ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
スポーツチャンネル、大盛況
7月29日(月曜日)。雨の無い夜明けが訪れている。ウグイスが鳴いている。今、「パリオリンピック」のフェンシング男子個人戦における、加納選手の金メダルの表彰式を見終えて、二階へ上がってきた。寝不足のため、この先の文章は書けず、沙汰止みを決め込んでいる。
きのうのテレビチャンネルには、あちこち交錯してスポーツ番組が組まれていた。浮かぶままに書けばこれらである。大相撲名古屋場所千秋楽。プロ野球、私がテレビ観戦した試合では、阪神タイガース対中日ドラゴンズ戦。高校野球の地区予選決勝戦。アメリカ大リーグにおける大谷選手の出場試合。そして、やはりメイン番組では、「パリオリンピック」における様々な競技の実況放送。
オリンピックでは主に、女子バレーボールにおける、日本対ポーランド戦を観た。だけど、ほかの競技も垣間見た。大相撲では横綱・照ノ富士が優勝した。タイガースは11回裏で、サヨナラ勝ちをした。女子バレーボールはにあっては、日本チームは敗れた。まったく観なかったのは高校野球と、大リーグの試合だった。こんなことを記して、結び文とする。またまた、階下のテレビ桟敷へ駆け込むためである。かたじけなく、心中、詫びている。
「パリ・オリンピック」における、テレビ観戦の心得
7月28日(日曜日)。きょうもまた雨なく、のどかに晴れた夜明けにある。わが夏の朝の礼賛は続いている。アスリート(競技者)とはズバリ、スポーツなどの身体運動などを通して、文字どおり技を競い合う者たちを言う。ゆえに、スポーツマン、スポーツ選手、運動選手など、呼ばれている。しかしながら私の場合、この呼び名のニュアンス(響き)は、長年鍛え上げてきた技の持ち主にたいしてだけ、崇めて言いたいところがある。
いよいよわが夫婦には、待ちに待っていた「パリ・オリンピック」のテレビ観戦が始まっている。4年ごとに行われる夏季・冬季のオリンピックは、まさしく世界中のアスリートが長年鍛え上げてきた技を競い合う(競技)、華ある世界大会(大祭典)である。だったら、テレビ観戦とはいえ、観なければ大損である。世界の国々から選ばれ晴れて、オリンピックに出てくるアスリートたちには、物心ついて以降長年、技を鍛えてきた人もいよう。あるいはオリンピックを見て、一念発起してみずからの得意技を究めて、ほぼ同意語を用いればすなわち悲願と宿願を果たして、出場が叶った人もいよう。総じてこれらの人たちにたいして、メデイアが「メダル(金銀銅)一辺倒」騒ぎに陥ることには、腹の立つところがある。しかし一方では、この騒ぎがあってこそ、オリンピック自体、盛り上がることも事実である。競技会であればやはり、金銀銅の順位づけはなくてはならないと認めて、栄冠を授けて勝利者を称えなければならないところはあろう。
きのうのわが夫婦のテレビ観戦は、ほぼ男子バレーボールの日本対ドイツ戦に終始した。試合はセットカウント2対3で、日本は惜敗した。ところが、15点マッチの第5セットも最後まで点の取り合いの末に、日本は負けたのである。しかし、この試合は予選リーグの一試合ゆえに、この先の相手(アメリカとアルゼンチン)との勝利しだいでは、息の根はまだ残されている。
ときたま、柔道、水泳、バスケット、ハンドボールなど、まさしく入り乱れてのテレビ観戦が続いた。私は日本代表選手における、メダル獲得者(勝利者)だけに拍手喝采することは慎み、さらには世界のアスリートの技を堪能したいとも思っている。しかしながらこのことは、絵に描いた餅すなわち、「言うは易く行うは難し」である。なぜなら私は、泰然自若の聖人君子ではなく、メデイアに煽られて見境なく食いつく、ダボハゼみたいなものだからである。「パリ・オリンピック」のテレビ観戦の心得は戸惑うばかりである。
