ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

ノンフィクションは、厳しい生きる現実

 12月12日(月曜日)。起き出して来て、「寒いなあー……」と呟いて、ブルブル震えている。現在のデジタル時刻は、夜明けはまだまだ遠い、4:30である。随筆集とは名ばかりの「ひぐらしの記」は、ノンフィクション(事実、実話)の最たるものである。この中の多くの文章は、明るさのない暗いものばかりである。これはわが生来のマイナス思考の性癖によるけれど、実際にも人生晩年のわが日常生活に、明るい話題が少ないせいでもある。もちろん私には、偽り(嘘)を交えても、明るく楽しい文章を書きたい思い山々である。ところが書けない。それは、生きる現実がきわめて厳しいせいである。もちろん、私にかぎらずだれしもにも、生きる現実には厳しいものがある。
 きのう、私は久しぶりに歩行が心許ない妻を連れ立って、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。この日の買い物回りは、共に大船店のイトーヨーカドーと西友ストアだった。この両店において私は、だれしもの生きる現実の厳しさに遭遇した。それは、買い物客の姿から推量したものだった。すなわち、だれもが楽しく食べて生きるようには見えなく、生きるために必死に食べ物漁りに夢中になっているように見えたのである。挙句、それらの姿は、わが夫婦を含めてまるで、山からわが庭中へやって来る、小鳥やリスの餌探しの姿とたいして変わらなかった。だれもが、買い物を楽しんでいるようには見えなかった。この光景には、現代の買い物風景がわが子どもの頃とは異なり、セルフ式のせいもあろう。すなわち、買い物選びに、対面の会話はまったくない。だれもが店主(店番)のアドバイスに縋り品物選びをすることなく、黙りこくって品物を選び、所定の籠に入れている。そして、レジへ向かい、そこでまた無言で並んでいる。代金はだれもが無言でカード払いをする。レジ係の人は謝礼の言葉なく、小さく一礼する。私は居たたまれず、「ありがとうございました」と言って、居並ぶ後続の人に気を遣い、心急いて荷造り用の据え置きの長テーブルへ向かう。そして、ホッと、息をととのえる。こののちはまた、買い物用の大型リュックと、持参の市販の布製の二つの買い物袋に分けて、大慌てで荷造りに精を出す。多額を費やしたのになぜか、「ありがとうございます」の言葉は、私のほうからの一方通行にすぎない。そして、ときには額に汗を滲ませて荷造りに必死である。もっぱら時間に追われている気分のする買い物には楽しみはなく、ひたすら生きるための餌探しの心境である。
 これらに比べて、子どもの頃の買い物は、店番の人の言葉が多く楽しかった。「なんでんもんやさん」のお顔見知りの人は、「しいちゃんは、ようおっかさんの買い物代わりをするばいね。偉かねー。きょうは、おっかさんに何を頼まれたの? ごっだま(飴玉)を一つあげるね。それにはオマケの、クジ引きがついているから、一回、引いてみんね」。片手に握って行ったのは、数枚の硬貨にすぎないときであっても、店番の人の笑顔と言葉はいつもと変わらない。今なお、店番の人の面影が偲ばれる、子どもの頃の楽しい思い出である。
 きのうの買い物は、妻の歩行訓練を兼ねていたので、6170歩、4・7キロと、スマホに刻まれていた。この歩数はおそらく、妻にあってはほぼ一年分を超えるとも思えるものだった。妻は昨年の12月24日に自宅で夜中に転んで骨折。夜明けて救急車に助けられて大船中央病院へ向かい手術。明けて、1月19日まで入院の憂き目を見たのである。
 長々と書き殴り、詫びるところである。現在のデジタル時刻は、5:38である。夜明けはまだ遠く、わが体調はいまだに不良である。書き殴りの駄文には、表題のつけようがない。

