ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

それぞれの夜明け

 1月27日(月曜日)。デジタル時刻は5:16と刻んでいる。夜明けは早くなり始めていても、未だ夜明け前にある。季節は三寒四温を繰り返し、確かな春へ向かっている。さしずめきょうは「温」にあたるのであろうか。寝起きの身体に、寒気は緩んでいる。きょうのわが行動予定には、予約(午前10時)の歯医者通いがある。ゆえに現在、心急くところがある。このこともあってきょうは、メディアが伝える記事を引用し、わが記憶に留めるものである。悪しからずまずは、平に詫びるものである。
 さて、きのうの千秋楽における優勝を決める「巴戦(3力士、豊昇龍、王鵬、金峰山)」は、感涙を呼ぶ熱戦だった。
 【大関・豊昇龍が意地の逆転V! 優勝決定ともえ戦を制し綱取りかけた初場所で2度目の賜杯 綱取りへ望みつなぐ。1/26(日)17:40配信ABEMA TIMES】。「大関・豊昇龍(立浪)が意地の逆転優勝だ。2敗で単独首位を走っていた前頭十四枚目・金峰山(木瀬)が、3敗をキープしていた前頭三枚目・王鵬(大嶽)に本割で敗れたため、同じ3敗だった豊昇龍を含め、2022年11月場所ぶりの優勝決定ともえ戦が行われる運びに。豊昇龍は見事そこで金峰山、王鵬を破って2連勝を飾り、劇的な逆転Vで2度目の賜杯を抱いて綱取りに望みをつないだ」。
 3力士にはそれぞれにエピソードを付加しなければならない。なぜなら、そのことでわがテレビ観戦は、余計に興趣の坩堝(るつぼ)に嵌っていたのである。豊昇龍(立浪部屋)25歳、モンゴル出身。叔父は、元横綱朝青龍で甥っ子にあたる。豊昇龍は今場所の優勝でほぼ新横綱誕生を手中に収めて、叔父・甥共に横綱を張ることになる。王鵬24歳、東京都出身。祖父にはかつての名横綱大鵬を持ち、父には元関脇の貴闘力を持つ、相撲界のサラブレット。男子4兄弟にあって長兄はプロレスラー、そして二兄(納谷)、3男(王鵬)、4男(夢道鵬)の3人は現在、共に「大嶽部屋」(大鵬部屋直系)に所属する3兄弟力士。4男「夢道鵬」は今場所、幕下優勝を決めている。金峰山晴樹(木瀬部屋)27歳、カザフスタン出身、日大出身。金峰山は熊本県に所在する山。しこ名の由来は、11代木瀬親方・元幕内「肥後ノ海」が熊本県出身によるもの。さらに「晴樹」に関しては、肥後ノ海の日大相撲部において、同期だった成田晴樹さんに由来する。成田さんは元高校横綱であったが、在学中に死去されたという。巴戦におけるエピソードはこれである。豊昇龍と王鵬は共に同時に初土俵を踏んだ相撲界同期という。
 相撲のテレビ観戦は、様々なエピソードを携えていれば、興味津々尽きないものである。3力士それぞれに、うれし涙、かなし涙、つきまとう夜明けになりそうである。私の場合は、巴戦の感涙いまだ消えない夜明けである。歯医者通いはなさけない。

