ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

春3月、初日

 きょうから3月(1日・金曜日)。「年老いて」、季節、歳月・日時の速めぐり(感)には、ただただ驚くばかりである。きょうはこのことだけを書いて、ここで閉じてもわが思いは十分に尽くされる。起き出してきてわが心中は、この思いでいっぱいである。あえて、「年老いて」と、書いたことにはこんな理由がある。単刀直入に言えば子どもの頃にあっては、それらのことなどまったく気にせず過ごしていた裏返しである。いや、ちょっぴり季節はともかく、歳月・日時のめぐりなど、まったく気に留めなかった。このことに関しては無関心、子どもゆえの同義語を用いれば、無邪気そして天真爛漫を添えてもいいくらいである。だからこそやはり、「年老いて」という現在のわが身が、惨めさをともなって浮き彫りになる。どうしゃちほこだってあらがっても止めようのない、季節、歳月・日時の速めぐり(感)である。
 過ぎた2月は節分・立春が過ぎて、春待つ心が沸き立っていた。ところが、カレンダーの日めくりが春へ向かうにつれて、季節狂いの天候不順、実際には雨・風それに付き添う寒気のいや増しに脅かされどうしだった。それゆえに3月への月替わりにあってのわが願いはただ一点、春に見合う正常な季節の訪れだった。
 ところが現在、この願いは虚しく断たれている。雨戸を閉めていない前面の窓ガラスには、雨だれが幾筋も零れ続けている。傍らの窓ガラスには、雨戸を覆っている。すると雨戸には、まるで間欠泉のごとく的確に、風の音が打ち鳴らされている。共に、雨・風まじりの大嵐の証しである。わが身体は冬の名残なのか、冷え冷えである。わが願い叶わず、季節気狂いのままに、春3月への月替わりである。だからこの先、どんな3月になるのか、わが心身は恐々・びくびくである。
 きのう、NHKテレビで「茶番、政倫審」を観ていると、二つのテロップが相次いだ。一つは千葉県を主にする地震の発生、一つはドジャース球団所属の大谷選手の結婚にまつわるものだった。なんだかなあーと思う、愛憎入り乱れる月替わりである。薄く、夜明けが訪れた。やはり、大嵐である。

2月末日

 2月の最終日(29日・木曜日)。私は、様々なことを心中に浮かべて起き出している(3:37)。その一つ、自浄作用というのであろうか。自然界の風は、みずからしでかした罪作りを詫びて、みずから償ってくれていた。それはこのところ続いていた強風が、みずから道路上に汚く振り落とした木の葉や小枝を、わが手をかりずに綺麗に清めていたことである。このことでは、私が日課とする道路の掃除は出番を挫かれていた。いや、この表現は間違いであり、実際には出番を免れていたという表現が適当である。なぜなら、老いの身にあっては掃除をしないで済むことは、大好きな駄菓子を貪るより、ありがたく思うところさえある。
 風の掃除の仕方は、厭々しながら掃くわが手の出来栄えをはるかに超えて、道路の隅々にいたるまで完全無欠すなわち非の打ちどころはまったくなかった。そのたびに私は、風の冷たさに身震いしながらも道路に立ち、「強風様々の思い」をたずさえて、芥子粒ほどのゴミさえない道路を眺めていた。実際のところは、自然界の織り成す脅威に唖然として立ち竦んでいたのである。
 浮かんでいたもう一つをあえて書けば、私は文章を書くたびに苦悩に苛まれている。具体的にはネタなど、用意周到にかつ丁寧に浮かべず、常に書き殴っていることから生じている苦悩である。すなわちそれは、文章の出来不出来はともかく、文章を書くかぎりはネタを用意かつ丁寧に書きたい思いに背く苦悩である。そうであれば、苦悩を免れるためには、そうすればいいではないか。自己完結に対する自己矛盾、結局はわが凡庸な脳髄のせい(限界)である。
 このところ私は、引用文にすがり長い文章を書き続けてきた。そして、途中頓挫を恐れていた2月は、書き続けてきたことだけは果たして、完走の2月末日を迎えている。蟻の穴ほどの、わが小さな喜びである。あすから春3月、春本番にあって、2月の季節狂いは正されるであろうか。わが苦悩もまた、いくぶんでも正されるだろうか。しかしながら願っても、後者の望みは叶えられそうにない。いや、わが身にあって春の訪れは例年、断ちようないわが春愁の訪れでもある。とりあえず、閏月の2月末日にあって、完走をみずから寿(ことほ)いでいる。いつなんどきも書き殴りの文章は、わが身に堪えている。

