ひぐらしの記

ひぐらしの記

前田静良 作

リニューアルしました。


2014.10.27カウンター設置

内田川(熊本県・筆者の故郷)富田文昭さん撮影

 

終戦の日

 8月15日(火曜日)。台風7号が日本列島を矢鱈と騒がしています。あいにく、8月盆と夏季休暇(夏休み)を取る(予定)の人たちと重なり、陸海空における観光、それにともなう交通機関や宿泊施設は混乱をきわめています。
 私は戦禍止んだ当時(私は5歳と1か月)に返り、厳粛にこの日(昭和20年8月15日)を切なく偲びます。それゆえ、付けたしの文章は休みます。

「お盆休み、夏休み」、取りたい

 8月14日(月曜日)。いつものように朝が来て、いつものように目覚めて、いつものように起きて、そしていつものようにパソコンを起ち上げている。人生の晩年を生きる者にとっては、きわめて「平和」と言っていいのかもしれない。きょうは8月盆のさ中にある。幸いにもまだ御霊にはなり得ない私は、きわめてダブルの幸運爺(児)なのかもしれない。しかしながら、心中はしどろもどろにうろたえている。なぜなら、パソコンを起ち上げても、書くネタもなく、書きたい気力もない。挙句、こんな逃げ状態に陥っている。「そうだ、夏休みを取ろう」。だけど、夏休みとは口実にすぎず、実際のところは休み明けの再始動が危ぶまれる。
 学童の夏休みであれば、明ければ元気よく、二学期が始動する。ところがわが夏休み明けは、わが意志のままにまた休むのも自由である。すると、自由というのは曲者であり、この自由に自分単独で打ち克つことは容易ではない。生来、私は三日坊主と意志薄弱の性癖(悪癖)まみれである。ゆえに束縛のない自由は、もとより天敵である。だから私の場合は、なんらかの負荷と束縛は必要悪と言えそうである。
 夜来の雨は上がり、薄っすらと朝日が光り始めている。太陽におんぶに抱っこされながら、わが期限ある命は翳りゆく。台風7号などに脅されてはいけない。生きているかぎり、日々脅され慄くことは多々ある。幸いなことに取る意志さえあればわが身は、夏休み、冬休み、さらには期限のない長期休暇にありつける。休みの期限をなすのは、命の途絶えである。
 こんな文章を書いても、気狂いの自覚症状はない。診断は他人様お任せである。今月(8月29日)には、内視鏡検査(大腸)が予定されている。

8月盆入り日、御霊を迎えるのは「吾れひとり」

 8月13日(日曜日)。8月盆入り日にあって、北上中の台風7号のせいか、小雨模様の夜明けが訪れています。小雨は時間を追って、大降りになるのかもしれません。台風が大過なく過ぎれば、このところの日照り続きにあっては、恵みの雨になりそうです。ところが台風にかぎれば、そんな暢気なことは言っておれません。なぜなら、わが家は2年前頃に屋根を吹き飛ばされて、恐怖と損壊そして多額の金の持ち出しを被りました。それゆえにそれ以来台風は、それまでのわが心模様とはまったく異にして、戦々恐々の心境はリアル(現実)に晒されています。挙句きのうは台風の接近を恐れて、早やてまわしに次兄の初盆のお参りに、東京都国分寺市内の宅へ行きました。すると、多くのきょうだいの中にあって、とうとう残されたのは「吾れひとり」と、あらためて実感しました。同時に、今や亡き、父と母、姉、兄、そして唯一の弟の面影を浮かべました。
 初盆のしんがりはやがて、私が務めることになります。そのときまでのわが務めは大事です。お盆、十分に御霊を偲ぶ務めを果たすつもりです。きのうは文章を休みました。きょうも休めば、こんなことは書かずに済みました。夜がすっかり明けました。台風7号北上中にあって、きわめて大切なお盆期間になりそうです。

