ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
降雪予報の外れに、駆けめぐる妄想
2月13日(火曜日)。起き立てにあって私は、とんでもない妄想をめぐらしている(4:00)。罪と罰、すなわち罪を犯した者は罰を被る。これは人間社会における最善の掟、すなわち最たる社会規範(道徳)である。道徳に背けばズバリ背徳という言葉があり、おのずから社会(人民)に鋭く罵られる。
きのうの夜、私は茶の間のソファで相対する妻に対して、「気象予報士は、一言も詫びないね」と、言った。妻はキョトンとして仕方なく、「そうね」と、相槌を打った。続いて、「何に、詫びるの?」と、問い返した。
「きょうは、雪が降るはずだったんだよ。ところが、はずれた。だから、一言くらい詫びてもいいと思うよ」
「なんで、雪降るのよ。きょうは、いい天気だったじゃないの。わたしはひとり、見えるところまで出かけて、富士山を見に行ったじゃないの。パパも、行けばよかったのよ。途中で、誘ったじゃないの。だけどパパは、俺は見なくていいよと言って、茶の間のソファに背もたれていたじゃないの。パパって、馬鹿よ。わたしは、知らない人と立ち止り、長い間、富士山を眺めていたのよ。パパも、電話したからくればよかったのよ。パパは、大馬鹿よ」
「おまえは富士山を眺めるのが好きだから、行ったんだからそれでいいよ。おれは茶の間から、椿の花の蜜を吸う、メジロを見るのが好きだから、それでいいよ」
普段の妻は、わが介助や支援なしには、心許ない足取りである。見合い結婚の末に婚約を決めたのちであっても私は、妻の手を取ったり、腕を組んだり、肩を抱くことなど恥ずかしくて、まったく未体験のままにすぎた。それはあか抜けない自分自身にたいし、常につきまとっていた羞恥心からくる躊躇いだった。
ところが現在は、羞恥心を撥ね退けて、手を繋いだり、腕を組んだり、肩を組んだりしている。もちろんこれは、妻の転倒防止のための、やむにやまれぬ切ないわが行為である。
妻は近所に回覧板を回しに出かけた。日頃、これくらいはわが付き添いなくても、近いゆえに妻が率先してやっている。ところがきのうの妻は、回覧板回しが済むと、富士山が見えるところまで出かけていたのである。わが知ることのない、妻の行動だった。わが足であれば、富士山が見えるところまでは、わが家から10分程度の道のりである。しかし、現在の妻のヨロヨロ足では倍強、25分程度はかかる。妻のスマホからわがスマホに、妻の声が入った。
「今、どこにいるのか。また、転んだのか?」
「転んでないわよ。今、富士山を見てるのよ。わたし、富士山を見に来てるのよ。いい天気で富士山は、素晴らしい眺めよ。パパも、すぐに来なさいよ」
「そうか、転んでいなければ、行かないよ。転ばないようにして、帰って来てよ!」
「わたし、転ばないわよ。来ないの? パパは、馬鹿よ!」
電話を切った後のわが内心は、転ぶかな? と、ヒヤヒヤしていた。行けばよかったかな? と、オドオドしていた。
一時間半くらい経って妻は、玄関口のボタンを矢鱈と押した。茶の間にはまるで警報のごとく、音が鳴り響いた。私は大慌てで玄関口へ出向いて、玄関ドアを開けた。妻はニコニコ顔で、「いい天気だったから、富士山が良く見えたわよ」と、言った。私は「転げなくて、よかったね」と言って、抱えるようにして妻を出迎えた。
女性気象予報士は、降雪予報の外れなど、一言も詫びることなくしゃあしゃあと、きょうのポカポカ天気の予報を告げていた。気象庁、気象予報士、そしてウエザーマップなどの気象の専門家は、専門家ゆえの傲慢なのか。天邪鬼の私は、「きのうの降雪予報は外れてしまって、お詫びいたします」という、言葉があってのち、本格的な春の訪れを予報してほしかったのである。ところが妻は、降雪予報の外れなど気に懸けず、いや外れを喜んで、富士山眺望にありついていたのである。降雪予報にかぎらず天気予報全般の外れに、目くじらを立てるのは、ソンソン(損損)なのかもしれない。しかし、社会規範からしたら、やはりすっきりしない気分は山々である。
