ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

妄想

 12月7日(水曜日)、寝床から起き出して来て、まったく火の気のないパソコン部屋で、寒さが肌身に沁みている。現在のデジタル時刻は、4:27と刻まれている。体調不良に見舞われて憂鬱気分に陥り、9時間近く寝床に潜り込み、長さに厭きて起き出している。寝床の中では目覚めたり、目を閉じたり、時にはトイレに起きて、願っていた安眠は得られずじまいだった。それもそのはず寝床の中で私は、次から次に鬱勃する生存にまつわる息苦しさを浮かべていた。
 こんなこともその一つである。日常生活とは、文字どおり日々生き続けるための活動である。そのためには、生き続けるための最低限条件(三要素)が要る。それぞれに形容詞を付けて、浮かべていたのはこれらである。一つは、病を撥ね退ける頑強な身体(力)、一つは生きる気力を殺がれない強靭な精神(力)、そして一つは、衣・食・住・に悩むことのない、豊富な金銭(財貨)の収得と蓄えである。
 衣食住を叶えるには、個人的には血のにじむ勉学を経て、最も有効な職業に就かなければならない。これらに加えて、様々な社会(人間の集合体)問題が絡んでくる。まずは、他人様との友好関係を築かなければならない。もちろん、天変地異のもたらす恐怖からも逃れなければならない。体調不良のせいで、長く寝床に潜っていたのに、こんな柄でもないことを浮かべているようでは、体調不良はもとより憂鬱気分さえ晴れることはない。挙句、起きて、胃部不快感がぶり返している。おのずからこの先は、結文である。
 来週の16日(金曜日)には、大船中央病院(鎌倉市)の消化器内科・主治医先生の診立てが予約されている。胃カメラの要・不要を決められる、ほぼ一年越しの予約である。かなり、気になる通院となる。夜明けの明かりは、二時間先である。

惜敗

 12月6日(火曜日)、現在の時刻は夜中2:52。対クロアチア戦、観ました。1対1、延長戦、決着つかずPK戦、1対3。日本チーム敗戦。惜敗。眠いから、寝ます。日本は、良い国です。

年の瀬は、中流へ流れてゆく

 十二月五日(月曜日)未明。起き出しては来たけれど、まったく火の気のない部屋にあっては、寒さが太身の肌に身に沁みる。異常季節とも思えていた暖かさを断って正常軌道に戻り、ようやく確かな冬の季節が訪れている。雑草も枯れて、草花さえ少ない庭中にあって、健気に季節をつないでいたのは、これら二つの花である。一つは、文字どおり濃緑の葉っぱに凛凛と艶を帯び、今なお黄色く光り続けているツワブキの花である。一つは、花の少ない季節ゆえにわが目に留められて、誇らしく白い小花を散らしている寒菊である。今やどちらも大方、役割を終えて、みずから冬花の王道と謳う、椿と山茶花へつないでいる。
 花の少ない季節にあって、長く眼福を恵んでくれていた山や木立の黄葉や紅葉は、わが季節の終わりを感じてか散り急ぎ、日に日に冬枯れの季節の到来を告げている。ちょっぴり寂しさを誘うけれど、自然界の営みゆえに仕方のないまっとうな季節めぐりの証しである。
 翻って年の瀬の人の営みは、必ずしも正常にはめぐっていない。来る日も来る日も季節感などないままに、事故や事件のオンパレードである。加えて、コロナの恐怖もいまだに、発生以来の年数を忘れてしまうほどに長く続いている。私の場合もまた、常々体調不良を嘆いている。
 起き立てにここまで書き殴り、現在わが心中に浮かんでいることは、こんなことである。すなわち、駄文であっても書き続けることは、ほとほと大変である。まして、駄文を読み続けてくださることは、輪をかけて大変なことである。このことを浮かべて私は、ご常連の人たちにたいして、あらためて感謝と御礼の思いをいだいている。
 いまだ寒気は、真っただ中とは言えず、もとより寒気の本番は年明け以降に訪れる。それゆえに年の瀬にあって私は、ご常連の人たちのつつがない日めくりを願ってやまないところである。私自身は、体調の回復に努めなければならない。もちろん、悪あがきにならないようにと、しっかりとわが肝に銘じている。
 いまだ、夜明けの明かりは見えない。年の瀬は、寒気をともない中流へ差しかかる。人の営みは、自然界のように自然体でめぐることはない。いや、人の営みには季節感は感じられない。駄文を綴り、そして、それを読んでくださることを、ただただ済まなく思う、年の瀬である。

