ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
「桜、様様」の一文
4月11日(木曜日)。目覚めて起き出し、慌てふためいてパソコンへ向かっている。夜が明けて、ほのぼのと朝日が射している。すでに、ウグイスは鳴いている。この時間、地震が起きなければ、わが心は急いているけれど、のどかな夜明けの訪れにある。しかしながらこの先、地震が起きない保証はない。少しでも揺れると、わが気分は騒擾(そうじょう)となる。
春の季節のわが気分は、天候しだいである。晴れれば晴れ、曇れば曇り、雨降れば雨になる。春の天候は晴れ一辺倒ではなく、また雨ばかりでもない。まるで、一膳飯屋の日替わり飯さながらである。きょうは飛びっきり旨い、上等の晴れの夜明けが訪れている。心は急いているけれどつれて、寝起きの気分は心地良い。ところが意に反し、文章は書けない。寝起きの脳髄の空っぽに加えて、ネタ無しのせいである。それでも書こうと思えばやはり、桜の花に「おんぶにだっこ」である。
きのうは、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。用件はもちろん、買い物である。わが家と最寄りの「半増坊下バス停」間の道を往復、私はとぼとぼ歩いた。満天、大海原とまがう青空だった。地上のあちこちには、桜木が立っている。眺める山には、山桜が映えている。進む道の傍らに立つ桜木の下、私は歩を止めた。おとといの大嵐に打たれて、(もうだめかな……)という思いで眺めた桜の花は、まだかなり残っていた。確かに、葉っぱが目立つ中の花びらであり、満開どきの花は大嵐に蹴散らされていた。しかし、いまだ葉桜とは言えず、花見気分横溢である。
私は往復共に立ち止り、一本の桜木の下で、花見気分にひたっていた。まさしく、天上は青空、地上は桜の花、がおりなす無償の絶景である。しばし私は、仰ぎ見る絶景に酔いしれていた。後景に山桜映える山のグラデーション(色調)も見栄えする。これらに、ウグイスの鳴き声が加わっている。青空と桜の花とそしてウグイスの鳴き声、すなわち三つ巴のコラボーレーション(協演)であった。ゆえに、桜木の下のわが気分は爽快だった。
すっかり夜が明けて青空の下、朝日はいっそう輝きを増している。ウグイスは軽やかに鳴いている。耐え残っている桜の花は、きょうは散り急ぐことなないだろう。ケチな私は、書くまでもないことを書いて、継続文の足しにしたのである。「桜、様様」の一文である。
「桜雨」、そしてわが造語「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」
4月10日(水曜日)。この時間(4:31)はまだ暗闇で、夜明け模様を知ることはできない。体感で知り得るところは、閉めている雨戸を鳴らす風の音、身体冷え冷えの寒の戻りである。一か所、雨戸開けっぴろげの前面の窓ガラスに雨粒と雨筋はなく、雨は降っていない。きょうの昼間は晴れの予報である。
おとといのわが夫婦の花見は、寸でのところで雨をとどめた、幸運な一日に恵まれた。わが夫婦の不断の行いが良いことはないのに、粋な天界の思し召しだったようだ。明けてきのうは一日じゅう風雨強く、悪たれの自然界現象に見舞われた。わが心中にはふと、「桜雨」ということばが浮かんだ。こんなことばがあるのかな? と、疑いながら電子辞書を開いた。すると、わが意にぴったりの説明書きで掲載されていた。
「桜雨」:桜の花の咲く頃の雨。
これだけである。なんだかそっけなく、風情もなく物足りない。だからこんどは、スマホでことばの検索を試みた。さすがに、時流のスマホの説明書きには「情」がある。