通院代わりの「昼カラオケ」
7月27日(土曜日)。このところ雨の無い夏の朝が続いている。夏風邪ならぬ、夜明けの夏風は爽やかである。おかげで、気分良く起き出している。ところがネタなく、文章はようやくネタを拾って、書き殴りで様にならない。恥を晒してやっとこさ、戯れの文章を書いている。こんなことでは、継続文の足しにはなりそうにない。
きのうは何年かぶりに初見のスナックが営む「昼カラオケ」へ、妻を引率同行した。炎天下、歩いては立ち止まり、また歩いた。大船(鎌倉市)の昼中、かなり長い距離をかなりの時間をかけて、あちこち一見のスナックを探し歩いた。途中には一度、違うスナックのドアを開けるへまをしでかした。目当てにするスナックの名は、妻頼りだった。
この日の妻は、カラオケ仲間のご婦人(91歳)との出会いだった。カラオケ仲間と言っても、もう何年もご無沙汰であり、この間に互いに年齢を重ねていた(妻は、9月で81歳)。私たちは数あるスナックの中から、目当ての店を探しあぐねていた。スナックばかりが入っている一棟建てビルの中に、目当てのスナック名を探し当てたのは妻だった。
エレベーターで二階へ上がり、昼とはいえ異質の雰囲気を保つ、飲み屋(スナック)の重たいドアを押した。ドアを中から開いた店主(中年の女性経営者)と、妻が言葉を交わし、私たちを明かりの灯る、それでも暗い店内に招じ入れた。妻が出会う人は、すでに店内に居られたのである。
このスナックは、その人の馴染みであり、週に何度か通われているという。私は初対面の挨拶を交わすと、妻とご婦人が並ぶところからは離れて、独り隅の方に着座した。カウンターには二人の高齢の男性が座り、ひとりがマイク片手に歌っていた。私は無理して瓶入りのノンアルコール一本を注文した。しばらくするとそれに、手作りのお通し(摘まみ)が添えられて、運ばれてきた(帰りの支払いは1600円)。
カウンターの男性たちは、交互に切れ目なく歌われていた。しばらくするとご婦人が歌われた。年齢そっちのけに美声である。いつも私の役割は、見知らぬ人の歌お構いなしに、そして上手下手にかかわらず、「手たたき」である。二人の男性、そしてご婦人は馴染みの店らしく、自分の名入りのウイスキーボトルを前に置かれていた。
妻は『悲しい酒』など、何曲かを歌った。スナックで聞く妻の歌は、何十年ぶりかもしれない。やはり妻は、特等に歌が上手い。カウンターの男性はその都度、手を叩いて振り返り妻を見遣った。上手の合図のしるしである。
2時間ほどいたけれど、私は1曲さえ歌わず、手たたき屋に徹した。それは、歌が下手だからである。一方、妻褒めを許していただければ、これまで私が聴いた素人の歌の中では、やはり妻が一番上手いと、この日も確信したのである。
「わたしたち、5時までいるわ」
私は買い物を理由に4時頃店を出た。
妻は6時半頃にわが家へ帰って来た。開口一番私は、
「やはり、おまえは上手いなあ……」
と、言った。
妻は満面に喜びの表情を浮かべて、
「パパも上手いんだから、歌いなさいよ。歌っていた男性より、パパがはるかに上手じゃないの」
昼間の炎天の夏は、穏やかに和んで夕暮れた。
重宝している三つの人工補助器具
7月26日(金曜日)。薄っすらと夏の朝が明け始めている。開いた窓ガラスから吹き込む風は、早や秋風と言っていいくらい、冷えてさわやかである。夏の朝の快さは、自然界の恵みの上位に位置している。これに反して自然界の脅威と言えば、きのうのテレビニュースは、山形県と秋田県における、ある地域の大雨による洪水被害(災害)状況を映していた。また、テレビ画面の上部には、群馬県では雷、茨城県では竜巻、そして千葉県では、地震にかかわるテロップ流れていた。全国的には、熱中症への警戒警報報道の盛りにある。
