ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
愛おしい、わが命
1月11日(木曜日)、夜明け間近にあって、私は生きている。眠気眼であっても、目覚めたことは善いことだ。私は、机上カレンダーをしばし眺めている。新年いや正月(1月)のカレンダーには、古来の催事や祭事、すなわち歳時(記)の添え書きが並んでいる。それゆえに、カレンダーを見るだけで心中は、にぎにぎしく和んでくる。正月にかぎり、おのずからカレンダーのもたらす和みである。実際のところきょうには、似たものの二つの歳時(記)が相並んで記されている。どちらも、新年の門出を祝う古来の習わしである。一つは「蔵開き」、そして一つは「鏡開き」である。長く生きているからどちらも、知りすぎている歳時(記)ではあるけれど、眠気覚ましに電子辞書を開いた。
【蔵開き】:「新年に吉日を選び、その年初めて蔵を開くこと。多くは1月11日とし、福神に供えた鏡餅で雑煮を作ったりする。倉は、ものをしまっておく建物の意で広く使い、蔵は大事なものを保管しておく建物で、日本式の土蔵に言うことが多い」。
【鏡開き】:「開きは割の忌み詞。①正月11日ごろ鏡餅を下げて、雑煮・汁粉にして食べる行事。近世武家では正月に、男は具足餅を、女は鏡台に供えた餅を、正月20日(のち11日)に割って食べたのに始まる。具足餅:戦国時代以後、正月に甲冑に供えた餅。②祝い事に酒樽の蓋を開くこと。鏡割り、鏡抜き」。
凡庸な頭脳の私は、知りすぎている事柄であっても、たえず生涯学習の範疇にある。この文章にあっては、これまでのことはどうでもいい付け足しにすぎない。なぜなら、正直なところ祝い事の気分にはまったくなれない。
現下、日本の国の世相は、年明け早々(元日)からただならぬ難事に見舞われて、けたたましい喧騒の渦の中にある。究極には人の命が絶たれたり、脅かされたりしている。実際、元日以来一旬(きのうの10日まで)、余震を含めて来る日も来る日も国民は、地震に怯える日が続いている。なかでも、「能登半島地震」がもたらしている災難現場の惨さは目に余る。行方不明者にともなう累増する死亡者数、ライフラインを断たれて、生き延びの恐怖におののく被災、避難の人たち、被災地はすべてが修羅場にある。新潟県ではかつての「新潟地震」の恐怖を髣髴する、震度5の地震が再び起きた。幸いにも被害状況はないけれど、かつての恐怖はぶり返している。
これらの天災に比べれば被災はかぎられるが、元田中角栄総理の旧宅は、火災で丸焼けになった。なんらかの(線香?)火の不始末と伝えられている。天災および人災ふりかかる中にあって、日航機と海自機にかかわる羽田空港の混乱(絶命と逃げ降り)もあった。有名人の病没(中村メイコ、八代亜紀ほかあまた)のニュースも絶えない。さらに、事故・事件などふりかかる災難は尽きることがない。
【命あっての物種】:「何事も命があって初めてできるものだ。死んでは何もできないから、命を大切にしなければいけないということ」。
不謹慎だけれど、やけにこんな成句がわが身に沁みる。それゆえ現在の私は、不断の「ピンピンコロリ」の願望は抑えている。なぜなら、生きているだけでも無限の僥倖であり、利得でもありはたまた美徳である。だから、わがケチなわが命でも、粗末にできない。
夜が白み始めている。まもなく、朝御飯にありつける。歳時(記)知らずの妻は、雑煮には縁なく、たぶん買い置きの「即席味噌汁」を添えるはずだ。それでも、生かされているから私は、妻にたいし「文句」は言わない。
中国、木村様からの航空便・年賀状
