ひぐらしの記
 
前田静良 作 


 2014.10.27カウンター設置
以前の作品は右掲載の単行本に収録しました。
 
内田川(熊本県・筆者の故郷) 富田文昭さん 撮影 

しんがりのうれしい金メダル 

 とんでもなくうれしいことと言おうか、いやとんでもなくなさけないことと言うべきか、まったく予期していない文章を書く羽目になっている。「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」の最終日(閉会式)のきょう(二月二十五日・日曜日)にいたるまで、とうとうそれにかかわる文章を書いている。実際のところは書かずにおれなかったのである。
 きのう(二月二十四日・土曜日)の私は、書き続けてきたオリンピックのことはこれで打ち止めのつもりで、『冬季オリンピックにおける「風」』の一文を書いた。書き続けてきたとは言っても実際のところは、自作文にあらずメディアの伝える配信ニュースの引用に終始してきた。だからこのことには半面、なさけない思いをつのらせていたのである。
 ところが、日本選手団(人)のメダルラッシュ、とりわけ金メダル獲得の快挙が伝えられると、そのたびに記しとどめて置かざるを得ないうれしさが沸き立っていた。それは人様がしでかした快挙への称賛であり、自分ではありつけない喜びの共有でもあった。このたびの平昌(ピョンチャン)オリンピックにおける日本人選手の活躍ぶりには、まさしく想定外のうれしいニュースの陸続(りくぞく)がある。そしてその活躍ぶりは、とうとう閉会式前日のきのうまで続いたのである。そのためきょうの文章は、またまた自作文に代えて、高木菜那選手の金メダル獲得を伝える配信ニュースを引用し、その快挙を記しとどめて置くものである。なぜならこの快挙は、私には想定外の朗報でもあったのである。
 【高木菜那が新種目マススタートでも金「最高のオリンピックにできた」】(2/24・土曜日21:41配信 デイリースポーツ)。「平昌五輪・スピードスケート女子・マススタート・決勝。決勝に進出した日本の高木菜那(日本電産サンキョー)が新種目マススタートで金メダルを獲得した。高木菜那は女子団体追い抜きに続く2つめの金となった。決勝は、16人が400メートルトラックを16周する。4周通過ごとに上位3人に中間ポイントを付与され、ゴール順による最終ポイントと合算して順位が決まる。1~3着はゴールと同じ着順となるが、4着以下は獲得ポイントで決まる。高木菜那は第1組で滑った準優で4周目を1位で通過し5点を獲得。決勝進出を決めた。第2組の佐藤綾乃(高崎健康福祉大)は途中転倒でリタイアとなり、決勝進出を逃した。新種目の初代女王となった高木菜那は『最高の舞台で初めて一番高いところに立ててうれしいです。1回目で佐藤が転んでしまって、2人でワンツーフィニッシュを狙っていたんですけど、佐藤の分まで金メダルを獲りにいくぞと。自分の最高の滑りができて最高のオリンピックにできた』と笑顔を見せていた。」
 高木菜那選手は、スピードスケートにおいて金、銀、銅、を獲得している高木美帆選手のお姉さまである。菜那さん自身は、二つ目の金メダルである。姉妹で、金三つ、銀一つ、銅一つ、都合五つのメダル獲得である。平昌(ピョンチャン)オリンピックの最後にきてまで、書かずいや引用せずにはおれなかった高木菜那選手の快挙である。もちろん、想定外と言うことは罰当たりである。

冬季オリンピックにおける「風」 

 二月九日の開会式に始まり開催中の「冬季・平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、いよいよあす(二月二十五日・日曜日)の夜に閉会式を迎える。いち早く顧みればこの間の「ひぐらしの記」の多くには、オリンピックにかかわる文章を書いたり、それにかかわるメディアの伝える配信ニュースを引用した。もとより二月は、例月に比べて日数の少ない月である。このこともあってこの二月のわが日常生活は、オリンピックのテレビ観戦一辺倒で過ぎそうだ、という思いを強くしている。その証しは、これまでのオリンピックにかかわる文章や配信ニュースの引用の多さに表れている。
 ほぼ競技を終える今回のオリンピックを概観すれば、私はテレビ観戦を通して大いに楽しむことができている。楽しめている理由の一つには、期間中における日本選手団(人)の予想をはるかに超える活躍がある。そしてもう一つの理由には、日本人選手にかぎらず世界中の選手のおりなす妙技を観る楽しさがある。すなわち、平昌(ピョンチャン)オリンピックには、テレビ観戦を通してけた外れに楽しめるものがある。冬季オリンピックには、まさしく観るスポーツの醍醐味がある。雪であれば雪だるまを作ったり、氷であれば氷柱(つらら)を噛んだりするしか、私には能はない。一度のスキーとアイススケート体験では、すぐにすってんころりとなった。それに懲りて二度目の体験は、まったくの用無しを決め込んだ。こんなわが恐怖体験もあって、雪と氷の上に繰り広げられる冬季オリンピックの競技は、私にはすべてが神技(かみわざ)と思えるところがある。実際にはテレビ観戦を通して、驚異と驚嘆に明け暮れている。
 確かに、冬季オリンピックのほぼすべての競技は、困難と危険との抱き合わせでもある。そのため、よくもあんなことができるものだ! する勇気があるものだ! という驚愕と称賛まみれでもある。そして、冬季オリンピック競技は夏季オリンピックと違って、厄介な自然界現象との闘いでもある。厄介な自然界現象とは「風」である。屋外競技のスキーはもちろんのこと、屋内競技のアイススケートにあっても風は厄介である。具体的には、風が止んでいるか、向かい風か、あるいは追い風か、すなわち競技中の風の状態に競技者は神経をとがらしている。屋内のアイススケートにあっては、競技中に発生する風に悩まされる。先頭を滑る人は、風を切って滑り風除けにもならなければならない。この駆け引きは、勝敗の大きな要素ともなっているのである。
 結局、冬季オリンピックのテレビ観戦を通して唯一学んだことは、「風の吹きよう(状態)」だったと、言えるかもしれない。ところがそのぶん私は、ままならない雪と氷の上の妙技に酔いしれているとも言えそうである。しかし、競技者からはテレビ観戦者の傲慢(ごうまん)と、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうである。

春の雪 

 二月二十三日(金曜日)、暖かい春三月が間近に近づいている。しかしながら、いまだ寒中である。そのため、身に沁みる現在の寒さを寒の戻りと表現するのは、先走りの誤りであろう。一方でこの寒さは、確かな期限付きである。
 きのう(二月二十二日・木曜日)の鎌倉地方には、昼間、小雪がちらついた。私と妻は、茶の間に置く互いのソファに座り、窓ガラスを通して小雪模様を眺めていた。妻が「パパ。雪が降っているわよ」と、言った。私は「そうだね」と、応じた。私の返答が短く、妻は拍子抜けした面持ちで、二の句を告ぐことはなかった。もちろん私には、素っ気ない意思はなかった。しかし、妻はそう受け取ったようである。なぜなら、いつもの倣(なら)いにしたがえば妻は、私がもっと驚きを露わにすると思っていたのであろう。
 茶の間は、エアコン稼働で温まっていた。しかし外気は、小雪のせいばかりではなく、冷え冷えに眺められた。ところがこのときの私には、小雪や寒気を眺めるにも、気持ちに余裕があった。実際のところ私は、つかのまの「春の雪」気分で眺めていた。もちろんこの気分は、二月の日数も少なくなり、春近しという心の持ちようからもたらされていた。
 確かに、今冬はこれまで、例年に比べてわが体感的にも寒気厳しいものがある。いや、わが体感のみならず、いみじくもきのうのテレビニュースのアナウンサーは、こんなことを伝えた。東京電力はこの冬の気温低下のため、電力が不足になり一時的に他社からもらっている。ところが電力消費は、95パーセントの高止まりにある。そのため、停電を免れるためには節電が必要である。すなわち、東京電力からの節電の要請を伝えていた。
 ある週刊誌には、大雪続きで太陽光発電の不能ぶりが伝えられていた。わが家にあって例年を凌ぐ寒気の証しは、郵便受けに投げ込まれてくる水道、ガス、電気の使用量明細に明らかに示されている。いずれも、例年を大幅に上回っている。確かに、水道の場合は寒さが堪えて多く風呂に入った証しであり、ガスはガスストーブ、そして電気はエアコンの使用量が増えたせいである。結局、これらの使用量は例年をはるかに超えて、支払う料金にはねかえっている。しかし、そのぶん寒気を凌ぐ恩恵にさずかったことは確かであり、支払う金額の多さに泣き言は言えない。
 思いがけない春の雪は、案外これらの打ち止めをもたらすのかもしれない。そうであれば、もはや期限付きの寒さには、この先耐えられそうである。吉兆、のどかな春の雪だったと、言えるかもしれない。

フイナーレ(終幕)間近の金メダル 

 きょうは二月二十二日(木曜日)、このことでは開催中の「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」のフイナーレ(終幕)が間近に近づいている(二月二十五日)。開催中のこれまでの私は、競技や競技者にまつわるメディアの配信ニュースを幾度となく引用した。これには日本人選手の活躍にたいするうれしさと、自作文にあらず引用文にすがる私自身のなさけなさが絶えず同居していた。そして、フイナーレ(終幕)が近づくにつれて私は、競技にまつわる配信ニュースの引用は、もう打ち止めになるだろうと高をくくっていた。ところが、フイナーレ(終幕)間近になって記して置かずにはおれない、日本人選手の金メダル獲得の朗報がもたらされたのである。もちろん、配信ニュースにすがる私自身のなさけなさをはるかに凌ぐ朗報である。そのため、臆せず快挙を伝える配信ニュースを引用し、競技者の栄誉を記し置くものである。
 【<五輪スケート・パシュート女子1500メートル>チーム力の日本に金 圧倒的な「個」退ける】(2/21・水曜日22:13配信 毎日新聞)「スピードスケート女子の団体追い抜き・決勝。日本の結束力が、オランダの『個』の力を退けた。決勝で対戦したオランダは女子1500メートル金メダルのブストをはじめ3人ともメダリスト。しかし最後に笑ったのは、1年を通じてナショナルチームで強化を進めてきた日本だった。団体追い抜きは2006年トリノ五輪から正式に採用された歴史の浅い種目。日本スケート連盟は有効な戦術が確立されていないことに着目し、14年ソチ五輪後に隊列の研究を進めた。重要なのは、3選手の体力的な負担を少なくするために空気抵抗を小さくすること。14年10月に国立スポーツ科学センターで行った風洞実験がヒントになっている。女子は秒速13・6メートルの風を吹かせて、実際の競技状況を再現。滑走姿勢の高低▽選手間距離の遠近▽選手間の左右のずれ--を状況別に検証した。その結果、3人の列を左右にずらさないことを意識する重要性がわかった。一方で選手間の前後の距離は125~130センチほど離れても空気抵抗が抑えられると判明し、間隔が離れることへの選手の不安を解消した。先頭を交代する時に後ろへ下がる選手のコース取りも、無理に他の選手に近づき減速しないよう、あえて外に大きく回る。日本連盟のスピード科学スタッフの責任者、紅楳英信さん(38)は『思考が必要とされる種目で勝てば『技術大国ニッポン』ならでは、となる』と笑う。科学の英知による裏付けも、日本の強さを支えた。」
 金メダルの栄誉に輝いた四人編成の日本チームメンバーは、高木菜那選手(姉)、高木美帆選手(妹)、佐藤綾乃選手、菊池彩花選手である。四人の道産子(娘)がもたらした日本チームの快挙である。

確かな春の訪れ 

 二月二十一日(水曜日)、梅だよりが飛び交う季節となった。桜だよりと違って梅だよりは、ひそかで地味である。うっかりしていると、知らないままに、桜だよりに先を越されてしまいがちである。とっくに庭中の梅の木は、蕾がはじけている。ところがきのうになって妻は、雨戸を開けながら素っ頓狂に声をがなり立て、「パパ。来て、来て!」と、私を呼んだ。私は何だろう? と、やや訝(いぶか)りながら近づいた。
「パパ。梅の花が咲いているわよ」
「知ってるよ」
「そうなの? かわいいわね…」
「うん。桜の花は咲くと言うけれど、梅の花は綻ぶと言うよ」
「そんなこと、どうでもいいわよ。わたし、梅の花のほうが好きだわ!」
「そうだね。梅の花はおれに似て、パッとしないけどね」
 寒中に長く耐え忍んでいた、遅咲きの椿の蕾がようやく開いた。これまた、妻の呼び声に応じて、茶の間の窓ガラス越しに、しばしふたりして眺めた。
 老夫婦の日常生活とは、こんなものか! と嘆息した。穏やかと思えば、おだやか! 詰まんないと思えば、つまんない! よくもわるくも刺激の少ないわが日常にあって、きのう(二月二十日・火曜日)は、思いがけないメールが届いた。受信メールは春の訪れを告げると同時に、早々と桜見物への誘(いざな)いであった。
 棚牡丹(たなぼた)とも思えるメールを送信してくれた人は、会社同期入社の仲間である寺沢さん(埼玉県狭山市ご在住)である。メールの内容は、「上野公園」(東京台東区)の桜見物企画と仲間への呼びかけだった。同時に、そのための都合の良い日の打診だった。早や、桜だよりが届いたのである。メールには見頃を予測して、いくにちかの日取りが記されていた。私は喜悦して、友人の気遣いに感謝した。そして、「ぼくは、どの日でも構いません。そちらで決めて、またご連絡ください。桜見物の企画、感謝しています」と、返信メールを送信した。
 怠惰(たいだ)な日常生活に、友情という温かい息吹(いぶき)が舞い込んだのである。確かにきのうの関東地方は、梅だよりを出し抜いて、一足飛びに桜だよりがきたようなポカポカ陽気だった。このことから私の気分は、梅の花みたいに緩く綻んでいた。その証しには茶の間に妻を残して、私ひとりで普段の買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。
 この日も、いつもの買い物コースをたどった。それは野菜と果物の安売り量販店「大船市場」から始まり、駄菓子屋、鈴木水産、最後は「西友ストア大船店」のコースである。ポカポカ陽気の訪れは、どこかしこへいつもより多くの買い物客を連れ出していた。特に驚いたのは、西友ストアにおける買い物客の混雑ぶりであった。私の場合は、このことを目当てに出かけたつもりはなかった。このこととは、きのうの西友ストアは「五パーセント引き」の該当日だったのである。確かな春の訪れは、人の行動を旺盛にするようである。

平和 

 寒気は遠のいた。庭の梅の木の蕾は、すっかり綻んだ。あえて書くまでもなく、季節めぐりがもたらしている自然界現象である。二月二十日(火曜日)の夜明けが訪れている。さらに、自然界現象の最たるものを記すと、夜明けの早さが加速している。
 「平昌(ピョンチャン)オリンピック(韓国)」のテレビ観戦に感(かま)けているうちに、二月は早や一週間余りを残すのみとなっている。もともと二月は、例月より日数の少ない月である。ところが、今年(平成二十九年・二〇一八年)の場合は、冬季平昌(ピョンチャン)オリンピックの開催月となり、この間の私はテレビ観戦に興じている。そのため、私にとっては予定されている競技日程の消化につれて、日数が消えてゆく感じである。このことでは、今年の二月は例年にも増して短く感じている。
 身近なところでテレビおよび新聞は、オリンピック報道に明け暮れている。輪をかけて、幸いにも日本選手団の活躍が目立っている。活躍の証しを示すメダルの数では、過去最多の「長野オリンピック」の十個とはすでに並び、なおこの先超えそうな勢いががある。このこともあって報道各社は、視聴率のうえでも有卦(うけ)に入っているような大賑わいぶりを呈している。
 確かに、日本人選手の栄冠や奮闘ぶりには、わが胸の鼓動は高鳴るばかりである。もちろん、わが胸にとどまらず日本国民の胸の鼓動も高鳴り続けているであろう。メディアにすれば日本国民の胸の鼓動を自社に引き込むことに躍起となるのは、確かに競争原理に適(かな)うところでもある。今回は朝鮮半島の南の国・韓国におけるオリンピック開催とあって、暴れん坊の北の国・北朝鮮は、にわかに同邦・有邦のそぶりに徹している。北朝鮮が鳴りを潜めれば、おのずからアメリカ・トランプ大統領の口撃(こうげき)も緩みがちである。このため私には、この二月はオリンピックの開催と相まって、世界が平穏(平和)になっているように感じるところがある。もちろん、長続きは望めそうにはないけれど、つかの間の平和のありがたさをしみじみと感じているところである。喧嘩腰、すなわち対話なく圧力一辺倒では、平和は遠のくばかりである。
 平昌(ピョンチャン)オリンピックのテレビ観戦にあって私は、平和のありがたさが身に沁みている。できればオリンピック期間中の平穏を続けて、私は世界中が「春は曙(あけびの)」機運に満ちあふれることを願うところである。

 付記、明けてこんな配信ニュースに出合った。

 【思い出のタクシー代 小平と李相花 長く競い合った日韓エースの友情物語】(2/19日・月曜日、 0:18配信デイリースポーツ)。「平昌五輪。日本選手団の主将で国内外で同種目24連勝中の小平奈緒(31=相沢病院)が36秒94の五輪新記録をマークし、スピードスケート女子では初となる金メダルを獲得した。ライバルで、五輪3連覇を狙う地元・韓国の女王の李相花(イ・サンファ)を破っての戴冠。親友の2人はレース後、笑顔でお互いを称え合った。美しい光景だった。レース後、3連覇を逃した李は涙。小平はその李のもとへ向かい、抱き締めて言葉を掛ける。「韓国の五輪で、相花の受ける重圧は相当なものだったと思う。“すごくたくさんの重圧の中でよくやったね、私はまだ相花のことをリスペクトしているよ”と、伝えました」。李も涙顔から笑顔に。2人でウイニングランを敢行した。世界の舞台で長く競い合ってきた。500メートルでは圧倒的な力を誇ってきた李。ただ、そのアスリートとしての姿勢は、小平にとっても憧れだった。2人で並んだ記者会見。小平が「サンファはいつも親切なんです。3年前にソウルのW杯で私が初優勝した時、すぐにオランダに戻らなきゃいけなかったんですけど、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれて、お金も出してくれた。結果は悔しいはずなのに。真摯(しんし)に奈緒のためにという思いで。それがすごくうれしかった」と、思い出を語れば、李もまた小平の姿勢を尊敬の念を示し「彼女とレースをして、悪い気持ちになったことは一度もない。タクシー代は確かに払った(笑)。でもネガティブな気持ちはまったくなかった。いい友達だから。彼女のライバルであることを誇りに思ってる」と、笑顔を返した。李もまた、思い出話を披露。「アスタナでバスを待っていた時に、奈緒と写真をとったんです。奈緒はその時、『次の五輪はあなたが勝って、私が2位ね』と言っていた。私も『それならあなたが勝って、私が2位でいい』と言い合いました」と、懐かしそうに話した。同世代でずっと世界のトップで競い合ってきた2人。日韓のお互いの家に招待するなど、絆はずっと深かった。リンクを離れ、親友に戻った2人は、ずっと笑い合っていた。

小平奈緒選手、金メダル 

 このところの「ひぐらしの記」の文章は、メディアの伝える配信ニュースの引用に明け暮れている。このことではかたじけない思いつのるばかりである。一方では、競技者からさずかる感動を放って置くことには忍び難いものがある。実際のところわが日常生活において、感動に浸ることは年年歳歳少なるばかりでもある。このため、人様からさずかる感動ではあっても、記してとどめて置くことにはそれなりの意義がある。きょう(二月十九日・月曜日)記す感動編は、昨晩テレビ観戦した小平奈緒選手の金メダル獲得を伝える配信ニュースである。
 【小平奈緒、五輪新で女子500m悲願の金メダル!韓国・李相花の3連覇阻止】(2/18日・日曜日、21:32配信 スポーツ報知)。「平昌五輪第10日、スピードスケートの女子500メートルが行われ、小平奈緒(31)=相沢病院=が36秒94の五輪新記録で金メダルに輝いた。スピードスケートの女子で初、日本選手団主将として冬季大会初めての金メダルになった。小平は昨季から続く国内外の連勝を25に伸ばし、地元・韓国の李相花の3連覇を阻んだ。今大会ではフィギュア男子の羽生結弦(23)=ANA=に続いて2個目の「金」で、メダル数は最多だった長野五輪の10個に並んだ。日本選手団主将を務める小平は2010年バンクーバー五輪の団体追い抜きと今大会の1000メートルで銀メダルを獲得しており、通算3個で冬季五輪の女子では最多となった。小平奈緒『周りが何も見えないくらいうれしいです。考えないようにしていたこともあったが、全て報われたような気持ちです。(コーチと)二人三脚ではなくて、学生だとか同じチームの人たちが私を支えて下さったので、皆にありがとうと伝えたいです。最初から集中して、自分の持ち味を出し切れたレースだったと思います。獣かどうか分からないですけど、躍動感あふれるレースができたと思います』。」
 レース終了のあとには、敗戦の悔しい涙にくしゃくしゃに濡れた韓国の李相花との、清々しい友愛光景が繰り広げられた。思いがけない美しく輝かしい光景に、わが瞼はたっぷりと濡れた。俗にいう、感動を抑えきれない「もらい泣き」であった。感動とは、みずからは成し得ない人様からさずかる心映えである。

 日の丸、金、銀、相並ぶ

 きょう(二月十八日・日曜日)の文章は自作文にあらず、メディアの伝える配信ニュースを引用し留め置くものである。表題には「日の丸、金、銀、相並ぶ」と付けた。金を為したのは羽生結弦選手、銀を為したのは宇野昌磨選手である。日本国内にとどまらず、世界中の人々が二人の快挙に陶然と酔いしれている。
 【羽生結弦連覇、宇野昌磨は銀…初のダブル表彰台】(2018年02月17日14時09分 読売新聞)。「平昌五輪第9日は17日、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)が206・17点でフリー2位となり、合計317・85点でこの種目66年ぶりの連覇を達成した。サルコーなど2種類の4回転ジャンプを計4回着氷し、大きなミスのない演技を見せた。SP3位の宇野昌磨(トヨタ自動車)は、冒頭の4回転ループで転倒したものの、202・73点でフリー3位となり、合計306・90点で銀メダルを獲得。フィギュア日本勢が表彰台に2人立つのは、男女通じて史上初の快挙となった。SP2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)が合計305・24点で銅メダルに輝いた。SP20位の田中刑事(倉敷芸術科学大)は、合計244・83点で18位だった。SPで17位と失速したネイサン・チェン(米)が4回転ジャンプを5回成功させ、215・08点でフリー1位となり、5位に入賞した。」

 才能と努力

 このところのテレビニュースは、開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)の報道で大わらわである。これに付随するものには、メダルを獲得した日本人選手を称える番組がある。その多くには、勝利者の生い立ちからこんにちにいたるまでの鍛錬や努力ぶりが披露される。実際には、生来の才能に輪をかけてさまざまな涙ぐましい鍛錬ぶりが、映像をともなって披露される。番組の意図するところは、勝利者のまさしく「栄冠には涙あり」という、厳しい鍛錬や努力の過程を余すところなく伝える感動編である。
 確かにそれを見入る私の眼(まなこ)には、番組の意図のままに感涙があふれている。そして、このときの私は、才能と努力という言葉を心中に浮かべて、あらためてその結実を称えている。もちろん、惜しくもメダルにありつけなかった人の才能と努力とて、勝利者に劣るどころか、それを超えるところもあろう。だから勝利者だけを褒め称えるのは、番組のご都合主義の最たるものでもある。しかしながら、勝敗のともなう競技にあって勝利者だけの称揚は、避けて通れないさだめでもある。
 日本社会にあってこの二月は、さまざまな受験シーズンの真っただ中にある。新聞の朝刊には、予備校や学習塾のおりなす合格者名と写真が刷り込まれた折り込みチラシが目立ち始めている。実際のところは合格実績を誇らしく掲げて、不合格者や後続の受験生の勧誘合戦見えみえである。さまざまな試験にもまた、才能と努力があらわに示される。このことでは受験もまた、戦いに挑むオリンピックと同様のものがある。いやむしろ、不合格のつらさと屈辱は、オリンピックの敗者をしのぐものがあろう。なぜなら不合格者の多くは、そののちの進路選択までにも影響が及ぶからである。
 このところ私は、平昌(ピョンチャン)オリンピックのテレビ観戦に明け暮れている。同時にこの時期は、日本社会の受験シーズンを浮かべている。このためわが心中には、常に才能と努力という言葉が浮かんでいる。それは才能と努力にまったく縁のない、わが負け惜しみの切なさなのかもしれない。

 春の憂鬱

 二月十六日(金曜日)、寒気の緩んだ夜明け前が訪れている。北陸と中国地方には、すでに「春一番」が吹いたという。関東地方に春一番が吹くのも、まもなくであろう。確かに、このところの関東地方は気温が高くなっている。日本列島には日々ところを替えて、春が近づいているのである。つれて、三寒四温という季節用語はしだいに遠退いて、春一番を境にして来年までお蔵入りとなる。今さら言わずもがなのことだけれど、季節はそれにふさわしい季節用語をともなってめぐる。
 春一番は、気象庁の示す確かな春の訪れの証しである。もちろん、気象庁に頼らずともわが家の庭中や周辺に目を凝らすと、春の訪れの証しはさまざまにある。蕾を固くしていたツバキは、今や艶(つや)やかに咲きそろい、陽光にきらめいている。梅の蕾は、ポッコリとほころび始めている。ツワブキの黄色い花は、健気(けなげ)に純粋無垢の輝きを放っている。フキノトウも芽出しはじめている。厄介者では雑草が萌え出して、土色を緑に染め始めている。冬枯れに空いていた木立は、枝葉が芽吹いて込んだ風景に戻りつつある。道筋の竹林は、竹藪に変わり始めている。みはるかす杉山には花粉が膨らんで、しだいに山の色が変わり始めている。
 きのう(二月十五日・木曜日)の買い物行にあって私は、暖かさにたまりかねて下着を減らし外套(がいとう)を脱いだ。季節は確かな春の訪れを告げている。ところが、こんななかのわが行動は、茶の間暮らしの冬ごもりに甘んじている。やんぬるかな! 茶の間暮らしを支えているのは、もっぱらテレビ視聴である。具体的には開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)の競技と、それにかかわる番組の視聴の明け暮れである。オリンピック開催中のテレビは、文字どおりそれにかかわる報道一色である。そのため、リモコンを手にすると、いやおうなくオリンピック番組一辺倒となる。その間隙には、わがファンとする阪神タイガースのスプリングキャンプ(春先の練習風景)を観る羽目となる。すなわち、よくもわるくもわが行動は、テレビ視聴漬けに明け暮れている。
 確かに、どちらも好むもののテレビ観戦である。だからと言って、気分晴れ晴れとうはかぎらない。いやむしろ、実際のところは憂鬱気分にとりつかれている。それは、こんなメリハリの無い日暮らしで人生を閉じるのか! と、わが身の甲斐性無しにさいなまれて、ウンザリしているからである。私の場合、暖かい春の訪れは、春の憂鬱をともなってやってくる。とことん、なさけない!

 冬季オリンピックのテレビ観戦の醍醐味

 開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、後半戦に入るやいなや日本人選手のメダルラッシュが続いている。このことでは、このところの私は大いにテレビ観戦を楽しめている。やはりオリンピックのテレビ観戦は、日本人選手が参加しているだけでは、楽しめないところがある。おのずからNHKをはじめとするメディアは心得ていて、日本人選手のメダル争いの報道に躍起である。その報道光景は、まさしく「勝てば官軍、負ければ賊軍」さながらの賑々(にぎにぎ)しい様相を帯びている。
 確かに、競技であれば勝者を褒め称えることには十分な理がある。まして、メダルとなれば世界の中で三番目までに入る快挙である。さらに金メダルとなれば、その競技における世界ナンバーワンである。そのため、頂点を目指す競技者には銀、銅であっても、悔しさが残るのも理解できるところがある。それほどに競技者はみな、金メダルすなわち世界ナンバーワンにこだわり、物心がつくやいなや日々の鍛錬に明け暮れてきたのである。そうであればメダリストを飛びっきり称賛することには、もちろんこれまた理に適(かな)っている。
 今さらのことだけれどオリンピックには冬季と夏季があり、おのずから競技種目はどちらかに分けられている。競技種目の違いは、ずばりこのように分けられていると、言えそうである。すなわち、冬季オリンピック競技の場合は、雪上および氷上で戦う種目で構成されている。一方、夏季オリンピックの場合は、陸上や地上および水上や水中、はたまた体育館のなど屋内施設で戦う種目で構成されている。それによる競技種目の違いは、双方のオリンピックをテレビ観戦する私には、おのずからけた外れに思えるところがある。単刀直入に言えば冬季オリンピックの場合、私は端(はな)から異次元や異界の競技を観ている思いに晒されている。もちろんその思いは、冬季オリンピックの種目が雪上と氷上で行われることに起因している。
 私には、共に一度の体験がある。ところがそのときの私は、どちらも立てずにすってんころりんと、転んだ。この体験から共に二度目は諦めた。そして、このときの苦い体験で得たものは、雪の上や氷の上の競技が、どんなに困難なものであるか! ということを知り得たことだった。このことでは「転んでもただは起きぬ」ほどの貴重な体験だったのである。まさしく「百聞は一見に如(し)かず」の諺(ことわざ)どおりに、貴重な体験だったとも言えそうである。もちろん私の場合は、「失敗は成功の母」とはなり得ず、苦い体験のままではある。しかし、冬季オリンピックのテレビ観戦の感興に浸れることや、競技者を崇(あが)めることには、わが失敗体験は大いに役立っている。実際のところ私は、雪上や氷上を疾走したり、飛び跳ねたりする競技者の姿に、まさしく異次元の驚異に晒されている。ひと言で言えば、なぜあんなことができるのか! と、驚嘆するばかりである。冬季オリンピックの場合、この驚嘆こそ、テレビ観戦の醍醐味である。そしてそれは、競技を為す人間のすばらしさを垣間見るひとときでもある。

 メダルと栄誉賞

 勝者の上にはなお勝者あり。敗者の下にはなお敗者あり。このため、勝者驕るべからず、敗者悲しむべからず。もちろん、敗者の鍛錬や奮闘、必ずしも勝者に劣るとはかぎらない。そのため、本当のところは勝者や敗者という言葉は用いたくない。ところが、競技や対局においては、厳然と勝者と敗者が存在する。しかし、それを分けるのは、勝者にありつける努力の差というより、技量の差と思いたいところである。すなわち、技量の優れた人は、栄誉の授与(式)の光景を授けられて、あまねく人々から称賛される。そして、その光景に観入るときのわが気分は、常に清々しくなる。
 きのう(二月十三日・火曜日)のテレビニュースは、五人の栄誉を称える清々しい光景を映し出した。それらの中で三人は、開催中の韓国・「平昌(ピョンチャン)オリンピック」におけるメダル表彰を受けていた。三人の名を連ねると、銀メダル・高木美帆選手、銅メダル・高梨沙羅選手、銅メダル・原大智選手である。競技は、高木美帆選手の場合はスピードスケート1500メートル、高梨選手の場合はスキージャンプノーマルヒル、そして原選手の場合は男子モーグルである。いずれも、感涙にむせぶ光景であった。
 一方、お二人の場合は、競技表彰(式)とはかなり異質の、厳粛な表彰(式)光景が映し出された。こちらは、メディアの伝える配信ニュースを引用し留めるものである。
 【羽生竜王と井山棋聖に国民栄誉賞授与】(2018年2月13日20時2分 読売新聞)。「将棋で史上初の『永世七冠』を達成した羽生善治竜王(47)と、囲碁で初めて七冠を2度達成した井山裕太棋聖(28)の国民栄誉賞表彰式が13日、首相官邸で行われた。将棋・囲碁の棋士の受賞は初めて。安倍首相は『多くの国民に夢と感動を、社会に希望を与えた』と2人をたたえて表彰状と盾を授与した。また、『七冠』にちなんで七宝で鶴を描いた硯箱と、雨端あまはた硯、熊野筆などの記念品も贈られた。表彰式後の記者会見で、羽生竜王は『これを大きな励みとして、棋士として前向きに進んでいきたい』、井山棋聖は『少しでも成長できるように、棋士としても一人の人間としても努力していきたい』と話した。1977年の創設後、国民栄誉賞の受賞者は個人25人と1団体となった。」
 感涙や感動の特徴は、長く余韻に浸れることであろう。明けて(二月十四日・水曜日)も、いっこうに冷めやらぬ感動に浸っている。

 夢を叶えた二人の大和撫子

 女子個人スキーノーマルヒルジャンプを見終えて床に就いたときは、はるかに十二時を回っていた。そのためこうむっている寝ぼけまなこでは、文章は書けない。だから、沙羅ちゃんの銅メダルを伝える配信ニュースを引用し、二度寝をむさぼるものである。
 【高梨、4年間も見続けた悪夢 自分と向き合い手にした銅】(2018年2月13日03時51分 朝日新聞デジタル)。「涙が止まらなかった。高梨沙羅(クラレ)は滑り終えると、仲間に抱き寄せられた。『ほっとした。金メダルは取れなかったけれど、最後の最後に、渾身の、ここに来て一番いいジャンプができた』。銅メダル。五輪で日本女子ジャンプ初の表彰台に上がった。目が覚めて、涙する夜もあった。助走路から飛び出し、追い風を受けて吸い込まれるように落ちていく。着地でひざを曲げて足を前後にずらし、水平に手を広げるテレマークが入らない。4年前から見続ける夢がある。金メダルの大本命と言われながら4位に終わったソチ五輪のジャンプだ。当時17歳。周囲の期待を感じ、『勝ちたい』と必要以上に口にした。近くで声をかけられても気付かないことがあるほど高い集中力。それが力みにつながり、動きを硬くした。『心の余裕をどう持つか』。
 チャンネルをかけもちしながら観入っていた、女子個人スピードスケート1500メートルにおいては、高木美帆選手が銀メダルに輝いた。わが寝ぼけまなこと朦朧頭は、二人の若い大和撫子(やまとなでしこ)の快挙がもたらしている。もちろん、まったく恨みつらみの無い心地良いものである。

