ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
華の親子道中
3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に入る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが凡庸な脳髄は、この二つで限界である。
このところのNHKテレビニュースは、千葉県東方沖(房総沖)における地震発生の多さを、まるで呪文(じゅもん)のごとく唱えて伝えている。もちろんこれには、警告という「良心」が付き纏っている。
きょうの私には、何十年ぶりだろうと思える「バスツアー」がある。行き先はこんな時期にあって、よりもよって千葉県方面である。ツアーの目玉は「成田山新勝寺」である。地震頻発を知らせる警告ランプが灯る中、危険を冒してのいで立ちである。同行する妻は、最後の最後まで地震を恐れて、わが決行を危ぶんでいた。しかし、配偶者の悲しさゆえに妻は、渋々同行を決意した。私とて気分良く進んで、参加を決め込んだわけではない。いや、これまた妻同様に渋々の決断だった。
ツアー呼びかけ人は、横須賀市内に住む娘である。これまでの私は、娘の様々な呼びかけに対しては、悉(ことごと)く「NO」を返し続けてきた。ところが、今回は「OK」サインを返したのである。娘は、当てが外れてビックリしていた。わが決断の真意は、わが人生最後の「親子道中」の決行だった。その行き先が、地震頻発中の千葉県中心になったのは「時の不運」である。バスの発着地は娘の住む横須賀市内で、出発時間は午前8時30分である。そのためには、わが家を早や発ちしなければならない。そしてこれには、歩行不自由の妻を引き連れていかなければならない。それゆえに時間厳守(8時半)にそって、わが家を出るのは6時半頃と決め込んでいる。このあおりを食って私は、真夜中にこの文章を書いている。身も蓋もない文章だけれど、継続の足しにはなる。駄文、詫びて謝るところである。
窓の外には強風が吹いている。しかし、幸いなるかな! 降り続いた雨は止んでいる。夜が明けて時が進めば、一転直下、晴れの予報である。地震頻発の警告ランプは灯り続けている。携帯するスマホにただならぬ「アラーム(警報)」が鳴り響くかどうかには、「知らぬが仏(ほとけ)」を決め込んでいる。なぜなら、地震を気に揉んでいては「わが人生最期の『華の親子道中』」にはありつけない。地震の恐れはあるものの晴れの予報は、粋な天の配剤なのかもしれない。
春の訪れ、迷い言
3月12日(火曜日)。卓上カレンダー上には、「奈良東大寺二月堂お水取り」と記されている。古来、伝統ある歳時(記)なのであろう。しかしながら私は、どんな催しなのか、まったく珍紛漢紛である。ゆえに私は、この文章を閉じれば、パソコン上のインターネットで学ぶ心づもりにある。
きょうの天気は雨の予報である。ところが、雨はきょうかぎりで、あすは晴れの予報である。冬の雨には濡れたくない。春の雨には濡れても構わない。もとより、氷雨と暖雨の違いである。これまで、呆れかえっていた季節狂いの春は、ようやくきのうあたりから本来の春の訪れにある。今のところ窓の外には雨降りはなく、パソコン部屋は頭上に二輪(にわ)の蛍光灯がともる、夜の静寂(しじま)にある。先ほどの洗面における蛇口の水は温んでいて、私は怯えず隈なくかつたっぷりと顔面を濡らした。パソコンを起ち上げて椅子に座す現在(4:21)、寒気は緩みこれまたまったく怯えはない。
こんなのどかな季節、いや春の訪れにあって過去(13年前)には、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)が起きたのである。地震は、季節構わず起きる証しでもある。きのう(3月11日・月曜日)のテレビ映像にはほぼ一日じゅう、この地震にまつわる厳粛な祈りの儀式、さらには様々な悲しい光景が映し出されていた。時あたかもことしの初日(令和6年・2024年1月1日)には、「能登半島地震」が起きた。こちらには「大震災」という冠は付いていないけれど、実際の惨状は「能登半島大震災」が適当であろう。いや、震災は大小にかかわらずどれもこれもが大震災である。命名は大事である。なぜなら、命名を誤れば惨状を伝えきれないところがある。震災地および被災者にすれば、メデイアのニュースからは外れても、悲惨きわまりない大震災同然である。
