ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

秋彼岸の入り日

 9月20日(水曜日)、薄く夜明けが訪れている。七日間の先頭を切り、秋彼岸の入り日にある。人間の体に沁みる気候は、春夏秋冬の中でもこの頃が、最も肌触り良く、凌ぎ易いと思えている。この間に天変地異がなければ、この上ない天恵と言えそうである。しかしながら、天災をはじめ人の世に起きる災害や災難は、一寸先は闇の中にある。だから、ゆめゆめ油断は禁物、心して日々を暮らさなければならない。
 油断を諭す広範な戒め言葉には、「治に居て乱を忘れず」という、先人の教えがある。ネタのない文章の書き出しは、この先の文章とはなんらの脈絡もない。
 きのうの文章でちょこっと書いたことの結末、すなわち生栗のレシピは、手軽な茹で栗だった。茹で栗であればあえて、病の妻の手を煩わすこともない。私は小鍋に「ふるさと便」で届いた栗を入れて、水をたっぷりと浸した。そして、大相撲の制限時間を伝える時計係の真似をして傍らに居続けて、きっちり45分間で茹上げた。この間、二、三度、大型のスプーンで掬い、包丁で割っては口へ運び、茹で具合を確かめた。最後は、(よし、よし)とみずから納得し、レンジの火を止めた。ここまでは、万事OKである。
 ところが、肝心要の食べどきに往生した。なぜなら、現在の私は、入れ歯の型取りが済んでいるところであり、実際に新たな入れ歯ができるのは次の通院日(9月25日・月曜日)である。歯が丈夫、すなわちかつてのわが茹で栗の食べ方は包丁など使わず、山からわが庭に入り込むリスの食べ方同様に前歯でガリガリ齧り、こじ開けてはムシャムシャと食べた。ところがきのうは、茹で栗を包丁で割って、二つに分けた。その挙句に小型のスプーンで削り取り、少しずつ口へ運んだ。もちろん、それなりに美味だったけれど、味気ない食べ方だった。このときの私は、食べ物の美味しさは、歯の健常あるいは毀傷に左右されることを実体験したのである。
 この頃の若い人たちは、果物をあまり好まないという。この理由には、果物の皮を剝くのが苦手、面倒ということがあるようである。確かに果物、身近なもののすべてには皮がついている。例えば、林檎、柿、梨、桃、栗、など皮つきである。蜜柑も皮つきだが、これだけは皮むきに包丁は要らず、指先で容易である。皮むきが面倒で、果物嫌いになるのはもったいないというより、とことん贅沢である。たぶん現在は、身近なところに果物に代わる、市販の好物の食べ物(食品)がワンサとあるせいであろう。
 わが子どもの頃の食生活は、おおむね自給自足で賄っていた。これらの中にあってわが家の場合は、柿、梨、栗は、特等の果物であり、おのずから皮むきは手慣れていた。現在の私は、そのころの体験のご褒美にあずかり、果物好きは高じて「不治の病」さながらである。
 なんら脈絡のない書き殴り文は、ここで締めたほうが身のためである。彼岸の入り日の夜明けは、のどかな曇り空である。天変地異がなければ、これで十分良し! の夜明けである。

冠の秋、到来

 きのうの「敬老の日」(9月18日・月曜日)には、このところ途絶えがちになっていた文章を恐るおそる書いた。のちに読んでみると、曲がりなりにも、わが意は尽くされていた。いくぶん気をよくして、きょう(9月19日・火曜日)もまた、パソコンを起ち上げている。夜長になり始めているせいで、デジタル時刻は未だ夜明け前にある(5:02)。
 あす(9月20日・水曜日)は、秋彼岸の入り日である。日を重ねて中ごろには、文字どおり秋彼岸の中日、いわゆる「秋分の日」(9月23日・土曜日)が訪れる。「暑さ寒さも彼岸まで」。わが身にすれば、とうに夏風邪などお蔵入りしていいはずである。世間は、冬季特有のインフルエンザの早いお出ましに、戦々恐々のようである。もちろん、インフルエンザなど真っ平御免蒙りたいけれど、わが身体は今なお夏風邪が収まらず、まるで周回いや二、三周回遅れの様相にある。
 春夏秋冬、すなわち季節は、正規軌道に乗っかり、ほぼ順調にめぐっている。未だに9月の半ばにすぎないのに気候は、ときおり残暑をちらつかせては、すっかり秋モードに変わっている。それなのにきのうの私は、気候の恵みを放棄したかのようにほぼ一日中、茶の間に籠っていた。言うなれば私は、残暑の厳しさと、秋天高い真っ青の日本晴れを、茶の間の窓ガラスを通して眺めているだけの、カタツムリみたいな一日に終始した。確かに、もったいないと言えばもったいない、敬老の日にあっての、わが身の処し方だったのである。
 茶の間に在って流し目は、阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦、加えてリモコンを手にしながらの大相撲のテレビ観戦を繰り返していた。一方、意図した指先の主要な作業は、スマホのLINE機能を用いて、旧交をあたためることに意を尽くした。もちろん、敬老に日が促した善意の作業だった。これにちなむ返信メールや電話もたくさんいただいた。すると、それらのすべての人たちは、心身共に溌溂と年齢を重ねられていた。挙句、マイナス思考や愚痴こぼしの多いわが身が哀れだった。結論、わが身が確りしなければ、旧交はあたたまるどころか、冷めゆくばかりだと、悟った日だった。
 わが夏風邪と憂鬱気分の癒しは、秋の天高い夜明けの日本晴れに尽きる。きょうの私は、ふるさと便で賜った生栗のレシピ(茹で栗、栗御飯、栗団子)選びに、うれしい悲鳴を上げそうである。冠の秋、到来。私の場合、先陣を切るのは、「食欲の秋」がうってつけである。こんな文章、二日続けて書く価値はないように思えている。

