ひぐらしの記
 
前田静良 作 


 2014.10.27カウンター設置
以前の作品は右掲載の単行本に収録しました。
 
内田川(熊本県・筆者の故郷) 富田文昭さん 撮影 

成人の日に垣間見えた日本社会の変容 

 多分、良いことであろう。メディアの報じる配信ニュースには、日本社会を揺るがす大きなニュースはない。しかしながらこの先、天災および人災なく、一年がめぐるわけはない。人の世は、常に一寸先は闇の中にある。最も身近なところで私は、ひょんなことで脇腹と腰回りを痛めてしまった。大したことではないけれど、そのためいくらかモチベーション(意欲や気力)の低下に見舞われている。しかし、モチベーションの低下はしょっちゅうあることで、時間をかけて気力の回復を待つより仕方ない。もともとこのところの私は、モチベーションの低下に見舞われている。なさけないけれどその確かな証しは、いつものことながら新聞を読みたくならないことである。
 そんなおり、成人の日にちなむ記事に、驚かされたものがある。記事の内容はこうである。朝日新聞・平成31年(2019年)1月15日朝刊。「新成人の2人に1人が外国人の東京都新宿で14日、成人式が行われた。会場にはマレーシア、ウガンダ、マダガスカル、ブラジル、中国、韓国、カナダ、フランスなどさまざまな国の若者の姿があった。区によると、新成人は4109人で、うち外国人が1868人と約45%を占める。区全体の外国人比率は10%余りだが、日本語学校や大学も多く、20歳を迎える留学生が多いことが一因という。晴れ着姿で一緒に参加した米国出身のキャリー・ラリーノさんとメキシコ出身のアレン・モンテスさんは『ワクワクしてます』と笑顔を見せた。母がフィリピン人で新宿生まれの田中亜美さんは『フィリピンのおばあちゃんに20歳になったことを報告しに帰りたい』と話していた。」
 今ではいくらか驚いたけれど、やがては驚くこともないであろう。なぜなら、この先避けて通れそうにない、日本社会の早手回しの現象と言えそうである。いや、過疎化傾向にある地方や、日本人働き手の少ない地域では、とっくの現象かもしれない。
 島国・日本社会にあって、いよいよ人類融和の時代の到来と言えそうである。もちろん、わが身にとりつく「肥後もっこす」(熊本県人特有の偏屈・頑固者)では、済まされない時代の到来でもある。

平成最後の「小正月」 

 現在は、ふるさと時代の子どもの頃とは違って実感はない。しかし、卓上カレンダーの行事欄には明記されている。きょうは、日本社会古来の歳時(記)の一つ、「小正月」(一月十五日・火曜日)である。きのうの「成人の日」(一月十四日・月曜日、振替休日)を含む、新年最初の三連休も明けた。いよいよ日本社会は正月気分を遠のけて、平成最後(四月末日)までと、その先の新年号(元号)における一年の本格始動に入る。
 今週末には「大寒」(一月二十日・日曜日)を控えて、暖冬異変もこのところは、本来の厳しい寒さに戻っている。日本列島にあっては、新年になってもどこかしら、地震に見舞われている。新年にあって日本社会は、厳しい船出にある。私は、この先一年の日本社会の安寧を望むところである。
 どうでもいいことだがきのうの私は、予告に違えた行動に甘んじた。予告行動は、成人の日にちなんで「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)詣でと、その帰りに大船(鎌倉市)における買い物だった。このためには、暖かい陽射しの好天気を願っていた。この願いは必ずしも満願とはいかず、好天気には恵まれたけれど、陽射しは冷えていた。こんななか予告行動の欠落は、肝心要の鶴岡八幡宮詣でだった。確かに私は、予告行動の意志を固めて、準備万端ととのえていた。その矢先、髪カットに出向いていた妻から、こんな電話がかかってきた。
「もう、終わったのよ。大船で買い物しましょうよ。いつもの、ルミネの四階で待っているわよ」
 すると私は、あっさりと意志を曲げて、「そうか、じゃ、そこへ行くよ」と、返答した。
 こののちは鶴岡八幡宮詣でを捨てて、妻と共に買い物行動に終始した。わが生涯の果てにかけてまで、生来の意志薄弱と優柔不断は、ちっとも是正されていない証しだった。
 思いがけなく二人での買い物は、どちらの背のリュックもまん丸に膨れて、なおそれぞれの両手にはレジ袋が重たく下がっていた。ところが、大船の街中には、わが目を疑うほどに晴れ着姿の新成人の姿が目立っていた。今や晴れ着は女性の和装(着物)のみならず、男性の新調の背広そして和装(羽織袴)姿も引けを取らず目立っていた。いや、実際のところは目立つという表現はなまぬるく、ふるさと言葉で言えば「けまつれる」(足を踏んで、ひっくりかえる)ほどに、群れを成して行き交っていた。この様子にどぎまぎした私は、かたわらの妻にこう言った。
「芸術館(大船の街中にある鎌倉芸術館)で、成人式があったのかね」
 すると妻はすかさず、
「そうでしょう。大勢の式をやれるところは、鎌倉には芸術館しかないでしょう」
「そうだな…」
 私は、まさしく僥倖にめぐりあったのである。
 予告行動どおりに、鶴岡八幡宮詣でをしていたら新成人に会うことなく、わが神様嫌いはいっそう増幅していたことであろう。もちろん、神様には飛んだとばっちりである。
 成人の日は、天の粋な計らいだったのか、棚から牡丹餅だったのか。平成最後の小正月は、新成人の幸福を願って、結文とする。

成人の日 

 きょうは「成人の日」(一月十四日・月曜日)、振替休日で三連休の最終日にあたる。新年最初の三連休が明ければ、あすの「小正月」(一月十五日)を境にして、日本社会の正月気分はまったく遠ざかる。私の正月気分も、あすまでである。
 私の場合、本当のところはすでに正月気分は抜けている。しかし、子どもの頃を想起すれば、小正月までは正月気分に浸れるところがある。小正月には元旦同様に、家族そろって雑煮餅を食べていた。小正月前後には、村中の集落ごとに「どんど焼き」が行われていた。どんど焼きはおとなと子どもが入り混じり、集落挙げての楽しい行事だった。どんど焼きの中には、門松、注連縄(しめなわ)、書初めの反故(ほご)、さらには正月行事の見切りの物などが、燃え盛る火の中に投げ込まれていた。火の勢いが衰えて燻(くすぶ)り出すと、周囲に陣取る人たちはわれ先に、青竹の先っぽに挟んだ鏡餅を焙(あぶ)り始めた。陣取る人たちの顔は、みな赤く火照(ほて)っていた。当時の小正月とどんど焼きは、まさしく正月気分の打ち止め儀式だったのである。
 新年一月は、きょうでほぼ半月が過ぎてゆく。年の瀬にはあんなにバタバタしていたのに、明けて元日からきのうまでの私には、日課を免れているものが二つある。一つは道路上に落ち葉を見なくなり、夜明け後の道路の掃除が沙汰止みになっていることである。もう一つは必ずしも日課ではないけれど、これまたこの間、たったの一度さえ大船(鎌倉市)の街への買い物を免れていることである。この理由は買いだめしていた正月食品で、食いつなぎをしてきたからである。ところが、いよいよ買いだめの品々も底をついて、きょうあたりから買い出し開始になりそうである。日課は免れても、ときには道路の掃除もしなければならないであろう。
 こんなことを浮かべていると、わが新年の行動は、きょうあたりから本格始動になりそうである。おりしもきょうは成人の日である。そのため、例年にならい野次馬根性むき出しで、「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)へ出向く心づもりである。そして、帰りには大船の街で、買い物を予定している。このため、願うところは陽射しの暖かい好天気である。加えて、本格始動にあたり願うものには、この一年のわが身、妻、子孫(こまご)、身内親戚、友人知人の無事安穏(ぶじあんのん)がある。ちょっぴり欲張りすぎたかな! そうであれば鶴岡八幡宮では、野次馬ついでに賽銭箱に十円玉を放り投げてもいい。
 わが子どもの頃の小正月には、元旦同様に父と一緒に神棚に両手を合わせていた。ところが、わが家に神棚はない。そのせいで、罰(ばち)が当たっても構わない。いや、無能な神様は、罰さえ与えきれないだろう。成人の日の鶴岡八幡宮詣では、華やぐ新成人を見てわが身に若さを取り込むためであり、もとからあてにならない神頼みではない。

「おしるこ(汁粉)」と「ぜんざい(善哉)」 

 インターネット上に記載の「日本語マニア」からの引用である。
 【おしることぜんざいの違い】(おしることぜんざいの違いは地方によって異なります)。「関東:おしるこは、汁気の多いもの全般を指します。小豆の粒がないものは御膳しるこ、粒のあるものは田舎しること呼ばれることもあります。小豆を煮てつくることもありますが、こしあんやつぶあんで代用することも多いです。ぜんざいは、お餅や白玉団子に汁気のない餡を添えたものです。白玉団子の場合は、冷たいこともあるそうです。こちらの餡も小豆から作るのではなく、つぶあんで代用することがあります。関西:おしるこは、こしあんを使った汁にお餅などを入れたものです。ぜんざいは、つぶあんを使った汁にお餅などを入れたものです。関東で言う田舎しるこがこれにあたります。関西の場合も、小豆から作る場合とあんこから作る場合があるようです。ちなみに、関東で言うぜんざいは、関西では亀山と呼ばれるそうです。これは大阪天満の亀山屋というお店で販売していたからだ、という説が有力なようです。九州:基本的には関西と同じようです。地方によっては、お餅入りをおしるこ、白玉団子入りをぜんざいと呼ぶそうですが、逆に白玉団子入りをおしるこ、お餅入りをぜんざいと呼ぶ地方もあるそうです。名古屋:おしるこは、汁気が多くすすりながら食べるもので、ぜんざいは、汁気が少なく箸で食べるもの、というイメージのようです。ちなみに名古屋のある喫茶店では、おしるこスパというおしることスパゲッティのコラボメニューが存在するそうです。北海道:おしることぜんざいは、あまり区別がないようです。一部の地域では、お餅や白玉団子の代わりにかぼちゃを入れることがあるそうです。お米がなかなか収穫できず、かぼちゃを代用品として用いたのが始まりと言われています。要点まとめ:おしるこは、小豆を使った汁気の多い料理。小豆の粒の大きさによって呼び名が異なることもある。ぜんざいは、お餅や白玉団子に甘く煮た小豆を添えた料理。汁気の有無は地方による。地方によって呼び名が異なるということは、それだけこだわりのご当地メニューがあるということかもしれません」。
 要点まとめだけでいいものを、原文のままに長々と引用した。ところが、読み終えても私は、おしることぜんざいの区別がつかないままである。いや、正直なところ、いっそうややこしくなっている。そのため、以下にわが実体験の事実を記すこととする。
 きのう(一月十二日・土曜日)の私は、寒さが堪えて体を温めたくなり、かたわらの妻にたいし、こんなお願いをしたのである。いや、実際のところは、これは口実にすぎずずばり、「しるこ(汁粉)」を食べたくて、作ってほしいと嘆願したのである。
「きょうは寒いね。北海道産の小豆の買い置きがあるから、ぜんざいを食べたいよ。小豆が煮えたら、餅をすぐ焼くよ」
 ところが、この言葉にはいくらかよそゆきのつくろいがあった。本当のところは、言い慣れている「しるこ」と言いたかったけれど、もったいぶって言い慣れていないぜんざいにかえたのである。
 ふるさと(熊本県)時代の子どもの頃にあっては、ぜんざいの言葉知ることなく、「しるこ」一辺倒だった。母が作る「しるこ」には、茹で汁(じる)の粒の小豆餡に丸餅が入っていた。丸餅は小豆の粒餡と一緒に煮餅にされたり、粒餡の中に焼餅で放り込まれていた。どちらにしても、、小豆の粒餡の中に丸餅の入った、甘党のわが大好物の「しるこ」だった。
 きのうのしるこは、丸餅ではなく市販の平たく長方形の切り餅だった。それでも小豆は缶詰ではなく、文字どおり原形を成す豆を、妻が時間をかけてコトコトと煮たてた粒餡だった。できあがったしるこは、ふるさとの味とおふくろの味をかきたて、さらには冷えていたわがからだを温めてくれたのである。 私は「美味いねー…」と言って、妻にたいし素直に感謝した。
 食べたり、要点を読んだりしても、今なお「しるこ」と「ぜんざい」の区別は、わからないままである。しかしわが舌は、区別なくどちらも好んでいる。もちろん、きょう(一月十三日・日曜日)もまた、残りの粒餡に焼餅を入れて、「しるこ」の味を占めるつもりである。寒さ防止と食感を潤して、二兎を叶える「しるこ」は、わが生涯の大好物の一つである。もちろん、呼び名は「ぜんざい」でもかまわない。

わが防寒装備 

 一月十二日(土曜日)、「成人の日」(一月十四日・月曜日)に向かって、三連休の初日にある。現在の時間帯は、夜中の二時あたりである。部屋の中に温度計はないから、現在の気温は知るよしないけれど、体感的には結構寒さを感じている。しかしながら、この先「大寒」(一月二十日)が控えていることをかんがみれば、この程度の寒さはあたりまえであろう。このところは寒い日もあるけれど、いまだに暖冬の範疇に入るだろう。寒さに極端に弱い私には、幸運な晩冬の日めくりにある。
 寒さに弱いだけに、わが身に着ける防寒装備は万全である。写真を添えれば一目瞭然だけれどそれは叶わず、わが現在の姿を文字で表すとこうである。頭には毛糸編みの帽子を被り、両耳まで覆っている。首には同様の手編みのマフラー(襟巻)を巻いている。腹と腰には、ネリの腹巻を二重に巻いている。足には厚手の靴下を穿(は)いて、さらに足首から脛(すね)にかけては、これまた毛糸編みの脚絆で覆っている。さらになお足先には、踵(かかと)や足首まで、すっぽりと入る毛ふさふさの厚手のスリッパを穿いている。そして身体は、黒一色の厚手のダウンコートで覆っている。現在、露出している部位は、顔面、手の平、指先である。顔面には覆面を試み、手の平と指先には軍手を用いたこともあったけれど、それは沙汰止みにしている。なぜなら、覆面は面倒で、軍手はキーを叩くのに不都合だったからである。あえて、こんな恥さらしをしてまで、わが防寒装備を記したのは、一方、このおかげで「ひぐらしの記」の継続が叶っているからである。言うなれば、防寒装備への敬意である。どれもこれもが防寒に役立っている。
 これら防寒装備の中で、イの一番の働きをしてくれているのは腹巻きである。私の場合、経験的に腹や腰回りが冷えると、風邪症状にとりつかれる。逆説的に言えば、そのあたりを防寒・防備すれば、風邪症状を遠のけることができる。そのほかの防備は、風邪除けではなくもっぱら防寒一辺倒である。

 私は、なんでこんなくだらないことを書いているのであろうと、自問する。するとその答えは、これらの防寒装備があってこそ、こんな夜中に寒さを凌いで、キーを叩く恩恵にさずかっているからである。もちろん神様に頼るより、みずからが編み出した実のある防寒身形(みなり)である。壁時計の針の刻みは、いまだ真夜中あたりである。確かに、オバケみたいな防寒装備は、寒さを凌いでくれている。

鏡餅、鏡開き、蔵出し 

 一月十一日(金曜日)、卓上カレンダーの行事欄には、二つの歳時(記)が記されている。それらは「鏡開き」と「蔵出し」である。どちらも、今さら電子辞書やインターネット上の人様の学習や知恵にすがることもない、日本社会における古来の営みである。しかしながら私は、あえて電子辞書を開いて復習を試みている。鏡開きについては、まずは「鏡餅」を見出し語において、電子辞書を開いた。
 鏡餅:「平たく円形のように作った餅。大小2個を重ね、正月に神仏に供え、または吉例のときなどに用いる。古くは餅鏡、おそなえ、おかざり、円餅」。
 蔵出し:「①倉庫に寄託した貨物を引き出すこと。②貯蔵してあった酒などの、蔵から出したばかりの物。③金庫に入れてある金銭を引き出すこと。」
 わが家の場合、蔵出しは縁ないけれど、鏡餅と鏡開きは正月のしきたりとして、お呪(おまじな)い程度に現存している。わが子どもの頃であれば、精米業を生業(なりわい)にしていたこともあってか年の暮れには、母はいたるところに鏡餅を供えていた。半紙を敷いた二段重ねの鏡餅の上には、近くを歩けば今にも落ちんばかりに窮屈そうに、新米のおひねり、小さなミカン(熊本県内・河内産)、母手作りの吊るし柿(干し柿)が乗っかっていた。そして、松の内明けの鏡開きの日には、父の大好きな雑煮餅となっていた。現在のわが家の鏡餅は、もちろん当時とは比べようもなく、端(はな)から雑煮餅など望めない、お呪いの飾り餅にすぎない。ごく小さな二段重ねの鏡餅は、毎年繰り返し使用できるかのように、分厚いプラスチックに包(くる)まれている。まったく食べ物の用をなさない、まるで永久保存のプラスチック製おもちゃさながらである。その証しに、鏡開きなど知らぬが仏で、下駄箱の上にいつまでも埃まみれで鎮座している。
 きょうは鏡開きにかかわる文章の一部を、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋し、子どもの頃の思い出を呼び起こし、亡き父と母を偲ぶものである。
 鏡開き・鏡割りとは、正月に神(年神)や仏に供えた鏡餅を下げて食べる、日本の年中行事である。神仏に感謝し、無病息災などを祈って、供えられた餅を頂き、汁粉・雑煮、かき餅、あられなどで食される。江戸時代、新年の吉日に商家では蔵開きの行事をしたが、武家において新年の11日(もと20日)に行われる行事で鎧などの具足に供えた具足餅を下げて雑煮などにして食し「刃柄」を祝うとした行事。また、女性が鏡台に供えた鏡餅を開くことを「初顔」を祝うといった。この武家社会の風習が一般化したものである。江戸城では、重箱に詰めた餅と餡が大奥にも贈られ、汁粉などにして食べた。刃物で餅を切るのは切腹を連想させるので手や木鎚で割り、「切る」「割る」という言葉を避けて「開く」という言葉を使用する(「開き」は「割り」の忌み言葉)。鏡は円満を、開くは末広がりを意味する。また、鏡餅を食すことを「歯固め」という。これは、硬いものを食べ、歯を丈夫にして、年神様に長寿を祈るためという。鏡餅の割れ方で占いをする地域もあり、「鏡餅の割れが多ければ豊作」と言われている。武家の具足式を受け継ぎ、柔道場・剣道場などでは現在も鏡開き式を新年に行うところもある。

 寒い夜明け前の戯(ざ)れ文

 一月十日(木曜日)、現在の時間帯は夜明け前の四時あたりにある。この時間帯にあって私は、この冬で最も寒さを体感している。起き出してきたのは三時近くだった。そして、いつもどおりにメディアが伝える配信ニュースを読み漁った。よくもわるくも、深く読みたくなる記事はない。そうこうしているうちに、体は冷え切った。つれて、文章を書く気分は萎えた。再び、寝床の中へもぐりたくなった。私はとことん寒さに弱虫である。ところがわが身を詰(なじ)り、寝床返りをとどまった。
 日本社会にあって頃は、受験シーズン真っただ中にある。これにちなんではるかに遠い、わが受験期が想起されたのである。そして、当時の思い出が、再びの寝床返りをおしとどめてくれたのである。受験生時代の私は、エアコンはもとより暖房装置など一切(いっさい)無い部屋で、毎晩寒さに耐えていた。しかし、防寒や眠気防止には、父や母のかぎりない愛情にくるまれていた。母は、厚手のネリの下着を何枚も着せて、なお腹巻きをぐるぐる巻きにし、さらにその上には綿入りの丹前を羽織らした。それでも、足元の冷えには堪(こた)えた。すると、母はいつの間にか、市販の「足のせ行火(アンカ)」を買って来てくれていた。確かに、アンカは足指や足裏を暖めてくれた。父は、寝床に就く前にわが背後に忍び足で近づいて来た。そして、寝間着の袖からごっだま(飴玉)を取り出して、無言で机の上に置いてくれた。ときたま、「風邪ばひくぞ、もう寝れよ!」と、言った。ところが、多くは無言のままに寝床に就いた。無言こそ、父の優しさだったのであろう。母の場合は、アンカをわが両足にぴったりと合わせて、「さぞ、寒かろだいね…」と言って、床に就いた。
 当時の父と母そしてわが寝泊まる家は、別棟(べつむね)を成して母屋から離れていた。別棟とは、母屋の近くに急造で建てられていた小さな一軒家だった。もともとその家は、異母二兄夫婦の新婚部屋だったのである。ところが二兄は病死し、チズエ義姉さんはのちに再婚されて出て行かれ、空き家となっていたのである。空き家となったあとは、父と母そして私は、母屋で夕食を済ます寝泊りだけに使っていた。私の場合は、おのずから勉強部屋となっていたのである。寝泊りするだけの家は、炬燵をはじめ火の気はまったくなく、裸電球が暗い明かりを灯していた。
 別棟は、私が故郷を離れ、父が他界すると、再び空き家になった。そしてそののちは、ふるさとの長兄の妻・フクミ義姉さんが飼育する、蚕の蚕室(ざんしつ)となっていた。チズエ義姉さんは、再婚されたのちも変わりなくわが家との交流が続いて、もちろん今なお優しいわが義姉さんのままである。現在は、わがふるさと菊鹿町との合併前の山鹿市に住んでおられて、健在(九十六歳)である。一方、チズエ義姉さんとははるかに年下のフクミ義姉さんは、すでに先立たれている。
 ひょんなことから、書くまでもないことを書いてしまった。しかし、実の無い成り行き文ではあっても、どうにかきょうの一文をなしてくれたのである。寒い夜明け前の戯(ざ)れ文として、切にお許しを請(こ)うところである。

パソコントラブルは修復 

 昨年の暮れに、姪っ子夫婦が送ってくれた丸餅は、きのう(一月八日・火曜日)で食べ尽きた。お節料理も食べ終えた。妻がこしらえた料理を詰めた三段重ねの重箱は、用を終えて戸棚の元の位置に戻った。今や数少なくなった年賀状は、後れて、もう届くことはないであろう。買い置きしていた甘酒は、きのう沸かして飲み終えた。正月用に連日買いだめしていたミカンは、もはや数個を残すのみである。駄菓子の山は、小さな丘になって崩れている。きのうまでであらかた、正月気分は遠のいた。いや、もとから正月気分はそんなにない。しかしながら上に掲げたこれらは、確かにわが非日常をなしていた。ビールはもとより、元旦のお神酒(みき)や御屠蘇(おとそ)さえ、甘党の私にはたったの一滴(ひとしずく)さえ用無しである。わが好む甘酒は、もちろん甘いお酒ではなく、アルコール分はゼロである。
 私の場合、一本のタバコも口にしないままに人生を閉じることになる。宴会であれば付き合い酒のグラス一杯程度のビールは嗜(たしな)むけれど、すぐに顔面は赤鬼さながらになる。顧みれば、三々九度の祝い酒を持て余した記憶がよみがえる。人様があんなに楽しそうにかつ旨そうに嗜好するアルコールとタバコをそこのけにしたことには、悔いが残るところがある。これらの楽しみを逸したことは哀れ! わが人生における「後悔、先に立たず」の一つと言えそうである。
 人様が楽しむことでは、私は、競馬、競輪、水陸のモーター類、パチンコ、麻雀、釣り、ドライブ、囲碁、将棋、旅、ハイキング、ほかすべての遊興無縁である。われながら味気ない人生で閉じ、締めることになる。
 きのうのパソコントラブルは解決した。しかし、解決したところでこんな文章しか書けないのは、きょう(一月九日・水曜日)もまた、「嗚呼、ああ…」である。正月気分は去っても悔いないが、ふるさとの丸餅には未練がある。

嗚呼、ああ…… 

 二時過ぎに起きて文章を書き始めたところ、パソコントラブルに見舞われて、きょう(一月八日・火曜日)の文章は諦めました。私はパソコン難民ゆえに、一旦トラブルに遭遇すると、にっちもさっちもいきません。きょうの昼間、コールセンターへ電話を入れて、教えを願って修復に努めるしかありません。鬱陶しい一日になりそうです。自己判断で、トラブルはきわめて幼稚なことに思えています。しかし、それさえ自力解決できないわが無能さに滅入っています。
 山の枯葉も昨年の大晦日で落ち尽くし、年明けから朝の道路の掃除を免れています。このことでは、心身に負担の無い朝が訪れています。一方、冬至からいまだに二週間余にすぎないのに、確かな昼間の伸びを体感し始めています。冬の深まりは「小寒」(一月六日)を過ぎて、「大寒」(一月二十日)へ向かっています。ところが、幸い暖冬が続いて、寒さで身の震えは遠のいています。
 こんななか、年明け早々にこんな文章を書く羽目になり、無念です。ITやSNS時代にあって、幼稚なパソコントラブルに嘆き、書き止めを食らっているわが能無しにたいし、私自身とことんあきれかえっています。

 「七草」

 きのうは歳時(記)とは言えないけれど、カレンダーの上では「小寒」(一月六日・日曜日)だった。そしてきょうは、古来の日本社会における歳時(記)の一つ「七草」(一月七日・月曜日)である。春・秋の七草には異なるものがあるから、厳密には「春の七草」とも言われている。すなわち春の七草は、芹(セリ)、薺(ナズナ)、御形(ゴギョウ)、繁縷(ハコベ)、仏座(ホトケノザ)、菘(スズナ)、蘿蔔(スズシロ)である。そして、七草と言えばこの日が古来、大事な歳時(記)の一つを成してきた。それは、正月年頭の日本社会の営みと結びついているからと言えそうである。
 七草の日に根づいている習わしの一つには「七草粥」がある。七草粥とは、文字どおり春の七草を食材にしたお粥御飯である。普段目にしない七草は、わが行きつけの買い物の店「西友ストア大船店」(鎌倉市)には、七草粥商戦の一つとしてセットで大量に並んでいる。ワンセット五〇〇円前後である。ところが毎年、それらの多くは売れ切れず、フロアに萎(しな)びかけて残っていた。その光景に出合うたびに私は、少なからず西友ストアへ同情した。わが同情心の発露はこうである。期日(一日)限定でかつひ弱な野草商戦は、端(はな)から利を産むものではなく、だからと言ってフロアに並べないわけにもいかないのであろう。もちろん、わが下種(げす)の勘繰りであり、西友ストアはロスを見越して高い値付けをしているのであろう。いくらか俗っぽいことでは、正月七日の七草にお粥御飯を食べる謂れは、正月三が日におけるお節料理や雑煮餅の食べ過ぎによる胃の疲れの癒しという。これに加え新しい年の年頭にあって、七草には無病息災の願掛けが込められているという。もちろん、お呪(まじな)いにすぎないとわかってはいるけれど、そうであれば七草粥は、不味(まず)さに顔を顰(しか)めても、食べるべきものかもしれない。
 ところが、どんなに高級あるいは美味な具材であろうと、私はお粥御飯自体が根っから大嫌いである。お粥御飯は、病人食の筆頭に位置している。そして、病を治すにはお粥御飯は避けられない。言うなればお粥御飯は、生き残るためのエッセンス(本質)である。確かに、神様にはどんなに祈りすがっても病は治らないけれど、お粥御飯にありつけば覿面(てきめん)に治る場合がある。それでも、へそ曲がりの私は、お粥御飯を食べるくらいなら、死んでもいいと覚悟している。
 七草は、実質松の内の明け日でもある。長い年末年始休暇に浴した人たちには、きょうは新しい年の始動日になりそうである。平成三十一年(二〇一九年)は、いよいよ年号のゴール(四月三十日)に向かって、本格駆動である。七草粥は食べなくても、わが身体の無病息災は願うところである。ちょっぴり、虫が良すぎるかもしれない。

 どうでもいいわが年頭所感

 普段の生活に正月三が日などの非日常が挟まると、ペースが崩れて日常への復帰が厄介である。現在のわが心境である。これを避けるため私は、三が日も空けずに、実の無い文章を書いた。これが功を奏していくらか早く、普段の生活に戻りかけている。
 ところが、いまだに戻りかけないものがある。それは、新聞を読む気分になれないことである。確かに、日刊紙と言われるように新聞を読み続けることは、文字どおり日常生活のバロメーター(尺度)でもある。毎年のことながら念頭にあって、新聞を読みたくならない理由の一つには、こんな腹立たしさがあるからである。腹立たしさをおぼえるのは、元旦早々に郵便受けに投げ込まれている束の厚さである。現象的には、新聞社の身勝手な善意の押しつけである。実際のところは、満を持していたかのごとく、通常に加えて別刷りの特別版の多さである。私は、だれが正月早々こんなに読むのか? と呆れて、同時に憤懣やるかたない思いにとりつかれている。さらに、新聞には年の瀬商戦を引き継いで、初売りチラシが分厚く挟まれている。もちろん、わが家の郵便受けが貧相なせいもある。これには、少なからず配達員に同情するところはある。しかし、郵便受けが壊れるほどにぎゅうぎゅう詰めの束を引き出すことには、私は額に汗がにじむほどに梃子摺(てこず)っている。実際にも私は、腹立たしくぶつぶつ呟(つぶや)いて、引き出している。その挙句すぐに、特別版のみならず通常紙共に、チラシ入れと分けた箱に放り込んでいる。それほどに私には、元旦早々の新聞(社)の身勝手な行為(善意)には、腹立たしさをおぼえるところがある。
 ところが、その腹立たしさはその場だけでは収まらず、三が日にとどまらず尾を曳いて、いまだに読む気分を殺がれている。腹いせまぎれに再び記すと、元日こそ休刊日にしてほしいものである。確かに、読まなければ済むことだけれど、投げ込まれれば、新聞受けから引き出さなければならない。
 このところスーパーやデパートなど、昔返りで元日だけは休む傾向にある。もちろんこの傾向は、大歓迎である。社会の木鐸(ぼくたく)と任じ、あるいは嘯(うそぶ)きながら、新聞やテレビなどのメディアには、もともと身勝手な習性がある。テレビもそうだけれど、正月番組の身勝手な押し売りには閉口するところがある。せっかくの非日常は、息の抜ける静寂こそ肝心である。
 過ぎた三が日にちなむことをもう一つ加えれば、やはりそれは「お節料理」に尽きる。ところが、こちらには腹立たしさはまったくない。わが家は、湯水のごとく投げ込まれてきた予約チラシの中から、(買うか、買わないか)と、最後まで迷いに迷って、最も安価な三段重ねお節料理(一万円)を予約注文した。たったの一万円にもかかわらず、夫婦仲違(たが)いするほどに、喧々諤々に揉めた末の決断だった。
 私は「買わなくていいよ」と、真っ向から主張した。一方妻は、最後の決断まで思案投げ首を続けた。その挙句、「お正月だから、お節料理くらいあったがいいかもね…」と言って、私に妥協を促した。私は渋々、(それも、そうだな…)と、OK言葉を返した。
 たかだか一万円のお節料理は、もとより美味や食感はそっちのけで、正月気分を味わうためのものであった。ところが、朱塗りの三段重ねのお節料理は、十分にその役割を果たしてくれたのである。重箱自体、日本人の知恵なのであろう。なぜなら、お祝い気分を醸し、寸分の狂いなく三段重なる重箱には、あらためて魅(ひ)かれるものがあった。三段の箱それぞれに、ほんのちょっぴりずつ整然と詰められた見栄えの良さに私は、妙(たえ)なる匠(たくみ)の技さを感じた。私は祝箸で摘みながら、(よくもこんなに綺麗に詰められるものだ!)と、詰め方の妙技に度肝を抜かれていたのである。そして私は、お節料理は食感を超えて、手間暇やお祝い気分を醸すためのコスト(お金)だなと、心底より納得したのである。
 きょう(一月六日・日曜日)の文章は、正月三が日に感じた腹立たしさと愉快さを並記し、どうでもいいわが年頭所感にかえるものである。

カレンダー 

 一月五日(土曜日)、机上のカレンダーには記されてはいないけれど、きょうは卓球クラブの初打ち日である。例年どおり一月は、カレンダーに付記されている歳時(記)を眺めて文章をつづってゆく。あたりまえだけれど、一月の歳時(記)の多くには「初」という、文字が付せられている。つれて、正月の習わしは日々遠ざかってゆく。時計の針は文字どおり時々刻々と時を刻み、カレンダーは歳時(記)を出没させながらめぐって時を移してゆく。じっくりとごく小さな卓上カレンダーを眺めていると、まさしく過去、現在、未来へとつながる、人間の営みが記されている。たかが100円ショップで買い求めただけなのに、利用価値にはかぎりないものがある。もし仮に、わが日暮らしに文章を書かなければ、カレンダーは瞥見(べっけん)する程度で、もちろんこんなに凝視することはあり得ない。なぜならカレンダーは、わが起き出しの文章のネタ探しの役割もになっているからである。
 IT(情報技術)やSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)の時代にあっては、しだいに紙のカレンダーは用無しになりつつある。おのずから、人それぞれに紙のカレンダーの使用目的も変わり始めている。私の場合は、カレンダーに歳時(記)さえ付記されていれば、100円ショップのもので十分であり、それを買い続けている。
 ところが一昨年は、わがカレンダー購入に異変が生じた。異変とは、時機を逸したのか例年使い慣れてきたものが店内に見当たらず、やむなく承知の助で歳時(記)の付されてないものを買う羽目になった。すると、この祟(たた)りはひどく、一年を通して不自由をきわめたのである。これに懲りて昨年の私は、カレンダーが並び始める時期には、心して100円ショップに足を運んだ。その甲斐あって歳時(記)が記され、かつ使い慣れてきた例年のものを買うことができたのである。たかが100円にすぎない卓上カレンダー選びだけれど、私の場合はこんな心の揺れに見舞われている。ケチな私は、確かに金銭的(コスト)にも100円ショップのもので我慢しているところはある。
 一方、妻のカレンダー選びはこうである。妻は本屋など一年じゅう用無しなのに、カレンダーが出回る頃になると、それを求めて店内を覗く。妻のカレンダーの使用目的は、コストなどお構いなしに見栄えのする風景写真一辺倒である。特に、綺麗な富士山の絵や写真には目がないところがあり、おのずから高価である。かたわらにたたずみ業(ごう)を煮やした私は、「そんな高いもの買わなくていいよ。買うなら早く買えよ。どれでもいいよ。くたびれたよ。もう、帰ろうよ……」と、買う意欲を抑制する言葉を投げる。ところが、妻は聞く耳もたずに、なおあれやこれやと品定めにたっぷりと時間をかけている。その挙句、小声で「パパってバカねー、一年に一度じゃないのよ。わたし、富士山の絵や写真が好きなのよ。わたし、買うわよ。パパは、先に帰っていいわよ!」と言って、高値のカレンダー選びに余念がない。私は店内の言い争いを嫌って、店外に出て最寄りのベンチに腰を下ろす羽目になる。ときには、先に帰ることもあった。
 きょうの成り行き文は、カレンダーにまつわる侘しい物語である。カレンダーの使い方は、人それぞれである。いま眺めている卓上カレンダーの歳時(記)欄には、「初水天宮」と付記されている。カレンダーにすがってネタ無しの文章は、やっとこさ結にたどり着いたのである。

御用始め 

 一月四日(金曜日)、机上のカレンダーには「官庁御用始め」と記されている。官庁(公務員)のみならず日本社会は、国民それぞれが新しい年(平成三十一年・2019年)の始動日にある。もちろん、年末年始休暇なく公務や民間で働き尽くめで、新しい年を迎えた人は数多いる。何らかの受験を控える受験生は、挙げて休みなく追い込みの真っただ中にある。
 「おめでたい」と言う、非日常の三が日が明けた。はたして「おめでたい」と言えるのか。私には、三が日の疲れがどっと出ている。わが日常生活は、文字どおり日々の流れの中にある。そのため、疲れを招くだけの三が日は、そうめでたくはない。いや、正直なところ、三が日がめでたい年齢ではない。わが始動には、助走にもならないこんな愚かなことを書いている。
 三が日最終日のきのう(一月三日・木曜日)の夕方、ふるさと熊本には震度六弱の地震が襲ったという。地震をはじめ天災は、非日常なく年中無休で襲ってくる。新しい年は、初っ端から地震の恐ろしさに震えあがっている。
 昨年の日本社会の世相を表す漢字一字は、「災」だった。三が日明けて望むのは、熟語で表せば「幸運」である。しかしながらそれは、叶わないものねだりの空(から)望みにすぎない。実際には新しい年にあっても、一寸先は闇の中にある。正月三が日のみならず、とんでもない「非日常」の訪れに、恐々(きょうきょう)としているわが始動日である。

「箱根駅伝」復路 

 早や、一月三日(木曜日)、きのうよりいくらか寒い夜明け前に身を置いている。それでも、寒波に震えることはなく、なお暖冬の恵みにあずかっている。しかしながら身体とは異なり、心中は冷え切っている。わが正月気分は、母校(中央大学)の「箱根駅伝」の成績しだいである。
 きのう(一月二日・水曜日)の往路の成績は、「はじめよければすべてよし」とはいかず、尻すぼみで終えた。具体的には、一、二区では一時トップに立った。ところが、三、四、五区の走りの中で大きく遅れて、ゴールの芦ノ湖畔(箱根町)では十二位に沈んだ。糠喜(ぬかよろこ)びをしただけに、きわめて残念無念だった。現在、この悔しさを引きずり憂鬱気分に陥っている。そのためこの先の文章は、書いてもしどろもどろとなる。だから、このさきの文章は書く気になれない。憂鬱気分はなお曇ったままになるのか、それともいくらか薄日が射すのか。それは、きょうの復路の走りにかかっている。
 具体的には、出だし六区の走りしだいである。まことになさけなく、身勝手な文章を書いた。しかし、もとからきょうは、休むつもりだった。憂鬱気分のいくらかの憂さ晴らしを願ったにすぎない。もちろん、書いたところで憂さが晴れるわけではない。憂さの晴れぐあいは、六区の成績次第である。六区は、芦ノ湖畔から小田原中継所までの山下りである。
 箱根駅伝のテレビ観戦は泣き笑いではなく、東京・大手町のゴールまで、私は多くは泣きの状態にある。