窮まる「少子化傾向」

 2月28日(水曜日)、閏年にあって2月は、あす1日(29日)を残している。現在のデジタル時刻は4:39であり、夜明けは遠くいまだ夜中の佇まいである。きのう荒れ狂った大風(嵐)は止んでいるようで、内外(うちそと)音無しの静寂(しじま)状態にある。両耳に嵌めている補聴器は、寸分たりとも雨戸を鳴らす音は捉えていない。雨の音もしない。風雨共に、止んでいるのであろう。しかしながら、わが身は寒気に震えている。幸いにも風邪の症状は消えている。これなら、引用文に頼らずとも、わが文章が書けそうではある。ところが、この思いに反してきょうもまた、私はメデイアが報じる引用文にすがっている。このところ引用した卓球にまつわる感動編ごときであればわが気分は和むところがある。けれど、きょうの引用文はさにあらず、止むにやまれぬ気分の発露である。それでも、日本の国を取り巻く現下の世相であれば、「わが、知ったこっちゃない!」では、済まされないものがある。
 【想定より早く進む少子化、昨年の出生数は8年連続で過去最少…婚姻90年ぶりに50万組割れ】(2/27・火曜日、19:48配信 読売新聞オンライン)。「厚生労働省は27日、2023年の国内の出生数(速報値)が過去最少の75万8631人だったと発表した。前年比5・1%減で、過去最少の更新は8年連続となる。婚姻件数は同5・9%減の48万9281組で、90年ぶりに50万組を下回った。婚姻数の増減は数年遅れて出生数に反映されることが多く、少子化は今後も進行すると予想される。国立社会保障・人口問題研究所(社人研)による昨年4月の推計では、出生数が75万人となるのは35年頃と見込んでいた。少子化は想定を上回るスピードで進んでいる。今回の速報値には日本で生まれた外国人らも含んでおり、日本人のみが対象の確定値ではさらに減るとみられる。確定値は秋に公表される見通し。出生数は、16年に100万人を割り込んで以降、減少が加速している。10年以降では、10~16年の6年間で約8・8%減少したが、16~22年の6年間では約21・1%減った。婚外子の少ない日本では、婚姻数の減少が出生数の減少にほぼ直結する。婚姻数のピークは1972年の109万9984組で、約50年間で半分以下となった。過去に婚姻数が50万組未満だったのは、日本の総人口が6743万人だった1933年(48万6058組)までさかのぼるが、多子世帯が多かった当時の出生数は200万人を超えており、事情は大きく異なる。近年の婚姻数は、2019年(59万9007組)から20年(52万5507組)にかけて約7万組減っており、新型コロナウイルスの影響が指摘されてきた。ただ、22年に前年比で約3000組微増した後、再び減少に転じた。社人研は昨年4月、22年の婚姻数増を考慮し、24年に合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数)が上昇すると予測しているが、出生率が回復基調に乗る可能性は低いとみられる。人口減少も進んでいる。23年の死亡数は、前年比0・5%増の159万503人と3年連続で増加し、過去最多を更新した。死亡数から出生数を引いた自然減は83万1872人で、過去最大の減少幅だった。1947年から3年続いた第1次ベビーブームで生まれた団塊の世代が後期高齢者世代に入りつつあり、死亡数は今後も増え続ける見込みだ」。
 再び書こう、「わが、知ったこっちゃない!」。しかし、日本の国の少子化傾向が気になり、それを見届けるためになおこの先へ、生き延びたい気持ちはある。だけど、それは叶わず、現在は「知らぬが仏」の気楽な気分旺盛である。やはり、引用文は楽ちんである。30分ほどで済んで、夜明けまではまだ、たっぷりと「時」を残している。半面、気になる夜明け模様を記せないことは残念無念である。2月は1日増えても、大車輪で去って行く。人の世は、過去・現在そして未来も、おそらく無常である。

