ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

夜長は、チャンスとピンチ

 10月12日(木曜日)。デジタル時刻は4:50を刻んで、いまだ真っ暗な夜明け前にある。日に日に日暮れが早く、夜明けが遅くなり始めている。この先の夜長はどう過ごすのか、大きなテーマ(課題)になりそうである。たぶん、二度寝にありつけずに、悶々とする夜長になりそうである。灯火親しむ候にあって、はなはだなさけないわが生き様である。挙句には長く、迷想に更けそうである。
 格好の夜長にあっては灯火の下、名作でも読めば万事好都合ではある。ところが私の場合は物心ついて以来、絵本や漫画を含めてまったく読書習慣がないままである。いまとなっては、後悔激しくつのる大損である。思えばすべてに、生来の三日坊主の祟りのせいである。なぜなら、名作を読もうと何度か試みた。けれど、そのたびに三日にさえありつけず挫折を繰り返した。結局、わが身にはそんな素養がなかったのである。それゆえにこれまでの私は、たったの一度さえ読書感想文を書いたことがない。夜長にあっては、いまさらながら残念無念である。読書習慣のないことは、余生短いとはいえこの先まで大きな難題である。そうであれば、スヤスヤと安眠を貪ればいいはずだ。ところが、一度目覚めれば二度寝にありつけず、これまた難儀である。
 確かに夜長は、文章を書くには天与の好機(チャンス)である。さらには生涯学習を叶えるにも、これまたまたとないチャンスである。ところがもはや、肝心要の向学心が消え失せている。せっかくのチャンスは、もとよりピンチである。
 薄っすらと夜が明けてきた(5:20)。朝日の見えない曇り空だけれど、しばし大空を眺めて、朝日のお出ましを待ってみよう。こんな心境ではやはり、この先の夜長が思いやられるところである。

大空眺めて、作文

 10月11日(水曜日)、久しぶりに雨模様のない夜明けが訪れています。薄い日本晴れを隠し、白雲や彩雲が色彩を添えています。晩秋の夜明けはようやく、願ったり叶ったりです。しかしながら寒気は、わが身に堪えています。それでも、本来の季節に応じた夜明けであればうれしく、我慢しなければなりません。
 きのうの夜明けに書いた文章では雨模様で晴れ間を望めず、私は自然界のしわざに難癖をつけました。ところが時間を追って、かつての「体育の日」の日本晴れを髣髴するような好天気になり替わりました。そのため昼間の私は、心中で早とちりを詫びました。
 ここでしばし、指先を休めて、大空模様を眺めます。不断の私は朝・昼・晩にあって、大空模様を仰ぐのが好きです。その時々に大空の描く風景はまさしく千変万化、果てしなくかつ汚れのない無償の恵みです。これこそ、ひとり悦に入ることのできる天恵です。
 先ほどの薄い日本晴れは、浮雲を遠のけて朝日が射し、青色を増した晩秋の日本晴れになり替わりはじめています。待ちに待った、胸の透く夜明けの風景です。ようやく、晩秋の好季節が訪れています。きょうはこのことを書くだけでいいでしょう。きょうのわが行動予定は、気分良く買い物行です。売り場は、「果物の秋」全開です。出回り中のサンマ(秋刀魚)は、すでに二度ほど食べています。学童の頃の「綴り方教室」の作文になりました。

