ひぐらしの記
 
前田静良 作 


 2014.10.27カウンター設置
 
内田川(熊本県・筆者の故郷) 富田文昭さん 撮影 

下種の「繰り言」 

 例年であれば一年じゅうで最も好季節にあって、今年の場合は悪天候が続いている。二つの台風、すなわち十五号そして十九号が去っても、台風一過の日本晴れが望めていない。例年であれば胸の透く秋晴れも遠のいたままである。きょう(十月十八日・金曜日)もまた、雨の夜明けである。それどころか、この先の一週間にも多く雨の予報が伝えられている。
 人間心理は、気象の良し悪しに大きく左右されるところがある。予報が当たれば、好季節に違(たが)う憂鬱気分が続きそうである。日本列島にあって現在、二つの台風からもたらされた被災地および被災住民は、復旧作業の真っただ中にある。復旧作業に明け暮れているそれらの悲しさをおもんぱかれば、もちろんオチオチしてはおれない。通り一遍に異常気象あるいは気候異変というより、実際のところはそれをこうむっている日本列島の異変である。現下の世界は、地球温暖化傾向が危ぶまれている。本当にそうであればこの先、これらの異常事態はもはや異常とは言えなく、常態化するのであろうか。
 そうであれば日本列島のみならず、世界中いや地球自体の確かな危機である。このところのテレビニュースには、十五号台風の復旧いまだままならない中にあって、十九号台風の被災地および被災住民の復旧作業の光景が連綿と映し出されている。毎年、所を替えて見る羽目となっている悲しい光景である。
 そんな中にあって、きのうのテレビニュースではこんなことが伝えられた。一つは、安倍総理による令和天皇陛下の即位を祝するパレードの延期である。即位の儀式は予定どおり、十月二十二日に行われるという。そうであれば、台風災害の真っただ中にあってパレードの延期は当然であろう。パレード自体、もとからなくてもいいのではないか、わが見解である。一つは、来年(2020年)に迫っている「東京オリンピック」における、マラソンおよび競歩の競技場の変更提案である。こちらは、IOC(国際オリンピック委員会)の提案だという。提案内容は、これまで決まっていた東京から北海道への変更である。伝えられている変更理由は暑さ対策という。もはや、オリンピック自体を中止することはできないだろう。しかし、これまたわがケチな見解を添えれば、オリンピック自体なくてもよかったと思う。
 とかく社会は、国を司(つかさど)る為政者と国民感情が遊離して進むところがある。それは、為政者と国民との生活感情の違いを表すところでもある。このところの国会論戦でにわかに揶揄されている言葉を用いれば、とかく為政者は「思い出づくり」に華々しいことを打ち上げる傾向にある。一方、国民は日々の生活維持にこそ神経をすり減らしている。どうかすればそれは、為政者と国民の意識の違いを露呈することとなる。このたびの二つの台風惨禍を見るかぎり、私はこのことを強く思い知らされたのである。
 具体的には自然災害の多い日本列島の備えに、為政者の手抜かりがあったように思えている。確かに、多額のお金を投じても国の防衛は大事であろう。しかしながら、それ以上に身近なところで地域や住民の防災は大事である。どちらかと言えば為政者の舵取りでは、後者がおろそかにされてきたのではないだろうか。あとの祭りになるけれど、わが下種(げす)の勘繰りである。
 国民生活とは、個々の命を長らえる日々の営みである。換言すれば、まさしく明けても暮れても切ない「暮らし」を強いられる。ところが、それがズタズタにされては華々しい祝典や祭典など、どうでもいいことになる。いくらかでも、「繰り言」の絶える国の舵取りを願うところである。

疼(うず)く、心の傷 

 十月十七日(木曜日)、心の傷の瘡蓋を剥がすかのように、時候本来の寒気が訪れている。私は生きることの厳しさを痛感している。もちろん、寒気の訪れとともに生きることの厳しさは、例年痛感してきたところではある。しかしながら今年の場合は、なさけなくも例年をはるかに凌いで痛感している。その原因は、台風十五号に因る家屋の罹災からもたらされている心の傷のせいである。なおかつ、罹災に因る後処理がいまだに手つかずのままのせいもある。
 日本列島にあっては、台風十五号を追っかけて台風十九号が襲来した。災害列島と異称される日本列島に住むかぎりは、台風発生の号数の多さには毎年慣れ切っている。ところが今年の場合、十五号は風でそして十九号は雨で、つまり台風本来の風雨の勢力でところかまわず多大の被害をもたらされたのである。そのため、テレビ画面にはすでに一か月を超えて、被災住民の痛々しい復旧作業の様子が映し出されている。地震をはじめさまざまな自然災害に遭うたびに、見慣れた光景と言うのはもちろん罰当たりである。
 このたびの台風十五号で私は、少なからず被災住民の悲哀心理に遭遇した。不幸にも悲しい体験から私は、これまでは無縁に過ぎてきた悲哀心理を教えられたのである。具体的には身を晒し、自然災害の恐ろしさを学んだのである。そのためこののちの私には、明らかに自然災害にたいする大きな心境の変化をもたらされている。大きな変化の一つは、あふれる涙を堪えて復旧作業にあたる被災住民の悲しみの共有である。ちょっぴりの体験がもたらしている、確かなわが心境の変化である。しかしながら、悲しみを共有できるのは万分の一程度にすぎない。だから、実際には被災住民の本当の悲哀心理は知り得ない。
 一方でこの先も、延々と続くつらい復旧作業のテレビ画像を観続けることとなる。せっかくの好季節のさ中にあって、今年の場合は寒気が余計身に染みるばかりである。加えて、いまだに瘡蓋がとれないわが心の傷は、ズクズク疼いている。

「筆舌に尽くしがたい」 

 災害現場リポートをテレビ画面で観るたびに心中に浮かぶ言葉がある。それは「筆舌に尽くしがたい」という言葉である。簡単明瞭に分かりきっている成句だが、電子辞書を開いて復習を試みればこう記されている。「文章や言葉では十分に表現することはできない」。確かに、災害現場の悲惨さは、文章や言葉による表現では限界がある。すると、これらに代わるものは、目で見る災害現場写真である。現代社会にあって卑近なところでその役割を担っているのは、テレビに映し出されるさまざまな写真や画像である。実際にはテレビという媒体を通して、プロのカメラマンがカメラレンズを構えて写したもの、あるいは通りすがりの人がスマホなどで写したものなど、さまざまにある。特に、現代社会にあっては後者、すなわち行きあたりばったりに素人が写した写真が、ひと際災害の悲惨さを撮らえている。
 また、災害現場リポートを観るたびにつのる思いがある。それはインタービュー光景で、インタービュアに応じる災害に遭われた人たち一様に見られる意志の強さである。もちろんそれは、わが意志の弱さをかんがみて、それらの人たちの意志の強さへの驚嘆である。凄絶をきわめる災害現場リポートの画像を観て、「あすはわが身」とつぶやくのは、人様の災難をだしにして身勝手すぎる。結局、このところの私はなんらなすすべなく、台風十五号に続いて台風十九号のしでかした惨禍画像に見入っている。ところが観ているうちに、伝えられる死傷者数は累増するばかりである。そして、所を替えてさまざまに映る悲惨な光景は、まさしくすべて「筆舌に尽くしがたい」ものばかりである。これらの光景には「地獄絵」という表現もある。しかし、そんな想像上の表現は当を得ない。言葉なく、画像をじっと見つめているしか能がない。もちろんこの光景は、文章でもかけない。

山紫水明の悍(おぞ)ましさ 

 メディアの災害報道には時として、必ずしも当を得ないものがある。台風十五号にあっては千葉県限定の報道が多かった。確かに、千葉県の被害状況は凄(すさ)まじく、かつ被災住民の痛ましさは、不幸にもメディア報道の真骨頂と言えるものがあった。一方で、大小の違いはあるけれど、神奈川県もかなり同様の被害に見舞われた。ほか、千葉県に隣接する都県に住む人々も地域を限れば、同様の被害に遭われた人たちもいるようである。確かに、大をもって報道せざるを得ないのは、物事すべてにおけるメディア報道の宿命および限界なのであろう。仕方のないことではあるけれど、このたびは被災したわが身に置き換えて、ちょっぴりそう思わざるを得なかった。
 台風十五号は、風(風圧)が多くの被害をもたらした。一方、台風十九号は、雨(水圧)が多くの被害をもたらした。双方に付加すれば「どちらか」という言葉であり、もちろん台風自体の恐ろしさに変わりはない。台風被害に限らず地震やほかの自然災害、かつ人が見舞われる偶発的事故、そして人為のおりなすさまざまな事件、これらの事あるたびにメディアの現場リポートは、かなしいかな! 悲哀を共有するにはなくてはならないものがある。
 このたびの台風十九号における現場リポートをテレビ画面で観ながら、わが心中に浮かんだ思いはこうである。それは、人が住まいに山紫水明の風景を望めば、一方では飛んでもない危険が潜んでいるという事実である。こう思ったのは不断に憧れている天下の名流・千曲川や阿武隈川が飛んでもない災害をもたらしたことに尽きる。普段、口ずさむ『千曲川旅情の歌』は、一遍に無情をもたらしたのである。加えて、地域を代表する名流はことごとく暴れ川となり、これまた流域住民に大きな被害をもたらしたからである。もちろん川だけでなく山の風景も、鉄砲水や土砂崩れをともなって、被害と恐怖をもたらしたのである。このたびは海の恐ろしさは免れたけれど、言うまでもなくその恐ろしさは津波、高潮、高波として現れる。いずれも、山紫水明を謳う日本列島の泣き所である。
 山紫水明のもたらす災害は、実際に多くの死傷者をもたらし、幸い生き延びても生きた心地のしない恐怖をもたらして、去って行く。実際には人の生活や生業を一瞬にして壊(こわ)し、人心に限りない傷痕をつけて、去って行く。つくづく腹が立つのは、台風一過の日本晴れである。もちろん、余波という言葉にも腹が立つ。台風十五号そして十九号に見舞われた人たちの心の痛みを共有するところである。

「こころもとない! 再始動」 

 台風十五号では家屋の被害に泣き、台風十九号では恐怖心に慄いた。この一か月余にわたり私は、海上の島国すなわち台風の通り道にある、「日本列島に住み、生き続けること」の困難さを体験した。体験したくない実体験であった。出費をともなう損害と精神の苦痛は、文字どおりひ弱なわが精神(力)を滅多打ちにしている。心象をズタズタにされた私は、おのずから心象で紡ぐ文章は書けずじまいになっていた。しかし、台風十五号が去ったのち日が経つと、私は文章の再始動へ向けて助走文を試みた。きわめて、気分の重たい助走文だった。それでも再始動は、「ひぐらしの記」の継続へ向けて、どうにか目途がつきそうになっていた。それでもなお気分は、憂鬱症状をきわめていた。そのため、実際のところはおぼつかないキー叩きだった。
 その矢先、打ちのめされていた精神に、いっそう追い打ちをかける台風十九号が発生した。並み居る気象予報士の予報によれば、だれもが台風十九号を超ド級と伝えた。もちろん本丸の気象庁は、予想される台風圏の人々にたいして、防備および防災の警鐘を打ち鳴らした。すると、台風十五号被災の後処理がいまだ手つかずにいた私は、繰り返し伝えられる台風十九号の勢力の大きさに怯え切った。
 具体的な恐怖は、屋根の損傷である。台風十五号明けに泣きべそをかいて電話帳で探し、未知の業者に電話をしてとりあえず応急措置は済んでいた。ところが、超ド級の台風十九号の発生という予報にたいしては、わが身の震えは止まらなかった。すなわち、高齢者一人手の応急措置くらいでは、気の休むところがなかったのである。
 加えて、山の斜面からの地滑りは、きょうあすにも起きそうに迫っている。あれやこれやで生来のわが小心は、輪をかけて「ナメクジに塩」さながらに萎え切っていた。このため、台風十五号のときと違って台風十九号の場合は、予報を聞くやいなや恐れて気分が滅入り、あえなく文章は頓挫した。すなわち、台風十九号の予報に遭ってわが心象は壊れて、たちまち文章は書けずじまいになっていた。私は、まさしく「泣き面に蜂」の心境に陥り、憂鬱気分の蔓延に晒されていたのである。憂鬱気分は台風十九号去った現在のみならず、先延ばしに晴れないままである。しかし、みずからを鼓舞しこんないたずら書きをしながら現在、再度助走文をしたためて再始動を試みている。バッタリと倒れそうな再始動にあっては、表題には「こころもとない! 再始動」と、つけざるをえない。
 十月十四日(月曜日、体育の日・振替休日)の昼近くにあっては、台風十九号の余波とも言える、風なく「しとしと雨」が降っている。きょうの懸念は、雨漏りと土砂崩れである。テレビニュースでは台風十九号がもたらした惨禍と、北の地方に移りなお降り続いている雨の恐ろしさを伝えている。台風十九号は、「台風」という字面(じづら)にない雨の恐ろしさだった。一方、台風十五号は、台風本来の風、雨共に強い恐ろしさだった。気候の好い晩秋に向かってこの先当分、気分すぐれないのは残念至極である。助走文や再始動の二の舞は、ほとほとなさけない。やはり、わが甲斐性の無しの「身から出た錆」である。

ご報告 

 大沢さま&ふうちゃん、そして皆様へ
 ご心配をおかけいたしました。恐れていた二次被害は免れました。残るは一時被害時の屋根の吹き替えです。これには、いまだに手つかずの後処理と、多額の臨時出費に頭を痛めています。
 ただ、二次被害を免れたことには、妻共々にこの上なく安堵しています。しかし、被害に遭われた方々をおもんぱかれば、もちろん手放しには喜べません。だけど今は、それはきれいごとにすぎず、実際にはわが身の二次被害の回避を喜んでいます。この間は、わが息の根のみならずわが家の消滅を案じて、気鬱症状に陥っていました。後処理の日程は、いまだまったく立ちません。そのため、気鬱症状の快癒はそれまで果たせません。わが甲斐性無しの祟り、恨めしいかぎりです。しかしながら、ご心配をおかけしていた、台風十九号の被害を免れたことをご報告させていただきました。
 追記:実際に恐れていたのは、屋根の二次被害と今にも滑り落ちてきそうな山からの土砂崩れと、さらには高木のわが家への倒れかかりでした。今回は免れたものの後者は、いずれ見舞われそうです。するとこの恐怖は、地震、台風、そして集中豪雨のたびにこの先、ついてまわります。再び書けば、ほとほとわが甲斐性無しの祟りが恨めしいかぎりです。余計なことを書いて、申し訳ございません。

 また、神様すがりを書いている

 十月九日(水曜日)、寝ていると小さな揺れを感じた。「地震だな?」と、思った。気のせいかもしれない! わが精神は、何事にもビクビクする疑心暗鬼に陥っている。ところが、こちらは事実になりそうである。それは、今週末には超ド級の台風十九号に見舞われそうである。すると、わが生存は息の根を止められるのであろうか。
 きょうからプロ野球では、クライマックスシリーズの第二ステージが始まる。セ・リーグの場合は、レギュラーシーズンの覇者・読売ジャイアンツ対第一ステージを勝ち抜いてきたわがファンとする阪神タイガース戦である。一方、パリーグの場合は、これまたレギュラーシーズンの覇者・埼玉西武ライオンズ対第一ステージを勝ち抜いてきた福岡ソフトバンクホークスである。思い及ばないタイガースの勝ち上がりにあっては、私は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)して留飲を下げた。
 ところが、きょうからのタイガースのテレビ観戦も、台風接近中とあっては心乱れて、おちおち楽しめそうにない。家屋の被災に見舞われた台風十五号以来、わが心はすっかり様変わりし、気象庁の台風情報に怯えている。もちろんそれは、被災体験の恐ろしさが心中に蹲(うずくま)っているせいである。そして、生来のわが小心に輪をかけて、現在のわが精神(力)は、蟻穴にさえ入るほどに小さくなっている。ほとほと、なさけない状態である。こんなにひ弱い精神力では、一家を支える主(あるじ)とは言えない。このため現在の私は、留守中の妻に謝りたい気分である。
 こんなことを書けば傍目には、私が精神破綻を来たしていると、思われそうである。そのため、少し付け足すと意図して自虐を試み、わが精神の賦活を鼓舞しているところでもある。幸いにも身体は、恐れていた風邪症状も遠のいて、すこぶる付きの健康である。近づく台風の勢力が少し衰えたり、ちょっとばかり横に逸れたりするだけでも、台風一過のわが精神(力)は持ち直すであろう。そうありたい! と、きのうに続いて実在しない神様にすがる夜明けである。

近づく台風十九号への怯(おび)え 

 十月八日(火曜日)、あえて吐露するまでもないけれど、現在のわが心境は戦々恐々の状態にある。それをもたらしているのは、週末にかけての三連休あたりに見舞われそうな、超大型台風十九号にかかわるニュースである。
 気象庁の台風情報によれば、ものすごい勢力の台風が日本列島に向かっているという。このことを慮(おもんぱか)れば私は、もはや平常心で文章を書く気分にはなれない。気象庁からは超大型台風に備えて、「厳重な警戒や準備が必要である」、と警告されている。しかしながら私にとっては、これこそ「言うは易く行うは難(かた)し」という成句の証しである。
 実際のところ私の場合は、どう備えようもないまったくのお手上げ状態にある。こんな非常時にあって遊び心は許されないけれど、わが心境を映す成句を繰り返すとこうである。それらは、「一難去ってまた一難」、「泣き面に蜂」、そして「弱り目に祟り目」である。
 きのうの私は、わが心境を表すものとして、心中に浮かぶままこんな成句を列ねていたのである。もちろん、わが現在の心境を映す成句はほかにもさまざまにある。しかしながら、これらが最も当を得ているのであろうか。なぜなら、相次いでわが心中に浮かんだのである。確かに、なさけなくもこれらは、現在のわが心中の不安を表現する最も適語なのであろう。すでに過ぎ去った台風十五号によるわが家屋被災の後処理は、いまだ手つかずのままである。それに重ねて再び台風十九号が直撃すれば、わが家の暮らしはたちまち息の根を止められそうである。元はわがこれまでの甲斐性無しが原因であり、それにより現在の私は昼夜なく怯えている。こんな心境ではこの先、おちおち文章が書けるはずもない。
 いくらか早いがきょうの文章は、これで打ち止めである。だからと言って、近づく台風十九号へ備える手立ては何もない。それどころか手を拱(こまぬ)いて、わが身の不甲斐無さをみずから詰(なじ)るだけである。ほとほとつらい、現在のわが心境である。「捨てる神あれば拾う神あり」。ばかじゃなかろか! 実在しない神様の助けにすがっている。

冠(かんむり)の秋 

 十月七日(月曜日)、本来の気候へ戻り、いよいよ寒くなってきた。確かに、中秋の頃になっても、暑気が続いたことには辟易するところがあった。しかしながら私の場合は、地球温暖化傾向と警鐘が鳴らされても、やはり寒気の訪れは身に染みて懲り懲りである。だからと言って寒気を嫌い、温暖化を望むのは身勝手きわまりない世間知らずの木偶(でく)の坊なのかもしれない。
 きのうあたりから長袖の肌着に、その上に長袖の厚手の上着を着込んでいる。それでも鼻の穴がムズムズするのは風邪の引きなおしか、それとも本格的な風邪症状なのであろうか。こんなことを浮かべて現在は、こころもとない寝起きの状態にある。
 この秋は飛んだわが身のつまずきに見舞われて、せっかくの好季節「冠の秋」を虚(むな)しくして日を沈めている。台風十八号は朝鮮半島に逸れたけれど、追っかけて桁外れに強い台風十九号が発生しているという。これまでの私は、気象予報士の伝える台風情報には無頓着に過ぎてきた。ところが、台風十五号の直撃を食らい家屋が被災し、この先多額の修理費出費を余儀なくすることになる。そのため、これまでと違って現在の私は、いまだはるかに遠い台風情報に早や戦々恐々の状態にある。運悪く再び台風十九号に遭遇すれば、「一難去ってまた一難」「泣き面に蜂」そして「弱り目に祟り目」などという、「いろはかるた」の読み札の実体験をこうむることとなる。
 去年の今頃を顧みれば私は、冠の秋の中でも特に実りの秋を満喫していた。具体的には妻と協働して、飽きることなく何度も「栗団子」作りに勤しんでいた。そのほかにも、買い物へ出かければそのたびに、買い溜めの山に気を咎(とが)めることなく、さらに大好きな果物を所定の籠に入れていた。ところがこの秋は、こんな光景は様変わりをこうむっている。もちろんそれは、わが気分の落ち込みのせいと、合わせて妻の留守がちのせいである。
 毎年、行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市大船)の売り場には、すでに栗をはじめ実りの秋の農産物が堆(うずたか)く積まれている。ところがこの秋の私はこれまで、去年のようにのほほんと買いまくる気分になれずに、せっかくの実りの秋を棒に振っている。確かに、わが気分の回復は、冠の秋の堪能の復活こそ、効果覿面の処方箋と言えるものがある。そのため、妻の留守中にあってのきょうの買い物には、先ずは栗を買って「茹で栗」で気分直しをはかるつもりでいる。
 台風は自然界のもたらす悪の権化(ごんげ)である。一方、実りの秋を筆頭にさまざまな冠の秋は、自然界あっての恩恵である。「人間(じんかん)、万事塞翁(さいおう)が馬」。だから、泣きべそばかりをかいていては、確かに冠の秋がもったいない。かなり出遅れているけれど、実りの秋に味を占めて気分直しをはかる心づもりでいる。
 手っ取り早いのは、皮を剥けば頬張れる温州蜜柑である。売り場には、ふるさと・熊本産の柑橘類が山を成して並んでいる。冠の秋にふるさと慕情を重ねて、私は気分直しを願っている。台風十五号は、台風銀座とも言われる熊本、すなわちわがふるさと時代にさえ体験しないほどの猛威だったのである。

迷い文 

 「天網恢恢疎(てんもうかいかいそ)にして漏らさず」。こんな成句が浮かんでいる。復習のため、電子辞書を開いた。「天が悪人を捕えるために張りめぐらした網は広大で、その網の目も粗いが、決して悪人を取り逃すことはない。悪事には必ず天罰が下ることをいう」。
 柄にでもなく浮かんだのは、関西電力にからむ贈収賄事件のせいであろうか。さらには、「公序良俗」という四字熟語を浮かべている。こちらは電子辞書を開くまでもなくだれもが知る、人の営む社会生活を律する規範(ルール)である。
 これが浮かんだのは、現在行われているラグビーのW杯(ワールドカップ)のせいかもしれない。言うなれば、物事におけるルールの大切さである。ラグビーにかぎらず数多のスポーツは、所定のルール(競技規則)にのっとり勝敗が競われる。そして、ルール違反を見定める(判定)のは審判(員)である。大相撲では審判(員)とは言わないけれど、軍配を上げて勝ち負けを決める行司がいる。スポーツには、その競技に付随するルールがある。それゆえに、ルール違反を見定める審判(員)がいてこそ、公正に楽しめるものである。この先のことはわからないけれど、現在の審判(員)は人の目頼りである。おのずから、審判(員)の判定には誤審がつきものである。すると、このところさまざまなスポーツにおいては、誤審を恐れてカメラの目にすがる映像判定が導入されつつある。卑近なところでは、プロ野球にも映像判定が導入されている。それによると驚くなかれ! 審判(員)の誤審の多さが目立っている。だから、これまではこんなにも誤審があったのか! と、私はそのたびに唖然としている。
 先に私は、この先のことはわからないと書いた。ところが、実際のところこの先には審判員や映像判定を補って、あるいは変えてAI(人工知能)判定の導入が取り沙汰されている。確かに、スポーツにおける誤審は、試合の興味を著しく殺ぐところがある。すなわち、ルールにのっとり公正な判定こそ、スポーツ観戦の醍醐味である。一方、社会生活のルールすなわち公序良俗に背いた犯罪や悪徳の裁きには、文字どおり裁判所が設けられて裁判官(判事)が存在する。こちらもやはり、人の目の裁きである。すると、こちらも誤判は免れないであろう。そのため、裁判においてもAI(人工知能)の導入が必至となろう。行司および審判(員)そして裁判官、すなわち人の目がAI(人工知能)に脅かされる時代の到来である。
 確かに判定は、公明正大であってこそ、頼れて信頼がおけるものである。だから、必定(ひつじょう)AI(人工知能)の導入にはやぶさかではない。しかし一方で、人間の存在価値が減殺(げんさい)することにでもなれば、気が揉めるところはある。当たるも八卦当たらぬも八卦、老い先短いわが老婆心である。いくら探しても明るい話題が浮かばないので、しかたなく出まかせにこんな駄文を綴る羽目になったのである。ほとほと、なさけない。

棚ぼたの「明るい話題」 

 晩秋の田んぼの中の落ち穂拾いのように、身の回りの明るい話題を見つけて、日々書こうと努めている。ところが一向にわが願いは叶わず、愚痴こぼしの暗いことばかりを書き続けている。だから、なさけなくもこのことは、わがつらいことの筆頭に位置している。
 台風十五号への被災や娘の罹病のなどで、心中穏やかでない最中にあって、先日はとうとう耳鼻咽喉科へ出向いた。初めて外来に訪れたのは、「大船中央病院」(鎌倉市)の耳鼻咽喉科である。待合室の長椅子に腰かけて受付のカウンターを眺めていると、耳鼻咽喉科という漢字表記の下には、EAR,NOSE、&THROTLOGYと書かれていた。カウンターは耳鼻咽喉科に加えて、皮膚科、泌尿器科の受付を兼ねていた。そして、二人の女性スタッフが忙しなく事務処理をされていた。もちろん、ほかいずれの漢字にもその下に、英字が併記されていた。私は英字を憶えようと何度も心中で復唱した。しかし凡愚の私は、耳鼻咽喉科をを除いて憶えきれなかった。このため今、電子辞書を開いた。すると、皮膚科:DERMATOLOGY、そして泌尿器科:UROLOGYとある。ちなみに泌尿器科のURO(ウロ)では、現役時代の会社の製品に「ウロサイダル」(エーザイ)というものがあり、やけに懐かしさが込み上げていた。あとは、三つの接尾語共に、LOGY(ロジイ)が付くのだな、と学んだことくらいである。
 午前中には検査室に入り、聴覚検査が行われた。検査結果を基に午後の診察開始時間(二時より)にあって、耳鼻咽喉科の診察室へ出向いたのである。初めて診察を受ける老医師の対応は、きわめて優しかった。
「聞こえてませんね。先ずは、耳垢を取りましょう。大きいのがありましたよ」
「そうですか。すみません。七十九年の耳垢ですね。身体障害者になりますでしょうか? なれば障害者手帳をもらえますよね」
 検査データが記された紙きれををわが手元に示して、
「この程度では障害者にはなれません」
「そうですか。補聴器を買ったほうがいいでしょうか」
「それは買ったほうがいいでしょう」
「今は高価な補聴器には手が出ず、安価な集音機を買って嵌めています」
「聞こえますか?」
「値段の割には聞こえています」
「それなら、それでいいでしょう」
「ありがとうございます」
 五分程度の診察を終えて、私は丁寧にお礼の言葉を添えた。
 成り行き文の特徴は、構えることなく出まかせに何でも書いていいことである。まさしく、成り行き文を書いてしまった。だから、罪滅ぼしに飛びっきりの明かるい、かつうれしいことを書き添えると、こうである。
 今シーズンのプロ野球は、すでにセ・パ両リーグ共に公式戦の全試合を終えている。こののちは日本シリーズを見据えて、その前哨戦のクライマックスゲームがきょう(十月五日・土曜日)から始まることとなる。わが贔屓とする阪神タイガースは、最終戦に向かう戦いでよもやの六連勝を成し遂げたのである。そのため、三位でクライマックスゲームの権利を得た。クライマックスゲームの初戦は、きょう二位の横浜DENAベイスターズと戦う(横浜球場)ことになっている。私は六連勝の中で特に終盤の二戦は、固唾をのんでテレビ観戦を続けていた。
 ところがそんなおり、固定電話のベルが鳴った。訃報のふるさと電話かな? と思いながら、恐るおそる受話器を難聴の耳に当てた。すると受話器のお声は、渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)だった。
 「ひぐらしの記」には、渡部さんはことあるたびにご紹介済みである。あらためて短くご紹介すれば、会社同期入社の親しいお仲間である。
「前田君、阪神がんばっているね。君が喜んでいると思って、電話したよ」
「そうですか。ありがとうございます。今、テレビで観ています」
 バカな私はみずからの興奮にかまけて、このとき言いそびれたことがある。それはこの言葉である。「埼玉西武ライオンズ(本拠地:埼玉県所沢市)は、早々と優勝を決めましたね。おめでとうございます」。
 タイミングを逸したけれど私は、渡部さんに「公式戦の優勝だけでなく、この先の日本シリーズの優勝も願っています」、と付け加えなければならない。さらには、「茨城国体における母校・海星高校(長崎県代表校)の戦いぶりは見事ですね。応援しています」とも添えなければ罰が当たる。
 タイガースの戦いぶりを凌いで、渡部さんからのお電話は、唯一探し求めていた明るい話題だったのである。

指の悪戯 

 やはり、現在試みている「ひぐらしの記」の再始動は、なさけなくもおぼつかない。どちらかと言えばこれまでは、他人事と思えていた台風情報に、このところはすっかり怯えている。「百聞は一見に如かず」。確かに、台風被災を体験してみると、よくもわるくも台風知識を深める証しとなっている。
 人生晩年になって、実際にはありがたくない知識を深めるのは、やはりとことんなさけない。わが積年の甲斐性無しのゆえとはいえ、まさしくわが身は苦悶に打ちのめされている。愚痴こぼしは自ら戒めるところである。しかし、やはり書けば愚痴こぼしから逃れることはできない。わが生来の哀しい性(さが)である。
 目覚めても、「もう書けない、もう書きたくない!」という、焼けのやんパチ気分で長く寝床に寝そべっていた。それに飽きて、仕方なく起き出してきた。習性とはありがたいものなのか、それとも恐ろしいものなのか、パソコンを起ち上げた。すると、ばかじゃなかろか! こんな文章を書き始めている。実際のところは案外、指の運動に託し心の癒しを求めているのかもしれない。そうであればもっとましな文章を書いて、本格的に心の癒しにありつければいいものだが、それは夢まぼろしである。
 台風十五号による家屋被災の後処理は、今なおまったく手つかずのままである。それなのに、台風十八号接近の予報が追い打ちをかけてきた。まさしく、「弱り目に祟り目」である。ところが台風十八号は幸運にも直撃を免れて、どこかへ軌道を逸らしたようである。今までであれば、これでほっと心落ち着くところである。しかしながら、被災体験後のわが心境は、様変わりしている。なぜなら、みずからは逃れたとしても、どこかの地域のどなたかは台風被害に遭われることになる。このことをかんがみれば、みずからは免れたと言って、のほほんと両手でパチパチと叩くことはできない。少なくとも、「同病、相憐れむ」の心境くらいは、たずさえなければならないのである。
 休養に代え十分間ほど書き殴りした文章は閉じて、寝床へのとんぼ返りを決め込んだ。しかし、再び寝床に横たわっても、もちろん心の安らぎは望めそうにない。十月四日(金曜日)、騒がしい風の音はまったくない雨の夜明けである。しかし、オチオチとしてはおれない。だれかが台風十八号に怯えて、とんでもない難儀をこうむっているはずである。だから、心中に「くわばら、くわばら…」と、唱えている。
 指の悪戯(いたずら)で、書くまでもないことを書いてしまった。ほとほとなさけない! 甲斐性無しのわが身である。

月下美人、開花ドキュメント  

 【月下美人の開花ドキュメントつづき】:「ただいま夜十一時二十二分である。眠い目をこすりながら、パソコンに向かっている。窓を開けて、夜の闇にたたずむ月下美人の花をカメラにおさめた。カメラは盛んにフラッシュをたけと催促するが、フラッシュはたかずに室内の蛍光灯の明かりに照らして撮った。満開の花は真夜中だろう。さすがに眠くて起きていられないのでこの辺で諦めることにした」。(ご投稿者:大沢さま:ご投稿日:2019年10月2日(水)23時28分25秒)。
 日を替えて現在、パソコン上の時刻は未明と言うよりいまだ真夜中に近い、2:37である。月下美人の満開は、眠たい大沢さまの目覚めを待つのであろうか。わが寝起きの気分が揉めるところである。何事にも用意周到な大沢さまは、枕元にカメラを置いてスヤスヤならぬ、気もそぞろにおやすみ中なのであろう。夜中起きの私が替わってやりたくてもやれないのは、はなはだ残念至極である。目覚まし時計のように、月下美人の満開どきを知らせるブザー装置はないものであろうか。科学万能の世の中にあって、なんだかもどかしい現在のわが気分である。しかし、「月下美人の開花ドキュメント」も大沢さまの目覚めを待って、夜明け頃には大団円を迎えるであろう。
 きのうの私は、「満を持して、素敵な開花光景を見せてあげたい」という、月下美人の粋な計らいを早とちりした文章を書いてしまった。このことでは、一日遅れの開花光景がこの文章に添付されるかもしれない。それを願って、この文章は結びとする。そしてこののちは、大沢さまの月下美人開花にまつわるご投稿文と写真にページを譲ることとする。もちろんわが身勝手ではなく、読者各位様にたいするわが飛びっきりの粋な計らいである。

月下美人、花開く 

 十月二日(水曜日)、現在の時刻はパソコン上には1:30と印されている。秋の夜長の始まりにあっては、真夜中と言えるであろう。次の引用文は、このところ掲示板上で盛んにご投稿にあずかっている大沢さまの文章の一部である。【開花に向かってスタートラインに立つ】:いよいよ月下美人のドラマがクライマックスにむかっている。細く長い首を曲げて、開花に向かって強い意思表示を始めた。「いよいよですよ」と呼びかけているような期待を持たせるいつもの仕草である。まるで「ひぐらしの記」の本番に向かう今朝の前田さんを思わせるようだ。月下美人の次の開花も準備されている。
 このご投稿文の掲載時刻はきのうすなわち、2019年10月 1日(火)08時31分33秒と打刻されている。この文章に至るまでには写真をまじえて、日々長い文章のご投稿にあずかってきた。もちろんその主題は、月下美人の開花どきを見つめられる大沢さまの優しい眼差しだった。優しい眼差しとは言い換えれば、ずばり月下美人の開花をネタにした読者サービスである。いや、実際のところはわが傷心を癒すことに腐心された、私だけがさずかるお心配りだった。もちろんわが傷心は、大沢さまのお心配りに背かず癒され続けてきた。だからこの文章に託し、あらためてお礼をしたためるものである。
 さて、きょうには「月下美人のドラマがクライマックス」の結末が美麗な写真付きで、ご投稿にあずかるかもしれない。言うなればそれは、大沢さまの優しさの決定版である。先に引用したご投稿文には、月下美人の開花どきを見据えて息をのむ瞬間を汚すかのように、こんな文章が挟まれていた。それは、「まるで『ひぐらしの記』の本番に向かう今朝の前田さんを思わせるようだ」。過ぎた九月中の私は、傷心に因り「ひぐらしの記」の継続の頓挫を余儀なくこうむっていたのである。そしてようやくここ三日は、ひぐらしの記の再始動を願いあえて助走文と銘打って、どうにかこうにか文章を連ねたのである。大沢さまの表現をお借りすれば、「ひぐらしの記の本番に向かう今朝の前田さん」ということになる。もちろん文章の出来は、たとえ本番にたどり着いたとしても、助走文とまったく変わるところはない。しかしながら気分的には大違いである。
 確かに、すぐ前の九月を顧みればわが日常生活は暗転した。そのためわが心には、唯一生き甲斐と念ずるひぐらしの記の執筆さえ頓挫するほどに傷がついた。そして、生来の意志薄弱に輪をかけてわが精神力は惰弱(だじゃく)になり、おのずから私は心の傷に耐えることができなかった。心の傷をもたらしたのは台風十五号への被災をはじめとして、さまざまな悪の現象だった。総括すればわが積年の「わが甲斐性無し」の祟りが一挙に現出したのである。このため総じて私は、現在およびこの先の生活不安に慄(おのの)き、怯(おび)えをこうむり続けていた。もとより、わが精神には自虐(じぎゃく)の悪癖がある。自虐とは、文字どおりみずからわが身を虐(いじ)めることである。もちろん、虐めなくてはおれないほどに、わが甲斐性無しの証しが次から次へと、表出したのである。台風十五号への被災も、省みればボロ家をほったらかしにしていたわが甲斐性無しの痛恨の証しだったのである。
 傷心をきわめていた九月中の私は、ひぐらしの記の頓挫のみならず、卓球クラブの練習への参加、さらには日課とする道路の掃除も沙汰止みしていた。これらがとどこおればもはや、身体頑健、気(精神)の病の状態である。もちろんこの先に向かって、いずれもほったらかしにはできない。そのためひぐらしの記は、再始動へ向かって助走を試みたのである。そしてきょうは、卓球クラブの練習の再開へ向かうつもりである。道路の掃除も、再開の時を迎えている。わが日常生活の三種の神器、すなわちこれらの本番の再開にはいまだにこころもとないところがある。しかしいずれも、そろそろ再開の狼煙(のろし)だけは上げなければならない。
 しかしながら実際には、いまだに傷心を治しきれないままである。その大きな要因は、娘の病と台風十五号の被災の後処理がいまだ手つかずのせいである。そのほかあれもこれも、わが甲斐性無しの祟りのせいである。だから、この先も傷心の完治はおぼつかない。現下、わが傷心を癒してくれているのは、月下美人の開花を待つ気分である。このことではおそらく、大沢さまの気分をはるかに凌いでいる。ご投稿写真で見る月下美人は、まるで白無垢姿の花嫁に魅入るような、凛としてかつ清々しい一本立ちのたたずまいである。開花のご投稿写真はありがたくも、きょうの掲示板上で観れるはずである。
 ひぐらしの記の文章は、本番および助走ともにまったく変わり映えしない。しかし、気持ちの上ではそろそろ本番のつもりでいる。月下美人はきのう開いて、きょうの掲示板上のご投稿写真で眺められそうである。するとわが傷心は、一気に和み癒されるであろう。月下美人の開花は三種の神器の本番再開に向けて、なにものにも代えがたい強い味方である。魅せる白身(はくしん)の月下美人を堪能できる朝の訪れである。

助走文、またまたまた……

 文章を書くことには、避けて通れない三つの現象が付随する。そして、これらの覚悟がなければ文章は書けない。一つは「文は人なり」である。すなわち、どうつくろっても文章には、書き手の人となりがさらけ出されてくる。一つは「文は孤独」である。すなわち、語彙(言葉と文字)を浮かべては並べて文意を紡ぎ、独り相撲さながらにひたすら書き続ける作業である。書き終えた文章には、人様のさしたる反応もない。いや多くは、ケチや非難囂囂(ひなんごうごう)をこうむる羽目ともなる。一つは「文は身の恥晒し」である。すなわち、身の恥晒しを恐れていては、文章はまったく書けない。わが身にあてはめれば、身の恥晒しや愚痴こぼしを恐れていてはまったく書けない。
 「ひぐらしの記」の再始動の助走中にあって、なぜかこんなことを復唱したくなっている。しかし、これらのことを悟り切ってはいても、実際に書けなくなるのは、こんなときである。すなわち、文章は心象風景をあやつりながら紡ぐものだから、心に傷がついた状態では書けない。過ぎた九月にあってわが心には、点々と傷がついた。生来、わが心はきわめて弱虫である。それに輪をかけて九月には、心に多くの傷がついたのである。おのずから九月には、文章が書けずじまいになった。
 具体的には秋彼岸を心に留めることもなく、さらに文章を書くには一年中で最も好季節を棒に振ったのである。実際にも、彼岸花を探し、眺める心の余裕など、まったく失くしていた。それどころか、唯一の生き甲斐と自認する「ひぐらしの記」の執筆さえも、もはや潮時と決め込んでいたのである。そして現在は、いまだに治りきらない心の傷に一時しのぎのバンドエイドを貼り付け、ひぐらしの記の再始動を願って、助走文をしたためているところである。
 きょうは九月から月が替わって、十月一日(火曜日)である。国の舵取りではきょうから、消費税がこれまでの八パーセントに、新たに二パーセントが付加されて、十パーセントの課税となる。国の財政破綻を危ぶむ施策であれば、もちろん増税に逡巡や躊躇は許されない。しかしながら増税の使い道には、いくらか杞憂するところがある。それはせっかくの増税分が、安倍総理の外国訪問のおりのお手盛りの手土産に化けて消えることである。
 いささか我田引水になるけれど、願うところは心の傷の特効薬を生み出す財源にしてほしいところである。恥を晒すことにはやぶさかではないけれど、やはり心に傷があっては文章が書けない。体の傷はほうっておいても日数が治してくれる。しかし心の傷は、そんじょそこらの手当てではなかなか治りにくいものである。現在の私は、からだ健康、こころ病、の状態にある。文尾に至るまで恥を晒したけれど、恥晒しを愚痴こぼし恐れていては、まったく文章は書けない。ただ、恥晒しや愚痴こぼしがひょんなことで生きるエネルギーとなれば、案外、勿怪(もっけ)の幸いである。 

再び…… 

 わが愚痴こぼしの元凶はさまざまにあって、だから一つずつ挙げればきりがない。もちろん私は、戯れに愚痴探しをしているわけではない。実際のところは身を焦がし、愚痴こぼしの元凶から逃れることに絶え間なく意をそそいでいる。なぜなら愚痴こぼしの元凶は、わが心身を苦痛に陥れて、不治の精神障害を招く恐れともなる。だから、それを避けるために私は、意図して明るい話題探しに思念を傾けている。しかしながらわが現実の日常生活にあっては、まるで雨後の筍のごとくに次から次へと、愚痴こぼしの根が張ってくる。ところがそれらは、人間の日常の営みにおいてはわれのみならずだれしもにも、避けて通れないものでもある。
 確かに、人間にまつわる共通の業(ごう)と言えるのかもしれない。そうであればその解決策を人様にすがることは、もとより的外れの愚の骨頂であろう。つまりは、みずからを鼓舞し克己するよりほかに便法はない。すなわち、愚痴こぼしにまみれるのは、わが意志の薄弱と克己心の脆弱(ぜいじゃく)のせいと言えそうである。言うなれば愚痴こぼしは、わが生来の「身から出た錆」である。
 こんなどうでもいいことをきのうに続いて繰り返し書いて、私は「ひぐらしの記」の再始動の助走を試みている。しかし、危なっかしい再始動の試みが日の目を見るかどうかは、まったくこころもとないところである。
 突然、心の停電を食らった厄月の最終日(九月三十日・月曜日)が訪れている。ふるさと電話のベルが鳴った。受話器の文字盤には、長兄(九十二歳)の名が表れていた。「こっちはみんな元気じゃもんね。だから、心配せんちゃ、ええよ。そっちは国分寺(二兄・八十九歳)や、おまえたちもみんな、元気じゃろだいね。何もないだろうね?…」
 「はい、みんな元気。何もないよ!」と、嘘を吐く言葉が切ない。娘が難しい病にとりつかれて妻は駆けつけ、わが独り暮らしがほぼ一週間続いている。実の無い文章をしたためながら、ひぐらしの記の再始動の助走を試みている。そして、助走を試みながら心の賦活を願っている。しかし、潮時の明かりが点滅している。やはり、書けば愚痴こぼしとなる。あしたはあしたの風が吹く、と言い切れないわが心の弱さが恨めしい……。

 現在の私

 現在の私は、ハートエイク(心痛)とハートブレイク(悲観)の状態にある。すなわち、心根が折れた状態にある。実際のところは、わが甲斐性無しの祟りに脅かされている。もっと具体的には、現在およびこの先の生活不安に怯えている。継続だけが取り柄の「ひぐらしの記」は、台風十五号による家屋の被災により突然頓挫した。物的被害と同時に、私は書き続ける気力を喪失したのである。そのため、掲示板上にこう書いた。「後処理は、これからです。後処理のめどが立つまで、気分すぐれず休みます。」
 このとき以来、すでにかなりの日にちが経っている。そして、この文章をしたためている。しかし、後処理のめどが立ったわけではない。この間、人様からたまわったご心配にたいし、梨の礫を続けることに耐えられなくなっているからである。
 肝心要の後処理は、日にちを無駄にして、いっこうに前へ進まないままである。常套句を用いれば、まったく埒明かずである。このため、日にちが気分を癒すどころか、実際には憂鬱気分は日を追っていや増すばかりである。
 心根が折れ、心象が壊れた私は、ひぐらしの記の再始動をほうむっていた。なぜなら、無理やり再始動を試みればこの先の全編にわたり、愚痴こぼしまみれとなりそうだからである。それを恐れて、三十六計逃げるが勝ちとばかりに、潮時と決めていたのである。
 生来、私は小心につきまとわれている。その証しに今回、わが小心の性質がもろに出たのである。なさけなくも、わが小心の悔いである。再始動、思案投げ首の中にあって、キーを叩いてみた。やはり、愚痴こぼしである。

