ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

季節は秋モード

 10月7日(土曜日)、雨の無いどんよりとした曇り空の夜明けが訪れている。しかし、空の端には朝日が昇り始めて、薄っすらと光が紅色に染めている。時間を追ってきょうもまた、晩秋の日本晴れになりそうである。きのうの天候は一日じゅう満天、胸の透く日本晴れだった。10月になって初めて出合えた快晴であり、それゆえにわが肌身を潤す快感だった。たちまち私には、これでこそ好季節の恵みと思えていた。
 好天に釣られて私は、出かけて二つの行為を叶えた。一つは、最寄りの掛かり医院・S院へ出向いて、インフルエンザの予防注射を打った。新型コロナウイルスの7回目の予防注射は、当院で一週間前に済ましていた。ところが、このときの私は初めて、注射後の二日間はあちこちに痛みが生じ、気分の滅入りに晒されていた。幸いにもインフルエンザの予防注射の後は痛みなく、平常心が保たれている。
 インフルエンザの予防注射を済ますと当院を出て、すぐ近くのバス停「北鎌倉台」から、巡ってきたバスに乗車した。行き先は、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)である。買い回る店は通常と変わりない。真っ先に出向いた店は、野菜と果物の安売り店「大船市場」である。ところが、見慣れている店内の様相は、見た目一変していた。それはまさしく、秋モードだった。売り場の野菜には、大した変化は見られなかった。売り場模様を大きく変えていたのは、西瓜売り場に代わる秋の果物のお出ましだった。中でも、いよいよ王者、双璧を成す、柑橘類と柿の並びようだった。柿はふるさと便ですでに味見していた。けれど私はまた柿を買い、もちろん蜜柑を買った。ヨロヨロ足取りでわが家へ帰ると、茶の間の妻と共に、柿、蜜柑、そして茹で栗で、果物の秋を堪能した。
 栗に関して言えば、二度目のふるさと便で賜っていた。一度目は庭柿と共に、市販の栗が段ボールに詰められていた。送ってくれたのは、共に亡き長兄夫婦の次女・姪っ子だった。二度目の栗は、共に亡き長姉夫婦の長女・姪っ子だった。こちらは、自家の栗山の収穫作業に多忙を極めている最中の贈り物だった。段ボールには大きめの網袋に詰められていた栗が、なんと四袋も入っていた。次に予定されているふるさと便は、獲れ立てのふるさと産新米である。毎年、この手はずをしてくれるのは、長姉夫婦の長男・甥っ子である。
 きのうの私は、10月になって初めて、途切れていた文章を書いた。それゆえにきょうの文章は、たった一日で継続を断たないためだけの殴り書きである。朝日が昇り始めて、視界一面が明るくなった。ただ、わが心中の明かりは、いまだロウソクの灯り程度である。

頃は好し、だが……

 10月6日(金曜日)。「スポーツの日」(10月9日・月曜日)を含む、明日(10月7日・土曜日)からの三連休を前にして、ようやくそれに見合う清々しい朝が訪れている。9月より月替わって10月初旬のこのところの朝は、名前負けをこうむり気候はぐずついていた。おのずからわが気分は滅入り、文章を書くことなく過ぎていた。すなわち私は、生来の怠け者に堕して、憂鬱気分に陥っていた。挙句私は、もう「ひぐらしの記」の再始動にはありつけない、思いにとり憑かれていた。惰性で書いてきただけの私は、それが途絶えると怠け者特有の安着気分に陥り、書かない安穏に耽っていた。
 ところが、一方では(これはまずい)とあがいて、すっきりした安穏気分ではなかった。この間の私は、身体は健康であっても、精神(力)が崩れていたのである。こんな気分は現在、満天さわやかな日本晴れに救われている。これこそ、願ったり叶ったりの晩秋の麗しい胸の透く風景である。まさしく総天然色の一大パノラマである。
 日本晴れの下、学び舎や地区の行政は、新型コロナウイルスにかかわる懸念が薄らぎ、運動会や体育祭の催行におおわらわであろう。確かに、わが小・中・高・大の修学時代にあっても、かつての「体育の日」(10月10日)や前後近辺は、運動会や体育祭がたけなわだった。顧みれば初回(第一回)の「東京オリンピック」(昭和39年・1964年)もまた、10月10日を開催日として、10月24日までを会期にしていた。これらを鑑みれば現在は、春夏秋冬すなわち一年の中にあっても、最も好季節と言えそうである。だったら、メソメソしていたら大損である。挙句、私は「牛にひかれて善光寺参り」の心境で、ようやく途切れていた文章の始動に漕ぎつけている。
 しかし、こんな文章ではもちろん、確かな継続はおぼつかない。けれど、再始動の足しになればと願っている。大海原とまがう日本晴れの青さは、朝日に光ってキラキラいや増している。