時ならぬ、再びの降雪予報
2月12日(月曜日)。きのうの「建国記念日」(2月11日)が日曜日と重なったため振替休日となり、三連休の最終日を迎えている。パソコンを起ち上げると私は、「ヤフーニュース項目一覧の一行目」にあって、こんな記事に出遭った。引用する記事は全容の一部である。【連休最終日は関東平野部でも積雪 山地は大雪による交通障害や路面凍結に注意】(ウェザーマップ)。「多摩地方の山地や秩父地方では、12日(月)明け方まで、大雪による交通障害や路面の凍結に注意が必要だ。また、12日(月)昼前にかけて、関東の沿岸部と伊豆諸島では、落雷、竜巻などの激しい突風、急な強い雨、降ひょうに注意したい。関東甲信では、12日(月)昼前にかけて雪や雨が降り、多摩地方の山地や秩父地方では、12日(月)明け方まで大雪となる所がある見込み。大雪による交通障害や路面の凍結に注意が必要となる。関東の平野部でも積雪となる所がある予想。東京も、23区を含む平地でもうっすらと積もる所がありそうだ。」
現在(4:06)、寒気は緩んでいる。春へ向かう足音は寸止めを食らって、いくらか足踏みをしなければならない。一方気象は、いくらか図に乗っている。寝起きの私は、戸惑っている。私は、三日前(2月10日)に『名残り雪』という文章を書いた。文章の筋立ては、三日前(2月8日)の降雪にともなうものだった。老衰の記憶は、未だに生々しくよみがえる。名残り雪の文章の中に私は、こんなことを書いた。この先(2月29日まで)、雪が降ったら、「また、降った」と、言うしかないと書いた。胸中にはもう降らないだろうという、思いがあった。ところが、実際には降るか降らないかわからないけれど、上記の思いがけない降雪予報に出遭ったのである。予報どおりに雪が降ったとしたら、やはり「また、降った」と、言うしかない。
指先をしばし止めて、窓際へ向かう。私は二重のカーテンと窓ガラスを開けて、一基の外灯が灯す明かりにすがり、雪模様を確かめた。すると、雪はおろか雨も降っていない。雪降りの兆しは分からずじまいで引き返し、私は再び椅子に座った。さあ、昼間へ向かうにつれて、雪が降り出すのであろうか。たとえ降っても、春止めにはなりそうにない。いや、春の足音にいっそう勢いをつける余興ぐらいであろう。しかし、時ならぬ降雪予報にあって、やはり私は戸惑っている。それは、降れば「また、降った」と、言うしかない、わが脳髄の貧弱さとボキャブラリー(語彙)不足のゆえである。
名残り雪
明日の「建国記念の日」(日曜日)に続く「振替休日」(月曜日)を含めて、三連休の初日(2月10日・土曜日)が訪れている。現在のデジタル時刻は、未だ夜明け前にある(4:39)。わが身を襲う寒気は緩んで、確かな「春の足音」が響いている。いくつか、道路脇に薄汚れた「小だるま」みたいに縮こまっていた最終の雪の姿は、まるで炬燵の上の「まん丸の猫背」のように見えていた。ところが、この光景もきのうですべて消えて、視界一面には平常の風景が現れ、つれて人の生活は、ほぼ三日前の日常に復していた。
いくらか、気が早いけれどこののちに降る雪は、季節忘れの「名残り雪」と言えそうである。名残り雪には二つの意味があると言う。一つは雪の多い地方で春になっても消えず残っている雪という意味であり、一つは春に降る雪という意味である。わが用いた名残り雪は、もちろん後者である。しかしながら、この先(2月29日)までの間に再び降れば、名残り雪とは言えそうにない。するとたちまち、わが貧弱な脳髄は混迷に陥ることとなる。挙句、「また、降った」と言って、お茶を濁す羽目になる。