日本列島に住むかぎり国民は、常に大小の地震の恐怖に晒されている。きのうの私は、ひっきりなしに現れる「東日本大震災」の映像に身を竦めていた。挙句、身勝手なことだけれど、わが生存中にあっては、震災に遭わないことを願っていた。相対する妻の身体は、悲惨な映像が現れるたびにブルブル震えていた。ようやく、待ち望んでいた「春」が来た。地震さえなければ日本国民にとっては、「わが世の春」である。学び舎は、どこかしこ卒業式たけなわの頃にある。翻って私の場合は、寒気に震えることなく、のんびりと文章が書ける季節の到来である。文章の出来不出来はともかく、心身は寒気に凍えることなく和みにありつけることとなる。
杉山に囲まれたふるさと時代に耐性ができたのか、幸いにも私には花粉症状はない。春が来て困るのは、暖気に緩む脳髄のボケふやけである。ボケふやけの試しは、「奈良東大寺二月堂お水取り」の学びになりそうである。
春の寝坊助
3月11日(月曜日)。寝坊したため文章は休みます。夜明けの天気は晴れて、寒気は緩んでいます。『HIROKIのタレント日記』に救われています。短い文章には、作者高橋弘樹様のお人柄と優しさが溢れています。
きょうの過去のある日は、「東日本大震災の発生日」です。(平成23年・2011年3月11日14時46分)。地震は注意して防げるものではありません。しかしながら、御霊に祈りを捧げ、鎮魂歌を口ずさむことはできます。だから、私のきょうの日課の一つには、そうすることが入っています。この祈りが虚しいと言っては、罰が当たります。いや、生きている者だけが得られる特権です。
朝日はのどかに輝きを増し始めています。レイクエム(鎮魂歌)は何度でもいいはずです。まずは朝日を眺めて、こころ切なく祈ります。
「『ひぐらしの記』がもたらしている僥倖」
3月10日(日曜日)。歳月日時はまるで、鉄棒競技の大車輪のごとくに速く駆けめぐる。もちろん、知恵多い、人間の手に負えるものではない。とりわけ、老いの身を生きる私には、唖然とするばかりである。嘆いてもしようがないことだけれど、私は日々嘆いている。
春3月もきょうで、上旬(10日)が過ぎてゆく。わが身に堪(こた)える速さである。3月になれば寒気は、日を追って遠のくばかりと思っていた。だから余計、現在(3:39)の寒気の戻りには、わが身体は箆棒に堪えている。しかしながら寒気の戻りは、気分を引き締めて堪(こら)えることができる。
堪えようのないのはやはり、実感する歳月日時の速さである。年周りの速さでは、来月4月に早や、次兄の一周忌が訪れる。月のめぐりの速さでは、これまで何度か書いたけれど、月ごとの薬剤切れにともなう通院の速さである。そして、日時の速さでは、時を空けず「ひぐらしの記」の執筆がめぐってくる。長いことでは定年(60歳)後、そして「ひぐらしの記」を書き始めて以降の歳月の速さである。止めようなく歳月日時は、先々へ駆けてゆく。先のないわが身にあってはそれでもやはり、嘆いてもしょうのない痛恨事である。
さて、起き立ての私は、心中にこんなことを浮かべていた。「ひぐらしの記」を書いてきたことで私は、凡庸な脳髄をさらけ出し、数多(あまた)の恥をかいてきた。一方、ひぐらしの記にめぐり合えたことで、恐れていた定年後の空虚な「時」を免れてきた。顧みればこのことは私に、夢のようないや「正夢の僥倖」をもたらしたのである。このことには大沢さまのご好意をはじめとして、友人知人そして声なき声のご常連様の励ましとご厚意にさずかってきた。わが真摯きわまりないうれしい述懐である。