 将来と未来、そして現在

 将来と未来は、時の区分を表す同義語である。実際のところは、過去、現在の時の流れの延長線上にあって、先々の時を表す言葉である。将来と未来の使い分けは人それぞれによるけれど、一般的には時の遠近を浮かべて用いられる。将来はみずからの生存中の時となるかもしれない。しかし、未来は生存中の時とはなり得ない、先々の果てしない時を表す。学問のない私がしかも寝起きがしらに考察したものであり、もちろん「当たるも八卦当たらぬも八卦」の当てずっぽうにすぎない。
 なぜこんな野暮なことが目覚めてすぐに、無意識に浮かんでいたのであろうか。自問せずにはおれない。するとたぶん、(自分にはもう、将来も未来もないないなあー…)という、思いが引き金となっていたのであろう。だから、嘆息交じりの焼けのやんパチ気分がもたらした、身も蓋もない考察だったのである。
 具体的には将来や未来という言葉のもたらす出来事は、よくもわるくももはや私には無縁である。よくもという一例は、先々の楽しみのことである。一方、わるくもという例は、借金まみれや少子高齢化社会、かつまた人口減の続く日本社会のことである。確かに、先々の楽しみを棒に振ることでは、悔しさと未練がつきまとうところである。一方、命尽きればその先々に訪れるであろう日本社会やわが身事情の難題の一切を免れることができる。比べれば後者のほうに、はるかに胸の透く思いがある。だとすれば命に限りがあるのは、至福をもたらす粋な天命なのかもしれない。
 将来と未来が無縁であればわが日常生活は、現在の事情に一喜一憂せざるを得ない。願うところは喜ぶべき出合いに恵まれて、憂える出来事に遭遇しないことである。ところが、日常生活にあってはそうは問屋が卸さない。確かに、喜ぶ出合いはごく少なく、多くは憂える出来事ばかりである。
 人のしでかす事故や災難は日常茶飯事に起きている。人為では防ぎようのない天変地異の鳴動は、これまた時と所を選ばずしょっちゅう起きている。これらを逃れ、かいくぐって、ようやく生き延びているのが現実である。「生老病死(しょうろうびょうし)」や「老少不定(ろうしょうふじょう)」は、抗(あらが)うことのできない命の定めでもある。芥子粒ほどの小さな喜びであっても喜びに出合うことは、もとから至難の業である。一方、憂える出来事に遭遇することは、赤子の手をねじるがごとくに間断なく訪れる。結局、人生行路は艱難辛苦の茨道である。
 関東地方にあっては今夕(九月八日・日曜日)から明朝にかけて、台風十五号が猛威を振るいそうである。将来や未来への生存はあり得ないから、確かに先々の憂いは免れる。しかし、現在の憂いは逃れることはできない。だから現在を生きる私は、日々小さな楽しみ探しに狂奔している。だけど、なかなか探せない。おのずから、焦っている。
 この季節、セミの抜け殻(空蝉)が道路に転がったり、木に張りついている。水分を失くして枯れた落ち葉も日に日に増えている。なさけないけれど、私はこれらの切なさを凝視してわが身を癒している。幸か不幸か、わが身の将来と未来を案ずることは免れている。実際には現在を案ずることで、手いっぱい、身いっぱいである。
 物思いの季節到来にあって、目先の秋の夜長が案じられるところである。なぜなら、やたらと物思いに耽けそうなのは、現在のさまざまな現実問題である。もはや、将来と未来の夢を浮かべることはできない。かなしくもまた、案外うれしいことかもしれない。わが身にたいする、慰めである。

父ちゃんの味 

 きのう(九月六日・金曜日)の「母ちゃんの味」では、いつもの書き殴りに加えて、だらだら文を長く書いてしまった。私自身がほとほと疲れたのだから、読んでくださった人の疲れは想像するに余りある。だから、疲れて途中で読むのを放り出された人がいれば救われる気分である。確かに、書き殴り文特有のしまりのない文章だった。あとの祭りながら、つくづくかたじけなく思うところである。
 きょう(九月七日・土曜日)、現在の私は、「父ちゃんの味」を書こうかなと思って、キーを叩き始めている。きのうは、母ちゃんの味を書いた。だから、後れても父ちゃんの味を書かないことには、母へだけの偏愛と思われれば父に済まなく、もちろんわが身がすたるからである。ところがわが記憶には、父ちゃんの味は一つもない。しかしこれは、わが記憶力の薄弱のせいではない。もちろん、わが記憶力は飛び抜けてはいない。しかし唯一、人並みを超えていると自負するところがある。自惚れることはできないけれど、ときには人様から「しいちゃんは、なんでんようおぼえているなあ…、頭の良さには、たまがる、たまがる!」と、言われてきた。たまがるとは、驚くというふるさと言葉である。
 人様と他人風に書いたけれど、実際のところは身内の中でもいちばん近しい、亡きフクミ義姉さんの言葉である。だから、自惚れることはできないけれど、何度聞いたことであろう。そのたびにわが凡愚の脳髄は喜び、私はフクミ姉さんを大好きになった。いや、私だけではなく、ふるさとを離れて東京に住む三人の兄たちも常々、異口同音にこう言っていた。「おれは、フクミ姉さんがいるから、姉さんに逢いたいから、ふるさとへ行きたいだけじゃもんね。国内や海外旅行など、いっちょん行こうとは思わんよ。閑と時間があればふるさと帰りがいちばんだね!」。
 わがふるさと帰りのおりに、このことを長兄に話すと、こう言葉が返った。
「みんなは、おれに会いに帰ってくるのじゃなかつかねー…、ちょっと寂しかたいね。ばってん、うれしかたいね…」
 兄は、うれしさを露わにして相好を崩した。
 書き殴りの悪癖で脱線した。このため、父ちゃんの味の軌道に戻るけれど、実際のところ父ちゃんの味は、まったく記憶にない。それもそのはず当時の私は、土間の炊事場(当時のわが家の電灯の明かりの暗い台所)に立って、包丁をふるう父の姿は、たったの一度も見ていない。父は、食べ物作りはもっぱら母に任せきりだったのである。実際には父は、年に数回は出刃包丁を握っていた。それは縁の下に飼っていたニワトリの首を絞め殺し、お客様の接待に心を尽くしていたおりである。
 ニワトリ御飯は、当時のわが家のお客様にたいする最上のおもてなしだった。父は村人たちと「山の委員」を成して、ときにはその寄り合いがもたれていた。すると、わが家で行われた会合の後の宴会料理は、決まって父が発意して母の心づくしのニワトリ御飯だった。そのときの残飯は、わが胃袋をこよなく潤した。
 山の委員会の寄り合いのみならず、わが家を訪れるお客様へのおもてなしには、ニワトリ御飯がふるまわれていた。言うなれば時々のニワトリ御飯は、お客様にたいするわが家の至上のおもてなしだったのである。そのとき、わが肉を奉じて文字どおり犠牲を強いられたのは、そのために縁の下に飼われていたニワトリたちだった。確かに当時の私は、ニワトリ御飯の残飯の美味しさに、ウルウル気分で味を占めていた。しかしながら今振り返れば、ニワトリの命に切なさをおぼえている。
 ニワトリ御飯のおりの父は、出刃包丁を片手に、獅子奮迅の活躍ぶりだった。父はニワトリのからだを捌(さば)く途中で、みずから小皿に生醤油を垂らし、「しずよし。ここのところがいちばん旨いんだよ。食え、食え!」と言って、「ささ身」を置いた。口に入れると、たちまち夢心地のする美味しさだった。父が肉を捌いたあとの料理人は、決まって母だった。だから、ニワトリ御飯もまた懐かしさと美味しさつのる「母ちゃんの味」だった。結局、食べ物における「父ちゃんの味」は、まったく無縁だった。
 これでは、食べ物における父ちゃんの味がわが記憶に残るはずはない。それでも、父ちゃんの味と思えて記憶に残るのは、常々の私にたいする優しい眼差しである。子どもの頃からおとなになってまで、私はたったの一度だって父から小言を食らったり、叱られたりした記憶はない。これに応えて私には、世間では通り相場でもあるような、父親にたいする恨みつらみの心はまったくない。結局、わが父ちゃんの味は、食べ物からもたらされたものは一つもない。これまた身内褒めにすぎないけれど、わが「父ちゃんの味」は、広大な海の香りさえ超えて、父が醸していた人間性の芳醇な風味である。
 私は父の年齢五十六歳時の誕生であり、かつ末(うら)生りの十三番目の子どもである。そのため、私にたいする父の愛情は、子どもと孫にたいする愛情の二重(ふたが)ねだったのかもしれない。いや、多くの兄姉たちもまた、母にたいし勝るとも劣らず、父を慕い続けていた。
 「母ちゃんの味」に続いて、憚(はばか)ることなく「父ちゃんの味」を書いて、わが気分は和んでさわやかである。

母ちゃんの味

 「ひぐらしの記」は現在、十三年目の継続中にある。文章は随筆集と銘打っている。しかしながら実際は、ひぐらしの記という命名をさずかり、私は書き易い私日記風に甘んじている。自分自身、これには嘘っぱちに思えて、恥じ入るところがある。しかし、私日記風に書くことで構えるところなく、かつ書き殴りが許されて継続にあずかっている。書き殴りが許されて! と、書くことはもちろん身勝手な誤りである。実際のところはわが無能力から生じる自分自身にたいする甘えであり、日々悔いが尽きることはない。
 ひぐらしの記の読者は、ほぼ限られた友人や知人である。すなわち、これらの人たちの支えが継続の主因を成している。寝ても覚めても、感謝の思い絶えることのない人様のご好意である。再び記すとひぐらしの記は、ご常連の人たちのご好意と支えにすがり、継続が叶っているにすぎない。このことかからすればもちろん自力本願ではなく、人様すなわち他力本願のおかげである。
 確かに、人様のおかげでひぐらしの記自体の継続は叶っている。文章自体は日替わりメニューである。実際のところはテーマを浮かべて心を砕(くだ)くことなく、ひたすら書き殴りの成り行き文である。それでも私には、まったく叶えられそうにない淡い願望がある。願望とはこうである。ご常連の人たちのほか、突然ブログ上でひぐらしの記に出遭い、一回きりで読まれる人がいるかもしれない。あるいは時々、または文章自体を飛び飛びで読まれる人がいるかもしれない。だから私は時々の文章に合わせて、過去に記したことを繰り返し書き添えている。もちろん、ご常連にさずかる人たちからみれば、またか、馬鹿じゃねぇのか! と、嘲笑や失笑を買うところである。前置きを長々と書いた。
 さてこの文章に合わせて、わが生い立ちの一部を繰り返し記すとこうである。わが生誕の地は、当時の行政名では熊本県鹿本郡内田村である。ちなみに現在は、熊本県山鹿市菊鹿町である。懐かしくわが心中にあって常に離れないことでは、内田地区「田中井手」集落である。ふるさとには生家あるときは実家などの呼び名が存在する。しかし、しっくりくることでは「田中井手」がイの一番である。ところが、当時でも近隣わずかに四軒を成しているにすぎなかった。そして今では実家と、九十三、四歳あたりの一人住まいの隣家二軒にすぎない。
 わが誕生年は、令和にあってははるかかなたの昭和十五年(一九四〇年)である。生誕時の父の年齢は五十六歳で、母は三十七歳であった。父は病没した異母に六人、そして後継のわが母に八人の子どもを成した。いわゆるわがきょうだいで私は、ブービーの十三番目の誕生である。しんがりに生まれた唯一の弟はわが子守中の不手際で、生業の水車の水路に落ちて、可惜(あたら)赤ちゃん・十一か月の命を絶った。わが生涯の心の傷痕であり痛恨事である。
 わが家の生業は、水車の回る精米業と農家を二分していた。太平洋戦争終戦(敗戦)にかかわる玉音放送(昭和二十年・一九二〇年八月十五日)が流れたときのわが年齢は、五歳と一か月だった。私は太平洋戦争(昭和四十一年・一九四一年十二月八日)の戦時下にあって、幼児、幼年時代を過ごしている。もちろん、戦時下にまつわる記憶は、警戒警報、空襲警報、防空頭巾、防空壕などにほぼ尽きる。
 わが家は、今も流れている「内田川」の狭隘な河川敷を挟んで建っていた。言うなれば川岸の建屋である。内田川から分水を引き込んだ水路には、鉄製の大きな輪っかの水車が轟音を立て回っていた。玄関口から母屋の土間にかけては、所狭しに精米や製粉機械などが据えられていた。もちろんこれは、不手際を犯したために戦時の記憶以外にもたらされた悲しい記憶である。物心がついたのちのわが家の有りようでもある。これに書き添えれば精米業特有のせいで、住居部分はもちろんのこと母屋全体には、他所(よそ)には見られない粉塵がしょっちゅう舞っていた。生業のしでかすことだから耐えるより仕方がないことだったけれど、それでも家人は、粉塵には常日頃手を焼いていた。
 首回りから汗拭きの手ぬぐいを垂らし、前掛けモンペで家じゅうを始終小走りする母の姿は、幼い目にも哀れと痛々しさを感じていた。母は大家族の家事に加えて、精米業の内的仕事を一手に受け持っていたのである。これまた物心がつき始めて最初に、幼心(おさなごころ)に記憶を成した光景である。
 私は昭和二十二年(一九四七年)四月初めの桜の花散りかけの頃、母に連れられて内田小学校一年生に就学した。そしてこの先の六年間は、わが児童時代なる。小学校を終えると、校地を同じくする内田中学校に入学した。生徒時代の三年間の始まりである。生徒時代の次の三年間は、入試の合格を経て自転車通学で、町中にある熊本県立鹿本高校で学んだ。母校は校地と校舎を替えて、今なお存在する。高校を終えると私は、ふるさとを巣立ち上京した(昭和三十四年・一九五九年)。ここまで、すなわち生まれてこの間の十八年は、わがふるさと時代である。今顧みれば、短いふるさと時代である。なぜなら、勤務していた会社の定年(六十歳)後より、一年短い歳月である。ところが、わが人生によみがえる記憶は、ふるさと時代に凝縮しかつ大きな山を成している。
 児童時代の私は、学校から帰ると汗まみれの母を助けるため、日々家事手伝いに勤しんだ。主なことでは、埃まみれの「ごんぜん」(住まい部分の座敷や板張り)の掃き掃除と拭き掃除を日課にした。さらには五右衛門風呂への水汲み、竹の火熾しをフーフーと吹いて、風呂沸かしも日課に加えていた。ときには里山へ入り杉の葉拾いや、竈(かまど)や風呂沸かし用の「焚きもん(物)取り」にも出かけた。馬やのちの牛の飼い葉桶の手伝いもした。そのほか、母の家事周りの細々(こまごま)の手伝いもした。もちろん、「しずよし。たまには手伝ってくれや!」などと、言われることのない実践躬行(じっせんきゅうこう)だった。ところがこの家事手伝いは、後年いや現在、佳い思い出とともにわが日常生活にかぎりなく役立っている。
 わがふるさと時代とりわけ児童時代は、日本の国を上げての戦後の復興期に当たっていた。具体的には物不足、中でも日本国民の多くは、日常の食べ物に窮していた時代であった。ところが、精米業と農家の生業のおかげで、そんな苦しい記憶はまったくない。かてて加えて、異母を含めて兄姉たちはみな優しく、そしてすでに年老いていた父は、子どもと孫に重ねるごとくに飛びっきり優しかった。すなわち、わがふるさと時代は、戦後の苦境など爪の垢ほども知らないままに、楽しくのどかに過ごしていた。今なお食べ物は、当時味を占めていた母ちゃんの味の流れで十分である。調味料は生醤油だけで十分である。キュウリは味噌汚し(味噌和え)、ナスはナス焼きに花かつお、そしてトマトは生齧りである。幸か不幸か食べ慣れていないせいか私は、高級和食、西洋および中華、そのほかはやりのあまたの異国料理はまったく用無しでいい。もっぱら自給自足にあずかり、きんぴらごぼう、こんにゃくの醤油煮、椎茸、ほうれんそう、納豆などが大好きである。
 ふるさと時代の私は、母ちゃんの手作りばかりを食べて、身体剛健に七十九歳まで生き延びている。食べ物には摩訶不思議なところがあり、作り手の愛情がほとばしれば食材の旨さはいや増してくる。母の手作りとなれば、いずれも芸術品である。母ちゃんの味をおふくろの味と呼べば他人行儀で、母の面影はかすんで遠くなる。

 実りの秋到来、五官そろい踏み

 夏は早く過ぎた。大沢さまからたまわったメールの表現を借りれば、「生煮えの夏」である。秋が早くきた。メールの表現を真似れば、「早や煮えの秋」である。実際には地球温暖化傾向とか異常気象を浮かべれば、いくらかぞっとする気象の異変と言えそうである。やはり四季のめぐりは、長く慣れ親しんできた五官どおりであってこそ、気分は休まるところがある。何事においても異変は、真っ平御免こうむりたいものである。
 確かに、じりじりする暑さに辟易し、体じゅうに汗が吹き出し、恨めしく夏空を眺めてこそ、「夏の旬」と言えそうである。この夏も、そういう日が何日かはあった。何日とは限られた表現である。具体的には、そんな日がごく少なかった。表現を変えれば、この夏は短く過ぎた。メール文にはこう記されていた。「秋めいてきましたが夏らしい心地を味わわないままのような気がして、生煮えのような気がしています。」確かに、共感をおぼえる的確な表現である。
 人体に具(そな)わっている五官は、季節めぐりを露わにする。先日の文章において私は、そのうちの二つを記して早い秋の訪れを実感した。具体的には目(視覚)と皮膚(触覚)で、秋の訪れを実感した。これらに加えてこの時季には、耳(聴覚)で秋の訪れを実感している。具体的には、草むらに集(すだ)く虫たちの鳴き声である。鳴き声は秋の訪れを明らかに示すと同時に、自然界からさずかる虫たちが奏(かな)でるロマンとも言えそうである。一方、ロマンとは言えないが秋の訪れを端的に示すものでは、舌(味覚)にさずかる実りの秋の到来がある。実りの秋には鼻(嗅覚)を加えて、五官のそろい踏みに恵まれる。
 実際のところ、きのうの買い物にあって私は、確かな秋の訪れを示す五官のそろい踏みに遭遇した。鼻先にはマツタケの香りがプンプンした。買うことなく、横目で眺めて素通りした。売り場には早出しの温州ミカンが並び始めている。栗はそれに先駆けて、数日前から並んでいる。これらの舌(味覚)の体験は、もちろんその場ではできず、買って持ち帰りわが家での実践だった。いよいよ五官をたずさえて実りの秋の到来である。願うところは生煮えの秋とはならず、一方で早や煮えの冬に遭遇しないことである。
 大相撲秋場所は、今週末(九月八日・日曜日、墨田区両国国技館)に開幕する。賞味の秋づくしの到来である。ただ、天変地異の鳴動、なかんずくシーズンとも言われる地震、台風だけは願い下げである。すでに、ゴロゴロさん(雷)の恐ろしさには肝をつぶしている。実りの秋にまつわる五官の堪能だけであれば、大手を上げて万々歳である。しかしながら、皮膚(触覚)だけはほどほどでいい。なぜなら、わが皮膚(触覚)は寒冷を極度に嫌っている。

夕立 

 九月四日(水曜日)、時刻は夜明け前の4:53、パソコン上の表示である。本当のところは、二度寝をむさぼりすっきりした脳髄と眼(まなこ)で起き出したかった。ところが二度寝が出来ず、寝床に寝そべり悶々とするままに時が過ぎた。悪夢に魘されるのもつらいが、二度寝を阻まれるのもつらい仕打ちである。
 パソコンに就く前にかたわらの窓ガラスに掛かるカーテンを引いて、窓を開いた。一基の外灯が雨のない道路を淡く照らした。これは五官で言えば、目(視覚)による確認である。窓ガラスを開くやいなや、窓際に待機していた風が吹き込んで、わが身を震わせた。冷えた、確かな秋の風である。五官で言えば、皮膚(触覚)による外気の確認である。
 日頃の私には、夕立願望激しいものがある。夕立には雷鳴がつきものであり、だからその願望は、恐ろしさと抱き合わせである。それでも、夕立が去ったあとの心地良さは、まるで天界がもたらした恐ろしさの償いでもあるかのように、飛びっきりの心地良さがさずけられる。もちろんこの心地良さが、わが夕立願望の主因である。
 子どもの頃、夏休み中の「内田川」の水浴びどきには、ほぼ毎日のようににわかに入道雲が湧いて、雷鳴をともなう夕立が降った。そのため、夕立の恐ろしさと、去った後の心地良さは、身をもって余すところなく知り尽くしている。
 ところが、夕立シーズンの夏の間にあっても鎌倉地方には、滅多に夕立は降らない。だから、夕立が降ってほしい。おのずから、わが夕立願望と対(つい)を成している。夕立は昼間もしくは文字どおり夕方に降ってこそ、恐ろしさと心地良さの抱き合わせに恵まれる。ところが夜間の夕立は、その時には心地良さが遠のいて、もっぱら恐ろしさばかりである。
 昨夜の鎌倉地方は八時過ぎから九時近くまで、夜間の夕立に見舞われたのである。確かに、雨の降り出しには歓迎する気分があった。しかし、まもなく雷鳴が轟き始めた。雨戸やカーテンを閉めていない窓ガラスには、間断なく稲光がきらめいていた。いまだ、遠雷である。遠雷は、まもなく近づいてくる。過去のわが体験である。私と妻は遠雷の急襲に怯え、同時に突然の停電に不安をおぼえて、いくつかの電源を落し防衛体制を固めた。具体的には、パソコン、テレビ、冷蔵庫などの電源を落とした。そして、それぞれが懐中電灯を手にし、おのおのの生活領域の防衛に意を尽くした。この間の私は、稲光と雷鳴に怯えながらも窓ガラスの脇に佇み、雨の降りようを眺めていた。すると、道路に跳ねる雨は大ぶりで、ゆるやかな傾きの道路は、またたく間に水の流れる川になった。
 夕立が去ると電源を戻し、普段の夜が訪れた。気分が安らいだ私は、寝床に就いた。六時から始まった阪神タイガース対横浜ベイスターズ戦(横浜球場)は、雨のためにすぐ中断し、雨上がりを一時間近く待った。しかし、試合の続行は叶わず、結局ノーゲーム(中止)となった。私はここまで、昨夜の雨は夕立と記してきた。もちろんそれは、体験上の夕立とまったく疑う余地がなかったからである。しかし、夕立という言葉に、いくらか不安をおぼえてもいたのであろう。物は試し、言葉のおさらいを試みたのである。私は電子辞書を開いた。
 【夕立】「(一説に、天から降ることをタツといい、雷神が斎場に降臨することとする)。①夕方、風・波などの怒り立つこと。②昼過ぎから夕方にかけて、急に曇って来て激しく降る大粒の雨。夏の夕方に多く、発達した積乱雲によって起こり、雷を伴いやすい。白雨、夕立の雨」。
 夜間であったため、急に曇って来たかどうかは知るよしない。しかし、降る時を間違えた正真正銘の夕立だったのである。幸いにも恐ろしさは過去となり、一方現在は、やはり去った後の心地良さに恵まれている。そして、もはや忍び寄る衒(てら)いなく、わが季節と嘯(うそぶ)くほどに、堂々と秋が訪れている。道路が乾くのは夕方くらいであろう。そうであれば、今朝の掃除は余儀なく免れて夕方になる。夕立願望は一度だけ叶えられれば十分であり、二度・三度はもうコリゴリである。子どもの頃の夕立と、人生晩年に遭遇する夕立、まったく趣(おもむき)を異にしているせいかもしれない。
 子どもの頃の夕立には、内田川の水浴びや水遊びというオマケが付いていた。もちろん、ゴロゴロさんが鳴り出すと、素早く水から上がって、両手で裸びしょ濡れ丸出しの臍を隠し、一目散に母の懐(ふところ)へ駆け出した。内田川は近くにないし、抱きかかえる母はいない。夕立願望は、お蔵入りである。

 この時季に浮かべる「命」

 真夏の日光は真下に射す。残暑の光は斜めから射す。比べれば、わが肌身には残暑の陽射しのほうが厳しく感じる。これは体験上のわが肌感覚であって、もちろん科学的根拠などそっちのけの当てずっぽうにすぎない。
 この時季はなぜか? 柄にでもなく「命」に思いが馳せる。生きとし生けるもののすべて命に永遠はなく、尽きるという期限が存在する。一木一草(いちぼくいっそう)もちろん花などにいたるまですべて、すなわち植物にも萌え出しから枯れ尽きるという、命に似た現象が存在する。だからと言ってこれらにもまた、ずばり命という言葉を当てることは間違いであろう。強いて言えば生きとし生きるものの命になぞらえるか、あるいは文学上または虚構の表現として許されるくらいであろう。いや、実際にはこれとて科学者や有識者からは、間違いだと言って非難を浴びるであろう。
 この時季には普段虫けらとか雑草とかと言って貶(けな)していたものから、あらためて命を学ぶ局面に遭遇する。そしてこれこそ、わが柄にでもなくこれらにたいする切なさや哀感のほとばしりである。
 道路を掃いているとこの時季にあっては、アブラゼミが白い腹を仰向けて、バタバタしているか、もはや無念やるかたなし命尽きて転がっている。するとこのとき、かつての童心とは異なりやつがれの老心に切なさと哀感をおぼえるのである。明らかな心境の違いがある。
 子どもの頃であれば用無しと決め込み通り過ぎるか、あるいは玩具(おもちゃ)代わりに片っ端に踏んづけて通り過ぎていた。ところが現在の私は、(車に踏んづけられるなよ!)という思いを込めて、指先で拾いなおかつ側壁の上の山の法面に静かに置いている。
 子どもの頃に感じていたセミの鳴き声は、騒がしいだけだった。その腹いせでもするかのように、木の幹や枝に腹這いになっているセミに眼を留めると、わが利き手の右の手の平をいっぱいに広げて近づき、バタっと打った。多くはチチっと鳴いて、しょんべん(本当は違うらしい)をわが顔面に降りかけて、飛び去った。そして今は、難聴の耳に聞こえて欲しいと、セミの鳴き声をねだっている。実際にも私は、セミの鳴き声を欲しさに両耳から集音機の紐を垂らした。それでも、両耳にとどくセミの鳴き声は細々である。そのせいかセミの鳴き声の騒がしさは過去物語となり、今や切なく(まだ生きたい、死にたくない!)とも聞こえて、セミたちの命欲しさの合唱さながらである。
 夏草の茂りには日々悩まされてきた。まるでわが季節を待ち侘びていたかのように夏草は、汗をタラタラと流し引き抜くかたわら追っかけて茂ってくる。こうなると憎さ百倍を隠し、その躍動感に心打たれることもある。雑草にも命という表現が許されればこの時季は、雑草にも命の切なさと哀感をおぼえるまたとない好機である。バカじゃなかろか、ときにはその躍動感にあやかりたい心境にもなる。草取りの最中に遭遇する切なさは、わが行為が因(もと)で地中のミミズを慌てさせることである。具体的にはわが行為が、地中のミミズを地上に放り出すことである。ときには放り出さす前に手鎌で、地中でミミズの胴体を真っ二つに切っているかもしれない。実際のところこれは、知らぬがほとけで済んでいる。地上に放り出されたミミズは、ほぼ二態様をさらけ出す。健気(けなげ)に思えて、だからいくらか悔いをおぼえるものには、生きるために大慌てで先へどこかへと、懸命に這いずり回るミミズがいる。一方、(どうでもしやがれ!)とばかりにふてくされて、逃げることを諦めてその場に長く寝そべっているミミズもいる。もちろんこれには、わが同情心はやや薄れてくる。それでも私は、掘り起こした土を掛けて、夏の陽射しを遮(さえぎ)っている。わが行為のしでかしだけに気が咎めて、せめてものの罪滅ぼしの行為である。するとそれは、年老いてさずかる万物の霊長と崇められる人の心なのかもしれない。いや、わが命のかぎりをおもんぱかり、虫けらや雑草にたいする切なさや哀感なの表れであろう。確かに、萌え出しばかりの雑草を無下(むげ)に引き抜くときもまた、ほんのわずかだけど人の心が切なく揺れ動くのである。
 残暑の厳しさの癒しには自己都合丸出しで、しばし虫けらや雑草の命を思い浮かべてみるのは、案外人の徳ないし人の道なのかもしれない。いや、私にそれらがあるはずはない。だから、虫けらや雑草に切なさと哀感をおぼえるのは、子ども時代と現在の罪滅ぼしにすぎないと、言えそうである。だったら、大見得は切れない。

パソコントラブル 

 パソコントラブルにより、今朝は書けませんでした。しかし、コールセンターとのやりとりで、修復できました。パソコントラブルはきのうからであり、そのため今朝は夜明けまもなくから、丁寧に道路の掃除ができました。肌身に当たる風は涼しく、秋の訪れを実感しました。しかしながら昼近くにあっては、やはり残暑厳しいものがあります。だけど、ようやく本来の季節の移ろいに落ち着いたかと思えば、それはそれで気分は安らぎます。あとは、地震と台風がわれらの盛りの月と勘違いをして、猛威を振るうことのないよう願うばかりです。
 末尾になりましたけれど、各位様にたいし残暑お見舞いを申し上げます。ご自愛のうえ、日に日に涼やかになる秋の季節を共に堪能いたしましょう。

「防災の日」(九月一日・日曜日) 

 九月一日(日曜日)、パソコン上の時刻は5:04と表示されている。さらにもう一つの表示を記すと、きょうの天気の雨の確率は20%で、気温は31度とある。アイコン表示は、晴れと曇りマークの抱き合わせ表示である。
 「防災の日」の(横浜)の天気予報はこうである。防災の日は、「関東大震災」(大正12年・1923年9月1日午前11時32秒、震源地・相模湾沖)にちなんで設けられている。防災の日設定の意義は日本の国および国民にたいし、過去の教訓を基に現在のみならず未来にわたり、震災への備えを促すものであろう。そのため防災の日にあってはこれまで、毎年さまざまなところで防災にかかわる催しが行われてきた。もちろんこの先も、絶えることなく続いて行くことだろう。
 防災の日のきょうは、八月から月替わって九月の初日である。しだいに夏の残暑が遠のいて九月は、初秋から中秋にあって晩秋までの好季節の走りでもある。だからと言って人の営みには、気を許すことはできない。なぜなら、九月は台風シーズンの真っただ中でもある。地震と台風は、天変地異の鳴動のもたらす恐ろしさの両極にある。それが共に多く見舞う月となれば、人の日常生活はまさしく戦々恐々を強いられることとなる。好季節の到来に酔っていれば、好事魔多し、どんなどんでん返しをこうむることになるかもしれない。まさしく、自然界のもたらす天変地異の恐ろしさである。だから、防災の日の設定の意義は、のほほんとしていてはおれないという、警報と言えるであろう。
 確かにこの警報は、戦時下の警戒警報や空襲警報に似たところもある。しかし、両者には確かな違いがある。戦時下の警報は身に迫った恐ろしさである。一方、防災の日の設定の意義は、いつ震災に見舞われるかもしれないという、いくらか恐怖を先延ばしにした警報である。しかしながら一旦地震や台風に見舞われれば、その惨禍は戦禍さながらとなる。このため、心して防災の日設定の意義を知ることこそ、きょうのわが務めであろう。
 九月一日、夜明けの大空には曇が張りついている。しかし、雨戸やカーテンを開けっぴろげの前面の窓ガラスを通して眺める一軒の空き家の白壁には、薄っすらと朝日が射し始めている。時間を追って、天気予報どおりに晴れた月替わりになるであろう。きのう(八月三十一日・土曜日)の私は卓球クラブの練習で、「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)へ出向いた。わが家からこの間には、長いだらだら坂がある。行きは下り坂であり、そのぶん帰りは上り坂である。だから、歩いて行きは十五分、帰りは二十分ほどの道のりである。行きの下り坂では、吹き上げてくる風の涼しさに夏の終わりを実感した。
 帰りには歩くのを止めて、センター最寄りの「今泉不動バス停」から定期路線の江ノ電バスに乗車した。「鎌倉湖畔バス停」を挟んで、わが家最寄りの「半増坊下バス停」で下車した。最寄りと言ってもここからわが家までは、歩いて三分ほどかかる。この間の道路には、両脇にクスなどの高木が立っている。そのため、かつての新興住宅地特有の売らんかな! が見え透いた洒落(しゃれ)たグリーンベルト(緑道)の名がついている。実際にはあえてこういう名を付けるまでもない、名前負けのするバス道路から外れた単なる脇道である。
 下車すると私は、セミの鳴き声を聞いて郷愁に浸ろうと、両耳から集音機の紐を垂らした。このわが意図に応えるかのように、遠くからセミの鳴き声がとどいた。目の前の桜木にはアブラゼミが一匹、張りついていた。歩と止めて右の手の平を開いた。しかし、寸でのところで実行は思いとどまった。(もう子どもではないのだからわが遊び心で、短い命をなお短くすることはないだろう…)。もちろん武士の情けとは言えない老爺(ろうや)の一瞬の戸惑いが、開いた手の平を引っ込めたのである。実のところアブラゼミの姿を目に留めるまでの私は、地上や足元に目をめぐらすことなく、仰向けた首筋に痛みをおぼえるほどに、ずっと大空を眺めながら歩いていた。実際には秋天高い青空に魅了されていたのである。
 満天は雲ひとつない日本晴れではなく、ところどころに白い千切れ雲をちりばめていた。ところがそのせいで大空は、余計絵になる風景を映し出していたのである。私は大空風景に酔い痴(し)れていた。同時に、秋の訪れを実感していた。不断でも私は、大空を仰ぎながら歩くのが大好きである。なぜなら、大空がさまざまにおりなす美しい風景は、自然界がさずけてくれる無償の芸術品だからである。だからこの風景を見ないままに、さまざまに出没する心猿(しんえん)に脅かされて、歩くだけではソンソン(損々)である。
 こんな清々しい思いに同居していたのは、はやりのAⅠ(人工知能)はこの先、大空までをも手籠めにして、勝手放題に翻弄するのであろうか? 私はこんな馬鹿げた思いをたずさえ、アブラゼミが張りついていた桜木を後にして、わが家の門口にたどり着いた。フッと息をついた。卓球の楽しさをはるかに超えて、天高い秋空は生きる喜びを膨らましていた。
 欲深い私は、きのう同様にきょうもまた、秋天青々としたおだやかな防災の日を望んでいる。幸いなるかな! 雲が切れて、青空が覗き始めている。もちろん、天変地異の恐ろしさはとことん肝に銘じている。

八月最終日、夏空に未練はない  

 文章は心象で書くのだから、気乗りがしないときには休むべきだ! とは承知している。しかしながらこの鉄則は、私には無縁であろう。なぜならわが文章は、心象風景を操るまでには至らず、常に書き殴りに甘んじている。だから、冒頭のことを浮かべること自体、おこがましいと言えるであろう。
 きょうは八月最終日(三十一日・土曜日)である。一年・十二か月の中では、最もメリハリのある月替わりと言えそうである。具体的には、夏から秋への明らかな移ろいだからと言える。もちろんそれは、人の日常生活において夏の暑さが過酷だったゆえである。このほか過ぎ行く八月は、日本の国かつ国民の営みにとっては太平洋戦争にからむ鎮魂の月である。さらには例月と異にするものがさまざまにある。八月盆が訪れて、その前後には企業や役所においては夏季特別休暇があり、もちろん学び舎は夏休みの最中にある。これらの休みを利用し、日本民族大移動とも言われる国内外への物見遊山は真っ盛りとなる。
 確かに、里帰りそして海や山へのレジャー、さらには海外旅行への狂奔ぶりは、まさしく日本民族大移動の光景さながらである。ところがこれらの快楽や行楽には、常に思いがけない事故の悲劇がつきまとう。かてて加えて、暑気のつらさや熱中症の恐れもある。そんなこんなで八月は、よくもわるくも異例の月と言えそうである。
 訪れる九月は台風シーズンであり、かつまた忌まわしい関東大震災(大正十二年・一九二三年九月一日、午前十一時三十二分)の史実がある。しかしながら暑さは凌げて九月は、八月に比べればはるかに凌ぎ易い月である。やはり八月は、人の営みにおいて異例の月と言えそうである。しかしながらわが日常は、盆は七月盆のしきたりにあり、日本民族大移動もわが身にはまったく無縁である。そのため、暑気のつらさを除けば異例の月の範疇から外れて、私の場合例月とそう変わらない。
 顧みて、わが身にあって八月特有と言えるもので記すと、次のようなことがある。キュウリ、ナス、トマトは、旬の味覚を堪能した。「氷」旗はためくところで、かき氷は未練なく食べた。もちろん大好物の西瓜は、日々切れ目なく食べ続けてきた。すなわち、わが八月の嗜好は思いどおりに完遂した。夏風邪は長引いたけれど、肺炎などの大事には至らなかった。ふるさとの内田川が遠のいた悔しさを晴らすためには、湯船に水をいっぱい溜め水風呂にして、冷たさをキリキリ我慢しながら郷愁に浸った。日課のひぐらしの記の執筆と道路の掃除、そして役割をになう分別ゴミ出しおよび買い物は、いずれもほぼ一〇〇%実践した。さらには、夏草の茂りも取り払った。こうしてきのうまで無難に日々を収めて、きょうの八月最終日、すなわち九月への月替わりを迎えている。
 しかし好季節にあっても、訪れる九月に不安は尽きない。なぜなら、わが身および周辺の人達ことごとく加齢をきわめて、命一寸先は闇の中である。気乗りがしようがしまいが、こんな実の無い文章しか書けないわが身は、つくづくなさけない。夏空をしまい込んで、秋空を朝日が明るく照らし始めている。わがふるさと九州地方を雨で傷めた、夏空に未練はない。

出会いと会話 

 八月三十日(金曜日)、夜明けの明かりは見えず、前面の窓ガラスの向こうは真っ暗闇である。現在、パソコン上の時刻は、4・39と表示されている。キーボードをチンタラと叩いているうちに窓ガラスは、夜明け模様を描いてくることとなる。わが至上のひとときである。早起きは三文の得どころではなく、生きる喜びを与えてくれる天界からさずかる恵みである。かてて加えて今朝は、日課とする夜明けの道路の掃除を免れている。この点、寝起きのわが気分は穏やかである。
 道路の掃除は雨上がりの道路の渇きを待って、二時間ほどをかけてきのうの夕方に済ましている。きのうの昼間は、久しぶりに夏の陽射しがそそいだ。このため、時間を追って道路は乾いた。私は三時過ぎあたりから掃除を始めた。このところの朝夕は、すでに夏風は去り秋風である。それでも、半袖のアロハシャツに包んだ身体には、絞れば洗面器に溜まるほどに汗があふれた。まさしく、身体を襲った洪水さながらだった。
 夕方の掃除の場合、夜明けの掃除とは異なり、散歩常連の人に出会うことは稀である。雨上がりの夕方の涼しさを待って、散歩めぐりをする人たちの姿が見え始めていた。日本の国の少子高齢化をきっちりと映して、子どもたちは夏休み中にもかかわらず、散歩にめぐる人の姿は高齢者ばかりである。確かに、子どもたちと言わず若い人たちの散歩姿を望むのはわが欲張りであろう。私自身、道路上に老醜をさらけ出している。まるで、道路上の障害物さながらでもある。すると、子どもたちは私の姿を恐れて、散歩めぐりを避けているのかもしれない。そうであればわが老体は、とんでもない罪作りである。
 はからずもかつては、朝の常連の一人に数えていたご婦人に出会った。互いにニコニコ顔の出会いであり、私から立ち話の穂を切った。ご婦人は、一時期首筋の痛みを訴えられていた。話し中の美顔に現れる痛々しい表情は、とてもつらそうだった。そのときの私は、心中で(美人なのに、もったいなあな…)と思いながら、立ち話を続けていた。ときたま昼間に出会うときには、仲良くご主人様を連れ添われていた。このときの私は、「お元気ですね」と一声かけて、互いに目による挨拶だけで、立ち止まることなく離れた。
 こんなこともあってきのうの立ち話は、ちょっぴり長くなった。しかしながらわが難聴の耳は、ご婦人の多くの言葉を聞き逃した。しかし、掃き清めている道路をあちこち振り返りながら、わが行動を労(ねぎら)ってくださっている様子は見てとれた。私は「ありがとうございます」と言って、無難な言葉で話し始めた。このあとには、一方的にこんな言葉を添えた。
「お久しぶりですね。まだ、暑いですね。雨が降りましたね。首の痛みはとれましたか? きょうはご主人様を連れ添われてなく、おひとりですね。お元気ですね。お顔溌剌として、お若いですね。この道路をめぐられる人の中では、いちばんお若く、そしていちばん綺麗です」
 これらはご婦人の言葉を挟んで、わが言葉のほぼすべである。ご婦人のお言葉の中でようやく耳に届いたのは、「まだ痛みはあります。主人は足が弱くなって、散歩が出来なくなりました」。もちろんこれには、「そうですか。つらいですね」と、相槌は打っている。ご婦人はニコニコ顔で、足早に散歩めぐりの歩を進めて、わが視界から遠ざかられた。私はアロハシャツのボタンを外し、しばし佇んで夕風を肌に当てていた。
 このご婦人に出会わなければ、苦難を強いられた二時間にすぎなかった。ところが、思いがけないご婦人との出会いは、そのつらさを軽減してくれたのである。やはり人の営みの楽しみは、たとえそれまでは互いに見ず知らず同士であっても、出会いがしらの快い挨拶言葉である。年の功であろうかこのところの私は、格別そのことを肝に銘じている。
 より具体的にはわが言葉で、会話の人に不快感を与えないことである。なぜなら、頓(とみ)に人様との交流が薄れてゆくこの頃にあっては、会話に恵まれることは勿怪(もっけ)の幸いどころか、この上ない幸運である。人様との会話が尽きれば、この世に生きる喜びはない。私は道路の掃除を愚痴りながらも本当のところは、人様との出会いと会話を楽しみしているのである。確かに、人様との出会いと会話の楽しみがなければ、汗ダクダクあるいは寒さにガクガク震えて、掃除はやっちゃおれない。常連の男性は、「あなたは、公徳心のかたまりですね」、とも言ってくださっている。そのたびにうれしくて、仰ぎ見るお人柄である。
 雨の夜明けである。きのうの夕方の掃除は功を奏し、いっそうわが気分は和んでいる。

