ひぐらしの記
 
前田静良 作 


 2014.10.27カウンター設置
 
内田川(熊本県・筆者の故郷) 富田文昭さん 撮影 

「悪徳の栄え」、人間不信 

 言葉は必要に応じて生まれる。もちろん、事象が無くなれば死語となる。そして古来、事象が無くならないため、今なお存在する言葉は数多(あまた)ある。その一つには、「正直者は馬鹿を見る」、という成句がある。必ずしもすべてが意図した不正ではなく、制度(ルール)の不備、つまり申請等のわかりづらさもあるであろう。しかしながらこんな記事に出合うと私は、一緒くたに人間不信に陥るところがある。
 実際には、人間につきまとう悪徳にうんざりする。もちろん私は、世の中にはこのことだけではなく、さまざまなところでこれに似た事象があることを知りすぎている。そう思うと、今さらだけど人の世が、つくづく厭(いや)になる。
 【持続化給付金、返還申し出6千件 不正受給逮捕後に急増】(朝日新聞デジタル)。「新型コロナウイルスの経済対策の持続化給付金を不適切に受け取る事例が相次いでいる問題で、経済産業省は30日、返還の申し出が6千件以上あったと発表した。不正受給による逮捕報道を受けて申し出が急増しているという。」
 この記事では返還の申し出をしないままの人がどれくらいいるのかは、まったく分からない。すなわち、どれだけ多くの人が不正をたくらみ、今なおほおかぶりしているのかは分からずじまいである。まさしく、悪徳がのさばる「正直者が馬鹿を見る」現象である。こんなことでは、せっかくの善政に水を差されたこととなる。
 この件にかぎらずまるで泥縄式の政府の施策にあっては、さまざまなところで悪徳をのさばらしているようなメディアの報道が絶えない。すなわち、「GO TO トラベル(旅)」キャンペーンのほか、さまざまな施策において、付け焼刃施策による綻(ほころ)びが出てきているようである。この挙句にはこれまた、「正直者が馬鹿を見る」ことともなる。なんだか、「悪徳の栄え」を見ているようで、私はすっきりしない気分である。
 きょうは十月の最終日(三十一日・土曜日)、秋の夜長はこの先、いよいよ深まるばかりである。長い夜にあって、切なく人間不信がつのるばかりである。こんなことを書くようでは、歯を抜いた傷跡がズキズキと痛むばかりである。

 遅すぎた決断

  十月三十日(金曜日)、ぐずついていた決断を実行する日がやって来た。予約時間は午前十時である。結構早い時間のため、起き出すとその準備のため気分のソワソワを強いられている。もちろん、虚しい気分である。決断が遅れていた歯医者への通院である。このため、きょうは端(はな)から文章を書く気分を殺がれていた。つまり、休みます。私は三日坊主の性癖に輪をかけて、意気地なしである。起き出してきたのは五時三十五分、現在のデジタル時刻は5:46である。
 薄暗く夜明けが訪れている。憂鬱気分直しに道路の掃除へ向かうつもりである。

久しぶりの「卓球クラブ」 

 きのう(十月二十八日・水曜日)は、まったく久しぶりに卓球クラブの練習へ出向いた。体育室へ入る前にはおでこの近くで体温計が翳(かざ)されて、女性スタッフ(職員)による検温があった。体温計は、三十六度と示していた。私はにっこり、「平熱です」、と言った。
 マスクをしたままで体育室へ入った。三台のピンポン台には二対二の向き合い、すなわちつごう四人で十二人が打ち合っていた。控えのベンチには、ひとりの仲間(女性)が腰を下ろしていた。いつもと比べれば少ない人数だった。しかし、体育室の賑わいはいつもと変わらなかった。
 早出の仲間たちは、みな元気に打ち合っていた。私だけが元気から取り残されている気分だった。卓球はマスクを着けたままの決まりになっていた。やはり、気乗りがしないところがあった。私は一人の仲間とやっただけで、ロビーへ出てテレビの前に座っていた。しばらく休んで、自宅へ引き返した。汗かきはもちろん、足慣らしにもならない、卓球クラブの再始動だった。
 それにしても仲間たちのうち高齢の女性たちは、みな元気溌剌だった。私は、男女の平均寿命の違いを目の当たりにした思いだった。とりわけ私は、周回遅れの気分に打ちのめされていた。挙句、みずからを鼓舞し、自己発奮を促さざるを得ない証しに晒された思いだった。きのうの卓球クラブにおける唯一の収穫は、この思いを強く自覚したことであろう。まさしく、「人の振り見てわが振り直せ」の直感だった。
 さて、この思いは、この先どうつながるであろうか。みずからの気分に、疑心暗鬼をいだく秋の夜長である。

やんぬるかな! 吐息 

 今さら言うのも烏滸(おこ)がましいけれど、新型コロナウイルスの終息の兆しはいまだに見えない。それどころか、メディアの報ずる感染者数を見るかぎり、再び勢いを強めて増える傾向にある。世界的にもこの傾向は、日々伝えられてくる。きわめて、厄介なことである。この先なお続けば、人の営みすなわち日常生活は、おのずから大きく様変わることとなる。なかんずく強いられる行動の抑制や自粛は、人間社会の本質を変えそうである。仕方なく、行動自体をびくびくする人間社会の現出となる。すなわち、人の行動が抑制されたり、自粛を余儀なくする社会になれば、おのずから人の集合体の社会は様変わる。実際にもこのことは、すでにこれまで様々なところで変化を強いられてきた。
 人の個人生活はもとより社会は、人の行動を当てにして組み立てられている。このところ、数値をともなってその現象が伝えられているものには、空の便すなわちANA(全日空)やJAL(日本航空)などの航空業界の業績不振(多額の赤字)がある。この先もなお、欠航や減便を余儀なくすれば、業績不振はさらに深まることが予測できる。ほかさまざまな業界においてもこのことは、容易に予測できるところである。確かに、経済社会が病めば必然的に人の生活不安は、破綻の恐怖をともなって増幅する。現下の日本社会はその渦中にある。そしてなおこの先、新型コロナウイルスの終息が長引けば、人はこの渦に怯(おび)えることとなる。もちろん、私が喚(わめ)いてもどうなることでもない。しかし、どうにかならない! かと、喚きたい秋の夜長である。
 十月二十八日(水曜日)、白々と夜明けの空が訪れている。

日本社会の動きの一端 

 きのう(十月二十六日・月曜日)には、第二〇三回臨時国会における菅政権の本格スタートを飾る、菅総理の初めての所信方針が行われて、テレビ中継があった。いよいよ、菅政権の本格船出となった。国民としても新たな期待を持って、菅政権に舵取りを託す日となった。
 国の舵取りに比べればごく小さいイベントだが、同様にテレビ中継に見入ったものがあった。きのうはプロ野球の世界にあって、ドラフト(新人選択会議)が行われた。テレビ中継という公開の場において、あらかじめプロ野球への入団を希望する者の中から、選択(合否を決める)する就活模様の中継であった。喜び勇む菅政権の船出とは異なり、こちらには人様の悲喜交々の人生行路の一幕を垣間見る興奮を共有していた。
 いささか興ざめは、スポンサー(大正製薬など)とテレビ局(TBS)の煽り番組だったことである。例年のことだ!と、心構えての視聴だったけれど、やはりすっきりした気分にはなれなかった。それは人生行路にはつきものの選ばれる者と、選ばれない者とを、公開の場で分けるせいである。ドラフト自体は仕方ないとしても、イベント仕立てではなく、結果の報道くらいでいいのではないかと、私は思った。そうは言っても私は、関心深く中継に見入った。結局、私のような者がいるかぎり、公開の場のドラフトは、この先ずっと続くであろう。そうであればひねくれずに、選ばれた者の前途を祝し、涙をのんだ者の捲土重来(けんどちょうらい)を願うところである。
 新型コロナウイルスは、なんだか第二波が来そうである。きょう(十月二十七日・火曜日)の目覚めはいつもと違って、四時半過ぎだった。約三十分の殴り書きで、日本社会の動きの一端を記したのである。

 休み明けの切ない一文

 十月二十六日(月曜日)、きょうもまたほぼ同時刻に目覚めて、そのまま起き出してきている。良いのか悪いのか? 秋の夜長にあってはいまだに夜中(二時半頃)であり、やはりありがたくない習性になりつつある。ただありがたいことは、まったく寒さを感じない夜の佇まいに身を置いていることである。
 きのう(十月二十五日・日曜日)は、心ウキウキした前日の秋の陽射しをはるかに凌いで、天高い好天気に恵まれた。私は朝食を済ますと、予定していた行動を開始した。ほぼ片道二時間半ほどをかけて、東京都国分寺市内に着いた。次兄夫婦とその長男夫婦が住む、宅へのお決まりの訪問である。
 次兄夫婦は、共に九十歳を超えた。もう何年も、月に何度かの表敬訪問を続けている。しかし、新型コロナウイルスのせいでこの頃は、黴菌を持ち込むのを恐れて、意識して控え気味になっている。次兄宅は第二のふるさとであり、次兄夫婦は実在する父親と母親代わりである。共に優しく、現在私あるのは、二人のおかげである。このことはひとときも忘れず、ずっと慕い続けてきた。かつては異なり、年老いた次兄夫婦に会うのは、今や愉しみばかりとは言えない。いや、実際のところは、健康状態を確かめるためのつらい訪問である。しかしながらそれは、強く肝に銘じているわが身の為せるただ一つの恩返しである。
 久しぶりに電車に乗ったけれど、新型コロナウイルス禍の騒ぎにあっても車内風景は、そう変わらなかった。車内風景とは、ずばり乗客数である。私の定例の訪問は土曜日か日曜日である。もとより、乗客数は平日より少なめである。しかし、いつもの日曜日と比べても乗客数は、新型コロナウイルス禍にあっても、少ないとは思えなかった。たぶん、秋晴れの好天気に誘われて、滞り気味だった人の行動が促されたのかもしれない。やはり、人の足と心の動きは、天気の善し悪しに左右されるところが大きいと、言えそうである。
 この秋晴れ、今週まで続くのか? と、気が揉めるところである。気が揉めることのイの一番は、やはり第二波が来そうなこのところの新型コロナウイルスの感染者数の地方や地域への広がりかたである。「GO TO トラベル(旅)」、「GO TO イート(飲食)」など、「秋の戯(たわむ)れ」とも思えるのは、それにありつけないわが金の乏しさと心の貧しさであろうか。
 きょうもまた懲りずに、私は秋の夜長の冥想(迷想)に耽っている。

休みます 

 きのう(十月二十四日・土曜日)は、待ち焦がれていた秋天の暖かい陽射しに恵まれました。私は心勇んで、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけました。どこかしこのお店、買い物客で賑わっていました。
 きょう(十月二十五日・日曜日)、現在のデジタル時刻は、3:51です。二度寝ができないままに起き出して来て、パソコンを起ち上げました。人生の終盤になると、心中の平常心はごたついて、まったく保たれません。挙句、私は文章を書く心地、気分を失くしています。書くまでもないことを書いて、休みます。この先の日々は、こんな心境にさいなまれそうです。
 余生とは文字どおり余りの生命であって、もはやどうでもいい人生のひとしずく、あるいはひとかけらかもしれません。そうであれば安寧な気分を望むのは、高望みすなわち欲張りなのでしょうか。寝床へとんぼ返りを試みますが、寝付けず悶々とする長い夜になりそうです。
 わが気分のせいで、ご常連様の楽しい日曜日の気分を塞いで、申し訳ありません。

浮かれ気分に水差す数値 

 新型コロナウイルスにかかわる文章はニュースにもならず、もちろん妙味に欠けるため、意識して書くのを避けてきた。そのため、私は無理やりネタ探しに努めてきた。きょう(十月二十四日・土曜日)もまた、そんな気迷い気分をたずさえて、パソコンを起ち上げた。ところが、この配信ニュースに驚いて禁を破り、仕方なく新型コロナウイルスにかかわる記事の引用を決意した。東京都にかぎれば、このところの感染者数はいくらか減り気味であり、虚を衝(つ)かれた驚きである。
 【全国で748人が感染 北海道は1日あたり最多の51人】(2020年10月23日22時31分、朝日新聞DIGITAL)。「新型コロナウイルスの国内感染者は23日、午後9時現在で新たに748人が確認された。死者は12人。北海道では新たに51人の感染を確認した。緊急事態宣言下の4月23日の45人を上回り、道内では1日あたりで最多の感染者数となった。東京都は186人で、4日連続で100人を上回った。大阪府では、新たに100人を確認。府内で1日あたりの感染者が100人以上となるのは120人だった9月11日以来、42日ぶりとなった。また沖縄県は、県議会の会派『沖縄・自民党』所属の県議10人が新型コロナウイルスに感染したと発表した。同会派の県議18人は18~21日に離島の与那国町や石垣市、宮古島市を訪れ、自衛隊基地などを視察。日程表では18~20日に『夕食(懇談会)』と書かれており、県議会事務局によると居酒屋を貸し切りにした懇親会が開かれたという。国内の感染者+748人(96112人)死者+12人(1710人)退院者+579人(88904人)10/23 21:00時点 退院者数はクルーズ船の乗客らを含めた数。厚労省などによる」。
 「GO TO トラベル」、「GO TO イート」、「GO TO 商店街」などのキャンペーンは、いよいよ盛りになっている。この先、いくらか気になる人の世の他人様(ひとさま)の浮かれ気分である。もちろん、浮かれ気分に乗れない、わがやっかみではない。秋の夜長は、人の世を知らず深々と更けてゆく。

秋の夜長の恩恵 

 このところの私は、せっかくの秋の夜長を恨めしく思うばかりだった。ところが、きょう(十月二十三日・金曜日)現在(デジタル時刻、3:00)の私は、秋の夜長にたっぷりと浸っている。すなわち、秋の夜長でなければ執筆時間に急かされて、時間の掛かることはできない。
 私は目覚めるとそのまま寝床に寝そべり、心中に使い慣れている言葉をめぐらしていた。その言葉は、「生来」である。知りも知っているこの言葉は、「生まれつき」として、しょうちゅう文章の中に用いている。文章に用いるときは、必然的にその後には愚痴こぼしの事柄が続いている。すなわち、記憶を新たにすればそれらには、生来、私は三日坊主とか意志薄弱とか、はたまた決断力に乏しいとか、わが精神力の欠如や欠陥を示すものが露わに記されている。これらのこと以外にも浮かべれば、芋づる式に次々に浮かんできて、まったく尽きるところはない。
 さらに、三つほどに限り記すとこうである。生来、わが脳髄は蒙昧(もうまい)である。生来、わが顔は醜面(しゅうめん)である。生来、わが手は不器用(ぶきよう)である。あらあら、四つを書く羽目になった。生来、私は内気というより、劣等感の塊(かたまり)である。書き出すと確かに、きりなく尽きない。だから意図して、打ち止めにせざるを得ない。
 生来という言葉を浮かべて私は、「後天」を見出し語にして、枕元に置く電子辞書を開いた。すると、こう記されていた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後(おく)れて天の時を奉ず」]生まれてから後(のち)に知ること、生まれてから後に身に備わること⇔先天。次には「先天」を見出し語にして、再び電子辞書を開いた。[易経(乾卦、文言)「天に先だちて天違(たが)わず、天に後れて天の時を奉ず」(天に先だつ意)生まれつき身に備わっていること⇔後天。
 私にとりつく「生来」という言葉は「先天」と同義語であり、そしてその反義語は「後天」である。結局、知りすぎている言葉の復習にすぎない。それでも、秋の夜長の恩恵である。確かに、生来と先天は同義語である。しかし、先天的とは言っても、生来的とは言わない。後天的に見合うのは、先天的がふさわしいことを復習したことにはなる。
 学童の頃の「綴り方教室」、さらにはかつての「日本随筆家協会」(故神尾久義編集長)の会員当時から私は、文章はやさしい言葉でわかりやすく書くことを指導されてきた。このことからすればわが綴る文章は、ゴツゴツとしてきわめてわかりにくいものである。おのずから私自身、「下の下の文章」と、認知しているところである。
 そのための言い訳を一つだけ記すとこうである。私は、語彙(言葉と文字)の生涯学習を掲げている。このため、忘却を恐れて咄嗟に浮かんだ言葉をやたら滅多らと文章の中に用いている。わが文章は、掲げる「語彙の生涯学習」の実践の場と任じているところがある。必然的に文章は、滑らかさを失くし熟(こな)れない硬いものとなる。ひいては、文章の基本を逸脱しがちになっている。つまりは、わが生来の凡愚(ぼんぐ)ゆえである。結局は、先天的なものであり、後天的に補えるものではない。
 秋の夜長は、五月雨式(さみだれしき)にキーを叩いても、夜明けまではまだまだ余りある時間を残している。それでもきょうはこれまでとは違って、表題には「秋の夜長の恩恵」と、記そうと決めている。ただ惜しむらくは、きわめて硬いわかりにくい文章の見本に成り下がっている。わが生来の「身から出た錆」である。

萩の花びら 

 十月二十二日(木曜日)、パソコン上のデジタル時刻は3:28と刻まれている。秋の夜長にあっては、夜明け前と言うにはうしろめたいところがある。そのため、かなりの嘘っぱちだが、こんな表現を試みた。「秋の夜は、静寂(しじま)に深々と更けてゆく」。ときには、文学的表現をしてみたかったにすぎない。
 もう一つ、忘却を防ぐため英単語を書き添える。それは、PETAL(花びら)である。八十(歳)の手習いの実践のためである。道路からサルスベリ(百日紅)の花びらが消え、次には金木犀の花びらが消えた。すると、自然界にあっては瀟洒(しょうしゃ)な秋の花が咲く時期にあっても、わが家周りには草花を含めて、花びらを目にする日が途絶えていた。
 庭中の椿は蕾(つぼみ)を膨らす時期にあり、開花はいまだ先送りの状態にある。こんなおり道路を掃いていると、空き家を解いて残された空地の植栽の金柵の間から、萩の花の茎が湾曲してニュッと道路側へ垂れていた。今にも折れそうなか細い茎は、小さな花びらを重たそうに無数に着けていた。思いがけない出遭いにあって私は、箒の手を止めて佇んだ。萩の花びらに虚を衝(つ)かれて、驚くより狂喜した。心中無下に、(ここは、人が通るところだから邪魔だよ!)と呟いて、折れないように気を配り、鉄柵の間から空地の植栽へ返した。きょうは、たったこれだけのことを書いてみたくなったのである。
 わが文章には、いつも明るさがない。おのずから、自分自身にもそうだけれど、読む人には輪をかけて気分の滅入る文章ばかりである。すなわちこれは、生来のわが性質に起因する「身から出た錆」の証しである。もちろん私は、常々明るい文章を書きたいと願っている。しかしながら、生来のマイナス志向が祟(たた)り、いっこうに書けない。ほとほと、なさけなく、また、かたじけなく、思うところである。明るいネタ探しを試みたけれど探しきれない。そのためきょうは、「萩の花びら」におんぶにだっこされた蛇足文で、閉めとせざるを得ない。
 夜明けまでは、まだまだ長い夜である。夜明けの薄明りが訪れれば真っ先に道路へ向かい、お礼返しに萩の花びらの周辺を見回るつもりにある。いくらか、亡き父親の真似事である。父親は夜が明けると蓑笠(みのかさ)を着けたり、甚兵衛(じんべえ)を羽織ったりして、水田の見回りに出かけていた。萩の花びらは思いがけなく、父の面影をも偲ばせてくれたのである。萩の花びら、様様(さまさま)の一文である。

秋空の中の柿の実一つ 

 狭小なわが家の庭中には、園芸業者やプロの庭師など、すなわちお金を掛けてととのえた植栽はない。似非(えせ)の庭模様を成すのは、多額のローン(後払い)にすがり、ようやく宅地を買い求めた嬉しさに、勢い余っててんでバラバラにあちこちに植えた安価な雑木(ざつぼく)ばかりである。ひと言で表現すれば、殺風景な風景を逃れるためのお茶濁しの緑にすぎない。わが目の保養にはもっぱら、人様すなわち家並の植栽と、取り囲む山と周辺の木立に頼っている。言うなればわが目の保養は、人様の植栽と自然界の風景が織り成すコラボ―レーション(協作)すがりである。
 とうてい樹木とは言えない庭中の細木であっても、このところ年々、わが身辺整理の対象物になっている。おのずから立ち姿はこじんまりとなり、みすぼらしくなるばかりである。すなわち、いずれは空き家になることから、隣近所に迷惑を掛けないためのわが意図する自己都合の庭木傷(いた)めである。
 もちろん私とて、無慈悲に手当たりしだいに枝葉縮めを敢行しているわけではない。心中では傍目(はため)構わず、泣きべそどころか、号々と泣いている。わが心中のことだから、人様には見えないだけのことである。
 もとより、樹木というほどではない低木の柿の木だが、年々、枝葉切り落としの被害者となっている。挙句、身形(みなり)ならぬ木形(きなり)は、今やみすぼらしい姿を晒している。そのせいでいよいよ今年(令和二年)は、わずかに六つの実を着けただけだった。それでも唯一、わが家における実りの秋の実現である。それゆえに半面、私は様変わった風景を眺めて、心寂しさをつのらせている。柿の生る風景をこよなく愛し、それにも増して実利の味覚を好む私には、みずからの手でみずからを打ちのめしたつらいわが仕打ちだった。
 実際のところこの風景を眺めていると、矛盾するけれど憐憫の情と罪業(ざいごう)に、甚(いた)くわが心を砕(くだ)いていた。その証しには二つだけを手に取って、味の試し食いをし、四つは眺める秋の風景として残した。ところが、残したものの三つは熟柿(じゅくし)となり、わが無情にも道路へ落とし、汚(きたな)らしく裂けた。山に棲むわが愛鳥のシジュウカラやメジロに恵むこともなく、相済まなくてわが胸は切り裂かれる思いである。
 そして現在は、サバイバル(生き残り)競争に勝ち得た、一つ実だけが枝に着いている。この風景を眺めているとわが胸は、またもやキリキリと痛むのである。身辺整理は、長い人生の果てに訪れる、短く限りあるものの、途轍もなく「命の痛み」をおぼえる、虚しい作業である。

滞っている決断 

 きのう(十月十九日・月曜日)の「大船中央病院」(鎌倉市)への予約通院においては、採血による診断が行われたのみだった。数値の異常値は、常態化している二つの検査項目に表れていた。一つは「クレアチニン値」(腎機能)であり、1・30と記されていた。基準数値にたいし、「高」表示である。一つは「LDLコレステロール値」(悪玉)で、171と印されていた。これまた、基準値にたいし「高」である。ずっと高止まりにある二つ項目の数値ゆえに、私は淡々と数値に目を落とし、先生の言葉をあたりまえのように聞いていた。双方共に、薬剤の処方箋はなく済んだ。かつて、薬剤の副作用に悩まされて、そのおりから私は、薬剤投与を拒んだ。そのことが尾を引いているせいである。
 しかし、きのうで通院縁切りとはいかず、次の予約日が来年(令和三年)の三月二十九日に決められた。心中、通院縁切りを願っていたけれど、それは叶わず私は、少なからず落胆した。一方では、ちょうど半年先までの存命の保証にあずかった気分でもあった。こんな馬鹿げたことでも思はなければ、通院は虚しいことばかりである。まったく様にならない、きのうの通院報告である。いや、様になっては困る、採血と診断報告である。
 次に控えるのは、のた打ち回るほどに大いに様になる歯医者通いの決断である。決断と記したのは、少しばかりの痛みの和らぎに騙(だま)されて、今なお断を下しかねているからである。一旦、歯医者通いを決め込めば、予約の繰り返しを強いられて、たぶん半年近くの通院を覚悟しなければならない。もちろん、そのつど多額の医療費を払う羽目にもなる。それでも過去の経験では、歯の痛みに勝てず、後れて泣く泣く行くこととなる。
 確かに、歯痛だけは自然治癒の蚊帳の外にあるものと知りすぎていて、もちろん私には抵抗する術(すべ)はない。このことは十分に分かっている。しかし一方、できたら先延ばしにしたくなる物事の最高位にある。とりわけ今回、歯医者通いを決断すればこれまでの長いあいだの我慢が祟り、いたるところの治療に及びそうである。もしかしたら、根こそぎ歯を削り取られそうでもある。それを恐れてこれまで、みずからに我慢を強いてきた。そのため、通院を決断すれば、このしっぺ返しをこうむるのは明らかである。すると、我慢へ逃げ込みたくなり、また決断が鈍るのである。
 しかしもはや、決断は一両日にきている。確かに、高齢(八十歳)にして存命に恵まれていることは果報者である。一方では、生きることの苦難をひしひしと感じている。なかなか、秋の夜長を愉しめない、なさけないわが身である。
 ネタ不足のせいで、書くまでもないことを書いてしまった。夜明けはまだ先である。わが気分の和らぎは、なお遠く闇の中にある。

予約済み通院日 

 まったくなさけない。書くに耐えない、読むに耐えない、私日記に成り下がっている。きょう(十月十九日・月曜日)は、痛みの続く歯医者を先送りにして、予約済みの「大船中央病院」(鎌倉市)への通院がある。掛かりは消化器内科である。どんな診察と診断になるかは、もちろん予測できない。これまでは何度か、胃カメラや大腸カメラなどの内視鏡検査を繰り返してきた。だから、その延長線上の診察が予測される。
 もう一つは、採血による異常数値の経過診断である。きょうは採血診断だけで済めば万々歳である。いずれも、自覚症状に脅かされての通院ではない。それでも病院行きには、いつも恐々とするところがある。心中には、新たな病巣を(探さなくてもいいのに)という、バカな思いをたずさえている。
 病院いや医者は、病巣探しとその治療が本来の任務(役割)である。そのためにはきわめて高い頭脳と技術の習得が必要である。もちろん、崇高な志がイの一番である。そのため医者は、もともとの頭脳の良さに加えて、高額のお金と多年の研修をかけて、志を叶えた人たちである。まさしく、世のため、人のため、明らかに尊敬や崇敬するに値する人たちである。もとより、診断結果を聞く、医者の一言一句は、胸に突き刺ささるものがある。なぜなら、その言葉の善し悪しで、この先の人生が様変わることとなる。おのずから、神妙きわまる瞬間である。
 現在の私は、歯痛や口内の荒れようには悩まされているけれど、内臓にかかわる自覚症状はない。そのため、そう恐れる通院ではないけれど、通院を避けたい気分は旺盛である。独りよがりに、いつもの採血と異常数値の経過診断ぐらいで済めばいいなあという、望みをたずさえての通院となる。
 ところがわが意に反し、新たな病巣探しとなれば飛んだ災難である。もとより、通院には幸不幸がつきものであり、その挙句、滅多なことでは無事放免にはならない。このことを心してのきょうの通院となる。私はいつものように神妙に診察室へ入ることとなる。患部の治療に行く歯医者の場合は、のた打ち回って治療椅子に体を横たえる。通院にかかわる心持の大きな違いである。実際には急に予約をとって先に歯医者へ行きたいところである。しかし、数か月前に予約済みを反故(ほご)にはできない。そうであればきょうの通院でも、無事放免を願うところである。
 身体の内臓、すなわちさまざまな部位における病の発症など、私は知るよしない。おのずから通院には、常に「俎板(まないた)の鯉」の心境にある。歯が痛く、口内が荒れて、憂鬱気分旺盛である。それなのに嗚呼(ああ)、歯医者は後回しである。そであれば、内臓に新たな病巣の無いことを願うばかりである。

気分直しの一文 

 歯の一部が欠けて、そのせいかいたるところが腫れて、口内のガタガタに見舞われている。もちろん、口内の痛みに襲われて、きのう(十月十七日・土曜日)は、その対応に終始した。対応とは痛みを堪えた我慢であり、何らかの処置をしたわけではない。口内が荒れると先ずは痛みに耐えなければならない。次には、食べることの楽しさを捨てなければならない。そして、総体的には憂鬱気分まみれとなる。きのうから、きょう(十月十八日・日曜日)現在におけるわが精神状態である。休むつもりであったけれど、起き出してきてこんなことを書いている。
 きのうの掲示板には、大沢さまご投稿の「月下美人」(写真)の美しさにより、それを称賛する投稿が列なった。そのうえ、人無き声を表すカウント数は、このところの最多を示していた。私は感謝感激に浸っていた。
 きょうはこのことを書くために、パソコンを起ち上げた。この先は書けず、結文とするものである。気分直しの一文となれば幸いである。

加速度を強める加齢化現象 

 十月十七日(土曜日)、現在のデジタル時刻は2:49の表示にある。十一時過ぎに床に就いて、三時間ほどの睡眠を貪(むさ)り、二時過ぎに目覚めて、そのまま起き出してきた。短い睡眠をこうむり、私は憂鬱気分に陥っている。身に着いている習性とは、飛んだ災難である。いや、憂鬱気分の元凶はそれではなく、加齢にともなう現象である。
 学童の頃、教室で何度も聞かされたことわざの一つには、「失敗は成功の母」というものがある。確かに、若い頃であれば失敗は、リベンジ(仕返し)精神旺盛となり、そののちの成功にありつけることは多々ある。ところが、人生終盤における加齢化現象は、もはやお手上げ状態にあり、そののち糧(かて)になるものはない。気を張って行為・行動をすればやることなすこと、「年寄りの冷や水」と、揶揄(やゆ)されることが落ちである。言うなれば年寄りの加齢化現象には、捲土重来(けんどちょうらい)を叶える明日(あす)はない。それなのに加齢化現象は、まるで「雨後の筍(たけのこ)」のごとくに現れ出る。挙句、人生終盤の体験は、悉(ことごと)く様にならないものばかりである。私は目覚めて寝床の中で、こんな思いにとりつかれていた。そして、この思いを文章に著(あらわ)したのである。「おまえ、バカじゃないの?」の丸出しである。
 このところのわが身体は、加齢化現象を蒙(こうむ)りあちこちが蝕(むしば)まれてゆく。きのうには傷(いた)んでいた歯の一部が耐えきれずとうとう欠け落ちて、隙間ならぬぽっかりと空間を晒している。もとより、歯の損傷特有の痛みをともなっている。おのずから、現在の憂鬱気分の元凶を成している。リベンジ(仕返し)気分を挫(くじ)かれた歯の痛みである。加齢化現象に遭って、私には体験で知ることばかりが増え続けている。もとよりそれには、「失敗は成功の母」とは言えない。すなわち、私は体験で知る仕返しのできない人生終盤の苦渋に喘(あえ)いでいる。
 きょうは、この先が書けない。現在、デジタル時刻は3:29である。まだまだ、悶々とする夜長になりそうである。確かに、加齢化現象は、身体のあちこちで加速度を強めている。それに抗(あらが)えない、人生終盤の悔しさ、虚しさ、ひしひしである。

