ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
梅雨の雨、そして涙雨
6月29日(土曜日)。夜明けにあってきのうから、梅雨の雨が降り続いている。梅雨本来の現象のことゆえに、嘆いては様にならない。わが身にあって、嘆くことはかぎりなく。その多くは、生来のわが「身から出た錆」に由縁している。「文は人なり」という。もとより「ひぐらしの記」は、わが小器の証しである。挙句には、人様の愉快な気分を挫く、独り善がりの文章へ成り下がっている。このことではもともと、ブログに書くべき文章ではない。もちろん私自身、常々十分自覚しているところである。大沢さまの「前田さん。何でもいいから、書いてください」というお言葉に甘えて、なお図に乗ってしまったのであろう。いや、常に反省は繰り返している。だけど、生来のマイナス思考の性分が災いし、長年書いてもいっこうに改めることができずじまいである。だからと言って、自分を責めても仕方がない。いや責めては、哀れや惨めさが弥増(いやま)すばかりである。だったら、秘かに私日記にでも綴ればいいものの、三日坊主の祟りにあってそれはできない。なぜなら、学童の頃に試した私日記は、三日にさえにもとどかずじまいだった。
こんな体たらくの私なのに、想定外に「ひぐらしの記」だけは続いている。冒頭の文章とは矛盾しているけれどそれは、ブログのおかげである。いや、実際には、人様の支えのおかげである。大沢さまには、変わらぬご好意を賜っている。高橋弘樹様には、都度の「大・大・大エール」のみならず、みずからのご体験を踏まえて、教科書さながらのサゼスチョン(指導)にあずかっている。「毎朝、読んでいます」という、入社同期の渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)の励ましパソコンメールには、そのたびにうれしさ身に余るものがある。異国中国に赴任中の木村様のお便り然り、また竹馬の友「ふうちゃん、マーちゃん」の励まし、平洋子様のふるさと情報、またまた然りである。おのずから、声なき声の皆様の励ましも、これらに劣らず大きな支えである。こんなわが身に余る僥倖には、決して書き殴りでわが意を記してはいけない。もちろん、書き殴りのつもりはない。けれど、書き殴りのようにも思えて、真摯に詫びるところである。
わが生来の、小器およびマイナス思考には涙雨が降り続いている。「ひぐらしの記」は、「シオドキ、シオドキ」と、音を立てている。
泣きべその夜明け
「前田さん。なんでもいいから書いてください」。大沢さまのご好意で書き始めた「ひぐらしの記」。この間、次兄をしんがりにすべての兄たちを亡くした。この世に、親、兄弟・姉妹のいない文章を書くのは、もうつらい。加えて、日々翳りゆくわが命と向き合って書くのも、つらい。カラスとて、自分の意思で生まれたわけではない。だけど、生きるためには「カアカア」と鳴いて、食べ物探しに必死である。この点では人間、とりわけ私自身もまた、カラスと同類項にある。なぜなら、諸物価、食品(食料)の値上がりの最中にあって、私も生きるための食べ物探しに必死である。もはや、人間の尊厳など、喪失状態にある。エンゲル係数だけがダダ上がる。わが日暮らしは、生きることだけに特化し、成り下がっている。なさけないと言うより、つくづく哀れである。
ネネタがなければ、継続のためには恥晒しなど厭わず、「ダジャレ文、何でも……」、書かなければならない。こんな文章を書く、なさけなさと惨めさが身に沁みている寝起きである(6月28日・金曜日)。心身に、気狂いの自覚症状はない。だけど、わが脳髄の司令で書く文章は狂っている。潮時を示す、アラーム音が鳴り響いている。梅雨空は、雨の夜明けをもたらしている。
血液検査報告書
