ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

ロマンを失くした、雪景色

 2月6日(火曜日)、現在のデジタル時刻は3:27と、刻まれている。過ぎた「立春」(2月4日)をあざ笑うかのように、季節は嘘をついている。三度目の正直、気象予報士は嘘をつかず、このたびの降雪予報はずばり当たっている。嘘つきは、逆転している。いつもであれば季節は、ほとんど嘘をつかない正直者である。逆に、常に嘘つきカモメ呼ばわりされるのは人間である。ところが、この風評をくつがえし、人間の面目を潰すことなく守った、このたびの気象予報士はあっぱれである。なぜなら、今回も降雪予報が外れれば、気象予報士はもとより、人間の崇高さなど、丸潰れになるところだった。
 へそ曲がりと天邪鬼精神を合わせ持つ私は、人間の威厳や威信など丸潰れであっても、大っぴらに降雪予報の外れを願っていた。ところが、降雪予報は外れるどころか、わが願いを蹴散らして、完全無欠のごとくに当たってしまった。寝床から抜け出すと私は、いち早く窓際へ向かい、二重のカーテンと窓ガラスを開いた。そして、外の雪模様を確かめた。一基の外灯は普段にも増して、明るく光っている。明るさを増していたのはたぶん、積んでいた白雪の照り返りのせいであろう。いつもの習性にしたがって私は、直下の道路に目を凝らした。雪は止んでいる。雨降りもない。見えるのは白雪と、それを踏んだ何本かの黒筋の車輪の跡である。
 きのうの昼間の雪の降りようからしたら、積雪の嵩はそんなに高くはなく、わが心象はかなり和んだ。私は萎縮していた気分を直して、椅子に座り机上に置くパソコンを起ち上げた。頭上の二輪の蛍光灯の電源を除いて、まったく火の気がないパソコン部屋は、冷え切っている。まるで、生ものを保存する冷凍室、あるいは普段私が嬉々としてアイスキャンデーを取り出す冷凍庫みたいでもある。それでも、生身のわが身体は腐食を免れて、心臓は正常に鼓動している。ただ、風邪をひいてしまったのか。ときおり、ゴホン、と咳が出る。ときおり、鼻水がポタリ、と垂れそうになる。大慌てで傍らに置くテイッシュを手にとり、難を免れる。
 雪の日にあってはパソコン部屋に留まらずわが家、いや住宅地全体が冷凍室さながらである。あれれ、突然、咳が出た。こんどはテイッシュが間に合わず、鼻水が落ちた。こんな無粋なパソコン部屋に、長居は無用である。おのずから、文章は書き止めだ。私はキー叩きを止めて、左右の手の平をすり合わせて、しばし指先を温めた。指先が温まると、パソコンを閉じる。しっちゃかめっちゃかの文章ではあっても、恥じることはない。わが身大事である。風邪が長引いたら文章書きは、またまた頓挫の憂き目を見ることとなる。人生の晩年を生きる私には、雪景色を愛でる心象はもはやなく、凍えそうなわが身をいたわるだけである。雪景色にロマンをともなわなければ、わが命はおしまいである。