きのうは短い文章を書いた。続いてきょうも、短い文章を書こうと決めていた。そして、わが心中に浮かんでいたことはこのことだった。それゆえに表題は、「『ひぐらしの記』がもたらしている僥倖」でいいだろう。確かに、「もう潮時、もう潮時」と脅かされながらも私は、ひぐらしの記がもたらす僥倖にありついている。実際には人様からさずかる温情(わが身に余る情け)に浸り、常に喜びを嚙みしめている。うれしいことを書いたゆえであろうか、寒気が緩んでいる心地にあり、わが気分は和んでいる。確かに、人様が恵んでくださる箆棒な「情け」のゆえである。歳月日時の速めぐりだけは手に負えない。そのぶん私は、人情の温かさに浸りきっている(4:43)。春は自然界に頼らず、みずからの心の持ちようで育(はぐく)むものなのかもしれない。
生きている
3月9日(土曜日)。今現在は(4:45)、生きて起きている。しかし、この先はわからない。命の絶えは、時を置かずかつ一瞬である。窓を開けた。雨や雪はなく、風も感じない。窓を閉めた。それでも、寒気が身に沁みる。おのずから心中に浮かぶのは、「能登半島地震」における、震災地の復旧具合と被災者の生活ぶりである。テレビニュースが伝える悲惨きわまりない映像は、今しばらくは消えそうにない。しかしながら、被災地と被災者は置いてきぼりにされたままで、やがて映像は遠ざかる。メデイア、いや人の世の宿命である。なぜなら、人の世にあっては、新たに伝えなければならない出来事が日々追っかけ、ぐるぐる駆けめぐる。この中にあって人の命は、芥子粒ほどに小さいものである。だけど、人の命はゴミ芥(あくた)とは異なり、取るに足らないものではない。やはり、人の命は尊厳である。だから、個々人はもとより、社会全体で大事大切にしなければならない。
寝言いまだ消え去らず、こんなことを書いて、きょうはおしまいである。私は温もりのある映像を欲しがっている。いや、だれでも欲しがっている。ネタなく書いたけれど、夜明けはまだ先である(5:16)。人工のもたらす春は遠くても、能登半島には陽射し暖かい、春の訪れを願っている。
小雪の夜明け
3月8日(金曜日)。きのうに続いて、パソコンを起ち上げる前に、二つの行為をした。今や、起き出して来て、ほぼ行うルーチン(決まり切った行為・動作)である。
きのうの気象予報士は、きょうの天気予報に際して、関東地方には降雪と伝えた。天気図上のわが住む鎌倉辺りには、東京都内と変わらず2~5センチ程度の積雪を伝えた。それゆえにきょうは、まずは雪模様の確認であった。私は傍らの窓ガラスに掛かる二重のカーテンを撥ね退けて、窓ガラスを通して外を眺めた。すると目の前に、小雨か、霙(みぞれ)か、小雪みたいなものがちらついた。身体が冷えていて、私には窓ガラスを開いて右腕を外気に差し出す勇気はなかった。なさけない、心許ない外気の確認である。
そののちは足を運んで、私は雨戸を閉めていない前面の窓ガラス際に立った。ここに立てば窓ガラスを通して一目瞭然、外の様子が見渡せるからである。一基の外灯は、直下の道路のみならず、近くに建つ家並みを照らしていた。道路は濡れていたけれど、薄い雪さえなく、普段の雨降りの道路だった。この先、予報を違えず霙や雪に変わったとしても、現在は小雨模様である。
きのうに続いて私は、カレンダー上の添え書き、すなわち歳時(記)を確認した。すると、きょうには「国際女性デー」と記されていた。私には、きのうのNHKテレビニュースの一つがよみがえった。そのニュースは、このことにちなんでいたのかもしれない。いや、確かにそうだったのである。
【女性の働きやすさランキング 日本は29か国中27位 英経済誌】(2024年3月7日 11時43分)。「3月8日の『国際女性デー』を前に、イギリスの経済誌『エコノミスト』が、主要な29か国を対象に女性の働きやすさを評価したランキングを発表し、日本は最下位から3番目に」
記事の引用は短く、一部だけにしたけれど、記事の伝えるところは十分に理解できた。日本の国には、悪しき慣習を伝える「男尊女卑」という、言葉が長く根付いている。この言葉を打破し、そして捨てないことには、働き方だけなく日本の国における女性の地位は、この先も男性に対し低い位置に留まるであろう。ゆえにこの汚名の返上は、男性の責任でもある。日本の国における女性の有能さは、最も身近なところで私は、大沢さまから日々、感得・認知している。