あらたな東京の絶景 

 現在は、二月十二日(月曜日)の夜明け前にある。きょうは、きのうの「建国記念日」(二月十一日)が日曜日と重なったため振替休日となり、三連休の最終日となっている。まったく私事ながらおととい私は、あすの建国記念日はわが夫婦の金婚式と書いた。ところが、おととい(二月十日・土曜日)の私は、朝早くから単独で、東京都国分寺市に住む次兄宅へ出向いた。その挙句、一晩泊まりをしてきのうの夕方帰宅した。このことでやむなく、きのうの「ひぐらしの記」は休んだ。そのため現在の執筆は、休み明けである。
 日常の流れを絶った休み明けは、何かにつけて気乗りしないとことがある。まして、毎朝の起き出しにいやおうなく書き続けているひぐらしの記の場合は、流れが寸断するともう書けないという、心理状態に陥るところがある。現在のわが心象風景は、まさしくそんな心理状態の丸写しである。そのため、現在の私は寸断された心理状態の修復のためだけに、キーを叩いているだけにすぎない。なぜなら二日続けて休めば、安逸に休み癖がつて、再始動を恐れているからである。結局、こんななさけないことをつづるようでは、休むべきだったのかもしれない。
 おとといの私は、いつもの路線とは異なり、JR横浜駅に途中下車してJR横浜線で、JR国分寺駅へ向かった。横浜線の終着駅は、JR八王子駅である。ここで、JR中央線の上り電車「東京行き」へ乗り換えれば、三つ目に立川駅、そしてさらに三つ目に国分寺駅となる。いつもの私は、わが家の最寄り駅・JR大船駅から、JR湘南新宿ラインを利用する。そして、新宿行きで下車し、下りの中央線に乗り換えて、国分寺駅へ向かう習わしである。このことでは、おとといの私は横浜線を降りて、八王子駅を境にしていつもとは逆コースをたどって国分寺駅へ向かったことになる。
 途中下車することなく向かえば所要時間は、横浜線・八王子駅回りのほうがちょっぴり長い程度である。それでもおとといの私は、八王子駅回りをする意図をたずさえていた。意図とは、八王子駅前と立川駅前風景を眺めることだった。ところが八王子駅前風景には、立川駅前とは違ってさらに強く意図するものがあった。八王子の街は、十九歳で上京した次兄が生涯の職業に身を置くきっかけとして、いっとき八百屋修業を始めた所だった。しばらくして次兄は、独立して現在の国分寺市にみずからの店を持ったのである。すると、高校を卒業しての上京後の私の生活は、こんにちにいたるまで、次兄におんぶにだっこを甘んじてきたのである。このことから現在のわが生活の原点は、兄が修業していた八王子の街でもある。私には、常々このことがありがたく思えていたのである。
 兄の修業時代には、よく手紙を書いていたので、今なおところ番地はしっかりと記憶している。そのため、おとといの私は、現在のわが生活を恵んでくれている感謝の気持ちをたずさえて、「八王子市新町八十五」探訪のぶらぶら歩きを試みたのである。もちろん、目当てのところを探し当てることなど、できるはずはなかった。しかし、ようやくぶらぶら歩きが実現し、ちょっぴり次兄への恩返しができたことで、わが気分は満ち足りていた。
 次には、立川駅で下車し駅前に出た。立川駅は、JR青梅線駅への乗換駅でもある。この路線の四つ目にあるJR拝島駅は、亡き三兄宅の最寄り駅である。このため、私にとっての立川駅は、三兄宅へ行くための乗換駅にすぎなかった。これまた、遅まきながら駅前風景を眺めたかったのである。ついでにここでは、新設の私鉄「多摩モノレール線」に乗り、母校・「中央大学多摩キャンパス」をしばらく見学し、また引き返した。言うまでもなく国分寺の街全体は、知り尽くしている。
 国分寺駅には、学生時代のアルバイトとして、朝の最も混雑時(七時から八時)の一時間にかぎり、「尻押しアルバイト」(当時、一時間百円)の体験もある。次兄宅には、わが父親と母親代わりをなす次兄夫婦の体調うかがいにたびたび訪れている。この行為は、わが意に留める雀の涙ほどの「ご恩返し」である。ところが、この日の私は、何年ぶりかの一晩泊まりを決行したのである。
 明けてきのうの帰途には、私はこれまた一つの意図をたずさえていた。いつもであれば私は、中央線上り「東京行き」に乗車し、途中の新宿駅で降りて、湘南新宿ラインの下り電車へ乗り換える。湘南新宿ラインは、ここで二路線に分かれる。一つはJR東海道線へつなぎ、一つはJR横須賀線へつなぐのである。この路線は、大船駅ではどちらも停車するので、私は戸惑うことなくやってくる電車に乗る。ところがきのう私は、新宿駅では降りずに、終着駅まで乗車した。それは駅前風景を様変わりさせているという、東京駅丸の内側を見るためであった。
 私は、勝手知った東京駅丸の内中央改札口を出た。すると、前景の風景は、みはるかす皇居まで遮るもの何もなくなく、全風景広々としていた。私は、様変わっていた風景の美しさに度肝を抜かれた。たちまち、かつての「お上りさん」心境がふつふつと沸いた。新装なった広い道路には、街灯と高木の並木が皇居広場あたりままで、等間隔に連なっていた。私は、滾(たぎ)る感興をたずさえて、その間をゆっくり往復した。見終えて東京駅で乗車したのは、下りの東海道線「熱海行き」だった。
 書き殴りの文を長々と書いてしまった。だから、書き殴り文のつぐないは、この風景を見ることをお勧めするものである。間違いなく、新たな東京の絶景である。

手鍋下げても五十年 

 今年(平成二十九年・二〇一八年)の「建国記念日」(二月十一日・祝日)は、日曜日と重ねっているため、翌日(十二日・月曜日)は「振替休日」となっている。このため、きょう(二月十日・土曜日)は、三連休の初日である。妻は二泊三日の娘宅への訪問から、きのうの夜帰宅した。この間の戸締りは、おのずから私の役割だった。
 妻の留守中にあっては、ことさらみずからを警(いまし)めていることが二つある。言うなれば独居生活における注意事項である。一つは火の用心である。このことではみずからの考えで、まったくレンジを使わないことを決めている。その理由は火の消し忘れを恐れるからである。私の性格は、生来きわめて集中力に欠けるところがある。二つの言葉を用いて表現すれば、散漫と杜撰(ずさん)である。このことは、わが日常生活においてしょっちゅう自覚するものである。もちろん、わが行為や行動には常にそのことを心に留めている。それでも今なお直らないことは、わが身に張りついた錆(さび)なのであろう。その証しの一つとしては、水道蛇口の止め忘れがある。このところ特に戦慄をおぼえることは、難聴がひどくなるにつれて生じる失態である。すなわち、日常生活にともなうさまざまな音が、聞こえづらくなっていることである。身近なことで注意すべきものには、蛇口の水の音、レンジの火の音がある。蛇口の水の止め忘れは、無駄な水道料金を払うくらいである。しかし、レンジの火の消し忘れは重大事である。それを防ぐ最良策として私は、妻の留守中にはレンジ使用を禁止している。実際には火力に頼ることは何もしないで、「危ないことは元から断たなきゃダメ!」とばかりに、もっぱら電源頼りの生活に甘んじている。頼る電源は、風呂用の給湯器、電子レンジ、炊飯器、給茶用の湯沸かし器などである。
 火の用心に加えて、もう一つ心すべきは防犯である。こちらで注意することは、しっかりと戸締りすることだけである。実際のところは、雨戸の閉め忘れをしなければこと足りるものである。一階のそれぞれの雨戸を閉めるのは、おおむね妻の役割である。妻の留守中は、おのずから私の役割である。もちろんこちらは、きわめて容易(たやす)い行為である。きのうの夕方雨戸を閉めていると、(日が長くなったなあー)と、実感した。瞳を凝らすと目の前の梅の木には、蕾が今にもほころびそうに膨らんでいた。(春が来たのだ!)。私はほくそ笑んでいた。
 とりとめもないことを書いたけれど、今ふと気がついたことがある。それは、あすの建国記念日はわが夫婦の「金婚式」(昭和四十三年・一九六八年二月十一日・華燭の典)に当たることである。きのうの夜には、互いに気づくことなく素通りした。もちろん妻は、きょうの夜明けが訪れても、気づくことはないであろう。確かに、互いが気づくほどに「めでたいこと」とは言えないが、それでも互いに耐えてつつがなく、「手鍋下げても五十年」である。この先には、偕老同穴(かいろうどうけつ)が待っている。そのときこそ、「めでたし、めでたし」である。

冬季「平昌(ピョンチャン)オリンピック」開幕 

 冬季「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、きょう(二月九日・金曜日)に開会式を迎える。ところが、一部の競技は開会式に先駆けて、すでに前日のきのう(二月八日・木曜日)から始まっている。その競技は、スキーの男子個人ノーマルヒルの予選である。この競技において日本選手は、四人が出場しそれぞれが決勝戦への進出を決めている。
 平昌オリンピックの開幕にともなって、わがテレビ観戦もまた臨戦態勢を迎えている。メディアの伝えるとこところによれば、開催国韓国は猛烈な寒波に見舞われているという。寒波のせいで、新たに設けられている選手村への各国選手の入村は、まったく途絶えているという。思い及ばない、飛んだとばっちりである。
 こちらは寒波のせいとは言えそうにないが、競技施設がいまだに工事続行中のところがあるという。さらには、のっぴきならない周辺国事情もある。ロシアは、国としては参加を見送り個人参加に留めている。開幕間近になって台湾は、大きな震災に見舞われている。加えて、開幕前のテレビの報道は、変異な北朝鮮事情に明け暮れるばかりである。いや、実際のところは、北朝鮮の動向に翻弄(ほんろう)されているような報道が目立っている。
 具体的には一部競技への選手参加を決めた報道や、それにかかわりプロパガンダ(示威宣伝活動)とも思える、きらびやかな応援団派遣風景である。それらの中ではとりわけ、女性だけで構成する楽団と、名だたる美女軍団がテレビニュースを賑わしている。
 一方で北朝鮮は、この期(ご)に及んでも大掛かりな軍事セレモニー(パレード)を実行し、アメリカへの挑発行動に大わらわである。なんだか? 平昌オリンピックは、競技自体の話題は遠のいて、開催期間のまっとうが危ぶまれる心細さにある。しかしながら、栄えあるオリンピックに参加している選手たちには、周辺事情の是非は関係なく、晴れ舞台に変わりない。そうであれば私は、楽しくテレビ観戦することを肝に銘じている。
 隣国・韓国での開催ゆえに、もとから時差に苦悩することはない。このため、私は瞳をパッチリと開いて、テレビ観戦を愉(たの)しめそうである。

幸運、この人がいなかったら…  

 大雪に見舞われている北陸地方にあって、福井県と石川県を通る国道八号線には、一時一四〇〇台の車が立ち往生したという。石川県側の立ち往生はほぼ解消したけれど、福井県側では今なお一一〇〇台の車が動けない状態になっているという。するとその周囲にはさまざまに、人様の善意の支援活動が行われているという。テレビをはじめとするメディアが伝える心の和む報道である。
 こんな中、きょう(二月八日・木曜日)は自作文に代えて、これまたメディアの伝える飛びっきりの朗報を引用し、人様の善意行動を崇(あが)めて記し留め置くものである。表題はずばり、「幸運、この人がいなかったら…」である。
 【常磐線出産 「おぎゃー」柏駅で赤ちゃん取り上げ女性表彰】(毎日新聞2018年2月7日21時54分)。茨城県取手市は6日、乗り合わせた電車内で出産した妊婦を手助けした市内のパート従業員、最上都寿美さん(40)を表彰した。最上さんは「冷静に赤ちゃんを産んだ妊婦さんを表彰してあげたい」と恐縮していた。最上さんは先月19日、東京都内の病院に入院していた四男(4)を連れて帰宅するため土浦行きのJR常磐線下り特別快速に乗っていたところ、隣の席に座っていた20代の妊婦が柏駅(千葉県柏市)の手前で破水。床に倒れるように横たわったという。同駅に停車直後、最上さんは自動ドアが閉じないよう足で押さえ、駅員に「発車しちゃ駄目」と叫んで、電車を非常停止させた。その後、他の乗客とも連携して赤ちゃんを両手で取り上げると、「おぎゃー」と産声が上がった。 最上さんは「無我夢中で勝手に体が動いた。可愛い赤ちゃんで安心した。元気に育ってほしい」と話した。藤井信吾市長は「とっさの勇気ある行動で、的確に状況判断しながら貴い人命を守った。市民に勇気と感激を与えてくれた」とたたえた。

春はもうすぐ! 

 受験シーズン真っただ中にあって日本列島は、ところを替えて大雪が荒れ狂っている。きのう(二月六日・火曜日)のテレビニュースは、北陸地方・中でも福井県と金沢県の大雪風景を映し出していた。ところが大雪風景は、実際には美しい雪景色というより、数十年ぶりの積雪に舞われて、難渋する人々の暮らしぶりを映し出していた。
 このところの雪景色は、美的風景をはるかにしのいで悪魔である。地震をはじめとする天変地異の恐ろしさは、どうもがいても逃れないと、諦めざるを得ないところがある。ところがこのところの雪景色は、天変地異の恐怖の仲間同然とも思えるところがある。本当のところ雪景色を悪魔呼ばわりすることは、御免蒙りたいと願っている。
 子どもの頃に戻れば、寝起きの雪景色には心ワクワクするばかりだった。それもそのはず、当時のふるさと熊本県の積雪の嵩(かさ)は、十ないし十五センチ程度だった。言うなれば、隣近所の子どもたちとの雪合戦、雪滑り、雪ダルマづくりには最適量の雪降りだった。ただ、身の堪えたのは雪降りの朝の寒さだった。実際には釜屋(土間の炊事場)のバケツの水は、がちがちに凍っていた。水車を営む取水口には、氷柱(つらら)が竹藪さながらに押し合いへし合い混然とぶら下がっていた。それでも子どもたちは、雪の朝には隣近所の遊び仲間を呼び合って、いろんな遊びに戯(たわむ)れていた。氷柱は素手で取り、口に挟んで舐めるというより、ポキポキと音を立てて噛んでいた。
 私の場合、雪の朝の楽しみの特等は、このことに尽きた。それは木の葉に積もった新雪を丼に掬って来て、砂糖をまぶして炬燵の中で食べることだった。ところが、子どもの頃の雪の朝の楽しさは、今や懐かしい想い出である。なぜなら、老齢の身の私は、霙(みぞれ)、小雪共に真っ平御免である。すなわち現在の私は、寒気に加えて小雪にさえ弱虫になっている。そのせいで、日本列島のところを替えて荒れ狂う雪降り風景をテレビで眺めていると、雪は悪魔だ! と、呼びたくなっている。
 この時期の雪降りは、ずばり受験生に悪さのし放題である。具体的には受験生は、大雪に見舞われて試験時間あるいは受験日の変更を強いられることがある。受験生にすれば、張り詰めていた気持ちが殺(そ)がれることになろう。しかしながらこれには、雪にも言い分があろう。それは雪降りの季節とわかっていて、なぜ? 受験シーズンを設けるのかという、言い分である。確かに、気象上雪降りの時季に、受験シーズンを重ねることこそ、お門違いの難癖と言われても、仕方のないところはある。
 日本列島がところを替えて、雪に悪態をつかれているうちに、季節は冬から春へとめぐり、きょうは早や二月六日(水曜日)である。二月は例月と比べて三日ないし四日、日数が少ないこともあって、気分的にはたちまち過ぎ去り三月になる。三月になれば雪は、雪解けを模様に替わる。たとえ降っても、もはや名残雪と呼び名を替えて、未練がましく親しみさえおぼえることもある。悪魔まがいの大雪は、そろそろ打ち止めのところにきており、もうちょっとの我慢である。
 さて、このことは掲示板にあずかれない人たちへの告知である。掲示板上にはおととい(二月五日・月曜日)から、新たに大沢さまのかつての小説の連載が始まっている。今回の作品は、過日閉じた『父の家』に次ぐ、『他人の城』である。さらに付加すれば、父の家は埼玉文学賞の準賞の栄に浴され、他人の城は本賞の栄誉に輝いた佳品である。大沢さまは、私の身勝手なお願いに応えてくださり、早速他人の城の掲載にあずかっているのである。このこともあって私は、大沢さまのご好意を書き添えずにはおれなかったのである。ただ惜しむらくは、掲示板を眺めることができない人たちは、この小説を読むことができずじまいである。わが心の痛むところである。
 北陸地方の雪降りが止めば、日本列島を総なめにしているも雪も力尽きて、春はもうすぐである。

事故と犯罪 

 きのう(二月五日・月曜日)の夕方、突如各局テレビは、痛ましい事故の報道に大わらわだった。報道を短く記すとこうである。佐賀県神埼市の陸上自衛隊目達原駐屯地(吉野ケ里町)所属のAH64D戦闘ヘリは、飛び立った七分後に墜落したのである。墜落した現場には民家があり、降りしきる雪の中、燃え盛る家への消火活動の光景が映し出されていた。
 墜落したヘリコプターには二名の隊員が機上されていて、命を絶たれたのである。突然、悲運に見舞われたお二人には、哀切きわまりないものがある。墜落現場の民家および周辺は、幸運にも人命を落とす災難は免れた。しかしながら民家は消失し、人々には恐怖をもたらし、現場周辺は大混乱に陥っていた。事故原因はいまだ報じられてはいない。しかし、機体の故障もしくは操縦ミスにしろ、墜落するしかない航空機事故の恐ろしさと痛ましさを、あらためて痛感する出来事だった。
 殉死された二人の隊員、自宅を焼かれた人、さらには恐怖まみれになった周辺の人々にたいし、お見舞いを申し上げるところである。
 このところのテレビニュースにあっては、犯罪ニュースが途絶える日は、たったの一日とてない。事故とは違って犯罪ニュースの多発は、もちろん日本社会の劣化の証しでもある。そのうえ、犯罪ニュースの中でもひっきりなしに伝えられるものは、人が他人の命を事もなげに殺(あや)める殺人事件である。犯罪には大小あるけれど、極悪非道の最たるものは殺人事件である。ところが、現下の日本社会にあっては、殺人事件がもはや日常茶飯事に起きて、テレビ各社その報道に明け暮れている。もちろん事故もそうだが、とりわけ犯罪をこうむることは、大小や軽重などあり得なく、すべてに耐えがたきものである。
 事故とは違って犯罪は、未然に防げるものでもある。そのため、現下の日本社会にあっては、さまざまな犯罪予防策が張りめぐらされている。身近なところでその一つは、至る所さまざまな場所における、防犯カメラの設置がある。ところが、殺人事件は防犯カメラをかいくぐって頻発している。確かに、防犯カメラは事件後の捜査には役立っていそうである。しかし、はたして犯罪予防に役立っているのか? とは、疑問に思えるところがある。
 いずれ、AI(人工知能)時代がやってくる。どんな新たな事故と犯罪を生むのか、危ぶまれるところではある。わが存命叶わぬ世のことゆえに、知ったこっちゃないけれど、憂国の老婆心はある。

春近し、わが思い 

 待ち焦がれていた「立春」(二月四日・日曜日)が過ぎて、二月五日(月曜日)の夜明けを迎えている。体験上知りすぎていることだけれど、立春が訪れたからと言って、もちろん一足飛びに暖かい春になるわけではない。確かに身体は、これまでとまったく変わらない寒い朝を迎えている。しかしながら気分は、やはり立春前とは明らかに異なり、ふわふわと和むところがある。それだけ私は、立春にかこつけて春待つ心をいだいていた証しであろう。
 なんだか今冬は、格別寒気厳しいように思えている。寒気に極端に弱いわが体質には、ほとほと寒さが心身に堪えている。しかし立春が過ぎればしだいに春が近くなり、それに応じて暖かくなることをこれまた体験上知っている。
 この二月には、まもなく冬季「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」が開幕する(二月九日)。プロ野球はすでに開幕前の春のキャンプに入っている。これらをテレビで観ているうちに、日数の少ない二月はたちまち過ぎて三月になる。すると私は、こんどは春の訪れを喜ぶより、月日の速回り(感)に慄(おのの)いて、嘆息することとなる。二〇二〇年の「東京オリンピックおよびパラリンピック」さえ、早や二年先に迫っている。まさしく「光陰矢の如し」、あるいは「歳月は人を待たず」という、諺(ことわざ)を実感しているところである。この挙句、歳月の速回り(感)にあっては、身に沁みる寒気を凌(しの)いで、嘆息するばかりである。
 物事は、二兎を叶えることは容易ではない。確かに、歳月の速回り(感)にあっては、「春よ来い、来い」と、待ち焦がれていた気分にかなり水を差されるところがある。老齢の身のかなしい宿命である。そうであれば寒い日も厭(いと)わず、心豊かに日々を重ねることこそ、肝要であろう。しかし私の場合、それができないから愚痴こぼし(マイナス思考)の人生に甘んじ続けてきた。その打ち止めが、人生終焉時とはなさけないばかりである。春の息吹をたっぷりと味合う器量がないのは、わが生来の「身から出た錆」であろう。嗚呼、かなしむべきかな!

 待ち焦がれていた「立春」

 今年(平成二十九年・二〇一八年)最初の明らかな季節替わりを表す、「立春」(二月四日・日曜日)が訪れている。四季替わりにはそれぞれ、立春、立夏、立秋、立冬がある。ところが、古来日本社会にあっては、飛び抜けて立春が季節替わりの色合いを濃くし、人々に待たれていた。その理由は今さら言わずもがなのことだけれど、だれもが寒い冬の季節の遠ざかり、暖かい春の季節の訪れを実感するからであろう。人の営みにおいては、それほどに寒い冬の季節はつらい証しでもある。立春はもちろんのこと、春とは語感的にも暖かい気分になる。それが気象的にも裏打ちされて立春を境にし、段々と暖かい春へ向かえば、おのずから人はこの日を待ち焦がれることになる。
 立春を前にしたきのうは、文字どおり季節を分ける「節分」(二月三日・土曜日)だった。古来、日本社会にあって節分にちなむ歳時(記)には、巷間(こうかん)いろんな風習や催事がある。その一つ、神社仏閣で催される豆まき風景は、心の和む確かな風物詩である。その証しもあってきのうテレビニュースは、各局共ほぼ一様に豆まき光景を映し出していた。
 確かに豆まき光景は、春の訪れを実感させてそれを見入るだけでも心和むものがある。堂上や壇上から周囲に群がる人々にたいし豆をまくのは、おしなべて当世の有名人である。それらの人たちがにこやかに豆をまく光景は、確かに一幅(いっぷく)の絵を観るようでもある。このところ仏頂面(ぶっちょうづら)を続けている大相撲・貴乃花親方もきのうだけは、満面にこやかな笑顔をたずさえて、堂上から豆をまいていた。しかも、このときの貴乃花親方は、理事選に立候補して落選の憂き目を見たばかりだったのである。私は貴乃花親方にかかわるこのところの顰蹙(ひんしゅく)まじりの世評を心中に浮かべては、あふれる笑顔に安堵した。
 節分のきのうの私は、妻と連れだって卓球クラブの練習へ出向いた。おのずから、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)へは、行けずじまいとなった。そのため、幸か不幸か節分にちなむ商戦にまみれることは、できずじまいだった。行けばいやおうなく、「恵方(えほう)」にちなむ巻きずし商戦の渦中に嵌(は)まったであろう。もちろん私は、鶴岡八幡宮(鎌倉市街)を筆頭にいろんな神社仏閣で催されている豆まきの豆拾いにも、出かけずじまいだった。さらには妻が炒り豆を買い忘れていたことで、わが家の豆まきもなかった。これらのことからきのうの私には、テレビニュースの豆まき光景を観るだけで、実体験の節分の風習は無縁だった。
 一夜明けて訪れている立春には、節分に比べればこれといった歳時(記)はない。商戦とて近づく「バレンタインデー」に向けて、準備万端怠りなくととのえるところにある。これらのことをかんがみれば立春は、静穏な季節替わりと言えそうである。しかしながら、心中これほど華やぐ季節替わりはない。直近、二度にわたり降って積もっていた残雪は、節分のきのうあたりから明らかに消えかかっている。そのため、きょう陽光がふりそそげば、もはや残雪は跡形を失くすであろう。立春、いみじくも待ち焦がれていた春が来たのである。

 寒波の中の「春の節分」

 単行本「ひぐらしの記」の読者は、読むことができずかたじけないけれど、掲示板上に連載中の小説が終了した。掲示板上で日々楽しく読み続けていた私には、読了後の寂しさがつのっている。掲載されていた小説は、かつて「埼玉文学賞」の准賞の栄に輝いた大沢さまの作品『父の家』である。私には、読後感を記す能力はない。しかし、大沢さまのご好意の掲載にさずかりながら、当てずっぽうの読後感であっても吐露しなければ、わが、男がすたる思いもある。そのため、小説を通して新たに感じたことを記して、大沢さまのご好意(読者サービス)に、ちょっぴり報いたい思いがある。
 まずは、母親はもちろんのことだけれど、この小説に描かれているのは父親の存在の大きさである。私は、父親は娘(子ども)の動向に「ドンと構えて」、常に見遣っていることを知ることができたのである。そしてそのことは、私が常々わが父にいだいていた「父親像」の丸写しでもあった。そのため小説は、わが亡き父を彷彿とさせていただいたものでもあった。すなわち、私は小説の中の父親にわが父親像を重ねて、懐かしく偲びながら読み耽っていたのである。このため、わが感慨は増幅した。このことだけでも私には、『父の家』の掲載には感謝にたえないものがある。
 このほか感じたことでは、女心につきまとう危うさがある。さらには、その女心を隙あらばと狙い定める、男心の獰猛(どうもう)さである。もちろん、作者・大沢さまが意図されたものとは、的外れの読後感ではあろう。しかし、ご好意の掲載にあずかって、なしのつぶての読み捨てに甘んじては、人の道に背(そむ)く思いがある。そのため、ご掲載にあずかったことにたいし、重ねて謝恩をしたためるものである。
 東京都心にかぎらずわが現住する鎌倉地方もまた、今冬二度の降雪および積雪に見舞われている。このため、残雪に新雪が重なり、なお雪国風景が続いている。もちろん、寒波をともなわない雪降りはない。すでに、二度目の雪は止んでいる。しかし、残ったままの積雪の囲いが冷蔵庫の役割を果たし、低気温をもたらしこのところの鎌倉地方には、寒い日が続いている。ところが、気象予報士によればこの寒波は、日本列島のところを替えてなお続くという。
 一月から二月への月替え早々にあって、迷惑至極の気象のいたずらである。カレンダーを眺めれば、春へのドアーは開きつつ、いやきょう確かに開いている。その証しは、四季を分ける今年(平成二十九年・二〇一八年)最初の春の「節分」(二月三日・土曜日)の訪れである。おのずからあすは「立春」(二月四日・日曜日)である。節分は文字どおり季節を分けることからカレンダー上には、立春はもとより立夏、立秋、そして立冬の前日にも記されている。ところが、日本社会にあって節分といえば、立春へつなぐ春の節分がもてはやされてひと際立っている。
 わが下種の勘繰りをめぐらせればそれは、寒い冬の季節から逃れられるという、暖かい春待つ心の表れであろう。なぜなら、春の訪れを喜ぶかのように春の節分にあっては、歳時記にはさまざまな古来の日本社会の行事が刻まれている。それらの中には、身近なところでは豆まきや恵方巻の風習がある。カレンダーを眺めていると、豆まきにかかわる事柄が記されている。すでにその由来は知っていることではあるけれど、あえてその項をそっくり書き写して、春の訪れを実感するものである。
 【にほんの歳時記豆知識 「豆と鰯(いわし)と柊(ひいらぎ)の共通点】。「節分といえば豆まき。また、近ごろは少なくなりましたが、柊に鰯の頭を刺して玄関に掲げるのも習わしでした。一見無関係に見えるこの三つのものには、鬼が嫌うという共通点があります。古来より豆には霊気が宿るとされ、邪気の象徴である鬼を弱らせます。また臭いの強い鰯や、尖った柊の葉も鬼が嫌と考えられていました。」
 妻から炒り豆をぶっつけられても、春待つ心には耐えられるうれしさがある。確かに、春の節分ならではのうれしさであろう。准賞『父の家』ののちには、本賞・埼玉文学賞の栄誉に輝いた『他人の城』の掲載が待たれるところである。わが欲張りとおねだりである。 

過ち(失態) 

 私はきのうの文章、すなわち『二月、入り日』で、飛んでもない過(あやま)ち(失態)をしでかした。そのため現在の私は、忸怩たる思いと詫びる気持ちに苛(さいな)まれている。過ち(失態)の文章を再記すれば、私は文章の中にこう書いている。「おりしも二月早々にあって、あすの夕刻から翌未明にかけて、関東地方には降雪予報が出ている。季節はおぼつかない足取りで春へ向かっている。二月は暖かい春を間近にひかえているけれど、人の営みにとってはそのぶん厳しい月である。」さて、この文章の中における誤りの部分は、前段の「おりしも二月早々にあって、あすの夕刻から翌未明にかけて、関東地方には降雪予報が出ている。」部分である。実際の誤りは、きょうと書くべきところをあすと、書いてしまったことである。正しくは、きょうの夕刻からあすの未明にかけてと、書くべきだった。確かに、予報にはそう出ていたのである。ところが私は、誤って一日違いで書いてしまったのである。書いたのちしばらくたって私は、誤りに気づいた。ところが、その気づきはもはや後の祭りだったのである。なぜなら、誤ったままの掲示板上のわが文章は、すでに大沢さまの手を煩わして、「ひぐらしの記」へ移記されていたのである。いつもであれば私は、すぐにわが文章の誤りを直し、さらには大沢さまへもメールで訂正依頼をするところである。ところがきのうの私は、双方共にしないままに、今なおほったらかしにしている。くだらないことを長々と書いたのは、このところのわがモチベーション(意欲)の低下の証しであり、書かずにおれなかったのである。
 このため、今さらではあるけれど、誤りをしでかし、しかも訂正することなく、今なおほったらかしにしていることを切に詫びるところである。予報に立ち返れば、予報に違(たが)わずカーテンを開いた窓の外には、小雪がちらついている。街灯の照らす道路には積もるほどではないけれど、平たく薄っすらと雪明かりが照り返っている。現在の時間帯は、未明の二時半頃である。小雪は降り止みに向かうのではなく、いまだ降り始めなのであろう。するとこの先、過日のように積雪模様になるのか、それとも小雪のままで降りすぼみになるのか、それは私の知るよしなく天上まかせである。過日の積雪は、いまだに道路端には残ったままである。残雪および新雪相成して、再び雪国風景をもたらすのであろうか。
 過日の文章で私は、この先雪は、降ってももう一度くらいだろと、記した。あてずっぽうのわが予測である。この予測の外れは、もちろん過ち(失態)ではない。しかしながらこんなにも早く、「もう一度」の雪降りに見舞われると、これまた過ち(失態)気分に苛まれている。きょうは二月二日(金曜日)、あすは節分(二月三日・土曜日)、明ければ「立春」(二月四日・日曜日)である。わが文章はおぼつかない足取りで、春へ向かっている。

二月、入り日 

  一月は受験シーズンの助走であり、二月はその本番である。そして三月には、合否の結果を踏まえて進路選択の季節が訪れる。もちろんこの季節は、寒波著しい冬の季節さ中である。
 確かに受験は、児童生徒ほかあらゆる就学の身にとっては、人生行路をわける苦闘である。そしてこれには、親の苦しみもつきまとっている。親の場合それは、合否どちらにしてもお金入り用の苦しみである。幸運にも合格にありつければ、多額の入学費用にさらされる。不運にも不合格になれば、悲哀をさらに逆なでされるかのように、手ぐすねを引く予備校や学習塾の誘引活動にさらされる。見えみえの「お為ごかし」とは知りつつも、かなしいかな! 親心としては逆らえないところがある。
 こんなことを心中に浮かべていると、受験生当人のみならず家族共々に現在は、厳しく苦しい季節の真っただ中にある。しかし受験は、どんなにあがいても避けて通れない、それぞれの人生行路における厳しい掟(おきて)でもある。すると、だれしも神様にすがりたくなる。おのずから受験の神様を祀(まつ)る神社は、神様をだしにして本音を隠し書き入れ時となる。もともと厳粛きわまりない受験であっても、とどのつまりお金の多寡(たか)がつきまとう世相となる。
 さて、月が替わってきょうは、二月の入り日(一日・木曜日)である。おのずから受験シーズンは、戦いや競争の本番を迎えている。すると、すべての受験生の合格を願うところである。もちろんそれは叶わず、受験には合否の判定が下される定めがある。
 おりしも二月早々にあって、あすの夕刻から翌未明にかけて、関東地方には降雪予報が出ている。季節はおぼつかない足取りで春へ向かっている。二月は暖かい春を間近にひかえているけれど、人の営みにとってはそのぶん厳しい月である。