「秋」忘れの季節

 現行の振替休日の「スポーツの日」が過ぎて、かつての「体育の日」(10月10日・火曜日)の夜明けが訪れている。好季節を鑑みれば、満々と輝く朝日が昇り始めていいはずの朝は、きのうに続いてまたもや雨模様である。わが感慨は、「秋」を忘れている季節、の思いひとしおである。
 10月になってきょうで十日、最も好季節であるはずの10月初旬は、とうとう季節忘れをこうむってしまった。あす以降の気象情報は聞いていないけれど中旬は、まずは初旬の罪償いを望むところである。そしてそののちは、本来のゆるぎない晩秋の好季節を存分に振舞ってほしいものである。そうでなければわが不断の自然界賛歌は、おのずから色褪せて打ち止めとなる。寒気だけは季節どおりだけに現れているだけに、このところの悪天候には余計腹が立っている。年老いてすがるのは、無償で得られる自然界の恩恵がイの一番である。
 もっと具体的には、天変地異なき日本晴れである。日本晴れであっても、秋天高い晩秋の日本晴れほど胸の透くものはない。確かに、冬晴れの日本晴れもさわやかだけれど、ところがこれにはわが嫌う寒気がともなっている。初冬の小春日和もいいけれど、しかしこれは、一日ないし二日の賞味期限付きである。期限が尽きるとこんどは、肌身にいっそうの寒気をおぼえて、それに慄くこととなる。こんなことを胸中に浮かべているとやはり、肌身に心地良い晩秋の日本晴れに勝るものはない。とりわけ、現行のきのうの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)、そしてかつてのきょうの「体育の日」には、満天大海原とまがう日本晴れを望んでいた。しかしながら、自然界の人間界への悪戯かいや怨念なのか、この望みは叶えられなかった。つくづく残念無念である。
 挙句に起き立ての私は、きのうに続いて二番煎じの文章を書いている。いくらネタ不足とは言え、この文章にさら駄文を重ねるのは、生き恥晒しであり、ここで書き止めである。こんな文章を再び読んでくださる高橋弘樹様には、心して詫びるところである。

「スポーツの日」の雨

 「スポーツの日」(10月9日・月曜日)にあって、日本列島の多くの地方や地域は雨の予報である。長い過去体験を顧みても、こんなことはめったにない。わが住む鎌倉地方もまた、予報に違わず小雨模様の夜明けである。9月から月替わって10月初旬、なんだか異常気象と思えるところがある。季節どおりに確かに、日々寒気は深まりつつある。ところが一方、季節に呼応する胸の透く秋晴れは、いまだ遠のいている。せっかくの好季節にあって、片肺進行ではうんざりであるし、もちろんもったいない。欲深い私は、寒気の深まりと秋天高い秋晴れの同時進行を望んでいる。もとより、気象の恩恵は無償である。ならば、好季節にふさわしい好天気を望むのは、わが欲のツッパリであろうか。
 予告どおりに私は、きのうのわが町の「市民体育祭」へは出かけずじまいだった。だけど、夜明けにあっては好天気を願っていた。夜明けて、ちょっぴり好天気の兆しが見えた。そののち、朝日は雲隠れた。挙句、太陽は一日じゅう日光を隠したままだった。幸いにも、雨は降らなかった。けれど、肌寒い市民体育祭に終始した。出かけなくとも、市民体育祭は他人事とは思えない。悪天候は、天界の意地悪に思えていた。
 夜明けの小雨模様は風をともなって、今は嵐模様の大降りである。おそらく日本列島あちこち、「スポーツの日」にあって予定されていた運動会や体育祭などの催行(行事)は台無しである。万事、人間界の楽しみや営みは、自然界におんぶにだっこである。

寝起きの「繋ぎ文」

 10月8日(日曜日)、どんよりとした曇り空の夜明けにある。私には、きょうの天候が気懸りである。寝起きの私は、寝坊助を被り、慌てふためいている。二日坊主にはなりたくなくて、パソコンへ向かっている。ゆえに文章は、しっちゃかめっちゃかである。
 風邪薬を服用し就寝したせいか、副作用が効いて熟睡に陥り、目覚めが遅くなり起き出している。不断の私は、二度寝にありつけないことを嘆き続けている。このことを鑑みれば、棚ぼたの副作用効果であり、大いに歓迎すべきことである。しかしながらやはり、文章を書くうえでは喜べず、慌てふためいている。
 頃はあすの「スポーツの日」(10月9日・月曜日)を前にして、晩秋一番の好季節にある。この証しに日本列島のあちこちにはきょうあすに、運動会や体育祭が行われという。実際には実施日明けのからだ休めを狙って、多くはきょう行われるようである。確かに、わが町にあってもきょうは、市民体育祭が予定されている。観覧へ出かけるつもりはないけれど、きょうの天気が気になる夜明けの曇り空である。観覧はおぼつかないけれど、新型コロナウイルス騒動が一応収まった証しとしては、うれしさあふれる体育祭である。少しずつ日本社会は、新型コロナウイルスの呪縛から逃れて、平常いや日常生活に戻りはじめている。
 こんなことを書いていると、あらためてロシアとウクライナにおける、泥沼戦争の帰趨が気になるところである。為政者のメンツはいつまで、無辜の市民を巻き込むのであろうか。戦争が終わり、世界平和が待たれるところである。
 きのうの夜の私は、公式戦を終えた阪神タイガースのテレビ観戦に代わり、バレーボールの日本男性チームの試合をテレビ観戦した。この試合において日本チームは勝利し、晴れて来年の「パリオリンピック」の出場権を確定したのである。私は喜びに浸った。
 この文章は二日坊主を断って、三日へつないだだけのものである。それでも私は、こころ安着気分にある。それほどにこのところの私は、文章の継続に右往左往を強いられている。もとより、こんな書き殴りは、文章とは言えない。約30分の時が過ぎて、曇り空を蹴散らし、朝日が昇り始めている。「天恵、様様」である。

