ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

七草(粥)

 懸念していた三日坊主を克服して、再始動のちの4日目の文章を、何とか書き出している。しかしながら、継続の要因をなす「惰性」がよみがえるかどうかは、未だ夢の中である。それでも、三日坊主を克服し現在の気分は安らかである。
 新年(令和6年・2024年)も早や、一週間(7日目)になる。机上カレンダーに目を遣ると、きょう(1月7日・日曜日)は、「七草」と記されている。七草だけではわかりにくいところがある。だから、健康を願う人には、「七草粥」の表示こそ適当であろう。七草には春・秋がある。ところが、新年の初っ端で、かつお節料理の食べ過ぎを厭うせいもあってか古来、「春の七草(粥)」こそ人口に膾炙して、世の中にしきたりを馳せている。そしておのずから、春・秋の七草と呼ばれる雑草や草花そして根菜(生物・食べ物)もいくらか異なっている。
 ちなみに、春の七草を成すものは、芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)である。一方、秋の七草を成すものは記憶が薄く、電子辞書を開いて記してみる。萩(ハギ)、薄(ススキ)、女郎花(オミナエシ)、尾花(オバナ)、葛(クズ)、藤袴(フジバカマ)、桔梗(キキョウ)である。何はともあれ、いにしえを偲び、健康な体を願う、おまじないさながらの歳時(記)の一つであろう。それでも今昔共に日本の国には、食感など抜きにして、「七草粥」を食べる風習がある。すると、きょうの「七草」に合わせてスーパーは、売らんかな! の商魂が気勢を上げる。一方客は釣られて、幼児のままごと遊びみたいな「セット物」を買って行く。体に良いとなれば、共に罪ない日本の国の習わしであろう。ただ、わが家の場合は、きょうはひねた「おせち料理」の残り物の食い納めになりそうである。
 あすは「成人の日」(1月8日・月曜日、祝祭日)。三連休の中日にあって振り返るのは、元日からきのう(1月6日・土曜日)までのわが暮らしぶりである。1日:娘たちと妻の里の義姉夫婦の来訪にあって、7人寄り合っての食事会。2日と3日:「箱根駅伝」のテレビ観戦。4日:文章初め。5日:鶴岡八幡宮への単独行。6日:妻をともなっての卓球クラブの初打ち。そしてきょうの7日:三日坊主の克服なる。まあまあ、年齢相応の無難な滑り出しである。
 しかし、好事魔多し。三連休が明ければその週には、予約済の通院日がふつかある。このことを鑑みれば妻は突如、「パパ。きょうは七草粥を食べる日なのよ。売り切れると困るわよ。早く「西友ストア」へ行って、セット物を買って来てよ!」と、言うかもしれない。困ったものだ。私は七草粥にかぎらずすべてのお粥御飯は、「ニュチャニュチャ」、病人食みたいで大嫌いである。どんなに味付けを凝らしても、わが舌触りの気味悪さは変わりない。挙句、「お粥御飯」を食べるぐらいなら、死んだほうが「おおまし」である。妻の言葉しだいでは、かなり気が揉めるきょうの「七草」である。
 1月のカレンダーには来る日も来る日も、歳時の頭に「初」の字が付き、そして文字どおり脱兎のごとく逃げ去って行く。人生の晩年を生きる私には、つらい歳月の早回りである。夜明けは、日に日に早くなり始めている。三日坊主は、どうやら免れました。