あれれ! 夜が明けると、前面の窓ガラスを通して見える二軒の屋根の上には、雪がかぶさっている。今のところは一センチ止まりであろうか。それでも、このところの気象予報士の予報は、ズバリ当たっている。私は身を竦(すく)めて、予報の当たりを褒めるどころか恨めしく眺め、そして嘆いている。
春先の気迷い文
3月7日(木曜日)、カレンダー上には「消防記念日」という添え書きがある。起き出して来て窓ガラスを通し、私は真っ先に外の様子を見た。一基の外灯は、風雨なく乾いた道路を照らしていた。わが身体に寒気は遠のいて、私はのんびりとキーを叩き始めている。きのうの昼前あたりから、ようやく陽射しが見え始めた。すると私は、茶の間のソファから立ち上がり、勢い込んで買い物支度を始めた。わが突然の豹変を見て、相対していた妻は、呆気にとられていた。そして、その表情にひとこと加えた。
「パパ。買い物へ行くの? また、雨降るわよ!」
「行ってくるよ」
私は普段の買い物のいで立ちで、大船(鎌倉市)の街へ出かけた。買い物を終えて、わが家に帰り着くまで、雨は降らなかった。その後も、風雨は去ったままだった。そして現在(4:20)、風雨および寒気共になく、ようやくこのところの気狂いの気象は落ち着き始めている。夜明けてその先、春の陽気になれば万々歳である。
気分が緩んでいるせいか、私は心中にこんなことを浮かべている。現行のわが身体の補強行為は、ざっとこんなところである。すなわち、目には眼鏡、耳には補聴器、そして口内には差し歯と入れ歯がある。一方、命の延長策には有償の医療行為を行っている。それらは、こんなオンパレードである。緑内障の進行防止には一日に一度の点眼液。便通を促す薬剤は朝夕の服用。腎不全と悪玉コレステロールの改善薬剤は、前者は朝一度、後者は夕一度。これらに加えて、予約通院を繰り返しているのには、半年ごとに訪れる緑内障の経過観察がある。
これらに無償の散歩、テレビ体操、欲張って軽い筋トレが加われば、命の延長策は「鬼に金棒」である。ところが、生来怠け者の私には、これらはまったくの縁無しである。無償で済むことゆえに、もったいないとは思うけれど、どれも果たせず残念無念である。挙句、身体の補強行為そして命の延長策共に、多額の医療費まみれを被っている。まったくなさけない。
きょうはいくらか短く、こんな無粋なことを書いて、結文を決め込んでいる。半面、このところのだらだらの長い文章の償いと詫びとするものである。私は、きょうあたりから春本番の陽気の訪れを願っている。もちろん、地中の虫たちも、願っているはずである。ただ、「救急車」の走り回りだけは、真っ平御免蒙りたいものである。いまだ夜明け遠く、きょうの天気を知ることはできない。
春は悪魔
3月6日(水曜日)、わが身体は寒さでブルブル震えている。いまだ夜明けまでは遠く、夜の佇まいにある(3:52)。部屋の中は夜の静寂(しじま)とは言えない。なぜなら、戸袋の雨戸は風の音で、頻りに打ち鳴らされている。雨戸を閉めていない前面の窓ガラスには雨垂れが、無数の筋を引いて滂沱のごとく流れ落ちている。窓ガラスを開いて、外の様子を確かめるまでもなく、風雨強い大嵐である。酷(ひど)い寒気に見舞われて、老いの身は甚(いた)く堪(こた)えている。身体を震わしてまで書く文章でもない。長居は無用である。だから、このことだけを書いて、早々に退散を決め込んでいる。
きのうの文章は表題に『啓蟄』と記して、春本番の訪れを書いた。実際には啓蟄にともなってズバリ、地中の虫たちの蠢(うごめ)き出しのことを書いた。ところが、きのうは気象予報士の予報が当たり、日本全国津々浦々にあっては、雨、風、雪、加えて寒気がそろう悪天候に見舞われた。わが恐れていた寒の戻り、寒のぶり返しを用いて、挙句、真冬並みの寒さだった。啓蟄にあって春は、季節狂いを演じたのである。そして、季節狂いはきのうで打ち止めとはならず、きょうの現在まで持ち越している。季節は春、とりわけ啓蟄に背いて、とんでもない仕打ちを続行中である。それゆえに、きのう使ったフレーズをきょうも使って、この文章は書き止めである。
