ひぐらしの記
 
前田静良 作 


 2014.10.27カウンター設置
以前の作品は右掲載の単行本に収録しました。
 
内田川(熊本県・筆者の故郷) 富田文昭さん 撮影 

梅雨の合間のつれづれ文 

 六月二十三日(土曜日)、パソコンを起ち上げると、こんな配信ニュースに出合った。人の災難につけこむ悪徳商法の横行は、日本社会の劣化ぶりを示す明らかな証しである。そのため私には、気分の滅入るものの一つである。
 【大阪で悪徳商法の被害 注意を <大阪震度6弱>初の悪質商法 「ガス修理、十数万円」被害】(6/22・金曜日 23:28 毎日新聞)。「大阪府警は22日、大阪府北部の地震で、大阪市内の高齢男性が、ガス工事の業者を名乗る男らに十数万円を請求される被害があったと発表した。地震発生後、悪質商法の被害が確認されたのは初めて。府警は、家屋の修理やブロック塀点検などを名目にした悪質商法への注意を呼びかけている。」
 災害や災難時にあって横行するものには、この手の被害のほか風評被害もある。人の混乱時に横行するこれらの悪徳行為は、決して小さな仕業ではない。哀しいかな! 人間にまつわる性悪説がもたげてくる。大阪北部地震(六月十八日・月曜日)から一週間近くになって、いまだに余震の頻度を案ずるところに、重なる心の痛むニュースである。
 このところの私は、梅雨の合間にあって庭中の草取りに向かっている。狭い庭中にもかかわらず草取りは、私にはきわめて厄介である。一方で心中、これくらいのことでメソメソするようでは、(農家出のわが身がすたる)、と思いながら取っている。しかしながら実際のところは、やはりメソメソしている。ところが、ほんとうのところこの場合のメソメソは、草取りの難渋からもたらされているものではない。すなわちそれは、わが死後をおもんぱかっての気分の滅入るメソメソである。
 草取りをしながら学ぶことは、わが精神力の弱さに比べて、雑草の生命力の強さである。毎回、根こそぎ取っていると思っていても、雑草は挫けず次から次に生えてくる。すると、わが精神力に雑草の生命力のかけらでもあればと、思う。そして、そうであれば日々悩む心がどんなに救われるかと、愚痴をこぼしている。みすぼらしい庭中には、遠慮は要らないとばかりに雑草は、余計我が物顔に生えてくる。確かに、近隣にあってわが家の庭中は、一頭地抜いて雑草の標的になっているようである。防犯でも不断から意を注がれている家には、泥棒も入りにくいと言われている。結局、わが家の狭い庭中にあって次から次に雑草は生えてくるのは、庭自体のみすぼらしさとわが怠け心のせいであろう。スポーツの試合になぞらえれば、端(はな)から負ける気がしないと、雑草に見くびられているようなものである。
 さて、冒頭に記した悪徳商法による気分の滅入りとはまったく異質であるけれど、見た目に気分の滅入るものが一つある。現在、陸上競技では第102回「日本選手権」(山口・維新みらいふスタジアム)が開催されている。この大会は、八月に行われる「インドネシア・ジャカルタアジア大会」の選考も兼ねている。このため、NHKテレビは競技の様子を放映している。私は陸上競技が好きなため、もっぱらテレビ観戦をしている。
 次のことは「ひぐらしの記」にあっては、見苦しいという思いを込めて、すでに何度か記している。それは、女子選手のユニホームの「へそ出しルック」である。ところがこの傾向は、今や高校生以下までに及びつつある。すると、テレビ観戦する私の目には、この姿は気分の滅入るものの一つになっている。もちろん、見栄えがよくないせいである。そのうえ私には、へそ出しルックが記録のうえで良い効果をもたらすとは思えないところがある。あくまでも局外者の推測ゆえに、実際のところはいずれ競技者に聞いてみたいところである。しかし、どうあれテレビ観戦者としては、まったく歓迎しないへそ出しルックである。なぜならその姿を観れば私は気分が滅入り、その選手には勝ってほしくないと、思うほどに毛嫌いするところがある。
 きょうの文章は、梅雨の合間のつれづれ文である。夜明けの空は、気分の重たい梅雨空である。

 悩みを癒す郷愁

 正直言って私は、過去を悔い、現在に悩み、もはや未来はないから先々の不安に慄(おのの)いている。文章を書かなければ、こんな身も蓋もない恥晒しは免れる。もちろんこんな心境では、文章自体が書けない。だから私は、常にプレッシャーに苛(さいな)まれているアホンダラである。
 きのう、「夏至」(六月二十一日・木曜日)が過ぎた。きょう(六月二十二日・金曜日)からは半年先の「冬至」(十二月二十二日)へ向かって、日に日に夜明けは遅く夕暮れが早くなる。この間、季節のめぐりは、夏が過ぎて、秋を迎え、冬が訪れる。つれて、心理的には重たい気分を深めてゆく。
 気象庁の梅雨入り宣言以降、関東地方は例年に比べて梅雨空が続いている。梅雨空続きは、わが重たい気分に輪をかける。私は三時半近くに起き出して、キーボードへ向かっている。すると、夜明け模様は梅雨空である。そのため、気分晴らしを浮かべている。常にわが気分晴らしの筆頭は、郷愁に耽(ふけ)ることである。この時期には、ふるさとの田植えそして水田風景がよみがえる。同時に、それに勤(いそ)しんでいた大家族の面影が彷彿する。
 梅雨空の合間の夕闇迫る頃にあっては、私は「内田川」から舞い込んでくるホタル狩りに興じていた。私にとってのいたずら遊びの興趣は、ホタルにとっては身におぼえの無い虐待である。私は長い柄の竹箒を持って、ピカピカと明滅するホタルを打ち下ろした。落とされたホタルは、畦道(あぜみち)の草むらになお明滅した。私は草むらを分けて、指先で拾い上げた。そして、麦わらで作ったホタル籠に入れたり、小瓶に入れたりした。もちろんこの行為は慈悲深いわけではなく、ホタルは単にいたずら遊びの対象物にすぎなかった。ホタルは、翌朝にはすべて屍(しかばね)を晒していた。
 ホタルにたいする悪為はなおあった。私はホタルの餌となる「カワニナ」を美味しい「ほうじゃ汁」の具材として、内田川で漁(あさ)っていたのである。しかし当時の私は、カワニナすなわちほうじゃがホタルの餌などとは知るよしもなかった。もちろん、家族のだれもが知らなかった。その証しにときには金笊あるいは竹笊をたずさえて、家族総出で内田川の「ほうじゃ取り」に出向いていた。今となっては内田川が遠のいて、ホタルへの罪滅ぼしはまったく叶わない。だから現在の私は、当時の罪を愧(は)じている。
 夜明けの空は、梅雨空をのけてのどかに朝日が輝いている。ホタル懺悔(ざんげ)で、わが重たい気分はいくらか和らいでいる。しかしながら、ちょっとまの気分の安らぎにすぎない。ほとほと、悩み尽きないわが人生である。

 めぐってきた「夏至」

 すでに過ぎた先週の日曜日(六月十七日)は、「父の日」だった。私は携帯電話で一人娘に、「きょうは父の日です」と、娘心をちょっぴり打診する冷やかしのCメールを送信した。意地が悪いと言えば確かにそうとも言える、あえて送らずもがなのメールだった。これにたいする返信メールには、こう刻まれている。「そうなのね。ごめん、忘れてた。いつもありがとう。じいじ」(19:54)。
 父の日が暮れ行く、わが就寝間際のやりとりであった。わが送信メールには、娘を非難する気持ちはさらさらなかった。現在の娘は、父親を「じいじ」呼ばわりしているように、わが孫の母親として日々大忙しである。だから私は、それを無事に熟(こな)してくれればそれで十分満足である。父の日でもなければ、こんな勿体ぶったメール交換(交歓)はできなかった。だから私には、唯一父の日の存在意義があると思えたままごと遊びだった。
 ひるがえって私の場合は、父の日にかぎらずしょっちゅう心中に在りし日の父の姿を浮かべている。案外、父が生存していたときは娘同様に、私も父の日を失念していたのかもしれない。父親にかぎらず母親共々にそのありがたさは、ほんとうのところは生存中には気づかない。時すでに遅し、生前の姿を心中に浮かべるようになって気づくのであろう。
 時がめぐってきょうは、「夏至」(六月二十一日・木曜日)である。なんという時のめぐりの速さ(感)であろう。あたりまえだけれど、半年先には「冬至」(十二月二十二日)がめぐってくる。一年は半年ごとに夏至と冬至を繰り返し、ぐるぐる回って無限大の時をたずさえて、未来という先々へめぐってゆく。確かに、時のめぐりは永遠無限である。その中にあって悲しいかな! 人の命は有限である。そのため人は、おのずから時の速めぐり(感)に戦々恐々として敏感にならざるを得ない。ほんとうのところは、時の流れに泰然と身を任すより仕方のない命の定めである。ところが、分かっちゃいるけど実際のところ人の命は、時の流れの速さ(感)に驚愕する。その挙句には、無用な齷齪感(あくせくかん)にとらわれてジタバタするのである。
 夏至は、夜間に比べて昼間の時間が最も長い日である。残念ながら夜明けの空は、朝日の見えない梅雨空である。確かに、日本列島は梅雨の合間であり、朝日は見なくともつつがない折り返し点を望んでいる。大阪北部地震(六月十八日)の余震は、いまだ真っただ中にあって、期限切れでないことが気に懸かるところである。

日本チーム、初戦金星 

 日本列島は、大阪北部震災の悲嘆真っただ中にある。このため、おのずから狂喜乱舞することは憚(はばか)り、慎みたいところである。しかしながらやはり、「金星」と称えられているかぎりは配信ニュースを引用し、記録に留めておかなければならない。なぜなら、そうしなければ私はへそ曲がりに輪をかけて天邪鬼(あまのじゃく)と謗(そし)られ、非難囂囂(ひなんごうごう)をこうむりそうである。
 【日本 コロンビア破り金星発進】(6/19・火曜日、22:58 ゲキサカ)。「コロンビアにリベンジ!!大迫の決勝ヘッドで日本は“金星”発進。日本代表は19日、ロシアW杯のグループリーグ初戦でコロンビア代表と対戦し、2-1で競り勝った。前半6分、MF香川真司のPKで先制。同39分に直接FKで追いつかれたが、後半28分、CKからFW大迫勇也が決勝ヘッドを決めた。前回大会8強、FIFAランキング16位のコロンビアを倒す金星。初戦で大きな勝ち点3をもぎ取った日本は24日の第2戦でセネガルと対戦する。」
 昨夜の私は、プロ野球・阪神タイガース対千葉ロッテマーリンズのナイターをテレビ観戦した。試合結果は、わがファンとするタイガースが不甲斐ない試合を続けて、結局1対3で負けていた。こんな表現をするのは負けそうな試合に興味を殺(そ)がれて、途中ソファで眠りこけていたせいである。眠りから覚めるとテレビは、サッカーの試合を映していた。妻がチャンネルを切り替えていたのである。
 昨夜の私は日本チームの試合は観ようと、試合開始時間の九時に、心構えをしていた。私が目覚めたときにはすでに日本チームは1点を得て、画面には1対0と表示されていた。次に目覚めたときには、双方1対1となっていた。そして、試合は後半戦になっていた。しばらくすると、日本チームが1点を加えた。結局、寝ぼけまなこをこうむり日本チーム初戦のテレビ観戦は、後半戦の一部分にすぎなかった。それでも私は、サッカー・ワールドカップの凄さをあらためて感得し、驚嘆しきりだった。ピッチ(グラウンド)の中は、まさしく双方の国で選ばれた身体強靭かつ俊敏なアスリート(競技者)の絵になる足技であった。
 一方、それを応援続ける観客席は、これまたさまざまに絵になる風景だった。確かに、サッカー・ワールドカップは、ピッチそして観客席共に一体化する盛り上がりだった。タイガースの不甲斐ない試合に飽きあきしていたあとだけに、私はプロ野球ファン変じて、サッカーサポーターになりそうだった。
 サッカー・ワールドカップにあって金星を得ることは、もちろん大相撲で平幕力士が横綱を倒す「金星」より、はるかに困難なことのようである。あっぱれ、日本チームの初戦金星である。しかし、大阪北部震災を浮かべれば、ひそかに歓びとしたところである。

大阪北部地方地震 

 きょう(六月十九日・火曜日)にあっては、きのう(六月十八日・月曜日)のことを書かずにはおれない。実際のところは自作文に非ずして、先ずはメディアの伝える配信ニュースを引用するものである。平穏無事に過ぎていた日本列島の梅雨空に、とんでもない天変地異が襲ったのである。
 【地震死者4人に 高槻新たに1人 大阪北部地震、死者4人に 高槻市が81歳女性死亡発表】(6/18・月曜日、22:44 朝日新聞デジタル)。「18日午前7時58分ごろに大阪府北部を震源として最大震度6弱の地震が起きた。地震の規模を示すマグニチュード(M)は6・1と推定される。総務省消防庁の午後5時時点のまとめで、大阪府で3人が死亡し、6府県で307人が負傷した。大阪府高槻市はさらに1人の死亡を発表した。大阪府の松井一郎知事は自衛隊に災害派遣を要請し、避難所の設置・運営などの費用を国と府が肩代わりする災害救助法を13市町に適用することを決めた。」
 この地震に際して伝えるNHKテレビアナウンサーの地震情報の第一声は、「大阪北部地方に大きな地震が発生しました」というものだった。この第一声を皮切りにきのうのNHKテレビは、地震情報と地震に因る被害状況の報道に明け暮れた。今やこの報道ぶりは、大きな天変地異に見舞われるたびに見られる報道の定番である。もちろん、国民が恐怖に晒されているおり、予定番組通りの報道を続けるばかりでは公共放送の価値はない。
 大阪北部地方という言葉を耳にして、わが心中に真っ先に浮かんだのは、ふうちゃん(ふうたろうさん)とお宅の安否だった。なぜなら私は、ふうちゃんの住む大阪府枚方市は、京都寄りの大阪北部地方に位置すると思っていたからである。その後のテレビ画面には、まるで枚方市付近が震源地でもあるかのように終日、枚方市は地震情報の中心を成していた。
 以下の文章は片手に携帯電話を持って、片手打ちで書いている。私はきのうの朝八時十分近くに、ふうちゃんの携帯電話へ第一声を掛けた。案の定、通信は混乱状態で不通だった。いまわかったことだけどこの第一声は、送信記録に残されていない。そのため、送信時刻を知ることはできない。次には思案し、電話を諦めてCメールに切り替えた。そして、不通や混乱を予想し短く書いた。ところが、これまたいま気づいたことだけれど、送信記録に刻まれていない。しかしながらわが送信メールは、確かにふうちゃんの携帯電話に届いていたのである。その証しにはまもなくこういう文章で、返信メールが届いたのである。
 「大揺れで棚の物が落ちましたが被害はありません」(受信メール 06/18 08:14)。この受信メールに安堵した私は、通信の混乱が落ち着くまで、追っての電話をひかえた。テレビ画面には、枚方市付近の被害状況が絶えることなく続いていた。とうとう午後には、住民の小学校への避難状況が伝えられた。そのため私は、二度目の電話を掛けた。これは通信が正常に戻り、14:13、と時刻が印されている。もちろんメールとは異なり、会話のやりとりは印されていない。ふうちゃんはわが問にたいし、こう言葉を返した。
 「避難しているところもあるけれど、自分のところはしなくていいよ。阪神淡路大震災のときよりこっちは、こんどのほうが大揺れしたよ」。
 このふうちゃんの言葉で、地震にまつわるやりとりは終結した。不幸中の幸いかな! 竹馬の友のふうちゃんの御宅は棚の物の落下と、奥様共々の恐怖にさらされて、大きな被害を免れた。しかし、大阪北部地方を襲った地震の惨状は、こののち日を追って明るみに出てくることになる。やはり、のほほんとしておれるものではない。
 今夜(九時)には、サッカー・ワルドカップ(W杯)における日本チームの初戦が予定されている。その応援のため、大阪北部地方からロシアへ駆けつけているサポーターがおられるかもしれない。天変地異は時と所を選ばない、きわめつきの天上の悪魔である。地上は、どうする術(すべ)もない。

 サッカー・ワールドカップ(W杯)

 六月十八日(月曜日)、梅雨どきらしい小雨模様の夜明けが訪れている。このところメディアから伝えられる世界のニュースは、サッカー・ワールドカップ(W杯)一色である。確かに、世界中に戦雲が垂れ込めるより、世界中のサッカーファンが一喜一憂するとはいえ、はるかにのどかなスポーツの戦いである。今回はロシア大会と名付けられて、ロシアの各地で試合が行われて決勝戦へ収束する。日本チームの初戦は、あす(六月十九日・火曜日)に予定されている。
 きのうのテレビニュースは、日本チームの応援に向かってロシアへ飛び立つサポーター(ファン・応援者)の姿を映していた。映像の中にはいつもの習わしにより、何人かの人たちにたいするインタビュー光景があった。もちろん、居ても立っても居られないように、すべての人が満面気色にインタビューに応じていた。インタービュアーは心得て、若い人のみならず高齢のおじさんやおばさんにもマイクを向けて、応援へ駆けつけるうれしさを伝えていた。
 この光景を観て私は、世の中は変わったものだ、と思った。同時に、世の中には幸せな人がいるものだ、とも思った。太平洋戦争後のロシアは、長く日本人感情を曇らせてきた。ところが、応援に飛び立つ人の姿は、今や寸分の曇りなく晴れ渡っていた。スポーツ、この場合はサッカー観戦特有の雪解けムードなのであろうか。それともかつての日本人感情は、もはや過去の異物として消失しているのであろうか。世の中の動きに疎(うと)い私は、ちょっぴりわが目を疑った。
 サッカーファンには叱られそうだけれど、私の場合はサポーターやメディアが狂奔してもいたって冷静である。あらゆるスポーツ好きの私は、もちろんサッカー競技にも無関心ではない。しかし、ほどほどの興味に甘んじている。みずから興味の尺度は、プロ野球に比べれば歴然としている。プロ野球には、阪神タイガースという、わがファンとする球団が存在する。おのずからタイガースの試合は、テレビ観戦を逃すことはない。ところがサッカーには、サポーターを自認するチームはない。このため、日本国内のサッカーのリーグ戦(Jリーグ)をテレビ観戦することはない。しかしながら、ワールドカップだけはテレビ観戦する。言うなれば、サッカーにはこの程度の関心事にすぎない。このことには自分自身のへそ曲がりを認めている。
 その理由には、こんなことが考えられる。最大の一つは子どもの頃にあって、野球に比べればサッカーに馴染んでいなかったせいであろう。そののちサッカーが人気スポーツになって、テレビで観る競技者に茶髪を見かけたことが災いしている。競技では自殺点という腑に落ちない点が入ることも、いくらか興ざめの誘因となっている。これらに加えて、メディアの贔屓(ひいき)の引き倒しとも思える前宣伝の喧騒にもうんざり感をおぼえるところがある。これらを並べれば、確かに私は極度のへそ曲がりである。それでも、あすの日本チームの初戦を観て応援するのは、いつわりのない日本人感情である。
 鬱陶しい梅雨空とそれによる憂鬱気分をはねのけるには、確かに日本チームの勝利にすがるよりほかに便法はない。

様変わる日本社会 

 私は経済効果という言葉や、そのための日本政府の施策が大嫌いである。なぜなら、経済効果というもっともらしい言葉の裏には、関係者のさまざまな私利私欲が蠢(うごめ)いているから、胡散臭(うさんくさ)いところがある。直近ではカジノ誘致をとおして経済効果と、嘯(うそぶ)く政治家には虫唾(むしず)が走る思いがある。日本社会に悪の温床となりそうな賭場をあえて、新たに設ける必要があるのであろうか。現下の日本社会の懸案の一つ、格差社会の助長をしかねないところもある。
 日本政府がやたらと煽る外国人観光客の誘致目標にも、私は違和感をおぼえて必ずしも納得できないところがある。これも背に腹は替えられないというもっともらしい口実にすがり、場当り的に狙う経済効果であろう。ところが、経済効果という施策にはいろんなところで、日本社会にもたらす歪(ひずみ)が内包されている。そして、その歪は少しずつ顕在化し始めている。
 メディア報道によれば日本の医療を受けながら医療費を払わず、帰国してしまう外国人観光客の多さがあぶり出されていた。外国人観光客目当ての民泊施策も、いずれはいろんな問題の惹起(じゃっき)が懸念されるところである。言うなれば人間には、古来「旅の恥は掻き捨て」という、不徳の諺(ことわざ)が存在する。人間にまつわる悪徳の性(さが)は、もちろん一朝一夕には払拭(ふっしょく)できるものではない。
 一方、一時的な外国人観光客ではないけれど、日本に定住する外国人は増え続けている。職業的に言えば現在、彼らはピンからキリにある。ところがいずれ日本社会は、よくもわるくもそれらの人たちに脅かされるであろう。このところのテレビ画面では、さまざまなところで外国籍の人やハーフの人たちの出番が目立っている。もちろん有能のためであり、この傾向を批判するにはあたらない。しかしながら職場的に言えばそのぶん日本人の翳(かげ)りには、一抹の不安をおぼえるところがある。今や外国人に頼らなければ、職業自体成り立たないものも増え続けている。これとて早く手を打たなければ、これまた遅かれ早かれ問題を来たしそうである。
 閑話休題。日本社会に日常茶飯事に起きている忌まわしいものでは、親が子を虐待する事件の多発である。逆に、子が親を殺(あや)める事件の多さである。言うなれば現下の日本社会は、「骨肉の争い」の坩堝(るつぼ)と化しつつある。これらのことからわが心中には、ふとこんなフレーズ(成句)が浮かんでいる。すなわちそれは、「積善の家には必ず余慶(よけい」あり、積悪の家には余殃(よおう)あり」である。おそらく様変わる日本社会の現状からかんがみて、柄にもなく浮かんだのであろう。このためきょうの文章は、この成句を電子辞書にすがりおさらいをして、終止符を打つこととするものである。
 【積善の家には必ず余慶あり、積悪の家には必ず余殃あり】。善行を積み重ねた家には、必ず子孫にまで幸福が及ぶということ。だから善行を積み重ねなくてはならないというという戒めに使う。「積善の余慶」とも。「余慶」は、先祖の善行のおかげで得られる子孫の幸福。悪事を積み重ねた家には、その報いとして必ず子孫にまで及ぶ災いがあるということ。だから悪事を積み重ねるようなことはしてはならないという戒めに使う。「積悪の余殃」とも。「余殃」は、先祖の悪事に報いとして子孫までの残る災い。(出典:易経・坤・文言伝)。
 わが生涯学習の素材は、さまざまな社会現象に依拠している。

御礼文 

 きのう(六月十五日・金曜日)の十一歳の誕生日には、お二人様のご投稿文にさずかり、心身に衝撃的なうれしさが充満した。なんて馬鹿な! わが誕生日は、ちょうどあとひと月先の七月十五日に訪れる。そして、あな恐ろしや! そのとき七十八歳になる。実際のところきのうは、「ひぐらしの記」十一歳の誕生日だったのである。そのため私は、ひとりよがりにそのことを文章に著(あらわ)した。そして、このとき文尾には、今は亡き生前の母と父の情愛になぞらえて、こんなことを書いた。母の場合は、赤飯を炊いてくれるだろう。一方、父の場合は、ウナギのかば焼きを焼いてくれるかもしれない。もちろんこのときのウナギは、生家の裏を流れている「内田川」にかけていた「はい込み」(ふるさとの漁法)で獲れたウナギである。
 ところが、きのうのお二人のご投稿文では、まるで母親そして父親代わりとも思えるほどに、いやそれをはるかに凌ぐほどのうれしさをさずけてくださったのである。母親代わりをになってくださったのは、大沢さまの心優しいご厚情である。ご投稿文にあっては、十一年間の足跡をわが孫のあおばの成長になぞらえて、称えてくださっていた。私には、このことがたまらなくうれしかったのである。そして、父親代わりをになってくれたのは、竹馬の友・ふうちゃんの熱き友情だった。ふうちゃんは友情ほとばしる文章に添えて、思いも寄らない写真を披露してくれていた。添えられていた写真は、本棚の三段に整然と背表紙を並べていた「ひぐらしの記・七十冊」の単行本である。写真を凝視していると、わが十一年間の苦衷(くちゅう)が一瞬にして飛び散った。
 そのため明けてきょう(六月十六日・土曜日)の私は、真っ先にお二人のご好意を書かずにはおれなくなっていた。加えて、写真に見入っていると、わが心中には渡部さんご夫妻様の篤いご厚情が浮かんでいた。渡部さんご夫妻様は、初刊から直近のひぐらしの記(単行本)にいたるまで、すなわち全巻七十冊のすべてにわたり、ご購入くださっているのである。渡部さんは毎朝、ブログ上で欠かさず読んでくださっていると、言われている。そうであれば単行本は、もちろん不要である。それでもご購入を続けてくださっているのは、ご夫妻様の稀に見る温かいお人柄ゆえである。言うなれば私を励ますためだけに、散財にあずかっているのである。現在、渡部さんご夫妻様は埼玉県所沢市にお住まいであり、渡部さんは同期入社のお仲間のおひとりである。そして奥様は、渡部さんらエリートコースの集う企画部で、セクレタリーとして活躍されていた。
 われひとりでひそかに祝福するかに思えていた、「ひぐらしの記」十一歳の誕生日は、人様のご厚誼(こうぎ)にさずかり、とんでもない心豊かな気持ちに恵まれたのである。そのためきょうの文章は、その「御礼文(おんれいぶん)」としてしたためたのである。十一歳でとどまるのか、なおいくらか先へ続くのか、それはわが奮起しだいである。実際のところはこころもとない。しかし、続けなければ人様とのご交誼(こうぎ)は、たちまち縁切れとなる。もちろんそれは、もったいなく、そして惜しい、思い一入(ひとしお)である。梅雨空の夜明けも、まったく鬱陶しくない。

「ひぐらしの記」誕生日(十一歳) 

 平成三十年(二〇一八年)六月十五日(金曜日)、きょうは「ひぐらしの記」の十一歳の誕生日である。このため、この間の足跡を心中に浮かべている。すると、なさけなくも真っ先に浮かんだのは、「雉(キジ)も鳴かずば撃たれまい」という諺(ことわざ)である。実際には、この諺の意味とはかなりかけ離れている。しかし、ちょっぴり似ているため、これになぞらえて浮かんだのであろう。すなわち、ひぐらしの記を書きさえしなければこの間、私は精神的プレッシャーから免れていた。十一年間の足跡を功罪に分ければ、罪の最たるものと思えるのは、日々こうむっていた精神的プレッシャーに尽きる。より具体的には、目覚めると文章を書かなければならないという、強圧的プレッシャーである。
 十一年のあいだ赤ちゃんであれば、日々心身共に成長を続ける。逆に私の場合は、老化現象を露わにして日々心身の衰弱を自覚してきた。十一年間の足跡を顧みれば、まさしくこの違いが最大いや最悪である。確かに物事は、罪作りばかりと思えばその行為を即座に止めれば済むことである。ところが、功罪に分ければ一方で私は、わがしがない身にはとてつもなく余る、多くの功にありつけていたのである。結局、ひぐらしの記は罪より功多くして生来の三日坊主を遠のけて、途方もない十一年の継続を叶えてきたのである。
 功の筆頭はひぐらしの記を書き続けてきたことにより、多くの人たちからさずかった交誼(こうぎ)である。もちろん交誼には、計り知れない厚誼(こうぎ)がともなっていた。ひぐらしの記の発端は、大沢さまからさずかった「前田さん。何でもいいから、書いてください」という、お言葉である。心中(三日も続くまいと思い)書き始めた文章は、思いがけなく続いてやがては、単行本になりかわりご贈呈をたまわったのである。わが子どもの頃から夢見ていた宿願は、身の程知らずに生涯一冊の随筆の単行本を成すことだった。これは六十(歳)の手習いとして始めた「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)において、幸い協会賞にさずかったおりに『追憶』の刊行により叶った。
 宿願を果たし私は、もちろんこの一冊で十分に満足した。さらにこのオマケのようにわが文章は、共著や投稿文にさずかり十冊余に及ぶ単行本にありついた。まさしく、望外の望の夢の実現であった。ところが、こんなちっちゃな夢など蹴散らすかのようにひぐらしの記の十一年間の歩みは、大沢さまのご好意にさずかり七十冊の単行本を編んでくださったのである。するとこの単行本は、押しつけとはいえ回読本にさずかるお仲間を増やし、多くの人たちに読んでいただける幸運をもたらしたのである。
 もちろん掲示板上のブログでは、限られた単行本では成し得ないたくさんの友人や知人との、ご交流にあずかったのである。ひぐらしの記の功の筆頭は、まさしく多くの人たちとの出会いである。そしてこれに並ぶ功は、わが掲げる生涯学習すなわち語彙(文字と言葉)の忘却防止あるいは新たな習得の実践の場である。もし仮にひぐらしの記という実践の場が無ければ、わが生涯学習の目標は、早々に頓挫の憂き目を見ていたことは、火を見るより明らかなことである。このことでは実践の場を恵みまた支えてくださった大沢さまはじめ読者各位様にたいして、私はあらためて深甚なる敬意と感謝の意をお伝えするところである。
 「十年ひと昔」というけれど、日々浮き沈みする十一年間の歩みは、ひ弱なわが精神力では並大抵のことではなかった。そのため、許していただければ、ちょっぴり自惚(うぬぼ)れているところである。両親在れば母は赤飯を炊いて、父はウナギのかば焼きを焼いてくれるかもしれない。それは叶わず、独り祝福の十一歳の誕生日である。

継続は力・・・
投稿者:ふうたろうメール 投稿日:2018年 6月15日(金)16時36分10秒   通報
 平成20年11月20日、我が家の本棚に、「ひぐらしの記:桜咲く」が、並べられてから、11年が過ぎ、本棚の最上段とその下段が満杯となり、今、更に、下段(写真)に並べている。手元の「桜咲く」を捲ってみた。15Pに、懐かしの、立ち食い寿司「千」が出てくる。この「千も」後続の「ひぐらしの記」で、様変わりしたよし!・・・「ひぐらしの記」には、作者、前田静良が歩いた歴史の思いと、その後を歩いてる自分の姿がある。
 

なんと心憎いふうたろうさん
投稿者:大沢 投稿日:2018年 6月15日(金)19時12分45秒   通報
前田様
「ひぐらしの記」十一歳の誕生日なんですね。出会いから今日まで、信じられないほどの出来事が過ぎ去っていきました。そして、それらの思い出はしっかりと「ひぐらしの記」に残されています。いろいろな出来事があるたびにそれらを乗り越えて新たな一歩を踏み出すきっかけになりました。過ぎ去った歳月の重みは、七十冊の単行本の中にぎっしりと詰まっています。何にも代えがたいあおばちゃんの成長は、その証ですね。ともに見守り続けてこられたことが私の喜びともなりました。そしてまた新たな一歩ですね。まだまだプレッシャーは続きます。心してください、前田さん。
 ずらりと並んだひぐらしの記の単行本を親友のふうたろうさんが写真に収めてくださいました。すばらしい!ふうたろうさん、ありがとう。

 梅雨空を蹴飛ばす、わが三種の神器

 確かに、梅雨入り後の天候は、からりとした晴れの日少なく、気分の滅入る梅雨空続きである。梅雨入りに合わすかのように襲った台風五号は、雨こそ降らしたものの大禍なく過ぎ去った。今のところ日本列島は梅雨空の下、天変地異無く過ぎている。
 一方、日本社会にあっては、人が人を殺(あや)める事件が絶え間なく起きている。人の集団を成す人間社会とは、なんでこうもすっきりしないのであろうか。もったいない思い、つのるばかりである。情報媒体の進歩発達はよくもわるくも時々刻々に、世の中の出来事を伝えてくる。そのため人心は、日本社会にかぎらず世界中の出来事に、常に揺り動かされる羽目となっている。情報社会を生き抜くためには、強靭な精神力をたずさえて置かなければもたない。ところが、私の場合はひ弱な精神力である。そのため常に私は、社会の出来事にかぎらず、わが身辺のさまざまな出来事に絶えず憂慮し、その挙句じたばたとしている。わが小器ゆえの、まことに損な性分である。これこそ、「身から出た錆」であり、「死ななきゃ、治らない」ものである。いや、死んでこそ、打ち止めになるものである。
 私の場合、憂鬱気分の解(ほぐ)しの三種の神器(じんき)と言えるものは、こんなところである。一つはふるさと慕情、一つは母恋慕情、そして一つは人様からたまわるさまざまなご厚情(厚誼)である。三つをひっくるめて言えば、それらにさずかり心中にふつふつと湧き出る快い情念である。大枠では、佳き思い出と言っていいのかもしれない。確かに、自然界の梅雨季のもたらす鬱陶しさをはねのけるためには、自分自身の心情を奮(ふる)い立たせなければならない。そして、その礎(いしずえ)役をになうのは快い情念である。
 この時期のわがふるさとは、田植え真っ盛りの頃にある。農家出の私にとって田植えは、郷愁すなわちふるさと慕情の根源に位置するものの一つである。それに加えて、食感を潤(うるお)す西瓜の贈り物が宅配されてくれば、わが気分はたちまち全天候型に晴れわたる。
 きのう(六月十三日・水曜日)の私は、ふるさと電話で甥の富田清也さん(亡き長姉夫婦の長男)と、こんな会話をした。
「今年もまた、西瓜を送ってくれたんだね。高価な『ひとりじめ』が四つも入っていて、うれしいよ。ひとりじめは、こちらの果物店ではずば抜けて高級品として売られているよ。ありがとう。値段が高いから、わざわざ買ってまでして、もう送らんでもいいよ」
「食べごろの良い西瓜があったから、送りました。今、こっちは田植えじゃもん。先週の日曜日に一度植えて、今週の日曜日にはまた手伝いに行くことになっています」
「そうか。康子さん(嫁いでいる妹)の家の加勢じゃろだいね」
「そう。みんなが勤めているけんで、田植えは日曜日にすることになっているもんで、そのとき加勢に行くことにしています。田植えは機械で植えるばってん、苗のやりとりにけっこう人手がかかるもんだから……」
「そうや。田植えは懐かしいね。届いたばかりで、まだ、西瓜食べてないけれど、楽しみだよ。ありがたいねー……、康子さんによろしく言ってね!」。
 わが家は、どうせコメを買うならと、ふるさと産のコメを購入している。実際のところは、康子さんの家のコメを清也さんに頼んで購入している。また、きのうは、こんなふるさと電話がわが携帯電話の受信音を鳴らした。送信者は姪の岡崎弘子さん(ふるさとの兄夫婦の次女)である。
「今、内田(里の実家)に来ています。お父さんが最近、叔父ちゃんと電話していないと言っていますから、電話をしました。携帯電話なら少しは、聞き取れるそうです。お父さんに、電話代わります」
「しずよしじゃろだいね、おたがい耳が遠いけんで、電話がでけんもんね。このところは、目も見えんもんね。このまえは、あおばちゃんがテレビに出たね。みんなが「この人たい!」と言ってくれたばってん、自分にはあまり見えんじゃったたいね。きょうは弘子が来てくれて、病院へ連れて行ってくれたもんね。心配せんちゃええよ。こっちは、ほかのもんは、みんな元気でいるよ。そっちは、みんな元気だろだいね? 国分寺(次兄宅)も元気だろだいね? そっちのことは、おまえにまかしておくより、しょんなかたいね。じゃ、弘子に電話、替わるけんね」
「わかった。元気でいてな!」
「病院に行ったの? なにもしないで、おまえにまかせきりで、ごめんね。何の病気だったの?」
「肋骨の一本が折れていたから、行って来ました。だけど、もう、つがっていると、言われました。だから、大丈夫です」
「肋骨? なんでや!」
「よろけて、胸を打ったんでしょ? だけど、もう治っています」
「そうか。いろいろあるね。面倒かけて、ごめんね」
「よかよか、心配せんでもよか!」
 身内以外では先日、ふうちゃん(ふうたろうさん・大阪府枚方市ご在住)から、天下の銘品「土佐の一本釣り・カツオの詰め合わせ」をたまわり、すでにわが家と娘宅のみんなのが食感を潤している。そしてきのうは、卓球クラブのお仲間の渡部さんから、お手作りの「梅ジャム」をいただいた。人様のご厚情にあずかり、梅雨空なんのその! わが心情は快くめぐっている。

「米朝首脳会談」が明けて 

 きのう(六月十二日・火曜日)、世界中の人々が注目していた「米朝首脳会談」(シンガポール・セントーサ島)が終わった。当日そして明けてきょう(六月十三日・水曜日)、テレビや新聞報道では会談に関する評価やさまざまな論評など、賑々(にぎにぎ)しく飛び交っている。論評にはそれぞれの人たちの感想や思惑(おもわく)が絡んでおり、成否あるいは是非が飛び交うことは仕方がない。このたびの首脳会談にかぎらず、人の見方や考察はさまざまである。
 きのうの私は、会談開始の午前十時前から茶の間のテレビの前に陣取った。テレビ各局は、会談開始時間に先駆けて現地模様の中継に大わらわだった。テレビ各局はまさしく手ぐすねを引いて、リアルタイム(同時性、生放送)の報道合戦を競い合っていた。それぞれには、各局選りすぐりのコメンテーターが居並んでいた。私は、ほぼ終始NHK地上波テレビを視聴した。視聴時間は延々と、アメリカ・トランプ大統領の共同記者会見模様まで続いた。視聴終了は、午後の六時半近くであろう。
 私には会談内容の成否や是非を論評する能力はない。そのため、テレビ視聴における感想だけを記してみる。まずは、半年前あたりまであんなに罵(ののし)り合っていた両首脳の変転ぶりへの驚異である。これには韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピックを挟んで、韓国文在寅(ムン・ジェイン)大統領の熱意が橋渡しとなっている。政治家の熱意や思惑には、しばしば自身の選挙目当てと揶揄(やゆ)されるところがある。しかしながら文大統領の熱意は、私にはそうとは思えなかった。この思いをたずさえていた私には、よくも米朝首脳会談までたどり着いたものだという、感慨一入(かんがいひとしお)なものがあった。私の場合、会談の成果のあとさき考えず、たとえ見え透いた政治ショーと言われようと、会談が実現したことに驚異をおぼえていたのである。
 次にはテレビ報道の威力に、あらためて驚嘆しきりだった。両首脳の一挙手一投足にわたり映し出される光景は、今や新聞報道かたなしである。加えて驚愕したのは、わが未知のシンガポール本島およびセントーサ島の整然とした風景、そして用意周到な警備、会談会場の整いぶりだった。
 一つだけ会談内容にふれれば拉致問題の解決は、生煮えのままだった。ところがこれは、もとよりトランプ大統領にすがるだけでは、日本政府の虫が良すぎるところである。なぜ? これまでの日本政府は、果敢に日朝会談をしなかったのかという、悔いである。拉致問題の解決は、トランプ大統領にすがって解決する他力本願などありえず、日本政府みずから叶えるべき自力本願の最たるものであろう。拉致問題の解決にあたって、日本政府すなわち政治家の言動は空虚に過ぎている。「トランプ大統領に提起していただいた」と、自己評価のコメントをするようでは、とことん虚しいばかりである。

 シンガポール・セントーサ島

 一度目覚めると再び眠れない、悶々とした夜が続いている。この息苦しさはもはや打ち止めはなく、私には無実の終身刑をこうむっているような思いがある。その挙句、文章を書く気力は萎(な)えるばかりである。
 きのう(六月十一日・月曜日)のマスメディアは、静岡地裁の決定を東京高裁が覆(くつがえ)すニュースを伝えていた。具体的には、再審取り消しのニュースだった。これにたいし弁護団は高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告する方針だという。確かに、人の一生のことゆえに長い時をかけて、審判が下されることはもちろん理に適(かな)ってはいる。しかしながら人生、すなわち人の命は有限である。だから、もし仮に無実の罪であったとすれば、あちこちに回されて有限の命にかかわる時が、無駄に過ぎることには腑に落ちないものがある。
 さて、きょう(六月十二日・火曜日)は、世界の国々および人々が注目する「米朝首脳会談」の当日である。予定されている会談場所は、シンガポール・セントーサ島だという。そして両首脳、すなわちアメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働委員長の会談開始は、日本時間午前十時という。この会談は、帰趨(きすう)はどうあれ歴史的出来事だと報じられている。こんな大事な政治イベント(出来事)を、狭いボクシングリング上の一戦に置き換えることは、もちろん罰が当たりそうである。しかしながらへそ曲がりの私は、両首脳を赤コーナーと青コーナーとに分けて、ゴングを待つボクサーに置き換えてみたくなる。なぜなら、それほどに両首脳は、双方共に罵(ののし)り合いの言葉を発して、戦う前から熱(いき)り立っている。するとこの様子は、ボクシングのタイトルマッチを前にしたボクサーの光景と、私には瓜二つに思えるところがある。
 ボクシングのタイトルマッチになぞらえれば、きょうの会談の緊迫ぶりがいっそう鮮明になるたとえである。きょうの私は会談開始のゴングを待って、茶の間のテレビの前に居座り、会談の様子を観続けることになる。わが憂さを晴らす、両首脳の好試合を望むところである。もちろん、拉致被害者家族にあっては、瞬(まばた)きするのもこらえて、観入る千載一遇のチャンスである。私は、それが叶うことをひたすら念じている。
 夜明けの空には、のどかに梅雨の晴れ間が訪れている。突如知り得た異国、シンガポール・セントーサ島が歴史上に名を留めれば万々歳である。

社会悪 

 六月十日(日曜日)、パソコンを起ち上げると、とんでもない事件が起きていた。日本社会をゆるがす悪質きわまりない事件である。
 <東海道新幹線>刺され男性死亡 22歳男を逮捕「誰でも」(6/9・土曜日、22:55配信 毎日新聞)。9日午後9時50分ごろ、神奈川県内を走行中の東京発新大阪行きの東海道新幹線「のぞみ265号」(16両編成)内の男性乗客から「包丁を持った男がいる。1人がけがをしている」との110番があった。新幹線は緊急に小田原駅で停車し、駆けつけた県警小田原署の署員が、切りつけたとみられる男を殺人未遂容疑で現行犯逮捕した。3人が刺されて小田原市内の病院に運ばれ、男性1人が首の右側を切られて死亡し、20代とみられる女性2人が頭や肩に重傷を負った。
 この記事を読んで私は、かぎりない戦慄をおぼえた。容疑者は「むしゃくしゃしたから、誰でもよかった」と、言ったという。これほど身勝手で、社会悪の言動はない。現下の日本社会の世相が、地に墜ちている証しの事件と言えそうである。むしゃくしゃの根源は知るよしない。もし仮に、日本の国の舵取りをになう「政・官・財」人の言動にあるとすれば、私もこれにはむしゃくしゃしている。しかしながらこの事件は、あまりにもひとりよがりの身勝手な事件である。日本の国の誇る新幹線の車内がとうとう血に染まるようになったことで、私は愕然としている。 

梅雨季、よみがえる記憶 

 明るさはまったくない。雨は降っていない。どんよりした曇り空である。夜明けの光景は、子どもの頃に見ていたふるさとの梅雨空のよみがえりである。言うなれば典型的な梅雨空であり、もちろん田植え日和でもある。田植え日和と添えれば郷愁に浸れて、いくらか重たい気分が遠のいて行く。
 きょう(六月九日)の夜明けの空は、確かな梅雨空である。きょうは土曜日であり、通勤へ向かう人たちは少ないであろう。しかし、通勤へ向かわざる人にすれば、重たい気分の通勤であろう。通勤を免れている現在の私には、かつての冬場の着ぶくれラッシュと、梅雨季のコートを着込んだ車内風景は、幸いかな今やゆめまぼろになりつつある。きのうの気象予報士によれば、日本列島のどこかしこ梅雨空模様のようである。言わずもがなのことだけれど梅雨空とは、今にも雨が降り出しそうな空であり、実際に雨が降っている空模様である。しかしながらこれだけの表現では、普段の空模様と変わりない。そのため、あえて梅雨空と言うかぎりは、それにともなう気分の特徴を付加しなければならない。すると、梅雨空の特徴は、普段の雨空をはるかにしのぐ、鬱陶しさがつきまとうことであろう。気象予報士は日本列島に点々とする大雨予報に加えて、台風五号の接近を告げていた。
 関東地方は、あす(六月十日・日曜日)の夕方あたりからの大雨予報であった。ずばり予報が当たれば、翌日(六月十一日・月曜日)の通勤客は、うんざり気分の出勤となる。子どもの頃、私が梅雨季に格別の難渋を強いられていたのは登下校である。そのきわめつきは、高校生時代の自転車通学だった。一方、日常生活にあっては「内田川」の氾濫だった。
 当時のわが家は、内田川の水を引き込んで水車を回し、精米業を営んでいた。精米業を生業(なりわい)として、三段百姓を兼ねていたのである。このためおのずからわが家は、内田川の川べりに建っていた。建屋は二棟(ふたむね)を成し、一つは母屋ありそして一つは、仕納場(しのば)と、呼んでいた。母屋は不断の家人の生活の場であり、土間のあちこちには精米や製粉機器類が置かれていた。言うならば当時の母屋は、作業場付き住宅だったのである。仕納場の一角には、馬小屋がしつらえてあった。このほか、スペースの多くは、農家にはなくてはならない作業場だった。馬を飼っていた時期は短く、馬のあとには牛が飼われていた。
 二棟の建屋は、どちらも二階建てであった。当時の内田川は、河川工事などまったく手つかずの、水の流れが切り拓いたまんまの狭隘さだった。河川敷は川幅に輪をかけて、いっそう狭かった。ところが二棟の建屋は、まるで河川敷に建っているかのような川べりにあった。不断のわが家は、内田川の恩恵にすがっていた。いや、内田川の恵みなくては、わが家の生活は成り立たなかった。このこともあって内田川は、わが家の生活と一対、実際のところは生活基盤の大元(根源)だったのである。そのことを心得て不断の家人は、内田川を「水神さん」呼ばわりして、感謝しきりだった。
 ところが梅雨季の内田川は、たびたび氾濫と洪水という、牙(きば)を剥いたのである。すなわち、普段の静流・清らかな内田川は、梅雨季にあっては家人を驚愕に陥れる濁流あふれる「暴れ川」と化したのである。そのため、梅雨季にあってわが記憶の最たるものは、荒れ狂う内田川の光景である。ときには、川面に無数のホタルの光が点滅していた。よかれあしかれ梅雨季は、さまざまな記憶がよみがえる。

