ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
春は詐欺師、正直者の私は騙される
「16日(日)は西日本~東日本の太平洋側を中心に雨や風が強まり、荒れた天気となるでしょう。東日本の山沿いでは湿った雪となり、東京都心は日中も6℃くらいとダウンコート必須の厳しい寒さに。17日(月)は道東を中心に大雪のおそれ。18日(火)~19日(水)は再び広く雨や雪で、九州~関東でも最高気温は10℃前後と冬の寒さ。春本番はいつから?」(tenki.jp)」。3月16日(日曜日)。
寝起きにあってもう、シトシト雨が降り続いている。この先、雨は弱まることなくなおいっそう、強まりながら長く降り続けそうである。意地悪どころか詐欺師へ成り下がった春は、遠ざかっていた寒気までも連れ戻している。ゆえに現在の私は、腹立たしさの坩堝(るつぼ)の中にある。そのせいかきょうは、文章を綴る前に上記の表題だけが先に決まった。だから、これから書く文章は、表題とはまったく異にしてチグハグである。それでも恥晒しに思えないのは、ネタ無しのつらさである。
このところの掲示板には三者様のおりなす、食べ物の嗜好(主にカップ麺)の話題が沸騰している。私の場合、これらの談議に加わることには話題に背きそうで、これまで意図して避けてきた。さらには嗜好自体が異なり、話題への「参加の資格はなし」とも、決め込んでいた。しかし、きょうはネタ無しのせいで、余儀なく話題の端(はし)への便乗を試みている。
わが子どもの頃はまだいくらかの戦時中、そして終戦後は、日本の国の復興の真っ只中にあった。私の周囲は、近くでは里山、遠くは国有林の山だらけだった。見渡す眺めは段々畑、近場の平地は田畑広がる鄙びた田舎育ちである。日常生活における唯一の取り柄は、自作の米、麦、蕎麦、野菜、芋類、さらには筍、椎茸などに至るまで、自給自足の生活で成り立ち、生活費(金)の費消をともなわないことだった。言葉を変えれば貧乏暮らしとは言えないまでも、質素な暮らし向きだった。おのずから、慣れっこになっていた。明けても暮れても母の手作りのレシピ(献立)には、これらを食材にするものばかりが食卓にのぼった。しかし、私も含めてだれもが、不平や不満タラタラなく、和気藹藹に鱈腹たべていた。しかしながら私の場合は、当時の食の祟りがトラウマ(精神的外傷)となって、現在(84歳)のわが食生活を脅かしているものはある。今では旅人たちに人気の「だごじゅる」(小麦粉練りの麵の入ったスイトン)は、当時のわが家には必ず三度の食事に現れた。夏季の食卓には来る日も来る日も、ソーメンを啜った。父は、ソーメンの間隙を縫って食卓へ上る、母が手打ちのウドンやソバも好んで食べた。ところが、私は好きになれず無理矢理食べた。
私は米(白御飯)一辺倒だった。当時の時節柄母は、ときには世人からの非難逃れに御飯に、麦、粟、大根、カライモ(サツマイモ)など入れた。しかし、水車を回して精米業を生業(なりわい)とするわが家は、おおかた白御飯にありついていた。米には普段の御飯を成す粳米(うるちまい)と、赤飯、ぼたもち、餅などに用いられる糯米(もちまい)がある。双方の米を用いて母は、手作りのメニュー(料理)に日夜、勤(いそ)しんでいた。
現在、わが夫婦の食生活は、ほぼ白御飯一辺倒である。しかしこれには、罪がともなっている。妻の場合は、麺類をも大好物にしているからである。私の場合は、麺類は無くても一向に構わない。だからと言って、まったく嫌いでもない。独り買い物のおりにはたまに、「日高屋」の「中華そば」を食べている。わが家にはもっぱら、私のために「日清のカップヌードル」を買い置きしている。もちろんケチや安価のせいではなく、これらは美味いからである。私は、妻がうどん屋や蕎麦屋へ入るのは拒まない。ウドンは、「かけウドン」なら食べてもいいからである。ソバは、「ざるそば」なら好んで食べている。妻は、スパゲティー料理も大好きである。だからたまに、妻に引率されてこちらの店にも入る。ところがこの店にだけは、私の食べたいものはない。やむなく私は、妻が食べ終えるのを傍らで待っている。
