ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
春三月は、ブービー
3月30日(木曜日)、春三月のブービー日を迎えている。現在の時刻は(4:19)であり、窓の外は暗闇である。だから夜明けてみないと、天気の良し悪しを知ることはできない。ただ、きのうの気象予報士によれば、きょうの昼間は晴れになるという。気象プロの予報だから信じてはいるけれど、ときには当たり外れがある。特に、このところの自然界(気象)の営みは、雨・風・嵐をともなって、腹の立つほどの気まぐれである。それゆえに私には、気象予報士の予報に対し、かなり疑心暗鬼がつのっている。もちろん私は、予報どおりの晴れ間を願っている。なぜならきょうの行動予定には、きのう行きそびれた、大船(鎌倉市)の街への買い物がある。
きのうは夜明けの頃のぐずつきを脱し、昼間へ向かうにつれて胸の透く好天気になった。まったく久しぶりのことであり、わが心身はすぐさま小躍りした。早速、わが日常生活における一つの役割に向かって、行動を開始した。私は妻に向かって、「きょうは、左近允医院へ行くよ!」と、呼びかけた。妻もこの日を心待ちにしていたのか、「そうね。パパ、一緒に行ってくれるの?」と言って相好を崩して、のろまに準備にとりかかった。
当医院は住宅地内にある、わが家かかりつけの開業医院である。患者対応の男性先生の診察は、きわめて懇切丁寧かつ優しくて評判が良く、語弊はあるけれど外来患者多く、とてもはやっている。私は通院のたびに、先生のお人柄にふれている。住宅地内には一つの当院と、一つの歯科医院がある。ところが、歯科医院は一度だけ試しに行ったけれど、もうこりごりですぐさま診察券を破り捨てた。要らぬ診察券はそうでもしないかぎり、雨後のタケノコさながらに増えるばかりである。かかりつけの医院は、最寄りだからといって、済むものではない証しである。この点、左近允院が住宅地内に在るのは、天の配剤にも思えている果報である。
わが家と当医院間における時間のかかり具合は、わが足であれば片道速足で約10分、ノロ足であれば15分足らずである。妻の足でも正常であれば、私とほぼ同タイムである。ところが妻は、大腿部骨折、入院、手術、そして退院以降、病身となり現在はリハビリのさ中にある。それゆえに妻の日常生活、とりわけ外出行動にあって私は、頼りにならない細い杖代わりの、頼りになる図体太い杖の役割を担っている。きのうは嵐が去った好天気に恵まれて、わが役割の一つを果たしたのである。そしてきょうは、もう一つのわが役割である、買い物行を予定している。幸いなるかな! きのうに続いてきょうの昼間は、晴れの予報である。現在(4:49)、夜明けの天気は知るよしない。しかしながら私は、生来のへそ曲がりを正して、気象プロの気象予報士の予報を信じている。あれれ! 五月雨式にキーを叩いて訪れた薄明りの大空は、曇天、今にも雨が降り出しそうである。いや、目に見えぬ小雨が落ちているかもしれない。山から、ウグイスの鳴き声が響けば、御の字である。
ようやく、雨・風・嵐止んで、再始動
3月29日(水曜日)、起きてきて、脇のカーテンを開いた。一基の外灯が闇夜を照らしている。舗面を見る。雨はない。山の枝木と葉っぱの揺れはない。ようやく、雨・風・嵐のない、夜明けになりそうである。わが脳髄は、未だ睡眠状態を断ち切れずに空っぽである。身体は水ぶくれのごとくぷよぷよし、精神は夢遊病者さながらである。身体はともかく、心境は文章を書く状態にない。
このところのわが日常生活は、玄関口を出ない茶の間暮らしに明け暮れている。生存の糧の買い物にさえ行く気を止められ、おのずから食品尽きて、冷蔵庫は用無し状態にある。食品が尽きれば、命が尽きる。だからそろそろ、買い物だけには行かないと、生存自体が危ぶまれる。こんな切羽詰まった思いをたずさえて、カーテンを開いた。