6月26日(木曜日)。日常の倣いに従って、パソコンを起ち上げた。けれど、あえて書くネタも、気力もない。梅雨空にあって、朝日が輝き始めている。私は薬剤にすがって生きている。現在、最寄りのS医院から、ひと月ごとにもらっている薬剤は二つある。そして、期間を空けてその効果を知るために、血液検査を賜っている。これにともなうのは、老いの命を長らえるための馬鹿にできない医療費の多さである。医食同源と言うからできれば、無味乾燥の薬剤(錠剤)に替えて、美味しい食べ物で命を長らえたいと、願うところはある。しかしながら、通院すればそんなことは言えず私は、優しい先生の診立てと処方箋には逆らえない。
現在、先日(6月14日)受けた血液検査の結果報告書を手にしている。それを見ながら、ネタ代わりを試みている。二つの薬剤の一つは腎改善のためのものであり、一つは悪玉コレステロールの改善のためである。検査報告書にあって前者は、クレアチニンの数値に示される。一方は、悪玉コレステロールの数値は、LDL項目に示される。さていつも、学童の頃の通知表と思って神妙にいただく検査報告書のそれぞれの数値はこうである。クレアニチン1.27(男性0.61から1.04)。LDLコレステロール142(男性70から139)。このところの検査にあっては、前者そのたびに少しずつ数値を下げている。後者はほぼ変わらずの状態が続いている。そのほかの数多の項目には、正常範囲を示す「星印」ばかりである。ゆえに先生から、「素晴らしいです」という、お褒めの言葉を戴いた。通知表にも満点は望めないから、確かに「良し」としなければならない。しかし一方では、血液検査の高点は必ずしも長生きに繋がるとは限らない。なぜなら、命の絶えの原因は、検査報告とはまったく別物である。なかんずく精神の病は、血液検査では皆無である。ところが私は、こちらの検査は恐ろしくて、ほったらかしにしたままである。
朝御飯の支度前の制限時間が訪れた。だから、この文章はここで打ち切りである。あれれ、朝日は梅雨特有にさ迷っている。
危ない兆候
6月26日(水曜日)。のどかに曇り空の夜明けが訪れている。自然界の営みや季節のめぐりには、人間界とは違って疲労や苦労は無さそうである。たんたんと朝が来て、一定の時が過ぎれば夜になる。人間界はこうはいかない。人間界はこの間、絶えず様々な煩悩や煩悶に脅かされている。老年を生きる私の場合はなおさらである。
きょう、いや現在、私は生きている。しかしあしたに、いや寸時この先の生存の保証はない。その主因は、取りすぎている老いの年齢のしでかしであろう。様にならない、こんなことは書きたくない。だけど、書いている。長すぎている、「ひぐらしの記」のしわざであろう。わが宝物の「ひぐらしの記」にたいし、罪をなすりつけたくはない。いや罪は、こんな心境をたずさえている私自身にある。
人生行路の晩年を生きている私にとって、その証しの高年齢は、何かにつけて気力を奪う魔物である。なぜなら私は、常にそれに脅かされている。そして、このところは頓(とみ)に、気力の萎えに脅かされている。その現象には、日常生活のすべての物事に面倒くささをおぼえている。この先を生きるためには「危ない兆候」である。ところが、気力喪失の打ち止めは願えず、いやこの先、日々いっそう加速することは確かである。
私は、大は生きることに、小は文章を書くことに、疲れている。そうであればどちらも、すぐに止めれば、すべてが解決である。しかしそうだと私は、確かな「生きる屍(しかばね)」となる。やはり、悶々は絶えない。こんな文章は、この先へ続ける値打ちはない。書かなければ恥を晒すこともない「ひぐらしの記」は、確かな潮時にある。
朝日は照りはじめている。ウグイスは鳴いている。アジサイは彩(あや)なしている。私は草臥(くたび)れている。精神を捨て、身体だけの案山子(かかし)になればいいのかもしれない。
トウモロコシ売り場の顛末(てんまつ)
