ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

寝起きの心境

 4月17日(水曜日)。自然界は晩春ののどかな夜明けを恵んでいる。命の鼓動は休んでは困るけれど、こんな文章は休んだほうがいいのかもしれない。わが文章は惰性に支えられて、ヨロヨロと継続が叶えられている。だから、惰性が途切ればたちまち、頓挫の憂き目を見ることとなる。この恐れは、常にわが身に付き纏っている。ゆえに、おとといときのうの二日にわたりそれを恐れて私は、まるで身体が心不全の病に見舞われたような文章を書いた。すなわち私は、恥を晒してまでも惰性が途切れるのを恐れて、正気で悪あがきの文章を書いたのである。まさしく、狂気の沙汰であった。
 ところが、なお懲りずに三日目、きょうの文章もその延長線上にある。「ひぐらしの記」は、空虚になるはずのわが老後生活(日常)を支えている。そして、これにちなむ人様との出会いは、わが日常に限りない潤いをもたらしている。もとより、これらのことにおいては、いくら感謝してもしすぎることはない。わが身に余る僥倖、重ねて棚ぼたの宝物である。
 それなのにこのところの私は、書く気力の喪失に見舞われて、挙句に文章は、恐れている頓挫寸前にある。もちろん、わが独自事情であり、人様に助けをすがることはできず、みずからを鼓舞するより得手はない。きょうはこのことを書いて、惰性を繋げて、頓挫を免れる便法にするだけである。はなはだ、かたじけなく思う、寝起きのわが心境である。こんな私にウグイスは、軽やかな鳴き声で、エールを送っている。ぐうたらなわが心象が揺さぶられる、晩春の素敵な夜明けである。三日続けての無題は虚しいゆえに、打ち止めにしたいけれど、しかし決断は鈍っている。

無題

 4月16日(火曜日)。頃は好し。のどかに、朝が来た。だけど、文章が書けない。いや、もう書けない。わが終末人生は、暗澹を極めている。「身から出た錆」、わが甲斐性無しのせいである。まさしく恥晒し、慙愧に堪えない。重ねて、忸怩たる思いがつのる。書かくまでもない文章を書いた。かりそめのマイナス思考のせいではない。悩める現実がもたらしている。

無題

 4月15日(月曜日)。薄く晴れ模様の夜明けが訪れている。季節は晩春へ向かい、やがては風薫る初夏へ到達する。春の季節にあっては、寒の戻りや花に嵐を遠のけて、最も心地良い頃であろう。鶏に代わる早起き鳥のウグイスは、もう鳴いている。ウグイスは、人間界の煩わしい生き様や、わが煩悩など知らぬが仏で、限られたわが世の春の謳歌に必死なのであろう。そうであればいつもとは違って逆に、私からウグイスへ「鳴け、鳴け、大鳴け!」と、エール(応援歌)を送りたい心境にある。
 ウグイスの必死の鳴き声に同調するのは、わが終末人生がウグイスに似ているせいでもあろう。なぜなら私も、今や短く限られた命の残存を必死に生きている。ウグイスよりわが命は、長そうには思えてはいる。しかしながら、いつ絶える(絶命)か、その恐怖(感)はほぼ同様である。わが終末人生の日常は、もっぱら生存だけが目的になり、半面、その瓦解が恐れをなしている。そして、これにちなむ心境は、時々刻々に様変わる。
 起き立てにあってきょうもまた、書くまでもないことを書いた。書いて、恥を晒すことは厭わない。けれど、どんな出まかせの雑文であっても、書くことには常に苦痛がともなっている。苦し紛れの文章は、確かなわが能力(脳力)欠乏の証しである。もちろん、こんな文章では生涯学習の範疇には入らず、実のないいたずら書きの汚名を被るだけである。きのうの文章とは違って表題は、まさしく無題でいいだろう。ウグイスは心地良く鳴いている。私は気分沈んで嘆いている。