【桜雨:桜の時期に降る雨は、「桜雨」「桜流し」と言います。素敵なことばの響きではありますが、花を楽しむ時間が短くなってしまうのは、少々残念な気もしますね。ただ、雨の日のお花見というのもまた乙なものです。桜の花に雫がしたたり、雨とともに少しずつ散る姿は、少し寂しさを誘うような…。いつもは味けなく感じるビニール傘も、「桜雨」「桜流し」を楽しむには、もってこいのアイテムになります】。
ところがきのうの雨は、確かに桜雨には違いないけれど、憎たらしい自然界現象だった。ゆえにこれまたふと、私は心中にこんなことばを浮かべていた。「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」である。そしてこんどははじめから、電子辞書とスマホの両方で説明書きの有無を確かめた。ところが三つとも、いずれにもなかった。結局、この三つのことばは、きのうの大嵐同然の風雨の強さを見ながら、心中に咄嗟に浮かんだわが造語だった。
三つのわが造語共通に言える意味は、「桜雨にあって、まるで桜の人気を妬み、僻み、なお潰すかのような、酷い雨の降り方」である。辞書にはなくともこの先、わが造語を心中の辞書に掲載して置くつもりである。身体の骨はポキポキ折れないけれど、寝起きの文章書きは、つくづく骨が折れるところがある。5:31、雨なく、風強い、薄っすらと朝日お出ましの夜明けが訪れている。満を持していたウグイスも鳴きはじめるであろう。ゆえに、おととい鎌倉市街・鶴岡八幡宮の参道「段葛」で仰いだ桜の花が、いっそう哀れに思えている。いや、きのうの雨の降り方には、ただただ憎さ百倍がつのったのである。なぜなら、きのうの雨の降り方には、桜雨の風情のかけらもなかったからである。きょうの晴れは、きのうの雨のつぐないにはならない。
物心つきはじめの文章体で、「段葛の花見」
4月9日(火曜日)。軽やかなウグイスの鳴き声に変わり、雨の音がつれなく響く夜明けが訪れています。春の雨は、きのう見た桜の花が心配です。半面、春の雨は、心地良い寝坊を誘っていました。花見それにともなう疲れは、共に心地良さを恵んでいました。挙句、寝坊助に陥り、物心つきはじめの頃の文体で、走り書きを始めています。
きのう、妻と連れ立って歩いたり、立ち止まって仰いだりした花見通りは、「鶴岡八幡宮」の参道を成す「段葛(かずら)」でした。段葛とは、「若宮大路」の真ん中道に一本道を成す、約500メートルの古来の参道です。両側には参道のどこかしこに見られる(売らんから剥き出しの)店舗が連なっています。私はきのうの文章の予告に違わず、ヨチヨチいやヨロヨロ歩きの妻をともなって、段葛の花を目当てに、桜見物を愉しみました。長い段葛の両側には、桜木がほぼ等間隔に、(きょうこそが満開だ!)と誇るかのように咲きそろっていました。ただ残念無念だったのは、このことです。すなわちそれは、桜の花と美的コラボレーション(協演)を成す青空は、今にも雨が落ちてきそうな曇り空に出番を挫かれていたことです。ところがそれにも構わず小道は、歩いてはすぐ立ち止まりカメラを向ける花見客、そして花とそれらの人を交互に眺めて歩く人の群れの往来で、雑踏を極めていました。しかしながら普段の雑踏と比べると、花見客が寄り合う雑踏には文句のつけようはありません。花見の雑踏には、桜の花と出会う人たちの笑顔を交互に見る心地良さがあります。
ところが一方、私は往来する人の波の中にあって、「浦島太郎」の心境をたずさえていました。単刀直入に言えば久しぶりに訪れた鎌倉の街は、見知らぬ「異人の街」へ変容していました。私には雑音まがいの言葉を聞き分けたり、わが顔すれすれの異人の顔を見分けたりできる能力(脳力)はありません。ただただ私は、久しぶりに訪れた鎌倉の街の変容ぶりに驚いて、半ば花見そっちのけで妻を労わりながら歩きました。花見どきの段葛そして鎌倉の街は、わが未知の「異国の街」へ様変わっていたのです。驚きと同時に、わが心中にはうれしさが込み上げていました。それは世界共通、人類共通、そして桜の花見の楽しさもまた人共通と、実感できたことです。
ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区には、桜の花はないのでしょうか。なければ、苗をやればいいです。時期は遅くなりましたが数年後には、荒れ果てた街に、桜の花が咲き誇るでしょう。夜明けの雨は、勢いを増して降り続けています。(濡れて行こう……)。春雨でないのは無念です。私には、「段葛の桜」が危うく偲ばれています。
桜の花は平和の象徴
4月8日(月曜日)。いよいよきょうあたりから日本社会は、出会いの月4月にあって、人々の本格的な実動が始まる。学ぶ者は勉強に、働く人は仕事に本腰が入ることとなる。人間の集団を成す実社会が動き出すのだ。まもなく夜が明ける。この時間(5:17)、雨は降っていないようだ。きのうは夜が明けるとやがて、夜来の雨は降りやんだ。私は時刻表8時15分のバスに乗り込んだ。向かう先は、次兄の一周忌が営まれる、東京都国分寺市である。一周忌法要は、次兄宅の近くの寺である。開始時間は、午前11時と案内されている。
私は自宅に立ち寄り、長男で甥っ子の車に乗り、寺へ着いた。時間に間に合って安堵した。生きている次兄に会う愉しみはない。私は、お坊さんの読経に聞き耳を立てた。法要(儀式)は、しめやかに、かつ、おごそかに営まれた。私は心の中に、掲げられていた次兄の穏やかな顔の遺影をきっちり刻んだ。遺影は、どんなに美しく撮られていようと別れのしるしである。私の周りには甥っ子・姪っ子、それらの家族がうちそろっている。もとよりみんな顔見知りであり、ゆえに出会いの言葉をかけあう。
一周忌の法要が済むと、そろって寺を出た。「昼膳は自宅で用意されています」と、次兄の長男がみんなに言う。私は三兄の長男・甥っ子(東京都昭島市)、四兄の長男・甥っ子(国分寺市内恋ヶ窪)と連れ立って、のんびりと歩いて、自宅へ向かった。この間には、名所「国分寺史跡」がある。原っぱまがいの史跡は広大である。史跡全体は、満開の桜の花に彩られていた。桜木の下には三々五々、花見客が集って花見を楽しんでいた。のどかで平和な光景である。
一年前のこの時期の私には、桜を見る気持はなく、入院している次兄の病床の傍らで何日か寝泊まりして、苦悶を続けていたのである。そのせいか私は、国分寺史跡で見た桜光景ののどかさと、集い合う花見客の和みに、度肝を抜かれていた。ところが、ここに留まらずきのうのスマホには、あちこちの友人、知人から、桜だよりが満載にとどいた。桜の花は、まさしく平和の象徴と実感した。
夕闇迫る6時過ぎに、わが家へ帰り着いた。玄関口のブザーを押すと、妻が出向いてドアーが開いた。私の口は開いた。
「ただいま。ありがとう。あした、若宮大路(鶴岡八幡宮の参道)の花見に行こうよ。桜、満開だよ」
不意を突かれた妻は「おかえりなさい。パパ、どうしたの? そうね……」と、キョトンと言葉を返した。
人の命は尽きる。桜の花も尽きる。私は、心急いていたのかもしれない。ただきょうは、あいにく雨の予報である。確かに、夜明けの空は雨を呼びそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれて、鳴き声を躊躇している。雨に打たれて散り急ぐ桜の花はしのびない。憐憫の情をたずさえた花見になるかもしれない。
無常の夜明け
4月7日(日曜日)。「光陰矢の如し」、重ねて「歳月流れるごとし」。病床で固唾をのんだ苦衷がよみがえる。小雨降る、「無常の夜」が明ける。早出で、次兄のいない東京(国分寺市内)へ向かう。せつなく戸惑う、次兄一周忌。たぶん法要は、姿無き者にとっては何らの慰めにもならないはずである。生きている者の切ない営みにすぎないであろう。