 梅雨の晴れ間

 梅雨季に訪れる晴れの日は、文字どおり「梅雨の晴れ間」と言う、習わしがある。人心にとっては、いっとき鬱陶しさが遠ざかり歓迎する日和である。しかしながら、梅雨の晴れ間のアジサイは、見るも醜(みにく)い姿をさらけ出す。雨の日続きはよしとするけれど、逆に空梅雨にでもなればアジサイは、目を覆うほどの醜態をさらけ出す。アジサイは雨に打たれ露を帯びてこそ、七変化という妖艶な姿に彩り、アジサイ見物人から飛びっきりの目の保養として、万雷の称賛を浴びる。言うなれば露を帯びないアジサイは、みすぼらしいだけで何のとりえもない茫々の草むらにすぎない。
 私は、わが家周辺の山の法面(のりめん)にアジサイを植えている。もちろん、散歩めぐりの人たちの目の保養を願っての小さな志(こころざし)である。そうであれば私は、「アジサイ、きたないねー」と言って、足早に通り過ぎて行かれるより、「アジサイ、きれいだわ!」と言って歩を緩めるか、しばし立ち止まれることを願っている。結局のところは、散歩めぐりの人たちの目の保養というより、私自身の褒め言葉を願う下心丸出しである。私は、雨の日が多く鬱陶しい梅雨季は嫌いだ。しかしながらアジサイのことをかんがみれば、日照り続きの空梅雨だけは真っ平御免こうむりたいところである。つまり、梅雨の晴れ間は「可も無し、不可も無し」、というところである。
 ふるさと時代の子どもの頃の記憶へ遡(さかのぼ)れば梅雨季にあっては、田植え、梅の実千切り、蛍狩りがよみがえる。梅の実は、柿の実のように千切ってすぐに生齧(なまかじ)りするには抵抗がある。それでも、梅の実千切りの光景がよみがえるのは、梅の実は梅雨と切っても切れない時季物であるからであろう。これにちなんで私は、カレンダー上に記載の文章を読んで、あえて引用を試みている。
 【入梅】「入梅は暦の上で梅雨入りを表す表現です。その起源ははっきりしませんが、江戸時代に六月十日頃に定まったようです。そもそも実際に梅雨に入るのは年ごとに、また地方ごとに異なります。現在では、気象庁が各地方の梅雨入りと梅雨明けを発表しています。『梅雨』の由来は、梅の熟す頃であるからとも、黴(かび)が生えやすい時期なので『黴雨(ばいう)』と呼び『梅』の字を当てたからともいわれています」。
 きょう(六月八日・金曜日)の夜明けの空を見るかぎり、「梅雨の晴れ間」と、言えそうである。幸い窓の外のアジサイは、今のところ夜露を帯びて、艶(つや)やかである。

いよいよ梅雨入り 

 「梅雨に映える。神奈川県鎌倉市の長谷寺で、約2500株のアジサイが見ごろを迎えている。気象庁が関東甲信と東海、近畿の各地方が梅雨入りしたとみられると発表した6日も多くの観光客が、雨粒に揺れる色とりどりの花々を楽しんだ。(写真付き)」。
 冒頭の引用文は、きょう(六月七日・木曜日)の朝日新聞・朝刊の一面に掲載のものである。もちろんこの時期のアジサイは、並べて日本列島津々浦々を彩る梅雨季の花である。繰り返し記すと気象庁はきのう(六月六日・水曜日)、関東甲信、東海、近畿地方の梅雨入りを宣言した。これより二日前には、中国地方の梅雨入りが報じられた。週間予報に違(たが)わず今週の日本列島の各地方には、気象庁から日を追って梅雨入り宣言が出されている。
 顧みればことしの梅雨入り宣言のイの一番は、どういうわけか沖縄地方を押しのけて奄美地方だった。しかし、こののちの梅雨入り宣言は、順に復し沖縄地方、南九州、北部九州および四国地方、そして中国地方へと北上を続けてきた。もちろん、首長くして待っていたわけではないけれど、いよいよ鎌倉地方も梅雨入りを迎えている。
 関東甲信の梅雨入りは、例年より二日、昨年より一日早いという。一年回りの梅雨季は、異変なくほぼ順当にめぐってきたことになる。このことでは「めでたし、めでたし」と言える、季節のめぐりである。しかしながらこの先、どんな天変地異に見舞われるかなど、もちろん予測できない。そうであれば無事安穏(ぶじあんのん)な梅雨明けを願うところである。
 気象予報士は例年に照らすと梅雨明けは、七月二十一日頃とも告げていた。すると、梅雨明けの時期にからんでわが懸念するところは、「東京オリンピック」(2020年)の開幕日が、七月二十四日と決められていることである。せっかくのオリンピックが、梅雨明けを気に懸けているようでは、まさしく気を揉むところである。
 梅雨入り宣言とともにそれぞれの地方は、約一か月強の鬱陶しい日々に見舞われる。そして、ほぼ梅雨入り宣言の順にしたがって、こんどは梅雨明けを迎えることになる。そうであれば私は、この間にあってそれぞれの地方の人々の安寧な日暮らしを望むところである。もちろん身勝手にも、わが身ワースト(第一)の安寧を願っている。
 梅雨季特有の雨の日続きの鬱陶しさを和らげてくれる、自然界の恵みにはアジサイがある。鎌倉にあって長谷寺に拮抗してアジサイの見どころには、この時期アジサイ寺という冠(かんむり)を戴く北鎌倉・「明月院」がある。この時期、近郊近在から大勢のアジサイ見物人が繰り出す明月院前通りは、すでに六月いっぱいにわたる車両通行止めの期間に入っている。この時期アジサイは、わが家周辺はもとより路傍のどこかしこに咲いている。もちろん、二か所の寺にかぎらずほかの寺の境内にあっても、アジサイは負けず劣らず妖艶ないろどりで咲いている。すなわち、日本列島の梅雨季は、どこかしこアジサイの季節でもある。すると、雨の日の多さを嘆いてばかりいては、期間限定のアジサイの恵みを堪能することはできない。
 梅雨入り宣言は、同時に地方それぞれの田植えの季節の到来のゴング(合図)でもある。結局、梅雨季の鬱陶しさをはねのけるか、それともそれに忌々(いまいま)しく甘んじるかは、人それぞれの気持ちしだいである。私の場合は、郷愁に浸り鬱陶しさをはねのけている。
 唯一、梅雨入りにあって身の毛がよだつのは、部屋の中を這いずり回るムカデの襲来である。それに叩きのめすためきのうの妻は、私のたっての依頼を受けて歯医者帰りに、「超強力、ムカデ殺し」のスプレーを買ってきた。しかしながらこれで一件落着と行かないところが、関東甲信地方の梅雨入り宣言にあってわが最大の困惑である。

童話『でんでんむしの かなしみ』 

 「東京オリンピックおよびパラリンピック」(2020年)をひかえて、東京都はじめ競技誘致の周辺自治体は、目下(もっか)開催準備に大わらわである。もちろん開催関係者は、無事に開催へたどり着けるかどうかで、日夜心配と不安に苛(さいな)まれているはずである。そのまえ、来年(2019年)には今上・平成天皇陛下の退位と、新たな元号を擁する現皇太子殿下の新天皇への即位がある。この先の日本国には、二年続けて歴史的イベント(行事)が予定されている。この間の私は、年齢を加えて八十歳へ到達する。こんなことを心中に浮かべて、現下の日本の国の世相を鑑(かんが)みれば、慮(おもんぱか)れることばかりである。
 言わずもがなのことだけれどそれらの一つは、日本の国の舵取りを託する「政・財・官」の劣悪ぶりである。その中にあって、日々マスメディアから伝えられるのは、それぞれのトップ層がしでかす醜聞や不誠実な言動の多さである。かつてこの手の報道は、朝鮮半島や中国大陸の十八番(おはこ)であり、日本の国は対岸の火事さながらに聞き流すことができていた。ところが現下の日本の国は、火元をなして逆にそれらの国から嘲笑を買うまでに成り下がっている。
 日本の国の舵取りの劣悪ぶりは、この先の二つの大きなイベント(行事)の盛り上がりを欠く元凶ともなっている。政・財・官の混迷ぶりが収束せず、なおこの先延々と続くようでは、もはや日本国民は二つのイベントを楽しむ心の余裕はない。同時に私の場合は、加齢につれて生きること自体に、怯(おび)えが増すばかりである。
 こんな心境のせいであろうか? 今朝(六月六日・水曜日)の私は、朝日新聞・朝刊のコラム記事に、甚(いた)く心を留めている。
 コラム・「折々のことば」(鷲田清一)。「わたしの せなかの からの なかには かなしみが いっぱい つまって いるのです」(新美南吉)。でんでんむしはある日「たいへんなこと」に気づく。このままではもう生きていけないと友だちに告げると、誰もが「あなたばかりじゃ ありません」と言う。みなそれぞれの悲しみを抱えるからこそ、いたわりあうこともできる。でんでんむしは「わたしは わたしの かなしみを こらえて いかなきゃ ならない」と心に決めた。童話『でんでんむしの かなしみ』から。
 わが下種(げす)の勘繰りを重ねれば、現下の日本社会の混迷は、労(いたわ)り変じてわが身を守る忖度(そんたく)がはびこっているせいと、言えそうである。でんでんむしの悲しみは、確かになぞらえられた人間の悲しみでもある。私には、読み捨てにできない童話だった。「ひとみな かなしみを こらえて いきて いかなきゃ ならない」。われのみならず、人間固有の悲しみである。

 「米朝首脳会談」決行ニュース

 会談の結末はさておいて、とりあえず会談決定のニュースは朗報である。
 <12日の米朝首脳会談は午前9時から>(2018年6月5日、05時34分 読売新聞)。「米ホワイトハウスのサンダース報道官は4日の記者会見で、12日にシンガポールで行われるトランプ米大統領と北朝鮮の金正恩キムジョンウン朝鮮労働党委員長の初会談について、現地時間午前9時(日本時間同10時)に始まる予定だと明らかにした。」
 寝床の中で私は、「ひぐらしの記」の休みを決め込んで、わが購読紙・朝日新聞のきょう(六月五日・火曜日)付け朝刊記事を読み尽くしていた。その中で一面の記事は、森友学園問題にかかわる財務省の調査結果に基づく、報告書にからむものだった。あえて記すまでもなく、報告書は出たけれど事の真実は、いまだ闇の中である。そのため、うんざりした気分で起き出してきて、パソコンを起ち上げた。すると、冒頭の「米朝首脳会談」の実施ニュースに出合った。このためきょうは、このニュースのみを記して文章を閉じるものである。いまだ決行までには紆余曲折が予測されて、予断を許されないところはある。しかし、確かな朗報である。それにつけても、日本の政治の混迷ぶりが際立っている。 

水無月 

 六月四日(月曜日)、「むしの日」(虫歯予防デー)の夜明けが訪れている。大空にはのどかに朝日が射している。ところがきのうの気象予報士によれば、のどかな晴れ模様はきょう止まりになりそうである。さらに気象予報士によれば今週の日本列島は、いまだに梅雨入り宣言をみない地方が次々に梅雨入りになりそうだと言う。この予報の中には、わが関東地方も含まれている。梅雨入りには雨がつきものである。そのうえ、今週末には台風発生が予報されている。そのため、梅雨入りにともなう雨は、そのせいで大雨が予報されている。予報がずばりあたれば、踏んだり蹴ったりの梅雨入りとなりそうである。もちろん、今さら梅雨入りを恐れるわけではないけれど、それでもやはり身構えるところはある。
 ところが、梅雨入り間近など嘘っぱちのごとくきのう(六月三日・日曜日)の鎌倉地方の天候は、初夏の候など忘れたかのように、夏本番さながらの茹だるような暑さだった。ときならぬ炎天下、私は大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。そして、この日の思いがけない、すなわち買い物言葉で言えば衝動買いの圧巻は、早や西瓜の購入だった。行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」では、このほか甘夏とトマトを買った。どうでもいいことをあえて記したのは、いずれもわがふるさと県・熊本産だったからである。
 きのうにかぎらないけれど、店内に入るたびに実感するのは、野菜・果物共に熊本県産の多さである。そのためこの店では、熊本は農業県であることをあらためて実感する。ところが、次に向かう「鈴木水産」では、熊本県南地方の天草海や八代海、さらには有明海の産物によく出合う。するとここでは、熊本は水産県であることを実感する。結局、わがふるさと熊本県は、山と海の幸に恵まれた農・漁業県であると、あらためて実感するところとなる。郷愁とあいまって、おのずからわが買い物心は、のどかにほぐれている。
 さて、現在の私は、六月のカレンダーを眺めている。そして、その中の項目に目を留めて、書き写しを試みる。
 【和月名の由来 水無月(みなづき)】「旧暦六月は新暦の七月頃にあたるので、日照りで水がかれてしまう月だからという説と、田に水を張る『水張月(みずはりづき)』が転じたという説があります。現在では新暦の六月が梅雨時期であることから、『梅雨で天の水が無くなる月』と言った解釈もあります。」
 こんな、当てずっぽうの伝えにすがって、継続をもくろむようでは、やはり休んだほうがよかったのかもしれない。昨夜、就寝中の私は悪夢と精神不安定をこうむり、起きてひぐらしの記は書けないと、決め込んでいたのである。

 孫のピアノコンサート(記録)

 きのう(六月二日・土曜日)は、下記するピアノコンサートの鑑賞に、妻と共に出かけた。まことに身勝手ながら、私日記さながらに記録に留め置くものである。 少し社会性を帯びさせれば、孫のあおば(10歳)を通して、人間の10年間の成長記録である。現在の私は、綺麗なカラーパンフレットを手にしながら記している。
 【開国のまちよこすか ピアノ音楽祭 第7回 スカピア 2018】「2018年6月2日(土曜日、ヨコスカ・ベイサイド・ポケット 13時開演)」。「主催:スカぴあ実行委員会:後援J:COM湘南 FMブルー湘南 横須賀市教育委員会」。プログラム:第1部オーデイション合格者の部パート1:スカぴあキッズ&ジュニアの演奏:「小学5年生1名、6年生2名、高校生2名」。第2部スカぴあメンバーのソロ演奏の部:「いずれもおとなのプロで活躍中の男性1名、女性3名」。第3部オーデイション合格者の部パート2:スカぴあシニアの部:「大学生1名、大学院生1名、社会人2名」。第4部連弾・2台ピアノによるグラン・フィナーレ:「既出の人たちほぼ総出」。
 スカぴあ2018出演者プロフィール(写真付き)。孫(あおば):市内小学校5年在学中。2017年ショパン国際ピアノコンクールin Asiaで奨励賞受賞。あおばの出番は最初で、演奏楽曲は「アラベスク第1番 ドビュッシー作曲」。あおばのステージ上の演奏姿は、純白のロングドレス。客席の私は、両耳に集音機を嵌めて、ステージ前2列に陣取った。私はステージ上のあおばの姿に涙した。涙の訳は、十年の歳月への驚きと、わが小学生時代の通信簿上の「音楽評価1(劣る)」がよみがえっていたからである。

 人それぞれの人生

 とっくに自分史を書く年齢になっている。しかし、書くつもりはまったくない。もし仮に書くとすれば、「わが人生は悔いばかり」、と書く羽目になりそうだからである。
 今朝(六月二日・土曜日)のメディアが伝える配信ニュースの中には、このところの関心事の決着があった。それは、一時危ぶまれていた「米朝首脳会談」の当初(六月十二日)どおりの実施報道である。会談の結末の是非は、もちろんわかりようない。しかし、ここまでたどり着いたことは確かな朗報である。
 人それぞれの人生は、人それぞれの生き方であり、もちろん他人が口挟むことはできないし、口挟むこと自体愚の骨頂である。しかしながら、伝えられた人口動態に関心を示すのは、日本社会の世相を知る便(よすが)にはなる。昭和十五年(一九四〇年)生まれの私は、異母で六人そして母で八人、つごう十四人のきょうだいのひとりである。ところが幸いにもきょうだい仲良く、わが人生の大きな自慢となっている。しかし、一方では絶えず母の苦労が偲ばれるところである。
 私の場合は、芋づるの先っぽに生まれたのだから、現代の人口動態に照らせば、もちろん生誕自体が叶わなかったことになる。
 【人口動態。人口減前提の社会へ 出生数、今後も減少見込み】(毎日新聞 最終更新2018年6月1日 23時37分)。「合計特殊出生率(1人の女性が一生に産む子どもの数に相当)に頭打ちがみられ、出生数は今後も減少が見込まれる。人口減少を前提とした社会の仕組みづくりも求められることになりそうだ。<人口動態統計>17年の出生率1.43 2年連続で低下 出生減は、晩産化に加え、生涯未婚率の上昇も拍車をかけている。生涯未婚率は50歳までに一度も結婚したことのない人の割合。2015年の国勢調査では男性23.37%、女性14.06%に上り、10年の前回調査より男女とも3ポイント以上伸びて過去最高を更新している。今回の人口動態統計でも婚姻件数は60万6863組と戦後最低だった。独身男女を研究する博報堂ソロもんLABOの荒川和久リーダーは『背景には給料が上がっていないという経済的な要因がある。さらに、お見合いや職場結婚など結婚に積極的ではない人を後押しする仕組みが機能しなくなっていることが大きい』と指摘する。政府は『希望出生率1.8」の実現を掲げて少子化対策に力を入れる一方で、高齢者の就労を促すなど』『現役世代が高齢世代を支える』構図からの転換にかじを切りつつある。外国人材の受け入れ拡大の検討も人口減を念頭に置いたものだ。今後も政府は人口減を意識した対応が増えるとみられる。」
 確かに、他人が口挟むことではなく、もちろん口挟むつもりもない。しかしながら唯一私が憂慮、あるいは杞憂することは、なりふり構わない外国人材の受け入れ拡大傾向である。「庇(ひさし)を貸して母屋を取られる」ようにでもなれば、泣くに泣けない「あとの祭り」である。「わが人生に悔いはない」と、嘯(うそぶ)く人は、そんなにはいないであろう。

 月替わって六月

 きょうから月が替わって六月に入る(一日・金曜日)。六月は、例月の中でも最も特異な月と言えそうである。本当のところは梅雨季であり文字どおり雨の日が多く、最も鬱陶しいと言いたいところである。ところが梅雨季の雨は、日本列島の田植えの季節にあって、かけがえのない恵みをもたらしてくれる。そのため、最も鬱陶しい月と毛嫌いすることは、もちろん罰当たりになる。そうであれば田植えに必要以上の豪雨ではなく適量の雨量を望み、一方で雨無しの空梅雨は願い下げるところである。しかし、こんな自然界現象は、梅雨の晴れ間には川辺や田園にはホタルが舞って、人心に潤いをもたらしてくれる。雨の日の多い日にたいする自然界の罪滅ぼしと言うには、これまた罰が当たりそうである。いまだ関東地方には、気象庁の梅雨入り宣言はない。しかしながら、このところのすっきりしない空模様をかんがみれば、梅雨入り宣言間近にある。そうであれば梅雨季特有の豪雨のもたらす洪水や土砂崩れ被害などのない、平穏な梅雨明けを望むところである。
 一方、今年にかぎれば六月の人間界には、よくもわるくも大荒れが予想される出来事がひかえている。もちろん、良い結末を迎えれば、たちまち世界中に曙光(しょこう)が訪れる。ところが、悪い結末を迎えれば元の木阿弥となって、戦雲の引き金ともなりかねない。言うなれば世界の国々(人)が、固唾をのんで注視する大博打(おおばくち)さながらのものである。
 すなわちそれは、当初は六月十二日と予定されていた「米朝首脳会談」の帰趨(きすう)である。ところが突如、双方すなわち、アメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との駆け引き合戦になり、現在は実現に予断を許されないところにある。結果の良し悪しはさておいて、もちろん私は、会談の実現を望むものである。なぜなら、この会談には拉致被害者家族の、長年の悲願が託されているからである。
 二月の韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピックの頃までは、会談の火の気もなかったことをかんがみれば、駆け引き合戦で火の気を消さないことを願うばかりである。当時の丁々発止の罵(ののし)り合いを想起すれば、よくここまでたどり着いたものだと、感慨一入(かんがいひとしお)である。このため、トランプ大統領に手向(たむ)ける言葉は、「急いては事を仕損じる」と、言えそうである。なぜなら事を急いでは、金委員長はいつなんどき本性を露わにして、「窮鼠、猫噛む」という、心理状態に陥りかねないからである。駆け引きとは一方を追い込むことではなく、双方共に粛々と展望に向かって、語りあってほしいと、願うところである。これまた梅雨明け同様に、すっきりとした結末を望むところである。米朝首脳会談の実現なるやいなや? 今年の六月は例年になく特異な月となりそうである。

 五月末日、つれづれ

 五月末日(三十一日・木曜日)の夜明けが訪れている。いつも書くことだけれど、歳月のめぐり(感)はとてつもなく速い。このことに関して、一つの四字熟語が浮かんでいる。あえて電子辞書を開くまでもない簡易な言葉である。しかし、開いた。
 【烏兎怱怱(うとそうそう)】「意味:月日が速やかに過ぎ去るようす。構成:『烏兎』は太陽と月。転じて、歳月。太陽の中に三本足の烏が住み、月の中に兎がいるという伝説に基づく。『怱怱』は、あわただしいようす。急ぐようす。」
 このほか、古来、歳月の速めぐり(感)を表す四字熟語や諺(ことわざ)は、数多(あまた)ある。言うなれば古代人から現代人に至るまで、それほどに歳月の速めぐり(感)には怯(おび)え、脅(おびや)かされてきた証しでもあろう。もちろんそれは、人間が感情の動物ゆえの心象風景にすぎない。一方、「ひぐらしの記」には、日々息あえぎながらようやく、五月のゴールラインにたどり着いた思いがある。
 実際、この息苦しさに耐えきれず私は、なさけなくもずる休みへ逃げ込んだ日もある。過ぎ行く五月は、風薫るとか、五月晴れとか、そして立夏(五月五日)もあって、文字どおりさわやかな初夏の季節である。さらに月初めには、気兼ねなく休める大型連休もある。これらのことをかんがみれば五月は、例月の中でも自然界人間界相成して特筆すべき温和な季節である。しかしながら、顧みて私の感ずるところ過ぎ行く五月には、まったくさわやかさがない。いやむしろ実際のところは、うんざり感横溢(おういつ)につきまとわれている。
 ところがこのうんざり感の元凶は、よりもよって国の舵取りを託す政治(家)や官僚からもたらされている。より具体的には、政治家や官僚の吐く「嘘のオンパレード」からもたらされている。確かに、人間界にはこれまた古来、「正直者は馬鹿を見る」という、諺が存在する。しかし、為政者の中にこうまで嘘の言質(げんち)が蔓延(はびこ)っては、おのずから日本の国は、本末転倒はなはだしい混乱現象に陥っている。政治家の吐く嘘には、もはや「嘘も方便」という、言葉の綾や潤いなど、まったく感じられず日本社会を汚(けが)すだけの元凶となっている。もちろんこのことは、わがうんざり感の元凶である。ひと言「そうですね」と言ってくれれば、日本社会を覆う暗雲は遠のいて、たちまちわがうんざり感は雲散霧消する。待てど暮らせど、このひと言が聞けないのは、やるせない。

古稀・『静の舞』における感謝

 昨夜の就寝時間は、みずからに課している約束事を破り、遅れて十時半近くになった。ところが目覚めたのは、明けて(五月三十日・水曜日)二時前だった。もちろん、不完全睡眠をこうむっている。そのため、二度寝を試みたけれど、さまざまな憂いごとに心が脅かされて、まったく寝付けない。やむなく起き出してきて、キーボードへ向かっている。しかし、こんな精神状態では、もちろん文章は書けない。だから、休養へ逃げ込んでいる。
 しかし、一つだけ書き添えておきたい事柄が浮かんでいる。それは、メールでたまわっていた友人・渡部さんのメッセージに起因している。「ひぐらしの記」第六十九集『日々是好日』の単行本を購入していただいたおり、渡部さんはメール文の中で「次は古稀ですね」と、記されていた。古稀とは、言わずと知れた人間年齢七十歳の別称である。渡部さん(埼玉県所沢市ご在住)は、会社同期入社のお仲間のおひとりである。そのため、共に現在の年齢は、喜寿(七十七歳)にあたる。このこともあって私は、一瞬(あれ、古稀?)と、思った。もちろん、すぐにひぐらしの記の単行本の刊行にちなんで、次の七十冊目を古稀になぞらえていただいたのだ、と合点した。
 渡部さんのお人柄は、全天候型の温厚篤実である。そのうえ文章(力)は、他を圧する達人である。メール文とはいえ常々私は、お人柄がにじみ出ている文章に堪能している。ひぐらしの記において、渡部さんのおひととなりについては、すでに何度も記している。会社時代においては、創薬から販売にいたる一連の企画マンとして、新入社員時代から定年にいたるまで、職場を替えることなく活躍されていた。渡部さんが創出された薬剤は、今なお厳然と医療・臨床の中で用いられて、日本社会において貢献している。会社時代における渡部さんの活躍ぶりには、私は同期仲間を超えて、社員として驚嘆し、かつかぎりない恩恵をたまわっていた。
 しかしながらここでは、会社時代のことを今さら一々書いたところで、それでも書き尽くせず、渡部さんにはかえって失礼になる。そのため、渡部さんの定年後に限定し、私が知り得たことだけをあらためて記すと、次のようなものが挙げられる。会社時代から続けられていた合気道は、後進を教える指南役の領域にある。そして、定年を境にしていっそう腕を磨き、揮われ続けているものには、周辺のドライブ、太公望(海釣り)、はたまた野菜作りの魔術師(畑仕事のきわめぶり)がある。これらだけも私は、驚くばかりである。ところが、これらに輪をかけてここ数年の渡部さんは、人の成し得ないとてつもない目標を掲げて、虱潰しさながらに実践躬行(じっせんきゅうこう)中である。目標とは、首都圏に存在する郵便局のすべてを訪れることである。そのおりには必ず、千円の貯金をされるとも、言われている。さらに驚くことは、すでに東京都のすべてと、埼玉県の近場は回り終えて、次には神奈川県へ足が向いていると、言われている。まさしく、百名山完登にも負けず、ギネスブックに名をとどめるほどの遠大な目標である。そして、そらが着々となされつつある大偉業である。
 ひぐらしの記に戻れば、渡部さんのご好意は、これまたけた外れに大きいものがある。すなわちそれは、単行本の初刊よりこのたびの古稀・(第七十集『静の舞』にいたるまで、すべてを有償購入にあずかり続けていることである。渡部さんは今や、仲の良い同期入社のおひとりとはとうてい言えない、いくら尊敬してもしきれない、わが人生の大恩人である。就寝時寝付けず、寝がえりやのたうち回るからと言って、足先を所沢方面へ向けることだけは心して慎んでいる。確かに『静の舞』は、めでたい古稀(七十冊目)の舞いである。それを果たし得て、私は渡部さんに感謝しきりである。

梅雨入り近し 

 気象庁はきのう(五月二十八日・月曜日)、九州北部と四国地方の梅雨入りを宣言した。九州北部地域に属するふるさと熊本県は、きのうから梅雨入りとなったのである。確かに、電話で話をしていると甥っ子は、「今、雨が降っています。もうきょうは、梅雨入りじゃろ?」と、言っていた。すると、甥っ子の体感と気象庁の宣言は、ピタリと合致したのである。
 きのうの気象予報士によれば、例年より八日ほど早い梅雨入りと言う。とっくに梅雨入り宣言がなされている奄美、沖縄、南部九州の梅雨入りも、例年に比べればそれぞれかなり早いという。これらのことからかんがみれば、日本列島にはいよいよ日を追って、気象庁からの梅雨入り宣言が続くであろう。確かに、きょう(五月二十九日・火曜日)の夜明けの空は、朝日の見えないどんよりとした曇り空である。現在は、雨は降っていない。そのため、一足飛びに梅雨入り宣言はないであろう。
 ところが、のちに雨でも降り出せば、梅雨入り宣言がありそうな梅雨空模様である。それでも、きょうの関東地方の梅雨入り宣言はないであろう。しかし、気象庁の梅雨入り宣言が間近に迫っていそうな空模様ではある。大船(鎌倉市)の街への買い物行動しかない私には、雨の日の多い季節である梅雨入りを直接的に毛嫌い理由はまったくない。遠い高校生時代に思いを馳せれば、片手に雨傘を持っての片手ハンドルの自転車通学は、直接的に強いられていた厄介ごとの一つだった。
 当時のわが家には、もちろん冷蔵庫など、まったくのゆめまぼろしだった。そのため、梅雨季における釜屋(土間の炊事場)の母の口癖は、おのずから「なんでん、ねまる、ねまる」という、言葉の繰り返しだった。「ねまる」とは、電子辞書の説明項目の一つには、「腐る」と記されている。この言葉に重ねて当時の母は、「なんでんにも、すぐにカビが生えて、困る、困る」とも言って、顔を顰(しか)めていた。
 梅雨入りになって、わが心中に浮かぶ当時の親の姿はこうである。父の場合は、水田仕事に勤(いそ)しむ蓑笠姿(みのがさすがた)である。一方、母の場合は、日夜釜屋仕事に難渋する姿である。当時と現在の梅雨季の日暮らしを心中に浮かべれば、あたりまえのことだけれど、比べようのないほどに雲泥の差がある。
 梅雨季にあって現在の私が強いて恐れるものには、必ず二度か三度かぎょっとさせられる、部屋の中に這いずるムカデのお出ましがある。ムカデの恐ろしさは、就寝時に首にさされて痛い目に遭った実体験によるものである。妻の場合はムカデに加えて、梅雨季に多いヤモリの出没に恐々としている。これらのことさえなければ現在のわが家に、梅雨季特有の鬱陶しさはない。確かに、雨の日が続けばうんざりとするところある。しかしながら、さしたる実害はない。だからと言って、日本列島の梅雨季をかんがみれば、もちろん安穏(あんのん)としてはおれない。なぜなら確かに梅雨季は、田植えに必要な雨量をはるかに超えて、豪雨そしてそのもたらす洪水被害や、土砂崩れなどの惨禍の多い季節でもある。
 梅雨空の走りを眺めながら私は、こんなことを心中にめぐらしている。たった今、曇り空の中に小鳥とは言えない一羽の大鳥が飛んで、過ぎ去った。慌てているかのような大鳥の様子からすれば、関東地方の梅雨入りも間近なのであろう。梅雨季の鳥の塒(ねぐら)は、びしょ濡れになるのだろうか。それとも、木陰や岩陰に塒を移して、雨をしのぐのであろうか。案外、何もしないでうんざりしている私より、はるかに知恵が多そうである。 

 孫には勝てない

 五月二十八日(月曜日)、夜明けの空は梅雨空みたいにどんよりしている。私の心身は、寝ぼけまなこと朦朧頭をともなって、いっそうどんよりしている。世間の通説どおりに私もまた、孫には勝てなかった。昨夜の私は、みずからに課している禁を破ったのである。現在こうむっている眠気まなこと朦朧頭は、もちろん昨夜の禁破りのせいである。
 日頃の私は、翌朝いや日を替えてまもない夜間の「ひぐらしの記」の執筆に差し支えないように早寝を決め込んでいる。おおむね、九時までにはと決めている。いや、実際のところはなお早く、八時あたりが最も多くなっている。このため、おのずから夜のテレビ番組の視聴は、みずからの意思でほうむっている。もちろん、世の中のご多分にもれず禁則には、例外事項がつきものである。
 私の場合、すでに何度も記しているけれど、この習わしの例外事項は、わがファンとする阪神タイガースのナイターテレビ観戦である。しかしながらこれとて、九時近くになれば意識してテレビ観戦を止めて、床に就く場合が多い。それほどにわが日常生活は、よくもわるくもひぐらしの記執筆の影響をこうむっている。すなわち、就寝時間の厳守こそ、みずからに課している約束事である。
 ところが昨夜の私は、孫に負けてその禁を破り、就寝時間は十一時半頃になっていた。そのためこの文章では、禁破りの証しを備忘録として記録に留め置くものである。なぜならそれは、最初にして最後とも思える、孫のあおばが出るテレビドラマの視聴だったからである。
 五月二十七日(日曜日)、夜九時から十一時近くまでの約二時間のテレビドラマ。具体的にはテレビ朝日放映の題名は、『ドラマスペシャル・再捜査・片岡悠介』。このドラマにあって孫のあおばは、オーデションに合格し、二人の子役の中の一人として出たのである。ドラマの中のあおばの役名は、飛鳥だった。実際のところあおばは、飛鳥という名の人物の子どもの頃を演じていた。すなわち、バレエ教室に通うプリマ役を演じていた。一瞬の写りと思って目を凝らしていたけれど、案に相違しあおばは、物語のいろんな場面に結構出ていた。正直、私自身これには驚いた。ドラマに挿入されていた赤ん坊時代の二枚の写真も、見覚えのあるあおば自身のものだった。そのうえ、観を得て私が満足を得たのは、最後の配役の名に、子役として孫の名が記さていたことだった。じーじーの私は、大沢さまとふうちゃん、そしてマーちゃんには、事前に孫の出演をお伝えし、身勝手に視聴をお願いしていた。このことでは、まことにかたじけないわが身勝手なお願いだった。
 一つだけテレビドラマの世界を垣間見たのは、撮影は昨年の秋(あおば小学四年時)、そして放映はほぼ半年経ってのきのう(あおば小学五年生)だったのである。じーじー以外には、なんら感興の湧かない出来事を備忘録として記したことを心から詫びるところである。

 出かける前のつれづれ

 五月二十七日(日曜日)、夜明けが訪れている。夜明けの空はほのかに明るいけれど、もはや澄んだ五月晴れとは言えそうにない。日本列島は奄美地方を皮切りに沖縄地方そして南九州には、すでに気象庁から梅雨入り宣言が出ている。桜前線同様に日本列島には、南の地方から梅雨前線が北上を続けている。夜明けの空を眺めると、まもなく関東地方にも梅雨入り宣言が出そうである。同時に夜明けの空は、日本列島に田植えの季節の到来を告げている。
 農家出身の私には、郷愁を呼ぶ夜明けの空でもある。農家出身でなければ梅雨空は、鬱陶しいばかりで心の和むことはない。ところが、幸いにも私は、農家にとって梅雨の季節のありがたさを知り尽くしている。そのため私は、鬱陶しい季節にも耐えることができる。いや日本人であるかぎり、耐えなければならない。
 きょうの私は、東京都下国分寺市に住む次兄宅への訪問を予定している。次兄宅は、わが第二のふるさとである。現在、次兄宅には兄夫婦と長男夫婦が住んでいる。兄夫婦は同年齢で、私より十歳違いである。このため私は、ときどきの兄夫婦の機嫌伺いを決め込んでいる。同時に、私の楽しいひとときでもある。この文章を書き終えて朝食を済ますと、旅立ちの準備にとりかかる。さてその前に、肝心の文章は書けるであろうかと、危惧しているところである。
 大相撲夏場所(東京都墨田区・両国国技館)は、きょう千秋楽を迎えることになる。これにちなんで、きのう(十四目)の取組において浮かんでいることがある。それは、大相撲の現実丸出しだったからである。結び前と結びの二番の取組は、こうだった。結び前は栃ノ心(ジョージア)対鶴竜(モンゴル)であり、そして結びの一番は逸ノ城(モンゴル)対白鵬(モンゴル)だった。すなわち、大相撲において最も盛り上がり、また華やかでもあるこの二番の取組にあって、日本人力士はいなかったのである。それでも館内には、初日から「満員御礼」の垂れ幕が下がり続けている。もちろん私は、テレビ観戦を堪能し続けている。もはや大相撲は、完全に外国人力士が日本人力士と同化している証しでもあろう。もちろんわが目にも完全に同化し、異質の感はまったくない。
 国技や土俵を外国人力士に乗っ取られたという思いはとうに失せて、今や外国人力士無くては大相撲自体成り立たなくなっていると、言えそうである。ところが、大相撲にかぎらずさまざまなスポーツにおいて、今や盛んな状況にある。そして、かつては一時しのぎの「助っ人」と言われていた、外国人選手のそれぞれの競技とチームへの定着が目立っている。そのぶん日本人選手は、日本人の定位置を脅かされている。それでも観客からは、かつてのような「ゴー、ホーム(帰れ!)」という声は、すっかり鳴りを潜めている。逆に日本人選手は、外国人選手流入のお返しでもするかのように、あらゆる海外の本場競技に向かっている。
 スポーツにかぎらずに日本社会には、外国籍の人が二百万人余定住し、加えて観光客は年間二千万人の目標を一気にしのぐほどに激増している。土俵の上のみならず、日本社会の変容ぶりを示す明らかな証しは、今やいたるところにある。もはや、二組の取組に日本人力士不在だからと言って、寂しいとか腹立たしいとかは言えない、日本社会の変容ぶりである。
 胸の透く文章にはほど遠いけれど、どうにか結文にたどり着いて、朝食と出かけの準備が叶えられそうである。夜明けの空は、しだいに明るさを増している。第一のふるさとは、田植え準備でおおわらわであろう。心の和むふるさと慕情にひたっている。

ピカピカと光る風前の灯 

 五月二十六日(土曜日)、いつものように午前三時近くに起き出してきた。すでに、インターネット上の配信ニュース項目は、読み尽くしている。とりたてて、関心を引く項目はなかった。私の場合は、配信ニュースを一覧したあとに、わが文章を書く習わしを続けている。言うなれば、このときからわが呻吟の始まりである。きょうはいつもにもまして、まったく文章が書けない。
 このところは、こんな心境の明け暮れである。正直言って現在の私は、行き詰まっている心境の打開策に悶々としている。一方で心中の声は、(書けないなら、無理して書くな!)と、喚(わめ)いている。みずからの小器や能力を知り尽くしての、やむにやまれぬアドバイスであろう。そうであればアドバイスにしたがって書かなければ、確かに苦悶を逃れることはできる。しかし、逃避したからと言って気分が安らぐことはない。いやむしろ、いっそう悶々とした気分に陥ることとなる。現在のわが心境を飾ることなく記すと、なさけなくもこんなところである。もちろんなさけないかぎりだけれど、だからと言って隠しても仕方がない。
 私にかぎらず心境や人心は、時々刻々に揺れるものである。なかんずく為政者の人心は、手練手管(てれんてくだ)の駆け引きをともなって、よくもわるくもいっときの休みなく常に大揺れに揺れている。
 きのう(五月二十五日・金曜日)の私は、『通告そして落胆』の文章の中において、アメリカ・トランプ大統領が発した「米朝首脳会談」中止のことを書いた。米朝首脳会談は、来月(六月十二日、シンガポール)に迫っていた。その矢先にあってトランプ大統領は、書簡をもって米朝首脳会談の中止を通告したという。まさしく、気まぐれ大統領の面目躍如(めんぼくやくじょ)とした、突然の痛恨きわまりないニュースだった。この米朝首脳会談に期待と展望をいだいていた私は、そのぶん落胆した。その腹いせもあって私は、あえて気まぐれ大統領と、書き添えたのである。ところが、先ほど読んだ配信ニュース項の一つには、こんなものがあった。それは、米朝首脳会談を当初予定にしたがって、なお実施に含みをもたせるという、トランプ大統領のメッセージだった。
 国の為政者の心境の揺れは、よくもわるくも国民の人心を揺るがすこととなる。とりわけ、世界の警察(官)を自任するアメリカ大統領の心の揺れは、少なからず世界中の人心へ波及するところがある。具体的にはこの期(ご)に及んでのトランプ大統領の心境の揺れは、好悪(こうお)さまざまに影響を及ぼすところとなる。確かに、駆け引きがらみとはいえ北朝鮮・金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長は、きのう核実験場を粉々に爆破したという。それをかんがみれば、米朝首脳会談のこんな好機は、またとは訪れないであろう。このことでは気まぐれトランプ大統領の文字どおり揺れ動く心境に、私はほのかな期待を持ち直し、当初どおりに米朝首脳会談の実現を切に願っている。
 まったく浮かばない文章にてこずり、書き殴りの文章を書いてしまったわが心境のなさけなさが身に沁みている。もちろん、文章を書けない苦悶は、きょうばかりではない。風前の灯(ともしび)がピカピカと光っている。

通告そして落胆 

 一縷(いちる)の望みを託していた拉致被害者家族の落胆ぶりはいかばかりであろうかと、案ずるところである。もちろん、かなりの期待と展望をいだいていた私も、突然の事態の変化にはかぎりない落胆をおぼえている。同時に、このニュースに出遭って私が思ったことは、日本の国はこんな気まぐれ大統領一辺倒にすがっていいのであろうか、ということに尽きた。
 <ホワイトハウス>米朝首脳会談中止 トランプ大統領が発表。6月12日に予定されていた米朝首脳会談について、米ホワイトハウスは24日午前(日本時間同日夜)、トランプ米大統領が中止を告げる金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長宛ての書簡を公表した。北朝鮮側が示した最近の「怒りとあからさまな敵意」を理由に、首脳会談を「この時期に開催するのは適切ではない」としている。米朝対話の行方は一気に不透明になり、朝鮮半島の非核化の進展は困難になった。(毎日新聞)。
 もちろん私は、すんなりと米朝会談へたどりつくとは思っていなかった。しかし、実現にかなりの期待をしていたところはある。ところがその期待と展望は、双方の駆け引きと一片の通告により、元の木阿弥に戻ったのである。
 安倍総理の人物品定めは瀬戸際に立たされている。安倍総理は、旧交を温めるためにロシアへ飛んでいる。ところが、こちらのプーチン大統領も曲者(くせもの)である。切ない夜明けが訪れている。

梅雨空のつぶやき 

 メディアを通して、政治家の言葉とそれを擁護する官僚の言葉のほころびが日々伝えられてくる。正直なところ、うんざり気分横溢(おういつ)である。早く、すっきりした気分になりたいものである。こんなことでは公務の仕事にあって、文字どおり日本の国のために日夜真面目に働いている人たちが気の毒である。このところの私は、公務の仕事に携わる人たちへの信頼が頓(とみ)に薄らぎかけている。政治不信がつのるメディア情報は、いち早く御免こうむりたいものである。もちろんメディアとて、好んでこの手の報道に明け暮れているわけではない。すなわち、日本国民にたいし、やむにやまれず伝えなければならないネタ(出来事)が、日々切れ目なく露出してくるからにほかならない。
 五月二十四日(木曜日)、夜明けの空はきのうの雨空を引き継いで、小雨模様である。梅雨入りを間近にひかえていることをかんがみれば、梅雨の走りの夜明けの空と、言っていいのかもしれない。一方、日本列島津々浦々にあっては、いよいよ田植えの季節の到来である。現在の田植え風景は、田植え機などにたより、かつて見られていた大勢の人の姿は遠のいている。それでも、農家出の私にとっては、一家総出で働いたかつての田植え風景が懐かしくよみがえる。もちろん、農家の人たちにとってこの季節は、今なお多忙きわまるところがある。しかしその忙しさは、秋の穫り入れの喜びにありつける生業(なりわい)として、おのずから必死に耐え忍べるものがある。そして、日本列島の農家のほぼ一斉労働の為す水田風景は、昔も今も日本の国の美的風景の最たるものである。
 ところが、日本の国の舵取りを託する政治(家)からは、絶えることなく延々と醜聞が垂れ流されてくる。自然界現象の梅雨と、人間のしでかす醜聞と相まって、鬱陶しい季節は長くなりそうである。ほとほと、うんざりだ。

やんぬるかな! 四字熟語のおさらい 

 自然界現象の鬱陶しい梅雨入りを前にして、日本社会はそれを凌ぐ鬱陶しさに見舞われている。おのずから私は、初夏らしいからりと晴れた五月晴(さつきばれ)の日本社会を願っている。ところが、私にとりつく日本社会の鬱陶しさの元凶は、よりもよって政治家や官僚にたいする人間不信からもたらされている。
 具体的には政治家や官僚の吐く虚言(嘘)と思えるものが根源である。一旦嘘を吐けば人は、理不尽を承知で突き通さなければならない。ひいては嘘の上塗りであり、恥の上塗りでもある。このところの政治家や官僚の言葉には、やんぬるかな! この現象がメデアから日々伝えられてくる。
 ふと、わが心中に、二つの四字熟語が浮かんだ。きょう(五月二十三日・水曜日)の文章は、忘れかけている二つの四字熟語を、辞典を開いてお浚いするものである。
 【指鹿為馬(しろくいば)】意味:道理に合わないことを承知で、その考えを押し通すこと。また、間違いを認めずそのまま押し通すこと。一般には「鹿を指して馬を為す」と訓読する。故事:始皇帝の死後、中国秦の趙高は権力をほしいままにするため、二世皇帝に「これは馬です」と言って鹿を献上した。二世皇帝は「鹿ではないか」と問うたが、趙高は正しく鹿といった側近を処罰した故事から。
 【三人成虎(さんにんせいこ)】意味:嘘や噂なども多くの人が言えば、いつの間にか事実であるかのようになってしまうたとえ。実際にはあり得ないことでも、多くの人が言うと、人はそれを信じてしまうたとえ、三人が「町に虎が出た」と言えば、それを聞いた者は事実と信じてしまうこと。「三人虎を成す」と訓読する。出典:『韓非子』内儲説・上。(いずれも『新明解四字熟語辞典』(三省堂)。
 ネタ切れによる、継続だけが目的のいたずらがきである。

なさけないこと 

 五月二十二日(火曜日)、午前三時前に起き出して、すでにインターネット上の配信ニュースは、読み尽くしている。きのうはずる休みをしたため、二日続けては休めない、と自己発奮しているところがある。しかしながらやはり、書けそうにない。無理して書けば、こんな愚痴こぼしやや弁解じみた文章の書き出しになる。きわめて、なさけない書き出しを強いられている。
 このところ、なさけないことはたくさんある。文章を書くわが身にとって、なさけないことのイの一番は、やはり語彙(言葉と文字)の度忘れである。忘却と度忘れの違いは電子辞書を開いて、すでに「ひぐらしの記」に書いたことがある。実際にはあえて、電子辞書にすがるまでもない簡易な言葉である。しかしそのときも現在同様に、電子辞書を開いて確かめたくなるほどに、度忘れ現象に苦悶していたのであろう。身体、特に五官の衰えで頓(とみ)になさけない思いをしているのもの筆頭は、今や難聴である。だからと言って現在の私は、耳鼻咽喉科医院の外来患者ではない。ところが、これに比べて歯科医院と眼科医院は、予約通院の繰り返しにある。しかし、なさけなさを自認することでは、やはり難聴が際立っている。
 きのう(五月二十一日・月曜日)は、四か月ごとに訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への通院日だった。通院目的は、現在一日に一度の目薬で治療中の緑内障の経過診察であった。日常生活にあっては、緑内障の進行を自覚すところはまったくない。普段、痛みも何も感じないゆえに、気楽な通院であった。自己診察では、通院拒否をしても構わないかな? と、思えるほどのものである。ところが、一旦この病の宣告を受けると、終身治療を免れないものである。言うなれば、大船田園眼科医院への終身牢屋入りみたいなものである。そのため、めぐりくる四か月ごとの診察のたびに私は、せめて予約間隔を六か月程度には延ばしたいと、願っている。
 実際にもそのつど私は、佐野主治医先生に、その思いを嘆願している。緑内障の罹患にあって最も厄介なのは、まったく自覚症状が無いにもかかわらず、死ぬまで通院を免れないこと、すなわち私の思いにすれば、命果てるまでの牢屋入りみたいな身の束縛である。
 さて、難聴のせいでなさけない思いをすることには、こんな事例がある。待合室では、女性スタッフの呼び出し声を聞き逃すまいと、両耳から胸に紐を垂らして集音機を手にしている。診察室近くの椅子では、集音機は外し両耳をそばだて、診察室からの呼び出し声に聞き耳を立てている。ドアが少し開き、「前田さん」と言って、女性スタッフが診察室への入室を促される。わが手でドアを開いて、神妙に入る。「こんにちは。お世話になります」と言って、おもむろに丸椅子に腰を下ろす。次には、「先生、難聴なので集音機を嵌(は)めていいでしょうか」と、お許しを請(こ)うた。もはやこの言葉は、どこの診察室においても、診察はじめの常套句(じょうとうく)になっている。つくづく、なさけない思いつのる瞬間である。
 ところが一方、この言葉はその瞬間、とてつもなく輝きを増すのである。もちろん、私のたってのお願い言葉を拒否される、野暮な主治医先生はどこかしこにおいても皆無である。それどころかわが願いに応えて、突然先生のお声も大きくなる。さらに先生の姿勢は、私に向かって前のめりになる。するとそのお声は、(先生、ガンガンと聞こえて、うるさいですよ!)と、心中に思うほどである。なさけないけれど、言わずにおれないわが言葉にたいする、天の声みたいにありがたい主治医先生からのほどこし言葉である。「緑内障は、まったく進行していません」という、三分間診察の結末だった。