ただ書いただけの、無題

 4月14日(土曜日)。ぐっすり眠れて、早く起き出している。だから、「早起き鳥」の真似をして、「コケコッコウ」と、鳴きたくなっている。しかし、早起き鳥にはなれない。ゆえに私は、早起き鳥のような社会貢献はできずじまいである。
 ふるさと時代にあって早起き鳥は、朝の起き出し時刻を告げる大切な役割をしていた。わが家の早起き鳥は、縁の下に飼っていた数羽の鶏だった。鶏の天敵は、産みたての卵を呑む青大将だった。今なお絶えず、恐怖がよみがえる過去の忌まわしい光景である。私いや人間は、常に天変地異と人間以外の生き物の恐怖に晒されて生きている。恐怖の枠から人間を外すことは、人間の驕りなのかもしれない。確かに人間とて、日々伝えられてくる社会現象を鑑みれば、恐ろしい生き物の範疇に在る。
 社会は、万物の霊長と崇められる人間の集団である。それなのに社会の実態は、必ずしもこの崇敬に見合っていない。なぜなら社会は、人間のしでかす大小の事件のオンパレードである。伝えられてくるもので、小とは言えず腹立たしいのには痴漢行為がある。メデイアは、痴漢防禦策をあれこれと囃し立ててくれている。もちろんそれは、出会いの月4月にからんで人の往来が激しくなるにつれて、痴漢被害が増えること案じるゆえであろう。
 痴漢行為には、(痴漢ぐらいは……)という、男の驕りがある。この驕りを断つには、痴漢をしでかした者を晒しものにして、社会から抹殺するほどの厳罰主義にするほかはない。なぜか社会は、痴漢行為にきわめて甘いと、思うところがる。
 手練手管の詐欺行為も、一向に減らない。新コロナ対策の補助金には、偽申告や応急の金を借りても、返済意志のない人が大勢という。すなわち、はじめから「横取り、もらい得」を決め込んでいる悪人多しである。
 気分直しをしてくれるのは、いつも「ふるさと便」である。ふるさとの甥っ子、姪っ子から、相次いでふるさと便がとどいた。一つは「タケノコふるさと便」、そして一つは「ふるさと産米ふるさと便」である。早速、どちらにもお礼の電話をかけた。すると、二人ともこう言った。
「このところは、イノシシがやたらと増えています。被害も増えて、合うのが怖いです。退治する人はだれもいなくて、イノシシは増えるばかりです」
 私は一日一日をひたすら生きている。高齢の身を生きるわが生活実感である。わが身にかぎらず総じて社会は、生きる苦しみにある。早起き鳴かずとも、朝がくれば起きなければならない。生きる者の宿命である。今朝は、麗らかな朝日がわが気分を解している。大地揺るがず、生き憎い人間社会のいっときのオアシスである。

朝書きの自戒

 4月13日(土曜日)。目覚めると部屋の中は昼間のように明るい。陽射しこそそそいではいないものの、私は寝坊助を被っていた。慌てふためいて起き出すと、見渡す眺望には朝日がピカピカと輝いている。ウグイスは、朗らかに鳴いている。私は心が急いている。半面、待ち望んでいた自然界の恵み旺盛で、わが気分は晴れ晴れの夜明けである。心地良い気分は、春季節特有の恩恵、すなわち熟睡がもたらしている。まさしく、春の恵みである。
 一方、私は寝坊助の祟りにあっている。いや、このことは、夜明け前に書くわが習性の祟りである。もちろんこの祟りは自認し、ゆえに常に自戒している。もとより、この習性を改めないかぎり、私自身が求める文章は書けない。挙句、継続を断たないだけ目的になり替わり、いたずらに殴り書きと走り書きの協奏に甘んじる。確かに、文章の不出来はこのせいではない。ところが、独り善がりに私は、そのせいと思い込んでいる。気分は煮え切らず、常に生煮えの状態にある。みずからのせいとはいえ、恨めしいかぎりである。好気分に遭遇し、こんな文章を書くようでは、もとよりわがお里の知れるところである。
 実社会の年度替わり、そして出会いの月4月にあって、それぞれに人の営みは、本格稼働に入っている。季節は初春、桜の花の頃の中春を過ぎて、晩春へ差しかかる。日々、山は緑を成し、里は葉桜を深めてゆく。ここにきてようやく、春の夜明けは落ち着いて、この先は季節の恵みをふりまいてくれるのであろうか。
 再び記すと、胸の透く心地良い夜明けである。これまた再び書くと、私は寝坊助を被り心が急いている。目覚めて寝起きの私は、きょうは時間なく書けない、いや書くまいと、決めかかっていた。登山家は「山があるから登るのだ!」と言う。これに倣えば私は、「パソコンがあるから、駄文を恥じず書くのだ!」。私は蚤の気概ほどの決意を固めて、パソコンに向かったにすぎない。登山家の壮大な意志と気運に比べて、なんとわが意志のみすぼらしさであろうか。とことん恥じてこの先は書けず、仕方なく指先を擱くこととする。そして、朝御飯の支度前の残された短い時間は、のどかに朝日輝く大空を両頬杖ついて眺めることとする。
 文章とは言えないけれど、慌てふためいてせっかく書いた文章だから反故にはせず、名づけて残し置くものである。浮かんでいる表題は、「朝書きの自戒」である。熟睡の心地良さは、切なさに変わりそうである。

目覚めの、無情!