夏至(6月21日)から一か月余りが過ぎて、見た目また体感的にも夜明けが遅く、夕暮れが早くなっている。季節はすんなりと巡っている。ままならないのは、わが生き様である。起きて、ネタ探しにあぐねて私は、こんなことを浮かべていた。そして、何でも書いていいから書いて、文章の頓挫を免れようと決意する。
現在、私は、人工の器官補助器具として、三つ(三か所)さずかっている。すなわち、目にはメガネ、歯には入れ歯、耳には補聴器である。これが一番、それが二番、あれが三番などと、優位差などつけようなく、どれもが一番である。もちろん、どれもがきわめて有効であり、これらが無くては、わが人生の愉しみは無に等しいほどに、減殺(げんさい)されるものばかりである。人間すなわち、他人様(ひとさま)の知恵にさずかり、わが人生は無類の愉しみにあずかっている。だから、ときにはこんなことを書いて、人間の知恵を崇めることは、まんざら馬鹿げたことではないであろう。
私の場合、ビールをはじめとするアルコール類は、年じゅう一切無用である。ところが先日、妻のこの言葉に応じて付け足しに、朝日の生ビール缶一本を買って来た。
「パパ。エダマメ、食べたいね。茹でた、冷凍の物、買って来てよ」
「食べたいなら、買ってくるよ」
エダマメとビールは、赤飯とごま塩みたいに、対(つい)をなす飲食物である。好物ではないとはいえビールは、流れるごとく喉を通過した。ところが、前歯の一本が欠けたままにほったらかしにしているせいで、小粒とはいえエダマメは、喉を通すのに往生したのである。すると、このとき感じたのは、入れ歯の効用だった。
いよいよきょうあたりから、「パリオリンピック」のテレビ観戦が始まる。だけど、メガネそして補聴器がなくては、ゴキブリのテレビ観戦みたいなもので、暗闇でゴソゴソするばかりである。ネタ無しの文章は自分自身面白味がなく、これでおしまいである。遅出の朝日が輝き始めている。
生きている証しの報告書
7月25日(木曜日)。のどかな夏の夜明けが訪れている。自然界が人間に対し恵む、醍醐味の一つである。夏の夕暮れもこれに加えて、醍醐味の一つである。とりわけ夕立が去った後に、しだいに夕暮れに向かうどきの外気の爽やかさはたまらない。総じて、夕暮れどきの「夕涼み」の爽やかさは、格別の夏の恵みである。しかしながら一方、昼間の夏は、真夏日、猛暑日、さらには熱中症などの言葉を添えられて、人間界に散々嫌われる。また、熱帯夜という夏特有の嫌われる言葉もある。
きのうの私は、(熱中症に罹ったかな?)と、思える身体症状に見舞われていた。それは、頭痛がともなう自己診断だった。ところがそれは、幸運にも藪医者もどきの誤診だったようである。なぜなら、起き立ての現在、身体からその症状は消えている。しかし、今なお自重するところはある。
一つは、きょうの朝の道路の掃除は控えている。一つは、文章書きも控えている。この文章は、文章から離れて「生きている証しの報告書」にすぎない。本当のところは、この文章さえも休むつもりだった。
ところが、一つの懸念が後押しをしたのである。それは、「フランス、パリオリンピック」にかかわるものだった。いよいよパリオリンピックは、明日(7月26日)からテレビ観戦が大わらとなる。競技にかかわるリアル(生)の放映は、日本の場合はおおむね夜間から朝にかけてと言う。するとおのずから時間帯は、わが二つの日課すなわち、朝の道路の掃除と文章書きと重なることとなる。掃除はテレビ観戦ののちに延ばしても、一方の文章は沙汰止みになりそうである。これを恐れてきょうは、こんな文章を書いただけである。すなわち、実のない自己都合の文章にすぎない。かたじけなく、詫びるところである。
命