垣間見える世相 

 十月十六日(金曜日)、日本社会における現下の気に懸かる世相を浮かべている。一つは、新型コロナウイルスの感染者数の推移である。このことにかかわるメディアの報道は、このところは抑制気味のところがある。しかし、新型コロナウイルスの感染者数の実態は、メディア報道のように落ち着いた状態でもない。メディアの報道では週初、すなわち水曜日あたりまでは少なく、一方で週の後半すなわち木曜日から土曜日あたりには、多く報じられてくる。日々の数値が反映されるのは実態より三日ほど遅れて、かつ物理的にもPCR検査などの多寡(たか)が影響しているからだという。このことでは日々一喜一憂することでもない、数値には実態とのいくらかの齟齬や乖離があるようである。それでも感染者数の増減傾向は、明らかに分かるところはある。
 感染者数の報道が日々常態化している今朝の朝日新聞の朝刊によれば、全国の感染者数は七〇八人(前日すなわちきのうの午後八時半現在)と、報じられている。そのうち、東京都に限定すれば二八四人という。東京都の場合、この数値は過日(八月二十日)の三三九人以来というから、ぶり返し傾向にある。世界的にもこのところはぶり返しの傾向にあり、第二波と伝えられ始めている。そうであれば、日本社会におけるこの先の感染者数の動向が気になるところである。
 新型コロナウイルス報道に加えて、私には気になるものがある。すなわち。私はこの記事に目を留めたのである。
 【郵便土曜廃止 来秋にも】「郵便が届くのがいまより遅くなる見通しになった。差し出し日から3日以内に届けるルールが4日以内に緩められる。日本郵便は土曜日や翌日の配達も原則としてやめる方向だ。民営化された日本郵政グループの収益改善が狙いだが、サービス悪化への懸念が強まりそうだ。」
 この記事における咄嗟(とっさ)のわが思いは、唖然とするものであった。もちろんそれは、郵便にかかわらず、広く日本社会の変容ぶりからもたらされている。狭義には郵便配達のみならず、今や新聞配達も青息吐息の状態にある。その挙句、新聞配達にも何らかの変化が生じそうである。
 こどもの頃からこんにちにいたるまで郵便配達と新聞配達は、私にはごく身近なところでありがたい慣行の双璧を成してきた。顧みればかつては、それぞれの玄関口で人は、郵便配達人と新聞配達人の訪れを待ち焦がれて佇んでいた。それは日本社会にあって、心温まる原風景を成していた。特にこれらは、社会から隔絶されたかのような、鄙びたわが生誕の地(ふるさと)にあっては、張りのある日常生活の一端を担っていた。同時にそれは、確かな日本社会の文化とも言えるものでもあった。
 ところが様変わる日本社会、具体的にはIT(情報技術)、SNS(ソーシャル ネットワーキング サービス)、はたまた何でもかんでもデジタル化の波の影響で、これらは事業自体の変容を迫られている。まさしく、背に腹は代えられない施策であろうけれど、私にはみずからの首をみずからの手で締めることにならないかと、危惧するところがある。もちろん、わがアナログ人間の老婆心である。しかし、杞憂になりそうにない。
 確かに、秋の夜長にあっては、善悪交々に冥想(迷想)に耽(ふけ)るところがる。その多くには、変わりゆく時代に付き添う寂しさがともなっている。言葉を重ねれば目下(もっか)の日本社会は、時代の変遷にともなうつらい世相にある。

秋の夜長の恩恵 

 「ひぐらしの記」は、大沢さまから「前田さん。何でもいいから、書いてください!」と、言われて誕生した。すなわち、「ひぐらしの記」は、大沢さまのご好意にさずかり生まれた。実際にもその言葉に救われて私は、何でもかんでも書いてきた。その挙句に私は、生来の三日坊主には思い及ばない継続にありついた。文章の出来はさておいて、継続の叶えである。
 あり得ない想念すなわち絵空事(えそらごと)をめぐらせば、「三日、三月、三年、するが辛抱!」と、人生訓を垂れていた母は、野末の草葉の陰でひそかに褒めているだろう。もちろん、そんなことはあり得ない。しかしながら私は、文章を綴りながら同時に、母の面影を浮かべては継続への支えにしてきた。文化・教養とはまったく無縁の母は、唯一、大家族を支える術(すべ)にだけは長(た)けていた。水車を回し精米業を兼ねて農家を生業(なりわい)とする母は、物心つき始めの私にたいして、二つの人生訓を諭(さと)し始めた。一つは先に記したものであり、一つは「楽は苦の種、苦は楽の種」である。つまり、どちらも「しずよし、辛抱せよ!」との人生訓である。思えば母は、早々とわが三日坊主の性癖(悪癖)を見抜いていたのであろう。
 母の愛とは、桁外れに深いものと思うところである。それでも私は、わが人生八十年においては、さまざまなところで三日坊主を繰り返し、悉(ことごと)く母が垂れた人生訓に背いてきた。このことを思えば、大沢さまをはじめとしてご常連各位様の支えと励ましを得て続いてきた「ひぐらしの記」は、オマケに母の人生訓に報いたものでもある。言うなれば「ひぐらしの記」は、人様のご好意で継続が叶い、同時に母の愛に報いたわが望外の傑作である。もとより傑作とは、文章の出来を言うのではなく、三日坊主に耐えたことをちょっぴり自惚(うぬぼ)れて、手褒めの寿(ことほ)ぎにすぎない。
 このところの私は、執筆には有り余る秋の夜長に手を焼いてきた。ところが、きょう(十月十五日・木曜日)の私は秋の夜長にあって、あけすけにこんな迷い文を書く幸運に恵まれた。ずばり、ネタ不足を免れた、一文と言えそうである。現在、パソコン上のデジタル時刻は4:41である。夜明けいまだの薄暗い中にあって、道路の掃除を敢行している。今朝も、夜明けを待たずに掃除にありつけそうである。母の人生訓とはいくらかずれているけれど、箒を這わすわが姿をチラッと目にすれば、坊主から禿げに変わったわが頭を撫でなでして欲しいものである。
 きょうにかぎれば、何でもかんでも瞑想(迷想)に耽(ふけ)れる秋の夜長のおもてなしと言えそうである。しがない現実に返ってきょうは、隔月に訪れる国民年金支給日である。母恋物語より牡丹餅(お金)とは、なんだか切ない。それでもきょうの私は、またとない秋の夜長の恩恵にとっぷりと浸っている。

睡魔の元凶、あれこれ 

  (なんだかなあー…)、押印(ハンコ)不要施策が、菅政権のスタート時の目玉のようである。十月十四日(水曜日)、現在のデジタル時刻は2:46と刻まれている。秋の夜長にあってこのところは、まるでハンコを押したかのようにこの時間帯の前後に起き出して、パソコンに向かっている。この先、こんなことが定着すればと、このところの私は、少なからず気を揉んでいる。なぜなら、早起きのせいかこのところの私は、夕方あるいは夕食を摂った後に、早々と睡魔に襲われている。もちろん、(まだ早いよ!)と気張って、睡魔を抑え込んでいる。しかし、だんだん敵(かな)わなくなりつつある。
 早い睡魔の暴れ出しの誘因を浮かべてみた。真っ先には、常態化しつつある早起きを真犯人に見立てている。次に浮かぶのは、八十歳を超えて先へ向かっている年齢の仕業かと、思うところがある。そうであれば早い睡魔の現象は、もはやこの先避けられず、いっそう加速するばかりである。しんがりに、いやこれが真犯人だ! と、思うのは、身辺整理にともなう心労のせいであろう。実際のところ身辺整理は、いまだごく身辺の手始めにすぎない。それなのに、こうまで心労をこうむり眠気を催すようでは、それこそこの先が思いやられるところである。その挙句わが死因には、「身辺整理の疲れ」と、書かれそうである。現在の私は、なまぬるい身辺整理というより、死に支度を急いでいるようでもある。そうであれば支度などほったらかしにしていても、やがては必ず訪れることだから、日々心労にとりつかれてまで、急ぐこともないだろうとは思っている。つまり、身辺整理を止めないかぎりは、この先にはなおいっそう睡魔の暴れをこうむりそうである。それほどに身辺整理とは、身体と精神共に、かぎりなく堪えるものである。そうであれば望むことは、身辺整理などには意を留めず、「ピンピンコロリ」を願うところである。
 わずかに三十分足らずの、秋の夜長の殴り書きである。かたじけなく思いつつも文章を閉じて、この先は夜長に耽り、悶々と夜明けを待つこととする。こんな駄文が継続文をなすのは、ほとほと木っ端恥ずかしい思いでいっぱいである。睡魔にかこつけた実のない継続文は、睡魔以上にわが身に堪えている。

命、考える夜長 

 十月十三日(火曜日)、台風十四号が去った後には日中の秋晴れと、秋の夜長における飛んでもない暖かさが訪れている。台風十四号はおおむね大過なく去った。それでも、被災地や被災者は存在する。それらの人たちにはきわめて噴飯物だけれど、秋晴れと暖かさは台風十四号のおもてなし、すなわち小粋な罪の償いと思うところがある。気象庁によればそののち、すでに台風十六号が発生しているという。台風シーズンにあっては、まだまだのほほんとはしておれないところである。
 現在、パソコン上のデジタル時刻は2:20である。いつものようにパソコンを起ち上げると、私はメディアが報じるニュース項目に目を凝らした。それらの中にあっては、新型コロナウイルスの蔓延という時節柄にあってか、私はひときわこの記事に目を留めた。日本社会にとっては、もちろんありがたくない現下の世情の一つである。
 【9月の自殺、昨年比8%増…女性は28%増】(10/12・月曜日、20:04配信 読売新聞オンライン)。「9月の全国の自殺者は速報値で1805人に上り、昨年の同じ月と比べて8・6%(143人)増えたことが、12日、厚生労働省と警察庁の集計で分かった。女性は27・5%増えており、さらに8月をみると、20歳未満の女性(40人)が前年同月(11人)と比べて4倍近くに増えていることも判明した。厚労省は『新型コロナウイルス感染拡大の影響で女性や若者を中心に生活リズムが変化した。不安を独りで抱えこまず、メールやSNS、電話などで相談してほしい』と呼びかけている。自殺者の総数は近年、減少傾向だったが、今年7月は対前年比で増加に転じた。女性は7~9月の3か月連続で600人を超え、7月は15・6%増、8月も40・3%増となっている。」
 この記事は、数値で示された日本社会の生き難い証しであろう。一方で日本政府は、「GO TO トラベルキャンぺーン」の盛り上がりで、当初の政府予算が不足して、追加予算を講じるという。(なんだかなあー)、私には「強気(金持ち)を助けて、弱気(貧乏人)を見捨てる」という、虚しさを感じるところもある。
 これまでのわが夫婦は、インフルエンザの予防注射とはまったく無縁に過ぎてきた。それでも共に、インフルエンザの罹患を免れてきた。ところが共に、今年は早々とインフルエンザの予防注射の初体験を済ましている。しかしながらこれで、罹患を免れる気持ちにはなれていない。いやいや案外、初めてインフルエンザに罹るかもしれない。得てして物事には、こんな矛盾が付き纏っている。
 昨年の二つの大きな台風、すなわち「令和元年房総半島台風」(九月九日)、そして「令和元年東日本台風」(十月十二日)の復旧は、今なお置き去りにされたままである。人は、生き続けることに汲々としている。そのため、日本政府が「GO TO 何々キャンペーン」に自画自賛を決め込むのは、私には心して慎むべきと思うところである。
 秋の夜長にあって、短い走り書きで文を結ぶことでは、夜明けまではなお長い夜となる。すると、二年前から空き時間の埋めにしている、英単語の復習で有り余る時間を埋めるつもりでいる。わが身に照らせば三度の飯を食うのは易しいけれど、生き続けることはほとほと難しいところがある。人みなに、共通するところであろう。そうであれば生きることにこそ、自己責任とは言わず、何らかの「GO TO LIVE(生きる手だて)キャンペーン」が欲しいところである。秋の夜長にあって、わが気迷いは果てしない。

切ない「柿談義」 

 十月十二日(月曜日)、飛びっきり暖かい秋の夜長に身を置いている。いつもの倣(なら)いにしたがって、パソコン上に表示のデジタル時刻を見れば、3:21と印されている。私は二時半近くに起き出して来た。これまたいつものようにすでに、メディアの配信ニュースの主なところを読み終えている。幸いにも心中を脅かす大きなニュースはない。台風十四号にかかわるニュースも、後追いなく途絶えている。明るい話題で目を留めたものには、京都が世界一魅力のある都市という記事があった。京都は昨年の二位から一位へ躍り出て、一方東京は、一位から六位へ沈んだという。
 台風十四号は恐れていたけれど、わが家を含めて総じて神奈川県は、大過なく去った。その後にはいっとき、台風一過の秋晴れに恵まれた。待ち望んでいた、久しぶりの胸の透く秋晴れだった。待ってましたとばかりにきのう(十月十一日・日曜日)の私は、胸躍る思いに引かれて、いつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。街へ足を踏み入れて真っ先に驚かされたことは、繰り出していた人出の多さだった。わが定番コースの店のどこかしこに、買い物客がごった返していた。まるで、新型コロナウイルスの感染恐怖など過ぎ去ったかのような光景に、私は度肝を抜かれた。確かに私自身、その光景の一員を成していた。
 この光景にわが思いを映して、こう考えた。すなわち、この人出の多さは台風予報に足止めを食らい、そのうえに日曜日が重なったせいであろう。この証しは、どこの店でも見られた。それは普段はあまり見られない若い夫婦や、家族連れの買い物客の多さだった。
 私はいつもの買物用の大型リュック、さらにはレジ袋に代えて持参の買い物袋に、はち切れるばかりに品々を詰めて帰宅した。買い物の品には果物の場合、この日から蜜柑に新たに柿が加わっていた。そして、夫婦共に大好物の柿の、試し食いをした。現在、わが夫婦は共に歯を損傷しており、恐るおそる柿が食えるかどうかのテストを試みたのである。いつもであれば皮を剥いて齧(かぶ)りつく私も、包丁で薄く裂いて神経を尖らして口中に差し込んだ。それでも私は、「もういい、参った」、とは言わなかった。ところが妻は、早々に音を上げて、
「パパ。わたし、食べられないわ。パパ、柿はもう買ってこなくていいわよ!」
 と、言った。私にすれば好きなものを諦めろ! という、最後通牒を受けた思いだった。それゆえに、抵抗を試みた。
「そうか。それでもおれは食べたいから、たまには買うよ。おまえには、熟れた柿(熟柿)でも買ってくるよ」
 仕方なく相和して、「切ない柿談義」の矛(ほこ)を納めた。それでも、夫婦して実りの秋のイの一番の愉しみを失くした思いだった。
 台風一過のわが家の柿の木には、葉っぱのすべてを飛ばし枝に、五個の柿が台風に逆らい生っていた。私はそれらを千切り、その一つを果物包丁で薄っぺらに切り、これまた恐るおそる口中へ運んだ。いつもの美味しい味覚に加えて、切ない愛(いと)おしさがつのっていた。

 台風十四号通過の夜・未明

 台風十四号通過の夜・未明(十月十一日・日曜日)にあって、現在パソコン上のデジタル時刻は2:59の表示である。秋の夜長にあっては夜明け前というより、静かな深夜の佇まいにある。台風通過の夜にあって、よりにもよって静かな、という形容詞を重ねた。私は気狂いでもしているのであろうかと、みずからを恐れている。いや、気狂いはしていない。台風通過に備えてきのうの私は、夕暮れ近くから四囲の雨戸のすべてを閉じた。かてて加えてわが耳は、機能不全の難聴にある。この両者のため、雨戸の一つでも開かないかぎり、私には外の様子が分からない。現在は、そんな状態にある。
 それなのに私は、あえて雨戸を開けてみる気にはなれない。なぜなら、雨戸を開けた途端、雨・風に吹き込まれたら大慌てとなる。いや、実際のわが恐れは雨・風というより、俗に言う土砂崩れである。わが家の場合は、言葉を替えて山滑り(山崩れ)である。わが家の立地は山に近く、神奈川県の防災当局により、危険区域に指定されている。確かに、不断の私は、山の様子を眺めては山滑り(山崩れ)を恐れている。県は、一方的に指定してそれにたいする予防措置には手をこまねいている。実際に被害がなければ、何らの動きもないようである。だから、へそ曲がりの私には、危険区域の指定いわゆるハザードマップは、当局の免罪符と思えるところがある。こんな危険区域にわざわざ宅地を求めたのは、今はやりの自己責任として一蹴されそうである。確かに、自己責任は免れないとはいえ、つらく恐ろしい現実である。
 わが家周りの状況は、雨戸を開けないかぎりわからない。しかし、パソコン上で見る台風情報では、神奈川県は大過ないようである。それでも、日本列島にあっては無傷では済まされなく、きのうの台風にかかわるニュースでは、伊豆諸島周辺の三宅村や御蔵島村(いずれも東京都)などは、台風十四号の恐怖に晒されていた。もちろん、何らかの被害もあるであろう。
 昨年(令和元年・二〇一九年)は、台風十四号と時をほぼ同じくした「令和元年東日本台風」(十月十二日)で、災害をもたらした台風は打ち止めとなった。これにならって、台風十四号が今年(令和二年・二〇二〇年)の打ち止めとなることを願っている。ところが、晩秋まで台風シーズンである。すると、まだまだオチオチできず私は、新たな台風発生に恐々としている。卑近なところで台風十四号通過の夜は、夜明けまでビクビクする長い夜である。

訪れている秋は憂鬱 

 待ち焦がれて急(せ)かしていたわけではないけれど、どうせ来るなら早く来てぐずついている雨空を蹴散らし、台風一過の秋晴れを望んでいたところがある。ところが、幸いにも台風は免れそうだけれど半面、秋晴れはしばしお預けのようである。
 【台風14号速度遅く長雨に」気象庁が注意呼びかけ 沿岸部は高波に警戒】(10/9・金曜日、22:46配信 毎日新聞)。「台風14号は9日午後9時現在、四国の南の海上を北北東に進んでいる。10~11日に東日本に接近する恐れがあり、気象庁は『進む速度が遅く雨が長く降りやすい。トータルで降水量が増える可能性がある』と注意を呼びかけている。気象庁によると、中心気圧は980ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は秒速30メートル。中心から半径130キロ以内では25メートル以上の暴風が吹いている。予想進路は当初の見込みよりも南寄りへ移り、上陸の可能性は低くなったが、沿岸部は高波に警戒が必要という。」
 台風予報にかぎれば予報の腰砕けは、とことんありがたいと思って、私はホッと胸を撫でおろしている。
 きょう(十月十日・土曜日)は、かつては一定日の「体育の日」だった。ところが体育の日は、一定日から離れて十月の第二月曜日へと移行し、名称も「スポーツの日」と変えている。そうだとすれば今年(令和二年・二〇二〇年)のスポーツの日は、あさって(十二日・月曜日)となり、きょうを初日として三連休となるはずだった。ところが今年にかぎればスポーツの日は、予定されていた「東京オリンピック」の開会式に合わせて、七月二十四日(金曜日)に移行している。そのため、カレンダーの十月には、祝祭日はまったくなくなっている。東京オリンピックおよびパラリンピック自体は、新型コロナウイルスの影響で来年(令和三年・二〇二一年)へ延期となっている。おのずから今年かぎりの措置は、そっくりそのまま来年へ持ち越しとなるようである。不確かなわが記憶のおさらいである。
 さて、このところの私は、台風十四号の予報に戦々恐々を強いられていた。昨年の台風十九号、すなわち「令和元年東日本台風」(十月十二日)と、命名された台風に合わせるかのように今年は台風十四号が襲い、このところの気象予報士はその予報に明け暮れていた。古来、日本の気候にあって十月、なかんずくかつての体育の日あたりの気候は、最も穏やかと言われてきた。ところが、二年続けてめちゃくちゃである。めちゃくちゃの張本人は、時を合わせて訪れた台風である。
 訪れている秋は、あらためて「台風シーズン」と、わが肝に銘じている。そのため、台風十四号は逸れても、まだまだ安心できるものではない。そのうえ新型コロナウイルスは、春、夏と過ぎて、秋になっても、いまだに終息どころか収束の兆しさえ見えない。新型コロナウイルスは、「立冬」(十一月七日)すなわち一年めぐりで冬の季節へ向かいそうである。その先はわからず、私は慄(おのの)くばかりである。なんだかなあー……? 秋は、名前負けになりつつある。またまたまた、雨の夜明けである。

いよいよ、冬防寒重装備 

 十月九日(金曜日)、わが身は様変わりの変装を強いられている。接近中の台風十四号は、前触れとして寒気をもたらしている。突然の寒気に耐えかねて現在のわが身は、例年のしきたりにならい早々と、冬防寒重装備に包(くる)まれている。きのうから私は、厚手のダウンコートを纏った黒装束の身形(みなり)にある。わが身体は、寒気を極端に嫌うところがある。おのずから精神(力)は、寒気にたいして弱虫である。いよいよ、わが嫌う季節の到来である。この裏返しに私は、夏の季節を好んでいる。
 きのうには一日じゅう、風交じりの雨が降り続いた。わが家の北道路の一部には、わずかばかりのサルスベリの花びらをまじえて、金木犀の黄金色の花びらがべったりと広く張りついていた。空き家を解いた空き地の植栽がもたらし、それをわが目がとらえた寒々しい風景だった。わが心身は、余計に縮こまった。
 あす(十月十日・土曜日)はかつての「体育の日」であり、日本社会にあっては、一年中で最もさわやかな時季にある。おのずから学び舎や地域では、例年あすあたりには運動会や市民体育祭などがたけなわとなるならいにある。それほどに好季節真っただ中にあって現在の私は、寒々しい気分に陥っている。
 かつての「東京オリンピック」(昭和三十九年・一九六四年)は、十月十日に開会式を迎えていた。これらのことを思い浮かべれば、今年(令和二年・二〇二〇年)のきょうは、ほとほと恨めしい天候の訪れにある。立ってかたわらの窓ガラスを開いた。すると、一基の外灯の照らす道路には、雨粒が跳ね返っている。きのうに続いて、寒々しい雨の夜明けとなりそうである。秋の夜長は、いまだに真っ暗闇である。夜が明ければ台風十四号に備えて、私は雨を厭わずわが家周りの見回りをするつもりである。昨年(令和元年・二〇一九年)の台風十五号(九月九日)の被災に懲りて以来、私は台風襲来にひどく臆病になっている。自然界現象に抗するすべはないけれど、恨みつらみつのるところはある。私は、こよなく胸の透く秋晴れを願っている。

 近づく台風十四号

 十月八日(木曜日)、夜明け前にある。現在のパソコン上のデジタル時刻は、3:46と刻まれている。ところが、秋の夜長にあっては夜明け前の気分なく、私はいまだ深夜の佇まいの心地にある。頭上に一基の蛍光灯が照らす静かなパソコン部屋にあって、私は寒さで身を縮めている。きのうあたりから十月の季節相応に気温が下がり、わが身に堪える寒気が訪れている。私同様に寒がり屋の妻は、まるで富士山の初冠雪さながらにこの冬の入り口にあたり、お初の「暖」のエアコンを駆動させていた。
 季節は確かな足取りで、冬の季節へ向かっている。まったく抵抗しようのない、春夏秋冬をたずさえる季節の営み(現象)である。もちろんそれは仕方ないにしても、ちっとも胸の透く秋晴れに恵まれないことには、私は腹立たしい気分旺盛である。さらにこの先の関東地方は、ぐずついた天候に見舞われそうである。いやいや、そんな呑気なことは言えず、もしかしたら災害のともなう台風に見舞われるかもしれない。気象庁と気象予報士は、過日の台風十号にたいする予報のいくらかの過誤があってか、北上中の台風十四号の予報には慎重というよりはっきりしないところがある。このこともあって近づく台風十四号が、どんなことになるかは予測がつかない。一つだけ言えることは台風十四号のせいで、この先天候はなおぐずついて、胸の透く秋晴れは望めそうにない。悪天候に寒気がともなえば踏んだり蹴ったり、すなわち泣き面に蜂の気分をこうむりそうである。
 記憶を新たにすれば昨年(令和元年・二〇二〇年)には、二つの大きな台風に見舞われた。一つは、わが家の屋根に損壊をもたらした「令和元年房総半島台風」(九月九日)である。そして一つは、ひと月あまり後れて襲った「令和元年東日本台風」(十月十二日)である。これらをかんがみれば近づく台風十四号には、「令和二年(なんなん)台風」と、命名の無いことをひたすら願うところである。
 それにしても号数こそ少ないけれど、今年(令和二年・二〇二〇年)の台風十四号は、昨年の十九号台風に日を合わせるかのように近づいている。このことに私には、自然界現象にあたふたと脅威つのるところがある。蛍光灯の照らす前面の窓ガラスには、ペタペタと無数の雨垂れが光っている。いよいよ厚手の防寒コートを羽織り、冬に身構える季節の到来である。その先導役を担うのは、近づく台風十四号である。私の場合、昨年の台風十五号の二の舞だけは避けたい思いである。

 わが四つの日課の命運

 私には日課とするものが四つある。その一つ、「ひぐらしの記」は、長年書き疲れて、もう止めたいと思う。しかし、日々カウント数が更新されると励まされて、それを絶つ勇気がない。その一つ、朝の道路の掃除は、汚(きたな)さを見るに見かねて、止められない。その一つ、分別ゴミ出しは、同様にわが家がゴミ屋敷になるのを恐れて、止められない。その一つ、路線バスに乗っての大船(鎌倉市)の街への遠出の買い物は、これまた疲れてもう止めたいと、思う。しかしながらこれこそ、私のみならず配偶者が生きるためにも、止められない。仕方なく、率先行動を心掛けている。
 どれもこれもが、身体にひどく堪える日課ではない。もちろん、社会活動に貢献するものはどれもなく、私自身のためのものにすぎない。強いて記すと、道路の掃除だけには、こんな言葉を賜ったことがある。散歩めぐりをされていた卓球クラブの男性先輩は、「前田さんは、公徳心旺盛ですね!」。思い及ばぬ、うれしい言葉だった。ところが一方、図に乗ることなかれ! 散歩めぐりの高齢の貴婦人とは、こんな言葉を交わし合ったのである。
「もう、掃除もお手上げです。疲れて、止めたいです!」
「止めることはないですよ。自分自身の健康のためと思って、まだまだ続けてください!」
「そうですね。でも、もうつらいなあ……。あなたは二十年来、散歩を続けておられますね。偉いなあ…」
「前田さんは、掃除と文章を続けられて、そちらこそ偉いですよ」
 この人には、「わたしにも、文章を一度読ませてください!」と言われて、喜び勇んで製本(単行本)になった「ひぐらしの記」を二冊、回読にあずかったことがある。これら四つの日課は、今やどれもが風前の灯火(ともしび)状態にある。最も早く消えそうなのは、「ひぐらしの記」である。次には、道路の掃除である。いや、どれもこれもが命の衰弱と気力の喪失に見舞われて、ままならなくなりつつある。焦ることはない、どれもこれも、打ち止めはまもなくである。

ささやかでも満喫、実りの秋 

 わが夫婦は、「GO TO トラベル」、「GO TO イート」など、どちらのキャンペーンにも無縁の家庭生活を営んでいる。おのずから、日本政府が声高に呼びかける、経済活性策にはまったく寄与していない。
 戦時中にあっては、国の掛け声に無頓着であったり、まったく靡(なび)かなければ、たちまち非国民呼ばわりされていた。しかし、幸いにも現在は、国の施策に応じなくとも非国民とは言われない。このことではまさしく、現代の世は幸運である。
 テレビ通販はしゃべくり上手な人を集めて、いかがわしいとも思える商品を売り煽る。受け手は、しっかりしないと騙されて泣きを見ることがある。ところが、「GO TO トラベル」および「GO TO イート」キャンペーンにも、いくらかそれ同様の恐れがある。恐れとは、安さを求めたはずなのに無駄金を使ってしまい、祭りの後に悔いを残す羽目にもなる。キャンペーンには、手ぐすねを引いて待ち構えている人がいる。
 その中に、得たリ顔に納得済みで飛び込むわけだけれど、へそ曲がりの私にはこんな成句が浮かんでいる。浮かぶ成句は二つ、「飛んで火にいる夏の虫」、「鴨が葱を背負って来る」である。すなわち、おあつらえ向きの「虫や鴨」にならないよう、心すべしと願うところである。もちろん、虫や鴨にさえなれない、やせ我慢や僻(ひが)みではない。せっかく有利(得得と)に金をはたくのであれば、それに見合う楽しみを味わってほしいという、切ないわが老婆心である。
 私の楽しみは、行動範囲がごく限られた実りの秋の買い物で満たされている。そして、確かにこれで十分である。実りの秋の証しは、売り場にあふれんばかりの農産物のオンパレードである。生産者の汗と知恵の結晶があって、私(消費者)は農産物の堪能にありついている。すなわち、生産者および消費者共利の実りの秋である。
 わが行きつけの野菜と果物の安売り量販店「大船市場」(鎌倉市)の売り場には、郷里・熊本産の農産物が目立っている。中でも、熊本産柑橘類(蜜柑)は、出回りの最盛期にある。実りの秋、本番にあってわが日常の買い物風景は、「GO TO トラベル」と「GO TO イート」キャンペーンの代役を十分に果たしている。そのおりの路線バス乗車は、わがいっときの旅行気分でもある。もちろん、なさけない気分などまったくしない、実りの秋がもたらしているわが夫婦の快い日常である。

夜長つれづれ 

 今さら言うのもなんだけど新型コロナウイルスは、人間社会の営みにさまざまな変化をもたらしている。いつ終息するのかわからないけれど、この先なお長く続けばその変化は測り知れない。半面、人間の知能はどう対応するのかと、期待と不安が入り混じるところがる。総じて考えられることは、変化に対応しきれる人、対応しきれない人の二極分化が生じて、新たな格差社会を生むであろう。
 過去の出来事を顧みれば戦後の混乱期にあっては、上手く対応できた人はのちに栄え、右往左往するばかりで躓(つまず)いた人は復興策にも乗れず、たちまち置いてきぼりを食らった。大小さまざまな社会の混乱期にあっては、人それぞれの対応の仕方や知恵勝負のところがある。わが下種の勘繰りからすれば、新型コロナウイルスの終息後にあっては、よくもわるくもこの現実があからさまにもたらされてくるであろう。
 確かに、人間社会はこのくり返しで変化を続けてきた。一方、戦い言葉で言えば、「ピンチはチャンス」という、言葉が浮かんでいる。すなわち、混乱期特有の知恵勝負の戦いの結末である。人間社会にあって栄枯盛衰は、過去・現在・未来永劫にわたり世のならいである。それを人間社会にもたらす現在の新型コロナウイルスは、確かな鳴動の一つなのかもしれない。
 現在、新型コロナウイルスは、日々感染者数と死亡者数を増やし、人間社会にかぎりない不安と苦難をもたらしている。一方ではやもうえないとはいえ、人の営みにさまざまな変化がもたらされている。このことではピンチはチャンスとばかりに、案外、これまでの人間社会の歪(いびつ)の是正、あるいは悪徳や不都合の浄化に寄与しそうでもある。わが柄でもないことを、当たるも八卦、当たらぬも八卦さながらに思い浮かべたのは、秋の夜長に身を置いてもたらす冥想(迷想)のせいであろう。
 このところのテレビニュースでは、新型コロナウイルスがもたらしている、人間社会の変化が世界を股にかけて見せつけられている。頃はよし、学び舎は運動会シーズン真っただ中にある。ごたぶんにもれず新型コロナウイルスの感染を恐れて、競技種目にはいやおうなくさまざまな変化や工夫がもたらされているという。わが購読紙・朝日新聞の記事から一部を抜粋し引用すれば、こう書かれている。「運動会恒例の綱引きは、少人数で前後の間隔を空ける『ソーシャルディスタンス綱引き』に変更。綱に一メートル間隔で目印をつけ、子ども同士が接触しないように工夫した。ダンスや組み体操などは対面にならないように演技の内容を変え、リレーはバトンを使わずに『ひじタッチ』で。クライマックスを飾るはずだった騎馬戦は、接触が避けられないため見送った」。
 確かに、新型コロナウイルスのせいで、盛り上がりに欠けるいやおうない変化であり工夫であろう。ところが一方、感染者や死亡者には憤懣遣ることなく失礼きわまりないけれど、人間社会のいたるところで好都合の変化も現れ始めている。老い先短いとはいえ私は、この機を好機ととらえてしばし、人間社会いや先ずは日本社会の変化に目を凝らすつもりでいる。これまた、秋の夜長がもたらす迷想である。まだ、夜明けは訪れず、新たにとんでもない冥想(迷想)に耽(ふけ)るかもしれない。秋の夜長は、くわばら、くわばら……である。

感謝感激! 