このところの私は、みずからの怠け心にみずから鞭打って、かなり気張って文章を書いてきた。ところがその文章は、長いだけのだらだら文に堕していた。このことで、私は疲れた。ところが、ご好意で読んでくださるご常連の人たちには、はるかに疲労をいや増している。だからきょうはそれを詫びて、文章とは言えない文章のままで、書き止めるつもりである。しかし、先ずは身勝手に、わが指先を休めたいと思う。ご常連の人たちもまた、疲れている気分を休めて、春先の三連休をたっぷりと楽しんでほしいと、願うところである。
気象予報士が伝えた三日間の予報には雪降りの徴(しるし)は見えず、ぽかぽか陽気の春モードになっていた。野原を周遊すれば、「つくしんぼ」が立ち始めているかもしれない。ウグイスは藪の中で、「チチ、チチ」と鳴いて、トレーニング中かもしれない。表題は二つの意味をおさらいしたことから、ズバリ「名残り雪」でいいだろう。夜明けの光はまだ見えない。
このたびの降雪の、粋なつぐない
きのう(2月8日・木曜日)のNHKテレビニュースには、いっとき「針供養」の情景が現れた。思いがけない映像を観て、わが内心はほっとした。なぜなら、(バカなことを書いてしまい、大恥を晒したな!……)と、思っていたからである。
このたびの降雪は、二度の空振りを恥じて、人間界へ詫びているのか。それとも、降雪の償いでもしているのか。もちろん降雪の外れは、恥じることも詫びることもまったくない。むしろ外れは、人間界に多大の恩恵をもたらしている。一方、人間界にたいする降雪の償いであれば、後処理は素晴らしい出来栄えである。なぜなら、一気に寒気を遠のけて、いち早く「春」を呼び込んでくれている。これに、わが「太陽崇拝」の証しである「日光」が加勢し、一日にして視界の雪はほぼ消えて、視界は平常風景に復している。残るは「小だるま」程度にこじんまりと縮んでいる、ところどころの道路脇に撥ね退けられている風景だけである。
このたびの降雪は、確かに春を呼び込んでいる。その証しにきのうの鎌倉地方には、春を思わすポカポカ日光がふりそそいだ。日光は陽気と換言していいのかもしれない。なぜなら、ふりそそぐ日光は、茶の間のソファに背もたれていたわが重い腰を、「すぐに、外へ行け!」とばかりに、揺さぶった。わが重い腰は、素直に呼応した。
午前中の私は、いつもの大船(鎌倉市)街へ買い物に出かけた。往復、「定期循環・江ノ電バス(本社・藤沢市)に乗車した。そして、午後の三時過ぎには、当住宅地内にある唯一の医院、すなわち掛かりつけの「S医院」の外来へ、歩いて出かけた。この間の道のりは、わが家から片道15分弱である。薬剤切れにともなう、ほぼ一か月ごとに訪れる通院である。診察室では毎度、普段話程度で済む、三分間診察の典型である。
ところがこの通院が、わが命果てるまで続くとなれば、身の毛がよだつ思いに駆られるのは、薬剤費の多額の入用である。なぜなら、処方箋料と二つの薬剤費を合わせると決まって私は、毎回5000円近くを払う羽目になっている。ところが、きのうの通院にあっては途中、私は(この場で命が絶たれるかもしれないな……)という、思いに苛まれたのである。
突然のこの思いの発端は、歩くことが困難になるほどの腰回りの激痛だった。歩いては激痛を堪えて、立ち止まり、また歩いてはまた立ち止り、を繰り返した。それゆえに途中の私は、スマホに留めているタクシー会社の一つ、「大船中央交通」へ電話をかけて、大船からタクシーを呼ぼうと思った。ところがそれは思い留めて、40分ほどかけてようやくS医院へたどり着いた。待合室では、帰りの足に思案をめぐらした。ところが帰りの足は奇跡なのか、いつもの足取りに復しており、行きに遭遇した困難を免れたのである。
気象予報士が伝えるこの先の天気予報は、高気温に恵まれ、もはや春模様の予報だった。このたびの降雪は人間界にたいし、箆棒にありがたい償い果たしたようである。突然の腰回りの激痛は余興で済んで、現在の私は胸をなでおろしている。いまだ夜明け前にあって、夜明けの天気を知ることはできない。しかし寒気は緩ん
雪やんで、思うこと
