ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

令和三年「節分」

 寝ていても汗をかき、たまらず起き出して来ても、汗があふれている。現在の私はいまだ寒中にあって、異様に暖かい夜のたたずまいの中に身を置いている(2:32)。だからと言って私は、暖かさを素直に喜んではいない。いやむしろ、大きな不安をおぼえて、冷や汗まみれになっている。それにはとうにこの世にいない、義母のこの言葉がよみがえっているせいである。それは、「関東大震災(大正十二年・一九二三年、九月一日)が起こる前は、異様に暖かかったのよ」、という言葉である。忌まわしい出来事の再来は、御免こうむりたいものである。いや、この暖かさは、飛んでもない自然界の恩寵(おんちょう)なのであろうか。確かに、季節は嘘を吐かない証しではある。
 きょうは、令和三年(二〇二一年)の「節分」(二月二日・火曜日)である。ところが、毎年一定日(二月三日)としてカレンダー上に記されてきた日とは異なり、今年にかぎり一日早く記されている。この理由を知らなければ、面食らうところである。すると、きのう(令和三年・二〇二一年二月一日)付け朝日新聞朝刊、コラム『天声人語』の中で、こう記されていた。「今年の節分はおなじみの三日ではなく、あす二日。一年が三六五日ぴったりではなく六時間ほど長いため、立春の前日である節分もずれる年がある。前回、二日になったのは明治三十年。実に一二四年ぶりのことだ」。
 新型コロナウイルスの感染者数は、きのうあたりからいくらか減少傾向になりつつある。しかし、まだまだオチオチできない。異変なき節分を望むところである。きのうに続いて、ヨロヨロと書いた。もちろん、再始動の文章とはなり得ず、あすの「立春」(二月三日)へ繋がる保証はない。春の訪れのせいならいいけれど、いや、こころもとない駄文を恥じて、汗が噴き出している。妻には、買い置きの「福豆」を私にぶつける気力はない。例年のように逃げ惑うことができないことには、つらくて悲しい思いが満杯である。幸運を願掛けても、ちっとも当てにならない恵方巻は、むなしくおあずけである。

私は弱虫

 能力無く惰性にすがり、いたずらに書き続けてきた。すると、ちょっと躓(つまず)くとたちまち頓挫した。一月は棒に振った。そのため、意識して月替わりを待っていた。二月一日(月曜日)、現在のデジタル時刻は、夜中の1:57と刻んでいる。梅の花が綻(ほころ)ぶ、早春の到来である。確かに、きのうに比べて寒気は、体感的に緩(ゆる)んでいる。寒気に極端に弱い私には、この上ない自然界からのうれしいプレゼントである。過ぎた「大寒」(一月二十日)あたりを寒気の底に、季節は確かな足取りで春へ向かっている。あすは例年にない早い「節分」(二月二日)である。もちろん明ければ、「立春」(二月三日)である。三寒四温は、春へ向かう季節の足取りである。
 この文章に、いまだ再始動を託すことはできない。しかし、わが息災の証しとして、怖々(こわごわ)と書いている。実のところは、掲示板へ訪れてくださる各位様から賜っている心配や好意にたいして、梨の礫(つぶて)では居たたまれなくなっているからである。妻が突然、腰の傷みに襲われて、わが家そしてわが日常生活は、様変わりをこうむっている。その対応における明け暮れは、いまだに緒に就いているばかりである。みずからの健康だけで、人生行路は「楽ちん」とは言えない。夫婦そろって、「偕老同穴」(かいろうどうけつ)を叶えてこそ、「楽ちん」である。異変に挫(くじ)けている私は、虫けらにも及ばない弱虫である。

抗(あらが)えようない難局(戦い)

 新型コロナウイルスとの戦いは、真犯人と言える加害者がいなくて、みな一様に被害者である。だからこの戦いは、困難を極めている。感染しないようにみずからに打ち克つしか、この戦いの勝利はない。言わば、世界中のだれしもが直面している個人戦と言えそうである。
 一月九日(土曜日)、三連休初日にあって寒いなあー(4:09)。日本国内にあっては、新型コロナウイルスへの感染恐怖のみならず、多雪地方の雪の降りよう、かつ積もりようが、限りなく気に懸かる。

戦う意志を固めている

 人間の知恵、意志、そして連帯(力)が試される時がきた。戦争とは違って仲間と殺し合う必要はなく、このことではまったく後ろめたさはない。武器なく知恵で、人間こぞってウイルスを防ぐ戦いである。もちろん、老若男女のすべてが人間の誇りを保つ戦いである。だから、勝たねばならない。一都三県は、きょう(一月八日・金曜日)から来月(二月)七日までの一か月間、再度の「緊急事態宣言」期間に突入である。

『七草』

 日々、自粛と怯えまみれの世の中になりました。「七草」(一月七日・木曜日)、3:00です。

人みな、人生苦

 年変われど、虫けら、鳥、魚、あまねくその他の生きもの同様に、習性にしたがってほぼ同じ時間帯に目覚めて起き出しています(3:06)。このところ寒い日、冷える夜が続いています。ほとほとつらく、バカげた習性です。おのずから、行動的には自粛、巣ごもり、蟄居、精神的には気鬱症状の日常生活をこうむっています。言うなれば心身ともに、開放感の無い抑制生活に甘んじています。書くまでもないことを書いたのは、手持ち無沙汰の時間をちょっとだけでも埋めるためです。もちろん、気狂いはしていません。人生苦に、脅かされているにすぎません。われのみならず、人の世はみな、人生苦まみれです。新年に相応しくない文章を書き初めにして、詫びる気持ちいっぱいです。

「箱根駅伝」

 三が日にあってきょう二日は往路、そしてあす三日は復路、「箱根駅伝」のテレビ観戦日です。号砲、待ち遠しくて眠れません。ステイホームにあって、巣ごもりの愉しみです。

新年、元旦

 令和三年(2021年)が明けました。ただ、個人生活、社会生活、共に厳しい一年が予測されています。

除夜の鐘

 寒波の予報の下、大晦日(木曜日)を迎えています。今年・令和二年(二〇二〇年)一年、お世話さまになりました。各位様にはつつがない越年を希望いた
します。

休みます

 わが能力をはるかに超えて、長く書いてきました。くたくたに、疲れました。