 「箱根駅伝」往路

 新年(平成三十一年・2019年)一月二日、壁時計の短針は夜間三時過ぎのところにある。眠くて仕方がないのに瞼が閉じなく、寝床から起き出してきて、予定外のキーを叩き始めている。幸運なのは昨年からのこの冬の暖かさが続いていて、いっこうに寒さを感じない。現在、体感しているのは眠気だけである。
 きのうの日本列島は、新しい年の年頭すなわち元日だった。これにかかわる日本国民の習わしはおおむね、ふるさと帰り、里帰り、国内外への小旅行、そして近在の神社仏閣への初詣などである。掲げたこれらの習わしにしたがえば、わが家の場合は娘と孫(小学五年生・十一歳)の訪れを待つ身だった。娘たちは夕方の六時近くに、逗子市に隣接する神奈川県横須賀市内からマイカーでやって来た。これより前の五時過ぎには、わが現住する鎌倉市に隣接する逗子に住む、義姉夫婦がマイカーでやって来た。予定されていたのは、それぞれ二人の三家族が集い合う年始会だった。予定していた娘の連れ合いは、実家の役回りについたという。核家族そろった小さな年始会は、和やかに進んで遅い時間にお開きとなった。義姉夫婦は自宅へ帰り、娘たちはわが家に泊った。おのずから私の就寝は、十二時近くになっていた。
 ところが、寝ついても熟睡が得られず、終始うとうとしていた。それに耐えきれず、起き出してきた。寝ぼけまなこをこすりながら、机上の卓上カレンダーを眺めた。すると、歳時(記)を記す正月二日の行事欄には、三項目が並んでいた。あえて記すと、初荷、書初め、皇居一般参賀日、である。私にはいずれも縁がない。私の場合、きょうの催しで縁があるのは、「箱根駅伝」の往路である。往路があれば復路(あす・三日)がある。結局、箱根駅伝の往路と復路のテレビ観戦のため、私はきょうあすの文章は書かない、いや書けそうもないと、決め込んでいたのである。その理由は、箱根駅伝のテレビ観戦のもたらす事前事後の興奮のため、正常心が保(たも)てないからである。
 往路は東京・大手町の読売新聞本社前から、復路は神奈川県・箱根町の芦ノ湖畔からである。走り始めは、どちらも午前八時である。ところが、これを放映する日本テレビは、一時間前から煽(あお)りの報道に大わらわである。かのごとく煽られて私は、テレビの前に陣取ることになる。実際には、事前事後の興奮にさいなまされる。この興奮が「ひぐらしの記」の執筆を妨げる。その挙句私は、きょうあすのテレビ観戦を新年二日のわが行事と決めている。そのしっぺ返しには、文章の沙汰止みをこうむることになる。だからこの文章は、ひぐらしの記の埒外(らちがい)にある番外編である。
 眠たくも眠れなかったのは、就寝時間の遅さと、箱根駅伝・往路がもたらしている公憤のせいであろう。だからと言って、もちろん祟(たた)りとは言えない、善の報(むく)いである。もはや、二寝(ふたね)する時間はない。

平成三十一年(二〇一九年)、元旦 

 いつものように、いや、いつもよりめっぽう早くパソコンを起ち上げた。しかし、時代区分は大きく変わって、きょうは新しい年の元旦である。新しい年とは、平成三十一年(二〇一九年)である。そして、現在の時刻は、いまだに除夜の鐘の余韻が去らない、真夜中〇時五十三分である。パソコンを起ち上げて、わが目に真っ先に飛び込んだ配信ニュースはこのことである。それは、新しい元号(年号)名の公表は、四月一日というものだった。もちろんこのことは、今上・平成天皇陛下のご退位(四月三十日)と、そして翌日(五月一日)の新天皇陛下のご即位の流れの中にある。すなわち、訪れたばかりの新しい年・平成三十一年は、四月末日まででとどまり日本史に刻まれてゆく。そして、その先の日本社会は、四月一日に公表されるという新たな年号に引き継がれて、新たな年号時代の幕開けに移ってゆく。
 もちろん、日本社会および日本国民の営みは、実際には年号の変化につれてそう変るものではなく、平成の世の延長線上にある。しかしながら年号の変化(改元)は、やはり時代を画(かく)する日本社会の大きな出来事である。だからこそ私は、分かりきっていることをあえて、つらつらと記したのである。
 確かに、このことでは例年に比べて現在の私は、はるかに厳粛な心持で平成三十一年の元旦を迎えている。しかし、習性とは恐ろしいものであり、こんな厳粛な元旦にあっても、私にはいつもの愚痴こぼしが擡(もた)げている。すなわち、私はきのうの大晦日にあって、ちょっぴり体調を崩し、それを引きずり新年の元旦を迎えている。書くまでもないごく些細な体調不良だけれど、こぼさずにおれないわが悪の習性である。
 きのうの大晦日にあって、ふるさと便が届いた。宅配されて来たのは、搗(つ)きたての丸餅である。送ってくださったのは、わがふるさとの行政名・山鹿市(熊本県)に隣接する、菊池市にお住いの岡崎俊裕様・弘子さんご夫妻である。弘子さんとは、ふるさとの長兄の次女で、私には身内・姪っ子にあたる。もちろん、かつての私は「弘子」と呼んで、常々妹のごとく可愛がっていた。しかし嫁いで、現在はご主人と子孫(こまご)に囲まれた健(すこ)やかな暮らしぶりである。おのずから私は、呼称をそれにふさわしく変えて、敬愛心を丸出しにしているのである。また、そうせざるを得ない理由もある。なぜなら日頃の夫妻は、多忙を厭(いと)わず何かにつけて、わが長兄(九十二歳)の励ましに駆けつけてくださっているのである。
 丸餅のふるさと便が届けられると、私には一気に正月気分が沸いた。そして、訪れている元旦は、わが子どもの頃の父と母にまつわる思い出尽くしにある。父との思い出は、雑煮餅の食べ競争(個数)だった。私は父の五十六歳時の誕生である。それでも、雑煮餅の食べ競争にはたったの一度さえも、老いた父に適(かな)わずじまいだった。父は餅好きの私をはるかに超えて、とりわけ無類の雑煮餅好きだったのである。元旦においてよみがえる母の思い出は、目覚めれば枕元に真新しく冷や冷やする、肌着類が置かれていたことである。
 父と母にまつわる懐かしい思い出を彷彿とさせながら現在の私は、平成最後の正月元旦を迎えているのである。すると、おのずから正月気分がつのってきた。ご来光、すなわち夜明けまでには、まだたっぷりと時間がある。落ち葉はキリよくきのうの大晦日で打ち止めとなり、今朝の道路の掃除は免れている。夜明けが近くなれば、山越えで鶴岡八幡宮(鎌倉市街)へ初詣に向かう声がざわめいてくる。ところが、私にはあてにならない神様にすがる気はまったくない。それでも年頭にあたり、平成の末の世と新たな年号の時代のつつがない一年を願っている。

平成三十年(2018年)、大晦日 

 眠くても目が冴えて眠れず、堪(たま)らなく起き出してきました。現在、壁時計に針は夜中の一時半近くをめぐっています。どうにか、平成という年号のつく、最後の大晦日(十二月三十一日・月曜日)まで、命長らえてきました。今年一年を振り返り、漢字一字を浮かべると、なさけなくも「脅(きょう)」が浮かんでいます。この漢字が浮かんだのは、来し方の悔いごとに脅(おびや)かされ、さらには行く末の不安に脅かされているせいでしょう。そうであればこの漢字は、今年にかぎらずこの先も毎年、老い先短いわが人生に張り付くことになるでしょう。
 亡き母が唯一われに諭(さと)した人生訓は、「楽は苦の種、苦は楽の種」でした。ところがもはや、苦の種を蒔いても、楽にありつけことはおぼつかなくなりました。しかしながら何はともあれ、平成という年号のつく大晦日にたどり着いています。鎌倉五山の一つ・円覚寺の除夜の鐘が響くのは、夜明け、昼間、そしてなお夜の先です。それでも、つつがなく大晦日を迎えています。なんらなすすべなく迎えている大晦日ではあるけれど、しかしながらつつがなく迎えていることだけは、みずからを寿(ことほ)いでもよさそうです。
 こんな実の無い文章を書いて、平成という年号の最後の大晦日の、わが生き様にかえたいと思います。除夜の鐘が鳴り、新年(平成三十一年・2019年)になれば、平成という年号は残り四か月、すなわち四月末日までとされています。そして、平成に変わる新たな年号(元号)の名は、そのひと月前と公表されました。新しい年にあっては、粛々とそしてつつがなく、平成最後のお正月(元旦)を迎えたいものです。読者各位様には、今年もまた「ひぐらしの記」の継続にあたり、多大のご支援と激励を賜りました。末尾ながらそれに感謝し、そして訪れる新しい年の皆様のご多幸を心が祈念するものです。平成三十年(2018年)の結文といたします。
 蛇足ながら、こんなことを浮かべているからか、それとも「脅」に慄(おのの)いているためか、眠たくても目が冴えて眠れないのかもしれません。冬至過ぎても、なお長い夜に苛(さいな)まれています。

書き納め、余分② 

 平成三十年(2018年)十二月三十日(日曜日)、頃は夜明け前に在る。「冬至」(十二月二十二日)からわずか十日にすぎないのに、夜明けの早さを感得し始めている。もちろん、一陽来復という言葉にあずかっている気分のせいであろう。一寸先は闇の世にあって、どうにか今年のブービーまでたどり着いたことは、確かに喜ぶべきことであろう。しかし、あす(大晦日)までのわが存命の保証はない。
 日本列島各地が大雪や寒波に襲われている最中にあって、鎌倉地方には雪降りはもちろんのこと、さしたる気温の低下のない夜明け前である。ほんとうにこの秋からこれまでの冬は、暖かい日に恵まれてきた。その証しにはいまだに山の枯葉が落ち切らず、そのせいで大晦日を打ち止めと見越していた道路の掃除は年越ししそうである。
 こんなことはどうでもよいことだけれど、しかしながらこんなことを書いて、「ひぐらしの記」はようよう継続叶ってきたのである。いや実際のところは、こんなどうでもよいことを臆面もなく書いてきたからこそ、継続が叶ったのである。確かに、愚痴こぼしはわが専売特許である。しかし、愚痴こぼしや恥晒しに怖気(おじけ)ていたら、もちろんわが文章は一行さえ書けない。このことでは、常に忸怩(じくじ)たる思いに苛(さいな)まれているところである。
 書かずもがなのきょうの文章は、きのうに続いて「今年の書き納め、余分②」である。まもなく夜が明ければ、道路の掃除へ向かう心づもりである。

 書き納め、余分

 予報どおりに日本列島は、年の瀬ぎりぎりにあって厳しい寒波に見舞われている。まるで、これまでの暖冬を詫びて、本来の冬へ復帰したような光景を、テレビ画面が映し出していた。NHKテレビニュースが映す雪降り光景を眺めながら私は、(寒いだろうなあ…)、と案じていた。しかし、寒くて可哀そうと思ったり、同情はつつしんだ。なぜなら、そう思うことに私自身が、傲慢に思えたり、跳ね上がりに思えていたからである。
 人は、みずから生誕地を選ぶことはできない。さらに付加すれば人は、みずから親を選ぶことはできない。もちろん、生来の知能やさまざまな能力差も、自分自身ではどうすることもできないで、生まれてくる。言うなれば人の誕生は、運否天賦(うんぷてんぷ)のあてがいぶちの誕生である。すなわち人の誕生は、生まれながらに無限の宿命を負っている、と言えそうである。そうであれば、生まれながらのさまざまな不条理は、まさしく運命ないし宿命と諦めて、泣き言はご法度(はっと)とである。私自身、こういう思いをたずさえて、ないない物ねだりを諦めてきた。しかしながら小器の私は、泣き言を禁ずることはできず、常に泣き言に脅(おびや)かされてきた。嗚呼、なさけないわが人生である。
 雪降りの日が多く、寒いところに生まれたからといって、そこで生まれた人には生誕地となる。そして生誕地は、先祖代々・子々孫々の地となったり、ある場合はふるさとと名を変えて存在する。もちろん、生涯を生誕地に住む人にすれば住めば都であり、生誕地を離れた人には懐かしいふるさととなる。そのため私は、寒々しい雪降り光景を見ても、同情などのわが感情移入は場違い! と、心している。
 わがふるさと(熊本県)は、台風銀座と異称されるほどの台風の通り道である。加えて、夏の暑さはひととおりをはるかに超えて、無類の蒸し暑さでもある。それでも私は、この地で生まれたことを悔いたことは一度もない。わが思いに照らせば、多雪地帯や寒いところで生まれた人も、たぶんそうであろう。
 結局、人の暮らしぶりはそれぞれにさまざまであり、傍(はた)から可哀そうだと思ったり、当てずっぽうの同情をすることなど、禁物と言えそうである。

平成三十年(2018年)、御用納め日 

 十二月二十八日(金曜日)、日本社会は今年の御用納め日である。きりよく、明日からは通常の週末休日になり、明ければ大晦日(三十一日・月曜日)となる。しかし、大晦日には多くの人が有休をとるだろう。そのため、日本社会はきょうあたりから例年の年末年始休暇に入る。除夜の鐘が鳴れば、来年(平成三十一年・2019年)のカレンダーへ切り替わる。ところが、今年の残り四日のカレンダーはもはや用無しなので、私は先ほど来年のカレンダーに置き換えた。わが愛用のカレンダーは、机の上に置くごく小さな卓上カレンダーである。それを眺めると、明けて四日(金曜日)には「官庁御用始め」と、記されている。しかし、これまたこの日を有休にすれば、通常の週末二日の休みが訪れる。そのため、多くの人の仕事始めは、一月七日(月曜日)となりそうである。
 サラリーマン時代であれば、涎(よだれ)の垂れそうな長い年末年始休暇にありつける。もちろん今のわが身には、この限られた恩恵はない。しかしながら現在の私は、休みだけは無限の恩恵に浸っている。そのぶん、限られたことから得られる感激はあじわえない。身近なところでは大沢さまは、きょうあたりからご実家帰りになられるのかもしれない。大沢さまのご実家帰りは、唯一わが身に感ずるメリハリのある年末風景である。確かに、大沢さまにはご両親亡きあとの、ご長女として役割があるのであろう。具体的には、妹様たちの里帰りを待つご両親代わりの心意気なのであろう。つつがなく、ご主人様と共に年始のご帰還を願うところである。
 これまでのこの冬は、とんでもない暖冬に恵まれてきた。まさしく、異常気象である。私には異常気象のもたらしたうれしい誤算だった。だから余計、この先の気象の変化に気を揉んでいた。寒がり屋の私にとっては、この先も暖冬が続けば万々歳である。しかし、そうは問屋が卸さない。パソコンを起ち上げると、こんな配信ニュースに出合ったのである。
 【年末年始、厳寒続く…山沿いは数十cm積雪か】(2018年12月27日21時37分 読売新聞)。「気象庁は27日、年末年始(12月29日~来年1月3日)の天気予報を発表した。この冬で最も強い寒気が西日本まで南下し、日本海側は広い範囲で大雪となる見通し。太平洋側も山沿いでは断続的な降雪が予想されるが、乾いた風が吹き込む平野部や沿岸部は晴れる日が多くなる。同庁によると、期間を通して全国的に最低気温が0度前後となる厳しい寒さが続く。特に30日にかけて冬型の気圧配置が強まり、日本海側や山沿いを中心に24時間に数十センチの積雪となる恐れがある。元日は太平洋側のほぼ全域で晴天が見込まれ、気象庁は『初日の出が見られる可能性が高い』としている。日本海側は厚い雪雲が空を覆うとみられる。」
 寒気の到来と同時に、私には「箱根駅伝」(一月二日と三日)の空模様が気になるところである。わが母校(中央大学)の、スッテンコロリン、だけはテレビで観たくない。私は書き納めをしたくなっている。

時事問題:捕鯨 

 年の瀬も大晦日が迫り、きょうは十二月二十七日(木曜日)である。日本列島の街中は、歳末商戦たけなわにある。買い物客はいやおうなくそして渋々と、財布を緩めて正月用品に群がっている。わが家は予定より一日早めてきのう(十二月二十六日・水曜日)、妻と二人連れで大船(鎌倉市)の街へ、正月用品の買い物へ出かけた。そのおり私は、普段買いたくて仕方がなかったクジラのベーコンを買った。先日の妻の留守のあいだのわれ独りの買い物のおりには、とうとうクジラの赤身の刺身を買った。人様には大袈裟で滑稽に思える表現だけれど、私は抑えていた願いを叶えたのである。
 これら二つのクジラの肉を買いたくなっていたのは、美味しい食感もさることながら、生前の父や母を偲ぶ懐かしさによるものだった。それでも、これまでの私は、買うことを渋っていた。その訳は、店頭に並ぶクジラの肉が子どもの頃に馴染んでいたものとは違って、あまりにもみすぼらしく見えていたからである。私自身、毒にあたるようで食べることに不安をおぼえていた。この不安に輪をかける、妻の言葉も少なからずわが買う意欲を鈍らせていた。妻は、クジラの肉は食べたことがないと言う。このこともあってか常々妻は、
「パパ。クジラの肉、絶対買っちゃだめよ。毒にあたったらたいへんよ!」
 と、言い続けていたのである。
 確かに、見た目の悪いクジラの肉は、これまでわが買いの手を引っ込め続けていた。ところが先日、妻のいないまにその禁を破り、赤身を買ったのである。私は刺身と書いてあるにもかかわらず、「刺身でも、大丈夫ですか?」と、売り場の人に念押しをした。もちろん、「OK」の返事だった。それでも私は、なお不安に慄(おのの)いていた。
 ところが、その不安を払拭(ふっしょく)できたのは、わが隣に立つ人が迷わず、三切れも買われたからである。こんなおり意外や、その人のお顔にいくらか見覚えがあった。
「今泉さわやかセンターのスタッフの人ですね。刺身でも、大丈夫でしょうかね?…」
「大丈夫でしょう。うちは子どもたちが好きだから、焼き肉で食べますけど…、私もお顔見知りの人だなと思っていました」
 押すな押すなの買い物客に押されて、共にあっけなく押し出された。
 子どもの頃のわが家は、父がクジラの肉が好きだったせいもあって、母はいろんなクジラの肉を自転車でやってくる人から買っていた。すなわち、クジラのさまざまな肉は、家族にかぎらずわが食感を美味しく潤していた懐かしい食べ物なのである。このこともあって不断から私は、クジラに肉にはかぎりなく愛着をつのらせてきたのである。
 そんなこともあって、クジラにかかわる二つの配信ニュースは、他人事には思えなかった。このため、きょうの文章は、わがケチな論評を加えず、二つの配信ニュースを並記するものである。いや、ちょっぴり私見を添えれば、外国の不評を買ってまで、今さら捕鯨解禁を望むものでもない。
 【水産庁VS外務省、捕鯨めぐり攻防 最後は政治決着】(産経新聞)国際捕鯨委員会(IWC)からの脱退決定をめぐり、日本は反捕鯨国との根深い対立に加え、政府内では捕鯨政策をつかさどる水産庁と、国際協調を重んじる外務省との間で激しい駆け引きがあった。「IWCは機能不全」と主張する水産庁に対し、「国際的信頼を失う恐れ」と抵抗する外務省。「IWC脱退を決め、捕鯨もやめるのはどうか」との外務省側の意見も飛び出したが、最後は政治決断での決着となった。
 【日本の「IWC脱退に失望」=反捕鯨の豪州とNZ】(時事通信)反捕鯨国のオーストラリアとニュージーランド(NZ)は26日、日本が商業捕鯨の再開に向けて国際捕鯨委員会(IWC)を脱退すると発表したことを受けて「失望した」と批判した。

歳末商戦の渦 

 きのう(十二月二十五日・火曜日)には、わが普段の買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。年の瀬にあって、きのうまでは日常の買い物のためである。ところが、めぐった店はもちろんのこと買い物客もまた、きのうあたりから明らかに歳末商戦を帯びていた。もちろん、店の場合は目に見えて、歳末商戦への臨戦態勢に入っていた。その確かな証しは、正月用品向けへの売り場の変更である。
 ところが、わが買い物足の向く売り場は、ことごとく食品売り場である。すでに何度か書いたことだけれど、再びわが買い物の定番コースを記すとこうである。わが買い物行は、身体の足と「大船行き」路線バスである。バスの終着バス停はJR大船駅前である。しかし、買物目当ての場合、私は一つ手前の「行政センター前停留所」で下車する。そして順次、四か所の定番コースを歩いてめぐって行く。コース順はこうである。先ずは野菜と果物の安売り量販店「大船市場」、次には安売りの「駄菓子専門店」、そのた次には魚の安売り専門店「鈴木水産」、最後は「西友ストア大船店」の地下一階の食品売り場である。なさけなくも、すべてが安物漁りの懐(ふところ)乏しい買い物客へと成り下がっている。おのずから異なるこれら四つの店は、きのうあたりをスタートにして、ほぼ一様に歳末商戦の臨戦態勢に入っていた。この明らかな光景は、売り場の正月食品への変更と、それらの大量の陳列であった。
 大船市場で目立ったのは、それぞれに産地が記されて、段ボール箱詰めで売られていたミカンだった。もちろん、普段はあまり目にしない、明らかに正月目当ての売り場光景だった。駄菓子屋の店頭には、特にチョコレート類が目立たっていた。さもありなん、きのうはクリスマスだった。おそらく、クリスマスと正月の二兎狙いの売り場模様だったのであろう。鈴木水産の場合は、もはや正月食品一辺倒への売り場替えと、それらの大量の陳列だった。西友ストアの場合、駄菓子類は一階、野菜と果物そして魚や総菜類は地下一階が売り場である。どちらも専門店ほどではないけれど、あからさまに正月向けの売り場へ様変わり、フロアや棚にはそれらの品々が大量に並んでいた。これらの店の臨戦態勢に引き込まれて、買い物客も正月向けの買い漁りに血眼(ちまなこ)になっていた。私は普段の買い物のままに帰宅した。
 私の場合、妻と連れ立って歳末商戦の渦に嵌(は)まるのは、あす(二十七日・木曜日)あたりになりそうである。きょう(十二月二十六日・水曜日)は、卓球クラブのことしの打ち止めである。 

クリスマス 

 きょうは年の瀬、「クリスマス」(十二月二十五日・火曜日)である。しかし、イブやクリスマスも、わが老夫婦にはまったく関係なく過ぎてゆく。この点では現在のわが夫婦は、社会生活といくらか遊離した暮らしぶりと、言えるかもしれない。
 もともとわが夫婦は、外来のこの手の習わしには、まったく関心がない。クリスマスにあって、ちょっぴり世間の人様の真似をしたのは、娘の幼い頃だけにすぎない。しかしながらそれも、娘にせがまれてクリスマスケーキを最寄りの店から予約購入しただけである。同時に、七面鳥はおろか、鶏の唐揚げを購入した記憶はさらさらない。肝心要のクリスマスの謂(いわ)れは、今なおまったく知るよしない。いや、実際のところは知ろうともしないし、知らないことを恥とも思っていない。
 クリスマスの思い出には、唯一苦々しい記憶がよみがえる。勤務する会社の独身寮時代にあって、私は同期入社の仲間に誘われ、赤い灯・青い灯きらめくネオン街へ繰り出した。店内へ入るやいなや、華やぐ夜の女が駆け寄り、三角帽子を被(かぶ)された。すかさず、いくつかの爆竹が破裂した。店内に臭いと煙が充満した。高音の音楽がうるさく流れている。けばけばしく派手なクリスマスの夜は、勘定書きに法外な金額を示された。ぼられたな! と思っても、逆らえず渋々支払って外へ出た。わが悔悟まみれのクリスマス経験である。
 クリスマスに比べると正月は、もちろんわが性(しょう)に合っている。なぜなら、正月の思い出に悔悟はまったくなく、子どもの頃の楽しい正月風景がよみがえる。そしてそれには、正月を迎える準備の年の瀬の楽しさが対(つい)を成している。クリスマスの頃すなわちきょうあたりには、その一つの正月用の餅つき風景がよみがえる。当時のわが家の餅つきは、近くに住んでいた異母長兄家族が寄り集まってのものだった。土間に石臼を置いて、その周りに男たちが立ち、長い杵棒で「エッサ、エッサ」と、声を掛け合いついた。上り口から座敷にかけては、つきたてを待つ女たちが陣取った。そして、手早く丸餅に丸められた。大勢そろっての一日がかりの餅つきは、今なお脳裏に焼きついている楽しい思い出である。
 餅つきに続くものでは、これまた正月準備の一つである、シダ(羊歯、歯朶)やユズリハ(譲葉、交譲木、楪)採りがあった。こちらは、冬休みに入っていたわが単独行だった。私は、勝手知った近くの里山に採りに行った。これらは、母がこしらえる飾り餅に挟まれていた。もちろん、それらが添えられる謂れなど知るよしなく、冬休み中の年の瀬の家事手伝いの一つだった。
 クリスマスにかかわる子どもの頃の思い出には、クリスマスを捩(もじ)り父がよく言っていた「クルシミマス(苦しみます)」の言葉だけである。

クリスマスイブ 

 きのうの平成最後の「天皇誕生日」(十二月二十三日)は日曜日と重なり、明けてきょう(十二月二十四日・月曜日)は、振替休日による三連休最終日となる。なにかにつけて、平成という冠が付く日めくりが消えてゆく。おのずから、消えゆくものへの感傷が渦巻いている。しかし、実際には平成という年号を失くすだけで、新たな年号の下に行事や歳時は先々へと続いてゆく。もちろん、消えゆくものは過去ページへと移り、時の流れの中に歴史として刻まれる。きょうは、わが身にはまったく無縁の平成最後のクリスマスイブである。ところが、きょうのクリスマスイブは振替休日と重なり、街中もとりたてて喧騒なく過ぎるであろう。
 かつての勤務時代にあっては、クリスマスイブの賑わいを目にしながら帰宅していた。もはや、この光景も忘れてしまうほどの遠い昔のことになってしまった。イブやクリスマス自体、かつてのように大騒ぎしなくなったようでもある。日本社会に、落ち着いたイブやクリスマスの過ごし方が定着したのかもしれない。
 きのうは、これまた平成最後の全国高校駅伝(京都府・都大路)でのテレビ観戦に興じた。この駅伝は、年の瀬の風物詩の一つに数えられるものである。このこともあってNHK地上波テレビは、午前中には女子の部をそして午後には男子の部をライブ(生)放映した。この駅伝にかぎらず駅伝ファンを自認する私は、あらためてテレビの恩恵を堪能した。女子の部は、私立・神村学園(鹿児島県代表校)が初優勝し、男子の部は、私立・倉敷高校(岡山県代表校)が二年ぶりの優勝に輝いた。両校共に、留学生ランナー(アフリカ出身)の活躍がもたらした栄冠と、言えるものだった。
 もはや、高校駅伝にかぎらず駅伝は、日本人選手だけが走る光景ではなくなっている。言うなれば外国人ランナーが混じる駅伝は、すでに見慣れた光景である。それでも、いまだに常に驚くのは、留学生や外国人ランナーのスピード(速さ)である。このため高校駅伝にあって、留学生ランナーに頼る傾向は、この先いっそう加速するであろう。そして、高校駅伝やほかの駅伝にかぎらず、今やすべてのスポーツに見られる光景である。いや、日本社会にあっては、年年歳歳というより日々において、外国人が増え続ける時代である。このことを捩(もじ)り、「平成の世も末」と言えば、時代錯誤の烙印を押されそうである。時の流れに身を置いて、くわばら、くわばら、…である。

 天皇陛下、平成最後の「天皇誕生日」

 「ひぐらしの記」は、私自身の日暮らしをつづるだけでは味気なく、もちろん長続きするはずもない。このため、日本社会や世界の日々の出来事に関心を持ち、そして記録に残すべきものはメディアの伝える配信ニュースの引用を試みてきた。これこそ、ひぐらしの記存在の「意義」であろう。一瞬、意義にかえて「価値」という言葉が浮かんだけれど、もちろんそんな自惚(うぬぼ)れはご法度(はっと)である。
 きのうは半年ごとに訪れる季節の折り返し点、「冬至」(十二月二十二日・土曜日)だった。今さら言わずもがなもことだけれど冬至は、夜間が最も長くそのぶん昼間が最も短い日という。そして、人間の営みを記す歳時(記)にしたがえば古来、冬至には無病息災を願う「ユズ風呂」が習わしという。確かに、湯船に身を沈めると、ユズの香りがのぼりたち、しばし、ほのぼのと無病息災への願いが沸き立った。
 明けてきょうは、この先、日を追って昼間の時間が長くなる初日である。同時に、きょうの日本社会は、「天皇誕生日」(十二月二十三日・日曜日)である。そして、今年の場合は、「平成最後の」という冠(かんむり)が付く。
 きのうは、日本社会にあって減り続ける出生数にかかわる統計を引用した。もちろん、記し置くべき大きな関心事ゆえである。ところが、きょうは天皇誕生日にかかわる配信ニュースの引用を試みている。もちろん、例年とは異なり、平成最後の天皇誕生日ゆえである。
 【天皇陛下、平成最後の誕生日 涙声で「国民に感謝する」】(12/23・日曜日、0:00配信 朝日新聞デジタル)。天皇陛下は23日、85歳の誕生日を迎えた。事前の記者会見では、来年4月末の退位を見据え「天皇としての旅を終えようとしている」「支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝する」と涙声で語った。象徴としての歩みを振り返り、「譲位の日を迎えるまで、引き続きその在り方を求めながら、日々の務めを行っていきたい」と述べた。誕生日前の会見は即位翌年の1990年からほぼ毎年行われてきたが、今回が最後となった。在位中の会見としても最後となる見通しで、陛下は約16分間、何度も感極まり、言葉を詰まらせながら思いを語った。戦争を経験した天皇として、平和への思いに時間をかけた。戦後の平和や繁栄が多くの犠牲で築かれたことを忘れず「戦後生まれの人々にも正しく伝えていくことが大切」とし、「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」と語った。また、皇太子時代を含めて11回にわたり訪れた沖縄について「実に長い苦難の歴史」をたどってきたと言及。皇后さまと歴史や文化を理解するよう努めてきたといい、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と述べた。心に残ることとして、平成の時代に多発した自然災害を挙げた。多くの死者や被害があったことに「言葉に尽くせぬ悲しみを覚えます」。
 ボランティア活動など、人々の間に助け合いの気持ちや防災の意識が高まってきたことに勇気付けられると述べた。来年4月に結婚60年を迎える皇后さまとの歩みも振り返った。「深い信頼」のもとで伴侶との旅を続けてきたと述べ、「長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」と感謝の気持ちを明かした。最後に、代替わり後の新時代に言及。新天皇となる皇太子さま、皇嗣となる秋篠宮さまについて「皇室の伝統を引き継ぎながら、日々変わりゆく社会に応じつつ道を歩んでいくことと思います」と語った。

「出生数」統計 

 出生数統計にかかわる記事は、公表のたびに「ひぐらしの記」に引用してきた。なぜなら、私はもとより日本社会の直面する大きな関心事だからである。出生数が減り続けて、半面死亡者数が増え続け、その挙句年を追って日本社会は、「少子高齢化社会」深めている証しを示す通信簿とも言える。この傾向を補うため労働力として、外国人頼りが国是(こくぜ)となったばかりである。
 【出生数、3年連続100万人割れ 人口減は年45万人】(12/21・金曜日、15:41配信 産経新聞)。「厚生労働省は21日、平成30年の人口動態統計の年間推計を発表した。出生数は明治32(1899)年の統計開始以来、最少だった前年の94万6065人(確定数)を下回り、92万1千人で過去最少を更新した。出生数が100万人を割るのは3年連続で、少子化に拍車がかかっている。死亡者数は前年の134万397人を上回り、136万9千人で、戦後最大だった。死亡数から出生数を差し引いた人口の自然減は44万8千人で、平成19年から12年連続の人口減。昨年の自然減は39万4332人で、40万人を超えるのは初めてとなり、人口減少も浮き彫りになっている。女性が生涯に産む子供の推定人数を示す合計特殊出生率は29年が1・43で、17年の1・26を境に緩やかな上昇傾向にあり、近年は横ばい。  婚姻件数は59万組で、前年の60万6866組を下回り、戦後最少を記録。離婚件数は前年の21万2262組を下回る20万7千件と推計した。厚労省の担当者は、出生数減少について『出産適齢期(25~39歳)の人が毎年25万人ぐらい減っていて、その影響が大きい』と分析している。」
 わが家周りは空き家と空地が増え続けている。わが家すなわち私自身にやがて訪れる大きな悩みである。

様変わる歳末商戦 

 十二月二十一日(金曜日)、今年(平成三十年・2018年)もいよいよ残り十日となり、大晦日や正月に向けて、カウントダウンが始まる。それはまた、本格的な歳末商戦の訪れでもある。この間には歳末の迎春準備に加えて、一時のクリスマス商戦もある。まさしく歳末商戦は、戦争を捩(こじ)り戦いの場へと様変わる。
 かつての商戦では買い物客は慌ただしく店頭へ出向き、一方売り手は、買い物客への売り込みや呼び込みに大声を嗄(か)らしていた。よくもわるくも、文字どおり絵になる歳末風景だった。もちろん、私はこんな風景を好んでいた。なぜならその風景は、人間の浅ましさと必死に生きる姿を垣間見せていたからである。
 しかしながら、こんな歳末風景は年々様変わり傾向を強めて、目に見える歳末商戦は翳(かげ)り始めている。かつての歳末店頭の賑わいを知る私には、これまたよくもわるくも寂しさつのる歳末商戦風景である。私は距離的あるいは周辺の店の消失からこうむる、俗に言う買い物難民ではない。しかし、時代に取り残された買い物客とは言えそうである。
 世の中の買い物傾向は、店頭離れが加速している。ところが、私の場合はこれについていけないのである。テレビでは、終日(ひねもす)テレビショッピング(通販)の垂れ流しがある。かててくわえて、パソコンやスマホいわゆるSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)では、ネット通販が店頭販売を脅かし続けている。もちろんこれらは、歳末商戦にも分け入っている。そしてこれらは、これまでの黒子的(別働体)存在から、今や歳末商戦にかぎらず年じゅうの商戦に主位置を占める勢いである。だから、たかだかここ数年のうちのテレビ通販やネット通販の勢いをかんがみれば、この先その勢いはよりいっそう加速しそうである。
 こんなことを胸中に浮かべていると、様変わる歳末商戦と言えそうである。半面、人の息づかいや温もりが見えなくなり、金銭の損得(効率)だけがまかり通る商戦とも言えそうである。こんな思いを浮かべるから、私は時代に取り残されるのであろうか。ちょっぴり、切ない。 

ためらう、投稿ボタン 

 本当にもう書けない。夜長にあって、いっそう書けないつらさが身に沁みている。なさけない書き出しで、キーを叩き始めている。こんな文章を書くようでは、(書かずに休んだほうがいいよ!)と、心中でみずからを嘲(あざけ)っている。しかし、きょう休めばあすは書けるという、保証や自信もない。書けないつらさは、先延ばしにすればするほど深みに嵌(は)まってゆく。すると、つらさはなおいっそう増幅し、にっちもさっちもいかなくなる。その挙句、つらさに加えてかなしさが同居する。それらに耐えきれずわが長年の営みは、なんらの華を残すことなく木端微塵(こっぱみじん)に砕(くだ)かれて終焉(しゅうえん)する。「立つ鳥跡を濁さず」どころか、濁しっぱなしの終焉となろう。
 これまでの私は、こんな愚痴こぼしを何度繰り返してきたことだろう。振り返れば、わが「生き恥」である。私は、ときには柄にでもなく哲学者の真似をする。浅ましくもそれは、わが人生行路の俯瞰(ふかん)や振り返りである。すると、さまざまになさけない事柄が頭をもたげてくる。ところがそれらのすべては、今さら嘆いてどうなることでもない、わが無能力と小器に起因している。文章とは、時々の心象風景の言葉や文字による描写である。なさけなくも現在のわが心象自体、殺風景(さっぷうけい)である。その証しには、こんなことしか描(か)けない。
 あさってに「冬至」(十二月二十二日・土曜日)をひかえて、きょう(十二月二十日・木曜日)は、悶々とする長い夜である。戯言(ざれごと)だ! と、一笑に付すことのできない文章を書いてしまった。わが身のなさけなさが、とことんわが身に沁みている。夜明けまでには、まだつらくて長い夜である。実の無い文章を人様の目に晒して、恥さらしではないのか! と、自問している。その答えは、投稿ボタンを押すかどうか? をためらっている。

年の瀬の母の姿 

 十二月十九日(水曜日)、夜長もいよいよカウントダウン少なく、「冬至」(十二月二十二日)に向けて、残りは四日にすぎない。その先は「天皇誕生日」(十二月二十三日・日曜日)を挟んで、振替休日(十二月二十四日・月曜日)に向けての三連休となる。こんなあたりまえのことを書いたのは、三連休が明けると大晦日や来年(平成三十一年・2019年)の元旦がごく近くなるからである。これまた、きのう(十二月十八日・火曜日)の文章に続いて、年の瀬の感傷と言えるのかもしれない。
 年の瀬にあっては、なぜか? やけに日めくりにとらわれるところがある。そしてこれには、常に多忙という焦燥感がつきまとっている。今の私には、実際には心忙(せわ)しい用件はなにひとつない。それでも焦燥感に急(せ)き立てられるのは、年の瀬に根づいている心象風景のせいであろうか。
 具体的には、わが子どもの頃に見ていたこんな光景がもたらしている。父や母はもとより兄たちは、年の瀬になると例月に比べていっそう忙(せわ)しなく働いていた。この光景がトラウマ(心的外傷)さながらとなり、なんらの用件なくても私に焦燥感を招くのであろう。
 当時のわが家の生業(なりわい)は、三段百姓に兼ねて精米業を営んでいた。いや、実際のところは逆に、精米業を主にして三段百姓を兼ねていたのかもしれない。年の瀬にあって農作業は、一年の中でも最も閑(ひま)なときである。それでも家族は、年の瀬には忙しなく働いていた。この忙しなさをもたらしていたのは、精米業だったのである。精米や製粉の器機類は、母屋の中の土間に据えられていた。言うなれば母屋は、作業場付きの住まいだったのである。そのため、不断から住まい、すなわち座敷などのいたるところに粉塵が舞っていた。板張りなど、歩けば綺麗に足型がついていた。このこともあってわが家の場合、年の瀬の大掃除は他家(よそ)とは違って、格別大事で大きな仕事だった。すると母は、その中心を担っていたのである。
 不断の母は、家政に加えて精米業の内的仕事の一切を任されていた。このため母は、まるでコマネズミさながらに、母屋の内外(うちそと)を忙しく走り回っていた。さらに年の瀬の母には、年の瀬特有の仕事が加わっていた。それは迎春(正月)準備である。具体的には、大掃除、餅つきにかかわる準備、餅つき、丸餅づくり、お供えの飾り餅、元旦に家族のために用意する新品の肌着や杉下駄の買い物などがあった。もちろん母は、雑煮(具)の準備にも心をくだいていた。結局、わが年の瀬の忙しなさや焦燥感は、当時の母の年の瀬姿に由来していると言えそうである。しかしながら、忙しなく走り回る母の姿を偲べば、快い焦燥感と言えなくもない。実際、今の私は、母の面影を浮かべて快い焦燥感に浸っている。