日本の国に報いる老婆心

 1月26日(日曜日)。壁時計の針は6時に近づいている。いまだに夜明け前だけれど、窓ガラスの外に雨はなく、風だけが強く吹いている。しかし、寒気は緩んでいて、身を縮めることはない。確かな足取りで、春の足音が近づいている。寒気に震えていたことを思えばわが寝起きの心境は、気分良く様変わっている。しかしながらこれは自然界の恵みのせいであり、私自身が成し得た好気分ではない。私自身は相も変わらず、こんな心境を携えて起き出している。私自身、妻、総じてわが家の終(しま)い方を案じて、日々心が安らぐことはない。いや、言葉を強めて言えば、日々、終い方の恐ろしさに憂(うれ)えている。
 もはや私は、日本の国のこの先の行きし方を案じる年齢ではない。わが死んだ先の日本の国は、どうなっても構わないとまでは思うはない。けれど、それに近い思いはある。このことでいくつか、寝起きの心中に浮かべていたものがある。真っ先の一つはこのことである。現下の日本社会には日本政府の施策もあって、「インバウンド」(訪日外国人観光・旅行客)が矢鱈と増えている。この先には、なおいっそう増え続けると予測されている。
 観光の見所やそれを外国人が愛(め)でてくれることには、日本人として私にも素直に喜ぶところはある。しかしながら一方、外国人が日本の国に定住することとなると、私はにわかに日本の国の行く末を案じて憂えている。昭和の人間・やはり私は、令和の世にあっては、料簡(了簡、了見)が狭いのであろうか。このことでは超絶な思い、すなわちかつての「鎖国時代」さえ偲ばれてくる。
 これに加えて、この先の日本の国を案じることにはやはり、「少子高齢化社会」と「格差社会」がある。老い先短い私がこんなことを慮って案じ憂えることは、確かに愚の骨頂である。なぜなら、翻ってわが身の周りには、嘆き危惧することが溢れている。それでも真っ先に日本の国の行く末を案ずるのは、長く住んでいることに報(むく)いる老婆心(ろうばしん)の発露であろう。杞憂(きゆう)にすぎないことを願うのみである。満天、日本晴れの朝が訪れている。

わが自然界礼賛に背く、人間社会の犯罪の多発

 1月25日(土曜日)。現在、デジタル時刻は、6:11と刻んでいる。しかしながらまだ、夜明け前にある。だけど、この文章の中頃には、白々と夜が明けてくる。昨年の「冬至」(12月21日)から一か月余が過ぎて、視覚的にも体感的に日長を感じ始めている。具体的には夜明けが早くなり、日暮れが遅くなり始めている。加えて昼間の陽射し(日光)は、暖(だん)を帯び始めている。わが自然界崇拝や礼賛にあっては、掛け値なしに「太陽(日光)」こそ、その筆頭を成している。
 きのうの私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。もちろん用件は買い物である。出だしは、寒気を恐れての買い物だった。ところが案じることなかれ、陽射し(日光)の暖かさに恵まれて、体じゅうが汗ばんだ。わが気分は、はしゃいだ。自宅へ戻るとテレビは、石破総理の施政方針演説の場面を映していた。演説の根幹(キャッチフレーズ)には、「楽しい日本」が掲げられていた。確かに、そうありたいと思う。ところが、天邪鬼のわが心中には、(犯罪のない日本)がいいのではないかという、思いが浮かんでいた。もちろん、石破総理の演説にケチをつけたり、当てこすりをするものではない。けれど、このところの日本社会は、頓(とみ)に犯罪社会の様相を呈している。中でも直近の出来事で頻発しているのは、見知らぬ人が出遭いがしらに、見知らぬ人を殺傷する「通り魔事件」の多発である。まさしく、身近なところで起きている犯罪の恐怖である。このところ、これに限ることなく日本社会には、事件をはじめとする様々な犯罪が頻発している。被害当事者はもちろん、これらのニュースを聞くたびに日本国民は、犯罪の恐ろしさに怯(おび)えている。だから、「楽しい日本」を為す先駆けには、「犯罪のない日本」が妥当と言えそうである。
 きょうは出合がしらにこのことを書いて、文章を閉じるつもりである。おやおや、中頃はとうに過ぎている。夜明けが早まり、薄々と明るみ始めている。風雨なく、いや寒気は和らいで、雲隠れの太陽(日光)の恵みにさずかっている(6:56)。