大陸と言おうか、異国と言おうか、ずばり中国からはるばる飛行機で、わが手に届いた葉書を眺めている。文面は何度も読み返している。葉書であるゆえに短い文章である。しかしながら、異国で書かれた文章はありがたく、かつ興味津々である。限られた狭いスペースには細字で、優しい人情が詰まり溢れ出ている。それは、中国で教師生活をされている木村様からいただいたお葉書である。本来、いただいたお葉書にははがきで、あるいは便箋に綴った封書や手紙などで返礼すべきこととは心得ている。それが可能なようにお葉書には、木村様の現住所が書かれている。それなのに私は、無礼にも今回もまた掲示板上に、短く葉書程度の返礼文を書いた。この無礼な行為に対して私は、心中にはかたじけない思いがいっぱいである。
掲示板上で書かざるを得なかったことには、こんな理由がある。わが人生83年間、私は航空便などまったく用無しに過ぎてきた。だから、生き恥晒しの上にさらに、私には無知ゆえの航空便に対する怖がりがある。端的に言えばそれは、書かれている住所あてに返礼文を書いても、届くかどうかの疑念だった。世の中では猫も杓子も、いや老若男女あげて、グローバル(地球規模)の往来が盛んである。それなのに私は、航空便にさえ恐れ慄いている。大きな恥晒しだけれど、確かなことだから隠すことなく晒している。一方では独り善がりに、掲示板上でも無礼でないかな? と、思うところがある。なぜなら木村様は、掲示板が恵んだ今や親しいご友人である。そのうえ友情は、一方的にいただくお便りで深まっている。これまでの私は、木村様との出会いはなく、掲示板を通して賜っているたなぼたのご友諠である。
私は物心つき始めのころの幼心さながらに、物珍しく中国からの航空便の外形を眺め尽くしている。はがき一枚とはいえ、未知の物を眺める好奇心が沸き立っている。心中では日本の官製はがきを浮かべている。ちなみに、手元にある日本の年賀はがきと重ねてみた。すると外形は、年賀はがきよりいくらか小形である。そして、紙質は硬めである。郵便マーク(〒)も郵便番号もある。書かれている数字は、〒330013の6桁である。鎌倉市の場合は〒247-0053の7桁で、日本とは桁数が異なっているにすぎない。5枚貼られている官製切手は、日本とまったく同形である。5枚の切手には、それぞれ1元と、印字されている。2023.12.23.15と、刻印されている数字の上には、丸印で黒く消印が押されている。切手は、中国郵政CHINA発行の中国の美景シリーズらしくて、「大陸」の風景が描かれている。最上部には赤インクで、航空信・日本・年賀と、記されている。木村様は、年賀状としてくださったのである。以下には木村様のお許しを得ることなく、文面の一部を原文のままにお借りいたします。「無事に前便が届いたことを嬉しく思います。きっとこのハガキが届く頃には、掲示板の記述も復活されていると、拝察している次第です。遠い異国の地で学生たちと学びながら、前田様の文章を拝見するのを楽しみにしておりますので。小生、こちらで年を越します。」
わが返礼のお便り:わが家に航空便が届いたのは、きのう(1月9日)です。木村様の励ましにあって、おりよく掲示板上には、長く途切れていた文章を再始動させています。異郷における疲れ癒しには程遠い雑文だけど、寸暇にお読みください。帰国を延ばされている日本は、元日から災難多く喧騒しています。元日には「能登半島地震」があり、きのうは新潟市で震度5の地震がありました。元田中角栄総理の旧邸が火災で、丸焼けになりました。わがふるさと県・熊本の華、歌手八代亜紀さんが急逝されました。異国・中国における木村様のご健勝を祈念いたします。敬具
ああ、人間!
