ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
やはり表題のつけようはなく、休みます
3月17日(日曜日)。現在のデジタル時刻は、4:14と刻まれている。暑苦しくて、夜具の一つ厚手の毛布を撥ね退けて、一枚布団で寝ていた。起き出して、冬防寒重装備は要なしにした。いつもは、ネタ不足に見舞われて、休みたくなる。ところがきょうは、ネタはあるけれど、休みます。体調不調と体調不良。共に、四文字にあって、最後の一字が入れ替わるだけである。だけど、大きな違いがある。体調不良の場合は、生存が危ぶまれる。私は、体調不良に見舞われている。
きのう突如、左胸(心臓辺り)にだけ痛みが走り、心筋梗塞かな? と、恐怖をおぼえた。挙句、スマホにすがり、狭心症と心筋梗塞を十分に学んだ。現在、痛みは胸の裏側の肩筋から脇腹へ移っている。これまた初体験である。このところ背中には、普段はない痒みが発症している。これらを鑑みて、腎不全に用いている薬剤の副作用かな? と、自己診断のさ中にある。
きのう気づいたことだけれど、おととい小銭入れの財布を無くしていた。実害は1万円ないし2万円ほどだから、こちらは病に比べれば嘆きは軽くて済む。だけどやはり、気分は鬱になる。春が来たから、春ボケなのか。わが日暮らしは、気分の滅入りに見舞われている。ゆえに、心折れて休みます。
身も蓋もないことだけど、せっかく書いたことだから、もったいないかな! と、表題をつけたくなっている。寝起きの、わが浅ましい根性である。
書くまでもなかった、悔いまみれの一文
3月16日(土曜日)。確かな、春が来ている。起きて、寒気はまったく感じない。そのせいで再び、寝坊助を被っている。ゆえに心焦り、パソコンを起ち上げている。もちろん、脳髄は空っぽである。わが文章の執筆は、仕事ではない。だったら、休めばいい。確かにそうだ。だけど、束の間の休息は、この先の途絶えになりそうである。ずる休みにともなう、いつもの恐れである。ならば、何かを書かなければならない。浅ましい心模様である。
ところが現在、なさけなくもネタ無し状態にある。ネタが浮かばないときに、決まって嘆くことはこのことである。すなわちそれは、私自身が文章をものにする得意とする分野(材料・ネタ)をまったく持たないせいである。加えて、ブログ特有に書いてはバッシングを被る様々な箍(たが)を嵌められている。挙句、無難なわが身辺のこと、子ども時代のこと、とりわけ郷愁まみれのことなどで、お茶を濁してきた。ところがこれらは、すでに書き尽くしている。私には、フィクション(虚構・創作文)を書く能力はない。言うなれば私は、常に袋小路に入った状態で文章を書いている。もちろん、弁明が許されないわが凡庸な脳髄のせいである。
時間がない。禁を破ろう。すると真っ先には、現下の政治(国の舵取り)における脱力感である。大相撲春場所(大阪府立体育館)は、きょうは七日目である。春場所は荒れるという、ありがたくない定評(風評)がある。ところが、今場所の上位陣(横綱・大関)は、これまで連日コロコロ負けの状態にある。私は、番付通りの強い上位陣を望んでいる。しかし、この先も危ぶまれる。これまた、こんなことを書くことは自分自身を戒めてきた。だけどまた、ネタ無しの穴埋めのためにちょっぴり書こう。
きのうは、メジャーリーグ・ドジャース球団の大谷選手の奥様ご様子(名前)を知ることができた。こちらは書いてもいいはずだけれど、やはり憚(はばか)れるところはある。確かな春の訪れは待ち望んでいた半面、寝坊助を被りこんな体たらくに陥っている。夜明けの空には、のどかに春の朝日が輝いている。寝起きの私は、焦っていた。
揺れる「日本列島」
3月15日(金曜日、デジタル時刻3:38)。寝ていて気付かなかったけれど、地震があったという。「15日午前0時14分ごろ、福島県沖を震源とする地震があった。最大震度5弱、マグニチュード5・8と推定される」。このところ頻発を続けている震源地は千葉県東方沖である。それに隣接する茨城県沖、さらに続く福島県沖。海の広がりは境なく一帯である。ゆえに現在、この辺りが恐れる地震地域と言ってよさそうである。