わが買い物の足を止めているのは、このところ荒れ狂っている雨・風・嵐のせいである。もちろん私は、これまでの経験で、「花に嵐はつきもの」と、固く覚悟していた。ところが、日を替えて吹き荒れる嵐に出遭い、わが覚悟は萎えていた。挙句、この間のわが日常生活は、まるでカタツムリのごとく動きのない、茶の間のソファに凭れるだけの日が続いている。そのせいで身体は体重が増し、(なんだか、ぷよぷよと膨れたなあ……)と、実感するところにある。加えて、外気を吸っていないせいなのか精神は、モチベーション(気力)の低下に見舞われている。もとより、こんな状態では心象風景で紡ぐ文章は書けない。無理矢理書けば出鱈目である。これを断ち切るには、効果覿面のカンフル剤にすがるしか便法はない。すると私の場合、手っ取り早い無償のカンフル剤は外出行動である。ところがそれも、遠出は望みようなく、もっぱら普段の大船(鎌倉市)の街への買い物行動にすがるだけである。
いや、もう一つわが外出行動には、妻の通院における引率同行がある。ところがこのところはこちらも、嵐のせいで先延ばしになっている。共に命大事、わが買い物行と妻の通院における引率同行は、わが現在の大事な役割である。ほのぼのと夜が明けた。雨戸を閉めず、カーテンを掛けていない、前面の窓ガラスを通して眺める大空と家並みには、ほのかに朝日射し始めている。きょうは、わが日常生活における再始動に恵まれそうである。長引いた雨・風・嵐のせいで、もはや花見の行動はない。見ようにも桜の花は、視界から消えている。
三年は、人間事情を変える
3月28日(火曜日)。寝床から起き出し、パソコンを前にして、こんなことを浮かべている。生前の母は「三日坊主」と知りすぎて、私に対ししょっちゅう「するが辛抱、三日、三月(みつき)、三年」という、人生訓を垂れていた。すなわち母は、人生行路において辛抱することの大切さを私に諭し続けた。しかしながら私は、母の教訓に背いて、何事にも三日坊主を続けていた。今や遅し、母に謝りたい気分横溢である。
一方では「ひぐらしの記」の継続に対して、草葉の陰から禿げ頭を撫でなでしてもらい、「しずよし、頑張ってるね、あっぱれだ!」と、叫んでもらいたい思いがある。母の喜んでいる姿が、沸々と心中に浮かんでいる。確かに、何事においても辛抱・我慢することは、目的を果たすためにはきわめて大切である。だからと言って辛抱することで、必ずしも目的が達せられることはない。それゆえに辛抱や我慢は、文字どおり常に辛さ、切なさ、悲しさをたずさえている。しかしながら、辛抱あってこそ目的が叶うこともまた、すべての物事の真(まこと)である。
辛抱を継続に置き換えれば、こんな成句が浮かんでくる。すなわち、わが掲げる生涯学習の現場主義のおさらいである。「石の上にも三年」、「雨だれ石を穿(うが)つ」、そしてズバリ「継続は力なり」である。もちろん、類似の言葉や成句は、このほかにもたくさんある。ところが、わが貧弱な脳みそは、それらを浮かべてくれない。
なぜここまで、煮ても焼いても、食えないような、突拍子なことを書いたのかと、自問を試みる。すると、自答はこうである。すなわちそれは、三年という、期間に依拠している。あんなに面倒くさがっていたマスクの着用は、「こののちの着脱は、自己判断でいいですよ!」と、言われた。長く待ち望んでいた、日本政府肝いりの御触れである。ところが私は、嬉々として「はい、そうですか」という気分にはならず、外し渋っている。ほぼ三年間の辛抱・我慢のマスクの着用は、もちろん新型コロナウイルス感染防止のためである。このことでわが身をかんがみれば、感染を免れて目的を果たしている。しかし実際のところは、三年間の慣れにすぎないものである。私は辛抱というより、三年いや、「日・月・年」の重み確(しか)と感じている三年は良くも悪くも、人間事情を変える。
文意、あやふやな文章を書いてしまった。きょうの夜明けの空は、またもや確かな「雨・風・嵐」である。桜の花は、大泣きである。私は、べそをかいている。
別れと出会い