引用文を撥ね退けた「わが文章はせつない」

 2月27日(火曜日)、まもなく夜明けが訪れる。季節はどんな夜明けを恵んでくれるであろうか。できればこのところの天候不順を、正規軌道へ戻した夜明けであってほしいと、願っている。春近しにあっては、けして欲張りの願望ではないはずである。きのうはこのところの雨は止んだ。ところが、ゴミ置き場へ向かうと、猛烈な風が吹いていた。一瞬にしてわが体は、冷え冷えになった。これに懲りてこののちは、一日じゅう茶の間暮らしを決め込んだ。
 私は茶の間のソファに背もたれて、窓ガラスを通して外を眺め続けた。山の枝木、持ち主が去った後に取り残されている植栽に立つ白梅と紅梅、そしてわが家の庭中の椿の花々は、日暮れて雨戸を閉めるまで大揺れに揺れていた。日光が時々ふりそそいだ。据え置き型のガスストーブは、絶え間なく熱風を放し続けていた。それでも茶の間は、温まりきらなかった。熱源不足のわが甲斐性無しの証しだったのかもしれない。私は、季節に違わず「早く来い来い、春の暖かさ」を願った。
 わが風邪は治ってはいないけれど、酷くもなっていない。このことで、パソコンを起ち上げている。茶の間暮らしでいつも切ないことは、相対するソファに背もたれている、相身互い身ふたりの日々衰えてゆく姿である。私から見るのは妻の姿であり、妻が見るのはわが姿である。共にもはや、元へ戻ることはない。できればこれまた共に、老いの加速度を低速度に緩めてほしい心地だけである。もとより、叶わぬ願望である。
 生来、私はマイナス思考の塊である。しかしながらマイナス思考とて、思考は生きとし生けるもののなかにあって、人間のみに与えられている特権である。そうだとしたら、恥を晒しても臆することはない。こう自分自身を慰めながら私は、わが人生の晩年を生きている。おのずから、わが人生終末における日常観である。
 大沢さまは「お風邪のようですね。暖かくしてゆっくりお休みください」と、言ってくださった。こんな文章を書くより、お言葉に甘えて、休んだほうが身のためだったようである。ただ、大沢さまは、「体調不良にもかかわらず、ご投稿くださりありがとうございます」と、言ってくださったのである。このお言葉は、箆棒にうれしくて、きょうの励みになったのである。
 夜明けの空は、雨なく風なく晴れて、春の軌道へ戻っている。あと二日を残して、春3月が訪れる。