通院に怯えている、わたし

 十二月十一日(日曜日)、願い叶わず、いつものようにドジを踏んで、起き出している。就寝時にあって私は、「きょうこそは、明るく楽しいネタの文章を書こうね……」と、わが脳髄に命じた。ところがどっこいわが願いは、頼りにする脳髄にいともあっさりと裏切られた。もちろん、脳髄のせいではなく、わが身体内の別の器官のせいである。犯人探しをするまでもなく、夜間の目覚めを誘発したのは、このところ愚図ついている胃部不快(小痛)のせいである。胃部不快は口内炎の発症をもたらし、挙句私は、気鬱症状に陥っている。なんだかこのたびは、これらの症状が治りきらずに長引いている。
 今週の金曜日(12月16日)には、一年越しに予約済みの「大船中央病院」(鎌倉市)の消化器内科における主治医先生の診立てがある。あいにく、いつもの通院とは異なり、私は診断結果に今から、かなり気を揉んでいる。たぶん、主治医先生から、「一年間、どうでしたか。念のため、内視鏡(胃カメラ)、やりましょうか……?」と、言われそうである。胃カメラはこれまで、何度かの経験済みである。そのたびに、「はい、わかりました。お願いします」と、素直に応諾はするものの、ほとほと恨めしい宣告である。実際のところ私は、適当な間隔をおいて胃カメラと大腸カメラの繰り返し検査に応じてきた。体験的に双方のカメラの施療のおりのわが気分は、はるかに胃カメラの方に脅かされてきた。そのため、今回の通院におけるわが意志は、できれば胃カメラは免れたい思いが山々である。それを免れるためには、こんな会話で逃れるしか便法はない。「どうですか。何か気になるところがありますか?」「いいえ、自覚的には何もありません」。しかしながら、こんな嘘っぱちの返答では、私は「何のために、予約までして通院するのだろう……?」という、自己欺瞞に陥るところがある。それゆえか現在のわが心中には、「バカは死ぬまで治らない」という、なさけない成句が浮かんでいる。
 胃痛のせいで目覚めて、きょうの文章は、端から休むつもりで長く寝床に寝そべっていた。ところが、それに厭きて起き出してきた。早く起きれば夜明けまでの暇つぶしに、パソコンを起ち上げるのは、わがしがない習性である。そして書けば、いつもおおむねこんな泣き言まじりの文章である。もとより願っても、明るく楽しい文章など、夢まぼろしである。
 現在、デジタル時刻は、5:33の刻みにある。夜明けまではまだ遠く、だからなおこの先を書かなければ、暇は埋めきれない。けれど、わが脳髄は「あなた、こんなくだらない文章、もうやめなさい!」と、叫んでいる。私は「そうだね……」と呼応し、指先の動きを止めた。今週に予定の通院は、はなはだ気懸りである。私は、病根を見つける精密機械は好きではない。あほらし!

年の瀬の嘆き

 12月10日(土曜日)。かつての松竹映画の題名だけを捩れば、人生行路は『喜びも悲しみも幾年月』である。人生行路にあって人は、過去には生きられない。過去は生きた証しと、悲喜交々によみがえる思い出だけである。だから人は、現在を生きて、未来を生きる。ところが、人生行路の晩年を生きる私には、未来はない。私はごく短く限られた現在を、しかも日々命の絶たれに怯えながら、細々と生きている。人生行路にあって幸福は、突然やってこない。いや、歯ぎしりして待っていても、まったくやってこないこともある。一方、不幸は、待つことなく腕を組み拱いていても、突然やってくる。人生行路は無常と言われるゆえんの一つである。
 年の瀬は一年の終い月とあって、私にかぎらず人みなの心中には、様々に雑多な思いが鬱勃する。そしてそれらの多くは、喜びより悲しみにうちひしがれている。ありがたいことなのか? 年年歳歳、喪中はがきの郵便受け口への投げ込みが減り始めている。その数も、やがては尽きるであろう。なぜなら、わが身内、かつ親類縁者にあってはすでに、ほぼ順送りに死の淵を覗いている。もちろん私は、寒い中にあってこんな無様なことを書くために起き出して、遣る瀬無くパソコンを起ち上げたわけではない。言うなれば、夜明けまでの暇つぶしの戯れ文である。ところが、現在のデジタル時刻は、いまだ4:07の刻みにある。それゆえ、暇つぶしにはいまだに有り余る時間を残している。だからこの先、戯れ文を書き続けても、とうてい埋め得るものではない。
 子どもの頃の年の瀬は、家族そろっての石臼に杵の「ヨイ、ヨイ、ヨイ、……」の掛け声の下の餅つきや、商店街の歳末クジ引き、はたまた正月準備などで、それなりに楽しかった。これらに夏休みとは違って、宿題のない冬休みの楽しみが輪をかけていた。ところが、現在の年の瀬には、楽しみ断たれて、命を惜しむ思いが鬱勃するばかりである。
 いまだ、デジタル時刻は、4:34である。暇つぶしには、「冬至」(十二月二十一日)の前のつらい夜長にある。わが生きているだけの、令和4年(2022年)年の瀬である。頭上の蛍光灯の明かりが、バカ丸出しと寒さに縮こまるわが身を見て、せせら笑っている。慰めてくれても、よさそうなものである。