7月24日(水曜日)。さわやかに晴れた、夏の夜明けが訪れている。ところがきょうの私は、「命」の大事をとって、二つの朝の日課すなわち、道路の掃除そして文章書き共に、意識的に休みを決め込んでいる。「命、燃え尽きる。命、枯れる。命、縮む」。ほか、命にまつわる表現は様々にある。もとより五官、すなわち目、鼻、耳、舌、皮膚のように、わが身体内に「命」という、形ある器官はない。もし仮に、そのような塊(命・器官)があれば、現在のわが命は、見た目キイウイに留まらず、アボガドのごとくしわがれて、黒ずんでゴツゴツしているであろう。
こう思うのはきのう一瞬、立ち眩みを感じて命に不安をおぼえたからである。私は「なんだろう?……」と、心中で叫び、その場に夢遊病者のごとく蹲(うずくま)った。瞬間とはいえ、気分が落ち着いても、恐ろしさに震えていた。そして、熱中症かな?と、思った。なぜなら、きのうの夜明けにはたっぷりと時間があったため、先ずは文章書いてそののち、時間をかけて綺麗に掃除をした。しかしこののちは、ほぼ一日じゅう頭部に不快感を宿していたのである。
「パパ。もう道路の掃除はしなくてもいいよ。こんなに年なんだから、しちゃダメよ。しなくても、だれも文句は言わないわよ。止めなさいよ」
妻の小言、それは忠告だった。
きのうの現象からゆえにきょうは、共に休みを決め込んでいる。だから文章は、この先は書かずに、休んだ理由を書いたにすぎない。ただ、現在は、普段の「命」に復している。形ないものは、手に負えない。私には、それを補う気力がない。朝日はいっそう明るく輝いている。私は、虚しく道路を眺めている。
西空の「満月」
7月23日(火曜日)。きのうに続いて悪夢に魘されず、いまだ暗い夜明け前に目覚めて、起き出して来てパソコンへ向かっている。そしてこれまた、きのう同様に心地良い夏の朝風を吹き込むために、きょうは全方位の窓ガラスを開いた。すると、思いがけなく自然界が恵む、胸の透く情景に出遭った。夜の静寂(しじま)の西空に、ぽっかりと明るく、満月が浮かんでいた。
私は、愉快、痛快な気分に囚われた。同時に、独り占めではもったいない気分になった。足音を忍び階下へ向かい、引き戸の隙間から茶の間を覗いた。妻は起きて、テレビを観ていた。就寝時の私は、補聴器を外している。ゆえに、テレビの音、妻の動作音など、まったく聞こえてこない。茶の間へ近づいて、妻へ呼びかけた。
「起きていたのか。お月さんがとても綺麗だから、呼びに来たよ」
なんだかしゃべっているけれど、妻の声はまったく聞えない。ところが、妻は笑顔を湛え、折り返す私の後ろについて、階段を上ってきた。こののちはしばし、肩を触れあっての月見を堪能した。思いがけない満月が恵んだ、地上のわが家のパラダイスだった。
きのうは独り善がりにだらだらと長い文章を書いた。恐れていたとおり案の定、掲示板上のカウント数はガタ減りだった。もちろん、「草臥れ儲け」と、嘯(うそぶ)くことはできない。疲れて、懲り懲りになっただけである。ゆえにきょうは短く、ここで結文とするものである。
デジタル時刻は、未だ4:40である。薄く夜が明け始めている。道路の掃除へ向かうにはまだ早い。だから、パソコンを閉じてもう一度、西空を眺めてみる。お月さんは西の方へ去っているかな……、あるいは雲隠れしているかもしれない。それでも委細構わず、私はしばし窓際に佇むつもりである。もとよりこの行為は、束の間の家庭平和を恵んでくれた御礼返しである。
エネルギー漲る「夏の街中が好き」
7月22日(月曜日)。いまだ暗い夜明け前にある。いつもの悪夢との闘いを免れて、早く目覚めた。このため、この文章を閉じて、道路の掃除へ向かっても、まだたっぷりと時間がありそうである。だから、だらだらと長い文章になりそうな予感がする。長い文章になればおのずから、見ただけで嫌気がさして、読んでくださる人もいないであろう。それでもかまわないとは言えないけれど、なんだかそうなりそうである。
