ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置
無常の夜明け
4月7日(日曜日)。「光陰矢の如し」、重ねて「歳月流れるごとし」。病床で固唾をのんだ苦衷がよみがえる。小雨降る、「無常の夜」が明ける。早出で、次兄のいない東京(国分寺市内)へ向かう。せつなく戸惑う、次兄一周忌。たぶん法要は、姿無き者にとっては何らの慰めにもならないはずである。生きている者の切ない営みにすぎないであろう。
切なさを消さないためにきょうの私は、いつものだらだら文は書かない。お釈迦様が説く、あの世で次兄に会う愉しみなど、あろうはずはない。親と多くの姉・兄・弟たちと別れ(永別)て、とうとう「われひとり」だけ生きる、わが身のつらさ、せつなさ、哀しさが込み上げている。まもなく、黒ネクタイを締めるわが手は、ブルブルと震えるであろう。自分のときは締めることはできない。ゆえにこの瞬間は、喪服に身を包む、わが最後の厳かな儀式になりそうである。すなわちこれは、とことん、われひとり生きる悲しさである。小雨は大雨に変わっている。わが両目は、瞼が抑えきれずに涙を流し続けている。
寒気を凌いで、心温かいニュース
4月6日(土曜日)。夜明け前にあって、おお! 大寒い。きのうの天気概説にあって気象予報士は、「花曇りと花冷え」の言葉を重ねた。これに私は、「寒の戻りと寒のぶり返し」を加えていた。きのうの低気温、それにともなう肌身の冷えと寒さは、私にはまさしく桜の花時に見舞う「悪戯(いたずら)四重奏」と、思えるものだった。二重ねのカーテンと窓ガラスを開いて、外気を確かめた。雨は降っていないようだけれど、舗面は雨の跡を残して黒光りしていた。外気の冷たさに遭って、すばやく窓を閉めてカーテンを重ねた。寒気に震えた私は、この先文章に呻吟する長居は無用と決めた。すると、いつもの習わしにしたがって、パソコンを起ち上げた後に眺めた、メデイアの伝えるニュース項目の一つが浮かんだ。寒気に震えている私には、またとない心温まるほっこりとするニュースだった。おりしも日本の政界は、バカ騒ぎのさ中にある。(こんなニュースはいいなあ……)。うれしさ余って私は、全文引用を決意した。
【台湾総統、日本に謝意表明 地震受けた資金協力で】(4/5・金曜日、18:34配信 共同通信)。台湾の蔡英文総統(ロイター=共同)。【花蓮共同】台湾東部沖地震で日本の上川陽子外相が緊急無償資金協力による支援を実施すると発表したことを受け、台湾の蔡英文総統は5日、X(旧ツイッター)で「日本の皆さまに心より感謝申し上げます」と日本語で謝意を表明した。
蔡氏は、日本と台湾は「互いに支え合う堅実なパートナーです」と言及。日本政府だけではなく、自治体や企業も自発的に募金活動を行い「(日台の)助け合いの精神を発揮してくださっています」と強調した。台湾語は知る由ないけれど、「ありがとうございます。震災、つらいですね。こんどはこちらから、お返しです」という、互いの助け合い精神は、国を違えても人民共通であってほしいものである。
地球上に住んで、地震をはじめ頻発する自然災害を被ることに国境はないはずである。台湾外交部(外務省)も5日、謝意を表明する談話を発表した。心地良い文章に駄文を重ねては、蔡英文総統の謝意と温和な心意気を汚すこととなる。夜明けて雨雲、寒くて、ウグイスも塒(ねぐら)寝を続けている。
「年の功」なく、「年の徒」
4月5日(金曜日)。ウグイスのエールを聞けない、雨の夜明けが訪れている。もとより、自力では元気づけはできない。おのずから文章は、身動きの出来ない袋小路に嵌っている。ネタなくこんなことでは、「三十六計逃げるに如かず」である。だから、逃げる。