スポーツがもたらす美的風景

 2月26日(月曜日)、デジタル時刻は4:53。私は腹立ちまぎれに起き出している。何たる悪天候続きだ。季節は、春待ちの人間を虚仮(こけ)にしている。私自身にかぎれば、とりわけひどい仕打ちを被っている。季節狂いのせいで、風邪をひいてしまったのだ。
 このところの私は、「卓球・世界選手権団体戦」(韓国・釜山)にかかわるメデイアの記事の引用文にすがって、長い文章を書いている。引用文と言っても、それだけをポッと、移記するわけにはいかない。その前後には、いくらかの文章を付け足さざるを得ない。そのこともあって、わが凡庸な脳髄は疲れている。
 卓球自体はすでに決勝戦を終えて、選手たちは母国へ帰還を始めている。おのずから私は、今回の世界大会の記事の引用は、(もう打ち止め)と思っていた。ところが、きょうもまた私は、引用文にすがっている。いや、どうしても引用したくなっている。なぜなら、風邪の症状などそっちのけにして、わが心の和む記事だからである。私はこんな記事に出遭いたくて、あらゆるスポーツのテレビ観戦に興じている。言うなれば、スポーツ競技のもたらす美的風景、テレビ観戦の醍醐味である。
 「中国の選手が撮っているのが微笑ましい」 日本―中国戦後に生まれた“友好の1枚”に広がる感動【世界卓球】(2/25・日曜日、19:33配信 THE ANSWER、写真:ロイター)。世界卓球団体戦(韓国・釜山)は24日、女子決勝が行われ、日本が5連覇中の絶対女王・中国と対戦し、53年ぶりの世界一まであと1勝に迫りながら逆転で、2-3で敗れた。5大会連続の銀メダルとなった。ワールド・テーブルテニス(WTT)は試合後、表彰式で撮影された“友好の記念写真”を公開。「中国の選手が撮っているところが微笑ましい」「なんて素敵な写真なんだ!」などと日本ファンから多数の反響が集まっている。【画像】。
 「中国の選手が撮ってるのが微笑ましい」「スポーツの素晴しさ凝縮」 日本×中国の決勝後に撮影されていた“友好の記念写真”日本が歴史的大金星までわずかに及ばなかった試合後、表彰式でメダルを授与された4か国が仲良く記念撮影を行っていた。互いを称える雰囲気が写真でも伝わってくる。
 自撮りをしていたのは金メダルを獲得した中国・王芸迪。白い歯を見せたその後ろに、中国代表の監督、選手が並んで笑顔で座っていた。さらにその背後には早田、平野、張本、伊藤、木原と渡辺監督が、獲得した銀メダルを手に嬉しそうにカメラに見せていた。隣には、銅メダルだったフランスと香港の選手たちの姿も。試合が終われば互いに切磋琢磨する仲間たち。爽やかなシーンだった。
 写真を投稿したワールド・テーブルテニス公式X(旧ツイッター)は「これらの笑顔が全てを物語っている」とこの場面を文面で表現。激闘を終えた女子たちの姿に注目していた。日本ファンも感動した様子のコメントを寄せている。「選手が互いをリスペクトする精神、感動しました」「いい写真だ。スポーツは素晴らしい!」「中国の選手が撮っているところが微笑ましいです」「試合中とは別人だわ」「激しく争うライバル同士だけど、試合が終われば、みんな仲良し」「うわー!なんて素敵な写真なんだ!」「いい写真は何度見てもいい写真」「こんなスポーツの素晴しさが凝縮された良い写真ってある?」
 優勝には惜しくも届かなかったが、日本の選手がプレーとその振る舞いでファンを沸かせた今大会。最後も気持ちよく締めくくられたようだ。素晴らしい写真をここに張り付ける技術をもたない私は哀れだ。現在、5:28。
 文章の途中立って、私は枕元に置く市販の風邪薬を取り出し、蛇口をひねり服んだ。引用文はありがたいものである。僅かな時間の書き殴りで済んだ。ゆえに、風邪は長引きそうにない。だけど、甘えてはならないと、自分自身を戒めている。やがて夜明ければ、季節狂いのきょうの天気が気になるところである。