元日に起きた「能登半島地震」(石川県を中心に多大の被災)の惨状はあまりにも酷すぎて、日本国民の悲しみは極限状態にある。悲しみの癒えるめどは、未だにまったく無い。無情にも時は悲しみを置き去りにして、日々春へ向かって移りゆく。震災現場にはときには雪がちらつき、また、北陸特有の日本海のもたらす寒気が襲っている。テレビが映し出す惨状を観るだけでもこの光景には、万物の霊長と崇められるゆえの、人間の悲しさとつらさが付き纏う。それなのに、被災の人たちへの支援は、遅遅として進まない。これまた、人間ゆえの限界であろうか。特にわが身は、犬の遠吠えのごとくに何らの役立たずで、無事を祈るしか能はない。ただただ、悲しく、わが身が哀れである。
ところが私は、まるでこんな心境が嘘ごとのように、能天気に文章を書き始めている。きのうの「成人の日」を含む三連休が明けて、多くの人たちはきょう(1月9日・火曜日)あたりが、新年の仕事始めであろう。なぜなら私の場合も、実際のところはきょうを初日にして、新年の日常生活が動いて行くこととなる。現在の私は、職業はもとよりささやかな社会活動(ボランティア)さえ無縁にある。やることは唯一、この先を生きるための活動だけである。これに加えて望むことは、叶わぬことと知りながらも、無病息災の日暮らしである。
卓球クラブが存在する「今泉さわやかセンター(鎌倉市)」内には、新年にあって七夕飾りを真似て、短冊が下がっていた。その下には無地の短冊や小筆が置かれ、こう書かれていた。「新年にあって、あなたの望むことを自由に書いて、吊るしてください」。吊るされていた短冊の多くには、ずばり「この一年が、健康でありますように……」とか、あるいはこれに類する語句や言葉が書かれていた。私はもっとズバリに、「今年中には死なないように……」と、書いて吊るした。実際に浮かべていたのは、「ことしもタイガースが優勝してほしい……」というものだった。けれど、センター内にはジャイアンツファンが多いゆえに、これはわが心中だけに吊るし、あえて健康を望むみんなの仲間入りをした。
きのうの成人の日は、麗らかな春日和だった。思いだったが吉日、私は鶴岡八幡宮行き(6日)をこの日、再び敢行した。私はあてにならない神頼みに硬貨(10円)を投げ入れて、二度も願う馬鹿ではない。実際のところは正月三が日におけるカタツムリのように動きのない生活、さらには七草粥も無縁に過ぎたことによる、戒めの散歩代わりだった。
鶴岡八幡宮までたどったコースは変えた。6日の場合は、車および人の行き交う王道の鎌倉街道を歩いた。ところがきのうは、山中道の「天薗ハイキングコース」の一部を下った。久しぶりに踏んだ山中道は、想定外に荒れていてとことん難渋した。しかし、歩く老身に降りかかる暖かい木漏れ日は、こよなく老心を癒した。山中道は近道でもあり、鎌倉街道行に比べれば、歩数と距離を三分の一ほど縮めてくれる。安きに身を置いて、身体解しの目的からはかなり外れて、かなり損をした気分だった。
ところが、境内へたどり着くとたちまち、損な気分は十分取り返された。私は、「牛タン」の幟はためく屋台前に立ち並び、700円を前渡し、焼き立てほやほやの牛タン串(大玉の6連)をもらい、日陰を避け日向を選んで頬張った。突っ立て、食べながら参道を眺めていた。わが目は、綺麗な日本髪と和服姿の二様を捉えていた。一つは、お父さんとお母さんの手に繋いだ「七五三参り」の姿の七歳くらいの女の子だった。一つは、なり立ての新成人(20歳)の初々しい晴れ姿だった。
きょうの文章は、きわめて不謹慎だったのかもしれない。だから私は、「能登半島地震」の余震の鎮静と、被災地の早い復旧、さらには被災者の安寧を願っている。もちろん死者には、哀悼の黙祷を捧げている。始動はじめたわが日常生活にあってきょうあすは、病院通いの連チャンである。鎌倉地方の日本晴れが切ない。
