明けましておめでとうございます
坂本弘司撮影 もうずっと関東圏に暮らしているのに、初めて新橋へ行って来ました。 バレンタインデー(2月14日、金曜日)。目覚めてはいるけれど、起き出す気力なく、ずる休みを決め込んでいる。気力の萎えの因は、生きることへの疲れである。もっと端的には睡眠中にあって、意馬心猿(いばしんえん)にとりつかれて正常心を失くし、文章が書けそうにないからである。夜明け遠く、寝床の中で二度寝にありつけず悶え苦しみ、生存の深みに嵌まりそうである。だけど、命を惜しむ欲張りはなお存在する。起きれば私自身が自分あてに買い置きしている、チヨコレートを餓鬼食いして、生存のうさを晴らすつもりにある(4時17分)。 蘭は、先日も御投稿された洋蘭のシンピジウムですよね。 キャベツが高騰していますので、鉢植え栽培は、貴重ですね。 ぼくの方の水栽培ヒヤシンスは、各種花が開花してきましたが、それぞれ茎が伸びてこないので、思いっきりの良さが感じられません(困)。 2月13日(木曜日)、5:29。すっかり寒気が遠のいて、早やてまわしに春が来ている。しかし、気象予報士の予報によれば、来週はまた寒くなると言う。だけど、季節の足取りは迷うことなく三寒四温を繰り返し、確かな春へ近づいている。このことを鑑みればきょうの春は、いまだヨチヨチ歩きの足取りなのかもしれない。私は寝起きにあって心中に浮かんでいたことを何ら飾ることなく、ネタにして文章を書き始めている。人間(命)だれしも、いや私の場合は、個人の能力や努力だけで生きることは、蚊の鳴くほどにも満たない微々たるものである。人(私)が生きるためには個人生活および社会生活共に、人様の助力と知恵そして激励があってこそ、ようやく生存が叶えられるものである。大袈裟好きの私は、わが柄でもないことを書いたけれど、常々いだくわが人生訓である。ところがこの人生訓は、きのうの「ひぐらしの記」の執筆において、如実に確かな証しとしてすっぽり日の目を見たのである。きのうの私は、二つのつらい事情を引きずり、様にならない嘆きのメソメソ文を書いた。挙句、文尾には「やはり、休むべきだったのかもしれない」と、書く始末だった。ところが、「拾う神あり」。すなわち、大沢さまから思いがけなくご投稿文(メッセージ)を賜り、わが「塵芥」(ゴミ)の文章は、たちまち「華」を成したのである。このことでわが憂鬱気分は一変し、私はきのう一日じゅうを快楽気分で終えることができたのである。このことに御礼を伝えたくて起き立ての私は、いつもとは異なり心中には文字どおり、ウズウズと渦が巻いていた。大沢さまの脳髄からスラスラと溢れ出る『徒然草』(吉田兼好)の一遍もまた心地良く、私はまるで桃源郷に住む気分に浸っていた。確かに、人間(命)、いやわが命は、人様の助力、知恵、そして激励により生かされている。現在の私は、こんな大事なことがわが文章力では書けない辛さ、惨めさを味わっている。夜明けはどんよりとした曇り空である(6:29)。 ひぐらしの記は、役目を果たしています。「つれづれなるままに、ひくらし、すずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」と吉田兼好は「徒然草」で言っていますが、「あやしうこそものぐるほしけれ」の部分がよくわかりませんが、「狂気じみた様・正気が失われた様、そのような気分・感じ。気が変になりそうな感じ。」と解釈されています。物書きもこの境地にまで達すれば、本物でしょうね。 2月12日(水曜日)。「建国記念日」明けで、ほぼいつもの起き出し時刻にある(5:39)。しかし気分が萎えていて、文章が書けません。きのうは予定の行動に則り、妻同行で「眼鏡市場」(神奈川県横須賀市内)へ出向きました。私の用件の二つのうち、補聴器の定期ケアは無事に済みました。ところが、もう一つの用件のメガネの買い替えは、「メガネでは矯正できません」と言われて、眼医者行を勧められ、お陀仏となりました。一方、妻の用件のメガネの買い替えは、スムースに事が進んで妻は、新たなメガネを購入しました。