 春待つ心

 新しい年(平成二十九年・二〇一八年)の初めの月、一月最終日(三十一日・水曜日)の未明が訪れている。私は二時過ぎに起き出して、キーボードへ就いている。きのう、ちょっぴり緩んでいた寒気はぶり返している。それでも、カレンダーを眺めるまでもなく、季節は確かな足取りで春へ向かっている。
 私は昨年末から今年初めにかけて、すなわち年末年始休暇、なかんずく正月三が日さえ休まず、文章を書き続けてきた。ところがこのところは、日々息切れに見舞われている。とうとう怠け心に勝てず、あえなくずる休みもしてしまった愚か者である。こんな体(てい)たらくぶりでは、この先やたらとずる休みや無断欠席が増えそうである。
 「大寒」(一月二十日)を過ぎてから降雪に見舞われて、積雪は今なお汚れることなく、いまだにあちこちに白い積雪風景を晒している。月替わるあすの二月入り、あるいは三月になっても、名残り雪に見舞われるかもしれない。しかし、降っても、もう一度くらいであろう。そしてこの先は、三寒四温すなわち日々寒波を遠ざけて、春がめぐってくる。すると、この時期は、春の訪れを待つ胸突き八丁にある。それでもやはり、だれしも早い春の訪れを願っている。一月は、願っていた完走を果たせず過ぎてゆく。
 こんなおり、きのうの掲示板上には、春待つ心の浮き立つご投稿文に遭遇した。ご投稿文には、まさしく早春風景を彩る一枚の写真が添えられていた。すると現在、私はご投稿文と写真を「ひぐらしの記」への転載を試みている。なぜなら、そうせずにはおれないからである。まさしく、ご投稿文と添えられていた写真は、わが春待つ心をふくよかにしてくれたのである。このため私は、事前のお許しを得ることなく、ご投稿文と添えられた写真をひぐらしの記への転載を試みている。その理由は、掲示板上だけで没にしては、もったいないからである。もちろん、わが息切れを補う、身勝手な行為ではない。
 
【春よ来い、早く来い】(ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年 1月30日・火曜日、08時51分43秒)。「自宅の一階の居間の窓からは椿(侘助)の
木が見える。ピンクのかわいらしい花は、四季咲きで、なんだか一年中咲いてる気がする。夫が座っている席は、真正面だから、窓の外の様子がよく見える
けれど、私の席からは、庭全体は見渡せない。食事の最中に、『ほら、来た来た』と言って、夫が窓の外の様子を知らせる。小鳥たちが椿の花の蜜を吸いに来るのだ。私は、デジカメをテーブルに置いていて、いつでも写真が撮れるようにしてあるけれど、シャッターを切るまでにはカメラを構えてピントを合わせて、座っている位置をそろそろと移動しなければならない。私の気配を感じ取ると、小鳥たちは危害を加えるわけでもないのに、素早く退散してしまう。夫は、小鳥たちが何時頃にやってくるか、わかっているので、来訪の時間が遅れると、どうしたのかとやきもきしている。先日、珍しくいつまでも椿の枝で花から花へと飛び回っているヒヨドリが一羽いた。お陰で、いつもあわてふためく私のデジカメは見事シャッターが切れた。しかし、目白は未だに撮れずにいる。三脚につけてシャッターチャンスを待っていれば良いのだけれど、置きっぱなしにしていてつまずきでもしたら、それこそ大事故になるかもしれないから大変だ。まあ、のんびりとチャンスを待つことにしよう。」
 わが春待つ心には、文章といい、写真といい、いっぺんに寒い心の和む、まさに早春の贈り物だったのである。特に、カメラ技能のとらえた美的秀逸な一枚の写真は、早春風景をかなでる一幅の絵を嘆賞する心持にさせてくれたのである。

 病症状

 一月三十日(火曜日)、いつもとほぼ同じ時間に起きて、いつものようにキーボードへ就いている。ところが、いつもとは違って文章が書けない。このところの私は、こんな症状に陥っている。状態と書かずに症状と記したのは、明らかに病と自覚しているからである。病であれば風邪を拗(こじ)らすように、無理して書かないほうが、治りが早いであろう。そう思って、きょうは休養日と決め込んでいる。一方では、休んだところで気分の回復は望めず、いっそう深みに嵌(は)まり、挙句にはもはや抜け出せそうにもない。現在のわが気分は、きわめて困った状態にある。まさしく自己克服、すなわち自らに克(か)たなければどうにもならない状態にある。
 顧みればきのうもこんな状態だった。ところが、きのうの私は、マスメディアの伝える配信ニュースを読み漁るうちに、感動編の記事に出合った。そして、それに救われたのである。たちまち、藁をも掴む思いで、その配信ニュースを引用した。記事は大相撲初場所(東京都墨田区・両国国技館)における、平幕栃ノ心(ジョージア出身、三十歳、春日野部屋)の初優勝にかかわる、感涙にむせぶ感動編だった。このため、配信ニュースを引用して文章を閉じた私は、『栄冠には涙あり』と、表題を付して自作文に代えたのである。もちろん、きょうの私は、すでにいつものように配信ニュースを読み尽くしている。しかし、自作文に代えて引用したくなる記事にはありつけなかった。そのため、おのずから頼らざるを得ないのはわが文章である。
 ところが、その文章が書けない。そして、焦燥感が湧きたてばたつほどに、いっそう書けない。仕方なく、一つだけでも浮かぶものはないかと、心中に思案をめぐらしてみる。すると、きょうは娘の誕生日である。わが記憶の中に、昭和四十四年(一九六九年)のこの日は、小雪まじりの寒い日だったとよみがえる。
 拗れるのを恐れるのではなく、もう文章がかけないのかもしれない。窓の外にはいまだに溶けきれない積雪が残り、心身を冷やしている。文章を書き終えた快さはまったくなく、やはりきょうは休養日である。この先、連休になる恐れに慄(おのの)いている。確かな、病症状である。

栄冠には涙あり 

 一月二十九日(月曜日)、現在の時間帯はなんと、いまだに真夜中の二時近くである。目覚めて起き出してきたのは、一時半頃である。きのう(一月二十八日・日曜日)の今頃に比べれば、体感気温は大きく緩んでいる。きのうの私は、ほぼこの時間帯にキーボードへ就いた。ところが、克己心の衰退に見舞われて、あえなくずる休みに陥った。実際には三すくみの気鬱症状に見舞われて、文章が書けなかったのである。すなわち、文章を書く心象(心境)を遠退けていたのは、寒気、このところのモチベーション(意欲)の低下、そしてわが身周辺から相次いだ悲報であった。その挙句には気鬱症状に陥り、文章始動がにっちもさっちもいかなくなって、ずる休みへ逃げ込んだのである。
 きのうの三すくみから現在は、寒気だけは免れている。しかし、二つはなお引きずり、何でもいいから書かないと、この先が案じられてキーを叩き始めている。しかしながら、自作文をつづる心理状態にはない。そのため、配信ニュースを読み漁り、それらの中からわが心理状態を良くした記事を引用するものである。
 【栃ノ心「泣きながら家族と」、母国ジョージアは栄誉賞検討】(2018年1月28日21時2分 朝日新聞デジタル)。「栃ノ心が14勝目とダブル三賞(技能賞、殊勲賞)で初優勝に花を添えた。前日まで伸ばしていたひげは剃った。『負けて終われない』。そう思うと硬くなりそうなものだが、いつも以上に落ち着いていたそうだ。浅く右を差す。左は遠藤の差し手を抱える。ここから怪力を見せる。すくい投げを繰り返して敵の体勢を崩し、押し出した。西から東の支度部屋へ移動し、東の正横綱の場所で髪を整えた。『横綱の席だから、座りづらい。まさかこんなことになるとは思ってなかったからね』と苦笑い。恒例の優勝者インタビューには『ほんとに幸せです!』と切り出した。いろんな人への感謝を述べる中で、『私の国のみなさん』と口にした。前夜はテレビ電話でジョージアの父、母、妻と語り合った。『みんなで泣きながら話しました』と栃ノ心。昨年11月に生まれた長女アナスタシアちゃんには、まだ会えていない。そのつらさの半面、優勝を経験した父として会えることになった。首回りから腕にかけて大きく波打つ筋肉。腹はムダに出てはいない。大木のように太く揺るがぬ両足。長い指が土を嚙む。まさにスモウレスラーだ。『これからも親方の言うことをきいて、またいい相撲をとれるように頑張ります』。春場所は久々の三役復帰が確実。ジョージアのヒーローには、まだまだ上がある。ジョージア(グルジア)出身の力士として初の幕内優勝を果たした栃ノ心に対し、日本の国民栄誉賞にあたる表彰が検討されることになった。28日、国技館を訪れたレバン・ツィンツァゼ駐日ジョージア全権特命大使が明らかにした。同大使は『栃ノ心が大関、横綱になると確信しています』と話した。」
 大相撲初場所(東京都墨田区・両国国技館)は、十四か目に優勝を決め込んでいた平幕(前頭西三枚目)の栃ノ心が、きのうの千秋楽の遠藤との取り組みにも勝って、十四勝一敗で閉めた。栃ノ心の初の栄冠には、海を越えて数々のうれし涙が流れていた。私には、気分の良くなる記事だった。

自己鞭撻、鞭が折れそう 

 一月二十七日(土曜日)、午前三時近くに起き出して、いつものようにキーボードへ向かっている。部屋の中もからだも冷え冷えである。このところの私は、老境の身の悲哀をこうむり、モチベーション(意欲)の低下に見舞われている。モチベーション低下の証しはさまざまにある。その確かな証しは、「ひぐらしの記」の執筆に表れている。具体的には、もう書かない、いや、もう書けない、という心境に苛(さいな)まれている。鞭撻、発奮、克己、さらには鼓舞という、言葉が心中に浮かんでいる。これらはわがモチベーションの低下にたいし通せんぼをするための、文字どおりみずからを励ますための対抗言葉である。これらのほか、同義の言葉はさまざまに浮かぶけれど、モチベーションの低下を防ぎきれるものはない。実際に防ぐ手立ては言葉ではなく、わが心理意識や行為行動である。すると結局、「言うは易く行うは難(かた)し」となる。
 モチベーションすなわち意欲とは、いったん下がり始めると傾向的に下がり続けて、それを止めることは容易なことではない。これまでの私は、こんななさけない文章を何度繰り返してきたことか、もちろん計り知れない多さである。このため、十年余にわたるひぐらしの記の継続ではあっても、実際にはちっとも誇れるところはない。ところが、その一方で愚かな私には、文章の出来不出来はともかく、よくも続いたものだと、自慢ではなくちょっぴり自負くらいしてもいいかな! という思いがある。確かに、浅ましいかぎりである。しかし、ときには悪ふざけにもそんな心境をたずさえなければ、継続はまったくあり得ないところもある。まして、寒気に身を置いて、文章に呻吟することなど愚の骨頂の極みである。
 自己鞭撻(じこべんたつ)とは、文字どおり萎(な)える心にみずからが鞭(むち)打つことである。このところの私は、モチベーションの低下に見舞われて、自己鞭撻すなわちみずからに鞭を打ち続けるばかりである。それでも、モチベーションの低下は止められない。あまりにも叩くので、鞭が折れそうである。
 私の場合、克己(こっき)すなわち己(おのれ)に克(かつ)ことは、雲を掴むほどに困難なことである。私は寒さに負けて、モチベーションの低下を加速させている。

寒波の中の悲運 

 一月二十六日(金曜日)、週末を控えて日本列島は、週初から厳しい寒波に見舞われている。夜明け近くにあって部屋の中は冷え切っている。おのずからわが心身は萎(な)えて、文章を書く気分は消失している。寒さに弱音を吐くのは、ずばりわが弱虫の証しである。
 きのう(一月二十五日・木曜日)の私は、いくらかの寒さ凌ぎに買い置きの甘酒を沸かし三度も啜った。確かに甘酒は、瞬間からだを温めてくれる。初詣で賑わう参道で甘酒売りの屋台があるのは、いっときの寒さ凌ぎにもなるからであろう。私は甘党で、アルコール類にはからっきし縁がない。しかし、アルコール成分を含まない甘酒だけは大好物である。すると、私にとっての甘酒は、身近に一挙両得の役割を果たしてくれるものの一つと、言えそうである。
 寒気が厳しい真っただ中にあって、特にへこたれておれない人たちの中には、さまざまなレベルの入試へ向かう受験生がある。日本社会にあって、よりもよって寒気著しい一月と二月は、あえて受験シーズンと言われている。とりわけ入試は、この二月(ふたつき)に集中する。もちろん、入試の厳しさは二月にかぎるものではなく、それに備えては年じゅういや長い年月が費(つい)やされている。確かに、春四月に新学年や新学期の習わしにある日本社会の場合、冬真っただ中の入試はやむを得ないところであろう。しかし、常々私には、寒の時期を避ける入試方法はないものであろうかと、思うところがある。ところが、日本社会にあっては、実際にはそれはゆめまぼろしの願望にすぎない。まさしく入試は、寒気著しい最中にあって、かつ最大の試練である。そして、かつて受験生だった私には、この試練は今なお他人事(ひとごと)とは思えないところがある。入試には厳しい合否の掟(おきて)が存在する。それでも、それぞれの受験生の奮闘を願わずにはおれないところがある。
 さて、きのうのテレビニュースはさまざまな映像を付随し、四十八年ぶりに都心を見舞った低気温(マイナス四度)報道に大わらわだった。一方で、突然噴火した「本白根山」(群馬県)の様子を頻(しき)りに伝えていた。その中では、とりわけ噴石の恐ろしさを囃(はや)し立てていた。実際にも噴石は、周辺で訓練中の自衛隊員のお一人の背中に直撃し、悲報をもたらしたのである。
 【部下に覆いかぶさり背中に噴石直撃…死亡陸曹長】(1/25日・木曜日、20:06配信 読売新聞)。「今回の噴火で死亡した陸上自衛隊第12旅団第12ヘリコプター隊の伊沢隆行陸曹長(49)(死亡後、3等陸尉に特別昇任)が、部下の隊員をかばい、噴石の直撃を受けていたことが25日、関係者への取材でわかった。一方、陸自と群馬県は同日、『遺族の了承を得られた』として伊沢さんの氏名を公表した。陸自や関係者によると、伊沢さんは23日午前9時50分頃、他の隊員7人と共に山頂から滑降を始めた。約10分後、スキー場北側の本白根山から轟音が響き、噴石が降ってきた。すぐに隊員らはコース脇の雑木林に避難したが、林の中にも噴石が降り注ぎ、隊員らは次々と倒れていった。伊沢さんは、近くにいた部下を守るように覆いかぶさった。その背中を噴石が直撃したという。噴石がやんだ午前10時10分頃、隊員の一人が携帯電話で救助を要請。救助が到着するまでの間、伊沢さんのおかげで軽傷で済んだ部下らが、動けない隊員たちに声をかけ続け、伊沢さんは『肺が痛い』と話していたという。伊沢さんは麓に運ばれて救急車に乗せられたが、車内で心肺停止となり、午後0時半頃、搬送先の病院で死亡が確認された」。
 もちろん、本白根山の噴火は、寒波とは関係のない突然の名峰の驚天動地の出来事である。しかし、私には寒波の中の悲運として、引用せずにはおれないところがある。実際には、故伊沢様のご冥福をお祈りせずにはおれないものである。

寒波襲来 

 一月二十五日(木曜日)、現在の時間帯は午前三時近くである。過日(一月二十二日・月曜日)の降雪による積雪は、そののちの好天気で融雪を速めている。しかし、道路を見るかぎり、バス通りや歩道は雪を失くしているけれど、そのぶん両脇にはいまだに堆(うずたか)い積雪を残している。このことで外気は、雪に囲まれた天然の冷蔵庫あるいは冷凍庫さながらにさらされている。
 きのう(一月二十四日)は、卓球クラブの水曜日定例の練習日だった。好天気に恵まれて陽射しは輝いていた。ところが外気は、わが身が切れるほどに寒く冷たかった。もちろん、現在の部屋の中のまたも冷え切っている。「大寒」(一月二十日)を過ぎて関東地方は、降雪を皮切りにこの冬一番の寒波に見舞われている。その証しを伝える気象庁の予報によれば、きょうは寒波のピークにある。
 【東京23区に33年ぶりの低温注意報…気象庁】(2018年1月24日22時43分 読売新聞)。「非常に強い寒気が流れ込んでいる影響で、気象庁は24日、小笠原村を除く東京都の全域に『低温注意報』を発表した。東京23区に低温注意報が出るのは1985年1月以来、約33年ぶり。25日の東京都心の最低気温は氷点下4度、最高気温は4度と予想され、いずれも平年を5度下回る。都心の最低気温は27日まで氷点下となる見通しで、厳しい寒さが続きそうだ。 一方、北日本から西日本の日本海側を中心とした地域は24日、大雪に見舞われた。強風を伴った降雪は週末まで続く見通しで、一部では猛吹雪となりそうだ。」
 寒波はわが身を恐怖に陥れている。そして、現在の寒気は、わが身に風邪症状の兆しをもたらしている。おそらく最後であろう寒波は、暖かい春の先ぶれでもある。このためここは粋(いき)がらず、寝床へトンボ返りを決め込んだのである。

雪明かり 

 一月二十四日(水曜日)、窓の外にはおととい(一月二十二日・月曜日)の降雪が積雪となり、いまだ雪景色を残している。そのせいもあって部屋の中は冷え冷えとなり、寒気がわが身に堪(こた)えている。時節柄、日本社会はそれぞれの年齢層をたがえて、受験シーズンの真っただ中にある。寒気の中、当該受験生に比べればわが身の机上の苦しみなど、雀の涙ほどにもあたらない。
 わが大学受験期を顧みれば、受験雑誌『蛍雪時代』(旺文社)にすがっていた。さらに遡(さかのぼ)れば、唱歌『蛍の光窓の雪』をくちずさんだ。もちろん当時の私は、「蛍の光窓の雪」の由来など知るよしはなかった。そのため、その由来は、後年になって志した生涯学習の中で学んだ。そして、この文章を書くにあたり、いつものならいに従って、インターネット上に記載の項目を閲覧した。すると、ずばりこんな説明文に出合った。
 【蛍の光窓の雪とは】( コトバンク・デジタル大辞泉 - 蛍の光窓の雪の用語解説 -)。「貧乏で油が買えず、晋の車胤(しゃいん)は蛍を集めてその光で読書をし、また、孫康(そんこう)は窓の雪明かりで勉強したという、(『晋信』車胤伝・ 孫康伝の故事から)、苦学すること。蛍雪(けいせつ)。」
 実際のところは蛍の光や窓の雪が勉強に利することはあり得なく、これらの放つ明かりになぞらえて、勉強や苦学の大切さを諭(さと)しているのであろう。それでも、蛍雪という言葉には身が引き締まる語感があって、確かに勉学の大切さを言うには正鵠(せいこく)を得ている。
 きのう(一月二十三日・火曜日)の夜明けには、すでに雪は降り止んでいた。しかし、窓ガラスを通して眺めるかぎりの風景は、雪国とまがうほどの雪景色だった。おとといの降雪および積雪予報は、不運にもずばりと当たった。そして、きのうの予報は、幸運にもずばりと当たった。きのうの予報は、朝の内から日の光が燦々とふりそそぐ好天気だったのである。すると、予報にたがわず夜明けて朝日が昇り出すと、光に照らされた雪景色は、いっそう白く輝き始めた。この風景に見惚(みと)れて、しばし佇(たたず)んでいた私は、雪景色が恵んだ優美な幻想の中に酔っていた。
 私の日常の生活圏は主に二階であり、具体的にはパソコンを置く書斎兼用の狭苦しい部屋を中心に、ほか寝室と小部屋である。幻想的な雪景色を見て気分を良くした私は、雨戸や窓ガラスに掛かるすべてのカーテンを開けっぴろげにした。たちまち、二階じゅうに雪景色が飛び込んで来たかのように、異様に明るくなった。するとこのとき、私は雪の明るさを実感したのである。同時に私は、「蛍雪時代」をよみがえらせて、さらには「蛍の光窓の雪」を浮かべていたのである。部屋じゅうに飛び込んだ雪明かりは、人工の蛍光灯などまったく用無しの明るさだったのである。私は、雪明かりの明るさにしびれていた。

 崩れ行くわが人生

 一月二十三日(火曜日)、現在の時間帯は午前三時前である。カーテンを開いて外を覗くと、街灯が照らすかぎりの光景は、雪景色一色である。雪はすでに降り止んでいる。積雪の嵩(かさ)は、いまだ夜中にあっては、もちろん測るすべはない。
 きのう(一月二十二日・月曜日)の降雪および積雪予報は、雪の降り出し時間も降り方もおおむね当たった。おおむねと記したのは、降り出し時間は昼頃の予報よりかなり前倒しに、九時過ぎから霙(みぞれ)が降り始めていたからである。
 きのうの私には、四か月前に予約されていた「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院予定があった。予約時間は午前十時三十分である。雪の日に見舞われがちな定期路線バスの運行トラブルはなく、バスは正常ダイヤでめぐっていた。それでも私は、これまた前倒しに九時半近くに玄関口を出た。出かける前には用意周到に、折り畳み式の傘をリュックに入れていた。ところが、玄関口から門口へ下り立つと、冷たい霙が禿頭(とくとう)を濡らした。私はあわててリュックから傘を取り出して、禿頭に翳(かざ)した。最寄りの「半増坊下バス停」へ向かって歩いているうちに、霙は小雪に変わった。(きょうは大雪になりそうだな!)と、思いながらバス停に到着した。
 防寒スタイルで出向いて来たけれど、外気は身震いするほどの寒さだった。小雪は、しだいに降り方を強め始めていた。バス待つ客は、私一人だった。このことで余計に、寒さが身に堪(こた)えた。すると、こんなことが心中に浮かんだ。(よりにもよって四か月前の予約日が、雪の日に重なるなんて!)。五分ほど間隔を置いて、待ち焦がれていたバスがめぐって来た。私は「おはようございます」と、運転士に声をかけて乗車した。車内は空いていた。座席に腰を下り、ホッと溜息を吐いた。気を取り直して、車窓から雪の降りようを確かめた。いっそう強い雪降りになっていた。ところが、バスが今泉台住宅地(鎌倉市)から下りて、大船へ向かうにつれ雪降りの光景は遠ざかった。またまた、心中にこんな思いがめぐった。(わが現住する住宅地は、本当に山の中だな!)。
 私は、予約時間よりかなり早く待合室へたどり着いた。いつもであれば、立錐(りっすい)の余地ないほどに込んでいる待合室には、チラホラと空席があった。すぐに私は、雪の予報のせいだと合点(がてん)した。幸か不幸かそのせいで、いつもより三十分ほどは早く、十一時半頃には診察室から「前田さん」、と呼ばれた。待合室には、「予約時間は診察時間ではありません」の告知文が掲示されている。
 私は「こんにちは」と言って、今や勝手知った診察室へ入った。正面には当医院の経営と院長先生を兼ねられるわが主治医佐野先生が座し、脇には一人の女性看護師が立たれていた。私は「お世話になります」と言って、やおら所定の丸椅子に腰を下ろした。次には、「このまえいただいた新しい目薬は、ちょうど一か月ほどさしています」と、告げた。あらかじめこう告げたことには、こういう理由があった。先回の診察時に主治医先生は、「目薬を新しいものに変えましょう。現在の薬がなくなってからでいいですから、こんどのをさしてください。三週間ほどは、新しい薬を試してみたいものですから…」。このため私は、新しい目薬は三週間を超えて、さしたことを事前通知したのである。あいにく、きのうの私は、両耳に集音機を嵌めずに診察に応じていた。だから、「耳が遠いですから」と、お断りして顔面を近づけ聞き耳を立てた。先生も心得えられ、大きな声で応えてくださった。それでも先生の声の多くは、聞き逃してしまった。
 こんなことでは四か月も待って、かててくわえて雪の日に通院した意は報われず、いや台無しだった。その挙句、ようやく聞き取れた経過診断は、必ずしもわが意に適(かな)うものではなかったのである。すなわち、緑内障の症状は、悪い方へ進んでいるようだった。その証しに、またもや目薬の変更が告げられたのである。そのうえ、ひそかに期待していた経過診断は、半年には延びずに四か月ごとの据え置きを告げられたのである。私はやけのやんぱちで、あえて言わずもがなのこんな言葉を言う羽目になった。
「私にはちっとも自覚症状はありませんから、良くなっていると思っていました」
 すると、いつの間にか診察室へ入っておられた看護師長らしき高齢の女性は、「元には戻りませんから、ゆっくりと進行するんですよ」と、つれない言葉を添えられた。まさしく、蛇足と思える言葉だった。
 私は、不意打ちを打たれた思いだった。すると、わが切ないお思いを見透かされでもされたかのように、主治医先生は「心配しなくていいです」と、気休め言葉を重ねられた。私は「ありがとうございました」、と言って診察室を出た。診察室を出た私は、緑内障の進行が気に懸かることはなかった。なぜなら私は、緑内障の進行より命尽きるのが早いと、高をくくっていたからである。私は支払いと四か月先(五月二十一日・月曜日)の予約を済まし、そして新たな目薬の処方箋をたずさえて、昼過ぎに当医院をあとにした。おそらく、雪予報のせいでいつもより外来患者が少なく、このことだけは幸運だった。
 こののちは、道路向かいの馴染みの調剤薬局へ出向いた。処方箋には新たな目薬が四本記されていて、私は渋々金を支払った。このあとにはやけ食いに「餃子の王将」に立ち寄り、一・五人前(九個、三九九円)を食べて、家路に就いた。半増坊下バス停で降りて、わが家へ向かいグリーンベルト(名前負けの脇道)を歩き出すと、大雪が視界を遮(さえぎ)った。「おお寒い!」と、言って茶の間に入ると、エアコンフル回転の茶の間は、ムッとするほど温まっていた。
 テレビを観ながらソファーに座っていた妻は、「パパ。バスで帰って来たの? こんなに雪が降ってるじゃないの。タクシーで帰ってくればいいのに…」と、しおらしいことを言った。ところが、こののちの妻は、目のことなど一切聞かずじまいだった。(妻の関心ごとは、そんなもんだろうなあ!)。そのため、私も緑内障の進みぐあいなど、告げる気にもならなかった。ただひと言、「また、目薬が変ったよ」と、言った。妻は、まったくの無反応だった。夜明け前で、まだ積雪の目分量は分からない。

一月二十二日、降雪予報 

 雪国地方の人の難渋を浮かべれば、年に一、二度の降雪や積雪を嫌っては、罰(ばち)が当たるよ。これは、みずからへのいましめである。しかしながら、本音のところでは(困ったなあー)と、思っている。
 きょう(一月二十二日・月曜日)の関東地方、なかんずく都心であっても、十センチ程度の積雪が予報されている。そうであれば、わが現住する鎌倉地方も雪降りに見舞われるであろう。そのうえ、鎌倉市内にあっても山沿いにあるわが今泉台住宅地は、降雪どころかかなりの積雪に見舞われるであろう。
 現在の私は、子どもの頃のように雪降り風景を愉しむ年齢ではない。いや、とことん毛嫌いする老齢である。かてて加えてきょうの私には、雪降りを理由にできない外出予定がある。それは、四か月前に予約されている通院である。よりにもよってこの日に降雪予報に見舞われるとは、不運尽きない思いがある。
 通院先は「大船田園眼科医院」(鎌倉市)である。降雪による定期バスの運行が止れば、徒歩を余儀なくする。そうなれば、まさしく泣き面に蜂である。通院目的は、緑内障治療の経過診断である。経過診断とは言っても、術後を診るものではない。「緑内障、ありますね」の宣告以来、私には目薬治療が続けられている。実際には、目薬は一日に二度、そして経過診断は三か月に一度の予約が繰り返されていた。処方箋の目薬はいまだジェネリック(後発医薬品)はなく、とても高価である。そのうえ、三か月に一度の予約通院には、結構あわただしいところがある。そのため、診察日のたびに私は背に腹は代えられず、臆せず主治医先生にたいして、「目薬はジェネリックを、通院は半年を!」と、おねだり続けていた。
 私は緑内障の軽重の程度など、知ったこっちやなかった。もちろん、自覚症状もなかったのである。長い経過ののち、ようやくこの嘆願は功を奏して、半年は叶わずとも現在は、四か月に一度への間延びへこぎつけている。次に狙うのは、当初念願の半年ごとの予約通院である。目薬のほうはかなり後れて、先回より一日に一度のものに切り替えられた。しかし、この切り替えは、患者としては必ずしも喜ぶべきものではなさそうである。なぜなら切り替えにあって主治医先生は、こう告げられたのである。
「目薬をより強いものに替えましょう。今回の目薬は、一日に一度だけでいいです。新たな薬だから、試してみたいのです」
 私は、これまた臆せずこう切り返した。
「先生。ありがとうございます。ただ、先生。今までの目薬がまだ残っています。もったいないので、それが終わってから、こんどのをさしていいでしょうか?」
 すると先生は、怒気を表すことなく笑顔で、
「それが終わってからでいいです。三週間ほどは、新しい薬の効果をみたいものですから……」
 古い目薬は、はからずも一か月前に在庫一掃した。そののちは、もちろん新しい目薬をさし続けている。
 このため、きょうの通院と診察は、出直し診断となる。わが気持ちも新たである。こんな矢先の降雪予報は、とこととん迷惑である。私は、降雪予報の外れを願っている。

余儀ない退却予備軍 

 この年齢(七十七歳)になると、いずれ、やがて、まもなく、すなわち時の経過がたちまちわが身にふりかかることが増えそうである。直近、身近に身に沁みて感じたことは、わが所属する卓球クラブの会員数の増減である。増減と記したけれど、傾向的に増えることはなく、実際には年年歳歳減るばかりである。ところが減る理由は、中高生あるいは大学生のクラブや部活とは違って、ほかのクラブへの鞍替えなど、発展的自主退部ではない。すなわち、減る理由の多くは、まだ続けたいけれど、高齢による仕方のない退部である。いや、実際にはもっと厳しく、高齢に阻まれていやおうなく打ち止めを食らうのである。
 きのう(一月二十日・土曜日)の私は、『高齢者の悲哀』という、一文を書いた。実際にはメディアの伝える、高齢者の自動車運転免許証の返上実態にかかわる配信ユースを引用した。高齢による免許証の返上は、まさしく高齢者の悲哀と感じて、ずばりそう表題を記した。
 さて、卓球クラブでは、今年(平成三十年・二〇一八年)一年間の会費(二千円)の徴収と同時に、新たな会員数が示された。それによれば会員数は、昨年末から七人減少し、三十二名と示されたのである。もちろん減少理由は、高齢によるままならない退部ばかりではない。クラブとは人の集合体ゆえに、唯一どんなクラブにも共通する退部理由がある。それは入部や参加はしたけれど、技量不足や仲間とのそりが合わずに、やむなく途中で自主退部する人がいる。一方、継続を望んでも叶えられない退部理由の筆頭は、もはや寄る年波には勝てずという、つらい決断である。
 わが卓球クラブの会員数は、多いときには五十余名を数えていた。ところが、そののち会員メンバーの入れ替わりや退部もあって、今年初っ端の会員数は三十二名と示されたのである。そして、この先一年間、新たな入部や退部を経て、どう変化するか気に懸かるところである。
 ところが、高齢による退部を余儀なくされそうな中に、とうとうわが身も危ぶまれるところにある。言うなればこの先の私は、継続を望んでも叶えられそうにない、退部予備軍のひとりへと成り下がっている。このほか、高齢に阻まれて、仕方なく退却や打ち止めをこうむりそうな事柄は、ひっきりなしに浮かんでくる。「ひぐらしの記」の継続の可否は、それらの中で最上位に位置している。この先、やたらと「くわばら。くわばら、……」と、叫ぶことが多くなりそうである。

 高齢者の悲哀

 カレンダーに沿ってこれまで何度か早手回しに記してきた「大寒」(一月二十日・土曜日)の朝を迎えている。寒気は過去の気象データ上からもいよいよ後半戦に入り、これを越えれば確かな暖かい早春の季節が訪れる。人生は、歳月と季節のめぐりと共に哀歓ひとしおである。
 きょうの文章は自作文にあらず、日本社会の悲哀を映す配信ニュースの引用である。あえて引用したのは、高齢化社会の哀しい現実を示されていたからである。
 【運転免許返納、最多42万人…75歳以上が6割】(2018年1月19日22時27分 読売新聞)。「昨年1年間に運転免許証を自主返納したドライバーは前年比22%増の42万2033人(暫定値)で、1998年の制度導入以降、最多だったことが警察庁のまとめでわかった。75歳以上が25万2677人で、59・9%を占めた。同庁は『運転に不安がある人は返納を検討してほしい』としている。75歳以上の高齢ドライバーに対しては、昨年3月施行の改正道路交通法で認知機能検査が強化された。医師の診断が義務づけられる『第1分類』(認知症のおそれ)と診断され、手続きの途中で免許を返納する人も多いという。本人確認証となり、バスやタクシーの割引を受けられる運転経歴証明書は、36万4634人に交付された。」
 昨年、私は自主返納した。このため、この数値に入る。わが返納理由は、ペーパードライバーの打ち止めであった。それでも、哀しい現実であった。高齢者に忍び寄るさまざまな現実は、寒く、冷たい。これを凌ぐには、もはや気の持ちようしかない。確かに、心身が凍(こご)えるほどのつらい現実である。