テレビカメラの威力 

 <英国>ヘンリー王子結婚式 ウィンザー城12万人祝福。「英国のヘンリー王子(33)と米国の俳優メーガン・マークルさん(36)の結婚式が19日、ロンドン近郊のウィンザー城内の聖ジョージ礼拝堂で開かれた。アフリカ系米国人の母を持つマークルさんを王室へ迎えることに風当たりも強かったが、新しい王室を望む国民に受け入れられ、同城周辺には泊まり込みの観客も含め約12万人が詰めかけた。(毎日新聞)」昨夜(五月十九日・土曜日)、NHKテレビが伝えていたこの生中継に、妻は楽しそうに魅入っていた。しかし私は、「イギリスの結婚式がこんなにはっきりと、隅から隅まで観れるなんて、たいしたものだね」と言って、チラッと観ただけで茶の間を離れ二階へ向かった。背後に、妻の口癖が追っかけた。
「パパって、バカねー。もう寝るの? テレビ観なさいよ! おもしろいわよ」
 いつものように、「おれは観ないよ!」と、言って茶の間をあとにした。
 私の場合、このときにかぎらず夜のテレビ番組の視聴は、おおむね七時台のNHKテレビニュースまでと、みずからの決めごとにしている。例外をなすのは、わがファンとする阪神タイガースのナイターのテレビ観戦である。ところが、唯一のこの楽しみも、このところのタイガースの不甲斐ない戦いぶりで、例外でなくなりつつある。なぜなら、負け試合をみずからの持ち時間を犠牲にして、試合終了まで観るほど私は阿呆(あほう)ではない。夜のテレビ視聴をみずからの意志で抹殺し早々と床に就くのは、翌朝の「ひぐらしの記」の執筆をかんがみてのわが自主的行為であり、もちろん悔いるところはない。
 冒頭にテレビカメラが映し出した一例を引用したけれど、この映像にかぎらずこのところの私は、テレビカメラの威力に驚嘆しきりである。今さらこんなことを書くようでは、時代遅れの謗(そし)りを免れず、鬼には「カラ、カラ」と笑われ、カラスには「アホウ、アホウ」と馬鹿にされ、その挙句には虫けら呼ばわりされるであろう。確かに人の世は、科学のみならずさまざまな学問や知恵をたずさえて、日進月歩どころか時々刻々と、かぎりなく進歩・発展を続けている。もちろんこの現象は、人の為す物事のすべてにおいて、まさしく森羅万象(しんらばんしょう)の様相の最中にある。
 それらのほんの一端にあって、日常的に道端で見上げる偉観には、まるで天を突くかのように大空へ屹立(きつりつ)している建設機械がある。わが体内の病根探しには、進化を続ける医療精密機器類がある。もちろん医療精密機器類の進化は、病根の早期発見には良いことずくめではある。ところが、生来のわがへそ曲がり精神がもたげてきて、言わずもがなのこんな野暮なことをあえて言いたくなっている。医療精密機器類がわざわざ体内の病根を探して出しさえしなければ、知らぬがほとけという、心の安らぎを得られるところはある。
 医療精密機器類の発達は、身体に光線を照射し、体内深くカメラを操(あやつ)り、要らぬあら探しをしでかして、心ドギマギさせるばかりである。恐怖に陥(おとしい)れる医療精密機器類に比べれば、テレビカメラの進歩発達は後顧の憂いなく、すんなりと大歓迎できる至宝のたまわりものである。
 大相撲やプロ野球のテレビ観戦にあってこのところのわが楽しみは、土俵やグラウンドをさておいて、本末転倒さながらに観客席の観客の姿を見ることに移りつつある。もちろん番外のこの楽しみは、個々人の観客の様子をくっきりと映し出す、テレビカメラの威力にすがるものである。すなわち、このところのテレビカメラは、土俵やグラウンドに見入る観客の様子をまるで隣の席に居合わせているかのように、鮮明に映し出している。さらに驚くことには映像の鮮明さは、今や距離や空間の隔たりを超越し、宇宙規模的に均質化されていることである。ややもすると、海の向こうアメリカ・大リーグの観客席の個々人の姿のほうが横浜球場の観客席の人の姿より、いっそうくっきりと映し出される。
 重ねて驚くことは、グローバル(国際化・地球規模的)時代におけるテレビカメラの活躍ぶりである。アフリカ、西欧、中東、北米、南米、中国、韓国、台湾など、すなわち世界中の出来事が、人の気配や交流薄れる隣近所の様子を凌いで、日常的に知らされることである。先日のテレビカメラは、どこかの国だったかの数軒にすぎない火事の様子をこと細かに映し出していた。この映像をいやおうなく目にした私は、テレビカメラの威力に唖然としていたのである。運よくテレビカメラに映し出されなければ、身内が少なくなるばかりのふるさと情報は、遠ざかるばかりである。

世直しをになう快進撃 

 メディアが伝える日本社会における明るい話題は、この両者の活躍ぶりが際立っている。海の向こうにあっては、アメリカ大リーグ・エンゲルス球団所属の大谷翔平選手(二十三歳)の活躍ぶりが、本場の野球ファンの度肝を抜いている。その華々しさは、彼しか成し得ていない二刀流(自身で、投手と打者)を見事にやってのけている称賛の嵐による。
 一方、日本国内にあっては、中学生時代から衆目を集めていた藤井聡太棋士の、高校生になってまでの留まることのない快進撃ぶりである。中学生時代の藤井聡太棋士の活躍ぶりは、すでになんどかメディアの伝える配信ニュースを「ひぐらしの記」に引用し、記し留め置いた。そのため再三再四引用することには、かなり気が引けるところがある。それでもやはり、このたびの歴史的快挙は、さらに重ねてひぐらしの記に記し留めて置かなければならない。
 現下の日本社会にあっては、明るい話題に出遭うことは滅多にない。紙上には日々いじめや殺人の記事があふれ、政、官、財の世界では嘘八百と誤魔化しが常態化している。さらには、政治家の失言とその即時撤回の明け暮れにある。また、日本社会に根付くセクハラやパワハラ行為は、世の中の顰蹙(ひんしゅく)を買う割には、いまだいっこうに止みそうにない。
 このところは、名の知れた人たちの訃報も相次いでいる。まさに平成の世は、末の現象をさらけ出している。だれかが世直しを試みなければ、現在の皇太子殿下が天皇陛下に即位される来年(二〇一九年五月一日)の門出は、引き続いて危ぶまれるところがある。このことではその突破口として、大谷選手と藤井棋士のさらなる活躍に展望と希望を託するところである。
 そのこともあってきょう(五月十九日・土曜日)の文章は、藤井聡太棋士の快挙を伝える配信ニュースの引用に代えるものである。
 【藤井聡太六段、史上最年少で七段…15歳9か月】(2018年5月18日 22時20分 Copyright © The Yomiuri Shimbun)。「将棋の藤井聡太六段(15)は18日、大阪市の関西将棋会館で行われた第31期竜王戦(読売新聞社主催、特別協賛・野村ホールディングス)のランキング戦5組準決勝で船江恒平六段(31)を72手で破り、史上最年少・15歳9か月での七段昇段を決めた。これまで加藤一二三九段(78)が持っていた七段昇段の最年少記録(17歳3か月)を61年ぶりに更新した。約70人の報道陣が見守った対局は、互いの角を交換する『角換わり』の戦型になり、先手後手とも玉の位置を動かさない『居玉』のままでの力戦になった。船江六段の攻めを巧みに受けきった藤井六段は、終盤、的確に寄せきった。この勝利で竜王戦ランキング戦での2期連続昇級を確定させた藤井六段は、日本将棋連盟の規定により七段に昇段した。6月5日、関西将棋会館で行われる5組決勝で石田直裕五段(29)と竜王戦本戦出場をかけて対局する藤井・新七段は『ここまで早いペースで昇段できるとは思っていなかった。今は喜びにひたるより、5組決勝に向けて気を引き締めたい』と話した。」
 なんどでも、拍手喝采せずにはおれない、藤井聡太棋士の快進撃ぶりである。大谷選手と藤井棋士の活躍ぶりを伝えるメディア報道は、今や枚挙に暇(いとま)なく日々目立っている。好漢若人(こうかんわこうど)二人の活躍は、日本社会の世直しの先鋒役そして起爆剤として、瞠目(どうもく)するに十分応えてくれそうである。私は、声なき声の声援に明け暮れている。

 懐かしさつのる「千寿司」

 かつて、JR大船駅(鎌倉市)・駅中に、立ち食い寿司店「千寿司」があった頃は、妻と共にしょっちゅう食べに通った。しかし、経営者は同じというけれど、この店が「すし兆」へリニューアル(新装開店)した折から、私たちの寿司三昧はバッタリと途絶えている。すし兆へ行かなくなった理由は、わが夫婦だけの思いだけかもしれないけれど、こうである。確かに、店名は千から兆へ昇格し、店内の装いは新たになった。しかし、私たちにはまったく変わり映えしたとは思えなかった。ところが、握り寿司の値段は上がった。そして、反比例するかのように、味覚はいくぶんまずくなった。このため、値段と味覚が釣り合わなくなった。いや、実際のところネタは同じだろうから、味覚自体はそんなには変わっていなかったのかもしれない。それでも味覚をまずく感じたのは、やはり値上がりしていた値段との釣り合いがとれていないと、思えたからであろう。千寿司の常連客がどう感じていたかは、もちろん私たちには知るよしない。ところが、妻の言葉から察すれば、千寿司当時と比べれば、すし兆の客数はかなり減少傾向にあるようである。
「パパ。すし兆の前には、あまり人が並んでいないわよ。お客さん減っていのよ。千寿司をなくしたからよ。馬鹿よ!」
「そうか。おれは、もうあそこの前はあまり通らないけれど、おまえはよく覗いているの?」
「たまに覗くけれど、パパと行った新装開店のあとには、一度も入ってないわよ」
「おまえが行きたいなら、行ってもいいよ」
「パパって、バカねー、わたし、行きたくないわよ!」
「そうか。それならいいけど、おまえはおれに比べれば、いや食べもの中では寿司が一番大好きだから、たまには行ってもいいよ」
「バカねー、パパは行きたくなったの? わたし、ちっとも行きたくないわよ!」
 妻の頑(かたくな)な決意は、「おんなの執念」の表れなのかもしれない。称賛すべきか、それとも女の恨みと言うべきか、いずれにしてもあっぱれと、褒めてやるべきであろう。
 立ち食い寿司店・すし兆さえ遠ざかれば、もちろん座席のある小奇麗な寿司屋へ行くことなど、財布の都合でおのずからゆめまぼろしにある。そのため、わが夫婦の寿司三昧は、今や懐かしい遠い思い出に成り下がっている。
 私の場合は十分寿司なしでも耐えられる。しかし、食べ物であれば寿司一辺倒を嗜好(しこう)する妻のせつない胸の内を慮(おもんぱか)れば、わが胸に少なからず痛みをおぼえるところはある。千寿司がなくなったことには、私にもかなりの痛手がある。具体的な痛手とは、「ひぐらしの記」をつづるうえでの格好のネタを喪失したことである。千寿司通いをしていた頃の私は、結構そのときの様子をネタにして文章を書いていた。顧みれば、鱈腹食感を満たしたあとだけに、文章自体いつものマイナス思考を免れて、ほんわかとしていた。言うなれば、マイナス思考の多い文章の中にあっては、一点の明るさを灯していた。もちろん、それぐらいのことで自惚(うぬぼ)れることはできないけれど、わが心にしっぽりと馴染む文章にはなっていた。このため、千寿司にからむ文章が書けなくなっている現在の私は、まさしく「逃げた魚は大きい」という、心境にさいなまれている。確かに、私は大事なネタの一つを失くしたつらさを味わっている。
 妻は握り寿司の味を遠退(とおの)け、私は貴重なネタを失くしている。千寿司からすし兆への模様替えは、かえすがえす残念至極である。立ち食い千寿司は、しがない私にふさわしいわがネタの宝庫だったのである。

ちょっぴり空しいつれづれ書き 

 終活を浮かべたり、いろんな悪夢に魘(うな)されたりして安眠を妨げられることは、ほとほとつらいものである。ところが、卓球クラブの練習日の夜だけはそれらの邪魔ものに打ち勝って、安眠を貪(むさぼ)っている。しかしながらこれとて、もちろん褒められることではない。なぜなら、くたくたに疲れてはてて眠っているにすぎない。それでも安眠が得られるのは、卓球クラブの練習のご利益(りやく)と言えそうである。
 このところのわが身体は、体力を衰退させている。現在のわが年齢(七十七歳)をかんがみれば、年齢並みのことだけれど、それでも寂しさつのるものがある。高校時代の部活・バレーボール部のある先輩は、「前田は死なないよ!」と言って、肝心の技量でなく、わが体の頑健さを褒めてくれたことがある。確かに、私とて子どもの頃からの体の頑健さには、ちょっぴり自慢するものがあった。
 うろ覚えの記憶をたどれば、幼児から就学までは風邪をはじめ病はない。そののち極め付きは、小学校六年そして続く中学校三年、つごう九年間にわたり私は、無欠席(皆勤賞)にありついた。そのため、それぞれの卒業式にあっては賞状を授与された。この間、中学生時代には盲腸炎に罹患した。それでも、痛みに耐えられないほどの急性盲腸炎ではなく、夏休みの間に処置した。
 小学校および中学校は、現在流に言えば小・中一貫校みたいで、共に当時の村の名を冠し、内田村立内田小学校および内田中学校だった。校地はほぼ一緒で、校舎はその間かなり離れていたけれど、隣り合わせだった。双方の学校までは、わが家から歩いて二十分強の道のりだった。この間の一筋の県道は、当時はまだ舗装など無く、石塊(いしくれ)や小砂利むき出しのでこぼこの狭隘(きょうあい)ないなか道だった。町中(当時・熊本県鹿本郡来民町)に存在する熊本県立鹿本高校までの自転車通学を始めると、わが無欠席はやむなく途切れた。自転車通学は、登校時には四十分程度、下校時にはその倍くらいの時間を要した。行きには下り坂に恵まれ、また登校時間に迫られて、絶えずペダルを踏んだ。ところが、帰り道には上り坂にてこずり、その上に部活の疲れが重なり、途中休憩を挟んで、重たくペダルを踏んだ。
 高校時代に無欠席が途絶えたことには、二つの理由がある。一つは、怪我という自損行為のせいだった。具体的には、竹藪の竹の切れ端を踏んで足裏を怪我したせいだった。一つは、試験前に勉強時間を増やすために、意図して休んだためである。ところが、同じ校地にあって旧制鹿本中学校に学んだふるさとの兄は、十一年間無欠席だったと言う。多くのわが兄弟は、六年間くらいはみんな無欠席だった言う。今やはるか、わが九年間の無欠席は、もはや思い出の中の過去の遺物にすぎない。
 小学生時代から私は、ひどい近視・乱視にとりつかれては、日夜その進行に怯(おび)えていた。そして現在、目は近視・乱視どころかすでに白内障の手術を終えて、緑内障の目薬治療中にある。わずかに一日に一度の目薬さしにすぎないけれど、それでも結構鬱陶しいものがある。子どもの頃にはまったく想定外だった歯痛は、鬱陶しさを超えてまるで間欠泉(かんけつせん)さながらに、歯医者通いを強いられている。加えて、子どもの頃には思い及ばずにいた難聴(耳)は、このところのわが日常生活を暗く脅(おびや)かし続けている。老体とは、悲しく、侘しいものである。
 確かに、老齢になれば身体の衰えは避けて通れないものがある。しかし、できれば精神(力)の衰えは防ぎたいものである。ところが、これこそ「言うは易く行うは難し」である。結局、このところの私は、心身(身体および精神)共に、頓(とみ)に体力そして精神力の衰退に脅かされている。挙句の果ては、こんななさけない文章をつづる羽目に陥っている。とことん馬鹿じゃなかろか! いや「馬鹿は死ななきゃ治らない」ようである。

安眠を妨げる終活 

 人生行路は茨道(いばらみち)である。もとより、この世に生まれなければ、歩かなくて済む道である。しかし、生まれたかぎりは、終焉(しゅうえん)まで歩かなければならない。ところが、その道には行路の途中に、さまざまな障害物が横たわっている。それらの障害物を一つひとつ乗り越えて生きなければならない。そのことでは人生行路は、学び舎の運動会の障害物競走に似ているところがある。
 運動会の障害物競走にあって、途中に置かれている跳び箱を越えられなかったり、網くぐりを抜けきれなかったりすれば、ゴールへたどり着くことはできない。その挙句には泣きべそをかいて、途中棄権の憂き目を見る。しかし、運動会であればもちろん生存自体が危ぶまれることはない。とどのつまり、運動会の障害物競走と人生行路とは、元から似て非なるものがある。それを比べようとするのは、わが痴(し)れ者の戯言(戯言)にすぎない。実際にはそれぞれが真剣そのもので、まったくおかしくも面白味もないことだけれど、余りのつらさや理不尽さの裏返しに、就活、婚活、そして終活という言葉を新たに造り、つらさを茶化しているように思えるところがある。
 修学時代には、ずばり受験戦争という言葉がる。就学を卒(お)えて訪れる関門は、「就活」(就職活動)である。運よく実業社会に身を置いて次に訪れるのは、「婚活」(結婚相手探しの活動)である。この二つにはつらさと希望が同居し、いくぶん救われるところはある。そして、人生行路のゴール近くに訪れるのは、「終活」(命納めや整理活動)である。
 この頃の日本社会にあっては、まるでにわか仕立てさながらに、就活や婚活と同列に終活という言葉が飛び交っている。しかしながら終活は、就活や婚活とはまったく違って、明らかに語弊がある。具体的には、活動という言葉の意味違いである。すなわち、就活と婚活の場合は、文字どおり積極的活動である。一方、終活の場合は、消極的すなわちやむにやまれぬ活動、いや行動である。確かに、活動と行動という言葉は、その実態においては大きく異なるものがある。
 現在の私は、終活の最中にある。ところがこれは、就活や婚活をはるかに凌いできわめて厄介である。なぜなら、このところの私は、わが終活を浮かべては、安眠が妨げられている。顧みて就活や婚活にあっては、夜も眠れないということはまったくなかった。確かに、言葉遊びとしては、就活、婚活、そして終活ともに、さしたる違いはない。しかし、実際のつらさはけた外れに終活がやっかいである。おしまい。

 蚕(かいこ)

 庭中と周辺のアジサイは、濃緑の大葉を邪魔くさいほどに茂らしている。大葉を分けてみると、小さな花の玉が膨らんでいる。アジサイには、蕾(つぼみ)という言葉は似合わない。いや、アジサイには、花の植生に見られる蕾という生長過程はあるのであろうか。小学生用の植物図鑑さえ開かない私には、もちろんちんぷんかんぷんである。
 桜木は、葉桜を深緑に染めている。わが家から最寄りの「半僧坊バス停」へ向かうグリーンベルト(緑道)のかたわらには、大きな山桜の葉が茂っている。その下には現在、無数のサクランボが散らばっている。食べて食べられないことはないはずだけれど、子どもの頃ならいざ知らずわが老齢の身には、拾って食べる気にはなれない。もちろん、子どもの頃であれば野山のもの川のもの、なんでも食べていた餓鬼ゆえ、食べた体験はあるはずである。しかしながらその記憶は、まったくよみがえらない。
 唇を紫色に染めて食べた記憶のよみがえるのは、桑の実である。今は亡きフクミ義姉さんの生存中のわが家は、ほぼ四季にわたり、養蚕農家を兼ねていた。いや、実際のところは、養蚕農家というには大袈裟すぎて生計の足しにはならないほどの、農家のわが家の小さな兼業にすぎなかった。それでもフクミ義姉さんは、大きな目籠(めご)を背負っては、夜明けまだき朝露を分けて、桑摘みに精出していた。蚕の桑の葉の食べ盛りどきには、婦唱夫随相和して長兄も桑摘みを手伝っていた。
 母屋から離れた文字どおりの離れ家には、数段の蚕棚(かいごだな)が設けられていた。蚕棚には大きくて平なまん丸の竹ひご作りの「バラ」が敷き詰められていた。育ち盛りの蚕は、バラの中に並べられた桑の葉を食べて成虫となる。このあとは、フクミ義姉さんによれば、「蚕が、あがったばいた!」という言葉を皮切りに、これまた婦唱夫随で繭作りの準備に取り掛かっていた。
 蚕の飼育には、気が休まることは許されなかった。桑摘み、蚕棚作り、バラの準備はもとよりひっきりなしの桑の与え、さらには蚕部屋の温度管理などで、フクミ義姉さんには夜通しの作業が強いられていた。子どもであっても家事手伝いを心掛けていた私だったけれど、蚕の飼育だけにはとうとうたったの一度さえ手助けできずじまいだった。それでも、当時のわが家の蚕飼育には、さまざまな思い出つのるものがある。そしてその思い出は、快い思い出ばかりである。その思い出をくれたのは、フクミ義姉さんである。
 先日の購読紙・朝日新聞の記事によれば、日本の国の伝統を残すために宮中でも、継続して養蚕が行われているという。こんにちまでのその作業の担い手は、美智子皇后陛下だったいう。ところが、きのう(五月十四日・月曜日)だったかの朝刊の記事によれば、その作業が美智子皇后陛下から、雅子皇太子妃殿下に引き継がれているという。おそらく、来年(二〇一九年)の今上・平成天皇陛下のご退位(四月三十日)と、翌日(五月一日)の現在の皇太子殿下の新天皇陛下即位に先だっての、美智子皇后陛下からの雅子皇太子妃殿下への養蚕作業の手ほどきであるのであろう。これらの和んだ記事を読んだ私には、優しかったフクミ義姉さんの面影がふつふつとよみがえったのである。特に、養蚕作業の忙しさに勤(いそ)しむフクミ義姉さんの面影は、汗水たらす中にあっても、飛びっきりのニコニコ顔であった。
 アジサイの大葉は、形こそ違え桑の葉同様に濃緑で瑞々しく、生前のフクミ義姉さんを偲ぶにはまたとない格好のものである。わが庭中にアジサイの大葉が茂るこの頃は、私には格別養蚕作業に勤しむフクミ義姉さんの懐かしい面影が偲ばれる季節でもある。自然界の季節の恵みは、さまざまに人間界の佳き思い出をはぐくむ縁(よすが)となっている。
 「母の日」(五月十三日・日曜日)過ぎて私は、母に負けず劣らず優しかったフクミねえさんの面影を偲んでいる。

 亡き人を偲ぶ 投稿者:大沢(前田さんの「蚕(かいこ)」を読んで)
 季節の移ろいの中でその時々の亡き人の懐かしい面影を偲ぶことは、生きている者の心の癒やしでもある。まして思い出多い肉親の面影は、切なくもあり、思いだすのも苦しいほどだけれど、それでも歳月が哀しみの心を和らげて、生前の出来事とともに心を温めてくれる。
 前田さんの亡きフクミ義姉さんの優しさは、すでに何度も「ひぐらしの記」でお目にかかっているけれど、「フクミ義姉さん」という文字を見ただけで、私の胸は温かく濡れてしまう。
 前田さんのお父さんお母さんの仲の良さは、長兄さんとフクミさんに引き継がれ、その愛は前田さんを深く深く慈しみ、今なお魂となって注がれているようだ。
 蚕の飼育の思い出もフクミ義姉さんの面影が浮かんで、お会いしたことはなくても、心が温まる。
 前田さんのお父さんお母さん、フクミ義姉さんは、亡くなられてもなお、前田さんとともに生きておられるようです。

 読書離れのわが一考察

 本格的な活字離れと、言ったほうが適当なのかもしれない。あえて、本格的という言葉を添えたことには、世の中の人たちはメールなど短い文章は、結構書いているからである。活字を書かずとも読むことは、ずばり読書である。電子辞書を開けば読書とは、「書物を読むこと」と、記されている。するとこんどは、書物を見出し語にして、その説明を確かめた。
 <書物>「文字や図画などを書き、または印刷して一冊に綴じたもの。本、書籍、図書、典籍」。
 今さら、なぜ? こんなわかりきった言葉を辞書で調べたかと言えば、読書の本当の意味を知りたかったからである。
 実際のところは、新聞や薄っぺらな雑誌を読むことは、読書の範疇(はんちゅう)に入るやいなやと、確かめてみたかったからである。結局、新聞や雑誌を文字どおりさっと読むくらいでは、読書とは言えそうにない。すると、私は読書離れの範疇になる。実際のところ一年じゅうで、私が単行本を読むのは「ひぐらしの記」の校正にあたって、版下に添えられている製本(単行本)を読むくらいである。それも、一年間にしたら数冊に過ぎず、十年間でも七十冊に満たない程度である。正直言ってこれ以外、私は単行本をはじめとする書物と言えるものは、まったく読んでいない。もちろんこれとて、みずからが書き殴りに書いたきわめて私日記風のものを書物の範疇に入れることには違和感がある。
 確かに体裁は、大沢さまのご好意にあずかり、単行本の装いをしている。しかしながら、わが実感としては読書の範疇にはほど遠い代物である。私は、新聞だけはどうにか関心のある記事にかぎり拾い読みを続けている。しかしこれとて、このところはわがモチベーション(意欲)の低下に見舞われて、風前の灯火(ともしび)にある。それをどうにか断たずに済んでいるのは、月極めの購読料を払っているかぎり、読まなければもったいないという、ケチ臭い根性のせいである。ところが、このところはそのケチ根性も失せて、購読中止の瀬戸際にある。
 かつての私は、スポーツ雑誌にかぎり、ときおり本屋から買っていた。ところがこちらは、二十年来すでに沙汰止みである。なぜなら、得たい雑誌の情報は、パソコン(インターネット)上のリアルタイム(即時性)の情報で十分だからである。具体的には雑誌の情報は、もはや知り尽くしているものばかりである。
 週刊誌はあえて買うまでもない。購読紙・朝日新聞であれば、月曜日には「週刊現代」、「週刊ポスト」、「アエラ」、火曜日には「週刊朝日」、「サンデー毎日」、そして水曜日には「週刊新潮」、「週刊文春」など、センセーション(過激)に記事見出しが羅列されている。これらを丹念に読めば、おのずから週刊誌そのものは、買わずに済むこととなる。新聞が書物の範疇に入らなければ、私はとうの昔から読書離れを続けている。
 このところは、大学生の読書離れが著しいと、言う。このことをメディアがあえて伝えることは、元来書物とは縁切れできないはずの大学生の読書離れが際立ち、話題になり得るからであろう。日本社会の高齢化現象にあっては、実際には大学生にかぎらず余儀なく読書離れの傾向にあるのであろう。ときたま、街中の本屋に立ち寄っても店内は、立ち読みの人さえ見当たらずすかすかである。漫画コーナーに子どもたちを見ることもない。本屋に入ればおのずから、現下の日本社会の読書離れを知ることとなる。確かに現在は、多くの人たちは「アマゾン」など、インターネット上の流通網を通して、書物を買ってはいるようである。
 定年(六十歳)直後の私は、暇つぶしに鎌倉市が運営する大船行政センター内にある図書室へ出向いていた。しかし、その行動は長く途絶えている。そのため私は、一般の人の現在の図書室利用状況を知るよしない。大学生にかぎれば先日のテレビニュースは、大学生の読書離れにかこつけて、このところの図書室や図書館の様変わりぶりを報じていた。ひと言で言えばその変容は、読書離れの学生を図書室や図書館へ誘い込む作戦や企(くわだ)てだった。しかし、知恵を絞ったそれら企ては、私には異様と思えるものが多かった。一つには、綺麗な装いの談話室を併設したところがあった。また、ある大学では、喫茶はもとより軽食可能なカフェみたいに綺麗にととのえられたスペースが設けられていた。すべては、読書離れの学生を誘い込むためのリニューアル(模様替え)である。意図した大学関係者は、その効果に少なからずほくそ笑ん(悦に入って)でいた。ところが、カフェまがいのところに居並ぶ女子学生は、本を手にすることなく、にこやかに談笑しながら軽食を頬張っていた。とうてい読書離れを阻止できそうもない、姑息(こそく)な光景だった。
 この光景を観ていた茶の間の私と妻は、相和して共に嘲笑を浮かべていた。なぜなら、本末転倒はなはだしい、余りにも馬鹿げた光景だったからである。大学生の活字による読書習慣は、もはや過去遺物へと様変わりしていると、言えそうである。なぜなら、書物による情報や知恵の習得は、手軽なスマホ一辺倒になり替わっているのである。どんな企てをしても図書室や図書館は、大学生のみならず過去の栄光はもはやよみがえりそうもない。その根源は、日本社会の人口減と高齢化、加えてだれもかれもが大学生になり得る大学の大衆化が加速しているからである。
 読書離れにまつわる、当たるも八卦、当たらぬも八卦のわが勘繰りの一考察である。
母の面影 
 きょうは「母の日」(五月十三日・日曜日)ということで、生前の母の面影を偲んでいる。しかし、母の日にかぎらず母を偲ぶことはしょっちゅうである。なぜなら、まったくの無償で、かつ手間暇をかけずに、みずからの心が満たされるからである。
 生前の母の外形は短躯かつ小太りで、さらに顔かたちは美形の範疇(はんちゅう)からほど遠いものだった。ところが、子どもの私は、母の外見すなわち見目を気にすることなど、一度もなかった。子どもにとって母とは、私にかぎらずだれしもそうであろう。子どもにとって母の尺度は外形ではなく、内面すなわち愛情の深さであろう。
 確かに、世間一般、子どもにたいする母親の愛情は、人それぞれに独自のものであり、人様と比べる類(たぐい)のものではない。なぜなら、愛情とは心のほとばしりであり、モノのように秤(はかり)にかけることはできない。つまり、母の愛情は、子どもがそれを感じれば十分である。この点わが母の愛情は、私にはそれ以上のありようはないほどに十分だった。
 世の中の母のわが子にたいする愛情に、いろいろと御託(ごたく)を並べても始まらない。なぜなら、母のわが子にたいする愛情は、一様にかつ不変である。母の存在は、「優しかった」という、一語では表せない。だから私は、母の面影を偲ぶのである。かぎりなく母の姿が彷彿(ほうふつ)する、のどかな初夏の夜明けが訪れている。この時期の母は、腰を屈(かが)めて、苗床(のうとこ)づくりに勤(いそ)しんでいた。

虫けらのわが思い  

 「嘘も方便」というけれど、こんなにも多く世の中に嘘が氾濫すれば、人の世は混乱する。しかもそれは、見え透いた嘘ばかりである。オレオレ詐欺に似た現象が、このところの日本社会を覆っている。ところがその悪業は、よりにもよって日本の国の舵取りを担う、為政者からもたらされている。忠実とは、もはや善徳ではなく悪徳である。こんなことがしがないわが胸中に浮かぶようでは、なさけない世の中である。
 多くの庶民は、介護されたり、介護したり、あるいは苦しい闘病生活に明け暮れて、ひたすら生き続けることに必死である。為政者の月給や俸給に替わる血税は、もっと実のある使い方であることを願うばかりである。
 「寸鉄人を刺す」言葉にはほど遠いけれど、きょう(五月十二日・土曜日)のわがせつない提言である。柄にもない戯言(ざれごと)しか浮かばないようでは、やはり休むべきだったのかもしれない。自然界のもたらす初夏の朝日は、のどかに光っている。だから余計、人の世がなさけなくもある。

わが憂い 

 五月十一日(金曜日)。やりきれない気持ちでこの文章を書いている。いや実際のところは、メディアの伝える配信ニュースを引用している。このところの副総理のセクハラにまつわる見識や人格を疑う発言、きのう(五月十日・木曜日)の元首相秘書官招致をめぐる衆・参国会の空虚さなど、私は日本の国の政治(家)の劣化ぶりに腹立ちさつのらせている。もちろん、自己保身一辺倒に意味なく離合集散を続ける野党を含めてである。
 <加藤衆院議員「子供は3人以上を」 数時間後に撤回>(毎日新聞 2018年5月10日21時8分)。「自民党細田派の加藤寛治衆院議員(72)=長崎2区=は10日の派閥会合で『私は結婚式(のあいさつ)では、ぜひとも3人以上、子供を産み育ててほしいという話をする。努力しても子供に恵まれない方に無理を言うのは酷だから、そういう方々のために必要なんですよ』と述べた。出産人数に干渉するような発言で、加藤氏は事務所を通じ発言を撤回するとのコメントを出した。」
 もう、おしまい!

いたずら書き 

 五月十日(木曜日)の夜明け前、二日ばかり続いていた寒気は、どうやら初夏の候の状態に戻っている。寒々と降り続いていた雨は、降り止んでいる。歓迎すべき気象の戻り現象である。このところの人間界、特に政治家が盛んに用いているものには、舌を噛みそうな「不可逆(的)」という言葉がある。この言葉の使用には、元へは戻ってほしくないという、意味で盛んに用いられている。具体的には北朝鮮の前向きへの変化が、元に戻らないことを警(いまし)めて用いられている。
 漢字を眺めれば、おのずからその意味はわかる。しかし、あえて電子辞書を開いた。
 <不可逆>「一度変化したものが、再び元の状態に逆戻りできないこと」。
 このところ降って湧いたごとくに盛んに用いられているのは、北朝鮮の悪の習性ともみられている、言動の戻りに釘を刺しているのであろう。確かに、北朝鮮のこれまでのたび重なる不義理を恐れて、警めや牽制の言葉としては正しく、それゆえに用いたくもなるのであろう。
 こんなことは、この文章の本意ではない。実際には書く事柄がまったく浮かばずに、ふと浮んだ言葉を出しにして、いたずら書きをしているにすぎない。私は長いあいだ、わが周辺事情の文章を書き続けてきた。その間の多くには、メディアの報じる配信ニュースをそっくりそのまま引用(コピペ)し続けてきた。この先、配信ニュースの引用は尽きることはない。だからと言ってそれだけでは、もちろん味気ない。しかし、わが周辺事情は、もはや書く事柄はどん詰まりである。強いて書けば、二番、三番はおろか数番煎じを免れず、これまたとことん味気ない。つまり、現在の私は、書き手としては最もみっともない、ネタ切れの袋小路に嵌(は)まりこんでいる。いや実際のところはどうにかネタはあっても、書く能力の無さに見舞われている。結局、どうあがいてもまったく矯正しようのない、生来の「身から出た錆」の苦悶のさ中にある。その挙句、キーボードに向かっても何も浮かばず、こんないたずら書きをしている。やはり、休むべきだったのかもしれない。しかし休めば、こんどはいつものように再始動が危ぶまれてくる。すると、それを恐れることになる。
 現在の私は、にっちもさっちもいかない袋小路に嵌まりこんでいる。ネズミであれば、「窮鼠(きゅうそ)、猫を噛む」状態にある。しかし、現在の私には、そのような敢闘精神はまったくない。能力は、もとより欠けている。とどのつまり、わが身周辺でネタになるような事柄を探せば、身体の不調や異変にまつわるものばかりである。内臓器官の異変に自覚はない。ところがこちらは、無自覚に病に冒されていることはある。一方、自覚をともない日々悩まされているものには、目(眼医者)、耳(耳医者)、歯(歯医者)がある。ところが、これらをネタにして継続の頓挫を免れたとしても、私自身なさけないばかりで、もちろんちっとも感興に浸ることはできない。きょうの文章は、ネタ切れに喘ぐわが苦悩の吐露である。やはり、休むべきだった。
 ようやく、初夏らしいのどかな夜明けに戻っている。人間界には、不可逆(的)という言葉が溢れているけれど、自然界の恵みを見るかぎり、必ずしも元に戻ることはわるいことでもないと言えそうである。不可逆(的)という、言葉の用い方には、私自身的外れを自認している。それでも、ふとこの言葉が浮かばなければ、こんな書き殴りの文章さえ、書けずじまいだったのである。

寒波が堪えて、つれづれに 

 五月九日(水曜日)、夜明け近くにあって、きのうの雨はまだ降り続いている。きのうは茶の間に居て、一日じゅう暖房装置のエアコンを回した。書斎もどきの部屋の中は、現在なお寒々としている。思わぬ冷え込みを防ぐためにわが身なりは、冬同様の防寒重装備にある。
 きのう(五月八日・火曜日)、気象庁は沖縄地方の梅雨入りを宣言した。ところが、それより北に位置する鹿児島県奄美地方には、その前日(五月七日・月曜日)、日本列島の今年最初の梅雨入りが宣言あった。日本列島を覆う気象は、一日違いとはいえ、いくらかちぐはぐである。わが家周辺の異様では、道路を挟んで建つ空き家の植栽にあって、毎年咲き続けてきた見事なシャクヤクが、今年は咲かないままである。どうやら、枯れているようである。借景とはいえ、毎年愉しみしていた風景であり、残念至極と同時に心(うら)寂しい思いがある。
 きのうのわが家は、前日の私と入れ替わりに妻は、「大船中央病院」(鎌倉市)の整形外科の外来へ出向いた。先日の下腹部のレントゲン検査の結果を聞くためであった。妻の報告によれば、幸運にも異状なく無傷放免だった。妻は晴れ晴れとした面持ちで、わが家へ帰ってきた。ところが、しばらく休んでこんどは、風雨荒(すさ)ぶ中、「斎藤歯科医院」(横浜市栄区)へ出かけた。妻は、掛け持ち受診だった。
 きのうの夜の私たちは、阪神タイガース対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)のナイター(夜間試合)のテレビ観戦に興じた。試合経過はわが夫婦の胸の透く、タイガースの9対0の圧勝だった。試合の途中テレビ画面に、突然テロップが流れた。表示は、イランの核合意からアメリカ・トランプ大統領の離脱を伝えるものだった。私には、テロップで流されるほど大事なことなのか? まったく知るよしないものだった。私は、日本列島における地震発生を知らせるテロップでないことに安堵した。
 ふるさと・熊本県地方は、このところ豪雨に見舞われている。テロップはその被害状況でもなかったので、放念を得たのである。また、テロップが流れた。こんどは、北朝鮮の朝鮮労働党・金正恩(キム・ジョンウン)委員長の中国・習近平(シーチンピン)国家主席との再度の会談を伝えるテロップだった。きょうには、日中韓の首脳会談が予定されている。すなわち、日本・安倍総理、中国・李克強(リ・コウチャン)首相、そして韓国・文在寅(ムン・ジェイン)大統領の会談である。近く日取りや場所が公表されるという、米朝首脳会談をひかえて、朝鮮半島をめぐる政治情勢は丁々発止の駆け引きのさ中にある。
 あす(五月十日・木曜日)には、柳瀬元首相秘書官の国会招致が予定されている。これと引き換えに国会審議は、きのうから正常に復している。最後に経済界のトピックスを一つだけ添えれば、武田薬品は6・8兆円を投じて、アイルランドの製薬大手、シャイアーの買収合意に達したという。一民間会社の破天荒の大型買収劇である。現役時代製薬業界に勤務していた私は、海の向こうの会社にこんなにも大きな投資をして、はたして引き合う(採算ありや?)のだろうかと、危惧するばかりである。
 直近のわが家の事情や世相を書き殴りで記して、エアコンの回る茶の間へ下りてゆく。かたじけない。

 外来患者が溢れていた

 きょう・五月八日(火曜日)の文章は、きのうの続編みたいなものである。私は、午前九時の予約時間に合わせてわが家を出た。定期路線バスを降りて、「大船中央病院」(鎌倉市)に着いたのは、午前八時四十分近くであった。診察券を自動投入機に入れて、所定の手続きを済ました。こののちは、建て増しを繰り返し迷路みたいになっている、くねくね曲がりの長い廊下を急ぎ足で歩いた。確かに、くねくねと曲がってはいるけれど、今や勝手知ったわが道でもある。病院内が自宅のように馴染むのは、もちろん誇らしいことでもうれしいことでもなく、とことんなさけないことである。
 この日の目当ての消化器内科の受付窓口前に着いた。廊下の行き止まりの土間には、診察室を前にして、前・横に十脚ほどのベンチスタイルの長い椅子が置かれている。どこの病医院でもよく見られる、待合室風景である。ベンチに腰を下ろしていると順番に、診察室から「〇〇さん、〇番にお入りください」のお声がかかる。患者には老人が多いためか、結構大きなマイク音が響いてくる。ところが私は、その音を聞き逃すまいと、持参の集音機を両耳に嵌(は)めた。
 受付手続きを済ませた外来患者は、それぞれが自分の診療科へ出向くことになる。確かに、受付手続きをするあたりには、順番待ちをする外来患者がごった返していた。しかし、消化器内科の待合室へ向かうまでの私は、待合室はひっそり閑(かん)とまではいかなくとも、いまだ空っぽみたいだろうと、思っていた。ところが、案に相違しベンチの空席は、わずかにすぎなかった。私の予想は、先駆け外来患者の多さを目にしてたちまち外れた。私は、愕然というより唖然とした。
 私は所定の手続きを済ませたファイルを携えて、消化器内科の受付窓口へ近づいた。応対に出られた女性窓口スタッフにたいし私は、「おはようございます。前田です。九時の予約になっています」と、告げた。スムースに受付を終えた私は、しばし佇みあらためてベンチの空席を探した。おもむろに空席に腰を下ろした。こののちは、診察室からわが名が呼ばれるのを、耳を澄まして待つだけである。
 診察室には、一番から四番までの番号が付けられている。わが主治医の吉田先生の診察室は、三番である。このことでは、一、二、そして四の呼び出しマイク音は、耳障りになるくらいで、私にはまったくの用無しである。午前九時、すなわち初っ端の診察か? と、思える予約時間であり、私はベンチに居並ぶ多くの外来患者を出し抜いて、真っ先に呼ばれるものと、高をくくっていた。同時に、心中では(申し訳ないなー)という、思いが蠢(うごめ)いていた。
 ところが、私の勝手な思いは外れて、私より先に何人もの人が、「〇〇さん、三番にお入りください」と、マイク音が告げられた。それに呼応しベンチから腰を上げて、三番診察室へ向かった。集音機を嵌めていても実際のところ私は、極度の緊張感をいだいて、大きなマイク音に両耳を欹(そばだ)ていた。このところ難聴が強くなるにしたがってここだけでなく、眼医者、歯医者、耳医者、そしてほか、今や待合室は、私の修羅場と化している。すなわち私は、診察室からの声を聞き逃すまいと、太身(ふとみ)が細るほどに緊張しきっている。そのため用意周到に、「私は耳が遠いですから、できるだけ大きな声でお願いします」と、スタッフに告げておくこともある。しかしここだけは、そうお願いするには恥ずかしいほどの大きなマイク音である。
 それでも私は立って、受付窓口の担当者とこんな会話を交わした。
「私は耳が遠いんですけど、もう、前田と呼ばれましたでしょうか?」
「まだのようです」
「そうですか。すみません」
 こののちは、待合室のベンチには戻らず勝手に中に入り、三番診察室のドア近くに置いてある一脚のベンチに腰を下ろした。わが耳に頼るための恥を忍んでの行為であった。
 名を告げられた何人かの人が、私のかたわらのドアコツコツと叩いて、診察室に入った。それらの人が出て来ると、(こんどは自分かな?)と、身の引き締めと耳澄ましを繰り返した。ようやく、マイク音は「前田さん、前田しずよしさん、三番へお入りください」と、鮮明に聞こえた。しかし、すぐにドアを叩くことには一瞬気が引けた。そのため、意図して呼吸をととのえわずかの間を置いて、コツコツと叩きドアを開けた。
「おはようございます。前田です。先日は、妻の診察でお世話になりました」
 と言って、挨拶した。吉田先生は、にこやかだった。
 わが両耳には、胸にだらりと紐の垂れた集音機が嵌めらていた。このことは、「私は難聴ですから、集音機を嵌めていいでしょうか」とお尋ねして、集音機買いたての診察のおりに許可を願っていた。
 この日の吉田先生は、いつもにも増してわが耳にお顔を近づけて、なおそのうえに大きなお声で対応してくださった。先ずは、
「先日の奥様の内視鏡検査では、奥様を痛い目に合わせて、申し訳なかったですね。次からは、わたしが万全を期しますから、そうお伝えください。ところで、奥様はいかがですか?」
「ありがとうございます。先生の診察のおかげで、すっかり家庭内が明るくなっています」
 吉田先生は、私のことではモニター画面を観ながら、
「その後、何かかわったことありましたか?」
 と、短く尋ねられた。
「いいえ、昨年の秋、十一月の内視鏡検査以来、自覚症状はまったくありません。食欲も旺盛で、さらにプクプクと太りました」
 すると、吉田先生は、
「また、秋に胃カメラだけやりますか? どうされます?」
 と、言われた。
「大腸カメラは、次にはやらずによいと、言われましたね。先生にお任せいたします。ただ、私は胃カメラだけならやっておこうかと、思っています」
「そうですね。秋にしましょうか。それとももっと早くしましょうか」
「お任せいたします」
「七月三十日は、どうですか?」
「わかりました。よろしくお願いします。きょうはこのことで終わりですね」
「検査の説明がありますから、外でお待ちください」
「わかりました。ありがとうございました」
 診察室の外では、女性看護師から、今や聞くまでもない慣れた説明を受けた。
 待合室をあとにして、自動料金支払い機に診察券を投入した。220円と表示された。帰途には、西友ストア大船店に立ち寄り、赤飯弁当に替わり、張り込んでにぎり寿司弁当を二折り買い込んだ。
 大型連休明けの月曜日のせいかどうか知らないけれど、外来患者の多さにびっくりした一日だった。病と闘っているのは私だけでないことを痛感し、家路に就いた。初夏とは言えない、曇り空があたり一面を覆っていた。

 月曜病に替わる憂鬱

 五月七日(月曜日)、大型連休明けの夜明け訪れている。現役時代に味わった連休明けの月曜病は免れている。しかしながら今の私の気分は、ちょっぴり鬱陶しいところがある。季節のめぐりは、すでに「立夏」(五月五日・こどもの日)が過ぎて、文字どおり初夏の候にある。古来、初夏には「風薫る」という季節用語の冠(かんむり)がつく。雨の多い梅雨季を次月(六月)にひかえる五月は、おのずから季節の恩恵を堪能すべき好季節である。
 そんな中、今年(平成三十年・二〇一八年)にかぎれば私には、二つの通院日が予約されている。一つは、きょうの「大船中央病院」(鎌倉市)における通院である。もう一つは、「田園眼科医院」(五月二十一日)における、緑内障の経過診察である。
 妻を含めたわが家に置き換えれば、妻の場合、あす(五月八日・火曜日)には、大船中央病院と「斎藤歯科医院」(横浜市栄区)におけるかけもち通院がある。これらを浮かべればせっかくの好季節は、自然界の恩恵を放棄せざるを得ない、わが家のなさけない営みである。
 確かに、現役時代の月曜日は免れている。ところが、必ずしも心穏やかな朝でないのは、老齢の身のつらさである。きょうの私の診療科は、消化器内科である。そしてその診断には、再びの胃カメラ検査の是非が下される。すなわち、昨年の秋(十一月)以降の経過を診て、主治医・吉田先生の判断が下されるのである。再度の胃カメラ検査の必要性が告げられるかもしれない。
 昨年の診察のおりの吉田先生は、モニター画面を凝視しながら、「傷はなくなっていますね」と言って、治癒診断をされた。しかしながら、吉田先生の面持ちには、いくらか腑に落ちない様子が窺えた。実際には、きょうの予約日が告げられたのである。吉田先生にすれば、いくらか疑心暗鬼にとらわれた胃カメラ映像だったのであろう。そのことでは、腑に落ちない治癒宣言だったのかもしれない。特に、鮮明に胃カメラが映し出していた部位は、十二指腸である。前年の検査結果で良性とは言われていたけれど、確かな病根が映し出されていた部位である。ところが、秋の検査結果では、病根そのものが消えていたのである。きょうの吉田先生の診立てが気になるところである。私は「先生、また胃カメラ検査をお願いします」と、自主申告するかもしれない。しかし、昨年の秋以来わが身体は、食欲旺盛のせいで痩せることなく、さらにプクプクと太っている。確かに、自覚症状はまったくない。しかし、主治医先生が腑に落ちなければ、モルモットの私は、進んで胃カメラを胃腑に呑み込むべきであろう。
 予約時間は、午前九時である。たぶん私は、きょうの先生の仕事始めの一番目の患者であろう。月曜病に罹られているかもしれない吉田先生の診断は、私とてよくもわるくもそう気に懸けずに済みそうである。それでも患者の私は、予約に背くことはできない。そのため、この文章は閉じて、通院準備にとりかかるところである。