 十月四日(日曜日)、きょうもまた飽きずに、同じような書き出しで書き始めている。これは、わが書き殴り文章の典型である。恥ずかしくないのかと? と、自問を試みる。もちろん答えは、恥ずかしさで胸に痞(つか)える思いである。しかしながら私の場合は、恥ずかしさに負けては文章がまったく書けない。このことでは、恥ずかしさは十分に承知の助のところがある。いや、意図してそう思わなければ、文章は書けない。表現を変えれば私は、日々恥ずかしさを耐え忍んで書いている。
 継続を旨として書き続ける場合、かなりのやせ我慢だけれど、書き殴りや走り書きにはそれなりの利点がある。半面、忸怩(じくじ)たる思いつのるのは、駄文を免れないことである。確かに、事前準備をほどこし用意周到に書いても、駄文は免れない。なぜなら、わが能力の無さは、構えて書いたところで、納得できる文章とはまったく無縁である。また、構えて文章を書こうとすれば、わが能力ではほぼ毎日は書けない。おのずから、ほぼ毎日書こうとすれば、駄文承知で似たり寄ったりの書き殴りの文章となる。
 恥を晒して正直に記すと、わが能力では書き殴りであってもほぼ毎日書き続けることは、きわめて難儀である。こんな身につまされる文章を、ご好意をたずさえてほぼ毎日読んでくださっているご常連の人たちがいる。すると、ご常連の人たちには、感謝感激! 以外に何もない。わが文章は、拙いうえにマイナス思考の祟りもあって、愚痴こぼしと自虐精神まみれにある。もとより、私自身には自業自得のしっぺ返しだが、同時にご常連の人たちの心塞ぎの文章となっている。確かに、このことでは弁解の余地はまったくない。それゆえに、ご常連の人たちにたいしては、かたじけない気持ち旺盛である。
 確かに、「ひぐらしの記」の継続は、ご常連の人たちのご好意と激励や支えによって、ようやく叶っている。すなわち、ご常連の人たちのこれらの心配(こころくば)りが無ければ、生来三日坊主の性癖(悪癖)を有するわが文章は、たちまち頓挫の憂き目を見ることとなる。このことに心してきょうは、厳(おごそ)かに真摯(しんし)の心持をたずさえている。具体的にはご常連の人たちにたいし、かぎりなく感謝の念(おもい)をたずさえている。
 「ひぐらしの記」を書き始めの頃は、ブログの紹介に合わせて友人や知人にたいし、「読んでください」という、おねだりの勧誘言葉を添えていた。文字どおり、友情や知友の厚情にすがったのである。これが奏して思いがけなく、数多い読者に恵まれて、こんにちまでの継続の大きな礎(いしずえ)となった。あらためて顧みて、今なお感謝感激するところ一入(ひとしお)である。しかし、ほぼ毎日書く文章にあっては、しだいにネタの書き尽くし、さらにはわが書き疲れもあって、少しずつ読んでくださる人の数は減り始めた。それでも、私は感謝と感激の余韻に浸りながら書き続けてきた。
 そして長いあいだ、もう読んでくださる人たちは少ないだろうと思って、カウント数値は見ることなく過ぎてきた。心中では、(片手指の数くらいの人たちかな?)と、本音ではいくらか寂しさをおぼえていた。最近、カウント数値を見始めた。ところがびっくり仰天、カウント数値の正確性を疑うほどに、数値が更新されている。私は狐につままれた思いをたずさえると同時に、摩訶不思議な思いにとらわれた。なぜなら、思いがけない数で、日々更新されている。すなわち、当てにできそうな友人・知人を浮かべても、思い及ばない望外の数値に出合っている。今ではカウント数値は正確と信じて、真摯に掲示板に訪れてくださる人たちへ、御礼を記すところである。大きな励みをさずかる一方で、日々書き殴りをさらけ出すことには、恥じ入る心地尽きるところはない。
 秋の夜長にあって現在の私は、とことんうれしい悲鳴まみれにある。末尾ながらふたたび、心底より御礼を記すところである。ご常連様のご好意により、久しぶりにマイナス思考がプラスに転じている。ご常連様のご好意にさずかり、秋の夜長を心ゆくまで愉しみたい思いつのるばかりである。

わが小器の祟り 

 「中秋の名月」(十月一日・木曜日)にも気づかず、秋の夜長に身を置いている。きょう(十月三日・土曜日)の現在のデジタル時刻は、3:06と刻まれている。きのうと同じような文章になるけれど、頃は良し! 暑くもなく寒くもなく、身体感覚は飛びっきり和んでいる。しかしながら精神状態は、いつもの憂鬱気分を引きずっている。こんなに過ごし易い季節にあっても、いっこうにわが気分は晴れない。わがことながら、ほとほと「恨み骨髄に入る」、バカでなさけない性分である。
 時代区分ではわが年代は、過去ページへ移る終末期にある。おのずからわが人生は、枯葉をなして落ち葉の頃にある。だから、いまだに「生きている」だけでも幸運だ! と、開き直ればいいものを欲深い私は、いまだにその心境になれていない。私には、マイナス思考はなはだしいものがある。マイナス思考こそ、総じてわが憂鬱気分の元凶と言えそうである。そうだとすれば年齢を重ねるこの先は、いっそうどんづまりとなる。もはや、心が晴れることはなさそうである。だとしたら憂鬱気分を逃れるには、年相応の日暮らしの覚悟に尽きそうである。
 憂鬱気分の根源の一つには、時代の流れに取り残されているわが身の不甲斐なさがある。実際には日本社会いや世界の潮流にまったく乗り切れない、わが脳髄の欠乏すなわち無能がある。ずばり、デジタル社会に対応できないわが無能のせいである。もっと具体的には、何でもかんでも傾向をおりなすデジタル社会への恐怖である。政府機関にあっては新たに「デジタル庁」が置かれたこともあり、この流れはこの先へいっそう加速しそうである。するとわが身は、ますますこの流れから置いてきぼりを食らいそうである。確かに、いつの時代であっても時代が遷り変わる時にあっては、こんな現象を露わにするであろう。そうであれば時代の流れに取り流されるわが身を嘆いていては、まったく損々(ソンソン)である。そうとはわかっちゃいるけれど、ジタバタするのはわが生来の「身から出た錆」である。
 結局のところ、何でもかんでもデジタル社会への移行は、それについて行けないわが身を憂鬱気分に陥れている。頃良い秋の夜長にあってわが無能を今さら嘆くのは、バカじゃなかろか! 確かに私は、とことん愚か者であり、欲張り爺(じじ)である。時代の流れに身を置く潔(いさぎよ)さこそ肝心だけれど、私はそれができない。
 愚痴こぼしの文章を書く羽目になったのは秋の夜長のせいではなく、わが小器ゆえである。そうであれば表題は、ずばり「わが小器の祟り」でいいだろう。表題が腑に落ちるところは、残念無念である。夜明けまではまだたっぷりと時がある。この先、長く悶々としそうである。嘆き節、ほとほとつまらない。 

「秋の夜長の祟り」、続編 

 十月二日(金曜日)、とっくにパソコンは起ち上げている。現在のデジタル時刻は3:21である。夜長の時期にあって、書きたい気分も書きたいこともなければ、パソコンの前にいたずらに時を流すよりほかはない。すでに私は、長い時間を黙然(もくねん)と過ごしている。体感的には寒からずに恵まれて快いのに、気分的にはなさけない状態にある。こんな状態ではここまでにして、この先の文章は仕方なく結びにしたいところである。するとこののちは、夜明けが訪れるまで机上に頬杖を突いて、パソコンと睨めっこになる。それでもいっこうに構わないけれど、文章を書くには好都合の夜長は台無しである。
 それゆえに、空っぽの脳髄を鼓舞すればこんなことが浮かんでくる。一つは、一気に緩みつつある行動制限後の、新型コロナウイルスの状況変化への関心事である。人間行動には、摩訶不思議なところがある。実際のところは、慣れの恐ろしさである。そんなには減っているとも思えない、日々の感染者数や死亡者数である。ところがこのところは新型コロナウイルスにかかわるメディア報道は少なくなりつつある。確かに、私とてこの手の報道には飽き飽きしているところがある。しかし一方では、これまでの出入国制限を緩和するためや、さまざまなキャンペーンを盛り上げるための、意図的なものかな! とも、思うところもある。なぜなら、実際にも感染者数や死亡者数は、今なお高止まりで推移している。それなのにメディアは、きのう(十月一日)から解禁された東京都を含めて、「GO TO トラベルキャンペンーン」にかかわる、盛んな旅立ち状況を伝えている。
 「GO TO イートキャンペーン」では、実施前に期待値ばかりを高めているありさまである。これらをテレビニュースで観ると、へそ曲がりの私には「人間は、なんて浅ましいのだ!」と、思うところがある。すなわち、みずからの愉楽くらいは待ち焦がれてキャンペーンを当てにすることなく、身銭を切って十分に為す心意気を願うところである。私は、どれもこれにも恩恵にありつけない。そのため、人様からみれば(ねた)んだり僻(ひが)だりしているように思えるかもしれない。もちろん、そんなことはない。確かに、キャンぺーンにあずかる人たちは、同時に日本社会の経済活性化の一助をなしている。そのため、私とて感謝すべき行動とは知りすぎている。それでも、堰が切れたかのように手の平返しの光景を観ると、なんだかコソ泥にも思えるところがある。
 一つはインフルエンザ流行の季節到来にあって、わが夫婦共に今年は、初めて予防注射(ワクチン)を打とうかなという、思いにとりつかれている。これまでのわが夫婦は、たったの一度さえインフルエンザワクチンの体験はない。それでも共に、インフルエンザを免れてきた。しかし、新型コロナウイルス禍にあっては、せっかくのインフルエンザ予防策を無為にするには、気が咎(とが)めるところがある。
 こんなことを書いて結文とする。夜明けまではまだたっぷりと時を残している。頬杖を突き続けると、両肘の痛みを招きそうである。さりとて、夜長にあって身辺整理を実践するのも、なさけなくて気分の滅入るところである。再度の「秋の夜長の祟り」である。駄文、書きすぎたかな……?

令和二年(二〇二〇年)十月一日 

 過ぎた九月から替わってきょうは十月一日(木曜日)、季節的には中秋の頃となる。過ぎた九月の気象は、恐れていた天変地異の鳴動無く、胸を撫で下ろすところがあった。しかしながら、手放しに喜べるものでもなかった。なぜなら、胸の透く秋晴れには恵まれず、日々ぐずつく天気ばかりが続いた。それでもやはり、「防災の日」(九月一日)に表れているように、地震や台風の多い月にあって、大きな自然災害を免れたことは、よしとしなければならない。
 ところが、新型コロナウイルの感染はなお打ち止めとはならず、今月へ持ち越しである。それにもかかわらずきょうをはじめとして十月には、これまで制限されてきた国内外への人の移動がかなり緩和されるという。かてて加えて萎えている業種のカンフル剤として、さまざまに「GO TO 何々キャンペーン」のお出ましとなる。堰が切れるごとく日本社会は、一気に様変わることとなる。
 しかし、私の場合は身動きのない蝸牛(カタツムリ)の日常に甘んじて、キャンペーン(割引)の恩恵にはまったくすがれない。わが納めてきた税金は、人様の楽しみに使われるだけである。それゆえ現在の私は、いくらか寂しい心地にある。私は聖人君子ではなく、さもしい偏狭な人間の証しであろう。八十歳を超えても私は、いっこうに年の功の心境にはたどり着けないままである。
 そんなこともあってか、この囲み記事には心が動くものがあった。引用する記事は、きのう(九月三十日・水曜日)付け、朝日新聞朝刊に連載中の『折々のことば』(筆者・鷲田清一氏)からのものである。以下、引用文は原文のままである。
 あら「さみしい」の奥には、もうひとつあるみたい(工藤直子)。詩人・童話作家は、人の心は玉葱(たまねぎ)みたいに剥(む)いても剥いてもいろんな喜怒哀楽が現れるが、芯には「さみしい」があるとずっと思ってきた。「生まれてきたってことからしてさみしい」から。が、老いを迎え、生きることが「全部ひっくるめて『おもしろい』」と思えるようになったという。小児科医・細谷亮太との対談「詩と俳句と人生と」(「暮らしの手帖」第8号)から。
 私もたまには「おもしろい」と、思える心境になれたらいいなあ……ささやかな願望である。長く文章を書いてきて書き手の私は、どっと疲れている。それでも、数は少なくてもご常連の人たちは、ほぼ毎日ブログを開いて読んでくださっている。このことに独りよがりに、「おもしろい」という、思いをたずさえれば罰当たりとなる。しかしながら、このことには心底より感謝感激である。確かに、人様のご好意が無ければ、老いさらばえているわが身には、蚊の鳴くほどの「おもしろい」ところもない。ちょっぴりあっても、自力ではまったく成し得ない、人様すがりである。あらためてご常連の人たちに御礼を記すところである。
 掛け値なしに「生まれてきて良かった」と嘯(うそぶ)いて、「おもしろい」と思う、年の功にはいまだにありついていない。命尽きるまで一度だけでも、「おもしろい」、いや「おもしろかった」、という心境にめぐり合いたいものである。ところが残る命は、消費期限(終焉)すれすれにある。私は、どんな十月に遭遇するであろうか。たまには、人生は「おもしろい」と思う気分で、夜明けを迎えたいものである。雨の夜明けである。しかし、わが気分は濡れていない。

 秋の夜長の祟り

 秋の夜長は気分がいいときはありがたいけれど、逆のときは恨めしいかぎりである。ところが、人生の終盤にあっては、気分のいいときは滅多にない。こう考えるとこの先の秋の夜長は、私にはきわめて厄介である。おのずから、黙念と秋の夜長に耽るのは迷想ばかりである。
 これまでの私は、秋の夜長に心身を落ち着けることは、気分休めの最たるものであった。しかし現在は、こんなことを書くようになってしまっている。それゆえに私は、生き恥を晒している。ふと心中には、「雉(きじ)も鳴かずば撃たれまい」という、成句が浮かんでいる。「文章を書かなければ、恥を晒すこともない」という、揶揄である。
 六十(歳)の手習いとしては、私は多くの文章を長く書き続けてきた。文章のできは棚に上げて、この継続にはちょっぴり自惚れるところがある。半面、正直に言ってこの頃は、書き疲れに陥っている。そのため継続は、今や頓挫に打ち負かされそうである。確かに、日々、頓挫に脅かされている。すると、これに打ち克つ手立てはただ一つ、気力の充実である。ところが、頓(とみ)にそれが萎えている。吐息は、(嗚呼、無情…)と、声無くひびくありさまである。挙句、これまで掲げてきた「語彙」の生涯学習は、新たな習得より忘却あるいは目減りするばかりである。
 私はきのう(九月二十九日・火曜日)から、身辺整理に心身を煩わし始めている。この場合、こんな成句はふさわしくないけれど、それを承知で書けば、「思い立ったが吉日」という、成句が浮かんでいる。確かに身辺整理は、人生行路における最も気乗りのしない仕事(作業)である。そのため、余命に限りが見えても、これまでの私は、意識してそれを先送り続けてきた。ところが、町内会の回覧板の訃報欄を見遣れば、そのたびにもう先送りできないという現実を見せられる。こんな心境になって思い立つのは、確かに吉日(良いこと)とは言えそうになく、いやいや、破れかぶれとかやけの止んパチ気分である。もちろん手をつけても、身辺整理はちっとも進まず、輪をかけて気分は塞ぐばかりだった。だから私は、もう懲り懲り(コリゴリ)気分に陥っていた。このときの気分が今なお尾を引いて、なさけなくもこんな文章を書いてしまったようである。
 さらには秋の夜長にあって、憂鬱気分はいっそう増幅している。きわめて、厄介になりつつある秋の夜長である。身につまされる、人生仕舞い支度の身辺整理である。つまるところ私には、はやり言葉の終活とか断捨離は実践不可能である。「秋の夜長の祟り」という表題は、ほとほと恨めしいかぎりである。

虚しいかな! 身辺整理 

 九月二十九日(火曜日)、十二時過ぎに目覚めて、一時間近く寝床で二度寝を試みた。しかし、まったく眠りに落ちない。業を煮やして起き出してきた。現在、パソコン上のデジタル時刻表示は1:22である。
 きのう(九月二十八日・火曜日)から私は、意を決し少しずつ身辺整理を始めた。心身共にどっと疲れて、夕食後、早々に寝床の布団の中に潜った。疲れと早い就寝の祟りをこうむり、二度寝にありつけなかったのかもしれない。いやいや、身辺整理の虚しさが、精神状態を常ならぬところへ押し込んだのであろう。そうと思えば、この先の私は安眠など得られず、いずれは精神の破綻に見舞われるであろう。そんなこんなで現在の私は、新たな文章を紡ぐ気力喪失状態にある。そのためきょうの私は、身辺整理で見つけたかつてのわが文章を、復活させることとしたのである。
 恥を晒してまできょうの代替文章として再記するものは、六十(歳)の手習いよりはるかに遠い、わが独身時代における朝の一コマ風景である。文章は、当時の社内誌「エーザイ ロータリー No100 1968/1」の中の「新春ずいひつ特集」に掲載のものである。文章の拙さには恥を忍んで、わが人生足跡の一端として時間潰しを決め込んだのである。
 『朝食券』前田静良。きょうもまた朝がきた。なぜきたのか。そこで、なぜ起きねばならないのか。私にはまったくわからない。理屈をぬいた時間の流れが、せわしく身支度をさせる。いつものことだけど、朝の時間にはしみじみと考えさせられる。「これも人生」とはいえ、幾度こういう行為をくり返してきたことか。毎朝七時四十分、ほとんど間違いなくドアの鍵穴に、確かなキーをする。今朝も頭の中で、あれこれと思いをめぐらし、小石川四丁目のエーザイへ向けて急ぐ。タイム・カードの最下欄に、「8・14」と、克明に刻印された。四二年一〇月二〇日。思いのほかの冷え込み。コートの襟を立て、体をできるだけ縮めて、エーザイ通りを下りた。会社では一刻を争って、社員が同じように出社時間をタイム・レコーダーにかける。このときそれぞれは、それぞれの感慨をいだいている。一坪にも満たないこの一角には、それぞれの朝の表情をスポットライトで照らしている。無表情の者、性格丸出しのあいさつを交わす者。なるほど人の表情は千差万別である。このとき、ここで鋭意する者。一方で、怠惰を決め込む者。私はタイム・カードをレコーダーに通し、普段の習わしにしたがって、足早に地下の食堂へ向かう。今月は黄色の朝食券。綴りの一枚をカットし、朝食を摂る。小松菜とハムの総菜を無造作に口に入れ、味噌汁を等間隔で流し込む。舌の感触を味わうことなく、食事は数分。けだるく身を動かしながらも、仕事に就くための気持ちの盛り上げを強めて、職場へ急ぐ。私にとってこの動作は、一日の始まりであり、これまでくり返してきた。私は、朝食ぬきの始動はできない。だから、入社以来こんな朝のペースはきっちりと守られて、まったく崩れない。しかしこのくり返しには、いくぶん沈滞と無気力をともなっているところがる。そのためこのひとときには、それを打ち砕きたいという、途轍もない大胆な思いもめぐらしている。月ごとに色の変わる朝食券は、わが一日の始動券でもある。(計析課)。

共に、宿願叶った「正代」の初優勝  

 わがふるさと県・熊本は、ここ数年のうちに地震、豪雨、など大きな自然災害に見舞われてきた。そして現在は、日本列島をくまなく網羅している新型コロナウイル禍の渦中にある。日本列島にあって熊本県民は、災難に見舞われて生存を脅かされてきたのである。こんななかにあって県民は、いくら気分の癒しを得られる朗報にありついた。
 朗報をもたらしたのは、大相撲秋場所における熊本県宇土市出身の正代の初優勝である。熊本県を地盤とする「熊日」すなわち熊本日日新聞には、大相撲開催中にあっては郷土力士の星取表が掲載される。生まれて物心がつき始めると私には、星取表を眺める習慣が身に着いていた。記憶としてよみがえるのは、小学生から中学生あたりに贔屓の応援を続けていた、当時の栃光関(春日野部屋、天草半島・牛深市出身)だった。こののち、郷土力士として応援を続けていたのは、「潮錦と福の花」だった。
 大相撲は国技とも言われて文字どおり、飛びっきり郷土に根づいてきたわが格別に愛するスポーツ(興行)である。これらの力士の延長線上にあって現在の私は、再び記すと熊本県宇土市出身の関脇・正代を贔屓にしている。大相撲にかかわる郷土愛とは、摩訶不思議なものである。わが実際の郷土の行政市は、県の北部地域に位置する山鹿市である。一方、宇土市は県庁所在地・熊本市を挟んで、いくらか県南部地域に位置している。このことでは子どもの頃から、馴染みの薄い郷土である。ところが大相撲には、こんな事情などかなぐり捨てて、郷土愛をかきたてられるところがある。
 確かに大相撲人気は、この郷土愛で育てられて、長く盛行をきわめてきた。とうとう、熊本県民の郷土愛、すなわち夢また夢の宿願が、正代の初優勝で結実したのである。すなわち、きのう(令和二年・二〇二〇年九月二十七日・日曜日)の秋場所千秋楽(東京都墨田区・両国国技館)において、正代は熊本県出身力士として初めて優勝賜杯を手にしたのである。それはまた、災害や災難に苦しめられてきた郷土・熊本県および県民に、久しぶりに届いた朗報でもあった。以下は、それを伝える配信ニュースの引用である。
 【正代、初優勝! 今年2度目の13勝、直近5場所で2ケタ4回と抜群の安定感で大関取り確実に】(9/27・日曜日、17:19配信 ABEMMA TIMES)。「関脇・正代(時津風)が、前頭十四枚目・翔猿(追手風)を下して、13勝2敗で自身初となる幕内最高優勝を決めた。正代は今年の初場所に続き、今年2度目の13勝。昨年11月の九州場所から数えて、5場所中4場所で2ケタ勝利を挙げる抜群の安定感を誇り、大関昇進を確実なものにした。正代は2016年初場所の入幕以来、幕内で活躍し続けてきたが、昨年の九州場所に11勝4敗の好成績を挙げてからは、番付上位でもさらに活躍。2020年初場所には13勝2敗で優勝争いを繰り広げると、関脇に復帰してからは8勝7敗、11勝4敗と好成績を維持。2横綱が不在で、混戦模様だった今場所も着実に白星を伸ばすと、十三日目には貴景勝(千賀ノ浦)、十四日目には朝乃山(高砂)という両大関を堂々と下して、単独トップに。優勝のかかった一番でも、パワー溢れる取り口で新入幕の翔猿を退けた。大関昇進の目安は『三役で3場所合計33勝以上』だが、直近で大関になった朝乃山は3場所合計で32勝。正代も8勝、11勝、13勝と計32勝となっており、初優勝とともに大関昇進を確実なものとした。」
 宇土市にはわが故異母長兄の次女(八十五歳)が住んでいる。三年前に連れ合いを亡くして、現在は独り住まいである。たがいに、携帯電話でCメールを交信した。
「こんにちは。正代、優勝しそうですね。相撲は観てますか?」
「毎日、観てます。優勝すればよいけど。きのうのような相撲が取れればと、楽しみにしています」
「良かったですね、正代、優勝しましたね」
「勝ちました。テレビの前で、表彰式を観ています」
 私にすれば、八十年間の宿願叶った正代の栄冠・賜杯だった。郷愁とは、人生最期の時まで快いものである。郷土愛や郷愁がなければ、悪戦苦闘する人生の癒しの便(よすが)はない。

寝坊助の恥晒し 

 九月二十七日(日曜日)、十二時近くに一度目覚めました。そして、パソコンへ向かいました。ところがまだ早いと思い直して、再び寝床に潜りました。いつもであれば寝付けないところが、不思議にも寝入っていました。こんどは、慌てて起き出してきました。すると、時計の針はすでに五時すぎをまわり、薄暗く夜明けが訪れていました。私は大慌てでパソコンを起ち上げ、瞼は半閉じのままにキーを叩き始めています。そして、書くまでもないこんな文章を書き始めています。もちろん、文章と言えるものではなく、恥晒しそのものです。しかし、夜明けにあって一つだけ記して置こうと思うことがあります。それは、朝日はまったく見えないものの、これまで降り続いていた雨の止んだ夜明けを迎えていることです。
 このところの鎌倉地方には、雨の日多くぐずついた日ばかりが続いていました。初秋や中秋とは言えない寒々しさに、寒がり屋のわが身は堪えていました。そのため、今朝の夜明けは一服の清涼剤を恵んでいます。夜明けから予想すればきょうの昼間は、雨のない一日に恵まれそうです。出来たらなお欲張って、胸の透く秋晴れを望みたいものです。そしてさらに欲張ばれば、きょうを境に本来の秋天高い秋晴れの連続に焦がれています。そして私は、多くの冠の付く秋を存分に楽しみたい思いに駆られています。
 きょうは起き抜けの無様な様子を書いて、こののちはひそかに気分休めをいたします。この先は現役時代に戻り、日曜日気分を堪能いたします。いたずら書きにもならない文章を書いて、臆面もなく投稿ボタンを押します。年の功など、夢のまた夢です。ただただ、恥ずかしいかぎりです。

「経済再生策」を学ぶ 

 私にはその良し悪しはわからない。日本政府は、これまでの新型コロナウイルスに対する感染防止策の箍(たが)を一気に外すのだろうか。抑制していた人の動きを解禁し、金の回りを良くして、コロナで萎えていた当該業界を賦活し、日本経済を再び活性化させる狙いであろう。確かに、背に腹は代えられないこの狙いは、十分に理解するところはある。その一方ではやはり、新型コロナウイルスを新たに蔓延させて、勇み足の謗(そし)りを免れない懸念もある。きょうはどんなことが解禁されて、さらには新たにどんな消費喚起策が予定されているかを、自分自身が知るためにメディア報道から学ぶものである。言うなれば、付け焼刃のわが社会勉強である。教材はきょう付け(2020年・令和2年9月26日・土曜日)の朝日新聞朝刊記事からの一部抜粋である。
 政府は25日、消費喚起策「GO TOキャンペーン」を10月以降、拡大する方針を決めた。感染症や経済の専門家らでつくる新型コロナウイルス感染症対策分科会(尾身茂会長)で方針を説明し、了承された。また政府は、全世界からの外国人の入国受け入れを10月1日から一部再開することも決めた。消費喚起策は10月以降、4種類の事業が出そろう。コンサートやスポーツイベント、演劇、博物館などのチケット購入代金が一回あたり2千円を上限に割引されるGO TO イベント」と、商店街に集客イベント費用を300万円まで補助する「GO TO 商店街」は、10月中旬に始める。飲食業支援策「GO TO イート」でも10月1日にネット予約した飲食に対するポイント還元が始まる。7月に始まった観光支援策「GO TOトラベル」は、東京都民や都内への旅行を10月1日から対象に加える。159カ国・地域に対して実施している入国拒否措置は維持しつつ、例外を拡大。「医療」「教育」「文化活動」「家族滞在」など全ての中長期(3カ月以上)の在留資格の入国を認める。「短期滞在」も一部受け入れるが、観光客は認めない。入国枠は最大で「1日1千人」程度とする方針だ。先行してビジネス往来の再開を交渉してきた16カ国・地域でも同様に、対象となる在留資格をビジネス関係以外に広げる。感染状況が落ち着いているため、別に「1日1600人」程度の入国枠を設け、優先的に受け入れを進める。これらの枠内で留学生の入国は全面解禁する。
 さてさて、苦労して一記事をチンタラな指さばきで移記したけれど、私はまったく報われずどれにもさずかるものはない。それでも、日本政府の施策が成功すれば、妬(ねた)まずよし! としよう。一方では、新型コロナウイルの感染を広げる人災の懸念はある。息をのむ、九月から十月への月替わりとなりそうである。
 季節は、めっきり夜長になってきた。おのずから、冷えや寒さも増してきた。インフルエンザと新型コロナウイルが同居する冬支度は切ない。