成人の日
令和6年(2024年)の「成人の日」(1月8日・月曜日、祝祭日」が訪れている。成人の日を最終日とする三連休の終い日でもある。今さらではあるけれど、成人の日にちなんで、1年前の旧聞を紐解いている。令和5年(2023年)以降の成人式の開催について:令和4年(2022年)4月1日から、成年年齢を20歳から18歳に引き下げる民法の一部を改正する法律が施行されました。鎌倉市は、これまで毎年1月に成人を迎える方の門出を祝う「成人のつどい」を開催していましたが、成年年齢引き下げ後も、20歳を迎える方を対象にします。なお、式典の名称を「成人のつどい」から「二十歳のつどい」に変更します。都道府県の各自治体の施行もおおむね、似たり寄ったりであろう。
人生行路は命の誕生から最期まで、すなわち生涯の時の刻みである。実際には年齢を加え、数えながら歩みゆく。そのために、歩みの節々には簡単明瞭に何何歳代という「年代」が用いられている。18歳、20歳。確かに、自分にもあったけれど、今や遠い彼方の夢まぼろしである。
ゴボウは、末に向かってだんだん細くなる。玉ねぎは、皮を剥くたびに小さくなる。私は、図体は変わらずも、命は縮んでゆく。それでも私は、83歳まで生き長らえている。ああ、よかった。夜明けの空は、満天の日本晴れである。
七草(粥)
懸念していた三日坊主を克服して、再始動のちの4日目の文章を、何とか書き出している。しかしながら、継続の要因をなす「惰性」がよみがえるかどうかは、未だ夢の中である。それでも、三日坊主を克服し現在の気分は安らかである。
新年(令和6年・2024年)も早や、一週間(7日目)になる。机上カレンダーに目を遣ると、きょう(1月7日・日曜日)は、「七草」と記されている。七草だけではわかりにくいところがある。だから、健康を願う人には、「七草粥」の表示こそ適当であろう。七草には春・秋がある。ところが、新年の初っ端で、かつお節料理の食べ過ぎを厭うせいもあってか古来、「春の七草(粥)」こそ人口に膾炙して、世の中にしきたりを馳せている。そしておのずから、春・秋の七草と呼ばれる雑草や草花そして根菜(生物・食べ物)もいくらか異なっている。
ちなみに、春の七草を成すものは、芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)である。一方、秋の七草を成すものは記憶が薄く、電子辞書を開いて記してみる。萩(ハギ)、薄(ススキ)、女郎花(オミナエシ)、尾花(オバナ)、葛(クズ)、藤袴(フジバカマ)、桔梗(キキョウ)である。何はともあれ、いにしえを偲び、健康な体を願う、おまじないさながらの歳時(記)の一つであろう。それでも今昔共に日本の国には、食感など抜きにして、「七草粥」を食べる風習がある。すると、きょうの「七草」に合わせてスーパーは、売らんかな! の商魂が気勢を上げる。一方客は釣られて、幼児のままごと遊びみたいな「セット物」を買って行く。体に良いとなれば、共に罪ない日本の国の習わしであろう。ただ、わが家の場合は、きょうはひねた「おせち料理」の残り物の食い納めになりそうである。
あすは「成人の日」(1月8日・月曜日、祝祭日)。三連休の中日にあって振り返るのは、元日からきのう(1月6日・土曜日)までのわが暮らしぶりである。1日:娘たちと妻の里の義姉夫婦の来訪にあって、7人寄り合っての食事会。2日と3日:「箱根駅伝」のテレビ観戦。4日:文章初め。5日:鶴岡八幡宮への単独行。6日:妻をともなっての卓球クラブの初打ち。そしてきょうの7日:三日坊主の克服なる。まあまあ、年齢相応の無難な滑り出しである。