現在は最後尾、15両目

 遡上して来た生来の怠け心を断つため、継続の当てはなくも意を決して、書き始めた文章は3日目を迎えている。きょう限りであすへ繋がらなければ、文字どおり三日坊主の汚名がよみがえる。もちろん、この汚れは撥ね退けたい。しかしながら、三日坊主と意志薄弱は共に抱き合って、とうとうこれまで修復できずじまいになって来たわが悪癖である。これらのことを思えばあすのことであっても、不安はいや増すばかりである。確かに、あすのことはわからない。だけど、きょうのことだけはわかる。何がなんでも、何でもいいから、きょうは書かなければならない。こう、自分自身に誓っての、パソコンの起ち上げである。
 こんなことでは用意周到の題材などあるはずはなく、端から文章の出来など望めない。書き殴りでどうにか文尾までたどり着けば万々歳、わが誓いと決意に適うことになる。ただ、夜明けも近くなり、朝飯の準備も迫っている。殴り書きに加え走り書きとはいえ、ただただ焦燥感がいや増している。
 人生行路を手近なもので模すとすればそれは、車両繋ぎの汽車、列車、電車が適当である。私の場合、完全なるふるさと巣立ちの上京は、大学入試の合格を得て、新たな決意を固めてわが家の門口を離れた、昭和34年(1959年)の3月のある日だった。今は亡き長兄に、「熊本駅あるいは上熊本駅」で見送られて私は、暮れなずむ夕方、当時の国鉄・東京行き夜行寝台急行列車へ乗った。互いは別れの手を振り合い、双方の体が見えなくなるまで、あふれ出るままに涙を流した。
 乗車した汽車は、熊本駅始発の東京行き「急行阿蘇号」か、もしくは西鹿児島駅始発の東京行き「きりしま号」だった。ただ、どちらだったという、記憶はない。5時近くの発車のベルに急かされた汽車は、明くる日の午前11時近くに、東京駅のプラットホームに滑り込んだ。ふるさとからの巣立ちは、はるかな長旅であった。このときの私に、日記を書くことや、メモを取る習慣でもあればと、今になってとことん悔やまれるところである。
 白煙いや黒煙をたなびかせる機関車が、後方にいくつの車両を繋いでいたかも、知らないままである。もちろん、わが車両番号(先頭から何両目)など、記憶にあるはずもない。東京へ向かって次々に駅名が現れては、また新たな駅名に出合った。いやおうない、わが生涯果てまでの未知の旅だった。夕方の日のあるうち、明けて朝日が輝きを増すなかにあって、私は流れてゆく車窓の風景をじっと見つめていた。夜行寝台急行列車は、このときが乗り収めであった。
 わが東京行き通勤電車は、「JR北鎌倉駅」で乗車の「JR横須賀線」だった。今や、記憶遠のく過去物語である。当時の横須賀線の車両編成は、現在と変わらず15の車両を繋いでいる。この中で毎朝私は、ほぼ決まって同じ番号の車両に乗っていた。しかしながらそれが、何両目だったかの記憶はない。
 冒頭に返れば人生行路は、汽車、列車、電車などに模せられる。ところが明確に違うのは、こうである。すなわち、人生行路の車両は、選びようない最後尾の15両目である。視覚はメガネ(近眼・老眼ダブル修正)、聴覚は安価な集音器では飽き足らず、旧年末に高価な補聴器へ買い換えている(50万円弱)。頭脳、知力は、日々劣化を極め行く。挙句、肝心要の命は、プラットホーム間近である。

夜明け前の「迷い言」

 もはや、恥も外聞もない。短く、ガラクタでもいい。もちろん、雑文と罵られても構わない。ちょっとだけでも、文章を書こう。それでも、大きな前進である。こういう心境できのうの私は、文章を書いた。旧年の十月二十五日の文章を書き止めにして、新年の正月三日までの間、私は文章書きの沙汰止みを続けていた。言葉を用いればまさしく、頓挫、挫折の憂き目をこうむっていた。この間の私は、三度の食事はもとよりきっちりと食べ、加えて間食には駄菓子を鱈腹食べるだけの、「生きる屍」状態に陥っていた。わが魂は病みを超えて、まさしく惻惻状態にあった。しかし一方まだ、これではまずいという、一縷の魂の滴は悶々として残っていた。僅かにこれだけが、まだ生きている証しだったのである。
 きのうは新年の「仕事始め」の日でもあり、さらには新年の挨拶がわりに書き易いこともあった。それゆえにこのことを幸いにして私は、わが萎えていた心身に鞭打ち、文章を書いてみようと決意した。ところがそれは、あからさまに学童の頃の「綴り方教室」の心境に似ていて、心中には覚束なさが充満していた。一方で、書き終えた気分はさわやかだった。なぜなら、止まっていた文章が書けたからである。頓挫、挫折中の私は、まったく文章が書けなかった。いや、まったく書く気にならなかった。だから、書いたことだけは前に言う「大きな前進」であったのである。
 私の文章書きは常々、惰性に乗っかっている。言うなれば惰性こそ、わが文章書きの助け、救い神である。無理矢理わが意を添えれば、私の場合の「惰性」とは、いま世間に持て囃されている「ルーチン(routine)」と、似ているところがある。スマホの語句調べにさずかり、ルーチンを覗いてみた。「ルーチン:習慣的・定型的な手続きや仕事のこと。日課。定常処理」。つまり、わが文章書きはルーチンとは言えず、なり得ず、似て非なるいたずら書きの惰性にすぎない。ところが私は、惰性にすがっている。しかしながら、こんな文章を何日か書き続けているうちに、ルーチンまではならずとも、かつての惰性が蘇れば儲けものである。ただ、恐れることには私は、生来の怠け者、三日坊主である。だから私には、惰性さえ定着の望みはない。二か月余の空白は、その確かな証しだった。
 書き殴りに甘んじていまだに私は、早くなりはじめている夜明け前の暗闇の中にある。(4:37)。