平成三十年、年の瀬の感傷 

 今年・平成三十年(2018年)は、あと二週間も残さず、年の瀬を流れて行く。時のめぐりにあって、平成という年号(元号)を記すのは、すでに半年を切っている。だから、例年の年の瀬とは異なり、私には切切感つのるところがある。来年(2019年)の五月一日には新天皇陛下が即位される。このため、この日から新たな元号となることが公表されている。ところが、元号そのものは現在まで未発表のままである。そのため、現在の日本国民は、新元号の公表に大きな関心を寄せている。
 新元号の制定にあっては、元号自体に不要論を唱える人たちがいた。元号制制定の是非をたたかわす論駁(ろんばく)はもはや消えたが、いっとき日本社会を賑わした。結局、元号不要論は退けられて、これまでの慣行どおりに存続で決着した。
 わが私見を添えれば、私は元号存続の賛成派である。その理由の一つは、日本社会における歴史的慣行である。もっと端的には、歴史の区切りとして元号の存在を認めているからである。逆に言えば、西暦表示だけでは歴史観を損(そこ)ないそうだからである。年号不要論者は、二重表記の煩わしさやグローバルの世に逆行すると言う。確かにこの先の世界には、現在よりいっそうIT(情報技術)やSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)など、コンピュータ技術の進化や旺盛が予測されている。こういう時代傾向の中にあって、日本社会が煩わしい元号に固執するのは、それらの進行の妨(さまた)げになるとも言う。もちろん二重表記は面倒であるし、そのためその言い分には一理ある。加えて、天皇制にまつわる人それぞれの思想(考察)も起因しているのであろう。
 しかしながらデジタル社会、すなわちなにもかもが効率一辺倒の社会は、必ずしも是とはかぎらない。まして日本社会であれば、古来の元号制度まで失くすことはないであろう。浅はかなわが私見である。昭和生まれのわが感傷であろうか。長い夜をもてあますゆえの妄想であろうか。平成三十年は数々の感傷をたずさえて、時々刻々と早瀬のごとく年の瀬を流れている。

娘と孫娘に、引かれて… 

 きのう(十二月十六日・日曜日)は、誘われていくらか遠出した。誘ったのは娘と孫娘(小学五年生・十一歳)である。妻も同行した。行き先は、夜の「江ノ島」(神奈川県藤沢市)である。誘った理由は、江ノ島のイルミネーション見物だった。見物コースをめぐりながら孫娘に尋ねると、「ここは、神奈川県一番のイルミネーション」、と言う。もはや、県内事情なかでも近場の観光スポットの最近事情さえ、孫娘に後塵を拝し教えにさずかった。
 イルミネーションは、夜の人工的輝きである。このため、娘たちと待ち合わせたのは夕方の五時十五分。夕方とは言っても昼間の短いこの時期は、すっかり暮れて夜のたたずまいだった。待ち合わせ場所は、JR大船駅改札口(鎌倉市)。ほぼきっかりの時間に出会えた。一路、江ノ島へ向かった。
 駅ビル「ルミネ」の中を通り出て、「湘南モノレール」へ向かった。このモノレールは大船駅始発、終着駅「片瀬江ノ島」である。モノレール特有に、車両は小さく連結も短い。それでも日曜日の夕方とあって、観光地へ向かう車内はがら空きだった。寒さの厳しいこの時期かつこの時間、わざわざイルミネーション見物に出かける人はいないはずである。
 ところが江ノ島へ着くと、これはわが早とちりとわかった。なぜなら、往来する多くの人出に遭遇した。それらの中には昼間からの居残りではなく、イルミネーション目当てに向かうらしい人も大勢いた。しかし、華やぐ声はカップルや若者連ればかりで、わが夫婦の姿は街灯の中では異物だった。娘と孫娘の誘導尋問に乗った、気乗りのしないイルミネーション見物は、歩きながら恨めしく思えていた。
 夜の片瀬の海をまたぎ長く架かる橋をようやく渡り切り、江ノ島へ着いた。江ノ島は、観光の島である。特にこの時期の江ノ島は、イルミネーション見物を当て込む観光の島になりきっていた。商魂とは恐ろしいもので、エスカレータを四度も乗り換えてのぼるほどの島は、人の手すなわち人工のイルミネーションで張りめぐらされていた。これこそ、正真正銘の「夢の島」の輝きだった。
 展望台へのぼるには、整理に汗だくの係員から「60分」待ちと、告げられた。それでも娘たちは、怯(ひる)むことなく行列の最後尾に並んだ。仕方なくわが夫婦も並んだ。最後尾はすぐに後続人達に譲った。結果良し。
 まるで、牛に引かれた善光寺参りさながらの江ノ島・イルミネーション見物だった。もちろん、イルミネーションの輝きに堪能した。しかし私はそれを超えて、島全体をイルミネーションで覆った人間技に驚嘆していたのである。
 江ノ島のイルミネーション見物を終えると、帰途に就いた。島の平地へ下りると、思いがけなく娘の連れ合いがマイカーを停めていた。それに乗車し、途中ファミレスで夕食を摂った。わが家へ送り届けてもらったときは十時近く、娘たちが横須賀市内のわが家へたどりついたのは、十一時頃だったであろう。
 私は旅の疲れでぐっすり眠った。目覚めて、こんな書き殴り文を書いたのである。推敲する時間もない。またもや、かたじけない。

 木枯らし

 十二月十六日(日曜日)、冬本来の寒さへ戻っている。それまで、暖かい冬に身を置いていたぶん、余計寒さが身に沁みている。昼間の場合、冬の寒さを増幅させる自然界現象は、冷たい木枯らしである。今さら学習することもないけれど、木枯らしとは風である。電子辞書を開いてみる。「こがらし(木枯らし・凩」:(木を吹き枯らす意)。「秋から初冬にかけて吹く、強く冷たい風」。
 木を吹き枯らすほどに冷たい風であれば、わが身が震えるのはあたりまえである。このことは気象庁から受け売りですでに書いたけれど、「木枯らし一号」の吹く時季にあって、東京には吹かなかったという。まさしく、この秋から初冬にかけての稀に見る自然界の異常気象である。このことが本格的な冬の季節になっても、暖かい冬をもたらしていたのであろう。
 ところがこのところの鎌倉地方は、後れてやって来た木枯らし一号現象に見舞われて、冷たい風に吹き晒されている。このところのほぼ一週間にかぎれば、冬特有の寒い北風が吹き荒れている。そのため、暖かい冬を貪(むさぼ)り落ち遅れていた山の枯葉は、この一週間で一気に後れを取り戻している。落ち葉の遅さにたいし、前半は気分を良くし、後半は気を揉んでいた。あえて、気分の良し悪しの理由を記すとこうである。実際、前半は道路上に落ち葉が少ないことで気分を良くし、そして後半はそれが気を揉む誘因になっていた。
 例年、落ち葉の打ち止めはほぼ大晦日である。すなわち、わが早朝の道路の掃除を強いられるのは、おおむね大晦日まである。しかし、落ち葉が後れていたから、年明けまでの懸念となっていた。ところがその懸念は、一掃されたのである。懸念を除いたのは、後れてやってきた木枯らしである。
 きのう(十二月十五日・土曜日)の昼間、私は卓球クラブの練習に出かけた。その往復のわが身は、木枯らしに晒されていた。身に沁みる寒さだった。一方で私は、寒さを我慢した。なぜなら、吹きすさぶ木枯しは、落ち葉の打ち止めを例年どおりに大晦日と、予感づけたのである。木枯らしは、年を越えてなお先へ延びそうに思えていた早朝の道路の掃除を、例年どおりに大晦日までで打ち止めにしそうである。今や、予感は確信になりつつある。木枯らし吹きすさぶなかで私は、「塞翁が馬」の故事を浮かべていた。また、電子辞書を開いてみる。
 【塞翁が馬】(淮南子・人間訓)。「塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命長らえたという故事。人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ」。
 妙なことを浮かべたものである。もっと、適切な故事成句があるはずなのに、私にはそれらが浮かぶ能力はない。木枯らしが身に沁みた。

夜長のお茶濁し文 

 十二月十五日(土曜日)、年の瀬も半ばを迎えている。さしたる用事もなく今年が日々暮れていく。もちろん、用事があっては困る。なぜなら、もはや良い用事があることはなく、ふるさと電話に日々恐々とするばかりである。
 ふるさとの長兄は先月(十一月二十七日)、九十二歳の誕生日を迎えている。東京都下国分寺市に住む次兄は八十七歳である。父親代わりの二人の兄のことばかりでなく、わが年齢とて七十八歳である。加えて、妻をはじめ身内の多くはこの周辺の年齢である。このため、この頃の私は、つくづく「便りがないのは良い便り」という、人生訓を実感している。だから、野暮用にかぎらず用事がないのは、幸運と言うべきであろう。一方でこの幸運には、ひしひしと消費期限が迫っている。そのため私は、表向きの用事はないけれど、内心では始終あわただしく、びくびくしながら暮らしている。書くテーマもなく、ふと胸中に浮かんだことを臆面もなく吐露してしまった。まことに恥じ入ることだけれど、現在の素直なわが心境の吐露である。
 わが日常生活にあって、唯一用事と言えるものには、大船(鎌倉市)の街への買い出しがある。買い出しには戦時中の買い出し姿さながらに、幅広の背中さえ隠れるほどの大きなリュックを背負っている。それなのに帰宅時は、なおレジ袋に詰めた買い物の両手提げ姿である。(なんで、いつもこんなに買い物があるのだろう?)と、苦々しく自問する。そのうえこの自問には、(夫婦二人だけの生活なのに…)という、思いが重なっている。すると、自問にたいする自答は、わが夫婦が果物好きだからだろうと、落ちが着く。なぜなら、果物は嵩張るだけではなく重たくて、大きなリュックの大半を埋め尽くすことになる。
 初秋から中秋にかけては栗三昧だった。実際のところは栗団子三昧だった。栗の季節が終わると、こんどは出回り始めた柿と蜜柑に買いの手が伸びた。柿は次郎柿から富有柿三昧だった。このところの掲示板には、『流星群』の文章を発端にして、「禅寺丸柿物語」が話題となっている。日本人であれば柿は、おおむね万民が好む果物である。そのため柿の話題は、尾ひれをつけて楽しく人様の口の端へ渡ってゆく。その柿も現在は、生柿の最後に出回る富有柿の姿は細り、売り場は干し柿(吊るし柿)へと移行している。
 柿は、甘柿と渋柿に大別される。そして干し柿は、渋柿に手を焼いた人間の知恵なのであろう。おのずからこの先のわが買い物の手は、干し柿へと様変わってゆく。次郎柿や富有柿、すなわち生柿が売り場から影を潜め始めると、買いの手はもっぱら蜜柑一辺倒になる。蜜柑は温州ミカンを皮切りに、さまざまに形(品種)を変えて、柑橘類として春先までわが買いの手が引っ込むことはない。これらに加えてわが夫婦は、同時並行に嵩張るバナナ、重たい林檎も大好物である。結局、嘆くにはあたらないわが買い物の頻度と買い出し姿は、自業自得というより、わが納得ずく行為である。
 休めばよかったのかもしれない。ネタ不足で、書くまでもないことを書いて結文とする。かたじけない。夜長も残り一週間である。

 世相の話題から

 十二月十四日(金曜日)、年の瀬も半ばを過ぎて河口の大晦日へと向かっている。往生をきわめていた落ち葉は、ようやく細りかけている。これは、わが身にたまわる唯一の年の瀬の恵みである。
 こんなおり、胸中にはメディアの伝えるこのところの日本社会の話題が浮かんでいる。だから、日本社会の様変わりぶりを示す証しとして、是非の論評なしに記し置くものである。いや、少しばかりは当てずっぽうに、わが下種の勘繰りを添えるものである。
 この時期、明けても暮れても落ち葉に難渋する道路の掃除のことを書いてきた。それゆえ、柄になくたまには世相のこともいいかなと、思う。いや、日本国民であれば本当のところは、しょっちゅう日本社会の出来事を俯瞰し、その是非を書くべきであろう。しかしながら私には、そんな能力は芥子粒ほどにもない。
 一つは東京医科大の入試不正を発端として、芋づる式にかつ鬼の首を取ったかのように、相次いで伝えられてくる私立大学医学部の入試にからむ不正報道である。確かに、合否段階における受験者差別は、大小にかかわらず言語道断である。そのため、正義の剣(つるぎ)をひけらかすメディアには、格好の叩き潰すべき反社会的行為なのであろう。しかし、私にすれば今さらという観がある。なぜなら、私立大学ゆえに過去から内々には行われていたことであろう。そして日本社会は、知って知らんぷりを装っていたことにすぎないことでもあろう。確かに、このたびの入試不正は単なるコネ入学ではなく、正規の規則を意図的に曲げての差別入試である。もちろん、このことではとことん糾弾されるべきことである。しかしながらこの頃の報道には、親の母校だからその子どもを優遇したとかまで、記事にさらされている。言うなれば、事の大小を問わずいっしょくたにの報道へと成り下がっている。すなわち、私立大学であれば医学部にかぎらずコネにかかわる不正入学は、これまでも見て見ぬふりを決め込んでいたところがあった。これまでであれば半面、嘆かわしくも社会的常識としてまかり通っていたことでもある。このことではこれらの報道も、これまでの日本社会の悪の常識の浄化の一端くらいはあるのかもしれない。
 また、このところの国政から盛んに報じられているニュースには、教師と医師の働き方、より具体的には働く時間のことがある。かつての教師と医師は聖職者として君臨し、日本国民に気高く崇(あが)められてきた。それゆえに日本国民は、これらの職業に就く人たちの働き方、実際には働く時間には意を留めずきた。しかしながらもはや、働く時間の長さとそれゆえの過酷な労働実態は、聖職者の領域を超えているのであろう。結局、国政の議論は、聖職者が一様に労働者へと様変わる証しの鬩(せめ)ぎ合いの過程であろう。
 私には、前者すなわち私立大学医学部、そして後者すなわち教師と医師の働き方、いずれにも論評し得る能力はない。ただ、腑に落ちない思いはたずさえている。
 夜が薄く明けて、落ち葉を掃く時間の到来である。 

「流星群 第40号」は、20年「記念号」 

 きのう(十二月十二日・水曜日)の掲示板は、「流星群」(現代文藝社発行・主宰大沢さま)や、投稿文そして私信メールを仲立ちにして大賑わいだった。こんな大賑わいは、もちろん愉快でわが好むところである。同時に私は、あらためて文字や文章の威力を痛切に悟った。言葉では、文章ほどにはいかない。なぜなら、言葉では物理的にも不可能である。さらに、言葉には言い放しのところがあり、しだいに曖昧になり、やがては忘れ去られていく。
 ところが、一旦文章になれば繰り返しの必要はなく、一目瞭然に記録としてとどまることとなる。そののちは時を限らず、よくもわるくもさまざまなことに波及することとなる。これこそ、文章の恐ろしさであり、反面素晴らしさである。
 幸運にもきのうの場合は、流星群に書かれていた文章にちなんで、人それぞれに思いがけない素敵な記憶がよみがえっていた。言うなれば流星群がさずけた、和んだ人のつながりだった。
 このたびの「流星群、第40号」は、二十年の足跡を残す「記念号」である。この間、一度さえ欠けることなく編まれ続けてこられた大沢さまのご奮闘に報いる、半面発行者冥利に尽きるとも言える大賑わいぶりだった。期せずして、記念号を飾ったかのような大賑わいぶりだったのである。それは同時に、長く流星群にあずかり続けてきた私にも、とんでもない僥倖をもたらした大賑わいぶりだったのである。
 これにかかわった竹馬の友・ふうちゃんと、高校同級生・古閑さん、そして大沢さまのとりもつ御縁にあらためて敬意を表するものである。

「流星群」がとりもつ僥倖 

 12月12日(水曜日)、窓の外はいまだに真っ暗闇である。そして、このところの寒波を逆なででもするかのように、氷雨が降っている。そのせいであろうか? 郵便受けを覗いてもいまだ朝刊の投函なく、配達が遅れているようである。一瞬、(氷雨では、それもそうだろう…)と、配達人に同情を寄せた。現在の時間帯は、夜長にあって三時近くである。
 きょうは自作文にあらずして、突然遭遇した「ひぐらしの記」書き手冥利に尽きる、お二人様のご投稿文を並べて記し置くものである。もちろん、お二人様には事前のお許しを得ていないわが身勝手である。しかしながら私とすれば、記して置きたい僥倖である。そのため、この文章の表題には、お二人様のご投稿文にたいするわが思いを込めて、ずばり「『流星群』がとりもつ僥倖」と、付けた。
 【手紙】:ご投稿者:ふうたろうさん(ふうちゃん) ご投稿日:2018年12月11日・火曜日15時50分13秒。大沢さんから、送って頂いた、流星群(40号)を相良(あいら、ふるさとの集落)に住んでいる従姉に送りましたところ、次のような手紙が届きました。----------------前半略-------------前田さんや、あなたの執筆、大変楽しくなつかしく読みました。前田さんの義姉さんは、主馬おじさんの嫁さんの姪で、相良にある畑が、私の畑の側で、若い時から、畑仕事に行ったときに、会っておりました。そして、時間の経つのも忘れて、話し込んでいました。ミカンの缶詰工場でも、一緒だったし、知らない人から、「姉妹だろう」と、言われたこともありました。-------後半略-----------従姉は、本家筋の末娘で、ボクとは、6~7歳年齢差があります。ボクは、ブラジル(ご結婚ののちご夫妻で移住されていた)の主馬叔父とは、2回、会っただけで、叔母さんは、「相良から嫁に来た人」だということくらいしか知りませんでした。静良君の義姉さんが、叔母さんの姪とは知りませんでした。流星群のおかげで知らずにいた親族の知識を知ることができました。
 【嬉しい投稿】 ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年12月11日・火曜日16時48分42秒。ふうたろうさん、いつもながら感激しております。「流星群」がきっかけで、家系のことまで知ることになる なんて、心温まる出来事ですね。ふうたろうさんの従姉様は、前田さんの義姉さんと姉妹のように仲良しだったのですね。そして、ふうたろうさんの叔父さんのお嫁さんの姪ごさんが前田さんのお義姉さんだったということですね。よくよく考えてやっと理解できました。早い話が、前田さんとふうたろうさんは、遠い遠い親戚ということになりますね。どうりで仲が良いはずです。
 【わが追記】義姉とは、わがふるさとの守り本尊・長兄の今は亡き奥方・フクミ義姉さんである。確かに、フクミ義姉さんの叔母さんは、ふうちゃんの伯父さんのお嫁さん・奥様である。ふうちゃんは知らないと思うからあえて記すと、フクミ義姉さんはわが亡き父の甥がもうけた長女である。そしてフクミ義姉さんは、わが父の長兄すなわちふるさとの兄のお嫁さん・奥方へと嫁がれたのである。このことではふるさとの長兄とフクミ義姉さんは、もともとの縁戚だったのである。「流星群」と「ひぐらしの記」のとりもつ縁にちなんで、人生の縁(よすが)を追記したのである。かたじけない。氷雨はまだ止まないだろうか。

寒がり屋の、泣きべそ 

 暖かい冬をのほほんと貪(むさぼ)っていたため、突如訪れている本来の寒い冬の寒さに困惑している。そのため、きのう(十二月十日・月曜日)にはこの先の寒さ対策をめぐらした。一つは、現行夜間に書いている習わしを昼間へ移行することである。一つは、ノートパソコンの便宜性にさずかり、エアコン装置のある一階の茶の間に持ち込んで書くことである。確かに、この二つは喫緊の寒さ対策と言える。ところがこの二つには、明らかに一長一短がある。そのため、これまでどおりエアコン装置の無い二階の部屋で夜間、寒さに耐えて書くかである。残された決断は、寒波の時季は書くのを止めるかである。しかし、寒波はこの冬にかぎらず、毎年こんな思いをたずさえてすでに十年、夜間に書き続けてきた。あらためてそのことを浮かべれば、現行の寒さに震えながらも夜間に書くのがいちばん良かったのであろう。確かに、寒さに負けて止めてしまうことはなさけなく、まずこの考えは放逐(ほうちく)しなければならない。
 昼間の自由時間はたっぷりとあるゆえ、昼間への移行は理に適(かな)っている。ところが、これにも弱点がある。それは買い物や細々した所要のため、気分が漫(そぞ)ろになることである。夜間における茶の間へのノートパソコンの持ち込みにもまた、気乗りしないところがある。この方策の最大の弱点は、テーブルにノートパソコンを置いて書くため、姿勢が悪く肩が凝(こ)ることである。つまり、どの方策も決め手なしである。だからと言って春を待つには長すぎて、どれかに決めなければならない。
 このためきょう(十二月十一日・火曜日)は、現在夜間に茶の間にノートパソコンを持ち込んで、温かくのんびりとキーの試し打ちをしている。確かに、これには温かいという一長の利便がある。ところが案の定、目の前のソファに妻が座し、テレビを観ている。そのため、懸念していたことだが気分を殺がれている。すなわち、この方策の明らかな一短である。結局、浮かんだ方策はいずれも万全とは言えず、もちろん定着は叶いそうにない。その挙句、元の木阿弥になりそうである。
 バカじゃなかろか、「春よ、こいこい、早くこい!」である。

寒気、到来 

 十二月十日(月曜日)、寒い冬二日目である。現在の時間帯は、真夜中の二時近くである。エアコンの無い部屋のわが身は冷えて、寒さを嘆いている。寒さに震える二階のわが身は、貧乏暮らしである。階下の茶の間にはエアコンがある。そのため、ノートパソコンの便利性をかんがみて、茶の間への持ち込みをめぐらしてみた。しかし、断念した。なぜなら、茶の間にはテレビがある。ときには妻ネズミがこそこそ動くため、気が散って書けないからである。書き殴りや走り書きにすぎないけれど、私の場合は、気が散ったら文章は書けない。能力ある人は、周囲がどんなに喧騒であってもスラスラと書ける。実際にも、新幹線や電車の座席に座りながら書く人はざらにいる。
 このことでは遠い昔の光景がよみがえる。それは勤務時代にあって、大阪支店に単身赴任していたおりの光景である。なお具体的には電車の通路を挟んで、相向かいの座席に座っていた人のおりなす光景である。中年から高年くらいと見受けした女性は、膝がしらへ俯いて寸刻の切れ目なく文章をつづられていた。まさに、工場の流れ作業を見ているような指さばきだった。私はあっけにとられ驚嘆し、ずっと見入っていた。この間、たぶん名の知れた作家であろうと思っていた。そして、名を知らず下車したのを悔やんだ。この光景の結論は、世の中には凄い人がいるものだ! と、いうものだった。他郷における単身赴任で、今なおほのぼのとよみがえる驚異の光景である。文章を書くのを得手にする人は、どんな環境でもスラスラと書ける証しであった。私の場合は望むべくもなく、望んでも叶えられるものでもない。だから、できれば寒さくらいには負けず書きたいところである。ところがそれさえできず、こんな愚痴こぼしをしている。
 朝の散歩めぐりの人たちとの挨拶は、きのうあたりから変わり始めた。具体的にはたがいに、「寒くなりましたね」、と変わった。この冬は、これまで暖冬で過ぎてきた。もちろん、寒さに極端に弱い私の場合は、暖冬に恵まれてきた。このこともあってか、きのうあたりからの寒さは、余計身に沁みている。しかし、冬本来からすればこれくらいの寒さは、いまだ暖冬の範疇であろう。それにさえ弱音を吐くようでは、この先の本格的な寒さが案じられるところである。
 こんな実の無い文章を書くよりは、さっさと茶の間へ逃げ込もう。そして、この先の寒さ対策に、しばし思案をめぐらすこととする。やはり、寒さに震えて書くまでもなかったのかもしれない。

国家予算における懸念 

 12月9日(日曜日)、これまでのほほんとしておれた暖かい冬は、一転寒さ厳しい夜明け前に様変わっている。ほぼいつもの時間帯に寝床から起き出してきた私は、思いがけない寒さに遭遇し身震いしている。こんなに寒くては起き出さず、寝床の中に夜明け近くまで潜っておるべきだった。だから、メディアが伝える配信ニュースの中で、懸念する項目の一つを引用し、布団の中へとんぼ返りを決め込んでいる。
 【防衛費総額、5年で27兆円へ】(12/8・土曜日20:19配信 共同通信)。「政府は、今後の主要装備品を含む経費総額が示される次期中期防衛力整備計画(中期防)を巡って、2019年度から5年間の防衛予算総額を27兆円台とする方向で調整に入った。中期防単位では現行(14~18年度)の約24兆7千億円から2兆円超の大幅増となる。政府関係者が8日、明らかにした。今後、政府は地上配備型迎撃システム『イージス・アショア』など米国からの高額装備導入を進める。防衛予算拡大への懸念が強まりそうだ。防衛費増の背景は、トランプ米政権による高額装備品の購入圧力があるとみられる。」
 この記事を読んで、背筋がいっそう冷えてきた。次の起き出しは、道路の掃除へ向かう夜明けの頃(6時半)になる。

変遷する日本の国 

 私の場合、パソコンを起ち上げると先ずは、メディアの報じる配信ニュース項目を読み尽くす習わしがある。配信ニュースには、国内外を通して日々起きているさまざまな出来事が報じられている。そのため、手っ取り早くメディア、すなわち新聞、テレビ、雑誌等の伝える項目一覧表にありつける。おのずから項目には種々雑多ある。それらの中で、特別関心のあるものにかぎり記事を読む。そして、自己判定で記録に残すべきものは、「ひぐらしの記」への引用を試みる。
 確かに、この行為にはかなりのうしろめたい気分がともなっている。しかしながらそれでも、ひぐらしの記の名にちなんで許されるだろうと、これまた自己判定で続けている。なぜなら、わが身は日々変遷する社会の中にある。
 すると、きょう(12月8日・金曜日)は、この配信ニュースの引用を試みている。もちろんこの配信ニュースは、この先の日本社会に大きな変容をもたらすと、予測されるからである。
 【「外国人材拡大」法、8日未明にも成立へ】(2018年12月08日00時42分 読売新聞)。「臨時国会最大の焦点だった出入国管理・難民認定法(入管難民法)改正案は、8日未明にも参院本会議で与党などの賛成多数により可決、成立する。外国人労働者の受け入れ拡大に大きくかじを切ることになる。2019年4月1日の施行予定で、政府は19年度から5年間に14業種で最大34万5150人の受け入れを見込む。参院法務委員会で8日午前0時半前、同法改正案が与党などの賛成により可決された。与党は、引き続き参院本会議での採決に臨む。同法改正案は、新たな在留資格『特定技能』の創設が柱だ。従来は医師や弁護士ら『高度な専門人材』に限定してきた就労目的の在留資格が、単純労働分野に広がる。熟練技能者として認定する『特定技能2号』については、様子見の業界が多く、制度開始から当面は事実上の凍結となる見通しだ。」
 もはや、日本の国の変容は、身近なところで待ったなしである。

夜明け前の想念 

 時々でなく、しょっちゅう生前の父と母の姿を浮かべては偲んでいる。もちろん、懐かしさにもよるけれど、畏敬の念がよみがえるからである。二人には比較にならない対象がある。それは私である。私自身、二人とのあまりの違いに驚愕し、常に畏敬の念をつのらせている。違いをひと言で言えば父と母に比べて、わが身のまったくの甲斐性無しである。父は病に斃(たお)れた先妻(異母)に6人、そして後継の妻(母)に8人、つごう14人もの子どもをもうけている。もちろん、このことが偉かったわけではない。いや、異母や母そして子どもたちにすれば、罪作りだったと言えなくもない。しかしながら父は、三段百姓に精米業を兼ねて家計を成したのである。だから、父の働きぶりはわが想像をはるかに超えて、実際には母と兄や姉から聞く伝説である。私の場合は、たったひとりの子ども(娘)にすぎないのに常に手こずり続けてきた。このことだけでも、父と私の器の違いの大きな証しである。
 そして、次のことこそ父にたいし、わがいだく畏敬の念の本源である。それは、異母はもとより母、そしてその子どもたちのだれもが不平不満なく、父を慕い続けていたことである。私は父の五十六歳時の十三番目の子どもである。しんがりの弟は、幼児(十一か月)のおりに、水車の回る水路に落ちて亡くなった。そのとき、庭先で這い這いする弟を見守っていたのは、四歳半の頃の私である。わが一生において、まったく癒えない痛恨事である。亡き弟は、父の六十歳時(還暦)の誕生になる。こんなことはどうでもいい。しかし、弟が生存していれば、わが一生は罪を負うことはなかった。そして、弟と共にわが人生は、もっと楽しめていたであろう。
 異母が産んだ兄や姉は、みな私に優しかった。いや,異母と母が産んだ子どもたち、すなわちきょうだいみんなが仲良く優しかった。私はきょうだい同士の諍(いさか)いを目にしたことや、耳にしたことなどなかった。もちろん、父にたいする母の恨みつらみも、たったの一度さえ耳にしたことはなかった。これらのことからだけでも、わが父にたいする畏敬の念はつのるばかりである。母にたいする畏敬の念は、日夜を問わず働き尽くめの母の姿を見ていたからである。
 わが子どもの頃に見ていた父と母の姿を浮かべて、わが現在の日常は、心豊かにめぐっている。もちろんそのぶん、わが甲斐性無しが身に沁みている。十二月七日(金曜日)、きょうは飛んだことを書いてしまった。しかし、わが気分は和んでいる。夜が明けたけれど道路は、きのうの雨でいまだに濡れたままである。

愚痴をこぼしながら、懲りず走り書き 

 十二月六日(木曜日)、時間的にはいまだ夜明け前である四時過ぎである。夜長の恩恵にさずかりのんびりとキーを叩き始めている。しかし、まもなく焦燥感をおぼえてくることになる。落ち葉の季節になるにしたがって、私にはすっかり夜明けまもない道路の掃除が定着している。私にとってこの習わしは、自業自得というべきか、きわめて難儀なものである。なぜなら、文章の書き終りの時刻をみずから決めてしまっているからである。おのずから文章は、夜明けが近づくにつれてあわてふためくこととなる。その挙句には、いっそう走り書きを強いられてくる。わが普段の文章は、キーボードに就くやいなやの書き殴りであり走り書きである。そして、ようやく書き終えればホッとするだけの継続文にすぎない。わが文章は身が縮むほどの推敲を重ねてこそ、いくらか文章の形を成すところがある。このことはもちろん知りすぎている。いや、知りすぎているからこそ、書き殴りや走り書きを強く悔いている。
 実際のところ人様の文章を読むと、それぞれに(うまいなあー)と感嘆し、羨望(せんぼう)にとりつかれて、ひとしきりわが文章の拙(まず)さを恥じ入ることとなる。そうであればたっぷりと時間を取って、推敲を重ねればいいではないかと、自問を試みる。ところがその答えは、いつも煮え切らない言い訳ばかりが浮かんで、常にそして長くこんな愚痴をこぼし続けてきた。
 かつての「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)に入会していた頃の私は、丹念に推敲を重ねた文章を書いていた。だからと言って、胸の透く文章が書けていたわけではないけれど、それはわが無能力のせいで、こんな愚痴こぼしはせずにすんでいた。結局、こんな愚痴こぼしをしているのは、推敲を重ねればもっといい文章が書けるだろうという、わが錯覚に起因しているにすぎない。一方では書き殴りや走り書きのせいで、日々の継続にありついていることでもある。かつてのように身構えたり、推敲を重ねていたら、もちろん継続はあり得ない。このことでは、はからずも書き殴りや走り書きの恩恵にさずかっていることではある。
 きのうの気象予報士は、きょうあたりから気温が下がり、いくらか寒くなると、伝えていた。しかし、現在の時間帯にあっては、確かにちょっぴり寒くなっているだけで、なお暖かい冬が続いている。この暖かさはどこで途切れるのか、このところのわが大きな関心事である。異常気象と言われようと、寒がり屋の私にすれば、もちろん暖かい冬に越したことはない。
 きのうの夜明けの頃は、強風が吹いていた。おそらく、夜来の強風だったのであろう。難聴の私は、夜間の風は台風やひどい嵐でもないかぎり、雨戸や窓ガラスから知ることはできない。いまだに薄暗い中(六時二十分頃)にあって私は、物置から掃除三点セット、すなわち箒、半透明の袋、塵取りをたずさえて、所定の道路へ向かった。すると驚くなかれ! 強風のせいで夥(おびただ)しい落ち葉の光景を目にしたのである。同時に、こんなに強い風では、(きょうは掃けないなー、掃くのは諦めるか!)と、いくらかの怠け心が沸いた。一方では、(やはり、掃こう!)と、決意した。
 薄明りには所定のところに立つ、一基の外灯の明かりが加勢していた。掃くことを決めて私は、一つの願いを込めて一旦茶の間へ戻った。茶の間には、妻がテレビに見入っていた。
「今朝は風がとても強いよ。だから、掃くのをやめようと思ったけれど、やはり、掃くよ。すごい、落ち葉の量だよ。おまえは掃かなくてもいいけど、どれくらいの落ち葉の量かくらいの見てほしいよ」
「風が強いなら、掃かなくていいじゃないの。わたし、落ち葉の光景、秋らしくて好きよ」
「バカ言うなよ。すごい量だよ。道路、とても汚らしいよ。だからおれは、毎朝掃いているんじゃないか。今朝は、見にきてよ」
「わたし、見なくても、知ってるわよ。テレビ、観てるのよ。今、行くわよ。手伝いましょうか」
「手伝わなくてもいいから、掃く前に、見てほしいよ」
 私はこう言い放って、道路へ向かい掃除を始めた。風は強いだけではなく、わが身を前から後ろから巻いてくる。掃除には手を焼く強風だった。強風の中、戸惑いながら掃き続けていた。後れて、妻が箒を持ってやって来た。得たりやおうとばかりに私は、
「ありがとう。手伝いに来たの? だけど、おまえは掃かなくていいから、おれが入れるから袋を開けていてくれればいいよ。風の強い日は、それだけで大助かりだよ」
 と、言った。
 それでも妻は、掃いて手伝い続けた。二人して、必死に風と闘った。ようやく掃き終えたときには、半透明の袋を何度か詰め込み押しまくっても、二袋にもなっていた。きのうは、落ち葉などの週一回の回収日であった。私は溜め込んでいたものと合わせて、四袋をゴミ分別の置き場に置いた。
 妻と二人して引き上げる間際には、掃いたばかりの道路は、二人の努力の跡をすべて帳消しにしていた。悔しかった。書き殴りと走り書きの見本のせいで、余裕を残して今朝の掃除に間に合った。前面の窓ガラスの外は、いまだに外灯の明かりの届かない真っ暗闇である。もちろん今朝は、妻の手伝いをおねだりするつもりはない。あれ! 窓を開けたら、雨が降っている。