季節替わりの大雨 

 八月二十九日(木曜日)、青い夜明けの空には朝日が輝いている。地上もまた、明るくそしてさわやかに光の恩恵を享(う)けている。わが体験では、日本列島の季節替わりには悪天候に見舞われる。そうであれば今朝の日本晴れは、台風一過さながらにきのうの大荒れの雨上がりがもたらしているのであろう。
 きのうの鎌倉地方はテレビ画面のテロップこそ免れたけれど、ほぼ一日じゅう雨模様に見舞われた。ときには止んだり、小降りになったり、ときには嵐のごとく風をまじえて降ったりした。まるで、悪戯坊主(いたずらぼうず)の振る舞いのような降り方だった。ところが、九州地方に降り続けていた雨には、こんなふざけた表現は罰当たりであろう。多くの人が洪水や土砂崩れに被災し、時ならぬ増水にあって命を落とした人たちがいる。災害列島とも異称される日本列島に、まさしく大雨がもたらした惨禍だった。
 テレビ画面にはほぼ一日じゅう、大雨地域の名が間断なく流れ続けていた。幸いと言うにはわが身がすたるけれど、テロップにはわがふるさと県・熊本の地域は見当たらなかった。テロップに現れる行政名、そしてその地域に流れている川の名は、佐賀県を中心にして隣県の福岡県および長崎県の三県に集中していた。ところが福岡県では、わが生誕の地すなわちふるさとと山並を挟んで隣り合わせの八女茶(やめちゃ)の出どころ八女の名があった。テロップで八女を観た私は、熊本県は免れたとしてのほほんとはしておれず、ふるさとの甥っ子へふるさと電話を入れた。案の定、受話器の甥の言葉は、「今、とっても降りょる」だった。
 すかさず私は、
「被害はないかね。内田川の水は、いみっとる(増えている)だろうね」
 と、言った。すると甥は、言葉を重ねた。
「今のところは、被害はないばってん、被害が出るうちがあるかもしれん。川の水は、もういみっとる」
「そうか。わかった。これからほかのところに電話をしれてみる」
 と言って、私はふるさと電話の受話器を下ろした。
 こののち、テロップに流れている行政名に住む三人の甥っ子へ立て続けに携帯電話で被害状況を尋ねた。最初は、異母長姉の長男(福岡県大川市在住)、次には異母次兄の長男(福岡県うきは市在住)、最後は異母二姉の長男(福岡県久留米市在住)だった。ところが、三人ともに異口同音に、「電話をかけてもらって、ありがとうございます。わが家は被害ありません。このあとも心配いりません」という、言葉が返った。これらの地域名は、繰り返しテロップで流れ続けていたけれど、もはや心配の種は尽きていた。
 今、輝く朝日は、本格的な秋の訪れの証しであろうか。できれば日本列島災害のない季節替わりを望みたいものである。しかし自然界、とりわけ気象や天文学のことなどまったく未知である。もちろん、この先の季節替わりにおける自然界の振る舞いなど、まったくちんぷんかんぷんである。台風シーズンと「防災の日」(九月一日)を間近にひかえて、きのうの大雨が天変地異の先駆けでないことを願うばかりである。
 結局、季節替わりの大雨は、南の鹿児島県、宮崎県、大分県の一部、そして熊本県の南部地域を出だしに、九州地方をほぼ総なめにした大雨模様だったのである。その償いに望むのは、天変地異のないさわやかな秋空である。いま眺める空は、夏空が模様替えした秋空である。肌身に当たる風は、暑気を遠退けたさわやかな秋風である。しかし、大雨がもたらした恩恵であれば、ちょっとばかり腹の立つ、かなり憎たらしい秋風である。

「随筆と私」 

 八月二十八日(水曜日)、このところは明らかに日の出が遅く、日の入りが早くなっている。さもありなん短い夏が過ぎて、気配をほうむり去りすでに確かな秋が訪れている。実際、この夏には暑気に辟易した日数は少なく、早や冷秋あるいは爽秋に浴している。もちろん、暑気を凌げたことではありがたいけれど、ちょっぴり夏を惜しむ心地にある。
 人間心理は、常に矛盾を恥じることなく我儘(わがまま)である。暑熱滾(たぎ)る真夏にあっては早い秋の訪れを望み、冷ややかな秋には真夏を懐かしむ。しかしながらこの我儘こそ、生きるための人間の知恵、あるいは心理が奏(かな)でるロマンなのかもしれない。人生は理屈どおりや杓子定規(しゃくしじょうぎ)に運ぶだけでは、案外つまらないのかもしれない。
 きのう(八月二十七日・火曜日)の私は、雨の朝の気分の落ち着きに恵まれて、書き殴りに長い文章を書いた。いま顧みればそれは、わが随筆の発意とそののちからこんにちまでの経過を総括したかのような文章だった。ところが、キーボードに就いて意図したものではなく、書き殴りをしているままにそうなったのである。そのことでは現在、恥を忍ぶところがる。一方では思いがけなく、わが文章修業の一部始終を書き連ねていた。確かに、「さあ、書いてください」と、強いられて書けるものではなく、そのことでは書き殴りかつ成り行き文の効用にあずかっていたのかもしれない。
 先日、かつて会員となっていた「日本随筆家協会」のお仲間のおひとりである羽田様(東京都世田谷区ご在住)から、小冊子が送られてきた。羽田様は貴婦人で、年齢は私より二つ年下である。かつての日本随筆家協会の月刊誌は、文字どおり月一度発行の『月刊ずいひつ』(故神尾久義編集長編集)だった。しかし日本随筆家協会は、神尾編集長が故人となられると同時に、後継者に恵まれず協会自体が無くなった。おのずから月刊ずいひつは、廃刊の憂き目に遭遇した。するとこののち、当時の仲間たちが二派に分かれて、それぞれに『架け橋』と『随筆にっぽん』を起ち上げた。そして今では、共に同名で月刊ずいひつのスタイルを真似て季刊誌を発行している。
 羽田様は現在、後者の随筆にっぽんの会員として随筆活動を続けられている。二派に分かれたおりの私は、ご多分にもれず双方から執拗に勧誘を受けた。しかしこのときの私は、すでに念願の生涯一冊の随筆の単行本の上梓を叶えており、勧誘にはなびかずにいた。しつこく一方ではありがたい勧誘に動じなかった根拠は、大沢さまのご好意に甘えて、『ひぐらしの記』一辺倒を決意していたからである。
 羽田様からたまわった小冊子の表紙には、こう書かれていた。随筆文化推進協会『随筆にっぽん』十周年記念、「随筆と私」(令和元年九月)。すなわち、会員の人達が八百字を限度に、自分自身の随筆との出合いを書いて、それを手作りスタイルで薄い小冊子にまとめられたものである。会員の人達の年齢は、私より少し年上の人もいれば少し年下の人もいて、総じて同年齢である。そのため、人生行路における時代背景は、わが身とほぼおっつかっつである。特に、小学生時分の記述は、まるでわが身の写し絵さながらであった。
 しかし、人様の文章を読んでわが身と異なったのは、多くの人が小学生の頃から「書くことが好きだった」とか、「本を読むのが好きだった」とか、あるいは「先生や仲間に、作文を褒められたのがうれしくて」、と記されていたことである。すなわち、文学少年少女の芽生えが、のちに随筆とかかわる発端を成していたのである。これにはわが身に比べて唖然とすると同時に、それぞれの人の文章を読むと、出来栄えにさもありなんと納得するばかりだった。もちろん、わが六十(歳)の手習いを恥じ入ることはない。しかし、文学少年のかけらもなかったわが身を省みて、嘆息をおぼえながら読んだのである。期せずしてきのうの文章は、「随筆と私」と言うに、等しいものだった。確かに、成り行き文のしでかした効用である。しかし、巧妙とは言えない。
 就寝時の私は、すべての網戸を窓ガラスで覆い、寝起きのわが身は夏の軽装を退けて秋の装いである。

 八月二十七日(火曜日)、「雨の朝のつれづれ文」

 継続だけが取り柄の『ひぐらしの記』だが、それでも生来三日坊主の私にはあり得ない上出来の継続である。だから時々、継続にたいし自惚れてみたくなる。自惚れは、この間の継続のプレッシャーにたいする償いでもある。
 世の中には自らの疲れを癒す言葉として、ずばり自己満足という常套句が存在する。確かにこの間の私は、疲れに疲れた。しかしながら残念なことには、自己満足というご褒美にはありついていない。それは、私が欲深いせいではない。自省を込めて一文字で記せばそれは、継続に内容がともなわないという自己欺瞞のせいである。確かに、それには悔しさつのるものがある。そしてそれこそ、わが無能力をかんがみれば、欲深いことと言わなければならない。なぜならひぐらしの記は、継続だけでもわが身に余る、数々のご褒美をもたらしてくれているからである。いやご褒美は、無限大と言ってもいいほどである。だから多くのご褒美の中で、主だったもののみを記すこと決意した。具体的には本文末尾に掲げるものである。ところが、それまでに至る助走として、書いて置くべき事柄がある。
 現在、ひぐらしの記は誕生以来、十三年目を蛇行中である。あえて蛇行の文字を当てたのは、文字どおり蛇が這うように日々くねくねと回りながら、書き殴りに甘んじてきた証しには適当と思えたからである。確かに、ひぐらしの記にかぎれば、わずかに十三年目にすぎない。
 顧みれば一冊の随筆の本を書きたいという発意は、六十歳定年を間近にひかえて「定年後の生き甲斐づくり」というセミナーにおける、自己宣言によるものだった。セミナーは二泊三日ほどをかけて、勤務する会社が所有する箱根・研修寮で実施された。多くの仲間たちは、それぞれが抱いていた生き甲斐づくりを誇らしく堂々と宣言した。それらはわがちまちました宣言をはるかに超越し、聞いているだけでも私自身に乗り移り、まるでわが夢のごとくに心地良く膨らんだ。
 その頃の私は、わが小さな生き甲斐を叶えるために、一念発起し早手回しに国語辞典を愛読書にしていた。文章の根源を為す、語彙の習得を心掛けていたのである。定年前の一時期の五年間には、私は大阪支店勤務を命じられてやむなく単身赴任をした。やむなくと記したのは、その頃の妻と娘は重篤のアトピー性皮膚炎を患い、日々掛かりつけの専門医の治療を受けていたからである。会社はわが申請理由をかんがみて、単身赴任を容認してくれた。私はもとより妻と娘、すなわち家族が感涙にむせんだ寛容なはからいだった。
 単身赴任中に私は、大阪・梅田の「きの国屋書店」で立ち読みした漢検問題集で自信をつけ、最初から最上級の一級を受けた。幸い、一発で合格した。次には、語彙を自習しながら文章の手習いの開始をくわだてた。手始めは、素人の書き手がほぼ一様に試みる外部機関(誌)への投稿であった。しかし私の場合、やたら滅多らとはせず、二、三度の試みでそれを終えた。こののち、六十の手習いを支えてくださったのは、故神尾久義編集長(現在は存在しない、当時の日本随筆家協会の主宰者)と、現在の大沢久美子様(現代文藝社の主宰者)である。そして、わが念願の一冊の随筆集は、日本随筆協会発行の『追憶』で叶えられたのである。さらに当会の仲間との共著は、七冊までにも及んだのである。ほかの投稿文では、『さようなら物語』「忘れられない私の別れ」作品集(選、立松和平・池田理代子、双葉社)で、弟との別れを書いた『別れの川』が単行本の掲載にあずかった。また、『コスモス文学』(全国投稿同人誌、長崎市・広岡航氏編集)にあっては、『桜つれづれ』(十枚)が随筆部門、そして『少年』(九十九枚)がノンフィクション部門で、コスモス文学新人賞奨励賞を受けた。わが文章修業は望外に叶えられて、そのためもう書くまいと休止符を打っていた。
 そんなおり、今では呼び名を親しく変えて、ご厚誼にさずっている大沢さまが「前田さん。何でもいいから書いてください」と言ってくださったのである。私は恐るおそる、三日くらいのつもりで書き出した。ところが、『ひぐらしの記』と命名してくださり、三日坊主は避けなければならなくなった。これまた、望外のご好意とご厚情をたまわり、それにやっとこさ応えることがわが日暮らしとなった。するとこののちの私は、ひぐらしの記から多くの恩恵をたまわったのである。さて、いよいよ末尾まで延ばしていたひぐらしの記の恩恵の事柄である。
 一つは、定年後には枯れるはずの人様との交流は、枯れるどころかいや増したのである。もちろんそれは、ひぐらしの記がとりもつわが身に余るご縁だった。もちろんひぐらしの記自体は、定年後の有り余る時間をあわてふためくほどに埋めてくれたのである。そのうえ、今や整理の手のほどこしようもないほどに直近まで、大沢さまは七十五集の単行本を編んでくださったのである。同時にこれらは、国会図書館の蔵書を成している。これらの果報に勝るとも劣らずひぐらしの記は、わが六十の手習いと語彙の実践の場となったのである。だから私は、大沢さまを女神と敬愛せずにはおれないし、これこそひぐらしの記がもたらした何ものをも凌ぐご褒美である。
 つらつらと書き殴りに書いたゆえに、ひぐらしの記すなわち大沢さまにたいするわが感謝の意は、ほとんど記し得ず未達のままである。もちろん、継続を自惚れることはできないが、ひぐらしの記およびこれを通してさずかった人様への感謝の気持ちだけは旺盛である。雨の朝は、道路へ向かう必要がないから気分の休まるところがある。表題には「雨の朝のつれづれ文」が適当であろう。しかし、感謝の意は真摯である。

恨めしい身体の異変 

 雨の予報の外れをしつこく書いた。こんどは、短い夏、早い秋の訪れのことをしつこく書いている。確かに私は、頑固症状という不治の病を患っているようだ。八月二十六日(月曜日)、夏が去り、こんなにも早く秋が訪れていいのであろうか。手放しには喜べそうもない、飛んだ気象の異変なのかもしれない。
 昨夜、就寝中の私には、わが身体の右腿(みぎもも)に激痛が走った。ようやく痛みに耐えたけれど、痛みが遠のくまでは生きた心地なく、いやちょっぴり死の淵を覗いた。無論、初めての体験である。こちらは、明らかにわが身体の異変であった。加齢をきわめてわが身体が老衰という言葉そのままに、衰えて行くのは仕方がない。もちろん抗(あらが)うことはできず、覚悟の上の泣き寝入りの心境である。
 ところが、わが身体は日々蝕(むしば)まれて行っているのかと思えば、これは覚悟の埒外(らちがい)だけに恐ろしく、かつ忌まわしい心境である。幸いにも現在は、あのときの痛みは引き潮のごとく遠のいている。そして、重たいわが図体を左腿(ひだりもも)と協働して、支えてくれてる信頼できる状態に戻っている。しかし確かな異変であり、隠れている病の兆しあるいは先駆けだったかと、いまだに案じているところである。
 一瞬驚かされたことでは、青天の霹靂という言葉を捩(もじ)たいところである。しかしながらこの言葉は、語弊どころかふさわしくない。実際のところは、秋の気候の訪れにあってスヤスヤと安眠を貪(むさぼ)っていたおりの、虚を突かれた出来事と言うべきものだった。今恐れていることは、異変が根づいてこの先頻発でもしたら、就寝がおちおちままならないことである。早い秋の訪れにあって、この先の心地良い夜長を妨(さまた)げる「お邪魔虫」と、ならないことを切に願うところである。思いがけない異変に驚きかつ傷ついたわが心身は、涼やかな秋の風に癒されている。確かに、身体の異変は懲り懲りであり、もちろんこの先、真っ平御免こうむりたいものである。
 しかし、気象の異変は必ずしも恨めしいものとはかぎらず、今朝の私はとことん天恵にさずかっている。ひたすら恨めしいのは、ときならぬ身体の異変である。たびたび見舞われればもはや異変とは言えず、恨めしさはいっそうつのり、はたまた限りはない。限りは、命の終焉どきである。

難聴の祟り 

 八月二十五日(日曜日)、私はこんな思いをいだいて起き出している。真夏、盛夏、消夏などの夏の盛りを表す季節用語は、すでにお蔵入りである。季節はすでに残暑の候にあり、それもごく短くなりそうである。梅雨明けが遅かったせいで、総じて短い夏となりそうである。わが皮膚感覚では、明らかにもう秋が訪れている。昨夜は網戸を用無しにして、すべての窓ガラスを閉め切り就寝した。そのうえ、夏用の薄い掛け布団をグルグルと体に巻き付けた。体の冷えを恐れて、風邪対策である。
 パソコンに就く前にかたわらの窓に掛かるカーテンを引き、窓ガラスを開いた。風は撫でると言うより、鋭く体に当たった。太身を一瞬、細めるほどの寒い風だった。驚いて、すぐさま窓ガラスを閉めた。このところ快い涼風に馴染んで気を許していた風は、思わずブルっとするほどの寒気を帯びていたのである。今朝のわが皮膚感覚である。
 人体にさずかる五官とは、眼(視覚)、耳(聴覚)、鼻(嗅覚)、舌(味覚)、皮膚(触覚)である。もちろん、どれもが一様に大切な器官である。これらの中で私は、耳(聴覚)の衰えを招いている。ありていに言えば難聴である。難聴が病の範疇に入るのかどうかはわからないままに、実際には日常生活に大きな不自由を強いられている。不自由の最大のものは人様との会話がしどろもどろとなり、日常生活の楽しみが殺がれていることである。次には、耳(聴覚)にすがる季節の移ろいがわかりかねていることである。これによりまた、楽しみが失われている。
 夏であればアブラゼミを筆頭に、クマゼミ(ワシワシ)、ニイニイゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシ、ヒグラシなどの鳴き声が聞けずじまいである。秋であればスズムシなど集(すだ)く虫の声が聞こえてこない。難聴になる前はうるさくさえ感じていたこれらの鳴き声の途絶えは、今や寂しく人間喪失の感さえある。短い命が尽きて白い腹を仰向けて、道路に転がっているアブラゼミに遭遇すると、(居たのか!)と、指先で拾い上げるなさけなさである。
 季節の移ろいを感ずる耳(聴覚)の衰えを補うものは、眼(視覚)と皮膚(触覚)である。このところ、眼(視覚)では落ち葉の多さを知り、皮膚(触覚)では風の涼しさを感じていた。ところが、今朝の風は早や寒気を帯びていたのである。短い夏は、一足飛びに秋の色に染まりかけているのであろうか。秋には色なく、もちろん眼(視覚)で見ることはできない。しかしながら皮膚(触覚)にすがり、さまざまに彩りをめぐらすことはできる。確かに、季節の移ろいを楽しむには、眼(視覚)と皮膚(触覚)に加えて、耳(聴覚)が正常であれば鬼に金棒である。ところが、それを失くした現在の私は、明らかに季節の移ろいの楽しみ方の一つを失くしている。言うなれば現在の私は、難聴の祟(たた)りをこうむっている。
 卑近なところでは、セミや集く虫の鳴き声が聞こえず、耳(聴覚)のもたらす季節感を失くしている。
「パパ。虫の鳴き声、うるさいわねー」
「虫、もう鳴いてるの?」
「あんなに鳴いてるのに、パパには聞こえないの?」
「聞こえないね」
 つらい会話が近づいている。残念至極である。

「終わり良ければすべて良し」 

 八月二十四日(土曜日)、いくらか肌寒い涼感の夜明けが訪れている。涼感は、きのう(八月二十三日・金曜日)の雨の恩恵である。本当に、頑固爺に成り下がったものだ。もはや、頑固症状という、新種の病を患っているのかもしれない。病であれば難治性の病であり、この先がいっそう危ぶまれるところである。
 一方ではやはり、天気予報のことなかんずく雨の予報の外れをしつこく書いた結末は、ほったらかしにはできない。もちろん、「雨が降ったから良し」と独り悦に入り、それっきりではわがお里の知れるところである。バカじゃなかろか私は、雨の予報にもかかわらず外れたことを四日間も書き続けてきた。それはまさしく、私自身が頑固症状と自覚するほどのしつこさだった。このしつこさには自分自身、あきれ返っていた。
 そのこともあってこの間に書いた文章の表題には、「余話」あるいは「四たび」などを添えて、私自身の混乱を露わにしていた。そして、書き始めて五日目のきのう、とうとう雨が降ったのである。そのうえ雨は、わが念願の「夕立」に似たものだった。それはまさしく、溜め込んでいた憂鬱気分を晴らし、わが心をたちまち潤す恵みの雨だった。
 朝のうちの小降りの雨はすぐ止んだ。これ幸いとばかりに私は、土壌の固さをほぐしてくれそうな雨に感謝し、勇躍庭中の草取りをした。しかしこのときの雨は、地表を薄く濡らす程度で草の根までにはとどかず、乾いた土がしつこく抵抗した。ところが夕方になると、雨はひとしきり降った。この雨こそ、降る時間に限りのある夕立に似ていたのである。似て非なるものすなわち、夕立と言い切れなかったのは、夕立につきものの入道雲や雷鳴のない雨の降りようだったからである。そのぶん、優しい降り方の通り雨だった。このことでは恐怖のともなわない、快哉(かいさい)を叫びたくなるほどの清々しい雨だった。
 実際のところはきのう、東日本の大空を脅かしていた大気不安定がもたらした「にわか雨ないしこぼれ雨」と、言えそうな雨だった。にわか雨、こぼれ雨、どちらにしても、この雨の恩恵は多大である。雨上がりのあとは暑気を蹴散らし、大気中に涼風を吹き散らしてくれたのである。確率をともなう雨の予報は四日間も外れ続けた。しかし、五日目にして念願の夕立をはるかに凌ぐ、快い恵みの雨に遭遇したのである。だから、「終わり良ければすべて良し」と心和んで、他愛ないいや取るに足らない文章の打ち止めを、この文章で為すものである。
 ようやく雨降りを果たした明けの夜明けの空には、秋の陽射しが柔らかく昇りはじめている。

再三再四、四たびのバカ正直 

 八月二十三日(金曜日)早朝、六時過ぎに起き出してきた。就寝中、悪夢に魘されて現在の精神状態はボロボロにある。良夢は人間の知恵の中でも、最良のさずかりものの一つであろう。ところが逆に悪夢は、人間の知恵が脅かす最悪の魔物であろう。なぜなら、一旦悪夢にとりつかれると精神状態は錯乱し、通常の人心を離れて架空の生き物の振る舞いに様変わる。そのため、起き出して人心へ戻るまでには、しばらく夢遊病者状態を余儀なくする。現在の私は、人心への戻りいまだ半ばの状態でキーを叩き始めている。さらには遅く起き出してきた罰が当たり、文章を書くにあたっては焦燥感がつのるばかりである。結局、悪夢の忘却は文章を書きながらにして、しだいに精神状態の修復を待つより便法はない。
 さて、天気予報が当たろうと外れようときょうの私は、もうそのことを書くのはよそうと、決意していた。ところが、また書かずにおれない心境にとりつかれている。それは、再三再四という適当なことばが浮かんだからである。夜間の雨の予報は四たび外れて、夜明けを迎えていたのである。この先のかすかな望みは、どんよりと漂っている雨空である。しかしながら、この状態も四日間の朝の繰り返しである。こんな状態で過ぎた三日間は、雨の予報はことごとく外れた。結局、待望していた夕立はもとより、小粒の雨さえ降らないままだった。きょうもこの先、雨が降らなかったら二の舞いどころか、四度目のバカ正直になりそうである。しかし、雨の予報の一縷(いちる)の幸運は、暑気を遠退けた秋の風を思わせる涼風の恵みである。
 時あたかも、真夏の風物詩と謳われている全国高校野球選手権大会・夏の大会(兵庫県西宮市阪神甲子園球場)は、きのう(八月二十二日・木曜日)決勝戦が行われて閉幕した。決勝戦は、大阪府の代表校・履正社高校対石川県の代表校・星稜高校だった。そして栄冠は、初優勝の言葉を添えて履正社高校に輝いた。この大会が終われば日本の夏は、一挙に秋の装いを深めてゆく。ところが、秋の台風シーズンが気になるところである。そのうえ自然界は、四度の雨の予想をはねのけて、雨ならず風のエネルギーを溜め込んでいるのであれば気を揉むところである。
 網戸から入る涼風が肌身を快く撫でているけれど、やはり夏の暑気を蹴散らす一雨がほしいところである。そのうえ私は、再三再四欲張って夕立を望んでいる。小降りの雨が降り出したのか、立ってかたわらの窓ガラスを開けると、道路が薄っすらと黒ずんでいる。両手を重ねて、パチパチである。四度目のバカ正直は、もうコリゴリである。小降りの雨は、四度目のバカ正直を覆(くつがえ)してくれるのか? これは、わが期待を込めての切ない念願である。

「天気予報、余話」 

 八月二十二日(木曜日)、遅く起き出して来て、すでに夜が明けている六時近くにパソコンを起ち上げた。就寝前に気に懸けていた明け方は、厳密にはもう過ぎている。もともと私は、根っからの「肥後もっこす」(熊本県人特有の頑固者)である。ところが加齢のせいで、それに輪をかけて頑固爺(がんこじじい)へ成り下がっているようだ。なぜなら、自分自身たかが天気予報に関し、こんなにもしつこいとは呆れるばかりである。
 確率絡みの雨の予報は、おととい、きのう、と二日続けて外れた。そして、雨の予報は三日目まで延びて、きょうの「明け方」と予報されていたのである。そのうえ、大荒れの予報だった。この予報に出合って就寝時の私は、前面の窓ガラスの一つを除いて、四囲の網戸を窓ガラスに切り替えた。さらには、窓ガラスをカーテンで覆った。大荒れの予報にたいし、意図した完全防備だった。そのせいで夜明けの明かりが遮られて、眠りこけて起床が遅れたとも言えるほどの構えだったのである。
 普段にも就寝中の私は難聴のせいで、大嵐や台風でもないかぎり風雨の音に気づくことは稀になっている。昨夜も就寝中にあっては、風雨の音には気づかずじまいだった。それでも私は、雨の夜明けを確信して起き出して来た。ところが、かたわらのカーテンや窓ガラスを開けるまでもなく、前面の窓ガラスを通して、雨のない夜明けに遭遇したのである。窓ガラスには乾きがけの雨垂れはなく、雨が明け方に降った形跡は見えなかった。それでも、かたわらの窓ガラスに掛かるカーテンを引いて、窓ガラスを開いた。すると、どんよりとした曇り空の下、眼下の路面にはやはり、雨の跡かたは見えなかった。三日目まで延びた雨の予報は、明け方から夜明けまでは、またもや外れていた。だからと言って私は、天気予報は確率ゆえに、ふてくされてはいない。しかし、(よう、外れるな!)という、思いはたずさえている。そして、その自己慰安には、このところの大空は晴れの地合いなのだろうと、ひそかに合点しているところである。すなわち、このところの大空には晴れの地合いが続いて、執拗に雨を妨げているのであろう。こう思うのは逆に一旦雨が降り出すと晴れに抵抗し、雨が降り続くことを過去の体験上知りすぎているからである。
 結局、明け方の雨、いや大荒れの予報は外れて、先ほどのどんよりとした曇り空は、時の移りにつれて明るくなり始めている。ヤフー画面の下部右隅に表示のきょうの天気予報(横浜)は、きのう同様確率五〇%である。明け方は外れたけれど、いまだ半分の確立にすがり、私はきょうもまた「夕立」を待ち望むところである。念願かなって夕立に遭遇すれば、しびれなおしの勿怪(もっけ)の幸いである。これを願って、頑固爺丸出しの天気予報にかかわる文章は、これで打ち止めにしたいものである。表題には先走り、「天気予報、余話」、と浮かんでいる。

 「夕立」待望

 八月二十一日(水曜日)、夜明け前というか未明というか、現在は三時近くである。どっちつかずの時間帯は、表現に戸惑うばかりである。しだいに白み始める夏の朝の風景は、雨戸やカーテンなど用無しに開けっぴろげの前面の窓ガラスを通して堪能できそうである。私は夏の朝が好きだから、早起きの得にありつけそうである。
 起き出して来てパソコンを起動する前に、かたわらの窓ガラスを開いた。一基の外灯が雨無しの道路を淡く照らしていた。いつもの習性にしたがって、やおら椅子に座りパソコンを起動した。起ち上るまでには五分余りがかかり、さらに最初のヤフーの画面が開くまでには、なお待たなければならない。生来、私はせっかちの性質(たち)ではないと自認している。しかし、待っているあいだにイライラがいや増してくる。
 ヤフー画面が開くと下部の右隅には、きょうの天気が表示されている。表示には、(横浜)、と記されている。ずばり、鎌倉地方の天気ではないけれど、私にはこれで十分である。鎌倉市は横浜市と隣接し、とりわけわが住宅地は横浜市栄区と地続きにある。ちなみに、わが行きつけの歯医者は栄区「斎藤歯科医院」である。このため普段から私は、鎌倉地方の天気予報は横浜地方の予報と同一とみなしている。表示によればきょうの横浜地方の雨の確率は、五〇%である。気温表示もあるけれど、すでに暑さのピークは過ぎているから、もはやこちらは用無しである。
 きのう(八月二十日・火曜日)は、表題のつけようのない実の無い文章を長々と書いた。その挙句に表題は、初めて「無題」とした。焼けのやんぱち気分で付けた表題である。ところが、きょうの文章もまた、きのうの延長線上を免れていないなさけなさである。
 きのうの文章の大部分は、前日の雨の予報の外れに起因する書き殴りだった。だからと言って、腹いせに書いたわけではない。実際のところは、天気予報につきまとう「確率」に翻弄(ほんろう)されていたのである。天気予報における雨の予報は確率という、半面不確かな予報に基づいている。そのため当たり外れがあるのは、私のみならず誰でも知りすぎている。もちろん、外れても仕方のないところである。言うなれば天気予報の当たりはずれは、結果論と言うべきものである。おのずから、結果に恨みつらみをいだくのは、愚の骨頂と言えそうである。しかし、天気予報は人の日常生活の根幹に位置している。その証しに天気予報は、あらゆる媒体を通して時々刻々に伝えられてくる。結局、人の営みにおいては、天気予報こそ最良のありがたい情報と言えるものであろう。
 こんなにも有用な情報を伝えてくれるのは、気象庁ないし気象予報士である。だから予報の外れにたいし、おちょくったり、皮肉めいたことを言うことは、わがお里の知れるところである。そうは言っても、おととい、きのうと、二日続けて雨の予報が外れたことには、ちょっぴり腑に落ちないところある。すると、「気象のことだから、外れますよね。だから、あなたが気を揉むことはないですよ!」と、応援メッセージを送るのは、やはり「甘ちゃん」であろう。
 雨の予報は二日続けて外れ、私は大相撲の決まり手で言えば「かたすかし」を食らったのである。確かに、わがファンとする女性気象予報士・関口さんのせいではない。宇宙空間には気象衛星「ひまわり」が、目を凝らしてグルグルと回っている。科学者の知恵も、宇宙の神秘性にはいまだ敵(かな)わない証しと、言えそうである。未知の宇宙空間を回る「ひまわり」の過ちに比べれば、わが脳髄のしでかした過ちはとことん馬鹿げている。すなわち、わが脳髄はきわめて単純至極なことを過ち、さらには嘘を言いふらしてしまったのである。
 過日の文章で私は、全国高校野球選手権・夏の大会の決勝戦をきょうと、記した。ところがそれはわが過ちであり、決勝戦はあす(八月二十二日・木曜日)行われることになっている。わが過ちを詫びるところである。きょうの雨の確率は五〇%である。わが過ちを省みれば、外れても文句の言える筋合いにはない。気象予報士の過ちは不可抗力であり、わが過ちは薄ノロ間抜けのうっかりである。
 大空はどんより曇り、夜が明けてきた。雨の気配は、五分五分である。二日遅れても雨になったら、良しとすべきであろう。遅れた償いには、欲張って「夕立」を望んでいる。

無題 

 八月二十日(火曜日)、午後あたりから雨の予報にある。しかし、本当に降るかどうかはわからない。予報は、確率ということになっている。確率というのは、確かな度合いを百分比(%)の刻みで表すことである。だから、はずれても気象庁や気象予報士は、そんなに責任は問われない。いや、開き直りの言い草は、「気象のことが、100%当たるわけなどないでしょう」。確かにこう言われると、私はぐうの音(ね)も出なく、たちまちお手上げ(降参)である。へそ曲がりの私はその腹いせには、気象庁や気象予報士の仕事は気楽なものだな! と思うことたびたびである。
 こんな馬鹿げた書き出しをしていることには、卑近なところで確かな根拠がある。きのう(八月十九日・月曜日)は雨の予報だった。しかも確率は、結構高いものだった。ところが雨は二、三粒降ったにすぎず、ほぼ一日じゅう気温の高い夏の陽射しに見舞われた。日中にお猪口(ちょこ)を据えていても溜まるどころか、底を濡らすこともなかったであろう。企業であれば掲げた目標にたいし、こんなにもなさけない実績であれば、大目玉を食うどころか責任を問われるであろう。その挙句には人事評価に影響し、降格あるいは左遷さえ余儀なくするかもしれない。実際のところ気象庁や気象予報士の予報の外れにおける処置は、どうなのであろうか。いや実際には、まったくお咎めないのであろう。なぜなら気象予報士は、きのうの予報の外れにはまったく言及することもなく、なおしゃあしゃあときょうの予報を伝えていた。
 その予報によればきょうは、午後あたりから雨の予報である。しかし、再び外れても確率を隠れ蓑にして、言い逃れが存在するであろう。今の私は、馬鹿なことをよくも長々と書いたものだ。われながら呆れているところである。もちろん、予報が外れたとしても私は、気象予報士を責めることはまったくない。なぜなら私は、NHK地上波テレビの気象コーナーを担当されている、女性気象予報士の大ファンだからである。見目麗しい彼女には、実際にも心中では(気象のことだから外れますよね。ちっとも気にすることはありませんよ)と、応援メッセージを呟いている。同時につくづく、可愛い人は得だな! と思っている。確かに、関口さん担当の天気予報コーナーは、わが毎度の楽しみの番組外編である。
 さて、夏の盛りにあってわが狭小な庭中にあっては、夏草が茂り放題になっている。それを茂るままにほったらかしにしていては、憂鬱気分の一つを成すことになる。大袈裟に言えばそのため、草取りの決意を固めている。春先から四度目くらいの決意である。ところが夏の草取りは、夜明けまもない涼しいうちにかぎるのが最良策である。もちろんこの時間だと、夏の朝の風の涼しさはもとより、眠たいやぶ蚊の始動もいまだしのところがあるからである。
 ところがわが都合で困ったことは、夜明けには文章書きと道路の掃除がある。これらに草取りを加えれば三すくみの状態になり、にっちもさっちもいかなくなる。そのため今朝は、文章書きをいくら前倒しにして、草取りを実践するつもりにある。
 夜明けが訪れた。そのためこの文章は、尻切れトンボのままに書き止めである。書き殴りの成り行き文とて、凡庸の私にはほとほと手に負えないものがある。その証しには、表題のつけようもない実の無いない文章を長々と綴った。結局、ご常連の読者各位様にはかたじけなく思うと同時に、自分自身はなさけなさに気分が滅入っている。

過ぎ行く夏、近づく秋 

 八月十九日(月曜日)、きのうの気象予報士によれば雨の予報である。確かに、夜明けの空はどんよりとしている。ところが、今のところは雨無しの夜明けである。台風十号にともなう歓迎しない風雨はあったけれど、心地良い涼風をともなう夏の雨にはいまだに無縁である。できれば夕立を望んでいるけれど、そんな欲張りは捨てて夏の雨の一降りを望んでいる。そのため、きょうの雨の予報は憎たらしいものではなく、どちらかと言えば大いに歓迎するところである。
 夜明けの日課の道路の掃除は、雨の予報をかんがみてきのうの夕方に済ましている。起き出して来てすぐに窓ガラスを開いて、道路を眺めた。いや、確かめた。幸運にも道路は、綺麗な状態をとどめていた。朝の掃除を免れて、心中で喝采した。同時に、心が落ち着いた。
 いつもであれば焦燥感につきまとわれて、額に汗を滲ませてパソコンを起ち上げる。そのうえ、パソコンの起動の遅さにイライラをつのらせる。綴るテーマなどまったく浮かばず、焼けのやんパチでキーを叩き始める。こんな異常な精神状態で、心象で綴る文章が書けるはずもない。おのずから文章の書き出しはしっちゃかめっちゃかで、実際にはいつも変わり映えのしない書き出しに甘んじる。その証しは、現在この文章で明らかである。すなわち、手っ取り早いだけが取り柄の新味のない書き出し文である。もちろんわが非才ゆえで、埒(らち)明かずである。
 先週は八月盆とそれにともなう日本民族大移動、そして終戦の日、加えて台風十号に襲われた。よくもわるくも日本社会の夏の大きなイベントに、時ならぬ台風騒動が加わったのである。これらのことを顧みれば先週の日本列島は、この夏を画するほどの大騒動の一週間だったと言えそうである。実際にも先週の多くの国民は、楽しみと悲しみあるいは過去の悲痛をよみがえらせて、夏の一大イベントを過ごしたのである。
 確かに、先週の日本列島は、例年の習わしに台風十号に襲われて、てんてこ舞いの状態だった。そのため、先週が過ぎて週初の現在のわが心境は、芝居見物になぞらえれば呼び物の一幕が終わり、中入りを迎えた状態にある。同時に、この夏が終わりに近づいていることを実感している。
 全国高校野球選手権・夏の大会(兵庫県西宮市・阪神甲子園球場)は、きのうの準々決勝で四強が出そろった。そして、きょう一日休んで、あすの準決勝、あさって(八月二十一日・水曜日)の決勝戦となる。これを終えると毎年、日本列島には夏の様相が遠ざかり、秋の装いが近づいてくる。気象庁の中期予報によれば、日本列島の気温は先週あたりがピーク(頂点)にあり、この先は例年より低くなるという。この予報が当たれば、今週は去り行く夏を惜しむ週となろう。
 人間の心境には摩訶不思議なところがあり、暑さにこっぴどくやられても、去り行く夏には愛惜がつきまとう。案外、人間ゆえの妙味や知恵なのかもしれない。人間特有の情感をともなう感傷なのであろう。実際のところは去り行く夏の寂しさを失せさて、訪れる秋へ望みをつなぐ四季の恵みなのかもしれない。肌身に感ずる風は、きのうよりいっそう冷ややかである。去り行く夏を惜しみ、近づく秋への思いを膨らませて、八月下旬を無事無難に過ごしたいものである。雲間から、夏の陽射しがこぼれ始めている。もはや、柔らかい秋の陽射しである。

人生訓 

 八月十八日(日曜日)、秋の訪れを感ずるのは、わが肌の早とちりではない。確かに、秋が近づいている。網戸からさっと入る風は、きのうより肌身を冷やしている。おのずから、暑い夏の終わりを感じている。だからと言って、喜んでいるわけではない。寝起きのわが心中には、こんなことを浮かべていた。この夏のこれまで、夏のレジャー中の死亡事故および負傷をともなう遭難の人達は、どれくらいいたであろうか。すでに書いたことだけど、もちろん夏にかぎらずレジャー(楽しみ)中の瞬時における事故による災難は、私にはことのほかつらく思えるところがある。それは、楽しみが一瞬にして悲しみへと暗転するからである。もちろんすべての事故に共通する、事故特有の悲嘆である。
 八月盆が過ぎた。同時に、日本民族大移動の週はきょうが最終日である。日本の国の重たい八月の証し、すなわち「広島原爆の日」(六日)、「長崎原爆の日」(九日)、「終戦の日」(十五日)も過ぎた。そして、学び舎の夏休みも終わりに近づいている。過ぎ行く夏の総括はまだ早いけれど、それでも現在を生きる日本社会(国民)のこの夏の過ごし方が気に懸かるところである。
 今朝の私は念願の二度寝にありついて、爆睡にあずかり起き出してきた。一方では寝坊助(ネボスケ)となり、すでにカンカン照りの夜明けの中にいる。実際には、寝坊助による二つの罰当たりをこうむっている。一つは日課の朝の掃除が出来ないこと、もう一つは額に汗を滲ませて走り書きを始めている。
 いつもの私は、文章を書く前に朝刊を開くことなどめったにない。ところが、今朝の私は起き遅れの焼けのやんぱち気分で、購読紙朝日新聞朝刊(令和元年・2019年8月18日・日曜日)を開いた。実際のところは夜明けの陽射しに脅かされて、文章を書くのを諦めて開いたのである。すると、いくつかの見出しに「さもありなん」と思えるものに出合ったのである。内容を読む時はなく、大見出しだけである。そもちろん、個々のつながりはなく、私自身が落ち穂拾いのごとく拾ったに過ぎない。共鳴をおぼえた見出しは、これらのものである。「好きなことをして 君の道を生きて」(いじめで不登校の経験 タレント・中川翔子さん)。「悲しみ これからずつと」(京アニ放火1か月 犠牲の津田幸恵さんの父)。「必要のない人なんていないんだから 必要とされるものに必ず出会うから」(母・希林さんのバトン 悩む子どもたちへ 俳優・内田也哉子さん)。「人生にはレギュラーも補欠もない」(鶴岡東 全員野球の神髄)。開いてよかった。共鳴する人生訓がちりばめられていたのである。もちろん、寝坊助の手抜きではなく、留め置くに足りる人様からさずかった貴重な人生訓である。
 人生晩年の私も、一つぐらい人生訓を残したいものである。「人生は、泣いていてばかりでは前に進まない」。なさけなくも、マイナス思考著しい自分自身への警鐘と鼓舞である。

台風十号一過の日本晴れ 

 八月十七日(土曜日)、台風十号一過ののどかに晴れた夜明けが訪れている。台風十号はあいにく八月盆と重なり日本列島は、陸、海、空、の交通アクセスの乱れに見舞われた。おりしも、お盆特有の日本民族大移動の最中にあって、そのため方々に出かけていた人たちの足を混乱に陥れた。しかしながら一方、気象庁の大型台風の予報にたいしいくらか背き、日本列島各地の被災は小さくて済んだ。それでも、災難に遭われた人たちはいる。だから、それらの人たちからすれば、噴飯物の言い草になる。確かに語弊はあるけれど、しかし「不幸中の幸い」と言っていいほどに、台風十号は大過なく去った。しかし台風十号は、この先八月を過ぎて台風シーズンとの異称のある九月までを俯瞰すれば、先駆けのほんの序の口にすぎない。この先、今年の台風は何号で打ち止めになるのか、あるいはまだどれほど大きなものがひかえているのか、気が揉めるところである。
 台風となればふるさと熊本県や九州は、むかしからいまにいたるま通り銀座である。かてて加えてこのところは、かつては無縁に思えていた地震の多発地方にもなっている。そのたびにふるさと志向著しい私には、消息訊ねのふるさと電話が増えるばかりである。しかしながら、ふるさとがどんなに天変地異に脅かされても、私は懐郷の思いを捨て去ることはできない。いや、天変地異に脅かさるたびに、懐郷の思いはいや増すばかりである。
 日本列島が天変地異に晒されるたびに、余計つらさを逆なでされることでは、台風の場合は台風一過の澄みわたる日本晴れがある。時ならぬ集中豪雨による土砂崩れや洪水惨禍のあとには、こんどはたちまちの水浸しの土地が干からびるほどの日照りに見舞われる。恨めしい自然界の悪戯(いたずら)である。しかし地震だけは、それだけでは収まらず余震の恐怖がいや増すばかりである。やはり、地震こそ天変地異がもたらす、異次元の恐怖の筆頭と言えそうである。
 台風一過の日本晴れをすんなり喜ぶことはできないけれど、のどかな朝ぼらけにちょっぴり浸りたい思いはある。台風十号一過、そして八月盆過ぎて、この夏はいよいよ終盤に向かっている。日に日に、暑さも遠のいて行く。できればこの先、台風の出番無きを願いたいところである。ところがそれはわが叶わぬ願望であり、台風十号は台風シーズンの先駆けにすぎないことは、過去の体験上知りすぎている。一難去ってまた一難、天変地異の鳴動は、人間の願望や知恵を無残に蹴散らして、かつ時を選ばず訪れる。
 だとすればひととき、台風十号一過の日本晴れに酔いしれたい思いがある。朝夕の風は、すでに肌が冷やりとする秋の風になりかわっている。おのずから、台風シーズン間近である。

「八月盆」明け日(送り日) 

