ひぐらしの記
前田静良 作
リニューアルしました。
2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影
年の瀬に思う
12月2日(月曜日)。壁時計の針は、起き出し時刻の定時(5時)から、30分ほど過ぎたところを回っている。両耳には補聴器を嵌め、メガネをかけ、さらに文章には関係ないことまでを書けば、洗った入れ歯を入れて起き出している。雨の音、風の音、嵐の音なく、開けっ広げの前面の窓ガラスを通して見る外気は、いまだ真っ暗闇である。この文章を書き終える頃には夜明け、あるいは指先が駄々をこねれば朝となる。そのときようやく、きょうの空模様を知り、書き加えることとなる。
きょうは、12月に入り二日目である。確かに、年の瀬・12月は、前月までの十一か月と比べれば、わが心境と心象はまるで気狂い沙汰に変わっている。この変化の因を為すのはやはり、暮れ行く年にともなう、切なさ、遣る瀬無さ、ずばり寂しさ、さずかりという心模様の焦りであろう。自然界が営む、年のめぐり、季節めぐりに異変はないけれど、わが心理は異変まみれである。これこそ人間の証しかな? と思えば、もとより人間は、悲しく、つらい動物である。
「ひぐらしの記」は、大沢さまからこんなお言葉をさずかり、一念発起して書き始めたものである。「前田さん。何でもいいから、書いてください」。優しいお言葉にすがり書き始めると、ある日「ひぐらしの記」と命題が付されていた。六十(歳)の手習いの実践の場を賜った私は、小躍りして友人知人へブログの呼びかけをした。それらの中に一人、大学学友の池田(埼玉県坂戸市)がいた。何回か書いたのちの文章に私は、「中締めです」と、書いていた。ところが、中締めに終わらず、「ひぐらしの記」は、なお続いていた。すると池田は、電話でこう言った。「中締めと言ったのに、終わらないね。それって、変じゃないの? 言葉を大事にする前田らしくないよ」。書き始めの頃だったから、私自身は素直に中締めのつもりだった。しかし、幸か不幸か「ひぐらしの記」は、中締めの言葉に背いて途方もなく続いてきたのである。池田は昨年の暮れに、突然あの世へ旅立った。池田の訃報は葬儀を終えたのち、もう一人の学友・佐々木(埼玉県所沢市在住)から伝えられてきた。年の瀬にあって池田は、一周忌にある。寂しく、冥福を祈るところである。
佐々木には先日、こう伝えた。「まだ、文章は書いているから、ブログを案内するね」と言って、事細かに「現代文藝社」へ導いた。佐々木は、「前田。まだ書いているのか。読むよ」と、言った。すると一度だけ、「読んだよ」と、メールがきた。ところが後が続かず、私は佐々木の近況をメールで尋ねた。佐々木は入退院を繰り返し、「おれは命を保つことに、精いっぱいだ」と、メールがきた。佐々木は、あるとき突然、まったく耳が聞こえなくなり、電話による会話は断たれている。「そうだったのか、御免。おれが、メールをしても構わないようになったら、OKのメールをしてください」。しかし、OKのメールはいまだ来ず、そろそろわが一方通行のメールの書きどきにある。
閑話休題、大沢さまが恵んでくださっている「ひぐらしの記」は、わが人生にあまた、いやかぎりない幸運をもたらしている。ゆえに私は、大沢さまをエンジェル(天使)とも女神様とも称え崇めている。一方で、私にとって「ひぐらしの記」は、悪魔と思える「時」がある。それは、ネタの浮かばない寝起きどきである。しかもその心境を私は、ほぼ毎日の寝起きにあってこうむっている。またもやきょうも、その証しにある。きょうの起き立てにあってもネタなく、まさしく気狂いの心境を携えていた。恥を晒して書けば、こんなことである。わが前田(チチ)そして前田(ハハ)がもうけたたくさん(8人)の子どもの命は、残るは自分だけになっている。両親が優しい人だっただけに余計、寂しさつのるものがある。そして、わが命が尽きれば、両親にすまないと思う気持ちが横溢している。