起き立てに浮かんでいたのはこの成句である。「亀の甲より年の功」。長年(83歳)生きている私に、「年の功」はあるであろうかと、自問を試みる。答えは、何一つ浮かばない。結局、私にかぎればこの言葉は、お飾りの「画餅、すなわち絵に描いた餅」にすぎない。逆に、「年の徒(あだ)」を自認するところはかぎりなくある。年の徒ということばは、電子辞書をはじめ数多の国語辞典にはない。なぜなら、わが咄嗟の造語である。きょうはこんな恥さらしを書いて、継続文の足しにしようと決め込んでいる。ネタなく、休むつもりの大恥である。
出会いの月4月は、あすとあさっての週末二日を終えると、いよいよ出会いは初々しい佳境状態に入る。街中には、新調の背広やスーツに身を包んだ若者の往来が激しくなる。上下左右に揺れるピカピカのランドセルを背負(しょ)う小学校一年生の登校姿は、時代は変わっても変わりない美しい絵になる光景である。見るたびにどちらも、わが思い出を懐かしくよみがえらせてくれる。
過ぎた別れの月3月は、気分切なさの月である。すると、出会いの月4月は、それを撥ね退けて気分がふくよかになる月である。この気分に桜の花が味方をしてくれる。しかしながら、桜の花にすがってばかりでは、散りゆく桜と共に気分は賞味期限を迎えることとなる。やはり人は、桜の花の恵みや他力にすがることなく、自力を強めなければならない。出会いの月は半面、気分は憂鬱にもなる。たぶん、人疲れ(出会い疲れ)なのかもしれない。このことは、つらい思い出である。
たった30分ほどの殴り書きとはいえ、ネタない文章は気づかれ旺盛である。ゆえに、結文といたします。雨の夜明けが、憂鬱気分をいや増しているせいもある。あれ! 本来の美声には程遠い、トレーニング中のウグイスの声が聞こえている。
絵になる桜風景、だがしかし
4月3日(水曜日)。気象予報士の予報はズバリ当たり、きのう一日だけの好天だった。夜明けの空は、今にも雨が降り出しそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれているのであろうか? エールは沙汰止みである。桜の花もきょうは、大空を仰いで(どうするべきか?)と、気迷っているはずである。私は短い文章を書いて、指先を擱くつもりでいる。
私の場合は、こんな夜明けでは気分が晴れず、ずる休みである。きのうの私の行動もまた、妻をともなってズバリ予告どおりだった。当住宅地内のS医院への通院を終えると、近くの公園でしばし花見をした。ところが、この予告の行動に加えて二人は、最寄りのバス停からめぐって来たバスに乗った。バスは「大船(鎌倉市)行き」循環バスである。大船の街は、わが普段の買い物の街である。いつもはわが単独の買い物行動だけれど、きのうは妻が付き添った。帰りのバスでは、わが家最寄りの「半増坊バス停」で降りた。この先はわが家へ向かって一部、新興住宅地を開いたおり、大手デベロッパーが勝手にグリーンベルト(緑道)と名付けた狭い一本道がある。名に恥じてどうてことのない、両かたわらに植込みを成し、真ん中をコンクリートで固めた舗道にすぎない。そこには、何本かの里桜が立っている。それを眺める後背には、開発を免れた山に山桜が点在している。足を止めて眺めると、人工と野生のコラボレーション(協演)を成して桜の花が、絵になる風景を醸し出している。すでに桜見物は果たしていたけれど、二人は立ち止まり「絵になる桜風景」を眺めていた。
こののちは一本道から外れて、わが家へ回る周回道路へ足を踏み入れた。突然、わが目の前に桜の花びらがコロコロと流れて来た。もちろん、数えきれるものではない。ところが、わが心中にはこんな思いが走った。(桜の花は、咲くかたわらに散るのだ!)。まさしく、「花(桜)のいのちは短りき」。両者、よく譬えられるけれど、必ずしも花(桜)のいのちと人の命は同然ではなく、人の命がはるかに長い。私は、切ない気持ちになり替わり、わが家へ着いた。