新春

 明けましておめでとうございます。時は移り、新年(令和6年・2024年)も早や三が日が過ぎて、四日の朝を迎えています。机上カレンダーには、昔名残の官尊民卑を留めるがごとく、「官庁御用納め」と、記されています。この表現が変わらないかぎり日本の国は未来永劫、変わらないでしょう。
 目下の官、とりわけ政治(家)の舵取りは、崇めるには程遠いものがあります。日本の国は正月早々、能登半島沖地震をはじめ、羽田空港の混乱、北九州市のある繁華街の火災に見舞われています。すなわち、新年の日本の国は、予期しない多難な門出です。官、政治(家)の鼎の軽重が問われるスタートです。
 さて、私の近況は身体健康、精神(力)不健康状態にあります。今さら振り返るだけでも忌々しいことですが、文章は昨年の十月末あたりから頓挫しています。このことにかかわり吐露すれば、生来の怠け心がぶり返し、「書かない安楽」を貪り続けています。もっと率直に言えば日々の惰性が頓挫し、挙句以降、文章は沙汰止みに陥っています。そしてもはや、立ち直り、再始動がおぼつかない心境に苛まれています。再び言えば、心身が書くプレッシャー逃れに陥り、安楽に堕しています。もちろん、焦燥感に脅かされて、みずからわが精神(力)を鼓舞続けています。ところが、一向に奮い立ちません。それゆえに、再始動へのいくらかのカンフル剤になればと、恥を晒してこの文章を書いています。俗にいう、悪あがき状態です。各位様の新年の門出を汚して、心中よりお詫びいたします。母校の「箱根駅伝」は惨敗でした。

投稿ボタン、押します

 10月25日(水曜日)。私日記風に書けば寒気の和らいだ、のどかな晩秋の夜明けが訪れています。きのう、気象庁は、この先三か月の気象予報を伝えました。それによれば11月、12月、そして明けて1月は、気温は高めと報じていました。それを伝える気象予報士は、その上にさらに、「暖かい冬になりそうです」と、言葉を重ねました。寒気を極端に嫌うわが気分は、もちろん不確かな予報にもかかわらず、早々と安らぎました。
 このところの私は、身体は異状なくも、一方で精神力(気力)がともなわなくて、文章はずる休みを続けました。単刀直入に言えば、惰性で書き続けている文章なのに、肝心要の惰性が絶たれた挙句、ずる休みの安念を貪っていました。そしてもうおそらく、このまま文章は書けまい、いや書くまい決意に陥っていました。これまた率直に言えば、もはや書き尽くした気分横溢に見舞われていました。きょうはこの気分を振り切り、パソコンを起ち上げました。ところがやはり、なさけなくもこんな文章しか書けない、ていたらく状態です。 だからこの文章は、これで打ち切りです。幸いにも身体に異状はなく、気力の回復を願っています。換言すればその手立ては、「自己発奮」にすがるよりすべはありません。ところがそれは、極めて困難です。
 ふるさと便ではすでに、今年度産新米(30キロ)が届いています。甥っ子の人情は、途絶えることなく続いています。大船(鎌倉市)の街へ買い物に出掛ければ、大好物の秋の果物がどこかしこに盛りだくさん並んでいます。今週末(10月28日・土曜日)からは、阪神タイガースの日本シリーズにおけるテレビ観戦にありつけます。このところは、晩秋の秋晴れも続いています。こんな好いめぐりあわせにあっても、こんな文章しか書けない自分自身にたいし、腹立たしさをおぼえています。恥を晒してまでも、せっかく書いた文章だから、投稿ボタンを押します。なんだかなあー…。季節は、正常にめぐっています。