これらの中ではやはり、福島県沖に最大震度5弱の地震が発生したとあれば、恐怖心もまた最大である。もとより、13年前の「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)の恐怖がよみがえるからである。地震は発生地域が限られるものではない。狭い日本列島であれば地域限定なく一緒くた、すなわち総なめに発生する。人間の感覚とは異なり地震にあっては、能登半島と房総半島の間さえ、遠く離れているという距離感などあるはずもない。日本列島一帯が、しょっちゅう揺れている。不謹慎だけれど地震の頻発は、まるで手に負えない「モグラたたき」さながらである。そうであればやはり、大地震にならないことを願うだけである。
しかしながら、直近すなわち今年の「能登半島地震」(令和6年・2024年1月1日)を浮かべるまでもなく、それは叶わぬ願望にすぎない。過去へ遡ればなおさら日本列島は、「地震列島」という汚名を被り続けてきた。日本列島は島国、取り巻く海の中にある。ゆえに、地震をはじめ台風、さらには海底火山などの恐怖にさらされる逃れられない宿命なのであろう。そうであれば私は、大の字の付く、大事に至らないことを願うだけである。
起き立てにあって私は、福島沖に地震発生のニュースを目にして、予期していない文章を書いてしまった。人生行路は常に茨道。転げながら辿り着くところは「あの世」である。今や遠く偲ぶふるさとは、きょうから18日まで4日間「相良観音春季恒例祭」である。参道で無邪気に赤い「ニッキ水」を飲み、白い「綿菓子(綿あめ)を舐めていた子どもの頃が懐かしくよみがえる。子どもの頃には小さい地震の体験さえなかった。このことを鑑みれば、このところの地震の頻発は、日本列島の異変の前触れであろうか。わが身は死ぬまで、地震の恐怖まみれである。だからと言って、あの世へ急ぎたくはない。
この文章は、ネタ切れを免れた一文にすぎない。しかし、こんなネタにはありつきたくはない。「春眠暁を覚えず」、眠りこけていたほうがまだまし、すなわち身のためである。夜が明けて茶の間へ向かいリモコンでテレビを点ければ、おのずから福島沖地震状況を観る羽目になる。日本列島に住むかぎり、日々絶えない宿命である。だったら、震源地地域の無事を祈るのみである。震源地は地域をかぎらず、めぐりめぐっている。
番外編、村・町・街・大都会
村で生まれ、高校は町へ通い、勤務時代は街の生活に明け暮れました。60歳定年後のこんにちまでは、村・町・街、らしい入り乱れる生活に身を置いています。
きのう(3月13日・水曜日)の「バスツアー」の第一の目玉は、「成田山新勝寺」(千葉県成田市)でした。私には初見参でした。ここでは、境内の広さに驚くばかりでした。
第二の目玉と言えるものは、昼食の「うな重」でした。ウナギは堪能するほどの厚みはなく、しかし9000円の参加費用を鑑みれば、それなりに舌鼓を打ちました。
旅の後半、夕暮れ間近の頃にあってバスは、第三の目玉と言える「浅草寺」(東京都台東区)に立ち寄りました。ここには何度か訪れています。しかしながら境内は、様変わりになっていました。混雑する中にあって日本人は少なく、外国人の姿ばかりが目立ました。私は浦島太郎の気分に陥っていました。
一方で、のどかな気分に酔いしれていました。なぜならそれは、外国人が日本の国の一端(観光地)を楽しんでくれていたからです。私もまた、久しぶりに大都会のいっときを愉しみました。
「華の親子道中」はくたくたに疲れました。だけど、大沢さまの応援もあってかそれに背かず、老齢の身相応には愉しめました。人生の最後(最期)と思える旅は、無事に終わりました。最期迫るなかにあっては、再びバスツアーを愉しむことはないでしょう。そのせいかわが目は、暮れなずむ夕日、暮れゆく闇の中にあって、車窓から次々に現れる風景にこびりついていていました。
この文章は、書くまでもないことを書いた番外編です。疲れは、とんでもない長時間の睡眠をもたらし、私は慌てふためいて20分ほど書きました。あしからず。
華の親子道中