 人間技の堪能

 テレビ観戦を終えて床に就いたのは、日を替えて、きょう(五月六日・日曜日)の午前一時近くだった。そのため、睡眠不足で現在の私は、寝ぼけまなこをこうむっている。しかしながら、この寝ぼけまなこには、まったく恨みつらみはない。また、いつもの寝不足とは違って、気分はさわやかである。なぜなら、日本女子チームは優勝こそ逃したもののその戦いぶりを堪能できたからである。
 チームの戦いには、おのずから相手がいる。昨夜の日本女子チームの相手は、中国女子チームだった。実際には私は、両チームの戦いぶりに堪能したのである。
 <日本女子、中国に敗れ銀 47年ぶり偉業届かず 美誠は涙の大逆転勝利>(5/6・日曜日、0:03配信 スポニチアネックス)。「卓球・世界選手権団体戦第7日(2018年5月5日 スウェーデン・ハルムスタード)。女子決勝で日本は中国に1―3で敗戦。第1試合で伊藤美誠(スターツSC)が劇的な逆転勝利を収めたが、71年名古屋大会以来となる47年ぶりの金メダル獲得を逃した。第1試合に登場した伊藤は、劉詩ブンとフルゲームの熱戦を展開。第5ゲームは先にマッチポイントを握られたが、そこから怒とうの4連続ポイントで12―10と逆転。崖っぷちからの劇的な逆転勝利に伊藤は思わず涙を流した。しかし、ここから王者・中国が本領を発揮。第2試合で平野美宇(日本生命)がリオ五輪金メダルの丁寧に、第3試合で石川佳純(全農)が世界ランク2位の朱雨玲にストレートで敗れた。後がなくなった日本は、第4試合で平野が劉詩ブンと対戦。第5試合の伊藤へ望みをつなぎたかったが0―3で敗れ、およそ半世紀ぶりの偉業にあと一歩届かなかった。日本は今大会の1次リーグを5戦全勝で突破。準々決勝はウクライナを下し、4日の準決勝では急きょ結成された韓国と北朝鮮の合同チーム「コリア」を3―0で撃破して決勝進出を果たしていた。」
 実際にはありえない神技(かみわざ)ではなく、両チーム共にけた外れの人間技であったのである。わが家に居ながらのテレビ観戦の醍醐味だった。大型連休の最終日の朝を迎えている。Uターンラッシュに遭って、「草臥(くたび)れ儲け」だけの行楽帰りの人も多いようである。それらの人たちに比べれば、わが寝ぼけまなこはすこぶるつきの快楽である。

 変質する日本社会

 のどかであるべき「こどもの日」(五月五日・土曜日)にあって、日本社会の憂い事を記すことには、気が留めるところがある。しかし、この配信ニュースにあっては、少なからず衝撃を受けた。それは、これまで知らないで過ぎていたことを知らされたからである。
 < 生活保護の外国人最多、バブル期背景か 16年度月平均4.7万世帯>(5/3・木曜日、 7:15配信 SankeiBiz)。「生活保護を受けている外国人が2016年度に月平均で4万7058世帯に上り、過去最高に達したとみられることが2日、政府の調べで分かった。日本語能力の不足で職につけない外国人が多いことなどが理由とみられる。人手不足が深刻化する中、政府は2月の経済財政諮問会議で、外国人労働者の受け入れ拡大方針を示したが、福祉のあり方まで含めた的確な議論や対策が求められる。厚生労働省によると、16年度の外国人が世帯主の生活保護受給世帯数は月平均で前年度比0.4%増。景気が上向いているここ数年は伸びが鈍化しているが、06年度(3万174世帯)からの10年間で56%増えた。また人数ベースでみても外国人が世帯主の世帯生活保護の受給は大幅に増えている。16年度は月平均7万2014人と、06年度の4万8418人から48.7%多くなった。一方、在留外国人全体の人数の増加率は、ほぼ同時にあたる07年末から17年末にかけての10年間で23.8%にとどまっている。外国人の生活保護受給が増えている背景には、バブル期の人手不足で労働者として大量に入ってきた日系南米人などが、リーマン・ショックなどによる景気悪化で解雇後、日本語が話せないため就職が難しいことだとされる。また、1982年の難民条約発効に伴う国民年金法の国籍条項撤廃で、老齢年金の支給対象から外された在日外国人が高齢化し無年金状態であることも大きいとみられる。」
 この記事を読んで私は、咄嗟に「変質する日本社会」という表題を浮かべた。「少子高齢化社会」および人口減少傾向の日本社会にあって、ままならない現実の一端である。世の中には、大型連休を恨めしく思う人たちはたくさんいる。「立夏」、のどかに行楽日和の朝ぼらけが訪れている。

寂しいニュース 

 大型連休は、きのうの「憲法記念日」(五月三日・木曜日)を初日とする後半の四連休のさ中にある。きょうはその二日目の「みどりの日」(五月四日・金曜日)である。私は夜間の二時近くに起き出してきて、すでにマスメディアの報じる様々な配信ニュースを読み尽くしている。それらの中にあって私は、いよいよ来たか! という、こころ寂しいニュースに出遭っている。もちろん、感慨一入(かんがいひとしお)と言うものではなく、ただただ寂しさだけがつのるばかりである。
 このためきょうは、その配信ニュースを引用し、「ひぐらしの記」に記しとどめ置くものである。わが日常生活にあって、大きな関心事が消え去り、こころ寂しいかぎりである。もちろんこの寂しさは、単なる野球ファンにとどまるものではなく、ひとりの人間の生き様の余儀ない変容によるものである。
 <イチロー、今季残り出場せず 球団アドバイザーに就任>(2018年5月4日02時05分、朝日新聞デジタル 共同)。「大リーグで歴代21位の通算3089安打を放ったマリナーズのイチロー外野手(44)=本名・鈴木一朗が球団の特別アドバイザーに就任し、選手としては今季の残り試合に出場しないことが3日、複数の球団関係者の話で分かった。ベンチ入りの25人枠から外れるが、球団と生涯契約を結んでチームに同行し、練習しながら選手らをサポートする。来季以降は試合出場も可能という。米国時間3日(日本時間4日)に発表される。関係者によると、メジャーでも極めて異例の契約内容。本人は従来50歳までの現役続行を公言するなどプレーをする意欲は高く、来季以降にマリナーズの一員として故障者が出た場合などに選手としてプレーする可能性があるという。この契約を結ぶことで日本球界に戻る可能性はなくなった。マリナーズは4日(日本時間5日)から本拠地シアトルでエンゼルス3連戦を予定しているが、大谷翔平選手との対戦もなくなった。イチロー外野手は昨季限りでマーリンズからフリーエージェント(FA)となり、2012年途中まで在籍したマリナーズに6年ぶりに復帰。大リーグ現役最年長野手で、今季は控え外野手としてチームの29試合のうち15試合に出場。先発出場したのは13試合で、9安打、打率2割5厘にとどまった。プロ野球オリックスからメジャー移籍した01年にア・リーグの最優秀選手(MVP)などに選ばれ、オールスター戦には10年連続で選出された。(共同)」。
 大リーグでは、今年(二〇一八年)新入団の大谷選手の活躍ぶりが話題沸騰となり、一方イチロー選手が実質現役プレイヤーを離れていく。「時の流れに身をまかす」には、ほとほと寂しいかぎりである。海の向こうで、時がアッケラカンと流れてゆく。 

散文と韻文 

 私は表現に何ら制約や制限のない文章を書き殴りで書いている。文字どおり散文である。文章素人の私にとっては、それが書き易いからである。散文と対比されるものでは韻文(いんぶん)がある。私の場合こちらは、一筋縄ではいかない。今さらながら私は、電子辞書を開いて互いの意味調べを試みている。まるで物心つき始めの頃へ戻ったような、なさけない意味比べでもある。
 <散文>。「(「散」は制限のない意)平仄(ひょうそく)・韻脚もしくは字数・音節などの制限のない通常の文章。韻文と対比する文。」
 <韻文>。「①一定の韻字を句末に用いて声調をととのえた文。歌・詩・賦の類。②詩の形式を有する文。すなわち、単語・文字の配列や音数に一定の規律のあるもの。詩・短歌・俳句の類。散文に対比する文。」
 これらの説明の中に「川柳」の文字はない。そのため私は、あえて川柳を見出し語において、説明書きを読んだ。
 <川柳>。「(川柳点の略から)前句付けから独立した17字の短詩。江戸中期、明和(1764~1772)ごろから隆盛。発句とは違って、切れ字・季語などの制約がない。多く口語を用い、人情・風俗、人生の弱点、世帯の欠陥等をうがち、簡潔・滑稽・機知・風刺・奇警が特色。江戸末期のものは低俗に堕し、狂句とよばれた。」
 川柳に付随しておさらいをすれば、川柳は柄井川柳の名に基づいている。わがふるさと県・熊本には、方言をあまねく駆使して表現する、「肥後狂句」が存在する。
 韻文の中で俳句と川柳(狂句・肥後狂句)は、基本「五・七・五」すなわち十七文字の韻文であり、短歌(和歌)は「五・七・五・七・七」すなわち三十一文字の韻文である。だれでもわかりきっていることを苦労して長々と書いた。要は、韻文を味わうには言葉や文字の真髄を知り、世事に長(た)けていなければならないと、自己警(いまし)めを促したものである。すべてはしがないわが身にとりつく、「あとの祭り」である。

 不誠実

 五月二日(水曜日)、パソコンを起ち上げて、いつものよういメディアの伝える配信ユース項目を眺めた。すると、次の項目に出合った。<加計問題>柳瀬氏、面会認める意向 国会答弁へ(毎日新聞)。見出しだけで、事のいきさつは十分に分かるものである。しかしながら私は、見出しだけにとどまらず、長い記事を読んだ。あえてその記事の引用は、省くこととする。ご当人はもはや嘘を吐いて、逃れ続けることを観念されたのであろう。
 このところの日本社会は、頓(とみ)に鬱陶しさに覆われている。ところがその元凶は、よりにもよって政、財、官からもたらされている。具体的は、彼らの言動の不誠実である。確かに、日本社会にかぎらず世界中にあっても、フェイクニュース(嘘、虚報)の横行が取りざたされている。こんな世相にあっても私は、日本人の誇れる気質は、勤勉と誠実と思っていた。しかし、両極を成す一方の誠実は、今やズタズタに劣化を続けている。特にその根源は、日本の国の為政を司(つかさど)る政治家と官僚からもたらされていることには、かえすがえす残念きわまりない。彼らの常套語を用いれば、この現象は甚(はなは)だ遺憾(いかん)と、言わざるを得ない。
 常日頃、こんな光景に出合うたびに私は、なんで彼らは見え透いた嘘や言い逃れをするのだろうかと勘繰り、無性(むしょう)になさけなさと虫唾(むしず)が走る思いに沈んでいた。彼らの不誠実さによって、肝心要の国会は空転し、つれて日本社会には鬱陶しさが濃霧のように覆っている。市井(しせい)の民は、生きにくい世の中を生き抜くために、誠実に必至である。ところが、後顧の憂いなく選ばれた人たちは、自己保身のために、不誠実に必至である。雲上人は武士道にのっとり、潔く「はい、わたしがやりました」と、なぜ言わないのだろうか。小学校では彼らの指導で、「道徳」が教科になるという。あな、あほらし!

五月の風 

 一年先まで生存が叶い、そして「ひぐらしの記」の継続があれば、来年のきょうには次のような書き出しが予想される。平成はきのうで閉じて、きょうは新たな時代(元号)の幕開けを迎えている。一年先の出来事を先取りすれば、きょう・平成三十年(二〇一八年)の五月一日(火曜日)は、ことさら感慨深いものがある。もちろん、当事者の平成天皇陛下と皇太子殿下の感慨は、想像するに余りある。すなわち、来年のきのう(四月三十日)は、平成天皇陛下の退位日であり、そしてきょうは皇太子殿下の新天皇陛下への即位日となる。新たな元号は未定だけれど、それが公表されれば日本社会の関心事は、早や新天皇陛下と新たな時代の幕開けに様変わりするであろう。何はともあれこの先一年、平成時代の平穏無事を願うところである。
 三連休去ってきょうとあす(五月二日・水曜日)は、後半の四連休の合間の平常日である。その証しを示すかのようにきのうのNHKテレビニュースは、高速道路の上りの混雑ぶりを伝えていた。しかしながら人によっては、きょう・あす共に有給休暇を取り、文字どおり大型連休を堪能する人が多いであろう。幸運にもきのうには、愛媛県今治市内の刑務所から脱獄し、逃亡を続けていた脱獄者は、広島市内で捕(つか)まったという。メディアの伝えるところによれば脱獄者は、島から海を泳いで対岸へ渡ったという。このことだけでも脱獄者の必死の形相が浮かび上がる。まるで、創(つく)りもののサスペンス映画やドラマを観るような、リアル(現実)の逃亡劇だったのである。
 必死の逃亡を敢行した理由として脱獄者は、「刑務所内の人間関係が厭になった」と、嘯(うそぶ)いている。どんな人間関係だったかは知るよしないけれど、まったく身勝手な言い分である。なぜなら、逃亡から捕まるまで捜索に当たった警官、そして周辺の人々は、日夜苦悩と恐怖に晒され続けていたのである。脱獄者の逮捕がなって、ようやく周辺の人たちは、大型連休を楽しむ心境になっているであろう。脱獄者の刑(期)がどんなものかは、現役時代にあって辣腕(らつわん)の刑事であったふうちゃん(ふうたろうさん)の教えを願うところである。
 さて、私の場合は、一年を通して終りの無い連休に明け暮れている。そのため連休を堪能するより、ややもすると飽きあき気分のし通しである。あんなに連休を欲していた会社時代を顧みれば、こんな気分に陥ること自体、贅沢でありもちろんとことん馬鹿げてもいる。私は心中に(大型連休)という、言葉を浮かべながら、心地良い初夏の陽射しがふりそそぐ庭中に腰を下ろした。飽きあき気分を鎮めるため、残していた草取りを始めたのである。
 このとき、実際にわが気分を鎮めてくれたのは、山からとどいたウグイスの清らかな鳴き声だった。ウグイスの鳴き声だけは、わが難聴の耳にも障(さわ)りなく、流暢(りゅうちょう)に入るからまさに天恵である。ウグイスは、何たる美声に持ち主であろうか。姿の醜(みぬく)さ補って余りある、鳴き声の素晴らしさである。天は二物を与えずという。しかし、ウグイスにかぎれば、一物で十分である。
 百円ショップで買い求めたプラスチック製の腰掛けに座りながら、心地よいそよ風を受けると柄にもなく私は、初夏の風には薫りがあると、思った。すると、言わずもがなのことだけど、風薫るとか、ずばり薫風(くんぷう)という、言葉が浮かんだ。生涯学習を志すうえでの言葉の実体験であった。
 取り残していた石積みの脇には、ツワブキが数本茂っていた。確かに、ツワブキ(石蕗)は、文字どおり石のそばにあってこそ、艶やかに凛とした豊かな趣を醸している。これまた、あらためて知る実感だった。いつの間にかわが飽きあき気分は癒され、心地良く和んでいた。
 夜明けて朝日は、ピカピカと光っている。連休明けなく五月の風にたっぷりと浸ることができることは、やはりわが年じゅう休日の醍醐味と言えそうである。新しい時代の初日もこんな気分で迎えることができれば、それはそれで万々歳である。

 「昭和の日」

 四月二十九日(日曜日)、今さらでもないけれど、会社時代を懐かしむ季節が訪れている。きのう(四月二十八日・土曜日)は、五月初旬の大型連休に向かて、まずは三連休の初日であった。実際にはきょうは、日曜日と「昭和の日」が重なって、あす(四月三十日・月曜日)は、そのための振り替え休日である。
 カレンダー上に記されていることを馬鹿丁寧に書いていると、思いは来年(平成三十一年・二〇一九年)の日本社会へ先駆けている。すなわち、平成の年号(時代)もあすになれば、あとちょうど一年で閉じることとなる。今上・平成天皇のご退位は、来年の四月三十日とすでに告知されている。そして、新たな次の年号(時代)は、翌日(五月一日)の現在の皇太子殿下の天皇への即位と同時にスタートする。
 私の場合、昭和(十五年)に生を享(う)けてのち四十八年、次の平成で二十九年を過ぎようとしている。まさしくわが時代は、時々刻々と過去ページへと移ってゆく。そして、寿命という命の期限を免れず、やがて閉じることとなる。もちろんこれは、私だけがこうむるものではなく、人類平等に訪れる宿命である。そのことでは、われひとり嘆くにはあたらないものではある。それでもやはり、命のかぎりを迎えることには寂寥感つのるところはある。
 きのう、わが家の貧相でちっぽけな郵便受けには、一冊の冊子が無理やりに押し込まれていた。冊子は、会社の現役時代を終えた人向けの会誌、言うなれば学び舎の同窓会誌みたいなものである。この種の会誌のご多分にもれず多くの記事は、会員の行動や活動ぶりが写真を添えてさまざまに伝えられていた。六十歳定年からすでに十七年も経つと、記事の投稿者や報告者の名前には、馴染みのない人たちが目立っている。そのぶん、記事への関心は薄くなり、私はほとんど読むこともなく素通りし、最終ページへ目をやることになる。ここには、世の中のこの手の会誌のお決まりさながらに、「おくやみ」欄が設けられている。それを眺めて、私には衝撃が走った。ここでは知りすぎている大勢の名前が羅列されていたのである。しかも享年は七十歳代が多く、それに次いでは八十歳が見受けられた。丁寧にそれを眺めて、わが身にあすはないと、思えた瞬間であった。
 私にとって今やこの会誌は、現役時代を懐かしむ便(よすが)を離れて、わが「今泉台町内会だより」の訃報欄を見る同然に成り下がっている。昭和は遠くなりけりである。もちろんわが命に、残日数はほとんどない。
 きのうのNHKテレビニュースは、大型連休のはじまりを伝えて、海、空、陸、の交通機関の混雑ぶりをやたら滅多らと映していた。ところが、私にはまったく感興湧かず、いやちょっぴり寂しさに耐えかねて、ひっそりと庭中の草取りに腰を下ろしていた。ふるさと帰り、小旅行、近場の行楽には、うってつけの朝日がキラキラと輝いている。嗚呼、情けなや、なさけなや!

のどかな夜明け 

 妻には、暴飲暴食はまったく無縁である。偏食もなく、食材のバランスには、常に心を砕いている。これらのほか妻には、自業自得と思える病の罪作りは見当たらない。このため、きのう(四月二十七日・金曜日)の受検結果における主治医・吉田先生の宣告は、無罪放免というより実際には「無傷放免(むきずほうめん)」と言えるものだった。
 モニターに部位の映像を映し出しながら先生は、「どこにも傷はないです。まったく心配ありません。二、三年は、検査を受ける必要はありません」と、言われた。妻は「よかったわ!」と、私は「ありがとうございます」と言って、共に深々と首(こうべ)を垂れた。無傷放免の瞬間である。
 無傷放免の宣告は、CTおよび大腸カメラという、二つの医療精密機械の検査の証しを得てだった。受検以来この間までのわが夫婦の懸念と憂鬱感はたちまち雲散霧消(うんさんむしょう)し、全天候型に晴れ渡った。大船中央病院(鎌倉市)からの帰途には、足取り軽く「西友ストア大船店」へ出向いた。ここで二人は、祝宴代わりにそれぞれの好みの昼弁当を買った。無傷放免を得た張本人の妻は、大好きな握り寿司弁当を買った。私は願い叶って、これまた大好物の赤飯弁当を買った。気分を良くしていた二人は、これらのほかそれぞれの好物の食べ物を買った。
 定期路線バスを降りてのわが家への帰り道にあっては、出かけとは異なり飛び跳ねたくなるような軽い気分になっていた。路傍の草むらや見渡す野山の風景は、出かけとは違ってキラキラとのどかに見えていた。懸念していたわが家の平和の打ち止めはなく、幸運にもきょう(四月二十八日・土曜日)現在(夜明け前)までに続いている。
 世界の出来事ではきのうは、朝鮮半島の南北の国、すなわち韓国と北朝鮮における雪解けの兆しが見える首脳会談が行われた。NHKテレビをはじめ民放各社は、手ぐすねを引いて朝の九時過ぎから夜間にいたるまで、この報道に明け暮れていた。もちろんこの報道は、鬱陶しさを超越し伝え続けるに値する世界の出来事だったのである。
 私は通院時間間際までライブ(生中継)の映像を観続けていた。そののちは、録画撮りを仕掛けてわが家を出た。数々の映像はこれまでのごたごたからすれば、一変して平和が訪れたようなわが心の和む光景だった。まさに急転直下、青天の霹靂(へきれき)を凌ぐ鮮やかで驚異の両首脳の交流ぶりだった。ところが、番組に居並ぶ有識者やコメンテーターの評価は、共同宣言において非核化の確かな道筋がないことに概してやや辛口だった。しかしながら私は、冬季韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック(二月)前後からここまでたどり着いたことにたいし、称賛を惜しまなかった。なぜなら両国のみならず世界の難事が、一足飛びに解決することを願うことには、余りにも欲張りすぎると言えるであろう。いや確かに、こののちひかえている米朝首脳会談への橋渡しや前哨戦としては、十分にその役割を果たしたと言えるであろう。もちろんこのことは、米朝首脳会談の成否抜きである。いや、必ずしも米朝首脳会談がすんなりと行くとは思えない。それでも、南北首脳会談当日のテレビ映像は、世界平和への足掛かりを表す晴れがましい光景だったのである。
 私はきのうの文章において、二つの平和を願ってずばり「平和祈願!」と、表題を付けた。すると、幸運にも妻にたいする懸念は去り、そして南北両国は平和への緒(ちょ)に就いたのである。大型連休はじまりの三連休の初日にあっては、のどかな夜明けが訪れている。

平和祈願!  

 きのう(四月二十六日・木曜日)の買い物にあっては、予定していたタケノコは急遽(きゅうきょ)やめた。それに代わり衝動的に買ったのは、鹿児島産グリーンピースだった。グリーンピースは、夕御飯の豆御飯の食材になった。炊きたてほやほやの美味しさは、たけのこ御飯と甲乙つけがたく相並ぶものだった。おのずから、きのう予定していた、たけのこ、ノブキ、そして山椒まぶしの混ぜ御飯(木の芽寿司)は、先延ばしとなった。こんなわが家の平和は、きょう(四月二十七日・金曜日)まで続であろうか。
 きょうのわが夫婦の行動には、先日妻が受検した大腸カメラの結果を聞くための通院が予定されている。指定されている予約時間は、午前十一時半である。大船中央病院(鎌倉市)の主治医・吉田先生は、検査後のどんな診立(みた)てを告げるであろうか。わが夫婦に戦慄が走るのか。それとも安堵をもたらすのか。現在の私は、ひたすらわが家の平和が途切れないでほしいと、あてにはならない神頼みにすがっている。
 世界的にもきょうは、不断に増して平和を望んでいる日である。実際にきょうには、朝鮮半島の南北の国すなわち韓国と北朝鮮の間で、韓国・文在寅(ムンジェイン)大統領と北朝鮮・金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の会談が予定されている。北の金正恩委員長がひとり歩いて、軍事境界線を越えて南側の韓国に入る時間は、きっちり午前九時半と伝えられている。こののちは、韓国・板門店で歴史的首脳会談が行われるという。これにかかわるわが関心事は、ミサイル発射の打ち止めや非核化の放棄ではなく、拉致被害者の解放である。南北首脳会談ののちには六月末頃までに、米朝首脳会談(アメリカ・トランプ大統領と金正恩委員長)が予定されている。双方の会談の成功があれば、拉致被害者の帰国の可能性が生まれてくるかもしれないのである。このことできょうの南北首脳会談は、私には海の向こうの会談として、無関心でおれないものがある。
 確かに、拉致被害者の解放が実現しても、日本の国の自力本願ではない悔しさやなさけなさはある。しかし、たとえ他国頼みの他力本願であっても叶えば、まずは手段を選ばず大歓迎である。主治医の無傷宣告で家内平和が成り、南北首脳会談で世界平和の足掛かりがつかめれば、私にとってきょうは記念すべき日となる。そして、そうあってほしいと、やはり私は、神様に祈っている。帰りに、「無傷でよかったね。お祝いに赤飯を買って帰ろうかね?」と、言えれば万々歳である。

大好物三昧の果報者 

 おととい(四月二十四日・火曜日)の妻の通院同行の折りには、帰りに熊本産の甘夏と福岡産のタケノコを買った。どちらも、産地が名高い(ブランド)ものである。共にすでに食べたけれど、確かに期待通りの美味しさだった。タケノコにかぎれば例年と比べて今年は、出始め、旬、そして末(うら)にいたるまで、ほぼ全シーズン食べ続けている。出始めには、亡き義母の里(神奈川県三浦郡葉山町)のお宅から戴いた。次には、追っかけてふるさと便として恩師・平孝代様から戴いた。共に、瑞々しい香りのする掘り立てのものであった。ふるさと言葉で言えば、共に「食いこなさん(食い尽きない)」ほどの大量の戴きものだった。ありがたいことにわが家は、妻共々に大好物のタケノコ三昧に明け暮れた。これほど満喫すれば、未練なく十分である。
 ところが、例年と違って今年は、なおさら浅ましく食欲という、欲の皮が突っ張っていたのである。その証しにそののち、私は二度にわたり行きつけの「大船市場」(鎌倉市)からタケノコを買ってきた。おそらく、これで食べ仕舞いになるだろうと思えた妻のレシピ(調理法)には、そのぶん至れり尽くせりで、三通りがテーブルに並んだ。それらは、タケノコ御飯、醤油煮、そしてワカメまぶしの酢味噌和えだった。ところが欲深い私は、食べ仕舞いを嫌って、悪びれることなくさらにこう言った。
「まだ、大船市場には並んでいるから、もう一遍買ってこようかね。まだ、混ぜ御飯(木の芽御飯)は食べていないね。山椒とノブキは庭の中にあるから、食べたいね!」
 すかさず、妻は笑顔で呼応した。
「そうね。パパ、買ってきてよ!」
 言い出しっぺの私は、きょう(四月二十六日・木曜日)の買い物リスト(メモ)に加えている。ついでに、再び甘夏の袋入り(五個)も買うであろう。すると、買い物用の馬鹿でかいリュックを背負った帰り道のわが身体は、左右によろけながらノソリノソリと進むであろう。もちろん、両手にはレジ袋が重たくぶら下がっている。
 先日のNHKテレビ番組「あさイチ」には、熊本・南阿蘇周辺の特集が編まれていた。その中にあって、盛んに「旬の阿蘇高菜」の光景が映し出されていた。阿蘇の高菜(漬け)は飛び抜けて名産である。もちろんその名に恥じず、日本列島津々浦々の店頭に、普(あまね)く出回っている。このこともあってテレビは、ことこまかに阿蘇高菜(漬け)の様子を映していた。
 すると、これに観入っていた私は、たちまち心中でこんな思いをいだいていた。(高菜の時期にあっては、生前のフクミ義姉さんは、春真っ先から終りにかけて、二度や三度にわたり手作りの高菜漬けを送ってくれていたなあ……)。私にとって高菜(漬け)は、食感の大好物を超越して、今は亡きフクミ義姉さんを偲ぶ、最も大切な縁(よすが)でもある。ところが、フクミ義姉さんとの縁(えにし)は、幸運にもまったく変わりなく、次女の岡崎弘子さん(私には姪っ子にあたる)に引き継がれている。
 おととい、携帯電話の着信音が鳴った。待ち受け画面には、その名が記されていた。私はふるさとの兄の異変を感じて、どぎまぎして受話器を耳にあてた。幸いにも異変は外れて、明朗闊達な言葉が短く弾んだ。
「叔父ちゃん。少しばかりばってん、高菜漬けを冷凍便で送ったもん。食べち、ちょうだい。文子叔母ちゃんにもよろしく!」
「そうか。ありがとう。阿蘇の高菜漬けのテレビ番組を観ていたら、フクミねーさんの高菜漬けを思い出していたよ」
 高菜漬けは、きのう段ボール詰めで届いた。夜になって、お礼の電話をかけた。
「高菜漬け、届いたよ。まだ、食べてはいないけど、ありがとう。うれしいよ。俊裕さん(ご主人)へ、よろしく言ってね!」
「もう届いた? 早やかねー。食べちはいよ!」
 私、いやわが家は、人様の情けを戴いて、この時期の大好物を堪能している。それには、郷愁があい募(つの)っている。

家内安全 

 きょう(四月二十四日・火曜日)の私には、配偶者としての大事な役目がある。それは大腸の内視鏡検査を初体験する妻にたいする、事前指導と通院同行である。ここ三年の私は、毎年この時期には大腸と胃、共に内視鏡検査を実施している。そのためいまや私は、大腸カメラそして胃カメラ共に事前準備と検査当日にたいする心構えは、ベテランの領域にある。もちろん、こんな検査を熟知しているからと言って、人様に褒められたり、自惚れたりできる代物(しろもの)ではない。いや、とことんなさけないばかりである。なぜならこんな検査は、できれば避けて通りたいものの最上位に位置するものである。
 へそ曲がりの私は、初詣や不断の神社仏閣への願いごとの祈りは、あてにならないものの一つとして、意識的に避けている。その一方でわが心中では、絶えず神様にたいし家内安全を願い続けている。元手の要らない心の癒しと言えそうである。賽銭や布施をケチって、家内安全を求めることは、確かに虫が良すぎるであろう。しかし、賽銭や布施をわが身不相応に張り込んで捧げても、願うが叶うとはかぎらない。結局、家内安全とは、さまざまな祈りを超越した現実の出来事である。
 そして、家内安全を叶えることの難しいところは、わが身だけの健康や安全にとどまらず、妻もそうであるべきことである。逆に、妻からすれば自分自身はもとより、配偶者(私)の健康や安全が果たされていることでもある。もちろん、わが家内安全の願いは、わが身と妻の身だけとはかぎらない。すなわち欲張って、娘の家族、身内、親戚、なお広く、友人や知人までにも及ぶものである。しかし、最も身近なところでは、やはり同居する配偶者同士の健康と安全を願うところである。
 先日、妻はCT検査の初体験をした。同時に、記憶にないほど昔に体験したと言う、レントゲン撮影も受けた。このところの妻は、わが内視鏡検査の結果報告への同行を買って出ていた。ところがきょうは逆転行為で、私が妻への同行を余儀なくする羽目になる。私の場合、すでに勝手知った事前準備と検査当日である。このため妻の同行は、結果報告日だけにかぎられている。しかし、妻の初体験のきょうの私は、きのうからの事前準備の指導はもとより、検査を終えるまでの付きっきりの介添え役を自任している。もちろん、家内安全を願っての率先行動である。結局、家内安全とはわが身だけの健康や安全だけでは気がやすまることのない、途方もない願いごとである。
 夜が明けて、そろそろ検査当日の事前準備と指導が始まることとなる。まずわが懸念は、きわめて飲みにくい下剤用の二リットルの水を、華奢(きゃしゃ)な妻の体が受け入れてくれるかどうかである。配偶者(私)の願いには、切ないものがある。

わが人生行路における慨嘆 

 私は馬鹿が重なるほどに愚か者である。なぜなら私は、人生行路において多くの人が体験するさまざまな愉悦や嗜好を未体験のままで、わが生涯を閉じることとなる。
 心中に浮かぶものから、主だった事柄を書き並べると、おおむねこんなものがある。タバコは、たったの一本でさえ未体験である。わが嗜好においてアルコール類は、身体の盲腸さながらに、いまだにこの世における存在意義が不明である。そのため、これに付随する晩酌や酒宴の楽しみは疎遠のままである。マイカー体験もなく、玩具(おもちゃ)代わりの運転の楽しさも未体験である。夢心地になるという恋愛は言うに及ばず、淡い初恋体験さえ素通りに過ぎてきた。近場の物見遊山や小旅行は生来の出不精が祟(たた)り、これらに付随する楽しさは未消化のままである。観劇をはじめ絵画など、文化や芸術の鑑賞もまた無縁のままである。もちろん、競輪、競馬、オートやボートレース、さらにはパチンコにいたるまで、賭け事の楽しみも無縁である。囲碁、将棋、麻雀もおぼえずじまいである。家の中で、独りで耽(ふけ)ることのできる読書や音楽を聴く楽しさにも、無頓着にうち過ぎてきた。
 これらのほか、趣味趣向からもたらされるさまざまな楽しさもまた未体験のままである。もちろんその元凶は、趣味趣向にありつけなかったゆえである。確かに、かえすがえす悔いても、今やどうなるわけでもない繰(く)り言である。すべてはわが小器がもたらしている、わが人生における愉悦と嗜好の逸失(いっしつ)である。
 だからと言って人生終盤にあってまで、無い物ねだりをするのは愚の骨頂である。そのため、現在の私は身の程の処世に甘んじて、小さな楽しみ探しに躍起である。ところが、それがままならない。確かに、いまさら嘆いてもあとの祭りにすぎない。それでもやはり惜しまれるのは、多くの愉悦や嗜好にありつけなかった悔いである。おのずからそれは、わが人生行路における慨嘆である。

人生は有限  

 この配信ニュースには、いつになく厳粛で神妙な気分になった。そのため、引用し記録に留めるものである。まずは故人のご冥福を祈り、同時にご家族にたいしお悔やみを申し上げるところである。
 【<訃報>田島ナビさん117歳=世界最高齢】(4/21(土)23:31配信 毎日新聞)。「世界最高齢とみられる鹿児島県喜界町(喜界島)の田島ナビさんが21日午後7時58分、老衰のため死去した。117歳8カ月だった。家族によると、今年1月に体調を崩し、町内の老人ホームから病院に移り、入院していた。田島さんは19世紀最後の年に当たる1900(明治33)年8月4日生まれで、2015年9月に国内最高齢となった。昨年9月、ギネスブックが当時の世界最高齢と認定していたジャマイカの女性が117歳で死去し、ギネス社が田島さんを世界最高齢に認定するための準備をしていた。男性の世界最高齢は北海道足寄町の112歳の野中正造さん。」
 わがマイナス思考(悲観性質)はつまらない。人生(命)はどんなにもがいても有限である。のどかに朝日が照り輝いている。

「バイキング」 

 加齢はきわめて始末に負えない。確かな病気ではないかもしれないけれど、病状に似た症状はやたら滅多らと、いろんなところに顕われる。知りすぎている二つの言葉の意味比べのために、電子辞書を開いている。
 「忘却」とはすっかり忘れること。「度忘れ」とはふと忘れて、どうしても思い出せないこと。
 あえて電子辞書を開くまでもない、知りすぎている意味違いである。私はこの文章の直前まで、ありふれた日常語をほぼ丸一日にわたり度忘れていた。確かに、度忘れもまた病状さながらの症状である。しかし、こちらは必ずしも加齢のせいとは言えないところはある。文章を著す私にとって語彙(言葉と文字)の忘却と度忘れは、羽を失くした鳥みたいにジタバタするばかりで、前へ進むには手上げである。おそらく、加齢のせいで共にこの現象(症状)は、いや増すばかりである。
 語彙の忘却はもはや取り返しがつかず、そのぶん諦めがつくところはある。それに比べて、厄介なのは度忘れである。なぜなら、単なる度忘れにすぎないと思えば、そののちは思い出すことに焦燥と苦渋を強いられる。しかし、これがまた度忘れ特有に、始末に負えないところがある。実際にこんな言葉が思い出せないかと、思い出すことに躍起となったり、焦れば焦るほどに思い出すことができない。藁にもすがる思いで、次々に類縁の言葉を浮かべても、度忘れた言葉には行き着くことができない。まるでみずからの脳髄がみずからに意地悪しているかのようである。すなわち、自虐である。
 確かに、不断の私は、自虐精神の塊(かたまり)ではある。さらに度忘れが始末に負えないのは、思い出し(復元)を電子辞書はもとより辞書類に頼れないことである。その挙句、思い出すことに呻吟する羽目になる。ところが、ようやく度忘れ言葉の復元に一考が浮かんだ。私はヤフーの検索欄に「食事の形式」と記入し、検索ボタンを押した。度忘れていた言葉が、パッと出た。「バイキング」である。ほぼ丸一日がかりでいろんな言葉を浮かべは探し求めていた、度忘れ言葉の一瞬の解決をみたのである。
 普段、使用頻度抜群のバイキングという言葉の度忘れは、加齢のせいではなく、生来のわが貧弱な脳髄のせいだったのであろう。なさけない文章をつづって、結文である。のろまな私をあざ笑うかのように、いや、萎(な)えていた気分を癒してくれるかのように、のどかな夜明けが訪れている。

休養 

 寝床から起き出してきたら、すでに朝日が煌々と照り輝いている。今朝(四月二十日・金曜日)の私は、就寝時にカラス曲がり(こむら返り)に見舞われたこともあって、極端に気分が滅入っている。この気分は、目覚めてからずっと引きずったままである。おのずから私は、きょうは休養と、決め込んでいたのである。遅い起き出しはそのせいである。
 実際にも現在の私は、休養状態の心地(ここち)にある。そのため、現在の私自身の心象を表す言葉探しを試みた。すると、「鬱勃(うつぼつ)」という言葉が浮かんだ。浅学非才の私は、この言葉の意味を次のようにとらえていたからである。すなわち私は、鬱勃とは気分が大いに滅入る状態を表す言葉としてとらえていたのである。なぜなら私は、鬱は憂鬱を表しそして勃は、よくもわるくも物事が盛ん起きると状態を表す言葉としてとらえていたからである。
 私は、念のため電子辞書を開いた。開いて良かった。電子辞書における鬱勃の意味には、わがとらえていたこととはまったく正反対の説明がつづられていたのである。電子辞書を開かなければこの先ずっと、私は鬱勃という言葉を意味違いのままで用い続けることになる。あな、恐ろしや! ぞっとする誤りであった。
 この文章は、実質休養を決め込んで書いている。ところが、わが「能タリン」を恥じることを憚(はばか)ることなく、言葉を正しくおぼえたことがうれしくて書いている。電子辞書の説明文の示す鬱勃の意味をあえて記すとこうである。
【鬱勃】「①雲などが盛んに起こるさま。また、草木が盛んに茂るさま。②胸中に満ちた意気が、まさに外にあふれようとするさま。例文;鬱勃たる闘志」。
 憂鬱気分に陥っていたことで私は、一つの言葉の学びを得たのである。このことだけを書きとどめて、きょうはやはり休養である。

日本男性の大恥じ 

 「君子危うきに近寄らず」。恥をさらす、あるいは恥さらしという、ことばがある。きのう(四月十八日・水曜日)のテレビ映像には、公務で名を成した二人の恥さらしの状景がこまごまと映し出されていた。味の素ではなく恥の因(もと)は、共に女性にたいするセクシャルハラスメント(性差別表現)だという。二人は、とんだ疑似君子(ぎじくんし)だった。もちろん、恥をやらかした本人二人の大恥じである。いや世間的には、二人にとどまらず日本男性の大恥じである。晩節を汚(けが)すどころか、いまだ壮年働き盛りの身を亡ぼす醜態であった。日本男性の名を貶(おとし)めた、いや日本社会の風上(かざかみ)にも置けないなさけない映像だった。二人のやらかしの余りのあほらしさに、日本男性として共通に愧(は)じている。そのため、しばしわが身を慎みて、これで結文とする。

再びのおねだり 

 周辺を眺めていて気づいたことだけれど、桜はもとより季節の花が替わっている。実際には晩春の花は、初夏の花に替わっている。わが庭中だけでも散り泥(なず)んでいた椿の花は姿を失くし、むさくるしい草花みたいに咲き乱れていたムラサキダイコンもまた、おおかた花びらを落としている。一方、玄関口のツツジは、今や真っ盛りである。私はわが家のツツジの盛りは、五月初旬すなわち初夏の候(立夏・五月五日)と、決め込んでいる。このため、季節外れみたいに咲き誇るツツジの光景に驚いている。この驚きには同時に、せつない季節の速めぐり感がともなっている。すなわち、季節の速めぐり感は、わが余生を脅(おびや)かしている。
 ツツジが終われば、アジサイの季節(六月)の到来である。確かに、庭中のアジサイの葉の色や茂りもまた、例年より濃く盛んのようである。すでに過ぎた桜の開花は、いつもより早いと、ひとしきり巷間(こうかん)の話題になっていた。こんな季節狂いの現象を浮かべると、またぞろ科学者や有識者たちは、地球の温暖化現象のせいだ! と、得たリ顔で決まり文句を言いふらすであろう。ところが、科学や気象にまったく無知無縁の私は、わが身の体験上からして、地球の温暖化現象論は眉唾物(まゆつばもの)だと思って、信じていない。なぜなら、わが世代にあって冬季の寒冷は、いっこうに緩解しない。それでも科学者や有識者たちは、学問上の確かな証しをたずさえて、地球は温暖化傾向をたどっていると言う。凡愚の私は、それには逆らえない。まあこんなことは、私にはどうでもよいことである。
 さて、大沢さまが掲示板上に半月ほど連載されていた『不思議な出来事』は、完結した。私の場合、大沢さまの作品が掲載されると、読者としても同時に「ひぐらしの記」の書き手としても、かぎりなく救われる。読者として救われることは、あえて言うには及ばない。書き手として救われることまた、あえて言うには及ばない。しかし、わかっちゃいるけどこちらには、あえて言わずにおれないところがある。言わずもがなのことだけどそれは、わが苦悶するひぐらしの記を補ってもらえることである。具体的には大沢さまの作品が掲載されると、四苦八苦にさいなまれているわが気持ちはたちまち軽くなる。このたびの『不思議な出来事』は世の中のだれもが、日常茶飯事に医療現場で遭遇する不思議な出来事を実体験に照らし、とことん微細にそして生々しく暴(あば)いてくださったのである。もちろんそれは、わが胸の透く見事な筆致でつづられていた。
 連載終わってきょう(四月十八日・水曜日)の掲示板は元に戻り、ひぐらしの記単独掲載である。言うなれば、私自身救われない日々のはじまりである。もちろん、掲示板上の読者にとっては、物足りない日々のはじまりである。大沢さまの新たな作品にさずかり、わが苦悶を和らげることは、虫がよすぎるであろうか。できれば季節の速めぐり感は、大沢さまの新たな作品にあずかることで、薄めたい思いにかられている。再びのおねだり、山々である。

重なる友情 

 このところの私には、三日連続で余儀ない外出行動が続いていた。過ぎた四月十四日(土曜日)には、孫のあおば(小学五年生・十歳)のピアノコンクールの鑑賞である。翌日曜日(十五日)には、東京都下国分寺市に住む次兄宅へ近況伺いに出向いた。そして、きのう(十六日・月曜日)は、妻の通院に付き添った。妻の通院では、思いも寄らない検査が次々に行われ、さらにはこの先の内視鏡検査の予約などがあり、午後の二時過ぎまでかかった。
 きょう(四月十七日・火曜日)の行動予定は、今のところ空き状態である。しかしながら一寸先は闇であり、前触れの無いどんな行動が飛び込んでくるかわからない。できれば飛び込んでこないことを願っている。なぜなら、人生晩年の余儀ない行動の多くは、できれば避けて通りたい悲報がらみばかりである。このところの私は、生来の「身から出た錆」とも思える、憂鬱気分に常にさいなまれている。言うなれば自虐である。その挙句には、心象でつづる文章はもはや書けないし、書きたくない気分にさらされている。
 こんなおりきのうは、竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん、大阪府枚方市ご在住)から友情あふれるメールをいただいた。たちまちわが憂鬱気分は、かなり和らいだ。しみじみと友情を感じていたからである。メールの内容は、わが身体につきまとうカラス曲がりの文章を読んで、ふうちゃん自身の体験上のアドバイスだった。カラス曲がりの身体部位は、脛裏(すねうら)の脹脛(ふくらはぎ)である。私流にメールの内容を要約すれば、おおむねこうである。「自分の場合、夏冬でも脹脛が冷えると、カラス曲がりになる。このため就寝時には、双方の脹脛に毛布のサポータを巻いて寝ている。医師や権威筋の教えではなく、自分流のやり方だけど、するとカラス曲がりにはならないよ」。
 過日書いたことだけど、ふるさとの学友・マーちゃん(熊本市内ご在住)からのアドバイスはすでに実践中である。マーちゃんに重ねて、ふうちゃんのアドバイスが追っかけてきたのである。私は、何たる果報者であろうか。早速、昨夜はふうちゃんのアドバイスを試行した。双方共に、効果のほどはいまだ不明である。しかし、友情が重なったことでは明らかな確証を得ている。私は友情を得ただけで十分である。もし仮に、この先カラス曲がりの痛みに襲われたとしても、友情を浮かべれば堪(こら)えることができるであろう。それでもまだ泣きべそをかくようでは、私は弱虫でありもちろんせっかくの友情は台無しである。私はそんなにも愚か者ではない。