 暖かい冬

 ありがたいことに、わがふるさと(熊本県山鹿市菊鹿町)にご在住の平洋子様から、掲示板上にご投稿文が寄せられた。長くご無沙汰していて、安否を気に懸けていたことでもあり、お元気なご様子が窺えてうれしいお便りだった。そして、現在の私は、事前のお許しを得ないままに、ご投稿文の中の一部の文章の借用を試みている。事後のご承諾で、わが勝手をお許し願うところである。借用の意図は、この季節すなわち冬の飛んでもない暖かさを見事に表現されているからである。なかんずく、私にはこの時季のふるさとの暖かさを知り得た、まさしくリアルタイムのふるさと情報だったのである。
 「暖かい12月を迎えました。ブロッコリーの葉の上で食事中の青虫を捕獲するのが日課ですし、霜が降らないので、雑草が生えまくっています。例年は葉が落ちてしまっている木々がまだ葉を付けているので、景色がいつもの年とはずいぶん違って見えます。今朝、チューリップの球根を植えました。マリーゴールドがなかなか枯れてくれなかったので、場所が空きませんでした。園芸店では時期が過ぎているということで、安く買えました。ちゃんといつもの季節に咲いてくれるのか気になります。」
 このご投稿文は、12月2日に書かれている。そしてご投稿文に、二日遅れのメデイアの配信ニュースを重ねてみる。
 【暑すぎる12月の夏日、気象庁「暖冬傾向続く」】(2018年12月04日 23時03分 読売新聞)。「日本列島の南から暖気が流れ込んだ影響で、全国各地は4日、季節はずれの暖かさとなった。43都道府県337地点で12月の過去最高気温を更新し、東京や福岡、徳島など66地点で25度以上の夏日になった。気象庁によると、4日の最高気温は各地で、平年より10度前後上昇。沖縄県宮古島市29・8度、福岡市26・4度、大阪府八尾市で26・1度を観測するなど、各地で汗ばむ陽気となった。東京都練馬区でも25・0度を観測し、関東の島部以外では14年ぶりとなる12月の夏日となった。平年を10~15度上回る暖気が、九州から北海道の上空1500メートル付近を広く覆ったことが気温上昇の要因で、気象庁は『暖冬傾向は来春まで続くだろう』としている。一方、今週末から来週にかけては一時的に冬型の気圧配置となり、全国的に冷え込む見通しという。」
 現在の時間帯は、12月5日(水曜日)の真夜中(1時頃)である。ところが、冬防寒重装備に包(くる)むわが体は、暑苦しさでむせ返るほどである。だからと言って私は、暑苦しさを毛嫌いしているわけではない。いや、寒さに極端に弱い私は、異変の暖かさを伝える引用文を併記し、悦に入っているところである。うれしさのあまり、この文章の表題には「暖かい冬」と、付けよう。
 確かに、この時季にあって暖かい冬とは、なんと響きの良い語呂であろうか。願ったり叶ったり、一度くらいは付けてみたくなっていた表題である。ところが一方、なさけないことにはこんなに暖かい冬に恵まれていても、私は鼻炎症状によるムズムズ感の鬱陶しさを長く引きずり続けている。この先の冬の厳しさを思えば、異変とはいえこれまでの暖かさは、飛びっきりの天恵と言えそうである。
 洋子様の文章からあらためて知り得たものには、確かにわが家周辺の秋の装いの長居がある。このため、暖かい冬にあって現在危ぶんでいるのは、落ち葉の季節の年越しである。欲深い私は、暖かい冬に恵まれている一方で、例年どおり大晦日くらいまでで、道路の掃除の打ち上げを願っている。
 夜長の迷想
 日を置かず、喪中はがきが投函されてくる。喪中はがきは、今や年末のつらい風物詩である。秋の夜長を走りに、「冬至」(十二月二十二日)へ向かっている夜長は、最終コーナーを回ってゴールラインが近づいている。現在の私は、十二月四日(火曜日)の長い夜の三時近くに、キーボードを叩き始めている。目覚めて起き出してきたのはなお早く、そのためメディアの伝える大方の配信ニュースは、すでに読み尽くしている。それでも、まだたっぷりと時間がある。すると、胸中にはさまざまに雑多のことが出没する。
 それらの中で、浮かんでいる一つを記すとそれは、公金の使われた方にたいする虚しさである。かねがね私は、公金の使い方には腑に落ちない思いをつのらせている。ここで言う公金とは、ごく狭義に自分が収めたNHK受信料や各種税金である。そして、その使われ方にたいする虚しさである。虚しさをおぼえるものは使途隠しあるいは使途不明、いや、あからさまな当事者の飲み食いや交際費に消える公金の使い方である。次に頭にくるのは、受益(者)が偏(かたよ)る公金の使い方である。頭の良い人だけが得する返済不要の給付型の奨学金とて、必ずしも納得できるものではない。しかしながら、自分自身は受益しない公金の使われ方は無限大にある。だから、それに一々腹を立てていれば身がもたなくなる。公金は、収めてしまえば使用は当事者まかせで手出し無用である。わかっちゃいるけど、虚しい現実である。
 買い物であれば衝動買いや安物買いの銭失いであっても、自己責任として泣いて納得せざるを得ない。一方、公金の使い方では泣くことはないけれど、やるせなさと腑に落ちないところがある。こんなわがお里の知れるようなことを浮かべて、臆面もなく書いたのは、次の配信ニュースに出合ったからである。
 【東京23区から地方移住し起業、300万円補助】(12/3月曜日17:36配信 読売新聞)。「政府は来年度、東京23区から地方に移住して起業した人と中小企業に就職した人を対象に、転居費用などとして最大300万円を補助する制度を始める。Uターン就職などを後押しすることで、地方の人手不足の解消を促す狙いがある。2018年版の地方創生総合戦略を年末に改定し、盛り込む方向だ。対象となるのは、東京23区に住むか通勤する人で、東京圏(東京都と神奈川、埼玉、千葉の3県)以外の地域や、東京圏内の離島や過疎地に移住する人だ。23区に5年以上住んでいることなどの条件も加える方針だ。補助金の額は移住先や家族の有無などによって異なる。会社を設立するなど、起業すれば最大300万円、地方自治体が指定する中小企業に就職すれば最大100万円を支給する。財源は国と自治体で半額ずつ負担し、転居費や住宅費などに充ててもらう。政府の来年度予算案の概算要求段階で約85億円の関連経費を計上した。地方分は都道府県と市町村が負担し、割合は今後調整する。」
 能無し野郎の僻(ひが)みだと言われようと、なんだか腑に落ちない。まだ、たっぷりと時間がある。まだまだ、ガラクタの思いが浮かんできそうである。

年の瀬の喜怒哀楽 

 十二月三日(月曜日)、夜明け前にあって、寒さが身に堪えている。就寝時には悪夢に魘(うな)された。そのうえ、いまだに前月からの鼻炎症状を引きづっている。こんなことで、まったく気乗りのしない現在のわが身である。
 確かにこんなときは、わが身のためにもご常連の読者の方たちのためにも、寝床の中へとんぼ返りをすべきであろう。なぜなら、継続の途絶えを恐れて無理やり書いても、しどろもどろもの文章になることは、もとより火を見るより明らかである。言うなればやけのやんぱちで、あとさき考えずなけなしの財布をはたくようなものである。
 きのう(十二月二日・日曜日)の夜明けにあっては、表題の『マラソンランナー』を走り書きで終えると、真っ先に道路の掃除へ向かった。ところが、あたかもわが嘆きのマラソンランナーの文章を、読んでくださっていたかのような幸運に出遭った。このところ出会えていなかったマラソンランナーが、一声「おはようございます」とかけて、走り込んでこられたのである。私はびっくりした。そして、走り去られる背中に向かって、大声で「久しぶりですね!」と、言葉を投げかけた。すると、言葉に気づかれて立ち止まり、笑顔をたたえて振り返られた。一瞬、私は走りを止めてしまったことに戸惑った。その瞬間、右手の手の平をいっぱいに広げて、言葉では「先へ走ってください!」と言って、右腕を伸ばし手の平を前へ押した。おそらく、私の言葉は聞こえていなかったであろうか。キョトンとされていた。しかし、手の平の合図で、マラソンランナーは先方へ走り出された。私はホッとした。
 こののち掃除を終えると、急いで再びキーボードに就いた。そして、すでに投稿ボタンを押していた『マラソンランナー』に追加の文字を添えた。それは文字どおり、「追記:会えました」という、フレーズだった。くだんのマラソンランナーは、日曜日の朝にかぎり復帰されたのであろうか。人様の理由はともあれ、私には胸の透く愉快な出来事だったのである。
 一方、十二月に入り気分の滅入るものでは、郵便受けへの相次ぐ喪中はがきの投げ込みがある。この時期の喪中はがきは、今や日本社会における気分の滅入る「歳末風物詩」さながらになっている。喜びと憂さをのみ込んで日本社会は、この先の年の瀬を流れていく。ときには、きのうのような喜びに浸りたいものである。しかしながらそれは、憂さ多い日本社会にあっては、当たりくじの無い賭け事みたいなものでもある。
 月曜日の朝ゆえ、きのうのような幸運にはありつけないかもしれない。そうであっても落ち葉の季節にあっては、文章はさぼっても道路の掃除はさぼれない。まもなく、夜が明けてくる。私は夜明けの掃除に一縷(いちる)、わが憂鬱気分の気分直しを託している。追記:また会えました。

 マラソンランナー

 気象庁は、今年の東京には「木枯らし一号」が吹かなかったと言う。寒気の玄関口である木枯らし一号には、身震いをおぼえるところがある。それを免れたことは、幸運だったと言えるのだろうか。それとも、安穏(あんのん)とはしておれない、気象異変のシグナル(合図)なのであろうか。
 きょうは十二月二日(日曜日)で季節は、初冬から仲冬へ移り始めている。ところが、これまでのところ厳しい寒さが遠のいている。これは、素直にありがたいことである。もちろん、この先のことは知るよしないけれど、晩冬へ向かっても多くの暖かい日の訪れを願っている。
 確かに、木枯らし一号は吹かなかった。しかしきのうも昼間、結構風が吹いていた。向かい合って茶の間のソファに座りながら二人は、窓の外を眺めてこんな会話を交わした。
「パパ。あんなに落ち葉が舞っているわよ。パパ、たいへんね!」
「今頃、気づいたのか。毎日、舞っているよ。だから、おれは道路の掃除をしているじゃないか…」
「そうね。わたしも、手伝うわよ」
「そうだな、ありがたいね。だけど、いいよ。おれひとりでするよ」
「いいの?」
「うん、いいよ。手に負えないときには、『手伝ってくれ!』と、言うから…」
 こう言い切ったことには、私には落ち葉の季節もあと一か月という、思いがあったからである。
 例年のことだけれど落ち葉の季節は、ほぼ大晦日で打ち止めである。それ以降は落ち葉や道路の汚れぐあいを確かめて、日を空けて掃除をするだけの習わしになる。そうなると、私にすれば日々の大きな負担を免れることとなる。このため掃除の負担は、もはや消費(打ち止め)期限の近いところにある。そうであれば、今さら妻の手伝いを乞うより、自分ひとりでやり通したいという、思いもある。年寄りのやせ我慢と、言えるのかもしれない。
 このところの掃除のおりには、一つの異変が起きている。せっかく、マラソン(ジョギング)ランナーと、朝の挨拶を交わすようになっていたのに、このところはその人に出会えなくなっている。ところがこれは、たがいの時間帯のずれではなく、明らかにマラソンランナーの継続の途絶えのせいである。なぜならこのところの掃除には落ち葉の量が多いせいもあって、いまだに薄明かりの時分から夜がすっかり明けきるあたりまでかかっている。時間すれば、小一時間から一時間半強ほどかかっている。しかしこの間、耳を欹(そばだ)て、目を凝(こ)らしていても、まったくその人に出会えないままである。
 マラソンランナーとは、朝の出会いでは「鶏群の一鶴」さながらに、高齢者の中にただひとり際立つ若い女性ランナーである。だから、この貴重な人の姿が遠のいていることには、私にすればかえすがえす残念至極である。一方で私は、道路にたたずみながら継続の難しさを浮かべている。だからそれは、道路を掃き続けているわが小さな自惚(うぬぼ)れでもある。
 このところの私は、マラソンランナーの復帰を望んで道路へ向かっている。走りながらの明るく若いお声は、わが継続の便(よすが)になりつつあったのである。今や、惜しまれてならない朝の出来事である。日曜日の朝ゆえ、愉快な異変が起きることを念じて、道路の掃除へ向かうこととする。追記:会えました。

 平成三十年十二月一日

 今年の最終月、すなわち平成三十年(二〇一八年)十二月一日(土曜日)の夜明け前を迎えている。仰々しく書かずもがなのことを書いたのは、この日にちょっぴり感傷をおぼえているからである。平成の年号(元号)は来年(二〇一九年)の四月末日までであり、明けて五月初日からは新たな年号になるからである。すなわち、来年の十二月は、平成ではなく新たな年号で迎えることとなる。平成という年号がつくのは、あと半年もなく五か月を残すのみとなった。そうであれば穏便に、今上・平成天皇の退位がなされて、新年号をともなって新たな天皇の即位を望むところである。
 ところが、にわかに厄介なことが持ち上がっている。私にすればいっとき穏便に済ませればいいことに思えるけれど、それを許せない(気に食わない)人たちがいるのであろう。人間の個々の集合体、すなわち社会は常に厄介で、穏便とはいかない証しを見るようである。
 【大嘗祭「違憲」12月提訴へ】(11/30・金曜日19:07配信 共同通信)。「来年催される新天皇の『即位の礼』や皇位継承の重要儀式『大嘗祭(だいじょうさい)』は、憲法が定める政教分離の原則に反するとして、市民団体『即位・大嘗祭違憲訴訟の会』は30日、国に1人当たり1万円の損害賠償と、儀式に公金を支出しないよう求める訴訟を、12月10日に東京地裁に起こすと明らかにした。原告は、安倍晋三首相の靖国神社参拝違憲訴訟に関わってきた市民やキリスト教、仏教の宗教関係者ら約220人。即位の礼や大嘗祭は、神話に由来する神器が用いられたり、皇室神道形式で行われたりすることから、宗教性は明白だと主張。象徴天皇制にそぐわず、国民主権に反するとしている。」
 降って湧いた日本社会の難題として、配信ニュースの引用を試みたけれど、わが関心事はこの先のわが身の日暮らしである。

十一月最終日 

 十一月最終日(三十日・金曜日)の夜明け前を迎えている。寝起きの私は、三つのことを浮かべている。一つはきのうも書いたけれど、この月はずっと風邪症状につきまとわれたという、思いである。風邪症状はきょうで打ち止めを願っているけれど、実際には叶えられそうにない。なぜなら今も、鼻炎症状特有のムズムズ感にとりつかれて、憂鬱気分をこうむりキーを叩いている。風邪症状が治りきれないのは、もはや自然治癒力にすがるのは望めないほどに、わが身体の老化の証しであろうか。とどのつまり、あらためて私は「風邪は万病のもと」という、成句を浮かべている。
 風邪のひき通しが陰(いん)とすれば陽(よう)の気分は、これまたずっと大好物の柿と蜜柑を鱈腹食べ続けてきたことである。そして、幸いにもこちらもまたきょうで打ち止めにはならず、月をまたいで先へ続きそうなことである。柿は愛知県産の次郎柿から、しだいに岐阜県産の富有柿へ移りつつある。どちらも甲乙つけがたく、食べるたびに私は(なんでこんなに旨いのだろう)と、文字どおり舌鼓を打っている。蜜柑は、もっぱらふるさと・熊本県産である。なかでも、ふるさとの行政名・山鹿市に隣接する、「玉名蜜柑」(玉名市)である。私が買う玉名蜜柑には、三つのブランド名が存在する。一つは、ずばり「たまな蜜柑」と表示の物である。そして一つは、「草枕」と表示の物である。この命名は、夏目漱石の名作『草枕』にちなんでいるようである。なぜなら、この小説には玉名市周辺の情景が描かれている。そしてもう一つは、「夢未来」である。わが行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)の売り場で、他県産を含めて圧し最上位(最高値)に位置するものは草枕である。確かに草枕の美味しさは、値段に背かず際立っている。私の場合は高価を恐れて、草枕は敬遠しがちである。ところが、草枕にすっかり味を占めている妻は、恐れることなく「パパ。草枕、買って来て、必ず草枕を買うのよ!」と、言明するありさまである。このため、ときおり妻用にだけは草枕を買うけれど、私はそれには手出し無用を決め込んでいる。そのため、自分用にはもっぱらたまな蜜柑と夢未来と決め込んでいる。
 ふるさとの長兄の長女(姪っ子)は、玉名市内に嫁ぎ住んでいる。先日、私は姪っ子にふるさと電話を入れた。このとき、玉名蜜柑三昧のことを話した。すると姪っ子は、「そうね。ことしの蜜柑は、いつもより美味いみたい…」と、言った。私は「やっぱり、そうか」と言って、受話器の声はいっそうはずんだ。
 ここで打ち切りにしてもいいけれど、浮かんだ三つ目のことを記すとこのことである。それは、(落ち葉との闘いは、あとひと月だなあー)という思いだった。毎年の体験上、落ち葉との闘いはほぼ大晦日までである。そのぶんこの先一か月は日々、落ち葉の量との闘いに明け暮れる。その走りは、きのう朝の道路の掃除のおりに如実に現れた。もはや、大きな半透明の袋一つには入れきれず、二袋を必要するほどの落ち葉の増え方であった。袋は、落ち葉の季節を見越して100円ショップから買い置きしている。しかし、きょうの買い物のおりには、追加購入を迫られそうである。
 寝起きに浮かんだことをとりとめもなく書いてきたけれど、空が明るみ始めている。道路の掃除へ向かう時間が訪れているため、尻切れトンボのままにこれでおしまいである。

 叶えられない、平々凡々の日常生活

 来年用のカレンダーは、すでに100円ショップで購入している。例年どおりの小さな卓上カレンダーである。もちろん、日々のメモを記入するスペースはない。しかしながら私の場合は、この手のカレンダーで十分である。このため、今年のカレンダーを除いて、毎年100円ショップで同じタイプのものを買っている。今年のカレンダーもタイプは同じだけれど、実際にはまったく同じものではない。それは去年の今頃、100円ショップで例年のものを見逃し、やむなくいくらか違うものを買ったせいである。
 具体的に違うところは、今年のカレンダーには歳時(記)の表示がない。やはり、このことはとても不便だった。一年中の大まかな歳時(記)は、記憶に留めている。しかし、その記憶にはあやふやのところがある。そのため、カレンダーの表示にすがっていたのである。ところが、今年の場合はそれができなかった。日々、文章をつづることで気に懸けていることに一つには、日にちや曜日を間違わないことがある。それに加えて、歳時(記)のうろ覚えを禁じている。これらの間違いを防ぐためには、卓上カレンダーをチラッと見ることを心掛けている。
 「ひぐらしの記」を書くにあたって、折々の歳時(記)は結構大事なものであり、これまで実際にもそれに救われてきた。しかし、その記憶があやふやではまったく様(さま)にならない。これに懲りていた私は、100円ショップでは例年、歳時(記)表示のカレンダーを探した。ところが、去年は探しても出合えなかった。しかし、幸運にも今年は、例年のものに出合えた。すなわち、来年のカレンダーは例年のものへの復帰が叶ったのである。それを買うと、気分が落ち着いた。きわめて小さなことだけれど日常生活とは、こんなことの積み重ねであったり、繰り返しなのであろう。
 一方、小さなこととはいえそれが寸断されたり、ちょっとした異変に見舞われると、気分の安寧が損(そこ)なわれるものでもある。結局、日常生活にあっては、文字どおり日々平平凡凡とめぐることにこそ、気分の安らぎを得ることになる。
 十一月はあす(三十日・金曜日)を残し、わが身は可もなく不可もなく過ぎてゆきそうである。いや実際には可もなく不可もないことこそ、至上の日常生活と言えるであろう。
 顧みれば十一月の私は間断なく風邪症状、なかでも憂鬱気分を引きずる鼻炎症状に悩まされてきた。そして鼻炎症状は、今なお治まらず進行形のままである。このぶんでは、月替わり(十二月)へ持ち越しそうである。ほんとうのところ鼻炎症状とはあしたまでくらいで縁切りし、十二月への持ち越しは避けたいところである。なぜなら、日々鬱陶しくて気力喪失の元凶をなしているからである。
 十一月は、幸運にもわが体感では寒気が緩んでいた。それにもかかわらず風邪症状に見舞われ続けているのは、気候の寒暖に関係なく根づいてしまったのであろうか。かえすがえす残念無念である。望んでいる平々凡々の日常生活さえ成し得ないわが身に、うらみつらみは増すばかりである。確かに、わが身の体(てい)たらくは、自力で直すより便法はない。それができないわが身に、いっそう恨みつらみは増すばかりである。

かたじけない、文章 

 十一月二十八日(水曜日)の夜明け近くを迎えている。現在、壁時計の針は、五時を過ぎて回っている。時間的には夜明けの頃である。ところが長い夜のため、窓の外は一基の外灯の薄明かりのみで、いまだに暗い夜のたたずまいである。私は窓に掛かるカーテンを開いて、窓ガラスを通して外の様子を確かめた。雨は降っていない。道路は乾いている。いたるところに落ち葉が散乱している。よし、夜が明ければ真っ先に道路の掃除をしよう。現在のわが確かで強い決意である。
 夜長のこの季節、夜が薄く明けてくるのは六時二十分あたりからである。今朝の私の起き出しは、寝坊したためこんなにも遅くなってしまった。そのため、現在の私は焦りに焦り大車輪で、実像は走り書きと殴り書きという、二つのしっぺ返しこうむり、文章を書き始めている。
 寝坊をしたのは、就寝時とそして一度目覚めたおりに、市販の鼻炎用風邪薬を服用した祟(たた)りである。いや、祟りと書くには風邪薬に済まなく、この先罰が当たりそうである。なぜなら現在、幸運にも風邪薬の効果で風邪症状が遠のいている。かなり長く私は、鼻炎症状が治りきらず悩まされ続けている。このため、風邪症状の遠のきは、いまだに一時しのぎではある。
 きのう(十一月二十七日・火曜日)の朝の道路は、雨上がりに濡れて掃けずじまいだった。ところが、雨は風をともなっていたのであろうか。見た目汚く、落ち葉が散乱していた。しかしきのうの私は、その状態を尻目に朝早くから、東京都国分寺市内に住む二兄宅へ出向いた。月に一度か二度、わが身に課しているご機嫌伺いのためである。そして、帰って掃除をしようと心急いて帰宅した折には、夕暮れ早くすでに夜の帳(とばり)が下りていた。そのため、気に懸けていた道路は掃けずじまいだった。こんなこともあって今朝は文章を棒に振っても、いやどうにか書いて生煮えや尻切れトンボになっても、書かなければならないのである。このことが現在のわが決意である。そして、その確かな証しは、何ら実の無いこの文章である。こんな恥さらしの言い訳を書いてまでも今朝の私は、道路の掃除を優先しなければ気が済まないところがある。もちろんそれは、きのうの夜明けに濡れていた道路のせいである。
 壁時計の針は、六時過ぎを回り始めている。かたじけなくも、予想された尻切れトンボのままに結文とする。幸か不幸かいまだに夜明けの明かりは見えず、開けっぴろげ前面の窓ガラスの向こうは、いまだ夜のたたずまいである。私はゆっくりと腰を上げた。

老婆心の種は尽きない 

 遠い時代の記憶の一つが、走馬灯がめぐるかのように、ありありとよみがえる。当時の女子高校生にとって、バスガイドは憧れる職業の一つだった。おそらくそれは、紺のユニホーム姿にわが身をつつむ、憧れの具現だったのであろう。確かに、女子学生ならず男子学生も、初々しくかつ凛々しいその姿には憧れていた。
 私は高校を卒業すると、同時に上京した。そののち、なんどか帰省というふるさと帰りをした。そのたびに、同級生バスガイドの定期路線バスに乗車した。ちょっぴり顔を染めてひと言交わすと、ふるさとの香りがプンプンとした。しだいに世の中のバスは、運転手だけのワンマンカーとなり、必然的にバスガイドの姿は消えた。ところが、現在利用している「江ノ電バス」(本社神奈川県藤沢市)にあっては、その後もときおりお年寄り間近の女性ガイドが乗務されていた。しかし、もはや憧れの職業にはほど遠く、よれよれの紺の制服に身をつつんだパートタイマーの人だった。そして、車内には「発車、オーライ!」の肉声はなく、テープ録りの音声が繰り返し流れていた。女性ガイドは降車口に立って、よろけるお年寄りに手をさずけるのが時間給に見合う役割だった。
 ガイドのおばさんは、ひょんなことでジャイアンツファンと知った。タイガースファンの私はしだいに顔馴染みになり、やがては下車のおり「勝ちましたね。負けましたね」と、言葉を交わしていた。この光景も、今ではまったく途絶えている。このため現在のバスは、乗車のたびに運転士に定期券を翳(かざ)し、添えて投入口に100円をコトンと入れるだけの、無機質の乗り物へと成り下がっている。すなわち現在のバスは、まったく肉声のない乗り物にすぎない。それでも、バス会社の言い分や目論見からすれば、確かにバスの機能は果たしている。しかし、乗客にすればテープ音声だけでは、目的地へ運ばれる荷物(貨物)さながらである。
 いよいよ日本社会には、本格的なAI(人工知能)とロボットの時代が訪れている。これにともないこののちの日本社会は、しだいにかそれとも一挙にか、人間淘汰(不要)の時代へと様変わるであろう。これまでも産業機械の開発や進歩は、さまざまなところで人の手の働きを失くしている。高層ビル建設ラッシュにあっても、屯(たむろ)する人影を見ることはない。駅の改札口では、いつの間にか改札係を不要にした。車内では、かつての検札員の姿を失くした。現在、人手頼りのスーパーのレジ係りも、早かれ遅かれレジ係り不要かロボットに置き換わるであろう。人手の多い警官も人手に頼らず、AIやロボットが確かな犯人探しをして、ロボットが羽交い絞めにして有無を言わさず、現行犯逮捕するようになるかもしれない。
 テレビ画面にはときおり、自衛隊の演習風景が映し出される。ところがあんな演習は、何ら役立たずの無用の長物になりかねない。なぜなら、実際に戦争が起きれば先手必勝とばかりに、一発の爆弾投下で事足りるであろう。その挙句には自衛隊員もほどなく、増員どころか減員の方向になるであろう。
 現下およびこの先の日本社会は、少子高齢化の現象の真っただ中にある。このため、日本社会には働き手の不足が懸念され、確かにそのための対策は緊要である。そして、目下の日本政府は、その対応策に大わらわである。その対策の一つとして、付け焼刃的にいや背に腹は代えられず、外国人頼り(流入)が取りざたされている。加えて、日本人人手の不足を埋めるために、AIやロボットの開発が急がれている。これらにともなうわが老婆心は、日本人の人余り現象である。
 かつての戦時中のように、「産めや、増やせや」の国策の下に生まれてきて、その挙句に人余り現象に遭遇したら、生まれながらの災難である。とうとう、わが掛かりつけの「斎藤歯科医院」(横浜市栄区)の受付ロビーには、真新しく白一色のロボットが立っていた。なんだか言葉をかけてくれたけれど、幸か不幸か難聴のわが耳には聞き取れなかった。今しばらくは、ロボットとの会話は避けて通りたいと願っている。

貴景勝、初優勝 

 大相撲九州場所(福岡国際センター)は、きのう(十一月二十五日・日曜日)の千秋楽で閉幕した。場所全体を通してのわが私見を記すと、まったく煮え切らずお粗末感つのるものだった。このやるせない思いは、もちろん横綱と大関の相次ぐ休場に起因する。
 横綱の白鵬と鶴竜は、初日を待たずに休場した。片や横綱稀勢の里は、四連敗ののちに五日目から途中休場した。このことで五日目から、三横綱のすべてが休場ということとなった。まさしく、横綱不在の異変である。さらには三大関のなかにあって豪栄道は、勝ち越しの八勝を決めると途中休場した。今場所における横綱と大関の在位は六名である。そのうちの四名は、途中からの二人を含めて、休場を余儀なくしたのである。もちろん、怪我などが理由だけど、横綱と大関の不甲斐なさを露呈した九州場所だった。
 さらに付加すれば大関栃ノ心は、八勝七敗の勝ち越しにとどまった。結局、横綱と大関の中にあって地位の面目を保ったのは、千秋楽まで優勝争いを演じた高安ただひとりにすぎなかった。高安にしても、優勝は果たせずじまいだった(十二勝三敗)。
 ところが、「家貧しくて孝子出づ」。こんなにだらしない九州場所にあって、さわやかな話題を沸騰させたのは、小結・貴景勝の初優勝だった。優勝を称える朝日新聞の記事の一部を引用すればこう記されている。「小結貴景勝(22)=兵庫県芦屋市出身、千賀ノ浦部屋」。
 貴景勝の栄誉に付加すれば、現在の幕内力士の中で、彼は最年少という。なお、輪をかけての栄誉は、二十二歳における初優勝は史上六番目に位置するという。まさしく、いまだにあどけない若者・最年少力士の快挙だったのである。もちろん私は、丸っこい体にいまだに初々しい童顔を残す、貴景勝の風貌に魅かれている。加えて、若者らしい一途(いちず)さあふれる取り口が大好きである。さらには、寡黙な受けごたえから垣間見える真面目さに魅了されている。このため私は、テレビ観戦を通して貴景勝贔屓(びいき)である。
 結局、横綱と大関のだらしない九州場所は、貴景勝におんぶにだっこされて、連日「満員御礼」の垂れ幕に恵まれて閉幕したのである。二十二歳の若者しでかしたあっぱれな! 「貴景勝、初優勝」だった。

二度目の「大阪万博」決定 

 もはや、先々の出来事を伝えるニュースには関心が薄らいでいる。特にもう、このイベント(開催)のおりにはわが生存自体叶いそうになく、まったく関心がない。しかしながら、オリンピック招致に次ぐ、日本社会の出来事決定であれば記録に留め置かなければならない。
 【2025年万博、大阪での開催決定…55年ぶり】(2018年11月24日01時05分 読売新聞)。「日本が大阪誘致を目指す2025年国際博覧会(万博)の開催地を決める博覧会国際事務局(BIE)総会が23日、フランス・パリで行われ、加盟国による投票の結果、日本が開催権を獲得した。大阪での大規模万博開催は1970年以来、55年ぶり2回目。国内での開催は2005年愛知万博以来、20年ぶりとなる。総会では、アゼルバイジャン、日本、ロシアの順に30分ずつ、開催計画をPRするプレゼンテーションを実施。日本時間24日未明に、加盟170か国のうち投票権のある国が、無記名の電子投票を行った。その結果、1回目の投票で日本が85票、ロシアが48票、アゼルバイジャンが23票を獲得。開催国となる3分の2以上の票を得た国はなく、上位2か国による決選投票を行い、日本が92対61でロシアを下した。」
 為政者は時として、保身のために在民不在の余計なことをしでかすところがある。もちろん、かかわれそうにない腹いせではなく、愛国・日本の国の財政を危惧するゆえの老婆心の発するひと言である。

 「勤労感謝の日」

 きょうは「勤労感謝の日」(十一月二十三日・金曜日)である。このため、きょうから週末の日曜日(十一月二十五日)にかけては三連休となる。多くの三連休は、土曜日から月曜日にかけてである。このため、なんだか異質な感じのする三連休である。一方できょうは、花金の楽しみを奪われたサラリーマンにとっては、いくらか泣き笑いのする休みであろう。実際に泣きたくなっているのは、花金を週間の書き入れどきと当て込んでいる、赤提灯をはじめ赤い灯・青い灯きらめくネオン街の人たちであろう。確かに、彼らにとってはとことん恨めしい夜空である。
 人間、いや私の場合、食べるために生きているのか。それとも、生きるために食べているのか。いまだにわからない、どっちつかずの生涯のテーマである。どちらにしても、食べ物にありついていることには常日頃感謝している。
 私は、定年退職(六十歳)を境にして労働を放棄している。このため、勤労感謝の日にちなむ感謝の念は、おのずからわが身からは生じず、もっぱら人様の労働からさずかっている。実際にも人様の労働への感謝の念は、日常の買い物のたびに抱いている。すなわち、手にする海の幸、山の幸、あるいは手作りや工場製造物などのすべては、人様の汗の結晶にさずかっている。
 わが子どもの頃であれば目の前に、時を置かず親・兄弟の勤労の姿が丸見えだった。そのため、農家の子どもだった私は、子ども心に直接的に勤労感謝の日を実感していた。だから当時と比べると、人様の労働にすがるだけの間接的な勤労感謝の日は、いくら実感に乏しいところはある。
 一方で労働を放棄している私の場合は、そのぶん人様の労働に感謝するところがある。実際にもこのところの私は、ふるさと産の蜜柑を買ったり、他郷・愛知県産や岐阜県産の柿を買ったりするたびに、生産者の苦労を浮かべている。もちろん、農家の人たちの苦労を知り尽くしているせいである。私は、やはり食べるために生きているのかもしれない。人様の労働からあらためて、労働の尊さを感じている「勤労感謝の日」である。できれば、汗玉の吹くような暖かい小春日和に恵まれたいものである。

 さ迷う夜長

 きのう(十一月二十一日)は、意識的にずる休みをした。きのうは、卓球クラブの水曜日定例の練習日であった。こちらも、休もうと思った。ところが、こちらは後れてのこのこと出かけた。この二つを休めば、現在の私にとっては社会生活とのほぼ断絶である。しかし、朝の道路の掃除だけは休まなかった。きのうは、このことでわずかに命運を保っていた。現在の私は、こんなことを胸中に浮かべて、キーボードへ向かっている。なさけなくも、生きる屍(しかばね)である。だから、やはり文章が書けない。
 先日、私は臆面もなく現在に似た心境を吐露した。早速、大沢さまから「無理をなさらないで、休日はお休みしましょう」という、優しいアドバイスをいただいた。確かに、こんなことでは休むべきである。しかし、休めば中断ではなく、中止となりそうである。それを恐れて、そののちは実の無い文章を連ねた。ところが、もはやそれも限界に近づきつつある。休んだときの妻との会話は、こうである。
「きょうは書けないから、文章は書かなかったよ。もう、書けないよ。書かないよ」
「ばかねー。パパ、書きなさいよ。書かないと、認知症になるわよ。わたし、困るわよ」
「そうだね。だけど、もう書けないよ。だから、書かないよ」
 現在の私は、投稿ボタンを押すかどうかで、迷っている。ほとほと、恨めしい夜長である。これまでの私は、夜長を得手にしていたのに……、恥を忍んで投稿ボタンを押してみる。

 人間の侘しさ

 斯界(しかい)の名門「日産」が揺れている。この配信ニュースを読んで私は、人間にまつわる侘しさを感じている。甚(いた)く心を揺さぶられたのは、ずばり「ブランド、何だったのか」という言葉である。まさしくこの言葉には、長くブランドを育んできた者の歯がゆさと悔しさがにじみ出ている。元サラーマンとして瞬間身につまされ、やるせなく共鳴をおぼえたひと言である。
 【「社内に不満鬱積」「ブランド、何だったのか」日産社員ら】(11/19・月曜日22:19配信 カナロコ by 神奈川新聞)。「まさか、想像もできない」。日産自動車のカルロス・ゴーン代表取締役会長が逮捕された事件に社員らは動揺を隠さず、OBらも衝撃を受けた。「ゴーン氏の権力欲と報酬に対する不満は、以前から社内に鬱積していた」。ある社員が明かす。ゴーン容疑者は駆け足で経営トップに上り詰め、報酬も巨額になっていった。「経営陣にもゴーン氏の反対勢力はいた。ごう慢に耐えかねて反旗を翻したのではないか」と、この社員はみる。経営危機に陥った日産にルノーから派遣されたゴーン容疑者は「コストカッター」として大なたを振るい、日産を再建させた。一方でその豪腕ぶりには「ワンマン」との不満も根強かった。50代の男性社員は事件を冷ややかに受け止める。「長期政権は独裁に陥り、必ず腐敗する、という教訓だろう」。グループ会社で働く管理職の40代男性は「現場の気持ちが総崩れになるような話。上は下に(コンプライアンスなどの)号令を掛けられなくなる。現場の皆は口に出さないだろうが、『上があんなことをやっているくせに』となってしまう」と今後を懸念する。さらに「ゴーンさんはかねて『ブランド、ブランド』と、ブランドが一番大事だと言ってきた。その言葉は、いったい何だったのか」と戸惑った口ぶりで話した。OBも憤る。元追浜工場(神奈川県横須賀市)従業員の男性は「こんなこと許されない。トップの人間の金銭面の不祥事なんて、とても恥ずかしい」。
 元横浜工場(横浜市)従業員の男性は、ゴーン容疑者の逮捕容疑が報酬の過少記載だったことについて「けちくさいな」と苦笑し、「事実なら、とんでもない」と突き放した。

「卵飯し」 

 テレビを観ていると、このところの話題に降って湧いたように目にするものがある。それを目にすると私は、なんで今さら! と、妙な気分に陥っている。妙な気分とはあまりにもばかばかしくて、まるで狐につまされたような心地である。子どもの頃の私は、日常的に白いご飯に産みたての生卵をかけて食べていた。ところが、こんなありふれたレシピ(料理法)が、現在新たな話題としてもてはやされている。そして、テレビに映る光景には、異口同音に「美味しい!」という、言葉が飛び交っている。その挙句、「TKG」(卵 かけ ご飯)という、カタカナ文字さえ誕生していた。これなど、なんでもかんでもカタカナ文字にするから、手間暇がかかりかえってわからなくなる見本みたいなものである。
 試しに、ヤフーの検索画面に「TKG」と記入し、検索ボタンを押してみた。あにはからんや! 卵かけご飯にかかわる項目(記事)があまた現れた。それらの中から、ウィキぺディアの記事の一部を抜粋すると、こう書かれている。「卵かけご飯(たまごかけごはん、卵掛け御飯、TKG)は、飯に非加熱の鶏卵を掛けた飯料理である。調味料として醤油などが使用される。卵を生のまま用いること、主食の飯と混ぜて食べることなどから、日本特有の食文化とされる」。
 驚くなかれ! 「TKG」が認知されている。もちろん、こう仰々しく書かなくとも、子どもの頃の表現で言えば、「醤油をかけた卵飯し」で事足りる。実際のところ私は、「卵飯し」はそんなに好きになれなかった。具体的には、白身のヌルヌルが嫌いだったからである。しかし、太平洋戦争後の復興期、とりわけ自給自足に頼る農家ゆえに、とことん毛嫌いはできなかった。そのため卵飯しは、茶碗に黄身だけを分けてそれに醤油を混ぜて、白いご飯にかけて食べていた。現在も、卵飯しは食べてみたいとは思はない。そう好きでもないものを、食べ飽きていたせいであろう。いや、産みたての生温かい卵で、炊きたてのほやほや御飯であれば、一度くらい食べてもいいかな! もちろん、母の面影を偲ぶためである。それには「卵かけご飯」ではしっくりこなく、母の言う「卵飯し」にこそ、生前の母の姿がよみがえる。

やはり、文章が書けない 

 十一月十八日(日曜日)、夜明け前にキーボードへ向かっている。まるで春の夜のように暖かく、かつ絶好の長い夜。加えてどこかしこ、大好物の柿と蜜柑がたっぷりと買い置きされている。こんな好条件にもかかわらず、まったく文章が書けない。もちろん、気力が萎えているせいである。とかく文章は、外的条件を差し置いて精神状態に左右される。現在の私は、その典型である。だからと言って、気力喪失の原因をあれこれ探り浮かべてもどうなることでもない。いや浮かべても、これだ! と言えるものはない。元来、気力喪失とはそういうものであろう。
 確かに、こんな書き出しはきわめてなさけない。しかし、正直言って現在のわが心境の吐露である。実際には、きのうの今頃の心境と似たり寄ったりである。結局、きのうは文章を書かず、気分直しに道路の掃除へ出向いた。そのときの魂胆はこうだった。私は散歩常連の人たちと朝の挨拶を交わすことで、わが気分直しを求めたのである。ところが、この狙いは空振りに終わった。わが出向きが遅れたのか。それとも、常連の人たちがいつもより早く、あるいはもっと出遅れたのか。どなたにも、出会えずじまいだった。散歩めぐりの人とのひとりふたりは出会えた。しかしながらそれらの人は、挨拶のそぶりを見せず通り去った。私は挨拶のそぶりが見えたらと、ひそかに構えていた。それは見えず、自分から言葉を掛けようとは思った。ただそれには気が引けて、あえなく無言で見送った。
 いつものことだけど、挨拶言葉には掛けどきがきわめてむつかしいところがある。いや、挨拶自体がきわめて難しいところがある。それは出会いがしらの瞬間をとらえての互いの言葉、すなわち精神状態のぶつかり合いだからである。朝の散歩にめぐる顔ぶれは、かつてからこのところすっかり変わってしまった。これまた正直に言えば、かつての人は二人くらいを残して、姿が見えなくなっている。もちろん、散歩自体がままならなくなっているのか、あるいはすでにこの世に存在しないのか。人様の朝の散歩から窺う人の世の寂しい現実である。まるで、足取りと歩く姿勢の正しさの見本を見ているかのように、老いてなお颯爽と歩いておられた光景が目に浮かぶ。それらの姿は、日々途切れることなく健康に腐心されていた光景だった。なのに、散歩は長生きのご利益(りやく)をもたらさなかったのか。結局、どうもがいても、命の限界を知る思いである。
 気力喪失の原因はまったくわからない。気張って書いても、こんな文章しか書けないことが原因のようでもある。きょうの気分直しもまた人様だよりである。いまだに夜が明けない。今朝のわが出遅れはない。