 八月十六日(金曜日)、八月盆の明け日の夜明けが訪れている。明け日としても間違いではないけれど、盆に使用する言葉としては違和感を自認している。本当のところは四日間の盆の最終日であるから、送り日こそ適当であろう。なぜなら、御霊を迎えて、そして送る日である。実際のところは盆の習わしにしたがい迎え火を焚いて、送り火を焚く盆ゆえの風習もある。ところが私は、盆の迎え日にあたる初日の文章において、うっかり入り日と書いた。本当は、迎え日と書けばしっくりするところだった。しかし、間違いでもないだけに、訂正せずそのままにした。いや、時の流れからしたら入り日と明け日のほうが、案外しっくりくるところはある。だけど、盆にあってはやはり、迎え日と送り日こそがふさわしく、正しい用い方であろう。
 こんなことを心中に浮かべながら、わが家の八月盆を顧みれば、日常が寸断されて非日常の生活に終始した。その挙句にはこの間、わが老夫婦の日常生活のペースは散々に狂った。実際にわが老夫婦の日常を狂わせたのは、この間における娘と孫(小学六年生)の来訪だった。ここでも私は、言葉の使用に戸惑った。娘だけなら里帰りという的確な言葉があり、なんらの戸惑いはない。ところが孫も一緒の場合は、この言葉の用い方に戸惑いをおぼえた。そのためやむなく、二人一緒の場合は来訪が適当かな? と思い、これを用いたのである。実際には娘が孫を連れて里帰りしたと書けば、すんなりするところである。
 寝起き早々に私は、言葉の用い方に戸惑い文章を書き始めたのである。確かに文章は、事象に最適な言葉を選び当ててこそ、正しくまたしっくりとくるものである。ところが、分かっちゃいるけど、それは私には至難の業(わざ)である。常々、文章にふさわしい言葉の選び出しや用い方の苦悶は、つまりわが非才の証しである。その挙句にはわが非才を晒して、書き殴りの成り行き文を書く羽目になる。娘たちの来訪は、世の中の人の口の端(は)に言いふらされている「来てうれしい、帰ってうれしい」の確かな実体験であった。とりわけ、「帰ってうれしい」の実感は、日常の寸断によりこうむるわが老夫婦の日常生活のペースの乱れ、かつそれによる疲れだった。
 娘たちは昨夜わが家を離れた。老夫婦は車の尾灯が遠ざかると、素早く茶の間へ戻った。そしてそれぞれが、それぞれの長いソファーに寝そべった。もちろん、共にくたくたの疲労を癒すためだった。明けてきょうの私は、パソコンを起ち上げる前にかたわらの窓ガラスにかかるレースと厚手の布のカーテンを開いた。どんよりとした曇り空の下、山の小枝は大揺れに揺れていた。するとたちまち、こんな言葉を心中に浮かべたのである。すなわち、前兆、前触れ、そして余波である。もちろん、台風十号にからんでの言葉である。
 きのうの「終戦の日」(八月十五日・木曜日)のNHKテレビは、「戦没者慰霊式典」の模様はごく短く伝えるにとどめて、ほぼ一日じゅう台風十号の接近模様の報道に明け暮れていた。終戦の日にあって、これにはわが腹の立つところがあった。浮かんだ言葉で、台風十号はいまだに途上と思えば、余波ではふさわしくないところがある。だからと言って前兆や前触れと言うには、もはやいくらか薹(とう)が立ちすぎて、これまた当を得ないところがある。これまた、言葉の用い方の難しいところである。結局、きょうの文章は、こんな実の無いことを書いてお茶を濁している。
 人様から「前田さんは、よく毎日文章が書けますね。わたしなど、はがき一枚を書くのに何日もかかっています」と、言われたことがある。もちろん、謙遜すなわち謙譲の美徳のお言葉である。すると、そのお言葉にたいする応えは、こんな実の無い文章を臆面もなく書いているせいである。
 小枝の大揺れは台風が過ぎた余波なのか。いやいまだ、前兆や前触れなのか。それともいまちょうど、台風の真っただ中にあるのであろうか。そうであれば大過なく、八月盆が過ぎてほしいと、願うところである。わが非才、もっと具体的には言葉の用い方に翻弄されたこの文章である。

「終戦の日」 

 きょう・令和元年(二〇一九年)八月十五日は「終戦の日」である。現在の時刻は夜中の一時三十分、熟睡はおろか目覚めて二度寝が出来ない。そのため仕方なく起き出して、パソコンを起ち上げキーボードに就いている。
 きょうの日本列島は、八月盆の最中にある。日本の国は七十四年前のきょう、すなわち昭和二十年(1945年)八月十五日、敗戦という憂き目をこうむり「太平洋戦争」を終結した。このときのわが年齢は、五歳とひと月だった。
 太平洋戦争の発端は、わが誕生年の翌年(昭和四十一年(一九四一年)十二月八日という。このことでは、わが幼年時代は戦時中にあった。幼年とは言え非日常の戦時下にあっては、恐ろしかったことやそれにまつわるものだけは記憶にある。それらは、警戒警報、空襲警報、半鐘の早打ち連打、防空壕、防空頭巾などである。空襲警報にともない父が馬小屋から馬を引き出し、大慌てで裏の竹山につないだことも記憶にある。農家の父はみずからの命のみならず、大事な馬もまた失いたくなかったのであろう。かてて加えて恐ろしかったことでは、ラジオから玉音放送が流れた日の記憶がある。しかしこちらの恐ろしさは、兄たちと一緒に叱りつけられた異母二兄の怒声である。二兄は海軍の軍務半ばに罹病し、軍人の志を遂げぬままに、無念にも自宅静養をしていた。軍人精神旺盛の二兄は、付近の川に魚取りや水浴びに出かけていた年の離れた弟たちを、玉音放送の後に呼び集めて叱ったのである。そののち顧みれば、普段は心優しい二兄の悔しさの表れだったけれど、恐ろしかったゆえに記憶にある。
 終戦の日と八月盆が重なったのは偶然なのであろうか。日本列島(日本国民)にあって、正月と盆は格別である。具体的には共に、日本民族大移動として現れる。主なることでは正月休みや盆休みを利用し、ふるさと帰りや里帰りが真っ盛りとなり、あるいは物見遊山や小旅行、さらには海外旅行たけなわとなる。この時期の日本社会の動向を映して、わが家にも娘と孫(小学六年生)がやって来ている。ごく小さなことだけど、そのためわが夫婦のこの二、三日は、やむなく日常が非日常へ様変わりしている。そのあおりを食ってきのうの私は、わが日常とする文章を頓挫した。きょうもその恐れに怯えていたけれど、「終戦の日」のことだけは留め置かなければならないと思い、起き出してきたのである。
 きのう(八月十四日・水曜日)の私は、いつも同様定期路線バスに乗って、これまたいつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出向いた。驚くなかれ! バスの車中も大船の街中も、さらには行きつけのそれぞれの店にも、人の姿はまばらだった。やはり盆の最中の日本国民の日常は、非日常を呈していた。もちろん、三年数か月に及ぶ太平洋戦争こそ、日本の国における非日常の最たるものであった。ところが、七十四年後の現在の日本の国は、太平洋戦争のことはもちろんのこと、戦後の日本の国の復興や日本国民の苦しみなど、忘れさるかのように繁栄している。もちろん日本の国の現在の繁栄ぶりは、喜ぶべきことで悪いことではない。しかし、喜ぶだけでは忍び得ず、「終戦の日」という表題だけは留め置きたいため、この文章を書いたのである。表題を「八月盆の日本民族移動」とするには、もちろん気が咎めるとろがある。

八月盆、入り日 

 月日は日めくりをめくったり、カレンダーを眺めながらめぐってゆく。かつては暦と言い習わしていたけれど、現在はほぼカレンダーという言葉で定着している。カレンダーには人の営みに利するように、行事、催事、歳時、かつまた季節を表すさまざまな事柄が付記されている。まさしく、時のめぐりを知る簡便な百科事典さながらである。こんなにも便利なものを私は、金を惜しんで毎年一〇〇円ショップで求めている。コストパフォーマンスすなわち費用対効果で言えば、費やした一〇〇円をはるかに凌いで大きな効果にありついている。その償いには日頃、一〇〇円のカレンダーに感謝しきりである。
 人はカレンダーにさまざまに記されている事柄を待ったり、あるいは追っかけて日常の営みを続けてゆく。もちろんそれは、楽しいことであったり、過去の悲しい出来事を偲ぶことであったりする。いや実際には楽しいことより多くは、 過去の悲しいことへの祈りと、新たな悲しみに脅かされる現実にある。
 過去の出来事の悲しみでは、きのうは三十四年前の日航機墜落事故(昭和六十年・一九八五年八月十二日)からめぐってきた、群馬県・御巣鷹山における慰霊の日だった。一方、悲しみの現実ではきのうには、途中経過と記した夏のレジャー(楽しみ)中に見舞われる、山、川、海から伝えられてくる遭難事故の多さである。きのうもまた、多くの人の命が絶たれたさまざまな事故がニュースの中に織り込まれていた。
 ところがアナウンサーの表情や言葉は、まるで日常の出来事のごとくに、無表情にあっさりと伝えるだけだった。もちろん無駄な抵抗だが、それでもこれにはいくらか腹が立った。私は楽しみの最中の一瞬の暗転をかんがみて、余計他人事とは思えず悲しみを共有した。
 きょう(八月十三日・火曜日)は、八月盆の入り日である。学び舎の夏休みに呼応し、勤務の人たちの多くは、つかの間のお盆休みや有休の最中にある。すなわち、今週の日本列島は、お盆の里帰りと夏のレジャーの最高潮にある。御霊を偲び新たに祈り、ひとときの夏のレジャーを楽しむことは、確かに人ゆえの善行であろう。だから、羨ましく思うことは、わがお里の知れるところである。そのため、無心にひたすら願うことは、日本民族大移動にともなう、あるいは夏のレジャー中の人様の無事である。
 確かに、週末休日と「山の日」の振替休日、そしてお盆休みを中に入れて、再び週末の休日がひかえていれば、日本国民の足はいやがうえにも浮き立つこととなる。しかしそれが、さまざまな事故の引き金にならないとは言えない。もちろん、いきり立った足を止めることは野暮であろう。しかし、いくらかの天恵なのか! お盆の入り日は、小雨模様の夜明けである。胸の高鳴りを抑える自重(じちょう)もまた、人間の知恵の一つであろう。カタツムリのごとく動かない私は、ひたすらいきり立つ人様の無事安寧を願う夜明けである。

 夏の悲しみ

 きょう(八月十二日・月曜日)は、きのうの「山の日」(八月十一日・日曜日、祝祭日)の振替休日である。遅まきながら私は、山の日の制定経緯をお浚いした。それには、インターネット上に記載の人様の学習と知恵を拝借した。それによると、海洋の恩恵を表すすなわち「海の日」があれば、山岳の恩恵を表す「山の日」があってしかるべきという。なぜなら日本列島は、取り巻く海洋と国土の七割を有する山岳が国のかたちを成しているという。おのずから日本国民の営みは、海の幸、山の幸、共に等しく享受して成り立っている。確かに、これには納得するところがある。
 次には、山の日が一定日・八月十一日に制定の理由をお浚いした。これまた、海の日の制定日と対比されるところである。実際のところ海の日は、一定日ならず七月の第三月曜日である。すなわち海の日は、出来るだけ連休を増やそうという、国の施策に沿って定められている。一方、一定日を成す山の日の制定理由には、こんなことが書かれていた。当初は、夏山シーズンでありかつまた八月盆の休みとの連携をもくろみ、八月十二日が考えられていたという。ところがこの日は、日航機が群馬県・御巣鷹山に墜落した日(昭和六十年・一九八五年八月十二日)にあたり、そのため毎年慰霊祭が催される。だから、十二日は避けて十一日になったという。正直言って、八月十一日に制定の本当の理由はなお不明だけれど、いくらかしっくりくるところはある。するときょうは、あすの八月盆の入り日(八月十三日・火曜日)を前にして、日本国民にとっては日航機墜落という大惨事がめぐってきた悲しい日である。天災すなわち天変地異の鳴動のもたらす災難のみならず、人災すなわち人の為す事件や偶発的事故のもたらす災難は、ひと際悲しい出来事である。もちろん、悲しい出来事に軽重はない。途中経過と言うには当を得ず、もちろん居たたまれない思いがある。
 この夏の山、川、海のレジャー(楽しみ)中にあって、すでに十六人の命が絶たれたという。楽しみの最中とあって、天災そして大きな人災に劣らず、ことのほか悲しい事故である。山の日そして海の日、さらには夏のレジャーにあって、鎮魂の祈りつきまとうのは、日本列島の宿命であろうか。日航機墜落の大惨事(犠牲者数五二〇名)がなければ、御巣鷹山の存在など知るよしなかった。だから、余計悲しい。群馬県では、「赤城山」を知るくらいである。もちろん、それくらいでよかったのに…、御巣鷹山の映像は観るにつらく、怫然(ふつぜん)とするばかりである。

 「山の日」

 「山の日」(八月十一日・日曜日)にあって、川はふるさとの「内田川」を浮かべて真夏の思い出に浸れば、山は落ち葉に悩まされている現実にある。だからと言って私は、もちろん山を川の後塵に拝するつもりはない。なぜなら、ふるさとの里山はたまた遠峰の山並を浮かべれば、川に劣らず山もまたさまざまな思い出を恵んでくる。
 内田川に匹敵する思い出の里山は、集落の名にちなむ「相良山(あいらやま)」である。実際にも私は、できるだけ山の近くという願望をたずさえて、現住する住宅地を求めた。なかんずく、山際の区画に決めた。確かに、現在の私は日々願望のしっぺ返しを食らっている。具体的にはそれは、真夏の暑気に耐えきれず枯れて、落ち葉の量を増やし始めている道路の掃除である。もちろん、夏季にとどまらず年末までこうむる、「北鎌倉・円海山山系」がもたらすわが苦行である。
 だからと言って、山河自然に優劣をつけるのは愚の骨頂である。なぜなら、山河共にわが人生行路を豊かにしてくれる自然界の恩恵である。もちろん自然界は、恩恵ばかりをさずけてくれるとは言えない。一旦自然界が暴威をふるえば、山の恐ろしさは山肌を剥がし崩れて、土砂を流し付近の家々を泥まみれに倒してゆく。一方、川の恐ろしさは、氾濫と洪水のもたらす水浸しの田園風景と、家並みを水中に沈めた荒漠たる光景である。これらに遭うと安穏(あんのん)を続けていた人の日常は、一瞬にして命を絶たれたり、あるいは阿鼻叫喚の地獄絵に晒される。
 しかしながら日本列島の人の営みは、山河の恩恵無しにはあり得ない。かてて加えて、飛びっきりの日本列島の特徴は、山河のもたらす健勝でもある。山河とはもちろん、山、川、海である。毎年、「海の日」(七月の第三月曜日、ことしは七月十五日、わが七十九歳の誕生日)にひと月近く先を越されるけれど、「山の日」もまたなくてはならない国民祝祭日である。夏山登山、川遊び、海水浴、すなわちこの時期の山、川、海の遭難無事を願うところである。
 今朝の道路の掃除は、夜明け間もない頃にすでに終えている。

 短い夏

 風に色別はない。もちろん、四季の色はない。風の違いを感ずるのは肌感覚である。昨夜の就寝時にあって、涼しいというよりなんだか寒いな! と、網戸をから吹き入る風を体感した。網戸にしたままでは、ようやく治りかけている鼻風邪をひき直しそうだと、恐れた。そのため、部屋じゅうの網戸のすべてを窓ガラスへ切り替えて寝た。台風予報がないかぎり、雨戸は用無しにしたままである。
 夜明け前四時近くに起き出して、パソコンを起ち上げる前にかたわらの窓ガラスを開いた。すると、まるで盗人(ぬすっと)のように、冷たい風がヌッと忍び込んだ。私は慌てて椅子に座り、眼鏡を外し机上の卓上カレンダーに、目を凝らした。いつもの習性で私は、小さな文字を見る場合には眼鏡を外している。卓上カレンダーにはきわめて小さな文字で至れり尽くせり、行事や催事はたまた季節の証しなどが付記されている。
 わが一〇〇円ショップで求める品物にあって卓上カレンダーは、まさしく費用対効果において、抜群の価値(有用)に位置する物の筆頭にある。手でなぞらえるようにしてしばし、立秋を探した。すると驚くなかれ! 「立秋」(八月八日・木曜日)はすでに過ぎていた。「ひぐらしの記」は、ほぼ毎日書く習わしにある。このため私は、季節のめぐりにはことのほか敏感と、自負するところがある。ところが、このところ気乗りのしない文章を書き続けていた罰が当たり、私は飛びっきりの四季のめぐりの証しを忘念していたのである。
 私は窓ガラスを閉めてパソコンを起ち上げ、文章の書き殴りを始めた。すると、咄嗟に心中に浮かんだ表題は、「短い夏」である。もちろんそれは、梅雨明け遅く夏になり、早や秋の風に驚いたせいである。きょう(八月十日・土曜日)は、あすの「山の日」(八月十一日・日曜日)を挟んで、振替休日(八月十二日・月曜日)へと繋ぐ三連休初日である。なお今週には八月盆(十三日から十六日)を挟んで、週末の休日がひかえている。学び舎は夏休みの最中にある。加えて、勤務の身の多くの人たちもまた、お盆休みや有給休暇の消化ゾーンに大わらわである。文字どおり季節は、真夏の真っただ中にある。ところが、今週を過ぎれば季節のめぐりに呼応し人は、短い夏を実感し始めるであろう。なんだかもったいなく、かつ名残惜しい短い夏になりそうである。わが身に染みた、夏の朝の涼しい肌感覚のせいである。
「長崎原爆の日」 
 このところの私は、衰弱傾向を強める老体を顧みず、ちょっとばかり働き過ぎたという自覚がある。そうは言ってもわが労働は、たかが知れている。実際にはわが清掃区域の道路周辺と、わが狭小な庭中の整理程度である。こんな子どもの玩具遊び程度の作業、いやいつものホラ吹きに準じて大袈裟に労働に置き換えれば、それでも体の節々を痛めている。その挙句には憂鬱気分を惹起し、気鬱症状という病をもたらしている。
 人生行路において、どう足掻いても抗しきれないものは、やはり年々加わる年齢である。なさけなくも、七十九歳(七月)になってこれまでになく、確りとそれを自覚するところである。そのため今朝は、おのずから文章の休養を決め込んでいた。そして、掃除の三種の神器すなわち箒、塵取り、ゴミを入れる透明袋を持参し、道路へ向かった。ところが、このところ特に丁寧に掃き清めていたため、掃除を免れた。引き返し、庭中の整理を始めた。するとこのとき、きょうは何の日? と、「長崎原爆の日」が浮かんだ。時間は六時を過ぎていたけれど、遅くなってもいいや、と作業を止めて家の中へ戻りパソコンを起ち上げた。そして、書き出したのがこの文章である。
 その意図は、日本の国および国民にとって、悔恨残る「長崎原爆の日」(昭和二十年・一九四五年八月九日、午前十一時二分)を留め置くためだった。たったこれだけの発意だけれど、もちろんやり過ごすことに後ろめたさをおぼえていたためである。すなわち、太平洋戦争は「広島原爆の日」(同年八月六日午前八時十五分)から二日をおいて、長崎市は米軍による人類二発目の原子爆弾の投下に見舞われたのである。過日、八月六日同様に早や朝日は、真夏の太陽を暑くきらめかせている。決して忘却してはならない、日本の国の哀しい史実である。これを書き終えいくらか気分が休めて、再び庭中へ戻ることとした。
 涼しい朝のうちのわずかな作業であっても、すぐに汗ダクダクとなる。昼近くの九州・長崎の空の暑さは、わが五歳間近の熊本の空で、十分に知りすぎているところである。

 駄文

 八月八日(木曜日)、夜明け前四時半近くにある。こんなことは恥を晒して書くまでもないことだけれど、もうかなりの時間鬱々として、無駄に時を流している。出口のない迷想にとりつかれているせいである。迷想の根源はあまたあるけれど、筆頭にはもはや生存自体が限界という、思いが渦巻いている。こんなことまで書いて、もちろん継続する価値はまったくない。私は、真夏の夢ならぬ悪夢にとりつかれている。この気分を克服するためには、おのずから克己心を旺盛にするよりほかはない。すなわち、人様の助けにすがる案件ではまったくない。
 先ほどまでの闇を切って、わが好む夏の朝がのどかに明け始めている。しばしこの模様を眺めながら、気分直しを試みることこそ、手っ取り早い無償の便法であろう。いまだ太陽の光は遠くに隠れて、白い空を彼方から淡く染め始めている。家並みの上を一羽の大鳥が羽ばたいて、鷹揚に飛んで行った。今朝にかぎらず、いつもの夜明けの光景である。鳥も日常の始動を始めているのであろう。文字どおり鷹の飛翔なのか、鷹の真似をするほかの大鳥なのか? 知るよしない。しかしながらわが気分直しには、かなりの役割を果たしてくれている。同時に、運よくこの光景に出遭うたびに、摩訶不思議の思う自然界現象である。
 大空は茜色を強めてきた。太陽の光が近づいてきた証しであろう。気分直しの便法は、やはり日課を寸断することなく、道路の掃除へ向かうのがイの一番と言えそうである。今、空き家の白壁に、キラキラ朝日がいっぱい輝き出した。結文にして、朝の行動を開始する。散歩常連の人様と、快い朝の会話を求めるわが都合である。結局、わが気分直しは人様すがりである。

悲しい感慨 

 きのう「広島原爆の日」(八月六日・月曜日)における「平和記念式典」の模様は、厳かにテレビで視聴した。わがほぼ毎年の恒例である。この中でいつも感動と感銘に心打たれるものは、男女一名ずつの子どもたちの詩の朗読である。実際のところはこの感動にありつくために、観ているのかもしれない。一方で広島市長や総理の挨拶には、虚しさつのるばかりである。もちろんお二人の虚しさは、想像するに余りある。それはもとより核廃絶の訴えにたいし、いっこうに実らない虚しさであろう。
 二人のなかでは特に、それでも毎年世界にたいし訴え続けなければならない松井広島市長の虚しさがあろう。しかしながらそうしなければ、原爆被災者と広島市民の悔しさは忘れ去られることとなる。もとよりこれは、「長崎原爆の日」(八月九日)においても、まったく同様であろう。だから私は、両日の広島市長および長崎市長の平和宣言には、両者の心中の虚しさや悔しさ、そして切なさをおもんぱかって見入っている。それは、せめてもの両市長にたいするわが感謝と励ましである。
 きのうの私は、七十四年前の広島原爆の日の暑さを体感するため屋外作業を試みた。それは、道路に垂れる法面の整理である。汗ダクダクだった。こんなに暑い日に、原爆が落ちたのか! 落とされたのか! わが悲しい感慨だった。投下した米軍機は『リトルボーイ』という。ふざけるな! 名づけがなおつらい。

「広島原爆の日」 

 「広島原爆の日」(八月六日・火曜日)、忌まわしい太平洋戦争にちなむ重たい月の始まりである。歳月は、年々出来事を過去へ遠退ける。だからこそ日本国民は、意識して記憶を新たにしなければならない痛恨事である。米軍による原爆投下は、昭和二十年(一九四五年)八月六日、午前八時十五分という。年号は、昭和、平成、令和へと遷(うつ)り、今年・令和元年(二〇一九年)は、それ以来七十四年となる。
 広島市へ原爆投下の日のわが年齢は五歳間近である。もちろん、太平洋戦争戦時下に身を置いていても、戦争にまつわる知識は就学後の教科書で知る史実にすぎない。そのため今朝は、記憶を新たにするためインターネット上の記事を読み漁った。そしてこれは、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの一部抜粋である。「広島市への原子爆弾投下は、第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器『リトルボーイ』を実戦使用した出来事である。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 ? 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる。」
 今を生きる日本国民の黙祷は、八月にかぎる主なものだけでもこう続いて行く。すなわち、「長崎原爆の日」(八月九日)、そして「終戦(敗戦)の日」(八月十五日)である。もちろん、八月にかぎらず太平洋戦争における日本の国と国民の悲哀は、多くさまざまにある。同年では「東京大空襲」(三月十日)、そして「沖縄慰霊の日」(六月二十三日)もまた哀しい出来事である。もちろん、太平洋戦争による悲哀を大小に分けることはできない。実際にも人それぞれに、ひそかに悲しむ日は測り知れなくある。
 今さら言わずもがなのことだけど、戦争は無辜(むこ)の命を亡くし、山河自然およびに人間社会に永久的に残るさまざまな惨禍である。広島原爆の日にあってきょうは、現下の高校生球児が躍る「全国高野球選手権大会」(兵庫県西宮市・阪神甲子園球場)の開幕日である。開幕式に先立って、黙祷が捧げられるであろう。真夏の風物詩と言われる甲子園大会にあって一方、やはり八月は日本国民の気分の重たい月である。

わが夏、つれづれ 

 枕草子風に書けば、夏の朝、夏の夕暮れ、いとをかし。なお、昼間の木陰、夕立、いとをかし。夏にあって、自然界がもたらす自覚する好感度である。ベストフォーと言いたいところだけれど、わが体験ではこれらに優劣や優位差はつけがたく、どれもがナンバーワンと言えるものである。今さら「おかし」の意味を記すことは、愚の骨頂すなわち野暮極まるところである。もちろん可笑(おか)しいではなく、情趣あるもの、趣き深いものという、古語や古文のおさらいである。
 一方、人間界すなわち人工の為す夏の恵みには、私の場合こんなものが浮かんでくる。先ずは夏限定の嗜好では、かき氷、西瓜がある。今や夏限定ではないけれど、やはり夏こそ旬(しゅん)の味覚と思えるものには、キュウリ、ナス、トマトの夏野菜三品がある。そして、店先の冷凍庫から目を凝らして探し出す、さまざまな氷菓子がある。さらには、土用の丑の日のウナギのかば焼きの香ばしい匂いには涎たらたらとなる。人工の知恵の恵みには、エアコンをはじめとするバスや電車の冷房装置がある。風呂場の簡便なシャワー設備もある。日常生活においては、すでに何度も書いてきた身なりや夜具の軽便さこそ、夏限定の醍醐味である。自然界や人間界のもたらすこれらの恩恵を体感し、私は期限付きの夏を堪能するところがある。そして、春夏秋冬にあって夏は、わが好む季節において、秋に次いで二番手に位置している。
 ひるがえって再び枕草子風に書けば、夏の蚊、夏の蝿、そして夏の蜂、いとわろし。夏の陽射しや日照りは、夏特有で覚悟の上にある。強いて書けば、夏の汗、いとにくにくし。よくもわるくも、夏は正味ほぼ一か月である。

 逃げた魚は大きい

 八月四日(日曜日)、苦心して書き上げたものが、一つのクリックミスで、一瞬にして消えました。一時間ほどかけて探しましたけれど再び現れず、涙をのんでパソコンを閉じました。手元まで釣り上げた魚は、わが最も好むばかでかい「鯛」でした。表題だけが残り、諦めきれず記すと、「夏にさずかる恩恵」でした。心残りのする、夏の朝の不甲斐ない出来事です。

外交 

 八月三日(土曜日)、梅雨明け以来清々しい夏の朝を迎えている。ところが、台風八号が近づいている。しかしながらこちらは、自然界現象ゆえに何ら抵抗できず、もちろん予備も叶わず為すがままである。
 人間界ではこのところの日本の国は、近隣諸国との外交が危なっかしくなっている。具体的には日朝はもとより、日韓外交が風雲急を告げている。日露はたび重なる首脳会談も焼け石に水のごとくに、ロシアの強持(こわも)て外交が続いている。日中は互いの本音や本意が分からず、常に曖昧模糊の外交に終始している。わが柄にもなく、たまには日本の国を取り巻く近隣諸国との外交を俯瞰しょうとすれば、おおむねこんなところであろう。もちろん、メディアのもたらすニュースに基づいた、わが下種の勘繰りにすぎない。それゆえに、必ずしも当を得ない見方であろう。外交の難しさをあらためて感知しているところである。
 国と国の交わり方すなわち外交も、つまりは人と人の為す交渉事である。そうであれば自然界現象とは異なり、友好に向かって打開策や改善策があってもよさそうである。ところが実際のところは逆で、人と人の交渉事ゆえにいっそう深みに嵌(は)まる傾向にある。ひと言で言えば人の為すことは、常にきわめて厄介ごとである。もちろん、時の為政者の保身や野望さらにはいたずらな駆け引きが、国を危うくすることくらいは、教科書の学びから知り尽くしている。なお言えば外交は、双方共に面子(めんつ)を嵩(かさ)にして熱(いき)り立ったらおしまいである。
 確かに、人の付き合いにあって、近所付き合いの難しさは知り尽くしている。自然界現象にはひたすら我慢や、耐えるより便法はない。一方、人間界のお付き合いには、隠忍自重だけでは済まないところがる。だからそれを凌ぐには、万物の霊長と崇(あが)められる人間の佳き知恵の見せどころでもある。私は、外交に深入りする知識は持ち合わせていない。だから、これでおしまいである。ばかじゃなかろか、こんな難しいこと、書かなきゃよかった。

 平均寿命

 長生きは個人として、国民として、そして日本の国にとって、悪なのか、損なのか、もはや喜ぶべき事象ではないのか。わが腑に落ちないものの一つである。個人レベルではせっせと病医院へ通い、病医院はあらゆる医療技術を駆使し、そして国は財政を極度に圧迫させながら途轍もない医療費を費やして、三位一体(さんみいったい)で成し得た結果である。すなわち平均寿命の延びは、国を挙げて努力した結果である。
 本当であれば結果という表現ではなく、「成果」に置き換えて国民挙(こぞ)って寿(ことほ)ぐべきことであろう。そしてこの間、国は国民の命を縮める戦争をしなかった証しでもある。言うなれば平均寿命の延びは、何事にも勝る日本の国の舵取りに報いる最大かつ最良のご褒美と言えるであろう。
 ところが、さしたるニュースにもならず、このことに関し安倍総理の記者会見やコメントもなく、なんだかひっそり閑としたニュースで過ぎた。これまた、わが腑に落ちないところである。時の総理はこれこそ胸を張って、国民個々人の努力、あらゆるレベルの医療関係者、そして日本政府の施策にたいし、敬意のコメントを発するべきであろう。それなのに長生きが後ろめたい気分に陥るのは、再々のわが腑に落ちないところである。私は後追いで記事を探し、遅れて「ひぐらしの記」に記し置くものである。なぜなら、とどめて置くに十分値(あたい)するニュースだからである。
 【平均寿命、男女とも過去最高…30年で5歳延びる】(2019/07/30 21:56 読売新聞)。「厚生労働省は30日、2018年(平成30年)の日本人の平均寿命が女性87・32歳、男性81・25歳となり、ともに過去最高を更新したと発表した。前年と比べると、女性は0・05歳、男性は0・16歳延びた。平成の30年間をみると、男女とも5歳ほど寿命が延びた。平均寿命は、その年にうまれた0歳児が平均で何歳まで生きるかを予測した数値。過去最高の更新は、女性が6年連続、男性は7年連続となった。1989年(平成元年)の平均寿命は女性81・77歳、男性75・91歳で、男女とも5歳余り寿命が延びた。厚労省は『医療の進歩でがんや心疾患、脳血管疾患などの死亡率が低下したことや、健康志向の高まりが要因ではないか』と分析している。海外の最新統計をもとに国・地域別でみると、女性は世界2位、男性は3位で、前年と同じ順位。男女ともに世界1位は香港で、女性は87・56歳、男性は82・17歳だった。」
 難癖を恐れることなく、ときには国を挙げて慶びたいところである。もちろん、戦争による一時の凱歌や凱旋ではなく、日本国民が不断に挙って成した胸の透く歓喜である。だからこれこそ、日本の国が世界に堂々と誇れる、銀メダルと銅メダルの輝きである。

八月初日 

 八月一日(木曜日)、風邪・鼻炎症状が長引いたままに、八月まできてしまった。風邪は万病の因(もと)だから、何かあるのかな? とちょっと恨めしい月替わりである。
 夏到来と同時にテレビ画面の上部には、日本列島各地の猛暑(高気温)を表すテロップがひっきりなしに流れ始めている。テロップには熱中症予防や対応、はたまた病院への搬送者数がつきまとっている。これらのテロップは、もちろん夏の風物詩と言うには語弊がある。しかし、日本列島の夏の暑さや厳しさを如実に示すものとは言えそうである。
 日本列島の夏の暑さは、生まれてこのかた慣れっこである。ところが不思議なことに、毎年史上最高気温という言葉が氾濫する。アスリート(競技者)になぞらえれば、毎年最高気温の記録を更新続けているありさまである。しかしながら私の場合、これにはいくらか疑わしい思いもある。なぜならそれは、今やはるかに遠いわが子どもの頃の夏は、もっと暑かったような記憶のよみがえりのせいである。当時、わが出生地・熊本の夏は、毎日茹だるような暑さだった。すると、暑さ凌ぎに小走りしてドブンと飛び込んだのは、わが家の裏に流れている「内田川」だった。
 もちろん当時の私は、今のように日本列島各地の気温など知るよしない。家人は、九州の夏いや熊本が一番暑いとも言っていた。私はこの言葉を信じていた。ところが、テロップに熊本はたまにしか現れず、日本列島にあって熊本を凌ぐ高気温地方は数多(あまた)ある。すると私は、日本列島の本当の夏の暑さや厳しさは、いまだに未体験である。
 具体的には、毎年恒例のごとくテレビ画面に映る日本列島の高気温地方、すなわち埼玉県熊谷市、群馬県館林市、岐阜県各務原市、大分県日田市などは、わが想像上の暑さのままである。しかし一方、冷夏では拍子抜けするところもある。だから、望むところは程よく暑く、早めの秋の訪れである。
 「ひぐらしの記」を書くようになって以来、毎年書かずにおれないのは、わが身にとっても日本の国にとっても八月は、気分の重たい月ということである。わが身ではきょうは、フクミ義姉さんの祥月命日である。日本の国にとっては、「広島原爆の日」(八月六日)が先駆ける。八月初日、無事安寧を願うのはわが毎年の習わしである。暑さはみずからの知恵で凌げても、無事安寧はあてにならない神様恃(たの)みである。ちょっぴり、歯がゆいところである。

「夏が来て」、思い出すがり 

 梅雨明けて、夏が来た。しかし、子どもの頃から持ち続けてきた「夏が好き」という季節感は、もはやかつての輝きはない。いや、これまでの夏が好きという季節感は、返上すべきところにきている。子ども心に宿った、夏が好きという要因を今さら浮かべている。すると、浮かぶものにはこんなものがある。夏休み、生家の裏を流れる「内田川」の水浴び、かき氷、西瓜、アイスキャンデー、などである。さらに思い出を加えれば、猿股パンツだけを穿いての日常生活、夜の蚊帳吊りの冷やりとする感触なども、好感度としてよみがえる。並べてみればたったこれだけである。なのに、人生の終盤に至るまで、私は夏が好きという季節感を持ち続けてきたのである。その最大の要因を成していたのは、内田川の水浴びだった。いや、内田川は水浴びにとどまらず、水遊びのさまざまな楽しさをもたらした。それらの中でイの一番は、魚取りの楽しさだった。魚取りには、テグスを垂らした「魚釣り」があった。円い水中眼鏡を額にかけて潜り、見つけた魚を目がけて、鉾のゴム紐を素早く引く「魚突き」があった。また、箱眼鏡を覗いての魚突きや筌(うけ)を仕掛けての魚取り、さらには夕方仕掛けて翌朝に引き上げる「はい込み」(ふるさとの川魚漁法)があった。顧みればこの漁法は、大海の延縄漁法(はえなわぎょほう)の真似事みたいなものだった。
 結局、わが夏が好きという季節感は、実際のところは内田川の水遊び一辺倒からもたらされていたのである。ところがそれは子どもの頃限定で、それを過ぎればしだいに実体験は遠のいて、思い出になり替わったのである。そして現在は、はるかに遠い夢まぼろしの体験としてよみがえる。とどのつまり、内田川の水遊びを失くした季節感は、実際のところはとうに色褪せてお蔵入りである。その挙句にはこれまでの夏が好きという季節感は、年々遠のいてゆくばかりである。
 それでも、なお夏が好きという季節感が保たれている。現在は、これらの恩恵からもたらされている。心中に浮かぶままに、それらを並べてみる。それらには、身なりや夜具の軽装、風呂場の脱衣と着衣の軽便、夏の朝と夕暮れの肌感触、西瓜および夏野菜三品すなわちキュウリ、ナス、トマトの美味、そしてかき氷やアイスキャンデーはもとより、それらに負けず劣らずさまざまな氷菓子の美味しさなどがある。子どもの頃に身に着いた夏が好きという季節感は、確かに今や後塵を拝するまでになっている。それでも、「夏の思い出」としてよみがえらせれば葬り去ることはできず、秋に続いていまだ二番手くらいには位置している。
 確かに、待望の夏到来! とは言えなくなって、ちょっとばかり寂しいところはある。その元凶は、内田川の水遊びが夢まぼろしになったせいである。しかしながら救われるのは、当時の佳き思い出はいっそうピカピカと光り、現実の夏の暑さや厳しさを和らげてくれそうである。幸い思い出には限りがない。「夏の思い出」の膨らむ夏が来たのだ! と思えば、嘆くにはあたらない。想い出の膨らみは、わが心の持ちようしだいである。するとやはり、まだ夏が好き、と言そうである。

梅雨明けて、夏の朝 

 七月三十日(火曜日)、七月はきょうとあした(三十一日・水曜日)の残り二日である。なぜ分かりきったことを書いたかと言えば、今年の梅雨明けがこんなにも長く延びたからである。驚くなかれ! 去年と比べて三十日も遅い梅雨明けある。このことは、梅雨明け願望が長いあいだ挫(くじ)かれてきた証しでもあった。関東地方も、やっとこさ梅雨が明けたのである。もちろん、梅雨が明けることは異変ではない。しかし、例年に比べて遅すぎた梅雨明けは、やはり異変であろう。
 おのずから、梅雨明け後の夏は短くなる。暑い夏になるのか、涼しい夏になるのか、梅雨の延長線上で雨の多い夏になるのか。天変地異の鳴動の夏だけは、御免蒙(ごめんこうむ)りたいものである。
 【関東甲信地方が梅雨明け 去年より1か月遅い】(7/29日・月曜日、11:00配信 ウェザーニュース)。「今日7月29日(月)11時、関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると、気象庁から発表がありました。関東甲信地方の梅雨明けは、記録的に早かった昨年よりちょうど1か月遅く、平年より8日ほど遅い夏の到来です。今年は関東で、特に曇りや雨の日が多く、記録的な日照不足となりました。東京都心では今日29日(月)も弱いながら降水を観測し、6月27日から33日連続で降水があったこととなり、1954年の記録を超え過去最長記録となっています。また、梅雨期間中の降水量も多く、東京では400mmを超え、平年の同じ期間と比較しても約1.4倍の雨が降っています(同期間平年値:293.1mm)。この先は例年と同じく晴れる日が多く、各地で真夏日が続く予想です。35℃以上の猛暑日となるところも多くなります。こまめな水分・塩分補給や、帽子・日傘を使用するなど、熱中症には十分に警戒をしてください。また、東京などでは朝晩も気温がなかなか下がらず、熱帯夜となる日が多くなります。昼間はもちろんのこと、寝るときもエアコンや扇風機を使用するなど、室温を適切に保つようにしてください。」
 梅雨の総括と梅雨明け後の夏の気象の予測は、これで十分であろう。このところわが実感するところは、しだいに日の出の遅さと日暮れの早さである。そして、わが身にまつわる切実さは、しだいに迫りくる買い物難民の現実である。このところ頓(とみ)に、定期路線バスを利用しての街中・大船(鎌倉市)への買い物が億劫(おっくう)になりはじめている。加齢はまた一つ、「くわばら、くわばら」、という呟(つぶや)きを重ねている。
 ようやく雨なく、清々しい夏の朝が訪れている。今朝は文章を優先し、結んで道路の掃除へ向かうこととなる。長く待ち望んでいた夏の朝の到来である。

ままならない夜明けの優先順位 

 七月二十九日(月曜日)、朝日が昇る夜明けが訪れている。言い訳をたずさえて、走り書きに甘んじているのは、わが意に反しもうコリゴリである。これまで、こんな愚痴こぼしを何度繰り返してきたことだろう。それを改める意志無く、いや改めようとしても何度も繰り返しているのは、まるで聞き分けのない子ども同然である。文章と道路の掃除の時間帯の重なりは、本当に今すぐに正すべきわが身に課された案件である。十二年来それを案じながら今なお解決に及ばないのは、わが意志は赤ちゃんが夜泣きを止めることより、なお薄弱と言えそうである。
 どうしたことか昨夜の私は、寝床へ寝そべってもいっこうに睡眠に落ちなかった。きのうはナイターもなく、妻が留守中でもあり、私は夜の七時あたりから寝そべった。ところが、延々と寝付けず目が冴えて、眠ることがだけ当座の目標になった。するといっそう寝付けず、どういう体勢が眠れるのかと、ばかじゃなかろか、体勢の試行を繰り返した。もちろん、寝付き易い体勢の試行は、輾転反側(てんてんはんそく)との抱き合わせだった。するとまた、眠れない状態がいっそう強まった。
 とうとう業を煮やし起き出して、仕方なくパソコンを起ち上げた。メールを開いた。すると、「ひぐらしの記」にはお馴染みで、すでに何度もご紹介済みの渡部さんから、メールが届いていた。再びご紹介すれば渡部さんは、現在埼玉県所沢市にお住まいで、会社同期入社の親しいお仲間のおひとりである。ところが、ひぐらしの記にちなんでは友情をはるかに超えて、格別の恩情をたまわっているおひとである。渡部さんは同期仲間にたいする激励と称されているけれど、激励をさずかる私にすれば、激励とはまったく別物のご厚意である。なぜなら、渡部さんには「ひぐらしの記」の初刊から直近の第75集まで、すべてを有償購入にあずかっているのである。だから今の私は、渡部さんを友人の範疇を超えて、常にあふれる敬愛心をたずさえて慕っている。
 渡部さんは長崎県のご出身であり、熊本県出身の私とは九州出身という、同郷の誼(よしみ)もある。この誼が特に強まるのは、全国高校野球選手権大会の地区予選においてである。プロ野球にかぎらず高校野球ファンの私は、トーナメント戦で争う地区予選は、初戦から代表校の決まる決勝戦にいたるまで、最大の関心事である。それらの中では沖縄県代表校を筆頭に、九州各県代表校に目を凝らしている。次には、群馬県代表校に関心がある。この理由は、会社同期入社仲間の石原さん(埼玉県さいたま市ご在住)が、文武両道でかつては野球強豪高校の一つに、高校球児の夢を馳せておられたからである。言うなれば、石原さんの母校応援である。九州各県代表校としては、長崎県大会の渡部さんの母校である。なぜなら、渡部さんの母校は、毎年代表権を争う有力校で、甲子園常連校に位置している。
 もちろんイの一番は、熊本県大会におけるわが母校である。ところが、校歴は長いにもかかわらずわが母校は、熊本県代表さえいまだにはるかに遠く無縁である。今年のわが母校の地区予選の戦績は、初戦は勝ったけれど、早々に二回戦負けであった。
 渡部さんのメールの内容は、母校が決勝戦に勝って晴れて長崎県代表校になったという、晴れがましい伝達メールだったのである。早速、私は祝意を込めて返信メールを送信した。その時刻は、22:56、と刻まれていた。メールの送信を終えて、再び寝床へ寝そべった。しかし、そののちも長く寝付けず、結局浅い眠りのままに五時半近くに目覚めて起き出してきた。すでに夜明けが訪れていた。私は窓を開いて道路を眺めた。文章書きと道路の掃除を天秤にかけた。逸る気持ちは、道路の掃除を優先した。急いで玄関口を出て物置に向かい、掃除の三種の神器、すなわち塵取り、箒、ビニール袋を持って道路へ向かった。このとき、掃除を終えれば文章を書こうと決意していた。そのため、いつにも増して無心かつ懸命に道路を掃いた。夜明けまもない淡い朝日なのに、掃除を終わってみれば体じゅうが汗まみれになった。しかしその甲斐あって、落ち葉散々で汚かった道路は綺麗になった。
 足早にわが家へ戻り、階段を二段上がりに急いで、キーボードに就いた。そして、走り書きに書き出したのがこの文章である。夜明けの文章は道路の掃除とイタチごっこで、わが常に悩まされているところである。特にきょうは寝不足の祟りと、走り書きのしっぺ返しをこうむっている。もちろん、駄文の言い訳でではなく、わが凡庸の証しである。

車内光景、車窓風景 

 きのう(七月二十七日・土曜日)は、東京都国分寺市に住む次兄宅を訪れた。その往復は、わが家最寄りのJR大船駅(鎌倉市)と、次兄宅最寄りのJR国分寺駅の電車利用である。その道程を繋ぐのはJR新宿駅乗り換えで、JR湘南新宿ラインとJR中央線である。夏休み中だからなのか車内光景には、子ども連れのヤングママ家族が目立っていた。もちろん、中高生や大学生にいたるまで、生徒および学生風の若者たちも多く乗車していた。これらの人達に拮抗するかのように、高齢者の姿も多く見られた。つまるところ、老若男女混然一体の車内光景だった。
 ところが混然とする人たちも、スマホや端末機の手動作、あるいはイヤホンを耳にさして俯いている姿はみな一様だった。私とて帰りの車内には、携帯電話を手に持っていた。それは妻のスマホからひっきりなしに届く、Cメールの受信のためであった。受信内容は、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦の逐一リアルの戦況模様だった。つまり私もまた、様変わる車内風景の仲間となっていたのである。かつての新聞や週刊誌、はたまた雑誌や文庫本に読み耽る風景は、見る影もない車内光景だった。すなわち、巷間言われている出版不況や活字離れの元凶を晒していた。そして、これらの車内光景は、今さら気づいて驚くことこそ、時代遅れの謗(そし)りを招きそうに、人に馴染んで根づいていた。
 一方、車窓から眺める風景は、車内光景の変容を凌ぐほどに、これまた様変わりを続けていた。それは、どこかしこ一様に立ち並ぶ高層ビルの風景だった。一見、森林を真似て「ビル林」と、呼びたくなるような風景だった。ところが、車窓から見えるあちこちには、なお高層ビル建設の仕掛り状態が目白押しを成していた。それらを見ながらわが心中には、加速する少子高齢化社会を浮かべていた。すると、(こんなに高層ビルを乱立させてどうなるの?)と、私は日本社会の行き先を案じていた。
 杞憂であろうか? 老婆心であろうか? それとももはや「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」になりさがったのであろうか。車内は、リアル(現実)の社会勉強の場を成していたのである。