6月25日(火曜日)。梅雨の合間とは思えない、朝日輝く夜明けが訪れている。気象庁の梅雨入り宣言(6月21日)から間もないきのう(6月24日)は、心中で(もう梅雨明けかな……)と、呟くほど高温の陽射しに見舞われた。梅雨どきは、いつ雨になるかわからない。そのためきのうの私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ、勇み足で買い物へ出かけた。買い物を終えて、帰途に就いた。背中の大きなリュックは、「ダルマさん」さながらに膨らみ、限界までに重量を増していた。両手提げの布製の買い物袋は、これまた膨らみと重量で下がり、ときどき路面をこすった。そのたびに私は、慌てて引き上げた。代わりに汗が、額と首筋から路面に落ちた。
売り場に並んでいたもので、神妙に出来具合を確かめたけれど、買いの手先を引っ込めたのがあった。それは、縦筋の緑の皮に覆われたトウモロコシである。結局、私は前歯の欠けを懸念し、買わずじまいだった。このことはすでに書いた記憶がある。それでも繰り返すとそれは、上の前歯中央の一つの欠損である。大好物の「井村屋の硬いアズキキャンデー」を噛んだおり、突然欠け落ちたのである。びっくり仰天、悔しさに唖然としたけれど、後の祭りだった。ところが痛みはなく、歯科嫌いのせいもあってその後は、ぽこリと穴を空けたままにほったらかしにしている。
トウモロコシを手にしながら私は、しばし前歯の欠けに思案をめぐらしていた。挙句、買いの手先を引っ込めたのである。子どもの頃からこれまで、トウモロコシの食べ方は、前歯すがりのガジガジ齧(かじ)りである。この食べ方は、山から庭中へやってくる台湾リスとまったく同様である。上の前歯中央が穴ぽこであれば、もはやトウモロコシの齧りはできない。このことを決断して私は、未練を残しながらもその売り場から離れた。
きょうの文章は、梅雨の合間のダジャレ文である。いや、老いの証し文でもある。朝日の輝きは、さ迷い始めている。
梅雨明けの「沖縄の悲しみ」
6月24日(月曜日)。いまだまったくの暗闇。寝床から起き出して来ると、窓辺に近づいて二重のカーテンと窓ガラスを開いた。雨はまったく降っていない。気象庁はきのう、沖縄県と鹿児島県の梅雨明けを宣言した。沖縄県では、太平洋戦争における沖縄戦にまつわる、悲しい「戦没者慰霊式」が行われていた。式模様を伝えるNHKテレビのナレーションに合わせて私は、しばし黙祷を捧げて、目玉に涙を溜めた。「沖縄ではこの戦いで、住民の四人に一人が死にました」。この声を耳にすると、溜めていた涙がこらえ切れずにポタリ落ちた。何ら、役立たずの涙が歯がゆかった。
あれれ……、曇り空の夜明けが薄っすらと明け始めている。梅雨明けの沖縄の夜明けはたぶん、朝日輝く夏空であろう。79年前の沖縄は灼けつく夏空の下、抵抗という激戦を続けて、この日(1945年6月23日)に、力が尽きたのであろう。同じ九州地方の熊本県に生まれていた私は、翌月の7月15日に、5歳の誕生日を迎えていた。沖縄で生まれ住んでいれば、四分の一に数えられてわが命はない。だからと言って私には、「命拾い」をしたという思いはない。いや、こんな言葉や思いには罰が当たる。だからせめて、梅雨明けの沖縄の空に向かって、哀悼の心を馳せている。
きょうは、書くつもりのこの先の文章は書き止めである。グダグダと書けば、わが心象が汚れそうだからである。命の悲しみには、風化や制限時間などあってはならない。
故郷「内田川」にまつわる思い出
梅雨明けまでには、梅雨の合間の気分をたずさえて書くことになる。ゆえに、雨に濡れた気分、濡れた文章になりがちである。確かに、思い出に浸れるのは、人間固有の特権である。思い出には、好悪(是非)がある。懐かしさを添えた楽しいものがある。しかし一方では、それを超える悲しいものがある。いや思い出は、好悪の数で比較できるものではない。結局、思い出は数の多寡ではなく、心に残る刻みの深浅であろう。そして、思い出に残る出来事や媒体も様々である。こんなことを心中に浮かべながら書いている。