きょうの文章の前編は気狂いではないけれど、後編の文章は確かな精神破綻(気狂い)の証しと言えそうである。あえて言えば付け足しの後編は、究極のネタ不足の表れである。年の瀬の朝の空模様は、わが心境を映して、いくらか翳(かげ)りのある日本晴れである。
こころ急く、師走入り
12月1日(日曜日)。いよいよ、ことしの最終月を迎えている。壁時計の針は、私の切ない心情などにはお構いなく、みずからのペースで正確に時を刻んでいる。起き立ての私は、時のめぐりの速さに脅かされて、「ああ無常、ああ無情」という、二つの切ない心境の抱き合わせをこうむっている。人工の時計のみならず自然界は、当月に入った「冬至」(12月21日・土曜日)へ向かって、季節相応にこれまた正確に夜長の時を刻んでいる。
「ひぐらしの記」を書く私にとっては、ぼうーとして起き出すことは許されない。文章の明確なネタにはならずとも、私はそれに近いものを浮かべて、起き出してこなければならない。このことは、生来凡愚の私にとっては「雲を掴むほどに困難」であり、とても厄介なことである。挙句、起き出すたびに遣る瀬無く、わが心中には(もう潮時、潮時……)と、半ばお助けを乞う、呪文(じゅもん)が渦巻いている。これすなわち、毎日めぐってくる起き立て「時」のわが心境である。ところがきょうは、ことしの最終月への月替わりにあって、この心境はいっそう弥増(いやま)している。叫び喚(わめ)いてもどうなることでもないことに、悶え足掻くのはわが小器ゆえである。
きょうの起き立てのわが心中には、こんなことを浮かべていた。もとより文章のネタにはならず、まるで孑孑(ぼうふら)のようにふらふらと蠢(うごめ)いて、浮かんでいた。現在のわが身は、日本社会に貢献する労働は皆無である。いや、実際にはお邪魔虫となり、私は様々な日本社会の支えを享受しながら生き長らえている。一方、私の家庭内労働は、二人すなわち老老家庭の現状に特化している。それらは主に二つである。一つは街中・大船(鎌倉市)への、往復定期路線バスを利用しての買い物行動である。そして一つは、妻の生活にたいする支援である。こちらにあっては、妻の主婦業への支援がある。しかし、こちらはあまり役立たず、足手まといのところがある。そして一つには、私がいなければにっちもさっちもいかず、妻の生存自体が危ぶまれるものがある。それはわが買い物行動をはるかに超えて、ずばり妻が生き延びるための支援である。たまの「髪カット」や「昼カラオケ」、はたまた「たまには、外食でもする? 何か食べたいのがあれば、行くよ……」。
こんなことなど、子どものお使いほどの番外編である。これらを撥ね退けてまさしく主要を為すのは、妻の生存を支えるための病医院へのわが引率行動である。かつての私たちには、この行動はまったくの用無しだった。ところが現在は、病院通いは妻自身にも重荷としてふりかかり、わが生活にも影響をもたらしている。しかしながらこのことは相身互い身であり、たまたまわが家の生活における現在進行形の現象にすぎない。いわゆる、いつ咄嗟に逆転し私にふりかかるかもしれない、心許ないものである。なぜなら世の中にあっては、夫婦にあっては一方の配偶者(夫)の命が早切れにある。このことをわが胸に仕舞い込んで私は、妻との外出のおりには文字どおり、率先行動役を務めているのである。