3月27日(月曜日)。自然界にあって、頃は桜の花の季節である。咲けば散る。いや、散らされる。桜の花にたいしまるで感情があるごとく、いじわる根性を丸出しにしているのは「雨・風・嵐」である。このところの桜の花にたいする雨・風・嵐の妬みと悪態ぶりには、見て反吐(へど)が出るほどである。おのずから私は、雨・風・嵐にたいする恨みつらみが絶えない。
確かに、人間は感情の動物である。その証しに人間は、生まれて死ぬまで、ほとばし出る好悪(こうお)の感情に絡みつかれている。「生と死」は尊厳をともなって、「出会いと別れ」の両極にある。人間の感情にあって、命の生誕にはおおむね喜悦が付き添い、一方命の終焉には必ず悲嘆が付き纏う。命の終焉にあっては、大往生という言葉がある。ところが私には、この言葉は切なさと悲しさを隠す、まやかしに思えている。
3月はきょうを含めて、残り五日の最終週を迎えている。3月は、多くの別れ(儀式)を織りなす月である。小・中・高・大の学び舎は、ほぼ卒業式を終えている。この頃では、卒園式も営まれる。実業界すなわち社会人にあっても、3月には多くの別れ(儀式)がある。それらは余儀ない定年をはじめとする退職、人事異動や職場替えなどに見られるもの、ほかにも様々な別れがある。別れには事の大小にかかわらず、去る人そして見送る人のそれぞれに、悲喜交々の感涙が溢れ出る。いや、別れには、ほぼ切なさと悲しさだけが付き纏う。けれどそのぶん、感情の動物(人間)に最も似合いの美的情景を映し出す。切なさと悲しさを和らげてくれるのは、新たな出会いである。出会いには楽しみが付き纏う。これまた、美的情景である。出会い(儀式)の多くは、月を替えて4月に訪れる。3月と4月は、おおむね別れと出会いの月である。
もはや社会人崩れの私の場合は、人様の別れと出会いの情景を垣間見て、涙するばかりである。垣間見る情景の多くは、昔からこんにちにいたるまで、駅のプラットホームである。感情の動物、やはり私は、人間に生まれて幸福だったのであろう。別れと出会いに付き纏う人間の感情は、確かに悲喜交々である。しかしながらこの感情あってこそ、艱難辛苦の人生行路は、美しく彩られもする。
幸いなるかな! 夜明けの空の色は、このところ雨模様を断って、ちょっとだけ明るんでいる。しかしなお、「雨・風・嵐」怪しい雨空である。
雨・風・嵐の仕打ち、桜の花に対するわが情け
3月26日(日曜日)。窓の外は真っ暗闇にあって、夜明け模様は描写できない(4:46)。窓ガラスに掛かる二重のカーテンを開くことなく、私はパソコンを前にして椅子に座っている。起き立ての洗面にあっては歯を磨き、固定剤をたっぷりまぶして入れ歯を入れた。パソコン画面と目元の間は、30センチ程度である。そのため、メガネは掛けなくても構わない。だから、ときには外し、現在はかけている。難聴用の集音機は外して寝るままに、文章を書くには不要のため嵌めていない。キーボードの音は、響きではなく指先で感じている。音を感ずるのは、猛烈な雨・風・嵐、そして揺れをともなう地震のときである。しかし、それらの音はない。頭上の二輪の蛍光灯の明かりは、音なく光っている。ゆえに現在の私は、内外の音なし状態の中にある。大空は、地上に雨を降らしているであろうか。それさえわからないままに私は、五月雨式(さみだれしき)にキーを叩いている。夜明けの空の天気模様が、気に懸かるところである。
桜の花と雨・風・嵐は、自然界においては仲間や同僚同然である。それなのに雨・風・嵐は、なぜこうも! 桜の花を妬み、悪態をつくのであろうかと、思う。ようやく開いた桜の花は、このところの雨・風・嵐のせいで、一遍に地上に振り落とされ、濡れてちりぢりになった花びらは見るも哀れである。私は桜の花にたいする雨・風・嵐の仕打ちの酷さに遭遇している。普段の私は、天変地異には怯えているものの自然界崇拝著しいところがある。だけど、桜の花に対する雨・風・嵐の妬みと仕打ちに遭遇すると、まるで人間界の悪徳を見ているようである。夜明けて大空は、またもや大雨を降らしている。柄になく、桜の花の哀しさを愛しむ、夜明けである。