すると、わが思い出の中心をなすのは、「故郷、内田川にまつわる思い出」である。つらくよみがえるのは、主に梅雨明け間近に見舞われた、豪雨による川の氾濫時の恐ろしかったことである。内田川の氾濫だからと言ってもちろん、村人(子どもの頃の行政名は内田村)のすべてが恐怖に慄いていたわけではない。実際のところは、内田川の水量を当てにして、分水を引いて水車を回していたわが家だけだったかもしれない。当時のわが家は、狭い河川敷を挟んで裏に流れている内田川にすがり、水車を回して生業(なりわい)を立て、大家族を成していたのである。こちらは今なお、夢まぼろしにはなり得ない、かぎりなく内田川がもたらしていた恩恵である。
ところが、一旦暴れ川になると家族は、水嵩(みずかさ)が低くなるまで、恐怖に晒されていたのである。豪雨のおりに時々刻々に水嵩を増して、わが家の軒下へ近づく激流、そしてその轟音の恐怖は、月並みの「生きた心地がしない」という、心象をはるかに超えていたのである。もちろん私には、このときの恐ろしさをここで、臨場感をともなって書き著す能力はない。
一方で内田川が恵んだ好い思い出は多くあり、これまた数えきれるものではない。もとより、内田川は水車の水を恵み、また明滅するホタルの光をもたらしてくれた。これらのほかにあって内田川の恵みには、水温む春先の川魚釣りと、夏の間の楽しい川遊びがあった。内田川には、こんな魚がいた。当時の私には遊び心だけがあって、学習心はまったく無かった。だから、日本全国に共通する川魚の名前など、今なお知る由もない。ゆえに、内田川に棲んでいた魚を当時の呼び名で連ねればこんなものが浮かんでくる。以下は記憶のままに、まさしく順不同である。ウナギ、ナマズ、ドンカチ、カマドジョ、アブラメ、シビンチャ、ハエ、ハヤ、アカソ、シーツキ、ゴーリキ、ドジョウ、ゲギュ、カマヅカ、コイ、フナ、メダカ、イダ、ヤマメなどである。漏れがあればふうちゃんに添えてもらうけれど、彼もこれ以外には知らないかもしれない。なぜなら、ふうちゃんの家は、内田川から遠く離れていて、かつ当時のふうちゃんは、耳の不調で医者から川遊びを禁じられていたと言う。
いつもは時間の切迫にあって、書き殴りの文章に甘んじている。ところがきょうは少し時間に余裕があり、こんなことを書いてしまった。共に、書き殴りに変わりない。座して詫びるところである。夜明けの空から、梅雨の雨が音なく落ちている。ウグイスはひと休み、アジサイだけが威張っている。
梅雨入り劈頭の朝ぼらけ
6月22日(土曜日)。梅雨入り劈頭(へきとう)にあって、のどかに晴れた夜明けが訪れている。わが精神は静かに落ち着いて穏やかである。長く気分を迷わし続けていた、気象庁の梅雨入り宣言が決着したためである。もちろん、気分の落ち着きは万全ではない。それは歳月の流れの速さに抗しきれず、唖然としているせいである。
きのうの自然界(気象)は、奇妙と言うか絶妙と言おうか、ミラクル(奇跡)を演じた。すなわち、きのうの気象は「夏至」と梅雨入り(地域限定、関東地方ほか)を同日に合わせたのである。こんなことが気象庁の過去記録にあるかどうかは知る由ない。しかし、私には奇跡に思えていたのである。夏至が過ぎてきょうから日長は日々縮んで、変わって「冬至」(12月21日)へ向かって夜長が延びて行く。一方梅雨は、人の口の端や気象予報士の予報にあって、こんどは梅雨明けの時期が取りざたされてくる。人間界の営みは、良くも悪くも自然界現象に翻弄され、あるいは多大な恩恵を得ながら、過去から現在そして未来永劫へ、世代や世相を変えて連なるのである。ゆえに、わが限られた生存期間は、まさしく芥子粒ほどもない。だったら日々、クヨクヨするのは大損である。わかっちゃいるけれど、それを止められないのは、わが生来の「身から出た錆」なのであろう。
