ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
七夕
7月7日(金曜日)、寝床で目覚めたままに夜が更けて、淡い夜明けが訪れている。もとより、疲れを癒すはずの寝床にあって、逆に疲労困憊を極めている。挙句、寝不足に陥り、気鬱症状と朦朧頭のコラボレーション(抱き合わせ)状態にある。人生晩年における、つらくて、悲しいわが営みである。こんなこと、私日記なら臆せず気楽に書ける。しかし、ブログでは恥をさらけ出し、呻吟しながら書いている。まさしく、文章を書くわが身の祟りである。文章は楽しく書けば、おのずから明るい文章になる。ゆえに、気乗りのしない文章は書くべきでないと、常に自戒するところはある。それでもパソコンを起ち上げるのは、継続の途絶えを恐れるわが身の浅ましさである。
淡い夜明けだったけれど、本格的に太陽が目覚めて、幸いなるかな? 光を強めている。このぶんなら、七夕の夜にあって彦星様と織姫様は、天の川を挟んで一年ぶりの逢瀬が楽しめそうである。
翻って人の世は、明けても暮れてもセクハラや不倫報道ばかりが旺盛である。ひとしきり、天上の一途な恋模様に横恋慕をすれば、わが気鬱症状は癒されるかもしれない。近くに七夕飾りがあれば、一つにかぎらずいくつかの短冊に、それでも書き足りないほどの願い事を書きそうである。短冊に代えてここで書けば、願い事は叶わぬままに、人様の嘲笑を買うだけになりそうである。にっちもさっちもいかない、七夕のわが暮らしである。
雨の梅雨空
7月6日(木曜日)、パソコンを起ち上げてしばし、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラスを通して、大空模様を眺めている。模様と表現することもない、一点の曇り空から雨が降りしきるだけである。あえて模様と表現するには、単一の空模様ではなく、錯綜する心模様が適当である。なぜなら、心模様には様々なものが浮かんでくる。主に九州地方の豪雨惨禍で、梅雨明けかな? と、思えていた。ところが、自然界はこれだけでは物足らず、さらにはどこかに災害をもたらしたのち、梅雨は明けるのであろうか。
あれ、雨をかぶりながら、電線に一羽の小鳥が飛んで来た。羽を振るわせ雨を落とすと、すぐにどこかへ飛んで行った。名を知らぬ小鳥は、慣れているはずなのに梅雨空に、戸惑っているのであろう。突然、見たままのことを書いてしまった。
雨の梅雨空を眺めながら私が浮かべていたのは、望郷につのるこの時期のふるさと光景だったのである。実際には子どもの頃のこの時期に、しょっちゅう眺めていた大空が髣髴していたのである。ありえないけれどもし仮に、眺めている大空の下、水田があれば当時のこの時期の、ふるさと光景の丸写しに思えている。戸口元に掛かる蓑笠を着けて、田んぼ回りをする老いた父の面影が浮かんだ。眺めている雨の梅雨空は、鬱陶しさを撥ね退けて、なんだか心が和む光景である。
雨にはそよ風が混じり、空き家に残された高木をユラユラ揺らしている。こちらは、やがてわが身に訪れる切ない光景である。雨の梅雨空にあって、心模様は尽きないけれど、尻切れトンボにこれで指止めである。それでも、恥じ入ることもなく、かまわない。なぜなら、ネタなく休むつもりだった、いたずら書きの番外編だからである。パソコンを閉じても、雨の梅雨空を眺め続けるであろう。望郷にかぎりはない。
弱音の朝