あれれ! 長い書き殴りになってしまった。ここでパソコンは、強制ストップである。恥を晒しても、悔いるところはない。だれも読まない、はずだからである。
寝起きにあってもう、シトシト雨が降り続いている。この先、雨は弱まることなくなおいっそう、強まりながら長く降り続けそうである。意地悪どころか詐欺師へ成り下がった春は、遠ざかっていた寒気までも連れ戻している。ゆえに現在の私は、腹立たしさの坩堝(るつぼ)の中にある。そのせいかきょうは、文章を綴る前に上記の表題だけが先に決まった。だから、これから書く文章は、表題とはまったく異にしてチグハグである。それでも恥晒しに思えないのは、ネタ無しのつらさである。
このところの掲示板には三者様のおりなす、食べ物の嗜好(主にカップ麺)の話題が沸騰している。私の場合、これらの談議に加わることには話題に背きそうで、これまで意図して避けてきた。さらには嗜好自体が異なり、話題への「参加の資格はなし」とも、決め込んでいた。しかし、きょうはネタ無しのせいで、余儀なく話題の端(はし)への便乗を試みている。
わが子どもの頃はまだいくらかの戦時中、そして終戦後は、日本の国の復興の真っ只中にあった。私の周囲は、近くでは里山、遠くは国有林の山だらけだった。見渡す眺めは段々畑、近場の平地は田畑広がる鄙びた田舎育ちである。日常生活における唯一の取り柄は、自作の米、麦、蕎麦、野菜、芋類、さらには筍、椎茸などに至るまで、自給自足の生活で成り立ち、生活費(金)の費消をともなわないことだった。言葉を変えれば貧乏暮らしとは言えないまでも、質素な暮らし向きだった。おのずから、慣れっこになっていた。明けても暮れても母の手作りのレシピ(献立)には、これらを食材にするものばかりが食卓にのぼった。しかし、私も含めてだれもが、不平や不満タラタラなく、和気藹藹に鱈腹たべていた。しかしながら私の場合は、当時の食の祟りがトラウマ(精神的外傷)となって、現在(84歳)のわが食生活を脅かしているものはある。今では旅人たちに人気の「だごじゅる」(小麦粉練りの麵の入ったスイトン)は、当時のわが家には必ず三度の食事に現れた。夏季の食卓には来る日も来る日も、ソーメンを啜った。父は、ソーメンの間隙を縫って食卓へ上る、母が手打ちのウドンやソバも好んで食べた。ところが、私は好きになれず無理矢理食べた。
私は米(白御飯)一辺倒だった。当時の時節柄母は、ときには世人からの非難逃れに御飯に、麦、粟、大根、カライモ(サツマイモ)など入れた。しかし、水車を回して精米業を生業(なりわい)とするわが家は、おおかた白御飯にありついていた。米には普段の御飯を成す粳米(うるちまい)と、赤飯、ぼたもち、餅などに用いられる糯米(もちまい)がある。双方の米を用いて母は、手作りのメニュー(料理)に日夜、勤(いそ)しんでいた。
現在、わが夫婦の食生活は、ほぼ白御飯一辺倒である。しかしこれには、罪がともなっている。妻の場合は、麺類をも大好物にしているからである。私の場合は、麺類は無くても一向に構わない。だからと言って、まったく嫌いでもない。独り買い物のおりにはたまに、「日高屋」の「中華そば」を食べている。わが家にはもっぱら、私のために「日清のカップヌードル」を買い置きしている。もちろんケチや安価のせいではなく、これらは美味いからである。私は、妻がうどん屋や蕎麦屋へ入るのは拒まない。ウドンは、「かけウドン」なら食べてもいいからである。ソバは、「ざるそば」なら好んで食べている。妻は、スパゲティー料理も大好きである。だからたまに、妻に引率されてこちらの店にも入る。ところがこの店にだけは、私の食べたいものはない。やむなく私は、妻が食べ終えるのを傍らで待っている。
あれれ! 長い書き殴りになってしまった。ここでパソコンは、強制ストップである。恥を晒しても、悔いるところはない。だれも読まない、はずだからである。
春は気まぐれ、私も気まぐれ
岩手県大船渡市の山火事は、すでに鎮火した。春3月、初っ端の天候不順は、ようやく正常に復している。風邪とそれにともなう高熱共に収束し、わが体調もまたきのうから平常にある。3月半ばを迎えて、日本列島のあちこちにはのどかに桜便りが沸き立ち始めている。こんな好日にあってきのうのメディアの報によれば、政界なかんずく石破総理自身が火種を付けて、この先大火事までに燃え盛りそうである。
