準決勝戦が予定されています。ウクライナとロシアの軍人は、合わせてすでに50万人にのぼる死者を数えているという報道がありました。
 世の中の出来事は悲喜交々に現在を流れて、過去ページへ消えてゆくのですね。うれしさ、驚き、悲しさは、命ある者の宿命と思えば、私ひとりが嘆いても、どうなるわけでもありません。いや、嘆けばソンソン(損々)です。だからもう、「嘆息」は打ち止めにしたいものです。それゆえに三日間は、「楽しい夏休みだった」と、嘯(うそぶ)きたいところです。ところが実際にはそうではなく、もう文章は止めるつもりの三日間でした。
 薄く夜明けが訪れています。すでにウグイスは、来春まで鳴き止めています。一方セミは、限られた命に急かされて、まもなく鳴き始めます。人間に生まれた私は、ウグイスやセミに比べれば私は、幸不幸、どちらでしょうか。自問の答えはどっちつかずに、いや分かりようなく先送りとなります。この先の私はしばし、青空に浮雲、彩雲いだく大空を眺めます。

嘆息

 涼しい夏の朝に身を置いているけれど、文章が書けない。夏休みのせいではなく、気力喪失ゆえなのがつらい。恥を晒してこんなこと書かなければいいけれど、生きている証にはなる。生きていればまた、幸せが訪れる。生きることの短いセミは可哀想だ。きのう(8月16日、お盆)、道端でセミ捕り網と虫籠を持った親子に出会った。楽しいそうだった。子どもの頃の、わが姿がよぎった。切なかった。

夏休み&8月盆送り火(日)

 共白髪、あすを生きる気力が萎えています。ウグイスはもう鳴いてません。セミは鳴く一方で、脱け殻が目立ちはじめています。生きとしいけるもの、命の切なさをしみじみ学んでいます。それらに同情する側にあって、人間いや私たちは、まだ幸せです。すっきり晴れた夏空の朝が来ました。

終戦の日

 8月15日(火曜日)。台風7号が日本列島を矢鱈と騒がしています。あいにく、8月盆と夏季休暇(夏休み)を取る(予定)の人たちと重なり、陸海空における観光、それにともなう交通機関や宿泊施設は混乱をきわめています。
 私は戦禍止んだ当時(私は5歳と1か月)に返り、厳粛にこの日(昭和20年8月15日)を切なく偲びます。それゆえ、付けたしの文章は休みます。

「お盆休み、夏休み」、取りたい

 8月14日(月曜日)。いつものように朝が来て、いつものように目覚めて、いつものように起きて、そしていつものようにパソコンを起ち上げている。人生の晩年を生きる者にとっては、きわめて「平和」と言っていいのかもしれない。きょうは8月盆のさ中にある。幸いにもまだ御霊にはなり得ない私は、きわめてダブルの幸運爺(児)なのかもしれない。しかしながら、心中はしどろもどろにうろたえている。なぜなら、パソコンを起ち上げても、書くネタもなく、書きたい気力もない。挙句、こんな逃げ状態に陥っている。「そうだ、夏休みを取ろう」。だけど、夏休みとは口実にすぎず、実際のところは休み明けの再始動が危ぶまれる。
 学童の夏休みであれば、明ければ元気よく、二学期が始動する。ところがわが夏休み明けは、わが意志のままにまた休むのも自由である。すると、自由というのは曲者であり、この自由に自分単独で打ち克つことは容易ではない。生来、私は三日坊主と意志薄弱の性癖(悪癖)まみれである。ゆえに束縛のない自由は、もとより天敵である。だから私の場合は、なんらかの負荷と束縛は必要悪と言えそうである。
 夜来の雨は上がり、薄っすらと朝日が光り始めている。太陽におんぶに抱っこされながら、わが期限ある命は翳りゆく。台風7号などに脅されてはいけない。生きているかぎり、日々脅され慄くことは多々ある。幸いなことに取る意志さえあればわが身は、夏休み、冬休み、さらには期限のない長期休暇にありつける。休みの期限をなすのは、命の途絶えである。
 こんな文章を書いても、気狂いの自覚症状はない。診断は他人様お任せである。今月(8月29日)には、内視鏡検査(大腸)が予定されている。

8月盆入り日、御霊を迎えるのは「吾れひとり」

 8月13日(日曜日)。8月盆入り日にあって、北上中の台風7号のせいか、小雨模様の夜明けが訪れています。小雨は時間を追って、大降りになるのかもしれません。台風が大過なく過ぎれば、このところの日照り続きにあっては、恵みの雨になりそうです。ところが台風にかぎれば、そんな暢気なことは言っておれません。なぜなら、わが家は2年前頃に屋根を吹き飛ばされて、恐怖と損壊そして多額の金の持ち出しを被りました。それゆえにそれ以来台風は、それまでのわが心模様とはまったく異にして、戦々恐々の心境はリアル(現実)に晒されています。挙句きのうは台風の接近を恐れて、早やてまわしに次兄の初盆のお参りに、東京都国分寺市内の宅へ行きました。すると、多くのきょうだいの中にあって、とうとう残されたのは「吾れひとり」と、あらためて実感しました。同時に、今や亡き、父と母、姉、兄、そして唯一の弟の面影を浮かべました。
 初盆のしんがりはやがて、私が務めることになります。そのときまでのわが務めは大事です。お盆、十分に御霊を偲ぶ務めを果たすつもりです。きのうは文章を休みました。きょうも休めば、こんなことは書かずに済みました。夜がすっかり明けました。台風7号北上中にあって、きわめて大切なお盆期間になりそうです。