現下、伝えられた二つの日本社会の現象 

 きょう(七月二十七日・土曜日)は「土用丑の日」である。本来であればすでに夏本番である。遅く梅雨入りした九州地方はすでに梅雨が明けている。気象庁は近畿地方や中国地方にも、すでに梅雨明けを宣言している。確かに、自然界や気象のことゆえに筋書き通りにいかないことくらいは、凡庸の私でも十分承知している。それでも、これらの地方より早く梅雨入りした関東地方には、いまだに梅雨明けの宣言はない。今朝も梅雨空の雨の夜明けである。近づく台風の影響という。いささか、狐につままれた思いである。
 さて、いつもの習性にしたがって私は、目覚めて起き出し顔さえ洗うことなく、焦燥感をともなってパソコンを起ち上げた。すると、メディアの報じる配信ニュースを読み漁ることなく、起ち上げすぐのヤフー画面の一覧の中に、こんな項目を見た。一つは「令和婚五月、婚姻件数が倍増」、そして一つは「ウナギ価格『うなぎ上り』各社工夫」である。おりふしの日本社会の現象を留め置くことは、「ひぐらしの記」の役割と自認するところがある。このため、日本社会の現象を伝える配信ニュースを引用することは、自作のネタ切れや手抜きではない。「そうか、そうなのか」という思いをたずさえて、私は悪びれることなく引用を試みている。そしてきょうは、多くの配信ニュースの中から二つを引用し、並記するものである。
 まずは【5月婚姻数、昨年の2倍=「令和婚」で届け出増か-厚労省】(7/26日・金曜日、9:56配信 時事通信)。「元号が「『令和』に変わった今年5月の婚姻件数が、昨年同月の2倍近い9万3128件だったことが26日、厚生労働省が公表した人口動態統計(速報値)で分かった。同省担当者は『改元に合わせて結婚した人が増えた結果では』と分析している。改元当日には『令和ベビー』の誕生も話題になったが、出生数は減少した。厚労省によると、2004年以降、5月の婚姻件数は、5万~6万件台で推移してきたが、昨年は4万7453件に減った。今年5月の婚姻件数は約2倍に増えたが、出生数は7万9694人で昨年より約3000人減った。離婚は約1200件減の1万6698件だった。」
 次には、きょうの土用丑の日にちなんで、ウナギの価格にかかわるものである。引用する部分は、全体記事の中から一部抜粋である。
 【27日は「土用の丑の日」、定食や牛丼チェーンは客を期待、コンビニは予約販売のみ】(産経新聞)。「27日は、うなぎの消費がピークとなる『土用の丑の日』。暑さが本格化する中、スタミナ食として夏バテ防止のためにも季節行事を楽しみたいが、乱獲や生息環境の変化で稚魚の減少が深刻化し、価格は毎年“うなぎ上り”だ。それでも、季節を感じられるようなメニューを提供したい大手外食やコンビニエンスストアは、手を出しやすい価格に抑え、高額な専門店と差別化を図っている。」
 どちらも、あえて記事全文を読むまでもなく、見出し項目で理解できるものである。しかし、令和元年七月に伝えられた日本社会の一端を示すものであれば、やはりひぐらしの記に引用し留めて置くべきものであろう。ウナギの価格で言えばもはや中国産を毛嫌いすることはできず、いやむしろ目を凝らし中国産一辺倒になりそうである。私にかぎらず、これまた大きな日本社会の様変わり現象と言えそうである。もちろん私は、中国産の切れ端を探すこととなる。実際のところは、夏の訪れいまだしを口実にウナギの購入を避けるだろう。この点では長引いている梅雨明け、手パチパチである。美味を知り尽くしているウナギを遠ざけざるを得ない、わが甲斐性無しがほとほとなさけない。

うれしいお便り 

 「ひぐらしの記」は人様のご好意とお支えかつ励ましにより、ようやく継続が叶っている。このことはひぐらしの記を書き始めて以来こんにちにいたるまで、私自身が最も肝に銘じて金科玉条とも言えるわが思いである。ところが、生来軽佻浮薄(オッチョコチィ)の私は、この肝心要を逸脱しのぼせ上がる傾向にある。そのため、この思いからの逸脱は、わが心中における絶えない警(いまし)めとなっている。この警めは、互いに不断信頼し合い交誼にさずかる人様において、特に意をそそぐところがある。なぜなら、私自身の軽率な行為や無礼で、交誼が絶えれば泣くに泣けない思いに苛(さいな)まれることとなる。
 きょう(七月二十六日・金曜日)今の私は、こんな思いをたずさえて文章を書いている。具体的にはいただいたメールを事前の許可なく、不特定多数のブログに公開を試みているからである。もちろん、公開の決意までには大いなる躊躇(ためら)いと葛藤を余儀なくした。それでも意を賭けて決行したのは、そうせずにはおれない「うれしいお便り」だったからである。メールのやりとりに名を記しているお方は、かつて存在した「日本随筆家協会」の随筆お仲間である。中井和子様は現在福島県福島市ご在住であり、山内様は東京都東村山市にお住まいである。お二人は、当時の随筆家としてのご活躍のかたわら、すでに好著の単行本を数冊上梓されている。もちろん、今なお文筆活動旺盛に継続中である。
 山内様とは普段電話のやりとりで、そのうえブログでひぐらしの記をお読みくださり、常に心優しい批評と激励をたまわっている。一方中井様とは、たがいに加齢になり交流が遠のいていた。このこともあって中井様からのメールは、思い及ばずそのぶんうれしさあふれるものだったのである。中井様からいただいた受信メールはこうである。
 前田様:長いことご無沙汰しておりますが、前田さんの日々のご様子は「ひぐらしの記」を拝見しておりますので、私としましてはご無沙汰にも思われないのです。それに、私のパソコンが新しくなりましたら、一発のクリックで前田さんの「ひぐらしの記」が表れるので嬉しくて、「そうですね…、わかります」などと独り言ちしながら読ませて頂いております。私は86歳も過ぎて体調に振り回されて書く元気をなくしております。そろそろ近くなったのでしょうか、古事記や、万葉集などに、ヤマトタケルの本を買ったり、妙な心境になっています。では、ますますのご健筆を。」
 これにたいするわが返信メールはこうである。
 中井和子様:お知らせいただいたメールアドレスのテストを兼ねています。お便りありがとうございました。互いが高齢になると、消息そのものが気に懸かり、その挙句には交流が遠のいてしまいます。中井様のことを気に懸けていたところで、お変わりなくてうれしいお便りでした。パソコンで読んでいただいているそうで、かたじけなくも感謝に堪えません。もはや、文章のかたちを失くしていますが、私の生存のしるしとしてときおり「ひぐらしの記」を覗いてくださいませ。山内さんとは交流が続いています。まだまだ筆を擱くことはもったいないです。次作を待っています。
 私はひぐらしの記がもたらした快感にしばし酔い、お二人様の御人柄をかぎりなく偲んでいた。わが軽率な行為で、お二人との交誼を失くしたら大損である。

「老い散々」 

 なんだか、「老い散々」である。一足飛びに、七十九歳の体になってしまったようである。具体的な現象としては、全身が大小の筋肉痛に見舞われている。そのせいでわが立ち居振る舞いや歩行は、鈍亀(ドンガメ)状態にある。主治医先生の処方箋による抗悪玉コレステロール薬は、能書に示されている副作用の著効を自覚し、現在は服用を止めている。するとこの筋肉痛は、加齢によるものであろうか。そうであればこの先いっそう身体に根づいて、もはや避けられないものかと、恐れがいや増している。もちろん、一時的なものであってほしいと、願っている。
 確かにこのところの私は、筋肉痛の誘因になるような作業を続けてきた。その一つは、道路側壁の上の山の法面のアジサイの手入れである。それが済むとこんどは、わが庭中のアジサイや木々の手入れをしたのである。こちらのほうは、束ねたり透明袋に詰め込んでいたものをきのうゴミ置き場に出した。確かに、このところの作業には普段にない難渋を強いられた。
 一方で、「これしきのこと」と、という思いもあった。私は農家の出である。そのため、農作業の大変さは知り尽くしている。同時に、農作業に懸命に立ち向かう、農家の人たちの働きぶりもまた知り尽くしている。これらに比べればわが作業は、短い時間内のまるで「ままごと遊び」同然であった。これしきのことで音を上げるようでは、生前の母が垂れ続けていた人生訓にも背くことになる。母の人生訓は、「するが辛抱」そして「楽は苦の種、苦は楽の種」だった。私は作業を続ける中で、心中に母の人生訓をよみがえらせていた。それは、快い母恋い慕情でもあった。なぜなら、作業のつらさを和らげてくれた。
 さて、きのう(七月二十四日・水曜日)は文章書きを休んで、いや実際にはそれを犠牲にして掃除を優先し、私は夜明けまもない道路へ向かった。道路の側溝には紫大根のタネが零れ落ち、側溝に沿ってひと筋長く、萌黄色に芽吹いていた。紫大根のタネは長引く梅雨と連日の雨の恩恵を得て、短いあいだに若々しいいのちを育んでいたのである。
 山の法面の紫大根のタネは、もともと私自身がばら蒔いていたのである。すると、今では法面に根づいて晩春の頃まで、散歩めぐりの人達の目の保養を成している。ところが一方、紫大根のタネはアジサイの手植えと併せて、私には自業自得とも思える仕打ちをもたらしている。見ようによっては美的な緑のひと筋を成している。ところが私にとっては、憎たらしい邪魔ものである。雨続きに風も加勢したのであろうか。道路には山から吹き落とされた小枝が、狼藉をきわめて汚らしく散らばっていた。この区域の清掃を自任する私には、見て見ぬふりはできない汚らしい光景だった。
 きのうの私は、いつものプラスチック製の腰掛に座り、側溝に萌え出た草を手鎌でかき出しては、椅子をずらしながら前進を続けた。この作業に一時間半ほどかかった。次には道路全体を掃き清めた。これに一時間ほど費やした。結局、二時間半余りの作業を強いられたのである。私は、掃き清めたごみを大きな七十ミリリットルの透明袋がはち切れんばかりに詰めた。作業を終えたわが体は、汗ダクダクだった。きのうは、伐採した木々や落ち葉などの週一水曜日の回収日であった。そのためこのほか、私は庭中に仮置きしていた物を分別ごみ置き場へ移動した。それはふるさとの山中の薪取りさながらに重たく束ねた八束と、ずしりと重たい透明袋四つの移動だった。しかし、たかがこれくらいの作業で、筋肉痛になったとは思いたくなかった。
 苦は楽の種、苦の先に楽は訪れるであろうか。いやこの先、苦はいっそう苦の種を強めそうである。筋肉痛は梅雨明けを前にして、わが決意の発奮による一時的なものと思いたいところがある。ところが加齢のせいであれば、のちのちいやいのち果てるまで厄介である。

大相撲名古屋場所、鶴竜優勝 

 目覚めて起き出してきて、すなわち寝起きにあって気分も脳髄もまったくととのわないままに書いている。いつものわが習いである。だから気分をととのえるためしばし、雨戸とカーテン共に開けっぴろげの前面の窓ガラスを通して、夜明け模様を眺めている。これまた、いつものわが習いである。そのため文章は常に夜明け模様から始まり、日々変わり映えのしない書き出しを連ねている。しかしながらこれは、私にはきわめて有効である。なぜならちょっと間の気分鎮めにあずかり、いくらか気分の切り替えに浴するからである。確かにそれにより、気分は寝起きの状態から始動態勢になる。本当のところは睡眠状態をほうむられ、朦朧頭が冴えてくると、書きたいところである。しかしながらそうとはならず、実際のところは時間に急かされて、やはり脳髄は目覚めぬままに、書き殴りに甘んじている。
 七月二十三日(火曜日)、夜明けの空は雨降りである。もしかしたら、梅雨明け前の最後の雨の夜明けなのかもしれない。そうであれば毛嫌いすることなく、しばし雨に親しみたいという思いがある。もちろん私は、長梅雨の雨に未練心を宿すようなロマンチストではない。きのうの気象予報士の週間天気予報によれば、雨はきょうを打ち止めにして、あすから週末までびっしり晴れマークが並んでいた。そうであれば現在の雨は、長梅雨の最後を飾る大団円となりそうである。やはり、ちょっぴり未練心が沸いてくる。
 参議院議員選挙日と同日の煽りを食って、いくらか旧聞になるけれど、私はいつものわが習いの後追いを試みている。実際にはすでに千秋楽を終えた、大相撲名古屋場所の後追いである。大相撲名古屋場所の千秋楽(七月二十一日・日曜日)には、横綱鶴竜(井筒部屋)が十四勝一敗で優勝を飾った。鶴竜の優勝は通算六度目である。千秋楽の取組は、二人の横綱同士すなわち対白鵬戦だった。敗れた白鵬は十二勝三敗だった。この場所には、こんな異例があった。三人は途中休場を余儀なくし、さらには全休の一人を加えて、結局は四大関のすべて休場したのである。力士には怪我がつきものであり、もちろん非難する気は毛頭ない。それでも、場所の盛り上がりや興味を殺がれたことはいなめない。
 ところが、それを救ったのは二人の横綱である。その証しにはいつも何かにつけて難癖をつける横綱審議会は、久方ぶりにこんな好意のコメントを残している。
 【横審が両横綱を称賛】(7/22・月曜日、23:23配信 毎日新聞)。「日本相撲協会の横綱審議委員会(横審)が22日、東京・両国国技館で行われ、矢野弘典委員長(産業雇用安定センター会長)は、名古屋場所を14勝1敗で制した横綱・鶴竜に対し『けがを克服し、よく頑張った』とたたえ、『まだまだ大丈夫。(現役を)やってほしい』と期待を述べた。千秋楽結びの一番で敗れ、優勝を逃した横綱・白鵬については『12勝だから横綱としては合格。4大関不在でどうなるかと思ったが、両横綱とも場所を引っ張った』と評価した。」
 確かに、旧聞にはなるけれど、いつもの習いを書き記して、ホッとするところはある。「ひぐらしの記」の真髄は、わが日暮らし、人様の日暮らし、そして日本社会の日暮らしをメモランダム(備忘録)に記すことに尽きるのである。きょうは人様、すなわち鶴竜の優勝を称えた後追いのメモ書きである。
 雨は小降りになり、大空が明るんできた。梅雨明けて夏到来、間近である。わかっちゃるけど、変り映えしない文章である。

わが下種(げす)の勘繰り 

 七月二十二日(月曜日)、薄明りの夜明けが訪れている。確かに、このところは日の出が遅く、日没が早くなったことを自覚している。しかしながらいまだに梅雨は明けず、夜明けにかぎれば澄明で清々しい夜明けは遠のいたままである。たぶん今朝の夜明けも、朝日は望めそうにない。自然界現象には逆らえず高をくくっていたけれど、そろそろ長い梅雨に飽き始めている。
 長引いている梅雨明けを前にして慮(おもんぱか)るのは、来年(二〇二〇年)の「東京オリンピック」の開催期間(日程)である。予定されている東京オリンピックの開幕式は七月二十四日である。今年に準(なぞら)えれば、あさってということになる。ところが技、日程の都合で開幕式に先駆けて、一部(サッカーなど)前日から競技開始が予定されているものがある。もちろん、来年の梅雨明けの時期は、気象庁のみならずだれしも予測できるものではない。しかし、今年の長引く梅雨明けの延長線上から鑑(かんが)みて、大いに懸念するところはある。これまた、私がどんなに気を揉んでもどうなることでもない。けれど、日本国民のひとりとして、やはり気を揉むところはある。もちろん、このことで自分自身が気鬱になることはない。いくら、マイナス思考に凝り固まっているからと言って、確かにこんなことで気鬱症状に陥るのは愚の骨頂である。
 さて、きのう(七月二十一日・日曜日)の日本の国の出来事を記すと、それは国政における参議院議員選挙の投開票日だった。選挙結果は、政党それぞれが事前にほぼ予測できた通りのようである。これが良いことかあるいは悪いことかは、もちろんわが判別の埒外(らちがい)にある。しかしながら、投票行動や選挙結果にワクワクするものはまったくない。このことでは私自身、好ましい選挙と言えそうにない。なぜなら、選挙にはやはり、肝心要の有権者の燃え逸る気持ちがなければ、世直しなど空念仏にすぎないであろう。選挙に躍るのは政党や候補者だけであり、このところの国政選挙は、有権者の気持ちと遊離するばかりと思えるところがある。それは巷間(こうかん)言われている、小選挙区制のせいであろうか。もちろん、当てにならないわが下種の勘繰りである。やはり選挙には、宝くじを買ったときのようなワクワク感が必要であろう。初めから当たりくじと空くじが決まったような国政選挙は、もとより有権者の戦意喪失を招くであろう。かてて加えて下種の勘繰りを付加すれば、「お為ごかし」とも思えるテレビ各局の、開票速報合戦も興ざめである。開票つかの間にあって、「当確」表示に出合うことには私の場合、虫唾(むしず)が走る思いになる。ワクワク感が殺がれるどころか、投票所に出向いた有権者を蔑(ないがし)ろにしているようにも、思えるのである。すなわち、素早いだけが取り柄の「当確」表示の開票には、わがせつなさや余韻など蹴散らされるばかりである。
 私は確かにへそ曲がりである。なぜなら、選挙の開票が始まると、チャンネルを変えている。選挙結果を知るのは、翌朝の新聞報道くらいで十分である。言うなればこの間くらいは、投票行為後のワクワク感に浸りたいものだからである。ふるさと・内田川における魚釣りにあっても、澄み切った水中に餌をつつくのが見えては興ざめである。魚影の見えない水中にテグスを垂らし、浮きがぴくぴくし、「引くひく」とつぶやいて、手ごたえを感じてこそ、魚釣りの妙味がある。
 世の中は手間暇の掛かる「アナログ」から、スピードオンリーの「デジタル」へと様変わる傾向にある。再び下種の勘繰りをめぐらすと、選挙の投票行動の楽しみは、結果が出るまでの手間暇の楽しみと、自認するところである。鉄道の旅でも各駅停車には、各駅停車特有の楽しみ方がある。私の場合は、味もそっけもない早いだけの開票結果を求めてはいない。いや、開票結果には手間暇に付きまとう、ワクワク感を求めているのである。
 案の定、夜明けの空は朝日の見えないどんよりとした梅雨空である。今にも、雨が降りそうである。

嗚呼、マイナス思考の決意くずれて  

 七月二十一日(日曜日)、気象庁の予報外れて、関東地方の梅雨明け宣言はいまだにない。夜明けの空模様は、四時前のこの時間帯では知るよしない。雨戸、カーテン共に開けっぴろげの前面の窓ガラスから望める外界は、いまだ夜のたたずまいである。科学技術の粋を尽くし、「気象衛星八号・九号」まで宇宙空間に飛ばしても、気象観測は正鵠を得ないままである。だからと言ってもちろん、気象庁を責める気にはなれない。なぜなら、気象や自然界現象にあって一〇〇%の確立を望むのは、人間界の我欲や傲りとも言えそうである。いや、一〇〇%当たらないところに自然界の神秘や神髄があり、かつまた大空への果てしないロマンもいだけるところがある。何事も狂いなくことが済めば、案外味気ないものかもしれない。人生もまた然りといいたいところである。
 しかし人生は、そんな悠長な気分にはなれない。いや人生は、実際のところこの狂いを是正するために、生涯において悪戦苦闘を強いられる。ときには苦闘が報われて、快感や快哉すなわち喜悦にありつけることはある。それを一つの言葉で表現すれば、文字どおり悲喜交々という言葉が浮かんでくる。しかしながらこの言葉は、もちろん「悲喜・五分五分」という意味ではない。実際のところ人生は、喜びにありつけることなどほんのちょっぴりで、その多くは悲しさにつきまとわれる。なかんずく、生来のマイナス思考に凝り固まっている私の場合は、絶えず悲しさに打ちのめされている気分にある。バカじゃなかろか! 実際のところ生来のわが身から出た錆で、確かに馬鹿の本然と言えそうである。だから私の場合、わがマイナス思考をみずから咎めていては、文章を書き続けることはできない。いや実際にはマイナス思考はもとより、恥も外聞もさらけ出さないかぎり、文章の継続はあり得ない。
 私は目覚めて起き出し、すぐにパソコンを起ち上げては、メデイアの配信ニュースを一覧する。それを終えて、キーボードに張りつく習性にある。そして、この習性こそ、わが日常の始動である。目覚めては、何らかの言葉が浮んでいる。言葉は、事象を表現するにまさしく用意周到である。今朝の目覚めにあっては、きわめて日常語のこんな言葉が浮かんでいた。あえて記すとそれらは、空威張り、空元気、そして空念仏である。過日の七十九歳の誕生日(七月十五日)の文章にあっては、もちろん空威張りの意は毛頭なかった。ところが、空元気さながらにマイナス思考停止の決意をした文章をしたためていた。しかしこの決意は、案の定わずか一日で元の木阿弥となり、結局は空念仏を唱えていたにすぎなかったのである。もちろん、私自身かなり想定内の危なっかしい決意だった。ところがこの決意は、想定外に易々と脆く崩れたのである。まさしく、一日かぎりの空元気であり、空念仏にすぎなかった。その挙句には、生来の身から出た錆をこっぴどくこうむっている。
 幼稚園児でも分かりきっている言葉だけれど、あえて並べた三つの言葉の意味を電子辞書でお浚いを試みる。「空威張り:実力がないのに、表面ばかえらそうに、また強そうにすること。空元気:うわべだけ元気があるように見せかけること。空念仏:①心のこもらない口先だけの念仏、②実行のともなわない主張。」
 きのう(七月二十日・土曜日)の私は、マイナス思考のぶり返しに見舞われて、あっけなく文章を書く気分を殺がれていたのである。この思いが尾を引いて今朝の目覚めには、こんな言葉が浮かんでいたのであろう。罪つぐないに、知りすぎている言葉をお浚いし、文章継続の途絶えを防いだのである。しかし、自分自身に腹の立つ、実の無い文章である。
 夜明けみれば雨はないものの、どんよりとした梅雨空である。マイナス思考停止の決意くずれて、わが気分はそれに輪をかけてどんよりとしている。

 惨たらしい人災

 梅雨はすんなりとは明けない。梅雨明け前には、大小何らかの自然災害がもたらされる。このことは、これまでわが見聞してきた記憶である。このことでは梅雨明けを間近にひかえて、私は自然災害を恐れていた。ところが自然災害ではなく、人が人様の命を一瞬にして殺める人災が起きたのである。実際には、火を放った大衆かつ大量の殺人事件である。それは、あまりにも理不尽な人災であった。
 本当のところは、こんなことは「ひぐらしの記」に書きとどめて置きたくはない。しかしながら、日本の国にあって実際に起きた、市井の穏やかな日暮らしを瞬時に暗転させた忌まわしい出来事であった。だから、ほおかぶりするには被災者にたいし忍びないものがある。
 「アニメ制作会社『京都アニメーション』(本社・京都府宇治市)の京都市伏見区にあるスタジオで18日に起きた放火火災で、京都市消防局によると、さらに32人の死亡が確認され、死者は計33人となった。警察庁によると、放火事件の犠牲者数としては平成以降、最悪。府警によると、身柄を確保された男は運転免許証などから関東在住の41歳で『死ね』と叫びながら放火したとの目撃情報があり、放火殺人事件として調べている。府警によると、現場からハンマーと包丁数本を発見。ガソリンを運んだとみられる携行缶も見つかった。いずれも男が所持していた可能性があるとみている。」(7/18・木曜日・14:00 共同通信配信)。
 重複するけれどこの記事に、朝日新聞朝刊(2019年・令和元年7月19日・金曜日)の記事を重ねるとこうである。「18日午前10時35分ごろ、京都市伏見区桃山町因幡のアニメ会社『京都アニメーション』の第一スタジオから出火し、鉄筋コンクリート造りの3階建ての建物延べ約700平方メートルの大半が焼けた。京都府警によると、33人(男性12人、女性20人、不明1人)の死亡が確認された。このほか36人が病院に運ばれ、うち17人は入院中で意識不明の人もいる。残りの大半は軽傷という」。
 梅雨季特有の土砂崩れと川の氾濫や洪水がもたらす自然災害をはるかに超えた、一人の男がしでかした大衆かつ大量の殺人事件であった。そしてそれは、人災は自然災害をはるかに超えて、手に負えないことをあらためて知らしめたのである。もはや日本の国は、治安を誇れる国とは言えない。天災のみならずいやそれを超えて、日々人災に恐々とする国に成り下がっている。

 雨のない夜明け

 七月十八日(木曜日)、薄っすらと夜が明け始めいる。現在は四時半近くである。起き出して来て一時間ほどは、ぼんやりとしていた。どうやら、風邪をひき直したようである。花粉症状は免れているけれど、症状の良く似た鼻炎症状が気分を塞いでつきまとっている。
 夜明けの空を絵画の画板を覗くかのように、のんびりと眺めている。まるで絵描きの絵筆遣いのように大空は、時々刻々と色合いを変えている。自然界の絵筆遣いは大パノラマを描き、かつ荘厳でもある。だから、ぼんやりとずっと眺めていてもまったく見飽きはしない。久方ぶりに、雨のない夜明けの恩恵にあずかっている。そのためかこれまた、久しぶりに早起きの得にありついている気分である。
 「夏至」(六月二十二日)から早や、ひと月が近づいている。この間は梅雨の季節であり、雨が多く夜明けの変化に疎く過ぎてきた。しかし、明らかに夜明けは早くなっているであろう。私は夜明けの早い夏の朝が大好きである。現在の夜明けは、少しばかり夏の夜明けに似ているようである。しかしながらいまだに梅雨明けの確報はなく、それどころか台風五号と大雨情報が同時進行で予報されている。このことからすれば今の夜明けの空は、似非(えせ)の夏の夜明けの空と言えそうである。それでもやはり、彩雲たなびく夜明けの空の恩恵を台無しにはしたくない。
 実際にはこのところの雨の夜明け続きで出来なくなっていた、道路の掃除へ向かう決意である。朝日は彩雲を蹴散らかし、陽射しを強め始めている。散歩常連の人たちとの挨拶は、たがいに「久しぶりですね。雨ばかりでしたね」と、なりそうである。約三十分の殴り書きで結文し、行動開始である。
 きのうの雨の朝には、雨に濡れたアケビの青い実が道路に転がっていた。私はその実を指先で拾い上げ、しばし童心返りと郷愁をつのらせていた。

アジサイの手入れ完結編 

 七月十七日(水曜日)、今朝もまた梅雨空から雨の夜明けである。しかし、いくらか小降りの雨に救われた。現在の時刻は、五時三十分ちょうどである。寝起きの私は夜明けまもない薄明りを待って、道路へ出向いた。もちろん、就寝中の隣近所へ音をたてないよう肝に銘じて、隠密行動さながらである。そして、五十分近くの作業を終えて戻り、キーボードに就いている。作業は、ちょうど一週間前に実行したアジサイの手入れの完結編である。
 樹木の伐採ゴミや落ち葉などの回収日は、週一の水曜日と決まっている。先週の水曜日は、作業を十一時近くに終えたため、九時頃の回収車には間に合わずじまいだった。そのため、きょうを待って一週間、所定のところに仮置きしていたのである。今朝は、そのゴミを分別ゴミの場所に置き換える作業だった。
 精一杯大きく束ねた束を、十二束も出す作業だった。その挙句それらの束は、ほぼ一週間雨に濡れて緩々(ゆるゆる)になったり、周辺に散らばったりしていたのである。いくらか想定はしていたけれど、やはり想定外のことで、束ね直しなどを強いられたのである。
 作業は小降りの雨に濡れながら難渋をきわめた。そのせいでやり終えたときの身体は雨と汗まじりになり、濡れネズミ同然となり茶の間に戻った。早起き鳥の妻は、茶の間でテレビを観ながらノートにボールペンを走らせていた。
「今朝のゴミ出しは、たいへんだったよ。雨も降ってるし、十二束もあったよ。そのうえ、雨に濡れていてほどけたり、散らかったりしていたよ。だから、束ね直しもしたから、汗と雨だくだくだよ」
「一度に、そんなに多く出して、全部、もっていってくれるかしら?…」
「知らないよ!」
 同情をあてにした会話は無情に外れて、疲れがいや増した。
 茶の間を離れて二階へ上がり、この文章を書いたのである。うんざり気分は、雨やゴミ出しの難渋のせいばかりではない。同情をせがんで、外れたのがいちばんわが身に堪えている。

人様に「おんぶにだっこ」のわが人生 

 七月盆の送り日(七月十六日・火曜日)にあって、梅雨明け宣言は未だしとはいえ、今朝もまた雨の夜明けである。このところは雨の夜明けが続いている。
 きのうのわが誕生日(七十九歳)から一夜明けて、きょうは八十歳に向けてのカウントダウン初日である。この先の日めくりは、わが生存日を一日一日減らし続けてゆくことになる。それを嘆いて無駄に過ごすか、だったら実のある日々を過ごすか、どちらにしてもわが意志や心掛けに左右される。
 ところがきのうの私は、いつものマイナス思考を蹴散らして、実のある生き方を決意したのである。決意と実践は必ずしも一致しないけれど、みずからわが身を疑うほどのあっぱれな決意だった。思い及ばずそれをもたらしたのは、大沢さまのご投稿文だった。私は、ご投稿文からわが身の余る感動と感涙をさずかったのである。読み終えるとすぐに私は、御礼の文章を書き添えた。そして、こんな感動にありつくことが出来るなら、なおこの先も生き長らえてみたいという、これまでとは矛盾した欲望が充満したのである。
 きのうの誕生日を迎えるまでの私は、八十歳へつながる七十九歳の誕生日の訪れに辟易し、日々鬱陶しさをつのらせていた。その証しには誕生日にちなむ祝意など、意識的に遠のけていた。ところが、大沢さまのご投稿文を得て、わが心はまさしく豹変のごとく様変わりしたのである。大沢さまのご投稿文は、呻吟しながら「ひぐらしの記」を書き続けてきたことにたいし、ご褒美を得たような快感をもたらしたのである。もっと単刀直入に言えば、それまでの苦悩が報われたような快感だったのである。すると私は、再びそれにありつきたいと、この先の実のある生存を望んだのである。
 きのうの夜明けの雨は、ときおり陽射しをほころばせて、降ったり、止んだりした。すると、私と妻は止んでいる間に以心伝心、阿吽の呼吸をたずさえて大船(鎌倉市)の街へ出かけた。そして、買い物ついでを逆転させて、誕生日祝いをメインにし、回転寿司のカウンターに二人の身を置いたのである。まるで「瓢箪から駒」と思える、咄嗟の「誕生日祝宴」にありついたのである。
 この想定外の和みは、もちろん大沢さまのご好意と身心の優しさが綴られたご投稿文のおかげである。きょうはこのことを再び記して、大沢さまにたいする御礼の気持ちを重ねるものである。わずかに一夜明けにすぎないけれど、今のところまだ、この先への実のある生存の決意は崩れてはいない。わが人生は、人様に「おんぶにだっこ」である。

 きょう「七月十五日」のつれづれ

 気象庁の予報によれば関東地方の梅雨明けは、今週末あたりになると言う。ほぼ予報どおりであれば、平年並みの梅雨明けと言う。仮に予報が狂って長引いても、梅雨明けまでの鬱陶しさをこうむるのは、あと一週間か十日の我慢で済みそうである。
 ちなみに昨年は、過去のデータ上で最速の六月二十九日に明けたと言う。そのせいもあってか今年の梅雨は、余計長く感じられるのであろう。輪をかけて今年は、わが体験的には雨の日が多いようにも感じている。確かなことは、梅雨明け後の気象庁の発表を待つところである。
 さて、きのう書いた文章の二番煎じ風に書けばきょうは、心中に盛りだくさんのことが浮かんでいる。それらを披歴すればこんな事象である。カレンダー上では、「海の日」(七月十五日・月曜日、祝祭日)と記されている。おのずから、三連休の最終日にあたる。ふるさとは、「七月盆」の三日目にある。御霊はあすの送り日には再びのお墓参りで、仏壇からお墓へ連れ帰されることとなる。迎え日(十三日)から送り日(十六日)のこの間にあっては、御霊を偲んでしめやかに心のこもった盆の催事の最中にある。仏壇には手作りの供物が山高に盛られ、座敷や仏間には盆提灯が何本も吊るされているであろう。かてて加えて、絶え間ない蝋燭の明かりと線香の匂い、わが心中に浮かぶふるさとの盆にまつわる原風景である。
 ふるさとでは今なお盆と正月は、年中の一大行事である。そんななか、毎年めぐり来る盆の最中の「七月十五日」には、二つの私事を刻んでいる。一つは、昭和六十年(一九八五年)に死没した母の祥月命日にあたる(享年八十一歳)。そして一つは、わが誕生日である。かねてから恐れていた、七十九歳がとうとうとやって来たのである。そしてそれは、八十歳へと続く「三六五日」のカウントダウンの始まりでもある。もちろん喜べるものではなく、ひたすら無念ただよう感慨一入(かんがいひとしお)である。しかし、無病息災で生き延びてきたことだけには、ちょっとばかり快い感慨をおぼえるところがある。しばし、御霊の命、母の命、そしてわが命に、思いをめぐらしてみようと思う。わが誕生日にまつわる、祝宴や祝膳の予定はない。いまだ、梅雨の合間の雨の夜明けである。
 静の舞 投稿者:大沢 投稿日:2019年 7月15日(月)10時17分5秒
 前田さん、お誕生日おめでとうございます。前田さんのお誕生日と言えば、JR大船駅の駅中にあった「千寿司」のことを思い出してしまいます。「ひぐらしの記」に奥様と二人でお誕生日をお祝いして「千寿司」を訪れる様子が書かれていました。私は今年も思い出しました。懐かしさのあまり七十五冊の「ひぐらしの記」を開いて、七月十五日の日の文章を読み返しました。文章に残っていると言うことの有り難さを今更のように思い知らされました。
 「ひぐらしの記・雨の日暮らし」に『切ない日』と題して、故郷の長兄様から「きょうは、おっ母さんの命日だし、おまえの誕生日でもあるね。元気で誕生日を迎えたろうだいね」とお電話が入ったと書かれておりました。
 「夏の原風景」には『平成二十一年七月十五日』の中で二歳になったお孫さんのあおばちゃんの順調な成長と来週に来訪とのことが書かれており、表紙を飾っているのは長兄様とその奥様のフクミ様、前田さんと奥様である。
 「父の追憶」では『古稀の食事会』の中に奥様と千寿司でのお祝いが記されています。
「きょうは主人の誕生日です」という奥様の言葉に若い職人さんは、さりげなく二人のお皿に一つずつ大きなマグロの握りを添えてくださったとのこと。
 「野菜作りの魔術師」では前田さんの友人で退職後畑仕事にいそしんで悠々自適の暮らしをされている渡部さんが表紙の写真を提供してくださっている。渡部さんは海釣りでは太公望の腕前、合気道は師範とのこと。「ひぐらしの記」の出版のつどご購読いただいている。この号には『私の誕生日、人の営み』の中で竹馬の友の富田さんから土佐の鰹が届いたとのことで電話でそのお礼の会話が記されている。ふるさとからは姪御さまから誕生祝いの電話が入ったとのこと。この日は「千寿司」で誕生祝いのこと。
 「ひそかな記念日」には『誕生日の誓い』と題して前日にあおばちゃんのバレエの発表会に出かけた様子が書かれており、誕生日のお祝いは「千寿司」とのことだった。
 四十四冊目の『燃える日本列島』では長兄様ご夫婦との故郷電話の会話が記されている。フクミ義姉様との会話が切ない。
「わたしゃ、いっちょん(まったく)病気をせんけー(しないから)、とても元気ばいた(です)。しいちゃん、帰ってきなっせ。銭ばかり貯めたっちゃ(ても)、なんになろん(どうにもならないよ)! 待ってるから、帰ってきなっせ(来てください)」
 元気な働き者のフクミ義姉様は、翌年畑仕事を終えての帰りに倒れて亡くなられた。
 翌年の五十冊目には長兄ご夫婦の台湾旅行の写真が飾った。この号『露命』にはフクミ義姉様の訃報「フクミ義姉さん! さようなら」「義姉在りし日の思い出」が掲載されている。七月十五日付では「母恋う日」の中で奥様の言葉「パパの誕生日には、『千寿司』へいこうね!」とともに、夫婦中睦まじくすることは、生前の母のたっての願いだったとある。
 「千寿司」は、この後閉店になってしまった。しかし、前田さんご夫婦の仲睦まじい「千寿司での誕生祝い」はひぐらしの記の中で今も息づいている。
 前田さんの名前の「静良」はお父様がこよなく愛しておられた静御前の「静」の一字を取って名付けられたとうかがっている。ひぐらしの記の中でその舞を舞い続けてください。
 これからもますますの健筆を念じています。(現代文藝社の掲示板より)

 わが身に余る幸福 投稿者:前田 投稿日:2019年 7月15日(月)12時11分56秒
 何たる大沢さまの優しさであろうか。これまでの「ひぐらしの記」にかかわるわが苦悶は、一瞬にして吹っ飛んでしまった。手間暇かけて、もちろんご面倒をおかけして、過去の文章をひもといて、名文でよみがえらせてくださったのである。わが腐れかかった七十九歳の命はまたたく間に息づいて、ピカピカと光っている。これこそ、人様から思いがけなくたまわった幸福というものであろう。伏魔殿とも言える世の中にあって、こんなにも優しい人が存在されていることは、まさしく驚嘆するところである。奇しくも縁あって私は、七十九年の生存中に、才色兼備のリアル(現実本当)の女神様にお会いできたのである。生来のマイナス思考に凝り固まっている私は、今、果報に酔いしれて、初めて「わが人生に悔いなし」と、つぶやいている。そして、この先へ生きるエネルギーを沸々と滾らしているところである。できれば、この果報を草葉の陰に眠る面々に伝えたいところである。伝えたい御霊は数多いる。それらは、父、母、長姉、次姉、三兄と義姉、四兄、そして生業の水車の水路にどぶんと落ちた弟、はたまたふるさとの思い出をいっぱい恵んでくれたフクミ義姉さん、なおさらには異母が恵んだ六人のきょうだいたちである。おりしもふるさとは七月盆の真っただ中にあり、御霊たちはひととき懐かしいわが家へ帰っている。御霊たちはみなうれし涙を流し、わが七十九歳の誕生日をことほいでくれるであろう。この文章を書いている途中に、携帯電話の発信音が鳴り、九十二歳のふるさとの長兄から、「おめでとう」という、ふるさとコールが届いた。人様には身に余るご好意を賜り、御霊からはかぎりなく可愛がれ、確かにわが生涯は幸福だった。しかしながらこの思いはいまだ途中経過に留めて、私は希望を抱いてこの先へ生き続ける覚悟を固めている。思わずこんなことを書きたくなったのは、わが崇め続けている女神様のおかげである。心から感謝申し上げるところである。夜明けの雨は上がり、明るい陽射しが射し始めている。梅雨の合間にあって、私はまたとない七十九歳の誕生日を迎えている。重ねて書けば、大沢さまのおかげである。 

快い気分の夜明け 

 七月十四日(日曜日)、気象予報士の予報はずばりと当たり、雨の夜明けが訪れている。心中に浮かぶままに、現在の思いを記してみる。まずは、あすの「海の日」(七月十五日・月曜日)にともなう、三連休の中日(なかび)である。ふるさとは、「七月盆」の二日目にある。私の場合、海の日は実際のところは「川の日」として、ふるさとの「内田川」へさまざまな思いが馳せる。そしてふるさとの盆には、親、兄姉の御霊(みたま)へのかぎりない追憶と慕情が沸々とめぐる。懐郷や御霊への追想に比べれば虫けらみたいなものだけれど、寝起きの鼻炎症状は止んでいる。ところが身も蓋もないけれど、ありがたいことではこれがイの一番である。これらを並べればきょうは、これらにちなんで文章のネタはいっぱいにある。しかしながらこれらを差し置いてきょうは、きのう(七月十三日・土曜日)のわが行動の一端を記すものである。
 きのうは、前日予報の降雨確率は10%だった。そのため私は、前日から一念発起の行動を決め込んでいた。それは、山の法面のアジサイの手入れである。アジサイの手入れの未達は、さまざまな憂鬱気分の筆頭を成していたのである。そして、実際のところこれには自業自得という、悔悟の思いがつきまとっていた。ずばりそれは、手入れの難渋にともなう「植えなければよかった」という、あとの祭りの悔いである。アジサイの手入れのみならず悔いを重ねれば、今や手を焼く庭中の木の葉の茂りもまた然りである。本当であれば生長や繁茂を喜ぶべきなのに、生長のしっぺ返しをこうむり、私は手入れの難渋をこうむり、恨みつらみさえたずさえている。バカじゃなかろか私は、あとさきの生長に愚鈍(ぐどん)だったのである。
 憂鬱気分の一つを取り除くためにきのうの私は、文章を書くのを止めてアジサイの手入れを決行したのである。実際のところでは加齢のせいで、法面に張りついての剪定や伐採は、もはやまったくお手上げの状態にある。そのため実際のわが手入れは、法面から側壁を越えて、道路へ食(は)み出しているものだけを伐採する程度である。言うなれば、散歩めぐりの人達への邪魔を慮(おもんぱか)って、やむにやまれぬ行為である。かてて加えて、鬱陶しい梅雨どきにしばし目の保養を恵んでくれた、アジサイの終末の醜い姿を遠ざけるためである。
 私は夜明けまもない五時近くから行動を開始した。独り黙然と、かつ懸命に作業した。それでも、伐採し束ねて所定の位置においてやり終えたのは、朝食抜きで午前十一時近くだった。そのとき、憂鬱気分を成していた一つが除かれて、わが気分は清清した。10%の降雨確率は、午後から小雨をもたらした。敢然と向かった夜明けまもないわが行動は、功を奏したのである。このところの懸念の一つが除かれて、現在のわが気分は良好である。雨の夜明けではあっても、快い気分の夜明けである。

書いて、恥晒し 

 文章を書くことは、恥を晒すことだ。確かにこのことは、わが実感するところである。実際にも私は、わが人生の四分の一くらいを文章で、恥を晒し続けている。恥晒しでもまだ書ければ、気分的には救われるところがある。ところがこの頃は、書くこと自体に難渋をきわめている。もはや書き止め、すなわち潮時にある。もちろん、わが能力の欠乏のせいである。
 きょう(七月十二日・金曜日)は、三時近くに目覚めて起き出してきた。そして、パソコンを起ち上げた。いつもの倣(なら)いにしたがって、メディアの報じる配信ニュースを読み通した。幸か不幸か、「ひぐらしの記」に引用し、留め置くニュースはない。するとこののちは、行きあたりばったりに、文章を書きはじめなければならい。これまた、いつもの倣いである。しかし、ボサッとしたまま時間が過ぎるばかりで、まったく文章が書けない。あえて空白の時間を表現すれば、悶々とする長い時間である。それに居たたまれなく、ようやく書き出したのがこのへんてこな文章である。こんなどうでもいい文章を書き出すまでに私は、一時間近くをぼやっと費やしていたのである。そしてそれは、まさしく悶(もだ)えている時間だった。正直なところ、苦悶という言葉に置き換えていいのかもしれない。確かに、起き出してきて、苦悶を強いられることは馬鹿げている。
 結局、これまでのように、(だから、もうやめたい)、(いや、やめてどうなる)、という決断のつかない繰り返しに遭遇している。物的には、金属疲労という言葉や現象がある。すると私の場合、心的疲労に見舞われているのかもしれない。もちろんそれは、生来の能力の欠乏のせいである。もちろん、あからさまに無能力のせいにすることにはいささかなさけない。そのため、弁解言葉を挟めばそれは、長年の書き疲れなのかもしれない。単刀直入に言えばそれは、わが身(能力)の程を超えて書き続けてきたツケによる疲れ、と言えそうである。
 いまだに梅雨の合間の夜明けは、雨降りである。道路の清掃を免れて、文章を書く時間はたっぷりとある。かてて加えて朝日ののぼらない夜明けは、気分的にも落ち着けるところがる。あれやこれやで、文章を書くには好都合である。ところが、こんな文章しか書けない。今さら、恥を晒すことに躊躇(ためら)いはない。しかし、文章が書けないのは、ほとほと苦痛である。頓挫、それとも嘆き文を継続するか、思案投げ首である。
 たっぷりと時間を残しままに結文にするのはもったいない。しかし、書き止めである。文章と言える代物ではなくても、書けばやはり恥晒しである。