冬将軍のお出まし

 十二月四日(日曜日)、おとといあたりから急に、わが身に堪える寒気が訪れている。この時季にあっては当たり前の寒気だけれど、ずっと暖かい日が続いてきた矢先ゆえに余計、肌身に寒気が沁みている。いよいよ、老身を脅かす寒気の訪れにある。それゆえにきのうから、寒気に闘いを挑んで、冬布団に厚手の毛布を重ねている。さらにきょうからは、下着に肌着を一枚増やして、冬防寒重装備の完備を企てている。すでに上着は、子どもの頃の丹前代わりに、分厚いダウンコートを羽織っている。だからこの先、寒気が増しても着衣の重ね着はできず、現在の冬防寒重装備で、寒気と闘うこととなる。しかし、闘いにあっては、防戦一方になりそうである。続いていた暖かい日にかまけて私は、もちろんのほほんとしていたわけではない。異常気象ならぬ自然界気象の正規のめぐりであれば、突然の寒気とて文句を言う筋合いはなく、日々我慢を重ねるしか能はない。
 確かに、寒気の訪れは仕方ないけれど、年の瀬にあって天変地異の鳴動だけは、真っ平御免蒙りたいものである。川の流れのごとく緩やかに、いや早瀬のごとく日が流れてゆく。おのずから年の瀬の日々には、さまざまに万感きわまりない思いがつのってくる。それらの思いの一つは、この先の寒気しのぎである。すると、寒気を和らげてくれることではやはり、自然界の恩寵とりわけ太陽こそ最善である。端的にはしらずしらず眠気を誘われ、昼間にあって睡眠に落ちそうな太陽光線の恵みである。
 きのうの昼間、私は茶の間のソファに背もたれて、太陽光線のありがたみとつれなさを感じていた。窓ガラスを通してポカポカ光線がそそぐと、たちまちわが心身は、暖かさに解れた。逆に光線が翳ると、これまたたちまち、寒さで身震いした。言うなれば太陽光線の有る無しに応じて、わが心身は解れと縮みを繰り返した。つまるところ私は、いまさらのごとく、太陽光線のありがたみを感じていた。すると私は、かつての異国の名画の題名になぞらえて、『太陽がいっぱい』気分を満杯にしていた。
 本格的な冬将軍のお出ましに遭って、他力本願ながらわがすがるのは、太陽の恵みなかんずく、暖かい太陽光線である。この先、私は「ありがたや、ありがたや……」と、呪文を唱える日々の多さの訪れを願っている。いまだ夜明け前にあって、太陽光線の恵みはなく、わが身体はブルブル震えている。冬防寒重装完備だけれど、もとより太陽光線には、闘わずして大負けである。本格的冬将軍のお出ましに遭っては、「ひぐらしの記」の頓挫が危ぶまれるところである。