 4月12日(金曜日)。晴れのない、雨の無い、曇り空の夜明けが訪れている。きょうの天気予報は聞きそびれている。そのため、この先の天気模様はわからずじまいである。「ひぐらしの記」は、すっかり「私日記」に成り下がっている。わが悔やむところである。目覚めるとしばし寝床に寝転んで、私はいつもこんな気持ちに苛まれている。一つは、「起きて、文章を書こうか、書くまいか」という思いである。一つは「この先、文章はもう止めようか、止めたいなあ……」という思いである。「ひぐらしの記」の存廃は、目覚め時の気分に起因する。直截的(ちょくせつてき)にはこのときの気分の良し悪しにある。より具体的には、モチベーション(意欲、気力)の高低にある。それが高ければ文章は書けて、なお存続志向へありつける。一方、それが低ければ文章は書けずじまいとなり、たちまち私は、潮時思考へ陥っている。目覚めると日々、こんな思いの繰り返しである。もちろんこの思いには、老いさらばえるわが身体と、それにつきまとう萎える精神(力)が加担している。さらには歳月の速めぐりにともなう、遣る瀬無さが付き纏っている。
 きょうは楽屋話を書いて、継続文の足しにするものである。曇り空は切れて、朝日が射し始めている。ウグイスは鳴いている。しかし、桜の花は散り急いでいる。私はなさけない心境にある。

「桜、様様」の一文

 4月11日(木曜日)。目覚めて起き出し、慌てふためいてパソコンへ向かっている。夜が明けて、ほのぼのと朝日が射している。すでに、ウグイスは鳴いている。この時間、地震が起きなければ、わが心は急いているけれど、のどかな夜明けの訪れにある。しかしながらこの先、地震が起きない保証はない。少しでも揺れると、わが気分は騒擾(そうじょう)となる。
 春の季節のわが気分は、天候しだいである。晴れれば晴れ、曇れば曇り、雨降れば雨になる。春の天候は晴れ一辺倒ではなく、また雨ばかりでもない。まるで、一膳飯屋の日替わり飯さながらである。きょうは飛びっきり旨い、上等の晴れの夜明けが訪れている。心は急いているけれどつれて、寝起きの気分は心地良い。ところが意に反し、文章は書けない。寝起きの脳髄の空っぽに加えて、ネタ無しのせいである。それでも書こうと思えばやはり、桜の花に「おんぶにだっこ」である。
 きのうは、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。用件はもちろん、買い物である。わが家と最寄りの「半増坊下バス停」間の道を往復、私はとぼとぼ歩いた。満天、大海原とまがう青空だった。地上のあちこちには、桜木が立っている。眺める山には、山桜が映えている。進む道の傍らに立つ桜木の下、私は歩を止めた。おとといの大嵐に打たれて、(もうだめかな……)という思いで眺めた桜の花は、まだかなり残っていた。確かに、葉っぱが目立つ中の花びらであり、満開どきの花は大嵐に蹴散らされていた。しかし、いまだ葉桜とは言えず、花見気分横溢である。
 私は往復共に立ち止り、一本の桜木の下で、花見気分にひたっていた。まさしく、天上は青空、地上は桜の花、がおりなす無償の絶景である。しばし私は、仰ぎ見る絶景に酔いしれていた。後景に山桜映える山のグラデーション(色調)も見栄えする。これらに、ウグイスの鳴き声が加わっている。青空と桜の花とそしてウグイスの鳴き声、すなわち三つ巴のコラボーレーション(協演)であった。ゆえに、桜木の下のわが気分は爽快だった。
 すっかり夜が明けて青空の下、朝日はいっそう輝きを増している。ウグイスは軽やかに鳴いている。耐え残っている桜の花は、きょうは散り急ぐことなないだろう。ケチな私は、書くまでもないことを書いて、継続文の足しにしたのである。「桜、様様」の一文である。