再三の「カラス曲がり」のこと 

 きょう(四月十六日・月曜日)は、「熊本地震」(平成二十八年・二〇一六年)の本震から二年にあたる。いまだに復旧・復興遠い、忌まわしい記憶である。こんなおり、私はわが身にまつわるこのところの関心事にたいし、インターネット上の記事の検索を試みた。関心事とは、すでに二度にわたり書いた、就寝時に襲われる「カラス曲がり」(こむら返り)にかかわる記事である。
【こむら返り、よく起こる人ご用心 病気や薬が原因のケースも】(20122/7/14 日本経済新聞 夕刊)。「数カ月に1回程度なら経過をみてもよい」と同センター病院の睡眠障害外来も担当する三島部長は話す。だが、「夜中に週1回以上起き、それが長期間続いている人は睡眠の質が低下したり、他の病気や治療薬が原因だったりする場合もある。我慢せず医師の診察を受けた方がよい」と助言する。薬が原因なら別の種類に調整できることもある。起きたときの対処法の一つは、つま先を手前に引き、ふくらはぎの筋肉を伸ばすこと。この際、ひざは曲げないようにする。「手が届かない人はつま先にタオルを引っかけたり、たんすの角に押し付けたりする方法もある」(三島部長)。予防策としては、入浴して血行をよくし、寝る前につま先を手前に引いてストレッチしたり、ふくらはぎをマッサージしたりする。「夏は汗をかいて水分やナトリウム、カリウムなどを失うことが多いので注意が必要だ」と指摘するのは、有楽橋クリニック(東京・銀座)などを経営する三喜会の林泰理事長だ。カリウム補給には、緑黄色野菜やバナナなどの果物を多めに食べるのがおすすめという。運動前はしっかり補充し、こむらを伸ばす準備運動をする。前日にお酒を飲み過ぎて脱水状態にならないように注意する。また、一時的な糖分の取りすぎで起きることもあるという。「こむら返りは運動不足や偏った食事など生活の乱れのサインかもしれない。もし起きたら、自分の生活を見直してみてほしい」と林理事長は話す。治療に漢方薬を使うケースもある。代表的なのは芍薬甘草湯で、服用すると「通常は2、3分で、早い人は1分以内で治まる。睡眠時にこむら返りを起こしやすい人は、寝るときに枕元に置いておくとよい」と北里大学東洋医学総合研究所の花輪寿彦所長は説明する。このほか、八味地黄丸は高齢者のこむら返りに適しているという。「どのようなこむら返りかによって、使い分けることもできる」と花輪所長は話している。(編集委員 賀川雅人)。
 私の場合、足の親指を強く手前に引くことで、痛みの収束を速めている。これはかなり効果がある。だれから教わったのだろうか。失礼きわまりないけれど、失念している。直近ではふるさと時代の学友のマーちゃん(熊本市ご在住)から、こんなありがたいアドバイスをいただいた。
「『ひぐらしの記』を読んでいるけれど、こむら返り、カラス曲がりのことが書いてあるけれど、夜寝るときと、朝起きたときとに、水を飲めば起こらんようになるよ」。
 このアドバイスに従って、そののち今朝まで三日連続で双方を実践している。すると、この間、痙攣の兆しはあるけれど、直前で退いて事なきを得ている。しかしながら実践が短く、まだ効果の確証を得たところまでにはいたってない。はっきりと言えることは、友情のありがたさである。
 インターネット上の記事を読むかぎり、親指を引くのも、マーちゃんのアドバイスも、理に適(かな)っているようである。このため、病院へ行くこと、市販の漢方薬に頼ること、どちらもいまだ先延ばしを決め込んでいる。別の記事では、医師が「こむら返りで死ぬことはない」と、言明されていた。ところが、私の場合は一旦引き攣(つ)ると、「死んだほうがいい」と、思うほどの痛みに襲われる。このことでは、みずからは学問だけで未体験ゆえの、「医者、痛さ知らず!」と、言えそうである。この先もおそらく、カラス曲がりのこと、痛さにいたたまれず書く羽目になるだろう。くわばら、くわばら、である。

 季節の恩恵、苗物を植えました

 四月十五日(日曜日)、季節はすでに晩春の候である。大方の山桜や里桜は、日々葉桜を深めつつある。ところが、それらに後れて咲く植生の八重桜は、今を盛りに満開である。八重桜の満開に気づいたのは、せせらぎみたいな砂押川沿いを走る路線バスの車窓からの眺望によるものだった。この付近には、何本かの八重桜が川面に向けて垂れている。この付近には昔からお住まいらしい地元の人の家宅が何軒かある。その中の一軒は、造園業を生業(なりわい)にされていた。しかし現在、かつてあったそれを記す標識(看板)は見当たらない。このことからすればおそらく、造園業はすでに店じまいをされているのかもしれない。すると、庭先の川岸の八重桜だけは、造園業の名残なのかもしれない。そうだとすれば毎年この時期の私は、車窓からの目の保養にあずかっている。同時に、八重桜には時の移ろいを感じるところがある。実際のところ八重桜は、晩春と初夏の狭間(はざま)にあって、季節の橋渡しを務めている。このことでは遅咲きの八重桜は、それなりに貴重な役割を務めていると、言えそうである。
 もはや季節は初夏を間近にひかえて、桜は八重桜だけを残して、さまざまな花々が咲き乱れる爛漫の華やかさにある。確かに、わが家周囲の家並みの植栽には、それぞれの家人好みの花が目立ち始めている。もちろん花の季節は、わが庭中にあっては雑草の茂りを連れている。その証しに私は、ことし一回目の庭中の草取りに着手している。着手と言うかぎりは、始めたばかりで完遂ではない。そしてこの先、最低三度の草取りは免れない。狭小な庭中の草取りとは言え、加齢につれ年々つらくなるばかりである。
 私はいまだ草取りかけのところにモグラの穴さながらに、飛びとびに七つの穴を掘った。そして、この穴にはわが厳命に逆らい、妻がちゃっかり買って来ていた二種類の苗物をいやおうなく、腰をかがめて植えた。苗物はミニトマトが六本、キュウリが一本だった。私と妻は、こんな会話をしていたのである。
「おれは、ことしはもう野菜の苗は植えないよ。庭の中は石ころや岩盤だらけで、支柱が立てにくいよ。バスに乗って長い支柱を買ってくることには人様に迷惑になるから、気が引けるよ。植えても元は取れないし、買ったほうが安いよ。水掛けをするのはおればかりだし、おれは絶対植えないよ」
「パパってバカねー……、毎年けっこう穫れてるじゃないのよ。わたし、茶の間からトマトなんかが生ってるの見るの、とても好きなのよ。パパ、植えなさいよ。植えなきゃダメよ!」
「好きな割には、おまえはなにもしないじゃないか。だいたいよそのうちでは、こんなことは奥様が好きでされているよ。ことしは、おれは植えないよ!」
「そう、だったら、わたしが植えるわよ!」
 この会話の結末は、こうだった。
「物置の苗物、植えてくるよ。そうしないと、物置で枯れるよ」
「わたしが、植えるのよ」
「もう、枯れそうだよ。植えてくるよ」
「そう。パパ、わるいわね」
 私は、ことしの植え付けは例年になく丁寧にした。穴を深く掘り、小さい石ころまでも取り除いては土を柔らかく解し、水掛けもなんどかたっぷりとやった。日を替えて何度か見回ると、勢いづいている。私は「とらぬ狸の皮算用」を浮かべている。「瓢箪から駒」、案外、元が取れるかもしれない。

人口動態 

 少子高齢化、地方は過疎化傾向、そして都市は過密化傾向を深める日本の人口動態は、わが懸念する社会現象の一つである。かてて加えて私には、ここ数年外国人が増え続ける日本社会の将来も大いに気に懸かるところである。こんなおり、昨年(2017年)の10月時点における日本の人口動態を表す配信ニュースに遭遇した。そのため、きょう(四月十四日・土曜日)の文章は、そっくりそのままその記事を引用し、老婆心をつのらせるものである。もちろん、気になるばかりで自分自身、無為に拱手傍観せざるを得ない社会現象である。
 一つ付け加えればきょうは、ふるさと・熊本地震から丸二年にあたる。熊本地震は前震がきょうで、いっそう大きな被災をもたらした本震は四月十六日に起きている。
 【外国人の純流入、最多14.7万人 人口減を緩和】(2018/4/13 22:18日本経済新聞)。総務省は13日、2017年10月1日時点の人口推計を発表した。外国人を含む総人口は16年と比べて22万7千人少ない1億2670万6千人となり、7年連続で減少した。外国人の過去1年間の入国者数から出国者数を差し引いた純流入数は過去最多の14万7千人に達した。人口減の加速を外国人の増加が緩和する構図が鮮明になった。人口推計は国勢調査をもとに毎月の人口移動などを加味して推計する。毎年4月に前年の10月時点の数値を公表する。1年間の出生数から死亡者数を差し引いた人口の自然増減は37万7千人の自然減だった。自然減は11年連続で統計を始めた1950年以降で最多。高齢者の増加と出生数の減少が背景にある。一方、外国人は249万人余りが国外に流出する一方で、264万人弱が海外から流入。純流入は14万7千人と5年連続で増えた。これは県庁所在地である福島市や盛岡市の人口のおよそ半数に相当する外国人が1年で増えた計算になる。日本の外国人人口は205万8千人と初めて200万人を突破した。若年層の目減りで年々不足する労働力を補おうと、高度人材や外国人技能実習生の流入が拡大している。総人口に占める割合は1.6%を超えた。労働市場ではすでに外国人は欠かせない存在になっている。大手造船のジャパンマリンユナイテッド(JMU)はグループの社員数7500人のうち400人が外国人技能実習生。「少子化で人材確保が難しくなる中、技術を身につけた実習生は不可欠」という。飲食店の「テング酒場」などを運営するテンアライドは約2800人のアルバイトのうち約900人が外国人だ。このうち7割を占めるのがベトナム人。働きやすいようベトナム語マニュアルの作成なども進め、17年には社員採用も実現した。国土交通省によると、建設分野では外国人労働者数が11年以降の5年間で3倍以上の4万人超に急拡大した。20年の東京五輪・パラリンピックを控えた建設需要の高まりもあり、この流れは当面続くとみられる。こうした動きを踏まえ、政府も外国人の受け入れを増やす方針だ。外国人労働者の多くは技能実習生が占めるが、実習期間は現行制度では5年間だけで、期間が終われば帰国する必要がある。そこで技能試験に合格するなど一定の条件を満たせば、再来日してさらに5年間働ける資格を来春にも新設する。高度人材を呼び込む動きもある。東京都と金融庁は昨秋、国内での金融ライセンス登録手続きの英語解説書を公表。免許の種類、業種ごとの資本金や人員の要件、営業開始までの流れなどを図表付きで示した。海外から人材を呼び込むには生活環境面の整備も欠かせない。外国人医師が原則として自国の患者しか診療できないなど制度の壁がある。茨城県常総市で15年に起きた水害では、人口の5%程度を占めるブラジル人らへの連絡や支援が後手に回った。非常時の多言語対応も課題になる。
 この記事に添えられていた都道府県別の人口の増減実態では、人口が前年に比べて増えていたところは、東京都、埼玉県、沖縄県、愛知県、千葉県、神奈川県、福岡県の七つにすぎない。これらのほか40の道府県は、すべて減少である。さらに、直近のわが体験を付け加えれば、そんなに美味しくはないけれど、値段の安価に釣られてたまに入る牛丼店「すきや」で、私は肌色の異なる外国人女性の応接に遭遇した。それまでは日本人女性ばかりだったので、私はかなり驚いたのである。それでも、わが介護には外国人女性にお世話になるかもしれないなと思って、私は優しく微笑み返しをして、「ミニ牛丼をお願いします」と、言った。

国会中継  

 私の場合、テレビの報ずる国会中継は、ここ数年とみにエンターテインメント(娯楽)番組を観ているような面持ちに駆られている。なぜなら、フィクション(創作や虚構)でないリアル(事実)のドラマ仕立てを観るようだからである。娯楽番組と思えば、確かに面白い番組ではある。しかし、一般的な娯楽番組と大きく異なるのは、面白ければ面白いほどに、観たあとに後味の悪さにさいなまれるところであろう。いや、実際のところは後味の悪さをはるかに超越し、議員のやりとりが嘆かわしくて、悲嘆にくれるばかりである。こんな国会中継を中継のあるかぎりほぼ一日じゅう観ている私は、結局まったく誇りようのない野次馬同然である。いや、まったくの愚か者である。
 国会論戦は、国の舵取りを負託された文字どおり国会議員の織り成す最も高尚なもののはずである。ところが、実際のところは然(さ)に非ず、巷間(こうかん)の口喧嘩並みに、いやむしろそれ以下に地に墜ちている。実際には双方共に弁の立つ口喧嘩ゆえに、きっちりと時間の経過を見据えての堂々巡りの論戦のための論戦にすぎない。子ども同士の喧嘩別れは、双方共に悔しさを引きづって別れて行く。よくもわるくも喧嘩別れの真髄は、双方共に憤懣やるかたない面持ちにある。
 ところが、国会論戦の結末をわずかに映すテレビ画面には、それまで激しく論戦を戦わしていた両者がにこやかに挨拶を交わし合いながら議場を去って行く。こんな光景を観る羽目になる私は、まさしく狐につままれた思いになる。その挙句に私は、(無駄な時間を過ごしてしまったなあー…)という、無念の思いに晒されている。そして、なおその都度私には、時間を空費した悔しさがつのっている。実際にもこんなことでは、手元の電子辞書や新聞を読んでいればよかったという、悔悟の念に囚われている。私には、国会論戦の結末にあって互いのペコペコ笑顔だけは真っ平御免こうむりたい思いがある。結局、論戦という喧嘩別れの結末には、いまだに双方共に臨戦態勢で掴み合わんばかりの仏頂面であってこそ、長い時間見入る価値がある。このため、国会における論戦の末の双方の笑顔には、私には虫唾(むしず)が走る思いがある。なぜなら、事前の打ち合わせが済んだ出来レース、あるいはテレビ視聴者を意識して繕(つくろ)った化(ばか)かし合いを観ているようなものだからである。国会論戦は巷間の喧嘩同様に、憤懣にゃるかたない後腐(あとくさ)れを引きずってこそ、本当の値打ちがある。すると、このところの国会論戦は、犬も食わないほどの限りない国税の無駄遣いである。同時に、長い時間観るのはソンソン(損々)である。

カラス曲がり 

 昨夜の就寝中にあって、私は脹脛(ふくらはぎ)の強い痙攣(けいれん)に見舞われた。わが子どもの頃にあって家人は、この症状を「カラス曲がり」と、言っていた。この呼び名も間違いではなさそうである。確かに、身体の脛(すね)の裏側の膨らんだところは、そのものずばり脹脛と言う。また、腓(こむら)とも言う。普段通りすがりに眺める薬局店頭では、「こむら曲がりによく効く!」という、太文字で赤く書かれた客寄せ短冊を見かける。いまだに相談や購入で立ち寄ったことはないけれど、カラス曲がりもこむら曲がりも同じ症状のこととは察しがつく。
 症状と言ったり、薬剤が市販されているかぎりは、明らかに病である。呼び名は違えど症状はどちらも同様で、まったく同一の病である。しかし私には、子どもの頃から呼び慣れているカラス曲がりのほうがしっくりする。カラス曲がりに見舞われたときの痛みと恐怖は、収まるまで七転八倒(しちてんばっとう)する思いである。地震の収まりを待つ思いと似たところもある。
 ところが、カラス曲がりの厄介なところは、収まったあとには痛みが痼(しこり)となって、一週間余残ることである。カラス曲がりのことは、すでにまったく同じような文章で書いている。そのためこの文章は、二番煎じの謗(そし)りを受けそうな繰り返しである。嘆かわしいかな! 就寝中のわが身体には時を替えて、まるで波打つかのように、カラス曲がりが根づいてしまっている。その挙句、昨夜のカラス曲がりには震度五ほどの恐怖に晒された。実際には、耐えようのないような痛みに晒された。このところのカラス曲がりは、いずれ命を脅かす激痛の兆(きざ)しになりつつある。このため、きょう(四月十二日・木曜日)私は、寝起きにあって極度の気鬱症状に見舞われている。それをいくらか口実にしてこの文章は、これで書き止めである。せっかくの好季節は、カラス曲がりの痛みと恐怖のせいで台無しである。あな、恨めしや! 朝日はのどかに煌々と光っている。

人間不信を癒す処方箋 

 このところの日本の国の「政・官・財」にかかわるマスメデイア報道の多くは、鬱陶しく気分が滅入りほとほとうんざりすることばかりである。その元凶は、見えみえの虚偽がはびこっているからである。なんで偉い人たちは、正義感のかけらもなく上位者への阿(おもね)りや忖度(そんたく)、かててくわえて自己保身のためだけの見え透いた嘘を吐くのだろう。いや、このことではちっとも偉くはなく、むしろ人間の屑である。このため、日本国民のわが気分は、いっこうに晴れない。
 おのずからわが気分晴らしは、人間界に求めるより手っ取り早く自然界の恩恵にすがりたくなっている。桜前線はなお北上を続けている。雪解け最中の北国の人たちは、首長くしてそれを待っている。わが購読紙・朝日新聞の読者アンケートによれば、日本列島にあって桜の見どころは、北の地方に多く集中しているという。ベストテンの中のベストワンには、弘前城(青森県)が堂々と位置していた。さらには北海道・函館五稜郭、そして三春の桜(福島県)がランクインしていた。まさしく「北国の春」は桜前線の北上でもたらされている。万民に人気のヒット歌謡曲『北国の春』(いではく作詞・遠藤実作曲.千昌夫唄)は、「コブシ咲く」と歌い、春の訪れを謳歌している。桜、コブシどちらにしても北国の人たちは、長い冬から解放された喜びに沸き立つのだろう。
 わが住む鎌倉地方はすでに桜の花の季節は過ぎて、桜木は葉桜に変わり始めている。山の中にひと際鮮やかに彩っていたヤマザクラも今や、一様に緑の中に埋没し総じて緑の山を成している。だからと言ってヤマザクラ盛んな頃と比べ、山の風景が見劣りすることはまったくない。その証しにきのう(四月十日・火曜日)のわが夫婦は、茶の間に居ながらにして、のどかにこんな会話を交わし合っていた。
「見てみろよ! 降りそそぐ陽光に映えて、山があんなにきれいだよ!」
「わたし、知ってるわよ。もう、とっくに眺めているわ。パパ。山、とてもきれいでしょ!」
「ほんとに、きれいだ!」
「パパ。わたし、どこにも行かなくていいわよ」
「おれもだね」
 眺める山は、若葉一色の風景に変わっていた。それにキラキラと陽光が映えて、私たちに絵になる風景を見せびらかしていた。するとそれは、老いさらばえているわが夫婦には、心の和む絶景だったのである。
 点けっぱなしのテレビには、喧々諤々がやがやと、ワイドショーが映し出されていた。居並ぶコメンテイターは得たリ顔で、われ先に政・官の癒着ぶりを論(あげつら)っていた。ところが、コメンテイターとて出たがり屋の、局に諂(へつら)うあてにならない有象無象(うぞうむぞう)と、言えそうである。
 わが人間不信は、このところ極点へ向かいつつある。やはり、自然界の恩恵こそ、わが心の安らぎの基である。住宅地の植栽には、ツツジ、アヤメ、シャクヤク、ボタンなどが、旬の季節(五月)に先駆けて咲き始めている。スミレ、タンポポ、アザミなどの野花は、今や盛りである。
 ふるさとの野原にはツクシやノビルの姿はすでに失せて、いたるところにスカンポやギシギシ、イタドリが目立っているであろう。ヒバリやメジロをはじめ小鳥は、田畑や野山に飛び交っているであろう。わが家周辺の山には、すでにウグイスの高鳴りが響いている。人間界からもたらされる気鬱症状は、自然界の恵む処方箋にすがってこそ、効果覿面である。なんだか、なさけない。

 嗚呼、自虐精神

 顧みて、わが人生行路の繰り言を一つの成句で表現すれば、それは「後悔、先に立たず」が適当である。人生行路の終盤になると、今さら悔やんでもどうなることでもない、過去の過ちや悔いごとが次々と浮かんでくる。確かに、今となっては、それらは人生行路における後悔と、言えるものである。そして、後悔には自虐の坩堝(るつぼ)に落とされでもしたかのような苦悶が常につきまとっている。苦悶はわが小器ゆえだ! と思って、意識して葬り去れば楽になるものをそれができない。やはり、「馬鹿は死ななきゃ治らない」のであろう。自虐とはわが身に直接かかわり続けている言葉ゆえに、今さら電子辞書にすがるまでもなく、知りすぎている。しかし、たっぷりとある時間に感(かま)けて、電子辞書を開いてみた。現在の時間帯は、四月十日(火曜日)のいまだ真夜中とも言える二時半近くである。
 <自虐>「自分で自分を責めさいなむこと」。
 精神の苦しみからすれば、きわめてあっさりとした説明である。言うなれば、あえてくどくどと説明するほどのないものなのであろう。なぜなら、他人のせいにすることなく、自分で自分を責めなければ済むことであるからである。これほどに自虐とは、馬鹿げたしでかしである。やはり、わが小器ゆえにとりつかれる現象であろう。もはや、取り返し(修復)のできない過去の出来事で、自虐にさいなまれることはまさしく愚の骨頂である。確かに、自分自身、そのことは常にわかっちゃいる。それでも小器の私は、今なお過去の出来事にとらわれたり、それを引きずったりして、自分で自分を虐(いじ)めて日々悶々とするばかりである。悶々とすることは、この先にこそ山のごとく存在するというのに! とことんわが小器がなさけない。
 「継続は力なり」という、普遍かつ至高の人生訓がある。加えて、学童の頃、真っ先におぼえた「努力に勝る天才なし」という人生訓もある。この二つの人生訓は、言葉のうえでは簡単明瞭に人生行路における大切さを諭(さと)している。ところが継続と努力は、「言うは易く、行うは難し」の最たるものである。実際にもわが人生行路は、この二つの教えにことごとく背いてきた。その元凶はまさしく生来のわが「身から出た錆」、具体的には三日坊主と怠け者ゆえである。そしてこのことは、わが精神に自虐を根付かせてしまったのである。そのためわが自虐精神は、もとより根治出来ない宿病である。これまでのわが人生行路において、幸運にも私は、人様から虐めをこうむったおぼえはまったくない。ところが私は、絶えずみずからの虐めに遭って、その挙句にはこんななさけない文章をつづる羽目に陥っている。とことん私は、生来の身の程知らずの馬鹿者である。嗚呼! こう思うことこそ、自虐と言えなくもない。継続と努力は、わが身にはない物ねだりの夢幻(ゆめまぼろし)である。

鎌倉まつり 

 明けて四月九日(月曜日)、私はきのう(四月八日・日曜日)のことを一日遅れで、私日記風に書き出している。きのうの鎌倉の天候は、前日の大嵐の名残まったくない無風状態で、見上げる大空は大海原みたいに晴れ渡っていた。降りそそぐ陽射しは暖かく、だからと言って、歩きながら汗ばむほどでもなかった。「鎌倉まつり」初日は、前日の大嵐吹き荒れた天候からは打って変わって、これ以上ないほどの祭り日和に恵まれていた。祭りの主催者や関係者は、危ぶまれていた祭り初日が好天気に恵まれて、ご神体のご利益(りやく)を感じていたかもしれない。
 鎌倉まつりは実際には、「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)の例大祭みたいなものである。その証しに神輿の列なるパレードは、鎌倉の海・由比ガ浜海岸をスタートして、鶴岡八幡宮の参道を成す若宮大路を通り、ゴールはその境内である。子どもの頃から私は、祭り見物にそんなに燥(はしゃ)ぐこともなかった。花火見物にあっても、また然(しか)りである。さらには、近場の物見遊山にさえ駆り立てられず、無為に過ごしてきた。これらの因(もと)は、あまねくわが生来の出不精の性質(たち)のせいである。時すでに遅し、今となればこの性質は、わが生涯にわたって、大きな損失とも言える禍(わざわい)である。なぜなら、出不精はわが見識の狭小の誘因を成していたのである。
 確かに、私にかぎらず人は、「百聞は一見に如かず」という諺(ことわざ)どおりに、出歩くことで社会からさまざまな学びを得ることができるのである。このことをかんがみればわが出不精は、かぎりなく悔い入る悪質である。しかしながら人生晩年の今となっては、悔いてどうなることでもないあとの祭りである。
 きのうの私は、いくらか逸(はや)る気持ちをいだいて、鎌倉まつり見物に出かけた。この行動は、予告どおりの実践だった。目当てのイの一番は、鶴岡八幡宮の舞殿で予定されている「静の舞」だった。二番目の目当ては、若見大路を練り歩くパレードだった。私は祭事一覧を確かめることなく、場当り的に出かけた。
 JR横須賀線下り電車「逗子行き」には、JR大船駅から乗車した。そのときの私は、度肝を抜かれた。いつもであれば余裕のある車内は、立錐の余地ないほどの込みようだったからである。電車は、次のJR北鎌倉駅で停車した。ここで、人込みはいくらか空いた。次のJR鎌倉駅に着くと、人込みはすっからかんに解けた。一つ先の終着・逗子駅へ向かう人たちは、まばらに座席に腰を下ろしていた。私は人出に揉まれながら勝手知った東口改札口を出た。運よく、祭囃子(まつりばやし)の太鼓の音が響いていた。
 思い返すとパレードのスタートは、午前十時のようだった。改札口から駅正面の若宮大路までは、駅前広場を挟んで100メートルにも満たないほども距離である。私は心持足取りを急いだ。若宮大路の脇には、すでに見物人が左右に列なっていた。その眼前には、神輿が鶴岡八幡宮に向かって列なっていた。私は神輿を横目で眺めながら留まることなく、境内へ向かった。その足取りは、静の舞の時間を気に懸けていた。
 歩きながら、かたわらの店の窓ガラスに貼り付いていた祭り案内に気づいた。立ち止まった。静の舞は午後三時と記されていた。私はパレードに先駆けて、鶴岡八幡宮境内に着いた。立ち並ぶ出店の中に、塩タン焼の幟旗(のぼりばた)が垂れていた。先日食べて、美味も値段も勝手知っている。私はいくらかのためらいをいだいて近づき、縦列の客の後ろに並んだ。そして、わが番になると「一本」と言って、1000札を手渡した。串一本と400円のつりが返された。串には五個のタンが差されていた。立ったまま食べ終えると、静の舞の時間がよみがえった。(三時までには、時間がありすぎるなあ!…もう帰ろう…)。私は意を決しもと来た道へ引き返した。追い越してきた神輿は、なお境内へ向かって、ワンサワンサと列なっていた。

 花嵐

 四月八日(日曜日)、夜明けの空はのどかに明るんでいる。雨戸を閉めなく、カーテンも掛けない窓ガラスを通して眺める木の葉は、そよとも揺れていない。部屋の中は、すっかり寒気が遠のいている。きのう(四月七日・土曜日)、冷たく吹き荒ぶれた嵐は止んでいる。きのうの鎌倉地方の天候は、ほぼ一日じゅう寒気をともなった大嵐に見舞われた。桜の時期の嵐ゆえに、より適当なことばに置き換えれば、花嵐と言えるものだった。花嵐には、見栄えする花吹雪が同居する。しかし、寒さが堪えていた私には、たたずんでそれを見上げる心の余裕はまったくなかった。いや、このところ散り急いでいた桜の花は、まるで援軍を得たかのように、もはや未練を残さず散っていた。私は、その証しを卓球クラブからの帰り道で見た。
 きのうは、卓球クラブの練習日だった。私は嵐に晒されるのを気に懸けて、卓球クラブのある「今泉さわやかセンター」(鎌倉市)最寄りの「今泉不動バス停」から、路線バスに乗った。そして、二つ先のわが最寄りの「半増坊下バス停」で、降りた。わが家へ通ずるグリーンベルト(緑道)にあって、私は疲れていた足を意識的に鼓舞し、それでも重たい足取りでトボトボと歩き出した。歩く正面は、鎌倉市街を囲む円海山山系の一嶺を成す山裾である。視界は桜盛りの時期には点々と山桜が咲いて、里桜に負けないほどの美しい眺望を恵んでくれる。もちろん、絶景と言うには大袈裟すぎるけれど、わざわざ桜見物に行くまでもない、無償の和みをもたらしてくれる眺めである。
 疲れた足取りは、おのずから首垂れをもたらしていた。首を上げると思わず、あれ! と、独りごつした。山の様相が一変していたのである。山は桜まじりの景色をなくし、若葉の織り成す緑の山の姿に変えていた。大嵐は、鎌倉地方のことしの桜風景に見切りをつけていたのである。惜しまれて、やんぬるかな! きょうは例年桜の花の時期にあやかって行われる、「鎌倉まつり」の初日である。鶴岡八幡宮(鎌倉市街)の参道を成す若宮大路には、恒例のパレードが予定されている。車上には、三人のミス鎌倉が晴れやかに微笑んでいる。パレードの両脇には、近郊近在から繰り出して来た見物人が、重なり合って乗り出している。
 境内の舞殿では、これまた恒例の『静の舞』が催される。静の舞については、すでに先日の文章で記し済みである。言うなれば、悲恋を演じた「静御前」を偲ぶ舞いである。静御前には、わが名の由来をさずかっている。そのためきょうの私は、桜見物ならぬ静の舞見参を決意している。桜見物に替わる、艶(あで)やかにもちょっぴり哀しい、人工の華見である。
 のどかに朝日輝く夜明けは、案外鎌倉まつりの初日にふさわしい天の配剤なのかもしれない。それでも、やはり憎たらしい花嵐だった。鎌倉地方の桜は、葉桜の季節へ向かっている。

「好きこそものの上手なれ」 

 寝床の中で、こんな言葉を浮かべていた。「好きこそものの上手なれ」。「下手の横好き」。「一芸に秀(ひい)でる」。食べ物に関しては、嗜好高じて偏食である。つまるところ、物事における好き嫌いである。言うなれば物事は、好きこそ上達の近道である。裏を返せば嫌いなことを無理強いしても多くは、成果を得ることなく徒労で終わる。人生行路は絶えず「好き・嫌い」という、二分する感情をたずさえての道程である。
 赤ちゃんは好きなことにはおのずから微笑み、嫌いなことにはやたらと泣いて、生まれたての感情を露わにする。物心が尽き始めると好き嫌いの感情は、もはや明確に行為や動作に現れる。そして、就学すると教科書のうえで、好き嫌いが明らかに見え始めてくる。さらにこの先、あらゆる受験期(受験生)ともなると好き嫌いは、歴然と受験科目に顕われて、人生行路を左右するまでにもなる。そしてその先の就職や結婚などでは、いっそう好き嫌いの感情の権化(ごんげ)につきまとわれることとなる。結局、人生行路はいのち果てるまで、好き嫌いの感情をたずさえて、よくもわるくもそれに脅(おびや)かされることとなる。だからできれば、嫌いより好きの感情に多くありつきたいのは、人心の果てなき願い、いや欲望である。
 ところが、そうは問屋が卸さない。悲しいかな! これまた人の世の常である。結局、人生行路にあって好き嫌いは、好き勝手に選り好みできない厄介な感情である。ところが、無心に好きになれるものがある。それは人様からさずかる「ふるさと便」である。このたびのふるさと便は、具体的にはタケノコ便である。タケノコは、わが嗜好において筆頭に位置するものである。遠く学童の頃へ馳せれば、弁当の御数に醤油煮のタケノコが詰められていると、早い時間から勉強はそっちのけで、ワクワクしていた。ところがこの気分は、こんにちにいたるまで、いっこうに変わらないままである。
 タケノコ便をお送りくださったのは、ふるさとにご健在(九十一歳)のわが小学校一・二年生次のご担任、恩師平孝代様(当時は渕上先生)である。タケノコは、醤油煮、味噌和え、ワカメ汁、タケノコ御飯、さらには木の芽寿司、なんでもござれわが大好物である。段ボールには掘り立てのタケノコがたくさん入り、ちょこんと糠(ぬか)まで添えられていた。まさしく、至れり尽くせりのご配慮である。早速、私は嬉々(きき)として皮を剥いた。タケノコの皮剥きは、わが「好きこそものの上手なれ」の一つの証しである。

桜の頃 

 きのう(四月五日・木曜日)の寒さに懲りて、知るかぎりの季節用語を浮かべている。花冷え、花曇り、そしてきわめつきは寒の戻りである。もちろん、ほかにもいろいろとあると思うけれど、わが凡庸な脳髄にはこれだけで限界である。
 きのうの鎌倉地方は、このところ続いていた暖かい気温が一変し、部屋の中にいても身震いするほどの寒気に見舞われた。続いていたのどかな桜日和に恵まれて、散り急いでいた花びらは驚いて縮こまったであろう。茶の間暮らしのわが心身も、寒さで縮こまった。しかし、私の場合はエアコンの暖房装置にすがり、寒気を解(ほぐ)した。花吹雪に急かされて、桜見物を決め込んでいた人たちには、恨み尽きない寒の戻りであったろう。確かに、春とは言え必ずしも麗らかな日和ばかりが続くとはかぎらない。そのうえ、よりもよって桜の花の時季にあって人は、風雨はもとより嵐、さらには突然の寒の戻りに遭って慌てふためくことになる。
 きのうの私は、桜日和に恵まれれば、近くで大団円の桜見物を決め込んでいた。ところが、この行動は寒の戻りに遭って、おじゃんとなった。もちろん、地団太を踏むほどの悔しさではないけれど、それでも出足を挫かれて恨みつらみを残している。それを晴らすには、きょう(四月六日・金曜日)の長閑(のどか)な桜日和を願っているところである。
 さて、企業や役所に新入の人たちは、勤務始めの第一週をきょうで終えて、あすからの週末二日の休日に一息つけるだろう。学び舎は、入学式と始業式たけなわの時期にある。「あおばちゃん」と、幼児言葉に馴染んできた孫は、もはや幼児言葉は卒業し、あおばと呼び名を替えている。そのあおばのメール送信の手さばきは、私を凌いでお茶の子さいさいである。きのう、あおばから続々と届いたCメールの中から三つを記すと、こんなものがあった。「きょうは始業式だった。五年一組になった。担任の先生が良いって評判の先生だから良かった」「仲良しのお友達とは違うクラスになっちゃったけど、先生が面白いから楽しいよ!」「五年生は高学年だから低学年をリードしていけるように頑張ります」
 子どもの成長の速さには、常に驚くばかりである。もちろん、あおばの成長は、わが老衰とパラレル(同時並行)である。そして、成長はこの先なお続くけれど、老衰は死をもって行き止まりである。夜明けの空は願い叶わず、雨模様である。しかし、寒の戻りは、幸いにもきのうの一日だけで消え去っている。
 言葉と文章
 言葉と文章は生きとし生けるものにあって、人間しかさずかれない人類の宝物である。そして、人間の日常生活にあっては、虚飾のフィクション(虚構や創作・物語)ではなく、ありのまままの言葉や文章ほど、しんみりと感動を呼ぶものはない。別れと出会いにあっては、なおさらのことである。先日書いた入社式や入所式にあっては、テレビニュースの中に代表者の誓いの言葉の光景が映し出されていた。限られた時間のニュースの中の光景ゆえに、その全文が流れることはなかった。しかし、代表者の若々しくかつ緊張した面持ちから、感動を呼ぶ誓いや抱負の言葉であったろうことは、十分にうかがえた。もちろんこのときも、迎えるトップの挨拶の中には、門出にふさわしいさまざまな歓迎の言葉がちりばめられていたであろう。
 四月のこの時期、学び舎では入社式や入所式をはるかにしのいで、入学式が盛んに行われている。もちろん過ぎた三月には、感涙にむせぶ卒業式が行われた。双方の式典における華は、総代の言葉である。卒業式にあっては、総代として述べる送辞と答辞がある。入学式にあっても共に総代として、入学の決意を述べる新入生の言葉と、迎える在校生の歓迎の言葉がある。おのずからこれらの言葉は、私を感動の渦の中に引き込んでくれるものである。なぜならそれらの言葉は、瑞々しくまた生々しく、さらには真摯かつ誠実な感情の発露である。幸いにもインターネット上では、これらの式典をライブ(生)中継でさずかることができる。実際のところ私は、母校(中央大学)の双方の式典の様子を全容視聴した。すなわち、感動をさずかるわが青春がえりの一コマである。
 きょう(四月四日・水曜日)のメディアの伝える配信ニュースの一つには、こんな別れのメッセージがあった。不断、NHKの顔として親しんでいただけに、私には惜しまれる退社である。ところが、簡潔に記されているメッセージに感動をおぼえたのである。もちろんこちらは、言葉ではなく文章から得られた感動である。
 <有働アナ、NHKを退職 今後はジャーナリスト活動。有働アナのコメント「あさイチの門出、邪魔したくなく」>(2018年4月3日21時40分 朝日新聞デジタル)。「平成30年3月31日付でNHKを退職させていただきました。27年間勤めさせていただいたNHKにはたいへん愛着があり、定年までしっかり働き続けようと思っておりましたが、以前から抱いていた、海外での現場取材や興味ある分野の勉強を自分のペースで時間をかけてしたいという思いが捨てきれず、組織を離れる決断をいたしました。27年前、何も知らない出来ない人間だった私を、ここまで育て上げてくださり、活躍の場を与えてくださったNHKに心から感謝すると同時に、今この気持ちを応援してくださるという懐の深さに改めて感謝しています。今後、有働由美子という一ジャーナリストとしてNHKの番組に参加できるよう精進してまいります。最後になりましたが、志を同じくした同僚、スタッフ、共演者の皆様、そして何より、こんなヘンテコなアナウンサーを辛抱強く見守り続けてくださった視聴者の皆様に、心からの感謝と御礼を申し上げます。視聴者の皆様のお声なしにはここまで来られませんでした。新年度から新たなスタートを切る『あさイチ』の門出を邪魔したくなく、ご報告が遅れましたことをお許しください。平成三十年三月三十一日 有働由美子」。

出会いの月・四月 

 日本社会にあって訪れている四月の特徴は? と、自問すれば迷うことなく「出会いの月」と言える。確かに、出会いの月特有の光景は、どこかしこに個人レベル、また集団でも見ることができる。もちろん、人の出会いは別れと対(つい)を成すものである。なぜなら、別れと出会いはいっしょくたにに訪れる場合が少なくない。しかしながら、大まかに見れば過ぎた三月は別れの月であり、四月は出会いの月と言えそうである。この確かな証しは、双方のテレビニュースに日常茶飯事に見ることができる。
 具体的には三月の学び舎では、卒業式風景が映し出される。社会人であれば、人事異動にともなう別れが常態化している。個人レベルでは巣立ちという言葉が添えられて、さまざまな別れの光景がある。生まれ育った村や町から離れて、未知の都会へ旅立つ人は限りない。それらの多くは都会に居ずいて、この期(ご)を境にかつての村や町は、呼び名を出身地あるいは故郷と替える。まさしく、雛鳥が親鳥のもとから巣立つに似て、人間界の避けようない別れの光景である。別れがあれば出会いがあり、出会いがあれば別れがある。すなわち、諸行無常と言われる人の世の掟(おきて)である。
 さて、三月から月替わった四月初日は、日曜日だった。そのため、日本社会にあって年度替わりの実質的な始動は、きのう(四月二日・月曜日)だった。その証しにテレビニュースには、堰(せき)が切られたかのようにさまざまな出会いの光景があふれた。おおむねそれらの多くは、企業社会における入社式と、役所における入所式の光景に二分されていた。そしてそれらの式典には、新入社員や入所新人を迎えるにあたって、それぞれの歓迎の意思を表すさまざまな工夫がくわだてられていた。式典の光景には新入する若者の初々しさが垣間見えると同時に、実社会に飛び立つ厳粛さが張り詰めていた。私はそれらの光景に神妙に見入っていた。そして、わが気分は今やはるかかなたの昭和三十八年(一九六三年)四月、特にこの時期に戻っていた。具体的には、入社式と初めて配属先の職場に就いた追想を浮かべていたのである。
 半世紀余(五十一年)前の新入社員は、今や老いさらばえて老婆心をたずさえている。「光陰矢の如し」。実社会への門出の若者に贈る餞(はなむけ)のことばである。しかし、恐れることはない実社会は、楽しい出会いに満ちあふれている。

阿吽(あうん)の呼吸 

 人の名前には、それこそ万民共通に親の願いが込められている。まさしく、それぞれがかけがえのない人名を表す固有名詞である。きのうの月替わり初日(四月一日・日曜日)の私は、『静の舞』という表題の文章を書いた。この中で私は、父が付けたわが名前の由来を記した。再び記すとわが名前の「静良」の「静」は、判官贔屓(源義経)が高じて、その愛人である白拍子(遊女)「静御前」の一字を拝借したという。父の願いというより、きわめて場当りで身勝手と思える命名である。このため当の私は、「女のきゃくされ(腐れ)」みたいな名前で、好きでないと言うより、子どもの頃からコンプレックスの引き金ともなっていた。だからと言って改名することなく、この名前でわが生涯をまっとうすることとなる。いくらかあい矛盾するけれど一方で私は、歴史上の物語の静御前にかこつけて、父を偲ぶことができることでは、案外気に入ってもいる。もちろんこのことは、大好きな父の命名ゆえだからである。もし仮に反目する父親の命名であれば、たぶんこんな気分にはなれず、改名あるいは親子断絶の引き金ともなりかねない。
 さて、きのうのわが文章にちなんで掲示板上では、早速、大沢さまのご投稿文にあずかったのである。わが駄文も大沢さまのご投稿文で飾られると、見栄えが良くなり救われるところがある。このことでは女神様に助け救われた気持ちになり、常に私は、大沢さまにたいし声なき声で感謝のしどおしである。私は事前のお許しを得ないままに、ご投稿文の中の一部分の引用を試みている。
 <私の名前の由来>(ご投稿者 大沢久美子様)。「父は母の美しさに惹かれ、一目惚れだったという。私は、自分の容姿にコンプレックスを抱いていて、この『美』と言う字が名前についていることで、人に自分の名前を伝えるときに、『ひさしい、うつくしい、子供の子』と投げやりに伝えていた。けれど、父の口から『お母さんの美しさをもらえるように』と願って『美』がついているのだと聞かされて、『私もいつかはお母さんのように美しくなれるかもしれない』と密かな望みを抱くようになって、『ひさしく、うつくしい、こどものこ』と言うようにした。」
 結局、命名(名前)はいずこもだれしも同じ、親の子にたいする愛情のいちばんの証しである。きのうの掲示板には、このご投稿文のほかに、新たに大沢さまの『不思議な出来事(一)』がご投稿されていた。ナンバーが付されていることからすれば、なおこの先へ続きそうである。きのうの文章にかぎれば、ご主人様の通院にまつわるままならないあれこれがつづられていた。このところの私は、下肢の筋肉痛すなわち痙攣(けいれん)に悩まされ続けている。そして、そのことを文章に記した。このことでこれまた大沢さまは、私のことを慮(おもんぱか)ってくださり、ご主人様のお体や通院のあれこれを書き添えてくださったのかもしれない。まことに、こころ優しいご配慮である。
 「ひぐらしの記」は大沢さまとの阿吽(あうん)の呼吸を得て、色づき息づいて生き長らえている。二人の願いに適(かな)う、ピッタシカンカンの命名である。

「静(しずか)の舞」 

 電子辞書を開く。【判官贔屓(ほうがんびいき)】「源義経を薄命な英雄として愛惜し同情すること。転じて、弱者に対する第三者の同情や贔屓」。
 わが亡き父は、判官贔屓だった。具体的には、判官贔屓の由来を成す源義経を贔屓にしていた。それがこうじて私の名には、義経の愛人である白拍子、「静御前(しずかごぜん)」の「静」を一字付けたと言う。わが名「静良」の一方を成す「良」は、わが大勢の兄弟のしるしの符号のようなものである。
 確かに、兄弟の中にあって「良」の一字は、兄の二人にも付いている。また電子辞書を開く。
 「白拍子(しらびょうし)とは、平安末期から鎌倉時代にかけて行われた歌舞。また、これを歌い舞う遊女」。
 わが下種の勘繰りでは、現代で言えば水商売の芸妓にあたるものであろう。それを知ってか知らずか父は、よりもよってわが名の一字に、静御前の「静」を付けている。ところが、「静」のせいでわが名は、人様からよく女性の名に間違えられてきた。そのため私は、子どもの頃からこんにちにいたるまで、ふるさと言葉で言う「女のきゃくされ(腐れ)」みたいで、わが名が嫌いなままである。だからと言って私は、父にたいして恨みつらみを言ったことはまったくない。なぜなら、優しい父が大好きだったからである。そして、なんという奇縁なのか私は、鎌倉に終(つい)の棲家(すみか)を構えている。この場合の奇縁とは、父との縁(よすが)となるとんでもない幸運でもある。
 月替わり、きょう(四月一日・日曜日)の文章は、「鎌倉まつり」(二〇一八年四月八日・日曜~十五日・日曜)にかかわる鎌倉広報誌からの転載である。きわめて長い文の一字一句の転載ゆえに骨が折れるけれど、わが瞼の中には生前の父の姿が懐かしくよみがえっている。
 【静の舞】「四月八日(日曜日)十五時~鶴岡八幡宮舞殿」。「しづやしづ しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」。このくだりで有名な「静の舞」は、十二世紀の後半一一八六年、源頼朝の命でここ鎌倉に召し出された京の白拍子静御前が、吉野の山で別れてきた愛する人、義経をしのんで舞ったという古事にちなんで今に伝えられています。このくだりは、鎌倉時代の正史とされる「吾妻鏡(あづまかがみ)」に記されています。それによると、幕府を開いて武家政治の礎を築いた源頼朝は、平家追討に武勲のあった弟義経と不仲になり、義経追討の兵をあげます。義経は静とともに、「武蔵坊弁慶らわずかな手兵をつれて吉野山に逃れます。源頼朝の追手が迫る中、義経一行は山伏姿になって東国に向かうこととし、静には金銀を持たせ、供の者つけて京都へ送らせます。ところが供の者たちは途中で金銀を奪い、静は山の中に置き去りにされてしまいました。そして捕らえられ、京都の守護職の手によって頼朝のところへ送られました。鎌倉に着いた静は、義経の行方を厳しく問われますが、静は答えません。その時、静は義経の子をお腹に宿していました。頼朝とその妻政子は、舞の妙手として京に名高い白拍子静の舞を見たいと、鶴岡八幡宮での舞を求めます。病気を理由にその申し出を断っていた静も、熱心な求めに観念し、ついに舞の舞台に上がります。その舞台で静は、「よしの山 峰の白雪ふみ分けて いりにし人のあとぞこいしき」「しづやしづ しづのをだまき くりかえし 昔を今に なすよしもがな」。<現代訳>吉野の山の白雪を踏み分けて奥州に消えたあの人(義経)の跡が恋しく思われる。「静、静」と繰り返し私の名を呼んだあの人が輝かしと詠い、舞いました。そのあでやかな美しさは、居並ぶ幕府の者たちを感動させました。しかし、頼朝は、自分に逆らう義経を恋い慕う歌を詠い舞うとは不届きだと激しく怒ります。それを見た政子は、かつて自分が頼朝を思い慕った日々の女としての苦しさ、悲しさを教え諭して、頼朝の怒りをなだめます。おかげで処分を免れた静は、市内の片隅に住居を与えられ、静は男の子を産み落とします。幕府は男子を生かしておいては将来に禍根を残すと、その子を取り上げて由比ガ浜の海に沈め殺してしまいました。傷心の静は京へ帰されますが、それ以来静の消息は途絶えてしまいます。静御前のこの悲しい物語は、以後の人々の胸に残り、語りつがれ,謡曲や浄瑠璃にも作られて、今に残されています。さて、今回の第六十回鎌倉まつり「静の舞」の演者は、西川翠志萌さん(日本舞踊西川流師範)だという。「鎌倉まつりが第六十回の節目を迎えますがどのような思いで舞いを演じられますか」「いろいろな方が情熱を注ぎ六十回という回数を重ねた歴史にただただ頭が下がります。静が舞った日が一一八六年(文治二年)の今年と同じ四月八日。その日はどんな風が吹いていたか、どんな花が揺れていたか、どんな光が溢れていたか…832年前に思いを馳せながら舞いたいと思います。今、伝統を舞いつぐ重みをひしひしと感じています。お客様と一期一会の時を楽しむ事が出来ましたらこれ以上の幸せはございません」。
 吉野山の桜も鎌倉の桜も散りかける頃であったろう。そのぶん余計、静御前が舞う「静の舞」は、悲恋を奏(かな)でていたのであろう。私も父同様に判官贔屓である。