「季節は嘘つき!」、重ねて「春はごまかし!」。地中の虫たちの地上への這い出しは、余儀なく日延べを食らっている。私もまた、もうしばらく「冬ごもり」を食らっている。春の悪戯(いたずら)とは言えない、「春は悪魔」である。
啓蟄
季節のめぐりはカレンダーに記されている。きょう(3月5日・火曜日)には、二十四節気の一つ「啓蟄(けいちつ)」と、記されている。啓蟄は、机上の電子辞書にすがることもなく知りすぎている。蟄居(ちっきょ)とは、虫が地中に潜っていることを言う。そして、蟄居(ちっきょ)を啓(ひら)くこと、ゆえに啓蟄とは、地中で冬ごもりしていた虫が地上に這い出ることを言う。地上に春が訪れて、冷えきっていた地中は温もり、地中の虫はきょうあたりから蠢(うごめ)き出し、そしてより暖かさを求めて地上へ姿を現してくる。虫たちにとっては、ようやく耐え忍んでいたわが世の春の訪れである。本格的な春の訪れを告げる啓蟄は歓迎するものの一方、ムカデを筆頭に虫嫌いの私には、眉を顰める季節の到来でもある。
地上では草木は新たに芽吹き始めて、木の葉や草の葉はすでに、艶々の萌黄色を成している。虫たちの這い出しとは違ってこちらには、何ら恨みつらみはなく、私は日々美的風景に酔いしれている。ちょっとばかり恨みがつのるのは、わが庭中に茂りを強めている雑草の萌え出しである。確かに季節は、啓蟄の訪れに背くことなく早々と、このところ春の証しが現れている。
その一つ、「春眠暁を覚えず」の候にあってきょうのわが起き出しは、いつもより遅れをとっている。おのずから執筆時間の切迫(感)に襲われて私は、悪癖すなわち走り書きと殴り書きの抱き合わせを被っている。現在のデジタル時刻は4:49と刻まれている。ところが、春本番の訪れにあっても気象はまだに気まぐれであり、天候不順から脱し切れていない。なぜなら、きのうの気象予報士は、短いこの一週にあっても日本列島の地図(天気図)の上に、雨、風、雪、晴れ、曇りなどのマークを印して、なお、雪崩、真冬並みの寒さなどと、知るかぎりの気象用語を重ねていた。すると、わが心中には(春は嘘つき!)という、フレーズが浮かんでいた。
きょうの文章は、書き殴りで「啓蟄」のおさらいである。
春到来
春は「節分」(2月3日)、明けて「立春」(2月4日)からスタートする。そして、「ひな祭り」(3月3日)と「啓蟄」(3月5日)を越えれば、いよいよ「春到来」のゴングが鳴る。こののち、春本番すなわち春の真っ盛りは、「春分の日」(3月20日)辺りであろう。
きょう(3月4日・月曜日)の私は、カレンダーが記すことをあえて、心中に浮かべて起き出している。書くまでもないことを書いたのは、これまであれほど虐められてきた寒気が緩んでいて、待ち望んでいた「春」を体感しているからである。現在のデジタル時刻は、4:59と刻まれている。きょうの文章は春到来を告げる、すなわちこのことだけで十分である。なぜなら、季節の恵みが深々とわが心身を潤している。
一方では矛盾するようだけれど、わが気分が萎えている。それは、常にわが心身につきまとう六十(歳)の手習いの難儀ゆえである。難儀を類語に置き換えれば苦悶と苦衷になる。六十の手習いにあってわが文章は、何年書こうと育ちきれない雛(ひな)、すなわち「ひよっこ」のままである。だから、女児の「ひな祭り(雛祭り」になぞらえて、わが文章の「雛祭り」でもして、気分を癒したいところである。
わが文章の不出来は、凡庸な脳髄と指先不器用の抱き合わせのせいである。それでも、これらにすがらなければ文章は書けない。「針供養」という歳時(記)がある。真似てきょうは、わが脳髄と指先の供養日として、この先は書き止めである。そしてしばし、春到来気分に耽り、これまでの寒気で疲弊している心身を癒すつもりである。
この文章の恥晒しは厭(いと)わない。なぜなら、文章を書くたびに私は、恥を晒している。もとより、恥カキは「なれっこ」である。無償の春が来た。十分、満喫したいものだ。寒気は遠のいている。こののち寒気が訪れれば、私は「寒のぶり返し」あるいは「寒の戻り」と書く羽目になる。