2月8日(木曜日)。日に日に日長へ向かっている。早くなりつつある夜明け前にあって、寒気は緩んでいる。寒気の緩みは紛れもなく、現在は隠れている太陽のおかげである。台風一過にはおおむね、満天に胸の透く日本晴れが訪れる。降雪や積雪の後によく雨が降り、早々と雪解けをもたらすことがある。しかしながらこれには、おかげという誉めことばはつけたくない。確かに、積雪を溶かす雨にも、少しはありがたみがある。けれど、降りすぎればじめじめした陰気をもたらし、半面、憎たらしくなる。ところが、日光の恵みには外連味(けれんみ)なく、いつなんどきも胸の透くありがたみがある。日光は限りない恩恵をしかも、無償で恵んでくれる。それゆえに私は、日光と言わず隠れている太陽にたいしても常々、「太陽崇拝」に凝り固まっている。
人の世にあっては、いの一番は太陽(日光)、次には月(月光)、相そろって恵み得るものはほかにない。すなわち、この二つから得られる恩恵は、雲隠れしていようと、姿を現していようと、共に無限である。それなのにカレンダー上には、これらを供養する歳時(記)は見当たらない。このことでは人間は無恥であり、人間の驕りなのかもしれない。
降雪から積雪に風景を変えたきのうの鎌倉地方には、まるで台風一過のごとくに、胸の透く日本晴れが訪れた。太陽が日光と呼び名を変えて、暖気をともなって地上に満遍なく降りそそいだ。そして、日光の恩恵は、一気に「春」を誘い出していた。
さて、カレンダー上にはきょうは、「針供養」の添え書きがある。それゆえに私は、手元にある電子辞書を開いた。以下は、指先不自由の私にとっては、きわめて骨の折れる作業だけれど、全文を読んで移記するものである。ネタ不足に悩み、やむにやまれぬいたずら書きとも言える。恥を晒してこんなことまでもしなければ、「ひぐらしの記、単行本、夢の100集」など、夢のまた夢である。心中、なさけなく、ひたすら詫びるところである。
【針供養】「2月8日または12月8日に、針仕事を休み、折れた針を集めて豆腐やこんにゃくに刺して供養すること。淡島神社に納めるなどする。淡島神社:①日本神話で伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)が生んだという島。②日本神話で少彦名神(すくなびこなのかみ)がそこから常世に渡ったという島。③和歌山市にある淡島神社。最新は少彦名神。各地に分祀。婦人病に霊験があるとされる。また神の名を針才天女とも伝え針供養が行われる。加太神社。淡島(粟島)明神」
太陽および月にこそ供養が定着してほしい、人の世の習わしである。私は供養がわりに常々、「日光、月光」と言って、神様は要なしに両者を崇めまくっている。針供養にすがり結文が早すぎて、未だ夜明けの光は見えず、残念無念である。
残雪の夜明け
2月7日(水曜日)、私は未だ夜の静寂(しじま)の中に居る。このたびの降雪予報はズバリ当たり、気象庁と気象予報士は、面目の丸潰れを免れている。専門家という職業柄、内心ではかなり安堵しているであろう。予報が外れて、文句を言う人たちは多くない。私の場合は、あからさまに外れてほしいと願っていた。ところが、三度目の正直をなして、予報はズバリ当たった。
鎌倉地方における雪の降り出しは、おととい(2月5日・月曜日)の昼過ぎだった。このときの私は、茶の間のソファに背もたれていた。それゆえにあえて私は、降り出した時刻(午後12時13分)を掲示板に投稿した。明くるきのう(2月6日・火曜日)は、視界いっぱいに広がる、雪景色の朝を迎えた。昼間にあっては雪も雨は降らず、そのうえ日光も出ずじまいで、住宅地には一日じゅう、曇天の雪国風景が訪れていた。この風景を見ているとわが思いは、能登半島を中心とする震災被災地と震災被災者へ駆けていた。それは難渋する日常生活に、重なる雪景色の切なさであった。