人生にまつわる、述懐

 8月11日(金曜日)。夏の朝が訪れている。いや、真夏の朝が訪れている。しかし、カレンダーの上ではすでに、「立秋」(8月8日)へと、替わっている。忘れていた季節変わりは、寝室の網戸から零(こぼ)れてきた、風の冷たさで感じている。自然界の営みは、常に平静淡々である。決して人間界は、それを真似ることはできない。なぜなら人間界は、常に煩悩まみれである。私にかぎらず人は、淡々と生きることはできない。実際のところ人はだれしも、煩悩にまみれて絶えず「つっかい棒」につかまりながら生きている。この苦しさを口にするか、それともしないか。それは、器量の大小の違いとして表れる。すると私は、きわめて小器で絶えず口にしている。
 わが小器の証しは精神のマイナス思考であり、その表れは愚痴こぼしである。もとより私には、望んでも「淡々と生きる人生」はあり得ない。だからと言って私は、当てにならない神様頼みはしない。身近なところでエール(応援歌)を聞きたくて、私は両耳に集音機を嵌めてパソコンを起ち上げた。ところが今朝もまた、朝鳴きのウグイスの声は途絶えている。いや、このところこの状態が続いている。私には、ウグイスの鳴き声を聞き分ける能力はない。ウグイスとてときには、愚痴をこぼしているはずである。朝のうちはまだ、セミも鳴いていない。短い命のセミは、愚痴をこぼす間もなく、やがては屍(しかばね)となる。愚痴をこぼしながらもそれらより長いわが人生は、とことん幸福のはずである。だけど、そう感じないのはわが驕(おご)りなのか、いや口にすることのできるつらさなのか。
 8月は過去の出来事を顧みて、もとより「命、重たい月」である。淡々と生きたいけれど叶わないのは、「生きとし生けるもの」、すべての宿命であろう。私の場合は、その度が酷(ひど)すぎる。いやひとだれしも、人生は淡々と生きられる代物(しろもの)ではない。
 青空に、淡々と朝日が光はじめている。私は、大空を眺めるのが好きである。

空き家、空き地

 8月10日(木曜日)、起き出して来て、パソコンを起ち上げた。もはや、書くネタも気力もない。しばし、雨戸閉めない窓ガラスを通して、四角に限られた額縁の中の景色を眺めている。天上には青い大空がある。その下、遠くには小さく山が見える。手前の視界には電柱が立ち、幾筋(7、8本)かの電線が張られている。家並みには、空き家の二軒の甍(いらか)が並んでいる。移り去った人がほったらかしにしたままの空き地には、むさくるしい茂りが見える。わが家周りの電線伝いには、山に棲みつく台湾リスが現れて這い走り、すぐに枠の中から消えた。このところ、ウグイスの声は途絶えている。現在、セミの声はしない。ただ、セミはもう、当住宅地に姿を現している。私は先日の通院のおり、その証しを見た。最寄りの「半増坊下バス停」へ向かう緑道(グリーンベルト)に、一匹のアブラゼミが転がっていた。アブラゼミは焦げ茶色の羽を下にして、白いからだを仰向けて死んでいた。履いていたスニーカーで蹴飛ばしてもいいけれど、私は指先で拾い上げて傍らの草むらに置いた。子どもの頃とは違って年老いた私は、セミの死に様には憐憫の情をおぼえている。ただ遊び心だけだったセミ取りの、遅すぎた罪滅ぼしや罪償いなのかもしれない。私はしばし、朝日きらきら光る、夏の朝を堪能している。
 きょうの私には、歯医者通いがある。人だれでも、生きることは、つらいことだらけである。

長崎、原爆の日

 8月9日(水曜日)、夜のうちに小雨が降って、夜明けには上がっている。電線には雨粒が膨らんで、とどまっている。まもなく、朝日がつぶしそうである。こんな夏の朝もいい。その証しに、寝起きの気分はほぐれている。しかし、書き添えなければならない。
 きょうは何の日? するとそれは、78年前に起きた「長崎、原爆の日」である。過ぎた「広島、原爆の日」(8月6日)に続いて、わが夫婦は1分間の黙祷をせずにはおれない。来週には、太平洋戦争「終戦(敗戦)の日」(8月15日)が訪れる。毎年書くけれど8月は、日本の国と国民にとっては気分の「重たい月」である。
 きょうは、このことを書くだけで十分であろう。何があろうと、戦禍に比べればつつがない日々である。

『朝はどこから』

 童謡『朝はどこから』(作詞森まさる 作曲橋本国彦 唄岡本敦郎)。
 「朝はどこから来るかしら あの空越えて 雲越えて 光の国から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは希望の家庭から 朝が来る来る 朝が来る おはよう おはよう 昼はどこから来るかしら あの山越て 野を越えて ねんねの里から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは働く家庭から 昼が来る来る 昼が来る こんにちは こんにちは 夜はどこから来るかしら あの星越えて 月越えて おとぎの国から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは楽しい家庭から 夜が来る来る 夜が来る こんばんは こんばんは」。
 8月8日(火曜日)、起き立てにあって、この歌をハミングしている。きのうは自分のための通院、きょうは妻の引率にあっての通院、あしたは買い物、あさっては自分のための歯医者への通院、そして次の日はまた買い物。週末二日はまだわからない。わが体は薬剤にまみれ、わが家は生きるためのコストにすなわち、医療費および買い物費用、総じて生活費にまみれて怯えている。
 幼い頃の屈託のない日常がよみがえり、とぎれとぎれに童謡を歌っている。童謡っていいなあ、朝っていいなあ……それだけ。