日米の殿堂で輝く「イチロー」

 1月24日(金曜日)。寒気が緩んでいる。きょうは自分自身の記憶のため、メディア記事を全文引用するものです。初の米野球殿堂入り!資格初年度で日米“同時殿堂入り”の快挙、満票まで“1票”届かず得票率99.7%1/22(水) 8:17配信TBS NEWS DIG Powered by JNN。2025年の米野球殿堂入りが日本時間22日に発表され、資格1年目のイチロー氏(51、マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)が、栄えある日本人初の殿堂入りを果たした。
 【会見ノーカット】イチロー満票での殿堂入りはならずも「1票足りないっていうのは、すごく良かった」大リーグ・専門局『MLBネットワーク』の番組内で発表され、米国野球殿堂博物館のジョシュ・ラウィッチ館長が殿堂入り選出者をアナウンス。MLB史上2人目、さらには野手史上初の“満票”での殿堂入りが期待されたが、2020年のデレク・ジーター氏(ヤンキース)と同じく満票に“わずか1票”及ばず、得票率は99.7%だった。この日(現地21日)、シアトルで殿堂入り決定の電話を受けたイチロー氏。16日には日本での殿堂入りを果たし、その6日後に、日本人初、さらにはアジア人初となるMLBの殿堂入り。日米ともに資格初年度で“同時殿堂入り”の快挙を達成した。また、今年はイチロー氏をはじめヤンキースなどで活躍した通算251勝のCC・サバシア氏、通算422セーブを挙げたビリー・ワグナー氏(アストロズなど)が選出された。『MLBネットワーク』にリモートで生出演したイチロー氏は「僕がこの発表の場にいることも全く想像できなかったです。MLBでプレーすることすらできるのかどうかという議論がたくさんあったので。個人としてもそうですし、日本のプレーヤーとして初めてということで、大変光栄なことだと思ってます」と喜びをかみしめながら語った。「野球の魅力はもちろんゲームそのものにもあるんですけど、多くの人に出会えるということだと思います。出会いが自分を作ってくれる。自分を作ってくれたそれが何よりの財産であり、楽しいことと言えると思います」とイチロー氏らしく野球の魅力を伝えた。米野球殿堂入りは、メジャーで10年以上プレーした選手が引退から5年で資格を得る。2019年3月に現役引退のイチロー氏は、2024年に資格を獲得。全米野球記者協会に10年以上連続で所属する約400人の記者が投票し、有資格者(今年は28人)から最大10人まで投票可能で、75%以上の得票で殿堂入りとなる。イチロー氏は2000年オフにポスティングシステムでマリナーズに入団。以降、ヤンキース(12年夏~14年)、マーリンズ(15年~17年)でプレー。18年にはマリナーズに復帰して2019年に現役引退を迎えた。2001年のルーキーイヤーではいきなりシーズン242安打をマーク。日本人初の首位打者と盗塁王を達成し、MLB史上2人目となるリーグMVPと新人王のダブル受賞に輝いた。2004年にはMLBのシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新する262安打をマーク。20年を過ぎた現在もいまだ破られていない大記録となっている。殿堂表彰は1936年に始められ、24年まで選手としては275人が殿堂入り。過去に日本人選手は野茂英雄氏、松井秀喜氏が有資格者となったが、イチロー氏が日本人初の栄誉に輝いた。
 【イチロー氏 メジャーでの主な功績】■ルーキーイヤーで最多安打、新人王&リーグMVPを獲得(2001年)■メジャー新記録の年間262安打(2004年)■デビューから10年連続200本安打■史上30人目の3000安打(1900年以降では最年長)■日米通算4367安打の大記録■オールスターゲームで史上初のランニングHRでMVP(2007年)■初年度から10年連続ゴールドグラブ賞。