降り出し、明けての雪の朝から、時は進んで現在は三日目にある。きょうもまた私は、起き出して来るやいなや窓辺に立って、二重のカーテンと窓ガラスを開いた。そして、きのうに続いて、一基の外灯が灯す道路を凝視した。すると、道路の中ほどの積雪は除かれ、道路の側面に沿って、撥ねのけられている。雪を撥ねのけたのは人為ではなく、行き交う車輪だった。スコップを持たない私の場合は、雪掻きはできずじまいだった。隣近辺の人たちであっても、わが家周りの道路の雪掻きをしている人たちは見受けなかった。それはたぶん、積雪自体が思いのほか少なかったせいであろう。これは案外、天界いや気象の粋な計らいだったのかもしれない。
昼御飯を終えると私は、住宅地内にある個人商店まがいの小規模の郵便局へ出向いた。次号90集の『少年』の校正済原稿と、記入済の確定申告書を携えての出向きだった。出かけるとき、交わした老夫婦の会話のやり取りのほぼ全容はこうである。現場のまずは、玄関口内の土間である。
「これから、郵便局へ行ってくるよ」
「パパってバカねー。雪が降ったのよ。道路にはたくさん積もってるのよ。こんな日に、なぜ行くのよ。あした行けばいいじゃないのよ。転ぶと危ないじゃないの……」
「雪が降ってるのは知ってるよ。だけど、これから行くよ。気に懸かっていることは、早く済ましたいからね」
私は、玄関ドアを開いた。妻は突っかけを履いて土間に下りた。会話の第二現場は、玄関ドアをちょっぴり開いてと変わった。玄関口から門口までには、コンクリート造りの三段ほどの階段がある。階段および周辺には、隙間なく雪が積もっている。私が足下に注意して階段を下り始めると、玄関ドアを少しだけ開けた、妻の声が追っかけた。
「パパ。雪がたくさん積もってるじゃないのよ。滑るわよ、行かないで! 転ぶわよ、行かないで!……」
「行くよ。大丈夫だよ。おれは転げないよ。保険には入っていないし、転ぶと自損だから、おれは転げないよ。転げないように歩くよ」
「絶対、転んじゃ駄目よ」
「転げないよ。保険に入っていれば、わざと転ぶけどね……」
進んでゆく道すがらには幾人かが、スコップを手にして雪掻きをしていた。それらの人たちは、道路の中ほどの雪を道路脇に撥ねのけていた。それらの人たちに出会うたびにわが心中には、済まない気持ちが充満した。私は感謝と会釈代わりに、俯き加減に通り抜けた。わが心中には、(すみません)とか、(ありがとうございます)とか、言えばよかったという、自責の念が渦巻いた。
雪の降り出しの一日目、雪の朝の二日目、そして残雪の三日目にあってわが身体は、冷凍室まがいのパソコン部屋に慣れたのか、寒気は薄らいでいる。咳も鼻水も遠のいている。ただ、くだらない文章を書いてしまった。それゆえに、自責の念はいや増している。雪降り風景の一幕が下りて、残雪の夜明けは穏やかである。
ロマンを失くした、雪景色
2月6日(火曜日)、現在のデジタル時刻は3:27と、刻まれている。過ぎた「立春」(2月4日)をあざ笑うかのように、季節は嘘をついている。三度目の正直、気象予報士は嘘をつかず、このたびの降雪予報はずばり当たっている。嘘つきは、逆転している。いつもであれば季節は、ほとんど嘘をつかない正直者である。逆に、常に嘘つきカモメ呼ばわりされるのは人間である。ところが、この風評をくつがえし、人間の面目を潰すことなく守った、このたびの気象予報士はあっぱれである。なぜなら、今回も降雪予報が外れれば、気象予報士はもとより、人間の崇高さなど、丸潰れになるところだった。
へそ曲がりと天邪鬼精神を合わせ持つ私は、人間の威厳や威信など丸潰れであっても、大っぴらに降雪予報の外れを願っていた。ところが、降雪予報は外れるどころか、わが願いを蹴散らして、完全無欠のごとくに当たってしまった。寝床から抜け出すと私は、いち早く窓際へ向かい、二重のカーテンと窓ガラスを開いた。そして、外の雪模様を確かめた。一基の外灯は普段にも増して、明るく光っている。明るさを増していたのはたぶん、積んでいた白雪の照り返りのせいであろう。いつもの習性にしたがって私は、直下の道路に目を凝らした。雪は止んでいる。雨降りもない。見えるのは白雪と、それを踏んだ何本かの黒筋の車輪の跡である。