朝寝坊に浮かんだこと 

 一月十九日(金曜日)、朝寝坊をこうむりすでに夜明けの起き出しである。こんなことでは気が焦り、長い文章はもとより文章自体が書けない。だからと言って休むことは忍びなく、気休めにキーを叩き始めている。書き殴りはわが専売特許とは言っても、もちろん恥じ入るばかりである。何かを書かなければならないと思えば、余計プレッシャーがいや増して、いっそう書けない。すると、不断はあてにならないと見向きもしない神様にたいし、ちょっぴりすがりたい気持ちさえ生じている。私はなんたるなさけない、天邪鬼(あまのじゃく)であろうか。
 ようやく、一つだけ浮んでいる事柄がある。そのことを自分なりに書いて、お茶濁しを決め込んでいる。現在、わが胸中に浮かんでいるのは、拉致被害者家族の切なさ、やるせなさである。具体的には拉致被害者家族の思いをたずさえて、いっこうに埒(らち)の明かない政府間交渉を慨嘆している。確かに、双方共に思惑(おもわく)と駆け引きだらけの会談であろう。しかし、マスメディアの報道によれば、韓国と北朝鮮の間にはちょっぴり雪解けムードが漂っている。滅多に話し合いの糸口にありつけないなかにあって突然の会談は、確かにかすかな曙光(しょこう)に思えている。
 物事は、喧嘩別ればかりでは永遠に解決しない。双方の思惑がらみではあっても、解決の糸口はやはり話し合い(会談)である。このことでは、せっかくの両国の会談に水を差すことは愚の骨頂である。とりわけ、拉致問題の解決をかかえる日本政府が、先頭を切って水を差すこと愚の骨頂である。だから、私には腑に落ちない思いがある。朝鮮半島の雪解けムードは、拉致問題をかかえる日本にとっても棚ぼたの好機である。実際にも私は、日本政府はいっとき圧力の声を緩めて、率先して双方の会談を歓迎する、友好ムード盛り上げの一役をになってほしいという思いがある。すなわち、核放棄を声高に叫んで、圧力一辺倒だけでは話し合いの糸口はなく、拉致問題の解決は遠のくばかりである。このことはわが下種(げす)の勘繰りにすぎないけれど、核保有戦略は、今や北朝鮮にとっての鬼に金棒である。このため、核戦略を放棄することは、もはや望み薄であろう。そして、拉致被害者家族の悲哀は、拉致問題が北朝鮮の核戦略にからめられていることであろう。いくらかの餌をとられ、日本政府のメンツを捨てても、拉致被害者家族の本音のところは、拉致問題解決の話し合いの糸口を待ち焦がれてきたのである。ところが、このことはおおやけに言えない。すると、このことこそ、拉致被害者家族の苦しい胸の内であろう。
 現在の私は、拉致被害者家族の胸の内をおもんぱかり、いっこうに解決の糸口へありつけない悲哀を感じている。日本政府はいっとき圧力の言葉をひかえて、会談の糸口探しに向きを変えてほしいものである。拉致被害者家族の言えないことの、わが代弁である。日本政府は圧力の先頭を切って、圧力一辺倒を世界に呼びかけるようでは罪作りである。あてになりそうにないアメリカ・トランプ大統領から、少しずつ距離を置いてこそ、拉致問題解決の糸口なのかもしれない。確かに、アメリカに距離を置けない日本政府の苦しみでもある。いや、日本国民の苦しみである。拉致問題は、まさしく「歳月は時を待たない」苦しさの中にある。

 早春編、つれづれ

 このところの私は、早春という言葉の響きの佳さにさずかり、意識して早春編みたいな文章を書いている。言葉とは摩訶不思議なものがあり、早春という言葉を用いるだけでも、気分的に寒波が和らぐ感じになる。実際の季節めぐりは、早春にはいくらかまだ早いのは、承知の助である。いや、だからこそあえて私は、意識して早春という言葉を多用し、寒気を遠退けているところがある。
 カレンダー上には、あさってには「大寒」(一月二十日・土曜日)と、記されている。私の場合、大寒という言葉や文字にふれるだけで、寒気ゾクゾクと、いや増すところがある。これこそ、寒気にたいし、私が根っからの弱虫の証しでもある。ところが、きのうの気象予報士の予報によれば、きょう(一月十八日・木曜日)の日本列島には、桜の時季をさらにしのぐほどのポカポカ陽気が訪れると言う。ところが気象予報士は、それにちなんで仕事柄、盛んに雪崩(なだれ)への注意や用心を告げていた。
 美的風景として人にこよなくもてはやされる雪景色は、一方では降り始めから雪解けまでには、人の営みにさまざまな難渋や、ずばり命を危殆(きたい)にさらすところがある。これすなわち、すべての物事には必定(ひつじょう)、幸不幸(幸運と不運)、表裏一体がともなう証しでもある。たとえば、寒気真っただ中にあって私は、落ち葉の季節外れから、日々の道路の清掃を免れている。わが日常のごく小さいことながら、ところが実際には多大の恩恵にさずかっている。一年の中でもこの恩恵は、桜の花びらの舞う頃までさずかり、私にとっては箆棒(べらぼう)なものである。大寒を前にして、暖かい日になるというきょうの予報をかんがみれば、季節は確かな足取りで早春へめぐっている。同時に、季節のめぐりは、いよいよ待ち焦がれていた三寒四温のお出ましである。
 マスメディアの伝える世界の情勢は、二月にひかえる冬季・平昌(ピョンチャン・韓国)オリンピックの思いがけない副次効果で、北朝鮮の動向が凪(なぎ)状態にある。北朝鮮の金正恩委員長が暴れなければ、敵対するアメリカ・トランプ大統領は拍子抜けとばかりに、おのずから世界の情勢は静穏になる。私には、この静穏さは驚くばかりである。もちろん、見え透いたいっときの静穏であれ、歓迎するところである。双方の国の丁々発止のやりとりがいっときでも静かになれば、落ちこぼれを拾うみたいに、おのずから日本の政治もいっとき静かになる。すると私は、北朝鮮が暴れなければ、世界の情勢はこんなにも静穏になるのかと、あらためて実感しているところである。欲張りの私は、この静穏の長続きを願っている。
 さて、現在開催中の大相撲初場所(東京都墨田区・両国国技館)は、初日からきのうの四日目まで波乱状態にある。波乱の誘因をなすのは、二人の横綱すなわち稀勢の里と白鵬の黒星続きである。実際のところは、すでに稀勢の里は三敗、白鵬は二敗である。不祥事続きの大相撲にあって、さらに風雲急を告げる、看板力士・二人の横綱の危ぶまれる取り口である。寒気緩んでも大相撲ファンの私には、穏やかな心境でおれない早春の出来事である。とりわけ、稀勢の里の場合は、もはやたまゆら、かりそめの異変、あるいは椿事(ちんじ)とは言えない土俵際にある。好漢・稀勢の里の奮起を望むところである。

 早春の絵になる風景

 早春の候にあって、身近なところで絵になる風景は、庭中の椿の花の蜜に吸いつく、メジロの可愛い姿である。揺れ動く椿の花にこころもともなく嘴(くちばし)を突っ込む光景には、茶の間の窓ガラスを開けて声援したくなる。もちろん、こんな野暮な行為は、厳に慎みてご法度(はっと)である。実際には飛び去るまで、息を殺して心中で応援を続けている。ところが、もっと長居を望んでいても、何にびくびくしているのか、まもなく飛び去ってゆく。私にすれば残念無念きわまりない。生来、メジロには飛び回る習癖があるのであろうか? と、勘繰り諦めざるを得ない。
 確かに、メジロならず私とて、椿の花の蜜はほのかに甘いことを知りすぎている。なぜなら、子どもの頃の私は、手当たり次第に椿の花の蜜を啜っていた。啜り方は、おのずからメジロとは逆である。メジロの場合は、揺れ動く枝についたままの椿の花に、ラッパ型の正面から嘴を突っ込んで啜る。私の場合は、そんなサーカスみたいな芸当はできない。すなわち、私は枝から花をとって、背面の付け根の穴を口元に寄せて啜る。メジロと私の啜り方で一つだけ共通するところは、丹念にスースーと啜ることである。
 メジロは、わが唯一の愛鳥である。それでも子どもの頃の私は、「メジロ落とし(捕り)」の遊びに狂奔していた。省みればとんでもない罪業(罪つくり)だった。ところが、この悪業をつぐなうことはできない。メジロ落としには、メジロ籠に囮(おとり)のメジロを入れて、枝に巻いたやんもち(鳥もち)の先には、椿の花を一輪つけていた。囮のメジロはメスだった。それはオスを誘い込むための知恵だったのである。
 メジロは私のみならず人には、圧倒的にオスが好まれていた。結局、わが罪滅ぼしは、絵になる風景をのどかに眺め、長居を望んで息を殺し、心中で声援を送り続けることしか能はない。だから、早い飛び去りにはがっかりする。メジロが飛び去ったあとには、椿の花が早春の清らかな日の光を浴びて、艶やかに照り返っている。メジロは、律義にも再び飛び回ってくる。
 早春の絵になる風景は、椿の花の蜜を吸うメジロの可愛らしさである。そして、この光景を音なく眺めるのがわが罪滅ぼしである。いや、罪滅ぼし叶わず、一方的にメジロに癒されているばかりである。

再び記す「どんど焼き」 

 一月十六日(火曜日)、現在の時間帯は午前三時近くである。きのうまでの寒さは緩んでいる。このため、気分的には萎えることなく、のんびりとキーボードを叩き始めている。いつもの習わしであるメディアの伝える配信ニュースは、すでに読み尽くしている。とりたてて、引用する記事は見当たらない。日本社会は平穏無事にめぐっているようである。北朝鮮も暴れていない。二月に行われる冬季・平昌(ピョンチャン・韓国)オリンピックの副次効果で、しばらくは静穏になるようである。
 きのうは、カレンダー上の「小正月」(一月十五日・月曜日)だった。これにちなんで郷愁を呼び起こされて、きのうの私はずばり『小正月』という一文を書いた。その中で具体的には、主に子どもの頃の「どんど焼き」にまつわる想い出を記した。ところが、きのうのテレビ画面で、はからずもどんど焼き光景に遭遇した。その光景は、何とわが家近場の「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)の境内で行われていたのである。その光景を伝えるアナウンサーは、小正月にちなむ「左義長(さぎちょう)」行事と言って、無病息災を願う行事と添えた。
 画面に映し出されたどんど焼きは二本立ちだった。裃(かみしも)姿の神官が火を点けた。すぐに、火は燃え盛った。周囲には参拝客が陣取った。その中の二人が、現場インタービュアーのインタービューに応じた。二人は異口同音に、思いがけない行事に遭遇したことを喜んでいた。私は画面を観ながら、どんど焼きという、言葉を待った。ところが、アナウンサーの言葉から、それは聞けずじまいだった。私はちょっぴりがっかりした。
 新年正月のめぐりは早いもので、月半ばを過ぎてきょうから後半へ向かって行く。その中で、今週には「大寒」(一月二十日・土曜日)がめぐってくる。確かに、いまだ寒気には気を緩めることはできない。一方であと半月余りを乗り越えれば、二月への月替わりとなり、早々には節分(二月三日)と立春(二月四日)が訪れる。このため、寒気のせいで日々往生をきわめている「ひぐらしの記」の執筆にも、チラホラと出口の明るさが見え出している。
 正月前半の私は、文章の出来はともかく休むことなく書き続けてきた。そして現在願うところは、この気概をたずさえて後半へ臨む心構えである。しかしこの意志の貫徹は、一寸先は闇の中にある。すると、闇を遮(さえぎ)る手立ては、自己発奮しかない。ところが、こんな実のない文章で日々を繋(つな)ぐようではこころもとない。確かに、私は闇に覆われている。一方で、幸い神頼みの左義長の行事も垣間見ることができたし、あてにはならないけれど神様頼りで、闇を払い正月の完走を願っている。
 カレンダー上に、「左義長」の説明はない。そのため、電子辞書を開いている。
 【左義長】「(もと、毬打(ぎっちょう)を三つ立てたからという)小正月の火祭りの行事。宮中では正月十五日と十八日に吉書を焼く儀式。清涼殿の東庭で、青竹を束ねて立て、毬打三個を結び、これに扇子・短冊・吉書などを添え、謡いはやしつつ焼いた。民間では正月十四日または十五日に長い竹数本を円錐形などに組み立て、正月の門松・しめ飾り・書初めなどを持ち寄って焼く。その火で焼いた餅を食えば、年中の病を除くという。子ども組などにより今も行われる。どんど焼き。さいとやき。ほっけんぎょう。ほちょじ。おにび。三毬打」。
 日々、同様の文章を繰り返すのが「ひぐらしの記」の特徴である。もちろん、こんなことではひぐらしの記の継続はちっとも誇れない。

「小正月」 

 早春とは響きの好い言葉である。だから、いくらか早いけれど、使いたくなっている。早春の候、寒の季節は「大寒」(一月二十日)へ向かって、いよいよ胸突き八丁へさしかかる。それを越えれば節分(二月三日)と立春(二月四日)が近くなり、まぎれもなく早春の季節がめぐってくる。
 新年の正月は初の冠を遠ざけながら、日に日に普段の月へと変わってゆく。きのう(一月十四日・日曜日)に記した日本社会の行事は、とどこおりなく過去ページへ移った。わが予定の行動もきっちりと済ませて、過去ページへと移った。それらをあらためて記すと、このようなものである。大学入試センター試験二日目(最終日)、全国女子駅伝(兵庫県優勝)、そして大相撲初場所初日(東京都墨田区・両国国技館)である。加えてわが行動では、次兄宅(東京都国分寺市内)への訪問があった。
 明けて、きょうのカレンダー上には「小正月」、と記されている。おのずから郷愁を呼び起こされている。特に甦るのは、小正月の風習であった「どんど焼き」の風景である。また、元旦同様の雑煮をはじめとする食膳の賑わいである。当時のどんど焼きは、村中の集落ごとに行われた。わが集落は、わが家近くの「内田川」の河川敷で行われた。それぞれの家族は、青竹の先っぽに円盤みたいな平たい餅を挟んで、肩に担いでのんびりと歩いて出かけて行った。嬉々(きき)として餅を担ぐ私の片手には、松飾りや書初めの反故紙(ほごし)を握りしめていた。どんど焼きは、おとなたちが手早く作り上げた。その周囲には集落の老若男女(ろうにゃくなんにょ)のすべてが、間隔を置いて和やかに陣取った。おとなたちの手で、あちこちに火が点けられた。パチパチと、火花が散った。火はたちまち轟音を立て燃え盛り、炎と煙は天に向かってゆらゆらと昇った。内田川のせせらぎと、寒空に澄み渡る空の青さがのどかな風景をいや増した。火の勢いが衰えて燻(くすぶ)り始めると、青竹に挟んだ餅がわれ先にあちこちからスッと伸びた。顔の火照(ほて)りと、餅の焼けぐあいが共存した。焙(あぶ)りの頃合いをみはらかって、それぞれの餅が裏返しになり、再び焙り始められた。餅は、焦げをつくる黄金色に焼けた。どんど焼きはなお燻り、集落団欒(だんらん)の大役を終えた。残り火の始末もまた、おとなたちの役割であった。子どもたちは、焼けた餅を肩に担いで、揚々と家路を歩いた。子どもたちは、どんど焼きの意義など知るよしなく、家族総出のどんど焼きそのものが楽しい行事だったのである。もちろん、小正月の習わし自体、知らぬがほとけだった。
 次の文章は、カレンダー上に記されている小正月の説明である。このところのわが文章は、なにかと日本の国古来の歳時(記)にすがっている。
 【小正月】「旧暦で一年の最初の満月にあたる一月十五日を、元日を中心とする大正月にたいして小正月と呼びます。大正月が年神様を迎える公式行事とすれば、小正月は農民の豊作祈願や、正月に忙しく働いた女性たちをねぎらう内輪の行事。餅花やまゆ玉を飾ったり、小豆がゆを食べる習慣が残る地方もあります。かつては、小正月までが松の内だったので、門松やしめかざりを燃やす『どんど焼き』も、この日に各地に行われます。」
 現在のふるさとは、日本社会の喫緊の課題すなわち「少子高齢化社会」を丸写しにして、年年歳歳過疎化傾向を深めている。このため、小正月の風習のみならず、どんど焼きも廃(すた)れかけている。確かに、今やカレンダー上の小正月の文字にたどるだけである。それでも、往時が偲ばれて楽しい想い出が彷彿と甦る。小正月やどんど焼きが過ぎれば、日本列島は確かな早春の訪れである。

早春の感動編 

 一月十四日(日曜日)、季節のめぐりは「大寒」(一月二十日)へ向かって、「寒の底」を這っている。「きょうは何の日?」と自問すれば、大学入試センター試験二日目(最終日)がある。これに先立ち浮ぶことには、不祥事に揺れ動いている大相撲初場所初日(東京都墨田区・両国国技館)がある。さらにテレビでは、わが好む都道府県対抗女子駅伝の放映がある。私事では、退院した次兄宅への表敬訪問を予定している。そんなこんなことで、いつもであれば題材に事欠く私も、書く題材を多くたずさえてパソコンを起ち上げた。ところが、いつもの習いしたがって、マスメディアの配信ニュースを読み進むうち、たちまち予定していた自作文は放棄した。そのわけは、胸の透くこんな感動編に出合ったからである。
 【15時間立ち往生のJR信越線、乗客から運転士に感謝のツイート 「泣きたかっただろうし、帰りたかっただろうなと思います」】(1/13(土) 17:09配信 ねとらぼ)。JR信越線で1月11日から12日にかけ、大雪のため15時間にわたり電車が立ち往生していた件で、車内に閉じ込められていた男性のツイートが反響を呼んでいます。今回のトラブルではJRの対応について批判的な報道も多くみられましたが、ツイートでは実際に除雪や乗客対応にあたった職員の行動を目の当たりにし、「JRの方の苦労、ありがたみや頑張りをすごく身近に感じました」「本当に素晴らしい」と称賛しています。トラブルがあったのは1月11日午後7時ごろ。東光寺駅を出た普通列車が大雪のため進めなくなり、翌12日に復旧するまで、およそ15時間にわたり乗客約430人が車内に閉じ込められました。そんな中、Twitterユーザーの“猫透け野郎”さんは12日、無事帰宅できたことを報告するとともに、「思ったことをまとめたのでぜひ見てください」とツイートを投稿しました。これまで同じようなニュースを目にするたび、「なんでもっと対応できないんだろうか」と思っていたという猫透け野郎さん。しかし実際にトラブルに遭い、応援が来るまでたった1人で乗客の対応や除雪作業にあたっていた運転士の姿を見て、その考えが変わったといいます。車内と外とを必死に駆け回る運転士の苦労は、閉じ込められていた自分たちよりもはるかに大変で、「泣きたかっただろうし、帰りたかっただろうなと思います」と猫透け野郎さん。車内放送からも疲れが伝わってくるようで、乗客の一部からは「頑張れ! 頑張れ!」という励ましの声もあがっていたそうです。ツイートはこれまでに7万回以上リツイートされ、「感動した」「涙が出ました」など大きな反響を呼びました。なぜこのようなツイートを投稿したのか、猫透け野郎さんに詳細を聞きました。「運転手さんが一生懸命対応してくださった姿勢をはやく形にしたいなと思い、今回のようなツイートをしました。帰ってきてやっと落ち着いたなって感じもしましたが、あの運転手さんは大丈夫だろうかと気になったりしていました」(猫透け野郎さん)車内の様子について聞くと、最初は動揺する人もみられたものの、やがて疲れた人に席を譲り合うなど、次第に乗客同士で協力しあうようになっていったとのこと。ただ、1カ所しかないトイレを全員で共有していたため、トイレに行くだけでも10分くらいかかってしまうなど、やはり復旧を待つのは決して楽ではなかったようです。また運転士も最初はかなり動揺していましたが、そんな中でも一生懸命に対応してくれたのが印象に残ったといいます。猫透け野郎さんは「JRの方の一生懸命さや心遣いに敬意を表してお礼を言いたいです。あなた方のおかげで安心して待つことができました。本当にありがとうございました!」ともツイート。自分自身も大変な思いをしながら、真っ先にJRや運転士のことを思いやるツイート内容に、Twitterでは「お客さんも運転手もよく頑張ったなと思います」「現場の声が聞けて良かった」など、多くの温かな声が寄せられていました。
 蛇足やあとがきの要らない、寒い心身が温まるさわやかな「早春の感動編」だったのである。

試練・克服・挫折 

 一月十三日(土曜日)、寝起きの私は、胸中にきわめて日常語の三つの言葉を浮かべている。もちろん、今さら電子辞書にすがるまでもないたやすく簡単明瞭な言葉である。それでも私は、あえて電子辞書を開いてみる。「試練」(信仰・決心・実力の程度をこころみためすこと。また、そのための苦難)。「克服」(努力して困難にうちかつこと)。「挫折」(計画や事業などが中途でくじけ折れること。だめになること)。
 試練と克服には常に厳しさがつきまとい、そして試練に対義する克服と挫折には悲喜交々がつきまとう。すなわち、これら三つの言葉は、まさしく人生行路の縮図を映している。言うなれば人生行路とは、これらの言葉の日々の実践と言えそうである。いくらか小さいことでは、この時期の寒気や大雪に耐えることも試練である。そしてそれには、常にうち克つ喜びと、挫ける哀しみがつきまとう。結局、人として生まれればだれかれなくすべて、人生行路は試練・克服・挫折の繰り返しである。そして、人生行路においてそれは、何度となくいや日常茶飯事に訪れる。それには、たとえ結果良しであってもその過程には、常にべらぼうな試練すなわち艱難辛苦がともなうこととなる。もちろん、だれかれなく人生行路においては、なんらかの入試の試練に遭遇することともなる。
 確かに、入試は人生行路における最初の試練である。中でも大学入試は、こどもとおとなの境目にあって、みずからの将来(岐路)を左右しかねない大事な入試である。このため、その先端を切る大学入試センター試験は、国を挙げての施策であり、かつ当事者ならずとも国民の関心ごとの一つである。そして、きょうあすには今年(平成三十年・二〇一八年)の大学入試センター試験が行われる。
 私の記憶の中で大学入試センター試験日は、例年大雪はもとより日本列島寒気著しい最中に遭遇している。ところが、今年もまたきょうあすの日本列島には、寒波襲来の早鐘が鳴り響いている。
 【早めにセンター試験会場へ…大雪で交通乱れも】(2018年1月12日21時25分 読売新聞)。「大学入試センター試験は13日から2日間の日程で、全国695会場で実施される。大雪などで交通機関が乱れる可能性もあり、試験を実施する大学入試センターは『時間に余裕をもって会場に向かい、間に合わない場合は受験票に記載された当日連絡先に電話してほしい』と呼びかけている。志願者は、昨年より6704人多い58万2671人で3年連続の増加となった。出願書類を送り忘れた高校があり、先月発表時点より現役生が2人増えた。参加する国公私立大学・短大数は848校で昨年と同数だった。13日の試験は地理歴史・公民と国語、外国語。14日は理科、数学が行われる。」
 入試の場合、試練の結果は合否として示されて、克服する人がいる一方で、挫折を味わう人がいる。挫折を味わう人に贈る言葉は、捲土重来(けんどちょうらい)である。しかし、挫折に遭遇すれば、この言葉で慰められ、癒されることもない。寒空の下、受験生の健闘を祈るのみである。
 試練・克服・挫折、いずれも言葉自体は易しいけれど、身に沁みる言葉である。受験日(生)の夜明けが訪れている。おお! 寒いな……。 

好意の連載開始『父の家』 

 きょう(一月十二日・金曜日)の文章は、わが推測をもとにした告知(ご披露)文である。だれにご披露するものかと言えば、掲示板上のものは読み得ない「ひぐらしの記」の読者にたいするものである。なかでも特に、単行本のご回読にあずかっている人たちへのご披露である。しかし、わが行為は、連載をさずけてくださる大沢さまの事前のお許しは得ていない。このことでは、この文章でお許しを願うところである。
 過日の私は、大沢さま、ふうたろうさん(ふうちゃん)の掲示板へのご投稿文、加えて渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)からさずかる激励の私信メールなどで気を良くし、さらなる掲示板の賑わいを呼びかけた。振り返ればひとりではしゃぎ、いくらか悪乗りしたきらいがある。ところが大沢さまは、このはしゃぎに呼応してくださったのであろう。すなわち、このことがわが推測である。具体的には大沢さまは、きのう(一月十一日・木曜日)から掲示板上に、かつて著されたご自分の小説の連載を始められたのである。このことで掲示板は、願ってもない賑わいにありついている。これすなわち、私は大沢さまのご好意の連載開始だ! と推測し、このことをご披露したくなっている。もちろん、きのうから続く本文をひぐらしの記へ転載することは、もとより不可能である。下記に引用する文章は、連載開始を志向された決意の一端である。言うなれば私たちは、この決意にさずかり掲示板上で、大沢さまの作品にあずかることになる。私たちにすれば、まさにご好意の連載開始である。
 「父の家」(第8回埼玉文学賞小説部門準賞作品) ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年 1月11日。「過去の作品(昭和五十二年)をそのまま掲載するのは躊躇していた。しかし自分の作品を改めて読み返してみるのも悪くはないのかなと、年の初めに思いついた。読み返してみれば、ほころびが目立ち、何度も立ち止まってしまったが、手探りで踏み込んだ小説の世界で、苦悩する自分との出会いが新鮮だったので、ここに思い切って掲載することにした。この作品は準賞であるが、五年後に『他人の城』で本賞を受賞することが出来た。お読みいただければ幸いです。」
 私たちにすれば、新年の思いがけない「お年玉」である。掲示板の賑わいにあずかること、この上ない。 

「鏡開き」 

 人間の営みは、簡単明瞭な言葉で表せば「暮らし」である。そしてその日常生活は、ずばり「日暮らし」である。「ひぐらしの記」は、わが身はもとより周辺そして社会の日常を手当たり次第に、はたまた摘まみ食いさながらに記している。
 現在の人の日暮らしが古来あるいは過去と連動する格好のものとしては、歴史書や歳時記がある。とりわけ歳時記は、ごく身近にすなわち日常茶飯事に、古来の日本の国の風習や、日本人の暮らしぶりを知るうえで、これに勝るものはない。このため、ひぐらしの記をつづる私にとっては、カレンダーを眺めながら行事として記されている時々の歳時(記)をあらためて学び、またお浚いすることは大切な習わしである。
 幸運にも文明の世にあっては、学びやお浚いをするにあって、教科書に替わるものは手近にさまざまにある。なかんずく私の場合、その筆頭はインターネット上に記されている人様の学習と知恵の拝借である。「きょうは何の日?」と、自問しながらカレンダーを眺めていると、「鏡開き」(一月十一日・木曜日)と、記されていた。すると私は、インターネット上に記されている鏡開きにかかわるさまざまな項目(文章)を閲覧した。それらの中から私は、下記の文章を留め置くものである。
 「お正月の間、年神様の居場所になっているのが鏡餅。そのため、年神様がいらっしゃる松の内の間は飾っておき、松の内が過ぎたら下げて食べ、年神様をお送りします。年神様の依り代である鏡餅には年神様の魂が宿っているとされるため、鏡餅を食べることでその力を授けてもらい、1年の家族の無病息災を願います。つまり、鏡餅は供えて、開いて、食べてこそ意味があるのです。松の内を1月7日までとする地方では11日に、関西など松の内を15日とする地方では15日に鏡開きを行う場合が多いようです。昔は『二十日正月』といって20日に鏡開きを行っていましたが、徳川三代将軍・徳川家光が慶安4年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて11日になったといわれています。鏡開きはもともと武家から始まった行事なので、鏡餅に刃物を使うことは切腹を連想させるので禁物でした。そこで、手か木槌などで割ることになりましたが、『割る』という表現も縁起が悪いので、末広がりを意味する『開く』を使って『鏡開き』というようになりました。鏡開きで年神様を見送り、お正月に一区切りつけるということは、その年の仕事始めをするという意味がありました。剣道などの武道で、新年の道場開きに鏡開きとしてお汁粉をふるまったりするのはその名残です。祝い事の時に振舞われる樽酒のふたを割ることも鏡開きといいますが、これは酒樽のふたのことを『鏡』と呼んでいたからです。米からできる日本酒は神聖なものとされ、神事を営む際に神様に供えられ、祈願が済むと参列者で酒を酌み交わして祈願の成就を願う風習がありますので、やはり縁起の良い『開く』という表現を使っています。鏡餅の鏡開きも、樽酒の鏡開きも、新たな出発に際して健康や幸福などを祈願し、その成就を願うということは同じなのです」。
 わが家に鏡餅のお供えはない。しかし、切り餅の買い置きは年中ある。甘党の私には、樽酒いや一合の酒さえまったく無縁である。きょうの私には、鏡開きの風習にならって、買い置きの切り餅と小豆の粒餡を用いて、「汁粉」(ぜんざい)のおねだりの心づもりがある。おねだりする相手は、娘宅に向かわず在宅中の妻である。はからずも、和んだ「夫婦善哉(みょうとぜんざい)」となれば、儲けものの「めでたし、めでたし」である。

 衝撃

 愛する日本社会にあって、日本人の質の低下が加速している。その証しは、さまざまな事件の多発かつ頻発に表れている。もちろん、大小の事件にあって、後味の良いものなどあるはずはない。ところがこのところの事件は、いっそう後味の悪さをきわめている。その一端を私は、人心を惑(まど)わす事件に見る。
 振り込め詐欺事件は、日々日本社会上げて警戒し、さらには巻き込まれないように絶えず、警鐘を鳴らし続けている。しかし、実際には減るどころか、なお増え続けている。その手口は、悪辣(あくらつ)きわまりない巧妙さに進化している。悪徳行為に、巧妙とか進化の言葉を添えるのは虫唾(むしず)が走る。そのため換言すれば、振り込め詐欺の手口は、ますますずるさが際立っている。
 ところが、不断の振り込め詐欺事件に加えて、正月早々にあって気分の滅入る二つの事件が起きたのである。しかも二つの事件は、これまでの日本社会にあってはとうてい考えられない、日本人の心の綻(ほころ)びを如実に示す事件、すなわち日本人としてはとてつもなく悲しくかつ寂しい事件だった。
 その一つは、おとなへの門出をなす晴れやかな成人の日(成人式)にあって、おとなのしでかした悪徳きわまりない事件だった。事件のあらましを短く記すとこうである。晴れ着のレンタル・販売会社「はれのひ」(横浜市中区)と契約した新成人に、その日すなわち成人の日(成人式)にあって、肝心の振り袖が届かなかった事件である。この事件は新成人の人体に傷を負わせるものではなかったけれど、精神的傷負いははかり知れないものがある。もちろん私にとっても、他人事(ひとごと)では済まされない、悲痛きわまりない後味の悪い事件だったのである。
 さらに一つは、日本のスポーツ界にあっても、とうとうこんな事件が起きたのかと、身が縮むほどに慨嘆した事件である。こちらは、メディアの伝える配信ニュースを引用し留めるものである。
 「日本カヌー連盟は9日、昨年9月のスプリント日本選手権(石川県小松市)に出場した鈴木康大選手(32=福島県協会)が、大会中に小松正治選手(25=愛媛県協会)の飲み物に禁止薬物の筋肉増強剤を混入させ、小松選手がドーピング検査で陽性となったと報告した。(スポニチアネックス)」。
 これまた、とんでもなく悪質きわまりない事件である。これまでこの手の事件は、日本人には関係の無い外国の出来事として、看過できていた。ところが、とうとう日本の国にあって、かつ日本人がしでかすようになったのである。ひと言で表現すれば、嘆かわしい事件であった。これまた、人体に直接傷を負わせる事件ではなかったけれど、自己都合の独善的悪辣さにおいては、比類なき事件だった。
 二つの事件を見るかぎり平成の世は、まさしく世の末になりつつある。