世界事情は混沌の最中にある。とりわけ、ウクライナとロシアの戦争は、停戦(火消し)に向けて胸突き八丁にある。日本にすれば経済活動(報復関税など)で、恐怖に晒されている。だから私は、政界(与野党)にたいし、「しっかりしてくれよ!」と、遠吠えしたくなっている。
この時刻(3月15日・土曜日、5:07)にあっては、いまだきょうの夜明け模様を知ることはできない。しかし、きのうの気象予報士の予報によれば、きょうの鎌倉地方はこのところの好天候を引き継いで、晴れの予報にある。きのうからわが家では暖房器具、私には防寒着が不要になっている。全国的にもようやく、春本来の好季節の訪れ模様にある。
起き立てのわが心中には、この時期にさずかる郷愁が膨らんでいる。ふるさとに存在する「相良観音」(子授かり観音様)は、15日から18日までの三日間は春季恒例祭で、近郊近在の人出を交えて大賑わいになる。子どもの頃のこの日にあっての私は、観音様へは行きつかず参道止まりで、手の平に硬貨を握りしめて、ニッキ水、ラムネ、綿菓子などに目を凝らしていた。
きのうの好天気は、わが夫婦に上等の異変をもたらした。風邪の治りぐらいで、快気祝いをするつもりなどさらさらなかった。しかしながらそれに匹敵する、いやそれを超えるほどの特等(最上)のしでかしを演じていた。すなわち、二人して初めてカラオケボックスに入り(約1時間半、1260円)、演歌の練習を試みた。その帰りには消費税抜きで、超特上の寿司二折(3000円)を買った。夕方のせいで一折、300円引きの値札に付け替えられていたのである。普段であれば尻込みする寿司(値段)である。自分だけなら一つは、稲荷寿司(360円)でもよかった。けれど、値引き釣られてかつ、「パパも買いなさいよ」という妻の言葉にうなずいて、お金を張り込んだのである。
あれれ、雨はないものの風の強い、曇り空の夜明けが訪れている。
世界事情は混沌の最中にある。とりわけ、ウクライナとロシアの戦争は、停戦(火消し)に向けて胸突き八丁にある。日本にすれば経済活動(報復関税など)で、恐怖に晒されている。だから私は、政界(与野党)にたいし、「しっかりしてくれよ!」と、遠吠えしたくなっている。
この時刻(3月15日・土曜日、5:07)にあっては、いまだきょうの夜明け模様を知ることはできない。しかし、きのうの気象予報士の予報によれば、きょうの鎌倉地方はこのところの好天候を引き継いで、晴れの予報にある。きのうからわが家では暖房器具、私には防寒着が不要になっている。全国的にもようやく、春本来の好季節の訪れ模様にある。
起き立てのわが心中には、この時期にさずかる郷愁が膨らんでいる。ふるさとに存在する「相良観音」(子授かり観音様)は、15日から18日までの三日間は春季恒例祭で、近郊近在の人出を交えて大賑わいになる。子どもの頃のこの日にあっての私は、観音様へは行きつかず参道止まりで、手の平に硬貨を握りしめて、ニッキ水、ラムネ、綿菓子などに目を凝らしていた。
きのうの好天気は、わが夫婦に上等の異変をもたらした。風邪の治りぐらいで、快気祝いをするつもりなどさらさらなかった。しかしながらそれに匹敵する、いやそれを超えるほどの特等(最上)のしでかしを演じていた。すなわち、二人して初めてカラオケボックスに入り(約1時間半、1260円)、演歌の練習を試みた。その帰りには消費税抜きで、超特上の寿司二折(3000円)を買った。夕方のせいで一折、300円引きの値札に付け替えられていたのである。普段であれば尻込みする寿司(値段)である。自分だけなら一つは、稲荷寿司(360円)でもよかった。けれど、値引き釣られてかつ、「パパも買いなさいよ」という妻の言葉にうなずいて、お金を張り込んだのである。
あれれ、雨はないものの風の強い、曇り空の夜明けが訪れている。
風邪&熱、平癒
私事で長くご心配をおかけしていました上記の件、おかげさまでほぼ正常に復しました。待望していた春の訪れの中で春愁に陥り、日々嘆き文を書いていました。けれど、もうそんな文章は絶てそうです。しかしながらきようは、寝床の中で打ち止めの静養に努めます。カーテンを覆った窓ガラスには、まったく朝日の明かりのない夜明けです。
