ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

秋の夜長の恩恵

 「ひぐらしの記」は、大沢さまから「前田さん。何でもいいから、書いてください!」と、言われて誕生した。すなわち、「ひぐらしの記」は、大沢さまのご好意にさずかり生まれた。実際にもその言葉に救われて私は、何でもかんでも書いてきた。その挙句に私は、生来の三日坊主には思い及ばない継続にありついた。文章の出来はさておいて、継続の叶えである。
 あり得ない想念すなわち絵空事(えそらごと)をめぐらせば、「三日、三月、三年、するが辛抱!」と、人生訓を垂れていた母は、野末の草葉の陰でひそかに褒めているだろう。もちろん、そんなことはあり得ない。しかしながら私は、文章を綴りながら同時に、母の面影を浮かべては継続への支えにしてきた。文化・教養とはまったく無縁の母は、唯一、大家族を支える術(すべ)にだけは長(た)けていた。水車を回し精米業を兼ねて農家を生業(なりわい)とする母は、物心つき始めの私にたいして、二つの人生訓を諭(さと)し始めた。一つは先に記したものであり、一つは「楽は苦の種、苦は楽の種」である。つまり、どちらも「しずよし、辛抱せよ!」との人生訓である。思えば母は、早々とわが三日坊主の性癖(悪癖)を見抜いていたのであろう。
 母の愛とは、桁外れに深いものと思うところである。それでも私は、わが人生八十年においては、さまざまなところで三日坊主を繰り返し、悉(ことごと)く母が垂れた人生訓に背いてきた。このことを思えば、大沢さまをはじめとしてご常連各位様の支えと励ましを得て続いてきた「ひぐらしの記」は、オマケに母の人生訓に報いたものでもある。言うなれば「ひぐらしの記」は、人様のご好意で継続が叶い、同時に母の愛に報いたわが望外の傑作である。もとより傑作とは、文章の出来を言うのではなく、三日坊主に耐えたことをちょっぴり自惚(うぬぼ)れて、手褒めの寿(ことほ)ぎにすぎない。
 このところの私は、執筆には有り余る秋の夜長に手を焼いてきた。ところが、きょう(十月十五日・木曜日)の私は秋の夜長にあって、あけすけにこんな迷い文を書く幸運に恵まれた。ずばり、ネタ不足を免れた、一文と言えそうである。現在、パソコン上のデジタル時刻は4:41である。夜明けいまだの薄暗い中にあって、道路の掃除を敢行している。今朝も、夜明けを待たずに掃除にありつけそうである。母の人生訓とはいくらかずれているけれど、箒を這わすわが姿をチラッと目にすれば、坊主から禿げに変わったわが頭を撫でなでして欲しいものである。
 きょうにかぎれば、何でもかんでも瞑想(迷想)に耽(ふけ)れる秋の夜長のおもてなしと言えそうである。しがない現実に返ってきょうは、隔月に訪れる国民年金支給日である。母恋物語より牡丹餅(お金)とは、なんだか切ない。それでもきょうの私は、またとない秋の夜長の恩恵にとっぷりと浸っている。