切なさを消さないためにきょうの私は、いつものだらだら文は書かない。お釈迦様が説く、あの世で次兄に会う愉しみなど、あろうはずはない。親と多くの姉・兄・弟たちと別れ(永別)て、とうとう「われひとり」だけ生きる、わが身のつらさ、せつなさ、哀しさが込み上げている。まもなく、黒ネクタイを締めるわが手は、ブルブルと震えるであろう。自分のときは締めることはできない。ゆえにこの瞬間は、喪服に身を包む、わが最後の厳かな儀式になりそうである。すなわちこれは、とことん、われひとり生きる悲しさである。小雨は大雨に変わっている。わが両目は、瞼が抑えきれずに涙を流し続けている。
寒気を凌いで、心温かいニュース
4月6日(土曜日)。夜明け前にあって、おお! 大寒い。きのうの天気概説にあって気象予報士は、「花曇りと花冷え」の言葉を重ねた。これに私は、「寒の戻りと寒のぶり返し」を加えていた。きのうの低気温、それにともなう肌身の冷えと寒さは、私にはまさしく桜の花時に見舞う「悪戯(いたずら)四重奏」と、思えるものだった。二重ねのカーテンと窓ガラスを開いて、外気を確かめた。雨は降っていないようだけれど、舗面は雨の跡を残して黒光りしていた。外気の冷たさに遭って、すばやく窓を閉めてカーテンを重ねた。寒気に震えた私は、この先文章に呻吟する長居は無用と決めた。すると、いつもの習わしにしたがって、パソコンを起ち上げた後に眺めた、メデイアの伝えるニュース項目の一つが浮かんだ。寒気に震えている私には、またとない心温まるほっこりとするニュースだった。おりしも日本の政界は、バカ騒ぎのさ中にある。(こんなニュースはいいなあ……)。うれしさ余って私は、全文引用を決意した。
【台湾総統、日本に謝意表明 地震受けた資金協力で】(4/5・金曜日、18:34配信 共同通信)。台湾の蔡英文総統(ロイター=共同)。【花蓮共同】台湾東部沖地震で日本の上川陽子外相が緊急無償資金協力による支援を実施すると発表したことを受け、台湾の蔡英文総統は5日、X(旧ツイッター)で「日本の皆さまに心より感謝申し上げます」と日本語で謝意を表明した。
蔡氏は、日本と台湾は「互いに支え合う堅実なパートナーです」と言及。日本政府だけではなく、自治体や企業も自発的に募金活動を行い「(日台の)助け合いの精神を発揮してくださっています」と強調した。台湾語は知る由ないけれど、「ありがとうございます。震災、つらいですね。こんどはこちらから、お返しです」という、互いの助け合い精神は、国を違えても人民共通であってほしいものである。
地球上に住んで、地震をはじめ頻発する自然災害を被ることに国境はないはずである。台湾外交部(外務省)も5日、謝意を表明する談話を発表した。心地良い文章に駄文を重ねては、蔡英文総統の謝意と温和な心意気を汚すこととなる。夜明けて雨雲、寒くて、ウグイスも塒(ねぐら)寝を続けている。
「年の功」なく、「年の徒」
4月5日(金曜日)。ウグイスのエールを聞けない、雨の夜明けが訪れている。もとより、自力では元気づけはできない。おのずから文章は、身動きの出来ない袋小路に嵌っている。ネタなくこんなことでは、「三十六計逃げるに如かず」である。だから、逃げる。
起き立てに浮かんでいたのはこの成句である。「亀の甲より年の功」。長年(83歳)生きている私に、「年の功」はあるであろうかと、自問を試みる。答えは、何一つ浮かばない。結局、私にかぎればこの言葉は、お飾りの「画餅、すなわち絵に描いた餅」にすぎない。逆に、「年の徒(あだ)」を自認するところはかぎりなくある。年の徒ということばは、電子辞書をはじめ数多の国語辞典にはない。なぜなら、わが咄嗟の造語である。きょうはこんな恥さらしを書いて、継続文の足しにしようと決め込んでいる。ネタなく、休むつもりの大恥である。