腕を組む妻は、黙然と歩くことに必死だった。私には、同様の光景を見た妻の気持ちを問う勇気はなかった。あえて問えば妻は、「パパ。人の命も短いわよ」と、言ったかもしれない。短く書くつもりの文章は長くなった。短いのは花、とりわけ桜の花のいのちである。
夜明けの曇り空は、雲行きが怪しくなっている。晴れの日も短く、わずかに一日だった。ウグイスの鳴き声を聞かない夜明けは、やはり物足りない。
通院と桜見物、とても大切な一日
4月2日(火曜日)。明々と朝日輝く夜明けが訪れている。このことでは気持ちのいい中春の朝である。鎌倉地方も桜の開花は出そろった。きのうの気象予報士の予報によれば、晴れ間はきょう一日限りで、あすから週末頃までは雨の日が多くぐずつくと言う。この予報を聞いた傍らの妻は、「パパ。あしたは近くの花見に行きましょうよ」と言った。私は素直に「そうだね。行くよ」と相槌を打った。ところが、そのあとすぐに私は、言葉を重ねた。
「あしたは、S医院へふたりして行こう、と言っていたよ」
「そうだったわね。雨が降る前にはそちらが大事ね」
「雨降りの通院は嫌だね」
「そうね。ちょうどいいわ。S医院へ行って、帰りに近くの公園の桜を見ればいいのよ」
「そうだね。そうしよう」
これまた私は、素直に相槌を打った。
二人にとって通院は、最も大事な日常である。まさしく、「花より団子」をしのいで、生き延びるための切ない行動である。
起き立てにあってきょうは、煮ても焼いても食えない文章を書いた。しかし、老夫婦の日常生活の一端を披露したものと思えば、芥子粒ほどの価値はある。もとより、「箸にも棒にもかからない」文章ではある。それでも、夫婦共に生きている証しにはなる。
「春眠暁を覚えず」。慌てふためいて書いた。朝日輝くきょう一日は、とても大切な日である。私は明日以降の悪天候を気に病んでいる。学び舎では入学式たけなわの出会いの月のスタートにあっては、私は晴れの清々しい夜明けを願っているからである。ところが予報は、わが願いを挫いている。ここで文章を閉じることでは、このところの長い文章の罪償いにはなる。
「つらい、時の定め」
年度替わりのきょう4月1日は、切りよく月曜日からのスタートである。夜明け前にあっては、まもなく夜明けが訪れる。気象予報士の予報に狂いがなければ、雨風のない朝日輝く穏やかな夜明けであろう。夜明けの空は、そう願いたいものである。もとより、人間界および自然界共に、一寸先は闇の中である。とりわけ、天変地異に遭遇すれば人の世は、たちまち阿鼻叫喚をさらけ出す地獄絵を見ることとなる。
別れの月3月から、出会いの月4月、へ替わった。おのずから、寝起きのわが心境も変わっている。しかし、必ずしも好転にありつけていないのは老齢のせいである。新年は、正月元旦に始まる。実社会の新年度は、きょうから始まる。初詣や雑煮餅を囲んでの家族団欒はないけれど、それらに似た厳かな年度初めの儀式は、実社会のあちこちで催される。学び舎であれば入学式、企業や役所であれば入社式や入庁式がある。個々人の出会いの互いの挨拶も、「初めまして、よろしく」などの言葉をともなって新鮮である。
このところ身近なところで別れの光景を見たものには、テレビ映像を通しての卒業式光景がある。加えてきのう、NHKテレビを観ていると、キャスターの別れの挨拶が相次いだ。明けてきょうのテレビを観れば、新たなキャスターの挨拶が相次ぐであろう。これまたおのずから、見入るわが気分も新鮮になる。
新年度になってもいっこうに様変わりしないのは、「裏金問題」を引き継ぐ政治(家)の舵取りである。これこそ旧態依然そのままであり、できれば旧(前)年度にけりをつけていてほしかった。与野党共通の政治(家)の体たらくぶりのさらけ出しである。桜の花は日本列島の地域それぞれに、開花と満開の喜びや楽しみを恵んで北上を続けている。人の営みはこの先、悲喜交々に新たな年度を移りゆく。きょうは、否応なく季節のめぐりを実感する月替わりである。残りの命を限る老いのわが身には、寂しさつのる月替わりでもある。