季節は秋モード

 10月7日(土曜日)、雨の無いどんよりとした曇り空の夜明けが訪れている。しかし、空の端には朝日が昇り始めて、薄っすらと光が紅色に染めている。時間を追ってきょうもまた、晩秋の日本晴れになりそうである。きのうの天候は一日じゅう満天、胸の透く日本晴れだった。10月になって初めて出合えた快晴であり、それゆえにわが肌身を潤す快感だった。たちまち私には、これでこそ好季節の恵みと思えていた。
 好天に釣られて私は、出かけて二つの行為を叶えた。一つは、最寄りの掛かり医院・S院へ出向いて、インフルエンザの予防注射を打った。新型コロナウイルスの7回目の予防注射は、当院で一週間前に済ましていた。ところが、このときの私は初めて、注射後の二日間はあちこちに痛みが生じ、気分の滅入りに晒されていた。幸いにもインフルエンザの予防注射の後は痛みなく、平常心が保たれている。
 インフルエンザの予防注射を済ますと当院を出て、すぐ近くのバス停「北鎌倉台」から、巡ってきたバスに乗車した。行き先は、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)である。買い回る店は通常と変わりない。真っ先に出向いた店は、野菜と果物の安売り店「大船市場」である。ところが、見慣れている店内の様相は、見た目一変していた。それはまさしく、秋モードだった。売り場の野菜には、大した変化は見られなかった。売り場模様を大きく変えていたのは、西瓜売り場に代わる秋の果物のお出ましだった。中でも、いよいよ王者、双璧を成す、柑橘類と柿の並びようだった。柿はふるさと便ですでに味見していた。けれど私はまた柿を買い、もちろん蜜柑を買った。ヨロヨロ足取りでわが家へ帰ると、茶の間の妻と共に、柿、蜜柑、そして茹で栗で、果物の秋を堪能した。
 栗に関して言えば、二度目のふるさと便で賜っていた。一度目は庭柿と共に、市販の栗が段ボールに詰められていた。送ってくれたのは、共に亡き長兄夫婦の次女・姪っ子だった。二度目の栗は、共に亡き長姉夫婦の長女・姪っ子だった。こちらは、自家の栗山の収穫作業に多忙を極めている最中の贈り物だった。段ボールには大きめの網袋に詰められていた栗が、なんと四袋も入っていた。次に予定されているふるさと便は、獲れ立てのふるさと産新米である。毎年、この手はずをしてくれるのは、長姉夫婦の長男・甥っ子である。
 きのうの私は、10月になって初めて、途切れていた文章を書いた。それゆえにきょうの文章は、たった一日で継続を断たないためだけの殴り書きである。朝日が昇り始めて、視界一面が明るくなった。ただ、わが心中の明かりは、いまだロウソクの灯り程度である。