バカな、私

 十二月三日(土曜日)。口内炎の再発症による痛みのせいで、目覚めて起き出してきたら、身に沁みる寒気が訪れていた。この時季にしては異常気象と思えるほどに長く、暖かい日が続いていた。当たり前のことだけれどこの寒さは、不意を突かれたとんだお邪魔虫である。壁時計の針は、いまだ真夜中と呼ぶにふさわしい三時前をめぐっている。
 私はだれもが知っているごく簡易な三つの言葉を浮かべて、机上に置く電子辞書を開いた。
 難病:①治りにくい病気。②厚生労働省が指定した特定疾患の俗称。
 持病:全治しにくくて、常に、またしばしば、悩み苦しむ病気。宿痾。痼疾。
 僥倖:思いがけない幸せ。偶然の幸運。
 さて、私の場合は自分勝手に、たかが口内炎をわが難病に指定している。もちろん、正規の難病扱いにはできない、自分だけのまがいものの難病である。ところが一方、私の場合口内炎は、れっきとした持病と言えそうである。つらい辛い、確かな持病である。挙句、泣き虫の私は、現世(此岸、この世)から、お釈迦様が「極楽浄土ですよ……」と言って誘う来世(彼岸、あの世)へ、ときには早く行きたい思いもする。
 きのうの私は、あと四十分ほどで訪れる(四時)に、文字どおりの僥倖に恵まれた。僥倖とは起き出して来るや否や、サッカー・ワールドカップ(カタール)における、対スペイン戦のテレビ観戦に遭遇したのである。私は急いで階段を下りて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ赴いた。そして、ソファに置く、リモコンスイッチをすばやく押した。すると、これまたなんという僥倖であろうか。まるで、構えて仕掛けていたかのがごく、キックオフから間もない画面が現れた。こののちの私は、試合経過に見入り、ノーサイド(試合終了)にいたるまで、試合に魅入った。
 日本チームの勝利を見定めると、急いで二階へ逆走した。そして、気分の沸き立つままに、「勝ちました」と書いて、投稿ボタンを押した。きょうの私は、ちょうど四時に合わせて、このことを書くつもりだった。ところが壁時計の針はめぐり遅れて、未だ三時四分あたりをめぐっている。このため、四時近くまで、あえて時間潰しの推敲を試みる。そして、この文を閉じれば、階下へ下りて、洗面所に置く軟膏(塗り薬)を口内炎の患部に塗りたくるつもりでいる。
 夜明けの明かりは見えず、時計の針は四時近くまで進んできた。そして今まさに、きのうの試合開始時間へ到達した。心置きなく、投稿ボタンを押して、パソコンを閉じる。

再び、パソコンを立ち上げました

 勝ちました。

早暁、いや未明(午前四時)

 十二月二日(金曜日)、観るつもりで、構えて起き出してきたのではない。ところが、目覚めて起き出して来た時間は、偶然にもサッカー、対スペイン戦の試合時間と重なっている。日本国民の多くの人たちは、寝ずにこの時間を待っていた。そう思えば、せっかくの好都合の目覚めと起き出しであり、もったいなく思うのは、へそ曲がりの私とて、並の人情の発露であろう。こんな理由で、この先の文章は止めて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ向かうこととする。予定にはなかったけれど、サッカー・ワールドカップ・対スペイン戦のテレビ観戦のためである。再び、パソコンに向かうかどうかは、試合経過の中で沸き立つ気分しだいである。