生存の三要素、すなわち「衣食住」にあって現在は、それらを上回り夫婦共に医療費になけなしの金をはたいている。もちろん、買い出し時における、「食のコスト」の値上がりには手を焼いている。懲りず何度も書いているけれど、生きること(生存活動)は、確かに人生の一大大事業である。余生縮まる中にあって、その中に楽しみを見つけることもまた、限られた命の為す大事業である。この危ぶまれる事業を助けるのは、天変地異さえなければやはり、自然界の恵みである。
師走入りの夜明けの空は、新たな地球に住むかのような気分にもなっている、かぎりなく胸の透く日本晴れである。妻は元気に階下で目覚めているであろうか。わが家のきょうの日暮らしの始まり時である。
きようは、書きません
11月30日、現在の時刻は4時あたりです。頻尿によるトイレ起きを繰り返し、眠れない夜長をこうむっています。眠りたくても、眠れないのです。極めて厄介です。この文章は寝床に寝そべりながら、スマホで書いています。起き出して、パソコンへ向かえばたっぷりと執筆の時間があります。しかし、幸いにも朦朧頭と眠気眼で書くことを免れています。
たまごさまご投稿第二作品『河童と白猫』を拝読いたしました。読後感は極めて秀逸です。ただ、私には作品の批評はできません。そちらは大沢さまにおまかせです。私ができることは身勝手にも、自分自身の疲れとりと、邪魔をしないことです。秀逸な作品のご投稿に授かり、同士として感謝申し上げます。共に、がんばりましょう。
季節は、初冬の「落ち葉しぐれ」
11月29日(金曜日)。三日続いて、ほぼ定時(5時)の起き出しにある。それゆえに執筆時間に焦りや寝とぼけはなく、淡々と指先でキーを叩いている。夜長の季節にあっては、寝床に寝そべりながらいろんな瞑想に耽るところがある。しかしながらそれらの多くは、やたらめったらと迷想まみれである。きのうの昼間にあっては、私は似非(えせ)の茶の間のソファに背もたれながら、窓ガラスを通して外の風景を眺めていた。主(あるじ)を失くした空き地の植栽には一本のイロハモミジと、黄みを帯びた灌木(かんぼく)が雑然と初冬の美的風景を醸していた。この風景に輪をかけて、「落ち葉時雨」が山の木の葉を視界一面に吹き曝(さら)していた。物見遊山に出かけるまでもなく居ながらにして私は、まさしく絵になる風景の満喫を極めていた。そしていっとき、私は都会の僻地の不便さを遠のけて、山際に求めた宅地冥利に耽っていた。
落ち葉時雨の間隙を突いては、私は掃除における三種の神器、すなわち箒、塵取り、透明袋(70リットル入り)を携えて、ときおり木の葉を禿げ頭にあてながら道路へ向かった。落ち葉時雨は文字どおり、まるで間欠泉のごとく、止んでは吹き曝しを繰り返していた。言うなれば落ち葉時雨は、まだ吹き曝しの途中にあった。こんななかの掃除は馬鹿げた行為だと悟り、「まだ早いよ」と、自分自身を諫(いさ)めた。ところが、わが家の宅地の側壁は吹き溜まりになっており、すでに落ち葉は側壁に沿って、長くこんもりと積んでいた。これらを除かなければ、隣からなお先へ吹き流されて、面倒をかけることとなる。私は吹き流れを止める決意をしたのである。
決意の後はやおら、渋々の一度目の落ち葉かきである。私は自分自身が入れそうな大きなゴミ袋に、枯れてまったく重量のない落ち葉を何度も両手で押し込んだ。落ち葉時雨は止まず、ときおり止むと、私はまた溜まり具合を見に出かけた。この仕上げにはこの文章を閉じてのち、道路へ向かう心づもりにある。しかし、夜長にあっては、夜明けの天気模様を知ることはできない。雨や雨上がり、いやそうではなくても風が強ければ、仕上げ行為は余儀なく、打ち止めお陀仏である。立って窓際へ寄り、外気模様を確かめた。雨もない、微風さええない夜の佇まいにある。仕上げ敢行の決意をして、結文を急ぐものである。