満開の桜とて、すぐに葉桜模様になる。人間界および自然界共に、月替わりと季節のめぐりは、「つらい、時の定め」である。走り書きが速すぎて、まだ朝日は雲隠れである。それとも、予報の外れであろうか。天変地異さえなければ、どちらにも恨みつらみはない。
ウグイスは、わが援軍
3月31日(日曜日)。すでに、薄っすらと夜が明けている。風雨のない、のどかな夜明けである。さらに加えれば、寒気はまったく感じられず、心の和む夜明けである。ゆえに、わが心象は穏やかである。子どもの頃の目覚め時は、「早起き鳥」(庭の鶏)の声、柱時計の響き、それでも寝起きを渋っていると、「もう、起きらんか!」という、母の声が告げた。今や、どれこれもが、懐かしい思い出である。もちろん、叶わぬことだけれどできれば、再現を望みたくなる現在の心境である。
きのうの文章の文尾においては一行、こう書いている。「桜の花に加えて、彩るウグイスの声の出番も間近である」。ところが、文章を終えて両耳に補聴器を嵌めて、閉めていた雨戸を開けると、山からウグイスの鳴き声がとどいた。失態をしでかした私は、そののちあえて、こんな文章を掲示板へ書いた。「文章を閉じて、雨戸を開けたら、もう、ウグイスは鳴いている」。これに懲りて、いや本当のところは文章を書きながらウグイスの声を聞きたくて、きょうから起き立てに補聴器を嵌めている。このことは、これまでの寝起きの習わしの大きな変化である。
ウグイスの声には、朝、昼、夕方、すなわちわが日常生活にあっては、無償の大きなエール(声援歌)を賜っている。その中でも起き立てに聴くウグイスの調べは、一日のスタートの勇気づけには、この上ない果報である。表現を変えれば、寝起きにウグイスの鳴き声を聞かずにやり過ごすことは、銭失いのごとくもったいない。確かに、夜明け時のウグイスの声は、喉、声、慣らしの予行演習に似て、いまだいくらか頼りない。しかしそのぶん、昼間の勝ほこったようなふてぶてしさはなく、健気に鳴いてわが耳には心地良い響きがある。幸いなるかな! いまだトレーニング中の鳴き声が耳に聞こえている。
寝起き、そして朝飯前に書くわが文章は、いつも似たり寄ったりで私自身、飽き飽きしている。挙句、(もう書けない、書きたくない)心境に苛(さいな)まれている。するとウグイスは、この心境を断ち切るわが援軍をになっている。桜の花とウグイスの声のコラボレーション(協奏)、さらには暖かい陽光がふりそそげば「春本番」、いや春は中春から晩春へ向かって行く。補聴器を嵌めてウグイスの声が聞けて、朝日輝く心地良い朝が訪れている。
「満開の春」の訪れ
3月30日(土曜日)、夜明け間近にある。きょうは長い文章は要なしと決め込んでいる。私日記風にこれらのことだけを書けば十分である。気象庁はきのう(3月29日・金曜日)、東京の桜の開花を発表した。降り続いていた雨と、残されていた雨雲は、時を追って遠のいて、からりと晴れた。つれて、わが憂鬱な気分は、たちまち晴れた。あまりのうれしさにわが気分は、はしゃぐ子どものよう(童心)になっていた。その証しには、掲示板に「東京で桜が開花」と書いた。ところが、童心返りはこれだけでは飽き足らず私は、雨が止んで晴れて高まる気分を伝えたくて、大沢さまへパソコンメールを送信した。それほどにわが気分は高揚していたのである。