雪の朝にまつわる、ふるさと慕情

 「立春」明けの2月5日(月曜日)、現在のデジタル時刻は2:40と刻まれている。寝床から抜け出してくるやいなや私は、頭上の蛍光灯から垂れ下がる一本の細紐を引いた。蛍光灯特有のしばしの間をおいて、パッと明かりがついた。どうやら命は断たれずに、きょうの始動にありついている。すぐには机を前にした椅子には座らず、パソコンも起ち上げないままに窓際に佇んだ。厚地の布でできた茶色のカーテン、目の粗い薄地の白いカーテン、私は二枚重ねのカーテンを撥ね退けて窓ガラスを開いた。一基の外灯が灯る舗面には、今のところ雨も雪も落ちていない。風の音もなく、目に留まる木の葉に、揺れはまったくない。外気は、夜の静寂(しじま)状態にあった。わが身体に、寒気はさほど感じない。きのうの気象予報士は、きょうとあすにかけて、雨と雪の抱き合わせの予報に大わらだった。予報には雨だけで済むところがあり、雪だけが降るところもあった。文字どおりの抱き合わせで、雨のち雪のところもあった。大まかに言って、きょうの関東甲信地方は降雪予報である。
 ところが気象予報士は、東京都心(23区)にあっては数値をもって、2、3センチの積雪が見込まれると予報した。わが住む鎌倉地方の場合は、どれくらいの積雪になるのだろうか。この冬、三度目の降雪予報である。ところが幸いなるかな! 二度の降雪予報は外れた。「二度あることは三度ある」ゆえに、三度目の降雪予報もあてにはならない。宝くじなどとは異なり、外れて人が喜ぶものの筆頭は降雪予報である。とりわけ、おとなたちの多くは降雪予報にかぎり、外れて悲しむ者はいない。降雪予報が外れてがっかりするのは、漸減傾向を深めつつある子どもたちの一部であろう。一部と限定表現を用いたのは、雪だるま、雪滑り、雪合戦などの楽しみを目論む、子どもたちがいるからである。
 子どもの頃の私には、確かにこれらの楽しみに加えてさらに、雪降りの朝にはこんな楽しみが待ち受けていた。それはすなわち、裏戸を開けて木の葉に積もった新雪を大きなドンブリに掬い取り、それに砂糖をかけてにわか作りの「かき氷」を鱈腹食べることだった。寒空の下、一度や二度では飽き足らず私は、何遍も雪掬いに出向いた。まさしく餓鬼食い、無償で好きなものにありつくと、寒気さえ厭うことはなかった。白無地一辺倒で出来立てほやほやの新雪づくりのかき氷は、炬燵に足を入れて全身丸まって食べた。このときの私は、分厚い練りの丹前を身にまとい、まるで寒気を嫌う猫のように膨れていた。雪の朝に出遭っていた、今や童心返りの懐かしい思い出の一コマである。
 日本列島にあっては南の地方にあたる熊本県にあって、山あいの片田舎に位置するわがふるさと(当時の鹿本郡内田村、現在は山鹿市菊鹿町)には、一冬に三度くらいは視界白一色の雪降り光景が訪れていた。当時、冬の間のふるさとの寒気の強さは、現在の鎌倉地方とはまったく比べものにはならない。その証しには釜屋(土間の台所)に置かれていたバケツには、しょっちゅうバケツが壊れるほどに氷が張りついていた。わが家の裏を流れている「内田川」から分水を引き込んで、水車を回して生業を立てていたが家の場合は、村中ではほとんど見られない光景を常に目にしていた。それは水路に設けられていた「さぶた」(手作りの水量の調節機)付近に垂れ下がる、大小長短の「氷柱(つらら)」の光景であった。氷柱とは文字どおり「氷の柱」である。寒気に身震いすることでは私は、雪降り光景より、氷柱が立ちあるいは垂れ下がる光景のほうにはるかに強く感じていた。確かに、霜柱が立つ朝にも強い寒気を感じていた。それでも寒気は、雪降りの朝、霜柱立つ朝共に、氷柱が立ち垂れ下がる朝にはとうてい敵わなかった。ところが餓鬼の私は、氷柱を折っては手にとり、震えながら舐めたり、ガリガリ噛んだりした。こちらは「アイスキャンデー」代わりだったけれど、砂糖まぶしにはできず、「新雪づくりのかき氷」のような楽しみにはありつけなかった。それでも、懐かしい思い出づくりの一役にはなっている。
 三度目の降雪予報にあっての、今や懐かしく当時を偲ぶだけの「雪の朝にまつわる、ふるさと慕情」である。未だ外気は真っ暗闇で、降雪予報の当たり外れを知ることはできず、身体は寒気に冷え始めている。