年の瀬初日は、迷い文

 十二月一日(木曜日)。いよいよ、令和4年(2022年)の最終月が訪れている。人生の晩節を生きる私には、あまりにも速い時のめぐりを感じて、心寂しさつのるものがある。大袈裟好きのわが表現を用いれば、寂しさと侘しさに絡まれて、心身が圧し潰されそうである。
 現在の時刻は、夜明けまではまだ遠い3時過ぎである。寝床は、文字どおり睡眠の場所である。寝床は、目覚めて様々な瞑想に耽る場所である。ところが私の場合は、「冥想」に変えて同音異義の「迷想」に耽ること頻りである。つらいと言えば確かにつらいけれど、わが小器の証しゆえに耐えなければならない。
 私は目覚めて、様々な迷想に絡まれていた。その一つは、こうである。わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「捌け口」である。もちろんこの表現は、真実に近いものである。一方、わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「糧(かて)」である。ところがこちらは大袈裟すぎて、誤魔化しのままごとみたいなものである。いずれにしても私は、「ひぐらしの記」における愚痴こぼしで、生存の苦しさをかなり薄めている。確かにこのことは、文章を綴るわが身勝手である。ゆえに一方、好意を授かるご常連の人たちにたいしては、平に謝るしか便法はない。
 迷想の続きであって自分自身、現在、何を書いているのかさえわからない。ただはっきりと自覚できるのは、気違いじみた迷想だ! ということである。「ひぐらしの記」は、継続だけが取り柄にすぎない。もちろん、通説の「継続は力」には、まったくなり得ていない。
 さて、「ひぐらしの記」はブログ特有に、バッシングや炎上を恐れて、私はネタに様々な自己制御(自制)を掛けている。挙句、ネタの広がりはなく、おのずからいつも同じような文章に成り下がっている。もとより、私自身面白味なく、そのうえ恥を晒して、恥じ入るところである。しかしながらこのことは案外、「ひぐらしの記」継続の本源を成している。確かに、自虐と愚痴こぼしまみれの文章には、他人様(人様)からのバッシングや炎上の恐れはない。挙句、「ひぐらしの記」は、継続にありついてきたのである。もちろん自省するところはあるけれど、半面、幸いなるハプニングである。
 年の瀬初日の文章には、夜明けまでの空き時間を埋めるだけの迷い文を書いてしまった。不断のわが心境は、時々刻々、様々に揺れ動いている。年の瀬にあってはこの心境に、いっそう際限なく拍車がかかること請け合いである。こんな書き殴り文では、わが気分の解れるところはない。壁時計の針は未だ4時過ぎで、夜の静寂(しじま)にあっては、月光および日光共に、姿を暗ましている。

十一月末日、「感謝と御礼の大志」

 十一月三十日(水曜日)。現在の壁時計の針は、きのうの夜更けを引き継いで、いまだ「丑三つ時」(午前2時から2時半頃)あたりをめぐっている。目が冴えて二度寝にありつけず、起き出して来た。起きたからにはパソコンを起ち上げるのは、わが身にこびりついたしがない倣(なら)いである。
 顧みれば「ひぐらしの記」は、元よりご好意をさずかる大沢さまとの二人三脚の下、友人・知人の声ある声、さらには掲示板上の声なき声にあずかり、思いがけなく多くの出会いを生んで続いてきた。加えて、竹馬の友・ふうちゃんが写した、わがふるさとに流れる「内田川」の実景は、わが逸(はや)る心象をさらに奮い立たせた。文章自体はなんら面白味のない、わが愚痴こぼしまみれにすぎない。それだけに余計、私に「ひぐらしの記」が恵んだ僥倖(ぎょうこう)は無限大であり、とうてい測り知ることはできない。それゆえに私は、ひたすら出会い得たすべての人たちにたいし、感謝と御礼の志を記すところである。こんな殊勝な気持ちになっているのは、もちろん突然でもなく、まして偶然ではなく、常日頃にあって絶えず私は、心中に浮かべている。
 起き立てなのに現在の私は、ピカピカと目が冴えている。もちろん、二度寝にはありつけない。しかしきょうの場合は、目が冴えて二度寝にありつけないことも、堪能すべき善い・良い・好い・佳いことである。「ひぐらしの記」は現在、わがこれまでの82年の人生行路にあっては、生まれて生誕地で過ごした(18年間)に迫るほどの年数(15年)の途中にある。六十(歳)の手習いからかんがみれば、わが人生行路の四分の一強を超える長丁場でもある。だから、ちょっぴり自惚(うぬぼ)れてみれば、もちろん文章などまったく素人(しろうと)の私が為せる年数ではない。
 きょうは十一月の最終日である。いよいよ明日からは、令和4年(2022年)の歳末すなわち最終月を迎えることとなる。「人間、万事塞翁が馬」、また「一寸先は闇の中」である。それゆえに、早やてまわしにわが心中に根づく「感謝と御礼の念」を吐露することは、悪いことではないであろう。ますます、目が冴えてきた。だからこのまま、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にありつけることはない。しかしながらいつもとは違って、心地良い気分である。もちろんこの気分の良さは、自分だけでは成し得ない。現在の場合は、平洋子様のご投稿文が、わが気分の好さに加速度と拍車をかけている。拙(つた)い文章ながら私にとっての「ひぐらしの記」は、人様との出会いを為し、なかんずくご厚誼(こうぎ)に恵まれて、わが人生行路における何物にも勝る宝物である。それゆえに人様に対し、幾重にも謹んで「感謝と御礼の大志(たいし)」で満杯である。
 壁時計の針は、未だ三時過ぎである。夜明けまでの空き時間は、洋子様のご投稿文に縋り、救われそうである。