しかし、好事魔多し。三連休が明ければその週には、予約済の通院日がふつかある。このことを鑑みれば妻は突如、「パパ。きょうは七草粥を食べる日なのよ。売り切れると困るわよ。早く「西友ストア」へ行って、セット物を買って来てよ!」と、言うかもしれない。困ったものだ。私は七草粥にかぎらずすべてのお粥御飯は、「ニュチャニュチャ」、病人食みたいで大嫌いである。どんなに味付けを凝らしても、わが舌触りの気味悪さは変わりない。挙句、「お粥御飯」を食べるぐらいなら、死んだほうが「おおまし」である。妻の言葉しだいでは、かなり気が揉めるきょうの「七草」である。
1月のカレンダーには来る日も来る日も、歳時の頭に「初」の字が付き、そして文字どおり脱兎のごとく逃げ去って行く。人生の晩年を生きる私には、つらい歳月の早回りである。夜明けは、日に日に早くなり始めている。三日坊主は、どうやら免れました。
現在は最後尾、15両目
遡上して来た生来の怠け心を断つため、継続の当てはなくも意を決して、書き始めた文章は3日目を迎えている。きょう限りであすへ繋がらなければ、文字どおり三日坊主の汚名がよみがえる。もちろん、この汚れは撥ね退けたい。しかしながら、三日坊主と意志薄弱は共に抱き合って、とうとうこれまで修復できずじまいになって来たわが悪癖である。これらのことを思えばあすのことであっても、不安はいや増すばかりである。確かに、あすのことはわからない。だけど、きょうのことだけはわかる。何がなんでも、何でもいいから、きょうは書かなければならない。こう、自分自身に誓っての、パソコンの起ち上げである。
こんなことでは用意周到の題材などあるはずはなく、端から文章の出来など望めない。書き殴りでどうにか文尾までたどり着けば万々歳、わが誓いと決意に適うことになる。ただ、夜明けも近くなり、朝飯の準備も迫っている。殴り書きに加え走り書きとはいえ、ただただ焦燥感がいや増している。
人生行路を手近なもので模すとすればそれは、車両繋ぎの汽車、列車、電車が適当である。私の場合、完全なるふるさと巣立ちの上京は、大学入試の合格を得て、新たな決意を固めてわが家の門口を離れた、昭和34年(1959年)の3月のある日だった。今は亡き長兄に、「熊本駅あるいは上熊本駅」で見送られて私は、暮れなずむ夕方、当時の国鉄・東京行き夜行寝台急行列車へ乗った。互いは別れの手を振り合い、双方の体が見えなくなるまで、あふれ出るままに涙を流した。
乗車した汽車は、熊本駅始発の東京行き「急行阿蘇号」か、もしくは西鹿児島駅始発の東京行き「きりしま号」だった。ただ、どちらだったという、記憶はない。5時近くの発車のベルに急かされた汽車は、明くる日の午前11時近くに、東京駅のプラットホームに滑り込んだ。ふるさとからの巣立ちは、はるかな長旅であった。このときの私に、日記を書くことや、メモを取る習慣でもあればと、今になってとことん悔やまれるところである。
白煙いや黒煙をたなびかせる機関車が、後方にいくつの車両を繋いでいたかも、知らないままである。もちろん、わが車両番号(先頭から何両目)など、記憶にあるはずもない。東京へ向かって次々に駅名が現れては、また新たな駅名に出合った。いやおうない、わが生涯果てまでの未知の旅だった。夕方の日のあるうち、明けて朝日が輝きを増すなかにあって、私は流れてゆく車窓の風景をじっと見つめていた。夜行寝台急行列車は、このときが乗り収めであった。
わが東京行き通勤電車は、「JR北鎌倉駅」で乗車の「JR横須賀線」だった。今や、記憶遠のく過去物語である。当時の横須賀線の車両編成は、現在と変わらず15の車両を繋いでいる。この中で毎朝私は、ほぼ決まって同じ番号の車両に乗っていた。しかしながらそれが、何両目だったかの記憶はない。