わが人生

 十二月九日(金曜日)、年の瀬の時は河口(大晦日)へ向かって、まさしく早瀬のごとく流れている。しかし、川の流れとは違って、音のない静寂な流れである。私は無事に流れ先知らぬ、大海へ辿り着くことができるであろうか。人生の晩節を生きる、わが素直な感懐である。
 人生行路にあっては、私にかぎらず人みな、時に応じて様々な思索や感懐をめぐらしている。そしてそれらは、人生行路における人生訓として詠まれて、四字熟語や成句を為して、後世へ残されている。もちろんその数は無限大にあり、誰もがとうてい覚え、また憶えきれるものではない。すぐに浮かぶものでは、美的風景を愛でる四字熟語の「山紫水明」があり、そして打算そのものの成句では「花より団子」がある。
 ところが私の場合、常々脳裏にこびり付いているのは、四字熟語では「自業自得」であり、そして成句では「後悔、先に立たず」がある。共に、怠け者のわが身がしでかした悪の報いと、文字どおりの悔いごとである。確かに、人生の晩節にあって、過去のことを浮かべて気分を損ねるのは、「愚の骨頂」の極みである。もちろん、わかっちゃいる。だけど、常に愚かなこの気分が付き纏っているのは、やはりわが小器ゆえである。
 生来、「身の程知らず」、いやとことん知りすぎている大損のわが性分である。「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」。これは、いっちょおぼえの母が、唯一私に遺してくれた人生訓である。ところが、人生の晩節を踏む私は、それに背いて祟り(罰)を被り、後悔まみれになっている。人生行路は、艱難辛苦の茨道。顧みても私には、必ずしも楽な道を歩いてきた記憶はない。結局、現在の私は、どうにもならないことに嘆いている。だとしたらこの先は、偽ごとでも鷹揚に構えて、楽天家の道を踏みたいものである。しかし、遅きに失してもはや、私は袋小路を歩いている。
 こんな迷いの文章が、「夢の100号」に編まれるのは大恥である。悪夢から覚めて現実に戻れば、きのうの私は、妻の五度目のワクチン接種にたいし、引率同行の役目を果たした。歩いてはすぐ止まり、再び歩き出してはまた止まり、呼吸をととのえる妻の姿に、夕闇が迫っていた。妻は泣きべそをかく暇なく、必死に歩いた。傍らの私は、泣きべそでは収まらず、両眼に涙を浮かべていた。いずれはわが身に訪れる、妻の哀しい歩行光景だったのである。
 帰り道には店頭に並べられている妻が大好物の寿司棚を二人で凝視して、妻の指先に任せて「これも、あれも」と、たくさん買い込んだ。ようやく帰り着いた夜の帳の下りたわが家の夜の食卓では、二人して和んでいた。
 書き殴り文は、思うままになんでも書いていいから、わが好むところである。書き殴り文ゆえに、字数多くとりとめなく書いたけれど、夜明けはまだ先のところにあり、朝日が虎視眈々と出番を窺っている。