人それぞれの青春時代 

 きのうの「成人の日」(一月八日・月曜日、祝祭日)にあって私は、ずばり『成人の日』という一文を書いた。ところが、この文章が呼び水となって、お二人様の成人の日を回顧するご投稿文にさずかった。そのおかげで私は、ありがたく、うれしい気分に浸れた。ご投稿文をさずけてくださったのは、大沢さまとふうたろうさん(ふうちゃん)である。このことに関して、私は心中より感謝を申し上げるところである。
 確かに、このところの私は、掲示板上における人様のご投稿文に飢えている。わが気持ちを察して、大沢さまには不断にご投稿文をさずかっている。しかし、竹馬の友・ふうちゃんのご投稿文は、ずっと途絶えがちになっていた。そのことが私には、心寂しいものだったのである。
 「ひぐらしの記」の継続は、日々喘ぎながら頓挫寸前のところにある。正直言って、継続には藁をも掴む思いがある。その証しに常に心底には、(もう書いてもしようがないな、もうやめよう)という、怠惰な気分が渦巻いている。すると、この気分にカンフル剤が打たれるのは、人様のご投稿文である。ご投稿文にあって、大沢さまはもちろんのこと、カンフル剤の役割をになってくれるのはふうちゃんである。加えて、受信メール文で常に激励をくださるのは、会社同期入社のお仲間、渡部さん(埼玉県所沢市)である。実際のところ私 は、これらの人たちに激励にさずかり、ようようひぐらしの記の継続にあずかっている。言うなればこれらの人たちは、わが生来の三日坊主の悪癖を常に矯(た)め支えてくださっている人たちである。とりわけ、渡部さんとふうちゃんは、わがヨタヨタ足を両脇から抱え、支えてくださっている男神様である。
 さて、きのうの大沢さまとふうちゃんには、ご自身の成人の日を想起するご投稿文にあずかったのである。そして、お二人のご投稿文にあっては、一つだけ時代を映す共通の話題が記されていた。それは、当時の日本社会においては生きるためには、必須の「米穀通帳」であった。ところが、当時の米穀通帳は、親の独占権の一つでもあった。このため米穀通帳は、お二人の成人の日にからんでは、余儀なく甘酸っぱい想い出を残していたのである。
 ところが、わが成人の日にあっては、米穀通帳にまつわる記憶はない。いや、私の場合、成人の日にちなむ記憶自体、夢まぼろしである。このため、無理やり記憶を呼び戻してみると、成人式には出たような記憶がほのかにある。確かなことでは、わが成人の日の私は、東京都国分寺市における次兄、三兄、四兄たちがそろって営む八百屋生活の中に、居候の身を置いていた。その頃の私は、三人の兄たちの愛情をたっぷりと受けて、大学在学中だった。もちろん、私は勉強など二の次に、兄たちの手伝いに明け暮れていた。それでも、優しい兄たちとの生活は、日々充実していた。だからではないけれど当時の私は、恋の楽しさ、恋の苦しさ無縁に、すなわち恋人おらず、恋知らずに、平々凡々の青春時代に甘んじていた。言うなればわが器なりに、さしたる感慨や想い出づくりも無い、平々凡々たる青春時代を過ごしていたのである。過ぎた日を今さら省みてもどうなるわけでもないけれど、悔い心をともなうもったいない青春時代だったのである。
 すると、その悔い心の反動なのか、いくらか青春時代の心境によみがえりたいのか。いや、飛びっきりの物好きのせいであろう。成人の日となるとわが心は、ちょっぴり疼(うず)くのである。具体的には、晴れ着姿の新成人の和んだ群れを見たくなるのである。つまり、成人の日の私は、馬鹿丸出しの野次馬(根性)へ成り下がるのである。
 きのうの私は、またもや性懲りなく曇り空の下、トボトボと歩いて鶴岡八幡宮の境内へ赴いたのである。そして、例年にならい祭壇には合掌することなどなく、漫(そぞ)ろ歩く新成人の華やか姿と和んだ声に紛れ込んで、わが老いの身に若い息吹を取り込んでいたのである。はからずもお二人様のご投稿文にもさずかり、今年(平成三十年・二〇一八年)の成人の日は、寿(ことほ)ぐにあたいする、万々歳の日となっていたのである。明けてきょう(一月九日・火曜日)の私には、なんだか元気が出ている。

「成人の日」 

 人間社会にあっては、子ども時代にとどまることを望んでも、年齢の刻みによりそれは許されない。きょうは平成三十年(二〇一八年)の成人の日(一月八日・月曜日、祝祭日)である。この日あるいは前後には成人の日にちなんで、自治体による新成人(満年齢二十歳)を招いての「成人式」が行われる。すなわち成人式とは、子ども時代からおとな時代になる門出である。おのずから成人式は、新成人それぞれがいろんな思いをたずさえての門出となる。その思いを悲喜交々と言うには、いくらか大げさかもしれない。実際には総じて、ちょっぴりうれしく、ちょっぴりさみしい、くらいの思いであろうか。
 成人への門出のみならず、人生行路におけるおりふしの門出には、人それぞれにさまざまな感慨がつきまとうものである。そうであればやはり、うれしさつのる門出であってほしいと、願うところである。とりわけ、多くの新成人が華やかな晴れ着を身にまとう成人の日(成人式)にあっては、その思い一入(ひとしお)である。
 このところの文章は、正月特有にカレンダーに多く記されている歳時(記)のおさらいに終始している。もちろんこれには、いくらか恥ずべき思いがともなっている。しかしながら懲りずに、きょうも繰り返しである。
 【成人の日】「成人の日に行われる成人式は、古くからある『元服』が元になっています。髪型や服装を大人のものに変え、名前を幼名から元服名に改める儀式です。現在では満二十歳を成人と考えるのが一般的ですが、元服の年齢は十歳前後から二十歳前後と幅広いものでした。元服式は小正月に行われることが多かったので、成人の日は一月十五日となり、その後、祝日法の改正で現在のように一月の第二月曜日となりました。」
 元号・平成時代における成人の日(成人式)は、来年のあと一回を残すのみで打ち止めである。加えてこの先には、成人年齢の満十八歳への引き下げが検討されている。結局、国や自治体のかじ取りはどうあれみずからの門出は、みずからにすがり切り開くより便法はない。重ねて、きょうの新成人に幸多かれと祈るところである。もちろん、いずれの年も新成人の予備軍は、この時期にはさまざまな受験競争の真っただ中に晒されている。
 今年もまた、中学、高校、大学、いや小学校入試の出願および試験の季節到来である。そして、こちらにはまぎれもなく、合否のもたらす悲喜交々の光景がおりなされる。それでも、うれしさ、さみしさ、あるいは悲喜交々の門出は、児童・生徒・若者の特権である。私にはもはや門出の光景はない。唯一、残されているのは「死出の旅」である。

「七草粥」 

 「ひぐらしの記」の恥ずべき大きな弱点は、すでに書いた事柄の繰り返しである。このことではキーボードに就くたびに私は、忸怩(じくじ)たる思いに晒されている。その挙句、そのたびに私は、もう書くまい、もう書けない、という気分にさいなまれている。言うなれば、わが能無い悩みである。
 さて、私のみならず人の日常生活は、カレンダーに沿ってめぐってゆく。何かと「初」の冠をいただく新年正月の場合は、とりわけその感旺盛になる。新年元旦のことは、すでに旧聞になりつつある。そのため、あまり書きたくはないけれど、それでも書かずにおれないことが一つある。それは、社会の木鐸(ぼくたく)役を自任する新聞(社)にたいする腹立たしさである。それは、わが家の貧相さのせいだと、言われればなおさら腹が立つ。
 新年早々、文字どおり元旦の私は、チンケなわが家の郵便受けから、チラシをたっぷりと咥(くわ)えた朝刊の束を引き出すことに一苦労した。稼ぎどきとばかりに、数十枚のチラシを挟み込む新聞販売店には、いくらかの同情をたずさえるくらいで、恨みつらみはない。恨みつらみの矛先(ほこさき)は、特別版をやたらと刷り込んだ朝日新聞社にたいしてだった。不断の新聞社は、木鐸面(ぼくたくづら)をしてはやたらと、無駄の警鐘を打ち鳴らす。ところが、元旦には普段の朝刊のほか特別版が加わり、その束の厚さと重さには辟易するばかりである。すなわち、自分のこととなると新聞社は、無駄の頬かむりを決め込んでいるのである。紙数の多さをふるさと言葉で表現すれば、「読みこなさん」(読み切れない)である。その挙句、私は新聞およびチラシ共に一目さえ置かずに、分別箱に放り込むありさまである。ところが、このなさけない行為は、毎年の元旦のしきたりとなっている。そして、この繰り返しは、元旦のわが清々しい気分に、真っ先に水を差しているのである。
 きのう(一月六日・土曜日)の私は、カレンダーに記載の歳時からあらためて、「小寒」を学んだ。再びその一部を記すと、こう書かれている。「小寒は『寒の入り』つまり寒さのはじまりという意味です。実際はこの頃から寒さは厳しくなります」。カレンダー上の今年の小寒(一月五日)は、すでに過ぎている。言うなれば「大寒」(一月二十日)へ向かって、本格的な寒の入りのさ中にある。確かに、季節は嘘を吐かない。なぜなら、現在のわが身は、強い寒気をこうむり冷えびえである。カレンダー上におけるきょう(一月七日・日曜日)の歳時(記)には、「七草」と記されている。七草と言っても、おのずから「春の七草」と「秋の七草」には異なるところがある。
 きょうは春の七草であり、古来この日の日本社会には「七草粥」の風習(歳時)がある。このため、きょうの私は、インターネット上の人様の学習や知恵から学んだものをそっくりひぐらしの記にとどめている。これまた、ほぼ毎年の繰り返しである。「『せり・なずな 御形・はこべら 仏の座 すずな・すずしろ これぞ 七草』」。 春の七草の歌になって広まったことにより、春の七草の七種の草とその読みと並べ方が定着したといわれる。新春の一月七日に、 春の七草を 「七草粥)」 に入れて食べる習慣がある。」
 もちろん、無病息災、長寿、富貴、などを願うためのさまざまな厄除け風習である。私は願いそっちのけに、「粥御飯」自体、大嫌いである。繰り返し書かなければ、ひぐらしの記の継続はありえない。恥ずべき思いに晒されている。

願うは「日々是好日」 

 新しい年(平成三十年・二〇一八年)は、三が日は早や過ぎ去り、きょうは六日(土曜日)を迎えている。あらためてこの間を振り返れば、カレンダー上にはいろんな年頭行事が記されている。元日には初詣とあり、二日には初夢、初荷、書初めなどが記されている。これらのほか、人さまざまに年頭の習わしがあるはずである。元日には年賀状やご来光もあろうし、習いごとにおける寒稽古もあろう。四日には官庁御用始めと記され、きのう(五日)には人の営みではないけれど、季節のめぐり表す「小寒」が記されている。そして、きょう(六日)の行事欄は無印である。無印だからと言って、もちろん人の営みがないわけではない。
 この間の日本列島は、間髪を容れずあちらこちらで地震に脅かされた。天変地異の鳴動は人の世の正月気分など、気に留めることなくお構いなしである。この間の私は、いやおうなく地震に遭遇しただけで、人間の営みにはどれもこれもまったく無縁のままにうち過ぎた。ただ胸中に浮かべるだけでいいのに、もはや一年の計さえまったくの縁無しだった。一年の計さえ浮かべないのは、この先一年の生存が不確かになりかけているせいなのかもしれない。確かに、なんら浮かべず、なんら願わず、無為に時を過ごすことは、もはや生きる屍(しかばね)である。このため、唯一願っているのは、「日々是好日(ひびこれこうじつ)」である。ところが、実際にはこれほど「言うは易く行うは難し」のものはない。
 旧臘(きゅうろう)の暮れのわが家は、松飾りや輪飾りさえしないままに新年を迎えた。いわんや! 門松などまったくの用無しだった。挙句には、門松の意義や風習さえ忘却寸前のところにある。このため現在の私は、カレンダー上に記されている門松にかかわる文章を読んで、とどめ記している。
 【日本の歳時記豆知識 松が主役の正月飾り】「現代の門松は中央の竹が目立ち、松の存在感はそれほどありません。しかしもともとは、根の付いた一対の松が門松の原形といわれています。平安時代の貴族たちは正月最初の子(ね)の日に、根の付いた小松を山から採ってきて長寿を願いました。一年中青々と葉を茂らせている松は永遠の命を象徴し、古来より神の宿る木と考えられたのです」。
 過ぎたきのうには、季節のめぐりを表す二十四節気の中の「小寒」が記されていた。これまた、これにかかわる文章を付記するものである。
 【小寒】「小寒は『寒の入り』つまり寒さのはじまりという意味です。本格的な寒さではないという意味があるようですが、実際はこの頃から寒さは厳しくなります。寒中見舞いは小寒から出しはじめます」。
 「大寒」(一月二十日)は、小寒から十五日過ぎた頃にくるという。もはや無病息災など叶わず、ひたすら願うは「日々是好日」である。ところが、これこそ、すこぶるつきの難題であり、空念仏にすぎない。
 カレンダー上の歳時(記)に準じて、新年は速めぐりし始めている。あす(七日)には、「春の七草」と記されている。なんだか、あてにならない神頼りや、自然崇拝のおまじないばかりである。結局、何かにすがるしか、生きるしるべのない人の命である。

 言葉の醸す「春近し」

 明けて、きのう四日(木曜日)の日本社会は、「仕事始め日」として動き出した。しかし、あすの週末土曜、日曜のあとには、「成人の日」(八日・月曜日)が訪れて三連休となる。このことでは、本格的な今年(平成三十年・二〇一八年)の仕事始め日は、三連休明けの九日(火曜日)と、言えそうである。言うなれば成人の日は、長かった年末年始休暇の打ち止め日でもある。この間には「春の七草」(七日)があり、さらに松の内が明けて、「小正月」(一月十五日)を迎えることになる。小正月を過ぎれば、おのずから正月気分はすっかり遠退いて行く。あえて、わかりきっていることを長々と書いたのは、暖かい春の訪れが間近になった心持になり、気分が和むからである。
 季節めぐりは、それに応じる気分の変化をたずさえてめぐっている。なおそれには、時に応じてさまざまな日本語の快いひびきの恩恵にもあずかっている。この時季であれば私は、ズバリ陽春あるいは初春(はつはる)という言葉に、和みをおぼえて癒されている。気象的には暮れの日の光と、明けた三が日の陽射しがそう変わるわけではない。わずかに変わるとすれば、日長へ向かう日足の伸びくらいである。ところが、気分的には大きな違いをもたらしている。
 具体的には、明けてふりそそぐ陽射しには、まさしく初春気分旺盛になれるところがある。日の光は色づいて、キラキラと輝いているような気分になる。言うなれば初春の陽射しは、待ち焦がれる春の色さながらである。実際には春の色など知らないし、いやもとからそんな色はない。すなわち、心中に浮かぶ想像上の色にすぎなくて、絵の具で描けるはずもない。だから、余計さまざまに思いをめぐらして、いっそう和みに浸れるところがある。
 もちろん、日本語のみならず言葉は、時に応じて人間心理の綾を映し出してくれる、人間の知恵のさずかりものである。この時季であれば、言葉一つで暖かい気分にもなれるし、寒々しい気分にもなる。私の場合、陽春あるいは初春という言葉には、暖かい気分旺盛になるところがある。もちろん、寒気はいまだ底まで至らず、この先なお深まり続けてゆく。ところが日足は伸びて、まさしく一陽来復の言葉が浮かんで、快い気分横溢になるところもある。
 こんな柄でもないことを行きあたりばったりに書いたのは、きのうの『正月は「めでたくなし」』の罪滅ぼしでもある。確かに、去年の出来事などとうに忘却し、季節の速めぐり感には戸惑うばかりである。一方、明けたばかりの陽射しには、心ウキウキするところがあった。おのずからそれは、陽春あるいは初春という、快い言葉のひびきからもたらされていたのである。寒気が深まるにつれて庭中の椿の花の色合いは、艶やかに紅色を増している。それでも春近し。山からシジュウカラを先導役にして、メジロが椿の花の蜜を啜りに飛んで来る。確かに、正月が来てこそ、「春近し」である。そして、地中の虫たちは蠢動(しゅんどう)準備万端ととのえて、日本社会は新たな年の活動をきわめてゆくのである。

正月は「めでたくなし」 

 正月を迎える気分は、こう移り変わってきた。子どもの頃は楽しかった。中年にあっては、「めでたくもあり、めでたくもなし」。そして晩年の現在は、「めでたくなし、めでたくなし」。
 正月がめぐりくるにあって、昨年の暮れには、一つのふるさと便が届いた。それは、正月用の搗(つ)きたての丸餅だった。送ってくれたのは、長兄の次女弘子さんご夫婦だった。確かに、正月なかんずく元旦には、餅入り雑煮の習わしがある。それにさずかった、心うれしいふるさと便だったのである。元旦の郵便受けには、年賀状が届いた。これまた、正月あってこそ、普段疎遠になりがちな人様の近況を知り得る便りだった。
 三が日最終日、きのう(一月三日・水曜日)の私は、行くあてなどまったくなかった、鎌倉・鶴岡八幡宮(鎌倉市街)まで出かけた。途中には、日本三大の学問祈願の神社と言われる、「荏柄天神」へ立ち寄った。行きは、わが家から「天園ハイキングコース」へ上り、四差路を直進して鎌倉市街へ通ずる山中道を下った。できれば、普段毛嫌いしているリスに出合えばと、思った。ところが出合えず、ちょっぴりがっかりした。
 連れ合う者は、妻そして娘夫婦とあおばちゃん(小学四年生・十歳)だった。私は、山中のリスをあおばちゃんに見せてやりたかったのである。夕方に向かう山中には、いまだに明るい木洩れる日が道すがらふりそそいでいた。いまだ過ぎた冬至から二週間足らずだけなのに、陽射しは日足を伸ばしはじめていた。のどかに木洩れ日を浴びるだけで、わが心は癒されていた。
 山中道から鎌倉市街へ下りと、チラホラと人様に出会った。軽く会釈を交わし合いながら、鎌倉宮(大塔の宮)のところへ着いた。この先は荏柄天神、「頼朝の墓」を経て、鶴岡八幡宮へと続く脇道を成している。わが家からすれば近道になる。本通りは、JR横須賀線「鎌倉駅」前から、目先の「若宮大路」、そしてその中道の「段葛」を踏んで、境内へ向かう道路である。脇道とはいえ前後には、群れ合う話し声はもとより、人様の息づかいさえ伝わる往来が続いていた。
 鶴岡八幡宮の脇の出入り口にたどり着いた。ところがここには、赤い制服を着た雇われ警備員(ガードマン)と思われる人が、目を凝らしてひとり立ちしていた。その脇の立て看板には、「三の鳥居の方へお回りください」と、書かれていた。脇道から来た私たちや参拝客は、やむなく参道正面に立つ三の鳥居まで遠回りした。三が日最終日で、かつ夕方である。それでも境内は、今なお「押すな、押すな」の人出だった。
 娘はあおばちゃんお気に入りの出店に何度か入って、買っては二人して食べていた。どうやら、娘たちもお参りは、出店の二の次でどうでもよかったようである。なぜなら、娘との会話は、こうなった。
「込んでるね。あんなに大勢並んでいるよ。時間がかかりそうよ。パパは、どうしてもお参りしたいの?」
「馬鹿言うな。おれは、もともと初詣をする気はないよ。おまえたちが、『鶴岡八幡宮へ行きたい! 鶴岡八幡宮へ行きたい!』と言ったから、『俺は行かないよ』とは言えないから、渋々ついて来ただけだよ。文子だって『パパ、行きたくないわね』と言っていたよ」
「そうなの。ごめんね。じゃ、お参りしなくて、帰ろう。わたしたちも、近所の神社にお参りすればそれでいいのよ」
「そうか。それなら、お参りせずに帰ろうよ。このまえ見た近所の神社のパンフレットには、鎌倉の鶴岡八幡宮と同じ祭神と、書いてあったよ」
「そうなの? ……知らなかったわ」
「そう書いてあったよ」
「なあんだ。よくお参りするのに知らなかったわよ。じゃ、ここではお参りせずに、帰ろう」
 私はシメシメと、思った。
 すでに市街は、とっぷりと夜の帳(とばり)につつまれていた。帰りには横須賀線上り電車を利用し、二つ目の大船駅で下車した。ここで娘は、
「あおばが『どうしても行きたい!』と言うから、パパ、カラオケに行ってね」
 と、言った。「またか」。これまた渋々同行し、六千円強の代金の支払い役を担当した。
 確かに、きのうの私は、正月三が日のおかげで大勢に人出を見ることも、それから垣間見える日本社会の平和を感ずることはできた。それでも、年老いて迎える正月三が日は、くたびれもうけにさえならず、もうコリゴリである。もちろん、まったくめでたくなし。

三が日、最終日つれづれ 

 「冬至」(昨年・十二月二十二日)から二週間近くが経ったばかりなのに、私は夜明けの早さを実感している。まもなく、新年正月三が日の最終日(一月三日・水曜日)の夜明けが訪れる。日本社会には少しずつ、年末年始休暇明けのUターンラッシュが始まっている。大沢さまもきょうには、ご実家からご自宅へUターンされるお一人である。大沢さまご不在中の「ひぐらしの記」は、余儀なく休載をこうむることとなっている。それでも私は、掲示板上では休まず文章を書き続けていた。いや、留守中だから余計休んではいけないと、みずからに言い聞かせていた。おのずから、みずからに課した責めを免れるだけの、書き殴りに終始した。大沢さまのご帰宅あれば、書き溜め込んでいた掲示板の文章は、ひぐらしの記へ移記していただくことになる。そのため、大沢さまにはご面倒をおかけし、ブログ上の「ひぐらしの記」のご常連にあずかる人たちには、一挙転載を読んでいただくこととなる。このことで、正月早々に手や気分を煩わすこととなり、私には忝(かたじけな)い思いつのるところがある。しかし、休むまい! というわが責めを果たしたことに免じて、切にお許しを願うところである。
 実際のところきょうの文章は、休むところだった。いや、こんな文章を書くようでは、休むべきだった。私自身きょうの文章は、書かない、書けない、と思っていた。その理由には、わがきょうの営みがきのうの延長線上にあるからである。きのうの私は、二つの営みに明け暮れた。一つは、昼下がりまで箱根駅伝往路のテレビ観戦である。それが済むと妻と連れ立って、わが現住する鎌倉市に隣接する逗子市へ向かったのである。逗子市内には妻の実家がある。そして、義父母亡きあとは、義姉夫婦が後継者としてしっかりと守っている。
 きのう義姉夫婦は、わが家二人そして娘夫婦とあおばちゃんの三人を招いて、大盤振る舞いの晩餐会を催してくれたのである。私たちがわが家へ戻ったのは、夜遅い十時近くだった。このとき、娘たちも一緒にわが家へ来て、現在一夜泊まりの就寝中にある。きょうの私には、箱根駅伝復路のテレビ観戦の予定がある。箱根町・芦ノ湖河畔のスタート時間は、刻々と迫っている。娘たちの来宅を受けて、いやおうなくわが就寝時間は制限されている。双方の影響をこうむり、私は仕方なくきょうの文章は、書けずじまいになるだろうと、思っていたのである。ところが、習性いや惰性にあずかり、こんな書き殴りの文章を書いてしまったのである。重ねて、平にお許しを願うところである。
 尻切れトンボのままに、スタート時間迫る階下のテレビ桟敷(茶の間)へ、息を殺し足音を遮り、移動するところである。隣の部屋には、夜更かしをした娘たちが寝息を立てている。早くなった夜明けが訪れている。

心和む想い出 

 新年元旦、文字どおり今年(平成三十年・二〇一八年)最初の文章は、わが生来のマイナス思考がわざわいして、私自身反吐(へど)を催すような暗い文章になってしまった。もちろん、わが器の小さい証しでもある。それに懲(こ)りてきょう(一月二日・火曜日)の私は、いくらかの罪滅ぼしやつぐないを心に留めて、キーボードに向かっている。
 実際には、正月三が日にふさわしい和みのある明るい話題探しである。すると、のどかに甦(よみがえ)るのは、子どもの頃の正月風景である。あたりまえのことだけれど、正月の楽しさは、子どもの頃と加齢をきわめる現在とは雲泥の差がある。子どもの頃の楽しさは、冬休みのはじまる年の瀬から、新年の元旦、三が日を超えて、なお冬休みを終え三学期の始業式まで続いた。
 彷彿と甦るこの間の楽しさは、主なところでこんなことからもたらされていた。年の瀬にあっては、正月準備に忙(せわ)しなく働く、母の家事手伝いにたいする楽しさがあった。具体的には、忙しい母の手伝いから得られる、誉め言葉の嬉しさであった。当時のわが家の生業(なりわい)は、母屋裏に流れる内田川の水を引き込んで、水車を回しての精米業だった。この仕事における母の役割には、精米のみならずいろんな機械の操作をはじめ、内的仕事の一切を担っていた。そのうえ、大家族の家内労働の一切もまた、おのずから母の役割だった。
 わが家の精米業は、母屋の中を住まい部分と二分し、戸口元(玄関口)から座敷への上り口へ至るところまでの、土間で行われていた。もちろん精米業には、粉の舞う製粉作業もともなっていた。すると粉は、土間だけにとどまらず、住まい部分の畳敷きや板張りのところまでお構いなく、隈なく舞い落ちていた。畳敷きの場合は、裸足の裏には粉がざらついて、足形はつかなかった。ところが、板張りに足を踏み入れると、裸足の裏には粉が付着し、そのぶん板張りにはくっきりと足形がついた。そのため、わが家事手伝いのイの一番には、一日に何度かの部屋掃除が強いられた。
 当時の田舎の家構えは、どこかしこだだっぴろく、とりわけ精米業を母屋に中に営むわが家は大造りだった。おのずから、住まい部分の掃除はたいへんだった。このたいへんな部分を私は、春休み、夏休み、そして冬休みになると、厭々(いやいや)ではなく、みずから進んで掃除していたのである。そのご褒美は、毬栗頭を撫でなでしながらの母の言葉、「よく掃除してくれるねー。助かるばいねー」だった。五右衛門風呂に、川の水を汲んでは入れた。山から拾ってきた薪や枯れた杉の葉を焼(く)べては、竹筒の火熾(おこ)しをフーフーと吹いて、風呂を沸かした。
 わが家族はもちろんのこと、近くに分家していた異母長男家族共々に寄り合っての、正月用の餅搗(つ)きも楽しかった。母と一緒に、いたるところに飾り餅を飾った。二重ねの餅の上には、新米を半紙にくるんだおひねり、小さな河内蜜柑、そして母手作りの吊るし柿が、押し合いへし合いしながら乗っかっていた。
 大晦日が明けた元日の枕元には、冷やりとした真新しい下着と足袋が置かれていた。上り口を下りると土間には、これまた家族みんなのぶんに買いそろえた、新品の杉下駄が並んでいた。元旦の母の出番のイの一番は、神棚や仏壇回りの確認だった。それが済むと母は、釜屋(土間の炊事場)で雑煮作り汗水垂らしていた。父の出番のイの一番は、神棚の瑞々しい榊に手を合わせることだった。ほやほやに湯気立つ雑煮が出来上がると、それを囲んで家族そろって、和やかに新年の語らいと食膳が始まった。父と私は、雑煮餅の個数の食べ比べをした。ところが私は、餅好きの父には敵(かな)わなかった。三が日と言わず冬休みじゅうの隣近所の遊び仲間との遊びは、凧揚げ、カッパ(メンコ)、そして独楽(こま)打ちだった。人間、想い出がなければ、後世の営みは空虚である。
 きょうの楽しみは、二年間待ちわびていた箱根駅伝往路のテレビ観戦である。わが母校中央大学は、昨年は予選に落ちて、出場が叶わなかったのである。きわめて寂しい箱根駅伝だった。このため、悲喜交々になろうと、きょうの私は、愚痴こぼしは止めようと思う。なぜなら、年の初めの二日続きのマイナス思考は、もう懲りごりである。

 明けまして……

 手元の電子辞書を開けば、元旦とは短くこう記されている。〈元旦〉「元日の朝。元朝。元日。一月一日」。例文として、「一年の計は元旦にあり」という、添え書きがある。
 新しい年、すなわち平成三十年(二〇一八年)の元旦(一月一日・月曜日)を迎えている。いや厳密には、元旦と言うにはいくらかこそばゆい違和感がある。なぜなら、壁時計の針は日を替えて、わずかに一時間余りの真夜中、一時半近くを回っている。私はいつもより早く起き出して、いやこれまた厳密には、いつもよりなおいっそう早く起き出して、いつものような文章を書き始めている。いつもとやや違うのは、次の言葉を心中に浮かべて、やはり書かざるを得ないところである。「新年、明けましておめでとうございます」。まことにメリハリの無い、平々凡々たる日替わりである。しかし、この平々凡々こそ、至福の時なのかもしれない。
 新年を迎えたばかりなのに、来年のことを言えば鬼は大笑いするであろう。カラスは群がり「アホウ、アホウ」と、鳴き叫ぶだろう。確かに、私自身なさけなくて、大泣きしたいところがある。それは、わが身に再び新たな年が訪れる保証はなく、訪れる確率自体大きく下がるからである。もちろん、今、新年を迎えていても、一年の計など立てようもない。できれば、一日一日を無事無難に消光することこそ、最大の願望である。言うなれば平々凡々こそ、願ったり叶ったりと、喜ぶべきことではある。そのことからすれば現在の私は、眠気まなこであろうと、文章が書き殴りであろうと、至福の時の中に身を置いていると、言っていいのかもしれない。
 せっかく、新しい年の書初めを試みているのだから、もっと夢ある文章を書けばいいのに、それができずかえすがえすなさけない。その元凶はわが凡愚はもとより、やたらとせっつく時のめぐりの速さと言えそうである。なぜなら、命の賞味期限はとっくに過ぎて、消費期限すらすでに切れている。その証しに現在の私は、余命あるいは余生という端数、すなわち余りないしオマケの命を享(う)けているにすぎない。確かに、こんなくだらない文章を書くくらいなら、布団の中で悶々とするか、起き出してテレビの正月番組に興じていたほうがましだったのかもしれない。しかし、私には「十年来の計」がある。それは、文章の出来不出来はさておいて、「ひぐらしの記」の継続願望である。
 世の中の多くの人は、正月休みの最中にある。これに準ずれば、私とてためらうことなく休むことはできる。ところが、きょう休めば、三が日とも休みそうな恐れがある。そのため、きょうの文章は、それを避けるだけの代物にすぎない。すなわち、あすとあさってと、休みの誘因になりそうなことが二つある。一つは箱根駅伝のテレビ観戦であり、一つは娘たちの来宅である。ところが、これら二つにありつけることにも、もはや来年も再来年もという、欲張りは許されない。結局、新しい年の「一年の計」は能(あた)わず、「日々是好日(ひびこれこうじつ)」を願うのが関の山である。めでたい元旦にあって、意気阻喪の文章を書いてしまって、恥じ入るとともに平に詫びるところである。
 出版物不況の世にあって、昨年バカ売れたしたものは、『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子著)だという。「新年、何がめでたい」とは言わないけれど、確かにそうめでたくもない。それでも、「おめでとうございます」も言わないようでは、私はへそ曲がりである。もちろん私は、神様に長生きを媚(こ)びるいや祈る、初詣など行きたくはない。ところが、鎌倉・円覚寺の除夜の鐘の響きが途絶えると、早出の初詣に向かう人の声がざわつきはじめている。

 大晦日

 現在の時間帯は、平成二十九年(二〇一七年)十二月三十一日、すなわち今年の最終日(大晦日)の午前二時近くである。私はほぼ真夜中に目覚めて、しばらく布団の中に微睡(まどろ)みては起き出して、今年最後の文章すなわち「ひぐらしの記」を書き始めている。だからと言って文章のできが、「掉尾(ちょうび)の一振」という、出来栄えに浴するあてはない。なぜなら、今の私は、いつものように気息奄々(きそくえんえん)の状態で書いている。
 部屋の中には頭上に灯る蛍光灯の光だけが煌(きら)めいて、まったく音のない静寂きわまりない真夜中の佇(たたず)まいである。心の持ちようによっては、夜の静寂(しじま)を独占でもしているかのような気分である。心身とは、文字どおり心(精神)と身(体)のことをいう。そして、そのおりなす状態は、ずばり精神力と身体力として現れる。すると、現在のわが両者は、五里霧中どころか、一寸先は闇の中にある。すなわちわが身は、どうにかきょうはあっても、必ずしもあすもあるとはかぎらない。あすも新たな文章を書けるのか、それともこの文章が遺稿をとどめるのか。もはやわが身は、こんな時のめぐりの中に存在する。それは、加齢のもたらす身体力の衰弱と精神力の衰退を身に沁みて感じているからである。ひと言、ありきたりの言葉で表現すれば、それは心身共に「寄る年波には勝てず」、と言える。
 さて、めぐりきた大晦日にあって私は、天皇陛下のお言葉になぞらえてわが言葉で、過ぎ行く今年の回顧を試みている。すると、よくもわるくもさまざまな出来事がよみがえる。もちろん、良いことはほんの僅少にすぎず、多くはその逆のことばかりである。先ず最も身近なわが身にかかわることでは、年半ばの六月にあって、「ひぐらしの記、十周年」の栄に到達できたことである。もちろん、生来の三日坊主に加えて、かつ文章は六十(歳)の手習いにすぎない中にあって、とてつもない継続にありつけたことは、大沢さまはじめご常連の読者各位様のお支えによるものであった。このことについては、いくらお礼と感謝の意を述べ記しても、もちろん多すぎることも尽きることもない。これまた一つの文字で表現すれば、私はなんたる「果報者」であろうか。このため、あらためてお礼と感謝の意を記すところである。
 月を替えた七月には、孫のあおばちゃんが十歳の誕生日を健(すこ)やかに迎えた。あおばちゃんは、驚くかな! 早や小学四年生である。そして、その成長ぶりを見るにつけ私は、十年という歳月の重みをヒシヒシと感ぜずにはおれない。
 再び、ひぐらしの記にかかわることでは、大沢さまのご多忙な手を煩わし、単行本として直近第六十八集の刊行の栄に浴している。すると、このことにかかわる多くの人様のご好意が浮かんでくる。現役時代における同期入社の仲間のお一人である渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)には、なんと初刊より六十八集までのすべてを、有料購入にあずかっている。すなわち、友情をはるかに超えて、ひぐらしの記継続のために測り知れない無限の励ましをたまわっている。この間には、竹馬の友・ふうちゃん、同郷の高校時代の友人・古閑さん、加えて恩師平孝代先生の代行役をさずかっている、ご同居のご長男の奥様・洋子様のご投稿文にも励まされている。さらには、押しつけの回読本の読者たち、すなわち本宮様、野村様、小林様、川井田様、中島様、渡部様(いずれも貴婦人)、そして紳士の鳥生様のご好意にも励まされている。もちろん、回読本を読み続けてくださっている安田様ご夫妻のご好意は、あえて言うに及ばずである。現在はお体の不都合で途絶えているけれど、かつて読み続けてくださっていた佐藤様からは、「前田さんのご本は、わたしの教科書です」と、身に余る誉め言葉をいただいていた。ブログ上で読み続けて、そのうえ電話で褒めくださる随筆お仲間の山内様のお声は、わが疲れた心身をたちまち癒すオアシスさながらである。ご近所では、中川様も変わりなくブログで読み続けてくださっている。もちろん私は、カウントの示す多くの声なき声にも励まされている。これらの励ましをひっくるめて再び記すと、私は飛んでもない果報者である。確かに、件数的には良いことは、一つか二つにすぎない。しかし、人様からたまわるご好意は、常にあたたかくかつかぎりなく広大である。
 再度、私事に返れば四月の胃カメラ検診において、懸念されていた十二指腸の腫瘍もしくは傷痕は、十一月の再診においては、良性の判定(診断)を得たのである。確かにこのことは、良いほうの範疇(はんちゅう)に入るであろう。だから、「可もなし不可もなし」、と嘯(うそぶ)くようではあまりにもへそ曲がりであろう。年老いてまで「肥後もっこす」(熊本県人特有の頑固さ)をいや増すより、年の功あって素直にならなければならないことであろう。
 さて、わが身にまつわる良くないことでは、イツエ義姉をはじめ親戚の人たちの他界があった。さらには、親しい人にまつわる訃報が相次いだ。さらには、ふるさとの長兄と東京都国分寺市に住む次兄の体の衰退は、わが沈鬱のきわまりにある。
 日本社会の世相にあっては、心にとどまりようもなく、人間とも思えない、いや人間だからしでかした多くの惨(むご)たらしい殺戮(さつりく)事件が頻発した。世界の政治情勢では、北朝鮮の金正恩委員長とアメリカ・トランプ大統領との丁々発止のやりとりに怯え続けた。日本の政治では、安倍一強の驕りと政治家自身の資質の低下を、いやおうなく見せつけられた。このほか、いやな思いに遭遇したことは、挙げれば芋づる式にキリはない。
 こんな思いをたずさえて、やがて大晦日の夜明けが訪れる。一先は闇の中にあって、精神までとは言えないけれど、どうにか身体だけはつつがなく暮れそうである。結局、この一年、「可もなし、不可もなし」、すなわち普通だらけの通信簿をもらって、鎌倉・円覚寺の除夜の鐘を聞きそうである。