姪っ子合作の「ふるさと便」 

 脅かされていたけれど幸いにも台風十二号は逸れて、事なきを得ている。しかし、昨年の台風十九号には、十月(十二日)に見舞われた。わが家はそれより前の台風十五号により、屋根の損壊を被っていた。そのため、修復を見ないままに台風十九号に怯えていた。前者には「令和元年房総半島台風」と、そして後者には「令和元年東日本台風」と命名されて、どちらも大きな被害をもたらした。
 昨年の台風十九号をかんがみれば、去った十二号が今年の打ち止めと言って、胸を撫で下ろすことはまだ出来そうにない。大きな被害は免れたけれどそれでも台風十二号は、このところの関東地方には悪天候をもたらしている。そのせいで、胸の透く秋晴れはいまだに見ないままである。それよりなにより、台風十二号の前触れと余波のせいか、このところの天候は冷気をもたらしている。そのため私は、上半身にはすでに厚手の長袖を羽織り、夜具には冬布団を重ねている。きのうはとっくに不要になっている扇風機を納屋に仕舞い込み、代わりに電熱器を持ち出してきた。すなわち、なんやかんやと冬支度に大わらわである。おっかなびっくり、きわめて早い冬支度である。
 身の縮む思いのなかにあって、わが気分を解(ほぐ)してくれたのは、うれしい「ふるさと便」の宅配だった。そしてそれは、思い及ばぬ大きな段ボール詰めのふるさと便だった。送ってくださったのは、わがふるさと・熊本県山鹿市に隣接する菊池市に住む、岡崎俊裕さん夫妻である。ふるさと便発送の予告は、携帯電話の受信メールに記されていた。私はすぐに、送信メールを返した。こんなやり取りがあってふるさと便は、おととい(九月二十三日・木曜日)届いた。
 段ボールの中には、自作の庭柿、栗、干しタケノコ、お茶、梅干しのほか、さまざまに市販の購入食品が詰められていた。予告メールには、「庭の柿を送ります」と記されていた。そのため私は、大きな段ボールに詰め合わされていた品数の多さに度肝を抜かれて、同時にうれしい悲鳴をあげたのである。段ボールの中には、紙切れに走り書きの弘子さんのメモ便りが添えられていた。荷造りをしてくれた上に、メモ便りを添えてくれた弘子さんは、ふるさとの長兄の次女(姪っ子)である。ふるさと便丸出しのメモ便りゆえに、ふるさと情景を知るにはこれに勝るものはない。そのため臆せず、原文のままに付記すればこうである。
 「お元気ですか? 秋になり暑い日もひと段落ですね。コロナも少し落ち着き、みんなここぞとばかりに外に出ています。冬はまた動けなくなりますものね! おじちゃん、おばちゃんにおかれましてはお変わりないですか? 台風十号もこちらあたりは驚かされたほどではなく、栗も稲も元気です。だから、ホッとしています。柿の季節となりましたが、今年は裏年なのかあまり生っていません。もしかして「シブく」なっているかも! せめて開けたときの喜びだけでもと思いまして、ニコニコ顔?ごめんなさい…。では体に気をつけてお過ごしください。としひろ、ひろこ」
 なお、紙切れの裏にはこう書かれていた。「柿以外、栗、お茶、干したけの子、梅干しは、康子ちゃんからです。」康子さんは、わが生家の集落に嫁いでいる、故長姉の長女(姪っ子)である。勤務中の弘子さんを後回しにして先ずは、康子さんにお礼の電話を入れた。すると、康子さんはこう言われた。
「弘子ちゃん(従妹同士)が栗をもらいにきたから、わが家のものを入れてもらいました。栗は集荷所へ出して、梅干しはわたしが手作りしたのを、村中の店(あんずの丘や相良観音様の参道など)で売ってもらっています」
 このたびのふるさと便は、わが姪っ子同士の優しさほとばしる合作だったのである。姪っ子共に、今や高齢者(六十五歳以上)近くの年齢である。郷愁をかきたて、飛びっきり憂鬱気分の解れる「ふるさと便」だった。私事を記して、かたじけない! わが家のうれしい秋の一コマである。

秋の夜長がもたらす妄想 

 人間社会は人の出会いをベースにして成り立ってきた。ところが、コンピュータの発明による通信機器や電子媒体の開発や進歩により、人間社会は傾向的に出会いの機会を失くしてきた。いや、出会うことなく成り立つように仕向けられてきた。これこそ文明社会のようにも言われて、どちらかと言えば仕方なく、人間社会に受け入れられてきた。これまで変わり続けてきた、人間社会の現実である。この変わり方すなわち変容は、新型コロナウイルスの発生により、さまざまなところで加速度的に増している。これが、わが現在の実感である。しかしながら社会生活から離れている現在の私には、この実感は実体験によるものではない。すなわち、メディアの報道によるものであり、そのため実際にはどう変化しているのかは知り得ていない。言うなれば、実体験から離れた伝聞上の変化である。
 確かにわが日暮らしは、パソコン無しには成り立たない。まぎれもなく文明の利器にさずかっている。しかし、これがもたらす出会いの機会の喪失はさまざまにある。ごく卑近なことを思い浮かべれば、文房具店や郵便局(ポスト)へ出かけなくても済んでいる。確かにこれは、すこぶる付きの利便(性)である。
 新型コロナウイルスの発生以来、伝えられてくる人間社会における様々な変化のなかで私は、ひと際リモートコントロールによる変化に最も関心を寄せている。リモートコントロールの手段の主を成すものは、コンピュータによる通信機器と電子媒体である。実際にはこれらにたずさわる人間の頭脳である。そして現在、最も関心をいだいているのは、すっかり人間社会に言葉として根付いている、テレワーク(在宅での仕事)とインターネット授業のもたらすこの先の変化である。現在は双方共に、新型コロナウイルスの感染防止のために仕方なく、賛否を交えた試行錯誤の状態にある。
 しかしながら文明の利器の導入初期にあっては、これまでも似たり寄ったりの状態を繰り返してきた。ところがそうこうしているうちに一気に様変わるのは、過去の学びで知り尽くしている。すなわちこれらは、文明の利器と言われるコンピュータによる、通信機器や電子媒体の開発と進歩の確かな足跡である。
 わが勤務中には、テレワークなど小さな種さえなかった。学び舎からは、インターネット授業という言葉さえ伝え聞くことはなかった。ワープロからパソコンへ、ポケベルから携帯電話(ガラケー)、そしてスマホへ、レコード盤からCDやDVDへの変化もまたたくまである。さらには一時期もて囃されたデジカメの衰退は、あっという間もない速さである。テレビショッピングいわゆるインターネット通販やインターネット市場の隆盛などまたたくまである。これらの変容を一々挙げても、もちろん挙げきれるものではない。
 結論的に言えば、現在試行錯誤中のテレワークやインターネット授業は、いずれはしっかりと人間社会に根づくであろう。おのずから人間社会の出会いは、変質をきわめるであろう。アナログ人間の私にとっては、かなりゾッとするところである。人間が出会いの機会や出会いの心を失くしては、人間と言えるであろうかと、ちょっぴり危惧するところである。
 物思いに耽(ふけ)る秋の夜長の到来である。こんな、わが柄でもないことを浮かべるようでは、その良し悪しはわからない。いや、妄想の始まりであろうか。九月二十四日(木曜日)、夜明けまではまだたっぷりと時間がある。

 令和二年(二〇二〇年)、「秋分の日」

 悲喜交々の思いをたずさえて、「秋分の日」(九月二十二日・火曜日)の夜明けを迎えている。悲しさつのるのは、きょうを境にしてしだいに昼間の時間が短くなることである。さらには季節が、いよいよわが大嫌いな冬へ向かうことである。秋分の日にあって私の場合は、喜ばしい思いはちょっぴりしかない。強いて言えば矛盾するようだけれど、この先、夜長の物思いにさずかることである。しかしこれとて、実際には楽しい気分より寂しい気分にまとわりつかれる。このことを思えば、必ずしも手放しには喜べない。確かに、秋分の日あたりの気候は、暑くもなく寒くもなく、一年じゅうでも飛びっきり心地良い気分に恵まれる。それでも、この心地良さを十分に堪能できないのは、私には早とちりさながらに冬の季節への恐れがあるせいなのかもしれない。バカじゃなかろか! 私はまったく損な性分である。
 古来、言い伝えられてきた「暑さ寒さも彼岸まで」の成句にあって、きょうの私は今年(令和二年・二〇二〇年)の秋彼岸の真っただ中にある。上半身の上着は、きのうから半袖に替えて長袖を着込んでいる。身近なところで恐れていた、わが着衣の変化である。衣替えにはいくらか早いけれど冷気に耐えきれず私は、長袖をしかも厚手を着込んでしまったのである。半袖に未練タラタラを残して、現在は長袖を羽織っている。
 秋分の日前後は、確かな季節替わりである。もちろん、春彼岸すなわち「春分の日」前後もそうである。これらのことをかんがみればこの先、「暑さ寒さも彼岸まで」の成句は、永遠無窮に人の世に居残りそうである。
 このところの天候はぐずついていたけれど、きょうの夜明けはのどかな朝ぼらけである。時を追って朝日が高く昇れば、日中には文字どおり秋天高い、心地良い秋日和になりそうである。だとすれば四の五の言わず私には、秋分の日の心地良い陽気にいっときさずかりたい思いがある。
 ところが台風十二号が近づいていて、あすあたりから大荒れの予報がある。わが気分の吉凶の多くは、自然界からもたらされている。きょうは、いまのところは「大吉」である。しかしながらこの先に、天変地異に見舞われればたちまち「大凶」である。確かに人の世は、一寸先は闇の中にある。
 買い置きの牡丹餅は、きょうの秋分の日までもたずにすでに食い尽きている。そのためきょうの私は、春秋の彼岸にちなむ牡丹餅買いに出向くつもりでいる。しかし、マスク姿はとことんなさけない。新型コロナウイルスの終息が気になる、今年の秋分の日である。

令和二年(二〇二〇年)、「敬老の日」  

 きょうの「敬老の日」(九月二十一日・月曜日)にちなんで、今さらながらではあるけれど、インターネット上の人様の学習と知恵の記事を読み漁った。言うなれば、敬老の日の生い立ちからこんにちまでの復習である。すると、仰々しい説明ではなく、園児に噛んで含めるような分かり易い記事に遭遇した。あえて、引用を試みる。
 【何歳からお祝いする? 敬老の日の由来と豆知識】(マナー常識、最終更新:2018年8月31日)。「年長の方を敬い、感謝の気持ちを伝えるための敬老の日ではありますが、その詳しい由来については意外と知らないもの。今回は敬老の日について詳しく見ていきましょう。ルーツは古く、歴史は比較的新しい『敬老の日』。敬老の日のルーツは戦後すぐの1947年(昭和22年)9月15日、兵庫県多可郡野間谷村が敬老会を催した『としよりの日』だと言われています。としよりの日はその後全国に広まり、『老人の日』への改称などを経て、1965年(昭和39年)に国民の祝日『敬老の日』として制定されました。現在、敬老の日は国民の祝日に関する法律(祝日法)で『9月の第3月曜日』と定められていますが、それまでは曜日に関係なく『毎年9月15日』でした。その日になった理由には諸説あるものの、593年に聖徳太子が身寄りのない老人のための施設『悲田院』を設立した日が9月15日とされるのにちなんだと見られています。祝日法では敬老の日を『多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日』としていますが、特に対象年齢などを定めているわけではありません。何歳から祝うかはそれぞれの判断になります。強いていえば、法令では65歳以上を『高齢者』としていますので、これがひとつの目安になるでしょう。」
 次の引用文は、朝日新聞朝刊・きょう付けの記事の一部である。
 「65歳以上の高齢者の人口は15日現在、前年より30万人増えて3617万人と過去最多となった。総人口に占める高齢者の割合(高齢化比率)は28・7%で、過去最高を更新した。70歳以上の割合は22・2%。女性に限ると、25・1%で初めて『4人に1人』に達した。」
 さて、わが年齢は八十歳、妻は七十七歳である。今や、高齢者(六十五歳以上)の範疇からも大外れである。だからと言って、共に悲しむこともない。高齢化をきわめる日本社会にあっては、みな同じである。もちろん、敬老を人様にねだることなど一切なく、長生きをみずから寿(ことほ)げば、それで十分こと足りるところである。わが夫婦共に、長生きは損々(ソンソン)、いや、「めでたし、めでたし」の狭間にある。実際には、「偕老同穴近し、共白髪」である。わが頭部は、禿げと白髪の共存である。

「我慢」を強いられている秋彼岸 

 九月二十日(日曜日)、現在のデジタル時刻は2:58である。秋彼岸の二日目にあって、私は不可能な願いを浮かべている。ずばり、食いしん坊のわが願いである。母手作りの牡丹餅を食べたい。母の栗団子を食べたい。母が蒸かした栗御飯を食べたい。ところが今や、いずれも叶わぬ「おふくろの味」である。
 牡丹餅は厚く重たく、小豆の粒餡に包(くる)まれていた。わが大口をいっぱいに開いて頬張ると、たちまち甘さが充満した。母の栗団子には、二つの作り方があった。一つは、皮を剥いて蒸かした栗だけを餡にして、練った小麦粉で包み茹でるやり方である。一つは、皮を剥いて蒸かした栗を小豆にまぶし、それを餡にして練った小麦粉で包み茹でるやり方である。出来上がりの美味しさは甲乙つけがたく、家族それぞれの好みの判定によった。私の場合は文字どおり甲乙つけがたく、軍配さばきは出来ずじまいだった。栗御飯は糯米(もちごめ)を蒸かして作る赤飯と同じやり方で、小豆や大角豆(ササゲ)に代えて、皮を剥いて蒸かした栗が御飯に炊き込まれていた。私は大好きな赤飯を超えて、掛け値なしに栗御飯のほうを好んでいた。
 わが子どもの頃のわが家にあって、実りの秋の一、二を争うものは新米と栗だった。栗は、茹で栗でも堪能した。運動会の弁当には、茹で栗と栗団子もお供した。栗は食感の美味しさはもとより、郷愁をいや増しつのらせてくれるわが大好物である。好物にかぎれば、妻もまた同然である。ところが現在、妻と私は共に歯を損傷して、茹で栗さえ諦めていたのである。しかし、私は諦めきれずに、茨城産の栗を買って来た。早速、私は台所に立ち、妻の手を跳ねのけて、茹で栗にした。歯の損傷部に神経を集中し恐るおそる、今年(令和二年)の栗の試し食いに興じた。やはり、美味い。
「おまえ、食べられる? 食べてみる、どうする……」
「食べるわよ。くだいて、食べてみるわよ」
「そうか。食べればいいよ」
 記憶をよみがえらせれば二年前の秋には、妻と相和して協働の手で、栗団子作りに明け暮れた。回数では、たぶん六、七回も作った。期間では店頭における出始めから、消えるまでの長丁場だった。今年はこの先、栗団子や栗御飯は、歯の損傷の祟(たた)りをこうむり、諦めざるを得ないであろう。とんだとばっちりである。そのぶん、一層おふくろの味への思いと、郷愁つのるところはある。
 栗団子および栗御飯は諦めて、きょうは栗入り無しの牡丹餅を買いに行くつもりである。歯の損傷には逆らえず、泣く泣く「栗我慢」である。眠たい眼(まなこ)をこすりながらの、夜明け前の「やせ我慢」である。来年、いやその先までこうなるのか、私はとことん恨めしい秋彼岸のさ中にある。

彼岸の入り日 

 九月十九日(土曜日)、現在のパソコン上のデジタル時刻は4:11である。起き出して来てパソコンを起ち上げ、しばし机上カレンダーをじっと眺めている。きょうには彼岸入りの表示がある。秋彼岸は中日・「秋分の日」(九月二十二日・火曜日)を挟んで七日間である。一週間後には、彼岸明け(二十五日)の表示がある。
 彼岸には春彼岸と秋彼岸があって、春彼岸の中日をなすのは「春分の日」である。こんな園児にも分かりすぎていることをあえて書いているのは、彼岸にまつわるこのフレーズが浮かんでいるからである。「暑さ寒さも彼岸まで」、これほど如実に季節のめぐりと、皮膚(肌)感覚がぴったしカンカンのものはないであろう。春であれ、秋であれ、彼岸は、わが日常生活に一大エポックをもたらしている。気候の変化もさることながら、人の営みに墓参りなどの風習がともなうからでもあろうか。かてて加えて、スイーツ類食いしん坊の私には牡丹餅が浮び、野原や田んぼの畦道に咲く、彼岸花風景がよみがえる。おのずからこれらは、生前の母恋い物語と郷愁をつのらせる。私にすれば彼岸とは、心の和みに浸れる一週間である。
 きょうは四連休の初日である。四連休をもたらすのは、週末の土曜日と日曜日の休日に続いて、「敬老の日」(九月二十一日・月曜日)があり、そして秋分の日へと連なるからである。敬老の日の私は、母にも増して飛びっきり生前の父へ思いを馳せる。これまた、母恋い物語に劣らずわが心を和ませてくれる。眺めているカレンダーは、郷愁と亡き母と父を偲ぶ縁(よすが)をなしている。
 現在の私は、四連休の楽しみにはすがれないけれど、十分に四連休の価値をもたらしている。私は、存分にその価値に浸りたい思いである。敬老の日にあって、わが身を敬(うやま)うには寂しさつのるところがある。「おれはまだ若いよ、敬老会には行かないよ!」と言って、顔面しわがれても駄々をこねていた父の心情が切なくよみがえる。享年で言えば、父七十五歳、母八十一歳である。わが年齢(八十歳)を並べて、切々たる思いつのる彼岸の入り日である。

菅政権の船出は、順風満帆(世論調査) 

 日本の国の舵取りを託する菅政権にたいする高評価は、期待値として歓迎すべきであろう。逆に低評価であれば、託すにはこころもとない政権と言える。おととい(九月十六日・水曜日)には、七年八か月に及ぶ安倍政権に替わる菅新政権が発足した。その直後における菅政権にたいする世論調査が、四大新聞のうちの二社から伝えられた。菅新政権は、二社のうち毎日新聞および朝日新聞共に、世論調査で高評価の船出である。だとすれば二社に続く、読売新聞と産経新聞の世論調査による菅新政権の支持率は、おのずから前二社を凌ぐことは明白である。それは、不断の読者傾向から推測できるものである。もちろん、菅政権にたいする四社いずれの世論調査が高支持率で、好スタートを切ることには、国民のひとりとして万々歳である。
 好事魔多し、一方で世論調査は一夜にして豹変するところもある。新政権の発足時の世論調査には、前政権にたいするない物ねだりや、飽きあき気分の裏返しもある。このことをかんがみれば有頂天にならず、地に足の着いた政権運営を望むところである。わが餞(はなむけ)の老婆心である。
 さて、船出の菅政権にたいする毎日新聞の世論調査は、記事を引用すればこう伝えている。【菅内閣支持率64% 第2次安倍内閣発足時上回る】(毎日新聞世論調査9/17・木曜日、16:22配信)。「毎日新聞と社会調査研究センターは17日、JNNと共同で、菅義偉内閣の発足を受けて緊急の世論調査を実施した。内閣支持率は64%で、調査方法が異なるため単純に比較できないが、第2次安倍内閣発足時(2012年12月)の52%を大幅に上回った。不支持率は27%だった」。
 毎日新聞の世論調査に朝日新聞のそれを並列すればこうである。記事は、朝日新聞の2020年(令和2年)9月18日(金曜日)付け朝刊一面からの一部抜粋である。「菅義偉内閣の発足を受け、朝日新聞社は16,17日、世論調査(電話)を実施した。内閣支持率は65%で、不支持率は13%だった。調査方法が異なるため、単純には比較できないが、第2次安倍晋三政権の発足直後の支持率は59%だった」。
 世論調査は発足当初より、おおむね下がる傾向にあり、また民意(国民意識)には当てにならないところもある。もちろん私は、さらなる逆行高を望んでいる。読売新聞と産経新聞の世論調査が待たれるところだけれど、きょうの文章はこれで結文とする。
 追伸:日経にはこう出ていた。【菅内閣支持率74%、発足時歴代3位 「人柄」を評価】(本社世論調査、2020/9/17 23:00日本経済新聞 電子版)。菅さんの人柄は巷(ちまた)の噂であり、それだけではこころもとないけれど、安倍さんのそれと比べているのであろうか。そうであれば菅さんは、飛びっきり運のいい人である。一方、安倍さん、哀れである。

菅政権発足 

 九月十七日(木曜日)、私はきょうの現在は、生きている。パソコン上の時刻は、4・05と表示されている。高齢になると一日、いや時々刻々に、生存の保証はまったくない。私は、人の世の無常を表す成句を浮かべている。
 「朝(あした)に紅顔ありて、夕べには白骨となる」。
 もともとは元気いっぱいの若者に諭(さと)した成句のようだけれど、もとより老若男女(ろうにゃくなんにょ)に共通する成句である。高齢のわが身であればともかく、意気軒高なお身体矍鑠(かくしゃく)の読者各位様には、不吉きわまりない書き出しである。朝っぱら、御心を塞ぐ書き出しを心して詫びるところである。わが文章の遊び心として、切にお許しを請うところである。
 さて、暗いことは止しにして、きょうは新たな日本社会の船出の様子を記して置かなければならない。仰々しく、令和二年(二〇二〇年)九月十六日(水曜日)の出来事と銘打てば、それは菅総理(首相)による菅政権の船出である。あえて記せばこれまでの長期、すなわち七年八か月にも及ぶ、安倍首相率いる安倍政権からの交代劇である。儀式的に言えばきのうは、安倍内閣が総辞職し、こののちの臨時国会における首班指名選挙で、新たに菅氏が第九十九代の首相に選ばれたのである。そして菅新首相の下、菅内閣を構成する閣僚の陣容が定まり、天皇陛下の親任式を終えて、菅政権が船出をしたのである。与党として菅政権を成すのは、菅首相の属する自民党と公明党から成る連立内閣である。菅政権には、こののちの日本の国の舵取りを託すことになる。そうであれば先ずは船出にたいし、真摯に祝意を表するところである。
 次には、政権運営にあたりわが願うところである。それは唯一、国民に寄り添いかつ公明正大な政権運営を望むものである。メディアから伝えられてくる菅首相のお人柄は、きわめて温厚篤実だという。確かに、政治(家)の世界にあっては必ずしも、温厚篤実の人が名だたる為政者になるとはかぎらない。しかしながら私には、国の舵取りにあってはやはり、温厚篤実こそ最良の為政者になり得る要素と思うところがる。このことをかんがみて、私には菅政権の船出に大いに期待するところがある。
 安倍政権にたいし、もちろん「死者に鞭(むち)打つ」とは言えない。しかし、「去り行くものは追わず」、菅政権は安倍政権に未練なく、いやむしろ安倍政権を反面教師として、日本の国および国民のために獅子奮迅の政権運営を望むところである。確かに、菅氏自身、安倍政権の屋台骨を担う、官房長官を務めてこられたのである。このことではもちろん、安倍政権にたいする手の平返しはできない。すると、いくらか懸念するところは、安倍政権の二番煎じに甘んずることである。「安倍政権を引き継ぐ」という言葉は、退任される安倍首相にたいする敬意と慰労の言葉として受け止めてはいる。しかし、わが望むところは前者から一転し、温厚篤実のお人柄丸出しの政権運営である。すなわち、詭弁を弄しない政権運営である。余生少ない、わが老婆心である。

 日本社会の新たな船出の下、わが嘆息

 九月十六日(水曜日)、きょうはこれまでの安倍内閣が総辞職し、そして夕べには菅新総理の率いる菅内閣が船出する。閣僚の顔ぶれも次々に報じられて、陣容は出揃った。それぞれに、満面ににこやかな笑顔である。「去る者は追わず」、雲の上の華やかな儀式である。
 一方、私レベルでは安眠を貪(むさぼ)ることなど夢のまた夢のごとく、悪夢に魘(うな)されては輾転反側(てんてんはんそく)し、ままならない睡眠状態をこうむっていた。恥を晒して吐露すれば、生きることに苦しんでいる証しであった。いや私だけでなく庶民レベルの人たちは、みな生き続けることに苦しんでいる。
 きのうの私は、「大船田園眼科医院」(鎌倉市)へ出向いた。そのおり、待合室で私は、それぞれの人たちの生き続けることの苦悩ぶりに遭遇した。女性スタッフに名を呼ばれて、家族に付き添われるお年寄りがあり、一方では身寄りがないのか海老姿で、独りヨタヨタと長椅子から立ち上がる人もいた。もちろんみな、目や眼(まなこ)の病に罹り、それでも生き続けなければならない人たちである。
 新型コロナウイルスの感染は、ピークを過ぎたとも言われている。しかしながら、なお感染者は日々増えている。ところが、華やかな儀式の下にあってはしばしお蔵入りを願おうと決めた故意なのか、感染者数を報じるこの手のニュースは急に影を潜めている。
 日本社会の新たな船出にあってもへそ曲がりの私は、感興に浸るどころかあまりの落差に、こんな思いをつのらせている。「GO TO トラベル(旅行)」キャンペーンは、制限されていた東京都を解禁し、さらに拡大推進するという。さらには、「GO TO イート(飲食)」をはじめとするほかのキャンぺーンも予定どおりに実施されるという。
 これまたわが下種の勘繰りだけれど、これらの施策に浴する人たちは、もとよりお金持ちとか元気いっぱいの人たちであろう。置き去りにされる人の多くは、長く税金を納め続けてきたけれど今では細々の年金暮らしの人たちや、病院通いの足さえままならない人たちである。
 (なんだかなあ…?)、寝起きの私は、こんなことを浮かべている。すると、この先、もう書けない。

私日記、九月十五日 

 九月十五日(火曜日)、現在のパソコン上のデジタル時刻は3:34と表示されている。これに天気模様を付加すれば、私日記風の書き出しである。天気模様も書きたいところだけれど、いまだ外は真っ暗闇である。そのため、窓ガラスを開けないかぎり、現在の天気を知ることはできない。しかし、雨だろうと予測はできる。なぜなら、郵便受け口の朝刊には、薄いセロハン紙が巻かれていた。ところが、セロハン紙は、雨で濡れてはいない。やはり立って、窓ガラスを開けて右腕を水平にいっぱい伸ばし、手の平を開いて暗闇に雨粒の有り無しを確かめてみよう。雨粒は当たらず、一基の外灯の照らす道路にも雨粒の照り返しは見えなかった。
 再び、椅子に腰を下ろした。現在は雨無しだがセロハン紙は、雨を恐れていたせいであろう。だとすれば夜明けの空で、きょうの天気を予想しよう。私日記風の書き出しに応じて、以下日記をしたためる。
 きのう(九月十四日・月曜日)の日本社会、なかんずく政治の世界にあっては、安倍総理の辞任にともなう後継の自民党の総裁選びがあった。選出結果は、菅義偉氏、石破茂氏、岸田文雄氏という三人の立候補者の中から、菅義偉候補が自民党の新総裁に就かれた。こののちあすには、安倍総理に替わる菅新総理の誕生が予定されている。
 菅新総理に望むのは、安倍総理を反面教師とする国の舵取りである。具体的には、詭弁のない誠実な政治の実践である。浮かぶ四字熟語を二つずつ並べれば、安倍総理の弁舌は一瀉千里、ややもすると軽佻浮薄を免れないところがあった。これにたいし菅新総理には、沈思黙考と剛毅果断を望むものがある。
 きょうのわが行動予定には、半年に一度訪れる「大船田園眼科医院」(鎌倉市)への予約通院がある。私は白内障の手術はとっくに終えている。そして現在は、緑内障の治療中にある。緑内障は不治の病とも言われて、実際のところは盲目にならないための治療のようである。そのため実際の施療は、わが命の尽きるまでを強いられている。こう記すとこののち、長く無期限のように思えるけれど、わが余命をかんがみれば通院は、あと指の数にも満たないであろう。だったら、我慢できないこともない。きょうは、その間の経過診察である。
 現在の治療は、一日に一度だけの目薬の点眼である。それでもこの先、わが命尽きるまで続くのかと思えば、結構煩わしいところがある。かてて加えて現在の目薬の値段はかなり高く、それが堪えて私は、通院のたびにジェネリック薬を懇願している。ところが、これまでその願いは果たせていない。ずっと差さなければならない薬剤であれば、効き目はともかく私は、プラセボ(偽薬)でもかまわない心境である。それほどに緑内障は、自覚症状のない病である。あえて下種の勘繰りを加えれば眼科医院にとっては、一方的とも思える緑内障宣言は荒稼ぎのできる不治の病なのかもしれない。
 こんな不埒(ふらち)なことを書いて、きょうの私日記はおしまいである。夜明けの光はいまだまったく見えず、「晴れ、曇り、雨、嵐」、いずれを書くことはできない。