風邪症状(熱)の顛末
きのうはみずからに謹慎を課して、文章と言えるものは書かずに、休養日に甘んじた。きょう(3月13日、木曜日)、現在のデジタル時刻は、3:05と刻まれている。トイレに起きて寝床に向かわず、パソコンを起ち上げて、のんびりと椅子に座っている。この先、文章を書き終えれば、いまだに治りきらない風邪症状を案じて、再び寝床へ潜ることとなる。寒気に震えずこんなことができるのは、二重の僥倖に授かっているからである。すなわち、気温という熱は、上がっている。一方、体温という熱は、平熱近くまでに下がっているように感じている。部屋の中に寒暖計、また身近なところに、体温計の備値はない。だから、どちらも測りようはなく、わが当てずっぽうの体感温度にすぎない。しかしながら、確度は高いと自認している。
人間の生存において、「熱エネルギー(原爆など)」は、恐ろしいものの筆頭に位置している。反面、ありがたさもその位置にある。これまたわが当てずっぽうゆえに、間違いの誹(そし)りは、甘んじて受ける覚悟にある。気温および体温共に、熱が限度(限界)を超えて高くなれば死に至り、逆にそれを超えて下がればこれまた死に至る。限度(限界)はさておいて、最も大事な目安は、気温では平常値、体温(身体)では平熱、そして物事ではそれに見合う適温である。気温は寒暖計、体温は体温計、そしてあらゆる物事には、さまざまな測定計がある。
子どもの頃の記憶に遡ればフクミ義姉は、蚕室(ざんしつ)の温度管理に、一方長兄はシイタケ乾燥の温度管理に、夫婦共に寝ずの番をしていた。テレビ映像に観るハウス栽培の温度管理も、極めて気を揉む困難事のようである。人類の知恵はあらゆる熱源を開発して、様々な熱エネルギーを産み出している。もとより、異なる熱だけれど、人間の生存にあっては、「情熱」という気概もまた肝要である。
こんな迷い文を書くようでは、「穴があったら入りたい」、急いで布団の中に潜らなければならない。なさけない! 体温の熱は、まだ平熱には戻っていないようである。
人間の生存において、「熱エネルギー(原爆など)」は、恐ろしいものの筆頭に位置している。反面、ありがたさもその位置にある。これまたわが当てずっぽうゆえに、間違いの誹(そし)りは、甘んじて受ける覚悟にある。気温および体温共に、熱が限度(限界)を超えて高くなれば死に至り、逆にそれを超えて下がればこれまた死に至る。限度(限界)はさておいて、最も大事な目安は、気温では平常値、体温(身体)では平熱、そして物事ではそれに見合う適温である。気温は寒暖計、体温は体温計、そしてあらゆる物事には、さまざまな測定計がある。
子どもの頃の記憶に遡ればフクミ義姉は、蚕室(ざんしつ)の温度管理に、一方長兄はシイタケ乾燥の温度管理に、夫婦共に寝ずの番をしていた。テレビ映像に観るハウス栽培の温度管理も、極めて気を揉む困難事のようである。人類の知恵はあらゆる熱源を開発して、様々な熱エネルギーを産み出している。もとより、異なる熱だけれど、人間の生存にあっては、「情熱」という気概もまた肝要である。
こんな迷い文を書くようでは、「穴があったら入りたい」、急いで布団の中に潜らなければならない。なさけない! 体温の熱は、まだ平熱には戻っていないようである。
格好の言い訳けにすがり、きようは謹慎
3月12日(水曜日)、雨の夜明け。きのうのだらだらと長く、ミスの多い文章を恥じて、自らに謹慎を課しています。風邪による気力の萎えは、未だ回復途上です。目覚めての体温は、まだ測っていません。額に手を当ててみました。平熱はおぼつかない状態です。雨降りもあって買い物行動を免れた、絶好の休養日です。
他人様からだけさずかる、「純粋の心配」
3月11日(火曜日)。現在の時刻は4:03です。先ほど階下へ下りて茶の間で体温を測りました。体温計の針は一度では36度、二度目では35度9分を刻んでいました。わが平熱が三十五度あたりです。