 続、年の瀬の買い物

 今年(平成二十九年・二〇一七年)は区切りよく、いつもの週末二日の休日を残して暮れてゆく。きょうは十二月三十日(土曜日)、そしてあすは大晦日(十二月三十一日・日曜日)である。このため、特別の年末年始休暇にあずかることなく勤務の身の人たちは、だれ憚(はばか)ることなく休めることになる。もちろん、巷間(こうかん)の歳末商戦は、きょうとあすの二日だけにかぎられる。
 人間心理には摩訶不思議なところがあり、仕掛けられている商戦に、おのずから巻き込まれるところがある。それも、正月をひかえての商戦となると、まるでダボハゼのごとくに餌探しに駆け回る。その挙句には、疑似餌(ぎじえ)にまでにも食いついて、買いすぎてしまいがちになる。もちろん、こんな愚かな行為は、わが夫婦ばかりとはかぎらずに、世間一般に見られるところでもある。
 きのう(十二月二十九日・金曜日)のわが夫婦の買い物行にあっては、どの店にもバッタの群れのごとくに、買い物客がごった返していた。それら買い物客の多くには、わが家同様に歳末商戦に煽られて、正月とは縁のない品物まで買ってしまった人がいよう。とかく、歳末商戦に巻き込まれると買いすぎてしまって、のちに悔やむところがある。
 きのうのわが家は、前日に続いて夫婦連れで、定期路線バスに乗り、買い物へ出かけた。出かけたところは、わが家普段の買い物の街・大船(鎌倉市)である。さて、主婦という言葉自体、段々と日本社会から遠ざけられ、挙句には差別用語にさえなりつつある。しかし、今も昔も家内安全を願ってきりもりしてくれるのは、どこの家庭でも妻すなわち主婦に勝るものはない。実際にも家内における働きは、主婦をさしおいて男性の出る幕はない。おのずから私は、敬愛心をたずさえて、主婦という言葉が好きである。
 電子辞書を開けば主婦の同義語として、遠い昔に用いられていた言葉として「刀自(とじ)、あるいは家刀自(いえとうじ)」が記されている。そして、この言葉の意味の説明の一つには、こう記されている。「家事をつかさどる女性。主に年配の女性にたいし敬意を添えて呼ぶ語」。しかし、現下の日本社会にあっては、主婦という言葉自体、なぜか抹殺の憂き目にある。その証しの一つには、かつては盛んに読まれていた雑誌『主婦の友』(主婦の友社)は、社名と共にすでに消え去っている。ところが、実際のところ家内における主婦すなわち妻の役割は、減ずることなく今なお連綿と続いている。そうであれば主婦という名も残して、日本社会はその働きぶりを崇め続けてもいいはずである。
 なぜなら私は、妻の働きぶりのほんの一端をとりわけ、正月をひかえての二人しての年の瀬の買い物のおりには、あらためて強く認識するのである。具体的には、私など気づきようもない、妻の主婦ならではのあれやこれやと、そしてこまごまとした買い物ぶりに見るのである。そのうえ買った先には、自分だけに課せられる様々な家事労働が待ち受けているのである。重たい買い物に耐えかねて、ヒイヒイと音を上げるしか能の無い私の役割は、とうてい主夫になりきれるものではない。年の瀬の買い物ひとつとっても妻の役割は、まさしく主婦いう言葉どおりに崇めてよいはずである。私にとって主婦とは、男尊女卑の名残とは思えず、いやむしろ敬愛心を醸すにふさわしい大切な言葉である。
 夫婦そろっての年の瀬の買い物行にあって、ちょっぴりこんな思いをたずさえるのは、妻への罪滅ぼしなのかもしれない。なけなしの金をはたくだくでは、年の瀬の買い物は味もそっけもない。

年の瀬の買い物 

 季節のめぐりには驚くことばかりである。「冬至」(十二月二十二日)が過ぎて、まだ一週間しか経っていないのに、昼間が長くなり始めていることを少し実感している。こののち、大晦日、正月三が日、そして松の内明け(一月七日)へとたどるにつれて、明らかに実感することになる。
 きょうは年の瀬の十二月二十九日(金曜日)である。言い古されていくらか陳腐化している表現に、「泣いても笑っても」という、フレーズ(言葉)がある。この言葉を臆面もなく用いれば、泣いても笑っても、今年の日数は三日を残すのみとなった。すなわち、泣いてばかりいてもわずかに三日、一方、笑い転げてばかりいても三日で、打ち止めである。その先、来年にどんな苦楽が訪れるかは、だれもが知るよしない。
 こんなこともあって、「運否天賦」(うんぷてんぷ)という、四字熟語が生まれたのであろう。
 〈運否天賦〉「運と不運とは、天命であること」。
 人間は何かにつけてわからないことには、実際にはまったくあり得ない、天命とか神命とかにすがりがちである。
 きのう(十二月二十八日・木曜日)の私は、『官庁御用納め』という一文を書いた。この文章の誘因は、カレンダーの行事欄を眺めているうちに、咄嗟に思いついたものだった。文章の主意は、実際にきのうあたりから多くの人は、長い年末年始休暇に入るだろう、というものだった。これに付随して、今や終焉の時までメリハリ無く、いたずらに長期休暇を貪(むさぼ)り続ける、わが身の切なさをちょっぴり書いた。そして、昼下がりになると、年の瀬の買い物行動を開始した。普段と比べて年の瀬の買い物の特徴は、明らかに正月用品や食材の買い漁りである。
 きのうの買い物行には、久しぶりに妻が連れ立っていた。普段の買い物行は、わが単独行になりがちである。これには、二つの理由が存在する。一つは、私自身がわが家の買い物役を担っていることを自任しているからである。それには、妻から手渡される買い物メモたずさえて、さらには突然の追加買い物に備えて、携帯電話が必携である。
 わが家の買い物の行き先は、マイカー無く定期路線バスを利用しての大船(鎌倉市)の街である。バスへの乗車時間は、片道二十分弱である。わが単独行になる二つ目の理由は、娘の呼び出しを受けて、妻がしょっちゅう留守になるためである。だから、きのうの妻と連れ立った買い物行には、私は久しぶりの思いをたずさえていたのである。
 買い物目的が明確だったきのう買い物の出で立ちには、共に大きなリュックを背負っていた。わが単独行における買い物の経路には、必ず駄菓子屋が含まれる。しかし、妻と一緒の行動では、いくらか憚(はばか)れて、ここは省いた。すると、普段の四つの店のうち、先ずは野菜と果物の安売り量販店「大船市場」へ、次には海産物専門店「鈴木商店」へ、最後には「西友ストア大船店」へ出向いた。これらの店内風景で、いつもと異(こと)にしていたのは、高齢者の夫婦連れ、そして中年カップルの多さだった。ちらほら、若い男女も肩を並べていた。どこかしこ店内は、年の瀬特有に買い物客が犇(ひし)めいていた。これらの風景を眺めながら私は、普段はあまり見られない男性客の多さから、年末年始休暇の始まりを実感していた。男性客の多くは、相方が買いあげた品物の運搬役であったろう。連れ添う男性には、所定の籠の下げ方、レジを前にしての並び方、そして荷台における品物の捌き方や詰め方などに、戸惑いやぎこちなさが見受けられた。
 年の瀬の買い物は、こんな人様の光景を眺めて気休めでもしなければ、買い物メモなど用無しに、お金がバンバン出てゆき、気分が滅入るばかりである。たった三日でも、泣いてばかりではつらい年の瀬である。

「官庁御用納め」 

 さむ寒気に震えながら、机上の卓上カレンダーをじっと眺めている。あえて、眺めるまでもないことだけれど、行事欄には「官庁御用納め」(十二月二十八日・木曜日)、と記されている。日々過ぎ行く年の瀬にあって、現役時代が彷彿とよみがえり、おのずから確かめずにはおれないものがあったのである。それは凡々として長期休暇を欲しがっていただけの、かつてのサラリーマン根性のあらわれでもあった。
 現役時代の私は、例年この日あたりから、待ちわびていた年末年始休暇に入っていたのである。当時の私にとって年末年始休暇は、五月のゴールデンウイークと相並ぶ長期休暇だった。実際には正月三が日を含む年末年始休暇は、楽しさにおいてはゴールデンウイークをはるかに凌いで格別なものがあった。もちろん、現在のわが身は、限られた年末年始休暇などまったく無縁の、無限の長期休暇に浴している。ところが、この長期休暇には、現役時代の長期休暇に味わった喜びや楽しみは微塵(みじん)なく殺(そ)がれている。言うなれば、現在わが遇している長期休暇は、とっくに賞味期限は切れて、消費期限さえいくばくもない余命におびやかされている。働く身の御用納めに替わるわが御用納めは、もはや命の終焉どきと言えそうである。
 確かに、御用納め気分などまったく無い中で、ところがきのう(十二月二十七日・水曜日)の私は、ほんのちょっぴりその気分を味わった。卓球クラブの練習は、きのう今年の最終日を迎えて、加藤会長の一本締めのもとに納めたのである。そして、来年の一月六日(土曜日)には、打ち初めが予定されている。ごく小さな打ち止めの儀式ではあったけれど、気分にメリハリがついて、それなりの効用があった。このことからすれば、めりはりなく命果てるまで続くわが長期休暇は、必ずしもありがたいものではない。
 さて、きょうの私は、寒気に慄(おのの)いているせいもあって、真っ先にこんな配信ニュースに目を奪われた。それは、わが住む関東地方を襲っている御用納め日前後の寒波模様である。
 〈積雪平年の2~3倍…関東北部山沿いなどで大雪〉(2017年12月27日23時36分 読売新聞)。「日本上空に強い寒気が流れ込み、冬型の気圧配置が強まった影響で、27日は北日本や北陸、関東北部などの山沿いを中心に広い範囲で大雪となった。28日も明け方まで暴風雪の恐れがあり、海上も昼頃まで大しけとなりそうだ。気象庁によると、27日午後5時現在の24時間降雪量は、群馬県みなかみ町106センチ(積雪深129センチ)、新潟県湯沢町87センチ(同102センチ)、福島県檜枝岐村86センチ(同132センチ)、長野県飯山市78センチ(同101センチ)で、いずれも積雪の深さが平年の2~3倍に達した。28日午後6時までの24時間降雪量は、山沿いを中心に多い所で、北陸と関東甲信70センチ、東北60センチ、北海道40センチと予想している。」
 積雪の深さは、ずばり寒波の証しである。関東地方にあっても雪降りを免れがちな私は、雪国や北国の降雪や積雪情報には、常に身の毛のよだつ思いに晒されている。そして、これらの地方や地域の人たちのせっかくの年末年始休暇が、雪掻きや雪落としに終始することを慮(おもんぱか)れば、私にはその難儀に心馳せるところがある。しかし、実際にはなんら役立たずの心馳せにすぎない。「官庁御用納め日」にあって私は、官民すなわち日本国民すべてに、和んだ御用納め日であって欲しいと、願うところである。
 大沢さまは、きのうからご実家へ帰省さている。きょうあたりから日本列島は、帰省ラッシュの始まりになりそうである。年末年始休暇を楽しく終えて、つつがないUターンラッシュを願うところである。人様並みにUターンにもありつけず、またメリハリ無く終焉まで続くわが長期休暇には、やはり物足りなさつのるところがある。いや案外、再び帰れぬ短期休暇なのかもしれない。まるで他人事(ひとごと)みたいに、わが心中に鼓動する心臓の成り行きに任せるよりほかはない。今年の年の瀬は、きょうを含めて残り四日を残すのみである。

年の瀬の夫婦の会話(哀話) 

 神仏の効験(こうけん)、まったくあらたか無し。神仏の加護など、あてにならないことは知り尽くしている。神仏へ捧げる祈りは、単なるお呪(まじ)いであることも知りすぎている。それでも、いばらの人生行路をたどるにあっては一縷(いちる)の望みを託し、神社仏閣へ向かえば格好だけでも、うやうやしく「合掌」を繰り返してきた。しかしこの頃は、格好つけさえ沙汰止みになっている。そのわけは、神仏に見切りをつけているからである。正月を間近にひかえた年の瀬、きのう(十二月二十六日・火曜日)のわが家すなわち老夫婦の会話の一端はこうである。
「パパ。ことしも、松飾りはしないのでしょ? 買わなくていいのね!」
「そうだよ。しないから、買わないよ! 初詣にも行かないよ」
「わたしも、初詣には行きたくないわ。だけど、お正月に松飾りがないのは、ちょっぴり寂しいわね。このところは毎年、買ってないわよ!」
「そうだね。もう、だいぶ買ってないね。だって、毎年、親しい人たちが亡くなるし、だから、そんな気分にならないね。ことしも、身内や親しい人たちがたくさん亡くなったよ。イツエ義姉も亡くなったし……、たくさんの喪中はがきを受け取ったし……、悲しいね。これから先、毎年続くよ。神様とは縁切りだね。いよいよ、おれもおまえもあすはわが身だよ。おれは、もう二階へ上がって寝るから、おまえは風邪ひかないように寝てね!」
「そうね。ちゃんと寝るわよ!」
 正月をひかえて、ちっとは楽しかるべき年の瀬の会話は、はからずも哀話になっていた。
 きょう(十二月二十七日・水曜日)は、卓球クラブの打ち納め日である。しかし、妻と私は、そちらは休んで正月用品の買い漁りへ出かける心づもりにある。買い物メモをとる妻のボールペンから外れたものには、松飾り、飾り餅(鏡餅)、祝箸などがあった。阿吽(あうん)の呼吸で、とうに外れているものはおせち料理である。予約を促すダイレクトメール(チラシ)を眺め合いながら、交わした会話はこうだった。
「パパ。おせち料理の予約はどうするの?」
「おまえはどうしたいの? おれはどっちでもいいけど……おせち料理、なくてもいいね」
「わたしも、どちらでもいいわ」
「それなら、予約は止めようよ。そんな気分にもならないし。食べたいものがあれば、おれが単品で買ってくるよ」
「わたし、別にないわ!」
「そうか。それじゃ、予約は止めて、年の瀬の買い物のおりに、何を買うかをあらためて、考えようよ!」
「そうね」
 予約勧誘のチラシは、引っ切り無しに郵便受けに投げ込まれ続けた。それが途絶えると、こんどは喪中はがきが届き始めた。しだいに正月気分はもとより、神仏にすがる気分もまた失せていったのである。そして、とどめを刺したのは、きのう交わし合った夫婦の会話(哀話)だったのである。もちろん、神様に見捨てられたのではなく、私たちのほうから、あてにならない神様を見捨てたのである。その確かな見せしめの証しは、「松飾りは用無し」だったのである。

 「カレンダー物語」最終編

 年の瀬は、二十六日(火曜日)の夜明け前を迎えている。「逃げた魚は大きい」という、成句がある。現在の私は、この成句に似たような心持で、三日連続でカレンダーのことを書き始めている。もちろん、こんなことはどうでもよいことだけど、みずからの約束事に背かない正直者の証しではある。
 私は次の買い物のおりには、いまだ買いそびれている目当てのカレンダー探しに、一〇〇円ショップ行きをみずからに課していた。つごう、三度目である。なんともたやすい約束事だったけれど、私はきのう(十二月二十五日・月曜日)の買い物のおり、心してイの一番に実行したのである。なぜなら、年の瀬の買い物は何かと気忙(きぜわ)しく、もはや時季外れになりがちなカレンダーの買い物は、とりわけ忘れがちともなる。
 ところが、きのうにかぎれば妻から手渡された買い物メモにはなくても、私は脳裏に刻み込んでいたので、カレンダー買いを忘れるはずはなかった。歳末商戦真っただ中にあっては、一〇〇円ショップとはいえ、ほかの商店にまったく引けを取ることなく、商魂たくましいところがあった。カレンダーを買いにだけでもすでに二度訪れて、勝手知っていた私は、真っすぐかつ足早に特設のカレンダー売り場へ急いだ。ところが、二度の買い物のおりには、店頭に特段に設(しつら)えられていたカレンダー売り場は、もはや跡形なく取り払われていた。そして、そこには、これまた時期を限られた年の瀬商戦特有の目玉の品物が置かれていた。もちろんこのことには、(一〇〇円ショップも案外、変わり身が速いものだな!)と、少なからず納得するところはあった。
 仕方なく私は、店内に歩を進めた。これには、(まだ、どこかには置かれているだろう?)という、思いをたずさえていた。店内をめぐり、二、三枚吊るされたカレンダーコーナーに出合った。そして、その下をつぶさに探した。しかし、細々になった売り場からは、目当てのカレンダーは探し得なかった。そのため、まるで逃げた魚の釣り竿の先っぽを眺めるときのように、未練たらたらと侘(わび)しい気持ちに襲われた。「カレンダー物語」、つごう三巻の結末である。
 きのうあたりから、わが普段の買い物の街・大船(鎌倉市)には、年の瀬特有の買い物客が繰り出し、にわかに人出が増え始めていた。すると、人出の多さを狙って、行きつけの「西友ストア大船店」の店頭には、あふれんばかりに飾り餅(鏡餅)をはじめとする正月用品が並んでいた。ところが野暮な私は、それらの多くは(売れ残るだろうな……)と、お節介気分をたずさえて素通りした。
 帰りのバスの中では、ヨタヨタ足にもかかわらず、松飾りを手に握りしめられた男女のお年寄りの姿に、いやおうなくわが目を据えた。なぜなら、いずれわが身という、思いにさらされていたからである。同時にわが心中には、同情とも憐情とも思える切ない気分が渦巻いていた。また、このときのわが心中には、われわれ世代が亡くなり代替わりとなれば、松飾りの風習も途絶え、歳末商戦の売り場光景も、様変わりになるだろう? という、思いも浮かんでいた。
 学び舎の多くは、きょうあたりから冬休みに入るであろう。つれて年の瀬商戦は、いよいよ佳境、酣(たけなわ)を深めていきそうである。目当てのカレンダーを逃したままのわが年の瀬気分は、ちょっぴり切ないものがある。三度目の正直は、空振りのままに虚しく、年が暮れて行く。やはり、「逃がした魚は大きい」気分まみれである。

年の瀬のカレンダー 

 十二月二十五日(月曜日)、年の瀬最終週の週初の夜明け前を迎えている。すでに「冬至」(十二月二十二日)は過ぎて、夜長は打ち止めとなり、この先は日を追って夜明けが早くなる。
 きのうの私は、『カレンダー、つれづれ』の一文を書いた。この文章の誘因は、大沢さまのご投稿文「日めくりカレンダー」によるものだった。ご投稿文には、大沢さまが実際に使用されている「日めくりカレンダー」(博文館卓上日記)の写真が添えられていた。開かれていた日めくりページには、日付の「23日」が記されていた。すると、あたりまえのことだけれどきょうの大沢さまは、日めくりカレンダーの「25日」ページをお開きになる。そして、大沢さまは日記帳を兼ねたページに、長い日記かあるいは短いメモを記されるであろう。
 ところが、大沢さまの日めくりカレンダーの余紙は、今年(平成二十九年・二〇一七年)にかぎれば六枚になっている。すなわち、一年間日めくりされてきた今年のカレンダーは、残り六枚でお役御免となる。同時に大沢さまは、日めくりカレンダーにたいし、感慨ひとしおとなられそうである。なぜなら大沢さまは、ご投稿文の後段に次のように記されて、文章を結ばれていた。「大晦日に新しい年の用紙を取り付ける。分厚い365日の束は頼もしいけれど、年の暮れに薄っぺらになったのを見るのは心細い思いがする。それでも、今年一年無事に過ごせたことに感謝の気持ちも湧く。そして、もうすぐ訪れる新しい年をつつがなく過ごせるようにと新しいカレンダーの束に祈りを捧げる」。
 ようやく探し当てて購入された来年の博文館卓上日記には、これまたあたりまえのことだけれど、「2018」、と書かれていた。確かに、わがちっぽけの卓上カレンダーを眺めているだけでも、日々の消光にはさまざまに切ない思いつのるものがある。それらの思いは、もちろん子どもの頃にはまったく無縁に過ぎていたものであり、老身になりはてたせいでつのるものばかりである。たかだか一〇〇円ショップで買っただけの卓上カレンダーにすぎないけれど、カレンダーを眺めていると、一〇〇円の価値を無限大に超越し、心中にはさまざまな思いがあふれてくる。言うなれば私にかぎらず人の日常生活は、よくもわるくもカレンダーと、ピッタシカンカンを強いられているのである。新たな年を間近にひかえる年の瀬にあっては、新旧のカレンダーへの思いが格別つのるものがある。
 きのう(十二月二十四日・日曜日)の私は、NHKテレビが午前と午後にかけて、掛け持ちで実況中継した年の瀬の風物詩、高校生のおりなす「男女、高校駅伝」を観続けた。かれらは文字どおりカレンダーの日めくりに沿って、この日のために日々練習や鍛錬を続けてきたのである。戦い終えたその先は、三年生は新たな進路へ向かって部活を離れ、そして残る一、二年生は、来年のカレンダーを前にして、新たな決意をたずさえる。老齢のわが身に照らし、来年へ決意をたずさえることができるのは、確かな若者の特権である。なぜならわが身の場合は、打ち寄せる年波にどうあらがえるかと、あたふたとするばかりである。その挙句、もちろんあらがうことはできず、日めくりの速さに嘆息するばかりである。老齢の世は無常、必ずしも来年に出合えるとはかぎらない。
 わが卓上カレンダーは、月ごとに差し替えるものである。このため、現在は最後(12月)の一枚となっている。すると、残り六日で用無しとなり、これまでの例年にならえば、大晦日にはギザギザに破られて、足元のゴミ箱へ捨てられる憂き目を見る。しかし、一年間、わが日常と共にしたことをかんがみれば、こんなつれない仕打ちは確かにわが恥である。恥を雪(そそ)ぐには歳時記の「針供養」(二月八日)にならって、「カレンダー供養」をするくらいの心掛けこそ、年の功と言えるかもしれない。これまでの私は、そんな無償の心掛けさえたずさえずに、むしろ歳月の速めぐりにたいする腹いせもあって、無情にも余計ギザギザチリヂリに破り捨ててきたのである。しかし、今年のカレンダーは、大沢さまの感慨を真似て、ひとしきりに愛(いと)しく眺めて、静かにピり、ピリと裂いて、丁寧にゴミ箱に入れてやりたいと思う。もちろん、武士の情けというものではない。ほんの罪滅ぼしである。

カレンダー、つれづれ 

 すでに私は、パソコンの脇に置く来年の卓上カレンダーは購入済みである。ところが、このカレンダーには飽き足らず、できれば例年使用のものを探し当て、買い直しを決め込んでいる。一方で、いつもの一〇〇円ショップに、例年使用のものが並んでいるかどうかには、心細いところがある。
 これまでの私は、すでに買った物ののちに二度ほど、例年使用のものを探しに立ち寄った。しかし、そのたびに例年買い続けてきたカレンダーは見当たらず、私は渋々と店外へ出ていた。すでに買ってるカレンダーは一〇〇円ショップからであり、だから安物買いの銭に失いと嘆くにはあまりにもけち臭く、そう思いたくはない。ところが、使い慣れている従来の物が買えずじまいになっていることには、お金の値打ち以上に大きな喪失感をこうむっている。その挙句には精神的に落ち着きを失くし、今なお未練たらたらである。そのため私は、今一度、買い直しのために一〇〇円ショップを覗く心づもりにある。
 たかが一〇〇円であり、しかも似たようなカレンダーは、一〇〇円ショップ特有にほかにもいっぱい並んでいる。確かに、いくらかの戸惑いを覚えて、初めて買ってみたカレンダーだった。それでも、例年使用のものと瓜二つのところもあるから、私自身納得して買ったのである。そのうえ、たかだか一〇〇円のカレンダー選びにすぎないのである。そのため、このときの私は、レジ係の女性にたいし、「いつも買っているカレンダーがありません。品切れですか。また入りますか?」と、尋ねる勇気はなかった。このため、みずから間隔を置いて、そののち二度ほど店内に入った。そのたびに、目当てのカレンダーはなかった。それでも私は、まだ諦めきれず次の買い物のおりに、最後のあがきさながらに三度目の例年使用のカレンダー探しを決意している。まったく些末、すなわちとるにたらない小さなことだけれど、私はカレンダーにかぎらず日常的に使用するものは、使い慣れたものにかぎると、あらためて実感しているところである。
 たったの一〇〇円のムダ金にすぎないのに、私は来年のカレンダー選びの失敗に懲りて、それ以来なさけなくもこんな思いを引きづっていた。もちろん、これまでも私は、物の価値は金額の多寡にスライドするものではないことくらい知り尽くしていた。なぜなら、物の価値には、愛惜という心情が付加されるのである。それを知り尽くして、あえてこんな文章をつづるようでは、私は往生際のわるい愚か者である。
 さて、わが小さな失敗談をあえてつづったのは、いみじくもきのうの掲示板に、大沢さまの次のご投稿文が記載されたからである。もちろん、大沢さまが買い求められたものは、ちゃちな一〇〇円ショップで売られている卓上カレンダーとはけた違いの日記帳を兼ねる豪華カレンダーである。ところが、唯一、わがカレンダー選びと似ているところがある。すなわちそれは、使い慣れたカレンダー(物)の使い勝手の良さと、それから生じるほのぼの感ただよう愛着心と言えそうである。 【日めくりカレンダー】ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2017年12月23日・土曜日、08時57分9秒)。「いつの頃からか、私はパソコンの前の空間に日めくりカレンダーをメモ用紙がわりに置くようになった。予定が決まっていれば先の方にもメモることができて便利だからだ。そして、過ぎた日のことで忘れているものをページを戻して思い出すことができる。そのカレンダーは用紙だけ取り替えればいいのだけれど、その用紙をいつの年だったか探し回ったことがあった。いつも当てにしていたお店で取り扱わなくなったとのことだった。やっとみけたのは、ある書店の片隅だった。それからは暮れになるとその書店で、手帳とともに買い求めている。大晦日に新しい年の用紙を取り付ける。分厚い365日の束は頼もしいけれど、年の暮れに薄っぺらになったのを見るのは心細い思いがする。それでも、今年一年無事に過ごせたことに感謝の気持ちも湧く。 そして、もうすぐ訪れる新しい年をつつがなく過ごせるようにと新しいカレンダーの束に祈りを捧げた。」(写真付き)。
 使い慣れ、そしてそれから生じる快い愛着心は、物の金銭による価値(価格)を超越して、心情をたずさえる人間だけがありつける恵みと言えそうである。

「天皇誕生日」 

 平成二十九年(二〇一七年)十二月二十三日、普段の土曜休日と重なり、「天皇誕生日」(八十四歳)の祝日が訪れている。今上・平成天皇陛下の誕生日にかかわる国民祝日は、今年と来年の二度かぎりになった。今上・平成天皇陛下のご退位と、皇太子殿下の新天皇への即位のスケジュールが、日本政府より発表されたからである。それによれば、ご退位は平成三十一年(二〇一九年)四月三十日、そして新天皇の即位は同年五月一日とある。後継の天皇陛下にちなむ新たな元号は、即位に先立って来年中に公表されるという。
 すでに限られた平成の「天皇誕生日」をかんがみて、きょうの私には格別祝賀気分旺盛なところがある。一方ではこんな慶賀に水をさすようだけれど、現下の日本の国の課題にたいする、実際の進みぐあいを表す二つの配信ニュースを並べてみた。ときには国の課題をみつめて、行く末をおもんぱかることも必要であろう。
 無限にある日本の国の課題の中にあって、ここに引用するものの一つは「少子高齢化社会」、そしてもう一つは「財政再建」にかかわる国家予算形成の現状である。
 まずは「少子高齢化社会」にかかわる現在進行形である。
 【出生数過去最少・婚姻件数戦後最少…人口減加速】(2017年12月23日1時21分 読売新聞)。「厚生労働省は22日、2017年の人口動態統計年間推計を発表した。17年生まれの子どもの数(出生数)は94万1000人となる見通しで、1899年の統計開始後、最少を更新することは確実だ。2017年中の死亡者数は前年比約3万6000人増の134万4000人と見込まれ、出生数から死亡者数を引いた自然減は初めて40万人を超える。出生数が100万人を割り込めば2年連続。前年の確定値97万6978人と今回の推計値を比べると、約3万6000人少ない。国立社会保障・人口問題研究所の石井太・人口動向研究部長は『子育てや教育にお金がかかりすぎると感じて、夫婦の理想的な子どもの数より予定数が少なくなっている』と指摘する。」
 次には「財政再建」にかかわる配信ニュースである。
 【膨らむ予算、借金頼みは変わらず 3分の1は国債で賄う】(2017年12月22日23時29分 朝日新聞デジタル)「政府が22日閣議決定した2018年度当初予算案は、高齢化で社会保障費が膨らみ、6年連続で過去最大となった。27年ぶりという高い税収を見込むが、全体の3分の1以上を新たな借金である新規国債で賄っており、『借金頼み』の状況は変わっていない。一般会計の総額は、17年度当初予算より0・3%多い97兆7128億円。薬価を大きく引き下げたことで、社会保障費の伸びは4997億円と、財政再建目標の『目安』の5千億円以内に抑えたものの、32兆9732億円と過去最大となった。緊迫する北朝鮮情勢を受け、陸上からミサイルを迎撃する『イージス・アショア』の調査費などを盛り込み、防衛費も4年連続で過去最大を更新した。一方で、税収は2・4%増の59兆790億円と、1991年度以来の高水準になると見積もり、これをもとに国債の発行額を6776億円減らす。麻生太郎財務相はこの日の記者会見で『経済再生と財政健全化を両立する予算ができた』と強調した。ただ、税収の前提となる政府の18年度の経済成長見通しは実質1・8%と、民間予測の平均1・2%よりも高い。政府の見通しは実際の成長率を下回ることが少なくなく、16年度も円高などで税収が当初見込みを下回り、赤字国債を追加で発行している。想定通りに経済が成長しなければ、今回も国債の追加発行に追い込まれかねない。想定通りの税収を確保できても、歳入全体の34・5%を国債で賄う状況で、18年度末の国債発行残高は17年度末より19兆円多い883兆円に上る。いまは金融緩和による超低金利が続いているが、将来金利が上がれば、国債の利払いが急増し、さらに財政が悪化するリスクも高まっている。」
 確かに、天皇陛下は、象徴天皇として国政のかじ取りはなされない。しかし、国民のおひとりとしては、必ずしも喜べないご誕生日であろう。
 きのうの冬至(十二月二十二日・金曜日)にあって私は、ユズ湯に浸りながら例年になく、きょうの天皇誕生日のことを浮かべていた。その主(おも)をなしていたのは、なんら一般家庭と変わらない天皇家の代替わりにちなむものだった。もちろん、つつがない来年の「天皇誕生日」を願っていた。