様変わる日本 

 きのう(七月十日・水曜日)は、一日じゅう副作用として予想されていた筋肉痛に悩まされた。筋肉痛はほぼ全身を見舞った。あえて書けば、首筋、背中、大腿部、膝、脹脛など、身体の主要部を襲った。このため、きのうから薬剤の服用を中止した。
 目覚めてきょう(七月十一日・木曜日)は、これらの部位の痛みはかなり緩和している。服用していた薬剤は、芥子粒ほどにも満たないくらい小粒の、たった一日一錠の夕食後服用と指示されたものである。矛盾丸出しに私は、(副作用って、こんなにもすぐに効くのか!)という、思いをたずさえて起き出してきた。服用中だった薬は、わが身体にとりついている悪玉コレステロール退治のものである。LDL(悪玉コレステロール)は、血液検査のたびに基準値を超えて、要治療の星印(★)が付いている。患者の病気を治すことがお仕事の主治医先生にすれば、見て見ぬふりをして放って置くわけにはいかない。そのため、優しく治療に腐心されている。このことではやはり、聖職と心から崇(あが)めているところである。
 主治医先生はこれまでも二度、薬を替えて服用を勧められた。今回は三度目の薬である。こういう表現はおかしいところがある。だから正直に内実を言えば、そのたびに私が薬の服用を躊躇していたためである。わが躊躇のもとは、服み始めれば期限は命尽きるまでと、案じたからである。私の場合、命尽きるまでの薬剤には、すでに現行の緑内障治療のための目薬がある。このほか、歯医者、耳の難聴、定期的な内視鏡検査、鼻炎用風邪薬など、わが医療費はとみに増加傾向にある。この傾向を押し留めなければ、命あってもわが家計がもたないのである。こんな理由で診療科を問わず私は、主治医先生の薬剤治療の勧めには素直になれず、駄々っ子みたいにそのたびに拗(す)ねてきたのである。もちろん、本末転倒で馬鹿丸出しの無駄な抵抗とわかっていても、わが生来のへそ曲がりが高じていたのである。それでも主治医先生は、「そんなら、勝手にせよ、治療は放っておくよ!」とも言われずに、にこやかに治療に腐心してくださっている。私は歯痛の治療に泣き叫ぶ子ども同然の、手に負えないおとなの患者なのであろう。
 わが素朴な疑問は、副作用は効果覿面なのに、はたして悪玉コレステロールには効いているのであろうか。こんな疑問をたずさえて主治医先生にこのことを問えば、「検査をしてみましょう」と、また血液検査を強いられて、新たな医療費を払う羽目になる。これを恐れて現在の私は、口を噤(つぐ)んでいる。
 これまでは、わがいつもの起き立ての殴り書きである。実際のところきょうは、次の配信ニュースを「ひぐらしの記」に留め置くことにしていたのである。もちろんそれは、「様変わる日本」の途中経過を記して置くためである。
 【日本に住む外国人、初の2%超え 島根・鹿児島15%増】(7/10・水曜日、23:05配信 朝日新聞デジタル)。「日本に住む外国人の数は今年1月1日時点で約266万7千人となり、日本の総人口約1億2744万4千人(前年比約26万人減)に占める割合が初めて2%を超えた。一方で日本人人口は前年より約43万人少なく、09年をピークに10年連続の減。減少数はいまの調査になった1968年以降で最大だった。総務省が10日、住民基本台帳に基づく人口調査として発表した。外国人は前年より約17万人、6・79%増え、5年連続で増加した。外国人の割合は、前年の1・96%から2・09%に上がった。全47都道府県で増加し、島根や鹿児島、熊本など10道県で10%以上伸びた。政府が2017年11月に外国人技能実習生の職種に『介護』を加えたことや、急増する訪日外国人観光客を接客する店員らを企業が多く雇い入れたことなどが影響しているとみられる。」
 きのうのふるさと電話で長兄は、「どこでん、後継者がおらんもんねー…、村は寂れるばかりたいね!」と言って、受話器の中で嘆息をもらした。私は、「しょんなかよ」と応答した。わがふるさと県は、外国人の増え方にあっても飛び抜けて、特筆されている。様変わる日本のなかでもふるさとは、急先鋒でむかしの風景を変えつつあるようである。やがて村人は、標準語、村言葉、そして、数か国の外国語を話せなければ、先祖代々に住み慣れた村に居づらくなるのであろうか。幸い見ないで済む、わが没後のふるさと風景である。なんら脈絡のない文章を書いて、愧(は)じている。

「文は人なり」 

 ごく狭い庭だけれど、夏草が茂りむさくるしくなってきた。わが手植えの山の法面のアジサイの剪定はいまだである。いずれも心身の負担となり、このところのわが気分を鬱陶しくしている。鼻炎症状はいまだに完治ならず、それなのに予想された筋肉痛が顕われている。
 筋肉痛は抗悪玉コレステロール薬剤の副作用である。副作用ははっきりと自覚できる。しかし、肝心要の悪玉コレステロールへの効果はまったくわからない。そのためきょうから、自己診断で薬剤の服用中止を決めこんでいる。突発的なこれらのもたらす気鬱症状は序の口で、人生終盤にともなう気鬱要因や現象は尽きるところがない。そんなあれやこれやでわがマイナス思考は、どんどんと深みに嵌まってゆく。おのずから、文章を書く気分は殺がれている。いや、実際のところはわが能無しのせいで、まったく書けないのである。あえて書けば、こんな愚痴こぼしの文章となる。こんなことを書くために、パソコンを起ち上げたわけではない。パソコンの起ち上げは、わが寝起きの習性である。なぜなら、パソコンの恩恵にすがり私は、メディアの報じる配信ニュースを一覧し、さまざまな世情に触れている。そののち、わが文章を書き始めるけれど、気分次第でしどろもどろとなる。これまで何度も書いてきた、箸にも棒にも掛からぬ楽屋話である。
 先日書いたばかりだけれど、いまだに梅雨の合間である。きょうは七月十日(水曜日)で早や中旬に向かうけれど、この先一週間の天気予報よれば梅雨明けはなさそうである。しかし、長引く梅雨のせいでわが気分が鬱陶しいわけではない。それは、人生終盤における諸々の雑念が鬱勃するからである。だから、本当のところは明るい文章を書いて、雑念を蹴散らしたいところである。しかし、こんな文章しか書けないようでは蹴散らすどころか、新たな雑念の誘因となるばかりである。確かに、生存は人生の一大事業である。だから、すんなりと行くことはなく、雑念鬱勃も仕方がないところではある。こんな文章でも、書けばいくらかホッとする。「文は人なり」。わがお里の知れるところである。

くたくた疲れ、顛末記 

 七月九日(火曜日)、くたくたに疲れた上に睡眠不足の起き出しをこうむっている。きのう(七月八日・月曜日)の鎌倉地方は、梅雨明けと紛うほどの梅雨の合間の好天気に恵まれた。私はいつものように買い物用の大きなリュックを背負って、昼近くに大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。妻から、紙きれの買い物メモ渡されていた。好天気に誘われて、街中には大勢の人出が繰り出していた。昼御飯は、大船でごく軽く摂った。そののちは買い物メモにしたがって、店を違えていつものコースをトボトボと歩いた。
 買い物の終点は、決まりどおりに「西友ストア大船店」だった。ここまで買って来た物まで再び広げて荷造りを仕上げると、リュックは隙間なくパンパンに膨れ上がった。もちろん、リュックだけでは用をなさず、両手提げのビニール袋が加わった。いつもの、わが買い物帰りの姿である。わが家最寄りの「半増坊バス停」で降りて、十分に体勢を立て直し、三分ほどかかるわが家への帰路を踏んだ。
 ふりそそぐ陽射しの下、額や首筋に汗を滲ませてのヨタヨタ足である。帰り着いても、娘宅へ出かけていて、妻はいない。やおらリュックを下ろし、ホッと息を吐いた。間を置かず、買い物の品々を冷蔵庫や所定の位置にととのえた。ようやく安堵し、茶の間のソファに背もたれた。身体のみならず、精神共にくたくたである。
 ところが、こんどはわが意志で、乾き始めていた道路の掃除を決意したのである。物置からいつもの、塵取り、箒、七十リットルのビニール袋に加えて、草取り用の手鎌、さらにはプラスチック製の腰掛を持ち出した。腰掛は百円ショップで買った物だけれど、それでも価格を超えてはるかに値打ちのある代物である。わが草取りにおいては、最も役割の大きい必需品である。その使用法は、腰掛をずらしながら前進する。腰掛を持ち出したことは、腰を下ろし側溝脇に生え出している草を取り、手鎌を使って入り組んだ枝葉を丁寧に取り出すためである。このところは風雨続きで、側壁および側溝脇共に汚くなっていた。そのうえ、いまだ剪定手つかずのアジサイは、風雨に打たれて周辺に花びらを汚らしくまき散らしていた。
 私はこの光景を見るに忍びなく、買い物疲れを厭わず、道路の掃除を敢行したのである。途中、三十分ほど大相撲のテレビ観戦を入れて、再び道路へ向かい掃除を終えたときは、すでに薄暗くなり始めていた。私は、道路の掃除に二時間半ほどかけていた。茶の間へ戻ったときには、午後六時から始まっていた阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦は、すでに二回を終えていた。私はおにぎり一つの夕御飯を済ましていた。
 妻は七時半頃に帰った。二人そろって、野球のテレビ観戦を続けた。ところが、わがファンとするタイガースは三対四で負けた。そのため私は、床に寝そべってもしばらく寝付けず、十一時過ぎあたりに眠りに落ちたようである。そして、明けて起き出してきたのは四時近くである。くたくたに疲れたままの起き出しだった。
 小雨の夜明けである。カーテンを引いて、窓ガラスを通して道路を眺めた。小雨に濡れた道路は、ゴミ一つなくピカピカと光っている。くたくたの疲れは、どうやら「草臥れ儲け」ではなかったようである。いや、ちょっぴりだけど、快感という、ご褒美をくれたのである。

七夕飾り 

 天上の一年越しの大ロマンも、おそらく涙雨に晒されているであろう。地上は風交じりの雨の夜明けである。きょうは、歳時記にしたがえば「七夕」(七月七日・日曜日)である。確かに、雨の多い梅雨季ではあっても、七夕の日くらいは彦星様と織姫様の出会いを実現させてほしいと、願うところである。天の川には橋が架けられているのであろうか。わが妄想である。
 卓球クラブが存在する「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)の玄関土間には、六月半ば頃から七夕飾りの笹竹が立っている。もちろん、きょうの七夕に合わせて、スタッフによる例年の早手回しのささやかな催しである。六十歳以上の人だけが入館を許される規定のセンターだけに、もちろん吊るされている短冊に子どもたちの願いはない。七夕飾りに託した願掛けには、吊るした人の心情を垣間見ることができる。
 吊るされた短冊に見入っている人の姿に出遭うことは滅多にない。ところが、吊るされた短冊の一枚一枚を丁寧に読むのが毎年のわが習性である。もちろん、吊るした人もそれを読む私も、発意は共に遊び心にすぎない。確かに、吊るす人も遊び心のはずだから余計、短冊には肩肘張らない願いごとが切なく綴られている。私も遊び心をたずさえて、ほほ笑みながら読んでいる。
 笹竹に吊るされた短冊は、吊るす人そして読む人のどちらにも、ひとときの余興をもたらしていると言えそうである。遊び心こそ、老若男女を問わず、七夕飾りの真髄であろう。そのうえ、笹竹を立ててそれぞれが短冊に願いごとを書き吊るすまでには、おおむね共同作業がともなっている。かてて加えて天上の伝説を語れば、幼児教育や小学生頃までの教材には、まさしくうってつけと言えそうである。
 センター内の短冊には、「健康で長生きできますように…」、「長生きは望みませんから、最期の時まで健康に…」、「介護を受けないで済むように…」「初恋の人に出会えますように…」「孫に、可愛がられますように…」などと、人生晩年における七夕飾りの願いごとはさまざまである。子どもたちの七夕飾りとは違って、切なさがいくらか身に染みる。

長引く梅雨空 

 七月六日(土曜日)、夜明けの空は雨降りである。きのうのこの時間帯は、梅雨空こそ続いていたけれど雨はなく、私は急いで道路の掃除へ駆けつけた。実際のところは時計の針が五時ちょうどに出向き、ほぼ六時に仕上げて戻ってきた。そして、「休養」の文に短く「追記」を添えた。「休暇届」のつもりで書いた文章だったけれど、大沢さまのご厚意で「ひぐらしの記」へ移記されていた。このことで一日の空白は免れたけれど、わがずる休みに変わりない。いや、実際のところは道路の掃除を優先し、普段より懸命に掃いたことでは、ズル休みとは言いたくない。すなわち、梅雨空が切れた恩恵にさずかり、わが咄嗟の判断と行動だったのである。現在は、きのう再びキーボードに就いたほぼ同じ六時頃である。きのうと違うのは雨の夜明けである。
 きのうの夕方のNHKテレビの天気コーナーにおいて、気象予報士はこの先一週間の天気予報を示された。すると、関東地方にはおおむね雨や曇りマークが続いていた。これを見て私は、この先の一週間には梅雨明けは望めないな! と、合点した。このことからすれば過去の平均的梅雨明けに比べても、今年は遅くなりそうである。すると、すでに何度も記してきたけれど、来年(2020年)に迫った「東京オリンピック」の開催期間が思いやられるところである。
 東京オリンピック開幕式は、「七月二十四日」である。ところが、日程の都合で開幕式に一日先駆けて行われる競技もある。その一つには人気のサッカーがある。今さら局外者の私が、梅雨明けと開幕式を案じてどうなることでもない。しかし、どうなることであろうかと、案じるところである。梅雨明けを待たず九州南部地方は、すでに豪雨に見舞われてこのところのテレビニュースは、被災状況の報道に大わらわだった。梅雨明け間際には何らかの自然災害に見舞われるのは、過去からこんにちにいたるまでの悲しい事実である。
 九州南部地方の豪雨はようやく収まっているけれど、日本列島にあってはまだまだこの先が思いやられるところである。あすは「七夕」である。天上の彦星様と織姫様は、天の川を挟んで気を揉んでおられることであろう。地上の人々にはロマンなく、梅雨明け間際にともなう自然災害に怯えている。

休養 

 七月五日(金曜日)、久しぶりに梅雨空が切れた夜明けが訪れている。窓ガラスを開けると、生乾きの道路が汚らしく光っている。そのため、きょうは道路の掃除を優先し、文章はこれで打ち止めとする。散歩めぐりの人たちの足もうずうずしているはずである。その足に先駆けて、綺麗にしておきたいためである。
 追記:わが行動は功を奏した。約一時間けて、普段より懸命に掃除した。そのため、常連の散歩めぐりの人の足に先駆けて、生乾きの道路は綺麗になっている。わがささやかな志の勝利と言えそうである。現在は、まだ朝日の見えない午前六時頃である。朝日が見えないのは、梅雨空のせいである。

孫娘、十二歳の誕生日 

 わが身体には、ちゃっかり眠たい病と鼻炎症状が定住してしまっている。そのうえ、家賃は無料である。服用中の鼻炎カプセルは、主訴の鼻炎症状にはまったく効かず、眠たい病という副作用を誘引しているようだ。予期しない眠たい病の発症である。明らかに、鼻炎カプセル服用前とは異なる症状である。私は、こんな思いをたずさえて起き出してきた。確かに現在の私は、気鬱症状と朦朧頭の抱き合わせをこうむっている。はなはだ、腹立たしいかぎりである。
 このところの夜明けの空は、梅雨空続きである。そのため、気分の良い夜明けには恵まれていない。しかしながらこれには、腹の立ちようはなくむしろ気分が落ち着くところはある。九州南部地方は、被害や避難指示のともなう大雨に見舞われている。避けたり逃げようない、自然界のもたらす恐怖である。人様の難儀中にあって、眠たい病とか鼻炎症状とか言って愚痴るのは、わがお里の知れるところである。
 さて、きょう(七月四日・木曜日)は孫のあおばの十二歳の誕生日である。もちろんこんなことは、人様にはどうでもいいことである。ところが、私には書かずにおれないところがある。その理由は、「ひぐらしの記」の誕生日(六月十五日)からまもなくして、孫の誕生日を迎えるからである。言うなればひぐらしの記と孫は、ほぼ同時進行で十二歳を迎えたのである。そして十二年のあいだ、ひぐらしの記の成長には恵まれなかったけれど、孫の成長には驚かされ続けてきたのである。この先、ひぐらしの記は打ち止めを食らうけれど、孫はなお成長を続けることとなる。こんな思いをたずさえて私は、十二年のあいだ孫の成長を見続けてきたのである。実際のところは孫の成長を見ながら、人の命の尊厳や成長に驚異をおぼえてきたのである。
 なお具体的には、呱々の声を上げた命が小学校六年までに成長する過程に、日々驚かされてきたのである。この成長過程こそ、まさしく人の命の尊厳であろうと、今あらためて厳粛な面持ちまみれにある。まずは、孫の成長を寿(ことほ)ぎたいところである。
 きょうは、このことを書きたくて起き出してきたのである。できればこの先も、孫の成長と同時進行でひぐらしの記を重ねてみたいところではある。ところが、実際のところひぐらしの記は、すでに賞味期限は切れて、消費期限さえすれすれである。しかし、孫はこの先も、逞しく成長を続けるであろう。それで十分、いいのかもしれない。孫の身長は、ばあばを超えて、じいじに迫りつつある。
 追記 現代文藝社掲示板より転載文
 あおばちゃん お誕生日おめでとう
 投稿者:大沢  投稿日:2019年 7月 4日(木)09時28分55秒
「ひぐらしの記」とともに成長を続けておられる前田さんの孫娘さんのあおばちゃんは、何物にも替えがたい宝物ですね。少しずつ世界が広がっていく様子を時々「ひぐらしの記」で知ることが出来て楽しみです。第29集「ふるさと紀行日記」、第48集「出会いに羽ばたけ」、第56集「あおばちゃんの思い出作り」、第62集「あっぱれ! あおばちゃん」とあおばちゃんの笑顔が表紙を飾ってくれましたね。 これからもその成長を見守りたいですね。


『桑の実と母』 

 わが生誕地の現在の行政名は、熊本県山鹿市菊鹿町である。しかし、この行政名ではしっくりこないところがある。生まれて、物心がついて以来中学生時代まで馴染んでいた行政名、熊本県鹿本郡内田村だった。そのため、懐郷や郷愁のすべてにおいて、内田村がしっくりくる。内田村の名こそ、わがふるさとである。
 重ねて言えば、ふるさととしてわが心中に常々浮かんでいるのは内田村である。そして、絶えず浮かんでいるのは、村中で体験したことや、見続けていた原風景である。実際にも私は、心中では内田村を浮かべて、懐郷や郷愁に浸りきっている。現在の菊鹿町という行政名は、ふるさと便のあて名書きのおりに必要とするくらいである。ふるさとの思い出や興趣にまつわるすべては、内田村一辺倒に根差している。かつての内田村を流れるひとすじの川は、今なお名を変えず「内田川」として呼び伝えられ、村人に親しまれている。
 内田村は熊本県の北部地域に位置する、鄙びた農山村および田園風景を醸す盆地である。山鹿市は当時の内田村からは遠く離れた感のある、近郊近在でもっとも賑わう町だった。山鹿の町は当時から温泉町として親しまれ、現在に至るまで全国的には、湯の町・「山鹿灯篭祭り・千人踊り」が名を馳せている。中学生になっても、山鹿の町へ自分ひとりで行った記憶はない。小学生時代には校外学習として担任の先生の引率の下、学級単位で映画見物に出かけたくらいである。言うなれば山鹿の町は、わが子ども時代の憧れの町だったのである。内田村から隣接する三村合併で菊鹿村と名を変え、そして菊鹿町となり、そののちの一市四町の合併時に鹿本郡下を離れて、山鹿市の傘下になったのである。それは国の施策、すなわち「平成の大合併」によるものだった。
 長々と書いたけれど、内田村風景を端的に表すものでは、記憶をたどれば太平洋戦争中の疎開先として、森さん家族がわが家の存在する集落に住まわれていた。
 さて、最近紙上で読んだ文章の中で、今なお心中に焼き付いて残り、いっこうに離れないものがある。人様(作者)の文章で、わが心中はうれしさつのる懐郷や郷愁まみれにさずかったのである。購読紙・朝日新聞の週一「土曜日・BE版」には、作者を替えて綴られる『作家の口福』という、コラム記事がある。コラムの名のとおり筆の立つ名のある作家が、食べ物にちなんでエッセイ風に書かれている粋な文章である。字数で言えば四百詰めの原稿用紙で三枚ほどの1200字くらいである。いくらか旧聞になるけれど、令和元年(2019年)六月十五日(土曜日)付けのコラムには、作家の内田麟太郎氏が綴られていた。題名には『桑の実と母』と記されていた。全文を引用し転載すれば、「ひぐらしの記」の読者もことごとく魅了されること間違いない。しかしながらここでは、私自身が格別魅了されて、いたく懐郷や郷愁をつのらせたところだけを抜き書きするに留めるものである。
 まず私は、内田という姓に親近感をおぼえた。お生まれはわが生誕年より一年あとで、ほぼ同時代である。なおかつ生誕地は、熊本県南部地方と隣接する福岡県大牟田市と書かれていた。大牟田市は、かつては三井三池炭鉱の町として一世を風靡していたという。作者は、当時の町の様子を短く紹介されていた。それにかかわることでは、石炭と軍隊の兼ね合いからアメリカの標的となり、具体的には焼夷弾を恐れられていたお父様は、お母様と四歳の作者を熊本県の北部地方へ疎開させられたという。そしてその疎開先の地には、「菊池川のほとり」と書かれていたのである。
 菊池川は内田川を抱き込み、やがては有明海へそそぐふるさとの名流である。お母様は二十八歳で亡くなられ、そのときの作者は六歳だったという。そのため、お母様の味すなわちおふくろの味は記憶にないと書かれていた。ところが、お母様との味すなわちおふくろとの味ならいくつかあると、書かれていた。食べ物が乏しい時代である。そして、記憶をたどり実際に食べられたものには、こんなものが記されていた。するとそれらは、わが記憶と体験と瓜二つに重なったのである。すなわち、ホタルの餌になるカワニナ、開く前の茅の穂、お母様と一緒に食べられたという桑の実である。そして、現在のお住まいのご近所には桑の木があって、六月頃には持ち主から桑の実を分けてもらっているという。確かに、桑の実の甘さは好きだけれど、そればかりではなく、桑の実でお母様を偲ばれているという。
 作者が書かれた文章をひとつだけ引用すれば、「母にあいたいのだ」。私は内田氏のコラムを読んで、懐郷や郷愁まみれで父と母を偲び、同時に懐かしいふるさとの味とおふくろの味を、かぎりなくよみがえらせていたのである。そのためこの文章は、『桑の実と母』の作者、すなわち作家内田麟太郎氏へのお礼のつもりで書いたのである。
 読み終えたときのわが心地は、飛びっきりの全天候型に和んでいた。

 とにかく、眠たい

 七月二日(火曜日)、目覚めてすぐに起き出して来て、パソコンを起ち上げた。もちろん、文章を書くためである。現在の時間は、パソコンの下部に4:29と表示されている。前面の窓ガラスを通して眺める視界は、まったく明るさのない梅雨空である。窓ガラスに雨垂れは見えず、雨の夜明けではない。なぜか、やけに眠たい。おのずから文章を書く気分は、完全に殺がれている。再び記すと、とにかく眠たい。その現象は、おのずから朦朧頭である。こんなに眠たい目覚めは、滅多にない。治ったと思っていた鼻炎症状もいくらかぶり返している。この眠たい起き出しは、梅雨の季節がもたらしているのであろうか。
 現在の私は、常々思っていることを浮かべている。それは目覚めて起き出し、そしてすぐにパソコンを起ち上げ、書き殴りや走り書きをしていることへの悔恨である。すなわち、文章を書く時間帯への反省である。もともと能無し野郎の私が、心の準備もなく文章を書けるはずはまったくない。文章を書くことは紡ぐとも言われる。本当のところは十分な事前準備をして、一針ひとはりを通して縫い上げるように、丁寧に書きたいものである。日頃のわが願望である。もちろんわが能力では、そうしても書けるわけではない。しかし、端から書き殴りに甘んじているようでは、常々そんな心境まみれになる。
 きのう、久々にかつての日本随筆協会当時の仲間の文章を読んだ。みな、上手い。だから、そのときに感じた心境を引きずって、わがこんな悔いごとを吐露したのである。だったら、余裕時間はたっぷりとあるのだからそうすればいい。実際にも何度かそれを試みた。その挙句には元の木阿弥となっている。つまるところ私は、身の程や能力知らずの愚か者である。いつもであればこんな実の無いことを書いているうちに、しだいに眠気が遠のくことがある。そして、いくらかそれに救われる。ところが、どうしたことか今朝にかぎれば、眠気はいっこうに去らない。眠たい病というやまいなのか。もし仮に通院して主治医先生の診断を仰げば、通り一遍の「加齢のせいですね」という、ことになるのであろうか。
 すっかり明けた夜明けの空は、雨模様になり道路の掃除はおあずけである。そのため、気分直しや眠気覚ましもできない。あえなく、結文を決め込んだ。ほとほと、哀れな夜明けである。いや、ほとほと、能ないわが脳髄である。

  七月初日の夜明け

 七月一日(月曜日)、月替わりの夜明けは視界に明るさのない、どんよりとした梅雨空である。雨戸やカーテンを用無しにしている、窓ガラスを通して眺める家並みの屋根は雨の露で濡れている。雨が降っているのかな? と、かたわらの窓ガラスを開けて、空中に右腕を長く差し出した。そして、手の平を平たくいっぱいに広げて、何度か空中に揺らした。ところが、たった一粒の雨も当たらなかった。雨は降っていないけれど、視界一面は雨に濡れた風景である。梅雨の合間の典型的な梅雨空の夜明けである。
 関東地方の梅雨明けは六月にはなく、七月へ持ち越しとなった。六月の梅雨明け願望は、もとより叶わぬ空頼みだったから腹立しさはまったくない。梅雨明けが長引いても気象庁の過去データによれば、この先最長でも二十日くらいを我慢すれば明ける。梅雨は土砂崩れや洪水などの自然災害なく、すんなりと明けることは滅多にない。このことは、日本列島に住む人の共通の実体験である。
 きのうのテレビ画面の上部には、西日本地方における大雨情報がテロップで流れていた。気象庁の梅雨入り宣言によれば西日本地方は、例年よりかなり遅れて梅雨入りしたばかりだった。ところが梅雨のもたらす自然災害は、ほかの地方に先駆けたのである。テロップの大雨情報には、わがふるさと県・熊本がひと際立っていた。中でも、水田の水浸しが報じられていた。すわ! ふるさとの一大事である。
 私はふるさと電話を甥っ子にかけた。もちろん、田植えを終えたばかりの水田の水浸しを案じての咄嗟のふるさと電話だった。すると、受話器の中の甥っ子のふるさと情報はこうである。
「こっちは、雨はあまり降っていない。内田川の水もそんなには増えていない。これまでは雨があまり降らないもんで、水が引けないから『田植えができない』と、嘆いていた人もいた。うちは田植えも済んで、水浸しにもなっていないです。雨が降っているのは、熊本県の南の方だろう…」
 すると私は「そうや。よかったね。安心したよ」と言って、ふるさと電話を終えた。
 南の方であれば、熊本地震における最大の被災地域である。それはそれで、わが気分は曇った。関東地方も梅雨明けまでには、自然界は何らかの災害をもたらすであろう。気が揉めるところである。確かに、梅雨が明けなければ、わが好む夏の到来はない。できれば、自然災害のない梅雨明けを望むところである。しかし、望んですんなりと叶うことはないことも知りすぎている。それでも、六月過ぎて七月初日にあっては、すんなりとした梅雨明けを望んでいる。
 七月はわが誕生月である。恨めしい七十九歳が訪れる。涙こぼれて、泣けてくる!

  六月最終日

 六月の最終日(三十日・日曜日)、雨の夜明けを迎えている。気象庁の梅雨明け宣言は、あしたから始まる七月へ持ち越しとなる。梅雨開けが長引くことは仕方がない。ただ望むところは、集中豪雨などによる災害のない梅雨明けである。
 沖縄地方はすでに梅雨明けしたという。ところが隣接する西日本地方は、梅雨入りしたばかりだという。南北に長い日本列島ならではの、気象の特徴なのであろう。いや、気象における目に見えない何らかの異変なのかもしれない。そうであれば、日本列島すべての梅雨明けまでには、やはり天災に気を揉むところがある。
 私は一度目覚めると、まだ眠いのに再び寝付けず、やむなく起き出してきた。起き出し時間は、ほぼいつもの四時前あたりである。きのうまで続いていた鼻風邪による鼻炎症状は、ピタリとまでは行かないけれど、九分九厘止まっている。ところが、気鬱症状の緩和までにはいたらない。そのため文章を書く気にはならず、一時間ほど夢遊病患者のごとく、ぼさっとしていた。きょうは、文章を書くことを諦めていたのである。
 きょうにかぎらず、このところのわが起き出し時のままならない精神状態である。「ひぐらしの記」は、「前田さん。何でもいいから書いてください」と、言われてスタートした。しかし、こんな状態ではもはや風前の灯火にある。こんな心境にあって、どうにかキーを叩き始めているのは、六月最終日というせいであろう。
 六月は梅雨季と重なりわが心象は、例月と異なるところがある。それは私自身に、日本列島自体が特異の月だ、いう思いがあるからである。もちろんそれは、六月と重なる「梅雨季と雨」がわが心象風景に根づいているせいである。雨の日の多い六月こそ、物心がつき始めて見た、わが生誕の地(ふるさと)の原風景と言っていいのかもしれない。
 具体的にはそれは、一家総出で田植えに勤しむ家族の姿と、広々とした水田風景である。かてて加えて、いまだに耳に残っているのは、水嵩を増した濁流がゴーゴーと流れる、生家裏の「内田川」の水音である。梅雨の合間の晴れの日の夕暮れには、内田川からホタルが庭先に、ふわりふわり舞ってきた。これまた、わが幼心(おさなごころ)をときめかした原風景である。これらのことを心中に浮かべていると、過ぎゆく六月に愛しさをおぼえたのである。
 夜明けの空は雨降りで、まさしくふるさとの梅雨の原風景である。雨の大空を眺めていると、梅雨季の父と母の面影が彷彿し、気鬱気分が和らぎ始めている。日本列島、災害のない梅雨明けを望んでいる。アジサイ寺の別称のある「明月院」(北鎌倉・禅寺)前通りの車両の通行禁止は、きょうまでである。雨の日曜日とあってアジサイ見物が、傘を差して長蛇の列をなすであろう。私は、ふるさとの原風景を偲んでいる。

風邪薬、顛末記 

 長引いている鼻炎症状のせいで、気鬱に見舞われて気力の低下に陥っている。もちろん、文章を書く気力はまったく殺がれて、きのう(六月二十八日・金曜日)は、あえなくズル休みへ逃げ込んだ。
 先日の採血結果を聞く通院のおりには、予定行動どおりに風邪薬を依頼し、主治医先生から処方箋をいただいた。このときもまた、いつものケチ根性が沸いて、自己診断のうえ言わずもがなの言葉を吐いてしまった。
「今は市販の薬をのんでいますけれど、いっこうに効きません。なので、薬をお願いします。のめばすぐに治ると思いますから、一週間分でいいです」
 主治医先生はわが依頼どおりに、七日分の処方箋を書いてくださった。
 最寄りの調剤薬局へ出向くと、七個の錠剤が入ったガゼット袋を手渡された。内服薬と記されたガゼット袋には、「一日に一錠を夕食後にのんでください」と、指示されていた。私は、取り出しを損なえればどこに落ちているかわからないような小粒の錠剤に不安をおぼえた。具体的な不安はこれ一錠で治るのか? 私は効果覿面を願っていたのである。一方ではシメシメ、これをのめば鼻炎症状が治るのだな! と、期待した。
 わが家へ帰ったときは、午前十時あたりだった。ところが、夕食後までは待ちきれず、すぐにのんだ。著効を期待したのである。しかし、昼まで効果は著われず、ヤキモキして昼食後に市販の薬を重ねてのんだ。しかし、そののちもまったく効き目がなかった。だからと言って、夕食後にいただいた薬をのむことには、なにがなんでものみ過ぎをためらった。
 きのうは、いつもの大船(鎌倉市)の街へ出かけた。そのおり、行きつけのドラッグストアへ出向いた。風邪薬コーナーから、ずばり鼻炎症状と特記された鼻炎カプセルを手にしてレジへ向かった。この薬には、一回二カプセル、一日二回と表示されていた。きのうの朝食後には、主治医先生からいただいていた本来夕食後にのむ、一錠をのんでいた。わが家へ帰ると、こんどは新たに購入した鼻炎カプセルを重ねてのんだ。それでも、のみ過ぎのためらいがあった。そのため、本来の二カプセルを分けて、一カプセルだけのんだ。そして、夕食後に一カプセルをのんだ。目覚めると、鬱陶しく垂れていた鼻水が止まっていた。
 就寝時には、きょう(六月二十九日・土曜日)も休むつもりで寝ていた。ところが、鼻水の垂れを阻止できていたのである。そのため、この文章を書き殴ったのである。本当のところは、次のことを書きたかったのである。
 現在、陸上競技の華、「日本選手権」(福岡・博多の森陸上競技場)が行われている。NHKテレビBSは、夕方から夜にかけて実況中継で放映している。私は陸上競技のテレビ観戦が大好きである。ところが、気に食わないことが一つある。「ひぐらしの記」においては、すでにわが苦言として何度か書いている。すなわちそれは、女子選手のへそ出しのユニフォーム姿である。ずばりそれは、見苦しいということに尽きる。そのうえ、へそ出しのユニフォームが速さや記録のうえで、効果があるのかという疑問である。なぜなら、このたぐいのユニフォームが効果あれば、男子選手にも普及するはずである。しかし、男子選手には見当たらない。女子選手でもすべての選手が、へそ出しのユニフォームでもない。すると、業者が売らんかな! のおためごかしの知恵をつけたのか、はたまた協会が人気取りのため、見て見ぬふりをしているのか。私は、へそ出しのユニフォーム姿がたまらなく厭である。
 きょうの実の無い文章は、二日続きの休みを避けるためのものにすぎない。幸いこの間、かたわらのテイッシュ箱に手を伸ばすことを免れた。鼻炎カプセルが効いたようである。しかし、鼻炎症状が遠のけば、いつもの悪夢に魘される。こちらには、薬剤やほかの手当てはない。悪夢は、わが精神の病であろう。だから悪夢は、ひぐらしの記の継続にはほとほと厄介である。

「薬、のみます」 

 きのう(六月二十六日・水曜日)は、予定どおりの行動をした。そして、予想していた結果となった。行動は、わが住宅地内に唯一存在する開業医院、「左近允医院」(鎌倉市)への通院である。そして結果は、採血検査にともなう主治医先生の治療方針である。
 採血検査結果について私は、通院前から二つの検査項目に懸念をいだいていた。それは、検査のたびに基準値を上回る項目の今回の測定値である。言うなれば、悪い数値(データ)への恐怖である。その中で基準値を上回れば、要治療表示の星印(★)が付されてくる。「生化学検査報告書」として、主治医先生から手渡される外部機関(保険科学総合研究所作成)の測定値一覧表は、私にすれば修学時代の通信簿に等しいものがある。どちらも受け取るときに、ひとしきり悲喜交々の思いが渦巻くからである。
 通信簿ふうに言えば今回の報告書は、なさけなくも前学期(先回)より大幅に下がっていた。もちろんこの間の日常生活における、私自身の努力不足のせいでこうむった自業自得である。実際に懸念していた検査項目は、次の二つである。一つは、クレアニチン(腎障害)である。今回の測定値は、1・32の数値である。この項目の男性基準値は、0・61~1・04と、印されている。このため、星印が付いている。一つは、LDLコレステロール(悪玉)である。今回の測定値は207で、基準値は70~139とある。はたまた、星印が付いている。ところがこちらは、先回より大幅の悪化である。この二つの検査項目以外の測定値は、いずれも基準値に収まり、無印の無罪放免(オールA)である。もちろん、オールAという表示はなく、気休めに私自身が勝手に付加したにすぎない。
 さて、二つの基準値を超える測定値にかかわり、主治医先生の治療方針の説明はこうである。
「クレアニチンについては、先回より悪化していますが、日常生活に気をつけることで、薬の必要はないでしょう。塩分を控えて、水分をたくさん摂ってください」
「悪玉コレステロールが大きく悪化していますね。検査のたびに基準値を超えているため、三度ほど薬を替えて出しましたね。ところが、副作用が出たということで、ご自身で途中に止められました。薬はまた変えますが、これだけの数値だと、やはりのんだほうがいいでしょう。どうされますか?」
 私の返答はこうである。
「わかりました。薬、のみますから、お願いします。ただ、ジェネリックかできるだけ安価な薬をお願いします。この先、ずっとのみ続けなければならないかもしれないし、現在は緑内障の高価な目薬をさしています。まだまだ、いろんな診療科で、薬が増えていくでしょう」
 いつになく神妙かつ素直にさらに付加すれば誠実に、主治医先生の治療方針に従ったつもりだった。しかしやはり、私は治療のし甲斐のない憎たらしい患者なのかもしれない。私は先天のアホなのか、それとも後天のバカなのか。血液検査項目に、精神異常を見る測定値はないのであろうか。なければ、付加しなければ片手落ちであろう。しかしあれば、わが測定値にはダブル(★★)の星印が付きそうである。くわばら、くわばら、……。

書き殴りの文章の効用 

 六月二十六日(水曜日)、ほぼいつもの時間帯の起き出しで、すでに夜明けが訪れている。梅雨の合間にあって、雨のないのどかな朝ぼらけである。自然界の恵みを得て、気分よく目覚めていいはずだけれど、さにあらず目覚めの気分はすぐれない。それは、もう何か月も長引いているかのように思えている鼻風邪の鼻炎症状のせいである。医療費をケチって、市販の薬剤にすがっているけれど、副作用の恐れがないかわりに、肝心の鼻炎症状にはまったく効果無しである。おそらく気休めくらいで、もともとどちらにも効果のない薬剤なのであろう。いよいよ年貢の納めどきがきたようであり、きょうの通院時には風邪薬の処方箋を願い出るつもりでいる。
 予定している通院は、先週採血検査を受けた結果を知るためである。年に一回、鎌倉市が補助する定期検査結果である。通院する医院は、住宅内に唯一の「左近允医院」である。採血結果を仰ぐまでもなく、基準値を超える数値には、二つが予想できる。その中で、主治医先生の判定に固唾をのむのは、悪玉コレステロールの治療のために、新たに薬剤の服用を勧められるかどうかである。これまで二度、薬剤を替えて治療薬を服用した。ところが、肝心の悪玉コレステロールの退治に先駆けて、予想されていた副作用が著われたのである。そのため、二度ともみずからの判断で、途中で服用を中止した。
 今回も主治医先生は、基準値を超える数値を見て、薬を替えて三度目の薬剤の服用を勧められるであろう。病気を治すことを使命とする医者であれば、まさに当を得たあたりまえの診断であろう。もちろん、へそ曲がりの私とて、それくらいのことはわかりきっている。なぜなら、病巣があれば早期に見つけ、大事にいたる前に取り除くための検査である。運よくか運わるくか、病巣が見つかったのに、その治療に抵抗するようではまさしく本末転倒である。それも、たかだか薬剤の服用に抵抗するようでは馬鹿丸出しである。しかしながら薬剤は、患部への著効の一方、健全な部位への副作用もある。だから私の場合、すんなりとは納得できず、無駄な抵抗をしたくなるのであろう。
 きょうもまた、もちろん出まかせではないけれど、書き殴りの文章を書いている。わが生来の「身から出た錆」と、言えそうである。きのうの『わが家の宝物』の文章にあっては、書き殴りを避けるため、「早起き鳥」に先駆けて、真夜中に起き出して一文を書いた。しかし、わが意図に反し、いつもの書き殴りと代わり映えのしない文章となった。顧みれば、これまた無駄な抵抗だったと言えそうである。おのずから、わがお里の知れるところである。
 さて、鼻炎症状にともなう気鬱気分をはねのけるため、一つだけ快事を書き添えたいものがある。梅雨も後半戦に時を移し、わが家周りのアジサイは大団円の見頃にさしかかっている。するとときおり、わが手植えの山の法面のアジサイへ向かって、通りすがりの人がスマホならぬ高額・高級のカメラを構えている光景に遭遇することがある。私と妻は、この光景を茶の間から、身を隠し嬉々として眺めている。胸の透くうれしい光景であり、立ち去られるまでのうれしいひとときである。
 これを書き添えて、なんだか気鬱の鼻炎症状が和らいだ。案外、採血結果や、薬剤服用の押し問答も、すんなりいきそうである。梅雨の合間とも思えない、清々しい夏空が輝いている。書き殴りの文章の効用は、思いのほか早い書き納めである。もちろん、早いだけが取り柄である。

わが家の宝物 

 六月二十五日(火曜日)、いつものような書き殴りの文章を避けるため、ちょっぴり早く起き出してきた。いや、実際のところは、飛びっきり早く起き出してきた。ただ、いつもと同様なことは、寝不足のせいにはできない、生来の朦朧頭がさ迷っていることである。現在の時間帯は、日を替えてまもない真夜中の一時近くである。
 きのう(六月二十四日・月曜日)、わが家の貧相な郵便受けには、一枚のお手紙が届いていた。手にしたはがきの裏面には、大文字・小文字、はたまた漢字、カタカナ、ひらがな手際よく、白地を隈なく埋めて配列編集された達筆が記されていた。横一線で区切られた上部の欄には、文字どおり毛筆書きの一句と、作者印の赤い印肉が捺されていた。表書きのおなまえを見るまでもなく、私は山内美恵子様からのお手紙だと認知した。かつては、はがきによるダイレクトメールが郵便受けに投げ込まれることはあった。ところが現在のダイレクトメールは、はがきは消えてすべてが色刷りのチラシへと置き換わっている。
 ふるさとの長兄がふるさと便を書かなくなって以来、郵便受けに目にするのは、ほぼ年の瀬の喪中はがきと年頭の年賀状だけとなっている。年賀状も年々減少をきわめており、やがては郵便受けから消えそうである。すると、わが家の郵便受けに届くはがきは、いずれは喪中はがきの独擅場(どくせんじょう)となるであろう。実際にもすでに、喪中はがきや年賀状以外の手紙はなく、そのためわが家へ届く手紙はわが家の宝物を成している。
 その極めつきの宝物は、山内様からさずかるお手紙である。実際のところ今や複数の手紙は届かず、唯一さずかるのは山内様からのお手紙だけである。このため、山内様からさずかるお手紙は、妻と私共通のわが家の宝物となっている。折節にいただくお手紙は、封書であったりおはがきであったりで、どちらにもわが身に余る祝意がいっぱい書き込められている。
 現下の日本社会は、お許しを得ず個人情報を披歴することは禁じられている。そのため、山内様とのお付き合いと、山内様ご自身をおおまかにご紹介すればこうである。山内様とのご縁は、かつて存在していた「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)時代の随筆お仲間である。面識は、仲間連れの中で一度だけお姿を垣間見た程度にすぎない。それでも、これまで長くご交誼にあずかっているのは、山内様の紡がれる文筆(小説、随筆、短歌、俳句)に憧れての、わが一方的な押しつけのご交流である。ひと言で言えば、山内様の多能を貪るためのわが一方的お付き合いである。
 人生の御縁はまさしく奇縁であり、山内様はかつて「現代文藝研究所」(主宰、故作家田端信氏)の研究生であられたという。当研究所には大沢さまが在籍されていて、当現代文藝社は故人の遺志を継がれて、大沢さまがおひとりで起ち上げられたものだという。山内様は、当時の大沢さまのご活躍ぶりを常々崇められていたという。
 ところが奇縁は重なり、大沢さまもまたかつては日本随筆家協会に在籍されていて、協会から三度の単行本(小説)を上梓されたという。まさに偶然、お二人様のご奇縁に私も加わり、それ以来こんにちまで、わが老後の人生を彩るかけがえのない奇縁にあずかっているのである。
 さて、きのうさずかった山内様のおはがきには、「ひぐらしの記、十二歳の誕生日」にまつわる、祝意がいっぱい綴られていたのである。山内様はパソコン上のブログで、ひぐらしの記を読んでくださっているおひとりである。山内様は、随筆のお仲間としても文章の書き手としても、書くことの苦悩や重みを知りすぎてくださっている。このことから山内様からさずかる祝意は、私にはことのほかうれしいたまわりものである。
 山内様の現在は、ご主人様を看取られて亡くされ、おひとり暮らし(東京都東村山市)である。文筆の称号は、小説家であったり、随筆家であったり、歌人であったり、そして俳人だったりである。横一線で区切られた上部に記されている毛筆の俳句を記すと、こうである。「記念日を ことほぐ筆先 青葉光」。
 十二年間の重みがひしひしと詠まれている。山内様からさずかった、わが身に余る祝意である。私ははがき全文をカメラで写して、この文章に貼り付けたい思いに駆られている。文字は水の流れのごとく流麗に、文章は自惚れてみたくなるように綴られている。まさしくわが家の、わが身に余る宝物である。