 叶ったり「七五三」は日本晴れ

 きのうの「七五三」(十一月十五日・木曜日)の鎌倉地方には、望んだとおりの穏やかな小春日和が訪れた。いや、願ってもないような初冬の日本晴れだった。過ぎた秋には胸の透く秋晴れに恵まれず、そのぶんひと際気持ちの良いのどかな陽射しだった。だから、ほんとうのところは好天気に誘われて、七五三風景をおりなす「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)へ行きたかった。しかし、きのうの私は、長引いている鼻炎症状のせいもあって、それは週末の日曜日(十八日)まで先送りした。それは鼻炎症状にとどまらず、七五三風景自体、日曜日にずれ込むだろう予測したからでもある。そのため欲張って、日曜日も小春日和であってほしいと願っている。
 他人様(ひとさま)の七五三参りがこうまで気になることは、腑に落ちないほとほと物好きである。しかしながらこんな物好きは、決して非難されるべきことではないだろう。なぜなら、七五三風景は日本社会の一年の中でも、飛びっきり心の和むものの一つである。まして現下の日本社会は、少子社会すなわち子どもの誕生に飢えている。そうであれば日本社会にあって七五三は、子どもの成長を祝う大切な催しである。加えてそれには、他人様(ひとさま)がおりなす風景であっても、眺めるだけできわめて心の和むものがある。
 確かに、歴史を刻む境内を一張羅(いっちょうら)の晴れ着を装い、千歳飴を提げて家族和みながらそぞろ歩く風景は絵になる。はたまた、老身の元気づけにもなる。きのうの私は、鶴岡八幡宮行き先送りにし、また鼻炎症状による気鬱さもあって、昼前のひととき布団の中に潜り込んでいた。ところが、カーテンを開けっぴろげの窓ガラスから射し込む暖かい陽射しを受けて、「もったいないなー…」と呟いて、起きた。起きたかぎりは、茶の間暮らしではもったいない。私は茶の間で日向ぼっこをしていた妻にたいし、「大船(鎌倉市)へ行ってくるよ!」と言って、そそくさと準備をした。キョトンとして妻は、「パパは、風邪ひいてるじゃないのよ。バカねー、行くのはやめなさいよ!」と、咎(とが)めた。
「うん。風邪、ひいてるよ。だけど、こんなに良い天気は、滅多にないよ。寝ていては、もったいないよ。だから、行ってくるよ」
 さしたる買い物の目当ては無い。のどかな陽射しに誘われた買い物行だった。そしてその行動は、明らかに普段の買い物行とは違っていた。実際にそれは、いつもの行きつけの店の買い物回りではなく、一つの店だけで済ましたとんぼ返りだった。
 私は路線バスを降りると、いつもどおりに真っ先に野菜と果物の安売り量販店「大船市場」に向かった。そして、手早く次郎柿を二盛り所定の籠に入れた(愛知県産、一盛り四個で二八〇円)。次には、網入りの約二キロ詰めの温州ミカンを買った(熊本県・玉名みかん、三五〇円)。どちらも、このところ買い続けているの勝手知った買い物だった。
 きのうにかぎれば、これらを買い物用の大きなリュックに詰めてトンボ帰りをしたのである。柿では次郎柿と富有柿、温州ミカンは玉名みかん一辺倒で、茶の間や台所のいたるところにあふれている。だからと言って、好天気のいたずらとは言いたくない。もちろん、わが承知の末の後遺症や買い物中毒症状さながらの光景である。

「七五三」 

 十一月十五日(木曜日)、夜間、ほぼいつもの時間に起き出して、キーボードへ向かっている。ところが、部屋の中は冷え切っており、たちまち心身が萎えてしまった。いよいよ、望まぬ寒波がやってきたのか。余儀なく、寝床へのとんぼ返りを決意している。その前に、メデイアが報じる配信ニュース項目に目を通した。それらの中では、北朝鮮による拉致被害の未解決が、あらためてわが身にも堪えた。被害者そして被害者家族共に絶え続けて、41年にも及ぶという。ほんとうに、どうなっているのか? と思う。一方で、日・ロ両首脳の会談記事の項目があった。こちらも、記事を読むことはしなかった。しかし、これまたどうなっているのか? と思う。
 北海道ではきのうあたりから、ことしの初雪が舞い始めているという。過去二番目に遅い初雪だという。きのうの昼間の鎌倉地方は強風にさらされた。私は、てっきり「木枯らし一号」かと、思った。しかし、気象予報士の言葉にそれはなかった。
 きょうの日本社会は、華やぐ「七五三」である。夜明けの空模様はいまだわかりかねるけれど、小春日和であってほしいと、願っている。不意の寒さに耐えきれず、とんぼ返りでわが身大事のなさけなさである。

 「団子(だご)」作りの恵み

 十一月十四日(水曜日)、夜長をいいことに、のんびりと夜長の夜遊びを試みている。先ずは、開くまでもない電子辞書を開いて、「団子」を見出し語に置いた。 【団子】「穀類の粉を水でこね、小さくまるめて蒸かしまたはゆでたもの。付け焼きにし、または餡や黄な粉などをつけて食べる」。
 この説明によれば団子の作り方は、三つに分けられている。これらの中で、これまで馴染みないものがある。それは三番目の付け焼きである。そのため次には、試しに「付け焼き」を見出し語に置いた。すると、その説明書きはこうである。「魚肉や獣肉に醤油などを塗って焼くこと。また、その焼いたもの。てりやき」。
 この説明書きを読んでも、団子との関連が浮かばず、しばし脳髄をめぐらした。すると、好物の一つとして、行きつけの「西友ストア大船店」(鎌倉市)でよく買う、「みたらし団子」と「草団子」が浮かんだ。そうか、確かにあれも団子だな! と、納得した。
 子どもの頃、ふるさと(現在熊本県山鹿市菊鹿町)にあっては、団子のことを「団子(だご)」一辺倒に、言っていた。ところが現在は、ごちゃまぜで言われているようである。確かに、これには必然性がある。それは、あんずの丘(市役所の菊鹿町支所のある広場)、JA(農協)の売店、さらには街道筋の道の駅などで、他郷の買い物客が増えているせいである。そのため、それらの店で並んでいるものには団子表示が通例である。家庭の中でも代替わりして、おそらく「だご」という、言い習わしは廃れつつあるであろう。
 どう言おうが、こんなことはどうでもいいことではある。しかし私は、郷愁にとりつかれてこの文章では「だご」と表示する。なぜならそれが、今なおしっくりくるからである。
 電子辞書の説明によればだごの作り方は、蒸かすものと茹でるものに二分されている。ところが、亡き母の作り方を想起すれば、蒸かしたものは「饅頭(まんじゅう)」と言い、茹でたものは「団子(だご)」と、言っていた。そして、饅頭にはソウダを用いていたので、ずばり「ソウダまんじゅう」と、言っていた。
 ソウダまんじゅうで唯一よみがえるのは、小豆餡を包(くる)んだソウダまんじゅうだけである。一方、茹で作りのだごには、次のようなものがよみがえる。真っ先に浮かぶものは、この秋には八度も作った「栗だご」である。これに加えて、里芋を包んだ「芋だご」、小豆餡を包んだ「小豆だご」、そしてからいも(さつまいも)を包んだ「からいもだご」などがある。
 これらを包む材料はすべて小麦粉である。さらには茹でだごの一つとして、こねた小麦粉を文字どおりベロ(舌のうように平らに伸ばした)の形にしただけの「ベロだご」がある。これには何も包まず、おおむね焼いて生醤油を付けるか、黄な粉をふりかけて、食べていた。これこそ、「付け焼き」だったのである。さらに、春先のフツ(ヨモギ)の芽吹きどきには、小豆餡のだごが作られた。ところがこれだけは小麦粉ではなく、くだけと言っていたもち米をくだいた粉で包まれていた。
 「団子(だご)」と「餅だご」の違いは、包む小麦粉ともち米の違いであった。餅には、ときにはわが嫌いな「粟餅」もあった。餅だごは、おおむね小豆餡一辺倒だった。
 きのう(十一月十三日・火曜日)、わが家は夫婦和んで、芋だごを作った。このときのわが言葉は、「だごを作っているときは、喧嘩しないで済むからいいね!」、だった。確かに、ふるさとの味、おふくろの味は、味覚に加えて老夫婦にひとときの和みをもたらしている。

 嗚呼、難聴

 人生は体験してみて、初めて知ることの繰り返しである。私自身、このことを痛切に感じているのは、難聴になってからである。特に最近は、難聴にとりつかれたことを恨めしく感じている。具体的には難聴のせいで、人様との会話の楽しみが減り、あるいは奪われている。その挙句には人様との交流が不自由になり、途絶えがちにもなっている。確かに、人様との交流の途絶えは、人生最大の損失である。現在の私は、職業に就いている身ではない。このため、人様との交流はごく限られている。日常的に相対し、必然的に会話を要するのは妻だけである。ところが妻は、娘宅へ泊りがけで出かける日数が多い。そうなるとまた、必然的にわが独りの生活になる。
 幸いかな! 耳用無しでも済む日が増えている。私はテレビを観なければ一日がもたないというほどの、テレビ爺(じじい)ではない。もちろん、テレビ視聴には耳があることに、越したことはない。しかし現代の世は、文字放送は充実してなくても済む。実際にも不断のわがテレビ視聴は、音声に付随する文字にすがりがちである。テレビ視聴自体、ながら族である。いくらか決めてリモコンを操る番組は、スポーツ番組である。本来、スポーツは目で楽しむものである。このため私は、スポーツ番組あっては音声を消しがちである。
 スポーツ番組以外に決めてよく観るのは、NHK朝のテレビドラマ「まんぷく」くらいなものである。しかし、このときの私は、耳で聞く音声でなく、目で見る文字に頼っている。次によく観るNHK夜の七時台のニュースもまた、文字機能にすがっている。どちらかと言えば、担当の鈴木菜穂子アナウンサーの笑顔に魅かれて観ているだけで、音声不要である。こうしてあらためて記してみると、案外難聴は気に病むことでもないようにも思えてくる。
 しかし、やはり気に病むことがある。その一つは、妻が留守中の茶の間での独居生活のおりにこうむっている。それは、玄関口に取り付けのブザー音を茶の間で聞き取れないことである。このことになぜ気を病むかと言えば、もちろんブザーを押される人様に迷惑をかけしているからである。それらの多くは、宅配便(人)と郵便物(人)である。宅配便で、予(あらかじ)め到着日がわかっているときは、ブザーが鳴るまで両耳に集音機のイヤホンを嵌(は)めて構えている。ところが、いつブザーが鳴るかわからないのに、終日構えていることには緊張感をともなってきわめて厄介である。そのため、ブザーが鳴って宅配便を受け取ると、ほっと安堵していっぺんに気が緩む。そののち、ようやくわが普段の日常生活が始まることとなる。
 宅配便のうちで予め到着日が予測できているものは、一応このような対応できる。ところが、これ以外の宅配便と郵便物は、配達通知の紙片を頼りに、ほぼ二度手間をおかけすることになる。そのため、二度目の配達のおりは、平謝りを余儀なくしている。しかしながらこれらは、人様に迷惑をかけるだけで、私自身の楽しみを失くすことはない。
 すると現在、難聴によりわが楽しみを奪われている最大のものには、卓球クラブの親しい仲間の人たちとの会話がある。卓球クラブの人たちとの出会いは、水曜日定例に加えて、随時の土曜日と日曜日があり、つごう週三度もある。職業をもたず人様との交流が途絶えている私にとって卓球クラブは、唯一親しく会話を楽しめる絶好の機会である。ところが、わが難聴のせいでままならなくなり始めている。結局、このことがわが難聴のもたらす、最大かつ最悪の機会損失である。
 これを防ぐには補聴器購入にすがる便法がある。ところが私は、このところの医療費出費の多さに驚いて、補聴器の購入をためらうばかりである。しかし、そろそろ決断するときがきているのかもしれない。それを遮(さえぎ)るのは、意志薄弱、三日坊主、そして優柔不断という、わが生来の悪癖の三点セットである。加えて現在の私は、生活費の欠乏に怯(おび)えている。もちろん、決して耳を悪ものにしてはいけない! わが甲斐性無しの「身から出た錆」である。

夫婦和む季節 

 鼻炎症状が長引いており、すっきりしない日が続いている。天候もこれまでは、晴れわたる秋晴れに恵まれず初冬を迎えている。幸い、厳しい寒さは免れている。この点では、可もなし不可も無しの日めくりと言えそうである。十一月も早や中旬に入り、きょうは十二日(月曜日)であでる。わが買い物行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)には、柿では後順位に現れる富有柿が目立ち始めている。温州ミカンは、すでに最盛期を過ぎつつある。
 今年の実りの秋にあっては、幸運にも栗団子を間断なく食べることができた。そのしまいにあって妻は、とうとう「パパ。栗団子、飽きたわね!」と、つぶやいた。すると私は、この言葉を恐れて間髪を容れず、
「そうか。おれはとても幸せだったよ。ありがとう」
 と、言った。
 柄でもなくこんな殊勝な言葉が素直に出たことに、われながら感嘆と驚きをおぼえた。それほどに私は、栗団子を堪能したのである。しかしながらこの言葉には、わがさもしい魂胆が隠されていたのである。すなわち私は、今年の栗団子三昧が、来年に繋がることを望んでいたのである。このことでは決して褒められる言葉ではなく、我欲まみれだったのである。栗の出始めから影を潜めるまで、わが夫婦は栗団子づくりに感(かま)けていたのである。この秋のうれしい誤算だった。
 栗団子を打ち上げると温州ミカン三昧になり、そして現在の私は、柿腹を肥やし続けている。果物は目白押しと言うか味覚甲乙つけがたく、ちょっぴり時期をたがえて切れ目なく出回ってくる。これらの中でも妻は、「わたし、やっぱり柿が一番好きだわ!」と言う。これには私も、「おれも、そうだね!」と、相槌を打つ。しかし、本当のところ私は、栗を食べているときは栗が一番、蜜柑を食べているときは蜜柑が一番、そして柿を食べているときは柿が一番である。つまり、栗、蜜柑、柿にかぎらず、葡萄、梨、桃、そのほかの物でも、食べているときにはそれぞれ一番である。この世に生まれてきてよかったと、思うことはほとんどない。しかし、実りの秋にありつけるときだけは例外である。
 わが家の買い物は、わが専売特許である。買い物のたびに現在は、温州ミカンや柿を大きなリュックに詰め込んでいる。業(ごう)を煮やした妻は、「パパ。そんなに買って来て、どうするの? 腐るじゃないのよ!」と、小言を言う。私は、「腐らないよ。おれが食うんだ。おまえは、食わなければいいよ!」と、言葉を返す。すると妻は、大慌てで「わたしも、食べるわよ!」と言って、眼を怒(いか)らす。せっかくのわが好意にケチをつけずに、好きなものを鱈腹食べればいいのにと、私は思う。しかし、実りの秋は夫婦和む季節である。

謝辞 

 きのう(十一月十日・土曜日)には、現代文藝社(大沢さまご主宰)から、直近の「ひぐらしの記」の単行本と版下が届きました。いつも同様に、甚(いた)く感謝の思いを込めて、開封いたしました。私もそうだが世の中には、一冊の単行本の出版を終生の目標にして、結局叶わずじまいで最期を迎える人ばかりです。幸運にも叶えた人であっても、その多くは多額のお金を費やしての自費出版です。
 ところが私の場合は、寝ぼけまなこはもとより、走り書き、書き殴り、さらには愚痴こぼしまみれで書こうが、大沢さまのご厚意ですぐさま単行本にあずかっています。なんという幸運児であろうか、いや、幸運爺であろうか。このことだけも私にとっての大沢さまは、崇(あが)め続ける女神様です。
 今回、お送りくださったのは、第72集「夜来の雨」です。これからは、わがしでかしたミスの校正作業にとりかかることになります。ところがこの作業は、まるで裁判沙汰の被告席に立ったような、きわめて気の重いものです。毎度、その思いをどうにか打ちのめすのは、大沢さまへの感謝の気持ちからだけです。もちろん、大沢さまへの感謝に加えて、常に感謝の気持ちをたずさえているものもあります。それは今さら記すまでもないことですが、拙い文章を読み続けてくださっているご常連の人たちへの感謝です。
 きょう(十一月十一日・日曜日)は、感謝の気持ちだけをお伝えして、文章を閉じようと思っています。しかしながら、このことだけは書き添えます。一つは、大沢さまのお便りに「口内炎はおさまりましたでしょうか」と、お気遣いをたまわっていました。なので、幸いにも「現在は治っております」と、記します。もう一つは読者共通の喜びであり、そのため書き添えます。お便りによれば、ご主人様の体調の快復と共に、大沢さまも元の日常生活にお戻りのようです。このことは、きわめてうれしいお便りでした。
 初冬の候、この先しだいに寒さが厳しくなりますが、大沢さまご夫妻はじめ、ご常連の人たちのつつがなきことを切に願っています。 謝辞

嗚呼、わが難聴 

 目覚めて、ふと浮んだ言葉の正否(適否)を、いつも枕元に置く電子辞書を開いて確かめた。「空返事(からへんじ):相手の言うことを聞かず、いいかげんに返事だけすること。うわべだけの返事。生返事、そらへんじ」。すると、わが思いと当たっているところもあるけれど、違っているところもある。私の場合、違っているところはいい加減に返事しているわけではなく、耳を欹(そばだ)て目を凝(こ)らし、真摯(しんし)に返事している。ところがその返事は、相手の人には頓珍漢になりがちである。いや、実際にも多くは頓珍漢になっている。ときには、当てずっぽうに返事をしている。これは、黙りこくって会話を切らさないための必要悪の返事である。もちろん、私にはまったく悪意はない。しかし、相手の人は怪訝(けげん)に思われて、その挙句、不愉快きわまりないであろう。
 これを防ぐために私は、心してあらかじめ一つの言葉を添えている。その言葉は、「私は難聴ですから、失礼になるところがあるかもしれません」。この言葉に似た言葉を必ず初めに添えるのは、パソコントラブルなどに見舞われたとき、コールセンターの人とのやりとりである。具体的には、「すみません。私は強い難聴ですから、大きなお声でお願いします」。
 最近、道路の掃除に立って気を揉んでいることには、こんなことがある。それは立ち止まって挨拶を交わす人へではなく、ちょっぴりお顔見知りの人への対応である。先方から歩きながら挨拶言葉を投げかけられていても、おそらく私は、その言葉に気づいていない。すると、せっかくの好意が徒(あだ)となり、私はその人に朝っぱらから不愉快な思いをさせていることとなる。もちろん、わが意に反しお里の知れるところでもある。もちろんこのことは、厳に慎まなければならない。そのため、現在のわが大きな悩みとなっている。それを防ぐには、お顔見知りの人にだけには、あらかじめこんな言葉の投げかけが浮かんでいる。「私は難聴ですから、気づかず返事をしていないかもしれません。申し訳ありません」。実際のところ、告げていたほうがいいのかな? と、気を揉んでいるのである。
 ところが、この言葉は挨拶を強要しているようであり、野暮な言葉でもあり、もちろん実践するほど私は愚か者ではない。つまりは、難聴がもたらす道路上の大きな悩みとなっている。妻との会話も、頓(とみ)に不自由をきたしている。その挙句、妻との多くの会話は、ずばり電子辞書どおりの「空返事」になりかけている。このところの妻は、わが難聴に配慮して大きな声でしゃべっている。それでも聞き取れないとしまいには、夫婦仲たがいの不穏な状況にさらされる。すると私は、それを嫌って早々と茶の間を切り上げて、二階のパソコン部屋に籠る羽目となる。結局、わが難聴は、会話というわが最大かつ最高の楽しみを奪っている。
 くだらないことを走り書きしたから、一度読み直しても三十分足らずの文章で済んだ。きょう(十一月十日・土曜日)、休もうと決め込んでいたせいだけど、「生煮え」の文章である。ほとほと、かたじけない。

 春夏秋冬・思い出の数々、吊るし柿

 十一月九日(金曜日)、夜中の一時前に目が覚めて、馬鹿じゃなかろか! 起き出してきた。夜長にあって、たっぷりと執筆の時間はある。それをいいことに私は、メディアが報じる配信ニュースをほぼ読み尽くした。そして、きょうは何を書こうかな? と、凡庸な脳髄を揺らした。すると脳髄は、すぐにお二人のやりとりのこのことを「ひぐらしの記」に転記しなさい! と、促した。確かに、そうだ! 私は得たりやおうとばかりに納得した。なぜなら、ひぐらしの記は春夏秋冬にあって、胸中に浮かぶ思い出を記すブログでもある。
 この二日にわたり私は、季節に応じた思い出を書いた。それらを再び記すと、立冬(十一月七日・水曜日)にあっては、過ぎ行く晩秋を惜しんで「椎の実拾い」のことを書いた。そして、立冬が過ぎたきのう(十一月八日・木曜日)には、初冬と名を変えて「焚きもんとり(薪取り、拾い)」のことを書いた。続いてきょうは、これまた初冬の懐かしい「吊るし柿」の思い出である。しかしこれは、わが脳髄がもたらしたものではなく、お二人のメールのやり取りから想起された思い出である。ところが、お二人からさずかった思い出とはいえ、夜なべして吊るし柿作りに勤(いそ)しむ母の面影を偲ぶには十分だった。
 お二人とは、大沢さまとふうちゃん(ふうたろうさん)である。ふうちゃんの場合は、ひぐらしの記に登場のたびに、短くプロフィールを紹介している。すなわち、ふるさと(熊本県山鹿市菊鹿町)を同じくする、かけがえのない竹馬の友(同級生)である。ところがふうちゃんは、ご両親亡きあとはふるさとと縁切りし、現在は大阪府枚方市に終(つい)の棲家を構えて、悠々自適の暮らしぶりである。現下の日本社会にあっては、個人情報の公表は慎まなければならない。そのため、ちょっぴりの付記に留めれば、現役時代のふうちゃんは大阪府警の辣腕刑事だった。そして、お伴される見目麗しい奥様は高知県のご出身である。ベランダに吊るされている「吊るし柿」光景は、ご夫妻相和しての手作りであろう。私は、異郷にすっかり馴染んだ竹馬の友・ふうちゃんにたいして、この文章をつづることで届かぬ拍手喝采を送っている。 【ふうたろうさんの優しさ】(ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年11月8日・木曜日05時42分36秒)。昨日ふうたろうさんさんから「秋の日に……」と題してメールが届いた。写真も添えられていた。読み進むうちに胸がいっぱいになった。ふうたろうさんの思いを分かち合いたくて、掲示板に転載させてもらうことにした。「大沢様 お袋の形見に植えた木だったのに、親父が勝手に切り倒した『ミモダの木』、紀元(杉紀元君・ふるさとの同級生)と再会記念に植えた、『実が成熟しないで落ちてしまう柿の木』、・・・あの場所から、一刻も早く、逃げ出したかった。あの庭先の風景が、『望月窯だより』を読んでい
ると、ほろ苦く、甦ってきます。もう、親も、叔父叔母も、皆、死んでしまった。従兄姉も、高齢になった。ボクを覚えていてくれる里人は、ほんの数人だけになった。あの場所は、遠いとおい所になってしまった。そして、あの庭先に行くこともなくなってしまった。でも、まだ、かすかな繋がりがあり、今日、従姉が渋柿を送ってくれた。子供のころは見向きもしなかった、その柿の皮を剥き、ベランダにぶら下げた。 ふうたろう」。
 生家を「あの場所、あの庭先」と呼ぶふうちゃんの切なさは、ふるさとにお住いの従姉様の情愛が詰まったふるさと便が、こよなく癒してくれているだろう。(写真付き)。

初冬の思い出 

 十一月八日(木曜日)、就寝中にあって、しばし鳴りを潜めていたカラス曲がり(こむら曲がり)に襲われた。この間、ずっとエネルギーを溜め込んでいたのか? と、思いたくなるほどの強烈な痛さだった。まるで、鳴りを潜めていた火山が、突然噴火したかのような脅威だった。まさしくわが身は、一寸先は闇の中にある。
 腓(こむら)と脹脛(ふくらはぎ)は同義であり、その部位が突然引き攣(つ)る症状である。この症状は文字どおり「腓曲がり」と言われたり、またなぜか「カラス曲がり」とも言われている。私の場合は、子どもの頃からカラス曲がりと教えられてきた。
 突然、安眠を妨(さまた)げる厄介で、かつ痛い就寝時の症状である。就寝さえ脅(おびや)かされるようではおちおちできず、私は和らぐまで人生の安寧を殺がれたような気分に陥っている。
 きのうの立冬にあって私は、未練がましく晩秋の思い出を一つ書いた。再び記すとそれは、里山に入っての椎の実拾いである。これに準(なぞら)えてきょうは、初冬の思い出を浮かべている。夏の間の思い出の多くは、ふるさとに一筋流れている内田川からよみがえる。しかしながら冬季にあっては、内田川からの思い出はお蔵入りである。すると、内田川に代わる思い出の多くは里山が恵んでいる。
 初冬の時季にあって、それらの中から真っ先によみがえるのでは、「焚きもんとり(薪拾い)」がある。初冬は、里山にあっては枯れ枝や枯葉の季節である。これを狙って家事手伝いとして私は、枯れた枝取り、さらには枯れた杉の葉や落ち葉拾いに出かけていた。枯れ枝や杉の葉は、風呂沸かしに用いられていた。そして落ち葉は、堆肥づくりに積み上げられていた。どちらも、貴重な家事手伝いとなっていた。そのため、ちょっぴり汗をかく程度で、みずから率先した苦にならない家事手伝いだった。子どもの頃の私は、農家の子どもであればだれもがしていた、さまざまな家事手伝いを体験した。今では懐かしい思い出であり、同時にわが現在の日常生活にことごとく役立っている体験である。

立冬 

 なんと、真夜中の一時頃に起き出してきた。そして、母校・中央大学の応援団の演技を動画でたっぷりと観た。女子学生のチアー応援と共に、若人(わこうど)の躍動する動画だった。テレビでは放映されない、パソコンの恩恵にさすかるものだった。
 このところはユーチューブ動画の充実により、私には頓(とみ)に新聞やテレビ離れが続いている。そして、今やわが日常生活にあっては、パソコンとの向き合いで多くの時間が割(さ)かれている。後悔先に立たず、今さらでは年寄りの冷や水にすぎない。
 パソコンの便宜性にすがり、新たな日課に加えたものがある。すでに何度か書いたけれど、再び書けばこのところの私は、メディアにおける外来語のカタカナ表示の多さに面食らっている。そのため私は、新たに英単語の復習や勉強を試みている。このための教材は、さまざまな形でパソコンの中に存在する。もちろん、今さら目覚めても何の役にも立たない。だから、しいて言えばわが記憶力のテストである。日本語の語彙の忘却阻止と新たな習得を生涯学習に掲げているかぎり、カタカナ文字の学習も類縁であろう。このことが発意である。生来、私には意志薄弱と三日坊主の性癖(悪癖)がある。そのため、この先いつまで続くかおぼつかなく、まったく不明である。今のところ三日は乗り越えて、ひと月近く継続中である。実際には片手に電子辞書を持って、一日に三時間程度はこれにとられている。もちろん、暇つぶしを兼ねているため、受験生当時の意気込みはさらさらなく、合間にのんべんだらりとパソコンに向き合っている。しかし、嫌いな数学ではないので苦にならず、ひとり遊びのレジャー代わりに黙然と、パソコンに向き合っている。こんな、いつまで続くかわからないことはどうでもいいことだけど、夜長にあってネタがないため書いただけである。カラスに、「アホウ、アホウ」と、鳴き蔑(さげす)みされそうなお笑い種(ぐさ)である。
 さて、感覚的にきのうまでを晩秋と言えば、きょうはカレンダー上に明記されている「立冬」(十一月七日・水曜日)である。晩秋と立冬、季節の変化はもとより、私は言葉の響きの違いに唖然としている。具体的には、こんな違いを感じている。すなわち、晩秋には心の和む暖かさがあり、ところが一日違いで、立冬には身が縮む寒々しさがある。立冬、いよいよ冬の玄関口が訪れたのである。もちろん私には、つらい季節の始まりである。
 遅まきながら、子どもの頃の晩秋の思い出を浮かべている。すると、真っ先によみがえるのは、里山に入って椎の実拾いに興じたことである。森閑とした山の中で、落ち葉の上に点々と散らばっていた小さな椎の実を、一つずつ拾っては花籠に入れた。嬉々(きき)として小走りでわが家へ帰ると、母がニコニコ顔で迎えた。
「いっぱい、拾って来たばいね」
「まだ、少しは落ちてるばってん、早よ、帰ろうごつなったもんじゃけ…」
「これだけあると、ええたい…」
 母は、すぐにフライパンで炒(い)った。椎の実を食べたことがない人は、その美味さを知らず、哀(あわ)れである。妻に尋ねても、食べたことはないという。憐(あわ)れである。晩秋の野山は、田舎育ちの者にとっては思い出の宝庫である。穫り残された熟柿(じゅくし)に群がる小鳥の風景は、目で癒されていた原風景である。冬の始まりにあってよみがえる思い出は、炬燵(こたつ)周りからである。

 「天声人語」から借りた鎌倉情報

 十一月六日(火曜日)、夜明けの薄明りの中で、玄関灯は点けたままに玄関口から門口に出た。そして、わが掃除区域へのんびり進んだ。この行動は、道路の湿り具合を確認するためだった。案の定、落ち葉はあちこちに汚(きたな)らしく散乱している。いつもであればすぐに引き返し、箒、塵取り、半透明の袋という、掃除三用具を持ち出して掃除を始めるところだった。しかし、道路が濡れていて、またもや今朝の掃除は諦めた。このところ二日ほど道路が濡れているため、掃除ができない日が続いていた。それはそれでありがたいところはあったけど、晩秋らしいさわやかな天候に恵まれていない証しでもある。
 確かに、過ぎた文化の日(十一月三日・土曜日)は、気象庁の過去データに背かず、昼間はすっきりと晴れた。ところが空模様は、夕方になるにつれて怪しくなった。そののち、ぐずついた小雨模様が続いている。この間、夜明けのひとときには、朝日が昇る日もあった。しかし、まもなく小雨模様になった。すると、このときの私は、「女心と秋の空」という、場違いのフレーズを胸中に浮かべていた。
 すっかり、夜が明けた。やはり、朝日は見えず、今にも雨が降り出しそうな雲行きである。さて私は、きょう付け(11月6日・火曜日)の朝日新聞朝刊コラム・「天声人語」の引用を試みている。言うなれば、わが出不精のせいで紙上から借用した晩秋の鎌倉情報である。
: 秋の盛りのイチョウの美を先週、この欄で取り上げた。「私の街ではイチョウの黄葉が見られません」。愛知県と和歌山県の読者の方から電話をいただいた台風による塩害で枯れてしまったという。▼24号は9月末、列島を低速で縦断。その影響が鹿児島や兵庫、静岡など各地のイチョウに表れた。「これほど広範囲で被害を受けるのは珍しい。10年か20年に一度という現象です」と樹木医の小林明さん(67)は話す▼典型的な「風」台風だった。海の水を巻き上げ、沿岸各地に吹き散らす。台風の去った直後から雨が降らず、イチョウの葉から塩分が洗い流されなかった。このため葉が「脱水症状」を起こし、色づく前に枯れ落ちたという▼イチョウの美しい神奈川県鎌倉市をきのう歩いた。例年ならまもなく黄葉する時期である。だが今年は違う。1本の木で、海風を浴びた側の葉だけが茶色くしおれ、反対側は夏の緑色のまま。木々に広がるまだら模様が痛々しい▼残念ながら、塩害をこうむった葉に秋の彩りはもはや望むべくもない。鶴岡八幡宮の境内では、生気を失った葉の間から新芽が吹いていた。季節をたがえて顔をのぞかせたらしいが、冬はとても越せそうにない▼それでもイチョウはたくましい。幹は太く、寝はどっしりと大地に張っている。樹齢100年、200年という大木なら、塩害などこれまで幾度も乗り越えてきたはずである。来年のいまごろは、黄金色を全身にまとい、秋を実感させてくれるにちがいない。

 切ない晩秋の空模様

 「文化の日」(十一月三日・土曜日)は、気象庁の過去データに背かず晴れた、ところが、明けのきのう(四日・日曜日)は、生憎(あいにく)の小雨模様で肌寒い一日だった。あえて、あいにくと記したことには二つの理由がある。文化の日を挟んで多くの学び舎では、学園祭や文化祭が行われている。これらは、体育祭や運動会と相並ぶ年に一度の華やかな祭典である。おのずから期間中のキャンパスには、当校の生徒や学生のみならず、他校や父兄の見学者が訪れる。するとキャンパスは、往来する人がごった返し大賑わいとなる。
 大賑わいの光景の一つには、部活費を稼ぐにわか作りのさまざまな屋台が並んでいる。そして、部員は玄人(くろうと)の香具師(やし)さながらに、呼び込みの大声を張り上げている。言うなれば咎(とが)めの無い、体(てい)のいい客引き光景である。もし仮に私が出向けば、女子学生の愛くるしい切ない声に釣られて、味覚などそっちのけにして次々に頬張ることになる。ところが、きのうの雨は大賑わいにちょっぴり水を差したであろう。確かに、お祭り騒ぎにあって、雨降りほど憎たらしいものはない。そのため、私は空模様を眺めながら同情心をつのらせていたのである。
 遅まきながらもう一つの理由は、わが身にかかわる直接的な心配と同情だった。この日の妻は、日帰りのバスツアーで甲州ブドウ狩り(山梨県)へ出かけた。もちろん、私も誘われたけれど、つれなく断った。このツアーのもともとの発端は、娘と孫の誘いだった。本当のところは、妻も渋々の参加だった。このことでは妻にたいし、少なからず同情するところがある。結局、娘たちの誘いに乗ったのは、断り切れない義姉と妻だった。その挙句には、いずれの配偶者の同行の無い女性四人の旅だった。妻のバスツアーは年振りともわからない、いや孫(十一歳)は初参加だから、十一年以上は間遠(まどお)のものだった。そんなおり、あいにく肌寒い小雨模様に遭遇したことにたいし、私は四人を慮(おもんぱか)って気を揉んでいたのである。
 今朝(十一月五日・月曜日)の夜明けの空は、寒気を遠退けてのどかに晴れている。きのうには小雨を降らした恨めしい晩秋の空模様である。

 過ぎた「文化の日」

 きのうの「文化の日」(十一月三日・土曜日)は、過去の気象データに背かずのどかに晴れた。しかし、夕方の西空には待ちわびていた夕焼け雲は現れなかった。待ちわびていただけに、いくらかがっかりした。そして、夕焼け雲は待ちわびるものではないと、気分を直した。夕焼け雲はたまに現れ突然それに気づいてこそ、童心返りにみちびかれて興趣つのるものであろう。その証しは、直近の大沢さまのご投稿文が如実に示している。確かに、おとといの大沢さまのご投稿文は、まぎれもなくその証しだった。
 「『夕焼け雲』: 私は千昌夫の『夕焼け雲』の歌が好きだ。昨日の夕方、二階の私の部屋から見える町の空は、真っ赤に燃えていた。まさに、夕焼け雲の情景である。思わず窓辺にたたずみ、赤く染まった彼方の空をながめていた。今は亡き父母、弟との思い出がよみがえってくる。夕焼け雲に誘われてどこまでも歩いて行きたくなる。父や母や、弟に会えそうな気がする。いくつになっても恋しさはつのるばかりだ」。
 まさしく、抒情詩を詠むような夕焼け雲情景礼賛の文章である。ところがこれこそ、突然出合えたことで急いでカメラで撮り、しばしの感興に浸れた証しでもある。だからこれにこそ、待ち構えて撮ったものではない情景の清々しさが伝わってくる。私には老心を童心返りに触発されたありがたいご投稿文だった。

 きょうの文章はここでおしまいにしたいところである。しかし、蛇足ながら以下の配信ニュースを引用し、記録に留めるものである。【ソフトバンク2年連続日本一、広島またも届かず】(2018年11月3日 22時7分 読売新聞)。プロ野球の「SMBC日本シリーズ2018は3日、広島市のマツダスタジアムで第6戦が行われ、福岡ソフトバンクホークスが2年連続9度目(南海、ダイエー時代を含む)の日本一に輝いた。パシフィック・リーグ2位から勝ち上がったソフトバンクは、2―0でセントラル・リーグ覇者の広島東洋カープを破り、対戦成績を4勝1敗1分けとした。工藤公康監督は就任4年目で3度目の日本シリーズ制覇となった。広島はセ・リーグ3連覇を果たして1984年以来の日本一を目指したが、またも届かなかった。」
 わがファンとする阪神タイガースの出ない日本シリーズには、まったく興味なく一度さえのテレビ観戦もしないままである。なぜなら晩秋は、空や野山に自然界のおりなす風景に魅せられ、それを十分に堪能すればことたりるからでもある。