睡魔の元凶、あれこれ

 (なんだかなあー…)、押印(ハンコ)不要施策が、菅政権のスタート時の目玉のようである。十月十四日(水曜日)、現在のデジタル時刻は2:46と刻まれている。秋の夜長にあってこのところは、まるでハンコを押したかのようにこの時間帯の前後に起き出して、パソコンに向かっている。この先、こんなことが定着すればと、このところの私は、少なからず気を揉んでいる。なぜなら、早起きのせいかこのところの私は、夕方あるいは夕食を摂った後に、早々と睡魔に襲われている。もちろん、(まだ早いよ!)と気張って、睡魔を抑え込んでいる。しかし、だんだん敵(かな)わなくなりつつある。
 早い睡魔の暴れ出しの誘因を浮かべてみた。真っ先には、常態化しつつある早起きを真犯人に見立てている。次に浮かぶのは、八十歳を超えて先へ向かっている年齢の仕業かと、思うところがある。そうであれば早い睡魔の現象は、もはやこの先避けられず、いっそう加速するばかりである。しんがりに、いやこれが真犯人だ! と、思うのは、身辺整理にともなう心労のせいであろう。実際のところ身辺整理は、いまだごく身辺の手始めにすぎない。それなのに、こうまで心労をこうむり眠気を催すようでは、それこそこの先が思いやられるところである。その挙句わが死因には、「身辺整理の疲れ」と、書かれそうである。現在の私は、なまぬるい身辺整理というより、死に支度を急いでいるようでもある。そうであれば支度などほったらかしにしていても、やがては必ず訪れることだから、日々心労にとりつかれてまで、急ぐこともないだろうとは思っている。つまり、身辺整理を止めないかぎりは、この先にはなおいっそう睡魔の暴れをこうむりそうである。それほどに身辺整理とは、身体と精神共に、かぎりなく堪えるものである。そうであれば望むことは、身辺整理などには意を留めず、「ピンピンコロリ」を願うところである。
 わずかに三十分足らずの、秋の夜長の殴り書きである。かたじけなく思いつつも文章を閉じて、この先は夜長に耽り、悶々と夜明けを待つこととする。こんな駄文が継続文をなすのは、ほとほと木っ端恥ずかしい思いでいっぱいである。睡魔にかこつけた実のない継続文は、睡魔以上にわが身に堪えている。

命、考える夜長

 十月十三日(火曜日)、台風十四号が去った後には日中の秋晴れと、秋の夜長における飛んでもない暖かさが訪れている。台風十四号はおおむね大過なく去った。それでも、被災地や被災者は存在する。それらの人たちにはきわめて噴飯物だけれど、秋晴れと暖かさは台風十四号のおもてなし、すなわち小粋な罪の償いと思うところがある。気象庁によればそののち、すでに台風十六号が発生しているという。台風シーズンにあっては、まだまだのほほんとはしておれないところである。
 現在、パソコン上のデジタル時刻は2:20である。いつものようにパソコンを起ち上げると、私はメディアが報じるニュース項目に目を凝らした。それらの中にあっては、新型コロナウイルスの蔓延という時節柄にあってか、私はひときわこの記事に目を留めた。日本社会にとっては、もちろんありがたくない現下の世情の一つである。
 【9月の自殺、昨年比8%増…女性は28%増】(10/12・月曜日、20:04配信 読売新聞オンライン)。「9月の全国の自殺者は速報値で1805人に上り、昨年の同じ月と比べて8・6%(143人)増えたことが、12日、厚生労働省と警察庁の集計で分かった。女性は27・5%増えており、さらに8月をみると、20歳未満の女性(40人)が前年同月(11人)と比べて4倍近くに増えていることも判明した。厚労省は『新型コロナウイルス感染拡大の影響で女性や若者を中心に生活リズムが変化した。不安を独りで抱えこまず、メールやSNS、電話などで相談してほしい』と呼びかけている。自殺者の総数は近年、減少傾向だったが、今年7月は対前年比で増加に転じた。女性は7~9月の3か月連続で600人を超え、7月は15・6%増、8月も40・3%増となっている。」
 この記事は、数値で示された日本社会の生き難い証しであろう。一方で日本政府は、「GO TO トラベルキャンぺーン」の盛り上がりで、当初の政府予算が不足して、追加予算を講じるという。(なんだかなあー)、私には「強気(金持ち)を助けて、弱気(貧乏人)を見捨てる」という、虚しさを感じるところもある。
 これまでのわが夫婦は、インフルエンザの予防注射とはまったく無縁に過ぎてきた。それでも共に、インフルエンザの罹患を免れてきた。ところが共に、今年は早々とインフルエンザの予防注射の初体験を済ましている。しかしながらこれで、罹患を免れる気持ちにはなれていない。いやいや案外、初めてインフルエンザに罹るかもしれない。得てして物事には、こんな矛盾が付き纏っている。
 昨年の二つの大きな台風、すなわち「令和元年房総半島台風」(九月九日)、そして「令和元年東日本台風」(十月十二日)の復旧は、今なお置き去りにされたままである。人は、生き続けることに汲々としている。そのため、日本政府が「GO TO 何々キャンペーン」に自画自賛を決め込むのは、私には心して慎むべきと思うところである。
 秋の夜長にあって、短い走り書きで文を結ぶことでは、夜明けまではなお長い夜となる。すると、二年前から空き時間の埋めにしている、英単語の復習で有り余る時間を埋めるつもりでいる。わが身に照らせば三度の飯を食うのは易しいけれど、生き続けることはほとほと難しいところがある。人みなに、共通するところであろう。そうであれば生きることにこそ、自己責任とは言わず、何らかの「GO TO LIVE(生きる手だて)キャンペーン」が欲しいところである。秋の夜長にあって、わが気迷いは果てしない。