わが涙腺が緩んだ、「感動きわまる敗戦」

 2月25日(日曜日)。「あすも、卓球のことを書きそうである」。この予告にしたがって私は、きのう「卓球・世界選手権団体戦」のことを書く。これまで、このことに関して何度も書いてきたことは、きょうで書き止めである。実際にはわが文章はそっちのけにして、手っ取り早くメデイアが伝える引用文にすがっている。それでも、その前には心中に浮かべていたことを書く。それはあらゆる戦いにつきまとう、勝敗を分ける常套語であった。もちろん、わが生涯学習における現場主義のおさらいである。
 戦争における勝ち負けの表現は、おおむねこれ一辺倒しか浮かばない。すなわち、勝てば戦勝(国)、負ければ敗戦(国)である。敗戦に対しズバリ、勝戦とは言わない。数々、浮かべていたことは、スポーツの試合における勝ち負けの表現だった。これには試合の内容に応じて、勝ち負けを表す様々な表現がある。私はそれらのいくつかを浮かべていた。
 辛くも勝つ(辛勝)、惜しくも負ける(惜敗)、快い勝ち方(快勝)、惨めな負け方(惨敗)、木っ端みじんに打ち負かす(完勝)、ぐうの音も出ない負け方(完敗)、などなどである。これらの中から選べば、きのうの決勝戦における日本の女子チームは惜敗、対する中国チームは辛勝だった。以下は、メデイアの伝える引用文である。
 【世界卓球】日本女子、53年ぶり世界一ならず涙 中国と歴史的激闘の末…悔し銀メダルも大健闘に会場拍手(2/24・土曜日、23:42配信 スポニチアネックス)。卓球・世界選手権団体戦第9日(2024年2月24日 韓国・釜山)。女子決勝が行われ、日本は2-3で中国に敗れ、5大会連続の銀メダルとなった。日本は張本美和(15=木下グループ)、早田ひな(23=日本生命)、平野美宇(23=木下グループ)でオーダーを組み、伊藤美誠(23=スターツ)と木原美悠(19=木下グループ)が応援に回った。1番手で世界16位の張本は同1位・孫穎莎に挑戦。世界女王に食い下がったが、0-3でストレート負け。2番手の世界5位・早田は、同3位で東京五輪金メダリストの陳夢を逆転の3-1で下し、1-1のタイに戻した。世界18位の平野は世界ランク2位・王芸迪にストレート勝ち。2-1として、第4試合の早田につないだ。第4試合は早田と孫の日中エース対決。第1ゲームは2-11、第2ゲームは巻き返しを見せたが7-11と連続で落とした。第3ゲームは一進一退の攻防の中、力を振り絞ったが6-11でストレート負けを喫した。2-2で15歳・張本に命運が託された。最終決戦に臨んだ張本は東京五輪金メダリストの陳夢と対決。第1ゲームを11-4で先取すると、第2ゲームではラリーの応酬の中で、7-11でタイとなった。第3ゲームは攻め込んだが8-11で落とし逆転を許した。それでもサーブを工夫するなど相手を揺さぶるなど奮闘。第4ゲームを落として万事休した。重圧の中で戦って敗れた張本。試合後、早田らチームメートに抱きしめられて涙をぬぐった。それでも最強・中国を相手に堂々のプレーを見せた。手に汗握る激闘を展開した日本チームに会場からは大きな拍手や歓声が贈られた。
 負けても勝ってもスポーツの試合には涙腺が緩む感動がある。ところが、戦争の勝ち負けは、共に涙が尽き果てた残酷さばかりである。