パソコンを起ち上げる前には窓ガラスを開いて、きのう同様に心地良い夏の朝風を招き入れた。夏の朝にあって、無償で手に入れることのできる贅沢である。梅雨が明けたばかりなのに一足飛びに、本格的な夏の炎暑が訪れている。だから、夏の朝風に限ることなく、昼間の夏の風はそれを超えて、これまた無償の贅沢である。しかし昼間の場合は、木陰の風、限定と言えそうである。なぜなら、木陰なく剥き出しの街中の風はやはり、手に負えない暑気を含んでいる。この確かな体験を私は、きのうの買い物のおりの、大船(鎌倉市)の街中でした。
私は買い物にかぎらず夏の外出は、比較的涼しい朝のうちと決めている。この自己規制に沿って私は、十時過ぎあたりから門出した。ところが、夏の陽射しはすでに現れていた。視界一面には夏特有のぎらぎらと光っている、透明な外気が充満していた。私は最寄りの半増坊バス停に向かって歩き出した。急ぎ足だった。前方に目にした親子連れは立ち止まったり、戯れながら歩いていた。追いつくと親の男性は、中年に満たない人に見えた。子どもは小学低学年の頃に思えた。子どもはおもちゃとは言えそうにない、頑丈で精巧な水鉄砲を手にしていた。ときおり、草生(む)す傍らの山肌に試しの噴射を試みていた。わが子どもの頃で言えば、蝉取り網と言える夏の遊具であろうか。今の子どもは、水鉄砲をセミやクワガタ目がけて、噴射するのであろうか。こんなことはどうでもいいけれど、いっとき私は、わが子どもの頃の夏へ思いを馳せていた。
バスには途中から女子高校生の群れが乗り込んだ。さらには、いつもとは違って若い男女が乗って来て、立錐の余地なく込んだ。車内の冷房はフル回転していた。ところがそれに飽き足らず、身を縮めて顔前に流行りのハンデイファンを向けている人もいた。バスを降りた大船の街は、日曜日のせいか老若男女の人出であふれ返っていた。装いは思い思いに、暑さしのぎの夏のいで立ちである。洒落た日傘を翳す人、ハンデイファンを顔に向けてる人、半袖で肌着まがいの薄手の夏服(シャツ)を着ている人、色とりどりのサングラスで日射しを遮る人、ほかさまざまに夏の街中の人出は、人間模様の坩堝(るつぼ)と化していた。
私はハンカチを手にして、ときおり汗を拭きながら歩いた。夏の街中の人出には、様々なエネルギーが漲っていた。確かに、身に堪える暑さだけど、半面私は、エネルギー漲る夏の街中が好きである。なぜなら、人それぞれに暑さと戦い、さらに生活いや生存と闘っているように見えるからである。付け足しにわがきのうの買い物一覧を記すとこうである。キュウリ4本、ナス6個、トマト5個、小粒の温州ミカンの一袋、キイウイ3個、卵10個、アーモンドをはじめとする豆類入りまじりの袋物一つ、台所洗剤1本、ハスの煮物、アップルパイ二つ、チョコレートづくりの洋菓子一本、ウスター醤油一本。これらを大形の買い物用リュックに詰め、詰め切れないものは買い物用の大袋を片手提げにした。いつもは両手提げだけれど、暑さを慮り一袋分を買い控えたのである。
約一時間の書き殴りは苦労したけれど、読む人がいないと思えば、推敲は免れる。夜明けて、きらきらと光る夏の朝が訪れている。文章を閉じるけれど、掃除へ向かう時間は、まだたっぷりとある(5:36)。
心地よい夏の朝風
7月21日(日曜日)。窓ガラスを開けると、心地良い夏の朝風が吹き込んで来た。わが起き立ての憂鬱気分は、自然界の恵みに出合ってかなり緩んだ。わが人生には焼きが回り、とうに盛りを終えて薹(とう)が立っている。連日の悪夢に抗戦を挑んでいたところ時が過ぎて、起き出しが遅れた。挙句、二つの日課のいずれも、果たせない。一つは道路の掃除、一つは文章の執筆である。自業自得と悟り、諦めるにはあまりにも腹の立つ、夢の中の悪鬼の仕業である。