第二弾の桜見物は「千鳥ヶ淵」 

 わが桜見物の第一弾は、ごく限られた地元・鎌倉の段葛だった。このことでは、段葛の桜は身近な里桜と言えるものである。日頃、出不精の質(たち)の私は、思いがけなく二日続いて桜見物に恵まれた。きのう(三月三十日・金曜日)の桜見物は、牛に引かれての善光寺参りさながらに、友達の呼びかけからさずかった幸運だった。友達の呼びかけが無ければ、わが重たい腰はびくともしなかったであろう。わが人生行路のおりふしにおいて、友達冥利に尽きることは限りなくある。
 きのうの思いがけない桜見物もその一つである。萎え続ける老骨に鞭打ちたければ、気の置けない友達と連れ添って巡る桜見物ほど、効果覿面(こうかてきめん)のものはほかにない。なぜなら、老骨が生気をとり戻すかのように、終始和気藹々(わきあいあい)となるからである。
 おととい(三月二十九日・木曜日)の段葛の桜見物は、連れ合うひと無く、終始無言だった。桜を見上げて、「きれいだなあー……」と、言葉にしたこともなかった。やむをえず発したのは、八幡宮境内の休憩室の中と、立ち並ぶ屋台を前にしての、短い言葉だけだった。それも会話にはいたらず、一方的にわが意思の伝達にすぎなかった。前者の場合は、冷凍庫から小豆入りモナカ氷菓子を手に取り、「これ、ください」と、言った。そして後者の場合は、塩タン串を売っている屋台の前で、なお短く「一本」と、言っただけにすぎなかった。
 さて、きのうの桜見物の箇所は、首都東京に君臨し文字どおり「都桜」とも呼べそうな、「千鳥ヶ淵」の周囲だった。連れ添ったのは、現役時代の会社に同期入社の仲間たち三人だった。彼らの名は、寺澤さん(埼玉県狭山市ご在住)、石原さん(埼玉県さいたま市ご在住)、大森さん(神奈川県横浜市ご在住)だった。棚から牡丹餅みたいな今回の桜見物は、寺澤さんの粋な誘いによるものだった。方々から駆けつける四人の集合場所は、JR東京駅丸の内中央改札口であり、出会いの時刻は午前十一時と伝えられていた。人がごった返す中にあって四人は、久しぶりに再会した。改札口付近からはるかに皇居を望む駅前広場は、最近広々と風景を替えたばかりである。様変わりの風景はしばらくここにたたずむだけで、日本人に生まれた喜びがふつふつと沸いてくる心模様になる。まさしく絵にも描けないような、いや、絵に描いたような、あい矛盾する素晴らしい風景である。しかし四人は、たたずむことなくタクシーに乗り、目的地の千鳥ヶ淵方面へ向かった。その途中にあっても見渡すかぎり、桜、サクラの眺めであり、そしてそれを眺めて回遊する、人、ひと、だらけだった。
 タクシーはアクセルを踏みかえることなく、停車と徐行を繰り返した。短い距離にもかかわらず、ようやく千鳥ヶ淵あたりに着いて、四人は降車した。たちまち四人は、群れ合う桜見物の人出の渦の中に巻き込まれた。渦ゆえに、漂うことも、立ち止まることも許されず、押されて巻き込まれるばかりである。国籍不明の人類の坩堝(るつぼ)さながらである。肝心の桜見物は、這(ほ)う這うの体(てい)で、いくらか空いていた近くの靖国神社にお参りした。そののちは花より団子を実践し、昼膳を囲んだ。四人は午後の二時近くに地下鉄「九段下駅」で別れて、それぞれの帰途に就いた。
 私はひとり靖国通りを歩いて、かつて通った校舎の跡地に建つ、「中央大学駿河台記念館」(東京都千代田区神田駿河台)に立ち寄った。こののちは、通学時の下車駅「JR御茶ノ水駅」に向かった。そして、JR中央線四番ホームから、二つ先の東京駅へ着いた。帰りの電車はいつものJR東海道線とは異なり、JR横須賀線に乗車した。四時半近くにわが最寄りの「半増坊下バス停」で、バスを降りた。のんびりとひとり歩くわが眼前には、日長になった陽光を受けて、いたるところに桜の花がキラキラと光っていた。(ここの花見がいちばんだな!)と、声無くほほ笑んだ。

 春ウララ

 亡き義母の里は、神奈川県三浦郡葉山町にある。現在、里の宅には甥っ子(義母の長姉の長男)の家族が住まわれている。私にとって宅は、単なる義母の里ではない。なぜなら宅の末の甥っ子は、わが大学生時代の級友であり、同時にかけがえのない親友でもある。さらに付け加えれば親友は、わが妻との結婚を橋渡しにしてくれた、わが人生における飛びっきりの大切な人である。言うなれば親友とわが妻は、従姉妹(いとこ)同士にあたる。
 ところが、きわめて残念なことに親友は、すでに鬼籍に入ってこの世にいない。あわれ! 老少不定は、人間の命の定めにある。宅の後継を担われているご長男は、現在八十七歳である。ありがたいことにご長男には、義姉(叔母にあたる)そしてわが親友(弟)亡きあとも変わらず、わが家は厚誼にあずかっている。まさしくご長男は人格優(すぐ)れ、篤厚(とっこう)この上ないお人である。
 毎年のことながらご長男は、この時期になると真っ先に春の恵みを届けてくださっている。こころ卑(いや)しい私は、実際のところ毎年この届け物に出合って、春を実感し喜びに浸るのである。今年もまたきのう(三月二十九日・木曜日)ご長男は、山から掘り立てほやほやのタケノコをたくさん届けてくださった。いつものことながら私は、ご長男の際限ない過分のご好意に痛み入っている。
 タケノコとあればおのずからわが夫婦の役割分担は、明確に決まっている。私は皮むき専業主夫となり、一方妻はたちまち料理番の専業主婦となる。タケノコは、夫婦ともに大好きである。しかし、タケノコのもたらす恩恵は舌鼓(したつづみ)にとどまらず、相好(そうごう)崩しのニコニコ顔をもたらしてくれる。早速、妻はわが格別好む醤油煮と、ワカメとタケノコの入りの汁をこしらえて、届けてくださったご長男のご好意に報いたのである。
 この先のわが一抹の気懸りは、タケノコの食べ過ぎによる胃部不快感である。確かに、毎年体験するくせものである。それでも私は、いくらか顔を顰(しか)めても懲(こ)りず、食べ続ける浅ましさである。大好きなタケノコにはあとさき考えず、度を越してむしゃぶりつきたくなるのである。掘り立てのタケノコに出合えるのは、食感を潤す春の恵みである。
 そしてこの時期、目の保養(眼福)にさずかるのは桜である。不断出不精の私は、とうとう春ウララに釣られて、きのう連れの無い独りの桜見物を敢行した。行き先は、「鶴岡八幡宮」(鎌倉市街)の参道をなす「段葛(だんかずら)」だった。段葛とは鎌倉の海から鶴岡八幡宮へ向かう参道をなす、「若宮大路」の中道をなす小道である。段葛の両脇には延々400メートル余にわたり、等間隔に桜木が立ち並んでいる。桜木はかつての老木がすべて伐られて、二年前に新たに植え替えられている。このため、今年あたりから本格的な桜並木の装いになる。私は新たな桜風景を見たくなり、春ウララの下、わが家から歩いて四十分ほどかけて、出かけたのである。平日にもかかわらず、鶴岡八幡宮境内、参道、そして鎌倉市街は、大勢の人出でごった返していた。人出の中で格別目立ったのは、桜の花にも負けないほどの華やかな晴れ着(和服)をまとった若い女性、背高ノッポと太い身の外国(西洋)人の多さだった。
 おりしも学び舎は、春休みの真っただ中にあり、どこかしこに児童生徒の群れも行き来していた。桜の花は老若男女(ろうにゃくなんにょ)はもとより、さらには国籍お構いなく睦(むつみ)と和みをもたらす、自然界からの贈り物と言えそうである。
 きのうとは違ってきょう(三月三十日・金曜日)の私には、友達と連れ合っての皇居周りの「千鳥ヶ淵」の桜見物が予定されている。春ウララの恵みは、始まったばかりである。夜明け前にあって、朝日の光はまだまったく見えない。しかし、わが心はすでに弾んでいる。

 「桜、サクラ、さくら」

 住宅地内のどこかしこを歩いていても、さらに見渡すかぎりこの時期は、「桜、サクラ、さくら」だらけである。もちろんこの時期は、日本列島津々浦々が、桜花爛漫の季節の真っただ中にある。眺望する中にあって桜ばかりが目立つことに、難癖をつける人はいないであろう。仮にいるとすればその人は、よほどのへそ曲がりか、煮ても焼いても食えない変人なのであろう。あるいは、桜から実害をこうむったことのある人なのかもしれない。しかし、桜からこうむる実害にはどんなものがあるのだろう? と思い浮かべても、浮かぶものはない。さらに浮かべると、ようやく一つだけ浮んだ。それは、桜木に棲みつき易いと言われている毛虫の被害である。ところが私の場合は、毛虫被害は未体験である。
 かつての私は、ある知人から毛虫被害に遭われた話をお聞きしたことはある。だからと言って、「前田さん。わたし、桜は大嫌いよ!」と言われて、恨みつらみをこぼされたかどうかの? その記憶は曖昧模糊のままである。生来、数あるわが悪質の一つにはへそ曲がりがある。しかしながら桜にたいしてだけには私は、それを抑制し人様並みの情念をたずさえている。なぜなら、桜にまでもへそ曲がり精神をあらわにするようでは、もはや救いようのない天邪鬼(あまのじゃく)である。
 訪れている桜花爛漫の季節にあって、桜にまつわる文章を書かずに過ぎては、人様から「やはり、前田さんは、へそ曲がりなのね!」という、謗(そし)りを受けるであろう。このため、きょう(三月二十九日・木曜日)の文章にあっては、桜にまつわる佳き思い出を三つだけ記すものである。
 わが小学校一年生への入学は、今やはるかに遠い昭和二十二年(一九四七年)であった。そしてその入学式は、おそらく四月七日前後だった。入学する小学校は、内田村立内田小学校(当時:熊本県鹿本郡内田村、現在:山鹿市菊鹿町)だった。当時の内田小学校は、現在は菊鹿町一校に統合されて閉校の憂き目に遭っている。入学式には亡き母が付き添っていた。ピカピカの逸(はや)る気持ちで到着した校庭には、まだいっぱい散りかけの桜が咲いていた。まっさらに純真無垢だった童心のおかげなのか? 今なおこのときの桜の光景は、偲ぶ母の面影とともにわが佳き思い出の一つである。
 二つ目は、どちらかと言えば花より団子の思い出である。この佳き思い出をさずけ、残してくれたのは亡き父である。これまた、当時の父の姿が彷彿とよみがえる。漫(そぞ)ろ行くわが家最寄りの花見どころは、村中を一筋流れる内田川に沿って、立ち並ぶ「蛇淵(じゃぶち)の桜」だった。昼間は働く父の桜見物は、おのずから夜桜見物だった。父の夜桜見物には、いつも私を連れ添った。もちろん、優しい父情の証しだった。桜並木が途切れたその先には、一軒の小さな家があった。不断から商い兼用の家づくりではなかった。そのため、不断に団子屋を営んでいたのか? という記憶はない。ところが、その宅は桜の時季には団子屋を営んでいた。しかし、薄暗く灯る裸電球の下には、わが家人が「あずまだご」と言っていた、小豆まぶしの串団子くらいしかなかった。生来、アルコール類はからっきしダメで、甘いもの一辺倒の父の夜桜見物は、桜は通りすがりにたたずむことなくチラッと眺める程度で、足取りの目当ては団子屋だった。父子(おやこ)で、西瓜腹をしのぐほどに鱈腹(たらふく)食べた毎夜の夜桜見物は、ふくよかな情愛づくりと、麗(うるわ)しい思い出づくりに貢献してくれたのである。
 三つめ佳き思い出は、小学校一年生と二年生のときに担任になられていた当時の「渕上先生」(現在はふるさとでご健在の恩師・平孝代様)が引率された桜の時季の遠足である。遠足は、村一番の桜の名所「鷹取(たかとり)の桜」の見物が定番だった。この遠足では咲き誇る桜の下、弁当を広げてかぎりなく友愛が育まれたのである。現在眺める桜には、かなりの感傷が混じっている。それでも、「桜、サクラ、さくら」である。

茶番の政治ショー  

 きのう(三月二十七日・火曜日)の私は、人間界に潤いをもたらす桜の季節にあって、テレビの映し出す心の滅入る政治ショーを観てしまった。午前中の参議院の茶番劇には飽きあきしたし、舞台を替えるだけの午後の衆議院のそれは、観るのを止めればよかった。ところが馬鹿な私は、ほのかな興味を繋いで二度にわたり観た。主役を演じる役者は午前中の自己の演技力に自信をつけて、午後の舞台では入れ替わり立ち替わりする尋問者の繰り返す論破をいっそう簡単にあしらった。観劇料は無料だったけれど、二度にわたり観てしまった茶番劇は、結局まったく興趣なく観劇後の私の気分は、鬱陶しくなるばかりだった。
 テレビ番組に組み込まれた政治ショーには、決まった題名はなかった。それでも私は、目下の日本社会の関心事にかかわる集中審議(証人喚問)という、囂囂(ごうごう)しい前宣伝に釣られて、絶対に見逃すまい! と、午前と午後の開演時間に合わせて、テレビ桟敷に陣取った。舞台を替えて午前と午後に見入ったものは、学校法人森友学園(大阪市)にかかわる、両院における証人喚問の様子だったのである。
 証人喚問の中で守りの主役を演じたのは、在職中にあって当該案件にかかわったとされる元財務省理財局長であった。万物の霊長と崇(あが)められる人間にかこつけて、私は主役にたいし清々しい正義感を求めていた。ところが逆に、見終えた私には人間不信(感)がかぎりなくつのっていた。それは、ちっとも笑うことも、詰(なじ)ることもできない、生きるための人間のつらさをあらためて知るものでもあった。もとより、喜劇にも悲劇にも涙をそそる人情劇にも程遠い、胡散臭いだけの茶番劇だった。そのため、わが心の晴れようはまったくなかった。
 見終えた私は、かつて観た映画の題名、すなわち『悪い奴ほどよく眠る』(黒澤明監督作品、昭和三十五年・一九六〇年)になぞらえて、同様の題名をつけた。ところが、主役を代えて再演話が持ち切りである。しかし、守も攻めるもいっこうに核心に触れない「お為ごかし」(国民騙し)の政治ショーは、もはや血税の無駄遣いにすぎない茶番劇の繰り返しとなろう。せっかくの桜の季節にあってわが心は、茶番の政治ショーを観たせいで、濁濁(だくだく)としている。せつなく、やるせなく、トコトンなさけない!

懲りても防げない「成り行き文」 

 三月二十七日(火曜日)、現在の時間は未明とは言えないほどの夜中の一時半頃である。すでに数多の配信ニュースを読み尽くしている。このことからすれば一時頃に起き出してきて、パソコンを起ち上げていることになる。きのう(三月二十六日・月曜日)の「ひぐらしの記」には、『カラス曲がり(こむら返り)』のことを書いた。それにちなんで再び記すと、このところの就寝時の私は、その発症に怯え続けている。
 ところが、起き出してきたばかりだけれど、すでに昨晩と名を替えている先ほどまでの就寝時には、幸運にもそれには遭遇しなかった。そのため熟睡にさずかり、早い起き出しでも自然体の流れのなかにあり、寝ぼけまなこや朦朧頭は免れている。このことから夜明けまで、執筆時間はたっぷりとある。そのうえ、いまや寒気という言葉は、秋口まで死語さながらになりお蔵入りである。これらのことをかんがみれば、きょうのこれからの時間帯は、文章をつづるにはまたとない好条件下にある。
 ひるがえって不断の私は、執筆時間の切迫に追われて、起き出しがしらの書き殴りと、加えて一度の推敲(すいこう)さえままならない心境に苛(さいな)まれている。おのずからこのことは私自身の悔悟となり、もちろん忸怩(じくじ)たる思いに苛まれる元凶でもある。そしてそのことは、常にわが心象に不完全燃焼の気分を焼き付けている。わが「ひぐらしの記」には、大仰に「随筆集」と、銘打たれている。ところがそれは、「名は体を表さない」という、成句の見本みたいなものである。実際のところはわが意図する随筆とはかけ離れて、継続だけが目的化し、今や私日記さながらの成り行き文に甘んじている。その挙句このことは、常にわが心象に不満と不完全燃焼気分をもたらしている。本当のところは執筆時間の切迫を口実にした、わが能無しの証しである。なぜなら、こんなにも好条件下に置かれていれば、かねて意図する随筆を書けばいいはずなのに、実際のところはまったく書けないままである。おのずから、気鬱気分はいや増すこととなる。結局私は、わが能無しに苛まれ続けている愚か者である。
 心象の安寧を願うにはわが脳髄の凡庸に相応し、きれいさっぱりと「ないものねだり」から解放されることに及ぶものはない。それでもやはり、書き手としての矜持(きょうじ)はちょっぴりある。そのため、書き殴りと推敲ままならない文章にあっては、自分自身常に辟易(へきえき)としているところである。いつもの私はようやく書き終えて、急いで投稿ボタンを押している。そして、切迫時間に追われて書き終えた気分に、ホッと安堵している。そののちは、読み返すことなく長くほったらかしにしている。再び読み返してみると粗ばかりが目立ち、おのずから気鬱に陥るのである。ところが、時すでに遅し。そのため、大沢さまに訂正依頼のメールを送信する羽目になる。このときこそ、わが悔悟と気鬱の高鳴りどきである。
 きょうの文章はいつもの書き殴りのうえに、似ても焼いても食えない、さらにはどう鯱(しゃちほこ)だっても埒(らち)の明かない、能無し野郎の悔悟文である。いまだ三時前、求める随筆を書くにもたっぷりと時間はある。それでも、まったく書けない。わが掲げる随筆は、永遠のゆめまぼろしである。わかっちゃいるけれど、せつない春の夜である。寝床へ再び就いてもいいけれど、カラス曲がりが気になるところもある。現在のわが下肢のいたるところには、このところ見舞われ続けているカラス曲がりの痼(しこり)と痛みが残っている。
 きょうにかぎれば夜明けまでの時間つぶしには、朝刊の読み漁りが適当なのかもしれない。なぜなら、きょうの国会では学校法人「森友学園(大阪市)」にかかわる、財務省理財局元長官・佐川氏にたいする証人喚問が予定されている。集中審議と言われていることから、朝刊はその前ぶれの記事で埋め尽くされているであろう。そのため、時間つぶしには適当であろう。佐川氏にはちっとも痛みや痼なく、神明に誓ってのどかに、春の一日が過ぎてゆくであろうか。人間の器の違いを見せつけられるのか。あるいは人間にまつわる悲しい性(さが)を見るのか。雲上人の織り成す、たまゆら春の宴(うたげ)をいやおうなく観る羽目になりそうである。

 カラス曲がり(こむら返り)

 最近にかぎらないけれど、とりわけこのところ頻発に見舞われて、怯えている身体の異変がある。往時、ふるさと(熊本県)時代の子どもの頃にあっては、「カラス曲がり」と言っていた。この呼び名も間違いではなさそうである。しかし、実際のところは「こむら返り」として説明されている。確かに、身体の部位には腓(こむら)の漢字があてられている。一般的な呼称は、足の脛(すね)の裏側の部位、すなわち脹脛(ふくらはぎ)のことである。病名としては、「カラス曲がり」と「こむら返り」共に同義である。ところが、このところ就寝中の私が見舞われているのは、局所的な腓すなわち脹脛の部位にとどまらず、下肢のいたるところに発症する筋肉の引き攣(つり)である。引き攣りとは、熟語を当てれば「痙攣(けいれん)」である。一旦、痙攣が起きれば耐えようのない痛みと共に、鎮静するまで恐怖心に苛(さいな)まれる。ようやく耐えて鎮静にありついても、そののち何日かは筋肉の痼(しこり)に悩まされる。
 下肢の痙攣の発症のつど最も恐れていることは、痙攣が上肢へ飛び火したら心筋梗塞になるのでは? と、いうものである。こうなったら私は、就寝中に「イチコロ」である。恐れがつのり私は、筋肉の痙攣すなわちカラス曲がり(こむら返り)にまつわるインターネット上の記述探しを試みた。するとずばり、下記のホームページに出合ったのである。このため、きょう(三月二十六日・月曜日)は、その記述を付記するものである。
 【医療法人社団 健友会 やましろ病院】(熊本市中央区坪井1丁目3-46)。「からすまがり(足のつり、こむらがえり)の原因と治療。1.からすまがり(こむらがえり)とは、高齢になると多くの方がこむらがえり(熊本では、からす曲がりの方が一般的です)を経験されます。これは、足のふくらはぎや親指に起こる一時的な筋の痙攣で激しい痛みを伴います。若いときでも無理な運動や、筋肉を強く曲げた後に起こりやすいのですが、高齢者の方のこむら返りは運動をしなくても痙攣し、また夜間に毎日おこるなど、その悩みは深刻なものが多いと感じています。実際、外来を受診される高齢者の多くの方がこむらがえりで悩んでおられます。2.こむらがえりはどうして起こる? こむらがえりがどうして起こるのか、そのはっきりした原因はわかっていません。ただ、以下のような症状があると起こりやすいということがわかっています。1)足のはれ、むくみ2)脊柱管狭窄症、腰痛症3) 下肢の静脈瘤4)糖尿病でおこるマグネシウム不足5)内科疾患(甲状腺機能低下症、肝硬変など)以上のように、様々な疾患があり、原因がはっきりしているものは、その原因治療を行います。例えば、静脈瘤の手術をしたり、マグネシウム不足であればそれを補えばこむらがえりの頻度が少なくなる事がわかっています。ただ、その多くは、原因不明で、それゆえ症状を抑える対症療法が行われます。3.こむらがえりの治療こむらがえりの治療は、お薬による治療と注射(神経ブロック)による治療があります。芍薬甘草湯:古くから『足つりの特効薬』として知られています。副作用も比較的少なく、効果もはっきりしており、こむらがえりが起こる前にのんでおくとこむらがえりの予防が出来ます。筋緊張抑制薬:西洋のお薬です。漢方薬でも十分に症状が抑え切れない場合に、漢方薬と同時に服用します。神経ブロック:親指の付け根のつぼに少量の麻酔剤を注入します。一回の注射で約1~2ヶ月こむらがえりが抑制できるという報告もあります。」
 大沢さまは、「前田さん。何でもいいから、書いてください」と言ってくださり、「ひぐらしの記」はスタートした。しかし甘えて、こんなことまで、書いていいのだろうか?……。病は気からではなく、このところの私は、明らかに毎夜のカラス曲がりの痛みに怯えている。 

 ふるさと・「菊池渓谷」の復旧を伝えるふるさと

 三月二十五日(日曜日)、いつもの時間に起き出し、文章を書こうと掲示板を開いて、びっくり仰天いたしました。同時に、うれしさがドドッと込み上げてきました。こんな興奮状態では、自作文は書けません。また、書く価値もありません。平洋子様。まことに身勝手なお願いですけれど、事前のお許しを得ることなく、ご投稿文と添付の写真を「ひぐらしの記」へ転載させてください。なぜなら、ふるさと・熊本地震の復旧の証しを伝える、この上ないうれしいふるさと情報だからです。もちろん、文章力の伝える簡潔なふるさと情報のみならず、見事な出来栄えの写真技術にもいたく感銘と感動をおぼえています。心からお礼を申し上げます。
 ふるさと・「菊池渓谷(水源)」の復旧と、復興を続ける熊本地震の直近の情報にさずかり、わが郷愁はいや増しています。もう、桜見物にも憚れることはないでしょう。わが「ふるさと桜」を十分にご堪能ください。このところご無沙汰が続いている、わが恩師・お義母様へ、よろしくお伝えくださいませ。何よりのふるさと情報をたまわり、重ねてお礼を申し上げます。まことに、ありがとうございました。
 【(無題)】(ご投稿者:平 洋子様 ご投稿日:2018年3月24日・土曜日、12時41分)。「 一昨年の熊本地震の影響で入場できなかった菊池渓谷が、今日から公開されました。昨日の新聞記事を思い出して、行ってみました。道路の復旧、遊歩道の整備、樹木の片づけなど、多くの方々のご苦労がやっと実を結んだ日です。入口におられた関係者の皆さんの笑顔が印象的でした。まだまだ立ち入りできないところもありますが、これからの新緑、夏の涼しさ、秋の紅葉など、多くの見どころがあります。多くのみなさんのおいでをお待ちします。」


菜の花 

 きょうは彼岸の明け日(三月二十四日・土曜日)である。中日の「春分の日」(三月二十一日・水曜日)は、思いがけない降雪に見舞われて、七日間の彼岸は過ぎてゆく。もうはっきりと、寒さとは縁切りである。この先訪れる寒さは寒の戻りと呼ばれて、これまでとはまったく異質のものである。寒の戻りの特徴は、もはや長続きしないことである。その一方で、不意打ちを食らって余計に寒気に身震いすることはある。確かに、寒気をともなって長雨になれば、菜種梅雨(なたねづゆ)という季節用語が存在する。わが生涯学習の現場主義にしたがって電子辞書を開ければ、それはこう記されている。
 〈菜種梅雨〉「三月下旬から四月にかけて、菜の花が咲く頃に降り続く雨」。
 今さら言うまでもなく田園や野原一面に咲きそろう菜の花風景は、確かな春の訪れの先駆けであり、のどかな春の風物詩でもある。そしてそれは、散りどき、散りぎわを気にしながら眺める桜の花とは違って、心おきなく眺められる風景でもある。
 春・秋の季節の中にあって、眺める風景でわが一番のお気に入りには、春は菜の花畑があり秋は野原のコスモスがある。私の場合、どちらもしばしたたずみ眺めるだけで、これほど目の保養と気分の安らぐ風景はほかにない。ところがこの頃は、菜の花は食用として野菜売り場に並んでいる。一方、コスモスの花びらは、幸いにもいまだ食用として売り場で見ることはない。へそ曲がりの私は、並んでいる菜の花を見ると、菜の花までも食べなくてもいいのになあー! という、思いにとりつかれる。この嘆息は、人間の欲望の浅ましを知る思いの表れである。
 子どもの頃の私は、春ともなれば菜の花にのどかに飛び交う蝶々を眺めては、童心に春の息吹を感じていた。確かに私は、ときには菜の花に留まっている蝶々を素手で掴もうとした。しかし、童心ゆえの遊び心の戯れであり、掴みそこなっても悔しい気持ちにはならなかった。なぜならそのときの私は、菜の花と蝶々の恩恵にすがって遊び心を満たし、ふりそそぐ春の陽気を満喫していたのである。菜の花にはそんな佳い思い出があるから、売り場の菜の花にはちょっぴりこころ塞(ふさ)ぐところがある。わが意を心得ていたのか、それとも菜の花を食用にすることなど、まったく無知だったのか。
 よくノビル摘みなどの使いを頼む母は私にたいし、「畑ん菜の花を摘んで来て、くれんや!」とは、一度も言わなかった。テレビの料理番組の名だたるシエフや料理研究家が、コスモスの花びらを誇らしげに、レシピ(調理メニュー)に入れようものなら世も末である。今のところ私は、幸いにもそんな場面には遭遇していない。
 人間界同様に自然界の恵みにも、おのずから役割分担があるはずである。菜の花とコスモスは美的風景をもたらしてくれることで、十分その役割を果たしている。だから、食用にまでその役割を求めるのは、人間の浅ましい欲望であり傲慢であろう。一方的にわが思いを書いたけれど、菜の花栽培で生計を立てる人、菜の花のてんぷらや御浸しに舌鼓を打つ人、共に存在するのも世の習いである。いや、卑近なところで買い物連れのわが妻は、
「パパ。菜の花があるわよ。買ってもいいかしら? わたし、菜の花が大好きなのよ!」
「好きなら買えばいいよ。だけど、おれは食わないよ!」
 菜種梅雨にまつわる結末は、夫婦仲たがいの言葉を記して落ちである。夜明けの空はカンカン照りで、この先菜種梅雨の兆しはなく、田園は菜の花見物そして野山は桜見物真っ盛りにある。彼岸が明けて、もう春彼岸のことは過去ページにお蔵入りである。秋彼岸の頃には、コスモスのことを書くであろう。

 日本列島、人、躍動の季節到来

 大方の学び舎は卒業式を終えて、きょうあたりから春休みに入るのであろう。「第九十回、センバツ(選抜)高校野球大会」(阪神甲子園球場・兵庫県西宮市)は、きょう(三月二十三日・金曜日)開会式を迎えることとなる。この大会は桜前線の北上に合わすかのように、前評判や戦力分析が新聞紙上を賑わし、ほぼ開花の時期に開幕を迎える。そして、桜だよりがなお北上を続ける頃には閉幕する。このことは高校生大会ゆえに、余儀なく春休み期間を利用し、行われるせいの特徴であり宿命でもある。
 この大会と並び称される「全国高校野球選手権大会」(夏の大会)は、こちらは文字どおり真夏(八月)の炎天下、これまた夏休み期間中に行われる。そしてこちらは、今年(平成三十年・二〇一八年)は第100回記念大会という。こんなことで今年の高校野球は、例年以上に盛り上がりを見せるであろう。
 「韓国・平昌(ピョンチョン)オリンピックおよびパラリンピック」の閉幕にともない、いっとき凪(なぎ)状態にあったスポーツ界は、良い意味でいよいよ話題沸騰の季節に入る。もちろんこれは、日本列島津々浦々の桜だよりとあいまって、アマ・プロを通してさまざまなスポーツの季節到来のおかげである。わが待望するプロ野球の開幕日は、一週間先(三月三十日・金曜日)に近づいている。
 日本列島を覆う政治(家)がしでかしている黒い霧は、スポーツ界の明るい話題で払拭(ふっしょく)するにしくはない。しかし、日本国民であればだれしも、本当のところは黒い霧をもたらしている張本人による自浄作用を願ってやまないところである。
 あす(三月二十四日・土曜日)は彼岸の明け日である。確かに、夜明けも早くなり始めており日長にあって、桜見物、スポーツ見物、物見遊山などに、縮こまっていた人の身体組織が盛んに躍動する季節の到来である。出不精の私とて、またとないこんなチャンス(良い機会・良い季節)を逃す手はない。手を拱(こまぬ)いていては、愚か者である。そのため、行動開始の皮切りのわがビッグイベントには、皇居周りに咲く「千鳥ヶ淵・桜見物」(三月三十日・金曜日)が予定されている。実際のところは友達の誘いに呼応し、「牛に引かれての善光寺参り」さながらと、言えなくもない。

 「春分の日」のとんだ雪景色

 きのうの彼岸の中日・「春分の日」(三月二十一日・水曜日)の鎌倉地方は、見渡すかぎりが雪景色に見舞われました。私の目分量による積雪は、道路上で約三センチと推測いたしました。しかし、鎌倉地方にあってもこの積雪量は、わが現住する今泉台住宅地にかぎるものだったのかもしれません。おそらく海沿いの旧市街地は、雪が降ったとしても積もるほどではなく、チラホラだったかもしれません。なお言えば今泉台住宅地の中にあっても積雪の嵩(かさ)は、わが家周りが飛び抜けて高かったのかもしれません。なぜなら、わが家は広い住宅地の中にあっても、鎌倉の尾根をなす円海山山系に沿って、最も山際に位置しているからです。
 テレビニュースの中の気象予報士は、前日から関東地方の山沿い地方には降雪予報を伝えていました。そして、きのうの気象予報士は神奈川県の場合、特段に箱根の山の大雪模様を映していました。私はその映像を観て、わが家周りは箱根の山と同じか! と、呆れて自嘲気味に薄笑いを浮かべていました。
 きのうの私は雪が降り出す前の朝のうちに、十数メートル先に置かれているわが家宅地の側壁に接するクリーンステーション(ゴミ置き場)へ足を運んだだけでした。そのあとの私は、夜の就寝どきにいたるまで、一度も屋外へ出ることなく、茶の間暮らしに明け暮れました。妻といやおうなく向き合う茶の間には、一日じゅうエアコンがフル稼働していました。互いに、とんだ春分の日の日暮らしをこうむっていました。
 夜明けのきょう(三月二十二日・木曜日)は、雪、雨、風まったくなく、穏やかに空が明るみ始めています。幸いにも悪魔の雪景色は、消え去っています。いよいよ、おのずから桜の花は、群れ合う見物客を誘(いざな)って、満開どきを迎えています。とんだ雪景色は、ご愛嬌(あいきょう)の天界の春の悪戯(いたずら)だったのかもしれません。まさしく好事魔多しとも思えた、度肝を抜かれたとんだ春分の日の雪景色だったのです。

 雨と寒の戻りの「春分の日」

 もはや寒気は去り、和んだ気分で迎えるはずのきょう「春分の日」(三月二十一日・水曜日、祝祭日)は、生憎(あいにく)雨降りと寒のぶり返しに見舞われている。きのうの鎌倉地方は、ほぼ一日じゅう雨模様だった。そのうえ、寒気がともなっていた。気象はとんでもない春彼岸をもたらしている。
 春分の日にあって真っ先に浮かぶことは、「寒さ暑さも彼岸まで」のフレーズ(成句)である。そして、ほぼ同時に浮かぶことは、「昼間と夜間の長さがほぼ同じ」という、ものである。どちらも、人工の及ばない自然界(気象)のもたらす特徴である。こんな中にあって人間界は、文字どおり春らしい装いに変えて、ここを先途に行為や行動を活発にする。換言すれば春分の日は、季節の屈折点に合わせて、人の営みがいよいよ躍動し始める時でもある。ところがきょうの雨降りと寒の戻りは、それを制するかのような天界の悪戯(いたずら)ぶりである。そのうえ、きのうの気象予報士によれば、この悪天候には関東地方のいたるところで降雪予報さえ伝えられていた。
 それでも、寒気をはねのける春分の日は、やはり心の和みをもたらしてくれるところがある。その証しに私は、知りすぎていることだけどあらためて、カレンダー上に記載の春分の日にちなむ、彼岸にまつわる歳時(記)を記してみたくなっている。
 〈彼岸〉「彼岸は春と秋に、それぞれ春分の日と秋分の日をはさんで前後三日間、計七日間ずつあります。彼岸は仏教の六つの重要な徳を修養する期間であり、一般の人も墓参りや寺参りを行います。春分・秋分の日は太陽が真東から昇って真西に沈みます。そのため、仏教で西方にあるとされるあの世(彼岸)と現世(此岸)が通じると考え、この時期にご先祖さまの供養を行ったと思われます」。
 太陽が真東から昇ると言われる夜明けの空は、雨降りのせいで台無しである。もちろん、きのうから続く長雨は、なお夕方までにも止みそうになく、そのため真西に沈む太陽を見ることもできそうにない。とんだ春分の日だけれど、墓参りにも行けず、極楽浄土(西方浄土)と言われるあの世(彼岸)がしばし遠くなると思えば、案外「これ、良し」と、言えるかもしれない。
 ただ、思いがけない雨降りと寒の戻りのせいで、きょうの卓球クラブの練習は、足止めを食らいそうである。それよりなにより、買い物行動が殺(そ)がれて、大好物の桜餅や牡丹餅にありつけそうにないのは、トコトン悔やまれるところである。やはり春分の日は、その名にふさわしくのどかに晴れて、大好物を頬張ってこそ、心和むものである。残念至極、恨み骨髄に入る雨降りと寒の揺り戻しである。

春の雨 

  三月二十日(火曜日)、窓ガラスを開けると街灯に照らされて、ショボショボの春の雨らしからぬ雨が、風をともなって強く降っている。しかし、春彼岸の中日(三月二十一日・水曜日)を前にして、もはや寒気はまったく感じない。「雨もまた良し」と思える、気分の和む夜明けいまだしの夜のたたずまいである。
 きのう(三月十九日・月曜日)の私は、好むスポーツのテレビ観戦とは違って、いやおうなく昼間はNHKテレビが報じる国会中継に見入っていた。きのうの国会は、学校法人・森友学園(大阪市)にかかわる集中審議であった。森友学園にかかわる帰趨(きすう)は、現下の日本社会の関心ごとであるためNHKテレビは、昼の休憩時間の一時間を除いて、朝の九時から夕方の五時まで放映した。最後の無所属クラブの質問者の質問時間は、途中で放映がちょん切れたけれど、ほぼ全場面の放映と言えるものだった。
 私はほぼ放映時間通りにテレビ画面を凝視した。政府側に終始陣取ったのは、安倍総理と麻生副総理だった。麻生副総理は財務大臣を兼ねており、きのうの質疑応答の矢面に立たされていた。なぜなら、きのうの政府と与野党の論戦の中心は、森友問題の核心をなす財務省理財局にかかわるものだったからである。このため、政府答弁を補佐する官僚には、太田理財局局長がひっきりなしに立たされていた。質問する側には限られた持ち時間を気にしながら、与党(自民党およびと公明党)と、野党の入れ替わり立ち代わりが続いた。しかし、集中審議とは裏腹に質問や答弁にも新味はなく、二番あるいは三番煎じのお茶を飲むようなこれまでの繰り返しにすぎなかった。すなわち、質問する側は党や質問者を代えて、同じ質問を繰り返すばかりであり、受け手の安倍総理と麻生財務大臣は、焦点ボケの答弁の繰り返しに終始した。太田理財局長は、肝心なところは箝口令(かんこうれい)をひかれていたかのような説明を繰り返した。結局、この間の私は、質問そして答弁ともに飽き足らないままに時間を空費した。確かに、私は端(はな)からきのうの国会中継に、希望は託してはいなかった。しかし、少なからず関心ごとではあったのである。
 さて、「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」に続くパラリンピックは、全競技を終了し閉幕した。オリンピック期間中の私は、メダリストに称賛を浴びせていた。そのためきょうの私は、遅まきながらパラリンピックにまつわる一つの配信ニュースを引用し、勝利者の栄光に報いるものである。
 〈パラリンピアンに光!メダル報奨金増額「首が取れそう」5つ獲得村岡は900万円〉(3/19・月曜日、20:54配信 デイリースポーツ)。「平昌パラリンピックに出場した日本選手団が19日、帰国し、都内で解団式とメダリストによる記者会見が行われた。日本選手団は前回のソチ大会を上回る10個(金3個、銀4個、銅3個)のメダルを獲得。出場した5種目すべてでメダルを獲得したアルペンスキー女子座位の村岡桃佳(21)=早大=は『長時間メダルを掛けていると、首が取れてしまうんではないかという重さ。幸せです』と、笑顔で語った。日本パラリンピック委員会はこれまで金メダル150万円、銀メダル100万円、銅メダル70万円だった報奨金を、今大会から金300万円、銀200万円、銅100万円に増額。金1つ、銀2つ、銅2つの村岡は、計900万円を獲得した。同委員会は20年東京大会での増額を決めていたが、平昌での日本選手の活躍により、前倒しを決めた。日本オリンピック委員会(JOC)の五輪メダリストへの報奨金は金500万円、銀200万円、銅100万円。金メダルの額は届かないが、銀と銅は並んだ。村岡は『パラスポーツの価値が認められたのかな。もっとテストしたいことや、やってみたいことがあるので、競技にどん欲に費やしていきたい』と、喜びを語った」。
 日本社会にあって、政治の世界から感動をもらえる日は、いつかはくるのであろうか。夜明けても、春の雨は強く降り続いている。

 御免こうむりたい春の夢見

 きのう(三月十八日・日曜日)には春彼岸の入り日を迎えて、季節は中日(ちゅうにち)の「春分の日」(三月二十一日・水曜日)へと、めぐっている。確かに、春秋(しゅんじゅう)の彼岸は、「寒さ暑さも彼岸まで」の謂(いわ)れのごとく、季節の明らかな屈折点である。気象のうえで、一年間を半年ごとに分ける季節の転換点には、夏至(六月と冬至(十二月)がある。しかし、わが心身に確かな恩恵をさずかることでは、春分の日および秋分の日を中日にして、春・秋の彼岸に及ぶものはない。なぜなら、春の彼岸になれば寒気はすっかり遠退いて、秋の彼岸場合はその逆で、暑気はすっかり遠ざかる。私の場合、双方の彼岸を比べて歓迎できるものは、もちろん暑気を遠ざける代わりに、しだいに寒気を呼び込む秋の彼岸よりは、はるかに春の彼岸である。
 確かに、春彼岸の訪れは、もはや寒気を遠退ける本格的な春の訪れとなる。もちろんこの頃、春はもはや仲春であり、そして桜だよりを謳歌(おうか)しているうちに、晩春へと深まって行く。しかし、春彼岸が過ぎても寒気に見舞われることはある。ところがその寒気は、一時の寒の戻りと呼称されて、冬の寒さとは明らかに一線を画し異なるものである。わが体感によればことし(平成三十年・二〇一八年)は、例年に比べて寒気が長く、かつ著しく際立っていた。そのせいか、彼岸の入り日を迎えて訪れている暖かさは、まさしくこの上ない天恵と感じるところがある。
 しかしこの天恵は、私いや人間界ばかりではなく、地中や地上の自然界も同様にさずかっている。地中からはちょろちょろと虫たちが地上へ這い出してきて、菜の花にはモンシロチョウが飛び交っている。茶の間には、気の早い蝿さえ飛び込んできた。極め付きには気象予報士は、日本列島津々浦々の桜の開花は、このところの暖かさにより、例年より早まっていると言う。春彼岸の訪れは、まさしく春本番の訪れを告げるシグナル(信号灯)でもある。もちろんそれは、数々の季節用語をたずさえて、日本列島を春の陽光で染め上げている。
 四季にあって爛漫という言葉が似合うのは、春彼岸を迎えたこの先の季節がいちばんである。生きとし生けるものの蠢(うごめ)く、同時に待ちに待った百花繚乱(ひゃっかりょうらん)のわが好む季節の到来である。ところが、好事魔多し昨晩の私は、のどかな春の夢とはまったくかけ離れた、とんでもない悪夢に見舞われたのである。そのため、悶々するどころか七転八倒(しちてんばっとう)する思いに魘(うな)され続けていた。その挙句、寝起きのわが身体は陽気のせいとは思えない、悪夢のしでかしたびしょ濡れをこうむっていた。のどかに就いた眠りは悪夢に見舞われて、とんでもない春の夢の先駆けをこうむったのである。この先、どんなにつらい悪夢が続くかと思えば、春の夢見など真っ平御免こうむりたいものである。せっかくの好季節の訪れにあっても、スヤスヤと春の眠りにつけないようでは、もはやわが身は生きる屍(しかばね)同然である。

花の命、人の命  

 春彼岸の入り日の夜明けを迎えている。寒気の無い穏やかな朝ぼらけである。南の地方は寒冷がおおかた去って、北の地方は雪解けの盛りにある。こんな中桜前線は北上を続けて、日本列島は津々浦々に桜だよりに染められて、万感つのる季節の到来である。
 「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」。「林芙美子が色紙などに好んで書いた短詩。女性を花にたとえ、楽しい若い時代は短く、苦しいときが多かったみずからの半生をうたったもの(デジタル大辞泉 用語解説)」。
 もちろん、女性ばかりではなく、劣らず男性の人生も苦しさ多いものである。古来、華やかに咲く桜の花は、そのぶんよくもわるくも人生の哀歓と重ねられてきた。いやむしろ、散り際の儚(はかな)さなどから、人生の哀感を呼び起こされてきた。きょうの私は引用文にさずかり、桜の花を通して感ずる人生行路の哀感を浮かべている。
 引用文はきょう(三月十八日・日曜日)付け、朝日新聞朝刊の朝刊に掲載の「天声人語」のものである。
 「桜の花に心が弾むのは、そこに初々しさや若さ、はなやかさを見るからだろう。しかしこの花に魅せられ、多くの歌を詠んだ西行は、自らの老いすら投影した。〈花を待つ心こそなほ昔なれ春にはうとくなりにしものを〉▼桜を待つ気持ちは昔と変わらない。それでも人の世の春に疎遠となるのは老いゆえである。〈わきて見む老木は花もあはれなり今いくたびか春にあふべき〉では、老いた木の花にも風情があり、とりわけよく見ようと詠んだ。あと何度の春に巡り合えるだろうかと▼つぼみのほころびを待つ季節になった。開花の知らせが例年より早く届いている。一方で木々の老いは各地で確実に進んでいるとも聞く。いまや桜を代表するソメイヨシノは、戦後から高度成長期に植えられた木が多いからだ▼この桜は人の一生に似るかのように、40歳頃から枝の伸びに勢いがなくなる。『寿命60年説』もあるほどで60歳、70歳となれば高齢だろう。切り倒すのは忍びないと寿命を延ばす試みが各地でなされている▼東京都台東区はこの1~2月、『若返り剪定』と称し太い枝を切っていった。若い枝を伸ばすためだ。桜は切り口から腐りやすいと『桜切るバカ、梅切らぬバカ』のことばもあるものの、その逆をいく両方が広がりつつある。真新しい切り口を見ると、痛々しくも清々しくもある▼木に青年期があり、壮年期、高齢期がある。それぞれが一生懸命に花を咲かせようとするのは、見る方も見られる方も同じであろう」。
 わが高齢期にあっては、枯れ際の花さえ咲くめどはない。だから、もう何度とは見れない桜の花に、万感いや哀感つのるのである。

 別れのエレジー(悲歌)

 押しつけや、型に嵌(は)められることなどを理由に、平成の世では一定の歌は好まれないのであろう。確かに、それには一理ある。実際にも学校ごとに卒業式にふさわしいさまざまな歌が選曲されて、歌われているようである。ところが、昭和、とりわけわが子どもの頃の卒業式において斉唱される歌は、どこかしこ二つの歌にかぎられていた。一つは『蛍の光』であり、そして一つは『仰げば尊し』である。私にはこの二つの歌は、今でも卒業式にふさわしくピッタシカンカンだ! と、いう思いがある。しかしながら現在この二つの歌は、昭和時代の記憶遺産さながらとなり、影を潜めているようである。いや、今なお歌われている学校があるのか、あれば何パーセントくらいなのか、もちろん私は知るよしない。わが下種(げす)の勘繰りをすれば、まったく歌われていないのかもしれない。
 もちろんこの二つの歌は、世にいう流行歌ではないけれど、日本社会の変容を受けて、流行り廃(すた)りの影響をこうむることには変わりない。すると私は、まったく当てずっぽうに、この二つの歌が現在の卒業式では歌われず、過去の遺物へ成り下がっている理由の自問自答を試みている。そして、これらの歌が歌われなくなっていることには、二つの歌をいっしょくたににして真っ先に浮かぶことはこのことである。それは歳月の経過とともに現在の世には、卒業式にかぎらず別れにふさわしい歌がかぎりなく生まれているせいであろう。言うなれば現在の卒業式の歌は、学校の生い立ちや主義主張に合わせて、選曲のより取り見取りの幸運のさ中にある。加えて、卒業式のスタイルや、それにともなう歌にもまた、児童生徒の意向が少なからず反映するやりかたにもなっているようである。すると『蛍の光』は、あまりにも現実離れをしていて、古くさいイメージもあるのであろう。
 一方、『仰げば尊し』が歌われなくなった理由は、教育界すなわち先生や恩師にまつわる日本社会通念の変化がもたらしたものであろう。確かに、昭和時代の教育界や先生たちには、厳然と聖職という称号が奉じられていた。ところが、平成の世にあっては、この称号はゆめまぼろしである。実際にも教育界から、聖職という言葉を見聞することはなくなっている。すなわち、現在の教育界は、聖職という称号を得て、崇(あが)め奉(たてまつ)られること自体、おのずから木っ端は恥ずかしいと思うまでに、様変わっているのである。その挙句、仰げば尊しは卒業式の定番の歌からずり落ちたのであろう。
 児童生徒時代の私は、『蛍の光』そして『仰げば尊し』の斉唱にあっては、とどめなく清々しい感涙がわが両瞼(りょうまぶた)を濡らしていた。私にとって今なおこの二つの歌は、ふと口ずさむ惜別の歌の両翼にあるエレジー(悲歌)である。