7月5日(水曜日)、デジタル時刻4:30、未だ明けきれない曇り空の朝が訪れています。大空を見るかぎり気象庁の梅雨明け宣言は、きょうにはなさそうです。NHKニュースで、日本列島各地における豪雨惨禍や竜巻被害を見遣れば、弱音は罰当たりと言えそうです。しかしながら私は、弱音に取りつかれています。弱音は生きることの根源を成す、日常生活における疲れです。きょうの文章は文章とは言えなくも閉じれば、朝駆けにする作業が待ち受けています。大袈裟好きの私は、文字どおり大袈裟に書きました。なぜなら、たった数分間の作業にすぎません。すなわちそれは、先日剪定作業を終えて、きょうのゴミ出しに備えている、束ねた物をごみ置き場へ運ぶだけのことです。それでも焦るのは、このてのゴミ出しは、週一の水曜日だけに限られているせいです。これが済めば道路を掃いて、なおそののちは、朝のうちに庭中の夏草取りをするつもりです。ところが、たったこれだけのことが億劫になり、弱音の根源を成しています。それゆえ、この先のさらなる老い身を思えば、生きることの苦しみがのしかかっています。現在、4:45、薄い夜明けが訪れています。指先を留めて、パソコンを閉じます。
書き殴りの、あえて妙
7月4日(火曜日)、未だ夜更けの延長線上の夜明け前にあり、窓の外は暗闇である。静かな部屋の中にあって私は生きて、パソコンを起ち上げている。「雉も鳴かずば撃たれまい」。この成句に倣って私は、文章を書かなければ大衆にたいし、愚痴を晒すこともない。一方、愚痴こぼしは、文章継続のネタになっている。すなわち、文章を書かなければ愚痴こぼしは免れる。けれど、愚痴こぼしを厭(いと)ってはたちまち、ネタ探しに混迷することとなる。確かに、愚痴こぼしはわが身を助けている。そして今や、パソコンは唯一のわが愚痴こぼしの相手でもある。文章を読んでくださる人は少ないけれど、読んでくださる人には不快な思いをさせて、平に謝るしかない。
さて、人生晩年とそのつらさの証しは、年年歳歳、対話する人の数が減少してゆくに尽きるところがある。対話こそ、知恵ある人間の証しである。対話が無くなればもはや孤立無援、すなわち人間は「生きる屍(しかばね)」同然に等しいものがある。確かに人間は、文明の利器の進歩により対話に代わるものとして、電話をはじめとするあらゆるデジタル通信による交流手段を有している。それでもやはり、対話こそ、それらに勝る人間本能の優れものである。いや、対話こそ、万能の人間のみが具(そな)える飛びっきりの肉声である。
その証しは多々あるけれど、中でもその一つには、道路の掃除どきにおける互いの対話、すなわち挨拶言葉がある。時に応じて短く交わす、「おはようございます」あるいは「こんにちは」の肉声の交換(交歓)には、どちらにも心和むものがある。私は時流に逆らうかのようにまるで、ダボハゼのごとくに対話を欲しがっている。たとえそれが自分勝手、相手迷惑の一方通行であっても、私には無言のままではおれないものがある。いや確かにそれは、味気ない自分自身のためではある。そのため、買い物のレジを通るにあっての私は、一声かけは欠かせない。実際のところ対話はともかく、対面するところと言えば、道路の掃除のおりの通りすがりの散歩の人たち、そして買い物のおりのレジ係の人だけになりがちである。いわゆるこれらの人たちは、わが生存の価値(甲斐)を助けてくださっている大切な人たちである。それゆえに、たとえ一方通行であっても、これらの人たちへの一声かけは、わが気の済むお礼返しでもある。翻って妻との会話は、こんな純粋な気分にはなれず、多くは棘(トゲ)を含んでいる。
人生晩年の確かな証しは、対話の減少である。対話であれば相手の言葉が挟まり、そう愚痴こぼしもできない。しかし、文章では愚痴の垂れ流し、留まるところがない。挙句、愚痴こぼしは継続文のネタを担っていると、負け惜しみをほざくありさまである。書き殴りはいいなあー、でたらめを書いて、文章が埋められる。しかし、気分が晴れることはない。気分が晴れるのは、心地良い対話だけである。