心地良い体感温度を望んでいる 

 気温と体温は、温度計で測定できる。しかし、体感温度は人それぞれの皮膚(肌)感覚であり、もちろん体温計で測ることはできない。九月十四日(月曜日)、起き立ての私は、こんなしょうもないことを浮かべている。すっかり、陽気が変わった。測れるものでは、明らかに気温は低下している。体温はほぼ平熱一定であり、新型コロナウイルス感染の恐れはない。測れないけれど体感温度は、冷ややかさである。現在の私は、あらためて春夏秋冬という、季節のめぐりの確かさに驚いている。
 季節替わりに応じて、季節の花も変わってゆく。具体的には、アジサイ、サルスベリ、菊、へと移り、そして来週の秋彼岸の中日・「秋分の日」(九月二十二日・火曜日)あたりには、短く日をかぎり彼岸花が紅く野原や道辺を染める。おのずから季節は、「暑さ寒さも彼岸まで」という、明確なメッセージの下に、早々と初秋から中秋へとさしかかる。おのずから気温は、晩秋から「立冬」(十一月七日)へ向かって、しだいに低下傾向を深めてゆく。これらのことをかんがみれば、確かに秋というこの時期の季節は、一年じゅうで最も凌ぎ易い頃であろう。いよいよ、「秋」真っ盛りの訪れである。
 春夏秋冬にたいする好き嫌いのアンケートを試みれば、人の好みが「秋、一番」ということには、(そう、そう)と、肯(うなず)けるものがある。好事魔多し、だからと言って手放しに喜べないのは、秋は台風シーズン真っ盛りである。さらに地震は人間界の好季節を妬(ねた)むかのように、時と所かまわず頻発する。人の身体は、季節の風邪と早手回しのインフルエンザの流行に慄(おのの)くことともなる。かてて加えて、ピークは過ぎたとは言われているけれど、新型コロナウイルスの第三波の惧(おそ)れはいまだ多分にある。どんでん返しで、「新型コロナウイルスの秋流行」ともなれば、たちまち「秋台無し」となる。結局、人間は自然界の恩恵と無慈悲の狭間(はざま)で、できるだけ難を逃れて生き抜くしかない。しかしながらそれは、艱難辛苦(かんなんしんく)きわめて厄介である。
 ほかにも人間界には、身体の病もあればさまざまな災難もある。そう考えればわが意志ではないけれど、生まれたこと自体、罪作りなのかもしれない。言いたくはないけれど、親がしでかした罪なのかもしれない。嗚呼、無念である。せっかくの好季節にあって、こんなことを浮かべるようでは、私はけた外れの野暮な男である。ネタ不足が招いたと、自嘲しているところである。
 実際の体感温度は、冷ややかさを超えて肌寒い夜明けである。氷雨(ひさめ)まがいの小雨が降っている。私は好季節の秋にふさわしい、心地良い体感温度を望んでいる。起き立ての私は、洗面の水の冷たさに身震いしたのである。 

 この秋の和みを願っている

 九月十三日(日曜日)、進行中の政治の季節はゴール近くのバックストレートにさしかかっている。陸上競技であれば最も熱狂し、しばし息をのむところである。しかし、政治(家)のレースはほぼ出来レース(なれ合いの既定路線)であり、さしたる関心はなくもちろんワクワク感などまったくない。強いて言えば、白けたレースを見せられる煩わしさである。そうであれば、見聞を控えればいいものである。ところがそうとはいかず、いやおうなくメディアの垂れ流し情報に嵌まって、鬱陶しさの増幅の渦中にある。
 目下のわが関心事は、人間界の動向にはなく、自然界現象に一喜一憂するところがある。いや実際のところは、異常気象や天変地異の遭遇にこそ多くを憂い、限りなく恐れている。この手の関心事の筆頭は地震であり、次は台風である。地震には季節はなく、時や所かまわず頻発する恐ろしさがある。一方台風は、一年中で最も多い季節と言われる秋にあって、なかでも立春から数えて「二百十日」(九月十日・木曜日)は過ぎた。しかし、似たり寄ったりの「二百十日」は、いまだこの先(九月二十日)に訪れる。
 日本列島は直近の台風十号にこっぴどく痛めつけられたばかりである。すると、今年(令和二年・二〇二〇年)の台風の号数は、これで打ち止めとなるであろうか。ところが、そうとは思えないのは昨年(令和元年・二〇一九年)の忌まわしい記憶である。昨年のわが家は、台風十五号(九月九日)で屋根の損壊を被ったのである。このときの台風は、千葉県を中心に隣接する都県に大きな被害をもたらした。気象庁の命名は、「令和元年房総半島台風」という。月を替えて次に襲ったのは、台風十九号(十月十二日)である。台風十五号に続いて、これまた大きな被害をもたらした。気象庁は、これには「令和元年東日本台風」と命名している。
 気になる昨年の台風発生号数は二十九号であり、そのうち日本列島への上陸号数は五号という。いずれも、前年(二〇一八年)と変わらないという。これらのことからかんがみれば、今年の台風の号数は、いまだこの先に多くを残している。そのなかで現在は、日本列島への上陸数に気を病むところである。地震や台風ほどではないけれど、それでもわが関心事の一つは気象の変調、すなわち異常気象である。きのう(九月十二日・土曜日)の私は、突如見舞われた冷え込みにブルブルと震えた。鎌倉地方には、ほぼ一日じゅう雨が降り続いた。同時に雨は、肌寒い低気温をもたらしたのである。私は半袖で我慢したけれど、茶の間の妻は我慢しきれずに厚手の長袖を羽織っていた。
 おととい『夏未練』を書いて、長袖への移行を恐れていたばかりなのに明けてきのうの私は、半袖との別れに遭遇しそうになっていたのである。来週の「秋分の日」(九月二十二日・火曜日)あたりまでは、半袖はもとより着装の簡便さを愉しみたい思い山々である。幸いなるかな! 雨上がりの夜明けはすこぶるつきの穏やかさにある。私は悦に入り、半袖でのんびりとキーを叩いている。そして欲深く、自然界のもたらすこの秋の和みを願っている。なさけなくも、人間界は当てにならないからである。

恨めしや! 「実りの秋」 

 「…の秋」と言って、何かと冠(かんむり)の付く秋の訪れにあって、私にひと際、嬉しさと楽しさをもたらすものは「実りの秋」である。餓鬼のごとく食いしん坊の私には、なかんずく「食欲の秋」の到来である。確かに、わが胃腑を喜ばす秋特有の食べ物は、嬉しい悲鳴をあげるほどに数多ある。もちろん欲深く、あれもこれもと食べ物を書き連ねることはできない多さである。確かに、普段のわが買い物の街・大船(鎌倉市)における二つの店にかぎっても、とうてい書き連ねることはできない。
 二つの店とは主に農産物を並べている、ずばり野菜と果物の安売り量販店「大船市場」と、海産物専業の「鈴木水産」である。これらの店には、秋特有の新米の扱いはない。そのため、新米を買おうとすれば必然的に、「西友ストア大船店」へ出向くことになる。しかしながらわが家の場合、新米はふるさとの甥っ子に依頼して、長年ふるさと産新米の購入を続けている。そのため新米にかぎれば、新米の出回りは西友ストア大船店のフロアで眼福に浴し、郷愁にありついているにすぎない。
 大船市場であれば実りの秋を映して現在は、秋野菜、山菜、そして国内外を問わず「果物の秋」のオンパレードの真っただ中にある。鈴木水産の秋の目玉は、文字どおりサンマ(秋刀魚)である。覚えきれるはずものない秋特有の海・山あふれる産物の中では、もちろん好物の順番などつけようはない。それでもあえて順番無しに浮かべると、(新米かな、山野から掘り立ての山芋かな、栗かな、柿かな、蜜柑かな…)と、次々に浮かんでくる。サンマはこれらから離れて、ずっと後順位に位置している。メディアの報道によれば今年のサンマは不良で、そのせいで高値だという。だとしたら、あえて買うまでもない順位である。
 果物の秋の先陣を切るのは、わが好む栗である。料理というほどでもないけれど、わが家のその誂え(レシピ)は、茹で栗、栗御飯、そして栗団子である。ところが、わが夫婦共に歯を損傷し、今年から栗の醍醐味にありつけない。そのため、実りの秋なかんずく果物の秋の劈頭(へきとう)は、泣くに泣けない「悔しい秋」に甘んじているなさけなさである。老夫婦相和して、栗団子づくりに明け暮れたのは、おとどし(一昨年)だったであろうか。今や、不確かな懐かしい記憶である。
 このところの私は、渋々、栗に替わる先陣探しに躍起である。栗一つで、実りの秋を満喫できないのは、ほとほと恨めしいかぎりである。

 夏未練

 季節のめぐりはカレンダーで表されている。それとともに私は、自然界現象と皮膚(肌)感覚でそれを感じている。自然界現象で身近なことでは、木立の葉っぱの移ろいがある。葉っぱは春先をスタートにすれば、萌黄色、浅緑、青葉、深緑、そして今時分からは日に日に色を失くしたり、変えたりして、しだいに枝葉の空く冬枯れの季節へと向かってゆく。
 肌感覚の変化の証しは、主に着衣の変わりように表れる。現在は昔ほどには「衣替え」という、季節用語にはありつけていないけれど、それでも今なおこの慣行(風習)は歴然と残っている。現在、わが身に照らせば上半身の着衣は、半袖から長袖への端境期にある。過ぎ行く夏を惜しむ理由の筆頭には、初秋にかけてのいやおうない半袖への別れの寂しさがある。逆に言えば半袖はもとより、着装が軽装や軽便でいいことこそ、わが夏礼賛のイの一番である。着装には冬布団さらには夏布団さえはねのけて、猿股パンツ一枚のごろ寝の快感がともなっている。さらに加えれば、風呂場における脱衣の簡便さと、汗をすばやく流すシャワーの快適さがある。このことでは夏から秋への季節替わりにある現在、私は夏未練の寂しさの真っただ中にある。その確かな証しは、半袖から長袖への思案が蠢(うごめ)き始めていることである。
 この文章を閉じたら、道路の掃除へ向かうつもりでいる。もちろん、日に日に増えている枯葉や落ち葉を見て見ぬふりにはできないからである。秋は黄葉、紅葉の季節として愛でられるところがある半面、私には枯葉、落ち葉の季節として、うんざりするところがある。このうんざり感をくつがえすには、さまざまな冠(かんむり)の付く、秋という好季節におんぶにだっこである。食いしん坊のわが楽しみの筆頭は、ずばり実りの秋に託している。わが柄でもない芸術の秋も、まったく無縁ではない。早々に先週、私はかつての卓球クラブのお仲間の安田様の作品が並ぶ、水彩画展の鑑賞にあずかった。
 さて、秋は政治(家)の季節でもある。今週の九月十四日(月曜日)には与党の一つ・自民党における、退任の安倍総裁に替わる新総裁が選出される。それに先駆けてきのう(九月十日・木曜日)には、野党の一部で離合集散が成されて、新たに「立憲民主党」が誕生した。同時に行われた初代党首には、枝野幸男衆議院議員が選出された。大まかに言えば、自民党に対峙する政党の復活誕生である。
 このところ感染者数の漸減傾向を深めていた新型コロナウイルスの感染状況は、きのうは一転大きくぶり返した。いくら気の緩みが見られていたところにおけるどんでん返し、すなわち油断してはならないという、新たな警鐘と言えそうである。
 世の中の動きはともあれ、現在のわが最大の関心事は、半袖が長袖に替わることにともなう悔しさと、たまらない寂寥感である。現在のわが心情は、去りゆく「夏未練」で満杯である。

 通信簿

 修学時代にあっては通知表や成績表に一喜一憂していたけれど、幸か不幸か現在は、そのしどろもどろ状態から免れている。現在、ちょっぴりそれらにかわるものは、「血液検査報告書」なのかもしれない。しかしながら、これに示されている検査結果の数値は、一夜漬けの努力と言うより絶えまない生活習慣の苦闘として表れている。言うなればこの手の数値は学業成績とは異なり、好成績を得るための一夜漬けや山かけは利かない。その証しに数値の不出来には慢性という烙印をこうむるところもあり、多くは要治療というシグナルが表示される。するとそれには、薬剤投与かあるいは治療処置が付加される。学業成績の悪さは、もちろんみずからの努力で克服しなければならない。一方、検査結果の不出来はお手上げで、俎板の鯉さながらに料理人(医師)の匙加減に委ねなければならない。
 きのう(九月九日・水曜日)の私は、一週間前の採血結果を聞くため、わが家最寄りの「左近允医院」へ通院した。「前田さん」と呼ばれて、私はおずおずと診察室に入った。主治医先生は、常日頃、患者対応の優しい中年の男性医師である。診察室にあっては、私はまったく怯えることなく対話できる。
 「こんにちは。お世話様です」と言って、私は円い診療椅子に腰を下ろし、検査結果の宣告に身構えた。すると先生は、前かがみで検査結果票をわが目の前へ差し出して、縷々(るる)説明を始められた。案の定、検査のたびの二つの項目に、落第点を示す※マークが付されていた。実際のところは、基準値をはみ出す赤点マーク(要治療)である。
 二つの項目の一つは、「クレアチニン」である。基準値0・61~1・04にたいし、1・35の数値でHマーク(高い)が付されていた。一つは、「LDLコレステロール(悪玉)」である。基準値は70~139で、検査結果には179とあり、これまたHマークが付いていた。ところが、この二つの項目の検査結果はほぼいつものことゆえに、先生と私ともに納得済みのところがある。先生は医師の本分(メンツと立場)に立ち返り、いつも薬剤投与を思案されている。もちろん、検査結果にともなうわが身を案じてのことであり、おのずからわが思案もさ迷うところである。それでも私は、双方の思案にけりをつけた。
「先生、なんどかの薬剤投与には、筋肉痛という副作用を招きました。日常生活の改善に努めますから、薬の服用はやめたいと思います」
 本末転倒の飛んだバカ勇気である。せっかくの検査結果を台無しにする患者は、天邪鬼かとんでもないへそ曲りであろう。確かに、医療費をかけてなんのための検査なのかと、大きな疑問の生じるところである。私は、煮えくり返る先生の心中を察することはできない。おそらく腹立たしく、あるいは渋々であろうけれど、それでも先生は笑みをたたえて、わが訴求に応じてくださったのである。
 私は意気揚々と、医院を後にした。しかしながら、先生にすれば後味の悪い診察だったのかもしれない。かつての稚(いとけな)い駄々っ子は、老いぼれの頑固爺(がんこじじい)の姿をさらけ出していたのであろう。ちょっぴり、恥じ入るところである。
 残暑とは言えない秋天の厳しい陽射しにまみれ、鳴き急ぐ騒がしいセミの鳴き声を背に、家路に就いた。茶の間のソファに腰を下ろし、あらためて通信簿とも言える「血液検査報告書」と、もう一枚の「生化学検査報告書」に目を通し、ホッと嘆息を吐いた。

 待ち望んでいた秋日和、到来

 平成二年(二〇二〇年)九月九日の夜明けを迎えている。台風十号が過ぎ去った後にあって、ようやく清々しい朝の訪れである。台風十号の被災地と被災者にははなはだ忍びないけれど、私はこんな朝の訪れを待ち望んでいた。その証しもあって私は、パソコンを起ち上げる前に、起き出しがしらに道路へ出向いた。時刻は五時過ぎである。道路の掃除を済まし、今パソコンに向かってチンタラとキーを叩いている。性懲りない、わがいつもの走り書きである。
 待ち望んでいた秋日和の到来にあっても、今や気分がすぐれるものはなにもない。もはや、こんな欲張りはご法度(はっと)なのであろう。八十歳を超えてしまった老齢とは、ほとほと空恐ろしいものである。今の私には、忌まわしい記憶がよみがえっている。もちろん記念日とは称しえない、苦々しい一年前の出来事である。すなわち、昨年(令和元年・二〇一九年)のこの日(九月九日)のわが家は、台風十五号に見舞われて屋根の損壊を被ったのである。そののち、ようやく屋根の修理が成ったのは、明けて今年の二月だった。この間の私は、風雨への怯えと悶々とする気分まみれになっていた。確かに、体験こそ物事の学びである。このときのわが被災により、それ以来私は、台風にかぎらず、かつ大小にかぎらず、被災者の苦しみを強く共有する教訓を学んでいる。もちろん、まったくありがたくない教訓だけれど、私にはいくらか人間らしい心に立ち返ったな! という思いがある。しかしながら、毎年繰り返される災害の多さには、こんな殊勝な思いもずたずたにはち切れるばかりである。
 きょうは、よみがえる切ない出来事を書くためにパソコンを起ち上げたにすぎない。人の日暮らしは、一寸先は闇の中である。昨年のこの日の一件でこの先、災難は済みそうにない。いや、天災、人災、病の恐れは、しょっちゅうである。さしずめきょうは、わが最寄りの「左近允医院」への通院日である。確かに、息災を願うことは日々、あふれるばかりに多々ある。秋天高く、朝日が清々しく照り輝いている。私は欲深く、束の間の天恵とならないことを望んでいる。

嗚呼、人間社会は闇の中 

 死者や怪我人も多く、そのほかにもさまざまな被災が伝えられた。それなのに、こんな表現は当を得なく、厳しく慎まなければならない。それでもあえて書けば、台風十号は予報されていた勢力の大きさからすればいくらか外れて、大過なく過ぎ去った。もちろん拍子抜けとは言えないけれど、それでも身構え、気構えに、肩透かしを食らった思いはある。それほどに気象庁や気象予報士の予報にたいし、私は戦慄をつのらせて度肝を抜かれていたのである。不幸中の幸いと言うには語弊があるけれど、予報がいくらか外れて、今の私はほっと胸をなでおろしている。
 台風にかぎらず災害予報は、空振りや外れに遭っても、もちろん不平や不満たらたらではない。なぜなら天災予報は、もとより警戒警報に重きを置いて、国民やさまざまな機関(当局)にたいし、事前対策を促しているところがある。このことでは予報の大きさに背く空振りは、まったく罪のない幸運と受け取るべきであろう。だとしたら気象庁や気象予報士にたいし、鬱憤晴らしの非難の声を向けるのは、非難者自身の恥の上塗りでもある。実際には予報が外れて、「よかった、よかった」と、気分の安堵に恵まれる。
 きょう(九月八日・火曜日)は台風一過に加えて、いくらか気分の安らぐものもある。それはこのことである。きのうは新型コロナウイルスの感染者数が、東京都をはじめとして全国的に著しく少なく伝えられた。確かにこのところは、感染者数に漸減傾向が見えていた。もちろんきのう一日かぎりではこころもとないけれど、しかしきのうの数値には、減少傾向に拍車がかかったかな? と、思えるものがあった。減少傾向が確かであれば、これまた至上の幸運である。なぜなら、インフルエンザ流行の季節を前にして、新型コロナウイルスの感染者数にいくらかでも打ち止めがかかれば万々歳である。
 頃は良し、残暑は翳(かげ)り秋涼のさわやかな季節の到来のさ中にある。季節のどかに、そして心なごんで、私にはさまざまな「冠(かんむり)の秋」に、とっぷりと浸りたい思いがある。しかしながら人間社会は、一難去ってまた一難、一寸先は闇の中にある。きょうにかぎれば、台風十号の余波のない、また風雨沙汰止みのおだやかな初秋の夜明けが訪れている。だからと言って極楽とんぼに、実りの秋の到来と言えば、やはり罰当たりであろう。なぜならわが心中には、被災地の人々が水浸しの田畑(でんぱた)と、倒れた黄金色の稲穂を眺めて、やる瀬なく台風十号の爪痕に立ち竦(すく)んでいる光景が浮かんでいる。

ふるさとの台風十号、事情 

 九月七日(月曜日)の未明にあって、現在のデジタル時刻は3:00である。私は一時間以上にわたり、悶々とする気分に打ちひしがれて、空虚に時を流していた。いや、実際のところは空虚ではなく、悶えに悶えて苦悶を続けていた。挙句に文章は書けないと、端からズル休みを決め込んでいた。
 日本社会は、台風十号の恐怖の真っただ中にある。台風十号は現在、わがふるさと・熊本県あたりを中心にして、猛威を見舞っているであろう。きのう(九月六日・日曜日)の私は、気象予報士の伝える台風十号の勢力の大きさに怯えて、携帯電話でCメールを発信した。相手は、故長姉の長女(姪)である。姪っ子は、わが生家近くの集落に住んでいる。嫁ぎ先は、純然たる農家である。しかし、他所(よそ)と異なるところある。すなわち、嫁ぎ先は稲作以外に、桃、栗、柿、梨、葡萄などの果物を浅く広く手掛けられている。これらの中では栗だけが、稲作と双璧を成す収入源であると言う。もちろんこれらは、姪っ子夫婦というより、義父母が成された生業(なりわい)の引継ぎである。義母は一年前あたりに他界されている。一方、義父(九十二歳)は、今なお軽トラを乗り回し、農作業の陣頭指揮(主役)を執られていると言う。老いて矍鑠(かくしゃく)、このことには、私はとことん驚かされている。
 送信:「こんにちは。大きな台風が来そうだね。栗は大丈夫でしょうか?」。
 受信:「まだ、今からだから、分かりませんが、困ったもんです。稲も倒れそうで…」。
 こののち私は、姪っ子の兄になる故長姉の長男(甥)にふるさと電話をかけた。そして、姪っ子とのCメールのやりとりを話した。すると甥っ子は、「柿は、このまえの風で全部落ちたらしいけれど、栗の収穫はまだこれからだから、たぶん栗も全部落ちるだろう……?」と、言った。
 ちなみに、わが購入しているふるさと産米は、姪っ子の田んぼの米である。すると、今年の新米の出来が危ぶまれるところである。だからと言って私は、他所のコメに乗り換えるつもりはまったくない。「稲も倒れそうで……」、つらい心情の吐露だが、私はひたすら実りの秋を願うばかりである。
 姪っ子のつらい心情を書いて、わがずる休みを打ち消した。この先は、台風十号にまつわる情報を見たり、気象予報士の言葉に難聴の耳をそばだてることとなる。いまだに暗闇で、関東地方の夜明けの風の吹きようは分からない。

台風の恐ろしさ 

 九月五日(土曜日)、きょうは自作文を書かずに、メディアの記事をそっくり引用し、あらためて台風の恐ろしさを肝に銘じています。文中の台風十五号は、昨年(令和元年・二〇一九年九月九日)におけるわが家の屋根に損壊をもたらした台風です。わが家の屋根の損壊は、台風被害にあってはほんの序の口です。それでもその恐ろしさと、修理にともなうお金の不安やさまざまな心痛には、後々まで怯え続けていました。台風の恐ろしさは、勢力しだいでは地震の恐ろしさに匹敵するものがあります。
 ところが、迫りくる台風十号は、超弩級の台風と言われて、早くから警戒警報が打ち鳴らされています。
 【去年の台風を大幅に上回る…最大瞬間風速80m超え、どれほど危険なのか】(9/4・金曜日・20:31 日本テレビ系・NNN配信)。台風が接近する地域では大雨・暴風・高波・高潮に最大級の警戒が必要ですが、今回の台風の特徴は、台風の多い九州の人でも経験したことがないような猛烈な風が予想されることです。特に暴風災害に備える必要があります。ゴルフネットを倒した台風15号を大幅に上回る最大瞬間風速70~85mが予想。5日から6日にかけて大東島や奄美地方で最大瞬間風速70~85mが予想されています。これは一部の家屋が倒壊するおそれのある強烈な風です。2019年、関東に上陸した台風15号と比較してみます。台風15号は千葉市付近に上陸しました。ゴルフ練習場のゴルフネットが倒れ住宅の屋根を直撃し、大きな被害が出て、千葉県の広い範囲で長期間停電しました。このときの最大瞬間風速は千葉市で57.5mでした。今回はこれを大幅に上回ります。80mをこえる最大瞬間風速は、日本ではこれまで富士山を除いて3回しか観測されていません。5年前には沖縄の与那国島で最大瞬間風速81.1mを観測しました。目の前にある建物が見えないほどの暴風。これ以降、国内では80mを超える最大瞬間風速は観測されていません。最大瞬間風速80m超え、最悪のケースが想定。風速ごとにどのような影響がでる? 風速ごとにどのような影響がでるのでしょうか。瞬間風速30m……何かにつかまらないと立っていられない状態。瞬間風速40m……走行中のトラックが横転することも。瞬間風速50m……電柱、ブロック壁が倒れることも 。瞬間風速60mm以上……家が倒壊したり鉄骨の構造物が変形したりする。今回は最大瞬間風速70~85mの予想で、最悪のケースが想定されます。災害の前に確認するハザードマップがありますが、実は、洪水・土砂災害の大雨のリスクは確認できますが、暴風による災害リスクはハザードマップでは分かりません。ただ、大雨リスクもあるため、自宅の情報を早めに確認しておく事も大事です。また、大規模な停電予測もでています。さらに気象庁は、高潮などで甚大な被害が出た『1959年の伊勢湾台風と比べても遜色ない勢力』だと話し、高潮災害にも最大級の警戒を呼びかけています。

天災、人災に怯える、わが日暮らし 

 九月四日(金曜日)、私は大型台風と伝えられる台風十号の北上接近に恐々としている。関東地方への直撃は免れそうだけれど、日本列島が免れるわけではない。おのずから、恐怖心つのるばかりである。同時に、どこの地方であっても無事を祈るばかりである。自分自身はもとより、人様の惨事もまたこりごりである。
 一年を顧みて、心穏やかに過ごせる日は、いったい何日ぐらいあるであろうか。今さらながら湧き出る、苦々しいわが思いである。わが気鬱症状が遠のく、暇(いとま)はない。
 書くネタもないため、パソコンを起ち上げるやいなや目にした配信ニュースを取り出している。それは安倍総理の退任後における、顧みる安倍政権の高評価である。伝えられる世論調査の数値は、媒体ことごとくべらぼうに高い評価である。安倍総理の退任前の数値からは、どんでん返しとも、手の平返しとも言える、様変わりぶりである。天邪鬼の私は、(なんだかなあ!)という、思いにとりつかれている。もちろん、時の政権が国民に高評価を得ることは喜ぶべきであり、安倍総理や政権にたいし難癖をつけるつもりはない。
 一方でわが腑に落ちないのは、こうまで一気に様変わった国民感情への心もとない思いである。安倍総理在任中の特に退任直前の世論調査における安倍政権支持率は、きわめて低く推移していた。それが安倍総理退任後、たちまち高評価へ跳ね上がったのである。病気退任にまつわる慰労や憐憫の情は、もちろん私も十分にたずさえている。しかしながらそのことが、国民感情でいくらかでもどんでん返しの安倍政権評価となっているとすれば、私には不安をおぼえるところがある。
 時の政権は国の舵取りである。だとすれば国民すなわち選挙民は、政権選びには人の感情や人情と区別する心構えを持たなければならない。もちろん、去り行く安倍政権にたいする高評価は歓迎するところである。しかし、手の平返しの高評価に私は、一抹の不安をおぼえている。わが肝に銘じる、選挙民の心構えである。天災、人災に怯える、わが日暮らしである。

初秋、夜明けのざれ言 

 九月三日(木曜日)、すっかり寝込んでしまった。すでに寝坊助の夜明けが訪れている。小雨上がりの地上には夏の朝から、柔らかく替えた秋の朝の陽射しが照り輝いている。のどかな初秋の朝の訪れである。こんなことを書き出しながら一方、私にはこんな呑気なことを書いてはいけないという、自戒の念もある。それは沖縄諸島や九州地方を脅かしている、台風九号と相次ぐ十号の大荒れ模様をおもんぱかっているからである。
 起き出すやいなや私は、この文章に先立ち、道路の落ち葉模様を見に出かけた。雨上がりの道路は、いまだに濡れていた。(しめた!)、道路の掃除はしないで済む。怠け心がもらした快哉だった。気に懸けていた道路の掃除は、昼間へ延ばすことが出来た。小雨上がりでも道路が乾いていれば掃除を優先し、文章は休もうと決めて道路へ急いだのだった。ところが道路は濡れていて、掃除はできない。そのため、休もうと決めていた文章を書き始めている。こんな状態は、飛んだとばっちりと、言えるのだろうか。それとも、不幸中の幸いと言えるのであろうか。私は妙な言葉遊びにとりつかれている。
 本当ところを言えばこのところの私は、どちらにもまったく気が進まなくなっている。言うなれば私は、憂鬱病状態さながらにある。その要因は間髪を容れずに、日本列島が天変すなわち自然界現象に脅かされているせいである。どう気張っても、もちろんわが体力と知力では抗しきれるものではない。しかしながら私は、それらのもたらす鬱陶しさに日々さいなまれている。熱中症、新型コロナウイルス、台風、はたまた地震は所を替えて日常茶飯事に起きている。まさしく、日本列島における人の営みを脅かす自然界災害のオンパレードである。新型コロナウイルスの恐怖を気象現象と同列にしたのは、人工的には防ぎようないウイルスという、異界の魔物ゆえである。これらのせいで穏やかな日常が阻まれて、おのずからわが精神は憂鬱状態にある。実際のところこれらの災害は免れて、現在は脅されている状態にすぎない。
 ところが、のほほんとしてはおれない。なぜなら、日本列島に住むだれかは、実際に被害をこうむっているからである。おのずから私は、気分の重たい日々に晒されている。これこそ、さわやかともてはやされる初秋における、飛んだとばっちりである。