「夢の100号、実現へ」、再スタート

 12月8日(木曜日)。現在のデジタル時刻は、夜明けの遅い「冬至」(12月21日)前にあっては、いまだ真夜中と言っていい2:30の刻みにある。このところの私は、駄文紡ぎに呻吟しているせいか、いや長年の駄文の祟りなのか、胃部不快(小痛)に見舞われている。そして、どっちつかずに思えていた原因には、現在はむりやりこう決めている。すなわち、口内炎の再発の引き金は、胃部不快がもたらしているのだ。いや、実際にはこの判定にも心許なく、未だにどっちつかずのところもある。確かに、口内炎と胃部不快は、共に抱き合わせのごとく、いまだに治りきらずに日々悩まされている。しかしながらきょうの場合、夜中の寝起きを誘発したのは、明らかに胃部不快感である。こんな身も蓋もない私日記を、『随筆集』という思いあがった命題のもとに私は、「ひぐらしの記」を書き続けている。もとより、六十(歳)の手習いの書き殴り文にすぎなく、それゆえに書き捨てになるのを悔やむことはできない。
 ところが、「捨てる神あれば拾う神あり」。大沢さまという現人神(あらひとがみ)、まさしく実在する女神さまが、わが書き捨て文を救ってくださったのである。原稿用紙に書けばたちまち分別ごみ箱への直行となるはずの「ひぐらしの記」は、大沢さまのご好意に授かり、書けば単行本に編んでくださったのである。そしてこれまでの単行本の号数は、83号までに及んでいた。私は、わが生涯にあって一冊の随筆集(単行本)の発刊を夢見ていた。ところが私は、大沢さまのご好意に縋り、すでに無限大の大夢を叶えさせていただいていた。
 しかし一方やはり、駄文には後ろめたさもあり、83号で単行本の打ち止めを決意した。この決意に輪をかけたのは、昨年(令和3年・2021年)8月22日の、ふるさとの長兄の他界だった。異母兄弟を含めた大勢(戸籍上十四人)の兄弟姉妹の中にあって、残るのは東京都国分寺市内在住の次兄(92歳)と私(82歳)のみである。とりわけ、長兄の他界は、わが身には痛手となったのである。なぜなら長兄は、文字どおり跡取りにふさわしく、「ひぐらしの記」の読み手の唯一に位置し、わが励ましての任の独り占めを担ってくれていたのである。長兄が亡くなったのちの私は気力を喪失し、あえて単行本にする意味を失くしていた。
 ところがこのところ我欲が頭をもたげてきて、私は再び大沢さまのご好意に甘えては縋り、単行本への手間暇をお願いしたのである。そして、単行本お願いの再スタートには身勝手にも、「夢の100号、実現」という、標題を記したのである。目標を決めたからには、私は大沢さまのご好意とご常連様の支えにより、生きてこの夢の実現に勤しむ覚悟である。しかし、身体(力)と精神(力)が持つかどうかは自分自身、とくと危ぶむところである。なぜなら私は、些細な口内炎と胃部不快感にさえ、泣きべそどころか「痛い、痛い」と言って、両眼(りょうまなこ)に涙を浮かべている。
 三日坊主の上に弱虫のわが心中には、「空夢」の兆しが、ピョンピョンと跳ねている。夜明けは近いけれど、「夢の100号、実現」は、はるかに遠い夢まぼろしである。

妄想

 12月7日(水曜日)、寝床から起き出して来て、まったく火の気のないパソコン部屋で、寒さが肌身に沁みている。現在のデジタル時刻は、4:27と刻まれている。体調不良に見舞われて憂鬱気分に陥り、9時間近く寝床に潜り込み、長さに厭きて起き出している。寝床の中では目覚めたり、目を閉じたり、時にはトイレに起きて、願っていた安眠は得られずじまいだった。それもそのはず寝床の中で私は、次から次に鬱勃する生存にまつわる息苦しさを浮かべていた。
 こんなこともその一つである。日常生活とは、文字どおり日々生き続けるための活動である。そのためには、生き続けるための最低限条件(三要素)が要る。それぞれに形容詞を付けて、浮かべていたのはこれらである。一つは、病を撥ね退ける頑強な身体(力)、一つは生きる気力を殺がれない強靭な精神(力)、そして一つは、衣・食・住・に悩むことのない、豊富な金銭(財貨)の収得と蓄えである。
 衣食住を叶えるには、個人的には血のにじむ勉学を経て、最も有効な職業に就かなければならない。これらに加えて、様々な社会(人間の集合体)問題が絡んでくる。まずは、他人様との友好関係を築かなければならない。もちろん、天変地異のもたらす恐怖からも逃れなければならない。体調不良のせいで、長く寝床に潜っていたのに、こんな柄でもないことを浮かべているようでは、体調不良はもとより憂鬱気分さえ晴れることはない。挙句、起きて、胃部不快感がぶり返している。おのずからこの先は、結文である。
 来週の16日(金曜日)には、大船中央病院(鎌倉市)の消化器内科・主治医先生の診立てが予約されている。胃カメラの要・不要を決められる、ほぼ一年越しの予約である。かなり、気になる通院となる。夜明けの明かりは、二時間先である。