前売りチケットを購入していたこともあり、予告どおりの行動で映画鑑賞へ出向きました。連れ立ったのは妻です。上映場所は映画専門の映画館ではなく、「鎌倉芸術館・小ホール」(鎌倉市大船の街)でした。ここは、今はないかつての「松竹撮影所」の跡地に建っています。パンフレットの案内には、午前11時30分、12時上映開始と記されていました。私たちは経由するバスに合わせて乗車し、早めの10時45分頃に当館に着きました。時間が早いせいで、観客と思えるお年寄りはまだまばらでした。ところが、妻がトイレを終えてできた頃には長い列ができ始めました。私は焦りをおぼえて、妻を待って列どりのために並びました。こののち、長い列ができたせいか午前11時30分よりやや早めに開場されて、私たちは小ホールに入りました。
二人して、ステージを前にして2列目に着席しました。映画鑑賞で仰向けになるような1列目に座るアホはだれもいません。もちろん、2列目に座るのも、準アホです。しかし私たちは臆せず、左右だれもいない2列目にそれを敢行しました。それはメガネと補聴器に頼る、わが切ない願いの実現のせいでした。出かける前にわが家で測ったときのわが体温は、38度7分でした。夫婦で「行く、行かない」の丁々発止を交わした後、仲良く出かけました。
会場にあっての私は、額、首筋、加えて身体隅々の熱っぽさから、いっそうの体温の上昇を感じていました。映画を観終えて、監督の話までには25分間の幕間い(休憩時間)がありました。前、左右空きの座席に座ったことは、功を奏しました。私は秘かにスマホを開きました。たまごさんに続いて、高橋弘樹様のご心配、投稿文に出合いました。私は体温計持参ではなかったもの体温の上昇を感じて、スマホにこう書きました。「お二人様にご心配をおかけいたしました。今、映画を観終えて、監督の話を待っているところです。無謀しました。高熱です」。
映画、お話共に終えて、閉場は案内どおり午後2時ちょうどになりました。こののちの行動を付加いたします。昼食は妻と私の合意のもと、餃子が売りの「王将」へ出向きました。ここでは、餃子、ニラレバ、エビチリ、御飯を注文して、二人で食べ合い2400円を支払いました。ここでは持参していた市販の風邪薬を服みました。次にはいつものわが買い物店「西友ストア大船店」へ入りました。ここでもまた「きょうはタクシー」で帰ろうと、あらかじめ合意していました。このため、普段の買い物と違い、嵩張るかつ重たいものを手にして、8800円ほど支払いました。
買い物を終えると予定どおりタクシーでわが家に着きました。値上がりしたのかいつもとは違って、2400円支払いました。しかし、わが高熱を慮り、泣きべそをかくことなく玄関ドアーを開きました。夕食は食べずに、お二人様のありがたいご忠告したがって早めに床に就きました。この前にも、風邪薬をまた服みました。映画のチケット代は二人分で、3600円でした。映画と話は面白くなく、つまらないものでした。
映画にかかわることで一つだけわが感想を添えれば、写真(映画)は、文章(原作)の面白さには、決して叶わないということを実感し、この殴り書きを締めます(5:21)。推敲することなく、まだいくらか高めの体温をおもんぱかり、再び寝床に潜りますので、誤字、脱字があっても、平にお許しください。わが身体を心配する身内はだれもいなくなった。妻と娘は心配より先に、小言や難癖をつけるばかりです。純粋に心配をしてくださるのはもはや、掲示板上の他人様ばかりです。私は幸せ者です。
前売りチケットを購入していたこともあり、予告どおりの行動で映画鑑賞へ出向きました。連れ立ったのは妻です。上映場所は映画専門の映画館ではなく、「鎌倉芸術館・小ホール」(鎌倉市大船の街)でした。ここは、今はないかつての「松竹撮影所」の跡地に建っています。パンフレットの案内には、午前11時30分、12時上映開始と記されていました。私たちは経由するバスに合わせて乗車し、早めの10時45分頃に当館に着きました。時間が早いせいで、観客と思えるお年寄りはまだまばらでした。ところが、妻がトイレを終えてできた頃には長い列ができ始めました。私は焦りをおぼえて、妻を待って列どりのために並びました。こののち、長い列ができたせいか午前11時30分よりやや早めに開場されて、私たちは小ホールに入りました。