頃は好し、だが……

 10月6日(金曜日)。「スポーツの日」(10月9日・月曜日)を含む、明日(10月7日・土曜日)からの三連休を前にして、ようやくそれに見合う清々しい朝が訪れている。9月より月替わって10月初旬のこのところの朝は、名前負けをこうむり気候はぐずついていた。おのずからわが気分は滅入り、文章を書くことなく過ぎていた。すなわち私は、生来の怠け者に堕して、憂鬱気分に陥っていた。挙句私は、もう「ひぐらしの記」の再始動にはありつけない、思いにとり憑かれていた。惰性で書いてきただけの私は、それが途絶えると怠け者特有の安着気分に陥り、書かない安穏に耽っていた。
 ところが、一方では(これはまずい)とあがいて、すっきりした安穏気分ではなかった。この間の私は、身体は健康であっても、精神(力)が崩れていたのである。こんな気分は現在、満天さわやかな日本晴れに救われている。これこそ、願ったり叶ったりの晩秋の麗しい胸の透く風景である。まさしく総天然色の一大パノラマである。
 日本晴れの下、学び舎や地区の行政は、新型コロナウイルスにかかわる懸念が薄らぎ、運動会や体育祭の催行におおわらわであろう。確かに、わが小・中・高・大の修学時代にあっても、かつての「体育の日」(10月10日)や前後近辺は、運動会や体育祭がたけなわだった。顧みれば初回(第一回)の「東京オリンピック」(昭和39年・1964年)もまた、10月10日を開催日として、10月24日までを会期にしていた。これらを鑑みれば現在は、春夏秋冬すなわち一年の中にあっても、最も好季節と言えそうである。だったら、メソメソしていたら大損である。挙句、私は「牛にひかれて善光寺参り」の心境で、ようやく途切れていた文章の始動に漕ぎつけている。
 しかし、こんな文章ではもちろん、確かな継続はおぼつかない。けれど、再始動の足しになればと願っている。大海原とまがう日本晴れの青さは、朝日に光ってキラキラいや増している。

中秋の名月、「ひぐらしの記、礼賛」

 中秋の名月(9月29日・金曜日)の夜明けにちなんで、こんなことを心中に浮かべています。今さらのことだけれどそれは、「ひぐらしの記」がわが人生にもたらしている恵みです。まさしく数々あれども、ほんのさわりだけを記します。もちろん恵みに高低差はなく、すべてが平等の恵みです。
 大沢さまに出会えて厚意を賜り、わが生涯学習の実践の場を得たことです。わが長年のわが夢の一つには、一冊の単行本を書くことがありました。ところが夢叶い、なお増して、100号到達への正夢を望めるところまできています。対面は叶わずとも、たくさんの友人・知人に出会えたことです。文章にはたえず苦しみながらも一方では、常に心中に字句(言葉や文字)探しを浮かべていることです。するとこのことでは、薬剤に勝るわが認知症予防になっていることを実感しています。
 確かな実益としては、「ひぐらしの記」を書くことで、わが最も恐れていた語彙の忘却をかなり防ぐことができました。「ひぐらしの記」は願ったり叶ったり、定年後の有り余る時間を埋める役割を果たしてくれました。もとより「ひぐらしの記」の発端の意志は、定年後の日暮らしの空白を埋めるこのことでした。すると「ひぐらしの記」は、それを十分すぎるほどに叶えてくれました。総じて「ひぐらしの記」は、日々呻吟しながらもわが枯葉のような人生に、瑞々しく潤いのある人生をもたらしてくれました。もちろん「ひぐらしの記」を書くことで、わが能力の乏しさ、マイナス思考や愚痴こぼし、さらには生来の小器を存分に自認しました。しかしながらこれらは、賜った恩恵すなわち幹の太さに比べれば、小さな枝葉にすぎません。
 きょうの寝起きにあっては、心中にこんなことを浮かべていて、素直にそのことを書いています。秋の夜明けは今朝もまた、今にも雨が落ちそうな曇り空です。しかしながら願い叶えば、時を追って晴れ間が現れて、宵闇から夜間にかけては満天、輝く月光を仰いで、文字どおり「中秋の名月」を堪能したいものです。「ひぐらしの記」を書かなければ、こんな自然界の恩恵さえ忘却し、いたずらにそして無駄に、命を縮めているはずです。
 日頃、「ひぐらしの記」には呻吟しているにもかかわらず、表題は「ひぐらしの記、礼賛」と、するつもりです。オマケに、「中秋の名月」を添えるかもしれません。なぜなら、こんな殊勝な心模様になったのは、中秋の名月のおかげでもあるからです。