出会いの月4月は、あすとあさっての週末二日を終えると、いよいよ出会いは初々しい佳境状態に入る。街中には、新調の背広やスーツに身を包んだ若者の往来が激しくなる。上下左右に揺れるピカピカのランドセルを背負(しょ)う小学校一年生の登校姿は、時代は変わっても変わりない美しい絵になる光景である。見るたびにどちらも、わが思い出を懐かしくよみがえらせてくれる。
過ぎた別れの月3月は、気分切なさの月である。すると、出会いの月4月は、それを撥ね退けて気分がふくよかになる月である。この気分に桜の花が味方をしてくれる。しかしながら、桜の花にすがってばかりでは、散りゆく桜と共に気分は賞味期限を迎えることとなる。やはり人は、桜の花の恵みや他力にすがることなく、自力を強めなければならない。出会いの月は半面、気分は憂鬱にもなる。たぶん、人疲れ(出会い疲れ)なのかもしれない。このことは、つらい思い出である。
たった30分ほどの殴り書きとはいえ、ネタない文章は気づかれ旺盛である。ゆえに、結文といたします。雨の夜明けが、憂鬱気分をいや増しているせいもある。あれ! 本来の美声には程遠い、トレーニング中のウグイスの声が聞こえている。
絵になる桜風景、だがしかし
4月3日(水曜日)。気象予報士の予報はズバリ当たり、きのう一日だけの好天だった。夜明けの空は、今にも雨が降り出しそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれているのであろうか? エールは沙汰止みである。桜の花もきょうは、大空を仰いで(どうするべきか?)と、気迷っているはずである。私は短い文章を書いて、指先を擱くつもりでいる。
私の場合は、こんな夜明けでは気分が晴れず、ずる休みである。きのうの私の行動もまた、妻をともなってズバリ予告どおりだった。当住宅地内のS医院への通院を終えると、近くの公園でしばし花見をした。ところが、この予告の行動に加えて二人は、最寄りのバス停からめぐって来たバスに乗った。バスは「大船(鎌倉市)行き」循環バスである。大船の街は、わが普段の買い物の街である。いつもはわが単独の買い物行動だけれど、きのうは妻が付き添った。帰りのバスでは、わが家最寄りの「半増坊バス停」で降りた。この先はわが家へ向かって一部、新興住宅地を開いたおり、大手デベロッパーが勝手にグリーンベルト(緑道)と名付けた狭い一本道がある。名に恥じてどうてことのない、両かたわらに植込みを成し、真ん中をコンクリートで固めた舗道にすぎない。そこには、何本かの里桜が立っている。それを眺める後背には、開発を免れた山に山桜が点在している。足を止めて眺めると、人工と野生のコラボレーション(協演)を成して桜の花が、絵になる風景を醸し出している。すでに桜見物は果たしていたけれど、二人は立ち止まり「絵になる桜風景」を眺めていた。
こののちは一本道から外れて、わが家へ回る周回道路へ足を踏み入れた。突然、わが目の前に桜の花びらがコロコロと流れて来た。もちろん、数えきれるものではない。ところが、わが心中にはこんな思いが走った。(桜の花は、咲くかたわらに散るのだ!)。まさしく、「花(桜)のいのちは短りき」。両者、よく譬えられるけれど、必ずしも花(桜)のいのちと人の命は同然ではなく、人の命がはるかに長い。私は、切ない気持ちになり替わり、わが家へ着いた。
腕を組む妻は、黙然と歩くことに必死だった。私には、同様の光景を見た妻の気持ちを問う勇気はなかった。あえて問えば妻は、「パパ。人の命も短いわよ」と、言ったかもしれない。短く書くつもりの文章は長くなった。短いのは花、とりわけ桜の花のいのちである。
夜明けの曇り空は、雲行きが怪しくなっている。晴れの日も短く、わずかに一日だった。ウグイスの鳴き声を聞かない夜明けは、やはり物足りない。
通院と桜見物、とても大切な一日