3月13日(水曜日)。現在のデジタル時刻は真夜中(1:09)。わが心中には二つの成句が浮かんでいる。一つは、ずばり「年寄りの冷や水」である。そして一つは、季節外れだが「飛んで火に入る夏の虫」である。もっと適当な成句があるとは思うけれど、わが凡庸な脳髄は、この二つで限界である。
このところのNHKテレビニュースは、千葉県東方沖(房総沖)における地震発生の多さを、まるで呪文(じゅもん)のごとく唱えて伝えている。もちろんこれには、警告という「良心」が付き纏っている。
きょうの私には、何十年ぶりだろうと思える「バスツアー」がある。行き先はこんな時期にあって、よりもよって千葉県方面である。ツアーの目玉は「成田山新勝寺」である。地震頻発を知らせる警告ランプが灯る中、危険を冒してのいで立ちである。同行する妻は、最後の最後まで地震を恐れて、わが決行を危ぶんでいた。しかし、配偶者の悲しさゆえに妻は、渋々同行を決意した。私とて気分良く進んで、参加を決め込んだわけではない。いや、これまた妻同様に渋々の決断だった。
ツアー呼びかけ人は、横須賀市内に住む娘である。これまでの私は、娘の様々な呼びかけに対しては、悉(ことごと)く「NO」を返し続けてきた。ところが、今回は「OK」サインを返したのである。娘は、当てが外れてビックリしていた。わが決断の真意は、わが人生最後の「親子道中」の決行だった。その行き先が、地震頻発中の千葉県中心になったのは「時の不運」である。バスの発着地は娘の住む横須賀市内で、出発時間は午前8時30分である。そのためには、わが家を早や発ちしなければならない。そしてこれには、歩行不自由の妻を引き連れていかなければならない。それゆえに時間厳守(8時半)にそって、わが家を出るのは6時半頃と決め込んでいる。このあおりを食って私は、真夜中にこの文章を書いている。身も蓋もない文章だけれど、継続の足しにはなる。駄文、詫びて謝るところである。
窓の外には強風が吹いている。しかし、幸いなるかな! 降り続いた雨は止んでいる。夜が明けて時が進めば、一転直下、晴れの予報である。地震頻発の警告ランプは灯り続けている。携帯するスマホにただならぬ「アラーム(警報)」が鳴り響くかどうかには、「知らぬが仏(ほとけ)」を決め込んでいる。なぜなら、地震を気に揉んでいては「わが人生最期の『華の親子道中』」にはありつけない。地震の恐れはあるものの晴れの予報は、粋な天の配剤なのかもしれない。
春の訪れ、迷い言
3月12日(火曜日)。卓上カレンダー上には、「奈良東大寺二月堂お水取り」と記されている。古来、伝統ある歳時(記)なのであろう。しかしながら私は、どんな催しなのか、まったく珍紛漢紛である。ゆえに私は、この文章を閉じれば、パソコン上のインターネットで学ぶ心づもりにある。
きょうの天気は雨の予報である。ところが、雨はきょうかぎりで、あすは晴れの予報である。冬の雨には濡れたくない。春の雨には濡れても構わない。もとより、氷雨と暖雨の違いである。これまで、呆れかえっていた季節狂いの春は、ようやくきのうあたりから本来の春の訪れにある。今のところ窓の外には雨降りはなく、パソコン部屋は頭上に二輪(にわ)の蛍光灯がともる、夜の静寂(しじま)にある。先ほどの洗面における蛇口の水は温んでいて、私は怯えず隈なくかつたっぷりと顔面を濡らした。パソコンを起ち上げて椅子に座す現在(4:21)、寒気は緩みこれまたまったく怯えはない。
こんなのどかな季節、いや春の訪れにあって過去(13年前)には、「東日本大震災」(平成23年・2011年3月11日14時26分)が起きたのである。地震は、季節構わず起きる証しでもある。きのう(3月11日・月曜日)のテレビ映像にはほぼ一日じゅう、この地震にまつわる厳粛な祈りの儀式、さらには様々な悲しい光景が映し出されていた。時あたかもことしの初日(令和6年・2024年1月1日)には、「能登半島地震」が起きた。こちらには「大震災」という冠は付いていないけれど、実際の惨状は「能登半島大震災」が適当であろう。いや、震災は大小にかかわらずどれもこれもが大震災である。命名は大事である。なぜなら、命名を誤れば惨状を伝えきれないところがある。震災地および被災者にすれば、メデイアのニュースからは外れても、悲惨きわまりない大震災同然である。