きのうの昼間の雪の降りようからしたら、積雪の嵩はそんなに高くはなく、わが心象はかなり和んだ。私は萎縮していた気分を直して、椅子に座り机上に置くパソコンを起ち上げた。頭上の二輪の蛍光灯の電源を除いて、まったく火の気がないパソコン部屋は、冷え切っている。まるで、生ものを保存する冷凍室、あるいは普段私が嬉々としてアイスキャンデーを取り出す冷凍庫みたいでもある。それでも、生身のわが身体は腐食を免れて、心臓は正常に鼓動している。ただ、風邪をひいてしまったのか。ときおり、ゴホン、と咳が出る。ときおり、鼻水がポタリ、と垂れそうになる。大慌てで傍らに置くテイッシュを手にとり、難を免れる。
雪の日にあってはパソコン部屋に留まらずわが家、いや住宅地全体が冷凍室さながらである。あれれ、突然、咳が出た。こんどはテイッシュが間に合わず、鼻水が落ちた。こんな無粋なパソコン部屋に、長居は無用である。おのずから、文章は書き止めだ。私はキー叩きを止めて、左右の手の平をすり合わせて、しばし指先を温めた。指先が温まると、パソコンを閉じる。しっちゃかめっちゃかの文章ではあっても、恥じることはない。わが身大事である。風邪が長引いたら文章書きは、またまた頓挫の憂き目を見ることとなる。人生の晩年を生きる私には、雪景色を愛でる心象はもはやなく、凍えそうなわが身をいたわるだけである。雪景色にロマンをともなわなければ、わが命はおしまいである。
雪の朝にまつわる、ふるさと慕情
「立春」明けの2月5日(月曜日)、現在のデジタル時刻は2:40と刻まれている。寝床から抜け出してくるやいなや私は、頭上の蛍光灯から垂れ下がる一本の細紐を引いた。蛍光灯特有のしばしの間をおいて、パッと明かりがついた。どうやら命は断たれずに、きょうの始動にありついている。すぐには机を前にした椅子には座らず、パソコンも起ち上げないままに窓際に佇んだ。厚地の布でできた茶色のカーテン、目の粗い薄地の白いカーテン、私は二枚重ねのカーテンを撥ね退けて窓ガラスを開いた。一基の外灯が灯る舗面には、今のところ雨も雪も落ちていない。風の音もなく、目に留まる木の葉に、揺れはまったくない。外気は、夜の静寂(しじま)状態にあった。わが身体に、寒気はさほど感じない。きのうの気象予報士は、きょうとあすにかけて、雨と雪の抱き合わせの予報に大わらだった。予報には雨だけで済むところがあり、雪だけが降るところもあった。文字どおりの抱き合わせで、雨のち雪のところもあった。大まかに言って、きょうの関東甲信地方は降雪予報である。
ところが気象予報士は、東京都心(23区)にあっては数値をもって、2、3センチの積雪が見込まれると予報した。わが住む鎌倉地方の場合は、どれくらいの積雪になるのだろうか。この冬、三度目の降雪予報である。ところが幸いなるかな! 二度の降雪予報は外れた。「二度あることは三度ある」ゆえに、三度目の降雪予報もあてにはならない。宝くじなどとは異なり、外れて人が喜ぶものの筆頭は降雪予報である。とりわけ、おとなたちの多くは降雪予報にかぎり、外れて悲しむ者はいない。降雪予報が外れてがっかりするのは、漸減傾向を深めつつある子どもたちの一部であろう。一部と限定表現を用いたのは、雪だるま、雪滑り、雪合戦などの楽しみを目論む、子どもたちがいるからである。
子どもの頃の私には、確かにこれらの楽しみに加えてさらに、雪降りの朝にはこんな楽しみが待ち受けていた。それはすなわち、裏戸を開けて木の葉に積もった新雪を大きなドンブリに掬い取り、それに砂糖をかけてにわか作りの「かき氷」を鱈腹食べることだった。寒空の下、一度や二度では飽き足らず私は、何遍も雪掬いに出向いた。まさしく餓鬼食い、無償で好きなものにありつくと、寒気さえ厭うことはなかった。白無地一辺倒で出来立てほやほやの新雪づくりのかき氷は、炬燵に足を入れて全身丸まって食べた。このときの私は、分厚い練りの丹前を身にまとい、まるで寒気を嫌う猫のように膨れていた。雪の朝に出遭っていた、今や童心返りの懐かしい思い出の一コマである。