春眠 

 春の深まりは、庭中、路傍、そして周囲の野山を眺めれば容易に感じられる。わが身体的には、一日じゅう「眠たい病」にとりつかれることで感じられる。私の場合は、「春眠暁(あかつき)を覚えず」という、フレーズ(成句)はまったくの用無しである。なぜなら、「ひぐらしの記」執筆の習性は、いつもほぼ夜間に起き出して、夜明け前や夜明け過ぎあたりまでに書いている。確かに、起き出して眠気まなこをこうむることは、しょっちゅうある。だからと言って、夜明けを知らず眠り続けることは、許されない。もちろん、たまには寝坊助(ネボスケ)をこうむり、大慌てふためくことはある。しかし、やはり私には、幸か不幸か「春眠暁を覚えず」という成句は、無縁である。
 ところが、そのとばっちりはわが身にふりかかる。すなわち、私はほぼ一日じゅう眠たい病に脅(おびや)かされている。だからと言って昼寝を貪(むさぼ)ることは、みずからを強く警(いまし)めている。なぜなら、一旦昼寝に落ちれば、「春眠陽射しを覚えず」、夜の眠りに陥ることを恐れているからである。暖かい春の陽気は、冬の間は緊張していた身体の細胞をだらりと緩めて、眠気を誘うのであろうか。もちろん、わが下種(げす)の勘繰りにすぎない。
 このところのNHKニュースは、政治(家)がしでかしている黒い霧の報道に明け暮れている。ところが、きのう(三月十五日・木曜日)あたりから、黒い霧報道をいくらかはねのけるかのように、日本列島の南の地方から北上を続ける、桜前線にまつわる桜だよりが増え始めている。実際のところきのうのニュースでは、桜だよりの先陣を切って高知県における開花を伝えていた。すると、人間がしでかしている黒い霧報道は、この先、自然界が恵む桜だよりで上書きされて、よくもわるくも雲散霧消、あるいは薄まるかもしれない。
 確かに、書き換えや上書きには、前文を改めたり、消したりする効用がある。わが文章の場合は、推敲(すいこう)を重ねることで当初の醜い文章をできるだけ綺麗に書き換えている。しかし公文書の書き換えだけは、真っ平御免こうむりたいものである。
 さて、きのうの私は、のどかな陽気に釣られて、にわかにいつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。その帰りには、先に歯医者へ出かけていた妻と落ち合った。定期路線バスの中では、共に肩を接して腰を下ろした。窓ガラスから射し込む麗(うら)らかな陽気は、すぐに私を眠りに引き込もうとした。私は眠気に耐えた。すると、二つの郷愁が呼び起された。
 一つは童心返りである。三月十五日から十八日にかけての四日間のふるさとは、「相良観音」の春季恒例祭で大賑わいとなる。子どもの頃の私は、母からもらった硬貨を手にしっかりと握りしめて、参道にベタベタと茣蓙筵(ござむしろ)敷いて居並ぶにわか仕立ての売り場や屋台へ、一目散に駆けて行った。何度となく店回りを行き来して、結局決まって買うのは、赤や緑に染められたニッキ水、あるいはラムネ、かき氷、綿菓子などだった。
 もう一つ浮かんだのは、生前のフクミ義姉さんの姿と思い出である。三月十五日は、フクミ姉さんの誕生日である。フクミ姉さんは相良観音の近くから、ふるさとの兄(わが長兄)のもとへ来られたのである。とかく、フクミ姉さんは義弟たちみんなに優しかった。すなわち、二兄、亡き三兄と四兄、そして私、すべてにたいし、かぎりなく優しかった。ふるさとを離れた四人の口癖は、異口同音に「おれは、フクミ姉さんがおられんなら、ふるさとにゃ、いっちょん、帰らんちゃええもん。姉さんに会いたくてばかりに、帰りたくなるもんじゃけ……」だった。優しいふるさとの兄をそっちのけにするほどに、ふるさと帰りの弟たちは、フクミ姉さんの優しさに浸りきっていたのである。その証しにフクミ姉さん亡きあとは、ふるさとが遠ざかるばかりである。
 射し込む陽射しを浴びても、眠気は遠のいていた。目のまえに夜明けが訪れている。

「春なのに……人工霧」 

 「春なのに……」、日本列島全体がのどかな春霞(はるがすみ)ではなく、すっぽりと重たく暗い霧につつまれている。ところがその霧は、気象現象ではなく人工がもたらしている霧である。日照り続きの場合、古来日本社会には農作物への悪影響を恐れて、神様頼みの雨乞い行事が根づいている。しかし、頼みとする神様はもとよりあてにはならず、人々の供(そな)えや祈りを無下(むげ)にほうむりさり、干ばつはなお続くことが多い。ところがそれは、神様が悪いのではなく、あてにはならないと思っても、神頼みしか便法の無い古代人のつらさでもあった。すると、これに懲りて現代人は、知恵を絞り科学的に「人工雨」を降らすことにたどりついたのである。
 確かに、人工雨は科学という学問を通して、人間の知恵が苦心惨憺の末に生み出した画期的出来事である。人工雨を降らすことができれば、「人工霧」をかけるのは、もっと容易(たやす)いはずである。ところが、私の記憶に頼れば日本社会にあっては、いまだに人工霧という、言葉は浮かんでこない。そのため人工霧という言葉は、わが胸中に咄嗟に浮かんだ、私だけの造語と言うべき代物ものである。
 のどかな春の景色に薄っすらと霞や靄(もや)のたなびく模様は、春特有の絵になる風景である。しかし、春の景色に霧がかかる風景は、寒々しく暗い気持ちにさいなまれるばかりである。ところが、人工霧をもたらしているのは、よりもよって日本の国を司(つかさど)る政治(家)からもたらされている。政治(家)は、私たちが託する日本の国の舵取りである。そのため、おのずから崇(あが)め奉(たてまつ)るべき、雲の上の崇高な集団である。ところが、こともあろうにこの選ばれた政治(家)集団は、張本人となって日本社会に人工霧をかけている。そのため、このところのわが政治(家)不信は、極まるところまでに達している。
 待ちに待ってようやく訪れている「春なのに……」、人工霧をかけられてこのところのわが日常は、鬱陶しく不愉快きわまりない霧の中をこうむっている。もちろん、人工霧が晴れなければわが花見気分は、濃霧の中にある。「悪いやつほどよく眠る」。「正直者が馬鹿を見る」。いろんな悪徳フレーズ(成句)が出没する春の夜明け前である。もちろん、政治(家)がこしらえた人工霧のせいで、この時季特有の「春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)」の気分は台無しである。
 〈春風駘蕩〉「春風がのどかに吹くさま。転じて、正確・態度がのんびりしているさま」。私は晴れない人工霧に、日々恟恟(きょうきょう)としている。
 〈恟恟〉「恐れおののくさま。どきどき。おどおど。びくびく」。
 書かずにはおれない、人工霧がもたらしている三日続きの「春の憂い」である。

逃れられない春愁 

 三月十四日(水曜日)、春の彼岸の入り日(三月十八日)を間近にひかえて、春三月は中旬をめぐっている。おのずから気候は、すっかり暖かくなっている。現在の時間帯は、夜間の二時半近くである。しかし、もはや寒気はまったく感じない。気象のうえで寒気の遠ざかりを示す春彼岸間近にあっては、もはや寒さに震えて泣きべそをかくことはない。いよいよこの先の私は、季節めぐりの恩恵をわが身にたっぷりと取り込むことになる。
 今さら言わずもがなのことだけれど、春三月の深まりは、百花繚乱の恵みをひきつれてくる。そのため春三月は、もともと人心の安らぐ季節である。ところが、実際には人心がとてつもなく、せつなく揺らぐ季節でもある。すると、自然界の恵みは、よくもわるくも人間界の切なさをいっそう増幅して奏(かな)でるBGM(背景の音楽)と、言えなくもない。
 春三月特有の人間界の切なさは、別れと出会いに凝縮される。具体的には学び舎であれば卒業式、企業や役所などの実業社会であれば、人事異動にともなう転勤光景などがある。そして、こののちには入学式や入社式などがたけなわとなる。このところはまったく影を潜めているけれど、上京したての頃の私は、こんな都会の光景に度肝を抜かれていた。それはこの時期特有に、かつての国鉄(現在JR)・東京駅ホームで出遭った、転勤者を見送る万歳三唱や胴上げの光景である。必ずしも出世街道ではなく、いや明らかに都落ちなのかもしれないのだ。だから、へそ曲がりの私は、なのにあんなに大袈裟さな見送りをされては、本人とてありがた迷惑で、木っ端恥ずかしい思いだろうと、下種(げす)の勘繰りをめぐらしていた。
 やはり別れは、ホームの柱の陰に見え隠れあるいは柱に凭(もた)れて瞼を濡らし、動き出す列車に向かって手の平を振り続ける光景こそ、絵になる一幕と言えそうである。そんな体験の無い私には、ゆめまぼろしのない物ねだりの別れのシーンである。
 きのう、路上を歩いているとあちらこちらの植栽には、白や紅(あか)に彩(いろどり)を違(たが)えた梅の花が盛りを迎えていた。建ち並ぶ家並みの植栽に桜の木を見ることはないけれど、梅の木は植栽に似合うのであろう。確かに、桜の木は高木になりすぎて手に負えないことや、桜の木には毛虫がつきやすいせいもあろう。一方、梅の木には、花を眺めたのちには実にありつけるという、一挙両得の恵みがある。もちろん、そのための剪定作業も容易である。しかしながら、植栽の梅の花には侘しさや切なさつのるところがある。
 きのうの私は、植栽を残して空き家になっているところに咲き誇る梅の花に、ことさら侘しさをおぼえていた。なぜならこのときの侘しさは、後継者のいないわが家にいずれふりかかるものだったのである。空き家の植栽に見る梅の花は、確かに逃れられない春愁の一つである。きのうの私は、『この春の憂鬱』と題して一文を書いた。すると、きょうのこの一文には、『逃れられない春愁』と、つけようと思う。寒さの遠のく春の彼岸の入り日を間近にしても、なお季節の恵みに逆らうわがマイナス思考は、生来の身から出た錆(さび)である。

この春の憂鬱 

 きのう(三月十二日・月曜日)のテレビニュースの映像には、東京大学(東大)の入試における、合格者の受験番号を記した掲示板が映し出された。それを見入る人の群れの中にあっては、記されていた受験番号の男子受験生と父親の喜び極まる抱擁姿が大写しされた。一方で、うなだれてひそかに群れを外れる女子受験生の姿があった。もちろん東大にかぎらず、さまざまかつすべての受験の合否発表において、いやおうなく見せつけられる悲喜交々(ひきこもごも)の光景である。
 私は日を替えてめぐってきた「東京大空襲」(一九四五年年三月十日・七十三年目)と「東日本大震災」(二〇一一年三月十一日・七年目)の哀しみを顧みて、『人災と天災』という表題の下に一文を書いた。それはもとより、哀しみの忘却をみずからに戒(いまし)めるためであった。
 現下の世界の政治事情にあっては、米朝(アメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・金正恩朝鮮労働党委員長)の雪解けの兆しという、降って湧いた幸運ムードが漂っている。韓国・平昌(ピョンチャン)にあっては、オリンピックに継ぐ「パラリンピック」競技の真っただ中にある。おのずから夢のパラリンピックの檜舞台で競技する競技者には勝敗にかかわらず、日本国民こぞってオリンピックの勝者を超えて敬愛の称賛と万雷の拍手を送るべきであろう。
 ところが、とんだことでパラリンピックからたまわる感動は、薄らぎかけている。このところ難題続きの大相撲は、それでも春場所(エディオンアリーナ・大阪大阪府立体育会館)の開催にこぎつけている。しかし、これまたとんだことで、春場所にまつわる話題は色褪せ気味である。
 さまざまな学び舎は、感動と感涙の湧き出る卒業式の最中にある。企業や役所などの公務にあっては、年度替わりの業務に忙殺を極めたり、いやおうない人事異動真っただ中にもある。ところが、とんだことでこちらの話題も埋没しがちにある。南の地方から北上を続ける桜前線および桜だよりは、いよいよ日を追って日本列島を総なめにする頃にある。人間界および自然界共に爛漫にめぐってくる春三月は、四季いや例月の中にあっても、とりわけ人の心に哀歓をおぼえるところがある。言うなれば、哀しみあるいは歓びどちらにしても、人間の心情が格別迸(ほとばし)る月と言えそうである。すなわち、哀歓を交えてことさらつのる人間らしい春の心情は、この春にかぎればとんだことで一変して台無し状態にある。嘆かわしいことにそれは、よりもよって日本の国を率いる政治(家)の劣化ぶりからもたらされている。
 具体的には学校法人「森友学園」(大阪市)にたいする、国有地の払い下げにかかわるさまざまな醜聞である。もちろん、日本国民にとっては一過性のとんだことではすまされない、醜(みにく)い政治(家)のしでかしである。そのため、日本国民がこうむっているのは、この春の憂鬱である。もはや政治家は、リスペクト(尊敬する)エリートではなく、世を汚(けが)す落ちぶれた烏合(うごう)の衆にすぎない。

人災と天災 

 日本の国および国民がこうむった人災と天災を過去へ遡(さかのぼ)り、記憶を新たにすれば無限大にある。それらのすべてには、日本国民の命にまつわる哀しみがつきまとっている。もちろん、人災や天災にともなう個々の命の毀傷(きしょう)による哀しみは、事の大小で差はなくすべて平等にもたらされる。そして、被災の状況やそれらから得られた教訓を日本国民に普遍的に伝えるには、おのずからメディア報道に頼らなければならない。このため、災害の記憶を新たにするメデイアの報道は、必然的に大きな災害になることはやむを得ないところである。すると、メデイアの伝える過去の人災と天災にあって、きのうときょうには相次いでいる。もちろん、発生年は異なるものである。
 戦争という忌まわしい人災がしでかした記憶は、まるで祥月命日のごとくに、きのう(三月十日・土曜日)呼び戻された。その記憶は、今年(平成三十年・二〇一八年三月十日)から遡ること七十三年前、すなわち「東京大空襲」(昭和二十年・一九四五年三月十日未明)の大惨事である。一瞬にして焼野原と化した東京の街の風景はさておいても、死者の数だけでも十万人余を超えるものだという。戦争さえなければ遭遇しない、まさに未曾有(みぞう)の一瞬の人災である。
 そして、日を替えたきょうには、記憶を呼び起こすまでもない、いまだに生々しい「東日本大震災」(平成二十三年・二〇一一年三月十一日、午後二時四十六分)からの七年目が訪れている。そのため、きょうの文章には、その現況を伝える配信ニュースを引用し、記し置くものである。
 歳月は、よくもわるくも哀しい災害を風化させながらめぐっている。しかしながら、東日本大震災だけはいまだ風化しない、いや決して風化させてはならない、哀しい現実の最中にある。
 【東日本大震災 依然7万3000人が避難】(最終更新 、2018年3月11日2時30分 毎日新聞)。「東日本大震災の現状。震災関連死を含め2万2000人以上が犠牲になった東日本大震災は、11日で発生から7年を迎えた。津波や東京電力福島第1原発事故の被害などで、依然として約7万3000人が全都道府県に散らばって避難している。岩手、宮城、福島の3県では、高台移転による宅地造成や災害公営住宅(復興住宅)の建設が進む一方、1万2000人以上が今なおプレハブの仮設住宅で暮らしている。 警察庁の9日現在のまとめでは、死者は1万5895人、行方不明者は2539人。復興庁などによると、関連死は2017年9月末現在、10都県で3647人(前年比124人増)、うち福島が2202人(同116人増)を占める。避難者数は2月現在で7万3349人。福島県の11市町村に政府が出した避難指示は、第1原発が立地する双葉、大熊両町を除く9市町村で解除が進み、避難指示区域の面積は当初の3割、約370平方キロに縮小したが、4万9528人が避難したままだ。うち3万4095人が県外におり、避難先に生活基盤が根付くなどで帰還も進まず、解除地域の居住率は15%にとどまる。双葉、大熊両町は今も全域避難が続き、政府は帰還困難区域に再び人が住めるよう除染などを集中実施する『特定復興再生拠点区域』の整備を促進している。」
 東日本大震災にともなう、津波と東京電力福島第一原発による被災状況の凄惨さは、私の場合、さまざまなテレビ映像からもたらされている。特に、津波が襲う状況は、観るに堪えない魔の時間である。そのため、教訓とするにはこの上ない確かな映像でもある。
 ところが、めぐりくる歳月にはあまり放映されない。それは、被災者の哀しみをおもんぱかってのことであろうと、納得するところではある。なぜなら、東京大空襲の映像とは異なり、東日本大震災からこうむっている哀しみは、今なお現実の最中にあるからである。
 過去および現在からもたらされる人災および天災を通しての日本国民の哀しみは、ひとごととしては済まされない、わが心中に呼び戻される痛恨事である。

健康寿命 

 きのう(三月九日・金曜日)には、突然国内外に衝撃を与えた二つのニュースが飛び込んだ。一つは、世界中の人々が眉唾(まゆつば)と思いながらも歓迎の面持ちで出合った、犬猿の仲際立つ二人の会談をちらつかせたニュースである。アメリカ・トランプ大統領と北朝鮮・労働党委員長金正恩(キム・ジョンウン)氏は、五月までに米朝首脳会談を決め込んだのである。まさしく世界中の人々が、寝耳に水さながらに大慌てした快報(怪報)だった。
 また一つは、日本国内が発信元で、日本国民が驚愕したニュースである。それは、佐川宜寿国税庁長官の突然の辞任ニュースだった。なぜ、一個人の辞任が日本国民に衝撃を与えたかと言えば佐川氏は、国税庁長官の前職は財務省理財局長で、「森友問題」の渦中におられたからである。森友問題の核心事項は、不当に安いと言われている国有地の学校法人森友学園(大阪府)への払い下げである。こちらは今なお国会を中心に、未解決のままに政府と与野党論戦の最中にある。
 突然、降って湧いたとも思える国内外の二つのニュースは、この先までその帰趨(きすう)が大いに人々の関心を呼ぶものでもある。もちろん、私とてその関心者のひとりである。しかしながら加齢のわが身には、きのうのこのニュースこそ他人事(ひとごと)とは思えず目を奪われて、引用し記し置くものである。
 〈最長は山梨と愛知、最短は秋田と広島〉(2018年3月9日16時41分 読売新聞)。「健康上の問題がなく日常生活を送れる『健康寿命』について、厚生労働省は9日、2016年は男性が72・14歳、女性は74・79歳だったと発表した。前回調査(13年)と比べ男性が0・95歳、女性は0・58歳延びた。健康寿命は、同省が3年に1度行う国民生活基礎調査で、健康上の問題で日常生活に影響がないと答えた人の割合や、年齢別の人口などから算出している。都道府県別(地震のあった熊本を除く)では、健康寿命が最も長かったのは男性が山梨の73・21歳、女性は愛知の76・32歳。最短は男性が秋田71・21歳、女性は広島73・62歳だった。1位と最下位の自治体の差は男女ともに前回調査より縮小した。16年の平均寿命は、健康寿命と比べて男性は8・84年、女性は12・35年長く、その間は介護などの手助けが必要になる可能性がある。同省は『各地で食生活の改善などが進み、健康で暮らせる期間が長くなっている』と分析する。」
 幸い現在の私は、男性の健康寿命の平均年齢を長くしている。しかし、まもなく短くしそうなれっきとした予備軍である。もちろん、それに抗(あらが)うことはできない。しかし、再び冒頭の二つのニュースを浮かべるまでもなく、人生は人それぞれにままならないことばかりゆえ、避けて通れない天命に嘆くことは愚の骨頂である。まして、介護を受ける人、さずける人の苦しみをかんがみれば、いまのところはもったいないわが健康寿命(年齢)(七十七歳)である。

「出藍の誉れ」 

 きのうの私は、とんでもない寒さに負けて、寝床へとんぼ返りして文章を休んだ。しかし、休んだことに悔いはない。なぜなら、休んだことでひきそうな風邪への罹りを免れている。ほぼ同じ時間帯にあってもきょう(三月九日・金曜日)は、きのうの寒気は遠のいて、私は春季節の恩恵にさずかっている。まさしくわが日常の営みは、よくもわるくも気象の影響をもろに受けている証しである。もちろん現在の私は、きのうとは違って暖かい恩恵にあずかっている。
 「きょうは何の日?」と、世の中の出来事を浮かべれば、「韓国・平昌(ピョンチャン)パラリンピック」の開幕日である。私はテレビ観戦を通して先のオリンピック同様に、国の友好や選手同士の友情が見られることを願っている。
 さて、きょうの私は、わが生涯学習の現場主義にしたがって、ありふれた言葉の復習を試みている。試みの真意はこの上ないほどに、言葉と出来事がピッタシカンカンのメディアの伝える配信ニュースに出合ったからである。伝えられたニュースは、教える者そして学ぶ者共に、うれし涙にむせぶ出来事であった。私の場合はもたらされたニュースをもとに、二つのつながりのある故事成句のおさらいである。 【青は藍(あい)より出でて藍より青し、氷は水これをなして氷より寒(つめた)し】(出典:荀子)。この成句は、ずばり「出藍(しゅつらん)の誉(ほま)れ」として、世の中に流布している。
【出藍の誉れ】「弟子が師匠を超える名声」。
 二つの成句が浮かんだもとは、次に引用する配信ニュースである。まさに、麗(うるわ)しく花開いた師弟対局がもたらした出藍の誉れである。
 〈藤井六段 師弟対決で勝利〉(3/8・木曜日、18:34 スポニチアネックス)。「藤井六段、初の公式戦師弟対決制す!千日手指し直し局で杉本七段に“恩返し”。中学生棋士の藤井聡太六段(15)が8日、大阪市内の関西将棋会館で指された第68期王将戦(スポーツニッポン新聞社、毎日新聞社主催)の1次予選2回戦で、師匠の杉本昌隆七段(49)と公式戦初の師弟対決に臨み、111手で勝利を収めた」。
 出藍の誉れとは、敗れた師匠そして勝った弟子共に、満顔に笑みを湛える快挙と言えそうである。

春の憂い 

 私はこのところの暖かさに慣れて、春の季節の特徴をいくらか忘れかけていた。すでに、身支度も春向きに変えていた。三月七日(水曜日)、午前三時近く、私はこんな早や合点の行為に不意打ちを食らっている。不意打ちとは、暖かさに慣れ始めていた身体に寒気が襲っていることである。だからと言って、春の季節の特徴の一つである「寒の戻り」と言うには違和感がある。なぜならこの言葉は、桜の花の咲く頃に襲われる寒気にこそ、ふさわしいからである。すなわち、いまだ春三月になって一週間あたりで見舞われている寒気は、寒の戻りとは言えず冬の延長線上のものであろう。だから実際には、冬衣(ふゆごろも)の下着を減らし、身を軽くしていた私には、現在の寒気は不意打ちの冬の名残と言えそうである。そうではあっても季節のめぐりは、寒暖の境い目をなす「春分の日」(三月二十一日)へ向かっていて、もはや寒気は消費期限間近にある。
 春三月となれば日を追って暖かくなり、文章を書く私には願ってもない好季節の到来である。ところが、実際にはそうは問屋が下ろさず、私は日々の文章に呻吟するばかりである。もちろんそれはわが能無しのせいゆえに、その祟(たた)りは自分自身が蒙(こうむ)らなければならない。すると、せっかくの好季節にあっても文章が書けないのは、わが春の憂鬱の一つである。文章が書けないのは、わが能無しに加えて明らかにネタ(題材)不足のせいである。いや、実際のところは、ネタはどうにかあってもわが能無しのせいである。このため現在の私は、苦しまぎれに心中に浮かぶメディアの伝える世相の一端を記し始めている。
 先ずは、天皇陛下のご退位にともなう「退位の礼」の施行のことである。退位の礼の施行日は、正式に来年(二〇一九年)の四月三十日、と発表されたのである。これにともなう新天皇(皇太子殿下)の即位は翌日の五月一日となる。そして、平成に変わる新元号の決定は、これらに先立ち今年(二〇一八年)の夏頃の事前公表の段取りで進められているという。昭和時代の私にとっては、明治および大正時代がはるかかなたの世であったように、いよいよ昭和はかなたへ遠ざかるばかりである。
 降って湧いた世界の出来事を浮かべれば、それには朝鮮半島における「南北首脳会談」決定のニュースがある。こちらは、今年の四月末に行われるという。その先どうあれ、南北の雪解けムードは歓迎すべき朗報である。これらに加えるものでは、アメリカ大リーグにおけるイチロー選手の新たな契約(球団)決定のニュースがある。しかもその球団は、イチロー選手自身としても原点復帰の当初の「シアトル・マリナーズ」球団である。イチロー選手(四十四歳)の選手寿命の延びたこのニュースは、私にとってもとてつもないうれしいニュースだったのである。
 せっかくの好季節到来にあっても、文章には日々呻吟するばかりである。能無し野郎の確かな春の憂いである。

 めぐってきた「春の風景」

 花泥棒はもっとも質(たち)のわるい泥棒である。路傍の草花を手折(たお)ったりする者もまた然りである。なぜなら、精魂込めて育てたり、優しく眺める入る人の気持ちを無下に踏みにじるからである。せっかく地中から這い出た虫たちを虫けら呼ばわりして、むやみに足で踏みつけるのも人間のしでかす悪業(あくごう)である。
 きょうは、地中の虫たちが地上へ蠢(うごめ)き出す「啓蟄(けいちつ)」(三月六日・火曜日)である。啓蟄とは今さら記すまでもなく、一年の季節めぐりを二十四に分けて表す、「二十四節気」の中の一つである。その意味は、蟄居(ちっきょ)と対比すれば容易に分かるものである。そしてそれは、自然界からたまわる春の訪れを告げる確かなシグナル(合図)の一つである。そのため、虫けらならず私にも啓蟄には、これまで寒気に凍えていた心身の緊張が一気にほぐれる思いがある。いよいよ自然界は春の恵みを得て、生物および植物共に、一斉に躍動・繚乱の季節となる。
 今さら記すまでもないと書いたけれど、この先はわが生涯学習におけるおさらいである。まずは、カレンダー上に書かれている「啓蟄」にかかわる説明文を記してみる。
 【啓蟄】「冬ごもりから虫(蟄)たちが目覚め、土に穴を開いて(啓いて)地上に現れるという意味です。この時期になると雨が降るごとに日差しが暖かくなり、春らしい陽気になってきます」。
 あえて私は、電子辞書を開いて言葉をつないでみた。すると、こうである。蟄(ちつ)とは「冬ごもりをしている虫」、蟄居とは「虫が地中にこもっていること」、そして啓蟄とは「蟄虫(ちっちゅう)、すなわち地中に冬ごもりの虫が地上にはい出る意」と、記されている。すなわち啓蟄とは、虫たちが示す春の訪れのシグナルである。
 地上は、すでに一木一草(いちぼくいっそう)の奏でる春のシグナルたけなわでもある。実際にはそれは、野山の木々の芽吹き、花壇の花々の咲き出し、さらには路傍の草花の萌え出しに現れている。さらに畑地における春野菜は、茂りの真っ盛りにある。わが家周辺であればきのう書いた『フキノトウ物語』はさておいて、庭中における雑草の萌え出しがある。そして、雑草に交じり同居する紫大根は、ちょろちょろと紫色の花を開き始めている。紫大根は弱々しく見えても、ほったらかしでも毎年咲き続ける手間要らずである。それに味を占めている私は、わが清掃区域の道路の側壁の上に、紫大根を横一線に連ねている。私にすれば、通りすがりの人たちの目の保養になればという思いがある。
 ところがきのう、茶の間にたたずむ妻は窓ガラス越しに、こんな素っ頓狂な声を発したのである。
「パパ。花大根を抜いて行った人がいるわよ。悔しいわ! わたし、追っかけようかしら……、パパどうする?」
「そうか。気分わるいねー。だけど、追っかけなくていいよ」
 確かに、路傍の草花まがいではあっても、持ち去られた私たちには、気分の滅入る春の風景だったのである。
 虫たちの這い出る季節にあっては、私は心して道路を歩かなければならない。草取りにあっては雑草に詫びる気持ちで、ミミズは地上にさらけ出したままにせず、土をかぶせてやらなければならない。ようやくめぐってきた春の風景を堪能するには、人なりのこころくばりを持ちたいと、みずからをいましめているところである。

「フキノトウ物語」 

 正真正銘の春が来た。雑草の茂りに先駆けて、フキノトウが萌え出ていた。陽光に艶やかに光る小さな萌黄色のフキノトウは、他を圧して春の訪れの大きな証しだった。萌え出たばかりのフキノトウを摘むには気が引けた。それでも私は、意を決して金笊(かなざる)を左手に持って、親指と人差し指で残らず摘んだ。食欲という、人間の身勝手な欲望のためである。本当のところは、こんな小さな命までをも犠牲にして、わが命をはぐくむことなど、慎みてご法度(はっと)でいいはずである。ところが、大らかな気持ちにはなれず私は、一年回りにようやく萌え出たばかりのフキノトウの命を無残に摘んだ。まさしく、浅ましい餓鬼道ぶりだった。
 確かに、心中にはいくらかの詫びる気持ちをたずさえていた。しかし、実際には詫びる気持ちより、二人の欲望がはるかに勝っていた。なぜなら、私と妻は台所の窓ガラス越しに、こんな浅ましい会話を交わしていたのである。
「あれ、フキノトウがあんなに出ているよ」
「ほんとだわ。春が来たのね。瑞々しく、光っているわね」
「庭に下りて摘んでこようかね」
「パパ。すぐに摘んで来てよ」
「うん。摘んでくるよ」
「フキノトウ、どうして食べようか?」
「どうしてって? 味噌和えしかないよ。味噌和えがいちばんうまいよ」
「そうね。すぐに摘んで来て! 根こそぎじゃなく、鋏で切って来てね」
「鋏なんて要らないよ。指先で摘むから、春の感触がいっそう味わえるんだよ」
「パパ。根を抜いちゃ、駄目よ」
「そんなこと、わかっているよ。子どもの頃は、フツ(ヨモギ)、カワセリ、ノビルなど、よく摘んでいたから……」
 思いがけないフキノトウ談義は、老いぼれ夫婦にのどかな会話をもたらした。
 摘んだフキノトウを入れた金笊を手にして戻ると、妻は「こんなにたくさんあったの」と、言って喜色満面に相好(そうごう)を崩した。私は「そうだよ」と、言った。ただ私は、いくぶん罪の意識に駆られていた。なぜならそれは、人間の命は「いきとしいけるもの」の命の略奪や犠牲の上になりたっていることをあらためて知らされたからである。
 手の平サイズ(掌編)の成り行き文・「フキノトウ物語」は、いくらか切ない結末だった。ちょっぴり、春愁と言えるかもしれない。早速、妻は味噌和えをこしらえた。フキノトウの味噌和えの美味は、確かな春の訪れの証しだった。台所の二人は、春愁を超えて和んでいた。

春三月の特徴 

 三月四日(日曜日)。めぐり来ている春三月の季節の特徴は、冬が去っての温暖、そして嵐、あるいはときおり戻る寒冷えである。さんざん大雪に痛めつけられてきた雪国地方の人々にとっては、真っ先に雪解けの季節と浮かぶであろう。野山の一木一草には新芽が萌え出して、里の百花繚乱の先ぶれを告げてくる。カレンダー上には間近に、地中の虫たちが蠢(うごめ)き立つ「啓蟄」(三月六日・火曜日)が記されている。
 自然界のこれらの特徴と比べて、人の世の春三月の特徴を浮かべると、それは「別れの月と出会いの月」、あるいはその逆の人間模様である。そして、この模様を真っ先にあらわにするのは学び舎である。二月の受験シーズンを終えて世間の学び舎は、日を替えて卒業式真っただ中にある。大方の卒業式には『蛍の光』が斉唱されて、文字どおり別れの儀式である。式次第にはずばり、一人の代表者による送辞と答辞が織り込まれている。講堂に居並ぶ在校生と卒業生は、あふれる涙をこらえるか、こらえきれずにシクシクと涙するばかりである。別れの確かな証しは、卒業証書である。卒業式のあとには人それぞれに異なる、進路(選択)が待ち受けている。おのずからこんどは、それまではまったく見ず知らずの人との出会いとなる。
 もちろん、企業や役所、はたまたいろんな公務に従事するひとたちにとっても、別れと出会いは逃れられない定めにある。こちらの人間模様を織り成すのは、一片の辞令で告げられる「人事異動」である。身近なところはもちろん、町中や村中でこの証しを如実に示すものの一つには、引っ越し荷物を積んだ大型貨物の往来がある。まさしく人の世の春三月の特徴は、悲喜交々の別れと出会いである。それは、だれしもの人生行路において、避けて通れない哀感でもある。できれば哀歓交々、いや歓(よろこ)び多い出会いを願うところである。

 「ひな祭り」

 「ひな祭り」(三月三日・土曜日)。「春眠暁を覚えず」の候となり、寝坊してしまった。ところが、いつもの寝坊とは違って現在のわが気分は、焦ることなくゆったりとしている。それは、きょうがひな祭りのおかげである。カレンダー上には、ひな祭りにかかわる歳時(記)が記されている。それはこうである。
 【ひな祭り】「ひな人形を飾り、白酒やひし餅をお供えするひな祭りは、桃の節句や上巳(じょうし)の節句とも呼ばれます。古代中国で三月上旬の巳(み)の日に行われた厄払いの行事が伝来し、人形(ひとがた)に穢(けが)れを移して水に流す日本の風習と一緒になったといわれています。もとは宮中の行事でしたが、江戸時代に人形作りが盛んになると武家や庶民にも広がり、現在のような女の子の成長を願うお祝いになりました。」
 確かに、私の感ずるところひな祭りという言葉には、語感自体にほのぼのさがある。そのため、語感からだけでも春の訪れにあって、女の子の成長を願ってお祝いするには、まさにふさわしく思えるところがある。いや、わがケチな考察ではなく、古来、春真っ先ののどかな日本の国の伝統的な歳時(記)の一つである。その証しにはだれでも知っているカレンダー上の記述を今さら記しただけでも、私には和みとほのぼの感が渦巻いている。
 記述の中では、ことさら記憶を懐かしく呼び戻された文字があった。それは「ひし餅」(菱形餅)である。確かに、ひな祭りが近づくとわが家では、ひな祭り用の餅をついていた。ところがそれには、正月用の丸餅一辺倒とは異なり、さまざまな趣向がともなっていた。それらには、ひし餅、かき餅、ひなあられ、さらには萌え出たばかりの瑞々しいヨモギをまぶした草餅などがあった。まさしくのどかな春の訪れにふさわしい、「ひな祭り」にちなんでのうれしい餅の数々である。
 もちろん、餅搗きは家族みんなでしたけれど、餅をこれらの姿に変えるのは、母の独擅場(どくせんじょう)だった。そのため、ひな祭りがめぐって来ると、私には真っ先に生前の母の姿が浮かんでくる。このことからひな祭りには、数ある歳時(記)の中でも最も母恋慕情がつのり、そのため和んだ心地にもなる。ひな祭りをひかえてのひし餅とひなあられそして草餅などには、ひな人形に穢れ除きを託すように、子どもたちの無事息災を願っていた母の思いが託されていたのかもしれない。まさしく母の愛は、わが生涯にわたり知り得ない深淵にある。
 寝坊助の現在のわが心地は、いつもとは違って焦ることなく和んでいる。もちろんそれは、ひな祭りにともなう母恋慕情のおかげである。煌煌(こうこう)と、のどかな朝日が輝いている。

 春到来

 二月から替わってきのうの三月一日(木曜日)、暖かさに居たたまれなくて私は、コートを脱いで買い物へ出かけた。わが買い物の街・大船(鎌倉市)には、いつもにも増してのどかに大勢の人が往来していた。それらの人たちの装いもまた、おおむねコートなどの冬着なしだった。難聴の耳に入る連れ合う人たちの会話は、和やかに大きく弾んでいた。冬をほうむった陽射しの強い突然の春の訪れは、人の身なりや気分を一変させていたのである。
 鎌倉地方に出ていた荒天・大嵐の予報は、幸いにも小嵐にさえならず、高気温の春到来だけを告げて外れた。それでも日本列島でみるかぎり、春はすんなりとはこなかった。
 <春の嵐、車横転などの事故…首都圏では気温上昇>(2018年3月2日0時57分、読売新聞)。「低気圧が急速に発達しながら日本海を進んだ影響で、日本列島は東日本を中心に、1日未明から午前中にかけ、大雨や強風に見舞われた。首都圏では気温が上昇し、東京都大田区で22・2度、横浜市で20・8度を観測するなど、各地で4月下旬から5月上旬の陽気となる一方、北海道と東北の日本海側では終日、強風が吹く荒れた天気が続いた。北日本では2日にかけて冬型の気圧配置が強まる見通しで、気象庁は猛吹雪に警戒を呼びかけている。気象庁によると、1日は南から暖かく湿った風が吹き込み、各地で突風が発生。茨城県行方市では車が横転したり民家のガラスが割れたりするなどして3人がけがをしたほか、新潟市や静岡市でもトラックが横転するなどした。香川県坂出市では、午前11時頃、JR瀬戸大橋線の特急列車が強風のため高架橋上で停車。乗客193人を乗せたまま5時間余り立ち往生した。空の便も乱れ、午後9時現在、全日空では129便が欠航。日本航空でも144便が欠航した。」
 加えて、春の嵐よりはるかに恐ろしい、天変地異にも脅かされている。
 <沖縄地方で強い地震、西表島で震度5弱 津波の心配なし>(2018年3月2日0時39分 朝日新聞デジタル)。1日午後10時42分ごろ、沖縄地方で強い地震があった。気象庁によると、西表島で震度5弱、黒島と波照間島で震度4、石垣島で震度3を観測した。震源地は西表島付近で、震源の深さは約15キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・6と推定されるという。この地震による津波の心配はないという。1日午後11時11分ごろと2日午前0時32分ごろにも、西表島で震度3を観測する地震があった。」
 わが身は春の嵐を逃れたからと言って、春到来と悦に入るにはうしろめたい気分がする春の訪れである。

 春三月、初日

 三月一日(木曜日)。窓ガラスに掛かるカーテンを開いた。暗闇の中、風はさして吹いていない。しかし、雨はすでに降っている。鎌倉地方にかぎらず日本列島には、典型的な気象現象で冬去って春がめぐって来た。きょうは二月から替わって、三月初日である。気象に表れる春の証しには、「春一番」を先導役にして「春の嵐」がある。ところが、よりもよって月替わりの気象は、とんでもない荒天の嵐の予報である。
 <“春の嵐”交通にも影響 空の便は欠航も>(3/1・木曜日1:34配信 NNN)。「急速に発達した低気圧の影響で、1日は、激しい雨風が関東を直撃する見込み。全国的にも“春の嵐”となりそうだ。交通にも影響が出ている。1日、日本航空の北海道や東北の空港を発着する便などで65便、全日空の北海道内を往復する便などで19便の欠航がすでに決まっている。また、JR東日本によると、朝に小田原から東京方面に向かう湘南ライナーとおはようライナー新宿の一部が運休するという。」
 確かに春は、首長くして待つほどには、穏やかな気象には恵まれない。北上する桜前線、桜だよりには「春の嵐」はつきものである。名残雪も降る。寒の戻りの厳しさは、体験上知りすぎている。それでも春を待ち焦がれるのは、冬の季節の寒気に耐えかねて、春待つ心の表れである。
 ところがきょうの予報は、春は必ずしも穏やかにめぐって来ない気象現象の証しであろう。それでも、この嵐を乗り越えなければ、確かな春の訪れはない。そして嵐去れば、日本列島には暖かい春がめぐって来る。月替わりの嵐にはちょっぴり驚かされている。しかし、嵐過ぎれば、確かな春がめぐって来る。だから、嫌がることもない「春の嵐」の予報である。もはや、わが身に寒気はまったくない。うれしいいなあ…!

私は「天邪鬼・あまのじゃく」 

 「揚げ足を取る」という言葉がある。今さら電子辞書にすがるまでもない、ありふれた容易な日常語だけれど、開いてみる。
 <揚げ足を取る>「((相手を蹴ろうとしてあげた足を取って、逆に相手を倒す意から)相手の言いそこないや言葉じりにつけこんでなじったり、皮肉を言ったりすること」。
 なぜこの言葉が不意に浮かんだかと言えば、こんな配信ニュースに遭遇したからである。もちろん、私には揚げ足を取る意思はまったくない。しかし、なさけない思いに駆られたから浮かんだのであろう。
 【就任会見で言い間違え、「色丹島」を「シャコタン島」、新任の福井照沖北相】(2/27日・火曜日、22:18配信 産経新聞)。「健康問題を理由に沖縄北方担当相を辞任した江崎鉄磨氏の後任として、新たに就任した福井照沖縄北方担当相が27日に開いた記者会見で、北方領土の『色丹(しこたん)島』を『シャコタン島』と言い間違えた。福井氏は旅券や査証(ビザ)なしで島を訪れる『ビザなし交流』で色丹島を過去に訪問したことに言及した際、『シャコタン島だったが、(ビザなし交流に)一度参加させていただいた』と述べた。その後、秘書官からの指摘を受け、会見中に発言を訂正した。」
 揚げ足を取るほどのミスでもないから、就任後の働きに期待するところである。 「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」で得た感動が急速に薄らいでいる。確かに、テレビをはじめとするメディア媒体がなければ、リアルタイム(同時性)に競技を愉しむことはできない。とりわけ、競技者からもたらされる感動にありつくことはできない。
 感動とは、人それぞれに心に沁みて沸き起こる心境模様である。そのため、どちらかと言えばほか(他人)からの押し付けやわざとらしい大騒ぎなどなく、心の高ぶりのなすままにあふれて、しみじみと味わうものである。ところが、メディアからもたらされる感動は、よくもわるくも大仰(おおぎょう)な感動の押し売りになりがちである。その挙句にはせっかくの感動が食傷気味となり、汚(けが)れて飽きあきすることともなる。
 再び、電子辞書を開いて言葉の復習を試みる。
 <御為倒し・おためごかし>「表面は相手のためになるように見せかけて、実は自分の利益をはかること」。
 感動の押し売りとも思えるメディアのメダリストにたいする大騒ぎぶりは、実のところは視聴率稼ぎ魂胆の見えみえのおためごかしと言えないこともない。
 こんな箸にも棒にもかからないことを書くようでは、私は根っからの「天邪鬼」なのであろう。
 <天邪鬼・あまのじゃく>「①昔話に出てくる悪者。②わざと人の言葉に逆らって、片意地を通す者」。
 もっと素直に感動に浸ればいいものを、そうなれないのは確かなあまのじゃくの証しであろう。二月二十八日(水曜日)、寒さの出口を出てようやく待ちに待った暖かさの入り口にたどり着いた。そんなおり、こんなことを書くようでは、確かに私は天邪鬼である。ほとほと、みっともない。

ヤバイ、わが身に焼きが回り始めている 

 雪上と氷上、共に自分とはまったく縁のない競技のせいであろうか。「冬季・平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)」はすでに閉幕(二月二十五日・日曜日)したにもかかわらず、今なお私は感動の余韻に浸っている。オリンピックが過ぎ去って、現在の私は二月二十七日(火曜日)の午前三時近くで、キーボードを叩いている。例月と比べて日数の少ない二月は、あすの一日を残すのみとなった。
 この頃は寒中にあってもすでに陽気は、すっかり春めいている。いまだに関東地方には、気象庁からの「春一番」が吹いたという発表はない。しかし、気象庁の宣言を待たずとも、わが体感的にはすでに春が訪れている。確かに、暖かい春の訪れはうれしいことである。
 ところが、きのうの夕方の私は、とんだことで驚愕と慨嘆まみれになった。それはどう足掻(あが)いても、朝の行動や行為がまったく思い出せないためだった。すなわち、数時間前にすぎないみずからの行為の記憶がプッツンと途切れていたのである。私は思い出すことに長い時間焦りまくった。その挙句にはかたわらの妻の記憶を動員し、二人して思い出すことに苦慮し続けた。それでも、とうとう思い出すことはできなかった。
 具体的には、次のことを思いだせなかったのである。緑内障の進行止めにあっては現在、私は主治医先生から一日に一度かつ一滴の点眼薬を指示されている。それに添えられている主治医先生の厳重注意事項は、こうである。「この目薬は強力なものですから、一日に二度や二滴は絶対にささないでください」。確かに、安易にできない厳しい申し渡しである。さしたかどうかを忘れたら、念のため、再度させばいいという代物ではない目薬のようである。もちろん、私も心得て朝一番にさすよう心掛けている。
 ところが、きのうは夕方になって、朝さしたかどうかの不安にとりつかれたのである。そして、結局は二度さしを恐れてささずじまいになった。私にもとうとう認知症兆しの焼きが回ってきたのかと、惧(おそ)れ慄(おのの)いた黄昏時(たそがれどき)だった。記憶喪失の次善策には、妻がカレンダーを持ち出してきた。そして、「パパ。日ごとに〇印をつけなさいよ」と、強要されて記憶喪失劇の一幕は、後味の悪さを残してようやく閉幕したのである。
 さて、平昌(ピョンチャン)オリンピックの冷めやらぬ余韻に浸っていた私は、目覚めて布団の中でしばしこんな考察をめぐらしていた。天才とは、生来の才能に努力を重ねた人を言う。表現を替えれば、生来の才能に恵まれても、それに努力を重ねなければ天才とは言えない。これまではどちらかと言えば、生来の才能に恵まれるだけで、天才呼ばわりにされてきた。ところが、平昌(ピョンチャン)オリンピックのテレビ観戦を続けているうちに、私には天才の意味が大きく様変わりしたのである。それは努力を続けることのできる人こそ、天才であるということである。もちろんそれはテレビ観戦を通して、生来の才能に恵まれてもなお、努力を重ねてきた競技者の眩(まぶ)しい姿を見続けてきたためである。すなわちそれは、生来の才能だけに甘んじて、努力を怠れば天才とは言えない証しだった。このことこそ、ちょっとまの目覚めにおけるわが天才考察の結論である。
 鈍才の私にすればどうでもいいことを書いてしまった。しかし、せっかくつかの間の目覚めの中に浮かんだことだから、記したまでのことである。私にとって肝心なのは、きのうの記憶喪失の出来事が不治の病にならないことを願うだけである。

平昌(ピョンチャン)オリンピックが明けて 

 「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」明けの二月二十六日(月曜日)の夜明け前を迎えている。オリンピック期間中は、それにかかわる文章やメディアの伝える配信ニュースの引用に明け暮れた。このことでは「ひぐらしの記」の文章は、おのずから偏りのあるへんてこりんな状態に甘んじた。私自身、自作文に替わり配信ニュースにすがり続けていたことには、常になさけない思いにさいなまれていた。もちろん、オリンピック関連の配信ニュースに、安易に逃げ込んだわけではない。実際には書かずにおれないほどに連日、各競技なかんずく日本人選手の活躍に魅了されていたからである。このこともあって、オリンピックが閉幕した明けの現在の私は、気分的に腑抜けの状態にある。その証しはようやく平常に戻ったと思って、キーボードに就いてもこんどは、文章が書けない羽目に陥っている。そのため休むかどうかの判断を迫られて、成り行き的にこんな文章を書き始めている。言うなればこの文章は、休みを免れるための実の無いいたずら書きにすぎない。このことではずばり、再始動の助走とも言えない恥晒しの文章であり、かたじけない思いつのるばかりである。
 ひぐらしの記は常にこんな愚痴こぼしの文章をつづりながら現在、十一年目の足跡をたどっている。思いがけない継続にあっては、ちょっぴり自惚れ感に浸りながら、私自身が驚嘆をおぼえているところである。ところがこの間の文章は、いっこうに継続の恩恵に浴することなく、尻すぼりをするばかりである。確かに、このことはわが能無い証しである。もちろん、過ぎたわが十年の歳月をオリンピックの競技者のそれと比べることは、無限大に愚かしいことである。才能に恵まれれば十年の歳月は、五歳の女の子がオリンピック競技の頂上(金メダル獲得)に立つ年齢でもある。実際にも女子フィギュアスケートシングルスでは、アリーナ・ザギトワ選手(個人資格・ロシア)が金メダルの栄誉に輝いている。そのほか、あらゆる競技においても十年の歳月は、キラキラと栄光の輝きを放っている。
 結局、きょうの文章は、人様しだいでは成し得る十年の歳月の重みを記したものである。もちろん、わが身の不甲斐無さとは比べようもない十年の歳月の栄光である。とんでもなく罰当たりの、くだらないことを書いてしまった。やはり、休むべきだった。今にも雨が降り出しそうな、曇り空の夜明けが訪れている。わが気分はすでに、土砂降りの雨模様である。