立春、万歳! 文章は「節分の夜」

 日を替えて「立春」(2月4日・日曜日)が訪れ、現在のデジタル時刻は1:23と刻んでいる。私は寝床から起き出して、文章を書き始めている。気分を殺がれていたので、書くつもりなかった。だから、寝床の中で布団を被り、ミノムシのごとく丸まっていた。ときには、干しエビのごとく身を曲げていた。文章はだれのためではなく、自分のために書くのだ! と、半ば嘯(うそぶ)いて、これからも書き続けることを自分自身と約束した。
「パパ。きょうは節分(2月3日・土曜日)だったのね!」
「そうだよ。豆、撒かないの? 鬼退治に豆を撒いてよ……」
 妻は傷めている体のあちこちへ気を遣いながら、茶の間のソファからヨロヨロと立ち上がり、台所へ向かった。妻は買い置きの「福豆」の大袋を持ち出してきた。そして、奇怪な行動を始めた。妻は閉めていた窓ガラスと雨戸を静かに、隣近所に憚(はばか)るようにちょっぴり開けた。
「何するの?……」
 私は、妻の行動を訝(いぶか)った。妻は片手の手の平に、福豆のいくつかを握りしめていた。次には、その手の腕を暗闇に伸ばした。妻は福豆を暗闇に投げつける手振り繰り返した。格好だけで妻は、福豆は投げなかった。私は妻の行動を合点した。妻の手の平が暗闇を突くのに合わせて私は、大声で「鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、……」を繰り返した。
 妻の行動が切なくなり、
「不断、おまえにとっておれは鬼だろ? だったら、俺に豆を投げつけろよ。俺は、投げつけられることを覚悟しているよ」
「パパって、バカねー」
 妻は福豆が入った小袋(分包)の一つを私に手渡した。妻は自分の分包から福豆を取り出し、口に含んだ。私は福豆の何粒かを一度に口に入れて、ムシャムシャ噛んだ。入れ歯がガタガタの妻の歯は、福豆を噛めない。私は新規(1月15日作製)の入れ歯を入れていた。それゆえにわが歯は、容易に福豆を噛めた。
 妻の咄嗟の機転で、夜更けの豆まきはほどなく終わった。立春からこの先、福豆がわが家へ福をもたらすかどうかわからない。おまじないゆえに、福は望めなくてもいい。けれど、まかり間違っても災厄だけは免れたいものである。妻は恵方巻のことは言わずじまいだった。昼間のNHKテレビニュースでは恵方巻の由来や、地域のことしの縁起のいい方角のことなどを、街頭インタビュー光景の中で盛んに報じていた。
 節分とはいえ、きのうの鎌倉地方の寒気は、耐えようないほどにいたく肌身に沁みた。ところが立春になったばかりの現在は、寒気はまったく和らいでいる。私は、いまだ決めかねている表題を心中にめぐらしている。

節分と福豆

 2月3日(土曜日)、未だ真夜中と言っていい頃にある(2:36)。パソコンを起ち上げる前に、外していた眼鏡を耳に掛けると、枠が冷たくてゾッと身振りをした。それでも季節は、しだいに寒気が遠のく春の「節分」を迎えている。人生の晩年を生きる私は、必ずしも節分待望者ではない。しかしながら一方、寒気を極端に嫌う私は、節分を秘かに望んでいた。なぜなら節分は、確かな季節の屈折点である。寒気はまだあるもののそう思うだけでも、現在のわが気分は和んでいる。
 豆まき用の豆は、妻が近隣の「鎌倉湖畔商店街」に総菜屋を構えている「おふくろさん」から、すでに買って来ている。妻は「鬼は外、鬼は外、あなたは外、……」という掛け声とともに、炒り豆をわが身に投げつけるであろう。普段のわが介助ぶりに飽き足らず腹いせまじりに妻は、豆をいくつ私に投げつけるつもりであろうか。豆袋の表示には「福豆」と記されている。私がいっとき痛さを我慢すれば、妻いやわが家には、幸福が訪れるのであろうか。そうであれば、バンバンかつ強く投げつけてほしいものだ。日々衰えてゆく妻の体力は、いくつぐらいの投げつけに耐えられるだろうか。いっときの演技者になって大袈裟に逃げ回るわが足とて、ヨタヨタで心許ないものがある。わが家の豆まき光景は、年年歳歳、切なく、寂しくなってゆくばかりである。なぜなら豆まき一つに、互いの衰えぶりが浮き彫りになる。
 もとより豆まきは、歳時(歳時記)にのっとったおまじないである。その証しに震災被災地にあって去年の豆まきは、何らのご利益ももたらしていない。去年の節分にあっては、震災被災地のどこかしこの御宅でも、家族そろっての豆まき光景があったはずである。ところが、豆まきはおまじないにすぎずご利益なく、自然界は震災というひどい仕打ちをした。だとしたら震災被災地および被災者の難渋をおもんぱかって今年の豆まきはおのずから、わが家にかぎらず神社仏閣のすべて、自制すべきなのかもしれない。なぜなら、日本列島の各地からもれ伝わる「豆まき便り」は、震災被災地および被災者にとっては、あまりにも惨たらしい悲しい便りであろう。すなわち、震災被災地および被災者にとって今年の節分は、去年とは様変わり身も心も凍えるものとなっている。
 恵方巻(巻き寿司)で縁起のいい方角を覗いたところで、もとより食欲を満たすだけのおまじないにすぎない。きょうの私は、すでに買い置きの福豆は仕方ないけれど、商魂の渦に引き込まれて、巻き寿司を買うつもりは毛頭ない。わが自制、いやご利益のない銭失いを避けるためである。
 このところの私は、気張って文章を書いている。このことはきのうの文章にも書いたけれど、すなわち、わがしでかした二か月余の文章の頓挫の償いと、わが怠け心にたいする自己発奮を促すためでもある。ところが、駄文はおのずからいたずらに長くなり、挙句、掲示板上のカウント数は漸減傾向にある。それゆえにきょうは、心して短い文を書こうと決め込んでいた。ところがまた、だらだらと長い文章を書く、体たらくぶりである。そうであれば尻切れトンボを恥じず、ここで結文とするものである。
 妻がいくつか投げつける福豆を指先で一つ一つ拾って、わが口に運ぶであろう。こんなケチ臭い行為ではおのずから、私にそしてわが家に幸福が訪れるはずはない。いまだ時刻は、真夜中同然である。私は、だらだら文に付ける表題を浮かべている。