日本列島にあっては南の地方にあたる熊本県にあって、山あいの片田舎に位置するわがふるさと(当時の鹿本郡内田村、現在は山鹿市菊鹿町)には、一冬に三度くらいは視界白一色の雪降り光景が訪れていた。当時、冬の間のふるさとの寒気の強さは、現在の鎌倉地方とはまったく比べものにはならない。その証しには釜屋(土間の台所)に置かれていたバケツには、しょっちゅうバケツが壊れるほどに氷が張りついていた。わが家の裏を流れている「内田川」から分水を引き込んで、水車を回して生業を立てていたが家の場合は、村中ではほとんど見られない光景を常に目にしていた。それは水路に設けられていた「さぶた」(手作りの水量の調節機)付近に垂れ下がる、大小長短の「氷柱(つらら)」の光景であった。氷柱とは文字どおり「氷の柱」である。寒気に身震いすることでは私は、雪降り光景より、氷柱が立ちあるいは垂れ下がる光景のほうにはるかに強く感じていた。確かに、霜柱が立つ朝にも強い寒気を感じていた。それでも寒気は、雪降りの朝、霜柱立つ朝共に、氷柱が立ち垂れ下がる朝にはとうてい敵わなかった。ところが餓鬼の私は、氷柱を折っては手にとり、震えながら舐めたり、ガリガリ噛んだりした。こちらは「アイスキャンデー」代わりだったけれど、砂糖まぶしにはできず、「新雪づくりのかき氷」のような楽しみにはありつけなかった。それでも、懐かしい思い出づくりの一役にはなっている。
三度目の降雪予報にあっての、今や懐かしく当時を偲ぶだけの「雪の朝にまつわる、ふるさと慕情」である。未だ外気は真っ暗闇で、降雪予報の当たり外れを知ることはできず、身体は寒気に冷え始めている。
立春、万歳! 文章は「節分の夜」
日を替えて「立春」(2月4日・日曜日)が訪れ、現在のデジタル時刻は1:23と刻んでいる。私は寝床から起き出して、文章を書き始めている。気分を殺がれていたので、書くつもりなかった。だから、寝床の中で布団を被り、ミノムシのごとく丸まっていた。ときには、干しエビのごとく身を曲げていた。文章はだれのためではなく、自分のために書くのだ! と、半ば嘯(うそぶ)いて、これからも書き続けることを自分自身と約束した。
「パパ。きょうは節分(2月3日・土曜日)だったのね!」
「そうだよ。豆、撒かないの? 鬼退治に豆を撒いてよ……」
妻は傷めている体のあちこちへ気を遣いながら、茶の間のソファからヨロヨロと立ち上がり、台所へ向かった。妻は買い置きの「福豆」の大袋を持ち出してきた。そして、奇怪な行動を始めた。妻は閉めていた窓ガラスと雨戸を静かに、隣近所に憚(はばか)るようにちょっぴり開けた。
「何するの?……」
私は、妻の行動を訝(いぶか)った。妻は片手の手の平に、福豆のいくつかを握りしめていた。次には、その手の腕を暗闇に伸ばした。妻は福豆を暗闇に投げつける手振り繰り返した。格好だけで妻は、福豆は投げなかった。私は妻の行動を合点した。妻の手の平が暗闇を突くのに合わせて私は、大声で「鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、……」を繰り返した。
妻の行動が切なくなり、
「不断、おまえにとっておれは鬼だろ? だったら、俺に豆を投げつけろよ。俺は、投げつけられることを覚悟しているよ」
「パパって、バカねー」
妻は福豆が入った小袋(分包)の一つを私に手渡した。妻は自分の分包から福豆を取り出し、口に含んだ。私は福豆の何粒かを一度に口に入れて、ムシャムシャ噛んだ。入れ歯がガタガタの妻の歯は、福豆を噛めない。私は新規(1月15日作製)の入れ歯を入れていた。それゆえにわが歯は、容易に福豆を噛めた。