気分重たい九月 

 九月の初っ端のきのうの「防災の日」(九月一日・火曜日)は、気分重たく意図してズル休みを決め込んだ。きょう(九月二日・水曜日)も、重たい気分は変わらない。そして、この先へ続きそうである。そうであれば継続の明滅ランプが灯り続けて、文章はおのずから様にならない。なぜならこの先にあっても、心象風景の好転は望めそうにない。きょうは厭々しながら、このことを書くためにパソコンを起ち上げたようなものだ。確かに、まったく様にならない。
 きのうは、ほぼ一日中にわたり涼風が吹き晒した。八月からの月替わりの気象は一日にして一変し、暑気を含む夏風から冷気を含む秋風になっていた。これ幸いとばかりに私は、夏草の茂る庭中に這いつくばった。これには、重たい気分休めの狙いがあった。そのこともあって私は、ひたすら黙然と雑草と向き合った。雑草は、地中深く根を張って懸命に抵抗した。私は、往生をきわめた。私は雑草の生命力の強さに驚嘆し、一方ではわがひ弱な精神力を嘆いて、それらに羨望さえおぼえていた。雑草の抵抗に遭って、こんなことを思うようでは、私は確かに「バカじゃなかろか!」である。
 狭小な庭中にあっても年に何度か強いられる草取りは、時間潰しの役割はとっくに終えて、もはやわが余生における大きな重荷に変わっている。この先の草取りを案じていると、気分休めどころか気分は、いっそう重たくなっていた。しかし、涼風は半袖の肌に気持ちよく、さらには藪蚊の襲撃を防いでくれた。確かな秋風の恩恵だった。しかし一方では、台風シーズンの前ぶれでもあり、かてて加えて「関東大震災」(大正十二年・一九二三年九月一日)を想起すれば、手放しに安穏できる心地ではなかった。
 訪れている九月における日本社会は、天変地異に恐れる月を表し、防災にてんやわんやである。政治(家)の世界は、与党および野党共に浮足立つ季節である。今年すなわち令和二年(二〇二〇年)にかぎれば自民党は、安倍総理の辞任を受けて、後任総裁選びに大わらわである。一方野党は、立憲民主党を中心にした再結集や再編成に狂奔するありさまである。いずれも、国民感情などそっちのけにしてのコップの中の争いであれば四の五を言わず、醜い政治劇や人間劇は早々に終演を願うところである。
 わが身にかかわる九月には、「大船田園眼科医院」(鎌倉市)と「大船中央病院」(消化器内科)における予約通院日がある。これらに加えてきょうは、わが家最寄りの「左近允医院」における定期健診を予定している。これは年に一度訪れる、鎌倉市補助の健診である。数ある項目の中で私は、毎年唯一、採血による血液検査だけを慣行にしている。胃と大腸のカメラ検査は、大船中央病院の主治医先生に託しているからである。
 初秋にあって九月は、好季節到来に思える半面、天変地異および人間模様に脅かされて、初っ端から気分の滅入る月である。確かに私は、一寸先は闇の中に身を置いている。おのずから、気分の晴れようはない。荒れ模様を映して、雨の夜明けである。わが気分の滅入りは増幅している。検査のためきょうは、朝御飯抜きである。早速、わが身に堪えている。

 令和二年(二〇二〇年)、八月最終日

 八月三十一日(月曜日)、暑い夏も、気分の重たい八月も、きょうで終わりを告げる。どうにか、書き続けてきたと、独り感慨頻りである。このことでは、ちょっぴりうれしい八月最終日である。しかし、月替わる九月も、油断はならない。真っ先によみがえるのは、昨年(令和元年・二〇一九年)九月の忌まわしい出来事である。具体的にはわが家は、台風十五号(九月九日)に見舞われて、屋根を吹き飛ばされた。そののち修理完了までは長い月日を要し、この間の私は、雨風による恐怖と憂鬱気分に苛まれ続けていた。いまだに出来立てほやほやの忌苦々しい記憶である。天変地異や異常気象は時と所を選ばず、もちろん人間界の恐れなどまったく意に留めず、お構いなしに狂暴の限りを尽くす悪魔である。
 きのう(八月三十日・日曜日)のテレビニュースでは、台風八号の接近による沖縄県地方の大荒れ模様が伝えられていた。そしてその勢力は、風速七十メートルをはるかに超える、文字どおりの超弩級の台風という。このニュースを聞いた私は、恐れて心胆を寒くした。確かに、昨年の台風十五号による被災からわが台風への恐れは、身をもって一変している。台風の恐ろしさは、台風銀座と言われるわが生誕地・熊本県における子ども時代から知りすぎてきた。ところが、それに輪をかけて昨年の被災は、明らかに台風の恐ろしさと被災者心境を増幅した。語弊があるけれど、まさしく「百聞は一見に如かず」の体験だった。
 過ぎ行く八月を顧みれば、明けても、来る日も、さまざまに警戒警報が打ち鳴らされた。季節の気象用語では、真夏日(気温三十度以上)、猛暑日(気温三十五度以上)のオンパレードだった。一方で、熱帯夜(夜間の平均気温二十五度以上)という季節用語は、もはやあたりまえすぎて用無しになったのか、ニュースからすっかり遠退いていた。もちろん、夏の風物詩と言うには憎たらしいけれど、「熱中症による搬送」という言葉がすっかり根づいてしまった。熱中症にかかわらずひと夏を過ごすのは、もはや至難の業になりつつある。
 暑さを示す気温ではこの夏には、静岡県浜松市が史上最高気温(41・1度)を示し、これまでの埼玉県熊谷市と肩を並べた。夏定番の暑さ、諸々の高気温の表現とそれらにまつわる熱中症への警戒警報、加えて台風発生と接近のニュース、さらに加えてこの夏には、新型コロナウイルスへの感染者数が国民に恐怖をつのらせた。なおこれらに加えて、例年のしきたりに倣って八月には、太平洋戦争にまつわるさまざまな戦禍を顧みて、御霊を慰霊し追悼する七十五年めの重たい式典が催行された。新型コロナウイルスは、国民の日常生活にさまざまな制限と変化をもたらし、この八月はまさしく異常の月だった。
 過日(二十八日・金曜日)には、安倍総理の辞任が伝えられて、七年八か月に及ぶ安倍長期政権に終りが近づいている。例月と日数ではほぼ変わりない八月は、この夏にかぎれば生き続けることに息の詰まる日々をもたらしたのである。だから私には、訪れる初秋の九月にほっと息抜きをしたい思いがある。しかし、昨年の台風十五号による被災の記憶は、安穏の気分を妨げて、わが肝をつぶしている。よくも、生き延びたと思う、八月最終日である。

人の世における、わが学び 

 人の世、グローバル時代にあって、今さらのことを浮かべている。それは、わが人間観察と世界事情に無知のせいである。具体的には新型コロナウイルス禍において、テレビ画面に映し出される世界中の人たちの営みからもたされている。早い話、国は違っても人間の行いは、みな一緒という光景である。そしてそれは、新型コロナウイルス禍において垣間見る、いやおうない副次光景と言えそうである。
 テレビに人の動きが映し出されると、どの国においてもその国民は、一様にマスクを着けている。医療現場における医療従事者の動きや、処置方法もほぼ同一である。これらの光景を観るたびに私は、あらためて人間の営みと世界社会は、どこかしこほぼ同一と悟ることができる。確かに、世間知らずのわが恥晒しである。一方、新型コロナウイルス禍にあって知り得た、人間模様であり、世界事情である。無知な私に輪をかけての大きな出遅れではあるけれど、新型コロナウイルス禍により唯一学んだ知識である。
 正直なところこれまでの私は、世界は国が異なればおのずからいろんな格差があると、思い込んでいた。ところがそれは、いい意味で裏切られた思いにある。人間の営みはどこかしこほぼ等しく、世界事情は共に同一である。このところのテレビ番組には、世界中を股に掛けた旅番組が大はやりである。おのずから私は、この手の番組を好んで観ている。すると、同様に感ずる場面ばかりに遭遇する。人の出会いで言えば世界中の人みんなが、「おもてなし」を誇る日本人を凌いで、お人好しばかりである。生業の営みも、日本社会とほぼ似たり寄ったりである。おのずからこの手の旅番組から私は、わが無知を悟り、つけやきばの知識の補填にさずかっている。
 もっとも身近なところでは、新型コロナウイルス禍を告げるテレビニュースから私は、束の間の人間模様の観察と世界事情の学びの場をさずかっている。だからと言ってもちろん、新型コロナウイルス禍を学びの絶好の教材と呼ぶことはできない。すなわち、わが知識の欠如と不徳の証しである。新型コロナウイルス禍を嘆くばかりでは、なんらの徳にもならない。もちろん、一得一失とは言えないが、新型コロナウイルス禍を少しは、わが知識の足しにしたい心構えにある。しかし、学ぶには大きく出遅れて、なんら役立たずである。世間知らず、世界知らず、人間知らずがほとほとなさけない。

安倍総理、辞任 

 八月二十九日(土曜日)、きのうの怠け心を省みり、早々と道路の掃除を済ませて、パソコンに向かっている。現在、パソコン上のデジタル時刻は5:40である。すでに一夜明けたきのう(八月二十八日・金曜日)における、日本社会のトピックスは安倍総理の辞任表明であった。個人的には病ゆえの志の未達の退任には、心から深く同情することしきりである。
 ところが一方、総理の座としては長すぎた春だったと、冷めた思いがある。この二律背反の思いは、安倍総理にかかわらずだれしも、総理の座につきまとう本質である。それほどに日本の国の舵取りを負託される総理の座とは、個人事情を超えるほどに重責である。この証しは、まさしく安倍総理の辞任の言葉が表現していた。すなわち、「病の身にあっては、国民の負託に応えられない」という、悲壮感きわまりない面持ちに表れていた。まずは素直に、長い舵取りに尽きまとったご苦労を称えて、病のご快復を切に望むところである。
 きょうからはいや早くもきのうから、後継総理争いのゴングが喧(かまびす)しく打ち鳴らされている。こちらは、人間とは欲の皮の突っ張りと非情の証しである。もちろん、セミの鳴き声をはるかに超えて、まったく情感の無いただうるさいだけの総理の座の奪い合いである。後継者争いを噂されている人たちは、長くくたびれて本音隠しに虎視眈々と満を持していたことであろう。だれが総理の座を勝ち取るかわからないけれど、わが唯一望むところは、人間らしい「誠実」な舵取りを願っている。
 さて、実際のところ現在のわが関心事は、庭中の夏草の繁茂に往生している。そのため、こんな実のない文章は早々に閉じて、庭中にはいつくばって草取りをする決意である。これは涼しいうちにという、夏の朝にすがるわがささやかな決意である。
 八月はきょうを含めて残り三日である。私はつつがなく夏が過ぎるのをひたすら望んでいる。庶民の日暮らしの望みは、ざっとこんなところである。

寝坊助のたわごと 

 八月二十八日(金曜日)、書くまでもないことを書いている。今朝の掃除はやめにして、二度寝を試みていた。いつもは二度寝をまっとうできないけれど、疲れているのであろうか、目覚めたら朝日が煌々と照り輝く六時過ぎになっていた。このため慌ててパソコンを起ち上げて、時に急かされてキーボードへ向かっている。
 道路の掃除を止めようと思っていたのには、こんな怠け心がともなっていた。昨夜の就寝時にはまったく風なく、このことでは落ち葉が少ないだろうという、怠け心の口実を浮かべていたからである。それに加えて、なんだか掃くのがいやだなあという、怠け心の本質がともなっていた。こんなことしか書けないようであれば、きょうは休むべきだった。
 きょうには安倍総理の記者会見が予定されているという。安倍総理の体調の善し悪しをからめて、会見前から人さまざまに思惑が飛び交っている。これまた、なんだかなー、人間の本質を見ているようである。
 朝夕の夏風は涼しく、確かに肌触りはとうに秋風である。ところが昼間の陽射しは、いまだに夏の暑さのままに居座って、残暑とは言えない厳しさにある。いや、昔から夏の終わりの暑さは、肌身には盛りどきを超えて厳しいところがある。このところの厳しい暑さは、まぎれもなくその証しと、言えそうである。しかし一方、この暑さはもはや短かい限りにある。物事には最後のあがきという言葉がある。気象にはこの言葉は当を得ないけれど、へそ曲がりの私は、この言葉をこのところの暑さに当てている。おのずから我慢という、言葉のお出ましである。
 ウグイスの鳴き声は時季外れとなり、お蔵入りを強いられている。ウグイスに入れ替わってわが世の春を謳うのは、草葉に群がる虫たちの鳴き声である。鳴き声がうるさいという人がいるけれど、毛嫌いしてはならない季節替わりを告げる彼らなりの情感たっぷりのほどこしである。
 これらの鳴き声とは異なり、ほとほと切ないものは、鳴き急ぐセミたちの合唱である。もちろん同情を絡めて、やかましいと貶(けな)してはいけない、哀感つのる鳴き声である。この鳴き声を聞くためにきょうの私は、道路の掃除は後れて昼間に敢行するつもりでいる。書くまでもない、ほとほと実のない文章の一巻の終わりである。

 人の声

 八月二十七日(木曜日)、現在のデジタル時刻は、パソコン上で5:31と刻まれている。夜明けてまもなく五時過ぎから、三十分弱をかけて道路の掃除を終えて、パソコンを起ち上げた。このところは掃く時間を前後して、ほぼ毎日道路へ向かっている。そのためきょうの利得は、落ち葉が少なく三十分弱で終えることが出来た。いくらか当てが外れたのは、散歩ご常連のご婦人とご夫婦連れに会えなかったことである。その訳は自分のほうが早く出向いて、短い時間で終えて引き揚げてきたからである。このことでは、いくらか残念無念である。しかし、そのせいで綺麗になっている道路を歩いていただくことにはなる。わが今朝のほどこしと思えば、満更悪い気分ではない。
 ところが、ひとりだけお顔馴染みのおばあちゃんに出会った。この人の散歩の習わしはとても早く、滅多に出会えない。今朝出会えたのは、わが行動が早かった証しである。共にしばし佇んで、こんな会話を交わした。共に、マスク無しである。私のほうから、
「いつも早いですね。お元気ですね」
 と、言った。すると、何か言われたので、わが難聴の耳を近づけた。
「エアコンは何度のしてるの?」
「エアコンはつけていません。網戸にもしていません」
「自分も去年はつけなかったけれど、今年はつけてるのよ」
「エアコン温度は何度にされていますか?」
「二十八度です」
「そうですか。つけたほうがいいですよ」
 朝靄の中で別れ、おばあちゃんはいつもの方向へ歩かれ、おじいちゃん(私)は再びせっせと箒を動かした。
 こんなことを十分ほど走り書きして、きょうはおしまいである。風の肌触りは、すっかり秋風の心地良さにある。難聴の耳には集音機を嵌めていなく、ウグイス、集く虫の声、いのちの途絶えを焦るセミの声も聞こえずじまいだった。人間の声が聞けたのは、幸いなるかな! である。

またまた行く夏、雑感 

 人間、やっておれない。夏には熱中症、冬にはインフルエンザ、季節を問わず新型コロナウイルス、そして不断の病、かてて加えて人災および天災、雨あられである。これらは直接的に命を脅かすものである。さらに、間接的なものでは多々ある。それらのなかの筆頭は、金無しからもたらされる生活苦であろう。戦争が無くても生きることには、こんなにも多くの苦しみがある。これらのことを考えれば、あらためて戦時下の人々の苦しみがよみがえる。人間の過去のしでかしのしるしの残る重たい八月の終わりにあって私は、心中に敬虔な思いをたずさえている。時のめぐるは残酷である。現在の災難は日々過去へ置き換えられては、その多くはすぐに人の記憶から忘れ去られてゆく。
 「令和二年七月豪雨」における被災地の人々の哀しみは、もはや滅多に人の口の端にのぼることもない。「広島原爆の日」、「長崎原爆の日」、そして「終戦(敗戦)の日」のことなど、この八月の催行とも思えなく、遠い昔の式典のごとくに忘却されつつある。よくもわるくも人間の現在の営みは、間髪を容れず過去と抱き合わせで過ぎてゆく。これこそ、人間の営みの真髄であろう。確かに、現在の災難をのちのちまで長く、引きずっても仕方ないところはある。「日にちが薬」という言葉もある。一方で災難は、次々に追いかけてくる。挙句、まったく気の休まることのない人の世である。
 きのう(八月二十五日・火曜日)から、政治家河井夫妻の公判が始まった。初公判で夫妻は、あっけらかんと無罪を主張されたという。この先長く化かし合いの、こんなやり取りが続くかと思えば、鬱陶しくてもううんざりである。案外、人間の生き難さを感ずるのは、こんな不信が真っ昼間の公廷で堂々とつきまとうことが根源なのかもしれない。
 大国アメリカでは、まるで虫けらの啀(いがみ)合いのごとくに、十一月の大統領選に向けて双方共に、候補者の人格さえ論(あげつら)う非難応酬の最中にある。国内外にあってしかも、為政者の徳無きぶりを見せつけられることには、忍び難いものがある。なんだかなあー、長居はできない人の世である。
 八月二十六日(水曜日)、世直しに効果覿面の一服の清涼剤が欲しい、晩夏の夜明け前である。

きのうに続く、雑感 

 朝日新聞朝刊(2020年・令和2年8月25日・火曜日付け)、一面記事から引用を試みる。「新型コロナウイルス対策について厚生労働省に助言する専門家組織(アドバイザリーボード)は24日、『第2波』とも言われる現在の流行は7月末がピークとみられ、新規感染者数は緩やかに減少しているとの見解を示した。政府の分科会も21日に同様の見方を公表していた。一方、重症者数は増えており、感染予防の対策など警戒を緩めるべきでないと呼びかけた。」
 この記事を読んで、私はちょっとひねくれた。すなわち、一か月も経ってでは遅すぎて、かつわが素人と判断とそんなに相違ない見解だな、と思った。あえて言えばこれくらいのことは、日々の感染者数や重症者数の推移を眺めていれば、おのずから私にももっと早く察知できるところがある。
 「火中の栗を拾う」の反対言葉は、「拾わない」であろうか。それぞれの見解は、へそ曲がりの私にはなんだか「後出しじゃんけん」に思えて、臨場感に乏しいところがある。要は火中にあってこそ、専門家集団らしい見解に遭遇したかったのである。
 こんな思いをいだくようでは、私はつくづくへそ曲がりと自戒するところはある。しかし、すでに感染ピークが過ぎていることは、喜ぶべきことだと素直に言い切れない思いもある。つれて、わがケチな勘繰りを戒めているところである。ところが、国民の感染への警戒心は、きょうあたりから一気に緩む恐れがある。日々の感染者数は今なお進行中なのに、なんだかこれまでの緊張状態に水を差された思いもある。だから、私には早とちりの感が否(いな)めない。確かに、わが警戒気分は、一気に緩みがちである。だとすれば、こんな愚かなニュースは罪作りである。あえて言えば減少傾向は、知らずしらず分かればいいのではないか、と思うところがある。一件落着みたいな見解は、今なお感染に陥る人多いなかにあっては、私には忍びない思いがつのるからである。専門家集団の見解に逆らって、第3の波が来たら身も蓋もない。
 きょうもまた私は、「身から出た錆」の継続文で、お茶を濁してしまった。ほとほと、かたじけない。涼やかな秋風は心地良い半面、夏の終わりが身に染みている。

行く夏、雑感 

 八月二十四日(月曜日)、きょうはこのことだけを記します。昨夜の就寝にあっては網戸のすべてに窓ガラスを重ねて、その上を厚手のカーテンで覆いました。さらにはこれまで、薄手の夏布団さへ用無しにパンツ一つでごろ寝を続けていた私は、風邪ひきを恐れて冬布団を体にグルグル巻きにしました。言いたいことは、夏が終わりを告げて秋の訪れを体感したことです。もちろん、この先には夏の名残の残暑の日もあるでしょうが、いち早く短い夏を体感したのです。
 日本社会にはコロナ慣れが生じて、国民にはいくらか気の緩みが見られるようです。この先が思いやられるところだけど、人にはいつまでも緊張状態は続かず、仕方ないところでしょう。こんななか、きょうのトピックスの一つは、安倍総理の連続在職日数が憲政史上で最長と伝えられていることでしょう。実際のところは、安倍総理の大叔父にあたる佐藤栄作元総理の二、七九八日を超えるという。ところが、なおこの先も続くことから、こののちは日々在職日数の更新となります。難題続く日本の国の舵取りにたいし、おのずから「ご苦労さま、お疲れさま」と言って、その労を称えずにはおれません。一方では正直に言って私の場合、長い在職に飽きあき気分が生じていることも言わなければなりません。
 秋の訪れもすんなりとはいきません。その筆頭は台風シーズンの訪れであり、さらにはシーズンなく頻発する地震への恐れです。そして、これらになお新型コロナウイルスの感染がなお衰えず、かてて加えてチラホラと、インフルエンザ流行の兆しが見え始めればきわめて厄介です。
 夜明けの空は、きのうの小雨上がりの曇天です。暑い夏は過ぎても人の社会には、寸分の気分の緩みも許されません。人の世、一寸先は闇の中です。生きている証しには、ほとほとつらいものがあります。わが念願の夏痩せさえまったく叶わず、食欲モリモリの秋が訪れます。確かに、生きることはつらいことばかりです。きのう書いた、「四苦八苦」の明らかな体現です。
 せっかく書いた文章ですから、きのうに続いて投稿ボタンは押します。わが身勝手を、つくづくかたじけなく、思っています。

生まれたことの「苦しみ」 

 これまで何度も書いてきたけれど、あらためて言葉だけのおさらいを試みる。お釈迦様が唱える四苦八苦とはこうである。四苦とは「生、老、病、死」であり、これらにさらに四苦、すなわち「愛別離苦(あいべつりく)」、「怨憎会苦(おんぞうえく)」、「求不得苦(ぐふとくく)」、「五陰盛苦(ごおんじょうく)」を加えて、四苦八苦となる。初めの四苦は文字どおりに、生まれること、老いること、病になること、死ぬことである。次の四字熟語も三つは文字どおりに、愛する人と別れること、普段憎たらしく思っている人と出会うこと、求めるものが得られないこと、の苦しみである。しかし、最後の五陰盛苦だけは、何度電子辞書にすがっても、今なおチンプンカンプンである。そのため理解不能のままに、電子辞書の説明をそのまま記すにとどめるものである。説明には「心身を形成する五つの要素から生じる苦しみ」と、書かれている。漢字の字面(じづら)では理解しがたい、わが能力の限界である。
 長々と四苦八苦の現象を記したけれど、私の場合これらの中で一番の苦しみは、この世に生まれ出たことだと思うと、なんだか切なくて泣けてくる。確かに、御霊をこの世からあの世へ導くことを仕事にするお釈迦様らしい言い草である。それでも、この世にはそう感じざる得ないことが多々ある。太平洋戦争にかぎらずあらゆる戦時下における人々は、確かに生き続けること自体、塗炭(とたん)の苦しみだったであろう。今さらながらそう思うのは、戦時下でもない現代の世にあっても人々は、日々生き続けることの苦しみに喘いでいるからである。
 わずかに、ひと月前にすぎない「令和二年七月豪雨」の被災など、とうに忘れたかのように過ぎ行く八月には、日々災難が伝えられてくる。熱中症、新型コロナウイルス感染、加えて楽しいさ中の水難事故、ほかにもさまざまな事故が尽きない。異常気象のもたらす落雷や突風、竜巻、豪雨もあり、もちろんいつなんどき見舞われるかわからない地震には、常時怯(おび)えるばかりである。さらに日本列島には、台風が号数をなして次々に襲ってくる。これらの苦難に遭遇するだけでも、イの一番に生まれることの苦しみを十分に理解するところである。そのほかに七つの苦しみがあれば、まさにこの世は生き地獄さながらである。
 こんなことを浮かべているわが身は、もはや生きる屍(しかばね)である。結局、尊い命を享(う)けている人間の文章に値しない。それゆえ、投稿ボタンを押すかどうかに戸惑っている。ところが、近づく秋にはおのずからもっと寂しい心情につきまとわれる。生まれたことが罪作りとは、お釈迦様の身勝手な説法だ! と、いくらか恨みつらみつのる心境にある。それでもやはり、生まれたことは苦しみの根源と言えそうである。
 八月二十三日(日曜日)、せっかく書いたのだから、恥を忍んで投稿ボタンを押すことに決めた。

様にならないわが日暮らし 

 八月二十二日(土曜日)、書くことはたくさんあるけれど、まったく書く気になれない。このところずっと、引きずっているわが気分である。社会的なことで現在のわが関心事のすべては、言わずもがなのことだけれど、あえて記して継続文の足しにする。もちろんそれは、新型コロナウイルスにかかわる進行形と過去形にまつわるものである。進行形ではいつ終息するのか、ワクチンはいつ、どういうかたちで登場するのか、ということである。
 新型コロナウイルスの感染恐怖は、ワクチン開発があるまでは、終息しそうにない思いにとりつかれているからである。過去形とは、新型コロナウイルス禍の過ぎ去ったのちの日本社会の変わりようへの関心事である。これには、予測されるさまざまな変化が浮かんでいる。それらの中であえて絞れば、このところの通勤や通学状況の変化を引き継いで、大まかには人の出会いの変容ぶりである。新型コロナウイルスの終息後にあっても、テレワークやオンライン授業がいくらかでも定着すれば先ずは、公共交通機関は様変わるであろう。さらに、テレワークであれば従来型の事務所(建物)は、おのずから用向きを変えるであろう。一方、オンライン授業を使い慣れれば、これまた学校や校舎の用向きは大きく変わるであろう。すなわち、現在進行形のもの、その後に訪れる過去形のもの、新型コロナウイルスにかかわる関心事は、どちらも避けて通れないところがある。余儀ない変化が良いこと尽くめであれば、もちろん万々歳である。
 それでも、懸念するところはたくさん想定できる。それらの中の一つはやはり、出会う機会の減少による人間同士の心のふれ合い、すなわち人情の変化である。これこそ、わが老婆心の大なるところである。現在抑制されている三密(密接、密着、密集)こそ、人間の楽しい生き様であり、それが殺がれたままにでもなればと、気が揉めるところである。幸か不幸か、私には過去形を認知する余生はない。あえて書けば、まったく実のない駄文である。夏は終わりに近づいて、秋の足音が高鳴っている。ところが、一向に様にならない、わが日暮らしである。

わが無念 

 八月二十一日(金曜日)、早く目覚めて夜中の二時半近くに起き出してきた。そして現在は、三時半近くである。一時間ほどパソコンと向き合い、メディアの配信ニュースを拾い読みしていた。この頃は、朗報と言えるものはなにもない。きょうの配信ニュースで強いて一つだけあげればそれは、藤井聡太棋士(十八歳)の棋聖に続く王位奪取の二冠達成だけである。しかし、敗者の無念をおもんぱかれば、必ずしも手放しに朗報と言えるものではない。
 政治家の世界は新型コロナウイルス禍の下にあって、世の中がどう様変わろうとも、十年一日のごとくに汚職記事の満載である。具体的には、IR汚職として「秋元議員逮捕」の見出し記事があった。もちろんこんな記事は、詳細を読むには馬鹿々々しくて素通りである。日次行事さながらに、新型コロナウイルスの感染者数に目を通した。すると、前日に比べて大きくぶり返している。なかんずく、きのう感染者数を免れた県は、四十七の都道府県にあって四県にすぎない。一日の中でこんなに感染者数が広がっているのは、おそらくありがたくない記録更新ではないだろうか。留まるところをまったく見せない、感染者数の広がりである。
 あれやこれやで、わが気分は塞ぐばかりである。そのせいもあって私は、一時間の中では多くをまるで夢遊病者のごとくぼんやりと、いたずらに時を流した。文章を書く気力を失くしていたせいである。このため、自分自身に無理強いをして、蛇足に何かを浮かべればこんなところである。身近なところで、この夏の暑さ(高気温)の証しを浮かべてみた。すると、三つほど浮んだ。一つは、早々と枯れ落ちている落ち葉の軽さである。一つは、空き家を解いた空き地の植栽に立ち残る、サルスベリのひと際あざやかに照り輝く紅色の冴えである。そして一つは、雨無しが続くため庭中の雑草の萎(な)えようである。これらの中ではどれをとっても、この夏の暑さ(高気温)の証しになる。
 このところの私は、熱中症と新型コロナウイルス感染恐怖のため、外出行動の自粛を心掛けている。おのずから、買い物行動さえ控えめである。そのせいで多くは茶の間暮らしである。そのせいで暑さの体感は乏しく、テレビ画面に流れるテロップで懸念するくらいである。テロップには過日すなわち、「令和二年七月豪雨」に晒されたわがふるさと県・熊本の人吉市がたびたび登場する。すると私は、暑いさ中の復旧作業の困難さに思いを馳せている。しかし、なんら役立たずの望郷にすぎない。
 こんな文章でお茶を濁すしか能無い私は、もはや生きる屍(しかばね)である。暑い夏は、まもなく期限切れである。一方、わが気力喪失は際限がない。網戸から忍び込む、秋風が身に染みている。

もう、うんざりだ! 