寒気に震えて、ほろ苦い文章

 2月2日(金曜日)。やはり、すんなりとは暖かくならない。私は、寒気が戻った夜間に身を置いている。多くの人たちはスヤスヤと眠り、安眠と熟睡を貪っている時間帯(2:57)にある。このところの私は、執筆時間を意識して夜明け前からから、かなり前倒しにしている。もちろんこの先、このあたりの時間に定着することはなく、やがては「元の時」へ戻ることとなる。執筆時間が前倒しになり、そのぶん余裕が生まれている。しかし、無意味な余裕かもしれない。おのずから、文章は無駄に長くなる。確かに、夜明け前に書くことと比べれば、時に追われて慌てふためくことは免れる。ところが、その返り打ちに遭って文章は、だらだらと長くなる。私は再始動に就いた以降の文章には、二か月余の空白をしでかした自分自身への償いを課してきた。さらには、怠け心を戒めるために自己発奮を促してきた。挙句、この間の私は、いたずらに長文を書いてきた。きょうもまたここまでは、何らかのネタを心象に誘い込むための序章にすぎない。わが凡愚は、ほとほとなさけない。
 さて私は、自分自身にたいしてこんな問いを投げかけている。そして、正答とは言えないまでも、合格点すれすれの答えを用意している。なさけないどころか自分自身にたいし、(おまえ、バカじゃなかろか……)の心境にある。問いの一つめは、季節めぐりの早さの証しは、どんなことで感じるのか?。その答えは有象無象あるけれど、その多くは自然界現象で感じている。ごく身近なところで最も早く感じるものでは、庭中の雑草の一年めぐりの萌え出しがある。これこそ一番だ! という思いは、確かに一番、手を焼くせいであろう。問いの二つめは、日めぐりの早さの証しは、どんなことで感じるのか?。これにもまた、無数にある。それらの中からこちらは二つを上げれば、一つは三度の食事の早めぐりである。そして一つは、ひと月ごとに訪れる、常備薬をもらいに出かける日めぐりの早さである。これには常に、嘆息まじりのこんな声出しがともなっている。「あれれ! もう、薬がない。もう、一か月が過ぎるのか。日にちが過ぎるのは、なんでこんなにも早いんだ……」。そのたびに私は、掛かりつけの病医院をかえて、渋々出かけることとなる。そしてこれには、処方箋代と薬剤費が付き纏う。それゆえであろうか、このときの日めぐりの早さは、とことんわが身に沁みている。
 心中に浮かんだこれらは、季節のめぐりそして日めぐりの早さ共に、常々いたくわが強く実感するものである。こんな文章は眠気眼と朦朧頭で、さらには夜中の寒気に身を置いてまで書く価値は毛頭ない。こんなことしか浮かばなかった、わが身は哀れである。ならば、自愛するのみ! 早くなっている夜明けはまだ先にある。