敬老の日

 「敬老の日」(9月18日・月曜日)にあって、未だ夜明け前にある。唯一の弟・敏弘を幼児のおり(生後11か月)で亡くし、実質末っ子のわが長生きを寿ぐ、親・姉・兄はだれもいない。だから、83歳まで生き長らえているわが身は、自分自身で敬うより能がない。寂しいと言うより、一抹の侘しさつのる敬老の日である。
 代替わりして、わが寂しさと侘しさを癒してくれるのは、日本列島のあちこちにいる甥っ子や姪っ子たちである。きのうにはふるさとの近在に住む、姪夫婦が送ってくれた「ふるさと便」が宅配された。事前のメールには、「庭になっている柿を送りました」と、記されていた。ところが、段ボールを開けてびっくり、下段には庭柿が並び、その中断、そして上段の諸々には、数々の市販の食品が押し合いへし合いで、詰められていた。品物のラベルには、「道の駅・七城」と、印されていた。七城とは、送ってくれた姪夫婦が住む(熊本県菊池市)、最寄りの地名である。品物は、生栗、サツマイモ、高菜漬け、金山寺味噌、ほか「くまもん」表示の食品および駄菓子類の数々である。
 このところの私は、過ぎ行く夏に未練を残していたら、飛んだいたずらかいたずらオマケに、夏風邪をひいてしまった。タイガースの優勝で、いくらか憂鬱気分直しはできたけれど、それでもいまだにそれを引きずっている。挙句、私は、文章を書く気力を喪失していた。だから、きのうのふるさと便は、カンフル剤の役割を果たし、ようようこの文章に漕ぎつけたのである。しかしながら、敬老いや年齢相応に、体力および気力共に、衰えている。対症療法の薬剤には、市販の「コルゲンコーワ、鼻炎カプセル」を用いている。
 夜が明けて、敬老の日ののどかな朝が訪れている。夏風邪が治りきらず憂鬱気分はとれないけれど、内視鏡で見た内臓器官には損傷なく、なお長生きしそうである。しかしながら、親きょうだいのすべてが果てた後の長生きに、さして悦びはない。ところが、甥っ子と姪っ子が送る「ふるさと便」は、わが命あるかぎり、なおこの先続きそうである。だとしたらやはり、我欲丸出しに、もうちょっとだけ、生きたいと思うところもある。書くつもりのない文章を書いて、これで書き止めである。

阪神タイガース、優勝

 令和5年(2013年)9月15日(金曜日)。のどかに、わが気分良く、夜明けが訪れています。プロ野球・セントラルリーグ・今シーズンの公式戦にあっては、きのう(9月14日・木曜日)、わがファンとする阪神タイガースが優勝しました。対戦相手は宿敵・読売ジャイアンツ、スコアは4対3。岡田監督、勝利投手才木、勝利を決めるホームランは佐藤輝選手。おそらく、わが人生における最後を飾る優勝になると思い、身勝手ながら記録に留めます。
 このところの私は、タイガースの優勝をテレビ観戦で追いかけ、心の動揺にあって挙句、文章は書けずじまいが続いていました。しかしこの間、気分は高揚し、なさけないとは言えません。いやすこぶるつきに、愉快、痛快でした。