きのうの昼間、落ち葉時雨の風景を見ながら、(よし、きょうは今、書こう)と、決意した。ところがそれは果たせず、記憶頼りにいつどおりの執筆時間になっている。わが決意は、いつも哀れである。夜明けになり、のどかな朝ぼらけである。さあ、道路へ急ごう。
冬風邪、いや風邪大事に至らず
11月27日(水曜日)。わが起き出しの定時は、5時と決めている。すると、きょうはほぼ定時の起き出しにある。定時あたりだと執筆にあたり、慌てふためくことを免れる。これより遅ければ大慌てになり、逆に早ければ朦朧頭と眠気眼の抱き合わせをこうむることとなる。しかし、夜長の候にあって現在は、未だ夜の静寂(しじま)にある。このことはいっそう、執筆気分を落ち着かせている。
きょうは、(文章は書けないかな)と、思って就寝した。きのうの風邪症状を引きずり、風邪薬を服用して寝たからである。ところが、幸いにも風邪症状は遠のいていて、執筆にありついている。私は今夏にあっては夏風邪をひいて、長く拗(こじ)らせていた。そのおり、こう書いた記憶がある。すなわちそれは、夏風邪という言葉は、電子辞書に記載がある。けれど、春風邪、秋風邪、冬風邪の記載はない。このことを今思い起こすと、夏風邪をひくことは異例のことであり、逆に四季のうちその他の季節にひく風邪は、あたりまえだからであろう。すると、ほぼ毎年夏風邪をひく私は、文字どおり異例の愚か者である。
インフルエンザの予防注射は、効く、効かないはどうあれ、すでに打っている。このとき、信頼する主治医は、
「コロナワクチン、どうされますか?…… 自費になり、結構高くなりますけれど……」
と、問いかけられた。すると、結構高いという言葉がわが判断を狂わせて私は、
「コロナには罹らないと思いますから、やめていいでしょうか……」
と、返答した。すると、主治医は機嫌を損(そこ)なわれることもなく、こう言われた。
「わかりました。打ちたいときに来てください。そのとき、打ちましょう」
ところが、私はまだ打たないままである。たぶんこの先、打ちたい気分にはならないであろう。もし運悪くコロナに罹り、主治医に「あのとき、ワクチンを打っていれば良かったですね」と言われても、天邪鬼の私は「そうですね」とは、言わないかもしれない。言葉を返すとすれば、「人と交わるのは買い物くらいだから、コロナには罹らないと思っていました。仕方ないです。自業自得です」。
いや、こんな言葉が、主治医の前で言えるだろうか。もとより、きょうは書くつもりのない文章だから、こんなことを書いて、お茶を濁すこととなる。このところの無駄に長い文の償いともあって、ここで結文とするものである。出まかせの文章はスラスラと書けて、まだ夜明けの光が見えない、夜の帳(とばり)の中にある。仕方なく窓際に立ち、暗闇の様子を見る。雨は止んだばかりのようで、道路はベタベタに濡れている。新聞配達のバイクが尾灯を光らせ、けたたましく音を立てて過ぎ去った。
書かずにおれない、他人様(ひとさま)のご好意
十一月二十六日(火曜日)。ほぼ定時(五時)の起き出しにあり、気分には余裕がある。かてて加えて、これまでの夜遅くまでの野球のテレビ観戦が無くなり、就寝時間が早く、輪をかけて目覚めの気分は良好である。しかし、夜長は「冬至」(十二月二十一日)へ向かい加速度を増しており、いまだ夜明け模様を知ることはできない。きょうは自然界賛歌は脇において、他人様(ひとさま)からさずかったご好意を書こうと思い、パソコンへ向かっている。
わが家の貧相な柿の木になった柿の実は、まだ旨味を深めつつある中秋の頃、リスとの戦いに先駆けて、勝って一つさえ残さず食べ尽くした。食べ尽くした後には、旨味の深まりまで、待てばよかった、と悔いを残した。柿の生る風景は、広い当住宅地にあっても、わが家と向かいに建つ大武様の庭中だけである。大武様は先住者の家を買われて、綺麗にリニューアルされた後、六月頃から住まわれている。