しんがりのうれしい金メダル 

 とんでもなくうれしいことと言おうか、いやとんでもなくなさけないことと言うべきか、まったく予期していない文章を書く羽目になっている。「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」の最終日(閉会式)のきょう(二月二十五日・日曜日)にいたるまで、とうとうそれにかかわる文章を書いている。実際のところは書かずにおれなかったのである。
 きのう(二月二十四日・土曜日)の私は、書き続けてきたオリンピックのことはこれで打ち止めのつもりで、『冬季オリンピックにおける「風」』の一文を書いた。書き続けてきたとは言っても実際のところは、自作文にあらずメディアの伝える配信ニュースの引用に終始してきた。だからこのことには半面、なさけない思いをつのらせていたのである。
 ところが、日本選手団(人)のメダルラッシュ、とりわけ金メダル獲得の快挙が伝えられると、そのたびに記しとどめて置かざるを得ないうれしさが沸き立っていた。それは人様がしでかした快挙への称賛であり、自分ではありつけない喜びの共有でもあった。このたびの平昌(ピョンチャン)オリンピックにおける日本人選手の活躍ぶりには、まさしく想定外のうれしいニュースの陸続(りくぞく)がある。そしてその活躍ぶりは、とうとう閉会式前日のきのうまで続いたのである。そのためきょうの文章は、またまた自作文に代えて、高木菜那選手の金メダル獲得を伝える配信ニュースを引用し、その快挙を記しとどめて置くものである。なぜならこの快挙は、私には想定外の朗報でもあったのである。
 【高木菜那が新種目マススタートでも金「最高のオリンピックにできた」】(2/24・土曜日21:41配信 デイリースポーツ)。「平昌五輪・スピードスケート女子・マススタート・決勝。決勝に進出した日本の高木菜那(日本電産サンキョー)が新種目マススタートで金メダルを獲得した。高木菜那は女子団体追い抜きに続く2つめの金となった。決勝は、16人が400メートルトラックを16周する。4周通過ごとに上位3人に中間ポイントを付与され、ゴール順による最終ポイントと合算して順位が決まる。1~3着はゴールと同じ着順となるが、4着以下は獲得ポイントで決まる。高木菜那は第1組で滑った準優で4周目を1位で通過し5点を獲得。決勝進出を決めた。第2組の佐藤綾乃(高崎健康福祉大)は途中転倒でリタイアとなり、決勝進出を逃した。新種目の初代女王となった高木菜那は『最高の舞台で初めて一番高いところに立ててうれしいです。1回目で佐藤が転んでしまって、2人でワンツーフィニッシュを狙っていたんですけど、佐藤の分まで金メダルを獲りにいくぞと。自分の最高の滑りができて最高のオリンピックにできた』と笑顔を見せていた。」
 高木菜那選手は、スピードスケートにおいて金、銀、銅、を獲得している高木美帆選手のお姉さまである。菜那さん自身は、二つ目の金メダルである。姉妹で、金三つ、銀一つ、銅一つ、都合五つのメダル獲得である。平昌(ピョンチャン)オリンピックの最後にきてまで、書かずいや引用せずにはおれなかった高木菜那選手の快挙である。もちろん、想定外と言うことは罰当たりである。

冬季オリンピックにおける「風」 

 二月九日の開会式に始まり開催中の「冬季・平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、いよいよあす(二月二十五日・日曜日)の夜に閉会式を迎える。いち早く顧みればこの間の「ひぐらしの記」の多くには、オリンピックにかかわる文章を書いたり、それにかかわるメディアの伝える配信ニュースを引用した。もとより二月は、例月に比べて日数の少ない月である。このこともあってこの二月のわが日常生活は、オリンピックのテレビ観戦一辺倒で過ぎそうだ、という思いを強くしている。その証しは、これまでのオリンピックにかかわる文章や配信ニュースの引用の多さに表れている。
 ほぼ競技を終える今回のオリンピックを概観すれば、私はテレビ観戦を通して大いに楽しむことができている。楽しめている理由の一つには、期間中における日本選手団(人)の予想をはるかに超える活躍がある。そしてもう一つの理由には、日本人選手にかぎらず世界中の選手のおりなす妙技を観る楽しさがある。すなわち、平昌(ピョンチャン)オリンピックには、テレビ観戦を通してけた外れに楽しめるものがある。冬季オリンピックには、まさしく観るスポーツの醍醐味がある。雪であれば雪だるまを作ったり、氷であれば氷柱(つらら)を噛んだりするしか、私には能はない。一度のスキーとアイススケート体験では、すぐにすってんころりとなった。それに懲りて二度目の体験は、まったくの用無しを決め込んだ。こんなわが恐怖体験もあって、雪と氷の上に繰り広げられる冬季オリンピックの競技は、私にはすべてが神技(かみわざ)と思えるところがある。実際にはテレビ観戦を通して、驚異と驚嘆に明け暮れている。
 確かに、冬季オリンピックのほぼすべての競技は、困難と危険との抱き合わせでもある。そのため、よくもあんなことができるものだ! する勇気があるものだ! という驚愕と称賛まみれでもある。そして、冬季オリンピック競技は夏季オリンピックと違って、厄介な自然界現象との闘いでもある。厄介な自然界現象とは「風」である。屋外競技のスキーはもちろんのこと、屋内競技のアイススケートにあっても風は厄介である。具体的には、風が止んでいるか、向かい風か、あるいは追い風か、すなわち競技中の風の状態に競技者は神経をとがらしている。屋内のアイススケートにあっては、競技中に発生する風に悩まされる。先頭を滑る人は、風を切って滑り風除けにもならなければならない。この駆け引きは、勝敗の大きな要素ともなっているのである。
 結局、冬季オリンピックのテレビ観戦を通して唯一学んだことは、「風の吹きよう(状態)」だったと、言えるかもしれない。ところがそのぶん私は、ままならない雪と氷の上の妙技に酔いしれているとも言えそうである。しかし、競技者からはテレビ観戦者の傲慢(ごうまん)と、顰蹙(ひんしゅく)を買いそうである。

春の雪 

 二月二十三日(金曜日)、暖かい春三月が間近に近づいている。しかしながら、いまだ寒中である。そのため、身に沁みる現在の寒さを寒の戻りと表現するのは、先走りの誤りであろう。一方でこの寒さは、確かな期限付きである。
 きのう(二月二十二日・木曜日)の鎌倉地方には、昼間、小雪がちらついた。私と妻は、茶の間に置く互いのソファに座り、窓ガラスを通して小雪模様を眺めていた。妻が「パパ。雪が降っているわよ」と、言った。私は「そうだね」と、応じた。私の返答が短く、妻は拍子抜けした面持ちで、二の句を告ぐことはなかった。もちろん私には、素っ気ない意思はなかった。しかし、妻はそう受け取ったようである。なぜなら、いつもの倣(なら)いにしたがえば妻は、私がもっと驚きを露わにすると思っていたのであろう。
 茶の間は、エアコン稼働で温まっていた。しかし外気は、小雪のせいばかりではなく、冷え冷えに眺められた。ところがこのときの私には、小雪や寒気を眺めるにも、気持ちに余裕があった。実際のところ私は、つかのまの「春の雪」気分で眺めていた。もちろんこの気分は、二月の日数も少なくなり、春近しという心の持ちようからもたらされていた。
 確かに、今冬はこれまで、例年に比べてわが体感的にも寒気厳しいものがある。いや、わが体感のみならず、いみじくもきのうのテレビニュースのアナウンサーは、こんなことを伝えた。東京電力はこの冬の気温低下のため、電力が不足になり一時的に他社からもらっている。ところが電力消費は、95パーセントの高止まりにある。そのため、停電を免れるためには節電が必要である。すなわち、東京電力からの節電の要請を伝えていた。
 ある週刊誌には、大雪続きで太陽光発電の不能ぶりが伝えられていた。わが家にあって例年を凌ぐ寒気の証しは、郵便受けに投げ込まれてくる水道、ガス、電気の使用量明細に明らかに示されている。いずれも、例年を大幅に上回っている。確かに、水道の場合は寒さが堪えて多く風呂に入った証しであり、ガスはガスストーブ、そして電気はエアコンの使用量が増えたせいである。結局、これらの使用量は例年をはるかに超えて、支払う料金にはねかえっている。しかし、そのぶん寒気を凌ぐ恩恵にさずかったことは確かであり、支払う金額の多さに泣き言は言えない。
 思いがけない春の雪は、案外これらの打ち止めをもたらすのかもしれない。そうであれば、もはや期限付きの寒さには、この先耐えられそうである。吉兆、のどかな春の雪だったと、言えるかもしれない。

フイナーレ(終幕)間近の金メダル 

 きょうは二月二十二日(木曜日)、このことでは開催中の「韓国・平昌(ピョンチャン)オリンピック」のフイナーレ(終幕)が間近に近づいている(二月二十五日)。開催中のこれまでの私は、競技や競技者にまつわるメディアの配信ニュースを幾度となく引用した。これには日本人選手の活躍にたいするうれしさと、自作文にあらず引用文にすがる私自身のなさけなさが絶えず同居していた。そして、フイナーレ(終幕)が近づくにつれて私は、競技にまつわる配信ニュースの引用は、もう打ち止めになるだろうと高をくくっていた。ところが、フイナーレ(終幕)間近になって記して置かずにはおれない、日本人選手の金メダル獲得の朗報がもたらされたのである。もちろん、配信ニュースにすがる私自身のなさけなさをはるかに凌ぐ朗報である。そのため、臆せず快挙を伝える配信ニュースを引用し、競技者の栄誉を記し置くものである。
 【<五輪スケート・パシュート女子1500メートル>チーム力の日本に金 圧倒的な「個」退ける】(2/21・水曜日22:13配信 毎日新聞)「スピードスケート女子の団体追い抜き・決勝。日本の結束力が、オランダの『個』の力を退けた。決勝で対戦したオランダは女子1500メートル金メダルのブストをはじめ3人ともメダリスト。しかし最後に笑ったのは、1年を通じてナショナルチームで強化を進めてきた日本だった。団体追い抜きは2006年トリノ五輪から正式に採用された歴史の浅い種目。日本スケート連盟は有効な戦術が確立されていないことに着目し、14年ソチ五輪後に隊列の研究を進めた。重要なのは、3選手の体力的な負担を少なくするために空気抵抗を小さくすること。14年10月に国立スポーツ科学センターで行った風洞実験がヒントになっている。女子は秒速13・6メートルの風を吹かせて、実際の競技状況を再現。滑走姿勢の高低▽選手間距離の遠近▽選手間の左右のずれ--を状況別に検証した。その結果、3人の列を左右にずらさないことを意識する重要性がわかった。一方で選手間の前後の距離は125~130センチほど離れても空気抵抗が抑えられると判明し、間隔が離れることへの選手の不安を解消した。先頭を交代する時に後ろへ下がる選手のコース取りも、無理に他の選手に近づき減速しないよう、あえて外に大きく回る。日本連盟のスピード科学スタッフの責任者、紅楳英信さん(38)は『思考が必要とされる種目で勝てば『技術大国ニッポン』ならでは、となる』と笑う。科学の英知による裏付けも、日本の強さを支えた。」
 金メダルの栄誉に輝いた四人編成の日本チームメンバーは、高木菜那選手(姉)、高木美帆選手(妹)、佐藤綾乃選手、菊池彩花選手である。四人の道産子(娘)がもたらした日本チームの快挙である。

確かな春の訪れ 

 二月二十一日(水曜日)、梅だよりが飛び交う季節となった。桜だよりと違って梅だよりは、ひそかで地味である。うっかりしていると、知らないままに、桜だよりに先を越されてしまいがちである。とっくに庭中の梅の木は、蕾がはじけている。ところがきのうになって妻は、雨戸を開けながら素っ頓狂に声をがなり立て、「パパ。来て、来て!」と、私を呼んだ。私は何だろう? と、やや訝(いぶか)りながら近づいた。
「パパ。梅の花が咲いているわよ」
「知ってるよ」
「そうなの? かわいいわね…」
「うん。桜の花は咲くと言うけれど、梅の花は綻ぶと言うよ」
「そんなこと、どうでもいいわよ。わたし、梅の花のほうが好きだわ!」
「そうだね。梅の花はおれに似て、パッとしないけどね」
 寒中に長く耐え忍んでいた、遅咲きの椿の蕾がようやく開いた。これまた、妻の呼び声に応じて、茶の間の窓ガラス越しに、しばしふたりして眺めた。
 老夫婦の日常生活とは、こんなものか! と嘆息した。穏やかと思えば、おだやか! 詰まんないと思えば、つまんない! よくもわるくも刺激の少ないわが日常にあって、きのう(二月二十日・火曜日)は、思いがけないメールが届いた。受信メールは春の訪れを告げると同時に、早々と桜見物への誘(いざな)いであった。
 棚牡丹(たなぼた)とも思えるメールを送信してくれた人は、会社同期入社の仲間である寺沢さん(埼玉県狭山市ご在住)である。メールの内容は、「上野公園」(東京台東区)の桜見物企画と仲間への呼びかけだった。同時に、そのための都合の良い日の打診だった。早や、桜だよりが届いたのである。メールには見頃を予測して、いくにちかの日取りが記されていた。私は喜悦して、友人の気遣いに感謝した。そして、「ぼくは、どの日でも構いません。そちらで決めて、またご連絡ください。桜見物の企画、感謝しています」と、返信メールを送信した。
 怠惰(たいだ)な日常生活に、友情という温かい息吹(いぶき)が舞い込んだのである。確かにきのうの関東地方は、梅だよりを出し抜いて、一足飛びに桜だよりがきたようなポカポカ陽気だった。このことから私の気分は、梅の花みたいに緩く綻んでいた。その証しには茶の間に妻を残して、私ひとりで普段の買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。
 この日も、いつもの買い物コースをたどった。それは野菜と果物の安売り量販店「大船市場」から始まり、駄菓子屋、鈴木水産、最後は「西友ストア大船店」のコースである。ポカポカ陽気の訪れは、どこかしこへいつもより多くの買い物客を連れ出していた。特に驚いたのは、西友ストアにおける買い物客の混雑ぶりであった。私の場合は、このことを目当てに出かけたつもりはなかった。このこととは、きのうの西友ストアは「五パーセント引き」の該当日だったのである。確かな春の訪れは、人の行動を旺盛にするようである。

平和 

 寒気は遠のいた。庭の梅の木の蕾は、すっかり綻んだ。あえて書くまでもなく、季節めぐりがもたらしている自然界現象である。二月二十日(火曜日)の夜明けが訪れている。さらに、自然界現象の最たるものを記すと、夜明けの早さが加速している。
 「平昌(ピョンチャン)オリンピック(韓国)」のテレビ観戦に感(かま)けているうちに、二月は早や一週間余りを残すのみとなっている。もともと二月は、例月より日数の少ない月である。ところが、今年(平成二十九年・二〇一八年)の場合は、冬季平昌(ピョンチャン)オリンピックの開催月となり、この間の私はテレビ観戦に興じている。そのため、私にとっては予定されている競技日程の消化につれて、日数が消えてゆく感じである。このことでは、今年の二月は例年にも増して短く感じている。
 身近なところでテレビおよび新聞は、オリンピック報道に明け暮れている。輪をかけて、幸いにも日本選手団の活躍が目立っている。活躍の証しを示すメダルの数では、過去最多の「長野オリンピック」の十個とはすでに並び、なおこの先超えそうな勢いががある。このこともあって報道各社は、視聴率のうえでも有卦(うけ)に入っているような大賑わいぶりを呈している。
 確かに、日本人選手の栄冠や奮闘ぶりには、わが胸の鼓動は高鳴るばかりである。もちろん、わが胸にとどまらず日本国民の胸の鼓動も高鳴り続けているであろう。メディアにすれば日本国民の胸の鼓動を自社に引き込むことに躍起となるのは、確かに競争原理に適(かな)うところでもある。今回は朝鮮半島の南の国・韓国におけるオリンピック開催とあって、暴れん坊の北の国・北朝鮮は、にわかに同邦・有邦のそぶりに徹している。北朝鮮が鳴りを潜めれば、おのずからアメリカ・トランプ大統領の口撃(こうげき)も緩みがちである。このため私には、この二月はオリンピックの開催と相まって、世界が平穏(平和)になっているように感じるところがある。もちろん、長続きは望めそうにはないけれど、つかの間の平和のありがたさをしみじみと感じているところである。喧嘩腰、すなわち対話なく圧力一辺倒では、平和は遠のくばかりである。
 平昌(ピョンチャン)オリンピックのテレビ観戦にあって私は、平和のありがたさが身に沁みている。できればオリンピック期間中の平穏を続けて、私は世界中が「春は曙(あけびの)」機運に満ちあふれることを願うところである。

 付記、明けてこんな配信ニュースに出合った。

 【思い出のタクシー代 小平と李相花 長く競い合った日韓エースの友情物語】(2/19日・月曜日、 0:18配信デイリースポーツ)。「平昌五輪。日本選手団の主将で国内外で同種目24連勝中の小平奈緒(31=相沢病院)が36秒94の五輪新記録をマークし、スピードスケート女子では初となる金メダルを獲得した。ライバルで、五輪3連覇を狙う地元・韓国の女王の李相花(イ・サンファ)を破っての戴冠。親友の2人はレース後、笑顔でお互いを称え合った。美しい光景だった。レース後、3連覇を逃した李は涙。小平はその李のもとへ向かい、抱き締めて言葉を掛ける。「韓国の五輪で、相花の受ける重圧は相当なものだったと思う。“すごくたくさんの重圧の中でよくやったね、私はまだ相花のことをリスペクトしているよ”と、伝えました」。李も涙顔から笑顔に。2人でウイニングランを敢行した。世界の舞台で長く競い合ってきた。500メートルでは圧倒的な力を誇ってきた李。ただ、そのアスリートとしての姿勢は、小平にとっても憧れだった。2人で並んだ記者会見。小平が「サンファはいつも親切なんです。3年前にソウルのW杯で私が初優勝した時、すぐにオランダに戻らなきゃいけなかったんですけど、リンクから空港までのタクシーを呼んでくれて、お金も出してくれた。結果は悔しいはずなのに。真摯(しんし)に奈緒のためにという思いで。それがすごくうれしかった」と、思い出を語れば、李もまた小平の姿勢を尊敬の念を示し「彼女とレースをして、悪い気持ちになったことは一度もない。タクシー代は確かに払った(笑)。でもネガティブな気持ちはまったくなかった。いい友達だから。彼女のライバルであることを誇りに思ってる」と、笑顔を返した。李もまた、思い出話を披露。「アスタナでバスを待っていた時に、奈緒と写真をとったんです。奈緒はその時、『次の五輪はあなたが勝って、私が2位ね』と言っていた。私も『それならあなたが勝って、私が2位でいい』と言い合いました」と、懐かしそうに話した。同世代でずっと世界のトップで競い合ってきた2人。日韓のお互いの家に招待するなど、絆はずっと深かった。リンクを離れ、親友に戻った2人は、ずっと笑い合っていた。

小平奈緒選手、金メダル 

 このところの「ひぐらしの記」の文章は、メディアの伝える配信ニュースの引用に明け暮れている。このことではかたじけない思いつのるばかりである。一方では、競技者からさずかる感動を放って置くことには忍び難いものがある。実際のところわが日常生活において、感動に浸ることは年年歳歳少なるばかりでもある。このため、人様からさずかる感動ではあっても、記してとどめて置くことにはそれなりの意義がある。きょう(二月十九日・月曜日)記す感動編は、昨晩テレビ観戦した小平奈緒選手の金メダル獲得を伝える配信ニュースである。
 【小平奈緒、五輪新で女子500m悲願の金メダル!韓国・李相花の3連覇阻止】(2/18日・日曜日、21:32配信 スポーツ報知)。「平昌五輪第10日、スピードスケートの女子500メートルが行われ、小平奈緒(31)=相沢病院=が36秒94の五輪新記録で金メダルに輝いた。スピードスケートの女子で初、日本選手団主将として冬季大会初めての金メダルになった。小平は昨季から続く国内外の連勝を25に伸ばし、地元・韓国の李相花の3連覇を阻んだ。今大会ではフィギュア男子の羽生結弦(23)=ANA=に続いて2個目の「金」で、メダル数は最多だった長野五輪の10個に並んだ。日本選手団主将を務める小平は2010年バンクーバー五輪の団体追い抜きと今大会の1000メートルで銀メダルを獲得しており、通算3個で冬季五輪の女子では最多となった。小平奈緒『周りが何も見えないくらいうれしいです。考えないようにしていたこともあったが、全て報われたような気持ちです。(コーチと)二人三脚ではなくて、学生だとか同じチームの人たちが私を支えて下さったので、皆にありがとうと伝えたいです。最初から集中して、自分の持ち味を出し切れたレースだったと思います。獣かどうか分からないですけど、躍動感あふれるレースができたと思います』。」
 レース終了のあとには、敗戦の悔しい涙にくしゃくしゃに濡れた韓国の李相花との、清々しい友愛光景が繰り広げられた。思いがけない美しく輝かしい光景に、わが瞼はたっぷりと濡れた。俗にいう、感動を抑えきれない「もらい泣き」であった。感動とは、みずからは成し得ない人様からさずかる心映えである。

 日の丸、金、銀、相並ぶ

 きょう(二月十八日・日曜日)の文章は自作文にあらず、メディアの伝える配信ニュースを引用し留め置くものである。表題には「日の丸、金、銀、相並ぶ」と付けた。金を為したのは羽生結弦選手、銀を為したのは宇野昌磨選手である。日本国内にとどまらず、世界中の人々が二人の快挙に陶然と酔いしれている。
 【羽生結弦連覇、宇野昌磨は銀…初のダブル表彰台】(2018年02月17日14時09分 読売新聞)。「平昌五輪第9日は17日、フィギュアスケート男子のフリーが行われ、ショートプログラム(SP)首位の羽生結弦(ANA)が206・17点でフリー2位となり、合計317・85点でこの種目66年ぶりの連覇を達成した。サルコーなど2種類の4回転ジャンプを計4回着氷し、大きなミスのない演技を見せた。SP3位の宇野昌磨(トヨタ自動車)は、冒頭の4回転ループで転倒したものの、202・73点でフリー3位となり、合計306・90点で銀メダルを獲得。フィギュア日本勢が表彰台に2人立つのは、男女通じて史上初の快挙となった。SP2位のハビエル・フェルナンデス(スペイン)が合計305・24点で銅メダルに輝いた。SP20位の田中刑事(倉敷芸術科学大)は、合計244・83点で18位だった。SPで17位と失速したネイサン・チェン(米)が4回転ジャンプを5回成功させ、215・08点でフリー1位となり、5位に入賞した。」

 才能と努力

 このところのテレビニュースは、開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)の報道で大わらわである。これに付随するものには、メダルを獲得した日本人選手を称える番組がある。その多くには、勝利者の生い立ちからこんにちにいたるまでの鍛錬や努力ぶりが披露される。実際には、生来の才能に輪をかけてさまざまな涙ぐましい鍛錬ぶりが、映像をともなって披露される。番組の意図するところは、勝利者のまさしく「栄冠には涙あり」という、厳しい鍛錬や努力の過程を余すところなく伝える感動編である。
 確かにそれを見入る私の眼(まなこ)には、番組の意図のままに感涙があふれている。そして、このときの私は、才能と努力という言葉を心中に浮かべて、あらためてその結実を称えている。もちろん、惜しくもメダルにありつけなかった人の才能と努力とて、勝利者に劣るどころか、それを超えるところもあろう。だから勝利者だけを褒め称えるのは、番組のご都合主義の最たるものでもある。しかしながら、勝敗のともなう競技にあって勝利者だけの称揚は、避けて通れないさだめでもある。
 日本社会にあってこの二月は、さまざまな受験シーズンの真っただ中にある。新聞の朝刊には、予備校や学習塾のおりなす合格者名と写真が刷り込まれた折り込みチラシが目立ち始めている。実際のところは合格実績を誇らしく掲げて、不合格者や後続の受験生の勧誘合戦見えみえである。さまざまな試験にもまた、才能と努力があらわに示される。このことでは受験もまた、戦いに挑むオリンピックと同様のものがある。いやむしろ、不合格のつらさと屈辱は、オリンピックの敗者をしのぐものがあろう。なぜなら不合格者の多くは、そののちの進路選択までにも影響が及ぶからである。
 このところ私は、平昌(ピョンチャン)オリンピックのテレビ観戦に明け暮れている。同時にこの時期は、日本社会の受験シーズンを浮かべている。このためわが心中には、常に才能と努力という言葉が浮かんでいる。それは才能と努力にまったく縁のない、わが負け惜しみの切なさなのかもしれない。

 春の憂鬱

 二月十六日(金曜日)、寒気の緩んだ夜明け前が訪れている。北陸と中国地方には、すでに「春一番」が吹いたという。関東地方に春一番が吹くのも、まもなくであろう。確かに、このところの関東地方は気温が高くなっている。日本列島には日々ところを替えて、春が近づいているのである。つれて、三寒四温という季節用語はしだいに遠退いて、春一番を境にして来年までお蔵入りとなる。今さら言わずもがなのことだけれど、季節はそれにふさわしい季節用語をともなってめぐる。
 春一番は、気象庁の示す確かな春の訪れの証しである。もちろん、気象庁に頼らずともわが家の庭中や周辺に目を凝らすと、春の訪れの証しはさまざまにある。蕾を固くしていたツバキは、今や艶(つや)やかに咲きそろい、陽光にきらめいている。梅の蕾は、ポッコリとほころび始めている。ツワブキの黄色い花は、健気(けなげ)に純粋無垢の輝きを放っている。フキノトウも芽出しはじめている。厄介者では雑草が萌え出して、土色を緑に染め始めている。冬枯れに空いていた木立は、枝葉が芽吹いて込んだ風景に戻りつつある。道筋の竹林は、竹藪に変わり始めている。みはるかす杉山には花粉が膨らんで、しだいに山の色が変わり始めている。
 きのう(二月十五日・木曜日)の買い物行にあって私は、暖かさにたまりかねて下着を減らし外套(がいとう)を脱いだ。季節は確かな春の訪れを告げている。ところが、こんななかのわが行動は、茶の間暮らしの冬ごもりに甘んじている。やんぬるかな! 茶の間暮らしを支えているのは、もっぱらテレビ視聴である。具体的には開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)の競技と、それにかかわる番組の視聴の明け暮れである。オリンピック開催中のテレビは、文字どおりそれにかかわる報道一色である。そのため、リモコンを手にすると、いやおうなくオリンピック番組一辺倒となる。その間隙には、わがファンとする阪神タイガースのスプリングキャンプ(春先の練習風景)を観る羽目となる。すなわち、よくもわるくもわが行動は、テレビ視聴漬けに明け暮れている。
 確かに、どちらも好むもののテレビ観戦である。だからと言って、気分晴れ晴れとうはかぎらない。いやむしろ、実際のところは憂鬱気分にとりつかれている。それは、こんなメリハリの無い日暮らしで人生を閉じるのか! と、わが身の甲斐性無しにさいなまれて、ウンザリしているからである。私の場合、暖かい春の訪れは、春の憂鬱をともなってやってくる。とことん、なさけない!

 冬季オリンピックのテレビ観戦の醍醐味

 開催中の「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、後半戦に入るやいなや日本人選手のメダルラッシュが続いている。このことでは、このところの私は大いにテレビ観戦を楽しめている。やはりオリンピックのテレビ観戦は、日本人選手が参加しているだけでは、楽しめないところがある。おのずからNHKをはじめとするメディアは心得ていて、日本人選手のメダル争いの報道に躍起である。その報道光景は、まさしく「勝てば官軍、負ければ賊軍」さながらの賑々(にぎにぎ)しい様相を帯びている。
 確かに、競技であれば勝者を褒め称えることには十分な理がある。まして、メダルとなれば世界の中で三番目までに入る快挙である。さらに金メダルとなれば、その競技における世界ナンバーワンである。そのため、頂点を目指す競技者には銀、銅であっても、悔しさが残るのも理解できるところがある。それほどに競技者はみな、金メダルすなわち世界ナンバーワンにこだわり、物心がつくやいなや日々の鍛錬に明け暮れてきたのである。そうであればメダリストを飛びっきり称賛することには、もちろんこれまた理に適(かな)っている。
 今さらのことだけれどオリンピックには冬季と夏季があり、おのずから競技種目はどちらかに分けられている。競技種目の違いは、ずばりこのように分けられていると、言えそうである。すなわち、冬季オリンピック競技の場合は、雪上および氷上で戦う種目で構成されている。一方、夏季オリンピックの場合は、陸上や地上および水上や水中、はたまた体育館のなど屋内施設で戦う種目で構成されている。それによる競技種目の違いは、双方のオリンピックをテレビ観戦する私には、おのずからけた外れに思えるところがある。単刀直入に言えば冬季オリンピックの場合、私は端(はな)から異次元や異界の競技を観ている思いに晒されている。もちろんその思いは、冬季オリンピックの種目が雪上と氷上で行われることに起因している。
 私には、共に一度の体験がある。ところがそのときの私は、どちらも立てずにすってんころりんと、転んだ。この体験から共に二度目は諦めた。そして、このときの苦い体験で得たものは、雪の上や氷の上の競技が、どんなに困難なものであるか! ということを知り得たことだった。このことでは「転んでもただは起きぬ」ほどの貴重な体験だったのである。まさしく「百聞は一見に如(し)かず」の諺(ことわざ)どおりに、貴重な体験だったとも言えそうである。もちろん私の場合は、「失敗は成功の母」とはなり得ず、苦い体験のままではある。しかし、冬季オリンピックのテレビ観戦の感興に浸れることや、競技者を崇(あが)めることには、わが失敗体験は大いに役立っている。実際のところ私は、雪上や氷上を疾走したり、飛び跳ねたりする競技者の姿に、まさしく異次元の驚異に晒されている。ひと言で言えば、なぜあんなことができるのか! と、驚嘆するばかりである。冬季オリンピックの場合、この驚嘆こそ、テレビ観戦の醍醐味である。そしてそれは、競技を為す人間のすばらしさを垣間見るひとときでもある。

 メダルと栄誉賞

 勝者の上にはなお勝者あり。敗者の下にはなお敗者あり。このため、勝者驕るべからず、敗者悲しむべからず。もちろん、敗者の鍛錬や奮闘、必ずしも勝者に劣るとはかぎらない。そのため、本当のところは勝者や敗者という言葉は用いたくない。ところが、競技や対局においては、厳然と勝者と敗者が存在する。しかし、それを分けるのは、勝者にありつける努力の差というより、技量の差と思いたいところである。すなわち、技量の優れた人は、栄誉の授与(式)の光景を授けられて、あまねく人々から称賛される。そして、その光景に観入るときのわが気分は、常に清々しくなる。
 きのう(二月十三日・火曜日)のテレビニュースは、五人の栄誉を称える清々しい光景を映し出した。それらの中で三人は、開催中の韓国・「平昌(ピョンチャン)オリンピック」におけるメダル表彰を受けていた。三人の名を連ねると、銀メダル・高木美帆選手、銅メダル・高梨沙羅選手、銅メダル・原大智選手である。競技は、高木美帆選手の場合はスピードスケート1500メートル、高梨選手の場合はスキージャンプノーマルヒル、そして原選手の場合は男子モーグルである。いずれも、感涙にむせぶ光景であった。
 一方、お二人の場合は、競技表彰(式)とはかなり異質の、厳粛な表彰(式)光景が映し出された。こちらは、メディアの伝える配信ニュースを引用し留めるものである。
 【羽生竜王と井山棋聖に国民栄誉賞授与】(2018年2月13日20時2分 読売新聞)。「将棋で史上初の『永世七冠』を達成した羽生善治竜王(47)と、囲碁で初めて七冠を2度達成した井山裕太棋聖(28)の国民栄誉賞表彰式が13日、首相官邸で行われた。将棋・囲碁の棋士の受賞は初めて。安倍首相は『多くの国民に夢と感動を、社会に希望を与えた』と2人をたたえて表彰状と盾を授与した。また、『七冠』にちなんで七宝で鶴を描いた硯箱と、雨端あまはた硯、熊野筆などの記念品も贈られた。表彰式後の記者会見で、羽生竜王は『これを大きな励みとして、棋士として前向きに進んでいきたい』、井山棋聖は『少しでも成長できるように、棋士としても一人の人間としても努力していきたい』と話した。1977年の創設後、国民栄誉賞の受賞者は個人25人と1団体となった。」
 感涙や感動の特徴は、長く余韻に浸れることであろう。明けて(二月十四日・水曜日)も、いっこうに冷めやらぬ感動に浸っている。

 夢を叶えた二人の大和撫子

 女子個人スキーノーマルヒルジャンプを見終えて床に就いたときは、はるかに十二時を回っていた。そのためこうむっている寝ぼけまなこでは、文章は書けない。だから、沙羅ちゃんの銅メダルを伝える配信ニュースを引用し、二度寝をむさぼるものである。
 【高梨、4年間も見続けた悪夢 自分と向き合い手にした銅】(2018年2月13日03時51分 朝日新聞デジタル)。「涙が止まらなかった。高梨沙羅(クラレ)は滑り終えると、仲間に抱き寄せられた。『ほっとした。金メダルは取れなかったけれど、最後の最後に、渾身の、ここに来て一番いいジャンプができた』。銅メダル。五輪で日本女子ジャンプ初の表彰台に上がった。目が覚めて、涙する夜もあった。助走路から飛び出し、追い風を受けて吸い込まれるように落ちていく。着地でひざを曲げて足を前後にずらし、水平に手を広げるテレマークが入らない。4年前から見続ける夢がある。金メダルの大本命と言われながら4位に終わったソチ五輪のジャンプだ。当時17歳。周囲の期待を感じ、『勝ちたい』と必要以上に口にした。近くで声をかけられても気付かないことがあるほど高い集中力。それが力みにつながり、動きを硬くした。『心の余裕をどう持つか』。
 チャンネルをかけもちしながら観入っていた、女子個人スピードスケート1500メートルにおいては、高木美帆選手が銀メダルに輝いた。わが寝ぼけまなこと朦朧頭は、二人の若い大和撫子(やまとなでしこ)の快挙がもたらしている。もちろん、まったく恨みつらみの無い心地良いものである。

あらたな東京の絶景 

 現在は、二月十二日(月曜日)の夜明け前にある。きょうは、きのうの「建国記念日」(二月十一日)が日曜日と重なったため振替休日となり、三連休の最終日となっている。まったく私事ながらおととい私は、あすの建国記念日はわが夫婦の金婚式と書いた。ところが、おととい(二月十日・土曜日)の私は、朝早くから単独で、東京都国分寺市に住む次兄宅へ出向いた。その挙句、一晩泊まりをしてきのうの夕方帰宅した。このことでやむなく、きのうの「ひぐらしの記」は休んだ。そのため現在の執筆は、休み明けである。
 日常の流れを絶った休み明けは、何かにつけて気乗りしないとことがある。まして、毎朝の起き出しにいやおうなく書き続けているひぐらしの記の場合は、流れが寸断するともう書けないという、心理状態に陥るところがある。現在のわが心象風景は、まさしくそんな心理状態の丸写しである。そのため、現在の私は寸断された心理状態の修復のためだけに、キーを叩いているだけにすぎない。なぜなら二日続けて休めば、安逸に休み癖がつて、再始動を恐れているからである。結局、こんななさけないことをつづるようでは、休むべきだったのかもしれない。
 おとといの私は、いつもの路線とは異なり、JR横浜駅に途中下車してJR横浜線で、JR国分寺駅へ向かった。横浜線の終着駅は、JR八王子駅である。ここで、JR中央線の上り電車「東京行き」へ乗り換えれば、三つ目に立川駅、そしてさらに三つ目に国分寺駅となる。いつもの私は、わが家の最寄り駅・JR大船駅から、JR湘南新宿ラインを利用する。そして、新宿行きで下車し、下りの中央線に乗り換えて、国分寺駅へ向かう習わしである。このことでは、おとといの私は横浜線を降りて、八王子駅を境にしていつもとは逆コースをたどって国分寺駅へ向かったことになる。
 途中下車することなく向かえば所要時間は、横浜線・八王子駅回りのほうがちょっぴり長い程度である。それでもおとといの私は、八王子駅回りをする意図をたずさえていた。意図とは、八王子駅前と立川駅前風景を眺めることだった。ところが八王子駅前風景には、立川駅前とは違ってさらに強く意図するものがあった。八王子の街は、十九歳で上京した次兄が生涯の職業に身を置くきっかけとして、いっとき八百屋修業を始めた所だった。しばらくして次兄は、独立して現在の国分寺市にみずからの店を持ったのである。すると、高校を卒業しての上京後の私の生活は、こんにちにいたるまで、次兄におんぶにだっこを甘んじてきたのである。このことから現在のわが生活の原点は、兄が修業していた八王子の街でもある。私には、常々このことがありがたく思えていたのである。
 兄の修業時代には、よく手紙を書いていたので、今なおところ番地はしっかりと記憶している。そのため、おとといの私は、現在のわが生活を恵んでくれている感謝の気持ちをたずさえて、「八王子市新町八十五」探訪のぶらぶら歩きを試みたのである。もちろん、目当てのところを探し当てることなど、できるはずはなかった。しかし、ようやくぶらぶら歩きが実現し、ちょっぴり次兄への恩返しができたことで、わが気分は満ち足りていた。
 次には、立川駅で下車し駅前に出た。立川駅は、JR青梅線駅への乗換駅でもある。この路線の四つ目にあるJR拝島駅は、亡き三兄宅の最寄り駅である。このため、私にとっての立川駅は、三兄宅へ行くための乗換駅にすぎなかった。これまた、遅まきながら駅前風景を眺めたかったのである。ついでにここでは、新設の私鉄「多摩モノレール線」に乗り、母校・「中央大学多摩キャンパス」をしばらく見学し、また引き返した。言うまでもなく国分寺の街全体は、知り尽くしている。
 国分寺駅には、学生時代のアルバイトとして、朝の最も混雑時(七時から八時)の一時間にかぎり、「尻押しアルバイト」(当時、一時間百円)の体験もある。次兄宅には、わが父親と母親代わりをなす次兄夫婦の体調うかがいにたびたび訪れている。この行為は、わが意に留める雀の涙ほどの「ご恩返し」である。ところが、この日の私は、何年ぶりかの一晩泊まりを決行したのである。
 明けてきのうの帰途には、私はこれまた一つの意図をたずさえていた。いつもであれば私は、中央線上り「東京行き」に乗車し、途中の新宿駅で降りて、湘南新宿ラインの下り電車へ乗り換える。湘南新宿ラインは、ここで二路線に分かれる。一つはJR東海道線へつなぎ、一つはJR横須賀線へつなぐのである。この路線は、大船駅ではどちらも停車するので、私は戸惑うことなくやってくる電車に乗る。ところがきのう私は、新宿駅では降りずに、終着駅まで乗車した。それは駅前風景を様変わりさせているという、東京駅丸の内側を見るためであった。
 私は、勝手知った東京駅丸の内中央改札口を出た。すると、前景の風景は、みはるかす皇居まで遮るもの何もなくなく、全風景広々としていた。私は、様変わっていた風景の美しさに度肝を抜かれた。たちまち、かつての「お上りさん」心境がふつふつと沸いた。新装なった広い道路には、街灯と高木の並木が皇居広場あたりままで、等間隔に連なっていた。私は、滾(たぎ)る感興をたずさえて、その間をゆっくり往復した。見終えて東京駅で乗車したのは、下りの東海道線「熱海行き」だった。
 書き殴りの文を長々と書いてしまった。だから、書き殴り文のつぐないは、この風景を見ることをお勧めするものである。間違いなく、新たな東京の絶景である。

手鍋下げても五十年 

 今年(平成二十九年・二〇一八年)の「建国記念日」(二月十一日・祝日)は、日曜日と重ねっているため、翌日(十二日・月曜日)は「振替休日」となっている。このため、きょう(二月十日・土曜日)は、三連休の初日である。妻は二泊三日の娘宅への訪問から、きのうの夜帰宅した。この間の戸締りは、おのずから私の役割だった。
 妻の留守中にあっては、ことさらみずからを警(いまし)めていることが二つある。言うなれば独居生活における注意事項である。一つは火の用心である。このことではみずからの考えで、まったくレンジを使わないことを決めている。その理由は火の消し忘れを恐れるからである。私の性格は、生来きわめて集中力に欠けるところがある。二つの言葉を用いて表現すれば、散漫と杜撰(ずさん)である。このことは、わが日常生活においてしょっちゅう自覚するものである。もちろん、わが行為や行動には常にそのことを心に留めている。それでも今なお直らないことは、わが身に張りついた錆(さび)なのであろう。その証しの一つとしては、水道蛇口の止め忘れがある。このところ特に戦慄をおぼえることは、難聴がひどくなるにつれて生じる失態である。すなわち、日常生活にともなうさまざまな音が、聞こえづらくなっていることである。身近なことで注意すべきものには、蛇口の水の音、レンジの火の音がある。蛇口の水の止め忘れは、無駄な水道料金を払うくらいである。しかし、レンジの火の消し忘れは重大事である。それを防ぐ最良策として私は、妻の留守中にはレンジ使用を禁止している。実際には火力に頼ることは何もしないで、「危ないことは元から断たなきゃダメ!」とばかりに、もっぱら電源頼りの生活に甘んじている。頼る電源は、風呂用の給湯器、電子レンジ、炊飯器、給茶用の湯沸かし器などである。
 火の用心に加えて、もう一つ心すべきは防犯である。こちらで注意することは、しっかりと戸締りすることだけである。実際のところは、雨戸の閉め忘れをしなければこと足りるものである。一階のそれぞれの雨戸を閉めるのは、おおむね妻の役割である。妻の留守中は、おのずから私の役割である。もちろんこちらは、きわめて容易(たやす)い行為である。きのうの夕方雨戸を閉めていると、(日が長くなったなあー)と、実感した。瞳を凝らすと目の前の梅の木には、蕾が今にもほころびそうに膨らんでいた。(春が来たのだ!)。私はほくそ笑んでいた。
 とりとめもないことを書いたけれど、今ふと気がついたことがある。それは、あすの建国記念日はわが夫婦の「金婚式」(昭和四十三年・一九六八年二月十一日・華燭の典)に当たることである。きのうの夜には、互いに気づくことなく素通りした。もちろん妻は、きょうの夜明けが訪れても、気づくことはないであろう。確かに、互いが気づくほどに「めでたいこと」とは言えないが、それでも互いに耐えてつつがなく、「手鍋下げても五十年」である。この先には、偕老同穴(かいろうどうけつ)が待っている。そのときこそ、「めでたし、めでたし」である。

冬季「平昌(ピョンチャン)オリンピック」開幕 

 冬季「平昌(ピョンチャン)オリンピック」(韓国)は、きょう(二月九日・金曜日)に開会式を迎える。ところが、一部の競技は開会式に先駆けて、すでに前日のきのう(二月八日・木曜日)から始まっている。その競技は、スキーの男子個人ノーマルヒルの予選である。この競技において日本選手は、四人が出場しそれぞれが決勝戦への進出を決めている。
 平昌オリンピックの開幕にともなって、わがテレビ観戦もまた臨戦態勢を迎えている。メディアの伝えるとこところによれば、開催国韓国は猛烈な寒波に見舞われているという。寒波のせいで、新たに設けられている選手村への各国選手の入村は、まったく途絶えているという。思い及ばない、飛んだとばっちりである。
 こちらは寒波のせいとは言えそうにないが、競技施設がいまだに工事続行中のところがあるという。さらには、のっぴきならない周辺国事情もある。ロシアは、国としては参加を見送り個人参加に留めている。開幕間近になって台湾は、大きな震災に見舞われている。加えて、開幕前のテレビの報道は、変異な北朝鮮事情に明け暮れるばかりである。いや、実際のところは、北朝鮮の動向に翻弄(ほんろう)されているような報道が目立っている。
 具体的には一部競技への選手参加を決めた報道や、それにかかわりプロパガンダ(示威宣伝活動)とも思える、きらびやかな応援団派遣風景である。それらの中ではとりわけ、女性だけで構成する楽団と、名だたる美女軍団がテレビニュースを賑わしている。
 一方で北朝鮮は、この期(ご)に及んでも大掛かりな軍事セレモニー(パレード)を実行し、アメリカへの挑発行動に大わらわである。なんだか? 平昌オリンピックは、競技自体の話題は遠のいて、開催期間のまっとうが危ぶまれる心細さにある。しかしながら、栄えあるオリンピックに参加している選手たちには、周辺事情の是非は関係なく、晴れ舞台に変わりない。そうであれば私は、楽しくテレビ観戦することを肝に銘じている。
 隣国・韓国での開催ゆえに、もとから時差に苦悩することはない。このため、私は瞳をパッチリと開いて、テレビ観戦を愉(たの)しめそうである。

幸運、この人がいなかったら…  

 大雪に見舞われている北陸地方にあって、福井県と石川県を通る国道八号線には、一時一四〇〇台の車が立ち往生したという。石川県側の立ち往生はほぼ解消したけれど、福井県側では今なお一一〇〇台の車が動けない状態になっているという。するとその周囲にはさまざまに、人様の善意の支援活動が行われているという。テレビをはじめとするメディアが伝える心の和む報道である。
 こんな中、きょう(二月八日・木曜日)は自作文に代えて、これまたメディアの伝える飛びっきりの朗報を引用し、人様の善意行動を崇(あが)めて記し留め置くものである。表題はずばり、「幸運、この人がいなかったら…」である。
 【常磐線出産 「おぎゃー」柏駅で赤ちゃん取り上げ女性表彰】(毎日新聞2018年2月7日21時54分)。茨城県取手市は6日、乗り合わせた電車内で出産した妊婦を手助けした市内のパート従業員、最上都寿美さん(40)を表彰した。最上さんは「冷静に赤ちゃんを産んだ妊婦さんを表彰してあげたい」と恐縮していた。最上さんは先月19日、東京都内の病院に入院していた四男(4)を連れて帰宅するため土浦行きのJR常磐線下り特別快速に乗っていたところ、隣の席に座っていた20代の妊婦が柏駅(千葉県柏市)の手前で破水。床に倒れるように横たわったという。同駅に停車直後、最上さんは自動ドアが閉じないよう足で押さえ、駅員に「発車しちゃ駄目」と叫んで、電車を非常停止させた。その後、他の乗客とも連携して赤ちゃんを両手で取り上げると、「おぎゃー」と産声が上がった。 最上さんは「無我夢中で勝手に体が動いた。可愛い赤ちゃんで安心した。元気に育ってほしい」と話した。藤井信吾市長は「とっさの勇気ある行動で、的確に状況判断しながら貴い人命を守った。市民に勇気と感激を与えてくれた」とたたえた。