春の足音を聞きながら「冬ごもり」

 2月24日(土曜日)、夜明けまではまだ遠い3:42、パソコンを起ち上げて眺めた時刻である。起き出してくると私は、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラス際に佇み、一基の外灯が灯る道路を見た。雨は降りやんで、雨の跡は薄れて、かなり乾きはじめていた。しかしながら現在、寒気は取り残されて、わが身体はブルブルと震えている。一方、精神は破れたゴム風船のごとくに、ペシャンコになっている。
 2月の末近くにあって、このところのような天候不順は、わが記憶にない。換言すればたぶん、初体験である。とりわけきのうは、一日じゅう小雨まじりの酷い寒気に見舞われた。据え置き型のガスストーブは、熱気を飛ばし続けていた。しかし私は、茶の間のソファに背もたれて、これまた一日じゅう身を竦(すく)めていた。窓ガラスを通して眺めていた外の様子は、小雨が降り続ける寒々しい風景だった。この風景がわが身を竦め、縮(ちぢ)こませていたのである。現在の寒気は、きのうの延長線上にある。寒気に慄いて、駄文を綴る価値(甲斐)があるであろうかと、自問を試みる。答えは、綴る価値は無さそうである。そうであればこのところ書き続けていた「卓球・世界選手権団体戦」(韓国・釜山)における、いまだ途中結果のことを記して、再び布団の中へ潜ることにしたのである。
 日本の男子チームは、「パリ、オリンピック」の代表権を得たのちの宿敵・中国戦において敗れて、すでにトーナメント戦から姿を消して、メダルには届かずじまいである。一方、女子チームは、きのうの準決勝戦の対香港戦に勝利し、きょうの決勝戦へ進み、銀メダル以上を確定した。決勝戦の相手チームは、戦前から闘争心を剥き出しにしてきているこれまた中国である。日本の男女チームは共に、中国チームを倒すことを宿願にしてきた。なぜなら中国は、長年揺ぎ無い卓球王国である。それゆえに日本チームは男女共に、中国に勝たなければ世界制覇、すなわち頂上にはありつけない宿命にある。手許の電子辞書を開いた。「宿願:年来の願い。宿命:前世から定まっている運命」。わかりきっているこんな言葉はどうでもいい。卓球においては男女チームを通して、中国に勝つことはもはや日本国民の宿願でもある。いやいつかは、宿命と言える日が訪れるであろうか。あえなく、男子チームはすでに敗れた。ところが、女子チームはきょうの決勝戦へ勝ち進み、念願の中国チームと相まみれる幸運にありついている。
 日本のサッカーの代表チームは「なでしこ」であり、すると卓球の場合は、「なでしこ娘」でいいだろう。そして、今夜の私はテレビ観戦(声援)を通して、なでしこ娘の健闘に釘付けとなる。まさしく熱闘、熱々(アツアツ)に恵まれて、寒気が遠のくこと請け合いである。あすも、卓球のことを書きそうである。
 きょうのわが夫婦には、卓球クラブの練習へ行く予定がある。しかし、あいにくの雨降りと寒気に出遭えば、茶の間のソファに背もたれて、「冬ごもり」を続けることとなる。あな! 恨めしや。

天皇誕生日

 「天皇誕生日」(2月23日・金曜日、64歳)。天皇陛下には現人神(あらひとがみ)という尊称がある。しかし、神様ではない確かな証しには、天皇陛下も私同様に年齢を重ねられる。誕生日にはご家族そろって、祝膳を囲まれる。ところが私と異なるのは、誕生日にあっては国民にたいし、かつては勅(みことのり)を、現在はお言葉(コメント・メッセージ)を述べられることである。このしきたりにしたがって今回も天皇陛下は、記者会見を通してすでに国民たいしメッセージを述べられている。
 天皇陛下のお言葉には例年、ご誕生日近辺における日本社会の世情、この一年において日本社会に起きた出来事で気に留められたこと、そしてご家族の近況などがある。この文章は、記者会見にまつわる記事を一部引用しながら書いている。すると天皇陛下は、今回は会見の冒頭に能登半島地震にたいするご心痛を露わにされている。それは亡くなられた方への哀悼、遺族や被災された方々へのお見舞いの言葉として述べられている。さらには、被災地の復旧、復興も願われている。そして、「ご訪問できるようになりましたら、雅子と共に被災地へのお見舞いができればと考えております」と、被災地訪問の意向を示されている。
 日本社会の出来事で気に留められたことでは、若い世代の活躍として、これらを述べられている。スポーツの世界で野球のWBCでの日本代表チームの優勝や、米国メジャーリーグで活躍する大谷翔平選手の満票でのMVP選出、将棋の藤井聡太さんが史上初の8冠を達成したことを上げ、「若い世代の人々が、日々の努力の積み重ねにより新たな世界を切り開いていく姿は、私たちに明るい夢と希望を与えてくれました」。ご家族のことでは愛子さまの日赤へのご就職、そして皇后陛下・雅子さまの岩手県や北海道、鹿児島県、石川県への訪問、さらにはインドネシアへの訪問を喜ばれている。
 天皇誕生日の天候は、「あいにく真冬並みに寒さ」と、きのうの気象予報士は告げている。天皇陛下ご一家の、この先の安寧なお暮しを願うところである。わが脳力の衰えは日々自覚できるけれど、認知症への罹患は自覚できず、他人様の言葉や動作で知覚するだけである。
 このところのわが文章には、やたらミスが目立っている。脳力の衰えのせいと自覚しているけれど、他人様は認知症の兆しと思われているかもしれない。春先の天候不順は、夜明けにあって身に堪える寒さである。