掃いてきました

 ためらうより実行、ひとり黙々、朝飯抜きに、二時間半かけて、掃いてきました。自然界に恨みつらみはありません。人間界にはいくらか悔しさがあります。

心地揺れる、休みます

 9月10日(日曜日)、ミニ台風13号が去り一日置いて、のどかな中秋の朝が訪れている。東電・福島第一原発処理水に絡む、韓国や中国の喧騒も日を追って静まりはじめている。「人の噂も七十五日」、こうして月日はめぐり、時代を変えていくのであろう。そう思えば確かに、何事においても月日のめぐりは、事ありを忘れ去る最良の人生の処方箋なのかもしれない。すなわち、事ありを我慢して生きればその先には、煩悩の消えた好日や幸運が訪れるかもしれない。夜明けにあって自然界は私に、こんな思いを授けている。
 きょうは、文章は止めてミニ台風がもたらした道路上の枝葉の散乱を清めるつもりだった。ところが、窓ガラスを開いて直下の眺めると、道路は未だに乾ききれず、濡れて黒ずんでいる。(止めた)。気分を変えてパソコンを起ち上げ、キーを叩き始めている。しかしながらもとより、こんな雑な気分ではこの先は書けない。挙句にはやはり、「休みます」と表題をつけて、指先止め(擱筆)をせざるを得ない。そして結びは、いつもの表現を用いて、私にはとうに焼が回っている。ところがなお、掃除・三種の神器(箒、塵取り、半透明袋)を持って、道路に出てみようかな! と思う、心地揺れる中秋ののどかな朝である。

気候、激変

 9月9日(土曜日)、寒気で寝ていられず、起き出して来た(4:32)。台風13号は大雨を降らし、一方風は普段の大嵐程度で、わが家には被害なく過ぎ去った。しかしながら日本列島のあちこちは、大雨による河川の氾濫や洪水被害に見舞われていた。幸いにも大きな台風は免れたけれど、NHKテレビはほぼ一日中、台風情報や惨禍報道に明け暮れていた。
 加えてときおり、画面上部にはどこかで地震発生を伝えるテロップが流れていた。これらの状況を観ていると、あらためて私は、日本列島は異称・災害列島だ! という、思いにとらわれていた。やはり、日本列島にあって災害(天災)を免れて生き抜くことは、人生における最大幸福、かつ最大事業の一つと言えそうである。もちろん、人だれしもの生涯にあって、戦時下を免れることができれば、これに勝る幸福はない。
 起き立ての書き出しには、浮かぶままのことを書いた。ところが、もう一つ浮かんでいたことで、実際にはこのことを書きたくてパソコンを起ち上げたのである。すなわち、もちろんミニ台風のせいでもあるけれど、気候はすっかり暑気を落とし、寒気が肌身を襲ってきた。通常の衣替えはおおむね10月になってからである。しかし、そこまでは耐えられず私は、大慌てで着衣と夜具を冬モードに変えた。気候は、まさしく激変である。挙句、暑い夏への未練タラタラである。
 ミニ台風だったとはいえ台風一過、未だ暑気を含んだ秋晴れの好天気を望むところである。「暑さ寒さも彼岸まで」。確かに、「秋分の日」(9月23日)が近づいている。しかしながら私は、早やてまわしの寒気の訪れに、度肝を抜かしたのである。
 寝言みたいな文章、書かなければよかった。まったく味気ない文章である。時刻は、未だ夜明け前にある(5:04)。

「前兆、ミニ台風の夜」

 9月8日(金曜日)、4:53。起き出して来たのはもっと早く、いつもの習性に従い、メディアが伝えるニュース項目を一覧した。それらの項目の中には、東海および関東地方へ向けて、接近する台風13号の記事があった。起き立ての私は、外の様子とりわけ台風や風雨模様は、目ではわからない。だから私は、文章を書くには用無しの集音器を、いつもとは違って風雨の音を聞くために両耳に嵌めている。すると、ときおり「ザアッ」と音がする。もちろん、聞き慣れている風雨の音である。風雨の強弱の程度はわからないけれど、風雨まじりの夜明けにはなりそうである。もちろん、単なる風雨ではなく、台風接近がもたらすものであろう。
 就寝時の私は、台風13号接近の気象情報に備えて、いつもとは違って四囲の雨戸のすべてを閉じた。関東地方への接近予報は、昼過ぎあたりだった。このことでは備え怠りなく、かつ用意周到もいくらか早とちりのきらいがあった。それでも、雨戸のすべてを閉じて床に就いた。起きて、未だ雨戸は開けずじまいで、パソコンを起ち上げている。それゆえに外の様子は、視覚には頼れず、聴覚すがりである。
 台風接近のニュースにびくびくして雨戸を閉めるのは、もちろんこのことを恐れてである。すなわち、山際に建つわが家は、台風がもたらす山の枝葉が飛んで来て、窓ガラスへぶち当たるのを防がなければならない。するとその備えは、窓ガラスを覆う雨戸の役割である。今さらこんなわかりきったことを書いて、継続文の足しにすることはもとより、能無しわが身のつらさである。
 時計の針は朝の時刻を刻々と刻んでいる。なのに、大空の見えない夜明けには、和む心地はまったくない。夜明け、朝の気分気分大損の、「前兆、ミニ台風の夜」である(5:22)。