寒気を脱し、春の訪れを告げる2月

 2月1日(木曜日)。安眠と熟睡にありつけず、真夜中にあって、起き出している(1:36)。この先には睡魔に襲われて、つらい夜になりそうである。きのうの昼間は気象予報士の予報に違わず、地上にはポカポカ陽気が降りそそいだ。私はコートなどの防寒装備まったく無用に、妻と共に逗子海岸にあるファミレスへ出かけた。ここで予定されていたのは、娘そして妻の里を守る義姉と義兄相揃っての誕生日食事会だった。つごう5人が集う、合同の誕生日祝いの実際の該当者は、娘と義兄の二人だった。まったくの無償にもかかわらず、この世で一番ありがたく思えるものは「日光」である。そして二番目は「月光」である。逆に、この世で一番うれしくないものは「地震」であり、そして二番は、豪雨をともなう「台風」である。わが家の屋根は一度、台風に吹き飛ばされて、甚大な被害を被ったのである。
 日光の恩恵は、昼間だけとはかぎらない。夜間にあっても、光こそ見えないけれど、十分にわが身体、地球を暖めてくれている。その証しに現在は、まったく暖房器具(暖房費)要らずの、暖かい夜に恵まれている。その証しに指先に冷えはなく、心身は寒気に委縮してもいない。それゆえに現在の私は、普段とは違って快調にキーを叩いている。いつもどおり私は、光線なくても「太陽礼賛」しきりである。
 月は替わりきょうから2月、そして季節は、一足飛びに春へ向かっている。いや実際には一足飛びには向かわず、三寒四温を繰り返して確かな春へ向かってゆく。幸いなるかな! きのうの文章は、恐れていた「遺稿」を免れ、かつ「ひぐらしの記」は、きのうで断絶(絶命)という「命日」にはならなかった。その意味では出来不出来にかかわらず、この文章はありがたく、飛び切り貴重でもある。なぜなら、1月末日で途切れず、2月初日へ繋いだのである。
 わが文章書きは脳髄の凡庸のせいで、来る日も来る日も苦悩を強いられている。だから、文章書きを投げ出してしまえば、私はすぐさま苦悩から免れること請け合いである。ところが優柔不断の性質の私は、これまでそれさえできずに挙句、何度こんな繰り言を続けてきたであろうか。わが小器、お里の知れるところである。
 2月初日、例年の習わしにしたがって私は、机上の卓上カレンダーをじっと見つめている。月替わりは、大晦日ら元日を含めれば、1年に12回訪れる。それらの中では私の場合、気分が最もワクワクするのは、1月から2月への月替わりである。たぶんそれは、寒気を脱して暖かい春へ向かう季節変わりに、わが胸がワクワクするからであろう。確かに、カレンダー上の2月は例年、わが気分の高揚感を露わにしてくれている。
 今年の2月は閏月で、平月の28日に1日を加えて、29日の日増しになっている。それでも2月は短い月である。ところがこのなかで、国民休祭日が二回もある。一つは「建国記念日(2月11日・日曜日)」にとなう「振替休日」(2月12日・月曜日)、そして一つは「天皇誕生日」(2月23日・金曜日)である。ところが、毎日が休日のわが身に私にはさしたる感興はない。2月のカレンダーにあってはやはり、この二つに気分のワクワク感がほとばしる。一つは「節分」(2月3日・土曜日)であり、そして一つは「立春」(2月4日・日曜日)である。これらに準ずるものでは多少縁のある建国記念日がある。なぜなら、わが夫婦の「結婚記念日」は、時を違えてこれに重なっている。もう一つは今ではまったく無縁だけれど、勤務時代の義理チョコの甘い思い出がよみがえる「聖バレンタインデー」である。
 寒気はいまなおまったく感じず、指先快調に書き殴り、未だに2:43である。中身は何のとりえもなく、いたずらにカレンダーの移し書きにすぎなかった。けれど命日を免れて、2月へ繋いだ文章には可愛さが溢れている。世の中のご多分に漏れず、「できの悪いもの」ほど、可愛いものはない。