日本列島に住むかぎり国民は、常に大小の地震の恐怖に晒されている。きのうの私は、ひっきりなしに現れる「東日本大震災」の映像に身を竦めていた。挙句、身勝手なことだけれど、わが生存中にあっては、震災に遭わないことを願っていた。相対する妻の身体は、悲惨な映像が現れるたびにブルブル震えていた。ようやく、待ち望んでいた「春」が来た。地震さえなければ日本国民にとっては、「わが世の春」である。学び舎は、どこかしこ卒業式たけなわの頃にある。翻って私の場合は、寒気に震えることなく、のんびりと文章が書ける季節の到来である。文章の出来不出来はともかく、心身は寒気に凍えることなく和みにありつけることとなる。
杉山に囲まれたふるさと時代に耐性ができたのか、幸いにも私には花粉症状はない。春が来て困るのは、暖気に緩む脳髄のボケふやけである。ボケふやけの試しは、「奈良東大寺二月堂お水取り」の学びになりそうである。
春の寝坊助
3月11日(月曜日)。寝坊したため文章は休みます。夜明けの天気は晴れて、寒気は緩んでいます。『HIROKIのタレント日記』に救われています。短い文章には、作者高橋弘樹様のお人柄と優しさが溢れています。
きょうの過去のある日は、「東日本大震災の発生日」です。(平成23年・2011年3月11日14時46分)。地震は注意して防げるものではありません。しかしながら、御霊に祈りを捧げ、鎮魂歌を口ずさむことはできます。だから、私のきょうの日課の一つには、そうすることが入っています。この祈りが虚しいと言っては、罰が当たります。いや、生きている者だけが得られる特権です。
朝日はのどかに輝きを増し始めています。レイクエム(鎮魂歌)は何度でもいいはずです。まずは朝日を眺めて、こころ切なく祈ります。
「『ひぐらしの記』がもたらしている僥倖」
3月10日(日曜日)。歳月日時はまるで、鉄棒競技の大車輪のごとくに速く駆けめぐる。もちろん、知恵多い、人間の手に負えるものではない。とりわけ、老いの身を生きる私には、唖然とするばかりである。嘆いてもしようがないことだけれど、私は日々嘆いている。
春3月もきょうで、上旬(10日)が過ぎてゆく。わが身に堪(こた)える速さである。3月になれば寒気は、日を追って遠のくばかりと思っていた。だから余計、現在(3:39)の寒気の戻りには、わが身体は箆棒に堪えている。しかしながら寒気の戻りは、気分を引き締めて堪(こら)えることができる。
堪えようのないのはやはり、実感する歳月日時の速さである。年周りの速さでは、来月4月に早や、次兄の一周忌が訪れる。月のめぐりの速さでは、これまで何度か書いたけれど、月ごとの薬剤切れにともなう通院の速さである。そして、日時の速さでは、時を空けず「ひぐらしの記」の執筆がめぐってくる。長いことでは定年(60歳)後、そして「ひぐらしの記」を書き始めて以降の歳月の速さである。止めようなく歳月日時は、先々へ駆けてゆく。先のないわが身にあってはそれでもやはり、嘆いてもしょうのない痛恨事である。
さて、起き立ての私は、心中にこんなことを浮かべていた。「ひぐらしの記」を書いてきたことで私は、凡庸な脳髄をさらけ出し、数多(あまた)の恥をかいてきた。一方、ひぐらしの記にめぐり合えたことで、恐れていた定年後の空虚な「時」を免れてきた。顧みればこのことは私に、夢のようないや「正夢の僥倖」をもたらしたのである。このことには大沢さまのご好意をはじめとして、友人知人そして声なき声のご常連様の励ましとご厚意にさずかってきた。わが真摯きわまりないうれしい述懐である。
きのうは短い文章を書いた。続いてきょうも、短い文章を書こうと決めていた。そして、わが心中に浮かんでいたことはこのことだった。それゆえに表題は、「『ひぐらしの記』がもたらしている僥倖」でいいだろう。確かに、「もう潮時、もう潮時」と脅かされながらも私は、ひぐらしの記がもたらす僥倖にありついている。実際には人様からさずかる温情(わが身に余る情け)に浸り、常に喜びを嚙みしめている。うれしいことを書いたゆえであろうか、寒気が緩んでいる心地にあり、わが気分は和んでいる。確かに、人様が恵んでくださる箆棒な「情け」のゆえである。歳月日時の速めぐりだけは手に負えない。そのぶん私は、人情の温かさに浸りきっている(4:43)。春は自然界に頼らず、みずからの心の持ちようで育(はぐく)むものなのかもしれない。