中秋の名月、「ひぐらしの記、礼賛」

 中秋の名月(9月29日・金曜日)の夜明けにちなんで、こんなことを心中に浮かべています。今さらのことだけれどそれは、「ひぐらしの記」がわが人生にもたらしている恵みです。まさしく数々あれども、ほんのさわりだけを記します。もちろん恵みに高低差はなく、すべてが平等の恵みです。
 大沢さまに出会えて厚意を賜り、わが生涯学習の実践の場を得たことです。わが長年のわが夢の一つには、一冊の単行本を書くことがありました。ところが夢叶い、なお増して、100号到達への正夢を望めるところまできています。対面は叶わずとも、たくさんの友人・知人に出会えたことです。文章にはたえず苦しみながらも一方では、常に心中に字句(言葉や文字)探しを浮かべていることです。するとこのことでは、薬剤に勝るわが認知症予防になっていることを実感しています。
 確かな実益としては、「ひぐらしの記」を書くことで、わが最も恐れていた語彙の忘却をかなり防ぐことができました。「ひぐらしの記」は願ったり叶ったり、定年後の有り余る時間を埋める役割を果たしてくれました。もとより「ひぐらしの記」の発端の意志は、定年後の日暮らしの空白を埋めるこのことでした。すると「ひぐらしの記」は、それを十分すぎるほどに叶えてくれました。総じて「ひぐらしの記」は、日々呻吟しながらもわが枯葉のような人生に、瑞々しく潤いのある人生をもたらしてくれました。もちろん「ひぐらしの記」を書くことで、わが能力の乏しさ、マイナス思考や愚痴こぼし、さらには生来の小器を存分に自認しました。しかしながらこれらは、賜った恩恵すなわち幹の太さに比べれば、小さな枝葉にすぎません。
 きょうの寝起きにあっては、心中にこんなことを浮かべていて、素直にそのことを書いています。秋の夜明けは今朝もまた、今にも雨が落ちそうな曇り空です。しかしながら願い叶えば、時を追って晴れ間が現れて、宵闇から夜間にかけては満天、輝く月光を仰いで、文字どおり「中秋の名月」を堪能したいものです。「ひぐらしの記」を書かなければ、こんな自然界の恩恵さえ忘却し、いたずらにそして無駄に、命を縮めているはずです。
 日頃、「ひぐらしの記」には呻吟しているにもかかわらず、表題は「ひぐらしの記、礼賛」と、するつもりです。オマケに、「中秋の名月」を添えるかもしれません。なぜなら、こんな殊勝な心模様になったのは、中秋の名月のおかげでもあるからです。

恥晒しの「起き立ての迷想」

 9月28日(木曜日)、今にも雨が降り出しそうな、曇天の夜明けが訪れている。夏の朝の爽やかさに比べて、このところの秋の朝は、曇り空多く名前負けの朝である。確かに、すっきりと晴れた、夜明けに恵まれていない。このぶんでは、明日の中秋の名月も雲に隠れて、危ぶまれるところである。
 「ひぐらしの記」は随筆集と銘打っているが実際には、とうに私日記に成り下がっている。このことでは、私は大法螺吹きの恥晒しである。もちろん、命題に恥じず随筆風に、気を入れて書きたい思いは山々である。しかし、起き立てに書く文章はままならず、もとよりそんな大それた芸当はできない。挙句にはもう書けない心境をたずさえて、パソコンを起ち上げている。わが切ない楽屋話である。
 これまでこんな心境の吐露、何度繰り返し書いてきたことだろう。まさしく、大恥の重ね塗り状態である。書けば継続文の足しにはなるという、独り善がりの思いがあるのであろう。もちろんこんな文章では、大沢さまの「前田さん、何でもいいから、書いてください」という、お言葉の範疇外である。心して、詫びたいところである。
 自分の文章が書けなければ、マスメディアの報じる配信ニュースを拝借していたときもあった。しかしながらそれも、今では面倒くさくなっている。それなに、出来立てほやほやの第88集には、「夢の100号、実現へ、再スタート」と、銘打っているである。なんだか空夢、丸出しで、これまた恥じ入るばかりである。夢を追って、こんな文章があと何年か続けば、自分自身うんざりである。確かに、早々に見切りをしたほうがわが身のためである。
 雨の降り出しを恐れて、連れ立って散歩を急ぐ、人の話し声が聞こえてくる。今の私は、両耳に集音器を嵌めて、キーを叩いている。ウグイス、セミ、山鳥の声は無く、一匹のリスが電線を這っている。おやおや、曇りの雲間から朝日が昇り始めている。中秋の名月を眺めて、気分直しを肖(あやか)るのは虫が良すぎだろうか。しかし気分直しは、自分自身では叶わず、満天の「お月さん」すがりである。