加速度を増して、衰えてゆくわが精神

 きのうの夕方にはJR長野駅前で、男性二人と女性一人が遭遇する通り魔事件があった。明けてきょう(1月23日・木曜日)の午前2時49分には、福島県会津地方を震源地とする最大震度5弱の地震が起きた。アメリカ・トランプ大統領は、「アメリカ第一主義」を声高(狂暴)に唱えて、世界の国々と人民を震撼させている。これらの恐怖とは別に人には、病をはじめとする様々な厄介な事情がある。ゆえにこの世で生き続けることは、雲を掴むほどに困難事である。挙句、生涯において(生まれてこなければよかった)と、思う人は星の数ほどにいる。私自身、これまでの人生行路においては、一度ならず何度かこんな思いに見舞われていた。しかしながら現在は、その思いから脱している。なぜなら、あえてそう思わなくても、間近に死期が迫っているからである。
 このところの私は、頓(とみ)に死期の近づき(意識)の渦中にある。その確かな証しには、もともと微々たる脳力(能力)の衰えをやけに自覚しているからである。もっと端的には簡易な日常漢字さえ、手書きできずに忘却が進むありさまである。これまでの私は、記憶力にはかなりの自信を持っていた。ところがもはやその自信はことごとく瓦解し、死期の訪れの自覚の因を為している。
 身体と精神の調和があってこそ、「人間の体(からだ)」である。私の場合、精神のほうが先に崩れかかっている。崩れてしまえばどっちもどっちだけれど、精神の早や崩れは残念無念である。「ひぐらしの記」の製本(単行本)は大沢さまのご好意で、直近で第94集を数えている。しかしながらこんな調子では、目標に掲げる100集はおのずから夢まぼろしとなる。私は命の刻み、いや日々縮まりの中で生きている。嘆くまい! 人間だれしも生きることは、外圧および内圧の渦の中である。そう思ってもやはり、私は嘆いている。
 夜明けはまだなく、なお長く迷想に更けそうである。デジタル時刻は、6:07と刻んでいる。継続文の足しに、何らかの表題は付けるつもりである。

出遭いのお世辞は、わが無償の処世術

 1月22日(水曜日)。現在、デジタル時刻は5:01。驚くなかれ、ほぼ決めている定時の起き出しにある。夜明けは早くなり始めているとはいえ、いまだ真っ暗闇である。いつも用意周到のネタなく、寝起きの心中に浮かんでいることを出まかせで書いている。だから文章の脈絡は、常にこんがらがっている。つくづく恥ずかしいやら、また哀れである。
 きょうの寝起きにあっては、こんなことが浮かんでいた。おとといになるけれど昼間、妻を伴い当住宅地内の道路をトボトボ歩いていた。すると、出会う人たちは自分らを含めてみな、ヨレヨレのお年寄りばかりだった。私は、その光景の寂しさに唖然とした。幸いにも朝夕に歩くと、いくらか異なる光景に出遭うことがある。すなわち、幼児の手をひいたり、猫を胸に抱いたり、犬をひいたりする、中年の人たち(主に女性)に遭遇する。それらは、散歩めぐりの人たちである。私は見知らぬ人であっても出遭えば一瞬立ち止り、あるいは行きずりに、ひと声「可愛いですね」と、呼びかける。すると、互いに笑顔がはじけて、短い会話になる場合がある。会話にはならなくても、「ありがとうございます」という、言葉が返ってくる。たちまち、道路上の二人の気分は和んでいる。
 もとより、「お世辞」と「からかい」は、まったく五感や意味を異にする。お世辞は人様との出会いを明るくするけれど、からかいは逆に暗くする。だから、こんなときの出会いに際しては、私は意図してお世辞を多用している。もちろん、幼児の姿には真摯に可愛さをつのらせている。ところが、猫や犬の姿には、多くはお世辞である。なぜならこのときの私は、お世辞の効用を決め込んでいるからである。もっと端的に言えば、こんなおりお世辞は、わが無償の処世術の一つである。
 私の場合、人間以外の生き物で好きと言えるものは、春先に庭中へ飛んで来る「メジロ」くらいである。猫や犬、いや愛玩動物(ペット類)のすべてを好きになれない。だから私には、猫と犬共に飼養(ペット)の埒外(らちがい)にある。しかし、これらを胸に抱いたり、引き連れて歩く人へ出遭えば、それらの姿に進んで、「可愛いですね」のひと声をかけている。散歩、行きずりの人との出会いは、多言を要せずこのひと言で十分である。なぜなら、犬や猫を仲介(出し)にして、人間同士のその場の気分が和むのである。きょうはこんなことを書いて、継続文の足しにするものである。
 きょうのわが予定には、予約(10時半)の歯医者通いがある。薄っすらと光の見えない夜明けが訪れている。寒気は緩んでいる。なぜ! 私は、こんな小難しい文章を書くのであろう。ネタの無い祟りである。