歳月と季節は早やめぐる、もう1月末日

 1月末日(31日・水曜日)。現在(デジタル時刻2:42)、寒気はこころもち緩んでいる。気象予報士の予報によればきょうの昼間は、春日のように暖かくなると言う。庭中の梅の花は健気に綻び、寒椿は凛々しく咲いている。物心ついて以降こんにち(83歳)にいたるまで、私は見栄えのする「梅にウグイス」の光景を願ってきた。ところがそれは叶わずじまいで、あの世へ旅立つことになりそうである。ところが一方、「椿にメジロ」は、この時期にあっては日々眺めて、私はその光景を十分に堪能している。
 メジロはウグイスより、はるかに美形でなおかわいらしい小鳥である。そしてその色合いは、椿の紅い色とメジロの萌黄色がコントラストに映えて、確かに見た目にもこよなく美景である。メジロの囀りはウグイスに負けるけれど、そのぶん風姿ははるかにメジロが勝っている。だからあえて、仮想の「梅にウグイス」など望まなくても、現実の「椿にメジロ」で十分、私には絵になる光景である。私はその光景を茶の間のソファに背もたれて、日々眺める幸福者である。老いの身にあっては、いくら感謝しても、感謝しきれないひとときである。
 歳月や季節は脱兎のごとくとは言えないまでも、まるでカエルのごとくピョンピョンと跳ねてめぐってゆく。つれて、寒気が遠のくことは、素直に喜ぶべきことなのか。いや、不断の思いとは異なりきょうにかぎれば、老いの身には恨めしいつらい仕打ちである。新年(令和6年・2024年)になって早や、きょうで1年・12か月のうちのひと月が過ぎる。まさしく、「光陰矢の如し」である。老いの身の私は、またまた嘆息しきりである。結局、私は何かにつけて嘆きながらまもなく、この世から身を隠すこととなる。そうであれば私は、悪あがきあるいは「年寄りに冷や水」と、嘲られようとも無為にあの世へ行きたくはない。
 私は、再び一念発起を企てた。ところが、わが一念発起などしれたものの、蚊の鳴く程度のものである。実際には新年を機にして、二か月余絶えていた文章の再始動を試みたにすぎない。ところがこの間は、1日も空けずにきょうの1月末日へ辿り着いている。怠け心をしばし忍んで、われながらあっぱれである!。
 一方では、もとより叶わぬことだけど、カレンダーの日めくりは、きょうで打ち切りにしてほしいという思いもある。しかし、歳月はあすから2月へめぐり、季節はほどなく春へ移ってゆく。ところがわが文章は、それらに連れられて一緒に進むとはかぎらない。なぜなら、三日坊主と意志薄弱共に抱き合わせのわが性癖(悪癖)にあっては、常に頓挫と挫折の憂き目が付き纏っている。生身、いやわが老いの身にあっては、すでにへこたれている。それゆえに私は、きょうがわが文章の途絶え日、すなわち命日にならんことを願っている。いや、思いあがって強気に、命日をくつがえし、この先への続行を決意している。しかし、まったく心許ない決意である。
 現在(3:41)、ぶり返しはなく、寒気は緩んでいる。素直に、喜ぶべきか。いややはり、老いの身にはすんなりとは喜べない、歳月と季節の早めぐりである。

二日続きの、嗚呼、ああ……

 1月30日(火曜日)。83歳のわが身には、「また、あしたね……」という、言葉は存在しない。この一行はきのうの文章で、きょうへの継続を恐れて用いたものである。ところがどうにか、パソコンを起ち上げて私は、(さあ、書くぞ!)という、心構えと態勢を講じている。
 時々、怠け心に襲われてわが文章は、長いあいだ書いて来ても未だに、ルーチンにはなり切れていない。悔しいと言うより、はなはだ残念無念である。定年後を見据えて私は、六十歳間際から文章の手習いを始めていた。そんなおり、突然の私からの電話を通して、懇意を得ていた大沢さまは、あるときこう言ってくださった。「前田さん。何でもいいから書いてください」。心根の優しい大沢さまは私に、手習いの実践の場を与えてくださったのである。私は「何でもいいから」というお言葉にすがりつき、おそるおそる書き出した。思いがけなくすぐに、わが専用のブログが現れ、ブログには『ひぐらしの記』と、命名されていた。たちまちわが心中には、うれしさと恐ろしさが同居した。同時に私には、(すぐには止められないな……)という、気負いと責任感が芽生えた。
 のちにブログには、竹馬の友・ふうちゃんが撮った、ふるさと「内田川」の情景が添えられた。ブログを開くたびに私は、しばし郷愁に浸った。同時に私には、「もはや『ひぐらしの記』の頓挫はできないな!」という、思いがいや増したのである。過去文の繰り返しを長々と書いたけれどここまではまた、わが心中になんらかのネタを呼び出すための序章にすぎない。
 起き立ての私は、いつものようにネタ探しに躍起である。すると、ようやく浮かんできたのは、書かずもがなの碌でもないネタもどきである。熟語「生涯」の成り立ちは、文字どおり「生まれて、涯てる」までの期間である。これに付き添う主語は「命」である。だから生涯とはズバリ、命の存在する期間である。それゆえに命の期間は、しばしば一筋の道に例えられる。換言すれば命の歩く道は、これまたズバリ「人生行路」である。人生行路は、道々に棘(トゲ)ある「茨道」である。赤ちゃん、幼児、児童、生徒の頃は、親に庇護されて歩くゆえにすがれば、どうにか歩けるところがある。ところが、ここを過ぎれば独り立ちにともなう、いくつかの茨道、あるいは分かれ道に遭遇する。先ずは就活、次には婚活、そして生計を立てる文字どおりの生活、人生の終末にあってはこれまた、文字どおりの終活が訪れる。
 こんなどうでもいいことを書いて、継続の足しにしている私は、精神異常をきたしているのであろうか。ところが、幸いにも私には自覚症状はない。診断は大沢さま、そしてご常連の人たちへ委ねるところである。なんだか、心侘しい夜明けである。