嵐にいじめられた「桜道」
3月25日(土曜日)。いよいよ春はきのうの彼岸明け(24日)を境にして、仲春から晩春へと向かい深まりゆく。一年めぐりの桜の花は、それに応じて花時を替えて、しだいに葉桜へと移ってゆく。そしてその先は、緑や黄・紅などに色を変えながら、やがて葉を落とした裸木になる。桜木の営みはわずか一年めぐりにして、まるで人の営みの幼年、青年、壮年、そして晩年のごとしである。「出る杭は打たれる」。人の口の端にのぼり持て囃されたり、誉めそやされたりすれば妬まれて叩かれる。春の季節の人気者の桜の花と、いじわる根性丸出しの雨、風、そして嵐の関係を見るようである。桜の花の季節には、春先の「春雨や、濡れて行こう……」などという、とうてい暢気(のんき)な気分にはなれない。
桜の花は、芽吹きどき、咲き始め、満開、そして散り際にあって、人それぞれに興趣、愛惜、寂寥(せきりょう)という感情をもたらすものがある。わが住宅地には宅地開発業者の売らんかな! の意思旺盛な手植えの里桜と、それに加えて周囲の山には自然生えの山桜が点在する。玄関口を出て門口に立てば、おのずから眼(まなこ)は桜見物に恵まれる。しかしながら惜しむらくは、わが住宅地には桜の花に似合いの、すなわち絶佳の風景を為すせせらぎ(小川)はない。小川を見ながら脇道を通ること、すなわち飛びっきりの桜見物をするには、わざわざ「砂押川」沿いへ出かけなければならない。砂押川沿いの脇道を挟んでは、鎌倉女子大の広大で高い校舎が聳えている。
きのうの私は、「大船(鎌倉市)行き」定期路線バスに乗車し、途中「砂押橋バス停」で降りた。そして、買い物には早出の午前十一時近くに、「イトーヨーカドー大船店」へ向かって歩いた。このときの私には、買い物と桜見物の一挙両得を叶える意思があった。前日の夜は、雨風強い激しい嵐に見舞われていた。そのせいか、砂押川はかなり増水し、流れを速めていた。花筏(はないかだ)は渦を巻くことなく、小舟のごとくスイスイと流れていた。その光景を眺めて通る脇道には、足の踏み場を選びようなく、いまだ乾ききれない桜絨毯が敷き詰めていた。花筏と桜絨毯は、散り際の桜の花がコラボ(協働)で恵む美的風景である。私は立ち止まることなく、買い物足を緩めた。そして、花筏を眺めながら、一方では照り映える桜絨毯の色に染まりながら、脇道を歩いた。
イトーヨーカドー店内に入ると、足を労わり一息ついた。こののちには、いつもの習わしにしたがいバニラソフトクリームを買って、しばし舐めた。わが普段の買い物の店は、この先の街中にある「西友ストア大船店」である。店内の品物は同一であっても明確に、イトーヨーカドーのほうが高めである。それにもかかわらず私は、桜の花の季節にかぎり、値段の高めと途中下車を厭わず、砂押川沿いの脇道を歩いている。嵐にいじめられた「桜道」を歩くのは切ない。夜明けの空は、きようも雨降り。
WBC,うれしい余聞
3月24日(金曜日)。「春眠暁を覚えず」の頃にあって、台無しの馬鹿げた時刻の起き出しである(3:56)。就寝時は、難聴の耳にさえばっちり轟く雨降りだった。花に雨、いや花に嵐はつきものとはいえ、天変地異の前触れかと思うほど、びっくり仰天した。ところが現在は、窓ガラスに掛かる薄地、そして厚地の二枚重ねのカーテンを開くと、雨は止んでいる。驚かすなよ! 花便り真っ最中の気象は、ほとほと気まぐれである。
きのうの文章において私は、三日間書き続けたWBCにかかわる文章は、これでおしまいと書いた。だからきょうの文章は、わが自作ではなくメディア記事の引用である。WBCにちなんで世界中から、日本チームに留まらず日本の国および国民の礼節を称える声や記事が、まるで雨後の筍(タケノコ)のごとくに湧き出ている。まさしく、日本チームの胸の透く優勝、頂上をきわめた栄光のおかげである。私は、うれしくてたまらない。それゆえ私は、数多い称賛の中から一つだけこの記事の引用を試みて、ダボハゼのごとく矢鱈(やたら)と食いついて、称賛を共有したくなっている。