防空頭巾、ヘルメット、マスク

 十一月二十九日(火曜日)。雨戸開けっ広げの窓ガラスを通して太陽の光は見えず、頭上の二輪の蛍光灯の明かりが灯るだけの未だ夜明け前にある。起き立ての私は、こんなことを浮かべていた。ネタ無く、浮かんだ事柄に縋り、つらつら書き続けるつもりである。一つは、昭和十五年(1940年)誕生のわが五歳前後に体験した忌まわしい記憶である。太平洋戦時下にあって警戒警報や空襲警報が伝えられると母は、わが坊主頭にすばやく防空頭巾をかぶせて、固く顎紐を結んだ。やがて慣れると、自分自身で防空頭巾をかぶり、近くの防空壕へ一目散に走った。戦時下における布製の厚手の防空頭巾は、銃後の守につく日本国民・老若男女すべての必需品だった。しかしながら幸いにも防空頭巾は、砲弾避けに役立つことはなく済んだ。ところが、防空頭巾は普段でも効用があった。もちろんそれは冬季だけだがかぶると、頭部の寒気を撥ね退けてくれた。確かに、砲弾避けにかぶらず済んだことは良かったけれど、それでも防空頭巾には悲喜交々の記憶がよみがえる。
 日本列島には「災害列島」という、苦々しい異称がある。もちろんこれは、災害の筆頭に位置する地震の多さが異称の元を為している。すると日本国民には地震防禦策の一つとして政治と行政が音頭を取り、地震が起きたおりの着用と、不断の備えにヘルメットが勧められている。ところが、ヘルメットの効果は、防空頭巾同様に心構え程度であろう。しかし、人間心理は、怖さを恐れることに限界はない。へそ曲がりの性癖著しい私とて、地震の恐怖は蔑(ないがし)ろにできず、常に枕元にはヘルメットを置いている。ところがこれまた、今のところ実用は免れて、非国民と呼ばれないための防具のあり様でとどまっている。もちろん頭部に、普段の着用は免れている。
 なぜ二つのことを浮かべて、かつ長々と書いたかと言えば、このことにたどり着くためである。すなわち、戦時下の防空頭巾、そして地震に備えるヘルメットに類して、新型コロナウイルス防御のための、長引くマスク着用生活を憂いているせいである。ところがこのマスク生活は、「命終焉」までのエンドレスにさえなるのか? と、危惧するところにある。そうなれば難聴の私にとっては、このことは小さいことではなく、いや大いに困ったこととなる。だから、このことについてはこれまでも、繰り返し愚痴こぼしをする羽目になっていた。
 ところが、この先も何度も繰り返すことになりそうだけれど、すなわち、私にとってのマスク着用の日常生活は、きわめて不愉快である。それは両耳あたりに、集音機、眼鏡の柄、マスクの紐が混在し、甚だ鬱陶しく、さらにはそれぞれの着脱に神経を尖らせなければならいからである。このことでは鬱陶しさに加えて、神経の尖り、さらには面倒くささの三竦(さんすく)み状態が免れない。
 このところのコロナは、またまた感染者数の増勢を極めている。おのずから、それに対するわが恐れと不愉快度は、日々いっそうつのるばかりである。人生晩年にあってコロナへの遭遇は「お邪魔虫」どころか、戦時下の防空頭巾のかぶり、地震発生にたいするヘルメットの備えなどをはるかに凌いで、エンドレス(無期限)の鬱陶しさになりつつある。ひとことで言えば、「甚だ、困ったもの」である。
 書き殴りに加えて、走り書きをしたため、夜明けの明かりは未だ見えない。いや、少し闇は薄らいできた。大空は、雨模様の曇り空である。