二人して、ステージを前にして2列目に着席しました。映画鑑賞で仰向けになるような1列目に座るアホはだれもいません。もちろん、2列目に座るのも、準アホです。しかし私たちは臆せず、左右だれもいない2列目にそれを敢行しました。それはメガネと補聴器に頼る、わが切ない願いの実現のせいでした。出かける前にわが家で測ったときのわが体温は、38度7分でした。夫婦で「行く、行かない」の丁々発止を交わした後、仲良く出かけました。
会場にあっての私は、額、首筋、加えて身体隅々の熱っぽさから、いっそうの体温の上昇を感じていました。映画を観終えて、監督の話までには25分間の幕間い(休憩時間)がありました。前、左右空きの座席に座ったことは、功を奏しました。私は秘かにスマホを開きました。たまごさんに続いて、高橋弘樹様のご心配、投稿文に出合いました。私は体温計持参ではなかったもの体温の上昇を感じて、スマホにこう書きました。「お二人様にご心配をおかけいたしました。今、映画を観終えて、監督の話を待っているところです。無謀しました。高熱です」。
映画、お話共に終えて、閉場は案内どおり午後2時ちょうどになりました。こののちの行動を付加いたします。昼食は妻と私の合意のもと、餃子が売りの「王将」へ出向きました。ここでは、餃子、ニラレバ、エビチリ、御飯を注文して、二人で食べ合い2400円を支払いました。ここでは持参していた市販の風邪薬を服みました。次にはいつものわが買い物店「西友ストア大船店」へ入りました。ここでもまた「きょうはタクシー」で帰ろうと、あらかじめ合意していました。このため、普段の買い物と違い、嵩張るかつ重たいものを手にして、8800円ほど支払いました。
買い物を終えると予定どおりタクシーでわが家に着きました。値上がりしたのかいつもとは違って、2400円支払いました。しかし、わが高熱を慮り、泣きべそをかくことなく玄関ドアーを開きました。夕食は食べずに、お二人様のありがたいご忠告したがって早めに床に就きました。この前にも、風邪薬をまた服みました。映画のチケット代は二人分で、3600円でした。映画と話は面白くなく、つまらないものでした。
映画にかかわることで一つだけわが感想を添えれば、写真(映画)は、文章(原作)の面白さには、決して叶わないということを実感し、この殴り書きを締めます(5:21)。推敲することなく、まだいくらか高めの体温をおもんぱかり、再び寝床に潜りますので、誤字、脱字があっても、平にお許しください。わが身体を心配する身内はだれもいなくなった。妻と娘は心配より先に、小言や難癖をつけるばかりです。純粋に心配をしてくださるのはもはや、掲示板上の他人様ばかりです。私は幸せ者です。
春の憂い
3月10日(月曜日)。未だ夜明け前にあって、目覚めて寝言を言っています。人間の不始末を自然界が救いました。岩手県大船渡市の山火事は、雨が消してくれて鎮火しました。雪国地方に大雪をもたらし続けてきた自然界の悪態は、雪解け水を流して罪つぐないを始めています。気象予報にたがわず、ようやくきのうあたりから、暖かい春日和が訪れています。なのに私は、不始末をしでかしています。ひどい風邪をひいてしまい、市販の風邪薬を服んで、寝床に寝ころぶ時間が増えています。現在もそうです。だから気分が萎えて、休む告知をこの文章にしたためています。しかし、きようのわが夫婦には昼間、休みたくない用件があります。それは何十年ぶりかの二人そろっての映画鑑賞です。すでに前売りチケットを買っているケチ心もあります。加えて、題名にくすぐられるところもあります。すなわち、無関心ではおれないところがあるからです。映画は「九十歳 何がめでたい」(佐藤愛子原作、草笛光子主演)です。いま、私は必死に風邪を治しいます。
せっかく書いたから、もしかしたらこの文章も、継続に加わるかもしれない。大沢さまのご判断に託しています。しかしやはり、かたじけなく思う、しっちやかめっちかの文章です。
せっかく書いたから、もしかしたらこの文章も、継続に加わるかもしれない。大沢さまのご判断に託しています。しかしやはり、かたじけなく思う、しっちやかめっちかの文章です。
書かない気楽さに陥っている
3月9日(日曜日)。雪は止んでいる。雨も降っていない。ウグイスの鳴き声はしない。窓の外に見る三軒の屋根には、薄っすらと雪が残っている。しかし、まもなく溶けてしまいそうである。なぜなら、朝日が今にも、天上、空中、地上に出番を窺っている。小雪と小雨が降ったのちの夜明けは、晴れの兆しにある。