「ダグアウトの清潔さに驚嘆」侍ジャパンの”綺麗なベンチ”に米感動! 日本の礼節に「多くを学べた」(3/23日、木曜日、16:01配信、CoCoKARAnext)。侍ジャパンの礼節に米識者やファンが感銘を受けている。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で前回大会優勝国のアメリカを3-2と下し、14年ぶり3度目のWBC制覇を果たした侍ジャパンのダグアウトが、世界で話題になっている。米独立リーグのミズーラ・パドルヘッドのフィールドマネージャーを務めるマイケル・シュラクト氏は自身のTwitterに日本ベンチの画像を投稿し、「日本のダグアウトの清潔さに驚嘆する時間をとってもいいでしょうか!」とツイート。ゴミのない清潔な侍ジャパンのベンチに驚き、感動した様子を発信した。この投稿には現地メディアやファンも続々と反応。シュラクト氏のツイートにリプライする形で、米スポーツ専門局『ESPN』のジャーナリスト、マイケル・イーブス氏は「ワールドカップの時にロッカールームを去ったときと似ている」と投稿。昨年12月に行われたサッカーワールドカップで、試合後にロッカールームを綺麗に整理整頓した日本代表と重ね合わせて反応した。また、現地のファンからは「日本人は信じられないほど敬意を払う。日本にとても感銘を受けた」「彼らから多くのことを学ぶことができた」「非常に規律正しいチームだ」と侍ジャパンに対して、脱帽した様子の声が多数上がっていた。侍ジャパンはアメリカ戦に勝利後、歓喜の瞬間に場内が盛り上がるなか、侍ジャパンの面々が三塁線に整列すると、応援に駆け付けたファン、対戦相手のアメリカ代表に向かって帽子をとって一礼。大きな声援に応えるとともに、あらためて周囲への感謝を示した振る舞いにも注目が集まっていた。
WBCでは全勝で圧倒的な強さを見せたが、プレー以外でも世界のファンから称賛されている。いまだ、時刻は4:35である。うれしさでいっそう興奮して、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にはありつけない。WBC,日本の優勝に湧いた、うれしい余聞である。
WBC、日本宿願を叶えての三度目の優勝
3月23日(木曜日)、夜明け前にある(5:03)。この二日、WBC(ワールド ベースボール クラシック)のことを書いたので、きょうは仕上げの決勝戦の結果を書いて、記録に留めるものである。WBCは、今回の大会で五度目である。日本は一回目と二回目で優勝し、三回目と四回目は決勝戦へは至らず、準決勝止まりだった。そのため今回の大会には、14年ぶりの優勝を狙っていた。そして今回は、順調に準決勝までを勝ち進んで、きのうの決勝戦へ臨んだ。決勝戦の相手は、アメリカだった。アメリカは名にし負う野球大国であり、それに違わず前年の覇者でもある。日本は1,2回の優勝にあっても、アメリカが早々に敗れたために、アメリカとは戦わずの優勝だった。このこともあって今回の日本は、決勝戦をアメリカと戦い、アメリカを打ち負かしての優勝を宿願にしていたのである。そして、きのうの決勝戦において日本はアメリカに勝利してダブル、すなわち14年ぶりの優勝と、アメリカ打倒の宿願を果たしたのである。決勝戦の球場はアメリカ有利の、日本は不利なアウエー(敵地遠征)のアメリカ・フロリダ州・マイアミだった。ところが日本は、3対2のスコアで、アメリカに勝利したのである。打者では村上選手と岡本選手が、異国の空へホームランをかっ飛ばした。投手では、ダルビッシュ有につないで、そののち大谷選手が最後のマウンドに立ち、反撃を断って日本の勝利を決めた。