 「触発」果たせず

 「文化の日」(十一月三日・土曜日)、ほぼいつもの時間に起きて、キーボードへ向かっている。壁時計の針は三時あたりを回っている。晩秋の夜長にあって、物思いに耽るには絶好の時間帯である。執筆時間に追われて、焦ることもない恵まれた時間帯でもある。ところが、雑多な物思いだけが絶え間なく堂々巡りをするばかりで、文章にしたくなるものは何もない。いやこれは、いつもとほぼ同じ状態である。ところが、いつもであれば何かを無理やり浮かべて、どうにか実の無い文章を書いてきた。しかし、きょうはそれさえできそうにない。実際のところは、書けない、書きたくないほどに、気力喪失に見舞われている。苦しい胸の内の吐露である。こんななさけないことを書くようでは、もはや「ひぐらしの記」は打ち止めにきている。そして、書けば愚痴こぼしになるわが文章である。
 さて、現在のわが心中には、「触発」という言葉が浮かんでいる。あえて電子辞書を開くまでもない、きわめて簡単明瞭な日常語である。しかし、気分鎮めに開いた。触発:「①ものに触れて爆発・発動すること、②感情・衝動・意欲などを誘い起こすこと」。
 だれもがわかりすぎている言葉を電子辞書にすがったのは、こんな理由からである。もちろん、わが意図したものは②の説明文である。きのう(十一月二日・金曜日)の掲示板には、大沢さまから心の和むご投稿文があった。ご投稿文の内容は、ご自宅の窓からふと眺められた「夕焼け雲」にまつわる追懐だった。ご投稿文には文章による情景にかぎらず、晩秋の夕焼け雲風景を咄嗟にカメラで撮られた、二枚の写真が添えられていた。もちろん、出来栄えの良いカラー写真である。そのため、本当のところはこの文章に添えたい写真である。しかしながら惜しむらくは、この文章に借用してもカラー写真にはなり得ない。すると、素敵な夕焼け雲風景が興(きょう)に乗り切れない。やむなく私は、文章だけで伝えている。
 私は、大沢さまのご投稿文と二枚の写真に甚(いた)く「触発」されたのである。それは、夕焼け雲にまつわる童心返りだった。夕焼け雲は、わが子どもの頃の原風景だったのである。実際のところ往時の私は、夕焼け雲を眺めながら隣近所の遊び仲間との遊びを切り上げていた。別れの言葉は「また、あした」、そしてそのしぐさには、だれもが「あした、天気になあーれ…」と言って、履いていたゴム草履を空高く飛ばしていた。ゴム草履が表になるか、裏になるかでのあしたの天気占いだった。このほか、夕焼け雲にまつわる佳き思い出はたくさんある。このため、大沢さまのご投稿文と二枚の写真に「触発」されて、きのうの私は、あしたは夕焼け雲にまつわるわが思い出を書こうと、決め込んでいた。ところが、キーボードへ向かうと、この思いは無残に空振りに終わったのである。すなわち、大沢さまのご投稿文に「触発」されて志を立てたけど、果たせずじまいである。わが凡庸は、かえすがえす残念至極である。
 夜明けまでには、まだたっぷりと時間はある。せっかくの好機を棒に振って、はがゆさつのるばかりである。晴れの予報が出ている文化の日、私は待ちわびて夕焼け雲を眺めるつもりでいる。せっかく「触発」された文章を書けずじまいに終わった罪滅ぼしでもある。

ニューヒロイン・わがアイドル 

 十一月二日(金曜日)、きのうあたりから急に寒くなり、わが心身は寒さが身に沁みて萎縮している。そのせいで治りきらずに長引いていた風邪は、引き直して本格的になり始めている。それを恐れてこの一文を書けば、布団の中にとんぼ返りを決め込んでいる。いや、自作文をつづる気力はない。このため、メディアの多くの配信ニュースの中から、風邪薬代わりにうれしいニュースを引用し、布団の中に潜り込むこととした。
 先日、長年、私自身のアイドルとしていた女子卓球界の「愛ちゃん」が引退した。愛ちゃんらしい笑顔を湛えて、さわやかな引退だった。しかし、私は寂しさをつのらせていた。ところが、愛ちゃんに代わるニューヒロインの誕生である。すると、わがアイドルは、愛ちゃんからいまだにあどけない笑顔の「茉愛ちゃん」へと、バトンタッチされた。
 【村上茉愛が快挙 日本女子初の個人総合銀メダル】(11/2・金曜日、 0:00配信 日刊スポーツ)。「体操:世界選手権>◇1日◇カタール・ドーハ◇女子個人総合決勝」。女子個人総合決勝でエース村上茉愛(22=日体大)が最終種目の床運動で3人を抜く大逆転を演じ、55・798点で銀メダル。66年ドルトムント大会の池田敬子、09年ロンドン大会の鶴見虹子以来となる日本女子史上3人目の個人総合メダルを獲得した。優勝はリオデジャネイロ五輪4冠のシモーン・バイルス(21)だった。ゴムまり娘が砂漠の地で軽快に弾んだ。最終種目の床運動で完璧な演技。14・000点の高得点が表示され、メダルを確定させると、感無量の涙を浮かべた。昨年の個人総合決勝で落下し、表彰台を逃すことになった鬼門の平均台をノーミスで乗り切ったのが大きかった。「すごく良かった」。短い言葉に実感を込めた。苦闘の道程だった。7月の練習中に右足首靱帯を部分断裂し、全治3カ月の診断。内村航平も使う「体外衝撃波」の治療を行い、大舞台に照準を合わせてきた。8月、代表候補だった宮川紗江(19=高須クリニック)が、監督である塚原千恵子強化本部長をパワハラ問題で告発。大会直前には主力の杉原愛子(19=朝日生命ク)が腰痛で欠場するなどのトラブルにも見舞われた。先月30日の団体総合決勝は52年ぶりのメダルはならず6位。主将を務めた寺本明日香(22=ミキハウス)が「本当に申し訳ない」と涙をぼろぼろ流してミスした自分を責める中「(順位は)全員の問題。誰か1人を責める訳でなく、自分たち1人1人が0・1、0・2点を拾っていければいい」と毅然と前を向いた。様々な困難を乗り越えた精神力は大一番にいきた。昨年の種目別床運動金メダルに続く2年連続のメダル。東京五輪のメダル獲得に向けて最高のアピールとなった。

 十一月、月初

 十月から月が替わって、十一月一日(一日・木曜日)が訪れている。十一月はどんな月になるのか、クエスチョンマーク(?・疑問符)である。上旬には「立冬」(十一月七日)が訪れて、いよいよ冬は門口から入り玄関口へ迫ってくる。それでも自然界は、いまだに晩秋の装いを残していて、一年の中でも好季節の部類にある。その確かな証しには、見渡すかぎり黄色や紅色などへ色づく野山の彩りがある。さらには、ときには麗らかな小春日和が訪れる。かてて加えて、「文化の日」(十一月三日)の前後は、過去の気象統計上では一年の中で最も晴れ日が多いという。農家にとって実りの秋の大団円は、苦労が報われ金銭を得て、大喜びのさ中にある。
 確かに、十一月の自然界は、人間界に多くの恩恵をもたらしてくれる。しかし好事魔多し、気を揉(も)むのは寒冷の季節の訪れである。もちろん、それに泣きべそをかいても埒(らち)は明かず、じっと耐え忍び我慢するより便法はない。一方、十一月の人間界の営みをかんがみれば、真っ先に浮かぶのはこんなことである。それは齷齪(あくせく)する人間模様丸出しの光景でもある。一つは、街頭にはきょうから年賀はがきの売り出しを伝える幟旗(のぼりばた)がはためき始める。そして一つには、わが家の郵便受けには今や遅しとばかりに堰(せき)を切って、おせち料理の予約を促すダイレクトメールが投げ込まれてくる。ところがもはや、どちらもわが家には無縁になりつつあるご愛嬌物(あいきょうもの)である。これらに比べて、ご愛嬌物とは言えず切ないものには、日を追って増えてくる喪中はがきがある。はたして、何枚手にするのか? この先恐々とするものである。
 私自身に直接かかわる十一月初っ端の関心事には、十月から持ち越している風邪症状の治りと、口内炎の消滅がある。これらに脅かされて現在の私は、憂鬱気分を引きずっている。そのため、実の無い文章書いて、結文にするものである。この二つの症状が遠のかなければ、十一月のわが身は思いやられるところである。

十月末日

 十月三十一日(水曜日)。きょうで十月は、またたく間に過ぎてゆく。あらためて私は、歳月の速めぐり(感)に慄(おのの)いている。季節は晩秋の候であり、あすから十一月へ替われば、まもなく「立冬」(十一月七日)がめぐってくる。この季節、自然界のおりなす目で見る特徴には、野山や木立の色づきがある。わが身にごく身近なものでは、いよいよ落ち葉との闘いが厳しくなる。一方、体感するものではずばり、寒冷は日を追うにしたがって強くなる。やがては、寒々しい季節用語の木枯らし一号にも遭遇する。そんなおり、寒冷に遭って縮んだ心身を暖めてくれるのでは、合間に訪れる小春日和がある。
 このところの私は、朝の道路の掃除を終えるたびにしばしたたずんで、やおら頭上を見上げている。すると、日々落ち葉の量は増しているのに、見た目にはまったく空(す)かず、いまだに満々と枝葉を残している。わかっちゃいるけど、そのたびに切なくわが嘆息が漏れる。この先の二か月は、これらが落ち尽くすまで、落ち葉との闘いが強いられるからである。
 このところ、わが身体の衰弱を自覚しているものの一つは、風邪がすっきりと治りきらないことである。実際にも十月は、なんだかずっと風邪ひき状態のままだったように思えている。もちろん、今なおすっきりしないままである。「風邪は万病のもと」という、古来の言い伝えは、耳に胼胝(たこ)ができるほどに知り尽くしている。換言すれば、風邪を侮(あなど)ってはいけないという、人生訓である。そして、この人生訓を粗末にすれば、命を縮めることも知りすぎている。それでも、風邪退治にいっこうに本気が出ないのは、わが「身から出た錆」と言えるのかもしれない。風邪をひきっぱなしの状態では、もちろん気鬱症状にとらわれて意気は上がらない。知りすぎていることをうっちゃっているのは、確かなわがぐうたら病であろう。長引いている風邪が悪さをしているのかどうかとは知らないが、十月には途絶えていた口内炎の相次ぐ発症に見舞われている。
 「ひぐらしの記」を読み返せばわかるけど、ピロリ菌を何年前に退治したかの記憶はない。ピロリ菌退治(消滅)の薬剤投与は、それまで持病と諦めて苦しんでばかりいた二つの症状に著効をもたらした。顧みればそれは、それまでの人生の中で最も幸運な出来事だった。長く苦しんでいただけに症状改善によるわが喜びは、確かに天にも昇る心地だった。
 それまで苦痛を我慢し続けていた二つの症状とは、具体的には腰痛と口内炎の発症である。ところが、なぜか? ピロリ菌を退治するやいなや、この二つの症状がピタリと消えたのである。あえて、なぜか? と書いたのは、主治医先生にお尋ねしても、わからずじまいだったことでもある。言うなれば、理由や原因知らずの症状の改善だったのである。そのため、あらためてわが喜びを語彙で表せばそれは、天啓であり、僥倖であり、棚から牡丹餅を得たようなものだった。なぜなら、それ以来私は、腰痛と口内炎の痛みから解放されたのである。そして、腰痛はなお免れたままが続いている。ところがこの十月には、かつての口内炎が二度にわたりぶり返したのである。かえすがえす残念であり、今や腑に落ちない出来事だった。すると、月替わってしばらくは、口内炎の発症動向に気を揉(も)むことになりそうである。もちろん、現在の私は、十月だけの異変であってほしいと、切に願っている。
 まもなく、十月最終日の夜明けが訪れる。夜明けの掃除へ向かう時間の到来である。朝の心せわしいひとときである。

様変わる世の中 

 街中は再開発という名のもとに、超高層ビルの乱立状態にある。このため、街の様子は様変わりを続けている。超高層ビルの多くは人の住むマンションである。一方、郊外では人の住まない空き家が増え続けている。身近なところでは駅が様変わりを続けている。駅の変化は商売(店舗)スペースへの模様替えである。駅(経営者)の魂胆は、さまざまなテナント(店子)を駅中に入れて、安定した収入増を狙っているのであろう。
 これまでの駅は隣接して駅ビルを建て、スペース(区割り)をテナントに賃貸していた。ところが、もはやこの方式は時代遅れとなり、駅中に直接テナントを引き込んでいる。おのずから駅中は、華やかに賑わうデパートや商店街風景に様変わりつつある。すなわち、様変わりゆく駅中は、単に電車や列車を乗り降りするだけの役割(用途)から脱皮しつつある。電車や列車を乗り降りするだけでは、確かにプラットホームだけで十分だった。しかし、人の往来の激しい駅中をそれだけにしておくことは、もったいないと気づいたのであろう。なぜなら、駅は街中の一等地にあり、かてて加えて駅舎の立地と敷地の広さは、飛び抜けて周辺を圧している。確かに、この好条件を見す見す見捨てて置くことはない。すると、このところの駅中の様変わりようは、これまでのほほんとしていた駅(経営者)がようやく商売人根性に目覚めた証しであろうか。かつての国鉄がJR(民間)になって以来、むしろ遅すぎた様変わりであろう。私鉄は、もっと早く気づくべきだったのかもしれない。
 ところが、駅(経営者)が商売に本気度を出せば、おのずから周辺の店はそのあおりを食って寂れてゆく。その確かな証しは、わが買い物の街・大船(鎌倉市)においても見られる。JR大船駅中に本屋ができて以来、駅ビル・ルミネの本屋の人影は、まばら傾向をきわめている。もちろん、ルミネの本屋における人影の途絶えには、ネット書店が加担していることもあろう。しかしながら、駅中の本屋がルミネの本屋に災難をもたらした張本人と言えなくもない。確かに、新陳代謝や弱肉強食は世の中の定めではある。なぜなら、駅ビル・ルミネに本屋が開店した折には、周辺にいくつかあった本屋をまたたくまに蹴散らされ、閉店の憂き目に遭遇している。大袈裟さに言えば世の中のすべては、盛者必衰(じょうしゃひっすい)の理(ことわり)の中にある。
 駅中の様変わりを見るにつけ私は、この思いを強くしている。卑近なところで私自身にも、世の中の様変わりようが乗り移っている。かつて、ときには買っていた雑誌は、まったく無縁になった。夫婦共に携帯電話を持つようになって以来、固定電話も用無しになりつつある。本当のところは、新聞購読も潮時にある。さらには、この頃の私は頓(とみ)にテレビを観なくなり始めている。デジカメ、ファックス、プリンターは、今やまったく用無しである。すなわち、パソコン画面にしがみついていれば、家庭内情報媒体は用無しになりつつある。もちろん私は、パソコン難民と言えるほどにその使用技術は、パソコン本来の機能の一パーセントほどにも満たないなさけなさではる。それでも、私にとってのパソコンは、ほかの情報媒体を無用にするほどに利便である。
 その一方で私は、時代の様変わりに置いて行かれている。携帯電話は頑(かたく)なにガラケーである。ところが、妻はガラケーからスマホへ替えた。私はかたわらでスマホを操る妻の姿を、操作を恐れて手出し無用で眺めている。街中にかぎらず、わが家の様相もとうに変わり始めている。駅中の賑わいとは異なり、いくらか心寂しい様変わりようである。

 孫の運動会見物

 一々、「休みます」、と書くのが億劫になってきた。もう、書けなくなってきたからである。だから、もう書かずに、休もうと思う。わが心象風景は、日々、いや時々刻々に揺れ動いている。もちろん、穏やかに揺れ動いているわけではない。実際には悶々と、揺れ動いている。心象風景でつづる文章は、もろに影響をこうむっている。その挙句、もう書けない気分に陥り、さいなまれている。言うなれば、ほとほとなさけない状態にある。
 よくもわるくも物思いに耽る秋の夜長にあって、実際のところ私は、こんな思いにとりつかれている。物思いに耽るせっかくの好機は、マイナス思考の渦中にある。こんなことを書くためにキーボードへ向かっているわけではない。できればきのう(十月二十八日)休んだ穴埋めをしたいという思いで、キーボードに就いている。ところが、みっともない文章を書いている。わが脳髄が「もう文章を書き続けることは無理だ!」と、赤信号を点滅させているせいである。
 きのうの私は妻と連れ立って、朝早くから神奈川県横須賀市における孫の運動会見物へ出かけた。近いようで遠く、電車やバスを乗り継いで、二時間ちょっとかけて、朝の八時四十分頃に校庭に着いた。運動会の開始時刻は九時からである。
 孫は、誕生以来「ひぐらしの記」にたびたび登場してきた。その孫も、早や小学校五年生(十一歳)である。孫の誕生は、ひぐらしの記の誕生とほぼ同時期である。日にち的には、ひぐらしの記の誕生が半月ほど早い。もちろん私は、孫の誕生を見越してひぐらしの記を書き始めたわけではない。ところが、誕生の機をほぼ同じくしたことにより、図らずもひぐらしの記は、孫の成長記録ともなっている。このことから私は、孫の成長過程における十一年の重みをひしひしと感じている。もちろんそれは、孫にかぎらず人の命の尊厳と偉大さにたいする驚異である。具体的な証しの一つは、あんな赤ちゃんが運動場を駆け回ったり、下級生の面倒を見る役割までに成長している驚きである。一方でわが十一年は、無為無策のままに老体を深めるままで過ぎた。
 コース取りの白線の外側には、本部席と敬老席の二張りの天幕が立っていた。私は妻と並んで、娘夫婦が陣取っていた敬老席の最前列に腰を下ろした。私はプログラムを手にしながら孫の出番を待っていた。孫の出番が来ると、孫の姿に目を凝らした。周囲で押し合いへし合いしながら賑わう多くの観客は、それぞれがさまざまな文明の利器を翳(かざ)して、わが子、わが孫の姿を無心に追っかけていた。楽しく、一方で切ない孫の運動会見物だった。秋天青空ののどかな運動会日和だった。私は神妙に十一年の重みに浸っていた。

わが身、肥ゆる秋 

 過ぎたこの夏、私は夏痩せ願望を掲げた。しかし願望は、数グラムも果たせずじまいだった。それでも、その後もいくらかの減量を願って、食事や食べ物には気配りを続けている。実際に気配りしているものの一つは、やたら滅多らと摂っていた間食を間遠くしている。間食となればもっぱら、駄菓子などのスイーツ(甘味類)のつまみ食いである。確かに、私は根っからの甘党である。ところが、生来のこの性癖をいくらかでも断とうと決断をしたのである。いや、断つことはできそうにないから、実際にはしばしの是正の試みである。こんな小さな試みであっても、決断には苦慮を強いられた。もちろん、実践するにはなお強い意志が課せられた。しかし、その意志に勝てず、やがては元の木阿弥となった。すなわち、志したダイエットは、こんどもまた未達に終わったのである。
 これまでの人生において私は、こんなことを何度繰り返してきたことだろう。その元凶となる意志薄弱と三日坊主は、わが生来の確かな悪癖である。まもなく、私には食べたくても食べられない人生の終幕が訪れる。それなのに、食べたいものを我慢するのは愚の骨頂の極みである。いつものようにこんな自己都合の口実をもうけて、このところの私は頓(とみ)にダイエット志向の解禁に心が揺さぶられている。それでも少しは初志を残して、駄菓子類のつまみ食いだけは控え気味にしている。ところが、実際にはこれも期限切れに迫られている。せっかく志しているダイエットが風前の灯火(ともしび)になりつつあるのは、もちろんわが意志の弱さである。かてて加えて、実りの秋がわが意志に通せんぼしている。
 中秋は晩秋へと深まりつつある。つれて、わが行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)には、秋の果物のしんがりに出回る柿が並び始めている。ミカンを間断なくたらふく食べて、その間隙に柿をむさぼり始めると、おのずから「わが身、肥ゆる秋」となる。よくもわるくも、「果糖」に脅(おびや)かされる季節の到来である。

再び、二番煎じの文章 

 きのう(十月二十五日・木曜日)は、この先に予測される日本社会の変質について、わが下種(げす)の勘繰りの一考を書いた。大まかに再び記すとそれは、将来にわたり予測されている日本人人口の減少を補う、日本社会における外国人急増現象にかかわるものだった。さらに具体的に言えば、背に腹は代えられないとはいえ、その現象を危惧するものだった。もちろん私は、外国人自体を毛嫌いしているわけではない。個々人では、仲良くすればこと足りることである。一方でわが危惧は、増え続けるにつれて起きそうな日本社会の変質である。日本社会の変質と言っても、もちろん良く変わればしめたものではある。ところがここでは、危惧と書いていることから悪化を恐れてのものである。
 さて、きょう(十月二十六日・金曜日)もまた私は、二番煎じのことを書く羽目になっている。二番煎じとは、すでに書いたことの繰り返しである。しかしながらこちらは、冒頭の事柄とは異なり、私自身につきまとう戸惑いである。ずばりそれは、日本社会におけるカタカナ語の氾濫である。日本社会にあっては英語をはじめとする外国語、すなわち外来語の表示にはカタカナが用いられている。もちろんその表示には一理があり、分かり易いところがある。ところが、これまた増え続けると、日常的に戸惑いをおぼえることとなる。かてて加えて、新聞をはじめとする様々な情報媒体には、外国語(英字)の短縮表示が増えている。すると、カタカナ語やさまざまな英字の短縮語を知らなければ、おのずから媒体が伝える情報に疎(うと)くなったり、戸惑いをおぼえることとなる。
 実際のところ私は、それらの現象の渦中に嵌(は)まりかけている。大衆紙と謳(うた)う新聞にかぎっても、このところその傾向は著しいものがある。確かに、難解なカタカナ語や英字短縮文字には、その説明書きが添えられていることはある。しかし、多用や汎用(はんよう)となると日常語扱いとなり、おのずから説明文は省(はぶ)かれる。新聞は日刊紙と銘打っている。このため、日々読み続けて読み慣れることこそ、肝心なのであろう。しかし、寸断を余儀なくすることは多々ある。
 カタカナ語や英字短縮語の汎用の背景は、グローバル時代(地球規模的交流)の反映である。そしてその手段は、IT(情報技術)やSNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)の開発および進歩である。馬鹿じゃなかろか! 私はその渦中に嵌まりどうにかそれらを使用し、日々脅(おびや)かされてもいる。その挙句、実際には変質続ける日本社会の落後者になりつつある。それゆえ私は、日々必死にもがき続けている。もちろん、わが凡庸な脳髄と小器のせいである。いのち、残り幾ばくも無いとはいえ、生きるにつらい世の中である。秋の夜長は、深々と更けてゆく。

秋の夜長の迷い文 

 十月二十五日(木曜日)、秋の夜長はいまだ中盤と言ったところで、この先に向かってまだまだ長く深まってゆく。夜間に文章を書く習わしにしている私の場合、夜長にはたっぷりと執筆の時間がある。ところが実際の私は、必ずしも夜長の恩恵を得ていない。すなわち、いたずらに妄想にとりつかれて、文章は浮かばず悶々と更けてゆく。もちろん、せっかくの夜長を得手(味方)にできないのは、わが凡庸な脳髄のせいである。それゆえ誰を恨むこともできず、嘆いて自分自身を恨んでいる。
 なさけない文章で書き出しているけれど、書き出したかぎりは何かを書かなければならない。つくづく、能無し野郎のつらいところである。すると、二番煎じで心中に浮かんでいることがある。確かに、先々の日本社会のことなど、私がかかわることなど何もない。だから、杞憂や老婆心と言えなくもない。それは、この先いやわが死後に見舞われそうな日本社会の変質である。さまざまなところで変質が予測される日本社会にあって、わが最も懸念するところは将来にわたり減り続ける日本社会の人口動態である。その明らかな現象は、今や耳に胼胝(たこ)を生じるまでにもなっている次のようなことである。すなわち少子高齢化社会、そして多くの自治体の人口減少、とりわけ地方・地域の過疎化傾向である。
 現在、これらから生じている現象の一つには、日本社会における日本人働き手の減少がある。おのずからその対策は、日本社会の喫緊の課題ともなっている。すると、それを補うためには背に腹は代えられず、外国人とりわけ労働者としての受け入れが国政の対策課題となっている。さらには、人の手が足りなければ科学の進歩やIT(情報技術)で補う、ロボットやAI(人工知能)の開発が大わらわになっている。
 これらの中では、私は日本社会における外国人の激増にかなりの不安をつのらせている。なぜなら私には、このことが先々の日本社会に大きな変質をもたらしくる予感がある。このこともすでに書いたことだけど、再び書けばそれは、「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」という、恐れと怯(おび)えである。もちろん、日本社会にかぎらず社会を形成しているのは、個々人のおりなす人の集団である。すなわち、この先の日本社会にあって、さまざまな国の人が混在すれば、日本社会の変質は当然の帰結である。すると私は、変質の仕方を憂い危ぶんでいるのである。馬鹿じゃなかろか! 取り越し苦労は、わが「身から出た錆」である。

 私は頑張りを称賛する

 映像を観ていない人にはわからない。しかし、映像を観ていた人にはショッキング(衝撃的)な光景だった。戦いを終えて、その光景にたいする賛否両論が沸き立っている。私はどちらの見解も理に適(かな)っていると思う。だから、一概に賛否のけりをつけたくはない。このため、たった一つだけわが見解を記すと、当該選手の敢闘精神だけは全員一致で称賛すべきだと思う光景だった。頑張り抜いた選手は、岩谷産業チーム所属の熊本県出身(十九歳)という。
 【駅伝負傷選手はいずりに賛否…監督棄権も伝わらず どうすればよかったのか?】(10/23・火曜日、19:58配信 産経新聞)。福岡県で21日に開催された全日本実業団対抗女子駅伝予選会の2区(3・6キロ)で、負傷した岩谷産業の選手がたすきをつなぐため、四つんばいになって競技を続けたことが賛否の議論となっている。選手に称賛が集まった一方で、主催者には「やめさせるべきだった」との批判も寄せられている。選手は、中継所まで約200メートルのところで突然倒れた。両手と両膝をついて四つんばいになり、アスファルトの上を進んだ。両膝はすれて血がにじみ、その様子を見守った次走者の同僚選手は涙で目を潤ませた。レース後、負傷した選手は右脛の骨折で全治3~4カ月と判明。岩谷産業は、監督が棄権を申し出ていたことを明かし「誠に遺憾であり、大会運営の改善を願う」とするコメントを発表した。なぜ棄権できなかったのか。主催者の日本実業団陸上競技連合によると、負傷選手に監督らが触れ、介抱するなどした場合は棄権になる。ただ、この大会では車での伴走は認められておらず、監督らはコースから離れた部屋で中継を見ていた。異変に気づいた監督はすぐに主催者側に「止めてくれ」と棄権の意思を伝達。コースの担当者に連絡し、選手の意思確認に向かった。だが、選手は強い続行の意思を示したため、担当者は再度、監督に確認作業を行った。監督の棄権の意向は変わらなかったが、現場との連絡に時間を取られている間に中継所まで約15メートルの地点まで迫っていたため見送ったという。日本陸上競技連盟駅伝競走規準では、審判らが危険と判断した場合などは、強制的に選手を棄権にさせることもできる。ただ、飯田選手に声をかけた審判の一人は「本人の『絶対に行く』という思いが明確で、止めるのを躊躇してしまった」と話している。判断は妥当だったのか。日本陸連の河野匡長距離・マラソン・ディレクターは「駅伝はたすきをつながなければ終わり。選手や監督、審判の思いなど複雑な要素がからむので一概に止める方がいい、よくないとはいえない」と指摘する。一方、スポーツ評論家の玉木正之氏は「『あと少しだったから続けさせた』というのは審判の越権行為ではないか。今回の事態をきっかけにして審判が棄権にできる基準を作っていくべきだ」と訴える。主催者の日本実業団陸上競技連合、鎌倉光男事務局長は「意識がないなど明確に続行不可能な場合は審判の権限で止めることができるが、今回のような場合は難しい」と吐露。「今後のあり方を協議していきたい」としている。

名句をくちずさんだ「柿のふるさと便」 

 「古池や 蛙飛び込む 水の音」(松尾芭蕉)。「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」(正岡子規)。いずれも後世(現代)に残され、謳い継がれている名句である。実際にもこの二句は、先日の「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)のフェスティバルにおいて、人を替えて朗詠された。なんとはないと思えていた句だったけれど、詩吟に乗ってしんみりとした感動をもたらした。不断の私は、おこがましくもこれくらいの俳句なら作れそうだと、思っていた。その理由には別段難しいところはなく、むしろ幼稚なものにさえ思えていたからである。その思いに悪乗りして、もともと大家ゆえの句だから、名句に数えられるのだろうとも、思っていた。さらには、名の無い人が詠んだらこの二句は、鼻にもかけられないものだろうとまで、思っていた。
 世の中には大家ゆえに箔(はく)の付くものはさまざまにある。「玄人(くろうと)はだし」という言葉があるけれど、日常的に玄人と素人(しろうと)の境など、分別できないものはたくさんある。実際にも私はフェスティバルのたびに、さまざまな展示の作品にこの思いをつのらせている。
 きのう(十月二十二日・月曜日)、「ふるさと便・柿」が届いた。送ってくださったのは、熊本県菊池市にお住いの岡崎俊裕さん夫妻である。奥方は、ふるさとの長兄夫婦の次女の弘子さんである。ご夫妻からの柿のふるさと便は、ここ数年恒例となっている。もちろんわが夫婦は、あからさまにおねだりはしていない。しかし、ひそかに待っているところはある。ご夫妻からの柿のふるさと便は、一度だけにかぎらず二度、三度にわたるときさえある。手間暇と送り賃かけて、ご夫妻からたまわるうれしい好意である。
 柿自体は屋敷内に生っている、言うなれば庭柿である。庭柿の特徴は、味覚そして外観共に素朴のところである。ところがこれには、ご夫妻の温かい人情と郷愁がまつわりついてくる。きのうの柿のふるさと便は、携帯電話のこんなメール履歴の末に送られて来たのである。一度目は、「ことしは、柿が少ないから送れません」。そして二度目は、「少しばかりとれたから送りました。あしたあたり、届くと思います」。
 予告どおりにきのう、段ボール詰めの柿が送られて来た。心勇んで、上り口で段ボールを開けた。明るんだ武骨な庭柿が詰まっていた。私は「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と、詩吟の音調で声を出した。茶の間に居た妻が慌ててやってきた。
「パパ、どうしたの?」
「柿が届いたよ。だから、おとといの詩吟の真似をしたのだよ」
「そうなの。パパが認知症になったのかと、思ったわよ」
 心落ち着いて、二人、茶の間で味見をした。異口同音に、「甘いわねー」、「美味いねー」と、言葉がほとばしった。
 秋の日、私はふるさと便に心和んで、名句のかもす味をも味わっていたのである。

 晴れた秋の日、「日々是れ好日」

 週末の土曜日(十月二十日)、日曜日(十月二十一日)にかけて、「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)では、年に一度のフィスティバルが行われた。掲げられていた横断幕には、「第二十六回フィスティバル」と、記されていた。センターの中にあるさまざまな同好クラブの中で、私は卓球クラブに属している。このこともあって連日、昼近くに出かけた。フィスティバルは福祉協議会が催す、市内在住の六十歳以上の高齢者が通う、さしずめ秋の文化祭である。
 この手の施設は、鎌倉市内に三か所ある。さまざまなクラブの同好の士は、座敷広間と体育室さらには展示会場において、所属クラブの技を披露する。しかし卓球クラブは、体育室を二日とも社交ダンスや太極拳など、ほかのクラブに明け渡すため出番はない。文化祭と並ぶ運動会は、高齢者には今や用無しである。センター脇の広場にはテントが七基も立てられて屋台が並び、それなりのお祭り気分を盛り上げていた。
 二日とも秋の好天気に恵まれて、広場のあちらこちらにはいくつものテーブルが置かれていた。私は二日とも昼近くに出かけた。そしていずれも、おにぎりを買ってひとりテーブルに着いた。すると、卓球クラブの仲間が声掛けに見えた。賑わう多くのテーブルには普段見慣れた高齢者に、まったく見慣れない小さな子どもたちが連れ添っていた。そして、それぞれが屋台の食べ物を買って、和んで食べていた。小さな子どもたちは、孫あるいは曽孫なのであろう。フィスティバルが訪れるたびにおぼえるのは、見慣れていた人の姿が絶えてゆく寂しさである。もちろん、やがてわが身である。
 私は広間の催し物の三つを観た。一日目は詩吟、そして二日目はフラダンスとオカリナ笛の演奏である。詩吟クラブの練習日は、定例水曜日の卓球クラブの練習日と重なっている。おのずからお顔見知りが多いため、応援観覧である。二日目の広間の午後の時間帯には、フラダンスとオカリナ笛が続いて行われた。フラダンスには、卓球クラブの渡部さんが笑顔をまき散らし華やかに踊られた。そのため、観なきゃソンソン(損々)という思いをたずさえて、これまた応援観覧であった。
 オカリナ笛の演奏には、長い間「ひぐらしの記」の回読をたまわっていた佐藤さんが出演されていた。このため、お礼返しの気持ちを込めて、またまた応援観覧だった。オカリナ笛クラブは、昼休みの時間を惜しんで広間の舞台で練習していた。練習から観ていたのは私だけだった。結局、そのときからしんがりのオカリナ笛が終るまで、私は広間に居座っていた。
 今年のフィスティバルは終わった。わが身を含めて、来年のフィスティバルのことはわからない。願うことは、恙(つつが)なくめぐってきてほしいことである。

美智子さま、賛美 

 私は恐れ多くも「美智子さま」のファンである。遠目の出会いは三宅坂で観た、ご成婚パレードの馬車の中の絶世のお美しいお姿である。私はその年の三月に高校を卒業し、上京していたのである。大都会で出合った、夢見る心地の華やかな光景だった。
【皇后さま誕生日の宮内記者会質問と回答全文】(2018年10月20日05時00分 Copyright © The Yomiuri Shimbun)。「この一年も、西日本豪雨や北海道の地震をはじめとする自然災害など様々な出来事がありました。今のお立場で誕生日を迎えられるのは今年限りとなりますが、天皇陛下の退位まで半年余りとなったご心境をお聞かせ下さい。」「昨年の誕生日から今日まで、この一年も年初の大雪に始まり、地震、噴火、豪雨等、自然災害が各地で相次ぎ、世界でも同様の災害や猛暑による山火事、ハリケーン等が様々な場所で多くの被害をもたらしました。「バックウォーター」「走錨(そうびょう)」など、災害がなければ決して知ることのなかった語彙にも、悲しいことですが慣れていかなくてはなりません。日本の各地で、災害により犠牲になられた方々を心より悼み、残された方々のお悲しみを少しでも分け持てればと思っています。また被災した地域に、少しでも早く平穏な日常の戻るよう、そして寒さに向かうこれからの季節を、どうか被災された方々が健康を損なうことなく過ごされるよう祈っています。そのような中、時々に訪れる被災地では、被災者の静かに物事に耐える姿、そして恐らくは一人一人が大きな心の試練を経験しているだろう中で、健気に生きている子ども達の姿にいつも胸を打たれています。また、被害が激しく、あれ程までに困難の大きい中で、一人でも多くの人命を救おうと、日夜全力を挙げて救援に当たられる全ての人々に対し、深い敬意と感謝の念を抱いています。約30年にわたる、陛下の『天皇』としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで『全身』と『全霊』双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に『全身』をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。24歳の時、想像すら出来なかったこの道に招かれ、大きな不安の中で、ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ、おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた『象徴』(皇太子時代は将来の『象徴』)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています。皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく――そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が『経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように』と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り、陛下には時に厳しく、しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は、誰も本当に可愛く、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく日本や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからもご家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。 先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。赤坂に移る前に、ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。昨年、何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが、両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに、お住居の隅々まできれいで、管理を任されていた旧奉仕者が、夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り、深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず、宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと、陛下とお話しし合っております。公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが、これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは一冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴス(※1)も2、3冊待機しています。また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリ(※2)を作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに一畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田に踏み入るところでした。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。皇太子、天皇としての長いお務めを全うされ、やがて85歳におなりの陛下が、これまでのお疲れをいやされるためにも、これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに、心の安らぎを覚えています。 しばらく離れていた懐かしい御用地が、今どのようになっているか。日本タンポポはどのくらい残っているか、その増減がいつも気になっている日本蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り、陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワ(※3)の木なども御一緒に植えながら、残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。◇(※1)ジーヴス 英国の作家P・G・ウッドハウス(1881~1975年)による探偵小説の主人公の名前。執事で、お人よしの主人とともに数々の事件を解決する。海外ではシャーロック・ホームズと並ぶ人気を誇るといい、日本でも出版されている。(※2)マクワウリ 上品な甘さが特徴で、戦国武将・織田信長が朝廷に献上したという記録が残る。その名は、名産地・岐阜県真桑村(現本巣=もとす=市)に由来する。「瓜田に履を納れず」(不用意に人から疑われるような事はするな)という中国の教えがある。(※3)イヌビワ クワ科の落葉樹でビワに似た実をつける。関東より西の海辺で多く自生。天皇陛下は2009年から5年間、研究者とともに皇居内のタヌキの食性を調査し、16年に掲載された論文でイヌビワの実を食べていると発表された。」

果物の秋 

 秋が深まり行くにつれて、行きつけの野菜果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)の店頭風景が変わって行く。現在、変りようの中心を成すのは、温州ミカンの本格的な出回りである。店内は、野菜フロアと果物フロアに区分されている。野菜売り場の色合いは、根菜類そのままに緑や土色で地味である。一方、果物売り場は、それぞれの明るんだ色合いの競演さながらに華やかである。果物の場合は根菜類と違って、バナナをはじめ外国産も多く並んでいる。
 バナナは別として私は、さまざまな外国産には馴染みなく、これまで試し買いをしたこともない。果物にかぎらず食べ物は、子どもの頃から食べ慣れてきたものに惹かれるところがある。舌に馴染んだ習慣と言えるのかもしれない。確かに、食べてみれば甲乙つけがたくどちらも美味しいものである。しかし、葡萄、林檎、桃などに比べてわが買いの手は、梨、柿、栗、蜜柑類に伸びがちである。この違いは子どもの頃にかぎれば前者には馴染みが薄く、後者は庭先をはじめ身近なところにやたらと生って、食べていたせいであろう。そのうえ、私の場合は味覚や食べ慣れに輪をかけるのは郷愁がつきまとう。後者の中で今秋は、幸いにもこれまで「栗団子」三昧に明け暮れた。妻と相和して、「もう、これで終わりだな!」と、言い合いながら何度も作り続けた。
 きのう(十月十八日・木曜日)の栗団子作りにあっては、とうとう妻の口からこんな言葉が出た。
「パパ。栗団子、何度作ったかしら?…」
 すると、私は作るたびに数えていたことから、得たりやおうとばかりに即座に、「八度だよ。ありがたいよ。うれしいよ。ありがとう!」と、言った。しかしながら栗団子作りは、もう、きのうで打ち止めになるだろう。なぜなら、このところの妻は、実際のところ栗団子作りにへこたれていた。そのため、後半にかけてはやむなく、私自身が主導権(チーフ)をになって、せっせと作っていた。いや、三度くらいは、栗団子作りの全工程を私単独でまっとうした。このため、私自身、いくらか疲れ気味で、栗団子作りはきのうで打ち止めにする気分になっていた。
 もう、栗団子作りは打ち止めにしてもいいなと思えていたのは、温州ミカンの出回りにありついているからでもある。実際にもこのところのわが買い物には、温州ミカンが切れ目なくなりつつある。重たいリュックを下ろすたびに、妻は「パパ。ミカンをいつも買ってきて、どうするの? 食べきれないでしょ!」と、恨めしそうに小言を言う。
「おまえは食べきれなくても、おれが、ばんばん食うよ! わかってて、買って来ているんだから、一々、文句言うなよ!」
 このところの温州ミカン売り場は、県内ところを替えて熊本産のオンパレードである。すると私は、その前をよそ者風情(ふぜい)で通り過ぎることができないのである。
 このところは、好物の柿も出回り始めている。柿には熊本産の出回りはないけれど、ふるさと時代の柿風景がよみがえる。三人掛かりで庭先の柿を千切ると、土間の上り口で母は、包丁で皮を剥いた。四つ切の柿には、われ先に父とわが手が伸びた。栗団子はきのうで打ち止めたけれど、郷愁つのる果物はこの先、蜜柑と柿が共存し盛りをなしてくる。すると、それらの買い物のたびにわが心中には、生前の父と母の姿が彷彿する。
 確かに、道路の掃除では落ち葉の量に手を焼いている。しかし、それをしのいで、楽しい果物の秋の真っ盛りである。