恥晒しの「起き立ての迷想」

 9月28日(木曜日)、今にも雨が降り出しそうな、曇天の夜明けが訪れている。夏の朝の爽やかさに比べて、このところの秋の朝は、曇り空多く名前負けの朝である。確かに、すっきりと晴れた、夜明けに恵まれていない。このぶんでは、明日の中秋の名月も雲に隠れて、危ぶまれるところである。
 「ひぐらしの記」は随筆集と銘打っているが実際には、とうに私日記に成り下がっている。このことでは、私は大法螺吹きの恥晒しである。もちろん、命題に恥じず随筆風に、気を入れて書きたい思いは山々である。しかし、起き立てに書く文章はままならず、もとよりそんな大それた芸当はできない。挙句にはもう書けない心境をたずさえて、パソコンを起ち上げている。わが切ない楽屋話である。
 これまでこんな心境の吐露、何度繰り返し書いてきたことだろう。まさしく、大恥の重ね塗り状態である。書けば継続文の足しにはなるという、独り善がりの思いがあるのであろう。もちろんこんな文章では、大沢さまの「前田さん、何でもいいから、書いてください」という、お言葉の範疇外である。心して、詫びたいところである。
 自分の文章が書けなければ、マスメディアの報じる配信ニュースを拝借していたときもあった。しかしながらそれも、今では面倒くさくなっている。それなに、出来立てほやほやの第88集には、「夢の100号、実現へ、再スタート」と、銘打っているである。なんだか空夢、丸出しで、これまた恥じ入るばかりである。夢を追って、こんな文章があと何年か続けば、自分自身うんざりである。確かに、早々に見切りをしたほうがわが身のためである。
 雨の降り出しを恐れて、連れ立って散歩を急ぐ、人の話し声が聞こえてくる。今の私は、両耳に集音器を嵌めて、キーを叩いている。ウグイス、セミ、山鳥の声は無く、一匹のリスが電線を這っている。おやおや、曇りの雲間から朝日が昇り始めている。中秋の名月を眺めて、気分直しを肖(あやか)るのは虫が良すぎだろうか。しかし気分直しは、自分自身では叶わず、満天の「お月さん」すがりである。

薄ノロ間抜けの文章

 9月27日(水曜日)、夜明けが遅くなり、未だに夜の佇まいです(4:58)。きのう(9月26日・火曜日)で、秋彼岸が明けました。いよいよ季節は、中秋から晩秋へ向かいます。つれて夜長は日々深まり、また寒気は加速度をつけていや増して行きます。秋彼岸を境にして肌身にあたる風は、すっかり冷たくなりました。この秋もまた私は、自然界現象(気象)に度肝を抜かれています。これにかかわる人間の知恵(暦・カレンダー)とて、まさしく驚異です。なぜなら、まったく嘘を吐くことなく、いやほぼ寸分たがわずに、自然界のめぐりを表しています。
 「暑さ寒さも彼岸まで」。確かに私は、この成句の真髄を痛切に感じています。秋彼岸に応じて、道端には彼岸花が咲いています。わが世の夏を惜しんで鳴き騒いでいたセミの声は、今やまったく途絶えています。おそらくどこかで、空蝉(うつせみ)の姿で樹木の小枝にはりついているのでしょう。きのう、茶の間にはキリギリス(ギメ)が飛び込んできました。ヤモリやムカデなら形相を変えて慌てふためく妻は、落ち着いた口調でこう言いました。
「パパ、殺しちゃダメよ。捕ったら、窓の外へ逃がしてよ」
「わかってるよ」
 私は利き手の右の手の平を広げて、パタッとキリギリスにかぶせ、一発で捕りました。そして、妻の言いつけどおりに玄関口へ向かい、ドアを開けて、玄関灯が光る宵闇に放しました。キリギリスは喜んで、飛び立ちました。
 ところがこの後、異変が起きました。ムカデが茶の間に闖入(ちんにゅう)し、茶の間は阿鼻叫喚に晒されました。ムカデは常置のスプレーを用いて、二人してやっとこさ殺しました。ネタのない文章は、尻切れトンボのままに結びます。きのうの文章の二番煎じを用いれば、ふるさとでは赤トンボが尻を揺らしてのどかに飛び交っているはずです。ふるさと便の柿と栗は、すでに食べ尽くしました。現在はふるさと産の新米の宅配を待っているところです。薄曇りの夜が明けました。