人生にまつわる、述懐

 8月11日(金曜日)。夏の朝が訪れている。いや、真夏の朝が訪れている。しかし、カレンダーの上ではすでに、「立秋」(8月8日)へと、替わっている。忘れていた季節変わりは、寝室の網戸から零(こぼ)れてきた、風の冷たさで感じている。自然界の営みは、常に平静淡々である。決して人間界は、それを真似ることはできない。なぜなら人間界は、常に煩悩まみれである。私にかぎらず人は、淡々と生きることはできない。実際のところ人はだれしも、煩悩にまみれて絶えず「つっかい棒」につかまりながら生きている。この苦しさを口にするか、それともしないか。それは、器量の大小の違いとして表れる。すると私は、きわめて小器で絶えず口にしている。
 わが小器の証しは精神のマイナス思考であり、その表れは愚痴こぼしである。もとより私には、望んでも「淡々と生きる人生」はあり得ない。だからと言って私は、当てにならない神様頼みはしない。身近なところでエール(応援歌)を聞きたくて、私は両耳に集音機を嵌めてパソコンを起ち上げた。ところが今朝もまた、朝鳴きのウグイスの声は途絶えている。いや、このところこの状態が続いている。私には、ウグイスの鳴き声を聞き分ける能力はない。ウグイスとてときには、愚痴をこぼしているはずである。朝のうちはまだ、セミも鳴いていない。短い命のセミは、愚痴をこぼす間もなく、やがては屍(しかばね)となる。愚痴をこぼしながらもそれらより長いわが人生は、とことん幸福のはずである。だけど、そう感じないのはわが驕(おご)りなのか、いや口にすることのできるつらさなのか。
 8月は過去の出来事を顧みて、もとより「命、重たい月」である。淡々と生きたいけれど叶わないのは、「生きとし生けるもの」、すべての宿命であろう。私の場合は、その度が酷(ひど)すぎる。いやひとだれしも、人生は淡々と生きられる代物(しろもの)ではない。
 青空に、淡々と朝日が光はじめている。私は、大空を眺めるのが好きである。

空き家、空き地

 8月10日(木曜日)、起き出して来て、パソコンを起ち上げた。もはや、書くネタも気力もない。しばし、雨戸閉めない窓ガラスを通して、四角に限られた額縁の中の景色を眺めている。天上には青い大空がある。その下、遠くには小さく山が見える。手前の視界には電柱が立ち、幾筋(7、8本)かの電線が張られている。家並みには、空き家の二軒の甍(いらか)が並んでいる。移り去った人がほったらかしにしたままの空き地には、むさくるしい茂りが見える。わが家周りの電線伝いには、山に棲みつく台湾リスが現れて這い走り、すぐに枠の中から消えた。このところ、ウグイスの声は途絶えている。現在、セミの声はしない。ただ、セミはもう、当住宅地に姿を現している。私は先日の通院のおり、その証しを見た。最寄りの「半増坊下バス停」へ向かう緑道(グリーンベルト)に、一匹のアブラゼミが転がっていた。アブラゼミは焦げ茶色の羽を下にして、白いからだを仰向けて死んでいた。履いていたスニーカーで蹴飛ばしてもいいけれど、私は指先で拾い上げて傍らの草むらに置いた。子どもの頃とは違って年老いた私は、セミの死に様には憐憫の情をおぼえている。ただ遊び心だけだったセミ取りの、遅すぎた罪滅ぼしや罪償いなのかもしれない。私はしばし、朝日きらきら光る、夏の朝を堪能している。
 きょうの私には、歯医者通いがある。人だれでも、生きることは、つらいことだらけである。

長崎、原爆の日

 8月9日(水曜日)、夜のうちに小雨が降って、夜明けには上がっている。電線には雨粒が膨らんで、とどまっている。まもなく、朝日がつぶしそうである。こんな夏の朝もいい。その証しに、寝起きの気分はほぐれている。しかし、書き添えなければならない。
 きょうは何の日? するとそれは、78年前に起きた「長崎、原爆の日」である。過ぎた「広島、原爆の日」(8月6日)に続いて、わが夫婦は1分間の黙祷をせずにはおれない。来週には、太平洋戦争「終戦(敗戦)の日」(8月15日)が訪れる。毎年書くけれど8月は、日本の国と国民にとっては気分の「重たい月」である。
 きょうは、このことを書くだけで十分であろう。何があろうと、戦禍に比べればつつがない日々である。