切ない「柿談義」

 十月十二日(月曜日)、飛びっきり暖かい秋の夜長に身を置いている。いつもの倣(なら)いにしたがって、パソコン上に表示のデジタル時刻を見れば、3:21と印されている。私は二時半近くに起き出して来た。これまたいつものようにすでに、メディアの配信ニュースの主なところを読み終えている。幸いにも心中を脅かす大きなニュースはない。台風十四号にかかわるニュースも、後追いなく途絶えている。明るい話題で目を留めたものには、京都が世界一魅力のある都市という記事があった。京都は昨年の二位から一位へ躍り出て、一方東京は、一位から六位へ沈んだという。
 台風十四号は恐れていたけれど、わが家を含めて総じて神奈川県は、大過なく去った。その後にはいっとき、台風一過の秋晴れに恵まれた。待ち望んでいた、久しぶりの胸の透く秋晴れだった。待ってましたとばかりにきのう(十月十一日・日曜日)の私は、胸躍る思いに引かれて、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。街へ足を踏み入れて真っ先に驚かされたことは、繰り出していた人出の多さだった。わが定番コースの店のどこかしこに、買い物客がごった返していた。まるで、新型コロナウイルスの感染恐怖など過ぎ去ったかのような光景に、私は度肝を抜かれた。確かに私自身、その光景の一員を成していた。
 この光景にわが思いを映して、こう考えた。すなわち、この人出の多さは台風予報に足止めを食らい、そのうえに日曜日が重なったせいであろう。この証しは、どこの店でも見られた。それは普段はあまり見られない若い夫婦や、家族連れの買い物客の多さだった。
 私はいつもの買物用の大型リュック、さらにはレジ袋に代えて持参の買い物袋に、はち切れるばかりに品々を詰めて帰宅した。買い物の品には果物の場合、この日から蜜柑に新たに柿が加わっていた。そして、夫婦共に大好物の柿の、試し食いをした。現在、わが夫婦は共に歯を損傷しており、恐るおそる柿が食えるかどうかのテストを試みたのである。いつもであれば皮を剥いて齧(かぶ)りつく私も、包丁で薄く裂いて神経を尖らして口中に差し込んだ。それでも私は、「もういい、参った」、とは言わなかった。ところが妻は、早々に音を上げて、
「パパ。わたし、食べられないわ。パパ、柿はもう買ってこなくていいわよ!」
 と、言った。私にすれば好きなものを諦めろ! という、最後通牒を受けた思いだった。それゆえに、抵抗を試みた。
「そうか。それでもおれは食べたいから、たまには買うよ。おまえには、熟れた柿(熟柿)でも買ってくるよ」
 仕方なく相和して、「切ない柿談義」の矛(ほこ)を納めた。それでも、夫婦して実りの秋のイの一番の愉しみを失くした思いだった。
 台風一過のわが家の柿の木には、葉っぱのすべてを飛ばし枝に、五個の柿が台風に逆らい生っていた。私はそれらを千切り、その一つを果物包丁で薄っぺらに切り、これまた恐るおそる口中へ運んだ。いつもの美味しい味覚に加えて、切ない愛(いと)おしさがつのっていた。

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