梅雨季の雨 

 六月二十四日(月曜日)、いつもの夜明けの雨とは異なる梅雨季特有の雨の降り方である。大空はどんよりと重たく、大降りの雨でもないのに、視界一面を隈なく濡らしている。眼前に水田が広がれば、子どもの頃に見ていたふるさとの梅雨季の夜明けとそっくりである。不意にふるさと風景が浮かんだことでは、わが気分は和んでいる。かてて加えて、こんな雨の夜明けにあっては、梅雨どきの父と母の姿がかぎりなく偲ばれる。これまた、おのずからわが気分を和ませている。
 父の場合は、田植えを終えたばかりの水田の見回りに、蓑笠着けた姿である。母の場合は、裸電球の灯るジメジメした釜屋(土間の炊事場)の中を、コマネズミみたいにせわしなく動き回るモンペ姿である。母屋の裏を流れる梅雨季の内田川は、濁り水を嵩高くして川音を轟かしている。これまた、望郷をつのらせる梅雨季のふるさと風景のひとつである。しかしながら、和んだ気分をちょっぴり殺ぐものがある。それは、厭々気分で出勤支度を急かされていた梅雨季のわが出勤光景である。私の場合は、二時間半近くをかけての遠距離通勤だった。そのうえ、会社の始業時間は、朝の八時半だったのである。おのずから出勤支度は、五時半近くであった。振り返れば、よく通ったものである。金無し野郎の自業自得の遠距離通勤である。
 きょうは日曜明けの月曜日である。このこともあってか、現役時代の梅雨季の出勤光景がせつなく浮かんでいる。確かに、余生は日に日に縮むけれど、職業を離れた自由の身の特権なのか、かつ覚悟しているせいか梅雨季の雨の気分は穏やかである。わが家周りのアジサイは、今を盛りに見頃である。通勤の人達の難渋をかんがみて、身勝手に「雨よ、ふれふれもっと降れ!」とは言えないが、梅雨季の雨はしっとりと心に馴染むところはある。その多くは、望郷のもたらす和みのおかげである。

「夏至」の夜明けのわが気分 

 六月二十二日(土曜日)、文字どおりどんよりとした梅雨空の夜明けを迎えている。そろそろ、梅雨明けを期待するところだけれど、いまだにその兆しは見えない。記憶をたどれば日本列島は、集中豪雨などによる天災なく、梅雨が明けたことは滅多にない。逆に言えばそれらのもたらす被害を打ち止めにして、ようやく梅雨明けとなるようである。このことでは梅雨明けを望む半面、梅雨明けまでの日本列島の気象が気になるところである。
 カレンダー上ではきょうは「夏至」と、記されている。言わずもがなのことだけれど夏至は、冬至(十二月二十二日)と対を成し、一年の中で半年ごとに訪れる季節の変わり目である。気象的には夏至は、昼間が最も長くそのぶん夜間が最も短いという。冬至はその逆である。カレンダー上には歴月の月のめぐりはもちろんのこと、折節にさまざまな歳時が記されている。そして、それらの多くには長寿や無病息災を願う、神様頼りの祈願やまつりごとが多く記されている。
 ところが、不思議にも夏至や冬至にあっては、目立った歳時は記されていない。古来、何かにつけて願掛けの歳時を行ってきた日本社会をかんがみれば、夏至と冬至に歳時の風習がないことには、確かに摩訶不思議に思えるものがある。しかしながら私の場合、季節の変わり目を明確にする夏至と冬至には、ことのほか感慨をおぼえるところがある。すなわち、これらに付随する感慨とは、ずばり一年の速めぐり感である。わが余生を縮めて、なんたる半年の速めぐり感であろうか。もちろん、ジタバタしても仕方ないけれど、焦燥感きわだつ夏至の訪れである。
 今年にかぎれば日本社会にあってはこの間、平成時代は打ち止め(平成三十一年四月三十日)となった。そして、その翌日の改元を境にして、新たな令和時代(令和元年五月一日)の幕開けとなった。このところでは、来年の「東京オリンピックおよびパラリンピック」の開幕日に向けて、「あと何日」などと、カウントダウンが始まっている。昭和生まれの私は、おのずから日に日に過去の残りものと化し、短い余命にさらなる焦燥感がつのるばかりである。特に、オリンピックとパラリンピックへのカウントダウンは、わが年齢八十歳に向けての、明らかなカウントダウンでもある。なんだか、わが生命の終焉を急かされるような、恨めしいカウントダウンの始まりでもある。
 あれやこれやで、のほほんとしておれない、夏至の夜明けのわが心境である。夜明けの雲間が切れて、朝日が射し始めている。しかし、わが気分は梅雨空のままである。そのうえ、余命を脅かす焦燥感がともなっている。

 ずる休みの二の舞を恐れて

 六月二十一日(金曜日)、現在の時間帯は夜明け前四時近くである。視界には夜明けが薄っすらと始まっている。現在のわが心境を吐露すれば、きのうの二の舞を恐れて、起き出してきているところである。さらに付加すれば、一行でも書かなければ、「ひぐらしの記」の再始動はあり得ないと、恐れている。
 きのうは目覚めの気分悪く、起き出しを渋り寝床にうつらうつらと寝そべっていた。すると、文章書きと道路の掃除の日課をやり過ごした。大慌てで起き出したときには、時計の針は七時半を過ぎていた。結局、寝坊助に見舞われたずる休みを食らったのである。
 二の舞とは、きのうのこの繰り返しである。確かに、目覚めの気分はきのうとどっこいどっこいだった。しかし、きのうと違うのは、二の舞を恐れての自己発奮である。もちろんこんな気分では、心象で書く文章は書けない。ところが、これを口実に文章を書かなければ、おのずからそのまま沙汰止みとなる。現在の心境は、その恐れにある。
 道路の掃除の中断は、文章書きほどには切羽詰まってはいない。それでもやはり、心を惑わす要因ではある。結局、現在の私は、物事における惰性や継続の力をあらためて感得しているところである。確かに、このところの私は、両者の継続に脅かされている。ひぐらしの記にあっては、日々潮時にさいなまれている。道路の掃除にあっては、この先の身体の衰えを懸念しての危惧である。両者に共通するのは加齢にともなうさまざまな雑念と、それらに誘引されるモチベーションの低下が元凶である。もちろんこれらは、日本社会や人様に転嫁できる代物ではなく、自分自身に取り付く悪の根源である。そのため、悪の根源を絶ち、かつモチベーションの回復をどう図るか、これが現在のわが喫緊の課題となっている。しかしながらこれらは、「言うは易く行うは難し」の典型にある。
 「焼け石に水」や「蟷螂之斧(とうろうのおの)」と自認するところはあるけれど、それでもモチベーションの回復にもがいている。最も身近で幼稚なことでは、新聞(活字)を出来るだけ読もうという、ままごとみたいなみずからへの鼓舞がある。一方、大それた試行では昨年の秋以来、一日に二、三時間の英単語の学習を強いている。これらをみずからに付加することで、モチベーションの低下傾向を防ぐ心づもりにしているのである。ところが、付け焼刃の自己発奮では、モチベーションの低下傾向を防ぐには、もちろん役立たずの「年寄りの冷や水」にすぎない。
 一行のつもりが、だらだらと長くなってしまった。モチベーションの高揚には役立たずである。そうであれば道路の掃除に出向いて、散歩常連の人達と、明るく朝の挨拶を交わすことに懸けよう。夜明けの空は、薄明るい梅雨空である。

「生きることのつらさ」 

 六月十九日(水曜日)、現実の出来事かそれとも架空の出来事なのか? ごちゃまぜの悪夢に魘されて起き出してきた。なさけないことに、このところのわが就寝時の常態である。安眠を貪ることができれば、どれほど起き立ての心地がいいだろうと、思いながらのいつもの起き出しである。文章は書き手の気分を反映する。おのずからわが文章は、重たい気分まみれである。もちろん、明るい文章を書きたい気分に急き立てられている。それでも成し得ないのは、確かにわが生来の「身から出た錆」であろう。ところが、少しばかり弁解を許していただければ、重たい文章を書く羽目になるのは、必ずしも私だけのせいとは言えそうにない。なぜなら、このところの日本社会の世相を鑑みるに、人みなそれぞれの人生をまっとうするには、世の中自体が生きにくいことばかりであふれている。
 起き出してきてパソコンを起ち上げると、気鬱な配信ニュースに遭遇した。【新潟、山形で9人けが 日本海側で弱い津波 新潟震度6強】(6/19・水曜日、1:27配信 毎日新聞)。「18日午後10時22分ごろ、新潟県村上市で震度6強の地震があった。山形県の鶴岡市でも震度6弱の揺れが観測された。気象庁によると、震源は山形県沖で震源の深さは14キロ、地震の規模を示すマグニチュード(M)は6.7と推定される。気象庁は、山形県、新潟県(佐渡島を含む)、石川県能登の沿岸で津波注意報を出した。新潟県で3人、山形県で6人のけがが報告されている。」
 また、梅雨の合間にあっては日本列島のどこかで、土砂崩れや洪水被害のニュースが絶えない。自然界現象の恐ろしさは、「天災は忘れた頃にやってくる」という、フレーズを死語においやるほどに、今やのべつ幕なしに起きている。ところが、日本列島を襲う自然界現象に輪をかけて、人の為す日本社会にあっては、このところ生きることの困難を露わにする事件が頻発している。高齢者運転にまつわる事故、人の命を殺める事件、などが相次いで、まさしく世相混乱状態にある。かてて加えて、年金にまつわる「老後資金、2000万円」問題もひとごとではない。これらを浮かべるせいであろうか、わが起き立ての心中に浮かんだことは、「生きること、生き続けること」にまつわる、人生の「哀感」だった。できれば「哀歓」と書きたいところだが書けないのは、わがマイナス思考のせいであろうか。世相を鑑みて、いや、そうばかりとは言えそうにない。
 梅雨の合間ののどかな夜明けが訪れている。しかしながら、それに浸りきれないのは、わがことだけでなく人の世につきまとう「生きることのつらさ」を浮かべているせいであろう。そうであれば安眠は、いくら望んでも、とうてい叶えられない夢まぼろしである。

早い梅雨明け願望 

 六月十八日(火曜日)、関東地方にかぎれば気象庁の梅雨入り宣言(六月七日)から十日が過ぎた。梅雨の季節を一か月余りと想定すれば、いまだに三分の一が過ぎたにすぎない。ところが、現在の私は早い梅雨明けに期待を膨らませている。言うなれば、すこぶる付きの天邪鬼(あまのじゃく)である。しかし、こんな思いが浮かんでいることには、当てずっぽうではなく確かな一理がある。一理とは、きのう(六月十七日・月曜日)の好天気である。
 具体的には夏空と秋空が抱き合ったかのような、胸の透く日本晴れの好天気のゆえである。実際にも私は、好天気に誘われて気分よく二つの日課を実践した。それは夜明けの道路の掃除と、昼間の大船(鎌倉市)の街への買い物行である。
 早い梅雨明けに期待が膨らんでいる私は、インターネット上における人様の学習と知恵を閲覧した。つまり、過去データをともなって予想されている関東地方の梅雨の明け日である。
 【2019年の関東地方の梅雨明けの時期の予想!】「(関東・甲信地方の梅雨明け日 1951年から1018年までの68年間の気象庁データよれば)。最も早い梅雨明けは昨年2018年の6月29日頃で、最も遅い梅雨明けは1982年の8月4日頃でした。関東の梅雨明け時期の平均値を見てみると、おおよそ7月18日頃となっています。一昨年(2017年)は7月6日、昨年(2018年)は6月29日が梅雨明けということなので、これらのデータから予想すると2019年の関東の梅雨明け時期は、7月10日頃から7月24日頃の間くらいになりそうですね。」
 確かに、私は早とちりだったようである。しかし、自然界や気象のことはだれもわからない。なぜなら過去データでみても、最も早い梅雨明けは六月二十九日頃で、そして最も遅い梅雨明けは八月四日頃とある。私は、早い梅雨明けに期待を膨らましている。夜明けの空は、わが期待を誘うのどかな朝ぼらけである。
 一方で、梅雨明けの平均値(七月十八日頃)まではまだ長い道のりである。わが早い梅雨明け期待は、願望先立つ空念仏となるのか! 大空のみが知る夜明けの空である。

愚の骨頂 

 六月十七日(月曜日)、未明三時近くに起き出して、いろんな思索に耽っている。思索と言えば高尚に思えるけれど、実際にはいろんな雑念を浮かべている。それらの中で、最も頻繁に出没するのは、来し方における後悔や悔悟の念である。まさしく、「後悔は先に立たず」まみれである。そして、それに匹敵するものは、この先の行きし方への不安の念である。どちらも楽しめる想念ではなく、いたずらに苦悩がつきまとっている。確かに、今さらどうしようもない過去をふりかえり、苦悩するのは愚の骨頂である。
 一方で、この先どうなるかもわからないことに先んじて、苦悩するのもこれまた愚の骨頂である。詰まるところ私は、愚の骨頂まみれである。ところが、現在の確かなわが心情である。もちろん、文章を書かなければこんな心情を晒し、挙句に恥をかくことはない。なぜなら、わが心情など、人様は知るよしない。
 愚の骨頂の雑念をふり払うには、のどかな夜明けにすがるしかない。幸運にも、夜の闇が切れて朝ぼらけが訪れている。

 「祝・十二歳」

 六月十五日(土曜日)、きょうは雨の予報である。起き出してくるやいなや、かたわらのカーテンを引いて、窓ガラスを開いた。しかし、この時間帯(夜明け前四時近く)にあっては、いまだ雨は降っていない。ところがパソコン上の予報には、雨の確立一〇〇%、と記されている。梅雨の合間でもあるから、いずれは確率どおりに雨が降るのであろう。雨の予報にちなんで、現在のわが気持ちは揺れている。夜明け前に降り出すと、日課とする道路の掃除は免れる。雨なく夜が明ければ、雨降り前の掃除が急かされる。正直に本音を言えば、夜明け前に降り出してほしいと、願っている。
 さて、このところの国会における与野党の論戦には、年金問題にからめて老後資金「二〇〇〇万円」が、にわかに物議を醸している。老後にあって、二〇〇〇万円の貯めがなければ、人は死ななければならないのか。そうであれば日本国民の多くは、身体の高齢を待たず死ななければならないであろう。なさけなくも、わが夫婦もこの範疇にはいる。ところが現実の国民は、宵越しの金に困りながらも必死に生き続けている。なんだか、金無しの国民感情をやたらと焦燥させ、逆なでした無用の論戦と言えそうである。実際のところ国から「二〇〇〇万円」が必要などと、警告されなくても国民は分かりきっていることである。新聞紙上に広告する週刊誌は、二〇〇〇万円などはした金のごとくに、高額の老後資金の必要記事を載せ続けている。だからと言ってどうすることもできない、わが家のみならず多くの国民の懐具合である。そうであれば羨望や僻み、はたまた焦燥感だけがつのるこの手の論戦は、不要かつ不毛である。
 さてさて、「ひぐらしの記」はこんな実の無い文章を書き連ねながら、年齢を重ねてきょうは十二歳の誕生日である。ひそかに、わが祝福するところである。この途方もない出来事を恵んでくださった大沢さまと、支えてくださったご常連の読者各位様には、最大限の謝意を表するところである。もちろん、大見得を切ることはできないけれど、生来三日坊主の私が叶えた晴れの日である。
 夜明けてみると小降りに雨が降り出している。掃除を免れてこののちの私は、のんびりと「十二歳」までの来し方にふけるつもりである。ただこの先は、加齢とともに意気萎えなえである。この先には、なさけなくも「あす」も含まれている。かてて加えてわが家の老後資金は枯渇し、おのずから妻とわが命自体の生存が危ぶまれている。いくぶん晴れがましい「ひぐらしの記」の十二歳の誕生日にあって、華やかさのかけらまったくない文章を書く羽目になったことは、わが小器の証しである。かえすがえす残念無念である。それでもやはり、「祝・十二歳」、と表題をつけよう。もちろん、自惚れではなく、疲れ切っている心身の癒しのためである。
 付記(現代文藝社の掲示板より転載)
 素晴らしい十二歳! 投稿者:大沢 投稿日:2019年 6月15日(土)08時46分15秒   通報 編集済
 ひぐらしの記第一集は「梅雨の候」である。カバーは著者の竹馬の友富田文昭さんの写真で飾られ、それはお二人の故郷(熊本県)を流れる内田川の写真である。
 ページを開いてみると、梅雨の合間、ふるさとの花道、白い花の咲く頃、梅雨入りに思う、ホタル、そして六月十六日(土)には、とりもつ縁と続いて、次のページに「母と父の日」と題して著者(前田静良さん)と奥様の心温まる会話が書かれている。
 私は妻に、
「きょうは父の日だから、寿司でもとろうかね」
 と声をかけた。妻は、
「お父さんやお母さんはもういないのよ。パパ、今日は父の日なのよ。自分たちじゃないの」
 と言った。
「そんなことはないよ。自分たちにも心の中では、まだ父と母は生きている。その人たちに感謝する日だと思えばいいじゃないか」
「それもそうね」
 妻はいそいそとして、並寿司二人前の出前を電話でたのんでいた。
 ひぐらしの記には故郷熊本で暮らした幼き日の著者の思い出がぎっしり詰まっている。また、一人っ子の娘さんのご長女の成長記や日常の暮らしの中での奥様とのほほえましい会話など、私たちの日常を代弁してくれているような親近感が湧いてくる。
 十二年もの間、毎日紡ぎ続けてこられた作品群は、現在七十五冊目の単行本の出版にさしかかっている。なかなか出来ない偉業である。
 読者の一人として、今後さらなる継続をお願いする次第である。

梅雨季のトラウマ 

 六月十四日(金曜日)、雨なく晴れたのどかな夜明けが訪れている。夜明けの空を眺めながら、心中にこんなことが浮かんでいる。子どもの頃の梅雨にあっては、もっと雨の日が多かったと思う。ところが、ことしにかぎらず感じていることだけれど、梅雨季すなわち六月も例月と比べて、雨の日はそんなに多くないように思えている。もちろん、気象庁に問うて確認すれば、データで事実を教えてくれるにちがいない。
 確かに、空梅雨という季節用語はある。しかし、梅雨入り宣言からほぼ一週間を過ぎるこの間、半分ほどは雨やぐずついた日があったから、空梅雨の様相はない。私の場合、それでも雨の日が少ないように思えているのは、子どもの頃の梅雨体験がトラウマ(心的外傷)となっているせいなのかもしれない。
 トラウマの一つには、梅雨季特有の釜屋(土間の炊事場)のジメジメ感が想起する。そしてこれには、母の嘆きの言葉がつきまとっている。この言葉は最近書いたばかりなので、蒸し返しになるけれどそれはこうである。母は「なんでん、ねまる(腐る)、ねまる」と言って、残り物の食べ物の始末を嘆いていたのである。
 父の梅雨季の姿には、水田の見回りのときに着けていた蓑笠が浮かんでくる。ところがその父の姿は、ほぼ毎日だったように思えてくる。わが家の裏を流れる内田川は、梅雨季には今か今かと氾濫を恐れるほどに水嵩(みずかさ)を増して、ゴーゴーと唸りながら流れていた。これらの光景が今なお脳裏を去らず、つまりはわが子どもの頃の梅雨季の実体験の思い出を成しているのである。そしてそれらは、梅雨季は雨ばかりだったという、トラウマを残しているのである。
 いつものように心中にふと浮かんだことを書き殴り、文章を閉じる。こののちは、道路の掃除へ向かう。あすの夜明けも晴れるとはかぎらず、梅雨の合間の晴れに不安をつのらせているせいである。子どもの頃の梅雨季の光景を浮かべて、今なお私は、梅雨季特有のトラウマを引きずっている。

山紫水明の変転 

 この時季、夜明けの頃にわが日課とする道路掃除の区域には、道路上に枇杷や梅の実が転がっている。秋には、柿の実やカラスウリが転がっている。カラスウリは、子どもの頃にはなぜか「馬んガランガラン」と、言っていた。
 自然生えのカラスウリはともかく、山の一部に果樹が植えられているのは、道路際の山の法面が住宅地内の園芸業者の所有となっているせいである。おそらく、山を崩して新興住宅地として開発されたおりの後に、園芸業者とデベロッパー(開発会社)との間で、譲り受けの優先取引があったのであろう。そしてそののち、果樹の植え付けのみならず庭石も置かれている。もちろん園芸業者には、それらを売り物(商品)にする魂胆があったのであろう。
 実際にも大きな石は、依頼者の庭づくりのために、何度かクレーンで運ばれていた。しかしながら、現在はどちらも手つかずで、果樹は伸び放題で庭石は置きっぱなしになっている。その挙句、山の中に混然一体を成している。そして、現在の法面には「保安林」という、表示板が立てられている。ところが、こちらも生い茂る木立に埋没し、道路から見えずに隠れている。
 それらとあいまって、私が手植えしたアジサイが側壁に沿って並んでいる。手植えが許されたことは、園芸業者が法面を開発会社から譲り受けられたのは、わが行為の後ということになる。当時の私は、自然林の法面として勝手に、かつ善行のつもりでアジサイを植えた。しかし、知らぬがほとけで実際には、邪魔な行為だったのである。
 確かに私は、園芸業者から苦言をこうむったことがある。この行為の罪滅ぼしと、散歩めぐりの人たちの眺望をよくするため、私はみずからに道路の掃除を課しているのである。現在の日々の苦行をかんがみれば、とんだ罰当たりである。
 長々と書いてしまったけれど、道路に転がった枇杷や梅、さらには秋の柿の実が車に轢(ひ)かれてびっしゃげていると、汚くて始末が悪いのである。実際のところこの時期の私は、枇杷と梅の実のびっしゃげには往生している。びっしゃげとは、ふるさとの方言かも知れないが、子どもの頃から馴染んできた言葉である。
 雨の日の多い梅雨季にあっては、宅地が川際の人は氾濫や洪水に、山際の人は鉄砲水や山津波、土砂崩れに戦々恐々を強いられる。確かに、山紫水明の変転の恐ろしさは、肝をつぶすどころか命をつぶすのである。
 六月十三日(木曜日)、夜明けの空は梅雨の合間の朝ぼらけである。このため、私は文章を閉じて道路へ向かう決意をしたのである。道路の掃除にあって先ずは、車に轢かれて汚くびっしゃげている枇杷と梅の実の跡片付けである。びっしゃげとは、ひしゃげと同義語である。

 わが日常に迫る寂しさ

 回読本にあずかる人様から、「『ひぐらしの記』を読めば、前田さんの生活ぶりがすべて分かりますね」と、よく言われる。これにたいし私は、「そうですね…」、と応じることとなる。確かにそうだから、照れることや恥じ入ることもない。いや実際にはそんな文章を押しつけで、読み続けていただいていることに感謝の気持ちがいっぱいである。
 きのう(六月十一日・火曜日)の文章の中において、予告したわが買い物行動には成り行き的に妻が同行した。正直に言えば「一緒に行ってよ!」と、私が助太刀を願ったのである。なぜなら、自分だけではてこずるほどに、妻が記した買い物メモには、買うべき品物が並んでいた。そのうえ、メモの品々に加えて、買い物めぐり特有の衝動買いは避けられないと、思ったからである。実際のところ私は、自分だけの買い物行に不安をおぼえていたのである。妻は拗(す)ね渋ることなく、むしろ率先して同意した。
 妻の出かけの身形(みなり)には、私同様に背中に大きな買い物用のリュックを背負っていた。幸運にも思いがけなく、二人しての買い物行となったのである。行き先は、不断のわが家の買い物の街・大船(鎌倉市)である。買い物の足は二人の身体の足に加えて、往復共に定期路線の「江ノ電」バスの利用である。買い物の実践にあっては、一〇〇点満点の買い物メモに倍するほどに、二人の衝動買いの品々が加わった。そのため、わが家最寄りのバス停「半増坊下」で降りて、わが家へたどる道では共にこんな光景を晒していた。背中のリュックはダルマのように膨れて、両手提げのビニール袋は、地を這うほどに垂れていた。もちろん、何度か立ち止まり、共に呼吸をととのえていた。少し前を歩く私は、「だいじょうぶか!」と振り返り、よろける妻の足をしばし待つ身となった。
 わが家へ帰るやいなや私は、一時間半くらいをかけて、雨上がりの汚らしい道路の清掃を敢行した。こんなどうでもよいことを臆面もなく書くから、回読本にあずかる人様には、私のみならずわが家の暮らしぶりが見えみえである。結局、そんな実の無い文章を読んでくださるのだから、私は人様に感謝せずにはおれないのである。
 さて、まったくご利益(りやく)のないこの文章の罪滅ぼしに、私は見ず知らずの人様の文章の転載を試みている。もちろん、引用する文章にいたく感じ入ったからである。引用文は、朝日新聞・朝刊(2019年・令和元年、6月11日・火曜日)のコラム「折々のことば」(鷲田清一、1488)からである。
 【老いるとはほんとうに「取り返しがつかない」のです。小澤勲】:認知症を病む人たちの共通の感情は「寂しさと喪失感」だと、精神科医は言う。「取り返しがつかない」というこの感覚、若い人にはわかりにくいだろうが、なじんだ人がみな先に逝ってしまい、「この世には自分の来し方を知らない人たちだけが残されたときの寂しさは、私にも身に染みます」と。やり直しということがもう脳裏をよぎらなくなる……。『ケアってなんだろうから』から。
 わがコメントの追記:老いることの寂しさの真髄は、確かにこのことではないだろうか。すなわち、なじんだ人がいなくなったり、自分を知る人が周りにだれもいなくなったり、それこそ「ひとりぼっち」の寂しさが身に堪えるのであろう。まもなく、わが身にも染みることゆえに、人ごととは思えず引用を試みたのである。どちらが先に逝くかは不明だが、二人一緒の買い物が途切れるのは、そう遠くはない。

 夫婦喧嘩の引き金になるのかな

 六月十一日(火曜日)の夜明けにあって、きのう降り続いていていた雨は止んでいる。きょうは、梅雨の合間の晴れ日になりそうである。そうなるときょうの私は、大船(鎌倉市)の街へ買い物に出向かなければならない。ほぼ三日降り続く雨を眺めながら茶の間の二人は、きのうこんな会話を交わした。
「パパ。あした雨が止んだら、急いで買い物に行ってね。あしたはちょっと晴れて、また雨になりそうよ。買い物、たくさんあるわよ。行ってね!」
「そうか。梅雨だから、雨は仕方ないね。うん、いいよ。行くよ」
 妻は、紙きれのメモを示した。
 私はこの文章を書くにあたって、茶の間に下りた。テレビが点いたままに、妻はソファに寝(やす)でいる。私はテーブルに置かれたメモをそっと取り、二階へ戻りパソコンを起ち上げた。そして、確かに書くまでもないこの文章を、キーボードで書き始めている。そして、心中では夫婦喧嘩の因(もと)になることを恐れている。喧嘩の因は、「こんなことまで書くなんて、パパは、ほんとに馬鹿よ!」という妻の罵声と、わが反発のこじれである。こんな懸念をいだいてまで私は、確かに書くまでもないことを書き始めている。実際のところこれは、梅雨の合間の憂鬱気分直しの実の無い駄じゃれ文である。そのため、わが身勝手を切にお許しを願うところである。
 妻が記した買い物メモの丸写しはこうである。「甘夏、青菜、パセリ、人参、椎茸、魚、ニンニク、グリーンアスパラガス、豆腐(絹、木綿)、白玉粉、ミルク(コーヒー用)、あずき(ゆで)、牛乳(小)、味噌(料亭の味)、おから(粉末)、刺身(たこ、あじ)、豚肉と挽肉共に200グラム、ラジカセテープ、ポリ袋(半透明40~45ℓ)」。
 主婦業としては妻を褒め称えてよさそうである。良くも思いついて、こまめに書いたものである。いつもであれば私は、渡されたメモの品物を脳裏に刻んで、買い物に出向いてノーミスで用を足している。ところがきょうにかぎれば、メモ持参のうえに買い物の途中で見る羽目になりそうである。そしてなお実際には、妻のメモ書きの品物のほかに、わが嗜好の駄菓子とバナナや柑橘類の衝動買いが加わるのである。このため、きょうのわが買い出し風景は、戦時中の買い出しスタイルになりそうである。人様の目に映るわが姿は、背には国防色の大きなリュック、両手提げのビニール袋、そしてよろける足取りである。
 のどかに、梅雨の合間の朝日が射し始めている。

梅雨空の下の雑念 

 六月十日(月曜日)梅雨空の下、きのうから切れ目なく雨が降り続いている。日曜明けの勤務の身の人にはわるいけれど、職業から離れている私の場合、雨の影響はまったくない。そのうえ、きのう書いたように夜明けの道路の掃除を免れて、気分の滅入りはない。確かに、雨の影響をこうむり、道路の掃除は三日連続で免れている。半面、このことでは雨上がりの掃除の難渋が懸念される。しかしながら、自然界や気象現象の梅雨の季節を恨んでも仕方がない。梅雨空や雨の日のこの時期は、一方では日本列島の田植えの季節と重なっている。そのため、もともと恨めしい気分とありがたい気分が交錯する季節でもある。
 ところが私の場合、雨の日が長引いたらこんな悠長な気分ではおれない。雨の夜明けにあって、心中に浮かんだことが一つある。それは、わが家はいずれ「買い物難民」を強いられるだろう、ということだった。今や、わが住宅地内のかつての商店街は寂れて、もちろんはやりのコンビニはない。このため、わが不断の買物は往復路線バスを利用し、二十分ほどかけて大船(鎌倉市)の街まで出かけている。今のところは、雨の中の買い物を厭(いと)わさえしなければさしたる影響はない。ところが、やがて訪れるその先は、大いに危ぶまれるところである。
 実際には晴れの日であっても老体ままならず、大船の街が疎遠になる。おのずから夫婦共に、買い物難民に陥ることになる。確かに、このところのスーパーには、まとめ買いの有料の宅配サービスはある。さらには、テレビやインターネットなどの通販も旺盛である。しかしながらこれらに頼れば、散歩を兼ねて日課のごとく出向くわが買い物の足は、いやおうなく足止めされる。どうもがいてももがききれるものではないけれど、人生終焉近くのうら寂しいわが姿や心情となりそうである。
 現在の私は、久々に口内炎の発症に悩まされている。しかし、患部が舌裏かつ奥ゆえに、薬剤治療のほどこしようはない。このため、梅雨明けあたりまでの痛みの我慢を強いられる。発症の原因は、好きなピーナツの食べ過ぎである。しばし、嗜好のピーナツを我慢せざるを得ないことでは、やはりわが気分は鬱陶しい。もちろん、梅雨空のせいではなく、わが身から出た錆である。
 梅雨空は気分が落ち着くせいで、いろんな雑念が次々に湧いてくる。真っ先に浮かんだのは、「買い物難民」への惧(おそ)れと慄(おのの)きである。

馬鹿丸出しの寸劇 

 梅雨の合間の雨の日曜日(六月九日)、梅雨空の夜明けは気分が落ち着いて好きである。実際には小降りの雨の夜明けである。気分が落ち着く理由は、きのうの文章にも書いたけれど、夜明けの道路の掃除を免れることである。夜明けの道路の掃除は、やはり大きな心身の負担となっている。そのためかこの頃は、お顔馴染みの散歩常連の人との挨拶言葉に、「ぼくはもう、限界です」という、常套句が付いている。そのたびに返るのは、
「まだまだです。ご自身の健康のためですから、続けてください」
 という言葉である。
 もちろん、お顔見知りゆえの激励の言葉だけれど、(わが気も知らないで!)と、ちょっぴり恨めしく思う言葉でもある。しかし私は、老顔をほころばせながら、
「そうですね。がんばります。私の姿が道路上に見えなくなったら、『あら、亡くなられたのだわ』と、思ってください」
 と、付言する。
 これに返る言葉は、短く「そんな!」である。閉めの言葉は、私が重ねる。
「互いに、健康で続けましょう。ぼくは、あなたさまに会えることを楽しみに、道路に出ているのですから…」
 しかし、「私もですから…」という言葉は返らず、ぼくは掃除をご婦人は散歩を再始動する。梅雨の合間がもたらした馬鹿丸出しの寸劇は、これで閉幕とする。もちろんカーテンコールは、「パチ」一発も望めない。
 道路脇のアジサイは、雨に濡れてほほ笑んでいるかのように色づいている。

2018年、人口動態統計 

 六月八日(土曜日)、梅雨の合間の小雨模様の夜明けが訪れている。こう表現したのは関東地方にきのう(六月八日・金曜日)、気象庁の梅雨入り宣言がなされたからである。去年より一日早い梅雨入りだと言う。いよいよ雨の日多く、鬱陶しい梅雨の到来である。ところが、現在のわが気分は悪くない。その理由の一つは、夜明けまもない普段の道路の掃除を免れているからである。さらに一つは、梅雨空がふるさと時代の田植えの頃の夜明けを、懐かしく偲ばせているからである。もちろんこんな日は、ふるさと・内田川のホタルも出番を挫かれて、羽休みであろう。
 きのうの私は、二つのテレビニュースに関心を寄せていた。一つは関東地方の梅雨入りであり、一つは日本の国の人口動態統計である。後者は公表のたびに、「ひぐらしの記」にメディアの報じる配信ニュースを引用し留めてきた。その理由は、日本の国の人口動態の現在進行形ゆえである。もちろん、日本政府および国の憂慮する課題の現況だからでもある。
 【出生率1.42、3年連続の減少 18年生まれ最少91万人】(毎日新聞最終更新2019年6月7日20時14分)。厚生労働省が7日公表した2018年の人口動態統計によると、合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数に相当)は1.42と前年を0.01ポイント下回り、3年連続で低下した。18年に生まれた子どもの数(出生数)は91万8397人(前年比2万7668人減)で、統計開始(1899年)以来の最少記録を更新した。死亡数は136万2482人(同2万2085人増)で戦後最多を更新。出生数と死亡数の差はマイナス44万4085人で、「自然減」は初めて40万人を超えた。減少は12年連続で、減少幅も年々拡大している。少子化が進む一方、急速な高齢化で死亡数が増え、厚労省は「今後も一定程度は拡大していく」とみる。出生率は05年に過去最低の1.26まで落ち込んで以降、15年に1.45まで持ち直したが、その後は再び低下を続ける。厚労省は「出生数の85%は25~39歳の母による出産だが、この年齢の女性が減っていくのが大きい」と背景を分析。18年の25~39歳の女性人口は約984万人で初めて1000万人を割り込んだ。母親の年齢別でみた出生率は、出産の高齢化を背景に40~49歳では微増となったが、39歳以下は低下した。03年から増加傾向が続いていた35~39歳も18年は減少に転じた。婚姻は前年より2万428組減の58万6438組で戦後最少を更新した。
 わが追記のコメント:国民の個人それぞれの事情だから、政府や与野党が党利党略の人気取りの施策で、ヤキモキジタバタしても仕方がない。懸念するのは日本の国の舵取りに、若年層の信頼が揺らいでいるのかもしれない。そうであれば、これこそ「一大事」である。

人の目、科学の目 

 昨夜(六月六日・木曜日)のナイターにおいてわがファンとする阪神タイガースは、延長戦(十回)において千葉ロッテマリーンズをくだした。今シーズンのタイガースは、例年になく強い戦いぶりである。昨年は、セ・リーグ最下位の屈辱を舐めた。おのずから今シーズンはこれまで、わがテレビ観戦が増えている。このためきょうは、まことに身勝手ながらわがテレビ観戦をより楽しくするため、インターネット上の人様の知恵と学習を拝借した。もちろんそれは、手っ取り早く野球におけるわがテレビ観戦の知識を深めるためである。
 具体的には人の目で見る審判の判定において、ビデオ判定による「リクエスト制度」の導入である。バレーボールにおいては、すでに同様のビデオ判定はいち早く導入されている。ところがこちらには、「チャレンジ制度」という呼称が付せられている。勝ち負けを判定するスポーツにおいては、この先雪崩を打ってほかの競技にもビデオ判定が導入されるであろう。大相撲の勝負、すなわち行司の軍配さばきにもチラホラと、ビデオ判定を望む声が出始めている。それほどに勝負の世界にあって誤審は競技者の命運を左右し、さらには観戦者の興味を失くす引き金ともなる。そして、ビデオ判定が導入されてみると、誤審がこんなにも多いのか! と、唖然とするばかりである。IT(情報技術)やAI(人工知能)の進化は、人の目に頼る審判(員)の受難の到来と言えそうである。しかしながら勝負の判定には、よかれわるかれ致し方無いところであろう。
 きょうの引用文は、わが浅薄な知識を深めるためのおさらいであり、身勝手を切にお許し願うところである。
 【「リクエスト制度」2019年からのルール変更点 野球PARK】「リクエスト制度の2019年からのルール変更点。2018年から日本のプロ野球においても導入されたリクエスト制度。リクエスト制度とは微妙なプレーの判定において監督がビデオによるリプレー検証を求めることができる制度です。2018年のリクエスト制度は以下の内容にて運用されました。(審判の判定について監督がビデオのリプレー検証を要求できる)ストライク、ボール、ハーフスイング、ボークの判定は対象外(監督がリクエストを行使できるのは1試合につき2回)リプレー検証の結果、判定が覆れば回数は2回のまま?延長戦に入った場合は新たに1回増える。リクエスト制度については賛否両論ありましたが「判定の納得感」が増すことからファンには概ね好評で、導入は成功だったと思います。そして2019年度からは新たに以下のプレーもリクエストの対象として、リプレー検証を求めることができるようになります。(コリジョン「本塁でのブロックや体当たりを禁止するプレー」併殺崩しなどの危険なスライディング)頭部死球(危険球)を巡る判定。リプレー検証の結果に異議を唱えた場合、2018年までは監督が退場になると明文化されていました。2019年からは「異議を唱えた者と監督」つまり、コーチや選手も退場処分になります。なお、悪質なプレーには警告が出され同じ選手が2度警告を受けると退場、非常に悪質なプレーの場合は1度で退場となるケースもあります。以上が2019年から変更となるリクエスト制度のルールでした。」
 わが考察を付加すれば、「リクエスト制度」の導入は成功であり、確かにいっそうテレビ観戦を楽しめている。それでも、一つの疑義が残るものがある。それはビデオ判定後に、誤審をしでかした人の名誉を守るような、審判団(人情)の疑わしい判定もあるように思える節があることである。人の目とビデオ判定(科学の目)の鬩(せめ)ぎ合いが続きそうである。

新聞(社)の危機 

 あんなに子どもの頃から読み続けてきた新聞だけれど、このところは読みたくなくなっている。私の場合新聞は、モチベーション(意欲)の有無のバロメーターである。このことではわがモチベーションは、極度の低下に陥っている。新聞さえこうであるから、雑誌類を含めてほかの読書の習慣は、まったく沙汰止みになっている。いや、実際のところこれまで読書の習慣は、私には身につかず過ごしてきた。それをどうにか補ってきたのは、唯一新聞だったのである。ところが、それさえ習慣から外れかかっている。なぜかと自問すれば、主治医のことばを真似て「加齢のせいですね」と、言えそうである。しかし、この言葉に逆らえば、必ずしも加齢のせいばかりとは言えそうにない。やはり新聞自体、読む値打ちが下がっているせいであろう。その証しに今や新聞記事はニュースとは言えず、テレビやラジオそしてスマホなどの端末機類の後追いに成り下がっている。
 私は「ひぐらしの記」の命題に恵まれて、世情や世相を伝えるマスメディアの配信ニュースを頻繁に引用している。ところが、このところはこの配信ニュースにも、新聞社のなりふりを構っておれない切羽詰まった事情が垣間見える。具体的には多くの配信ニュースに、有料ないし会員限定と記されている。確かに、無料(タダ)読みされては忍び難いのであろう。しかしながらへそ曲がりの私は、この限定表示に出遭うと、(天下の大新聞が…)と、新たにへそを曲げたくなる。背に腹は代えられないのであろう、大新聞からかつての大らかさが影を潜めている。
 一時期、本屋の雑誌や漫画本には、立ち読みやタダ読みに業(ごう)を煮やし、ビニールが掛けられていた。確かに、立ち読みでなく座り込んで、漫画本を読み続けていた子どもたちがたくさんいた。ところが、この自衛の策あたりから本屋の人影が減り始めて、潮時のように多くの本屋が潰れていった。すると、この先新聞社は、この轍(てつ)を踏むのではないだろうか? わが老婆心である。「枯れ木も山の賑わい」とは言えないけれど、自衛の策が読者離れを誘引したら、元も子もないであろう。少なくとも大新聞には、「落ち穂拾い」をするおおらかさが欲しいものである。わが身勝手な考察だが、タダ読みであろうと読者をみずから遮(さえぎ)っては、いずれは泣きを見るであろう。
 配達人に配達状況を聞けば、配達戸数は激減しているようである。新聞(社)の危機である。今なお新聞ファンの私にすれば、自業自得は願い下げである。私には書くネタがない。