惜敗

 12月6日(火曜日)、現在の時刻は夜中2:52。対クロアチア戦、観ました。1対1、延長戦、決着つかずPK戦、1対3。日本チーム敗戦。惜敗。眠いから、寝ます。日本は、良い国です。

年の瀬は、中流へ流れてゆく

 十二月五日(月曜日)未明。起き出しては来たけれど、まったく火の気のない部屋にあっては、寒さが太身の肌に身に沁みる。異常季節とも思えていた暖かさを断って正常軌道に戻り、ようやく確かな冬の季節が訪れている。雑草も枯れて、草花さえ少ない庭中にあって、健気に季節をつないでいたのは、これら二つの花である。一つは、文字どおり濃緑の葉っぱに凛凛と艶を帯び、今なお黄色く光り続けているツワブキの花である。一つは、花の少ない季節ゆえにわが目に留められて、誇らしく白い小花を散らしている寒菊である。今やどちらも大方、役割を終えて、みずから冬花の王道と謳う、椿と山茶花へつないでいる。
 花の少ない季節にあって、長く眼福を恵んでくれていた山や木立の黄葉や紅葉は、わが季節の終わりを感じてか散り急ぎ、日に日に冬枯れの季節の到来を告げている。ちょっぴり寂しさを誘うけれど、自然界の営みゆえに仕方のないまっとうな季節めぐりの証しである。
 翻って年の瀬の人の営みは、必ずしも正常にはめぐっていない。来る日も来る日も季節感などないままに、事故や事件のオンパレードである。加えて、コロナの恐怖もいまだに、発生以来の年数を忘れてしまうほどに長く続いている。私の場合もまた、常々体調不良を嘆いている。
 起き立てにここまで書き殴り、現在わが心中に浮かんでいることは、こんなことである。すなわち、駄文であっても書き続けることは、ほとほと大変である。まして、駄文を読み続けてくださることは、輪をかけて大変なことである。このことを浮かべて私は、ご常連の人たちにたいして、あらためて感謝と御礼の思いをいだいている。
 いまだ寒気は、真っただ中とは言えず、もとより寒気の本番は年明け以降に訪れる。それゆえに年の瀬にあって私は、ご常連の人たちのつつがない日めくりを願ってやまないところである。私自身は、体調の回復に努めなければならない。もちろん、悪あがきにならないようにと、しっかりとわが肝に銘じている。
 いまだ、夜明けの明かりは見えない。年の瀬は、寒気をともない中流へ差しかかる。人の営みは、自然界のように自然体でめぐることはない。いや、人の営みには季節感は感じられない。駄文を綴り、そして、それを読んでくださることを、ただただ済まなく思う、年の瀬である。