雨の夜明けが訪れて、まだデジタル時刻は5:04である。道路上の今朝の会話は、お預けである。きょうの私には昼間、買い物の予定がある。レジ係人との出会いは楽しみである。相手が、知ったこっちゃない。
継続文の足しになればいい
7月3日(月曜日)、きのうとほぼ同時間に目覚めて起き出し、パソコンを起ち上げている(午前4時前)。しかし、心模様はきのうとはまったく異なり、のんびりタラタラとキーを叩いている。きのうの心模様は、薄い夜明けを待ってのアジサイの剪定作業のことばかりだった。そしてきのうは、予定の行動どおりにそれを実行した。道路に切り落したアジサイの枝葉は、朝食を挟んで12時頃に束ね終わり、週一・5日(水曜日)のゴミ出しに備えている。気に懸かっていたことを終えて現在の私は、気分晴れ晴れである。通りがかりの散歩の人は、ほぼ一人も欠けず、心癒しの言葉をかけてくださった。言葉一つで疲れが緩み癒されるのは、言葉をかける人の知恵であり、癒される者の特権であろう。
ここまで書いても、何らネタが浮かんでこない。能無し野郎にとって継続とは、やはり負荷された重荷である。だから、何でもいいから書いてみよう。子どもの頃から、わが食感に馴染んできたおふくろの味は数々ある。これらの中で、筆頭の位置にあるものは「きんぴらごぼう」である。きんぴらごぼうは、スーパーや総菜店にあっては、どこかしこ定番の一つを成している。すなわち、だれもが好む表れである。もちろん、わが買い物における定番でもある。ところが、どこのお店で買っても出来合いのきんぴらごぼうは、おふくろの味からしたら、序の口にもなれないままである。いや、おふくろの味をいや増す、おふくろの味の引き立て役に甘んじている。夫婦共に、きんぴらごぼうにはおふくろの味があるせいか、妻はきんぴらごぼうをよく作る。妻にもまた、おふくろの味があるのであろう。もちろん、それはそれでいい。無理にわがおふくろの味に合わせることを私は、野暮に強要することもない。
ところが、きのうのきんぴらごぼうの出来栄えは、わがおふくろの味に近いものだった。私にも夫婦円満を願う知恵はある。
「きょうのきんぴらごぼうは旨いねー。子ども頃に食べていたきんぴらごぼうのようだよ。笹型割き、ピリ辛(唐辛子)、最高に旨いね。おふくろの味達成だ! ありがとう」
こんな文章を書いていたら、夜明けて5時過ぎ。この頃、きのうは勇んで剪定作業に取り掛かっていた。指先を休めて窓際に立ち、剪定作業を終えたところを眺めている。朝駆けの散歩めぐりの人は、アジサイの終わりと夏の訪れに気づいてくれるであろうか。きんぴらごぼうのおふくろの味に味を占め、またアジサイの剪定作業を終えて、わが気分はすこぶるつきに良好である。きょうあたり、梅雨明けかな。薄明りを破り、夏の朝日がぎらぎらと輝き始めている(5時過ぎ)。継続文の足しになればいい。
気狂い者の時
7月2日(日曜日)、起きて現在は4時前です。わが性癖は悪癖に置き換えて、根っからのマイナス思考と怠け者です。これらに加えて最たるものは、優柔不断な意志薄弱と、物事に厭きる三日坊主です。性癖とは異なり、人間の並みの能力から劣るのは数多あり、もちろん数えることはできません。あえてバカ丸出しに書いているのは、卑近なところでこんなことがあるからです。何日か試みた昼間書きは定着せず、元の木阿弥になり、また朝書きに戻りつつあります。するとたちまち、朝書きの支障に遭遇しています。