大沢さまの武勇伝 

 風邪と鼻炎症状が長引いて、いっこうに治らない。おのずから長く、気鬱状態に見舞われている。そのためこのところは、文章を書く気が殺がれている。これを口実に休養を決め込んで、とりあえずパソコンを起ち上げた。すると、このことが浮かんで、記して置こうと思った。なぜならこれは、のちのちわが身にためになるように思えたからである。タイトルには、「大沢さまの武勇伝」と、決めた。
 【早くもスズメバチの季節】ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2019年 6月 4日(火)18時17分23秒。六月一日(土)から四日(火)の午前中まで古河(茨城県)の実家に滞在した。前回の五月二十五日(土)から二十八日(火)に滞在した時に、妹が屋外のトイレに蜂が入ったと慌てている。まだスズメバチの時期ではないだろうと思い、「大きかった?」と私が聞くと、「スズメバチだと思う」と言うので、トイレの中を見回したが、それらしき蜂は見当たらなかった。そして、今回の二日目に事件が起こった。私が朝、外のトイレの入り口のタイルの床に丸く油がしみこんだような跡があるのに気付いた。ふと頭上を見上げると、何と直径十五センチほどのスズメバチの巣が出来ている。辺りにスズメバチが飛んでいる様子はなく、まだ出来て間がないようだ。見ていると、一匹の蜂が穴から出てきた。それと同時に別の蜂が巣に向かって飛んできた。私は慌てて側から離れた。私たちは何も気付かずにトイレのドアの開閉をしていたのだ。気付いてみればぞっと寒気がした。巣はまだ小さいし、蜂も数匹しか居ないようなので、すぐにスズメバチ退治のスプレーを取ってきて、蜂の巣の穴めがけて吹きかけた。巣から出てきたのは一匹だった。二メートルぐらいある枝切りばさみの先で巣を突っつくと簡単に穴が開いた。さらにスプレーを噴霧すると私はその場を逃げた。しばらくして恐る恐る近寄ってみると、蜂が出てくる気配はないので巣をたたき落とした。巣の天井の方に白い卵がぎっしり付いていた。巣のくっついていたところにさらにスプレーをかけて枝切りばさみの先でこすり取った。以前、巣を駆除してくれた業者が、巣の跡を削り取っておかないとまた蜂がやってくるというのを思い出したからだ。巣を取り除いた後に数匹の蜂が戻ってきていたが、やがてどこかへ行ってしまった。巣を焼いたら香ばしい匂いがした。蜂の子を食べる風習があるという。なかなかの美味だそうである。
 私には大沢さまの勇気のかけらもない。日々、茶の間と寝床におけるムカデの這いずり回りに怯えている。周辺にはムカデ殺しのスプレーを何本も置いている。ムカデの這いずり回りさえなければ、私には梅雨の季節を
嫌う理由はまったくない。むしろ、雨奇晴好(うきせいこう)の心境である。
 雨奇晴好:雨のときも晴れのときも、それぞれに、けしきがすぐれていること(電子辞書。
 わが家にスズメバチが巣くっても、トホホ私には大沢さまの武勇伝を真似る勇気なく、ブルブル震えているだろう。せっかくたまわったスズメバチの巣の退治の指南は、臆病者の私にはためになりそうもない。なさけなく、歯ぎしりしている。

無人電車の事故 

 人心がしでかした痛ましい事件が相次いでいる。人心のしでかす事件は他人事でなく、同情の余地すらなくわが身が痛むところである。日本社会にかぎらず世界事情は、常に事故や事件の丸写しである。このたび、無人電車のシーサイドラインがもたらした事故は、わが日常生活にはまったく影響ない。しかし、神奈川県内でもごく近くを走る電車の事故である。そのため、他人事としてのほほんとしてはおれない気分を強いられている。具体的には、一つは無人電車にたいするわが不明からもたらされている不安である。そして一つは、利用者の不便を案じおもんぱかっていることである。なぜなら、いまだに運転再開のめどは立っていないという。テレビニュースには、代替バスに長蛇の列をなす利用者のうんざり顔が映し出されてくる。もし仮に、私が長蛇の列に並ぶ当事者であれば、どんなにつらいだろう、と思わずにはおれない光景である。なぜか? この二つのことがやけに心中から離れず、メディアの報じる配信ニュースの引用を試みている。
 【シーサイドライン時速20キロ以上で衝突か 全車両モーター動く】(6/3・月曜日21:25配信 毎日新聞)。横浜市磯子区の新交通システム「シーサイドライン」の新杉田駅で1日に車両が逆走して14人が重軽傷を負った事故で、運営会社の「横浜シーサイドライン」は3日、事故車両は時速20キロ以上で車止めに衝突した可能性があると明らかにした。全車両のモーターが動いて逆走したとみられ、その衝撃でほとんどの連結部分が破損していたという。同社によると、シーサイドラインはコンピューター制御による無人運転で運行されている。事故車両は、25メートル先の車止めに衝突して止まったが、車止めは約130センチ動いていた。車止めは衝撃を吸収するために動く仕組みで、こうした状況などから当時20キロ以上の速度が出ていた可能性があるとみている。3日は全線で運転を見合わせ、振り替え輸送のバスを運行して対応した。4日以降も運転再開のめどは立っておらず、振り替え輸送を継続する。同社は、運行を再開したとしても当面は手動運転になるとの見方を示している。

梅雨空まがいを眺めながらいだく「心の風景」 

 六月三日(月曜日)、関東地方にはいまだ気象庁の梅雨入り宣言はない。しかし、梅雨の合間とも思える、朝日の見えないどんよりと曇った夜明けが訪れている。梅雨空まがいの大空を眺めながら、こんなことを心中に浮かべている。眼前に田植えや水田風景を見たのは、ふるさと時代の高校生までだったであろうか。共に、脳裏に焼き付いている懐かしい風景である。テレビを観ていると、ときおりそんな風景に遭遇する。しかしながらその風景は、かつてわが眼前で見たり、あるいはみずから体験したものとは似て異なるところがる。それは仕方ないけれど、臨場感に乏しいゆえであろう。かてて加えて、かつてのこれらの風景には、家族総出のおりなす人情味がいっぱい詰まっていた。しかし、テレビ画面で観る風景は、今や往時を偲ぶだけの縁(よすが)にすぎない。
 村人の高齢化現象と過疎化傾向を深めるふるさとにあっては、田植え自体が家族労働から請負人のひとり操作の機械に置き換わっている。年老いたふるさとの長兄はこの傾向に抗(あらが)えず、とうに田植えは請負人に委(ゆだ)ねている。いや、田植えのみならず、農作業全体を委ねている。後継者の長男夫婦とは同居だけれど、後継者とてすでに高齢のうえに、なお勤務の仕事に就いている。端的に言えば農家であっても今や農作業は、実入りの少ない「引き合わない」仕事となっているのである。
 ふるさとのみならず日本列島の田植えや水田風景は、おのずからこの先も様変わってゆくであろう。もちろん、寂れゆくとは言えないけれど、一抹の寂しさつのるところはある。だから、懐かしさを偲ぶとすれば、心中の風景にすがるより便法はない。梅雨空も、心の持ちようでは和むところある。関東地方の梅雨入り宣言は、まもなくであろう。周辺のアジサイも色づき始めている。
 「早く来いよ!」と、待ち望む馬鹿ではないけれど、農家出の私は、梅雨入りを毛嫌いするわけにはいかない。そして、田植えや水田風景、内田川に舞うホタルを心中に浮かべて、梅雨明けを待つことになる。

「水無月・六月」 

 六月二日(日曜日)、雨のない晴れたのどかな夜明けが訪れている。九州南部地方はすでに梅雨に入っている。こののち、桜前線や台風の北上のように日本列島の各地方には、気象庁の梅雨入り宣言が相次ぐこととなる。晴れた夜明けの一方で、梅雨空の走りに見えなくもない。関東地方の梅雨入り宣言も間近であろう。今さら言わずもがなのことだけれど、季節用語の「梅雨」をいただく六月は、文字どおり雨の多い季節である。雨が多ければ人々の日々の生活は、おのずから鬱陶しくなる。だから六月は、一年じゅうでさわやかさと最も縁遠い月と言えそうである。実際にもアンケート調査などからかんがみれば、多くの人たちはそう感じているようである。
 しかしながら日本列島にあっての六月は、きわめて大切な月である。もちろんそれは、日本列島の隅から隅において田植えの季節だからである。古来、農耕民族であるかぎり、六月の田植えすなわち稲を植え付け、秋のコメの収穫にすがり生存を叶えてきた。農家出身の私は、子どもの頃の体験を通して、今なおこの思い一入(ひとしお)である。このこともあって私の場合、鬱陶しさには閉口するけれど、あからさまに毛嫌いする気にはなれない。いやむしろ、生前の父と母の面影が偲ばれることでは六月がイの一番である。
 確かに、田植えの季節のわが家は、日々忙しさに追われていた。そのぶん田植えにあっては、一家総出の労働のおりなす楽しさや和やかさがあった。陣頭指揮を執る父の姿には、頼もしさがあった。コマネズミさながらに走り回る母の姿には、母親特有の強さと優しさがあった。一方で、雨降りが続くせいでじめじめとする釜屋(土間の炊事場)における母は、「なんでん、すぐねまる(腐る)ばい!」と言って、残った食べ物の始末を嘆いていた。
 わが勤務時代を顧みれば六月一日には、女性社員の制服が長袖の冬服から半袖の夏服へ替わった。たちまち社内光景は、初々しさや溌剌(はつらつ)さをともなって明るくなった。古来六月は、日本列島における衣替えの季節である。わが卓球クラブの存在する今泉さわやかセンター(鎌倉市)内の体育室は、冷房装置の解禁日でもある。
 下旬に「夏至」(六月二十二日)が訪れて、一年の中で半年単位の季節替わりを確かにする。花はアジサイの季節である。卑近なところでアジサイ寺の別称を持つ「明月院」(北鎌倉に位置する禅寺)前の道路は、きのう(六月一日)から六月いっぱいのあいだ車両進入禁止の措置にある。もちろん、アジサイ見物の混雑回避のための臨時措置である。鬱陶しさに嫌気がさして行動をひかえていては、生存自体が叶わない。できれば、集中豪雨のないほどよい雨降りを願うところである。雨の中で田植えに勤しむ農家の人たちを思えば、そっちのけにしてはならない大切な月である。ふるさと・内田川の水がいみ(ふえ)る月でもある。だから私の場合、毛嫌いするどころか、ふるさと偲ぶにはまたとない月である。
 「水無月(みなづき)・六月」:(古くは清音。「水の月」で、水を田に注ぎ入れる月の意)陰暦六月の異称。雨多く水多いのに、電子辞書を開かないと勘違いしそうな「水無月」の漢字の用い方である。

 五月最終日

 五月最終日(三十一日・金曜日)の夜明けが訪れている。現在の時間帯は四時半近くにある。妻は娘宅にでかけて留守であり、私は鼻炎症状にとりつかれている。こんなことまで書く必要はないけれど、わが身にとりつく現状である。実の無い「ひぐらしの記」は、もはや風前の灯火(ともしび)にある。これまで、こんなことを何度書いてきたことであろうか。そのたびに恥を晒し、気分が滅入る始末である。こんなことでは、季節の恵む清々しい夜明けも台無しである。
 きょうは五月の最終日、それにちなんでこの月の日本社会の出来事を粗方(あらかた)ふりかえる。一つは、新天皇陛下即位(五月一日)にともなう「令和」(平成からの改元)の始まりである。これに、平成天皇陛下の退位(四月三十日)にからむ異例の十連休は、是非をめぐり話題が沸騰した。直近では令和最初の国賓として、アメリカ・トランプ大統領の来日があった。これにちなんで日本政府および皇室における、さまざまな「おもてなし」光景がテレビ画面に映し出された。おもてなしの良し悪しは、私の知るところではないけれど、何事もなく過ぎてホッと安堵した。ところが、その興奮冷めやらないうちに、神奈川県川崎市多摩区において、飛んでもない殺傷事件が起きた。結局、五月は、現下の日本社会の厭な現状を丸写しにして、新たな令和時代をスタートさせたのである。
 閑話休題、現在の私は日本社会の施策の一つを浮かべている。それは「ふるさと納税」にかかわる狂騒である。私の場合、まったく関心なくふるさと納税の仕組みなど知らぬがほとけで、対岸の火事を見ている心地同然である。しかしながらふるさと納税にかかわる日本社会の混乱状況は、メディアの報道からあらかた聞き知っている。そして、それにちなむわが下種の勘繰りは、まるで総がらみとも思える日本社会の欲得ぶりである。すなわち、施行する政府、それにすがる自治体、返礼品目当ての納税指向、まさしく三位一体(さんみいったい)の混乱ぶりである。その挙句、政府主導で日本国民劣化政策をしでかしているような浅ましい光景である。もはや、「ふるさと」の名を冠した欲得狂騒さながらである。
 のどかな朝ぼらけにあって、こんなことを浮かべざるを得ないわが身は、ほとほとなさけない。ふるさと慕情に欲得をからめては、ふるさとの味は台無しである。もちろん、鬱陶しい梅雨入りを間近にして、せっかくの自然界の恵みも台無しである。

 腹立たしい夜明け

 五月三十日(木曜日)、夜明けまもない道路の掃除を優先したため、現在の私はて焦りに焦っている。そのため今朝は、メディアが報じた配信ニュースの引用で、わが文章は休筆とする。現在のわが心中には、「こんな人たちに、税金が使われているのか!」という、思いが渦巻いている。腹立たしい夜明けである。道路の掃除を終えて、清々しい気分も台無しである。
 【桜田前五輪相「子ども3人くらい産んで」 またまた釈明】(2019年5月29日23時59分 朝日新聞デジタル):自民党衆院議員の桜田義孝・前五輪相は29日、千葉市内で開かれた同党参院議員のパーティーであいさつし、少子化問題に関連して「子供を3人くらい産むようお願いしてもらいたい」などと述べた。桜田氏は発言後、報道各社にコメントを出し、「子供を安心して産み・育てやすい環境を作ることが重要だとの思いで発言した。それを押し付けたり、誰かを傷付けたりする意図はなかった」などと釈明した。桜田氏は4月、同僚議員のパーティーで議員名を挙げて「復興以上に大事」などと発言し、五輪相を辞任したばかり。少子化問題をめぐっては、同党の加藤寛治衆院議員が昨年5月、所属する同党細田派の会合で「必ず新郎新婦に3人以上の子どもを産み育てて頂きたいとお願いする」などと述べ、批判を受けて撤回した経緯がある。

忌まわしい事件 

 五月二十九日(水曜日)、関東地方へ梅雨を連れてくるのであろうか? 梅雨空の夜明けである。わが気分は、びしょびしょに濡れている。アメリカの銃社会を蔑(さげす)むことはできない。それに劣らず日本の国は、刃物社会である。治安を誇っていた日本社会は、底無しに劣化を続けている。もちろん、こんなことは書き残したくはない。しかし、日本国民であるかぎり、のほほんとしてはおれない。どんな事故や事件より、切なく痛ましい事件が起きたのである。今朝は事件を伝える記事を引用し、日本社会の劣化ぶりを留め置くものである。災難に遭われた人やご家族には、まことに申し訳ない気持ちである。引用記事は、朝日新聞・2019年(令和元年)5月29日(水曜日)付けの一面記事である。
 「28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸新町の路上で、男が登校中の小学生らを刃物で次々襲った。神奈川県警などによると、小学6年の〇さん(11)と、外務省職員の〇さん(39)の2人が首などを刺され病院に搬送されたが、死亡が確認された。ほかに小学1~6年の児童16人と40代女性が重軽傷を負った。捜査1課によると、男は襲撃後まもなく、近くで自らの首を切りつけ死亡。そばには血の付いた包丁が2本落ちていた。」
 亡くなられた二人をあえて〇さんとしたのは、私の切なく居たたまれない気持ちの表れである。男が亡くなったことで、災難家族はいっそう憤懣やるかたない思いであろう。来日中のアメリカ・トランプ大統領は、挨拶の中でこの事件を織り込んでいた。哀悼のことばの裏には、日本社会を蔑んでいたのであろうか? もちろん憂慮していたのであろう。ニコニコ顔の安倍総理の「おもてなし外交」は、瞬時に暗転したのである。外交に先駆けるものは、日本社会および国民の安寧である。浮ついていた「令和」騒動に汚点が付いたのである。

小学生の遠足 

 五月二十八日(火曜日)、五時近くだがすでにとっぷりと、夜明けが訪れている。かたわらのカーテンを開いて、窓ガラス越しに道路を眺めた。結構、落ち葉が散らばっている。その上をひとりの女性が、足早に歩いて過ぎ去った。後姿を眺めただけだが、普段見慣れない散歩めぐりの人である。
 私は道路の掃除へ向かうかどうか? 決めかねて、結局キーボードへ向かっている。心中は焦る気持ちいっぱいである。わが日課とする道路上には山の枝葉が覆って、いつもまるで山中の掃除をしている気分になる。緑の季節にあっても結構、落ち葉が散乱する。それを見て見ぬふりはできないから、掃除へ向かうこととなる。
 掃除は、早朝、日中、夕方、いずれの一度だけでいいけれど、私は早朝と決め込んでいる。その理由はすでに何度も書いてきた。再び書けばそれは、早朝の散歩めぐりに人たちにたいし、清々しい気分を恵みたいという、思いからである。しかし、この思いは必ずしも果たせず、ときには日中、夕方になる。するとやはり、私自身が気分的にすっきりしないところがある。このため、早朝の掃除は、私自身への清々しい気分のほどこしでもある。ところが、二兎を追うには困難なところがある。二兎とは、早朝の掃除と同時間帯の文章書きの兼ね合いである。常に見舞われる悩ましさである。もう何度、こんなどうでもいいことを書いてきただろうか? 記憶追いつかずの多さである。性懲りないということばがあるけれど、確かに私は、性懲りない薄らバカである。いや薄らバカではなく、馬鹿丸出しである。
 きのう(五月二十七日・月曜日)、茶の間のソファにもたれていると、台所の窓ガラスから外を眺めていた妻が呼んだ。
「パパ、来て、来て!」
「何よ?」
 と言って、私はやおら腰を上げた。
「パパ、子どもたちの遠足よ!」
「そうか」
 妻とふたりして道路を眺めた。
「遠足なのね」
「そうだね」
 小学校低学年くらいの列が、遠足スタイルで通り過ぎていた。滅多に見られない懐かしい光景である。にわかに、ほのぼのと小学生気分がよみがえった。
 わが小学校時代の遠足は、ほぼ決まって「鷹取山」の原っぱだった。そこは、村中では唯一の桜広場だった。しかし、桜の季節の遠足は記憶になく、遠足と言えば時期を選ばず、ほぼ鷹取山一辺倒だった。このためもあって、飽きあきしていたのであろうか? 遠足に楽しい思い出はない。
 「ひぐらしの記」にお馴染みのふうたろうさん(ふうちゃん)の家は、小学校から鷹取山への行程の中ほどにあった。行きは学校からみんな一緒だったけれど、帰りはばらばらになった。そのため、ふうちゃんは早く家に帰れた。だから私は、(ふうちゃんは、いいなあー)と、思っていた。
 今さらだけど、ふうちゃんに問いたい。全行程は、どれくらいだったろうかねー? 二キロ、三キロ、それとも一里(四キロ)ほどかな? ふるさと帰りで鷹取山の道標を見ると、懐かしさが込み上げてくる。やはり、小学生時代の遠足は、無くしてはならない学校行事と言えそうである。みんなでワイワイと騒いで、弁当や水筒を開けるうれしさは、やはり純粋無垢の思い出である。
 書き殴りのゆえ、遅れてどうやら早朝の掃除に間に合いそうである。

夏場所「朝乃山」優勝 

 大相撲夏場所(東京都墨田区・両国国技館)は、平幕(前頭八枚目)朝乃山(高砂部屋、二十五歳)の優勝で閉幕した。朝乃山の優勝は、もちろん称賛に値するところである。一方で私には、つまらない夏場所だった。それは番付上位すなわち横綱と大関陣の不甲斐なさに尽きる。横綱白鵬は先場所傷めた傷が癒えず、場所前から全休と伝えられた。この夏場所の期待と話題を一身に集めていた新大関貴景勝は、場所中に膝を痛めて余儀なく途中休場した。そののち再登場を図ったけれど、結局一日で再び休場に陥った。この二人には残念無念と思うだけで、もちろん同情はするものの非難をする気にはなれない。
 嫌悪感と非難を浴びせたくなっているのは、場所前から優勝の期待を集めていた横綱鶴竜、そして大関豪栄道と高安の不甲斐なさである。あまりの不甲斐なさに私は、番付抜きに総当たりの勝ち抜き戦のほうが面白いと、思うほどだった。番付がある以上番付上位陣は、それにふさわしい成績を叶えることこそ大相撲の醍醐味である。平幕力士の優勝や活躍は、横綱と大関陣の強さがあってこそ華になるものと、常々私は思う。結局、わが下種の勘繰りからすれば、生煮えの夏場所だった。
 そして、これに輪をかけたのは、千秋楽におけるアメリカ・トランプ大統領の大相撲観戦だった。もちろん、多忙な日程の中で大相撲を観戦されたトランプ大統領には、これまた感謝こそすれ非難する気はまったくない。不愉快な気分をつのらせたのは、トランプ大統領の大相撲観戦にのみならず、それらをもたらしている数々の政治ショーである。厳粛な外交というより、トランプ大統領に媚びへつらう様だけが目障りし、私は不愉快な気分に陥っていた。もちろんこの光景は、大相撲観戦にとどまるものではない。国と国との外交とは、こんなに安易でかつ私的なのかと、わが目を疑わざるを得なかったのである。
 最後に、トランプ大統領の大相撲観戦にまつわるメディアの配信ニュースの一つの引用を試みる。
 『トランプ氏登場で力士に影響「ルーティン壊された」』(5/26日・日曜日、19:54配信 日刊スポーツ)。「国技館を席巻した“トランプ狂騒曲”は力士にも影響を与えた。警備の関係で、いつものように花道までペットボトル入りの水が持ち込めなかったりして『ルーティンを壊された』と嘆く力士がいた。館内の自動販売機が前日夜から稼働しておらず、付け人が関取に用意する水を求めて右往左往する場面もみられた。またトランプ大統領が到着、安倍首相と升席に着くまで間が空いた。直後は優勝力士の朝乃山-御嶽海戦。館内のざわめきが収まらず、御嶽海は『もうちょっと工夫が欲しかった。あれじゃあ(観客が)トランプ大統領を見に来たのか、優勝した朝乃山を見に来たのかわからない。朝乃山がかわいそうでした』と話した。」
 朝乃山の優勝が色褪せ、後味の悪さを残した千秋楽だった。トランプ大統領は終始無表情だったけれど、安倍総理は破顔一笑どころでなく、満面ニコニコ顔だった。つまらない。

自己都合の文章 

 このところの文章には、夜明けの道路の掃除にかかわることばかりを書いている。まったく新鮮味なく、自分自身飽きあきし、恨めしい気分である。早朝の道路の掃除はどちらが前後となるかで、文章書きと追い駆けっこである。みずから決めごとにしているのは、文章を書き終えたのちに道路の掃除へ向かうことである。そしてこの決めごとは、特別な事情がないかぎり決めごとの順序どおりに実践している。
 しかしながら夜明けの早いこの時季にかぎり、ときには順序が逆になりがちである。それにはこんな理由がある。一つは時間的には早くても、夜明けが早いせいで掃除ができるためである。一つは夜明けが早いせいで、散歩する人たちも早出となる。わが意図するところには、散歩する人たちより前に、道路を綺麗にしておきたいというものがある。わが家周りは、住宅地の周回道路を成している。おのずからそれは、人様の散歩コースに織り込まれている。そのため私には、できるだけ道路を綺麗にして、清々しい朝を恵みたいという思いがある。すなわち、わがささやかなほどこしであり心意気である。しかし、加齢をきわめて今やこの志も限界にさしかかっている。
 きのう(五月二十五日・土曜日)は、早朝一時間半ばかりをかけて日課の掃除をした。さらに昼間には、道路に垂れかかっている側壁の草などを浚(さら)った。そのため、今朝(五月二十六日・日曜日)の道路は、いつもより汚くなっている。このこともあって今朝は、走り書きにとどまらず尻切れトンボのままに、道路へ向かうこととなる。時間的にはいまだに四時半過ぎだけれど、朝日が薄くのぼりはじめている。飽きなく、いや毎回繰り返す生煮えの文章には懲り懲りに飽きている。結文にして道路へ向かうこととする。このところの私は、恥を晒してみっともない文章の明け暮れにある。

悪夢をしりぞけるのどかな夜明け 

 五月二十四日(金曜日)、梅雨入り間近の晴れたのどかな夜明けである。できれば、一年じゅうこんな夜明けを望みたいものである。ところが、そうはいかないのが自然界の摂理であり、それにともなう人間界の営みである。最も身近なところで先ほどまでの就寝中の私は、悪夢に晒され続けていた。わが脳髄がパンクでもしたかのような、飛んでもない悪夢だった。良い夢および悪い夢、どちらの夢にしても、就寝中の夢の成り立ちはさっぱりわからない。悪夢の場合は、心中にさまざまなものが棲みついていて、悪だくみの絡み合いを演じているようにも思えるところがある。悪夢の現象は私の場合にとどまらず、どんな秀逸なSF作家でもまったく、創り出せるものではないだろう。人間の心理状態の狂乱と言えそうである。
 悪夢の歯がゆいところは、見ないで済めば安眠をむさぼり、目覚めてのどかな夜明けの気分に浸れることである。悪夢にかぎらず就寝中の夢見は、そのときどきの心理状態の反映であろうか。そうであれば悪夢続きのわが心理状態は、とうに破綻し異常をきたしているのであろう。もしそうであれば、この先はいっそう厄介である。
 今朝もまた、わが身にとりつくどうでもいいことを浮かべ、恥をさらして書き出している。しかしながら書けば、いくらかの憂鬱気分鎮めの効用にはなる。それでも、あえて書かなければ、わが気分はもちそうにない。悪しからず、と詫びを入れるところである。確かに、こんなことを書くようでは、「ひぐらしの記」の名折れである。いや、わが身の馬鹿さ加減である。
 庭中や周辺のアジサイは、日ごとに勢いを増して、玉が膨らみ続けている。まもなく、七変化の走りの色づきを始めるであろう。今朝の晴れたのどかな夜明けのあとには、関東地方の梅雨入り宣言待ったなしとなろう。そうであればのどかな夜明けを頼りに、悪夢の気分直しをしたいものである。それはやはり、手っ取り早く実益を兼ねた道路の掃除になりそうである。実際に気分を直してくれるのは、掃除を終えたあとの爽快感であり、ウグイスのさわやかな鳴き声である。かてて加えて、散歩常連の人達との和んだ朝の挨拶に遭遇すれば、悪夢気分の一掃が叶うことになる。
 結局、悪夢によるわが憂鬱気分直しは、自力では叶わず、人の声と鳥の声にすがる他力本願である。またまた、書くまでもないことを書いてしまった。ほとほと、みっともない。のどかな夜明けに救われている。

思いがけない「ふるさと便」 

 きのう(五月二十二日・水曜日)、西瓜が宅配されてきた。予告無しのため、不意打ちを食らい面食らった。宅配人にたいし、「うちですか?」と念押しをして、受取状に三文判を捺す前に、わが名と送り人の名を凝視した。「確かに、うちです。すみません」と言って、急いで三文判を所定の欄に捺した。配達回りを急がれている配達人の表情は、いくらか不満そうだった。少し時間を取られたり、配達先を疑われたことが原因であろう。確かにこのときの私は、配達人の自尊心を傷つけたのかもしれない。しかし、そうせざるを得ない心境だった。
 宅配されてきた西瓜は、一抱(ひとかか)えでヨロヨロするほどの段ボール詰めの一つ玉だった。一つ玉とはいえ、飛びっきりの大玉である。一つで、三ないし四個分くらいはありそうである。多分、道の駅「植木」の名物として、ひと際立ちに並んでいた中でも、特等の大玉なのであろう。私はヨロヨロと持ち上げて、送り人の心意気と優しさを感じた。
 送ってくれたのは、「ひぐらしの記」ではお馴染みの竹馬の友・ふうたろうさん(ふうちゃん)である。ふうちゃんと私は、ふるさと(現在・熊本県山鹿市菊鹿町)を共にする。しかし、現在の行政名では共にしっくりせず、今やまぼろしの往時の行政名をよみがえらせれば、熊本県鹿本郡内田村である。おのずから二人は、内田村立内田小学校および中学校へ通った。当時の内田村には、保育園や幼稚園などはなく、小学校への入学が就学の始めだった。それは令和の時代にあってははるかに遠い、昭和二十二年(1947年)四月初めの桜の季節だった。わが父は二人の妻を繋いで、「いろはかるた」の「(り)・律義者の子だくさん」さながらに、十四人の子だくさんだった。ところが、ふうちゃんのお父様は今様に子ども少なく、男児二人を大事に育てられたのである。その中でふうちゃんは、跡取り息子の長男である。県立鹿本高校を卒業するとふうちゃんは大阪へ向かい、私は東京へ向かった。そしてこのとき、かつての内田村は、二人の「ふるさと」と名を変えたのである。
 現在のふうちゃんは大阪府枚方市において、悠々自適の終の棲家を構えている。今は亡きお母様とお父様の晩年のおりにおけるふうちゃんの親孝行ぶりは、今や褒め言葉をともなってふるさとの語り草となっている。語り草は、絶えず随行された奥様の献身ぶり共々である。とてつもなく立派に跡取り息子の役割を終えたふうちゃんは、そののち生家を壊し、すべての田畑や山林を親戚の人に無償譲渡し、文字どおり心のふるさととしたのである。すなわちふうちゃんは、勇敢きわまりない善行のほどこしをやってのけたのである。そして奥様は、ふうちゃんの切ない胸の内を支えてくださったのである。
 私は西瓜宅配の御礼をふうちゃんの携帯電話にかけた。すると、思いがけなく奥様の声が届いた。
「今、文昭さんは運転中なのよ」
「そうですか。今どこにおられるのですか。西瓜が届きましたので、お礼の電話をかけました。ありがとうございます」
「三日三晩で内田にきています」
「そうですか。宿はどうされているのですか」
「山鹿市内のホテルに泊まっています」
「そうですか。ほんとにお二人は、偉いですね。ふるさとを訪れてくださったのですね。ありがとうございます」
 ほかにいろいろと、奥様と受話器の中の会話を交わした。
 夕方になると、ふうちゃんからわが携帯電話に掛かってきた。こまごまと私が尋ねたから、これまた長電話になった。このときの互いの言葉を一つずつだけ記せばこうである。
「内田へ行くのは、もう最後だろう」
「うん、そうかもしれないね」
 送られてきた西瓜は、ふるさと産ブランド「夢大地」だった。全国的には「うえき西瓜」(産地、かつての鹿本郡植木町)で知れ渡っている。最後の西瓜の味になりそうで、これまでとはひと味違いそうである。おそらく、美味しいだけでなく切ない味になるだろう。

雨上がりの朝 

 就寝中、やはり次々に夢を見た。ところが、幸いにも魘される悪夢ではなかった。雨戸を開けっぴろげの窓ガラスを通して、薄っすらと夜が明け始めている。一行書いているうちに大空は、朝日を帯びかけて明るくなり始めている。荘厳な夜明けのパノラマである。きのうの雨は、予報に違わず晴れの装いに替わっている。私は、かたわらの窓ガラスに掛かるカーテンを開いた。眼下の道路を眺めた。道路は乾き始めて、雨上がりの掃除が出来そうである。私は道路の掃除を決意した。もちろん、この文章を早く書き終えての決行である。現在の時間帯は、四時半過ぎあたりである。散歩にめぐる人たちの足元を清めたいため、敢然とその前の決行である。おのずからこの文章は、書き殴りに甘んじることとなる。それでも、良しとしなければならない。なぜなら、悪夢に魘されればこんな実の無い文章さえ書けずに、悶々とする朝を迎えていることとなる。
 きのう(五月二十一日・火曜日)の夜来の雨は、夕方になって止んだ。風雨強く降り続いたため、テレビ画面の上部に流れるテロップの警報や被害状況には、神奈川県が最も多く目立っていた。その中では、神奈川県の公立小中学校の臨時休校が知らされていた。加えて、県内に起きた事故も流れていた。わが家周辺も雨風共に強かった。ところが、被害はもたられそうにはなく、それをいいことに私は、茶の間でこんな悪だくみを浮かべていた。(もっといっぱい降って、側溝のゴミを流してほしい…)。しかし、側溝の水は道路に溢れることなく、わが思いは叶わなかった。このことからかんがみればわが家周辺の雨量は、大したことのない雨の日だったのである。そのため、明けてきょう(五月二十二日・水曜日)の夜明けには、乾き始めている道路の掃除が出来そうである。
 こんなことを書いて、私は尻切れトンボのままに道路へ向かうこととする。二十分近くの書き殴りである。わがささやかな志を口実に、身勝手を切にお許し願うところである。すっかり、夜が明けている。はやる気持ちを逆なでするかのように、朝日が明るく射し始めている。一心不乱、約一時間四十分かけて戻りました。老いの身には、もう限界である。草臥れも儲けではない。
 加速する悪夢
 就寝時、悪夢に魘(うな)されるばかりである。安眠を貪(むさぼ)ることなど、今やあり得ない夢物語となっている。この先、この傾向はいっそう加速することが予測される。だから、目覚めて起き出し文章を書く習性は、改めなければもはや文章は書けない。
 このところ頓(とみ)に、私にとりついている忌まわしい想念である。かつてもこのことは、何度か書いた。文章を書く時間を移行するとすれば、もちろん昼間である。ところが、試しのたびに現行が勝り、昼間への移行は叶わずにきた。昼間の弱点は日常の雑事に感(かま)けて、身が入らないことだった。結局、何度か試行のうえ、やはり現行を続けてきた。やはり現行が、昼間に比べればそれに勝る利点があったからである。しかし、今やその利点は、就寝中の悪夢のせいで消えつつある。もちろん、かつても悪夢はしょっちゅう見た。ところが、このところの悪夢は、質(たち)の悪さと頻度において桁違いである。それが加齢や人生終盤のせいだとすれば、おのずからこの先はもっと避けようがない。すなわち、いやおうなく悪夢の頻発を食らうであろう。
 こんな楽屋話のどうでもよいことを書いて、恥晒しを顧みず気分鎮めを試みた。言うなれば鎮静剤の序文である。確かに、それなりの効果はあった。しかしながら、いまだに悪夢の後遺症を引きずり、この先が書けない。おのずから文章は結文となる。
 夜明けの空は、しとしとの雨降りである。わが気分は土砂降りである。

 一粒の青梅

 五月二十日(月曜日)、順序を逆に道路の掃除を先に終えて、後れてパソコンを起ち上げている。夜明けの空には、かぎりなく朝日が輝いている。本当のところ今朝の私は、天気予報に騙されたような思いだった。なぜなら、雨の予報がちらついて、こんなに晴れた大空など、まったく予期していなかったからである。そのため、心中(占めた)と思い、勇んで道路の掃除へ向かったのである。しかしながら、雨の予報はやはり気に懸かり、いつもよりせわしなく掃除を終えた。
 ところが雨予報は、副次効果をもたらしてくれたようである。のんびりとかつ丁寧に掃除をしていたら、この文章は時間切れを口実に、書けずじまいになっていた。それでも、焦りながら書いている。それは、朝の定番のテレビ視聴の時間が迫っているからである。それらは、NHKBSテレビの番組で、『おしん』と『なつぞら』である。妻は、娘宅に泊まり留守である。朝餉の支度など数分で済むけれど、定番番組だけは見逃せないところがある。
 道路の掃除を終えて、掃除道具を物置にしまう途中、庭中に青梅が一粒落ちていた。不意を突かれて、指先で拾い上げた。梅の花はチラホラ咲いていたけれど、実は予想していなかった。実際これまで、梅の木の下を通るたびに、葉隠れの梅の実探しをしていた。しかし、一つさえ見つけ出せずにいたのである。だから私は、落下の一粒の梅の実にびっくりしたのである。梅の葉の茂りと一粒の梅の実の落下は、梅雨の訪れを告げるシグナル(合図)だったようである。沖縄地方はすでに梅雨入りをした。私は一粒の梅の実で、たっぷりと季節感を味わえたのである。
 一つあるいは一個と書くべきところだけれど、一粒と書いたのは一個になりきれない実の小ささゆえである。私は愛惜心をたずさえて、玄関内の花瓶の脇にそっと置いた。雨の予報は梅雨を間近にひかえて、時間をずらして当たるのかもしれない。書き殴りのため、時間に余裕をもって、階下の茶の間へ下りてゆく。

夜明けつれづれ 

 五月十九日(日曜日)、いまだに朝日はまったく見えず、薄っすらと夜が明けかかっている。ほぼ一か月先に「夏至」(六月二十二日)をひかえて、この時期の夜明けはすこぶる早い。しかも、このところの夜明けの空には雨なく、のどかな朝ぼらけに恵まれている。こんなおり、道路の掃除へ向かいしばしたたずむと、季節の恩恵にたっぷりと酔いしれることとなる。やがて訪れる鬱陶しい梅雨をひかえて、まさしく粋な天の配剤と言えよう。だから、この恩恵を心身に取り込まなければ損々である。
 このところの私は、こんなさもしい心持をたずさえて、夜明けまもない道路の掃除へ向かっている。言うなれば我欲むき出しで、夜明けの心地良さをむさぼっているのである。そのうえさらに、これに散歩常連の人達との和んだ朝の挨拶が加わると、一日の始動は好スタートとなる。しかしながら、こんな幸運にはめったに出あえない。その理由はわが行動が早く、散歩常連でお顔見知りの人達との出会いが、時間的にちょっぴりずれているせいである。かてて加えて、散歩常連の人達が入れ替わり、お顔見知りの人達が減り続けているせいでもある。おのずから、親しく挨拶を交わす人達は少なくなっている。やがては道路上からわが身が消えることになるけれど、このところの朝一番の寂しさである。
 ふるさと時代の子どもの頃の夜明け間近には、一番鶏(いちばんどり)の「コケコッコー」が眠たい目や耳を騒がした。今や聞きたくても聞けない、はるかに遠いかつての一番鶏の鳴き声である。もちろん、この鳴き声に呼応していたのは私ではなく、父や母たちである。いや、父や母はすでに起きて、一番鶏の鳴き声を聞いていたのかもしれない。内田川の川音は一番鶏の鳴き声などそっちのけにして、一年じゅう静寂な夜に「ゴーゴー」と川音を立てていた。夜明けて渋々起き出すと、見渡すかぎりにのどかな田園風景が広がっていた。もちろんこのときの私は、いのちに限りがあることなど、思うはずもなかった。残念無念! 今や、よくもわるくも夜明けの切なさに打ちひしがれている。確かに、いのちには厳然と期限がある。

あえて、無題 

 五月十七日(金曜日)、きのうもきょうもいつものように早い時間に目覚めて、そのまま起き出しパソコンを開いている。しかし、きょうもまた気分の滅入りに脅かされて文章が書けない。きのうは文章を書くのをやめて、気分直しに夜明けまもない道路の掃除へ向かった。時季的に夜明けの早い朝に救われて、夜明けまもない早い時間での決行だった。そのせいか常連の散歩組の人達には会えず、当てにしていた朝の挨拶もなく、気分直しは空振りに終わった。戻ってキーボードに就くや否や、この先の「ひぐらしの記」の終了を覚悟して、掲示板上に「休みます」と記した。今や、いちいちこう書くまでもないけれど、無断休養はできない心境の表れだった。もちろん、今朝も書く気をそがれて、きのうの延長線上にある。正直に言えば、今朝の文章を書くことをためらい続けていた。そのため、メディアの報じる配信ニュースなどを読み漁り、すでに長い時間をつぶしてきた。いまだに時刻は五時前である。ところが、とっくにのどかに朝日が射している。今朝もまた、気分直しに道路の掃除へ向かいたいところである。ところが今のところ、こんななさけない文章を書いている。もちろんそれは、単なる憂鬱気分鎮めの処方箋にすぎない。だから、こんな文章を掲示板に載せると馬鹿丸出しである。もちろん、現在はその気にはなれていない。すなわち、わが憂鬱気分鎮めのいたずら書きである。憂鬱気分鎮めには、もうひとつ特効薬がある。それは、庭中の草取りである。それに味方をしてくれるのは、山から鳴き続けるウグイスの高鳴き声である。一方では、まるで狐につままれるでもしたかのように矛盾しているけれど、抜き取る草花の可憐さと健気なさがある。
 きのうの私は、これらの特効薬にすがるかのように庭中の草取りをした。先ほどまでの就寝中には「泣きっ面に蜂」、いやムカデに寝首を晒された。確かに、毛のない頭や首周りに不快感をおぼえてはいた。そして、たまらず起きた。ムカデのしわざだったのである。ところが、取り逃してしまった。こののちは、夜具を総点検しムカデ探しに大騒動を余儀なくした。しかし、アホな私は現行犯逮捕をしくじった。このため今夜からは、安眠は得られない。
 きょうは、四か月ごとに訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)における緑内障の経過診察日である。この先は、「休みます」と書くまでもなく、自然消滅が危ぶまれている。せっかく、いたずら書きをしたから、推敲なく投稿ボタンを押して、道路の清掃へ向かう。きのうの今頃とは逆である。寂しく、侘しく、そして恥晒しの文章のため、ひぐらしの記の範疇に値しない。「あえて、無題」、とせざるを得ない。

 望郷

 この文章は、大沢さまの掲示板上のご投稿文にあずかっている。一度めの転載に続く第二弾の発意は、全編が望郷横溢のためである。わかりやすくするためにご投稿の経過を追って、ご投稿順を逆さまにして転載を試みている。このたびもまた事前のお許しを得ず、あえて柳の下のドジョウを狙ったくわだてである。もちろんそれは、ブログでは読むことの叶わない「ひぐらしの記」の読者にたいする、わが奉仕精神の表れである。いや、端的に言えば転載せずにはおれない、「もったいなさ」のせいである。
 転載の文章は、きのう・五月十四日(火曜日)の中で、順次ご投稿されたものである。それらは、発端の「望月窯だより」から「望月窯だより2~4」にいたるものである。そして、これらに加えてふうたろうさんのご投稿文と大沢さまのやりとりである。
「望月窯だより」。ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2019年 5月14日(火)13時42分11秒。「夫と妹と私の三人連れで古河の実家に五月十一日(土)から五月十四日まで滞在した。今回はグリーンピース、絹さや、キャベツ、サニーレタスの収穫があった。グリーンピースの豆御飯を作った。まだ育っている豆が少なかったが、とにかくやってみようということになって、できるだけ太ったサヤを取った。グリーンピースを作ったのは初めてだったので、恐る恐るだったが、どうにか豆御飯らしいものが炊けて、もちもちとした食感と甘みがあっておいしく、次回も楽しみだ。絹さやはザルに溢れるほど収穫してもまだ取り切れず残っている。冬越ししたキャベツは育ちが悪かったが、ロールキャベツを作ることを思い立ち、鶏の胸肉で作ってみたら、柔らかくて美味だった。毎年種を蒔いても出来なかったにんじんが、寒さを耐え忍んで春になったらたくさんの葉を茂らせた。間引きをしたら、小指ぐらいの実が育っていた。それを茹でてみたら甘くてとにかくおいしい。生でもポリポリと食べられる。妹は癖になりそうだと言いながらつまみ食いをしていた。間引いたにんじんの葉は、柔らかくて卵炒
めにしたり、他の野菜と炒めたり、さっと茹でて冷凍にして保存した。朴の木の若葉が美しい。真っ白な大きな花がたくさん咲いて、草取りをしているとどこからともなく香ってくる。五目寿司の御飯を朴の葉に包んでおいて、お昼に食べた。いろいろな食材が採れて、草取りの合間に料理をして楽しむことが出来た。
 望月窯だより2。「絹さや、グリーンピース」。







 望月窯だより3。「アヤメがあちこちに咲き始めて、鮮やかな青い色が目を楽しませてくれる。豊後の梅の木に今年は実がたくさんついた。梅干しを作ろうと妹と二人で眺めていた。太陽(スモモ)も実を付けている。見上げてなっている実を探すのも楽しい。」



 望月窯だより4。「毎年期待しながら実が付かなかった禅寺丸柿の実がやっと二個ついた。何度見上げても二個しか見つからないが、落ちずに実ることを祈っている。」





 【内田に行きたいな!・・・】ご投稿者:ふうたろうさんメール ご投稿日:2019年 5月14日(火)15時56分48秒。「 望月窯だよりの冬場風景には、我が故郷と違う、寒々とした北国を感じますが、望月窯だよりの文章を読んだり、『絹さや・グリーンピース・アヤメ・柿の木』などの写真を見ていると、実家を思い出します。『絹さやとグリーンピース』は、親父を・・・庭先で咲き誇ったていた『アヤメ』は、道行く人が、立ち寄って、眺め・・・我が植えた『太秋の柿』は、沢山の実を付けるが、成熟せず、1個たりとも、食べたことがなく・・・今、あそこは、どうなっているのだろう?・・・」。
  【ふうたろうさん、お久しぶりで~す!】ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2019年 5月14日(火)18時27分38秒。「故郷を思い出してくださり嬉しいです。毎年のように出かけておられた懐かしいふるさとは、遠きにあって思い出すのもいいものですよね。今は花の季節で、きっと、内田の里にもたくさんの花々が咲き乱れていることでしょう。胸にしまい込まれたご実家の風景も、ご両親様の思い出と共に蘇ってくることでしよう。そうして思い出してあげることが生きている私たちの務めでもあります。」
 望郷は懐かしく、果てしない。