嗚呼、ああ……

 きのうの夜更けは日を替えて、きょう(1月29日・月曜日)の夜明けへ向かっている。起き出して来て、パソコンを起ち上げた。デジタル時刻は、3:25と刻んでいる。机上のテイッシュを取り、鼻を噛んだ。一つ、咳が出た。季節は、確かな足取りで春へ向かっている。しかしまだ、寒気は緩むことなく、わが身体を脅かし続けている。
 さあさあ、何を書こうか。私には試練の時が訪れている。凡愚に生まれたゆえに私は、パソコンを起ち上げるたびに悩まされている。切ないルーチンである。パソコンを起ち上げさえしなければ、まだ寝床の中にいて、スヤスヤとはいかなくとも、こんな悩みは免れる。鼻汁のたれを嫌って、鼻を啜っている。鼻汁が溜まるとテイッシュを取り、鼻を噛んでいる。
 防寒冬重装備の分厚いダウンコートのポケットから、スマホを取り出して掲示板を開いた。この行為は、掲示上の現在のカウント数を見るためである。楽しくもあり、切なさもある、わが日課である。よしよし、望んでいる以上のカウント数を刻んでいる。これから、きょうの数値がスタートする。拙い文章の連続だから毛頭、欲はかけない。ご常連の人たちには詫びて、ひたすら感謝するだけである。
 二か月余の空白ののち私は、カレンダー上の「仕事始め」を機に再始動を試みている。みずからに鞭打ち、みずからを鼓舞し、それゆえかなり力んで書いてきた。幸いにも、きょうまで途切れることなく続いている。一方、もはや息切れ寸前にある。くだらないこの文章がその証しである。文章にかぎらず、83歳のわが身には、「あしたまたね!」という、言葉は存在しない。ここまでは、ネタを引き出す序章である。ところが、長々とここまで書いても、未だにネタが浮かんでこない。それゆえに今のわが心境は、焼けのやんぱちに陥っている。
 恥も外聞もなく、何かを書こうと決意する。すると、浮かんだのはこのことである。書き殴りの「ひぐらしの記」はあとで、大沢さまのご厚意で製本(単行本)に編まれてくる。その前に私には、うれしさとかなしさ、相同居する校正作業がある。同居する作業とは言え、うれしさは無限大であり、かなしさは限られている。悲しさは、わが文章の拙さと誤りから生じている。ところが、ときにはこんな喜びに遭遇する。(ここのところは、六十歳の手習いにしては、良く書けているかな!)、すなわち、独り善がりのわずかな自惚れである。
 私は、行きつけの歯医者には予約時間の前に着く。そこには待合室がある。診察券を所定のところへ置くと、やおらソファに腰を下ろす。この先は待ち時間である。ソファの前の小さな卓上には、いくつかの雑誌類や単行本が置かれている。私はこれらの中から、決まって一冊の単行本を取る。そして、診察室から「前田さん、お入りください」と、呼ばれるまで、文章の拾い読みをする。この間は、わずかな時間である。歯医者にかぎらず病医院の待ち時間は、短いほどありがたいものだ。
 表題に釣られて手にするのは、単行本『九十歳。何がめでたい』(作者佐藤愛子)である。佐藤さんご本人は名だたる作家であり、亡きサトウハチローさんの異母妹でもある。直近の「ひぐらしの記89集」の校正作業をしていると、(あれこのところは佐藤さんの文章に似ているな)と、感じたところがった。疲れ癒しのちょっぴりいい気分になった。挙句には自惚れてみたくなった。「九十歳、何がめでたい」、表題からして文章は、かなり皮肉めいて書かれている。すると文章の共通項には、わが生来のマイナス思考に加えて、へそ曲がりと天邪鬼精神が起因していただけだったのである。こんな馬鹿げたことにでもときには遭遇しないと、わが未熟な文章の校正作業は、そのたびに疲労困憊に陥るばかりである。
 きょうのこの文章が悪の根源となり、この先のカウント数は漸減傾向を招くかもしれない。ここまで書くあいだ、私は何度机上のテイッシュ箱に手を伸ばしたであろうか。デジタル時刻は、夜明けまだ遠い4:58と刻んでいる。こんな文章は、鼻水を溜めて、何度も鼻を噛んでまでして、書かなきゃよかったのかもしれない。だから、ご常連の人たちには、「ご勘弁な、許してください!」と、声なき声で言って、文章を閉じることとなる。駄文なのに懲りずに、またまた長すぎた。いや、懲りて、あしたは書かないほうが身のためかもしれない。テイッシュが間に合わず、鼻水がポトリ落ちた。何度か、咳が出た。