文中の誤りを訂正し、お詫びいたします

 「パリ・オリンピック」の開催を来年と書き続けてきました。このことに際して、「ひぐらしの記」ではお馴染みの渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)から、「パリ・オリンピックは、今夏では?」という、ご指摘をさずかりました。
 渡部さんは、会社同期入社の仲間のおひとりです。こんなことでは飽き足らず、友情を超える渡部さんの優しさを付加いたします。一つには渡部さんは、毎朝「ひぐらしの記」を読んでくださっています。ところが、私がずる休みをした翌日にはパソコンメールで、私の体調を案じてくださっています。同時に、わが身に余る激励を賜っています。これに応えて私は、潮時と決めていた文章を書き続けてきました。そのうえにこのことは、渡部さんからだけ賜り続けているものです。
 渡部さんは「ひぐらしの記単行本、創刊号から直近の第90集」にたるまで、有償ご購入にさずかっています。これらのことを記して、渡部さんのご指摘の御礼にかえたいと思います。誤りはご常連の各位様にたいし、謹んでお詫びいたします。

気象の「どんでん返し」を食らっている

 2月22日(木曜日)、現在のデジタル時刻は、3:57と刻まれている。パソコンを起ち上げる前に、カーテンと窓ガラスを開いて、雨模様を確かめた。一基の外灯は、ピカピカと道路の濡れ光を照らした。雨は止んでいる。ところが、外気の冷たさに身震いし、慌てて窓ガラスを閉めて、二重のカーテンを重ねた。「寒いなあー」と、言葉が出た。
 パソコンを前にして椅子に座った。ご常連の人たちから、「おまえは、嘘つきカモメだ」と罵られて、大目玉を食いそうである。やおら、パソコンを起ち上げた。真っ先に、きのう書いた『冬の出口、春の入り口のさ迷い、わがさ迷い』を読み返した。不断の私は、書いた文章の読み返しはあまりしない。ところが、きのうの文章が気になっていたのである。なぜなら、その文章の中で、こう書いていたからである。気になる文章の復元はこうである。【きのうは春姿というより夏姿さえ、まったく異常に感じられないほどの気温の高さとポカポカ陽気だった。夜明け前にあって気温が高く、わが身体はまったく寒気を感じない。ところがきのうの気象予報士は、この先には気温の低い寒気が訪れと告げた。だとしたら、「冬の出口、春の入り口のさ迷い」であろうか】。
 文章の中の「この先」は、あまりにも短い「時」だったのである。寒気の緩みに浮かれていた私は、気象の変化に度肝を抜かれた。きのうはほぼ一日じゅう小雨が降り続き、つれてすばやく寒気が戻った。外れればいいのに、「真冬並みの寒気になります」という気象予報士の予報は、ズバリあたったのである。私には、気象予報士はしたり顔にほくそ笑んでいるように見えていた。雨は止んでいるけれど、寒気は取り残されて、居座ったままである。思いがけない寒気を食らい、身体は震えて長居は無用である。だから、文章の尻切れトンボを恥じず、ここで書き止めである。
 ここ二度ばかりの文章の付け足しは、あっぱれこのニュースである。現在、行われている「卓球、世界選手権団体戦」(韓国・釜山)において、日本の男女チームはきのうの試合において共に勝利した。その結果、来年行われる「パリ・オリンピック」における団体戦の代表権を得たのである。対戦国とスコアを記すとこうである。女子チームはクロアチアに3-0、男子チームはオーストリアに3-0、共にストレート勝ちだった。トーナメント戦にあって決勝戦までは、試合はまだこの先へ続いて行く。日本の男子チームはきょうには中国戦、ブロックを異にする女子チームは決勝戦まで勝ち残り、決勝戦では一方から勝ち残ってきそうな中国との対戦を望んでいる。
 付け足し文に助けられ、寒気を撥ね退けて、わが気分はいくらか和んでいる。朝日が昇り、暖気を含む夜明けはまだ先である(5:10)。