先ほどの起き出しにあって、スマホを駆動させると思うようにいかず、心が萎えました。これらのことがあって気分喪失を被り、きょうはこの先が書けません。人間はただ生きているだけで、生き甲斐が無ければ、もはや「生きる屍(しかばね)」です。現在の私は、そんな状態です。先日、私は3月10日に「鎌倉芸術館」で上映される映画、『90歳、何がめでたい!』(作家佐藤愛子原作、草笛光子主演)のチケットを2枚(妻の分と合わせて)、買いました。まだ先は長いけれど、似たような心境の映画を観て、気分の賦活剤になることを願っています。きょうの文章は、休みを逃れるだけの文章です。甚(いた)く、かたじけなく思っています。いまだ外気は暗闇で、夜明け模様を知ることはできません。やはり、休むべきだったのかもしれません。 たぶん、地球は壊れず永久、すなわち未来永劫にわたり存在する。そして、「時」は必ずめぐり続ける。人の命は、生涯という限りの「時」を過ぎれば必ず絶え尽きる。こんなことを心中にめぐらして、起き出している(5:47)。きょうの地球は日本社会に、令和7年(2025年)の「建国記念日」と、印している。今さらに、遠い過去を振り返る。建国記念日の施行は、昭和42年(1967年)2月11日である。このとき、日本の国のあちこちには、様々な祝典行事が催された。おのずからこの日は、国民祝祭日となった。翌年、昭和43年(1968年)2月11日(2度目の建国記念日)にあって、新郎・私(27歳)と新婦・妻(24歳)は、晴れて華燭の典を挙げた。こちらは祝典と言うには悍(おぞ)ましく、挙式の場所は今なお東京都市ヶ谷に存在する「アルカディア市ヶ谷」(当時は私学会館)だった。以降、めぐりめぐってきょうは、老いさらばえた二人の、何度目かの「結婚記念日」にある。度数を数えるのも物憂げで、数えることはしない。ところがきょうの二人の行動は、老いの身の証しを表して、しかたなく仲睦まじく一致している。私の場合は、補聴器の定期のケアと、メガネの買い替え行動である。一方、妻の場合は、メガネの買い替えである。共に、高額の散財が予想されている。訪れる店舗は、わが家からはるかに遠い「眼鏡市場」(神奈川県横須賀市内に存在する)である。なぜ、どうしてここになったかと言えば、横須賀市内に住む娘が、私に補聴器をつけさせるため強引にこの店に連れ出したからである。このときの私は、娘が仕掛けた罠に落ちたのである。しかし、これ以降の私は、補聴器に満足し快楽の日常生活にありつている。補聴器(45万円)を買ってくれることはなかったから、似非(えせ)の親孝行を仕掛けられたのであろう。娘の誕生祝いは、翌年(昭和44年・1969年)の1月30日だった。こんな私的なことは、この先を書くには耐えられない。だから、ここで書き止めである。現在の祝典が欲しいけれどそれは無く、翳(かげ)りゆく過去の物語である。夜明けの空は、遠出には好日和である。 では早速、お昼のサラダに一葉を試食してみます。

新橋、初体験。
サラリーマンの街、SL広場、テレビで街の風景はよく見かけていたのですが、実際に目にしたのは初めてです。
駅前から少し離れると、飲食店街が広がっており、その中でも特にラーメン屋が多い印象を受けました。
そして、SL広場向かいにあるニュー新橋ビル。
ここの地下街が、とてもレトロな雰囲気を漂わせていて、どこの呑み屋さんに入っても、ゆっくり落ち着いて呑めるのではないかと思える店ばかりでした。
その一角に「旅の停車場」という喫茶店があり、入店してみました。
6席ほどのカウンター席しかない小さな店内は、高齢のマスターが一人で切り盛りしていて、コーヒー一杯300円というリーズナブルなお値段でした。
友人と話し込んでいると、マスターからお菓子の差し入れをいただき、マスターのお人柄が伝わってきました。
喫茶店は、とてもゆっくりできました。
新橋。一度、ゆっくり呑んでみたい街でした。バレンタインデー
♪大沢先生へメッセージです♪
今後の開花も楽しみですね♪♪♪ 御礼
これで十分です。
薄れゆく「生き甲斐」
翳りゆく過去
それは良い考え