 新型コロナウイルス禍の社会は、いつまで続くのだろうか。世界事情は知るよしないけれど、新型コロナウイルスの発症以来、日本社会はさまざまな変化を強いられている。ところがこの打ち止めは、ワクチンの開発まで待たねばならない。しかし、ワクチン開発成功の朗報はいまだに世界中から届かない。いや、成功の兆しもいまだ闇の中である。新型コロナウイルスの感染恐怖は、つくづく、もううんざりだ!。日本社会にあっては毎日、感染者数や死亡者数、はたまた入院者数と退院者数の表示に目を凝らさなければならない。自分自身の感染も気になるところだけれど、打ち止めがないかぎり医療機関の逼迫と混乱が予測されているからである。このほか、もとよりさまざまなところで、日常生活の変化と混乱が続くことを懸念せざるを得ないからである。もはやこの変化と混乱は、列挙するに暇(いとま)なくある。この状態がこの先、二、三年も続けば、日本社会のみならず世界中のあらゆる事情は、はかり知れなく様変わるであろう。
 新型コロナウイルスの感染は、主に人間の行動や活動を通じてもたらされるという。そのため現在は、強制や束縛をともなわない自粛要請で、人の行動や活動の封じ込めに躍起である。万物の霊長と崇められる人間の主たる特徴は、行動力をともなう活動である。ところが、それを封じ込められれば、もはや人間は生きる屍(しかばね)状態になる。
 確かに、現下の日本社会は、じわりじわりその状態になりつつある。どこどこで、クラスター発生となれば当事者は籠の鳥となり、一切身動きができなくなる。つれて、その周辺の人たちの行動は、恐々として一遍に委縮する。始末に負えないのは、こんな状態がいつなんどき、どこにでもだれにも、起きそうな恐怖である。そうなると人間は、いやおうなく出歩くという、行動を止めたくなる。人の行動が止れば、人の集合体の社会は、にっちもさっちもいかなくなる。現下の日本社会は、新型コロナウイルスの感染恐怖の最中にあり、日に日にこの様相を露わにしている。
 なぜ? 分かりきっていることをあえて書きたくなったかと言えば、やはり新型コロナウイルスにつきまとう「うんざり感」である。一向に展望の見えない新型コロナウイルスの仕打ちにたいする、泣きべその恨みつらみと言えそうである。いくら恨んでもまったく手ごたえのない、「暖簾(のれん)に腕押し」さながらの嘆息を強いられている。若い人の本分は行動力、さらには文字どおり活き活きとした活動力である。なのに、若い人へ「出歩くな!」と言うのは酷(こく)である。世の中に閑古鳥が鳴けば、人間社会はおしまいである。
 きのう(八月十九日・水曜日)の感染者数では、東京都は186人で、大阪府は187人で一つ逆転した。こんな箸にも棒にも掛からないカウント比べがいつまで続くのかと、気を揉むところである。
 きょう(八月二十日・木曜日)の文章は、わが下種(げす)の勘繰りを弄(ろう)して、様変わり続ける日本社会の、いまだ途中経過の一端である。

未練たらたら「かき氷」 

 八月十九日(水曜日)、すべての網戸を閉めて寝ていたにもかかわらず、起き出してみればひんやり感をおぼえている。間違いなく夏の終わりのシグナルである。行く夏を惜しんで、きのう(八月十八日・火曜日)の私は、明らかな目当てをたずさえて、往復共に定期路線バスに乗り大船(鎌倉市)の街へ出かけた。いつもであれば大船行きは買い物目当てである。ところが、きのうの場合買い物は、出かけた帰りのついでであった。三度目を書けばわが夏礼賛の一つは、夏限定のかき氷を食べることである。バカじゃなかろか、はためく「氷」旗を見れば、まるで聞き分けのない駄々っ子ぶりである。
 勝手知った大船の街には、氷旗を掲げる店が二つあった。もはや、過去形である。そしてこの表現は、もはやその店がないことを暗にほのめかしている。一軒目は、場末の喫茶店のメニューの中にあった。私は終点の大船駅前で降りると、醜い老顔を真新しいマスクで隠し、足早にその喫茶店へ急いだ。背中にはいつものように、大きな国防色のリュックを背負っていた。
 喫茶店はビジネスホテルの一階に入っていた。玄関口に近づいても中に明かりは見えず、人の出入りもない。それでも私は、進んだ。自動ドアが開いた。そこには、簡単なスタンドに貼られた告知があった。読めば、ホテルは宿泊専用となり、喫茶店は閉鎖されていた。渋々、勝手知った二軒目へ踵(きびす)を返した。
 次の目当ての店は、夏であれば主にかき氷を看板(目玉)とするちっぽけな店屋である。「西友ストア大船店」の最上階・六階の一隅に昔から構えている馴染みの店屋である。ところが、現在の六階フロアのほぼ全域は、熊沢書店が占めている。余儀なくフロアを明け渡した店屋は、隅っこに狭く押し込められている。栄枯盛衰、負け商戦の証しを見る寂しさである。
 一方、覇者の熊沢商店には囲いがめぐらされている。目当ての店屋「糸ぐるま」には、誘導標示さえ見付けにくくなっている。勝手知っていたはずなのに私は、様変わりに出遭って目をきょろきょろしながらようやくたどり着いた。ところがここでは、大きく「閉店」と記されたスタンドが立っていた。目当ての二つの店が閉店であれば、もはや昔ながらかき氷を売る店はない。万事休す、私は夏の嗜好の一つ、かき氷を諦めざるを得なかった。
 確かに、大船駅前のファーストフードの店には、かき氷の写真が掲げてある。かつて私は、この写真に釣られて一度だけ試食した。しかし、童心返りのかき氷にはほど遠く、それ以来この店は用無しと決め込んでいる。当初の当てが外れた私は、買い物回りをする気力を喪失し、すべてを地下一階の食品売り場で済ました。帰りのバスを降りるや、トボトボと家路に就いた。ワシワシセミが「ワシ、ワシ」と鳴いていて、カラスが「バカよ、あんたは!」とばかりに、電線から眺めていた。行く夏を惜しむ一巻の終わりの文章である。こんな文章で良ければ、書き殴りで三十分もかからない。
 網戸を開けると、秋の風が忍び込んだ。それでも、今なお未練たらたら「かき氷」である。「逃げた魚は大きい」という、フレーズ(成句)が浮かんでいる。

 この夏、国内最高気温「41・1度」

 これまでの文章の中で、「夏、礼賛」という言葉を二度ほど使ったけれど、もちろん桁外れに気温の高い夏を好んでいるわけではない。人様から罵(ののし)られるのを恐れて、弁明するわけではないけれど、夏の季節が好きという意味である。このことでは、ほどほどの気温であってほしいところである。しかし、実際にはこのところの日本列島は、ほどほどをはるかに超えて高気温が続いている。それも、日本列島の地方や地域の限定でなく、高気温はおおむね全域へとわたっている。
 令和二年の日本列島は、まさしく暑い夏(高気温)の真っただ中にある。なかんずくきのう(八月十七日・月曜日)は、気象庁からその証しがデータで示された。データは、静岡県浜松市の気温が国内最高気温へ到達したことである。その数値は、これまでの埼玉県熊谷市と並ぶ「41・1度」である。重複するけれど正確を期すために、朝日新聞のきょう(二〇二〇年・令和二年八月十八日・火曜日)の一面記事から、一部を抜粋すればこう書かれている。「各地で猛暑日となった17日、浜松市で午後0時10分に41・1度を記録し、2018年7月に埼玉県熊谷市で観測された国内最高気温に並んだ。浜松市では16日にも40・9度を記録し、2日連続の40度台になった。」
 この記事のみならずきのうの日本列島は、どこかしこ高気温にまみれになった。もちろん、きのうにかぎることなく梅雨明け後のこの夏は、ほぼ連日真夏日(気温三十度以上)と猛暑日(気温三十五度以上)のオンパレードに見舞われている。確かに、日本列島の夏は、年年歳歳暑さ(高気温)をいや増している。
 この傾向からかんがみれば、熊谷市と浜松市をたずさえた国内最高気温の記録は、この先、程なく塗り替えられるであろう。恨めしいかぎりだけれど、人知では抵抗できず、我慢するよりしかたがない。しかし、幸いなるかな! 夏の暑さ(高気温)は、長くて約一か月の期間限定である。すでに終盤戦へ入ったこの夏の場合、この先きのうの浜松市の記録を抜くことはないだろう。すると、記録更新は来年へ持ち越しとなる。これはわが下種の勘繰りであり、きょう以降に気象の気狂いがあるかどうかはお天道様まかせである。
 高気温尽くめの暑い夏で困ることの筆頭は、やはり熱中症発症の恐怖である。しかしこれまた夏限定であり、そのうえすでにさまざまに予防措置も講じられている。ところが、おそらくこの夏にかぎれば、いまだに人知の抵抗の及ばない新型コロナウイルス感染恐怖が付き纏っている。これこそ、令和二年夏の異常である。そしてこちらは、期間限定なくこの先なお続いて、現在はその終息時期がまったく見えない闇の中にある。こちらは「我慢、我慢!」といっても、到底しきれるものではない。
 高気温の夏が過ぎれば、よりいっそう恐ろしい台風シーズンが訪れる。地震はシーズンや予知なく、もちろん地域限定なく、間断なく人間の住む地上を揺るがしている。人間にかぎらず、生きとし生きるものの命、生き続けるのはきわめて厄介である。これまた我慢しづければ、いつかは逃れることのできる期間限定ではない。
 結局、夏の暑さ(高気温)だけが期間限定である。だとしたら汗水垂らして、昔ながらの団扇(うちわ)や扇子(せんす)で煽(あお)いで、じっと、我慢するよりほかはない。もちろん、やせ我慢である。

 夏の朝、快感

 八月十七日(月曜日)、(休んでもいい)と私は、目覚めても意識して長く寝転んでいた。そして、夏の朝の良い心地を貪り続けていた。十分に満喫して、起き出してきた。出遅れと言うより、もはや予定どおりに休むべき時間が訪れている。
 朝日が煌々と照り輝いている。もとより朝の掃除も諦めて、敷布団一枚の上に薄い夏用の掛け布団さえ用無しに寝そべっていた。夏の朝は意識して休むに見合うほどに、心地良さを恵んでくれる。わが夏礼賛の大きな一つをなしている。
 きのう書いたように暑い夏も、いよいよきょうから確かな終盤戦に入る。そのためか今朝は、やけに夏の朝の目覚めを愉しもうと思っていた。だからこれで打ち止めにして、目覚めの余韻に浸ることとする。幼稚園児のままごと日記にも劣るけれど、恥をかいて泣きべそをかく年齢でもない。開き直りだけは「年の功」である。
 「笑えば笑え!」である。暑い夏に、確かに涼しい秋が忍び寄っている。だから「それ良し」とも言えない、行く夏を惜しむ気分である。

 夏は盛り、いよいよ終盤戦

 きょう(八月十六日・日曜日)は、日めくりカレンダー上では感慨深い日である。いよいよ夏はいっときの盛りとなり、一方で日に日に秋が近づいてくる。遅すぎた梅雨明けから二週間余が経ったばかりなのに、朝夕の大気と皮膚感覚はすでに行く夏を惜しむほどの秋の気配まみれにある。確かにこの間は、暑い夏丸出しにテレビ画面の上部には、ほぼ連日高気温地方や地域の行政名がひっきりなしに流れていた。このテロップを眺めるだけでは伝えきれないのか、アナウンサーは盛んにそれらの行政名に、真夏日(気温三十度以上)とか、猛暑日(気温三十五度以上)とかいう、夏の気象用語を重ねていた。例年だがこのとき、私は気温が四十度以上になれば「酷暑日」と、定めたらいいのにと思う。
 気象庁は今年になって新たに、「熱中症危険度」のシグナルを加えているようだけれど、もはや夏の熱中症は気温の上下にかかわらず、日本国民が悟りきった夏限定の季節用語である。そのため熱中症予防には、冬のインフルエンザとまったく同様の心構えが必要である。ところが熱中症予防は、ワクチンがないぶん余計厄介とも言えそうである。
 今年にかぎれば真夏の風物詩、全国高校野球選手権大会(夏の大会、阪神甲子園球場)は、新型コロナウイルス感染防止のためやむなく中止となっている。それに代わるものとして今年にかぎり現在は、春の選抜大会出場決定済高校同士の一試合だけの交流戦が行われている。言うなれば出場決定後、新型コロナウイルスのせいで試合が出来なくなっていた高校球児の悲願救済措置の戦いである。これも現在は後半戦の戦いにあり、これが終われば夏気分は一気にしぼんでくる。
 「広島原爆の日」(八月六日)、「長崎原爆の日」(八月九日)に続いて、きのうは「終戦の日」(八月十五日)の戦没者追悼式がしめやかに行われた。こうして太平洋戦争の戦禍を悼む、重たい月・八月の三つの式典を終えた。これまた、夏の終わりを伝えるシグナルの一つである。そしてきょうは、日曜日と重なる「八月盆」の最終日、すなわち送り日(送り火)である。八月盆に合わせたおとな社会の夏休みは、きょうあたりが最終日となり、おのずから夏の日本民族大移動はほぼ打ち止めとなる。かてて加えて子ども社会の夏休みは、新型コロナウイルスのせいで余儀なく、かなりの期間短縮を強いられて、日本社会の全体が夏気分を殺がれている。いろんなことを書き連ねてきたけれど、きょうは明らかに夏の終わりへの転換点と言えそうである。喜ぶべきか、悲しむべきか。それは案外、鳴き声を替えて鳴き急ぐ、セミの声で感ずるほかないのかもしれない。ヒグラシはすでにか細く鳴き疲れて、そして後追いのワシワシがけたたましく鳴き飽ければ、集(すだ)く虫の音に置き換わり秋が訪れる。
 私はたとえ酷暑日に耐えてでも、今しばらくの夏の長居を望んでいる。もとより余生少ないわが身にあっては、秋の季節の寂しさが余計身に染みるからである。滴(したた)り落ちる汗には、夏特有の情感が漂っている。やせ我慢かもしれないけれど、私は暑さ滾(たぎ)る夏の情感がちょっぴり好きである。大好きと言えば大馬鹿者と罵(ののし)られそうで、本音隠しの控えめな表現である。

七十五回目の「終戦の日」 

 太平洋戦争の「終戦(敗戦)の日」が訪れている。戦後、七十五回目だという。こう書くだけで、さまざまな思いがつのり、それはつらくよみがえる。それらのなかで筆頭は、日本の国はなぜ戦争をしたのだろう? という疑問である。確かに、それを知るには、史実を学べばいくらかわかるだろう。それでも、素朴な質問にもうなずける正答を得られない。正答が無いことこそ、戦争の本質であろう。
 戦争終結の玉音放送が、正午のラジオニュースで流れたときのわが年齢は、生誕地において五歳と一か月だった。生誕地は熊本県北部地域に位置し、福岡、大分の両県と三つ巴に県境を分け合う山稜に囲まれていた。村人たちは、農山村特有の自給自足にすがり生業(なりわい)を営んでいた。
 わが家にかぎれば三段百姓の農家のほかに、ちんけな水車を回して精米業を営み、ほそぼそと生業を立てていた。水車は母屋の裏を流れている「内田川」から水路を作り、分水を頼りにおぼつかなく回っていた。こんないつ途切れるかわからないような暮らし向きの中でわが家は、まるで人材を戦争資材に求めるような戦時下特有の大勢の家族をなしていた。確かに、戦時下にあっては、「産めや増やせ」の世相があったという。すると正義派の父は、「律義者の子沢山」だったのであろうか。
 父のもとには、病没の異母と後継のわが母がなした大勢の子どもたちがいた。異母は六人、母は八人の子ども産んで、私に大勢のきょうだいを恵んでくれた。私は十四人きょうだいの十三番目で、しんがりに四つ違いで弟が誕生した。弟は生後十一か月の幼児のおり、わが子守どきの不手際で水路へ落ちて、水路を流れて水車に嵌まり命を絶った。わが生涯において消えない、しくじりの痛恨事である。
 書くまでもないことを書いたのは、当時の村の暮らし向きの一端を浮かべているからである。わずかに三軒ほどの集落にあって、私の知るかぎり隣には九人、向いの家には六人の子どもがいた。こんななかにあってわが家だけは、戦禍をこうむっている。異母次男は海軍勤務中に罹病して戻り、志半ばでわが家で亡くなった。異母三男は戦地へ赴いて、戦場フィリピン・レイテ島沖でいまだに独り身の若い命を絶っている。
 終戦の日、未就学児の私に夏休みの必要はなく連日、付近の小川で水遊びと小魚取りに明け暮れていた。玉音放送は、小川から呼び戻されて聞いた。海軍帰りの兄の号令の下、縁先に私と立ち並んでいたのは夏休み中の兄たちだった。兄たちは、本流内田川の水浴びから呼び戻されていたのである。立ち並んで黒光りする背中は水に濡れたままで、だれもが海軍帰りの兄の怒声が恐ろしく、深く首(こうべ)を垂れていた。戦雲消えた大空は、暑い陽射しを降りそそいでいた。戦時打ち止めの陽射しは、今よりもっと暑く感じていた。
 日本の国は、なぜ戦争をしたのだろうか?……。いまだに分からないままの素朴な疑問である。八月十五日はこの先年号を替えても、日本史に残り続ける太平洋戦争「終戦(敗戦)の日」である。

二〇二〇年八月十四日(金)の掲示板より  

感慨無量!
 投稿者:大沢 投稿日:2020年 8月14日(金)08時29分47秒
 今朝の掲示板のカウントが十万回を超した。最近になってこの数値が気になり始めていた。ただひたすらに歩んできた道のりである。もちろんこれはひとえに「ひぐらしの記」を書き続けてこられた前田さんの血と汗のにじむカウントでもある。前田さんには幾万回、頭を下げても足りない思いである。前田さんはたくさんの方々にこの掲示板を広めてくださった。お陰で、私もこの掲示板でたくさんの人と知り合った。 また新たな一歩という思いが胸に溢れている。

祝杯!
 投稿者:前田 投稿日:2020年 8月14日(金)09時21分27秒
 感無量の境地です。皆様と共にうれしい祝杯です。わが拙い六十(歳)の手習いを支えてくださり、感謝感激と同時に、各位様に心より御礼申し上げます。
 猛暑とコロナの時節柄、健やかにご消夏くださいませ。

 パソコントラブル

 八月十四日(金曜日)、いつものように書いていた文章が、結文にいたるところでぷっつりとトンずらした。慌てふためいて、わが知るかぎりのパソコン上の修復作業を試みた。きわめて、長い時間の混乱状態だった。結局はにっちもさっちもいかず諦めた。水中から釣り上げて、バタバタと抵抗する姿を眺めながら、手元で逃げられた心境に陥った。まさしく大魚と思えた、夜釣りの逃げた魚だった。このため、再び釣り糸を垂れる心境にはなれず茫然自失、このとききょうの文章は放棄した。こののちは、再び寝床の中へ潜り込んだ。虚しさつのる二度寝であった。
 気分の悪いままの二度寝だったけれど、ぐっすりと寝込んでいた。ぐっすりと寝込んでいたのは、夜中の一時過ぎの起き出しと、同時に文章を書き出したせいである。ところが、ほぼ書き終えた文章は、忽然と消えたのである。パソコントラブル事情は、私にはまったく分からない。二度寝から目覚めると、清々しくさわやかに夏の朝が訪れていた。壁の時計の針は六時近くを指して、秒針が時を刻んでめぐっていた。
 道路の掃除始めは、いつもほぼ五時過ぎからである。道路へ向かえば、出足遅れである。出向いたところで、ご常連の人へ出会う楽しみはもはやない。それでも、道路の掃除へ向かった。夏の朝特有の風の肌感触は、柔らかく涼しくすでに秋風の気配を漂わせていた。一心不乱に掃いた。どうしたことか、いつものウグイスのエールの鳴き声はなかった。ウグイスも時には寝坊するのだろうか。それとも、出番をセミに譲りつつあるのだろうか。当てにしていたウグイスの鳴き声は、大きく外れた。案の定、散歩めぐりのご常連の人のだれにも会えなかった。こちらは想定内のことであり、もとより諦めがついた。言うなれば、自業自得のしっぺ返しである。
 道路の掃除を終えると茶の間へ戻り、わがいつもの日常が始まった。先ずは、緑内障用の目薬をさした。次には、難聴補強のため両耳に、集音機をセットした。次には朝食を五分間程度で済ました。それが済むと、二階のパソコン部屋へ上がり、パソコンを起ち上げた。そして、休みと決め込んでいた文章を書き殴り始めた。書くまでもない、十分間ほどの殴り書きである。
 日本列島は八月盆の最中にあって、あすは七十五年めぐりの「終戦(敗戦)の日」(昭和二十年八月十五日)である。せっかくの文章が消えたのは、確かに残念無念である。しかし過去の忌まわしい戦争を想起すれば、贅沢な失態だったと、気分を直している。その証しには、この文章にありついたのである。

切ない「八月盆」 

 日本列島の夏の華、八月盆が訪れている。盆は四日間である。きょう(八月十三日・木曜日)は、その初日となる御霊(みたま)の迎え日である。本当のところは、迎え火と書くべきなのかもしれない。
 子どもの頃、母に連れられて行った墓参りでは、古新聞にマッチ棒で火を灯し線香へ移し、腰を下ろして母と並んで両手を合わせた。周りから、藪蚊がやたらと飛んで来た。
 連れて帰った御霊を仏壇へ導くと、盆は送り日(十六日)までしめやかに営まれた。仏壇の前には何本かの盆提灯が、ほのかな明かりを灯して天井から垂れていた。もちろん盆は、心が逸(はや)る歳時(催事)ではない。しかしながら今では、郷愁まみれによみがえる懐かしい催事である。
 わがふるさとは、七月盆の習わしである。もし仮に八月盆であったなら、盆の感興は大きく異なっていたであろう。農家だったわが家は、八月であれば暑気真っ盛りのためいやおうなく、骨休みができたであろう。確かに、当時の父と母は、そう言っていた。日本列島にあって今や七月盆は、八月盆に隠れがちである。
 確かに八月盆は、真夏の催事として定番をなしている。実際にも八月盆は、悲喜交々に日本列島の真夏の催事の中心をなしている。その一つには学び舎の夏休みに加えて、企業や役所の夏休みの多くは、八月盆に合わせて実施されている。そのため例年、おのずから八月盆前後は、日本民族大移動季節をなしている。ところが今年、すなわち令和二年の八月盆にかぎれば、新型コロナウイルス感染恐怖の最中にあって、まったく様相を異にしている。八月盆が過ぎれば夏は、日に日に秋へ近づいてゆく。行く夏、私には寂しさつのるところがある。
 今や夏の風物詩でもあるかのようにテレビ画面の上部には連日、日本列島における高気温地域名がテロップで流れている。確かに、現れる地域と人々には(暑い熱いだろうな……)と、やるせない気分がいや増してくる。しかし、テロップが打ち止めとなると、それは夏の終わりを告げるゴング(銅鑼、鐘)でもある。
 梅雨明けが長引いたせいでこの夏は、飛びっきり短くなっている。おのずから、「暑い、暑い」とインタービューに応える人の姿は、短い期間限定である。轟々(ごうごう)と非難をこうむりそうだけど私は、短い夏にはやはり寂しさつのるものがある。網戸から吹き入る風は、もはや肌寒さを感じる秋の風である。ヒグラシは、とうに鳴き声を嗄(か)らしている。集(すだ)く虫の声が騒ぎ始めている。わが余生は、速回りで詰まってゆく。夏の盛りの表れであるテロップの途絶えが気になる、八月盆の迎え日、迎え火である。

夏、礼賛 

 春夏秋冬にあって、夏は暑く冬が寒いのはあたりまえである。これらを根っから凌ぐには、この季節が去るまで我慢するよりほかはない。じっと我慢すれば必ず、夏のあとには秋が訪れ、冬のあとには春が控えている。秋は、夏の暑さを和らげる涼風や冷風を恵んでくれる。一方春は、冬の寒さを遠のける暖かさと百花斉放をもたらしてくれる。夏が暑ければ暑いほど秋の恵みは際立ち、冬が寒ければ寒いほど春の恵みははかり知れないものがある。
 こんなあたりまえのことを書きたくなっているのは、人が夏の暑さに不平不満を漏らすことに忍びないところがあるからである。夏の暑さと冬の寒さは、どちらも短い期間限定である。そのため、我慢という言葉がこれほどしっくりくるものはない。とりわけ今年は梅雨明けが例年よりかなり遅れたため、おのずから夏の季節が短く感じられる。
 わが現住する関東地方の場合、気象庁は八月一日に梅雨明け宣言をした。ところが、もうとっくに過ぎたとはいえ、一週間後にはカレンダー上には、「立秋」(八月七日)と記されている。きょうは、八月十二日(水曜日)である。すると、このところの暑さは、もはや初秋の残暑と言えるものでもあり、へそ曲がりなのだろうか私は、行く夏を惜しむ気分にもなっている。
 確かに、蒸し暑さやジリジリと肌を灼(や)かれるような高気温には、辟易するところがある。しかし夏は、暑いゆえの楽しさ、心地良さもいっぱい恵んでくれる。それらをいちいち挙げても仕方ないけれど、私の場合卑近なところでは、身なりの軽装と夏風の心地良さがある。不幸にも、夏の暑さにビールはまったく無縁である。それでも、私にはそれを凌ぐ楽しみがある。すなわち、西瓜、かき氷、さまざまな氷菓子(アイスクリーム、アイスキャンデーなど)、きわめつきは旬の夏野菜三品(キュウリ、ナス、トマト)三昧である。
 素麺(ソーメン)は、子どもの頃の夏休みの「茶がり」(午後三時頃のおやつ)どきに連日に食べて、郷愁はつのるものの今や飽きて、そう食べたくはない。ところが、花カツオをふりかけた冷ややっこは、わが好む夏の食べ物の一つである。水の事故や海難と山の遭難などを免れれば人には、夏ゆえの楽しみがある。例えば、夏休み、夏祭り、盆踊り、小旅行などがある。
 確かに、夏には熱中症罹患の恐怖がある。さらにこの夏にかぎれば、新型コロナウイルス感染恐怖がある。だけど私は、やはり「夏、礼賛」である。連日の真夏日(気温三十度以上)そして猛暑日(気温三十五度以上)は、じっと我慢のしどころである。

 真夏のつれづれ

 きょう(八月十一日・火曜日)は、きのうの「山の日」(八月十日・月曜日、休祭日」まで続いた、三連休の明け日である。あさって(十三日)には、「八月盆」の迎え日が訪れる。そのため今週は、明けた三連休に続いて企業(実業)社会は、おおむねお盆休みを兼ねた夏休み期間となろう。例年であれば国内外へ、日本民族大移動の週となる。しかしながら今年にかぎれば、新型コロナウイルスの感染恐怖の最中にあって国民は、旅はもちろん里帰りなどの行動や移動の自粛を強いられている。感染防止対策に万全を期して出かける人もいるけれど、やはり心躍る気分にはなれそうもない。
 新型コロナウイルスのせいで、確かに本来の旅気分は大きく殺がれているようである。それもそのはず、マスク着用、三密の禁止、ソーシャルデイスタンスの勧奨、いたるところでの消毒液での手洗い、体温測定、大声による会話の自制、出会いの楽しみの握手やハグの抑制、など強いられている。そのうえ、旅や出会いの最大の楽しみである家族、親戚、友人、知人との会食さえ控えるよう懇願されている。一人旅であっても、気楽な物見遊山、郷土料理の飲食気分にも神経を遣いそうである。土産物選びにも、ことさら神経を遣いそうである。
 日本国民総自粛の最中にあっては、国民感情は委縮するばかりである。もちろん、買い物行動さえ気になるわが日常は、ドンガメにさえも及ばず、まるでカタツムリ状態にある。そのせいで私は、夏痩せ願望にもかかわらず、例年よりいっそう体重増加の悩みに取りつかれている。私にかぎらず「コロナ太り」の現象らしいけれど、私にはほとほとつらい仕打ちである。一旦、体重増加に見舞われれば、意識してダイエットを試みても、この間の努力はまったく現れない。そのため、飽きてちょっとダイエットを緩めると、反動をすぐに倍返しでこうむることとなる。ダイエットにあっては、努力の成果は遠く微々たるものだが、ズル休みの反動はすばやく大きく現れる。私は一念発起しダイエットを決意するたびに、これまでこんな無念を繰り返してきた。
 ところがこの夏は、この思いをいっそう強めている。ダイエットにまったく成功しないのは、わが年齢をかえりみず食い意地が張っているせいであろうかと、自問する。もちろん私は、美食家ではなく御飯と一品御数を厭(いと)わない粗食家である。生まれてこの方、私には酒とタバコこの嗜好はない。タバコは、たったの一本さえ未体験である。広くアルコール類の必要性は、消毒液くらいで嗜(たしな)むための飲用物すべてが、私にはなくてもまったく構わない。もちろん、ノンアルコールビール、はたまたノンアルコール飲料のすべてが要らない。妻から手渡される買い物メモにときには、料理用日本酒が記されている。すると私は、「日本酒など、入れなくていいよ!」と言う。言わずもがなの憎まれ口なのであろうかすかさず妻は、「パパってバカねえー、料理に日本酒は必ず使うのよ。忘れず買ってくるのよ!」と、言い返す。そのため料理用日本酒は、わが渋々買う羽目になるアルコール類である。
 食べ物の好き嫌いは年齢を重ねて、変化するようである。野菜にかぎれば子どもの頃の私は、人参、ジャガイモ、ピーマン、ニガウリ(ゴーヤ)は、嫌いだった。ところがこれらは、今や好きなものに準じてまったく抵抗ない。このため現在は、野菜で嫌いなものは一つもない。まったく食べられないわけではないけれど、食べたいと思うはない物のすべては、食べつけていない物にかぎられる。身近なものでは、パセリ、カリフラワー、セロリ、モロヘイヤである。しかしながらこれらとて、まったく毛嫌いすることもない。結局、果物を含めて野菜のすべてに嫌う物はない。人によっては抵抗のある納豆は、わが大好物の一つである。オクラも納豆に似て、抵抗はない。もちろん、山菜は山芋を筆頭にみな大好きである。畦のノビル、スカンポ、川岸のセリ、ヨモギも好きである。海産物は、魚類、貝類、海藻類、工場食品にいたるまで、わが口が抵抗するのは「くさや」だけである。甘味の菓子類にわが口が抵抗すれば、ダイエットは朝飯前なのかも知れない。ずばり、わがダイエット不成功の原因は、生来の意志薄弱、三日坊主、具体的にはお菓子・食いしん坊の祟(たた)りと言えそうである。
 長々と書いても実のないこの文章は、明らかに書き殴りの祟りである。決まった表題の付けようなく、「真夏のつれづれ」と、記すつもりである。

人災は天災より猛し 

 今さらながら私は、戦争は殺し合いであり、そしてあらゆる武器は殺人機の思いを深くしている。このことをかんがみれば人類の悪徳の筆頭は、戦争をしでかす族(やから)であろう。好戦家という言葉は、だれが言いふらしたのであろうか。わが最も嫌いな言葉である。
 「広島原爆の日」(八月六日)、「長崎原爆の日」(八月九日)、そして今週には太平洋戦争の「終戦(敗戦)の日」(八月十五日)が控えている。日本の国のこれらの悲しい史実は、いずれも七十五年前の昭和二十年(一九四五年)における、痛々しい戦火の証しである。もちろん、この年には日本列島の各地において、これらのほかにも多くの戦禍が刻まれている。いや、一旦戦争が起きれば戦禍は、一年だけで済むものではなく戦時中にわたる。こんなことは太平洋戦争にかぎらず、過去の多くの戦争が教えている。戦争に凱歌はあり得ず、勝者、敗者共に、痛み分けである。それなのに過ちが繰り返されるのは、人類の知能や知恵の貧しさであろう。
 毎年めぐり来る八月は、あらためて人類の悪業(あくごう)と、戦禍の惨(むご)たらしさを思わずにはおれない。新聞をはじめさまざまなメディアは、八月は太平洋戦争の惨禍を伝え、同時に鎮魂の記事や報道に大わらわである。しかしながらこれには、人類の浅ましさをあらためて悟るだけで、実際のところは鎮魂歌にはなりきれない。いやむしろ、人類の愚かさと悲しさが増幅するばかりである。だからと言って、「そんな記事や報道は、もう止にしてくれ!」とは言えない。なぜなら人類共通の罪科は、過去の出来事として風化も忘却もしてはならない、現代人が引き継ぐべき人類の咎(とが)であろう。
 私は新聞記事の多くを読み漁った。それらのなかでは原爆投下の適地選びに、日本の国の上空で(ここがいいか、あそこかがいいか)と、旋回を続けていたという、記事に唖然とした。戦時中とはいえ炎天下の地上には、人類の日常が営まれていたのである。投下の命令を下す人、その命令を受ける人、すなわち戦争は人情を失くし、単に殺戮(さつりく)戦場と化すのであろう。
 七十五年前の私は、戦時体験にあっても五歳にすぎなかった。そのため、本当の戦争の恐ろしさと浅ましさを知り得たのは、後学によるものである。なかんずく、めぐり来る八月に長く身を置けば、教科書の知識などなんら役立たず、臨場感をともなって学ぶことばかりである。ところがその知識は、戦慄と悔恨まみれになるばかりである。
 新型コロナウイルスの感染恐怖の最中にあっても、戦争という人災は天災より猛(たけ)しである。「山の日」(八月十日・月曜日、休祭日)にあっても気分がまったく解けないのは、重たい月・八月のせいであろう。