ゴミネタの祟り

 1月28日(日曜日)。いまだ真夜中と言っていい時(2:29)の寒気は、わが心身を脅かしとりわけ身体に沁みる。文章を書く私にとってネタ(題材)は、車や動力のエンジン同然である。エンジンが壊れると機械物は、もとよりにっちもさっちもいかない。同様にわが文章は、とうにネタ切れを起こしている。それゆえに私は、パソコンを起ち上げるたびに真っ暗闇の中で、ネタ探しに狂奔している。挙句、探しあぐねて私は、右往左往をするなかでどうにか、ゴミみたいなネタを拾っている。すなわちこの文章は、ゴミネタである。
 不断の私は、自然界現象(自然界賛歌)、著しいところがある。しかしながら、地震、雷、竜巻、これらに強いて加えて大嵐は、もとより自然界賛歌の埒外にある。言うなればこれらは、人間界にとってはまったく益なしの魔物である。大雪、大雨、大風なども確かに、度を越せば人間界に悪さをする。ながら、魔物とは大違いであり、これらは小悪魔呼ばわりくらいでいいのかもしれない。いややはり、これらのもたらす災害もまた甚大である。一方で、度を過ぎない雪、雨、そして風は、人間界にはかり知れない便益、とりわけ風景をもたらしてくれる。ただ、風のもたらす便益と風景は、雪と雨には敵わないところがある。ところが風とて、風車を回しては人間界に原発に頼らないエネルギーを産んでいる。風は木の葉や花びらには悪さをするけれど、そよ風のもたらす様々な風景は、眺めるだけで私に眼福を恵んでいる。度を越さない雪は雪景色を恵み、一方適度の雨は農作物に潤いを与えて、人間界に食べ物を恵んでいる。地震、雷、竜巻、大風(大嵐)さえなければ、春へ向かってわが自然界賛歌はいや増すばかりである。
 雨戸を開ければとうに、庭中に立つ梅の木には花が綻びはじめている。庭中のフキノトウは芽だし始めている。庭中の雑草はのちにはわが手を焼かせるけれど、芽吹き初めのこの時期には健気さがあり、いたずらに踏みにじることには気が留める。茶の間のソファに背凭れていると、窓ガラスを通して早々と、わが心が和む光景に遭遇した。これまた庭中に立つ寒椿は、わが世の春と謳うかのように花びらの色の濃くし、さらに花蘂(かずい)には甘い蜜をいっぱい溜め込んでいる。すると、山から番のメジロが飛んで来て、今にも落っこちそうにバタバタしながら、仰向けで蜜吸いに懸命である。しばし眺めている私には、心が和んで郷愁や童心がよみがえる。ひととき、自然界賛歌の極みである。
 田畑には、大団円さながらに春野菜が育ち始めている。山には山菜が芽吹き、野には菜の花、ノビル、スカンポ、ツクシンボが萌えてくる。川岸にはすでに、ヨモギやセリが緑色を濃くしている。どれもこれもがわが自然界賛歌における脇役、いやその他大勢の役割を十分に担っている。しかし、先日の買い物において私は、一瞬目を逸らしたくなるような人間界の浅ましさに遭遇したのである。売り場には小箱に入ったフキノトウが並んでいた。ところが小箱の中のフキノトウは、わが庭中で見る瑞々しい艶を失くしていた。まもなく、菜の花も売り場へ現れる。人間界の食欲という浅ましさは今や、山菜や野の花あるいは草花さえ相たずさえて、野菜のように促成されつつある。これらにとどまらず人間界の浅ましさは、肉屋でしばし佇みガラス越しに眺めればその極みにある。魚屋へ足を運べばまた、人間界の浅ましさはまた同然である。こうまでしても人間は、浅ましく生き続けなければならない。浅ましさは、人間につきまわる業(ごう)であろう。
 この罪滅ぼしに私の場合は、おのずから自然界賛歌である。だけど、人間界に悪さだけをする地震、雷、竜巻、そして大嵐は、わが自然界賛歌の埒外にある。いたずらに長いばかりのゴミネタで、骨格のない文章は、夜を徹して書いてもまったく味気ない。それゆえに私は、ご常連の人たちにたいしては、ひたすら詫びるばかりである(3:39)。草臥れ損なのか、寒気で身体は冷え切っている。