私の場合、柿は食べて好し、生っている風景を眺めるのもまた佳しの筆頭にある。柿の旨味と眺める風景には最も好都合の晩秋のある日、先方は庭中に立って、私は門口に立って、思いがけなくこんなやり取りに遭遇した。私は柿の生る風景が好きなままに、大武様の庭中に立つ、柿のなる風景をしばし堪能し、奥様のお姿を目に留めず盗み見をしていた。ところが奥様は、文字どおり奥のほうでしゃがんで、何かの作業をされていたのである。奥様は私に気づかれると立って、訝(いぶか)しそうな面持ちで、庭際に近づいて来られた。(これはまずい)。私は心中にこう思い、大慌てで盗み見の怪訝(けげん)をとり払った。
奥様との面識はこれまで、引っ込しのおりの初対面における、一度の短いご挨拶言葉だけだった。私は近づいて来られた奥様にたいして、盗み見を詫びて、こう言った。
「すみません。私は熊本の田舎育ちで、柿の生る風景が好きです。だから、お宅様の柿の生る風景を眺めていました。ことしは例年よりいっぱい、見事に生っていますよ」
「そうですか。柿、お好きですか?……」
「はい。夫婦共、生っている風景、食べるのどちらも、大好きです。この頃の買い物では、柿が矢鱈と増えています。長く眺めていて、すみません」
「そうですか」
このわが柿の実を強請(ねだ)るような言葉が会話の引き金になり、二つ三つ短い会話を為して、私はいつもの買い物の道を辿(たど)った。
するとこの晩、ご主人がわが家の玄関口に立たれて、柿の実をショッピングバグに入れて持って来てくださったのである。そのお返しに私は、数日後に届いたふるさと産新米を少しばかり届けた。ところがきのうの晩、またもやご主人は、二度めの柿を届けてくださったのである。きょう書きたかった一編はこれで書き止めにして、次の二編はこのお便りの引用である。
妻が「玄関口の取っ手に下がっていたわよ」と言って手渡したのは、小菊あるいは野菊とも言える、レジ袋入りの草花とお便りだった。忘れかけていたけれどほぼ例年、散歩ご常連(高齢のご婦人)の人から賜るご好意である。
「前田様 暑い暑い夏もようやく終わり、秋を味わう時も無く、初冬を迎える頃となってしまいましたね。永らくお目にかかりませんが、お元気ですか。ワイルド感満点のわが家の庭に、菊が乱れ咲くのは 毎年のこととなりました。今年も少し秋をお届けします。楽しんでいただければ幸いです。十一月二十四日、鈴木」。
私は読み終えて、文章の素晴らしさにしばし感嘆し、あすはこの文章を「ひぐらしの記」に書こうと、決めたのである。文中にある「永らくお目にかかりませんが」の理由はこうである。このところは雨の日が多く、雨が降らない日は強風が吹き荒れて、風が道路の掃除をしてくれる。また、寒気が強くなり、おのずから朝の掃除は昼間へ移行がちになっている。
また文章が長くなってしまった。他人様からさずかった二つのご好意を書き記すと、もはやこの文章は要なしである。ゆえに、ここで指収めをするものである。
初冬の夜明けは雨なく、しかしかなり風の強い、淡い日本晴れである。文章を閉じれば私は、お礼の出会いを求めて、道路へ向かうこととする。なんだか、老い者同士の「恋愛ごっこ」みたいである。文章が長くなり、出会いはずれて、会えそうにない。
テレビ観戦、お疲れ様
11月25日(月曜日):6時07分。夜長の頃にあって、薄っすらと雨の無い夜明けが訪れている。このところの就寝の遅れをようやく遠のけて、ぐっすりと眠れて気分良く起き出している。きょうの文章は、このところ書き続けてきた「WBC12」(野球の国際試合、東京ドーム)の結末と、きのう千秋楽を迎えた「大相撲九州場所」(福岡国際センター)における、優勝争いの結果を綴るものである。