冬将軍のお出まし

 十二月四日(日曜日)、おとといあたりから急に、わが身に堪える寒気が訪れている。この時季にあっては当たり前の寒気だけれど、ずっと暖かい日が続いてきた矢先ゆえに余計、肌身に寒気が沁みている。いよいよ、老身を脅かす寒気の訪れにある。それゆえにきのうから、寒気に闘いを挑んで、冬布団に厚手の毛布を重ねている。さらにきょうからは、下着に肌着を一枚増やして、冬防寒重装備の完備を企てている。すでに上着は、子どもの頃の丹前代わりに、分厚いダウンコートを羽織っている。だからこの先、寒気が増しても着衣の重ね着はできず、現在の冬防寒重装備で、寒気と闘うこととなる。しかし、闘いにあっては、防戦一方になりそうである。続いていた暖かい日にかまけて私は、もちろんのほほんとしていたわけではない。異常気象ならぬ自然界気象の正規のめぐりであれば、突然の寒気とて文句を言う筋合いはなく、日々我慢を重ねるしか能はない。
 確かに、寒気の訪れは仕方ないけれど、年の瀬にあって天変地異の鳴動だけは、真っ平御免蒙りたいものである。川の流れのごとく緩やかに、いや早瀬のごとく日が流れてゆく。おのずから年の瀬の日々には、さまざまに万感きわまりない思いがつのってくる。それらの思いの一つは、この先の寒気しのぎである。すると、寒気を和らげてくれることではやはり、自然界の恩寵とりわけ太陽こそ最善である。端的にはしらずしらず眠気を誘われ、昼間にあって睡眠に落ちそうな太陽光線の恵みである。
 きのうの昼間、私は茶の間のソファに背もたれて、太陽光線のありがたみとつれなさを感じていた。窓ガラスを通してポカポカ光線がそそぐと、たちまちわが心身は、暖かさに解れた。逆に光線が翳ると、これまたたちまち、寒さで身震いした。言うなれば太陽光線の有る無しに応じて、わが心身は解れと縮みを繰り返した。つまるところ私は、いまさらのごとく、太陽光線のありがたみを感じていた。すると私は、かつての異国の名画の題名になぞらえて、『太陽がいっぱい』気分を満杯にしていた。
 本格的な冬将軍のお出ましに遭って、他力本願ながらわがすがるのは、太陽の恵みなかんずく、暖かい太陽光線である。この先、私は「ありがたや、ありがたや……」と、呪文を唱える日々の多さの訪れを願っている。いまだ夜明け前にあって、太陽光線の恵みはなく、わが身体はブルブル震えている。冬防寒重装完備だけれど、もとより太陽光線には、闘わずして大負けである。本格的冬将軍のお出ましに遭っては、「ひぐらしの記」の頓挫が危ぶまれるところである。

バカな、私

 十二月三日(土曜日)。口内炎の再発症による痛みのせいで、目覚めて起き出してきたら、身に沁みる寒気が訪れていた。この時季にしては異常気象と思えるほどに長く、暖かい日が続いていた。当たり前のことだけれどこの寒さは、不意を突かれたとんだお邪魔虫である。壁時計の針は、いまだ真夜中と呼ぶにふさわしい三時前をめぐっている。
 私はだれもが知っているごく簡易な三つの言葉を浮かべて、机上に置く電子辞書を開いた。
 難病:①治りにくい病気。②厚生労働省が指定した特定疾患の俗称。
 持病:全治しにくくて、常に、またしばしば、悩み苦しむ病気。宿痾。痼疾。
 僥倖:思いがけない幸せ。偶然の幸運。
 さて、私の場合は自分勝手に、たかが口内炎をわが難病に指定している。もちろん、正規の難病扱いにはできない、自分だけのまがいものの難病である。ところが一方、私の場合口内炎は、れっきとした持病と言えそうである。つらい辛い、確かな持病である。挙句、泣き虫の私は、現世(此岸、この世)から、お釈迦様が「極楽浄土ですよ……」と言って誘う来世(彼岸、あの世)へ、ときには早く行きたい思いもする。
 きのうの私は、あと四十分ほどで訪れる(四時)に、文字どおりの僥倖に恵まれた。僥倖とは起き出して来るや否や、サッカー・ワールドカップ(カタール)における、対スペイン戦のテレビ観戦に遭遇したのである。私は急いで階段を下りて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ赴いた。そして、ソファに置く、リモコンスイッチをすばやく押した。すると、これまたなんという僥倖であろうか。まるで、構えて仕掛けていたかのがごく、キックオフから間もない画面が現れた。こののちの私は、試合経過に見入り、ノーサイド(試合終了)にいたるまで、試合に魅入った。
 日本チームの勝利を見定めると、急いで二階へ逆走した。そして、気分の沸き立つままに、「勝ちました」と書いて、投稿ボタンを押した。きょうの私は、ちょうど四時に合わせて、このことを書くつもりだった。ところが壁時計の針はめぐり遅れて、未だ三時四分あたりをめぐっている。このため、四時近くまで、あえて時間潰しの推敲を試みる。そして、この文を閉じれば、階下へ下りて、洗面所に置く軟膏(塗り薬)を口内炎の患部に塗りたくるつもりでいる。
 夜明けの明かりは見えず、時計の針は四時近くまで進んできた。そして今まさに、きのうの試合開始時間へ到達した。心置きなく、投稿ボタンを押して、パソコンを閉じる。