「桜雨」、そしてわが造語「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」

 4月10日(水曜日)。この時間(4:31)はまだ暗闇で、夜明け模様を知ることはできない。体感で知り得るところは、閉めている雨戸を鳴らす風の音、身体冷え冷えの寒の戻りである。一か所、雨戸開けっぴろげの前面の窓ガラスに雨粒と雨筋はなく、雨は降っていない。きょうの昼間は晴れの予報である。
 おとといのわが夫婦の花見は、寸でのところで雨をとどめた、幸運な一日に恵まれた。わが夫婦の不断の行いが良いことはないのに、粋な天界の思し召しだったようだ。明けてきのうは一日じゅう風雨強く、悪たれの自然界現象に見舞われた。わが心中にはふと、「桜雨」ということばが浮かんだ。こんなことばがあるのかな? と、疑いながら電子辞書を開いた。すると、わが意にぴったりの説明書きで掲載されていた。
 「桜雨」:桜の花の咲く頃の雨。
 これだけである。なんだかそっけなく、風情もなく物足りない。だからこんどは、スマホでことばの検索を試みた。さすがに、時流のスマホの説明書きには「情」がある。
 【桜雨:桜の時期に降る雨は、「桜雨」「桜流し」と言います。素敵なことばの響きではありますが、花を楽しむ時間が短くなってしまうのは、少々残念な気もしますね。ただ、雨の日のお花見というのもまた乙なものです。桜の花に雫がしたたり、雨とともに少しずつ散る姿は、少し寂しさを誘うような…。いつもは味けなく感じるビニール傘も、「桜雨」「桜流し」を楽しむには、もってこいのアイテムになります】。
 ところがきのうの雨は、確かに桜雨には違いないけれど、憎たらしい自然界現象だった。ゆえにこれまたふと、私は心中にこんなことばを浮かべていた。「桜妬み」「桜僻み」「桜潰し」である。そしてこんどははじめから、電子辞書とスマホの両方で説明書きの有無を確かめた。ところが三つとも、いずれにもなかった。結局、この三つのことばは、きのうの大嵐同然の風雨の強さを見ながら、心中に咄嗟に浮かんだわが造語だった。
 三つのわが造語共通に言える意味は、「桜雨にあって、まるで桜の人気を妬み、僻み、なお潰すかのような、酷い雨の降り方」である。辞書にはなくともこの先、わが造語を心中の辞書に掲載して置くつもりである。身体の骨はポキポキ折れないけれど、寝起きの文章書きは、つくづく骨が折れるところがある。5:31、雨なく、風強い、薄っすらと朝日お出ましの夜明けが訪れている。満を持していたウグイスも鳴きはじめるであろう。ゆえに、おととい鎌倉市街・鶴岡八幡宮の参道「段葛」で仰いだ桜の花が、いっそう哀れに思えている。いや、きのうの雨の降り方には、ただただ憎さ百倍がつのったのである。なぜなら、きのうの雨の降り方には、桜雨の風情のかけらもなかったからである。きょうの晴れは、きのうの雨のつぐないにはならない。

物心つきはじめの文章体で、「段葛の花見」

 4月9日(火曜日)。軽やかなウグイスの鳴き声に変わり、雨の音がつれなく響く夜明けが訪れています。春の雨は、きのう見た桜の花が心配です。半面、春の雨は、心地良い寝坊を誘っていました。花見それにともなう疲れは、共に心地良さを恵んでいました。挙句、寝坊助に陥り、物心つきはじめの頃の文体で、走り書きを始めています。
 きのう、妻と連れ立って歩いたり、立ち止まって仰いだりした花見通りは、「鶴岡八幡宮」の参道を成す「段葛(かずら)」でした。段葛とは、「若宮大路」の真ん中道に一本道を成す、約500メートルの古来の参道です。両側には参道のどこかしこに見られる(売らんから剥き出しの)店舗が連なっています。私はきのうの文章の予告に違わず、ヨチヨチいやヨロヨロ歩きの妻をともなって、段葛の花を目当てに、桜見物を愉しみました。長い段葛の両側には、桜木がほぼ等間隔に、(きょうこそが満開だ!)と誇るかのように咲きそろっていました。ただ残念無念だったのは、このことです。すなわちそれは、桜の花と美的コラボレーション(協演)を成す青空は、今にも雨が落ちてきそうな曇り空に出番を挫かれていたことです。ところがそれにも構わず小道は、歩いてはすぐ立ち止まりカメラを向ける花見客、そして花とそれらの人を交互に眺めて歩く人の群れの往来で、雑踏を極めていました。しかしながら普段の雑踏と比べると、花見客が寄り合う雑踏には文句のつけようはありません。花見の雑踏には、桜の花と出会う人たちの笑顔を交互に見る心地良さがあります。
 ところが一方、私は往来する人の波の中にあって、「浦島太郎」の心境をたずさえていました。単刀直入に言えば久しぶりに訪れた鎌倉の街は、見知らぬ「異人の街」へ変容していました。私には雑音まがいの言葉を聞き分けたり、わが顔すれすれの異人の顔を見分けたりできる能力(脳力)はありません。ただただ私は、久しぶりに訪れた鎌倉の街の変容ぶりに驚いて、半ば花見そっちのけで妻を労わりながら歩きました。花見どきの段葛そして鎌倉の街は、わが未知の「異国の街」へ様変わっていたのです。驚きと同時に、わが心中にはうれしさが込み上げていました。それは世界共通、人類共通、そして桜の花見の楽しさもまた人共通と、実感できたことです。
 ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区には、桜の花はないのでしょうか。なければ、苗をやればいいです。時期は遅くなりましたが数年後には、荒れ果てた街に、桜の花が咲き誇るでしょう。夜明けの雨は、勢いを増して降り続けています。(濡れて行こう……)。春雨でないのは無念です。私には、「段葛の桜」が危うく偲ばれています。