気分を直してパソコンを起ち上げ、文章を書き始めている。ところが、一度躓(つまづ)いた気分は、やはり立ち直せず、わが凡愚の苛立(いらだ)ちの因になっている。バカなことを書いてしまった。この先は書かず、結び文としたいところである。一方では欲深く、せっかく書き始めた文章だから繕(つくろ)って、継続文の装いにしたい思いがある。まもなく開幕する「パリオリンピック」のテレビ観戦が続けば、おのずから継続は断たれることとなる。だったら、この文章を継続文の一つに仕立てて置かなければならない。焦燥感つのる、現在のわが心象風景である。
行きつけの「大船市場」(鎌倉市大船の街)には夏の売り場を彩り、食感をそそる旬の夏野菜が溢れている。わが好物のキュウリ、ナス、トマトは、確かに今や夏限定ではなく年じゅう出回っている。しかしながら私は、キュウリ、ナス、トマトは、夏野菜三品として旬(しゅん)の有卦(うけ)に入っている。すなわちそれは、本来の旬の美味にあずかれるからである。加えて、夏のキュウリ、ナス、トマトには、母恋慕情と郷愁が重なり、さらには幸福感が重なるのである。
子どもの頃の夏の食卓には連日、母が前掛けをして、頭や首周りから汗まみれの手拭いを垂らして、裏の畑からもぎ取って前掛けに包んだ、キュウリ、ナス、トマトが上っていた。これらに父の大好物のソーメンは、夏の食卓の定番を成していた。私はソーメンを食べ飽きてトラウマ(心的外傷)となり、現在は要なしになり、ソーメン好きな妻から、ブツブツと顰蹙を買う元となっている。
夏野菜三品に加えて、夏限定のわが大好物には西瓜とかき氷がある。かき氷は今夏、すでに二度食べている。ところが、西瓜はまだである。売り場に並んでいるのを見遣りながら私は、「買って、持ち帰るには重たいなあ……」と、声を控えた嘆息を吐いている。私は、半身や四分の一に切り分けられた西瓜には哀れみを感じて、買いの手を控えている。西瓜はやはり、手触りのよい丸玉にかぎるのである。母が丸玉に包丁を入れた瞬間の「バリバリ音」こそ、丸玉西瓜の醍醐味であり、西瓜にまつわる親子の情愛が迸(ほとばし)るのである。いまだに持ち越しの今夏の西瓜は、近いうちの妻の通院のおり、娘が車で来るまでおあずけである。
時間の切迫に追われて、書き殴った文章は、とんだ長い文章になってしまった。謹んで、詫びるものである。だけど、書けそうもない文章が書けた。たぶん、心地良い夏の朝風が気分を解してくれたからであろう。まさしく、夏限定である。堪能しなければ、夏の好物同様、これまた大損である。
夏が来れば、秋が来る
7月20日(土曜日)。いまだ夜明け前だけれど、薄暗く夜が明けたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。まもなく、夜が明けそうである。おのずからこの文章は短くなり、実のない文章のままに閉じる。道路の掃除と文章執筆の交差時間を解決しなければならない。このことはこれまで、わが解決すべき宿願のテーマとなっていた。ところが、今なお自己解決をみないままに悩み続けている。挙句、文章は書き殴りを食らい、また継続が危ぶまれる。
さて、梅雨が明けた。本格的な夏が来た。しかし、夏の暑さはいまだ初動にあり、こののち真夏へ向かうにつれて炎暑の夏が訪れる。ところが昨夜、就寝中の風は(もう秋風)とも思うほどに、肌身に冷ややかだった。私はうれしい気分を撥ね退けて、季節めぐりの速さ感に戸惑った。まさしく、人生の終盤を生きる者(私)固有の哀感に晒されていたのである。なぜなら、季節いや時のめぐりの速さ感は、わが残りの生存期間を縮める思いに陥っていたのである。抗えないことに思いを詰めるのは、まさしくバカ丸出しである。
淡い朝日の光をともなって、夜が明けた。同時に、私が設けていた制限時間が切れた。私は道路へ向かう。ウグイスは、頻りに鳴いている。