夜明け間際の愚痴こぼし 

 十月十八日(木曜日)、夜明け間近に書き出している。秋の夜長にあっても、焦燥感に見舞われている。先日、秋の夜長にあっては焦燥感なくのんびり書ける、と書いたばかりである。ところが、早とちりをしてしまったようである。なぜなら、秋の夜長にあっても、やはり焦燥感はつきまとっている。焦燥感をもたらしているのは、朝のうちの日課と謳(うた)っている、道路の掃除との兼ね合いである。
 私には自認している四つの日課がある。あえて記すと、これらである。一つは、「ひぐらしの記」の執筆である。一つは、わが家周りの道路の掃除である。一つは、分別ごみの所定の場所への持ち込みである。最後の一つは、路線バスに乗っての大船(鎌倉市)の街への買い物である。これらのなかで買い物だけは、日課とは言えど必ずしも毎日出かける必要はない。そのうえ、買い物行動は昼間である。分別ごみ出しも、文字どおり回収車が回ってくるのは、午前九時あたりからである。そのため、そう慌てることはない。すると、厄介なのは前二つ、すなわちひぐらしの記と道路の掃除のことに尽きる。
 具体的には、実行する時間帯の重なりである。これとて、順位を付ければひぐらしの記の執筆が優先する。確かに、道路の掃除は朝のうちにできなければ、昼間や夕方に延ばすことはできる。はたまた、落ち葉の無い季節は、朝、昼、夕、すなわち一日中休むこともできる。ところが、落ち葉の季節にあっては、休むことは許されない。とりわけ、十月から十二月の三か月は、飛びっきりの落ち葉の季節にある。このため、この三か月は昼間や夕方への先延ばしは許されず、私はみずからに夜明けまもなくの掃除を強いている。
 なんで、こんな難渋なことを強いているのかと自問すれば、その答えはわが目に道路が汚いからである。特に、先の三か月は落ち葉尽くしの季節である。すると、私は朝の散歩めぐりの人たちに先駆けて、道路を綺麗にしておきたいという、思いに駆られてくる。その挙句にはやむなく、たびたびひぐらしの記の執筆と道路の掃除の時間が重なる羽目になる。道路の掃除は、一基の外灯の灯す下ではできない。もし仮にそれをやれば、「あのあたりには気違いがいる」という評判をこうむり、わが志とは逆に散歩めぐりの人たちへの邪魔者になりかねない。そのため、おのずから道路の掃除は、どんなに心が急(せ)いても夜明けを待つことになる。そして、その前にあっては、ひぐらしの記を書き終えていなければならない。ところがこれこそ、「言う易く行うは難し」の見本みたいなものである。結局、夜明けとほぼ同時に道路の掃除を叶えるには、おのずからひぐらしの記は走り書きや殴り書きをこうむることとなる。
 長々と身も蓋もない切ない楽屋話を吐露した。実際のところ秋の夜長にあっても、焦燥感に襲われるわが苦しい胸の内である。大規模新興住宅地にあって、好んで山際に居を構えたしっぺがしなのか、罰当たりなのか、私は本格的な落ち葉の季節の到来に当惑している。落ち葉の多さに比例するかのように、拾い上げても葉っぱは日に日に重量感を失くし、葉色は艶なく枯葉色、黄色、紅色などへと、変幻自在の様相を深めている。もちろん、落ち葉やドングリとて、好んで落ちるわけではなく、寿命に逆らえず泣き泣き落ちてくるのであろう。そうであれば好季節にあって、死に向かう命の儚(はかな)さを一句に託しても、罰は当たらないはずである。しかし、惜しむらくは私に詩心はない。
 書き殴りをしたせいで、夜明けまでは約十分の残しである。このためきょうは、夜明けを待って、道路の掃除へ向かえることとなる。確かに、うれしいといえばうれしいが、一方では文章の走り書きに、やるせなさがつのっている。

ふるさと産新米 

 私にとって実りの秋の最頂点は、ふるさと産新米との出合である。昨晩(十月十六日・火曜日)、ふるさと産の新米が宅配人から担ぎ込まれた。面倒を掛けて送ってくれたのは甥っ子である。新米の時期にあってはふるさと産の購入を続けている。購入は一回にあたり三十キロである。これを二度と決めているから、年にはつごう六十キロ(一俵)である。一俵を食い尽くすのは六月初めの頃である。その先、ふるさと産の新米が出回る間は、こちらの市販のコメに切り替えている。その理由には二つある。一つは、夏の間のふるさと産には虫が付き易いためである。刈り入れてすぐに揉みずりをしたコメを保存する技術は、商売目当ての専門業者にふるさと産が敵(かな)うはずはない。もちろん、これは当然至極である。だから、甥っ子にたいし、「虫が付いたよ」などと、決して言いたくないための予防措置である。もう一つの理由は市販のコメであれば、九月初めには早々とどこかの新米が出回り始めてくる。ブランド米の早出し競争は、避けて通れないコメ生産者の宿命である。
 私の場合、九月初めの新米には、今一つ信頼を置けないところはある。それでも、「今年度産新米」という表示には、やはり気分ワクワクするところがある。もちろん、よそ物としても先駆けの新米は、ふるさと産につなぐにはありがたいものである。先駆けの市販の新米から比べれば、ふるさと産新米の宅配には、二か月余りの遅れを我慢しなければならない。ふるさとの稲仕納(いねじのう)は、(確かに、十月だった)と、今なおわが脳裏に焼きついている。
 ふるさと産新米は、ブランド米の競争場裏にはない。このため農家は、昔と変わらず季節のめぐりに合わせて、作付けと刈り入れを行っている。言うなればふるさと産新米は、農家の自然体の産物である。そのため、ふるさと産をこよなく愛し、それ一辺倒にすがろうと思えば、待ち遠しくても時期の遅れは我慢しなければならない。これまた、当然至極である。待てど、ふるさと産新米の宅配こそ、わが実りの秋の大団円(だいだんえん)である。
 ふるさと産新米の味覚には、コメ自体の美味しさだけではなく、かずかずの興趣が上乗せられてくる。もちろんそれらは郷愁であり人の温もりであり、かてて加えて、偲ばれてくる亡き人の姿である。
 早速、ふるさと電話をかけた。
「コメ、今、届いたよ。いつも、面倒をかけるね。ありがとう。ふるさとが遠くならず、ほんとにありがたいよ。お金は、きょうの昼間に振り込んだからね」
 こののちは、余得のさまざまなふるさと話にありついた。ふるさと産新米が届くたびにありつける、わが至上の幸福である。

 くだらない、つぶやき

 十月十六日(火曜日)、秋の夜長は日々深まってゆく。その確かな証しは、夕暮れの早さと夜明けの遅さである。どちらも、私には味方している。具体的には「ひぐらしの記」の執筆に際して、気分的に余裕をもたらしている。特に夜明けが遅いことにあっては、格別その恩恵にさずかっている。なぜなら私は、文章は夜間から夜明けの頃までに書き上げることを習わしにしている。もちろん、わがもくろみは半分ほども実践できず、実際には絵に描いた餅さながらの状態にある。しかしながら、昼夜の時間の逆転にあっては、わが心理状態は様変わりとなる。すなわち、秋の夜長なお具体的には夜明けが遅いと、執筆時間に迫られる焦燥感は消失する。かてて加えて、夕暮れが早いとおのずから就寝も早くなる。このため、安眠とはいかなくとも、就寝時間はたっぷりととれる。そのため、目覚めの気分はよく、そのうえ執筆時間の切迫感も免れて、二兎が叶えられるのである。このことでは、秋の夜長は大歓迎である。
 ところが好事魔多し、この気分に通せんぼをするのは、夜長とともに強まりゆく寒気の到来である。もちろんこれには、どうもがいて抗(あらが)っても、抗いきれるものではない。結局、昼夜時間の違いの損得は、わがモチベーション(意欲・やる気)しだいに帰結する。こんなどうでもよいことをのんびりと書くことなど、夜明けの早い時期にはとうてい許されない。しかし、秋の夜長に恵まれ、のんびりと書いてようやく夜明けを迎えたのである。恥を忍んで尻切れトンボの文章を閉じて、落ち葉の季節の朝の道路へ向かうこととする。身勝手、かたじけない。

 怠け者

 きのう(十月十四日・日曜日)は、突然見舞われた寒気に気分が萎えて、そのことを理由に余儀なく文章を休んだ。季節は中秋の候ゆえに実際には、寒気はいまだ序の口である。それでも文章を休むほどに気分が萎えていたのは、のほほんとしていて心身共に、寒気への備えが緩んでいたせいであろう。それに懲りてきのうから私は、身は冬防寒重装備で包(くる)み、心は冬構えの状態に置いている。その甲斐あってきょう(十月十五日・月曜日)、現在(夜中の三時前)の私は、寒気をはねのけて気分の萎えを免れている。しかしながら気分は、完全回復までには至っていない。それは、長引いている鼻風邪のせいである。実際に悩まされていることは、常に鼻ムズムズ感に襲われている鼻炎症状である。老体の加速につれて身体の自然治癒力は、あからさまに衰退傾向を強めている。この傾向に抗(あらが)うにはもはや自力ではなし得ず、おのずから医師の診立てと技術、そして処方箋の薬剤にすがるしか術(すべ)はない。このためこのところの私には、効能を替えた薬剤が増え続けている。
 一旦、病医院へ出向けば医師の技術料だけでは収まらず、必然的に薬剤費がついてくる。そのたびに私は、月極めで多額の健康保険料を前払っているのに、なぜこんなに医療費がかかるのだろうかと、腑に落ちない思いに苛(さいな)まれている。確かに、病気を治すには、薬剤の服用は仕方のないところではある。しかし、丁寧に能書を読めば効能より、副作用の多さに慄然とするありさまである。すると、副作用を恐れるあまり、おのずから服用が途切れがちになる。それにようやく打ち克つのは、せっかく買ったのだから服まなきゃソンソン(損々)という、わがケチ臭い根性である。こんなことを繰り返しているから埒明かず、たかが鼻炎症状でも長引いているのであろう。ケチ根性は「身から出た錆」であり、「馬鹿じゃなかろか!」と、嘆息や自嘲さえ免れないわが性癖である。
 文章は一旦休むと、再始動には骨が折れるところがある。この文章は、明らかなその証しである。きのうはいまだに序の口の寒気に遭って、この先の文章の継続が思いやられていた。きょうは文章そのものに脅(おびや)かされて、この先の継続を危ぶんでいる。もちろん、鼻炎症状のせいではなく、わが「能タリン」のせいである。
 文章を書くには好都合の秋の夜長に心身を置いて、なさけなくもこんな体(てい)たらくぶりである。怠け者には罰(ばち)が当たる。人の世のならいである。

寒さに負けた。なさけない 

 十月十四日(日曜日)の夜明け前を迎えている。季節は中秋の候にある。急に寒くなり、冬布団を重ねていても、幾度となく目覚めを繰り返した。そのなかで堂々めぐりしたのは、起き出しを渋る思いだった。私は寒さに負けたのである。それでも勇を鼓して、ほぼいつもの時間に起き出してきた。しかし、寒さで気分はすっかり萎えている。寒さに極端に弱虫の私は、安易な道を選んだ。いや、選んだというより逃げ込んだ。すなわち、サラリーマン時代の日曜日にあやかり、文章書きの休養を決め込んだのである。秋の夜長は、夜明け前にもかかわらず深々と冷えている。好季節の中秋にあってもこんなに弱虫では、この先のわが身、わが気概が思いやられるところである。ああー、なさけない!

新聞社(新聞)の危機 

 きのう(十月十二日・金曜日)、ふと、こんな思いがよぎった。それは、新聞紙上におけるカタカナ文字や略式文字の多さにかかわっている。すなわち、この頃の新聞は、みずからを含めてお年寄や、読み慣れていない人たちには、いっそう読みづらくなっているだろう? という思いだった。もちろんそれらのほか、紙上には外国語(英字)の短縮文字も多く入り混じっている。インターネット時代になって、やむを得ずであろうか? この傾向は、ますます深まりつつある。
 スマホをはじめSNSが隆盛をきわめる中にあって、若い人たちの新聞離れはもはや旧聞に成り下がっている。これに加えて、お年寄りたちが余儀なく新聞離れをすれば、おのずから新聞の購読者は減るばかりである。このため、新聞社は受難の時の最中にある。それを防ぐための一考であろうか? わが下種の勘繰りをめぐらすと、このところの新聞は、やたらとページ数が増え続けている傾向にある。ところが本末転倒、馬鹿じゃなかろか? これまた新聞離れを誘引することとなる。なぜなら、新聞を読み慣れた人ではあっても、一日中かつ一心不乱に読み続けても、ふるさと言葉で言えば「読み熟(こな)さん」(読み切れない)状態にある。
 私の場合、新聞は子どもの頃から慣れ親しんで読み続けている。かてて加えて、英字を含めて語彙には比較的関心を持ち続けてきた。それでもなお私は、六十(歳)の手習いとはいえ、語彙の忘却防止と新たな出合いを求めて、語彙の習得を生涯学習に据えている。これらのことをかんがみれば、もちろん自惚れるほどではないけれど、私は新聞を読み慣れている部類に入るであろう。そうであってもこの頃の私は、夙(つと)に読みづらさをつのらせている。
 その理由の多くは、冒頭のカタカナ文字や英字の多さである。ところが、そう書きながら私は、すでにこの文章の中にあっても、「スマホをはじめSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)」と、書いている。もちろんそれは、たまたまこの語彙(言葉)を知っていたからにほかならない。しかしながらもはや私は、新聞紙上に現れるカタカナ文字や英字の短縮文字の多くに手を焼きつつある。そのうえパソコンを起ち上げて、メディア(新聞等)の伝える配信ニュースを読み漁れば、朝夙(あさまだき)配達の朝刊さえ、すでに旧聞さながらにある。おのずから新聞の役割は、変貌かつ変質している。言うなれば「ニュースペーパー(新聞)」としての役割と価値は、劣化を続けている。
 私はかたわらの妻にたいし、
「テレビの言葉で、わからないのが増えているだろうね」
 と、尋ねた。すると、妻はあっさりと兜を脱いで、「そうね!」と、言った。
 私は救済の言葉を繋いだ。
「おまえだけじゃないよ。特に、この頃の新聞は読みづらくなっているよ。テレビはまだ絵や写真と同時進行だからわかるところある。だけど、新聞は読み慣れていない人には、とても読みづらくなっている。だから、多くの人はもう読んでいないはずだよ。おれは、ニュースはパソコンで読んでいるから、新聞を取るのをやめたいよ。おまえは読まないし、やめてもいいだろう?…」
 妻の返答には、しばし沈黙が続いた。
「パパ。新聞くらいとりなさいよ。みっともないわ!」
 新聞社は、かろうじて妻の言葉に救われている。
 わが年代がこの世から消え去れば、新聞社(新聞)には、本当の危機が訪れるであろう。これまた、尽きない老婆心である。

 「去る者、来る者」人間模様

 またまた、わがファンとする阪神タイガースのことを書く羽目になった。突如、予期していなかった金本監督が辞意を表明されたからである。セ・パ両リーグには、それぞれ六球団がある。そのうち、今のところセ・リーグでは三人、パ・リーグでは二人の監督交代が公表されている。プロ野球にかぎらず勝負の世界は、「勝てば官軍、負ければ賊軍」の習わしにある。そして、敗軍を率いる監督や指導者は、語らず突如として退陣の憂き目に遭遇する。退陣の多くは、みずから身を退く潔い辞意表明である。しかしながら本当のところは、辞めたくなくてもさまざまなプレッシャーに負けて、辞めざるを得ないのであろう。このことでは、辞めてゆく監督に同情するところである。
 ところがこの時期のプロ野球は、監督交代にかぎらず栄枯盛衰の人間模様の真っただ中にある。好成績をともなって栄える選手は、来シーズンの年俸アップに夢を繋ぐ時期にある。一方、成績が振るわなかった選手には、戦力外通告という解雇の嵐が吹き荒れている。
 確かに、プロ野球球団は企業体である。企業体であれば、意地を為して存続を続ける宿命にある。具体的には野放図に選手を抱えることはできず、おのずから定員管理がほどこされている。もちろん、真っ先にこの煽りを食うのは、成績が振るわなかった選手たちである。その証しにこの時期には、各球団ともあからさまに選手の入れ替えに腐心している。実際には戦力外通告で定員枠を余したところに、有望選手の取り合いをして新たな新人選手を嵌め込むのである。戦力外通告に甘んじた選手にすれば、どうもがいても逆らえない企業道理である。戦力外通告は、去る者は追わずというにはあまりにも寂しくかつ厳しい掟(おきて)である。
 一方、籤当てしてまでも来る者は拒まずいう祭典は、文字どおり賑々(にぎにぎ)しく華やかに行われる。新人選手選びの祭典とは、そのものずばり「新人選択会議(ドラフト会議)」であり、この十月二十五日に予定されている。確かに、企業であれば定員の入れ替えは宿命である。しかしながら来る者は別として、メディアを通して去る者の名が公表されることには、いっそう侘しさつのるものがある。華やかな世界に身を置いた者の宿命とはいえ、これまた同情するところである。秋は、こころ寂しい季節である。

「豊洲新市場」門出 

 私日記風にほぼ毎日「ひぐらしの記」を書いていると、いやおうなく記録として残しておくべき国内外社会の出来事に遭遇する。それらの多くは、メディア報道として伝えられてくる。そして、インターネッ社会になって以来、それらの報道はリアルタイム(同時性)のスピードを持って伝えられてくる。きょう(10月11日・木曜日)の私は、多くかつさまざまなメディアの配信ニュースの中から下記のニュースを、ひぐらしの記への引用を試みている。なぜならそれは、喧々諤々の是非の論争のうえ、長いあいだたな晒しになっていた「豊洲新市場」の華やかな門出の日だからである。
 【「豊洲市場」開場 予定より2年遅れて】(10/11・木曜日1:32配信 日テレNEWS24・NNN)。「東京都の新しい中央卸売市場、豊洲市場が、11日に開場した。当初の予定からは2年遅れのスタート。江東区にある豊洲新市場は、11日午前0時に開場した。豊洲市場は、築地市場から2.3キロ離れた臨海部に位置し、広さは築地市場の1.7倍となる40ヘクタール、閉鎖型の建物で、東京都は、魚の鮮度を保つための温度管理や衛生管理ができるのが特徴だと説明している。豊洲市場への移転は、地下の土壌汚染問題で予定より2年遅れた。今月6日、築地市場が営業を終え、各業者は急ピッチで引っ越し作業を行った。11日の午前5時半ごろには、初めてのマグロのセリが行われる予定で、『日本の台所』と呼ばれた築地市場の伝統や文化を継承し、新たな『豊洲ブランド』の確立を目指すが、交通渋滞などの課題も指摘されている。」
 記事によれば午前0時に開場し、午前5時半頃には初めてのマグロのセリが行われるという。現在壁時計の針は、午前4時半過ぎを回っている。初セリの掛け声はまもなくである。お祝い気分で、きょうのマグロは高値となりそうである。いずれにしても、「めでたし、めでたし」の豊洲新市場の門出である。日本社会は、久しぶりにお祝い気分横溢である。

好季節が恵んだ「人情劇」 

 十月十日(水曜日)、かつてはこの日が「体育の日」だった。ところが、現在は平成十二年(二〇〇〇年)のハッピーマンデー法施行以来、十月の第二月曜日に移行している。移行以来、かなりの年月が経つので、もう馴染んでもいいはずだが、いまだにいっこうに馴染めない。
 体育の日にかぎらず国民祝日は、やはり一定日のほうが馴染みやすくてしっくりくる。ハッピーマンデー法の長短をなすところである。ところが、この名称も二〇二〇年(東京オリンピックおよびパラリンピック)からは、「スポーツの日」へ変わるようである。さ迷える体育の日と、言えそうである。
 体育の日にちなんで、懐かしく想起されてくるのは学び舎の運動会である。現在の私は、運動会とは無縁に成り下がっている。わずかに命脈を保っているのは、孫のあおば(小学五年生・十一歳)の運動会である。ところが、いまだにお呼びがかからない。日本社会のご多分にもれず児童数の減少傾向にあって、どこかしこ学校事情は様変わりを続けている。もちろん運動会は、体育の日やその前後にかぎることでもない。そのため、よもや中止ではなく、この先にお呼びがかかるのかもしれない。
 季節的に、体育の日あたりは中秋の候である。体育の日が過ぎれば秋は、晩秋から初冬へ向かって深まってゆく。おのずから季節は、寒気を強めてゆく。だから私には、暑さを遠退けた彼岸から寒気が近づくこのあたりが、秋の中でも最も好む好季節である。
 きのう(十月九日・火曜日)のわが家には、思いがけない電話が入った。電話をくださったのは、卓球クラブのかつてのお仲間である佐藤様だった。同時に佐藤様には、長いあいだ「ひぐらしの記」(単行本)の愛読をたまわっていた。ところが、佐藤様は体調を損(そこ)なわれ余儀なく退会され、つれてひぐらしの記の愛読も沙汰止みになったのである。かてて加えてこれを境に、親しかった御縁も遠のき始めていた。
 佐藤様は、わが年齢(七十八歳)とおっつかつの貴婦人である。受話器は妻が手にした。しばし、妻の明るい声が続いていた。そののち、「主人に代わりますから…」と言って、妻から受話器が手渡された。久しぶりの電話で、わが気分は弾んでいた。用件は「前田さん。柿を捥(も)いでいただけないかしら?」と、早や合点した。私は「午後に伺いますから…」と、言って電話を終えた。柿千切りは妻との共同作業である。私が長い柄の剪定鋏で落とすのを妻は、下で雨傘を仰向けに広げて柿の落下を待っている。のどかに秋の陽射しがふりそそぐ昼下がり、私と妻は準備万端柿千切りの用意をととのえて、佐藤様宅へ出向いた。
 久しぶりにお会いした佐藤様は、明るい笑顔で出迎えてくださった。明るんだ柿が、陽射しに照らされてたわわに生っていた。私は、心中(全部千切るには、自分では手に負えないな!)と、思った。それでも私は、引き受けたからには全部千切らなければならないと、覚悟した。剪定鋏を木鋏に持ち換えて、まずは手の届くところから千切り始めた。すぐに、大きな発砲スチロールの箱にいっぱいになった。ところが途中、妻が「パパ。もう、穫らなくていいそうよ」と、呼びかけた。
「なんで? これから全部、穫るんだよ!」
「佐藤様が、『もう穫らなくていいわ!』と、おっしゃっているわよ」
「なんで? 全部千切りに来たんだろう…」
「まだ、五人ほど捥いでくださる人がいるそうよ」
「そうか…」
 私は腑に落ちない面持ちで、柿千切りを止めた。
 佐藤様が「前田さん。柿を捥いでくださらない?…」と呼びかけられたのは、佐藤様の優しさの証しだったのである。すなわち、柿好きの私と妻にたいする、格別のお心くばりだったのである。私と妻は千切った柿を一つも残さずリュックとレジ袋に詰めて、わが家へ引き返した。振り返ると佐藤様は、二人の背中をたたずんで見送られていた。好季節にあって突然、ふってわいた人情劇の一コマである。

 屈辱の「体育の日」

 過日、私は「ビリになりそう」と、書いた。案の定、阪神タイガースはビリになった。あまりの不甲斐ない戦いぶりに、悔しさはとうに消えていた。だから、最下位確定であっても、一粒の涙も出ない。もちろん、私自身がしらけいっているからである。しかし、タイガースファンとしては、かぎりない屈辱ではあっても、記録に残しておこうと決意した。わが生存中にあって、今シーズンの屈辱を果たすことなど、もちろん「夢、ユメ、ゆめ」のまぼろしである。
 【阪神がノムさん以来17年ぶり最下位、対燕10連敗】(10/8・月曜日 20:56配信)(日刊スポーツ)。<ヤクルト6-5阪神>◇8日◇神宮。「阪神がヤクルトに敗れ、野村監督の率いた01年以来、17年ぶりの最下位が確定した。前夜、金本監督就任以降ワースト更新となる77敗目を喫したばかりだが、この日もヤクルトに序盤、大量6点を奪われ、後半追い上げたものの悪夢の10連敗で78敗目。借金も今季最多を更新する『18』にまで膨れあがった。先発才木が誤算だった。ヤクルトの初回、雄平に2点適時二塁打。2回には坂口の適時三塁打、バレンティンにも38号3ランを浴び、2回6失点でKOされた。阪神は5回に二ゴロ併殺が崩れ、ヤクルト遊撃・西浦が一塁悪送球の間に1点を返した。5点を追う阪神は8回に打線が爆発。5番大山の左前適時打、6番陽川の中越え二塁打、7番梅野の右前適時打と続き、一挙4点を奪い1点差と詰め寄った。1点ビハインドで迎えた阪神は、ヤクルトの守護神石山に3者凡退で勝利に届かず、屈辱の『10月8日・「体育の日」(振替休日・月曜日)』となった。」
 こんななさけないことを私は、日が替わったばかりの10月9日(火曜日)の真夜中、12時過ぎに書いている。ほとほと、馬鹿じゃなかろか! もちろん、弱い阪神タイガースのせいである。

 パソコン修復劇

 きのう(十月六日・土曜日)の文章は、前日(五日・金曜日)からのパソコントラブルに見舞われて余儀なく休んだ。パソコントラブルが発生したのは夕方の停電のおりである。私はパソコン画面で、大学野球・母校中央大学対国学院大学の生中継を観ていた。停電は消えたり点いたりを三、四度繰り返した。突然の停電の原因は知るよしない。停電は回復した。しかしパソコンは、初体験のメッセージを画面に残して使用不能になった。
 これまでの体験では、停電が回復すればパソコン使用も元に復していた。そのため、このときの私はすぐに回復するだろうと高をくくっていた。そして、間隔を置かずに何度となく再起動を繰り返した。ところが、そのたびに当初のメッセージが画面に現れるだけだった。私は業(ごう)を煮やして、有償契約済みの「J:COM、お任せサポート」に電話をかけた。受話器は男性係員がとった。私はパソコントラブルの経過を詳しく伝えた。男性係員は丁寧に応じた。このときの私は、わがパソコンだけのトラブルを恐れていた。ところが係員は、「停電で、わがほうに障害が発生しているようです」と、言われた。私はこの言葉に胸をなでおろした。なぜなら、気を取り直して、先方の障害が回復するのを待つのみである。しかし係員は、意外な言葉を付加されたのである。
「お客様、夜の八時頃までか、あすの朝頃まで待っていただけますか。この間の経過は、電話を入れて確かめてください」
 私は虚しく、「わかりました」と言って、やりとりを終えた。
 そののちは、時をみはらかってパソコンの再起動を繰り返した。しかしながら自動回復は叶わず、お任せサポートセンターへ電話をかけ始めた。そのたびに自動音声は、「電話の受付時間は終わっています。電話の受付時間は朝の九時から夕方の六時までです」と、繰り返した。それでも私は、先方の異常事態ゆえに、臨時のメッセージが流れるかな? と思って、間隔を置いて電話をかけ続けた。同時に、パソコンの再起動も続けていた。
 待ちに待って私は、翌朝の九時きっかりにお任せサポートセンターへ電話をかけた。混雑をきわめて、多分繋がりにくいだろうと思いきや、案に相違し電話は一発でつながった。受話器を取られたのは、前日とは違う男性のようである。電話(会社)のしきたりにしたがって、まったく同様のわが身の確認がなされた。それが済むと私は、焦る気持ちで前日からの経過をこまごまと伝えた。そのなかで腹いせまぎれに強調したのは、「こちらの障害です」と言われて、復旧を待ち続けてきたことだった。ところが意外や意外、「停電で、うちのほうに障害は出ていませんよ。停電で、お客様のコンピュータに異常が起きたのでしょう」。
 私には怒髪天を突く、腑に落ちない言葉である。しかし、ここで怒りをあらわにしては、相談事は成り立たない。このため、私は堪忍袋の緒を切らず、すがるような心持で丁寧な言葉で対応した。ところが、先方のこの言葉には今にも堪忍袋の緒が切れそうになった。
「修理に伺うとすれば、休み明けの九日の火曜日になります。予約を入れましょうか?」
 私は「ちょっと、待ってください。トラブルのおりいつもしていただいているように、この電話のやりとりで修復はできないのですか?」と、オウム返しに言った。
「できるでしょう」
「それなら、そうお願いしますよ!」
 双方のこの言葉を皮切りに、電話のやりとりで修復作業が始まった。
 私は携帯電話を聞こえるほうの左耳に当て、右の指先で先方の指示どおりに修復作業を進めた。このときの作業はいつもとは違って、キーを叩くことでは一度もなく、回線を外したりつけたりの繰り返しだった。修復作業の最後には、パソコンの再起動を試みた。パソコンは正常状態に戻っていた。狐につままれたような、二日がかりのパソコン修復劇だったのである。

飽(あ)きがきている 

 十月五日(金曜日)、パソコンを起ち上げると日々の慣習にしたがって、メデイアの伝える配信ニュースを読み漁った。すると、さまざまに数ある中で、この記事が苦々しい気分をともなって、目に留まった。【国支出額が8011億円 国説明の7倍超に】(毎日新聞 最終更新2018年10月4日21時20分)。全体支出は3兆円規模か 会計検査院が試算を明らかに。「会計検査院は4日、2020年東京五輪・パラリンピックを巡る国の支出額が8011億円に上るとの試算を明らかにした。これまで国は大会関連予算を1127億円と説明しているが、7倍以上も上回っている現状が浮かんだ。東京都と大会組織委の負担分と合わせると、全体の支出は20年までに3兆円に達する可能性が高い。検査院は国に、施策と大会の関連性を精査して全体規模を示すよう求めた。」
 この記事を読んでなぜか? わが心中には子どもの頃のうろ覚えのこんなフレーズが浮かんだ。「そこのけそこのけお馬が通る」。浮かんだだけで、本当の意味は知るよしなかった。そのため、電子辞書にすがった。しかし、「ことわざ成句使い方辞典」(明鏡)にあっても、掲載はない。仕方なくいつもの習性にしたがって、インターネット上の人様の知恵と学習にすがった。すると、山梨県民図書館提供として、こんな説明が記されていた。「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」(小林一茶『おらが春』より)「もともと「そこを退き去れ」と大名行列の人払いをするときに使われた格式ばった言葉。ここでは、子供が遊びの場で「お馬が通る、先のけ先のけ」と囃す語へ転化したもの。「馬場退け馬場退けお馬が参る」(狂言「対馬祭」)を踏まえているとも。」(『新編俳句の解釈と鑑賞事典』より)。
 なぜ? ふとこのフレーズが浮かんだかと言えば、こうである。すなわち、オリンピックという「錦(にしき)の御旗」のもとに、ごり押し、無理押しがまかり通っていると、感じたからである。オリンピックは一度誘致さえすれば、開催費用の水ぶくれには頬かぶりである。実際には当初の予算など、まったくの上の空である。
 ここでまた、二つの言葉が浮かんだ。一つは杜撰(ずさん)である。すなわち、当初の予算は、誘致をもくろむためだけに安く見積もったものだったのであろう。杜撰とは、言葉を置き換えれば出鱈目(デタラメ)である。一旦誘致が決まれば関係者は、予算やその後の費用の水ぶくれにはもはや聞き耳をもたずさながらである。
 すると、一つは驕慢(きょうまん)である。もちろんここでは、関係者の驕(おご)り高ぶりである。伝えられる予算の水ぶくれを危惧すると、オリンピックは「一都栄えて、国滅びる」の元凶にもなりかねない。わが周辺はもとより日本列島津々浦々には、空き家の激増が目立っている。オリンピックをひかえて,老婆心のタネは尽きない。近づく祭典・オリンピックを前にして、私には飽(あ)きがきている。

秋なのに…… 

 この文章はいつもどおりに書いたのに、投稿ボタンを押し忘れたものである。そのため、日にちや時間のずれはあるけれど、没にするのも忍びなく、ほぼ一日半後れて投稿ボタンを押したものである。
 長く続いていた歯医者通いは、きのう(十月二日・火曜日)の通院治療で、ようやく終止符が打たれた。私は診療室から出る際には先生にたいし丁寧に頭を下げて、「お世話になりました」と言って、誠実かつ真摯(しんし)に謝辞を述べた。先生の脇にたたずんで、マスク越しにほほ笑まれていた若い女性歯科衛生士にたいしては、「また、来ます」と、言った。するとすぐさま、「来てください。待っていますから…」と、即妙の言葉が返った。
 私は気分を和らげて、「ここには、もう十八年通い続けていますから…」と、言葉を重ねた。この言葉にたいし衛生士はキョトンとして、「十八年?…」、と言葉を重ねられた。私はすかさず、「そうです。定年退職後からですから…」と、言った。本当のところは、もう来たくはない。しかしながらそれは、わが思いなどそっちのけにして、歯の痛み出ししだいである。
 へんてこなやりとりを残して、互いのしばしの別れの言葉となった。いや、わが余命をかんがみれば歯医者通いも今回で打ち止めとなり、案外、永遠(とわ)の別れ言葉になったのかもしれない。
 斎藤歯科医院(横浜市栄区)を出ると、夏のぶり返しとも思えるほどの秋天の暑い陽射しがふりそそいでいた。それでも、通院に終止符が打たれたことで、わが気分は軽やかに弾んでいた。診療椅子に横たわるたびにわが心中には、要(い)らぬ思いが蠢(うごめ)いている。それは世界中の歯医者が寄ってたかっているのに、たかが虫歯さえ根絶できないのか、というやるせない思いである。その挙句には虫歯は歯医者の「飯のタネ」であり、そのため端(はな)から根絶の気概などないのでは? という、わが下種(げす)の勘繰りである。歯医者通いの文章は、これで一巻の終わりしたいところである。しかしそれは、わが歯にとりつく、まだ見ぬ虫の暴れ方しだいである。
 このところの私は、いまだに風邪が治りきらず、鬱陶しさにとりつかれている。さらにこれに加えて、長いあいだ鳴りを潜めていた症状の発症に見舞われて、鬱陶しさがいや増している。このため現在の私は、せっかくの好季節を台無しにしているなさけなさである。
 再発の症状とは、生来の宿痾(しゅくあ)として我慢し続けていた口内炎である。過去の経験的に口内炎をもたらす食材は、わが好む落花生(ピーナツ)とイカ類と、自認してきた。ところが、ピロリ菌を薬剤で消滅して以来、どういうわけか口内炎はぴたりと影を潜めたのである。(もう死んでもいい)と、思うくらいの痛快きわまりない摩訶不思議な幸運だった。そのためそれ以後の私は、かつて強いられていた我慢の怨念を晴らすごとくに、それらをむさぼり食べ続けた。それでも、口内炎の発症は途絶えていた。
 ところが好事魔多し直近、口内炎がベロ(舌)や喉(のど)に相次いで発症したのである。確かに私は、イカの塩辛を食べていた。ピロリ菌消滅効果は、期限切れだったのだろうか。このため現在の私は、かつてのように軟膏「ケナログ」(ブリストル・マイヤーズ製)を塗って痛みを堪(こら)えている。しかし、舌裏や喉には塗れず、そのため痛みに顔を顰(しか)めて泣きべそをかいている。ピロリ菌は虫歯と違って、一度消滅すればこと足りると言われてきた。このため、ピロリ菌のせいではないはずである。
 実りの秋や食欲の秋にあって、とんだ厄介もの再発である。せっかくの好季節、秋なのに…、一難(虫歯の痛み)去って、また一難(口内炎の痛み)である。長引いている風邪を加えれば、さらにまた一難である。

わが嘆きの老婆心 

 少子高齢化社会、過疎化傾向を強める地方自治体、総体的に減少続ける人口動態、いずれも悩ましい日本社会の課題である。これらの難題克服には、確かに背に腹はかえられないさまざまな対応が求められている。
 その一つは、日本人働き手の不足を補う外国人すがりの施策である。実際にもこのところの日本社会のさまざまな職業や職場には、日常的に外国人(籍)の姿が増え続けている。もちろん私は、外国人働き手の増加傾向を毛嫌いしているわけではない。まさに、背に腹はかえらず現下の日本社会は、外国人の存在がなければ立ち行かなくなりつつある。しかしながらこのことには日本人として、日本社会の大きな変容を覚悟しなければならない。
 具体的にはさまざまな職業や職場において、日本人は外国人の脅威に怯(おび)えなければならない。その挙句、日本社会および日本人は、気づいたときには庇(ひさし)を貸して、母屋を取られることにもなりかねない。このことは変容する日本社会にあって、私が具体的に恐れていることの一つである。その恐れをこの記事は露わにしている。
 もはや外国人は、あらゆる職場で日本人を凌駕し始めている明らかな証しでもある。ウカウカのほほんとしているとこの先の日本人は、外国人にいろんな職業や職場を奪われて、泣き目を見そうである。わが嘆きの老婆心である。
 【メルカリ、新卒9割が外国籍=インド名門大出身も】(10/1・月曜日、17:00配信 時事通信)。「フリーマーケット(フリマ)アプリ最大手のメルカリは1日、同日付で入社した中途採用や新卒社員向けの説明会を東京都内で開いた。新卒50人のうち44人が外国籍で、インドの名門、インド工科大学(IIT)卒業生も含まれる。同社は通年採用を実施しており、中途・新卒の計約100人が参加した。新卒の出身地域を見ると、インドが32人で最多。メルカリは昨年、同国でIT技術を競うイベントを開催。知名度が向上し、IIT卒業生の採用に結び付いた。台湾や中国、米国の出身者も採り、海外展開の強化を狙う。IIT卒業生でソフトウエア開発が専門のサヒル・リシさん(22)は『インターンシップ(就業体験)にも参加し、ぜひ社員になりたいと思った』と話した。」
 顧みれば凡庸な私は、良い時代に生まれて、泣き目を見ずに逝(い)ける。しかしながら、子孫(こまご)やこの先の日本人を慮(おもんぱか)れば、心許無(こころもとな)い心境に苛(さいな)まれている。
 その一方で私は、外国人介護スタッフ(職員)に終末のわが身を委(ゆだ)ねないともかぎらない。確かに、背に腹はかえられない、よくもわるくも日本社会の現実である。