桜の花は平和の象徴

 4月8日(月曜日)。いよいよきょうあたりから日本社会は、出会いの月4月にあって、人々の本格的な実動が始まる。学ぶ者は勉強に、働く人は仕事に本腰が入ることとなる。人間の集団を成す実社会が動き出すのだ。まもなく夜が明ける。この時間(5:17)、雨は降っていないようだ。きのうは夜が明けるとやがて、夜来の雨は降りやんだ。私は時刻表8時15分のバスに乗り込んだ。向かう先は、次兄の一周忌が営まれる、東京都国分寺市である。一周忌法要は、次兄宅の近くの寺である。開始時間は、午前11時と案内されている。
 私は自宅に立ち寄り、長男で甥っ子の車に乗り、寺へ着いた。時間に間に合って安堵した。生きている次兄に会う愉しみはない。私は、お坊さんの読経に聞き耳を立てた。法要(儀式)は、しめやかに、かつ、おごそかに営まれた。私は心の中に、掲げられていた次兄の穏やかな顔の遺影をきっちり刻んだ。遺影は、どんなに美しく撮られていようと別れのしるしである。私の周りには甥っ子・姪っ子、それらの家族がうちそろっている。もとよりみんな顔見知りであり、ゆえに出会いの言葉をかけあう。
 一周忌の法要が済むと、そろって寺を出た。「昼膳は自宅で用意されています」と、次兄の長男がみんなに言う。私は三兄の長男・甥っ子(東京都昭島市)、四兄の長男・甥っ子(国分寺市内恋ヶ窪)と連れ立って、のんびりと歩いて、自宅へ向かった。この間には、名所「国分寺史跡」がある。原っぱまがいの史跡は広大である。史跡全体は、満開の桜の花に彩られていた。桜木の下には三々五々、花見客が集って花見を楽しんでいた。のどかで平和な光景である。
 一年前のこの時期の私には、桜を見る気持はなく、入院している次兄の病床の傍らで何日か寝泊まりして、苦悶を続けていたのである。そのせいか私は、国分寺史跡で見た桜光景ののどかさと、集い合う花見客の和みに、度肝を抜かれていた。ところが、ここに留まらずきのうのスマホには、あちこちの友人、知人から、桜だよりが満載にとどいた。桜の花は、まさしく平和の象徴と実感した。
 夕闇迫る6時過ぎに、わが家へ帰り着いた。玄関口のブザーを押すと、妻が出向いてドアーが開いた。私の口は開いた。
「ただいま。ありがとう。あした、若宮大路(鶴岡八幡宮の参道)の花見に行こうよ。桜、満開だよ」
 不意を突かれた妻は「おかえりなさい。パパ、どうしたの? そうね……」と、キョトンと言葉を返した。
 人の命は尽きる。桜の花も尽きる。私は、心急いていたのかもしれない。ただきょうは、あいにく雨の予報である。確かに、夜明けの空は雨を呼びそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれて、鳴き声を躊躇している。雨に打たれて散り急ぐ桜の花はしのびない。憐憫の情をたずさえた花見になるかもしれない。