今朝の私には、一つの企てがあります。それはできれば夜明けてすぐから、道路脇・山の法面のアジサイを剪定することです。すると現在は夜明け前にあり、企ての夜明けが近づいています。それゆえ、この企てを実行すればこの先の文章は書けません。今朝は、明確な朝書きの支障です。そのうえ、朝書きに付き纏う書き殴りです。昼間書きの定着の外れは、自分自身、悔やんでも悔やみきれません。書かなければ恥を晒すこともないことを殴り書いて、剪定作業へ向かいます。ただ現在の時刻は、薄い夜明けの4時半頃です。言わば「気狂い者の時」です。それでも気に懸かることですから、準備と剪定作業行動をはじめます。まだ早く、ウグイスのエールにすがることはできません。いや、鳴き出せばウグイスは、子どもの頃のリベンジに、「おまえは、大バカ者」と蔑み、せせら笑いを奏でるかもしれません。それでも、仕方ないです。薄々、夜が明けました(4時46分)。
「綴り方教室」小さな幸せ
7月1日(土曜日)、真夜中に起きてきのうの夜とは異なり、寝たり起きたりを繰り返し、確かな息遣いで生きています。抜歯の後の出血はきのうの夕方頃には止まり、三日分の痛み止めを服みはじめていたせいか、痛みも和らいでいました。そのせいでわが生きる活動(生活)は、少しずつ変わり(好転)はじめていました。もちろんいまだに、心地良いとか快適とかとは程遠いものの、それでも生きる喜びすなわち幸福感が戻りはじめていました。いやこのことは世の中の人と比べて、無理矢理にでもそう思ったのです。
この頃の世間では有名人そして無名人、共に分け隔てなく、生きることの苦しみに喘ぐ、ニュースが頻繁に起きています。みんな、悲しみに纏わりつかれて生きています。私は、このことを浮かべていたのです。夕べの就寝時には豪雨ニュースに耐えきれず、私はふるさとの亡き長姉と長兄の長男(後継者・甥)へ、雨と内田川の増水状況を尋ねました。二人の甥は異口同音に、ふるさと模様をこう伝えました。
「これまでのところ雨は、降ったり止んだりで、今のところは大丈夫です。川の水はいみっているばってん、まだ大したことはないです。ただ、避難指示は出ています。雨は今夜、この先が大雨になるそうです。だから、それを心配しています」
夕御飯のおりには出血の止まりに喜び私は、我慢していた御飯を茶碗に小盛りで食べました。御数は、大好きな旬の夏野菜三品の揃い踏みでした。トマトは、輪切りに食卓塩をばら撒きました。ナスは、妻にせがんでナスのしぎ焼きを食べました。キュウリは、子どもの頃から食べつけているおふくろの味、「キュウリ揉み」(味噌和え)をこれまた妻にねだり、食べました。大好きな料理? で、私には幸福感がいや増しました。
テーブルを挟んで相向かいのソファに座る妻は、こう言いました。
「パパ、まだ夕御飯には早いわよ。パパ、まだ食べちゃだめよ。わたし、まだ食べたくないわ」
妻は全部の20個が済むまで、ひたすら「ゴキブリホイホイ」を組み立てていました。
児童の頃の「綴り方教室」を真似て、書きました。書き終えて、「小さな幸せ」と、題を付けました。
6月最終日の朝の訪れ
6月30日(金曜日)、6月最終日は一晩中、うろうろしています。きのうの関東地方は、梅雨明けに留まらず、すでに夏本番を思わせる暑い日になりました。ヨタヨタヨロヨロと、のろく歩くだけで汗だくになりました。予約と予告に従い、私は気分をふさいだままに掛かりつけの歯医者へ行きました。午後2時半予約の診察室は、他の患者なく今にも自分に絞首刑が断行されるかのように、ひっそり閑としていました。私は、死に行く面持ちで覚悟を決めました。集音機を外したわが難聴の耳に主治医は、優しさのあらわれなのか? 意図して大声で、施療の事前説明を丁寧にされました。ここでじたばたしたら、82年の年の功・年季が廃ります。私は賢明かつ良質の患者をよそおい、まったく無抵抗に「わかりました。お願いいたします」と言って、もはや「俎板の鯉」の心境だったのか、空返事というか強がりの言葉を返しました。