「大寒」過ぎて、確かな「春の足音」

 「冬至」と「夏至」は気象学的に、半年ごとの確かな季節の屈折点と言えそうである。一方、きのうの「大寒」(1月20日・月曜日)はこれらとは異なり、過去の気象データ上の季節変わりと言えそうである。浅学非才のわが下種の勘繰りゆえに、当たるも八卦当たらぬも八卦である。なぜなら、その証拠にきのうの大寒は、まるで寒気の底をあざ笑うかのように、このところで一番の暖かい陽射しが降りそそいだ。
 私は夜明け時のちょっぴりの小雨に遭い、予定していた通院行動を訝(いぶか)っていた。ところが、夜明け時が過ぎて朝になると、寒気はおろか雨も止んで、冬空特有の澄明な空から、暖かい朝日が射し始めた。思わぬ、天界の恵みだった。私は茶の間で相対していた妻に向かって、こう言い放った。
「雨は止んで、寒さもない、きょうは予定した『S医院』へ行くよ。診察は午前中だけだから、急いで支度してね」
「パパ。雨も寒さもないのよ。よかったね。すぐに、支度するわよ。遅いと、怒らないでよ!」
 結局、きのうは午前中に「S医院」への通院だけではなく、妻を連れ立ってほか、二つの懸案の用件を済ました。一つは妻の用足しのため郵便局へ向かい、そして一つは、夫婦共の用足しのために町内会館を訪れた。「大寒」にあって、わが夫婦の想定外の快挙行動だった。
 起きて現在の時刻、寒気は和らいでいる。恐れるなかれ大寒は、確かな足取り「三寒四温」で春へ向かっている。だからきょうだけは、歳月や季節の速めぐり(感)を嘆くまい。人の世にあって、いやわが身にあって嘆く、事情は山ほどにある。きょうの世界事情は、良くも悪くもアメリカ・トランプ大統領の吠え声に、一喜一憂しそうである。山の早起き鳥に急かされなく起きて、現在のデジタル時刻は5:06である。いまだ夜明け前にあってはおのずから、きょうの天気模様を知ることはできない。ただ、のんびりとキーを叩いてきたけれどこの間、寒気はまったく感じない。確かな、春の足音が近づいている。

大寒

 きのうはおとといへ流れ、きょうはきのうへ流れ、あすはきょうへ流れてくる。人生の晩年を生きる者にとっては、止めようのない(あっ)という間である。この流れの中にあって、感情の動物が住む人間社会には、日々、人間のしでかす様々な出来事が起きる。確かに、世の中を明るく潤す出来事も少しはある。しかしながらそれらの多くは、世の中を暗くする事故や事件がらみばかりである。お釈迦様が説く人間社会は穢土(えど)、四苦八苦まみれだという。これに反しあの世は、極楽浄土だという。(だから、あの世を恐れることはない、いらっしゃい!)と、身勝手な説法を垂れて金銭をせしめている。説法が真実であればこの世(現世)は、あの世(来世)に大負けである。しかし、幸いにも嘘っぱちである。
 寒気の底のきょう、「大寒」(1月20日(月曜日)の起き出しにあって私は、いろんな想い(迷想)を浮かべていた。大寒にあって、雨の予報がともなっていた。ゆえに私は、パソコンへ就く前に、傍らの窓ガラスを開いて外気、雨模様を確かめた。ところが、一基の外灯が淡く灯す道路上には、まだ雨の印しはなかった。しかし、予報が確かであれば、時を刻んだこの先のでどこかで、雨が降り出すであろう。大寒なのに雨の予報のせいなのか、寒気は緩んでいる。
 きょうのわが夫婦にはそろって、当住宅地内に一院ある、掛かりつけの「S医院」への通院予定がある。ところがこの実行は、寒気は凌げても雨の中では危ぶまれている。なぜなら、歩行不自由の妻の足は、寒気には耐えても雨を嫌うからである。
 きょうだったかな? 世界は、アメリカ・トランプ大統領の就任式にあって、祝意と共に恐々としている。一方、快事として伝えられているのは、イスラエルとハマスの一時(6週間)、停戦合意である。しかし、韓国は大荒れ、ウクライナとロシアにあっては、いまだ戦争の止む兆しはない。日本社会も政局、フジテレビ問題、そしていまだに兵庫県知事がらみなどで、喧騒を極めている。近づいた「大阪万博」が、スムースにスタートすることを祈るばかりである。きょうは起き立てに心中に浮かべていたことをあえて記した。実の無い文章は、ここで閉じることとする。
 薄っすらと夜が明けて、あれれ!……、小雨が降り出している。おのずからきょうの通院予定はあすへ延びて、茶の間暮らしになりそうである。