人間の幸福(感)

 9月6日(木曜日)。台風、嵐、雨なく、のどかな朝ぼらけの夜明けが訪れている。こんな暢気なことは書いておれない、「天災はいつ何時、忘れた頃に」やって来る。その証しにテレビ映像の上部にはほぼ毎日、日本列島のどこかに地震発生を伝えるテロップが流れてくる。きのうも、流れてきた(千葉県)。そのたびに、肝を冷やす日が絶えない。もちろん、わが住む神奈川県、いや自分自身が免れて、済むものではない。
 日本列島に住むかぎり、国民すべてが同胞である。それゆえに、どこかしこ、だれかれにも、災害無きことを望むこととなる。しかしながら天災は、人間のこんな願望は蹴散らして、多大の災害をもたらすことになる。挙句、天災は人間の生きることのつらさの極みにある。のどかな夜明けにあって心中には、矛盾するこんなことが浮かんでいる。
 気候はすっかり秋モードになり、日を追って過ごし易くなっている。その中にあって私は、日々天災を忘却することはできない。おりしも秋は、台風シーズン真っただ中にあり、そのうえ地震は、時や所を選ばず頻発する。のどかな朝ぼらけを眺めながら私は、幸福感と喜悦に浸っている。人間の幸福とは案外、こんなひと時なのかもしれない。ところが、地震は今にも起きるかもしれない。そうであれば長続きのしない、いや瞬時の幸福にすぎない。「人間万事、塞翁が馬」と嘯(うそぶ)くのは、人間の強がりと言えそうである。
 ネタなく文章は、きょうも休むつもりだった。無理矢理書けば、こんな文章しかかけない。私には、とうに焼が回っている。

9月5日の目覚めにあって…駄文

 9月5日(火曜日)、5:05。夜明けは未だ薄暗い。雨は降っていなくても、朝日の見えないせいであろう。きのう(9月4日)書いた長文は、一瞬の指先の不始末で、ノート代わりのパソコンから消えた。泣くに泣けない「逃げた魚は大きい」の心境に陥り、心中で号々と泣いた。
 きのは、待ちぼうけを食らっていた雨の朝だった。私はこんな表現で喜んだ。8月から9月へ月を替えたばかりなのに自然界は、朝夕の風はすっかり冷ややかになった。大空は大海原のごとく、青く澄み渡る。浮雲は真綿のごとく、真っ白く映えている。そして今朝はオマケに、待ち焦がれていた雨まで恵んでいる。さらに、幸いにも「防災の日」(9月1日)は、天変地異なく過ぎた。これらのことを鑑みれば自然界は、8月いっぱい雨の日少なく、暑い日をもたらした人間界へ、9月早々に粋な罪償いをしたのであろうか。
 きょうの私は目覚めて寝床で、スマホを片手にはじめて、わが住む「今泉台」の天気予報を見た。不断、私が難渋を極めるデジタル社会の確かな恩恵である。すると、きょう一日にかぎらず、この先十日間の天気予報さえ記されていた。それを眺めると晴れマークはきょうだけで、その先の日には曇りマークに雨マークがこびりついていた。この天気予報に外れがなければ、せっかくの好季節のスタートにあって、秋天高い青空(日本晴れ)は望めそうにない。せっかくの罪償いは、新たな罪作りをしでかすのであろうか。もし仮にそうなっても私は、8月の罪償いに恩を感じて自然界に恨みつらみはない。このことではもちろん私自身だけではなく、視界の草木や、さらには見えない地中の虫けらの命まで、生気を戻したであろう。
 書き殴っている間に、青空に朝日が射す夜明けが訪れている(5:35)。十日間でたった一日の晴れ間のきょうは、極めて大切な日となりそうである。バカな文章を書いてしまった。しかし、自然界の罪償いに感謝し、わが気分は爽快である。こんな文章は、指先の不始末で消えてもいいけど、それでも継続の足しにはなる。もったいない。