局所麻酔が打たれて私は、痛みのない桃源郷へ心身を委ねました。歯医者という職業は、強引だが勇気ある人のする仕事、同時に尊敬し、崇めずにはおれないものだと、悟りました。一方、俗世間では「歯医者が一番儲かる職業」と言われて、確かに金儲けにすがる歯医者もいるようです。私は、この世評(悪評)をぐっと胸に収めました。主治医は、詰め歯が崩落したところの二か所の歯根を「ペンチ?」で、「エイ!」とばかりに抜き去りました。
「ここには、新たな入れ歯が入ります。入れ歯ができるまでには、ほかのところを治療します」
終わったことには、悶え、あらがうことはできません。(はい、はい、そうですか……)。診察料支払いの窓口で、次回の予約日の応答を終えると、私は恨めしい眼差しで一度ふり返り、仕方なくトボトボと歯科医院を後にしました。今なお、血止めの個所が一向に収まらず、寝床と洗面所を行き来しているうちに夜明け前が訪れています。
ほとんど寝つけていないため、寝不足に見舞われてこんな迷い文を書きました。書き終えたら洗面所へ向かい、血止めに詰めているテイッシュを取り替えます。薬剤は三日分、抗生剤と痛み止めが処方されています。しかしなんだかな……、食後服用とは、つらい仕打ちです。幸か不幸か、目の眠さを歯の痛さが打ち消しています。休むつもりのわが心を、高橋弘樹様のエールが奮い立たせました。末尾ながら、高橋様に感謝と御礼を申し上げます。
朝
6月29日(木曜日)、目覚めて、起きて、書いています。のどかに薄く彩雲をちりばめた朝ぼらけが訪れています。きょうから、終わりの見通せない歯医者通いが始まります。なお生きるためとはいえ、いっそう御飯を美味しく食べるためとはいえ、薄弱なわが精神は、不甲斐なく、切なく、悶えています。どうしたのだろう。エールをねだるウグイスはいつもと違って、あえて知らんぷりをよそおい、まだ塒で寝ています。友情か? わが精神力の独り立ちを促しているのかもしれません。ところが私には、友情を感じる余裕はありません。私は、「バカ」に「大バカ」にされたものだと、恨みを募らせています。
昼間書きの迷い言
私は長年にわたり、たくさんの文章を書いてきた。だから、日常生活の身辺を綴るだけでいい「ひぐらしの記」など、スラスラ書けていいはずである。ところが、それが書けない。わが能力の乏しさには、ほとほと恨めしいかぎりである。矛盾するけれどこの要因は、長年書き続けてきた祟りでもある。単刀直入に言えばその一つは、ネタの書き尽くしによるものである。加えて一つは、長年の書き疲れによるものである。二つと言っても根本的なものであり、それゆえ克服して書き続けることは容易なことではない。いやさらに一つ加えて、三つ目の理由が最も厄介である。それはすなわち、人生晩年における気力の喪失によるものである。気力の喪失を招くことでは、これまた様々な要因がある。最大かつ最も始末に負えないものでは、文字どおり生きるための「生活の疲れ」がある。ところが、この要因には数えること不可能にキリなくあり、これまたわが能力の乏しさでは手に負えない。
私は、きょう(6月27日・火曜日)もまた昼間に書いている。ウグイスは、わが背中にエールを送り続けている。網戸から冷たい風が入ってくる。他力本願だが、心が和んでいいはずである。ところが、なんだか心侘しい昼下がりである。終末人生とは、どんなにしゃちほこだって気張っても、もはや光明にはありつけないのであろうか。自己に鞭打つ生涯学習などには見切りをつけて、生きるための「自己奮励」にのみ切り替えなければこの先、身が持たないだろう。昼間書きは時間があるぶん、功ばかりではなく、罪作り(雑念)に憑(と)りつかれること多々ある。