嗚呼無常、嗚呼無情

 1月19日(日曜日)、時は過ぎても夜明け前にある(6:03)。視覚的にも体感的にも、夜明けの早さ、そして日の入りの遅さ、共にまだ感じていない。この時間だと、ちょっぴりでも夜明けの明るさが欲しいけれど、窓ガラスの外はいまだに真っ暗闇である。いくらか寒気が緩んでいることには、縮んでいた気分を救われている。
 ところが起き立てにあって私は、好悪こんなことを浮かべている。文章を書けば、何人かの人は読んでくださっている。文章書き素人の私には、空夢(からゆめ)を見ているような、とてもありがたいことである。(だから、背くまい)。この一念にすがり私は、これまで文章を書いてきた。「塵も積もれば山となる」。挙句、私は「ダボハゼがアユになったような」光栄に浴してきた。ゆえに、これを恵んでくださった人様に対しては、いくら感謝してもしきれない、神様いや人様(現人神)のご好意である。
 しかしながらわが体たらくで、もはや継続に陰りが見えて、日々の私は青息吐息の状態にある。継続を阻害するものには、寝起きのネタ無しをはじめとしてあまたある。だけどやはり、最大のその元凶(邪魔者)は、最期の迫る老齢の身にある。現在84歳、そして年替わって7月には、なんと85歳になる。恐ろしいほどに、途轍もない高老齢となる。世の中の有名人、わが周囲の友人知人、そして身内親戚、多くはこの年齢あたりを境にして訃報が伝わってくる。きょうはこんなことを心中に浮かべて起き出している。だからこの先、文章は書けるはずもない。
 時が過ぎて、ようやく夜明けが訪れている。朝日の見えない、冬空のどんよりとした夜明けである。

寝坊助の戯言(たわごと)

 「大寒」(1月20日)を明後日に控えて、寝起きの私は、寒さでブルブル震えている。しかし、大寒を過ぎれば季節は、段々と春を近づける。春へ向かう足取りには季節用語の「三寒四温」があり、確かに言葉の上でも温かさ(暖かさ)が勝ってくる。だったら嘆かずに、春の訪れを待ちたいと思うところはある。だけどやはり、私は嘆いている。それは、季節や歳月の速めぐり(感)にともなう嘆きである。いや、もっと直截的(ちょくせつてき)には、わが余生(余命)の縮まりに対する嘆きである。寝起きに書くわが文章は、いつも様にならない。これまた、大きな嘆きである。
 さて、大相撲においてはきのう、横綱・照ノ富士の引退が伝えられた。照ノ富士は、病と怪我すなわち、満身創痍に見舞われて奮闘を続けてきた。だから私は、切なく声なき声で声援を続けてきた。ゆえに、照ノ富士の引退にあっては、大相撲のテレビ観戦における、わが楽しみの一つが消えたのである。身勝手に嘆かわしいとは言えないけれど、すこぶる残念無念である。
 きょうあすにあって大学入試は、本番を迎えている。人間社会は、常に競争場裏に晒されている。言葉を変えれば、常に生来の才能の有無に晒されている。もちろん学問だけの才能ではなく、スポーツや多芸ほか、様々な才能を含めてである。そして、これらに恵まれた人は、早々と推薦を勝ち取り合格にありついている。そしてこれらの人たちの中には、貸与ではなく給付型の奨学金にありつける人もいる。これに反し、長いあいだ塾費用などをかけても、合格にありつけない人がいる。幸運にも合格してもこんどは、貸与型の奨学金とアルバイトまみれになる人がいる。もちろん様々な入試だけではなく、だれしも人生行路には才能の有無に見舞われて、才無き人にとっては嘆きの茨道である。
 6時近くに目覚めて、きょう(1月18日・土曜日)は、こんなことを書いてしまった。ようやく、夜明けの早さを感じるようになり、すでにのどかな朝ぼらけが訪れている。