タイガースが恵んだ、棚ぼたの日暮らし

 10月18日(水曜日)。寝坊助をこうむり時間なく、焦燥感に駆られています。今朝もまた夜明けから、胸の透く晩秋の日本晴れです。このところの秋は、季節どおりにめぐっています。心身がワクワクする、何物にも勝るプレゼントです。慌ててきょうは、このことだけを記します。
わがファンとする阪神タイガースは、今夕六時からフランチャイズ・甲子園球場で、クライマックスシリーズ・ファイナルステージの6連戦を戦います。迎えて対戦するチームは、ファーストステージで横浜ベイスターズを下した広島カープです。カープに先に3勝すれば晴れてタイガースは、セントラルリーグの覇者として、日本シリーズへ臨みます。日本シリーズを戦うパシフィックリーグの覇者もまだ決まらず、対戦相手はこの先の千葉ロッテマリーンズ対オリックスバファローズの勝者となります。
 こんな文章を書いて、恥を晒しました。身勝手に、継続文の穴埋めとして記しました。このところの晩秋の日本晴れの定着にあって、わが気分はすこぶる爽快です。その証しの文章です。かたじけなく、心して詫びます。

「秋晴れ、万歳!」

 10月17日(火曜日)。きのうの真っ青な日本晴れとは視界を変えて、薄い青空に淡く色彩を帯びた夜明けが訪れています。それでも、のどかな夜明けの装いでは、日本晴れ一辺倒よりこちらが勝ります。きのうは朝っぱら胸の透く日本晴れ、そして昼間はこれぞ「秋晴れ」という、季節の恵みを堪能しました。身体を取り巻く空気は満遍、汚れなく澄み切っていました。これに応えて文字どおり、身も心も爽やかになりました。すると、予告の行動にしたがって私は、いつもの大船(鎌倉市)の街へ、心勇んで買い物に出かけました。この日の買い物の目当ては、果物の秋が恵む蜜柑と柿でした。蜜柑は、故郷の熊本産・ブランド名「玉名(市)みかん」を一網(一キロ強)買いました。柿は和歌山県産で、「種無し」表示を欲張って、10個ほど買いました。柿だけで、1キロ半近くの重さになりました。目当てどおりにこれらだけにすればよかったけれど、妻はお構いなしにスマホメールで、幾多の買い物メモを垂れ流してきました。メモ(妻)にあらがうことなく私は店舗を変えて、一つ違わず買い重ねました。
 バスを降りて、背中に大きな買い物リュックを背負い、なお両手提げのヨロヨロ足で、家路に就きました。わが家に着いては鍵を取り出すことさえままならず、玄関ブザーを押しました。しばしの時を置いて、茶の間からヨタヨタの妻の足音が近づいて、老いた妻の顔出しでドアが開きました。私は「重いよ!」とは言ったけれど、買い物メモの垂れ流しをなじることなく、「きょうは秋晴れのいい天気だよ」と、付け加えました。憤懣やるかたなしを抑えた、秋晴れに救われた「買い物行」だったのです。
 ここまで書いている間に大空は、先ほどの色彩は消した真っ青の日本晴れです。私は朝・昼・夕な、大空模様を眺めるのが大好きです。それゆえに、掲示板上部に掲載の、大沢さま撮影の白雲いだく日本晴れの写真は、もとより始終、わが心象の癒しをになっています。晩秋の季節はようやく、本来の「秋晴れと寒気抱き合わせ」の正常になりました。
 寝起きの私は、幼稚な「綴り方」を書きました。それでも、秋晴れがこれまた、わが恥を救ってくれました。だから、「書かなければよかった」とは思っていません。たぶん、「秋晴れ、万歳!」のおかげでしょう。