生きている
3月9日(土曜日)。今現在は(4:45)、生きて起きている。しかし、この先はわからない。命の絶えは、時を置かずかつ一瞬である。窓を開けた。雨や雪はなく、風も感じない。窓を閉めた。それでも、寒気が身に沁みる。おのずから心中に浮かぶのは、「能登半島地震」における、震災地の復旧具合と被災者の生活ぶりである。テレビニュースが伝える悲惨きわまりない映像は、今しばらくは消えそうにない。しかしながら、被災地と被災者は置いてきぼりにされたままで、やがて映像は遠ざかる。メデイア、いや人の世の宿命である。なぜなら、人の世にあっては、新たに伝えなければならない出来事が日々追っかけ、ぐるぐる駆けめぐる。この中にあって人の命は、芥子粒ほどに小さいものである。だけど、人の命はゴミ芥(あくた)とは異なり、取るに足らないものではない。やはり、人の命は尊厳である。だから、個々人はもとより、社会全体で大事大切にしなければならない。
寝言いまだ消え去らず、こんなことを書いて、きょうはおしまいである。私は温もりのある映像を欲しがっている。いや、だれでも欲しがっている。ネタなく書いたけれど、夜明けはまだ先である(5:16)。人工のもたらす春は遠くても、能登半島には陽射し暖かい、春の訪れを願っている。
小雪の夜明け
3月8日(金曜日)。きのうに続いて、パソコンを起ち上げる前に、二つの行為をした。今や、起き出して来て、ほぼ行うルーチン(決まり切った行為・動作)である。
きのうの気象予報士は、きょうの天気予報に際して、関東地方には降雪と伝えた。天気図上のわが住む鎌倉辺りには、東京都内と変わらず2~5センチ程度の積雪を伝えた。それゆえにきょうは、まずは雪模様の確認であった。私は傍らの窓ガラスに掛かる二重のカーテンを撥ね退けて、窓ガラスを通して外を眺めた。すると目の前に、小雨か、霙(みぞれ)か、小雪みたいなものがちらついた。身体が冷えていて、私には窓ガラスを開いて右腕を外気に差し出す勇気はなかった。なさけない、心許ない外気の確認である。
そののちは足を運んで、私は雨戸を閉めていない前面の窓ガラス際に立った。ここに立てば窓ガラスを通して一目瞭然、外の様子が見渡せるからである。一基の外灯は、直下の道路のみならず、近くに建つ家並みを照らしていた。道路は濡れていたけれど、薄い雪さえなく、普段の雨降りの道路だった。この先、予報を違えず霙や雪に変わったとしても、現在は小雨模様である。
きのうに続いて私は、カレンダー上の添え書き、すなわち歳時(記)を確認した。すると、きょうには「国際女性デー」と記されていた。私には、きのうのNHKテレビニュースの一つがよみがえった。そのニュースは、このことにちなんでいたのかもしれない。いや、確かにそうだったのである。
【女性の働きやすさランキング 日本は29か国中27位 英経済誌】(2024年3月7日 11時43分)。「3月8日の『国際女性デー』を前に、イギリスの経済誌『エコノミスト』が、主要な29か国を対象に女性の働きやすさを評価したランキングを発表し、日本は最下位から3番目に」
記事の引用は短く、一部だけにしたけれど、記事の伝えるところは十分に理解できた。日本の国には、悪しき慣習を伝える「男尊女卑」という、言葉が長く根付いている。この言葉を打破し、そして捨てないことには、働き方だけなく日本の国における女性の地位は、この先も男性に対し低い位置に留まるであろう。ゆえにこの汚名の返上は、男性の責任でもある。日本の国における女性の有能さは、最も身近なところで私は、大沢さまから日々、感得・認知している。
あれれ! 夜が明けると、前面の窓ガラスを通して見える二軒の屋根の上には、雪がかぶさっている。今のところは一センチ止まりであろうか。それでも、このところの気象予報士の予報は、ズバリ当たっている。私は身を竦(すく)めて、予報の当たりを褒めるどころか恨めしく眺め、そして嘆いている。