確かに私は、大バカ者である。今朝の晴れは、梅雨明けまでは「梅雨の合間の晴れ」、すなわち限定晴れに呼び名を変える。ときには、「束の間の晴れ」とも呼ばれる。限られた梅雨の合間の朝ぼらけを喜んで、山のウグイスの鳴き声は、ひと際朗らかな高音(たかね)である。アジサイの彩りもまた、ウグイスの鳴き声に負けまいと妖艶さを増している。アジサイは、きのうの雨の名残露にあずかっている。
「夏至」
私の重なるミスで、掲示板は汚れていた。ゆえに、心が沈んでいた。掲示板は、大沢さまが綺麗にしてくださった。わが心、晴れ晴れの夜明けである。だったら気分良く、麗しい文章を書きたいところである。しかし一方、私にはそうはいかない歯がゆさがある。それは歳月の流れの速さに気分が殺がれ、なお脅かされているせいである。一言で言えば、人生の終末を生きる高齢の身の、同義語を重ねて「悲哀」である。
きょうは「夏至」(6月21日・金曜日)、こんなことに悲哀を感じるようではもはや、私には愉しめる日常はない。知りすぎている言葉だけれど、電子辞書を開いて復習を試みている。【夏至】「二十四節気の一つ。太陽の黄経が90度に達する時で、北半球の昼が最も長く、夜が最も短い。太陽暦では6月21日頃。季語夏。対語冬至」
こちらはスマホを開いて、知りすぎていない言葉の学習である。
【summer soistice(夏至)】「至点(soistice)とは1年に2回、天球上において太陽の赤道面からの距離が最大となる瞬間、またその時の太陽の位置をさす語である」
この十日ほど私は、中学・高校の英単語の再学習に戯れている。面目ないけれど、その証しを試みたのである。ネタのない一時しのぎにこんなことに縋れば、またどこかにミスが出ているかもしれない。
夜明けの空は、確かな梅雨空である。気象庁は、梅雨入り宣言をミスっているかもしれない。同類と、喜ぶべきであろうか。いや、わが身の浅ましさである。
朝駆けの掃除ののちの文章
6月20日(木曜日)。晴れてのどかに夜明けが訪れている。あすは「夏至」(6月21日)、昼間の長いブービーである。今朝は文章を書くのは諦めて、5時前あたりから道路の掃除を開始した。おとといの雨上がりの道路は、きのうの日照りで、ようやく掃除に耐えた。そうであれば朝早く道路の掃除へ向かうのは、朝の散歩組に人たちにたいするわがしがない気配りである。懸命に1時間20分ほどかけて、いつもより広く長く隅々まで、かつ丁寧に掃除を終えた。普段の散歩組に出遭ったのは、にこやかに挨拶を交わす夫婦連れだけだった。わが朝早い道路の意図は功を奏したのである。加えて、普段は見知らぬ初見のご高齢の男性に出遭った。年恰好は私ぐらいだったけれど、羨むほどに長身かつハンサムな万年青年の人だった。私は挨拶をかけた。同時に、思いがけない言葉が返った。
「アジサイ、綺麗ですね。みんなが綺麗と言っていますよ」
「そうですか。ありがとうございます。うれしいです。救われます」
私は弾む気持ちで言葉を返した。
掃除を終えると、駆け足で二階へ上がり、パソコンを起ち上げ、椅子に座っている。ところが、諦めていた心に息遣い激しく、額の汗を拭きながら書き出している。さらに心は大揺れて、この先の文章は書けない。普段の私は、継続を断たないことだけを念じて、無理して文章を書いている。無理して書く文章はわが意を叶えず、さらにはへま(ミス)に慄くばかりである。挙句、(もう書きたくない、もう書けない)という、気持ちが増幅する。このことは、現在の偽りのないわが心境である。その心境を逃れるために、この文章は20分ほどで、ここで書き止めとする。
こんな短い文章であっても、ミスをしでかしているかもしれない。「くわばら、くわばら……、三十六計逃げるに如かず」である。書き殴りをかたじけなく思う、日長ブービーの夜明けである。