前者にあっては、優勝決定戦と3位決定戦が行われた。先ずは昼間、アメリカ代表チーム対ベネズエラ代表チームによる3位決定戦が行われて、アメリカがベネズエラに勝利し、3位と4位に分けた。ナイター(夜間試合)では、日本代表チーム・侍ジャパン対台湾代表チームによる優勝決定戦が行われて、こちらは台湾が4対0で勝利し、台湾が優勝を決めて、日本は2位に甘んじた。
閉幕まで長くテレビ観戦を続けてきた私には、愉しみと同時に就寝時間の遅れがともない、この間、浅い眠りを強いられていた。ところが昨夜は、侍ジャパンの敗戦を見終えて、いつもより比較的早く、11時前に就寝した。侍ジャパンの敗戦に観念し、また長い間の観戦疲れなのか昨夜は、トイレ起きも三度くらいで済んで、かなりぐっすり眠れた。熟睡の効果は、寝起きの気分を和らげている。
もう一つの15日間における大相撲のテレビ観戦にあっては、きのうの千秋楽において、大関琴桜が初優勝で飾った。千秋楽の最後の取り組みは、共に大関で東西に分かれ、かつ13勝1敗で相対した琴桜対豊昇龍戦だった。豊昇龍は二度目、大関になっては初優勝を狙っていた。琴桜(佐渡ケ嶽部屋・二十七歳)は、先大横綱・亡き祖父「琴桜」、そして現在の佐渡ケ嶽親方、元関脇「琴の岩」を父親とする力士である。今場所の優勝から繋がり来場所は、「綱取り・横綱」へ向かうという。まことに晴れがましい琴桜の初優勝だったのである。
この二つのテレビ観戦を見終えて、きょうからわが日常が始まることになる。11月は残りの今週が過ぎると、来週からことしの最終月・12月に入る。二つのテレビ観戦を終えて私は、寂しさと侘しさつのる、ダブルの心象に脅かされる年の瀬を迎えることになる。しかし自然界は、わが切ない気分などつゆ知らず、冬空の満天に真っ青の日本晴れを輝かしている。いや自然界はありがたいことに、わが切ない気分を宥(なだ)め賺(すか)している。
草臥れ儲けかな?……
十一月二十四日(日曜日)。定時より二時間ほど遅い起き出しをこうむり、気が焦っている。すっかり夜が明けた、朝の天気模様にある。冬空には雨なく、地上は強風に晒されている。このところは朝だけでなく日中にあっても、強風が吹き荒れている。そのおかげで私は、道路の掃除を免れている。寒さが身に堪える冬の日における、僅かばかりの利得である。
きのうは、土曜日と重なる「勤労感謝の日」(十一月二十三日)だった。職業(労働)を離れた私の場合は、ひたすら人様の勤労に感謝するのみで、自分自身は日本社会のお邪魔虫さながらである。それでもやはり、人様の労働のありがたさは身に沁みており、あまねく感謝せずにはおれない。執筆時間の制限時間を取っ払って以降の文章はだらだらと長くなり、ご常連の人たちには読みにくさをおかけして、自分自身には草臥(くたび)れ儲けのところがある。だからきょうは遅い起き出しのこともあって、短い文章で済ますつもりでいる。しかしながら書き殴りの文章の停車場は、もとより自分自身も知るよしない。だったらやはり、このところの文章の流れから、昨夜の「WBC12」(野球の国際試合)の結果だけは、記して置かなければならない。
昨夜の試合はスーパーラウンドにおける第三戦(最終戦)、日本代表チーム・侍ジャパン対台湾代表チームだった。すると、スコア(得点)九対六で、日本が勝利した。この結果、きょうには優勝決定戦と三位決定戦が行われて、今回のすべての試合は閉幕する。ところが、優勝決定戦および三位決定戦共に、きのう試合とまったく変わらぬチーム同士であり、すなわちこうである。優勝決定戦は日本対台湾、そして三位決定戦はアメリカ対ベネズエラである。奇しくもこんな変てこりんな組み合わせになったのは、「WBC12」の規定であり、私が目を剥いてじたばたしたところで、どうなることでもない。だから私は、きょうもテレビ観戦にありついて、侍ジャパンの優勝を願うのみである。続いていたテレビ観戦が閉じることには、一抹どころかかなりの寂しさつのるものがある。その一方ではテレビ観戦を終えたのちの、就寝時間の遅さを免れるところはある。昨夜は十二時過ぎの就寝に見舞われた。今夜の試合は優勝決定戦でもあり、勝敗の余韻を引きずり、また就寝時間は遅くなりそうである。