春初っ端の気象の異変は過ぎて、きょうあたりから自然界は、春本番を授けてくれるのだろうか。できればもうそうあってほしいと願っている、起き立てのわが心境である。きのうは文章を休んだ。すると、たちまち「書かない気楽さ」に陥った。現在もその延長線上にある。いったんこれに陥ると、文章の再始動には困難を極める。だから、この状態から抜け出すためには恥を晒してまでも、こんな文章を書かなければならない。しかしながらやはり、この先は書けずに、ここで指止めとするものである。書かない気楽さは、もとより「能無しと怠け者」の証しである。つくづく、つらい夜明けにある。
春初っ端の気象の異変は過ぎて、きょうあたりから自然界は、春本番を授けてくれるのだろうか。できればもうそうあってほしいと願っている、起き立てのわが心境である。きのうは文章を休んだ。すると、たちまち「書かない気楽さ」に陥った。現在もその延長線上にある。いったんこれに陥ると、文章の再始動には困難を極める。だから、この状態から抜け出すためには恥を晒してまでも、こんな文章を書かなければならない。しかしながらやはり、この先は書けずに、ここで指止めとするものである。書かない気楽さは、もとより「能無しと怠け者」の証しである。つくづく、つらい夜明けにある。
「山火事完全鎮火」の報を待っている
3月7日(金曜日)。鎌倉地方は、ようやく晴れの予報である。岩手県大船渡市にも雨を降らしてくれて、長く続いていた山火事も鎮火を見たようである。こののちは、火種の有る無しの確認作業が行われる。この間、消火活動をされていた関係者、怯えていた付近住民、そして被災や余儀なく避難をされていた人たちの心労がほぐされることを願うばかりである。
「わが、生きる価値?」
3月6日(木曜日)。早くなり始めているけれど、いまだ夜明け前にある(4:37)。きのうは、過ぎた「啓蟄」(3月5日・水曜日)だった。しかしながら地中の虫けらどもは、地上(地表)のあまりの寒気に怯えて、余儀なく這い出しを日延べしていることであろう。
きのうの私は、自然界と人間界がおりなす、一つずつのテレビ映像に目を凝らしたり、釘付けになったりした。雨は、岩手県大船渡市に起きている山火事を鎮めてくれたかな? と、目を凝らしていた。アメリカ・トランプ大統領の施政方針演説は、どんなもんかな? と、終始(1時間40分わたり)釘付けになった。
人間は自然界のもたらす恐怖に怯えて、一方では恩恵に授かりながら生きている。人類は人間界のしでかす悪態に怯えて、一方では人間のもたらす功知(こうち)に授かりながら生きている。きのうは寒気に震えながら、わが柄でもないことを実感した日だった。ネタ無しに起き出して、こんなことを書くようではやはり、「ひぐらしの記」は最後の灯火(ともしび)状態にある。
こののちは寝床へとんぼ返り、天井に目を凝らし、しばし「わが、生きることの価値」を浮かべて、夜明けまでの時間を費やすつもりにある(5:14)。はたして、虫けらたちより、わが生きる価値を見出せるであろうか。なさけない。
きのうの私は、自然界と人間界がおりなす、一つずつのテレビ映像に目を凝らしたり、釘付けになったりした。雨は、岩手県大船渡市に起きている山火事を鎮めてくれたかな? と、目を凝らしていた。アメリカ・トランプ大統領の施政方針演説は、どんなもんかな? と、終始(1時間40分わたり)釘付けになった。
人間は自然界のもたらす恐怖に怯えて、一方では恩恵に授かりながら生きている。人類は人間界のしでかす悪態に怯えて、一方では人間のもたらす功知(こうち)に授かりながら生きている。きのうは寒気に震えながら、わが柄でもないことを実感した日だった。ネタ無しに起き出して、こんなことを書くようではやはり、「ひぐらしの記」は最後の灯火(ともしび)状態にある。
こののちは寝床へとんぼ返り、天井に目を凝らし、しばし「わが、生きることの価値」を浮かべて、夜明けまでの時間を費やすつもりにある(5:14)。はたして、虫けらたちより、わが生きる価値を見出せるであろうか。なさけない。