ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

切ない「柿談義」

 十月十二日(月曜日)、飛びっきり暖かい秋の夜長に身を置いている。いつもの倣(なら)いにしたがって、パソコン上に表示のデジタル時刻を見れば、3:21と印されている。私は二時半近くに起き出して来た。これまたいつものようにすでに、メディアの配信ニュースの主なところを読み終えている。幸いにも心中を脅かす大きなニュースはない。台風十四号にかかわるニュースも、後追いなく途絶えている。明るい話題で目を留めたものには、京都が世界一魅力のある都市という記事があった。京都は昨年の二位から一位へ躍り出て、一方東京は、一位から六位へ沈んだという。
 台風十四号は恐れていたけれど、わが家を含めて総じて神奈川県は、大過なく去った。その後にはいっとき、台風一過の秋晴れに恵まれた。待ち望んでいた、久しぶりの胸の透く秋晴れだった。待ってましたとばかりにきのう(十月十一日・日曜日)の私は、胸躍る思いに引かれて、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。街へ足を踏み入れて真っ先に驚かされたことは、繰り出していた人出の多さだった。わが定番コースの店のどこかしこに、買い物客がごった返していた。まるで、新型コロナウイルスの感染恐怖など過ぎ去ったかのような光景に、私は度肝を抜かれた。確かに私自身、その光景の一員を成していた。
 この光景にわが思いを映して、こう考えた。すなわち、この人出の多さは台風予報に足止めを食らい、そのうえに日曜日が重なったせいであろう。この証しは、どこの店でも見られた。それは普段はあまり見られない若い夫婦や、家族連れの買い物客の多さだった。
 私はいつもの買物用の大型リュック、さらにはレジ袋に代えて持参の買い物袋に、はち切れるばかりに品々を詰めて帰宅した。買い物の品には果物の場合、この日から蜜柑に新たに柿が加わっていた。そして、夫婦共に大好物の柿の、試し食いをした。現在、わが夫婦は共に歯を損傷しており、恐るおそる柿が食えるかどうかのテストを試みたのである。いつもであれば皮を剥いて齧(かぶ)りつく私も、包丁で薄く裂いて神経を尖らして口中に差し込んだ。それでも私は、「もういい、参った」、とは言わなかった。ところが妻は、早々に音を上げて、
「パパ。わたし、食べられないわ。パパ、柿はもう買ってこなくていいわよ!」
 と、言った。私にすれば好きなものを諦めろ! という、最後通牒を受けた思いだった。それゆえに、抵抗を試みた。
「そうか。それでもおれは食べたいから、たまには買うよ。おまえには、熟れた柿(熟柿)でも買ってくるよ」
 仕方なく相和して、「切ない柿談義」の矛(ほこ)を納めた。それでも、夫婦して実りの秋のイの一番の愉しみを失くした思いだった。
 台風一過のわが家の柿の木には、葉っぱのすべてを飛ばし枝に、五個の柿が台風に逆らい生っていた。私はそれらを千切り、その一つを果物包丁で薄っぺらに切り、これまた恐るおそる口中へ運んだ。いつもの美味しい味覚に加えて、切ない愛(いと)おしさがつのっていた。

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