桜の開花宣言に合わせてきのうは、セ・パ両リーグ共に、今シーズンの開幕日だった。桜が開花し、同日に「東京ドーム」では、プロ野球が開幕した。首都東京には、いっぺんに「絵になる春」が訪れたのである。一方、ほぼ半年間楽しく観続けていたNHKテレビ朝のドラマ『ブギウギ』は、きのうで終了した。予期していたとはいえ、こちらにはロス気分に陥り、私はかぎりなく寂しさをおぼえていた。しかし、この気分をまずは、昼間に伝えられた東京における桜の開花宣言が和らげた。
次には、プロ野球の開幕日が和らげた。夕方にあっては妻と共に私は、茶の間のテレビの前に陣取った。いや、5時30分きっかりにテレビを前にして二人は、相対に置いているソファーに座った。開幕日にあっては、セレモニーが行われる習わしがある。予定の試合開始は6時10分であり、その前に40分のセレモニーがあった。二人は、これにも見入ったのである。わがファンとするタイガースの開幕日の相手チームは、球界の長年の覇王・読売ジャイアンツだった。テレビ観戦はいつもワクワク気分になる。まして、開幕戦となれば私たちは、セレモニーからはじまり試合開始そして終了までを勢い込んで見入ったのである。ところが、試合自体は応援グッズを打ち鳴らす場面はほとんどなく、タイガースは0-4でジャイアンツに完敗した。ジャイアンツの指揮官は、昨年までの原監督に代わり阿部新監督が務めた。だから、阿部監督にすれば幸先のよい一勝のスタートだった。
テレビ観戦を終えたわが戦評はこうだった。「今シーズンのジャイアンツは強い、タイガースは弱い」だった。だけど、きのうの私は、「満開の春」の訪れがあってか、タイガース敗戦後の気分はそんなに悪くはなかった。
夜明けて朝日はいまだ雲隠れのままだけれど、雲間はのどかに明るく開き始めている。もはや、悪天候を嘆くことはない。欲張って望むものは、桜の花をたずさえて彩る百花斉放の春爛漫である。加えて、きょうの第2戦にタイガースがちょっぴりでも意地を示せば、それは望外の望みである。
短くて十分の文章は、無駄に長くなってしまった。書き殴りの祟りである。桜の花に加えて、春を彩るウグイスの出番も間近である。
人生行路の肝要は、「健康と金銭」そして「努力と継続」
3月29日(金曜日)。春の陽光の恵みは、わずかにおととい(27日)だけにすぎなかった。きのうは小雨模様、そしてきょうの現在にあっては、一基の外灯の照らす道路は濡れている。春は嘘つき。それでも人間は、春を見捨てず、なお優しさに期待している。
きのう垣間見たテレビ映像は、「靖国神社」(東京都千代田区九段)の中に立つ桜木を、専門家に交じり人々(野次馬)が囲んで、開花の様子を実況していた。多くは蕾をたずさえていたけれど、チラホラと咲きかける花びらもあった。しかし、開花宣言はこのときにはなかった。開花宣言の基準を聞き知ることなく私は、リモコンでチャンネルを回した。用意周到なネタを持たない私は、いつものように寝起きに浮かんでいたことを書き出している。
確かに、「ひぐらしの記」は潮時にある。ようやく、浮かぶネタはそれを防ぐ役割を担っている。ゆえにみすぼらしくとも、足蹴(あしげ)にすることはできない。蛇足には、こんなことも浮かべていた。83年生きてきたわが人生行路を顧みると、悔恨を交えて考察と言えるものがある。先ずは「健康と金銭」の大事さがある。並んで、「努力と継続」の大切さがある。すなわち、わが下種の勘繰りこれらは、「人生行路の四大要素」と、言え得るものである。わが寝起きの考察にすぎないけれど、これらが叶えられれば「人生行路は鬼に金棒」と、言えそうである。
寝起きの私には、空想・仮想、相交じりのとんでもないことが浮かぶところがある。ところがそれらの多くは、「ない物ねだりと負け惜しみ」まみれである。こんなことはどうでもいい。きょうの私には、幸・不幸二つの出来事がある。幸いと言えるものは、今シーズンのプロ野球の開幕日である。わがファンとする阪神タイガースの開幕戦(東京ドーム)の相手チームは、宿敵読売ジャイアンツである。昨季のタイガースは、セ・リーグの優勝に加えて、パ・リーグの覇者・オリックスバッファローズを倒して、日本一の栄冠に輝いた。すると今シーズンは、いずれも2連覇が目標である。それには、きょうの開幕戦の勝利が重要である。