 「冬至」

 日が替わって、一年中で最も夜の時間帯が長いと言われる、「冬至」(十二月二十二日・金曜日)が訪れている。冬至が過ぎれば半年回りの新たな年の「夏至」(六月二十一日)へ向かって、昼の時間帯が延びてゆく。その間には昼夜の時間をほぼ半ばする、「春分の日」(三月二十一日)を挟むことになる。もちろん、寒さが遠のくそれまでには、本格的な冬将軍の訪れる寒気の底を耐え忍ばなければならない。しかし、それとて約二か月余りを耐え忍べば、確かな足取りで暖かい春がめぐってくる。季節の速めぐり感からすれば二か月など、慌てふためくほどにすばやくめぐってくる。このことから冬至を迎えると、いやがうえにも「春近し」の気分が横溢となる。
 確かに、いまだ胸突き八丁の冬本番をひかえている。だけど私は、冬至にはほのぼの感に浸れるところがある。実際にほのぼの感をむさぼるのは、ユズ風呂に身を沈めているときである。なぜなら、ユズ風呂に入れば湯船にユズの香りが満ちあふれて、ほのぼの感が増幅するからである。大げさな表現をすればこれまでのわが家は、ユズ風呂の柚(ゆず)だけは自産自消にありついてきた。これを恵んでくれていたのは、庭中に立つ一本の柚の木である。ところが、この確かな恩恵は去年までであり、今年はその名残を少しとどめるのみで、来年は打ち止めをこうむりそうである。なぜなら、現在の柚の木は幹と枝葉の勢いを失くして、枯れ木同然のみすぼらしい姿に成り下がっている。このことから柚の木は、まもなく惜しまれてまったくの枯れ木になりそうである。歳月はわが命を縮めるだけでなく、庭中の梅、柿、蜜柑、そして柚の木までをも、相次いでほうむり去ろうとしている。
 もちろんこの現象の誘因は、朴念仁(ぼくねんじん)さながらにほったらかしを続けてきたわが愛情不足ゆえである。このことでは私が真っ先に、枯れ木へ向かう柚の木に詫びなければならない。ところが柚の木は、わがつれない仕打ちにもへこたれず、逆に柚の木のほうが私に詫びるかのように、健気(けなげ)に数個の実を着けて冬至まで持ちこたえてくれたのである。結果として柚の木をいじめ尽くしたのは、わが愛情不足と傲慢(ごうまん)のせいである。
 これまでの私は傲(おご)り高ぶって、柚の木にエネルギー(肥料)はもとより、虫食いかな? と疑っても手を拱(こまぬ)いて、薬剤をほどこす愛情にも欠けていた。後悔先に立たず、たまには木肌を優しく摩(さす)ってあげても、罰(ばち)はあたらなかったであろう。しかし私は、それさえしないままに伸びた枝葉を労(いたわ)ることなく、非人情にバサバサと切り落とすことだけを繰り返してきたのである。ところが、その祟(たた)は本末転倒さながらに、第一義的には柚の木が枯れ木寸前をこうむり、二次的にわが身にふりかかっている。
 実際のところ祟りすなわち罰当たりは、柚の木をさておいて私自身がこっぴどくこうむるべきものである。わが愛情不足は、柚の木を枯れ木同然にし、やがて確かな枯れ木となる。わが罪作りは今や時遅く、柚の木に詫びても悔悟がつのるだけの後の祭りである。
 去年までの柚の木は、幹および枝葉共に勢いよく、たわわに実を着けていた。そのため、冬至が近づくと私が捥(も)いで、妻が隣近所へ配る役割をになっていた。ところが今年の柚の木は、息絶えだえにやっと十個にも満たない実を着けて、ようやく冬至までたどり着いたのである。例年、柚の配り役を務めてきた妻は、帰るコールを長引かせて、ようやくきょうあたり娘宅から帰ってきそうである。
 きのうの夕方、私はユズの実を捥いで、仕方なく隣一軒だけに妻の代役を演じた。もちろん、こんなままごとみたいな演技をすることには、恥ずかしさつのるものがあった。私は門口の呼び出しブザーを押した。しばらくして玄関ドアが開いて、奥様が出て来られた。門灯の明かりの中に立つわが姿を見て、奥様には戸惑いが見られた。何かのクレームつけと、思われたのかもしれない。確かに、これまでの私には、お隣の門口のブザーを押した記憶はなく、初めての行為であった。私はままごと遊びの恥ずかしさを隠す思いで、一方的にかつ早口で、訪問の意図をまくしあげた。
「こんばんは、前田です。妻が娘宅に行っているものですから、私が来ました。柚の木は枯れそうで、やっとこれだけしか生りませんでした。最後の柚になりますが、ユズ湯に浮かべてください。小玉のたった三つだけで、すみません」
 奥様は用件を聞いて安心されたのか笑顔で、
「わざわざ、すみません。ありがとうございます。今、テレビで『ことしは柚が不作』と、言っていました」
「そうですか。うちの柚の木は、枯れ木寸前です」
 私はほうほうのていで戻り、わが家のみすぼらしい玄関ドア開けた。妻のいない茶の間には、点けっぱなしのNHKテレビが映っていた。時間帯は、「首都圏ニュース」の番組である。おそらく、その中でキャスターは、ことしの柚の不作を伝えたのであろう。私のままごと遊びの恥ずかしさは、ちょっぴり救われた思いがした。
 お隣にのあげるため選(よ)りすぐった三つの柚のあとには、小粒で皺だらけの柚ばかりが残っていた。きょう・冬至の私は、それらをちんけな湯船に浮かべて、無病息災を願うつもりでいる。やむなく、一年回りの来年の冬至には、市販の柚を買うことになる。しかし、大玉で艶々の黄色の柚は、見かけの良さとは違って、わが願いを薄めそうである。「最後の晩餐」になぞらえれば、せつない自産自消のユズ風呂となりそうである。
 とてつもない夜長にあって私は、日を替えて間もない十二時半頃に起き出している。打ち止めまもない夜長に未練たらたらの一方で、望んでいた一陽来復の季節の到来である。

 なさけない顛末

 きのう(十二月二十日・水曜日)の「ひぐらしの記」は、わが意思に逆らって仕方なく頓挫した。寒い中わが意思は、いつものように夜間の二時近くに起きて、キーボードと対峙した。この点では、ずる休みの意思はまったく無かった。ただいつもと異なったのは、余りの寒気に負けてこの冬初めて、ノートパソコンを階下の茶の間へ運んだ。茶の間には、エアコンと据え置き型のガスストーブがある。もちろん、テレビが置かれている。このため、茶の間はテレビ好きの妻の独擅場(どくせんじょう)でもある。テレビの点けっ放しと、間隙無い妻の呼びかけにあっては集中できず、いつもの私は寒さに耐えかねて、二階の書斎もどきで文章を書いている。
 ところが妻は、娘宅へ出向いていて、茶の間は空っぽで人気(ひとけ)無しだった。このため、鬼とは言わないが、妻のいないまにこれ幸いとばかりに、ノートパソコンの便益に気づいて、茶の間へ運んだのである。しかし、得たりやおうとばかりにパソコンを起ち上げると、その先がにっちもさっちもいかなくなった。普段見たことないメッセージが画面に現れて、かなりの時間いろいろと試したけれど解決せず、とうとうパソコンは閉じた。仕方なく、無断で休むことを決意したのである。
 あえて無断でと記したのは、いつもであれば掲示板に「休みます」とのメッセージを記してきた。このことはご常連にあずかる人たちと、掲示板に書いた文章をひぐらしの記へ転載してくださる大沢さまへ気遣いのつもりもある。言うなれば、無断休養代わりのメッセージである。ところが、きのうはこのメッセージも書けず、無断休養の憂き目にさらされたのである。そして、起き出してきたかぎりは、夜長の時間つぶしをしなければならない。
 幸い茶の間は温まった。リモコンを手にしてテレビを点けた。電源が入り、画面が開いた。しかし、映像が現れない。真っ黒の画面に白抜きのメッセージが現れている。「受信できません。ケーブルテレビへ連絡してください」。このメッセージは、普段もよく出会うもので、あちこち操作しているうちに突然、映像に恵まれることがある。このため、長い時間かかってチャンネル回しを試みたけれど、結局、埒(らち)明かずテレビ視聴は断念した。夜長はちっとやそっとでは、夜明けまではたどり着かない。私にとっては長い空白となる。
 これを埋めるには、二階へ戻り寝床へもぐるのが最良策である。朝刊が届くのはまだ先である。届いてもこのところの私には、新聞離れになお加速がついていて、空白時間を埋める手立てにはならない。ケーブルテレビのコールセンターはこの時間帯は休んでいて、受け付け開始は午前九時からだと知っている。手持無沙汰にかたわらの駄菓子を食べ出しても、三十分も食べ続ければ在庫を食べ尽きる。このところ私は、「パパ。甘い駄菓子を食べるのは控えなさいよ!」と、妻の言うまったくありがたくない忠告をいくらか気に懸けて、総じて駄菓子の買い置きを減らしてきた。するとこのときは、あいにくその祟(たた)りにあって、三十分ももたずにあらかた食べ尽くした。こんなときの夜長は、つくづく恨めしいかぎりである。
 ところが、救い神が現れたのである。神とは具体的には、分厚い国語辞典と電子辞書である。この二つにすがり、単行本を読むようにページをめくり、辞典の読書を始めたのである。ようやく夜が明けて、待ちに待った午前九時が訪れた。私は逸る気持ちのままに、固定電話を手にてコールセンターへダイヤルした。ところがこのとき、電話までもが不通と知ったのである。パソコン、テレビ、そして固定電話という、わが家の三種の神器の同時トラブルは初体験である。ところが、なぜか電気は点いている。摩訶不思議なトラブルである。
 わが家だけなのか、それとも地域全体のトラブルなのか? 受話器をとられたコールセンターの女性に先ずは、地域のトラブルクレームはないのかをお尋ねした。するとそれは、起きていないと言う。そうであればと私は、あらためてわが家のトラブル事情を説明した。女性はすぐに納得されて、「きょう、技術の者がお宅へお伺いいたします」と、言われた。「ただ、きょうには予約がいっぱいで、何時になるかは技術者の予約先の回りぐあいでわかりません」と言って、ことばを重ねられた。私は「できるだけ、午前中に来てほしいんですけど、午後には予定の用もありますから……」と、お願いして電話を切った。
 これらのやりとりは、もちろん固定電話を見切ったあとの携帯電話である。私の用とは、水曜日定例の卓球クラブの練習だった。そののちは、コールセンターからの電話は、待てど暮らせどまったくなかった。とうに、午前中は過ぎようとしている。待つ身の私には、イライラがつのり始めていた。こらえ切れずに電話をした。コールセンターはそのたびに人替わりした。午前中はおろか午後も夕暮れになった。この間三度、私は何時頃になるのか? という確認の電話を入れた。そのたびに先方の受話器を持つ人は入れ替わり、その挙句にはすべての人が分からずじまいだった。もはや、万事休す。私は待ちくたびれていた。
 日の入りの早い夜長にあって、外には夜の帳(とばり)が下りて真っ暗闇になった。私は、妻のいないわが家の雨戸を閉めて、丹念に戸締りをした。そのとき、待ちに待った携帯電話の信号音が鳴った。男性技術者の声は、「六時頃に伺います」という、メッセージだった。逸る気持ちを抑えきれず私は、六時近くに門口に立った。屋根の上に脚立や長い材料など載せたワゴン車が到着した。私は「ご苦労様です。待っていました」と言って、出迎えた。売らんかなのセールスマンとは違って、技術者特有に愛想(あいそ)はあまり良くない。私は(直ればいいんだ!)と思って、会話のやりとりを我慢した。要請に従って、パソコン部屋に案内した。ちょっとまの点検のうち、「ここのところが外れていますね。ここはすべての電波のもとになっていますから、そのせいですよ」。まるで三分間診察を凌ぐ短さで電波は回復し、わが家の三種の神器はめでたく復旧したのである。
 夜中の二時頃から夕方六時頃まで、耐え忍んだ顛末はばかばかしいほどのあっけなさだったのである。耐え忍んだ副産物は、この間の空白時間を埋めてくれた辞典読みの想定外の進行だった。「パパ。テレビ、直ったの?」と言って、きょう(十二月二十一日・木曜日)の午後あたりには、妻のご帰還がありそうである。あすは「冬至」である。きのうのような夜長は、真っ平御免こうむりたいものである。

 提言「老後とは」

 十二月十九日(火曜日)、今週には「冬至」(十二月二十二日・金曜日)が訪れる。「夏至」(六月二十一日)を境にしてたどってきた夜長は、冬至で打ち止めとなる。このことでは現在の私は、夜長の最終盤のところに身を置いている。そのうえ、どうしたことか、いつもよりばか早く起き出してきている。パソコンを起ち上げて、メディアの伝える配信ニュースは、すでにことごとくたっぷりと読み終えている。それでも現在の時間は、夜中の一時半頃である。そのことでは、パソコンの起ち上げは、一時間くらい前の十二時半頃だったのであろう。
 このところの私は、わが所作の何かにつけて、「パパは、認知症になっているのよ! 早く病院へ行きましょうよ。早く行けば、『治るって』人は言うわよ」と、妻から無粋な言葉をこうむっている。私自身としては、認知症の兆しや自覚症状はまったく感じていない。だから私は、「おれは認知症じゃないし、認知症にはならないよ。病院へ行けば、かえって認知症の引き金になるだけだよ!」と、つれなく言葉を返している。すると妻もさるもので、「認知症になっている人は、みな必ずそう言うそうよ。パパは、もう認知症になっているのよ」。
 私は、老衰は日々自覚している。この先、いっそうひどくなることも覚悟している。しかし、認知症という病は、発症しないと思っている。老齢による物忘れや脳力の衰えを、認知症といっしょくたににすることこそ、認知症の誘因とも言えそうである。その挙句に人は通院を繰り返し、効果不明の薬剤を混ぜ混ぜにひとかかえももらって、確かな患者に成り下がるのである。人体の老いにたいし人工的に逆らうのは、もともと理に適(かな)っていないものであろう。
 夜長にあってしかも早起きした私には、はからずも瞑想(迷想)に耽るには、いまだたっぷりと時間がある。そのため現在の私は、有り余る時間を埋めるために、今さらながらこんな自問自答を試みている。それは、わが自覚に基づく「老いとは」という、自問にたいする自答である。
 さて私の場合、余儀ない身体器官の衰えはさておいて、日々老いを痛感するのは精神力の衰退である。もっと端的に言えば、何事につけての意欲(やる気)の減退と、そのせいでこうむる面倒くささ(億劫さ)の増幅である。わが日常生活における確たる現象では、二つの媒体(新聞とテレビ)にふれること面倒くさくなっている。掲げている生涯学習は、もはや風前の灯にある。やる気の減退は本を読むことを遠ざけ、手紙を書くことなどとうに途絶えている。唯一、面倒くささを免れているのは電話による会話だけである。これらをかんがみればわが自覚する老いとは、物事にたいする面倒くささ(億劫さ)の一事(ひとこと)に尽きると言えそうである。そして、それがさまざまなぐうたら現象を惹起(じゃっき)し、挙句には面倒なことから逃れたい心境に陥っている。繰り返せば私の場合、自覚に基づく老いとは、物事にたいする面倒くささ(億劫さ)の現れである。しかしながら勝手に推測すれば、老いて感ずる面倒くささ(億劫さ)は、もちろん私にかぎらず多くの人に共通するものでもあろう。
 きのう(十二月十八日・月曜日)の掲示板には、人様の老いの現象に戸惑われる、ご様子の大沢さまの投稿文が掲載された。以下は事前のお許しを得ることなく、原文のままにご投稿文を記載するものである。「どうすればいいの」(ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2017年12月18日)。「年賀状の季節に長年お世話になっていた文学の先輩から、『年をとったので賀状のご挨拶を欠礼します』というはがきが届いて、呆然としてしまった。そして、その後のお付き合いをどのようにしようかと今も悩んでいる。はじめはそれでも年賀状を出そうと思っていた。そして、『流星群38号』 は郵送した。けれど、次第に迷惑なのかもしれないと思い始めた。すると、次第に気持ちが落ち込んで、その方のはつらつとした姿や、思いやり深いお手紙や言葉が頭をよぎって離れなくなった。年をとると言うことはそういうことなのだと自分に言い聞かせても、やがて自分にも訪れるであろう。そのときが、どうすればいいのか、結論が出ない。そして、その方には年賀状は出さずじまいになった。それでも何か気持ちが沈んだままでいる」。
 年賀状に関しては、私もまたすでに何人かの人から同様のメッセージを受け取っている。はがきを手にして感じたわが思いは、ほぼ大沢さまと同様である。ひと言で言えば、寂しさつのるものがあった。大沢さまの「どうすればいいの」にたいする、人様の思いもまたさまざまである。その証しには、「ひぐらしの記」の読者にあずかっている古閑さんのお考えが、早々と掲示板にご投稿された。
 古閑さんにならって、わが考えを記すとこうである。長年のお付き合いにあって先方は、意を決してきっぱりと拒否されたのである。そうであれば年賀状にかぎらず寒中見舞いや暑中見舞い、はたまた手紙など返事(返礼)をともなうものは、好意とは言えもはや一切出すべからずであろう。なぜなら先方は、加齢になり手を煩わすのが億劫になられているのである。すなわち、はがきや手紙のやりとりは、もはや迷惑になられているのである。文学の親しいご先輩であれば、冊子の送呈はかろうじて許されるかもしれない。しかし、本当のところはこれも、是非が疑われるところである。ありがた迷惑になるおそれがある。先方は失礼を十分に自覚されて、年賀状のやりとり停止を告げられたのである。そうであればそののちのお付き合いには、おのずからそれだけでなくすべてに、先方の面倒や迷惑をおもんぱからずにおれないものがある。結局、お付き合いに終止符を打つか、一度電話をかけて応対の声で、その後の付き合いの仕方を判断せざるを得ないであろう。要は老後の付き合いにあっては、好意や善意の押し売りだけは絶対に避けなければならない。
 結局、わが身に照らし老後とは、物事の何かにつけて感じる面倒くささ(億劫さ)である。年賀状のやりとり停止宣言のはがきは、その切ない証しである。夜長の迷想をむさぼるには、まだたっぷりと時間が残されている。

二つのコラムに魅せられて、引用 

 購読紙・朝日新聞に記載の二つのコラムから転載を試みている。記事、具体的には文章に魅せられて、「ひぐらしの記」に留めて置きたくなっているからである。二つのコラム記事は、きのう(平成29年・2017年12月17日・日曜日)付け朝刊に記載のものである。【天声人語】1928年アムステルダム五輪の陸上競技で日本女子初のメダリストとなった人見絹枝はこんな言葉を残している。「人生の行程すべて戦いである」。女性が走ることさえ奇異にみられた時代だった▼女性スポーツの環境は変わったが、新たな地平を切り開くのは今も失敗を恐れぬ堅固な意志だろう。「用意された環境を歩くのは好気じゃない。自分で選び失敗も成功も受け入れる」。スピードスケートの小平奈緒選手(31)はテレビでそう語っていた。10日に1000メートルで、個人の五輪種目では日本女子初の世界記録を出した▼スケートの盛んな長野県茅野市に生まれ、3歳でスケート靴をはいた。高校を出て地元の信州大学へ進学。2度の五輪出場で個人種目の表彰台を逃すと、14年から単身でスケート大国オランダへ。実業団中心の女子では異例のキャリアである▼2季にわたってプロチームに加わり、辞書を片手に学んだ。背中を丸めて、低い腰の位置から刃全体で氷をとらえる。練習仲間がオランダ語で「怒れる猫」と呼ぶしなやかで力強い滑りに結実した▼五輪シーズンの抱負にはインド独立の父ガンジーの言葉を引いた。「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」。成長への渇望と感性の幅が、30歳を超えて進化を続ける原動力なのだろう▼怒れる猫の快進撃は見事だが、平昌五輪では500メートルの3連覇を狙う韓国の「氷速女帝」李相花選手(28)ら、ライバルも多い。熾烈なレースが、いっそう興味深い。【折々のことば】(鷲田清一 964)。「大学って、早く出たいけどずっといたい不思議なところですね」(谷口キヨコ)。哲学を学ぼうと大学院に入学した関西の人気ラジオパーソナリティーは、4年かけて修士論文を書き上げた後、私にこう言った。多くの番組や取材をこなす中、一つの問いを、急いで答えを出そうとせずに温め、ゼミ生とも存分に語りあえた。異なるもう一つの時間をもてた。この先にはさらに深い問いがありそうと、おぼろげに感じつつ大学を去る。でもまた戻ってくればいい。

 老化現象

 年の瀬も半ばを過ぎて、十二月十七日(日曜日)の夜明け前を迎えている。年の瀬と言っても職業を持たないわが日暮らしは、まったく普段と変わらない。もちろん、新たな正月を迎える気分もまったくしない。まるで風の吹きようでさ迷う枯葉同然である。人生こうまで枯れると、もちろん新たに芽吹くことはできない。いや、息づくこともままならない。まるで、生きる屍(しかばね)同然である。それでも、ほんとうにいのち枯れ尽きるまでは、生き続けなければならないから厄介である。そのうえ、この厄介さはこの先、さらに増幅する定めにある。人生は、生きるも死ぬも厄介である。これを克服するには、何らかの生き甲斐探しと、強靭な精神力の養成に努めなければならない。ところが、これにはもはや、「年寄りの冷や水」あるいは「焼け石に水」、はたまた「後の祭り」など、さまざまに諦念せざるを得ない成句が浮かんでくる。「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」(無用なことを言わなければ、禍を招かないで済むことのたとえ)の成句になぞれれば、「ひぐらしの記」を書きさえしなければ、わが恥を披露することもない。
 ところが、ひぐらしの記は、当現代文藝社を主宰されている大沢さまのご厚意にさずかり、現在まですでに十年余の継続のさ中にある。生来、三日坊主の私は、三日の継続さえ当てどなく書き始めた。しかし、日々呻吟を重ねるうちに、私にすれば途方もない年月が続いてきた。これまた、浅学非才のわが身にすれば、継続だけにはちょっとくらい(自惚れてもいいかな!)と、思えるほどの長い年月である。顧みてようやく継続が叶っているのは、ひぐらしの記は、わが掲げる生涯学習の実践どころと自認していたためである。
 これまで繰り返し書き連ねてきたことだけれど、わが掲げる生涯学習とは、語彙(文字と言葉)の習得、いや実際には復習すなわち忘却逃れにすぎない。確かに、このことではひぐらしの記は、なにものにも代えがたい、べらぼうにありがたい実践の場である。一方でひぐらしの記は、とりもなおさずわが老化現象や、時々のモチベーション(意欲)の有無の目安ともなっている。実際にもひぐらしの記の文章に行き詰まった場合は、やたらと老化を意識したり、モチベーションの低下にさいなまれている。そして、このところはその頻度がいや増している。もちろんその誘因は、わが掲げる生涯学習への意欲の減殺(げんさい)と、糅(か)て加えて挫折の瀬戸際に見舞われているせいである。
 わが生涯学習とひぐらしの記の継続は、明らかに一蓮托生である。ところが、もはや生涯学習は風前の灯火(ともしび)にある。おのずから、「ひぐらしの記」はヨタヨタである。夜長にあって、ことのほか老化現象が身に沁みている。わが身、勝手にふうちゃんの激励をほしがっている。

 寒波に泣きべそ、弱虫

 なぜこうも私は、寒さにたいし弱虫だろうと、嘆いている。実際には身体のせいではなく、寒波に立ち向かう精神(力)が、まったく無いためである。このことでは私は、生身とは言えない生きる屍(しかばね)と、言えそうである。
 きのう(十二月十五日・金曜日)の私は、寝起きの寒さに根負けして、いともあっさりとずる休みへ逃げた。ところが、ずる休みしたからと言って、気分は安楽だったわけではない。いや、ずる休みした気分の憂さにさいなまれて、一日中憂鬱状態に陥っていた。そしてそれは、人間は日常の習わしをやり続けなければ、気分の滅入りに見舞われる証しでもあった。確かに、身体と精神がちぐはぐでは、心身の安寧は得られない。きのうは、今さらながらこんな幼稚なことを悟った日でもあった。
 私はきのうの憂鬱気分に懲りて、きょう(十二月十六日・土曜日)はずる休みだけはするまいと、キーボードへ向かっている。もちろん、きのう同様に寒さは、甚(いた)くわが心身に堪えている。身体にはさしたる欠陥はないのに、ところがこのところのわが精神(力)は、加速して極端に萎えている。一般に老齢とは、どちらかと言えば身体に欠陥が顕(あらわ)れて、精神(力)の萎えや衰えは緩やかである。しかし、私は逆である。すると、私は根っからの弱虫なのであろう。
 テレビニュースには連日、雪国や北国における猛烈な寒波模様が映し出されている。具体的には映像をともなって、マイナス何度という気温と、積雪の嵩(かさ)の高さが報じられている。これらを見聞きするたびに私は、恐怖まみれになっている。半面、私には雪国の人たちや北国の人たちにたいする、かぎりない畏敬(心)がつのっている。つのる畏敬(心)は、寒波に耐え忍ぶ暮らしぶりをおもんぱかって、もたらされている。
 そのとき、わが心中にはこんな驚異すべき事柄も浮かんでいる。小・中学生の学力テストの結果が公表されるたびに、都道府県の中で常に成績上位にランクされるのは、日本海側の北の地方に位置する県に多く見られる。それらの中で、常にトップの地位を堅持続けているのは秋田県である。このため、私は学力テストの成績が公表されるたびに、寒波をものともしない雪国や北国の児童生徒たちの勉強ぶりに驚嘆している。総じて、それらの地方や地域の人たちには、「粘り強い」という、尊称や定評が存在する。一方で、寒波に耐え忍ばざるを得ない人たちにたいして、軽々しくこんな気持ちをいだくことは、罰当たりにも思えている。
 日本海の荒波に命を懸けて流れ着く、朝鮮半島の北の国の人たちには、どれくらいの寒波が襲っているのであろうか。それらを思うと私は、きわめつき贅沢な弱虫である。私の場合、ちょっとした寒波をくらうだけで、「蛞蝓(ナメクジ)に塩」さながら縮こまる。こんな駄文でも書けばずる休みを免れて、きのうの憂鬱気分の二の舞は、避けられそうである。たったそれだけが取り柄の文章にすぎない。恨めしいかぎりである。

さずかりものの「声なき声」 

 修学時代にあっては、人はおおむね学校という、学び舎に身を置く。そこでは、ほぼ年齢を同じくする同級生や学年生という友達に出会う。そして、互いにはぐくむ情愛は友情である。修学を終えると人は、おおむね実社会へ巣立ち、何らかの職業に就く。そこで出会うのは、年の差の違う仲間たちである。仲間たちには、上司、先輩、後輩あるいは同僚、同士、など様々な呼称の人たちが寄り合う。まさしく、男女共に集うおとな社会である。
 このため、ここではぐくまれる情愛は、修学時代の友情のように一概に言えるものではなくさまざまである。そしてそれらは、親しさや交流の程度で情愛の表現が異なってくる。もちろん、おとな社会にあっては、職業柄のおりなすさまざまな出会いも多くある。そこでは、思いがけない知己(ちき)に恵まれて、生涯にわたり知友を共にする場合もある。
 しかし、人生行路の出会いには節々にかぎりがあり、とりわけ一定の年齢になれば多くの人は、やむなく職業から離れて、無為無策の老後生活へ入ることとなる。だからと言って人は、老後にあってものんべんだらりと過ごす日々に甘んじることはない。ある人は、老後とは言えない新たな社会人教育(リカレント)に勤(いそ)しむ人もいる。また、多くの人は、老後生活を待っていましたとばかりに、単なる趣味とも言えないほどに、かねての関心ごとに研鑽を積む人もいる。
 身近なところでこれらのことは、わが集う「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)における、年に一度のフェスティバル(催し)などで、感に入って見かける光景である。もちろん、はからずも日々孤老を貪(むさぼ)る人もいる。すると私は、どの範疇(はんちゅう)に入るのだろうか? と、自問自答を試みる。その答えは、幸いにも孤老を免れた生活ぶりである。
 確かに、とうに老後生活に入りすでに友人や知人も細り、見かけ上は孤老の生活ぶりさながらである。ところが、幸か不幸かわが日暮らしは、苦し紛(まぎ)れではあって孤老状態を免れている。なぜならそれは、「ひぐらしの記」を書くことからもたらされている。すなわち私は、ひぐらしの記の文章を書くことに日々悩まされていて、まったく孤老という心境にありつけていない。案外、「瓢箪から駒が出る」さながらにわが孤老の免れの誘因は、苦心惨憺(くしんさんたん)を強いられているひぐらしの記の効用と言えそうである。
 実際には、常に悩ましく意馬心猿(いばしんえん)に脅かされている。そして、それを覆(くつがえ)すのは、声なき声からさずかるわが身に余る恵みである。結局、わが老後にあって細る友人や知人の情愛に代わるのは、孤老を阻(はば)んでくださる「声なき声」と、言えそうである。

悲運 

 まるで天国と地獄さながらに、寝床とトイレ起きを繰り返し、いっこうに安眠が得られず、仕方なく起き出してきている。数えていたら、六度のトイレ起き出しだった。もちろん、いつもはこんなにバカ多くはなく、多くても三度ほどで済んでいる。こんなに多く起き出す羽目になったのは、強い寒気のせいであろうかと、自問を試みた。しかし、寝床の中はいつもの夜と変わらず、ポカポカである。それでもなお寒ければ、暖房装置のエアコンを回している。それでは、身体が病に瀕(ひん)しているのか? と、考えた。ところが、過日の年に一度の健診のおり、私はあえて気に懸かる身体部位の依願診断を試みた。それらは、前立腺がんと肥大である。ところが、共に症状見当たらず、無罪放免となった。結局、寒気に擦(なす)りつけざるを得ないトイレ起きの多さだった。こんな身も蓋もないことを書くようでは、やはり休むべきであったであろうか。もちろん、こんな気分ではガラクタの文章さえ浮かぶはずもない。
 十二月十三日(水曜日)、現在の時間帯は夜明け前四時近くである。さて、文章とは言えない罪滅ぼしに、一つだけ書き添えておきたいものがある。しかしそれは、もともとの悲運に輪をかけて、いっそう悲しいニュースである。このところ相次いで、拉致被害者家族の訃報が伝えられている。長年、拉致被害者の帰還を待ち続けていた肉親の老齢による他界である。人間の寿命とは、永遠ではなく期限付きである。拉致問題がいっこうに解決を見ないままに、待たれる人様(家族)の命が老齢のため、尽き始めているのである。なんと、悲しいことであろうか。拉致問題は、待つ身、帰る身、互いにうれし泣きに抱き合ってこそ、解決というものであろう。だからたとえこの先、拉致被害者の帰還が叶えられたとしても、待つ身の無い一方通行では、悔しさに泣き崩れるだけの光景になる。
 日本政府の言う圧力一辺倒では、北朝鮮が帰すわけはない。拉致被害者家族の立場にたてば、日本政府の交渉ごとには、やりきれないものがあろう。本音のところは、国のメンツなどかなぐり捨てて、取り返し交渉にあたってほしいのであろう。しかし、拉致被害者家族は、それは言えず長年、じっと息をのみつづけるほかなかったのである。このため、局外者の私は、拉致被害者家族の無念をおもんぱかって、こんなことを浮かべている。(拉致問題は、口先だけの体裁(ていさい)づくりの白々しい交渉ごとではなかったのか!)。すなわち、核の放棄という、もはや実現不可能とも思えることに精魂を尽き果たすより、盗まれた命を取り返す交渉ごとにあたってほしかった。悲しいかな! 拉致被害者家族の訃報は、こののち続きそうである。
 「日本国民の命を守る」という、安倍内閣の誓いが、横道に逸れているように思えてならないのは、拉致被害者家族のみならず、日本国民の悲運である。