薄ノロ間抜けの文章

 9月27日(水曜日)、夜明けが遅くなり、未だに夜の佇まいです(4:58)。きのう(9月26日・火曜日)で、秋彼岸が明けました。いよいよ季節は、中秋から晩秋へ向かいます。つれて夜長は日々深まり、また寒気は加速度をつけていや増して行きます。秋彼岸を境にして肌身にあたる風は、すっかり冷たくなりました。この秋もまた私は、自然界現象(気象)に度肝を抜かれています。これにかかわる人間の知恵(暦・カレンダー)とて、まさしく驚異です。なぜなら、まったく嘘を吐くことなく、いやほぼ寸分たがわずに、自然界のめぐりを表しています。
 「暑さ寒さも彼岸まで」。確かに私は、この成句の真髄を痛切に感じています。秋彼岸に応じて、道端には彼岸花が咲いています。わが世の夏を惜しんで鳴き騒いでいたセミの声は、今やまったく途絶えています。おそらくどこかで、空蝉(うつせみ)の姿で樹木の小枝にはりついているのでしょう。きのう、茶の間にはキリギリス(ギメ)が飛び込んできました。ヤモリやムカデなら形相を変えて慌てふためく妻は、落ち着いた口調でこう言いました。
「パパ、殺しちゃダメよ。捕ったら、窓の外へ逃がしてよ」
「わかってるよ」
 私は利き手の右の手の平を広げて、パタッとキリギリスにかぶせ、一発で捕りました。そして、妻の言いつけどおりに玄関口へ向かい、ドアを開けて、玄関灯が光る宵闇に放しました。キリギリスは喜んで、飛び立ちました。
 ところがこの後、異変が起きました。ムカデが茶の間に闖入(ちんにゅう)し、茶の間は阿鼻叫喚に晒されました。ムカデは常置のスプレーを用いて、二人してやっとこさ殺しました。ネタのない文章は、尻切れトンボのままに結びます。きのうの文章の二番煎じを用いれば、ふるさとでは赤トンボが尻を揺らしてのどかに飛び交っているはずです。ふるさと便の柿と栗は、すでに食べ尽くしました。現在はふるさと産の新米の宅配を待っているところです。薄曇りの夜が明けました。

新しい入れ歯は、恐ろしい「恐竜型」

 9月26日(火曜日)、寝坊助に陥り、慌てて起き出して来ました。そのため、文章を書く心の余裕を失くしています。おそらく、尻切れトンボの結び文になること請け合いです。
 ふるさとの「内田川」の川岸、そして稲田や田園などには、赤とんぼが飛び交っているはずです。もはや、ふるさと帰りもままならず、心中に浮かぶ懐かしく、中秋の美しい情景です。
 きのうは、予約済の歯医者へ出向きました。通院始めから長い日が経って、今回で最後の通院となりました。きのうの通院にあっては、あらかじめ新しい入れ歯の出来上がりが伝えられていました。このことではいつもとは違って、私はうれしい心の膨らみをたずさえ、待合室のソファに腰を下ろしました。予約時間は午前十時、ほぼ十分前に待合室に着いていました。いつもの待合室は人影を見ないのに、きのうは二人が診察室から待合室へ出てこられました。私は保険証と診察券を添えて、受付の窓口へ置きました。すぐに、診察室のドアが開いて、お顔馴染みの若い女性の歯科衛生士さんが、「前田さん」と、呼ばれました。今や勝手知った診察室へ、それでも私は、神妙に導かれた診療椅子へ向かいました。三台ほど並んでいる診療椅子の二つは空いていてこのとき、診察室の患者は私だけでした。診察室特有の静まりに私は、緊張感をおぼえました。心して診療椅子に腰を下ろすと私は、いつもの習わしにしたがって、メガネ、マスク、そして片方だけ耳穴の集音器を外しました。集音器を片方だけにしたのは、先生のお話を聞くためと、一方では処置の邪魔にならないための私の配慮でした。傍らの紙コップで三度口すすぎを試み、主治医・男性先生の近づきを待ちました。まもなく先生が近づかれていよいよ、予定されている施療が始まりました。
「おはようございます。大世話様になります」
「きょうは、出来上がった入れ歯を入れます」
 先生はすぐに、そして五回ほど嵌めたり、抜いたりの作業を繰り返しされました。ようやく新しい入れ歯は、元の歯並びに馴染んで定着しました。この間、そしてこの後の私は、新たな入れ歯の形を見ることもなく、もちろん大きさなど知らずじまいでした。しかしながら違和感はなく、入れ歯の成功を感得していました。
 そして、今朝の洗面において初めて私は、入れ歯を指先で外し、手にしてじっと見ました。すると、新しい入れ歯は、ところどころがくびれて、両端には新たな入れ歯が林立し、まるで「恐竜の姿」を見るようでした。私は驚いて、パソコンを起ち上げ、この文章を書きました。30分間の程の書き殴り、そして予知の尻切れトンボの文章は、ここで結ぶ文になりました。
 窓ガラスを網戸へ変えると、風の冷たさが身に沁みています。夜明けの大空は、秋天高い日本晴れです。