 時は七十五年めぐり「長崎原爆の日」

 わが家の北側には道路を挟んで、空き家を解いた空地がある。空地全体は残された植栽、その後に生い茂っている草木が混然一体となり、今や手のつけようのない木立をなしている。それらの中に、わが大好きな夏の花・百日紅(サルスベリ)が、文字どおり紅い花を鏤(ちりば)めて健気(けなげ)にさらし、夏の陽光に照り輝いている。わが目の保養をなして、とことん胸の透く美しい風景である。
 一方で、空地を放置されたままのお顔見知りの隣人の行方に気を留めている。美しい風景は同時に、わが家もいずれはこうなるのかと、のた打ち回るほどに気分の滅入る要因ともなっている。
 梅雨明け(八月一日)後の鎌倉地方にはこれまで雨なく、真夏の暑い陽射しが続いている。過日の「広島原爆の日」(八月六日)にもこう思ったけれど、きょうの「長崎原爆の日」(八月九日・日曜日)にもまた同様に、なぜこんなにも暑い日に原爆が落とされたのかと、いくら恨んでも恨み切れないものがある。
 きょうはわが文章に替えて、長崎原爆の日にかかわる朝日新聞の記事からの抜粋を試みている。顧みるには忌まわしい記憶だけれど、生きているかぎり風化や忘却できない日本の国の戦禍である。
 【長崎原爆の日 75年 平和の願いつなぐ】。長崎は9日、米国による原爆投下から75年となる。新型コロナウイルスの影響で、各地で慰霊行事が中止されるなか、長崎市の平和公園で8日夜、小中学生らが手作りした4千個以上のキャンドルに火をともし、犠牲者を悼み、平和を願った。75年前の8月9日午前11時2分、現在の平和公園上空約500メートルで米国の原爆が爆発し、年末までに7万人以上が犠牲になったとされる。投下後に被爆地に入った人や、救護にあたった人なども大勢が被曝した。9日の平和祈念式典では、この1年間に死亡が確認された3406人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉安される。死没者名簿の総数は18万5982人となり、被爆50年の1995年から約8万人、2005年から5万人近く増える。長崎市の田上富久市長は式典で、核保有国の間で核軍縮に向けた約束を反故にする動きが強まっていることを批判し、政府に核兵器禁止条約の批准を迫る。式典は新型コロナの感染拡大防止のため、参加者の規模は例年の10の1程度になる見通しという。(朝日新聞、2020年(令和2年)8月9日(日)、朝刊一面記事より抜粋)。

かたじけなく思う「夏の朝」 

 八月八日(土曜日)、「山の日」(八月十日・月曜日)へ続く、三連休の初日を迎えている。その先には八月盆が控えて、日本民族大移動の季節の真っただ中にある。しかしながら現下の日本社会にあっては、気分の弾むワクワク感はまったくない。いや、国民の多くは、日々恐々とするばかりである。
 例年、この時期にいやおうなく垣間見て、羨んでいた旅立ちの人様の姿もこの夏は、ひっそり閑としたままである。国内旅行や、お盆の里帰り、はたまたお墓参りもままならない中では、海外旅行などへ飛び立つ人がいるはずもない。世界の国々の多くは入国禁止、日本の国は渡航制限を敷いて、空の旅立ちはままならない状態にある。
 新型コロナウイルスにかかわる目下の関心事は、この状態がいつ途切れるか、逆にいつまで続くのか? まさしく気の揉めるところである。その答えは、世界中のだれもが分からないということである。もちろん、わが気分は鬱々としている。気分が鬱々まみれになれば、心象風景で紡ぐ文章は沙汰止みとなる。おのずから十分間の殴り書きで、結文とするものである。気分直しは清々しい夏の朝の冷気にすがり、いのち尽きた枯葉を落として見苦しい道路の掃除へ向かうことである。そして、散歩めぐりの人の息づかいに触れることである。ほとほと、かたじけなく思う「夏の朝」である。

 ありがたい「オンライン授業」

 新型コロナウイルスの発症以来、何かとオンラインが重宝がられている。換言すれば移動や出会いをともなう対面ではなく、パソコンなど広くSNSを利用したリモートコントロール(遠隔操作)による便法である。確かにオンラインは、現代の文明の利器である。
 私の場合は唯一パソコンに限るけれど、それでも多くの利便に浴している。パソコンはわが身に利をもたらしている、文字どおり文明の利器である。私は角田様との面識はなく、もたらされている幸運は、パソコン上のブログ「ひぐらしの記」における掲示板上の出会いにすぎない。それでもこの出会いから私は、おりふしきわめて有意義な知識を授かっている。このことではそのたびに感謝感激であり、私はこの文章で御礼を記すところである。
 角田様の食品学や栄養学にかかわるご造詣、具体的には健康維持のための食べ物選びのご教授は、確かに大きな恩恵を授かっている。明らかに、オンライン授業でのわが学びである。きのう(八月六日・木曜日)、掲示板上でたまわったご投稿文では、わが身がぞっと震えるほどの衝撃と、ありがたい学びを授かった。長く綴ってくださった文章に私は、目を凝らし一字一句を丁寧に読んだ。ところが一遍ではなお飽き足らず、私は何度も読み返した。それはすなわち、わがこれまでの餓鬼食いに呆れて、「冷汗三斗(れいかんさんと)」の思いに取りつかれていたからである。
 ご投稿文の中に書かれていたことでは、私は「ジャンクフード」の言葉も知らなかった。すると、こう教えられていた。引用すればこうである。「ジャンク」とは「がらくた」、「ごみくず」という意味だから、直訳すると「がらくた食品」という。そして、これに続くこの文章では、わが無知の栄養学にイロハを授かったのである。ジャンクフードの特徴は手軽に食べられるが高カロリーで脂質や糖質が非常に多くビタミン、ミネラル、食物繊維が非常に少ないという。つまり、人間に必要な五大栄養素の糖質、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラルと食物繊維にまつわる食品の善し悪し(特に有害になると思われる物)を列挙して、教えてくださったのである。
 列挙されていた食べ物には、私には無縁なものが多くホッと胸をなでおろした。しかしながら、唖然と胸を突かれたのがあった。それは日頃食べ過ぎだな! と、自覚して気を揉んでいる糖質多量の食べ物類である。そして、列挙食品の中にはずばり、わが日常的に餓鬼食いを続けているドーナツと菓子パンがあったのである。毎年、私は夏痩せの恩恵を得ず、いやことさら夏は、春夏秋冬の中でもひと際太り身に悩まされている。ご多分にもれず、この夏もまた豚太りしかりである。おそらく、暑さ凌ぎに手軽な駄菓子をむさぼり続けるせいであろう。戒めの時すでに遅く焼け石に水だけれど、一念発起きのうの私は、愛玩用の駄菓子をしばし遠のけたのである。もちろん、角田様のご教授と恩義にたいし、心して報いるためである。いや、わが身のためである。その挙句、わが身体が健康に維持されれば万々歳である。少し虫が良すぎるけれど、角田様のご教授にたいし感謝感激である。余儀なく流行(はや)りのオンラインがもたらしている、わが大いなる利得、利便でもある。

時は75年めぐり「広島原爆の日」 

 令和二年(2020年)八月六日(木曜日)、時はめぐりきょうは「広島原爆の日」である。生きている者の務めとして、忌まわしい記憶を新たにしなければならない。戦火と違ってことし人類は、新型コロナウイルスの感染恐怖の最中にある。しかしながら、戦火に比べればこの禍はなすすべなく、終息まで耐えるよりしかたない。そう考えれば戦火は、確かな醜(みにく)い人災である。
 きょうはわが文章に替えて、朝日新聞朝刊の一面記事から一部引用を試みる。手先不器用の私には、大きな面倒を強いられるけれど、これまたわが務めである。
 【被曝75年草木は生えたが きょう広島原爆の日】:広島は6日、被爆から75年となる「原爆の日」を迎える。広島市中区の平和記念公園での平和記念式典は今年、新型コロナウイルス感染拡大防止のため大幅に参列者数を減らしたうえで開かれる。1945年8月6日、米軍が投下した一発の原爆は、広島市の市街地上空で炸裂。2キロ圏内がほぼ焼き尽くされ、「75年間草木が生えない」と言われた。同じだけの年月が経ち、街は復興した。しかし、被爆者たちの心や体の傷が癒えることはない。厚生労働省の今年末のまとめでは、被爆者健康手帳所持者は全国に13万6682人いて、この1年で9162人減った。平均年齢は83・31歳。式典では、この1年に死亡が確認された広島の被爆者ら4943人の名前を加えた原爆死没者名簿が奉納される。原爆死没者数の総数は計32万4129人となる。朝日新聞、2020年(令和2年)8月6日(木)、朝刊一面記事より一部抜粋。

やるせない光景 

 八月五日(水曜日)、梅雨が明けてようやく天気は落ち着いてきた。梅雨が明けてこのところの陽射しは、本来の真夏の熱を帯びている。梅雨季の大雨は日本列島の地方地域に、大きな被害をもたらして去った。去った後にあって私は、日々悲しさ、虚しさをつのらせている。天災に見舞われるたびに、去った後に感ずるいつもの虚しさである。具体的には惨禍だけが残されて、人間社会がいつもの日常へ戻る虚しさである。なお具体的には、無念無想に復旧作業に勤しむ被災者の姿をテレビニュースで垣間見る、込み上げる悲しさ、虚しさである。こんな光景をこのところはほぼ毎日、テレビニュースの中で観る羽目になっている。
 中でもこれらの光景の多くは、わがふるさと県・熊本の南部地域に流れる「球磨川」流域の被災地と被災者で見る。そのたびに私は、悲しさと虚しさにつつまれる。もちろん、被災者の哀しみや苦しみに水を差したる気はまったくない。それでも、一つだけわが気に染まない光景に出遭った。だからと言って私は、この人を非難する気は毛頭ない。なぜならこの人も、政治支援の乏しさのゆえであり、私には同情するところがあった。
 日本全国のどこの地方の人だったかは記憶にないけれど、インタビューに応じる中年の女性は、こんな言葉を告げられた。「ボランティアはありがたいです」。この言葉に私は、「ボランティアの人たちはありがたいです」と、言ってほしかったのである。ボランティアという言葉には、おのずから人の奉仕精神が含まれている。だとすれば、「人たち」という、敬意の言葉が欲しかったのである。私にはボランティア慣れが生じて、ボランティア人たちが応援に来ることが当たり前になっているような、日本社会の世相の一端を見た思いだったのである。よく、「ボランティアが来てくれない!」と、嘆く場面にも遭遇する。もちろんこれらの人に罪はない、まさしく「政治の貧困」の犠牲者である。人様の良心、すなわちボランティア(無償の奉仕)の人たちの活動にすがって、国政や自治体の為政者は、言葉だけの支援だけか? と、勘繰るたくなっている、悲しく、虚しい光景である。

 医食同源

 私は医者にはなれない。そんな高等の資格がないからである。しかし、医者の真似事はできる。生来の食いしん坊のうえに、今なお無傷の胃腑に恵まれて、食べる楽しみを有しているからである。胃カメラ検査は予約付きで時々強いられているけれど、そのたびに無罪放免にあずかり、食事制限の宣告は免れている。
 知りすぎている四字熟語だけど、電子辞書を開いた。
 「医食同源」:病気を治すのも食事をするのも、生命を養い健康を保つためで、その本質は同じということ。
 現在の世の中にあっては新型コロナウイルスの発症以来、あらゆる事象にオンラインとかリモートとか言う、カタカナ文字(英字)がつきまくっている。もちろん感染を恐れて、対面を避けるためのやむを得ない便法のせいである。
 このところの掲示板上には、角田様、高橋様、大沢さまを交えて、まるでオンライン鼎談(ていだん)のごとくに、健康留意への貴重なご意見が披歴されている。すなわち、健康を維持するための食べ物(食材)選びの談義である。具体的にはいくつかの食材を例にあげて、健康維持のための善悪(可否)の検証である。これらのことには生まれたての赤ん坊のごとく無知な私は、それぞれのご意見にあずかり、後れてなおかつ劣っているわが知識を補っている。そのため、それぞれのご意見にたいし、私は感謝感激である。失礼をかえりみず私は、この文章で三人の御方にたいし心より御礼を申し上げるところである。しかしながら、泥縄式の知識の習得にはもはや焼け石に水の悲哀をこうむっている。
 きのう(八月三日・月曜日)の私は、妻から手渡された買い物メモをたずさえて、いつもの大船(鎌倉市)の街へ出向いた。この間の往復には、定期路線・江ノ電バス(本社神奈川県藤沢市)を利用している。わが出で立ちは、背中には買い物用の大きな国防色のリュックを背負い、さらに手には大きな薄手の紺の布袋を提げていた。布袋の中には、レジ袋を忍ばせていた。帰途にあって、両手提げを免れないための用心のためであった。まるで用意周到な完全武装とも思える、わが買い物行の姿だったのである。
 年老いてなお、わがちょっぴり自惚れるものは記憶力である。普段は多くの買い物メモを口頭で聞き、買い物メモ用無しに記憶に留めて出かけている。そして、ほぼ寸分違えず買って、帰途に着いている。ところが、そう多くもない買い物数なのに紙きれのメモを手渡された。メモの品々はこうである。オクラ、トマト、ナス、キュウリ、なめこ、インゲン、ホウレンソウ、バナナ、国産のアナゴのかば焼き、煮物のカボチャサラダ、ボトル入りトマトジュース(カゴメ)、ボトル入り昆布つゆ(ヤマサ)、絹豆腐、厚揚げ豆腐、紅鮭、生タラコである。これらにわが判断を加えたものは、ホウレンソウは二把、重たいトマトジュースは二本に限り、豆腐は二丁、そして厚揚げ豆腐は二パックとした。これらにメモにない衝動買いで加えたのは、握り寿司一人前、五個入り稲荷ずしワンパック、そして小豆粒餡まぶしのヨモギ団子ワンパックだった。握り寿司一人前は妻への、稲荷ずしは夫婦共通の、ヨモギ団子は私自身への咄嗟の土産物だった。これらを買い求めて出回った店は、順次こうである。野菜と果物の安売り店「大船市場」、海産物「鈴木水産」、惣菜店、西友ストア「大船店」、最後は駅ビル・ルミネへ出向いて、「大川水産」で買い収めをした。もはやこの時点で、背中のリュックはダルマのごく丸膨れになり、大きな布袋とレジ袋からはときおり買い物の品々が食み出しそうになり、そのたびに私は慌てふためいた。この日のわが買い物を、医食同源をもとにできればご検証願いたいものである。買い物の品々には、正直に一点の偽りもない。ただ一つ付け加えれば、わが買い物の品々には、すべて「パパ、すべて国産の物を買うのよ!」という、妻からの厳命の達しがある。この厳命には逆らえず私は、中国産ウナギのかば焼きコーナーは、横目で眺めてむなしく素通りしているありさまである。
 お三方で物議をかもしていたオクラは、あえて好むものではないけれど、それでもすんなりと胃腑を潤している。私の場合、農産物、海産物、そして人工食品すべてにおいて、胃腑が嫌うものはない。購入を戸惑うのは、すべてわが財布の都合だけである。新型コロナウイルスにかかわる文章をひと休みしたくて、心中に浮かんだ医食同源という、四字熟語のおさらいをしたのである。これには、お三方の知識とアドバイスをさずかっている。
 八月四日(火曜日)、清々しい夏の朝の夜明けが訪れている。元気よく、道路の掃除へ向かうこととする。

照ノ富士、復活優勝 

 私の場合、今や大相撲においては国籍による贔屓の差別はない。このところはかつての大関・照ノ富士の復活劇に目を凝らし、テレビの前で応援を続けていた。すると照ノ富士は、きのう(八月二日・日曜日)の「七月場所」千秋楽において、見事に復活劇を成し遂げたのである。私は感涙に噎(むせ)んだ。それは厳しい勝負の世界にあって、みずからの奮励努力と人様の激励や支えで彩る、ひとつの人間ドラマだったからである。
 このところは、配信ニュースの引用が増えている。それでも私は、悪びれず引用を試みるものである。暗く、つらいことが続いている中にあって、久しぶりに堪能したわが快感であった。
 【復活V照ノ富士「恩返し」引退慰留の師匠から優勝旗】(2020年8月2日20時13分 日刊スポーツ)。<大相撲7月場所>◇千秋楽◇2日◇東京・両国国技館。14場所ぶりに幕内復帰した大関経験者の東前頭17枚目照ノ富士(28=伊勢ケ浜、モンゴル出身)が、5年ぶり2度目の優勝を果たした。関脇御嶽海を寄り切って13勝目。ともえ戦に持ち込まず、本割で決めた。優勝は15年夏場所以来。30場所ぶりの優勝は史上2番目のブランクで、大関経験者が関脇以下で優勝するのは昭和以降2人目。両膝の負傷や内臓疾患に苦しみ序二段まで番付を落とした男が、大相撲史に残る復活劇を成し遂げた。優勝を決めて土俵下に下りると、照ノ富士は30場所前の自身の優勝額を見上げた。「いつもあと何場所で写真がなくなるか考えていた。なくなる前に、もう1つ飾りたかった」。国技館の優勝額は直近の優勝力士32人。大相撲ファンが忘れないような、記録ずくめの優勝でつないだ。混戦模様を振り払うように、本割1発で決めた。御嶽海に敗れれば、ともえ戦に突入。「やってきたことを信じてやるだけだと思った」。立ち合い当たってすかさず両上手を取ると、引きつけて一直線。勝って涙ぐむことも、笑みを浮かべることもない。「うれしくて何がなんなのか分からなかった。いろんなことが頭に浮かんで、落ち着いてこらえた」。23歳の初優勝時は支度部屋で涙。感情を整理して優勝の実感に浸った。1897日前の初優勝とは、歓喜の味が違った。「イケイケのときに優勝している。今は慎重に、1つのことに集中してやってきた。それが違う」。15年の大関昇進後は、けがと病気との闘いだった。両膝の負傷に加えて、C型肝炎、糖尿病なども患い、移動の際は人の手が必須。トイレに行くのさえ容易ではなかった。幕下陥落が決定した18年6月に両膝を手術。右膝は前十字靱帯が、左膝は半月板がなくなった。17年の大関陥落後、師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)には何度も引退を申し出たが、認められなかった。「必ず幕内に戻れる」と粘り強い説得を受け、照ノ富士も「もう1度新弟子になろう」と決意。大好きな酒を断ち、幕下以下が締める黒の稽古まわしで再出発した。表彰式で引退を慰留してくれた師匠から優勝旗を手渡された。「みんなが支えてくれて、恩返しがしたかった。こうやって笑える日がきてうれしい。こういう時期だから、みんなに勇気と我慢を伝えたいと思って一生懸命やった」。4カ月ぶりに再開した本場所。心身を見つめ直したかつての横綱候補が、コロナ禍で暗雲が垂れ込める世の中を明るく照らした。

ようやく梅雨明け 

 首長く待っていたことでありきょう(八月二日・日曜日)は、梅雨明けを伝える配信ニュースの一部を抜粋し引用するところである。しかしながら日本社会には、梅雨が明けると熱中症に併せて台風シーズンが訪れる。生き続けることがほとほとつらいことには変わりない。
 日本列島の各地に大雨の被害をもたらした梅雨の雨の一難は、ようやく去った。ところが、いっそう勢いを増して引き続いている新型コロナウイルスへの感染脅威と共に、二難、三難が加わることとなる。待ち望んでいた長梅雨は明けたが、臍(ほぞ)を噛む思いの夏の幕開けである。
 【関東甲信、東海地方が梅雨明け 8月に明けるのは関東甲信では13年ぶり】(8/1(土) 11:01配信 ウェザーニュース)。「平年の梅雨明け日は両地方とも7月21日頃ですので、今年は平年より11日ほど遅い夏の到来となりました。8月に梅雨明けとなるのは関東甲信地方では2007年以来13年ぶり、東海地方では2009年以来11年ぶりです。関東甲信地方では過去4番目と同じ遅さ、東海地方では過去3番目の遅い記録です(梅雨明けを特定しなかった年を除く)。梅雨前線の停滞が長く続いたことにより『令和2年7月豪雨』を引き起こすなど記録的な大雨に見舞われ、梅雨期間中の降水量は軒並み平年の2倍前後に達しました。東京では、7月の1か月中で全く雨が降らなかった日は、わずか1日だけです」。
 わが好きな夏の訪れにあっても、ちっとも心が躍らない。なんだかなあ…! いや、わかっている。前月(七月)、八十歳になった、心の重しのせいである。

八月一日 

 令和二年(二〇二〇年)八月一日(土曜日)、夜明け前にあっていつものようにパソコンへ向かっている。しかし、書く気がまったく起きない。例年の八月は、太平洋戦争(昭和二〇年・一九四五年八月十五日終戦・敗戦)にともなう忌まわしい出来事が想起されて、気分の重たい月である。ところがこの八月は、日本社会にあっては今年特有の新たな難題が加わり、わが重たい気分はいっそう増幅している。そのため、この先を書く気になれない。
 新たな難題とは連日書いているゆえに、今さら書くまでもないが新型コロナウイルスへの感染脅威である。具体的には、連日増加をきわめている感染者数の推移である。このことについては、前月最終日すなわちきのう(七月三十一日・金曜日)の日本全国における感染者数を記すところである。すなわち、日本全国におけるきのう一日の感染者の数値は一五七一人と伝えられ、そしてこれが一日におけるこれまでの最高数値となっている。言うなればこの数値を土台にして、きょうからの感染者数の日々のカウントが始まることとなる。そしておそらく日を替えるごとに、過去最高の感染者数と伝えられては、私にかぎらず国民は更新される数値に怯えることとなろう。数値ゆえに、もちろん時々刻々に変化している。きょうは八月の初日にあって、きのうの感染者数一五七一人の数値を記すことで結文とする。重たい月の先々は、闇の中である。

七月最終日 

 七月最終日(三十一日・金曜日)、日に日に気分が押し詰められて、気力が殺がれている。この気分はあすからの八月へさらに増幅し、持ち越しとなる。もはや私は、生きる屍(しかばね)状態にある。それでも現下の世の中をかんがみれば、無傷に生き続けている私は、まだまだ幸福者である。なぜなら毎日、世界中から人間がこの世に生き続けることの難行苦行が伝えられてくる。
 きのう(七月三十日・木曜日)は、福島県郡山市の改装中の飲食店が、突然ガス爆発に見舞われる惨事が起きた。死傷者も出た。テレビニュースの光景は、阿鼻叫喚(あびきょうかん)する木っ端みじん状態を晒していた。
 九州北部、四国、そして中国地方には、気象庁から待ちに待った梅雨明けが宣言された。するとこれには、被害地における被災者の復旧作業の様子が映し出された。するとそれは、炎天下における涙と汗を流しながらのまさしく難行苦行の生の営みの模様だった。
 新型コロナウイルスの感染者数は、全国で前日の1264人を上回り、きのうは1306人を記録した。まったくありがたくない、連日の過去記録の更新である。ぞっと! 身震いをおぼえる数値である。きのうのこの数値がきょうどう変わるのか。ただただ恐れるのは、きょうの数値が土台なって八月になり、感染者数の数値はなおその先へ日々更新されそうなことである。すると、これまで何度も繰り返してきたことだけれど、書くネタはいっぱいあるけれど、私は文章をまったく書く気になれない。
 あわよくばきょうは、関東地方の梅雨明け宣言なるかと思っていた。ところが、いまだに梅雨空にあって、今にも雨が降り出しそうな夜明けが訪れている。私は気分喪失に見舞われて、文章は打ち止めである。そして、雨が降り出す前に、道路の掃除へ向かう決意である。なさけなくも今や、わがささやかな気分直しの行動である。
 過ぎゆく七月は、つらい月だった。訪れる八月はさまざまな過去の出来事が蘇り、日本社会はもとより気分の重たい月である。

 嗚呼、なさけなや!

 七月三十日(木曜日)、まだ暗い夜明け前に身を置いている。傍らの窓ガラスを開いて、空模様を確かめた。つくづく、バカげた行為である。空模様が分かるはずはなかった。淡く外灯の灯る道路を凝視した。雨脚の照り返りはない。夜が明ければ、道路の掃除へ向かう決意を固めた。
 このところの道路の掃除は、わが憂鬱気分の癒しが主になりつつある。確かに、ひたすら黙然と箒を這わすことによって、憂鬱気分はかなり和らげられる。本来の目的と副次効果が得られる、言うなれば一挙両得の効果に浴している。こんなことで憂鬱気分を癒すのは、ほとほとなさけない。しかしながら実際、現下の日本社会にあってはお金を使っても気分晴らしとなるものは何一つない。こう考えると道路の掃除は、身近なところで無償の恩恵にさずかるところがある。もちろん、掃除しながら無心にはなりえず、心中には絶えず災害現場で大汗を流す、ボランティアの人たちの辛さと偉さを浮かべている。それは暗い世の中を照らす、当てにならない神様頼みではない、人様の現実のありがたく崇高な奉仕精神である。それゆえに私は、それらの人たちの志にたいし、心中にひたすら敬愛心をつのらせている。
 ボランティア活動に勤しまれる人たちの神々(こうごう)しい姿は、生きにくい世の中にあって唯一、人間の尊厳の証しを知る光景である。だからそれらの姿は、いくら敬(うやま)っても、敬いすぎることはない。それらの人たちの姿に肖(あやか)れないことでは、私は歯ぎしりするばかりである。書くまでもないことを書いて私は、憂鬱気分を癒している。とうとう梅雨明けは、八月へ持ち越しとなりそうである。日本列島にあって天気予報は、いまだに地方や地域を限り、大雨の予報が続いている。
 新型コロナウイルスの感染は、きのう(七月二十九日・水曜日)、最後の砦(とりで)の岩手県が崩れて、47都道府県のすべてに及んだ。そして、全国の感染者数は過去最高を更新し、その数は1200人をはるかに超えている。おのずから、わが気分は滅入るばかりである。夜が明けてみると、いまだに梅雨空から曇天の夜明けが訪れている。
 雨さえなければ掃除は、実戦躬行(じっせんきゅうこう)となる。そのため、尻切れトンボのままに文章を閉じて、私は気分直しに道路の掃除に向かう。現在、パソコン上のデジタル時刻は、5:36である。遠い子どもの頃の、この時分の夏の夜明けがよみがえる。眠たい眼(まなこ)を指先で擦(こす)りながら、「内田川」に仕掛けていた「はい込み」(ふるさとの川魚の漁法)を引き上げに向かったときとほぼ同時刻である。ところが、気分は、当時と現在は雲泥の差にある。はい込み上げどきのわが童心は、勇み燥(はしゃ)いでいた。一方、現在の老心は沈み切っている。しぶしぶ、道路の掃除へ向かう気分である。気分な直しのよりどころとしてはこころもとない。いや、ほとほとなさけない行為である。老鶯(ろうおう)の鳴き声にすがる思いである。

 きのうの出来事

 テレビニュースを真似て現在のわが関心事を記すと、ほぼ四つに絞られる。一つは、日本列島の梅雨明けである。このことでは、気象庁から九州南部地域の梅雨明け宣言があった。一つは、日本列島の各地に被害をもたらし続けている大雨の降り止みである。ところが願い叶わず、秋田県、山形県、岩手県など、東北地方が被害に見舞われた。一つは、衰えるどころか感染力を増し続けている新型コロナウイルスの動向である。このことでは、こんな配信ニュースに遭遇した。【全国で新たに995人の感染者 過去最多を更新 鹿児島で初の死者】(7/28・火曜日、20:37配信 毎日新聞)。新型コロナウイルスの感染者は28日、毎日新聞集計で全国で新たに995人が確認され、これまで最多だった981人(7月23日)を上回り、過去最多を更新した。クルーズ船の乗客乗員らを合わせた国内の感染者は計3万2899人となった。鹿児島県で初の死者が確認されるなど死者は3人増えて計1015人。東京都の新規感染者は266人。200人台になるのは2日ぶりで、20日連続で100人を上回った。20代と30代が計168人で全体の6割強を占めた。重症者は前日比2人増の21人となり、2週間で3倍になった。大阪府では155人、愛知県では110人の感染が判明し、いずれも1日当たりの過去最多を更新した。愛知県で1日の感染者が100人を超えるのは初めて。他に京都府(31人)や岐阜県(25人)、沖縄県(21人)でも1日当たりの感染者が過去最多となった。そして四つ目は、日本の国にとっても対岸の火事として傍観できない、米中の非難中傷(報復)のなすり合いである。このことでは、自国における当該国の総領事館が閉鎖された。米中の動きは、戦々恐々のさ中にある。
 きょう(七月二十九日・水曜日)は、どんなニュースが伝えられてくるであろうか。唯一、光明に思えた関東地方の梅雨明け宣言はいまだ叶わず、梅雨空から降りそそぐ小雨模様の夜明けである。書きたい気分は遠のいて、日々、休みたい気分ばかりがつのっている。気分が滅入り、お茶濁しの文章さえままならない状態にある。小雨模様のせいか、援軍のウグイスの鳴き声は聞こえてこない。