きのう書いた文章にもあるけれど、開催中の「大相撲九州場所(福岡)」は、きょうは千秋楽である。そしてこの優勝決定戦は、どちらも十三勝一敗の成績を引き下げて、東西の大関同士、琴桜対豊昇龍である。琴桜は初優勝、豊昇龍は二度目、大関では初優勝。こちらのテレビ観戦には就寝時間の遅さによる寝不足は免れるけれど、やはりテレビ観戦の終息には寂しさつのるものがある。書き殴りはまたもや、わが意に逆らって長くなっている。ゆえに大慌てで、ここで結文にするものである。
冬空の日本晴れは汚れ無く、胸の透く真っ青である。こんな文章、草臥れ儲けかな?……。
二つのテレビ観戦
「勤労感謝の日」(十一月二十三日・土曜日)。勤務の身の人にとっては悔しい、土曜日と国民休祭日との重なりにある。ほぼ定時の起き出しだけれど、夜長にあっては未だ、夜明け模様を知ることはできない。なんだか、夜長どきの決まりきった表現の繰り返しにある。しかしながらこの表現は、省みることなくまだこの先へ続きそうである。
起き立ての私は、心中にこんな思いを浮かべていた。
「俺は死に際になってまで、わが人生の悔いごとを浮かべている。究極のマイナス思考は、わが心の襞(ひだ)に張り付いている。なさけないわが人生である。たとえ嘘っぱちでも格好つけて、『わが人生に悔いはなし』」と嘯(うそぶ)いて、死線へ赴(おもむ)くべきであろう」。
ところが一方では、こんな思いが充満していた。
「片田舎生まれの洟垂れ小僧が、よくも八十四歳まで生き延びて、都会生活をまっとうしている。案外、俺は幸せ者なのかもしれない」。
起きてネタがないと、なんだかんだを書いて、文章を埋めなければならない。すると、いつものように平に詫びるところである。
起き立ての私は、両耳には補聴器を嵌めている。しかしながらこの時季にあっては、ウグイスの声はもとより、山鳥の鳴き声は聞けない。山に、フクロウはいない。ところがこのところ、茅ヶ崎市、藤沢市、逗子市、葉山町、そして鎌倉市の山場には、サルが出没しているという。そのため、それぞれの市の広報では、警戒警報(注意)が呼びかけられているという。
しかし、サルはわが家近くの山にはいないだろう。ただ、懸念するところはある。このところ、わが家の庭中にウロチョロするリスの数が減っている。リスはサルの出没に怯(おび)えて、どこかに隠れたり、あちこちへ逃げ回っているのであろうか。現在は、山からの鳴き声や音は一切なく、風の音だけが戸袋に置く雨戸を叩いている。
ようやく書きたいこと、いや書かなければならないことへたどり着いた。昨夜の「WBC12」(野球の国際試合)・スーパーラウンド第二戦、日本代表チーム・侍ジャパン対ベネズエラ代表チーム戦は、九対五で日本が勝利した。前日のアメリカ戦に続いて侍ジャパンは2勝して、きょうの第三戦(最終戦)では、台湾代表チームと戦うこととなる。そして、日程的にはあした(二十四日・日曜日)が優勝戦と三位決定戦となる。
昨夜の試合は十一時過ぎに終了し、そのためテレビ観戦を続けていたわが就寝時間は、十二時前になっていた。こののち、テレビ観戦のために就寝時間が遅くなりそうなのはきょうと、侍ジャパンが運よく決勝へ向かえば、あしたの二日間になる。野球のテレビ観戦の愉しみが消えるのは残念だけれど、就寝時間は元に戻ることとなる。