妻の咄嗟の機転で、夜更けの豆まきはほどなく終わった。立春からこの先、福豆がわが家へ福をもたらすかどうかわからない。おまじないゆえに、福は望めなくてもいい。けれど、まかり間違っても災厄だけは免れたいものである。妻は恵方巻のことは言わずじまいだった。昼間のNHKテレビニュースでは恵方巻の由来や、地域のことしの縁起のいい方角のことなどを、街頭インタビュー光景の中で盛んに報じていた。
節分とはいえ、きのうの鎌倉地方の寒気は、耐えようないほどにいたく肌身に沁みた。ところが立春になったばかりの現在は、寒気はまったく和らいでいる。私は、いまだ決めかねている表題を心中にめぐらしている。
節分と福豆
2月3日(土曜日)、未だ真夜中と言っていい頃にある(2:36)。パソコンを起ち上げる前に、外していた眼鏡を耳に掛けると、枠が冷たくてゾッと身振りをした。それでも季節は、しだいに寒気が遠のく春の「節分」を迎えている。人生の晩年を生きる私は、必ずしも節分待望者ではない。しかしながら一方、寒気を極端に嫌う私は、節分を秘かに望んでいた。なぜなら節分は、確かな季節の屈折点である。寒気はまだあるもののそう思うだけでも、現在のわが気分は和んでいる。
豆まき用の豆は、妻が近隣の「鎌倉湖畔商店街」に総菜屋を構えている「おふくろさん」から、すでに買って来ている。妻は「鬼は外、鬼は外、あなたは外、……」という掛け声とともに、炒り豆をわが身に投げつけるであろう。普段のわが介助ぶりに飽き足らず腹いせまじりに妻は、豆をいくつ私に投げつけるつもりであろうか。豆袋の表示には「福豆」と記されている。私がいっとき痛さを我慢すれば、妻いやわが家には、幸福が訪れるのであろうか。そうであれば、バンバンかつ強く投げつけてほしいものだ。日々衰えてゆく妻の体力は、いくつぐらいの投げつけに耐えられるだろうか。いっときの演技者になって大袈裟に逃げ回るわが足とて、ヨタヨタで心許ないものがある。わが家の豆まき光景は、年年歳歳、切なく、寂しくなってゆくばかりである。なぜなら豆まき一つに、互いの衰えぶりが浮き彫りになる。
もとより豆まきは、歳時(歳時記)にのっとったおまじないである。その証しに震災被災地にあって去年の豆まきは、何らのご利益ももたらしていない。去年の節分にあっては、震災被災地のどこかしこの御宅でも、家族そろっての豆まき光景があったはずである。ところが、豆まきはおまじないにすぎずご利益なく、自然界は震災というひどい仕打ちをした。だとしたら震災被災地および被災者の難渋をおもんぱかって今年の豆まきはおのずから、わが家にかぎらず神社仏閣のすべて、自制すべきなのかもしれない。なぜなら、日本列島の各地からもれ伝わる「豆まき便り」は、震災被災地および被災者にとっては、あまりにも惨たらしい悲しい便りであろう。すなわち、震災被災地および被災者にとって今年の節分は、去年とは様変わり身も心も凍えるものとなっている。
恵方巻(巻き寿司)で縁起のいい方角を覗いたところで、もとより食欲を満たすだけのおまじないにすぎない。きょうの私は、すでに買い置きの福豆は仕方ないけれど、商魂の渦に引き込まれて、巻き寿司を買うつもりは毛頭ない。わが自制、いやご利益のない銭失いを避けるためである。
このところの私は、気張って文章を書いている。このことはきのうの文章にも書いたけれど、すなわち、わがしでかした二か月余の文章の頓挫の償いと、わが怠け心にたいする自己発奮を促すためでもある。ところが、駄文はおのずからいたずらに長くなり、挙句、掲示板上のカウント数は漸減傾向にある。それゆえにきょうは、心して短い文を書こうと決め込んでいた。ところがまた、だらだらと長い文章を書く、体たらくぶりである。そうであれば尻切れトンボを恥じず、ここで結文とするものである。
妻がいくつか投げつける福豆を指先で一つ一つ拾って、わが口に運ぶであろう。こんなケチ臭い行為ではおのずから、私にそしてわが家に幸福が訪れるはずはない。いまだ時刻は、真夜中同然である。私は、だらだら文に付ける表題を浮かべている。