『朝はどこから』

 童謡『朝はどこから』(作詞森まさる 作曲橋本国彦 唄岡本敦郎)。
 「朝はどこから来るかしら あの空越えて 雲越えて 光の国から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは希望の家庭から 朝が来る来る 朝が来る おはよう おはよう 昼はどこから来るかしら あの山越て 野を越えて ねんねの里から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは働く家庭から 昼が来る来る 昼が来る こんにちは こんにちは 夜はどこから来るかしら あの星越えて 月越えて おとぎの国から来るかしら いえいえそうではありませぬ それは楽しい家庭から 夜が来る来る 夜が来る こんばんは こんばんは」。
 8月8日(火曜日)、起き立てにあって、この歌をハミングしている。きのうは自分のための通院、きょうは妻の引率にあっての通院、あしたは買い物、あさっては自分のための歯医者への通院、そして次の日はまた買い物。週末二日はまだわからない。わが体は薬剤にまみれ、わが家は生きるためのコストにすなわち、医療費および買い物費用、総じて生活費にまみれて怯えている。
 幼い頃の屈託のない日常がよみがえり、とぎれとぎれに童謡を歌っている。童謡っていいなあ、朝っていいなあ……それだけ。

雨、雑感

 8月7日(月曜日)。眼下の道路にはきのう降った雨の跡かたがまだあるものの、すっきりと晴れた「夏の朝」の夜明けが訪れている。パソコンを起ち上げるとすぐに、インターネットの記事を閲覧して、雨の降り方をおさらいした。いや多くは、いまさらながらに新たな学びに出合った。すると、雨の降り方やその表現は箆棒にあり、数えかつ覚えきれるものではないという。
 それらの中から、143通りの降り方が説明付きで、記されていた。ここにそれらを転記すること自体、容易ではなくだからそんなバカなことはしない。寝起きに浮かんでいた事柄をあえて書けば、こんなものである。ほぼ同義語だが並べれば、驟雨、俄雨、日照り雨、狐の嫁入り、心情的には日照り続きの中にあって突然降った、喜雨、慈雨、恵みの雨と言えるものだった。これらのほかにもいくつかの降り方は浮かんだけれど、ここでは省略せざるを得ない。うれしさにおいては、思いがけない夕立とも言えるけれど、入道雲や雷はともなわず、晴れた大空の下、滂沱のごとく「降っては止み、止んではまた降った」を繰り返した。日照り続きのせいで、萎えていたわが心身は悦び、一気に生気が戻った。
 ところが、わが心身に輪をかけて、見渡す限りの草木は、溢れるほどの水分を帯びて、艶々に生気を露わにした。降ったり、止んだりの繰り返しで、私は網戸と窓ガラスの開け閉めに部屋の中を小走りした。けれど、きのうの昼間は、雨に出合い痛快だった。昼間と限定したことには、わが夫婦は朝の八時十五分、原爆が投下された広島市の「平和の鐘」の合図の下、一分間の黙祷を捧げて、涙したからである。
 NHK番組はまもなく、夏の高校野球の開会式を映じた。なんだかなあ……、ちぐはぐな一日だった。だからきのうは、自然界の営みを含めて、人生の縮図を見ているような悲喜交々の一日だった。きょうには青天の霹靂は望まない、穏やかで平凡な一日を願っている。幸先よく大空は青く染めて、風雨パタリと止んだ、のどかな朝ぼらけが訪れている。

夏の木陰

 8月6日(日曜日)、朝日の見えない曇天の「夏の朝」が訪れている。ちょっぴり気分を殺がれているけれど、夏の朝の心地良さには変わりない。ところが、心地良さは夏の朝一辺倒ではなく、昼間の「夏の木陰」もまた、楽しからずや! である。
 わが家最寄りの「半増坊下バス停」には、一基のベンチが置かれている。それに座ると頭上には、付近の緑道(グリーンベルト)に植込みの桜木の葉桜が垂れ下がる。今時の葉桜は、限界なまでに深緑をなしている。その下すなわち、ベンチに座ったり、付近に佇んで、巡って来るバスを待っていると、木陰と夏風のコラボレーション(協演)の恩恵を享ける。日光を遮り、冷えた夏風が全身にあたるとすこぶる気分良く、たちまち私は、「夏の木陰」の楽しさに酔いしれる。その恩恵に報いるため冒頭に、そのことを書いたのである。
 きのうは念願のかき氷を食べたことで図に乗り、書き殴りで長々と書いた。謹んで詫びるところである。その罪償いにきょうは、短い文章で結文を決め込んでいる。
 きょうには、夏の高校野球大会(兵庫県西宮市・阪神甲子園球場)が開幕する。一方、日本大学(日大)は、アメフト部の不祥事で揺れている。高校球児に関係はない。だから私は、晴れて代表校に選ばれて出場する、日大山形(山形県代表校)、日大三高(西東京代表校)、土浦日大(茨城県代表校)、大垣日大(岐阜県代表校)を応援する。
 きょうの文章は、これでおしまいである。長い文章を詫びた証しになるであろうか。いや実際のところはネタ無しゆえの、止もう得ない短い文章である。
 曇天を撥ね退けて、朝日が輝き出している。きょうの買い物行動では、「夏の木陰」を満喫できそうである。礼賛の証しに表題は、「夏の木陰」でいいだろう。