戦い(試合)につきものの言葉で、きのうの試合と勝敗を表現すればこうである。試合は膠着状態を破る、稀に見る熱戦だった。試合結果は日本の辛勝であり、アメリカの惜敗だった。しかし、日本の勝ち方があまりにも感動を呼ぶ劇的なものだったゆえに辛勝では飽き足らず、わが心中には好き勝手に、快勝、激勝、爆勝などの言葉が浮かんでいた。確かに、アメリカも強かった。そして、双方の選手、球場で歓声を上げる双方のファン共々に、フェアプレイだった。それゆえに私は、酔いしれたテレビ観戦だった。
きのうのメディアはこのニュースを超えて、岸田総理の極秘でのウクライナ訪問を伝えていた。ロシアとウクライナの決勝戦(戦争)は、試合ではないからなお決着はつかない。至極、残念無念である。審判(仲介者)のいない戦いは哀れである。WBCにまつわる文章は、これで書き止めである。夜明けの空は、今にも雨が降り出しそうな曇り空である。心地良い春雨であれば歓迎である。
試合と戦争
3月22日(水曜日)、きのうの「春分の日」(21日・火曜日)を過ぎて、彼岸明け(24日・金曜日)へ向かっている。春風駘蕩、夜明けの空はのどかな花曇りである。しかし、日中に向けては花日和になりそうである。まかり間違っても、花に嵐にはならないであろう。しかしながら自然界の営みは、一寸先は闇の中にある。地震さえ起きなければたとえ花曇り、あるいは花に嵐であっても、わが生活に障りはない。
きょうのわが主たる営みには、きのう同様にWBC(ワールド ベースボール クラシック)のテレビ観戦が、朝早く(8時)から予定されている。戦争だけは抜きにして、野球にかぎらず勝敗を決める戦いぶりには、言葉でいろんな表現が用いられる。戦い(試合)ぶりには総じて、熱戦と凡戦がある。勝ち方には、おおむね完勝と辛勝がある。負け方には逆に、完敗と惜敗がある。これらの言葉を用いて、きのうの日本対メキシコ戦を表現すれば、試合自体はスコア(6対5)どおりに熱戦であり、勝敗は日本の辛勝だった。もちろん、メキシコは惜敗だった。オマケに日本は、九回裏でのサヨナラ勝ちだった。それを演じたのはこれまで、当たりが止まっていた日本チームの主砲・三冠王の村上選手(村神様)だったのである。ゆえに特等の言葉を付して言えば、きのうのメキシコ戦は、日本の胸の透く快勝だった。
きのうの準決勝戦の勝利を得て、きょう臨む決勝戦の相手は、メジャー(大リーグ)を営むアメリカチームである。参加することに意義のあるオリンピックとは違ってWBCは、快感と悲惨の境をなすところがある。局外者すなわち他人行儀に言えば、勝敗を分けるからテレビ観戦は面白味がある。試合は、結果の予想も楽しみである。しかしながらきょうの私は、予想無しにテレビ観戦に臨んで、試合自体を満喫するつもりでいる。ロシアとウクライナの戦いは「試合」とは言えず、戦慄窮まる「戦争」である。至極、残念無念である。時が進んで大空は、真っ青の花日和である。
「春分の日」
冬が去り、めぐってきた「春分の日」(3月21日・火曜日)。まさしく頃は良し、「暑さ寒さも彼岸まで」。きょうを境に私は、冬防寒重装備を脱ぎ捨てる。起きて、季節の良さを表す、一つの成句を浮かべている。「春眠暁を覚えず」。ところが、私の場合はこれに逆らって、「早起き鳥」の状態にある。てっきり、心の病の証しなのかもしれない。
老いは、わが歩く姿と心境の変化をもたらしている。生来、恥ずかしやの私は、仕方なく、杖代わりに妻の手を引いてノロノロと歩いている。自分自身これまで、心中に浮かべたこともない光景であり、「清水の舞台」から飛び降りるほどの心境の変化である。確かな、わが老いの惨めさでもある。しかし、妻との年齢差(三つ)からすれば、本当は逆にもなり得たのである。ところがそれが、図らずもこうなったのは、妻の転倒による骨折、入院、手術、そして退院後のリハビリによるものである。だから私は、妻の悔しさを慮り、柄になく、妻への労わり心をたずさえて歩いている。確かに、共に「年には逆らえない」けれど、飛んだ早すぎる「妻の災難」だったのである。以来、共に「泣けてくる」。
頃良い「春分の日」にあって、こんな文章しか書けないようでは、「ひぐらしの記」は、そろそろおしまいである。夜明けの空は、のどかな朝ぼらけである。