晩秋、夜明けの日本晴れ

 10月16日(月曜日)。久しぶりに一つの雲さえもなく、天上に日本晴れの夜明けが訪れている。思いがけない風景に、起き立てのわが心象もまた、日本晴れである。人間の心象は自然界の恵み、なかでも身近なところで空模様の晴れで、ころっと変わる証しである。
 目覚めて起き出すまでの私は物憂く、パソコンを起ち上げる気力さえ失くしていた。ところが、夜明けの日本晴れに遭遇した。たったこれだけのことで気分は一変し、あたふたとパソコンを起ち上げた。そして、こんな文章を書いている。もちろん、心中にはネタなく、空っぽである。挙句、大恥を晒している。しかしながら、休むつもりだったことを思えば私自身は、こんな文章でも満足である。
 夜明けの日本晴れに遭遇し、昼間のわが行動は予定外の買い物行になりそうである。老いの身の日暮らしに、これ以上を望むのは欲のツッパリと言えそうである。いや、これだけで十分。朝の内、心身が躍動している。

晩秋、雨の夜明け

 10月15日(日曜日)、現在のデジタル時刻は5:41を刻んでいる。なのに、いまだに夜明け前の暗闇である。なぜだろうと思い立って、傍らの窓ガラスを開いて、外灯の灯る直下の道路を凝視した。すると、雨が降り続けて、雨粒が光り跳ね返っている。そうだったのかと、こころもち安堵した。雨降りだけれど自然界は,季節を刻んで正常にめぐっている。それに引き換えこのところの私は、短い文章さえ沙汰止みを続けている。きょうも、そのつもりだった。夜長の走りにあって案の定、予期どおり文章を書くネタもなく、書く気力も失せているせいである。ならば、マスメディアが報じる配信ニュースの引用を思い立った。だけど、好悪の事柄、興味をそそる項目はなく、ぷっつり諦めた。ゆえに現在は、こんな無様な状態である。
 だから、一つだけ私日記らしいことを添えれば、きのうの私はまったく久しぶりに、卓球クラブの練習へ出向いた。それも、わが単独ならずに、妻をともなって出かけた。まさしく、思い立ったら吉日、好都合の異変だった。卓球クラブの男女の仲間たちは、妻の姿を見て一同に驚きを露わにして、そののち大歓迎してくれた。帰宅後の妻は、「パパ。きょうはとても楽しかった。行って、よかったわ」と、言った。私は報われた。もちろん、仲間たちの好意のおかげである。人間はやはり、優しい人情を持つ、文字どおり優れた動物である。きのうの私は、不断の天邪鬼精神を捨て去り、素直に人間に感謝したのである。
 きょうは、約十分、このことを書いて、継続が断たれることを免れるつもりである。かたじけなく思う、ようやく白み始めた雨の夜明けである。

夜長は、チャンスとピンチ

 10月12日(木曜日)。デジタル時刻は4:50を刻んで、いまだ真っ暗な夜明け前にある。日に日に日暮れが早く、夜明けが遅くなり始めている。この先の夜長はどう過ごすのか、大きなテーマ(課題)になりそうである。たぶん、二度寝にありつけずに、悶々とする夜長になりそうである。灯火親しむ候にあって、はなはだなさけないわが生き様である。挙句には長く、迷想に更けそうである。
 格好の夜長にあっては灯火の下、名作でも読めば万事好都合ではある。ところが私の場合は物心ついて以来、絵本や漫画を含めてまったく読書習慣がないままである。いまとなっては、後悔激しくつのる大損である。思えばすべてに、生来の三日坊主の祟りのせいである。なぜなら、名作を読もうと何度か試みた。けれど、そのたびに三日にさえありつけず挫折を繰り返した。結局、わが身にはそんな素養がなかったのである。それゆえにこれまでの私は、たったの一度さえ読書感想文を書いたことがない。夜長にあっては、いまさらながら残念無念である。読書習慣のないことは、余生短いとはいえこの先まで大きな難題である。そうであれば、スヤスヤと安眠を貪ればいいはずだ。ところが、一度目覚めれば二度寝にありつけず、これまた難儀である。
 確かに夜長は、文章を書くには天与の好機(チャンス)である。さらには生涯学習を叶えるにも、これまたまたとないチャンスである。ところがもはや、肝心要の向学心が消え失せている。せっかくのチャンスは、もとよりピンチである。
 薄っすらと夜が明けてきた(5:20)。朝日の見えない曇り空だけれど、しばし大空を眺めて、朝日のお出ましを待ってみよう。こんな心境ではやはり、この先の夜長が思いやられるところである。