「秋分の日」が去って、想う

 「秋分の日」(9月23日・土曜日)が去ってこの先は、「冬至」(12月22日)へ向かって、日に日に夜長を深めてゆく。もちろん寒気もまた、日ごとに強まりゆくこととなる。つれてわが日暮らしは、おのずからこれらに備える、臨戦態勢を強いられてくる。長い夜にあっては心理的に、寂寥感が弥増すこととなる。もとより秋の季節には、寂しさつのるところがある。ところが、長い夜にあっては、この寂しさが上増してくる。端的に言えば、物想う季節の深まりである。これに耐えるには、私は強靭な精神力を持たねばならない。
 秋分の日が去って現在、わが確かな心境である。「春夏秋冬」、季節は時々刻々とめぐる。もとよりそれには、抗(あらが)っても、叶わぬ抵抗である。そうであれば私は、日々「是れ、好日」を願うところである。深まりゆく秋には物思いと併せて、「読書の秋」という好機がある。ところが私の場合は、子どもの頃から灯火親しむ読書の習慣がない。今となっては、「後悔、先に立たず」である。確かに長い夜は、「ひぐらしの記」の執筆には有利である。しかしながら半面、ネタがなければ悶々とする長い夜となる。現在の私は、早やてまわしにこのことを恐れて怯えている。
 生来、私はつくづく損な性分である。「生と死」、もとより人間は、自分の意思で生まれ、自分の意思で死ぬ、ことはできない。言うなれば人生とは、ケ・セラ・セラである。だからこの先の長い夜には、できるだけこんな心境をたずさえて、臨みたいものである。秋分の日が去って、私は長い夜の過ごし方に、一考をめぐらしている。9月24日(日曜日)、夜明けてきのうの雨模様は止んで、のどかに中秋の朝日が昇り始めている。「中秋の名月」(9月29日)が近づいている。

秋分の日

 秋彼岸の中日「秋分の日」(9月23日・土曜日)、デジタル時刻は、5:14。とっくに夜明けていいはずなのに、未だに夜の佇まいである。夜明けが遅いのは、夜明けても朝日が雲隠れしているせいであろうか。実際にはいくらかまだ昼間の方が長いらしいけれど、彼岸の中日は、昼間と夜間の長さが同じと言われている。そして、この日を過ぎれば「冬至」(12月22日)へ向かって、しだいに夜間が長くなってくる。
 秋彼岸の中日・秋分の日に対応するのは、春彼岸の中日「春分の日」である。また、冬至に対応するのは「夏至」である。バカじゃなかろか私は、カレンダー上のわかりきったことを書いている。それでも、書きたくなる確かな季節の屈折点である。
 人間の日常生活は、「春夏秋冬」という季節のめぐりに一日さえ逸脱することなくめぐり、営まれている。そのため、明らかな季節の屈折点は、普段の生活に埋没させ、素通りできるものではない。言うなれば季節の屈折点は、人間の日常生活にメリハリをつけ、心模様の変化をもたらすのである。秋分の日であればこの先の夜長の先駆けであり、同時に人間に冬支度の心構えをもたらしてくる。寒気を極端に嫌うわが心身にすれば秋分の日は、早やてまわしに寒気に慄く入り口となる。しかしながら秋分の日前後は、一年の中で最も肌身に優しい好季節の真っただ中と言えそうである。秋分の日に比べて春分の日は、必ずしもそうとはならず、体験上よく、寒の戻りや小嵐に見舞われるところがある。春分の日に比べると秋分の日の気象の悪態は、悪天候の中でも小雨程度である。
 さて、きょうの秋分の日の夜明け模様はどうか? いくらか夜が明けてきた(5:32)。夜来の雨なく、今も雨は降っていないけれど、やがて雨が降りそうな曇天である。しかしながら、寝起きの心地良さは満点である。週末の土曜日に祝日が重なり、振替休日を一日損したと嘆く必要もないわが身は、心地良い秋分の日である。しかし、明日からの寒気の始まりには要注意である。一方、夜長の訪れには、気にすることはない。