4月2日(火曜日)。明々と朝日輝く夜明けが訪れている。このことでは気持ちのいい中春の朝である。鎌倉地方も桜の開花は出そろった。きのうの気象予報士の予報によれば、晴れ間はきょう一日限りで、あすから週末頃までは雨の日が多くぐずつくと言う。この予報を聞いた傍らの妻は、「パパ。あしたは近くの花見に行きましょうよ」と言った。私は素直に「そうだね。行くよ」と相槌を打った。ところが、そのあとすぐに私は、言葉を重ねた。
「あしたは、S医院へふたりして行こう、と言っていたよ」
「そうだったわね。雨が降る前にはそちらが大事ね」
「雨降りの通院は嫌だね」
「そうね。ちょうどいいわ。S医院へ行って、帰りに近くの公園の桜を見ればいいのよ」
「そうだね。そうしよう」
これまた私は、素直に相槌を打った。
二人にとって通院は、最も大事な日常である。まさしく、「花より団子」をしのいで、生き延びるための切ない行動である。
起き立てにあってきょうは、煮ても焼いても食えない文章を書いた。しかし、老夫婦の日常生活の一端を披露したものと思えば、芥子粒ほどの価値はある。もとより、「箸にも棒にもかからない」文章ではある。それでも、夫婦共に生きている証しにはなる。
「春眠暁を覚えず」。慌てふためいて書いた。朝日輝くきょう一日は、とても大切な日である。私は明日以降の悪天候を気に病んでいる。学び舎では入学式たけなわの出会いの月のスタートにあっては、私は晴れの清々しい夜明けを願っているからである。ところが予報は、わが願いを挫いている。ここで文章を閉じることでは、このところの長い文章の罪償いにはなる。
「つらい、時の定め」
年度替わりのきょう4月1日は、切りよく月曜日からのスタートである。夜明け前にあっては、まもなく夜明けが訪れる。気象予報士の予報に狂いがなければ、雨風のない朝日輝く穏やかな夜明けであろう。夜明けの空は、そう願いたいものである。もとより、人間界および自然界共に、一寸先は闇の中である。とりわけ、天変地異に遭遇すれば人の世は、たちまち阿鼻叫喚をさらけ出す地獄絵を見ることとなる。
別れの月3月から、出会いの月4月、へ替わった。おのずから、寝起きのわが心境も変わっている。しかし、必ずしも好転にありつけていないのは老齢のせいである。新年は、正月元旦に始まる。実社会の新年度は、きょうから始まる。初詣や雑煮餅を囲んでの家族団欒はないけれど、それらに似た厳かな年度初めの儀式は、実社会のあちこちで催される。学び舎であれば入学式、企業や役所であれば入社式や入庁式がある。個々人の出会いの互いの挨拶も、「初めまして、よろしく」などの言葉をともなって新鮮である。
このところ身近なところで別れの光景を見たものには、テレビ映像を通しての卒業式光景がある。加えてきのう、NHKテレビを観ていると、キャスターの別れの挨拶が相次いだ。明けてきょうのテレビを観れば、新たなキャスターの挨拶が相次ぐであろう。これまたおのずから、見入るわが気分も新鮮になる。
新年度になってもいっこうに様変わりしないのは、「裏金問題」を引き継ぐ政治(家)の舵取りである。これこそ旧態依然そのままであり、できれば旧(前)年度にけりをつけていてほしかった。与野党共通の政治(家)の体たらくぶりのさらけ出しである。桜の花は日本列島の地域それぞれに、開花と満開の喜びや楽しみを恵んで北上を続けている。人の営みはこの先、悲喜交々に新たな年度を移りゆく。きょうは、否応なく季節のめぐりを実感する月替わりである。残りの命を限る老いのわが身には、寂しさつのる月替わりでもある。
満開の桜とて、すぐに葉桜模様になる。人間界および自然界共に、月替わりと季節のめぐりは、「つらい、時の定め」である。走り書きが速すぎて、まだ朝日は雲隠れである。それとも、予報の外れであろうか。天変地異さえなければ、どちらにも恨みつらみはない。