こんな状態にあっては、「痛しかゆし」という、言葉は適当(使える)だろうか。生涯学習には難易差はなく、きわめて日常語にもかかわらず私は、机上に置く電子辞書を開いて、わが知識への補充を試みた。
現在、テレビ観戦中のものには、「大相撲九州場所(福岡)」がある。ところが、こちらも「WBC12」と軌を一にして、きょうは十四日め、あすは千秋楽である。わが好むテレビ観戦が共に、終了することには寂しさつのるものがある。わがテレビ観戦は、試合や取り組みだけに限るものではなく、球場内や館内の観客の姿を見る愉しみもある。テレビ映像は、留まることを知らず鮮明度を増し続けている。私は観客の姿を見ながら、その恩恵を貪(むさぼ)り続けているのである。わが欲深い、二兎を追うテレビ観戦の仕方である。
夜が明けている。強風吹き荒れる、鉛色の冬空に、日本晴れの兆しがチョロチョロ見え始めている。
言葉
十一月二十二日(金曜日)。定時(五時)よりかなり遅い起き出しをこうむり、気が焦っている。すっかり、夜が明けている。雨の無い冬空の夜明けである。焦りの気分にネタ探しの迷いが加わり、焦りは弥増(いやま)している。するときょうは、みずからの文章はほどほどにして、多くはスマホの記事を引用しようと、思っている。まるで、コソ泥の心境にある。
きのうの「WBC12」(野球の世界大会)・スーパーラウンド第一戦、日本代表チーム・侍ジャパン対アメリカ代表チーム戦は、侍ジャパンが9対1で圧勝した。優勝に向けて、侍ジャパンは幸先の良いスタートを切ったのである。
私は学童の頃より野球好きである。「好き」という言葉は、あらゆる物事に共通し普遍的であり、きわめて重宝する言葉である。まさしく、アイ、ラブ、ユウ(物事)である。ところが、好きを外来語(主に英語)で表されるようになると、スポーツ競技などでは好きという言葉は遠のいて、野球ではファン、サッカーではサポーターなどが混み入ってきた。馴染みのある、ファン一辺倒でよさそうである。確かにファンは、心地良い共通語ではある。「ファン:特定の人や事象に対する支持者や愛好者のこと」。だから、「私は大相撲ファンです」と言っても、人様から眉を顰(ひそ)められることはない。もとより、大相撲は世界のスポーツ(各競技)とは出所が異なり、日本誕生である。ゆえに、大相撲界特有(特異)の言葉が内在している。今さらスマホにすがることもなく、すでに知りすぎているけれど、きょうはネタ切れにともない、二つの言葉をスマホ片手におさらいするものである。
【タニマチ】「相撲界の隠語で、ひいきの力士を無償で援助する、個人的スポンサーをさします。力士を食事に連れて行ったり、金銭的な援助をする存在です。『タニマチ』という語源は、明治時代に大阪・谷町筋にいた相撲好きの医師、薄恕(すすきじょいち)一氏に由来しています。薄氏は、相撲部屋の宿舎が集まる大阪の谷町で外科病院を開業し、力士を無料で治療したり、土俵を作ったりしていました。力士たちから慕われ『タニマチ』と呼ばれ、そこから広く後援者をタニマチと呼ぶようになりました。現在では力士だけではなく、他のスポーツ選手や芸能人にもタニマチがいます」。
【好角家】「角力(すもう)を好きな人のことを意味する慣用句です。相撲(角力)は古くからあり、ファン(fan、熱心な愛好者)という言葉が認知される以前は、一般的に『相撲(角力)好きの人』を好角家と呼称していました。昨今では『相撲ファン』という言葉で通じることが多くなっています」。
なんだか、二日続いてだれも読まない長い文章を書いてしまった。またまた平に詫びるところである。だんだんと遠のいて行く生涯学習には、切ない思いがつのるばかりである。気分晴らしは、朝にかけて照り始めている胸の透く日本晴れである。