夏風邪憂鬱、かき氷快感

 8月5日(土曜日)、朝日輝く爽やかな夏の朝が訪れています。網戸を通して、涼やかな夏の朝風が入っています。幸いにも私は、生きています。ところが、気分は憂鬱です。毎年見舞われる夏風邪をひいたしまったせいです。市販の薬剤、「コルゲンコーワ・鼻炎ソフトミニカプセル」を服用しています。効果を実感しています。
 きのうは大船(鎌倉)の街にある低級レストランで、高級(高額)のかき氷を食べました。妻は置いてきぼりのままに、わが単独行動でした。食べたかき氷の値段は1.100円で、消費税込みで1,210円を支払いました。せっかく念願叶ったのにケチな私は、文字どおりケチりました。店頭表示のかき氷の値段は、1、100円帯と1、350円帯に分かれていました。ケチな私は後者を敬遠して前者の中から、好みのものを選んで注文し食べました。いくらか、悔いを残した後の祭りでした。
 出来立てのレストランは若い女性客が多く、入るのにもかなりビビリました。そのうえ、かき氷を食べることにはなおビビリ、私は老いた太い図体を細めて、隠れるような気分で食べました。ところが、店内にはチラホラ高齢の夫婦や単独の客がいました。バカな私は救われた気分なり、横目流しに目勘定をしました。すると、私以外に5人ほどかき氷を食べていました。かき氷を食べている高齢者は、私同様に童心返りをしたくなったのでしょう。私の委縮していた気分は、緩んで落ち着きました。
 ところがどっこい、すぐにダメージをこうむりました。なぜなら、すべての人が1,350円帯のかき氷を食べていたからです。大船の街で値段の高低にかかわらずかき氷を食べようと思えば、此処よりほかには見つかりません。私の場合、ファーストフードの店頭で掲げるかき氷は、童心をいたく傷つけるだけで、食べる気にはなれません。わが心中に根づくかき氷のイメージは、器からはみ出るほどの山なりのものです。白い氷の色付けは、赤、緑、黄色のどちらかの、一色で十分です。ところが、きのうのかき氷の色付けは、上品ぶって抹茶色に塗られて、謳い文句には「北海道産アズキ」と、記されていました。確かに、値段の半分ほどの価値の美味しさはありました。もちろん私は、美味しさを愉しめました。この店は、出来立てほやほやの駅前の高層豪華ビルの中にあります。それゆえに値段の半分は、かき氷には関係のない家賃に化けるのでしょう。
 こんなケチな考察は止めにして、かき氷を食べた喜びは、十分に叶えられました。帰宅すると私は、恐るおそる妻へ、こう言いました。
「1、100円のかき氷を食べて、消費税込みで1、210円、払ったよ。1、350円のかき氷もあったが、それは諦めたよ。食べている人はみんな、1、350円のものを食べていたよ」
 すかさず妻は、こう言いました。
「パパって、バカだねー。みっともないわよ。1、350円のものを食べればよかったじゃないの……」
 私は、かき氷には童心返りを求めているのです。だから、当時のかき氷に似たものを食べれば、味覚はそっちのけにして十分満足です。私は山なりで器からはみ出しそうはかき氷を、ひと匙も落ちないように気を遣いながら食べました。
 この文章を書き殴りで書き終えると、夏風邪がもたらしている憂鬱気分は和らいでいます。朝日の爽やかさは、いっそういや増しています。あと、西瓜を食べれば、夏気分満喫です。