一方、不幸と言えるものでは、ほぼ半年間楽しく観続けてきたNHKテレビ朝のドラマ『ブギウギ』が、きょうで終えることである。このことではこちらは、わが日常が寸断されて、かつ「ドラマ、ロス気分」を味わうこととなる。ネタなくごちゃまぜの文章を書いたけれど、取り柄と言えるもは、生きている証しである。薄っすらと夜が明けた。雨・風強い「春の嵐」である。春は嘘つき、加えて季節負けである。
春の陽光
3月28日(木曜日)。寒くも暑くもない、ようやく春の季節に違わぬ夜明けが訪れている。欲張って願うところは、眩しい朝日の輝きである。しかし、願いは背(そむ)かれて、どんよりとした曇り空である。ゆえに、わが寝起きの気分はどんよりとくすんでいる。体調不良に加えて、寝ぼけまなこのせいでもある。
昨夜の就寝はいつもより遅く、それなのに一度目覚めればいつものように二度寝にありつけず、悶々と時を流した。きのうの食事会には、わが夫婦、娘と孫、そして逗子に住む義姉が集った。食事会の場所を恵んだ「逗子の海」端のファミレスは、若い人たち、中年客で、混雑を極めていた。しかしながら私たちは、娘が予約を入れていたために、待ち並ぶ客に後ろめたさをおぼえながらも、予約席へすんなりと陣取った。窓ガラスを通して、かつて海水浴に遊び興じた逗子の海は、前日の雨を忘れ去ったかのように、海面広くピカピカに光っていた。
予約時間は午後1時だった。ところが、逗子駅で待ち合わせて、娘の運転で向かう道路もまた、長い帯のごとく渋滞を極めていた。久々の春の陽光が海岸通りに多くの人出を誘っていたのである。陽光ひとつで人の気分は、こんなにも変わるものかと、私は進まぬ車内で実感していた。食事会を楽しく終えると途中、義姉を自宅付近に降ろして、私たちはわが家のある大船(鎌倉市)へ向かった。ところが、すんなりとわが家へは着かずに、わが提案で初入りのカラオケ店へ赴いた。もとより音痴で、私にはカラオケ店など要なしである。ところが、妻と子・孫への愛情はある。3人とも飛びっきり歌、そしてその晴れやかな舞台をなす、カラオケ店が大好きである。逗子の街から鎌倉の街、さらに大船への戻り道にもまた、長い渋滞に遭遇した。この間には「鶴岡八幡宮」にからんで、渋滞を極める道路(鎌倉街道)がある。食事会の予約、カラオケ店の時間設定、いずれも勝手知っている娘の主導であった。私の役目は、どちらも財布を開くだけである。娘はカラオケ店で、こちらは勝手に「三時間」と、受付係に告げていた。終わり時間を告げるブザーは、九時近くに鳴った。孫はどの曲も95点を超える点数、娘は90点を超える点数、妻はその前後の点数、私は3曲歌ったけれど、80点ほどの点数だった。
カラオケ店を終えて、9時半近くにわが家へ戻り着いた。娘の車はわが夫婦を門口へ降ろすと、横須賀市内の自宅へ向かった。無事到着の知らせは、約一時間ののちに届いた。こののちの私は、何年かぶりに歌を歌ったせいなのか興奮冷めやらず、いたずらに茶の間で時を過ごした。これが祟り挙句、いつもとは違って就寝が遅れたのである。
寝起きの私は、走り書き、そして書き殴りの馬鹿な文章を書いてしまった。書かなければよかった。自業自得とはいえ、このところのカウント数値は漸減傾向ある。表題のつけようはないけれど、継続文にしなければもったいない。文章がいつもより遅くなったのは途中指先を休めて、NHKBSテレビ二つの朝のドラマ、『萬平さん』と『ブギウギ』を観るために、焦って茶の間へ駆け降りたためである。
時がたって、どんよりとしていた雲間から、春の陽光が輝き始めている。