 老婆心は尽きない

 物事の進化には、必ず功罪がつきまとうところがある。わが身に関して最も身近なことでは、先日記したばかりの事柄がよみがえる。そのことは一度ならず、これまで何度も繰り返し記してきた。そのため、あらためて記すとそれは、パソコンで文章を書くようになってから、手書きでは小学漢字さえ書けなくなっていることである。読むほうは七十七年も生きていれば年の功に恵まれて、何とかなっている。しかし、こちらも頭脳の衰えには抗(あらが)えないところはある。いや、もともと頭脳自体無かったのだ! と、思えば諦めがつく。
 ところが、小学漢字さえ書けなくなっているのは、明らかにパソコンの功(利便性)に感(かま)けているうちに見舞われている罪作りである。私はこの罪作りを十分に悟り、一念発起して習字用半紙に毛筆で、小学漢字の手書き再訓練を試みたことがある。しかしながらこの試みは、やがては生来の三日坊主の悪癖に阻(はば)まれて、今ではまったく跡形なく頓挫している。かえすがえす残念無念と思うと同時に、志が挫折したのちにわが身を襲うのは、やるせない喪失感である。もちろん、頭脳の欠如はパソコンのせいにはできず、みずから補填や補充をしなければならない。このため、このところの私は、紙の「用字必携」(角川書店)と電子辞書との二段構えで、にわかお浚いを試みている。しかしながらこれとて、三日もつのか、あるいは想定外に三月続くのか、皮算用さえできないおぼつかなさにある。
 車社会にあっては交通事故を誘発し、核の発明は核戦争の怯(おび)えをもたらしている。テレビやインターネットによる通信販売の隆盛は、便利さの陰に店頭商戦の変化をもたらしている。セルフ式のスーパーの出始めにあっては、対話式の小売店は淘汰や撤退を余儀なくした。
 買い物にあって対話がなくなれば、おのずから人と人との息づかいは消え去るさだめにある。実際にもそのことは、そのおり知らされた。確かに、対話が煩(わずら)わしい人にすれば、無言のままにみずから選ぶスーパーの登場は、渡りに船の便利さであったであろう。一方、息づかいの喪失は、人間の特質の埋没でもある。ところが、かろうじてスーパーでとどまれば、対話無くても店内には買い物客の姿がぐるぐると回り、レジ前に並べば人の混雑にありつける。しかし、スーパーでの買い物が通信販売にことごとく代替されれば、便利さの一方で、それらの光景にすら出合えなくなる。黙然とレジ前に並び、レジ打ちされて無言でカード払いを終えて、急いで空いている荷造り台に向かうだけでも、ちょっぴりは人様の息づかいを感ずるところがある。しかし、これではやはり、物足りないところがある。
 このため私は、息づかいを欲する自分のために、レジ係りの人にたいして、人様からすれば天邪鬼(あまのじゃく)にも見える「ありがとうございます」のことばを添えている。なお、わが買い物の拠点をなす「大船市場」(鎌倉市)にあっては、横一列に十人ほど立ち並ぶレジ係りの中に、とりわけお顔なじみを三人くらいつくり、運よくその人たちに出会えば明るく会話を交わしている。確かに、私のような気味悪い物好きは滅多にいない。それでも私は、自分の為に人の目お構いなしである。
 世の中の便利さへの変化は、一方で危惧するところも際限なくある。利便に向けての世の中の大きな変化の中で、このところわが危惧するもののイの一番は、人の息づかいを遠ざける通信販売の繁盛(はんじょう)ぶりである。商魂猛々(たけだけ)しく功利だけに現(うつつ)を抜かすようでは、一方では人間性喪失の引き金となることと心すべしときである。老婆心は尽きない。

山際の年の瀬風景 

 きょう(十二月十一日・月曜日)の表題は、きのう歩きながら考えたものである。きのうの昼下がり私は、卓球クラブの練習へ向けて、長い坂道の歩道を下っていた。後方はわが住む開けた住宅地である。しかし、見晴るかす前方および近場左右は、常緑樹や落葉樹が入り混じり、高木の雑木が山を成している。住宅地自体、かつて(昭和三十年末から四十年初期にかけて)、鎌倉・円海山山系の一部を切り崩し出来たものである。このため、大規模に開いた住宅地とはいえ、盆地型に周囲には緑があふれて、今なおかつての山の原形をとどめている。
 下る歩道の左側は自然林を成す森林地帯であり、そして右側は定期路線バスや車が往き来する、住宅地への取り付け道路となっている。歩道の右側だけにはマテバシイ並木が列なり、間隔を置くその間にはアジサイが点々と植栽されている。
 こんな情景にありながら私は、まるで水彩の風景画を描くような心持で、歩道を下っていた。見上げる大空は、飛びっきり青く澄んでいた。地上には木枯らしが吹き荒れていた。体感気温は低く、そのうえ歩道までは日光はとどかず、刃(やいば)なくとも身を切られるほどの寒さだった。恨めしくも、車道には陽射しが照り返っていた。歩道には隈なく落ち葉が高く吹き積もり、一歩踏むたびにサワサワザワザワと音を立て、足元にまとわりつく。道路の右端の崖に立ち並ぶカエデやハゼは、すでに彩(いろどり)を落とし裸木となっている。マイカーを運転する人の姿以外に、目にする人はいない。私ひとり、身をすぼめてトボトボと歩いている。目に入る風景は、木枯らし吹きすさぶ殺風景な年の瀬風景である。
 この日、これらに輪をかけて出合ったのは、この時季特有のわが名付ける「枯葉川」光景だった。それは気温や湿度の低下をともなう木枯らしと、枯葉の季節からもたらされていた。大気は乾いていて、そのせいで舞い落ちた枯葉は、いっそう重量感を失くし、羽毛さながらにあちらこちらへ飛び舞っていた。枯葉は風船玉や凧上げみたいに、ゆらゆらと空高く舞い続けているものもある。しかし、やはり見ごたえするものは、坂道道路へ吹き落とされた枯葉のおりなすさまざまな姿態である。
 その一つ、道路幅いっぱいに横並びして、かつ折り重なるように転げて下る枯葉の様は、まさしく枯葉川の名にふさわしい光景である。風捲く木枯らしは、ときには下方から吹き上げる。すると、吹き流されている枯葉は、突如こんどは一斉に逆流させられる。このときの枯葉模様は、まるで庭中に遊ぶヒヨコたちが突然蛇に出遭って、驚いて横並びでぴょこぴょこと跳(は)ねて、懸命に逃げ出す光景さながらである。
 再び道路から空中へ吹き上げられた枯葉の舞い様は、これまたカモメが一斉に飛び立つような光景だった。木枯らし吹きすさぶ、身が切れるような寒さの中にあって私は、色を落としつつある周辺風景と、枯葉川光景を堪能していたのである。そして、このときの私は、心中これらの光景に総じて、「山際の年の瀬風景」、と名付けていたのである。

淡々とめぐる年の瀬 

 十二月十日(日曜日)、年の瀬の上旬が過ぎようとしている。このところの鎌倉地方は、烈しい寒波に見舞われている。年の瀬にあって寒波に見舞われることは、もちろん異常気象とは言えなく、ひたすら我慢するほかはない。寒波に遭遇しても夫婦二人だけの生活では、鍋物を囲むこともない。鍋物は暖を取る効果以上に、大勢でワイワイガヤガヤと団欒(だんらん)についてこそ、手間暇をしのぐ楽しさがある。たった夫婦だけの鍋物では、私は妻の手間をかんがみて、「きょうは、何かの鍋物がいいね!」、と言うことばをひかえている。もちろん、ごり押しをすれば妻とて、「パパ。わかったわ!」、という優しさはたずさえている。しかし、私はごり押しをしない。おのずから、鍋物は遠ざかっている。
 正直なところ私自身、普段鍋物をそう好まなく、そのため寒波に見舞われてもあえて、それを欲しないからである。しかし、冬や寒波の季節だけとは言えない、すき焼きだけは好んで例外である。だからと言ってすき焼きを囲むのは、年四回程度である。四季すなわち春夏秋冬に割り振れば、それぞれ一度くらいにすぎない。
 普段、買い物役のわがささやかな楽しみは、レジに並んでいて人様の籠の中を覗くときである。なぜなら、籠の中を覗けば大方、人様の暮らしぶりや、家族あるいは本人の食べ物の好みを窺(うかが)い知ることができるからである。こんな野暮な楽しみ方でもしなければ、長いあいだ並んだうえにお金を払うだけでは、何らの面白味の無い木偶(でく)の坊にすぎない。
 野暮の悪乗りでは人様の籠の中に、私が買ったものと同じ品があればひそかに愉快になる。確かに、悪趣味だけれど、人様に危害を及ぼすことでもなく、わが心中の楽しみ方にすぎない。そのとき驚くことは、順々にレジ打たれる人様の籠の中に、放り込まれている肉類の多さである。ところが、わが籠の中には年中、肉類はほとんどない。
 職業をもたない現在の私には、卓球クラブのお仲間以外に、複数で群れ合う仲間や同僚はまったくいない。高齢者の集う卓球クラブには、乱痴気騒ぎの酒宴はもとより、ささやかな忘年会のしきたりもない。輪をかけて老夫婦二人だけのわが家は、鍋物を囲むこともない。年の瀬は、淡々と中旬へ向かっている。案外、平凡な日暮らしこそ、至高の幸福なのかもしれない。年の瀬にかぎらず、明けても続いてほしい、と願っている。しかし、新たに加わる年齢をカウントすれば、もはやそれは、欲ボケ! と、言えそうである。

「情けは人の為ならず」 

 普段の昼間、わが家周辺にはリュックを背負った高齢のハイキング仲間が群れ合って、楽しそうに巡っている。それらの群れに出会うと私は、軽く会釈をして通り過ぎている。これらの人たちは、用意周到に鎌倉めぐりのハイキング予定を立てているため、コース(道順)に迷うことはない。
 ところが、陽気に誘われて急に思い立って来られたのか? 一人や二人連れの人の中には道順を迷われて、すれ合う私に行き方を聞かれることがある。すると私は、いくらか得意げに馬鹿丁寧に教えることになる。時々は「天園ハイキングコース」(鎌倉めぐりのハイキングコース)の入り口近くまで、同行することもある。もちろん喜ばれるけれど、かなりお仕着せがましい余分な行動と、自省することもある。そののちは無難にハイキングコースの入り口を上り始められたお姿を振り返り、ほっと安堵することになる。ごく小さな善行とはいえそれなりに私は、ほのかな幸福感に浸っている。現在のわが幸福感は、ふとした小さな善行でもたらされている。まさしく「情けは人の為ならず」のフレーズ(成句)になぞらえて、私自身の気分を解(ほぐ)し癒してくれる小さな善行である。
 きのう(十二月八日・金曜日)の買い物どきには、はからずもこんな場面に遭遇した。レジのところで、相対でお金を財布から出されている中年の婦人がおられた。支払いの途中で婦人は、片方の手袋を落とされた。私は、やや遠くから目にした。そして、そのことは心得て、支払いを済まされれば拾い上げて、その場を離れるだろうと、思っていた。ところが、婦人は落としたことに気づかず、立ち去ろうとされた。私はあわてて駆け寄って、「手袋、落ちましたよ」と、声をかけた。ご婦人は拾い上げられて、軽く会釈されて店外に出られた。店内は込んでいて、レジ前には二列に客が並んでいた。このため、会釈をされただけで、感謝の気持ちは十分に私に伝わった。
 手にしたものをうっかり落とされる場面には、高齢化社会にあってはバスの乗車口でも多く遭遇する。実際には硬貨入れやスイカなどのパスをかざす機器を挟んで、運転士とやり取りするときに散見される。きのうは、高齢の男性が財布を落とされた。幸い後ろの高齢の婦人が気づかれ、拾い上げてくださり前の男性に手渡されて、事なきを得た。私は近くの座席に座っていた。そして、この様子を見ていた。もし、お二人共に気づかなければ、そのことを知らせようと身構えていた。ところが、この行動は免れた。男性は、軽く後ろの婦人に会釈された。狭い入口だったため、この顛末(てんまつ)はこれで良しであろう。こんな「物落とし」の光景は、いずれわが身である。だから、そんな場面に見舞われたときに心すべきは、丁寧にお礼のことばを述べることに尽きる。なぜなら、お礼のことばに出合えてこそ、拾った人の気分は晴々となるからである。すなわち、わが実体験である。
 日頃、私がバスの中で心に留めている小さな善行には、こんなことがある。手押し車や買い物用のキャリーバッグをたずさえている高齢の人がいれば、座席から先立って、降り口からそれらをバスの外へ下ろしてあげることである。逆に、乗り口でそれらをあらかじめバスの中に入れてあげることもある。もちろん、これらの行為はだれかれにではなく、見ていて難渋している人にかぎるものではある。すると、必ず丁寧に「ありがとうございます」のことばが返ってくる。この光景もこれまた、いずれはわが身でもある。そのことばに出合うと私は、ほのぼの感につつまれる。まさしく、「情けは人の為ならず」の実践である。
 【情けは人の為ならず】「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分によい報いがくる。人に親切にしておけば、必ずよい報いがある。▼人に情けをかけるのは自立の妨げになりその人のためにならない、の意に解するのは誤り」(電子辞書)。
 ごく小さくとも善行はできるうちが花であり、してもらうようになれば枯れ花である。

 富有柿

 私の場合、季節の移り変わりを身近に感じることにはほぼ三つがある。一つは、わが身の装いの変化である。これは、あえて論を待たない。一つは、野山の装いの変化である。これまた、説明の必要はない。一つは、買い物へ出向く中で、とりわけ野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)で見る店頭風景である。
 加工食品ではない野菜と果物は、出回りや盛りによって、如実に季節の移り変わりを示してくれる。もちろん、出回りや盛りすなわち旬(しゅん)があれば、やがては店頭から姿を消えてゆく宿命もある。この時期、年の瀬であれば、旺盛をきわめていた秋の果物の中では、すでに姿を消したものや、細りつつのものがある。現在、細りつつあるのは、温州蜜柑と富有柿である。ところが、温州蜜柑の場合は後続にさまざまな種類の蜜柑がひかえており、柑橘類として総じて、春先まで店頭の果物の王座に君臨し続けることになる。
 一方、柿の場合は富有柿が消えれば、ほぼ命運尽きることになる。どうにか、命脈続くとすれば姿を変えた干し柿スタイルである。しかし、干し柿は千切る手間に加えて、さらにひと作業干し柿づくりの手間が加わるから、総じて高価である。高価であればわが財布は緩まず、買いの手は引っ込んでみすみす見送りを余儀なくする。もちろん私は、干し柿は、高価に適(かな)う美味しさであることは知りすぎている。このため、干し柿にはおのずから我慢を強いられている。
 子どもの頃のわが家の干し柿づくりは、母の夜なべ仕事の定番の一つであった。当時のわが家は、干し柿とは言わずに吊るし柿と、言っていた。出来立てほやほやの吊るし柿は、正月の飾り餅(鏡餅)の最上段に、河内蜜柑(熊本県・河内地方産の小型ミカン)と並んでいた。このことでは吊るし柿は、あえて買わずともふくよかな郷愁を呼び起こし、同時に母恋慕情をつのらせてくれる、またとない逸品である。もちろん吊るし柿は、甘柿では用をなさず、渋柿の独擅場(どくせんじょう)である。
 甘柿の最終盤を飾るのは富有柿である。実際にもこのところの富有柿は出盛りの終盤戦を迎えて、まもなくおのずから命運尽きるとこへさしかかっている。このため、大船市場へ出向くたびに私は、まるで「慌てる乞食は貰いが少ない」フレーズ(成句)さながらに、富有柿を所定の籠に入れている。このため、わが胃袋の需給からすれば、はるかに供給過多である。その挙句、富有柿はわが家に在庫としてたまり続けている。それでも、なお買いの手が途絶えないのは、やがては店頭から消えゆくものへの未練がましさであろう。
 幸運にも実の硬い富有柿は、温州蜜柑などと比べれば傷みにくく、長持ちに優れている。そして、時が経てば熟して柔らかくなり、美味しさがいや増すことにもなる。このこともあって私は、買い物のたびに富有柿にわが手を伸ばし続けている。半面、富有柿の命運が尽きるのを案じて、焦りでもある。確かに、富有柿の在庫はたまり続けている。ところがどっこい、きのう買ったにもかかわらず、きょう(十二月八日・金曜日)もまた私は、富有柿だけをめがけて、大船市場へ出向くつもりでいる。
「パパ。富有柿、そんなに買ってどうするの? パパって、認知症になっているわよ」
 野暮なことばで牽制する妻は、このところ娘宅に連泊中で、留守である。店頭から富有柿が途切れば、季節のめぐりは冬本番である。
 きのうのテレビ各局の気象予報士は、異口同音に「きょうは二十四節気の一つ『大雪』(十二月七日)」と、伝えていた。

たび重なる老婆心 

 年の瀬(十二月七日・木曜日)になり、いよいよ本格的な寒波が訪れている。その証しにきのうの鎌倉地方は、この冬一番の厳しい寒波に見舞われた。寒波は日を替えて、現在のわが身を強く震え上がらせている。ところが、寒波は我慢すればこれで済むものではない。いや、わが身に堪える寒波はいまだ序の口であり、この先長く続いて、寒の底はなお先にひかえている。このことをかんがみれば、きのうやきょうの寒波に慄(おのの)くのは、子犬に吠えられてびっくり仰天するようなものであろう。それでも寒波に慄くのは、加齢をきわめるわが心身が、しだいに寒波に抵抗力を失くしている証しであろう。いや、実際には寒波にかぎらず現在の私は、何事にたいしても闘う精神力の欠如に陥っていると、言うべきであろう。そうであれば老い先もはや回復は望めず、ますます深みに嵌(は)まることは火を見るより明らかである。それを寸止めすることに、もちろん他力をあてにすることはできず、孤軍奮闘すなわち自己発奮にすがるほかはない。
 現在の私は、とうにわかっちゃいるけれど、性懲りもなく成り行き文をつづっている。寒波への抵抗力の喪失現象に輪をかけて、このところ私は何かにつけて、モチベーション(意欲)の低下現象に見舞われている。とりわけ文章の執筆意欲の減少は、それらの中でも最たるものの一つである。もちろん私は、これではまずいと、みずからに発奮を促してはいる。ところがそのつど、生来の無能力が通せんぼをして、やたらと嘆息するありさまである。挙句の果ては単に継続のためだけに、こんなお茶濁しの文章を書くなさけなさである。現在の私は、そのため忸怩(じくじ)たる思いに苛(さいな)まれている。だからと言って、これで結文にするのは気違い沙汰である。このため、現在胸中に浮かんでいる、気になることを書き添えるものである。言うなれば、老婆心の発露の一つである。ところがそれは、わが体験上からもたらされていることであるから、強(あなが)ち杞憂(きゆう)にすぎるとも思えない事柄である。
 定年退職(六十歳)後の私は、習得いや実際のところは忘却を免れるために、語彙(ごい)の生涯学習を目標に掲げている。しかし、この目標はいっこうに叶えられず、画餅(がへい)のままに十七年が経過し、老い身は終局へ近づいている。この目標を掲げる前の私は、勤務する会社の大阪支店への単身赴任時代にあって、漢字検定一級に合格した。一方でその頃の私は、生涯一冊の随筆集を書くことを目標に掲げていた。そのため、この目標に向かっても私は、大車輪で自己流の文章の手習いを始めていた。ところが、その途中にあって私は、幸運にもお二人の文章指導者に出会えたのである。そのお一人は、今は無い「日本随筆家協会」を主宰されていた故神尾久義編集長である。そしてもうお一人は、当「現代文藝社」を主宰されている大沢久美子さまである。お二人に共通するのは、佳き指導者であると同時に、ご自身共にバリバリの作家であられることである。お二人に遭遇した私は、それ以前にもましてシャカリキになって、日々文章を書き続けてきた。そして、にわか志の私にすれば、まさに無限大とも思える語彙(言葉や文字)の羅列を続けてきたのである。このことは、文章の出来不出来などかなぐり捨てても、ちょっぴり自負するところでもある。言うなればこれまでの私は、人並み以上に語彙にたずさわり、実際にも文章の中に用いてきたという自負がある。ところがこの自負は、現在では無に等しくぺしゃんこである。なぜなら現在の私は、小学低学年時代に習う漢字さえも、手書きでは書けなくなっているありさまである。
 これには、わが固有の二つの理由がある。一つには、かつての私は手書きの手紙をよく書いていたけれど、現在はまったく途絶えていることである。もう一つは、文章書きのすべてが手書きではなく、パソコンや携帯電話などの機器文字に代わっていることである。すなわち私は、文明の利器にかまけているうちに手書きの語彙、とりわけ漢字が書けなくなっていたのである。そのひどさは、小学低学年時代に習う容易な漢字さえ書けないものさえある。
 これらわが体験から危惧するところは、この先の児童生徒たちは、はたして手書きの文章が書けるであろうか? といいうことである。巷間(こうかん)で見かける児童生徒たちの多くは、さまざまな端末機に俯(うつむ)いて、鮮やかな手さばきに夢中である。もちろんそれは良しとしても、同時並行に手書きを心掛けなければ、わが二の舞を演ずることを恐れずにはおれない。すなわち、このことがわが体験を省みての老婆心である。寒波を超越し、このことでは身がガタガタと震えている。

夜長の雑感 

 十二月六日(水曜日)、きょうの文章は食べ物のごった煮のごとくに、現下の世相を浮かべて出来事の羅列である。もちろん、一つのテーマを掘り下げる随筆文からすれば邪道であり、心して恥ずべきことである。
 まずはいっこうに収まらず、いっそう混迷の度を深める大相撲界の不祥事のことである。事件そのものは土俵外で起きた、すなわち元横綱日馬富士の幕内貴乃岩の殴打による傷害事件である。そののち、当該者の日馬富士自身は加害を認めて、すでに大相撲界から引退している。そして現在、事件の結末は日本大相撲協会を離れて、この先は警察や検察にゆだねられている。すなわち、事件にまつわる推測は、手出し無用のところにある。
 ところが、テレビ各局のワイドショーは、視聴率稼ぎには格好のネタとばかりに、今なお事件にかかわる報道に明け暮れている。おのずから、現在の各局の報道ぶりには本事件に尾ひれがついて、混迷に加担しているようにも思える大騒ぎぶりである。このため、わが下種(げす)の勘繰りからすれば、本事件にかかわるワイドショーは、明らかに尾ひれのついた罪作りに思えるところがある。
 具体的な尾ひれの一つには、大相撲協会の元横綱貴乃花親方と、横綱白鵬を両極(対比)に据えて、大相撲界の内部事情(抗争)の炙(あぶ)り出しの様相を帯び始めていることがある。すなわち、本事件にかかわりいまだに冷めやらぬワイドシューの報道ぶりは、大相撲界の浄化を建前にして、本音のところは大衆受けする話題にかこつけて、視聴率競争の奔命(ほんめい)さながらである。
 いみじくも、こんなおりに浮かぶことばには「おためごかし」がある。
 <御為倒し>「表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること」(電子辞書)。
 次に浮かんだのは政界の醜聞、すなわち森友および加計学園問題の成り行き(決着)である。ところが、これまた火種は尽きることなく燻(くすぶ)り続けている。
 三つ目に浮かんだのは、日本海にあって日本の国の海岸に、相次いで漂流してくる北朝鮮の木造船問題である。
 結局、浮かんだ三つの出来事は、わが為すすべない現下の世相の俯瞰(ふかん)にすぎないものばかりである。詰まるところ、実際に私が往生(おうじょう)していることの一つは、年の瀬にあって道路を汚(きたな)くする落ち葉しぐれである。夜長の雑感は、三つでとどまることはなくはてしない。

 わが人生に付く「最後の冠」

 このところの、そしてこの先のわが行動には、何かと人生最後のという、冠(かんむり)がつく。こういう思いを浮かべているのは、きょうの行動がその一つに思えているからである。具体的にきょう(十二月三日・日曜日)の行動には、わが人生における最後の結婚式出席であろうと、思えるものがある。この思いの基は、わが余命である。私は余命にあずかるうちに、身内や親戚の中で結婚しそうな男女を浮かべてみたのである。確かに、結婚しそうな若い男女はたくさんいる。ところが、わがいのちを余命と区切れば、再度の結婚式への出席はおぼつかなくなりそうである。このため、きょうの結婚式出席は、わが人生における最後かな? という、思いをたずさえている。
 まことに私事ながら招待にあずかっている結婚式は、甥っ子長女沙織ちゃんの華燭の典である。次兄は東京都国分寺市に終(つい)の住み家を構えて、現在長男家族と同居の暮らしぶりである。次兄夫婦は共に、八十七歳である。高校を卒業して上京し、私の学生時代の四年間の居候生活は、次兄夫婦におんぶだっこされた。次兄夫婦には、長男、長女、次男が誕生した。そして、わが甥っ子に当たる長男には、長女、長男、次女が誕生した。次兄夫婦は常に優しく、そしてその子どもたちとさらに孫たちの家族は常に和やかで、私にとっては第二のふるさとである。そのため私は、次兄夫婦宅へはしょっちゅう出入りしている。このこともあって沙織ちゃんは、結婚式への招待状をくれたのであろう。
 確かに、沙織ちゃんの後続組、さらには故三兄の家族(東京都昭島市)、故四兄の家族(東京都国分寺市)の中にも、それぞれに若い男女がひかえている。ところが、それらの結婚式までわが命もつかどうか? 危ぶまれるところである。沙織ちゃんの華燭の典は、晴れやかな東京都・青山通りの式場で予定されている。わが人生最後の結婚式出席と胸に刻んで、私は揚々とそして粛々と参列するつもりである。
 こののち、何かにつけて人生最後という冠がつくたびに私は、きょうのような思いをたずさえるのであろうか。身も蓋もない文章を書いてしまって、忝(かたじけな)い思いに苛(さいな)まれている。「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」。私は人生の末路を歩いている。

 配信ニュース「皇室会議」

 きょう(十二月二日・土曜日)の文章は、自作文にあらずして、読売新聞が伝える配信ニュースの引用にとどめるものである。実際にはこのニュースは、きのう(平成二十九年・二〇一七年十二月一日・金曜日)に行われた、皇室会議の結果を伝えるものである。
 昭和十五年(一九四〇年)生まれの私は、昭和天皇から平成天皇へ、すなわち改元による昭和時代から平成時代へのさまざまな移行風景になぞらえて、きのうの皇室会議を経て再び体験することとなる。あたりまえのことだけれど、平成生まれの人たちには初体験である。ところが、互いに共通するところがある。それは、みずからの時代がしだいに過去ページへと移り、おのずから歴史として刻まれてゆく寂しさである。わずかに、「改元」、という二文字にすぎないけれど、人心においては大きな感慨を印すところがある。
 改元とは、まさしく時代を画(かく)する変化である。平成時代に入り、「昭和は遠くなりけり」と、言われていた。すると、新元号が誕生すればもはや昭和時代は、現代史はもとより近代史からさえ遠ざけられ、日本史の遠い歴史区分の一つとなるであろう。すると、おのずから昭和生まれの私は、古色蒼然すなわち過去の遺物同然へと成り下がりそうである。
 このため、皇室会議の模様を伝えるニュースには、さまざまに感慨ひとしおつのるものがある。もちろん、当事者の今上・平成天皇陛下および皇后陛下、現在の皇太子殿下および妃殿下、さらには皇室関係者の思いは、わが測りようなくさまざまであろう。だから私は、ご退位を決意された今上天皇陛下にたいして、心底よりひと言、「お疲れさま」のことばを添えることしかできない。
 【改元2019年5月1日、新元号は来年公表へ】(2017年12月1日23時18分 The Yomiuri Shimbun)「天皇陛下の退位日程を巡り、皇族や三権の長らでつくる『皇室会議』が1日開かれ、陛下は2019年(平成31年)4月30日に退位すべきだとの意見をまとめた。これを受け、政府は19年4月30日に陛下が退位し、5月1日の皇太子さまの即位と同時に改元する日程を固めた。8日に退位日を定める政令を閣議決定する。天皇の退位は1817年の光格天皇以来約200年ぶり。平成は31年で幕を閉じる。政府は来年、新たな元号を事前公表する方向だ。皇室会議は宮内庁特別会議室で、午前9時46分から11時まで非公開で行われた。議長を務めた安倍首相は終了後、皇居で会議の内容を陛下に報告した。その後、『天皇陛下のご退位、皇太子殿下のご即位が、国民の祝福の中でつつがなく行われるよう全力を尽くす』と首相官邸で記者団に語った。」

 師走入り日の僥倖

 現在のわが目は疲れ目で、ショボショボしている。疲れ目は、飛んでもない僥倖(ぎょうこう)にさずかった証しである。きのう(十一月三十日・木曜日)、大沢さまから送られて来た「ひぐらしの記」第六十八集『この人、老いさらばえず』の版下原稿の校正作業を、私はうれしさのあまりシャカリキになって敢行した。このことでは疲れ目は、快い疲れ目である。大沢からこんなメールが届けられた。「『ひぐらしの記』68集は、金沢に住んでおられる島田渓さんの絵を表紙に使用させていただくことにしました。『この人、老いさらばえず』の人です。ご都合はいかがでしょうか」。私は、有頂天になり応諾した。
 以下の文章は、「この人、老いさらばえず」の本文、『わが人生の素晴らしき先輩』(大沢さまご投稿文)より一部抜粋である。
 「先週の初めだった。電話が鳴って受話器を取ると、明るい女性の声だった。『大沢さん、いい話があるの』それは金沢に住む九十歳に近い画家の知人だった。彼女は『流星群』(大沢さま主宰の現代文藝社発行の文芸誌)にも作品を発表してくださっている。ご主人を若い頃なくされ、女手一つで二人のお子さんを育てあげられ、今は近くに住む娘さんの手助けを受けながら一人暮らしをされている。彼女は体があまり丈夫ではなく、七十代の頃に片方の視力を失い、今ではもう片方もほとんど見えない状態だという。そんな彼女が、四苦八苦して絵を描き、小説を書き過ごしておられる様子を時々わたしに電話で知らせて下さる。今年に入って、彼女の電話口の声が次第に弱々しくなっていた。-中略―。『今日、電話したのは回復した嬉しさもあるのだけれど、もう一度作品を書こうと思っているの。この次の締め切りは八月末だったでしょ。それまでに何とか頑張ってみようと思うの。息苦しさがなくなって、目の方も拡大鏡を使えば何とか見えるから、このまま死んでたまるかって気持ちなの』」。
 読み終えた私には、金メダルの感動編であった。そして私は、「この人、老いさらばえず」とつけた表題に自画自賛している。ちなみに、版下原稿と一緒に送られて来た単行本第六十八集『この人、老いさらばえず』の表紙絵の下には、こう付記されていた。「スカーフの人 (油彩50号) 島田渓 画 (松本市市制施行一〇〇周年記念第二回松本市美術館七〇歳以上展『老いるほど若くなる』でアルピコグループ賞)」。
 ことし(平成二十九年・二〇一七年)の最終月・初日(十二月一日・金曜日)の私は、心晴れ晴れの僥倖気分に浸りきっている。もとより、島田様の心意気にうたれ、大沢さまの優しさからさずかった、他力本願の僥倖である。

 十一月末日、夜長の妄想

 いよいよ十一月末日(三十日・木曜日)が訪れている。ひと月ごとの卓上カレンダーは身が細り、十二月だけの一枚になる。歳月の速めぐりには、わが身も細る思いがある。実際にはわが願望の細身は叶わず、体重計はいっこうに下振れすることなく、太身の八十キログラムのままである。
 こんなどうでもいい書き出しで、十一月最終日のキーボードへ向かっている。顧みれば十一月は、パソコントラブルやブログのメンテナンス作業に遭遇し、余儀なく休んで完走にはありつけなかった。しかし、私自身の怠け心で休んだ記憶はなく、完走と言っていいと、自負するところはある。だからと言って日々の文章は、みずからが望む出来栄えにはほど遠いものばかりだった。いや、文章は出来栄えを望んでも叶うはずはなく、そのため現在のわが意志と目標は、「ひぐらしの記」の継続だけに成り下がっている。もちろんこのことには、常々忸怩(じくじ)たる思いと、やるせなさをたずさえている。しかしながら能無いことで悩んでいては、肝心要の継続はとうてい叶えられない。このため、もう十年余も書き続けていれば、能無いことは悟り切り、もはやない物ねだりには見切りをつけるべきであろう。
 確かに、私は身の程は知りすぎている。ところが、未練たらしく牛の涎(よだれ)のごとく尽きることなく私は、出来栄えのいい文章を書きたいという、高望みを捨てきれていない。わかっちゃいるけれどそれは、ない物ねだりの浅ましさである。だから、それは叶わず私は、悩ましさをともなって愚痴こぼしを繰り返している。望んでも叶えられないことで悩むことは、もっとイケメンに生まれればよかったと、悩む同様に愚の骨頂である。このことでは、望んでも叶えられない悩みなど、見切りをつけたいもののイの一番である。
 先日の胃カメラによる再検結果では、十二指腸の病巣には良性とのお墨付きを得た。この四月、胃カメラと大腸カメラは、ほぼ並行しわが体内の病巣探しを託された。ところが、大腸カメラは任務を怠(なま)けたのか、病巣を探しきれなかった。一方の胃カメラは機能をフル稼働し、忠実に働いて病巣を探しあてたのである。もちろん、二つのカメラの任務や働きは、それで十分である。病巣の良否は、専門知識を有する医師という、有識および高給与の人の判断(診断)にまつほかはない。ところが、そのときの主治医先生は、診断を九月へと先延ばしされたのである。実際にはいくらか矛盾しているけれど、怠け者の大腸カメラはお役御免となった。一方、働き者の胃カメラには、もうひとふんばり(働き)の任務が負荷されたのである。すなわち、胃カメラだけが再検査の役割を担ったのである。
 ところが私は、九月一日の予約日をうっかり失念し、大慌てで先日(十一月二十日・月曜日)、胃カメラだけの再検査を受けたのである。そして、一週間後の十一月二十七日(月曜日)に、胃カメラが鮮明に写した病巣をモニター画面に映して、主治医先生は病巣に「良性」の診断を下されたのである。しかしながら、このときでまったくの無罪放免とはならず、一年後の再検査を宣告されたのである。ところがこれは、私にかぎらず医師の診立てには、必然的につきものの経過を見るものすぎない。一年先のことで悩んでいては、人生行路における悩みは尽きない。だから私は、こんなことに悩むほど愚か者ではない。それよりわが悩みは、こんな実のない文章を綴って、十一月の似非(えせ)完走をみずから寿(ことほ)ぐ浅ましさにある。
 月が替われば夜長は、冬至(十二月二十二日)に向かって、ホームストレッチ(最後の追い込み)へさしかかる。つれて、夜長の妄想も消費期限が近づいている。