台風去って、「月下美人」 

 十月はじめのきのう(一日・月曜日)は、余儀なく文章を休んだ。北上中だった台風二十四号は、鎌倉地方には九月三十日(日曜日)の夜をピークにして、夜明けにかけて過ぎ去った。台風襲来の予報の場合のわが家には、すべての雨戸を閉めて就寝する習わしがある。このため、就寝中の台風の強弱は、おのずから山の音で判定することとなる。ところが、難聴の私はとんでもなく大きな音でないかぎり、山の音を聞き取れない。その挙句、台風の強弱の判定はおぼつかない。
 この日の私は、台風襲来の予報をもとに、普段よりいっそう早めに床に就いた。そのため、真夜中(1時)の頃に目が覚めてしまい、いやおうなく文章を書くために起き出しにかかった。するとこのとき、停電に気づいたのである。それでも私は、常時枕元に置いている懐中電灯を片手にして、パソコンの前へ向かった。マウス無線操作のパソコンは、あわよくばキーが叩けるかもしれないという、思惑があったからである。しかしながら思惑は外れて、やはりパソコン使用は不能だった。仕方なく、電灯の明かりを待った。ところが、夜明けの時刻の頃(五時半)までには、停電の回復はなかった。あとで妻が言うには、停電が回復したのは六時過ぎだったようである。
 私は文章を諦めて、隣近所に気兼ねしてできるだけ静かに雨戸を開け広げた。台風は過ぎ去っていて、もはや山の木の葉の揺れは普段どおりだった。雨も止んでいた。私は眼下の道路に目をやった。道路には大枝、小枝、入り混じり、濡れた落ち葉が汚(きたな)らしく隅々に敷き詰めていた。夜明けの明かりにはまだ薄暗く、それでも私は、急いで玄関口を出て道路へ向かった。まずは散歩めぐりの人たちの足元を脅(おびや)かす、大枝、小枝を一つひとつ拾い上げて、山の中へ戻した。この行動を皮切りにきのうの私は、いつもとは違って早速、濡れ落ち葉の掃除にとりかかった。あまりにも狼藉(ろうぜき)きわまりなく、あくまでも手を焼く応急処置である。それでも、四時間ほどがかかった。
 昼間は大船(鎌倉市)の街へ出かけた。帰宅するいなやこんどは、すでに乾いていた道路の掃除へ向かった。ここでは、仕上げの丁寧な掃除に終始した。ここでは、二時間ほどかかった。結局、きのうの掃除にはつごう六時間ほどがかかったことになる。その甲斐あって道路は、台風の跡を残さず綺麗になった。大袈裟に言えばきのうの道路の掃除は、台風去ったあとのわが復旧作業と、言えるものだった。
 余儀なく休んだきのうの掲示板には、大沢さまのご投稿文にあずかっていた。ご投稿文に添えらては、月下美人開花の様子を撮られた写真がキラキラと光っていた。写真は、月下美人の美しさをあまねく写した見事な出来栄えである。おのずから私は、「ひぐらしの記」への転載をお願いせずにはおれなくなったのである。
 【月下美人物語】(ご投稿者:大沢さま ご投稿日:2018年10月 1日・月曜日、20時30分37秒 )。「本日昼頃から少しずつ開き始めた月下美人の花が、八時二十四分満開です。昨日は台風を心配して部屋の中に取り込んだため、少し早めに蕾が膨らみ始めました。いつもはこの時間ではまだ八分咲きぐらいなのに、今夜はやきもきせずに見られました。」(添付の写真)。

 助け舟は「栗団子」

 台風二十四号が近づいている。そのせいか、窓ガラスには雨垂れが絶え間なく幾筋も引いている。秋の夜長が更けてゆく。ほぼいつもの時間帯(三時近くに)に起き出して、メディアの配信ニュースは読み尽くした。しかし、あえて引用したくなるニュースはない。一方、心に浮かぶテーマもない。書き手の悩ましいところである。雨降りのせいで、今朝の道路の掃除は免れる。このため、いつもと違って焦らずとも、執筆時間はたっぷりある。もちろん、いつもは執筆時間に飢えている。だから、現在の私は願ってもない時間帯を享受している。
 ところが、書くテーマがまったく浮かばない。だれのせいでもなく、わが凡庸な脳髄のせいである。一層、悩ましさが増幅している。本音のところは寝床へとんぼ返りして、秋の夜長と掃除を強いられない時間を睡眠でむさぼりたいところである。しかし、早寝したことで睡眠はたっぷりとれて、目は冴えている。冴えていないのは脳髄である。これまでの私は、なんどこんな無粋(ぶすい)のことを書いて、「ひぐらしの記」の継続を自惚(うぬぼ)れてきたことだろう。まさしく、みずからを「馬鹿じゃなかろか!」と、蔑(さげす)むところである。
 こんな残酷な境地のおり、きょうの助け船は「栗団子」である。この秋のわが家は、すでに五度にわたり栗団子をこしらえた。例年にない多さで、栗団子の堪能にあずかっている。五度の栗団子作りは、妻主導にわが加勢がともなった共作だった。栗団子が大好きな私に気配りして、妻が率先してこしらえてくれたのである。ところが、栗団子になお未練を残す私は、六度目の栗団子作りを欲したのである。しかし今回は、妻の気配りにたいし、私にはちょっぴり気兼ね(遠慮)が疼(うず)いた。
「栗団子、大好きだから、もう一回食べたいよ。しかし、こんどは自分ひとりで作るよ。いいだろう…」
「いいけど、パパ、ひとりで作れるの? わたしが、作るわよ!」
「いいよ。ひとりでできるよ。だけど、途中で、ゴタゴタ言うなよ!」
「わかったわ。やってみなさいよ!」
「やってみるよ」
 私は、妻を茶の間のテレビの前に置き去りにして、大袈裟に言えば厨房、実際のところは蟻の穴みたいな小さな台所に立った。
 茹で栗と皮剥きは、わが専売特許さながらにお茶の子さいさいである。最大の難度(難所)は、これまでの見様見真似での粉(強力粉)の練り上げと塩加減である。この難所を越えれば、練り上げた粉にすでに剥いて置いた栗を包(くる)むのは、何度も経験済みでこれまたお茶の子さいさいである。包みながら、かたわらの鍋に水をたっぷり入れて、湯を沸騰させておけばいい。その湯の中に、手の平で栗を包んだ団子を指先でかつがつ落としていけばいい。まもなく、出来上がりである。この全工程をこんどは、妻の手を煩わすことなく、私ひとりで挑むのである。
 「好きこそものの上手なれ」とはいかなくて、たとえ「下手の横好き」と罵(ののし)られようと、「思い立ったが吉日」である。私はボウルに強力粉を入れて水を含まし、ちょっぴり食卓塩をふりかけた。そして、強力(ごうりき)で粉を何度も何度もこね回し、適当なぐあいに練り上げた。ただ惜しむらくは、いくらか柔らか気味で、練り上げた粉がべたついた。次回に向けての課題である。
 かたわらで沸騰し始めている湯に、小匙で粗塩をちょっぴり落とし塩湯加減にした。準備万端がととのうと、いざ! 手の平で丸めてべたついた団子を作った。しめた!、茶の間の妻はじっと我慢をしているのであろうか、懸念していた途中のごたごた言葉はまったくない。私は一心不乱にひとつずつ栗を包んで団子に仕上げ、指先から沸騰している湯に落としていった。すべてを落とし終えた私は、出来上がるまで極楽気分で、舌舐めずりをしていた。
 私は試食をしないままに、妻にたいし大声で、「できたよ!」と、言った。シエフ(料理長)さながらに、真っ先に試食にありついたのは妻だった。
「パパ。とても美味しいわ。塩加減がちょうどいいのよ。これまでで、一番おいしいわ!」
「そうか…」
 私はもったいないから、まだ試食さえしないままである。そのため、わが全工程の栗団子の味は、きょうへ持ち越しとなっている。もちろん、食べ出すと尽きるまで食べそうで、それを恐れてみずからに我慢を強いているのである。みずから手作りの栗団子には愛着がともない、食べるに忍びないところもある。このため、郷愁がらみのおふくろの味に出来上がっているかどうかの自己判定は、きょうの試食待ちである。
 お粗末!、助け舟は「栗団子」、一巻の終わりである。

朝のつれづれ文 

 きのう(九月二十八日・金曜日)は、予告どおりにいまだに夜明け切らない、いくらか薄明りのうちから道路の掃除をした。二日続きの雨上がりのあとだけに、難渋と二時間近くを覚悟のうえに、急いで道路へ向かったのである。もちろんこの心積もりは、散歩にめぐる人たちに先駆けて、道路を綺麗に掃き清めて置くためであった。こんな逸(はや)る心意気があったから、一心不乱に掃除をした。その甲斐あって道路は、一時間強で鏡面のごとく綺麗になった。たちまち、わが気分は清々しくなった。しかし、早い時間だったので常連の人を含めて、散歩めぐりの人たちにはほとんど出会えなかった。たったひとり、いつもの若い女性のマラソンランナー(ジョギング)が、走りながら「おはようございます」と、わが背に呼びかけられた。私は走り去るランナーにたいし、大慌てで「おはようございます。がんばって!」と、言葉を返した。
 掃除が済んだあとに、ひとり、ふたり、後方から散歩めぐりの人たちが見え出した。これらの人たちを皮切りに、散歩めぐりの人たちが増えてゆく。これらの人たちは綺麗になっている道路を歩いて、私同様に清々しい朝を迎えられるはずである。そうであれば、わが一念の思いは叶えられたことになる。まずは「めでたし、めでたし」である。
 今朝(九月二十九日・土曜日)の掃除は、いつもの時間帯と時間に復するであろう。そうすれば、散歩めぐりの多くの人たちと、いつものように朝の挨拶を交わすことになる。きのうはからだに寒さをおぼえながら、きょうとほぼ同じ時間帯(五時前)に、「ひぐらしの記」の文章を書いていた。ところが、きょうはまったく寒さを感じない。
 きのうの昼間は、本来の秋のさわやかな陽射しに恵まれた。私は心躍る気分だった。このため、妻と連れだって大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。ところが人の心はまったく同様で、大船の街には心ウキウキ風情(ふぜい)の大勢の買い物客が繰り出していた。のどかな買い物風景を眺めながら私は、(秋の天候は、いつもこうあってほしいものだ!)、と願っていた。ところが、南の海上から日本列島に狙い定めたかのように、台風二十四号が近づいているという。そうであれば、きのうのさわやかな秋天はつかのまになりそうである。このため、きょうの天候にすがる思いである。
 台風は前触れそして余波ともに、わが道路の掃除にきわめて難渋をもたらすこととなる。台風シーズンの本家をなす九月は、きょうとあすの二日かぎりである。台風はシーズンの面目にかけて、時期にやや遅れてもやってきそうである。つらい九月の末と、十月の初めになりそうである。尻切れトンボの文章のままに、日課の道路の掃除に出向くため、これでおしまいである。きょうは、やや、出遅れたかな!

まだ、中秋なのに… 

 おう、寒い! 秋も、冬も、春も嫌いだ! やはり、夏がいい。少しでも寒気に縁のある季節は、とことん嫌いだ。寒気に極端に弱虫の私は、泣きべそをかいて駄々をこねている。馬鹿じゃなかろか、こんな心細い心境で、よく書き続けてきたものだ。
 キーボードへ就く前に窓辺へ寄り、のそり窓ガラスを開いた。現在の時間帯は、三時半過ぎである。一基の外灯の照らす道路には、雨露の光の返りはない。どうやら、夜が明ければ今朝(九月二十八日・金曜日)は、真っ先に道路の掃除へ向かわなければならない。雨が続いて余儀なくさぼり、楽をしたぶん今朝の掃除は厄介をきわめそうである。実際のところ粗い舗面にこびりついた濡れ落ち葉を、指先で一つずつ剥がしながら掃くことになる。そのため、二時間近くかかるかもしれない。
 このところは、夜明けまもない頃の掃除が続いている。そのたびにわが心中には、(掃除はもう手に負えないなあー)、という嘆息交じりのなさけない思いがフラついている。この思いをようやく払拭(ふっしょく)できているのは、自分がやらないとやる人がいない、というささやかな公共心である。それに輪をかけて、最たる支えは散歩常連の人たちと互いに交わす朝の挨拶言葉、「おはようございます」の心地良さである。
 ところが、この頃はかつての常連の人たちの姿がめっきり減り、顔ぶれが入れ替わっている。朝の散歩にめぐる多くの人たちは高齢者である。人それぞれに、できるだけ健康で長生きを願っているのであろう。だから、それらの人たちの姿が入れ替わるのは、おのずから寂しいかぎりである。人の行為や行動あるいは命の入れ替わりにあって、新陳代謝とか端境期(はざかいき)という言葉はもちろんふさわしくない。しかしながら、おのずから高齢者の散歩の寂しさは、これまでひかえていた(予備軍)人たちが歩き出すと、いつのまにかかつて歩いていた人たちの足が遠のいていることである。これすなわち、高齢者散歩の厳しい掟(おきて)である。もちろん、いずれというより、まもなくわが身でもある。
 好季節、中秋にあって、寒さに震えながらこんな一文を書くようでは、ほとほとわがお里の知れるところである。

 広島カープ、セ・リーグ優勝

 「天災は忘れた頃にやってくる」。このフレーズを捩(もじ)れば、事故や災難もまったくそのとおりである。私の場合は、風邪が治りきらないうちに、また風邪を重ねてしまった。このところの悪天候に、うっかり気の緩みの隙を突かれたようである。ごく小さいこととはいえ、気分の滅入るとんだ災難である。
 きのうは(9月26日・水曜日)は、彼岸の明け日だった。通りすがりの路傍の彼岸花は、一週間の彼岸にほぼきっちりと合わせて咲いていた。ところが彼岸花は、もはや弱々しく萎(しお)れていた。一本立ちに凛(りん)と伸びていた茎は、次の出合では周囲の雑草の上に折れていた。この哀れな終末の姿は、彼岸らしからぬ雨続きの天候のせいであろう。「暑さ寒さも彼岸まで」と言って気を許し、のほほんとしていた私は、寒気まじりの雨続きの天罰を食らったのである。確かに、寒気や雨続きは、わがどうにもならない天の悪業(あくごう)である。命の短さではセミに劣らず彼岸花もおっつかつである。わが天罰の巻き添えをもたらしたことには、かえすがえす忍びないものがある。
 気分の滅入りは、自作文を妨(さまた)げている。このため、メディアの伝える配信ニュースの朗報を引用し、わが気分直しをはかるものである。
 【広島、セ・リーグ3連覇…27年ぶり本拠地V】「プロ野球のセントラル・リーグは26日、優勝へのマジックナンバーを1としていた広島東洋カープが広島市のマツダスタジアムでヤクルトに10―0で勝ち、3年連続9度目のリーグ優勝を果たした。セ・リーグの3連覇は2012~14年の巨人以来で、巨人以外では初めて。チームにとって地元・広島での優勝は、1991年以来、27年ぶりとなった。昨季、球団として37年ぶりの連覇を達成した広島は、今季も開幕4連勝と好スタート。強打で4月24日以降は一度も首位を譲らなかった。(2018年9月26日 21時27分 読売新聞)」。
 わがファンとする阪神タイガースは、巻き添えならぬ広島カープの煽(あお)りを食って、ビリになりそうである。風邪は治っても、気分の滅入りはこの先当分のあいだ治りそうにない。夜明け前(9月27日・木曜日)、雨戸とカーテンを開けっ放しの窓ガラスには、またまた幾筋もの雨垂れが光っている。

おっちょこちょいで、アホな私 

 歯医者通いが、ほぼ一週間おきに延々と続いている。歯医者通いは、一度始めるとなかなか終わらないものの一つである。自分では気づかないけれど、先生は新たな虫歯を次々と探されて、「これも治療しておいたほうがいいですね。どうされますか?」と、問いかけられる。こんな問いにたいし、「いいえ、いまは痛みませんから、そのままにしておいてください」と、拒絶言葉を告げることは困難である。その挙句には渋々、「そうですね…、先生にお任せします」、と言ってしまうなさけなさである。本当のところは、いや本音のところではもっと駄々をこねたい思い山々である。
 先回のおり、先生とアシスタントの歯科衛生士(女性)には言わない言葉を、受付係りの女性にたいし言ってしまった。確かに、口は禍(わざわい)の元である。
「もう、来なくていいかと思ったら、また、虫歯を探されました。無理して、探さなくてもいいんですけどね……」
 お顔馴染みの受付係り女性は相槌が打てず、ちょっぴりほほ笑んですぐに俯(うつむ)いて、次回の予約作業を始められた。もちろん私は、お顔馴染みの気安さから冗談で言ったことであり、(しまった!)とは、思はなかった。しかしながら、受付係りの女性のそぶりは真顔で、いくらか戸惑い気味の様子だった。このことでは愧(は)じて後悔するところがあった。私の要らぬ言葉が先生と歯科衛生士へ回って告げられたとは思わないけれど、告げられても仕方のないわが口の禍であった。
 きのう(九月二十五日・火曜日)は、掛かりつけのその「斎藤歯科医院」(横浜市栄区)への通院日だった。いつもの先生と歯科衛生士がタッグを組んで、所定の治療が行われた。あたりまえのことながら診療室に入ると、私はいつもどおりに丁寧に腰を折りこんな挨拶をした。
「こんにちは。お世話になります」
 そして、持参のバッグと携帯電話、眼鏡をはずして所定の台に置いた。次には診療椅子に横たわり、かたわらの紙コップを取り、三、四度うがいをした。いつもどおりにすぐに、先生と歯科衛生士がわが体の両脇に侍(はべ)られて、診療と治療が始まった。再び私は、「お世話になります」と、言葉だけでお礼を告げた。
 先生の開口一番の常套句は、「痛みましたか、どうですか?」。これにたいし私は、「いいえ、まったく痛みませんでした。とても、都合いいです」と、言った。耳そばで聞こえる先生の施術の音は的確で、ときおり薄目で見る歯科衛生士のアシスタントぶりは、いつもと変わりなく絶えず微笑みを湛(たた)えて優しい対応である。
「きょうの治療は、終わりました」
「そうですか。ありがとうございます。ところで先生、また来るんでしょうか? きょうで終わりかと、思っていました」
「上の歯の三か所に、まだ虫歯があります。それも、治療しておいたほうがいいと思います。できれば、三か所をもう一回で、終えたいとは思いますが……」
「そうですか……、まったく、痛みはありませんけど、仕方ないないですね。先生にお任せします」
 私は横たわっていた診療椅子から立ち上がり、重ねて腰を折り丁寧に「お世話になりました」と、お礼の言葉を言った。
 素早く、バッグ、携帯電話、メガネを取り、診療室を出る支度をした。このとき、私はまた要らぬ言葉を口走った。
「目、耳、歯、風邪、胃カメラ検査などの掛かりめぐりで、このところ医療費がかさんでいます。また、来るんですね。そうですね。この際、腕の良い先生に治してもらっていたほうがいいですね。また、来ますから、よろしくお願いします」
 この医院では院長の斎藤先生の治療に遭遇することはめったになく、何人かの男女の若い先生が持ち回りで担当されている。すると、敵もさるもの? かたわらの歯科衛生士がほほ笑みながらこう言われた。
「また、来てください。待っていますから……」
 私は、すかさず「ありがとうございます。できれば診療室ではなく、街中でお会いしたいですね!」と、言った。「そうですね!」、と言葉が返った。
 先生と歯科衛生士は、にこやかに私を見送ってくださった。こののちのお二人の会話は、嘲(あざ)けりか蔑(さげす)みか? もちろん私は知るよしない。立つ鳥(私)、跡を濁したのかもしれない。嘘八百の無い、なさけないノンフィクション(実話)である。

中秋の名月 

 きのう(九月二十四日・月曜日、振替休日)は中秋の名月で、そしてきょう(九月二十五日・火曜日)は満月という。そのため、私は窓ガラスを覆うカーテンをめいっぱい開いて素通しにし、そのうえ部屋の明かりをすべて消して寝んだ。もちろん、煌々と照り輝く月光を寝ながらに迎え入れるためだった。ところが月光は、このわが粋な計らいに応えてくれなく、私はやむなく電灯を点けて起き出してきた。せっかくの月の恵みは、妬(ねた)みでもしたのか? 雲のいたずらで享受できなかった。かえすがえす残念至極である。
 きのうの私は、終点の大船(鎌倉市)の街までは、妻と肩を並べてバスに同乗した。バスがエンジンを止めると、足元に気をつけてそろりそろり降りた。妻と私は、互いに「じゃあね!」と、言って別れた。妻は、予定していた里のお墓参りに出向いた。菩提寺とお墓は、葉山町(神奈川県三浦郡)に存在する。妻の里は、鎌倉市に隣接する逗子市にある。葉山町は、逗子市に隣接する。葉山町は、亡き義母の里である。妻は里を守る長姉夫婦と待ち合わせて、義兄が運転するマイカーに乗ってお墓参りに行くのである。
 私はいつもの買い物用の大きなリュックを背負って、大船の街で買い物をする手はずになっていた。この日の買い物には、一つだけ外せないものがあった。それ以外には、特段の目当てはなかった。外せないものとは、コメの購入である。不断のわが家は、ふるさと産のコメを甥っ子の手を煩わして購入している。しかし、今年度産のふるさと産新米は、十月末にならないと届かない。そのつなぎのため、市販のコメを買うためである。私は新潟産新米を十キロ購入し、自宅への配送手続き(伝票書き)を終えた。
 この店の場合、3000円を超えると無料配送になる。五キロではそれには届かないけれど、十キロ買えば5000円を超える。万事いや一点、この日の買い物の目的は果たした。このあとは普段の買い物コースをめぐり、衝動買いを交えて気の済むままに買いまわるだけである。コースの起点はいつもどおり、野菜と果物の安売り量販店「大船市場」だった。大船市場を終えるとコースにしたがって、鈴木水産、西友ストア大船店へと、向かった。
 ところが、きのうはその途中、道筋の店先に足を止めた。店先には、二個入りパックのおはぎがたくさん並んでいた。それに、わが目が留まったのである。しばらく思案投げ首風情で、買うか買わないかをめぐらした。ようやく、彼岸だから買おう! と決断した。妻は、夕方になると帰ってきた。両親のお墓参りを済ました心地良さからだろうか、いつになく妻の声は弾んでいた。
「パパ。お彼岸だから、おはぎを買ってきたわよ! パパは、おはぎ大好きでしょ。一緒に食べましょうよ!」
「うん、おれ、ぼたもちは大好きだよ。おれも、買ってきたよ!」
「そうなの…いいじゃない、どちらも食べてみましょうよ!」
 妻のおはぎには、西友ストアのワッペン(値札)が貼りついていた。
 中秋の名月や満月には、あっけなくフラれた。しかし、「花より団子」さながらに、彼岸のおはぎが満腹にしてくれたのである。
 好季節にありついているけれど、きょうは雨の予報である。雲と雨がそろって通せんぼをすれば、月光の出る幕はない。

切ない思い 

 いつもわが身周辺のことを書いている。きょう(9月24日・月曜日、振替休日)は、私なりの日本社会の懸案事項(課題)を浮かべている。もちろんそれらは、不断にマスメディアが伝える課題とピタリ符合する。ランダム(浮かぶまま)にそれらのいくつかを記すと、すぐさまこんな事柄が浮かんでくる。少子高齢化社会。年年歳歳、過疎化を強めている地方および地域問題。将来的に減少傾向を深めている人口動態。これらに対処するための外国人労働者の増加。一方、企業社会における高知能外国人の増加。身近なところでは介護および認知症問題。増え続けている空き家対策。買い物難民現象。今後の日本社会は、よくもわるくもIT(情報技術)やAI(人工知能)の進化にもさらされる。これらをひっくるめて表現すれば、変質を続ける日本社会! と、言えるだろう。これらに加えて、対策のほどこしようのない天災および人災共に見舞う、災害列島の現実がある。なんらなすすべないことを胸中に浮かべてこのところの私は、日本列島に生き続けるつらさを実感している。
 ところが、わが生きづらさを嘆くことには、失礼千万に思えるものがある。それは拉致被害者および被害者家族の悲嘆である。テレビ画面に長年映し出されてくる光景は、そのたびにつらさを慮(おもんぱか)って、私は切ない思いにとらわれる。もちろんそれは、いっこうに埒(らち)の明かないことにたいする苛立ちと嘆きである。
 【北朝鮮拉致 「具体的成果」切望も「前のめり」には警戒強く 家族会】(9/23日 20:13配信 産経新聞)。拉致被害者家族会は23日の国民大集会で、北朝鮮に対し、全被害者の即時一括帰国という「譲れない条件」を重ねて示した。一方、政府には拉致の全面解決とともに、交渉に前のめりにならないよう慎重な対応を求める声が相次いだ。「期待したが、動きは中断している雰囲気もある」家族会代表で田口八重子さん(63)=拉致当時(22)=の兄、飯塚繁雄さん(80)は、6月の米朝首脳会談でトランプ大統領に拉致解決を提起された金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が、日本との対話に応じる意向を示してからの情勢に複雑な思いを漏らした。現状を「解決の最後の好機」ととらえる家族らは、日朝間の実質的協議を切望する。1月に発表した運動方針では、昨年に続き「今年中」の全被害者救出を要望した。ただ、飯塚さんはこの日、「何としても今年中とか来月中に、という話は私から言えない。焦らず着実に、被害者の確実な帰国に焦点を絞った取り組みを進めてほしい」と訴えた。日本側の「前のめり」姿勢への警戒といえる。その背景には、北朝鮮が拉致解決をちらつかせながら被害者解放に至らなかった過去の苦い経験とともに、政界や学界の一部にある「経済支援を先行させて国交正常化を急ぐべき」とする認識への懸念がある。北朝鮮は国営メディアなどで「拉致は解決済み」とし、経済協力などの「植民地支配の過去の清算」に日本が応じることが、対話の条件だと主張し続ける。横田めぐみさん(53)=同(13)=の弟、拓也さん(50)は「国家犯罪を行い、テロ支援国家である北朝鮮の主張をうのみにはできない」とした上で、「私たちは被害者の即時一括帰国しか求めない。北朝鮮が示す合同調査委員会や『報告書』に同調する動きは、救出への妨害行為だ」と憤る。安倍晋三首相は集会のあいさつで「安倍政権で拉致問題を解決する」と、改めて決意を述べた。ただ、高齢化した家族に残された時間は少ない。めぐみさんの母、早紀江さん(82)は「今が正念場。力強い交渉をしていただけると信じている」と語った。家族が求めるのは具体的成果だけだ。

 横綱白鵬、二つの偉業

 日曜日と重なった「秋分の日」(9月23日)が訪れている。もちろん、秋彼岸の中日である。彼岸の入り日(9月20日・木曜日)あたりから、二日ばかり鬱陶しい雨に見舞われていた。ようやく、きのうには秋天の晴れ間が覗いた。せっかくの秋も雨続きでは爽快さがまったくない。いまだに夜明け前の真っ暗闇であり、きょうの天候を知ることはできない。しかしながらきのうの天候を浮かべると、きょうの秋分の日(彼岸の中日)には、絶好の秋晴れが訪れそうである。このため、天候においては鬱憤晴らしができそうである。まずは、めでたし、めでたし、である。
 さてきょうの文章は、大相撲界におけるめでたい出来事を伝えるメディアの配信ニュースを引用し、記録に留めるものである。大相撲秋場所(東京都墨田区・両国国技館)は、きょう千秋楽を迎える。ところが、今場所の優勝は千秋楽を待たずに、きのうの十四日目にして横綱白鵬に輝いた。残された関心度は、白鵬の全勝優勝なるかどうかである。
 【白鵬、41度目V…前人未到の幕内1000勝】(2018年9月22日19時51分 読売新聞)。「大相撲秋場所は22日、東京・両国国技館で14日目が行われ、横綱白鵬(33)(本名ムンフバト・ダバジャルガル、モンゴル出身、宮城野部屋)が、千秋楽を待たずに5場所ぶり41度目の優勝を決めるとともに、2004年夏場所の新入幕以降の幕内勝ち星が前人未到の1000勝(180敗109休)に達した。新入幕から所要86場所のハイペースで大台を記録した白鵬は取組後、『場所前から幕内1000勝を目標に臨んできた。(1000勝は)誰も達成していない。最高に気持ちいいです』と喜びを語った。」
 まさしく秋分の日にふさわしい、秋場所における白鵬にまつわる話題である。具体的には41度目の優勝と幕内在位1000勝という偉業である。いずれも前人未到の偉業である。これらのほか、いろんな前人未到の数値を刻んで白鵬は、なお大横綱道をきわめてゆく。まずは、記録に留めて置かずにはおれない、今秋場所における二つの偉業である。 

 林檎

 桃、葡萄、林檎、栗、蜜柑、柿、プラム、バナナ、サクランボ、などの果物が大好きな私にとって、売り場でそのたびに戸惑うのは林檎である。大好物の西瓜は、果物なのかそれとも野菜なのか? 私は今なお迷っているところがある。
 インターネット情報は現代社会における文明の利器である。私はキーを叩くのをしばし中断し、インターネット上の人様の学習と知恵を閲覧した。世の中には、私にかぎらずこの区別に迷っている人はいっぱいいるようである。なぜなら、わが疑念にたいする答えが真っ先に記されていた。
 【スイカは野菜であり果物でもある。】「では、スイカは野菜と果物のどちらに分類されるのかということですが、実はスイカは分類上では野菜になります。しかし、みなさんもご存知のようにスイカは、果物として利用をされることが多いことから、単なる『野菜』ではなく『果実的野菜』として扱われています。果実的野菜とは、なんとも曖昧な表現ですが、これは農林水産省により定められているのです。つまり、スイカは野菜でもあり果物でもあるのです。農林水産省によると、野菜と果物の分類にはっきりとした定義はありません。生産や流通などそれぞれのラインによって、決め方が異なってしまいます。例えば一部の卸売市場では、スイカは野菜として出回っていますが、八百屋やスーパーでは消費者が消費する形態に合わせて、スイカは『果物』として扱われているのです。ちなみにスイカは英語で『Watermelon』(ウォーターメロン)ですが、メロンもスイカと同じく『果実的野菜』として扱われています。」
 私だけが阿呆ではなく、人みなを阿呆にするような曖昧模糊とした農林水産省の見解である。
 さて、文章をもとの筋へ戻すと、昔とは違ってこの頃の売り場には、果物にかぎらず野菜や山菜にいたるまで産地の表示がある。まさしくこのことは、たいへん有意義な消費者サービスである。なぜなら私は、産地表示を見ながら未踏の地方や地域に親しみをおぼえている。また同時に、生産者の苦労を偲んだり、慮(おもんぱか)ってもいる。もちろんこれは、私自身が三段百姓の出のゆえんである。とりわけ西瓜などには、生産者の顔写真や電話番号までもが、貼り付けられるまでにもなっている。すなわち、信頼を得るにはさまざまな工夫が苦心されている。
 私は、わざわざ「あまり美味しくなかったですよ!」などと言って、下種(げす)な電話をかけることなどはもちろんしない。しかし、一度はふるさと産西瓜の購入にあって、「とても、美味しかったですよ!」と言って、電話をかけたことがある。人様からさずかったわがうれしいことは、先方に伝える義務があろう。見ず知らずの受話器の中のお声は、思いがけない電話に明るく弾んでいた。電話をかけたわが一つの目的は、十分に叶えられたのである。しかし、本当のところそれを上回るわが真意は、苦心惨憺されている生産者への勇気づけだった。すなわち、あなたが作られた西瓜が鎌倉の売り場で、買い物客の人気を得ていることを告げたかったのである。もちろん、このことも言葉にした。
 再び脱線した文章を軌道に戻せば、売り場において林檎選びに戸惑うのは、今や林檎の品種の多さにある。確かに、林檎以外の果物も品種を異(こと)にするものはある。しかしながら、林檎に比べればそう多くはない。かつては、実の硬いものでは「国光」、逆に実の柔らかいものでは「紅玉」くらいの知識で、二者択一の品選びは十分だった。ところが、この頃の林檎選びは、もはやこんな半端(はんぱ)な知識では用をなさなくなっている。
 私はいつもの習性に倣(なら)い、長々と書き殴りの文章を記した。結局、この文章の目的は、林檎の品種選びの中でどなたかに、体験上の林檎の美味しさの品種を教え乞うためであった。もちろん、売り場の林檎の一つひとつを買って、品種の味を確かめることにはわが財布がもたないという、ケチな自己都合のせいである。

秋の夜長のつれづれ 

 インターネット上のブログに書き続けている「ひぐらしの記」の題材(ネタ)には、おのずからさまざまな自己規制を強いられている。このことはすでに何度か書いたけれど、それはバッシングや炎上を恐れているせいである。すると、題材(ネタ)は当たり障りのないものになりがちで、その挙句には同じような文章を何度も繰り返し書いている。もちろん、このことは(すでに書いたな!)と、そのたびに私自身が承知しているところである。確かに、承知しているから悩ましいところである。
 ひぐらしの記は随筆集と銘打っている。ところが、実際のところ多くの文章は、日記スタイルにわが身周辺の日常的な出来事にとどまっている。そのため文章の多くは、終始変り映えのしない似たり寄ったりのものに成り下がっている。これまた、わが悩ましいところである。結局、題材(ネタ)を自己規制し、そのうえほぼ毎日書き続けているひぐらしの記は、おのずから新味がなく書き手の私自身、うんざりしているところがある。もちろん、好意に読み続けてくださっている人たちには、かぎりなくかたじけない思いがつのるばかりである。
 さらに多くの文章は、わがマイナス思考の性癖が祟(たた)り、読んで気分の滅入る愚痴こぼしに成り下がっている。今さら言わずもがなのことだけれど、これまた十分承知しているところである。閑話休題、私は明るい題材(ネタ)探しを試みている。すると、この時季行き着くところはやはり、実りの秋の堪能(たんのう)である。現在、店頭では実りの秋のおりなすさまざまな産物が出回っている。わが日々の買い物行きつけの店は、おおむね「大船市場」、「鈴木水産」、そして「西友ストア大船店」(いずれも鎌倉市大船)である。大船市場は野菜と果物の安売り量販店、鈴木水産は海産物の量販店、そして西友ストアは首都圏エリアにある総合スーパー・チエーン店である。かつてはこれら三店舗に駄菓子屋が加わり四店舗を成し、バスを降りて歩く順に、大船市場、駄菓子屋、鈴木水産、西友ストアへと、回っていた。ところが現在、わがダイエット志向の憂き目に遭い、駄菓子屋は余儀なく外されている。しかし、生来意志薄弱の私の場合、この先ずっと外すことはおぼつかなく、現在の私は、駄菓子屋の復活に日々恐々するところにある。
 大船市場で実りの秋を先駆けて、旺盛をきわめているのは栽培物の果物類である。こののちは、野生の山菜も次々に並んでくる。松茸も並ぶけれど、私には手出し無用である。果物類に目が無い私は、おのずから有卦(うけ)に入っている。しかしながらこれにも、おのずから財布の事情という制限がある。だから、余儀なく目を凝らして、品定めとお金の釣り合いを強いられている。そのため、国内物と海外物の並ぶ選り取り見取りの中にあっても、実際に買うものは限られている。
 その選別のみずからの基準は、おおむね子どもの頃からの食べ慣れと郷愁、そして値段の安さである。この基準に照らすと、真っ先に外れるのは海外物である。次に、涎を垂らして食指をひかえるのは高価な物である。結局、わが買いの手が伸びるのは、食べ慣れて比較的安価な物で、そのうえできれば郷愁がワクワク湧き出る物にかぎられる。
 これらの選別基準で、これまでのところ実りの秋の筆頭に位置するものは栗である。わが家の場合、栗のレシピ(調理法)は、茹で栗、栗御飯、栗団子である。茹で栗はわが単独作業、栗御飯は妻の単独作業、そして栗団子は二人の共同作業である。これらの中でこの秋にかぎり特筆すべきは、すでに五度の栗団子作りを為している栗三昧である。五度ともなれば二人の栗団子作りの手さばきは、慣れて素早くなっている。栗御飯もすでに二度味わい、茹で栗はこれらをいくらか食べ飽きた頃へと、先延ばしになっている。なぜなら茹で栗は、手間暇要らずで容易だからである。確かに、栗こそ選別基準に合致するものの最たる一つである。中でも、栗山を生業(なりわい)の一つにしていた長兄を偲べば、郷愁は無限につのるものがある。年老いた長兄は、栗山仕事はやむなく無償で人様まかせにある。このこともあって私は、栗には余計に郷愁つのるものがある。いや、実際のところ栗は子どもの頃から食べ慣れて、かぎりなく賞味をそそられている。
 郷愁と賞味に駆られて、栗のあとに買い続けるのは蜜柑と柿である。言うなれば秋の果物において、わが買い物の順序は栗、蜜柑、そして柿である。いずれもふるさとのわが家の庭先に生っていて、いや増して郷愁にありつけるものだからである。梨も庭先になっていたけれど、なぜか後順位である。もちろんたまには買うけれど、梨は日持ちがしないため後順位に成り下がっている。これらよりさらに後順位になるのは、桃、葡萄、林檎である。賞味の点では、栗、蜜柑、柿、梨を凌ぐものがある。ところが、桃、葡萄、林檎がこれらに競り負けするのは、食べ慣れと郷愁の差であろう。
 このところの私は、三度続けて青森産の林檎を店所定の籠に入れている。林檎の表示には「さん津軽(サンつがる)」とある。テレビは、先回の台風のおりに青森産林檎の落下を報じていた。今、店頭に並んでいる「さん津軽」は、台風の直撃を受けた物であろう。なぜなら、いまだ真っ赤とはならず、値段も箆棒(べらぼう)に安く付けられている。私は生産者の嘆きをおもんぱかってというより、値段の安さに釣られて三度も買ったのである。ところが「さん津軽」は、生産者の嘆きが偲ばれるほどに美味しかった。
 実りの秋はわが食感を潤(うるお)すと同時に、ひぐらしの記の題材(ネタ)切れをすでに何度か防いでくれている。もちろん、他愛(たわい)無い題材(ネタ)は、バッシングや炎上にはまったく無縁である。一方で書き殴りには木っ端恥ずかしいところと、ちょっぴりこそばゆいところがある。