冒頭に返れば人生行路は、汽車、列車、電車などに模せられる。ところが明確に違うのは、こうである。すなわち、人生行路の車両は、選びようない最後尾の15両目である。視覚はメガネ(近眼・老眼ダブル修正)、聴覚は安価な集音器では飽き足らず、旧年末に高価な補聴器へ買い換えている(50万円弱)。頭脳、知力は、日々劣化を極め行く。挙句、肝心要の命は、プラットホーム間近である。
夜明け前の「迷い言」
もはや、恥も外聞もない。短く、ガラクタでもいい。もちろん、雑文と罵られても構わない。ちょっとだけでも、文章を書こう。それでも、大きな前進である。こういう心境できのうの私は、文章を書いた。旧年の十月二十五日の文章を書き止めにして、新年の正月三日までの間、私は文章書きの沙汰止みを続けていた。言葉を用いればまさしく、頓挫、挫折の憂き目をこうむっていた。この間の私は、三度の食事はもとよりきっちりと食べ、加えて間食には駄菓子を鱈腹食べるだけの、「生きる屍」状態に陥っていた。わが魂は病みを超えて、まさしく惻惻状態にあった。しかし一方まだ、これではまずいという、一縷の魂の滴は悶々として残っていた。僅かにこれだけが、まだ生きている証しだったのである。
きのうは新年の「仕事始め」の日でもあり、さらには新年の挨拶がわりに書き易いこともあった。それゆえにこのことを幸いにして私は、わが萎えていた心身に鞭打ち、文章を書いてみようと決意した。ところがそれは、あからさまに学童の頃の「綴り方教室」の心境に似ていて、心中には覚束なさが充満していた。一方で、書き終えた気分はさわやかだった。なぜなら、止まっていた文章が書けたからである。頓挫、挫折中の私は、まったく文章が書けなかった。いや、まったく書く気にならなかった。だから、書いたことだけは前に言う「大きな前進」であったのである。
私の文章書きは常々、惰性に乗っかっている。言うなれば惰性こそ、わが文章書きの助け、救い神である。無理矢理わが意を添えれば、私の場合の「惰性」とは、いま世間に持て囃されている「ルーチン(routine)」と、似ているところがある。スマホの語句調べにさずかり、ルーチンを覗いてみた。「ルーチン:習慣的・定型的な手続きや仕事のこと。日課。定常処理」。つまり、わが文章書きはルーチンとは言えず、なり得ず、似て非なるいたずら書きの惰性にすぎない。ところが私は、惰性にすがっている。しかしながら、こんな文章を何日か書き続けているうちに、ルーチンまではならずとも、かつての惰性が蘇れば儲けものである。ただ、恐れることには私は、生来の怠け者、三日坊主である。だから私には、惰性さえ定着の望みはない。二か月余の空白は、その確かな証しだった。
書き殴りに甘んじていまだに私は、早くなりはじめている夜明け前の暗闇の中にある。(4:37)。
新春
明けましておめでとうございます。時は移り、新年(令和6年・2024年)も早や三が日が過ぎて、四日の朝を迎えています。机上カレンダーには、昔名残の官尊民卑を留めるがごとく、「官庁御用納め」と、記されています。この表現が変わらないかぎり日本の国は未来永劫、変わらないでしょう。
目下の官、とりわけ政治(家)の舵取りは、崇めるには程遠いものがあります。日本の国は正月早々、能登半島沖地震をはじめ、羽田空港の混乱、北九州市のある繁華街の火災に見舞われています。すなわち、新年の日本の国は、予期しない多難な門出です。官、政治(家)の鼎の軽重が問われるスタートです。