バカ丸出し文

 9月22日(金曜日)。秋彼岸という好季節にあって、遅れてきた夏風邪をこじらせ、気分憂鬱の日が続いている。ほぼ毎年陥るとんだ失態である。自業自得、この上はない。加齢による身体の衰えは、まさしく「弱り目に祟り目」である。子どもの頃のカルタ遊びの読み札の一つを、こんなところで用いるのは、実践体験とはいえなさけない。知りすぎている「夏の寝冷え」現象に、大のおとなが毎年陥るようでは、はなはだバカ丸出しである。ファンとするタイガースが優勝し、いろんな冠の秋の訪れにあって、冒頭にこんな文章を書くようでは、確かにバカの上塗りであり、これまたとことんなさけない。
 今朝の自然界は、小雨模様の夜明けである。せっかくの好季節にあって自然界は、人間界に対しちょっぴりいたずらしている。しかしながら小雨模様は、自然界の草根木皮には潤いをもたらしている。窓ガラスを開けて見た、山の木々および木の葉、さらには空き家の空き地に残されている植栽の緑には、艶々と露がしたたり、生気がよみがえっている。そうであれば人間界は、秋晴れの朝日が昇るまで、いっときの我慢をし、同情心を持たなければならない。なぜなら、せっかくの好季節の秋は、人間界および自然界こぞって、共利共存でめぐりたいものである。
 憂鬱気分の文章はここで結んで、身勝手にも継続文の足しにするつもりである。頃は好し、明日は秋彼岸の中日、「秋分の日」(9月23日・土曜日」である。

切ない「卓球クラブ」

 きのう(9月20日・水曜日)は妻の骨折入院以来、長く休んでいた卓球クラブの練習に出向いた。出かけるときの私は、まるで浦島太郎みたいな気分だった。しかしながら、すぐに馴染んで気分は解れた。茶の間に居座って、妻とだけ向き合っているより、気分直しになることを実感した。このことでは半面、妻に対し、すまない心地になっていた。だから今度は、妻の場合卓球はできなくても仲間との語らいに、妻を引率同行しようと思った。もちろんこれは、私同様に妻の気分直しのためである。妻に対する、配偶者の無償の情けでもある。やはり人間は、他人様との出会いや会話の渦に巻き込まれてこそ、エネルギーが満ちて、気分は和んでくる。久しぶりのわが実体験による、尊い実感であった。
 妻もまた、卓球が好きである。しかし現在の妻は、卓球クラブはもとより外出行動がままならず、茶の間暮らしに明け暮れている。幸いにも妻は、茶の間でテレビ視聴が大好きである。ところが、これには会話がともなわない。会話がなければ、適当な言葉探しや、脳髄の緊張感ある働きは必要ない。これらのことから人間にとって緊張感は、生きるための必要悪だと、あらためて実感するところがある。すなわち人間は、のほほんと暮らせば、のほほんと老いるばかりである。その証しに通い詰めの常連の仲間たちはみな、明るく溌溂と生きていた。とりわけ女性連の元気良さは、男性連をはるかに凌いで、際立っていた。男性に比べて女性の平均寿命の長さを、如実に感じた一日だった。
 秋には、何かにつけて冠がつく。わがことで先陣を切ったのは、先日の「食欲の秋」だった。するときのうは、小さな「スポーツの秋」と、言えそうである。この先、いろんな冠の秋に出合えそうである。しかし、わが身には「芸術の秋」は無縁である。