さて、私の近況は身体健康、精神(力)不健康状態にあります。今さら振り返るだけでも忌々しいことですが、文章は昨年の十月末あたりから頓挫しています。このことにかかわり吐露すれば、生来の怠け心がぶり返し、「書かない安楽」を貪り続けています。もっと率直に言えば日々の惰性が頓挫し、挙句以降、文章は沙汰止みに陥っています。そしてもはや、立ち直り、再始動がおぼつかない心境に苛まれています。再び言えば、心身が書くプレッシャー逃れに陥り、安楽に堕しています。もちろん、焦燥感に脅かされて、みずからわが精神(力)を鼓舞続けています。ところが、一向に奮い立ちません。それゆえに、再始動へのいくらかのカンフル剤になればと、恥を晒してこの文章を書いています。俗にいう、悪あがき状態です。各位様の新年の門出を汚して、心中よりお詫びいたします。母校の「箱根駅伝」は惨敗でした。
投稿ボタン、押します
10月25日(水曜日)。私日記風に書けば寒気の和らいだ、のどかな晩秋の夜明けが訪れています。きのう、気象庁は、この先三か月の気象予報を伝えました。それによれば11月、12月、そして明けて1月は、気温は高めと報じていました。それを伝える気象予報士は、その上にさらに、「暖かい冬になりそうです」と、言葉を重ねました。寒気を極端に嫌うわが気分は、もちろん不確かな予報にもかかわらず、早々と安らぎました。
このところの私は、身体は異状なくも、一方で精神力(気力)がともなわなくて、文章はずる休みを続けました。単刀直入に言えば、惰性で書き続けている文章なのに、肝心要の惰性が絶たれた挙句、ずる休みの安念を貪っていました。そしてもうおそらく、このまま文章は書けまい、いや書くまい決意に陥っていました。これまた率直に言えば、もはや書き尽くした気分横溢に見舞われていました。きょうはこの気分を振り切り、パソコンを起ち上げました。ところがやはり、なさけなくもこんな文章しか書けない、ていたらく状態です。 だからこの文章は、これで打ち切りです。幸いにも身体に異状はなく、気力の回復を願っています。換言すればその手立ては、「自己発奮」にすがるよりすべはありません。ところがそれは、極めて困難です。
ふるさと便ではすでに、今年度産新米(30キロ)が届いています。甥っ子の人情は、途絶えることなく続いています。大船(鎌倉市)の街へ買い物に出掛ければ、大好物の秋の果物がどこかしこに盛りだくさん並んでいます。今週末(10月28日・土曜日)からは、阪神タイガースの日本シリーズにおけるテレビ観戦にありつけます。このところは、晩秋の秋晴れも続いています。こんな好いめぐりあわせにあっても、こんな文章しか書けない自分自身にたいし、腹立たしさをおぼえています。恥を晒してまでも、せっかく書いた文章だから、投稿ボタンを押します。なんだかなあー…。季節は、正常にめぐっています。
タイガースが恵んだ、棚ぼたの日暮らし
10月18日(水曜日)。寝坊助をこうむり時間なく、焦燥感に駆られています。今朝もまた夜明けから、胸の透く晩秋の日本晴れです。このところの秋は、季節どおりにめぐっています。心身がワクワクする、何物にも勝るプレゼントです。慌ててきょうは、このことだけを記します。
わがファンとする阪神タイガースは、今夕六時からフランチャイズ・甲子園球場で、クライマックスシリーズ・ファイナルステージの6連戦を戦います。迎えて対戦するチームは、ファーストステージで横浜ベイスターズを下した広島カープです。カープに先に3勝すれば晴れてタイガースは、セントラルリーグの覇者として、日本シリーズへ臨みます。日本シリーズを戦うパシフィックリーグの覇者もまだ決まらず、対戦相手はこの先の千葉ロッテマリーンズ対オリックスバファローズの勝者となります。
こんな文章を書いて、恥を晒しました。身勝手に、継続文の穴埋めとして記しました。このところの晩秋の日本晴れの定着にあって、わが気分はすこぶる爽快です。その証しの文章です。かたじけなく、心して詫びます。